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阪神・淡路大震災から20年 私のたたかい


本書は阪神淡路大震災の被災者による手記です。

昨年、2015年は兵庫県南部地震が起きて20年。各地で追悼イベントがありました。私自身、被災者です。20年目を迎えた1/17にはblogもアップしました。そこで、私なりに20年の区切りを付けたつもりです。また、その3ヶ月後には、灘区にある「人と防災未来センター」にも訪れ、その時に感じた事をblogにも書きました。

本書は訪れた「人と防災未来センター」の売店で購入した一冊です。

本書のような体験記は今までにも多数読んできました。東京大空襲、広島・長崎の原爆投下については多数の書籍で。東日本大震災についてはWebで。

でも、私自身が被災者となった天災といえば、阪神・淡路大震災が唯一です。東日本大震災でも自宅で被災しましたが、あれしきの経験ではとても被災者と自称することはできません。実際に被災された方々にも失礼ですし。でも、阪神・淡路大震災であれば、私自身、被災者と自称しても許されるのではないでしょうか。

それでも私の体験など、当時阪神・淡路に住んでいた方々の中にあっては、その一つに過ぎません。当然ですよね。震災に遭われた方の数だけ震災体験はあるのですから。本書はそのことを強く思わせてくれます。

揺れを感じた場所の違いもさることながら、震災時の立場の違いは実に大きいと思います。私の場合、学年末試験開始当日でした。とはいえ、実際に社会に出て仕事をされていた方々に比べると、私の苦労など持ちだすことすらおこがましいです。社会で地位を得、仕事をしながら地震の後始末もする。その苦労を思えば私の体験など気楽なものです。

もちろん、私は当日だけではなくその後に至るまで色々と動きました。吹田市への避難先の探索を友人に依頼したり、借家の契約も行ったり、引っ越し作業にあたっては車で何往復したことか。でも、所詮は学生の身分。時間があったからできたことです。社会人となった今は、あの頃社会人でありながら被災者であった方々の苦労に思い致すことができます。

本書には当時社会の一線で働いていた方々の体験談が多数収められています。

また、何よりも感じるのは、本書に寄稿されている方の多くは、地震の後も阪神間に留まっています。地震後、四年少しで関東に出てしまった私とは大きく違います。本書のサブタイトルにも「私のたたかい」という文字が含まれています。いうなれば私は地震への闘いを4年で中断し、東京へ逃げてしまった者ともいえます。たたかいを続ける両親や弟を残して。

街が復興していく様子。少なくとも表面的には傷が癒えて行く様子。記憶が風化していく焦りや寂しさ。そういった感情は、私には薄くしか残っていません。闘い半ばにしていなくなったのだから。私のように年に2、3度の帰省だけでは見えない街の移り変わりを見続けてきたのが、本書に寄稿された方々なのだと思います。

皆様の文章から感じられるのは、地震体験が生々しく残っていることです。勿論その記憶には風化やすり替えも含まれているでしょう。私自身の記憶ですらそうなのですから。

でも、共通しているのは、この記憶を後世に伝えたいということです。私自身、少なくともそういう気持ちは持ち続けたいと思っています。地震の巣である東京で仕事の基盤を持っている今、決してそのことは忘れてはならないと思っています。

今の東京は、地震の痛みを忘れてしまっています。皆さんが記憶しているのは精々が計画停電による、朝のラッシュの長蛇の列でしょう。

原発稼働の有無や、福島第一原発事故による放射能について警鐘を鳴らすのは無駄とは思いません。が、それ以上に、東京の様な地震多発地帯に国の三権ばかりか、経済文化が集い続けていることに危機感は増す一方です。

「人と防災未来センター」の訪問ブログでも書きましたが、私が訪れた際は、丁度震災20周年の特別展が催されていました。その中で、もし東京で大地震が発生したら、という題で多数の東京のランドマークがイラスト化され、崩れる建物や避難民が書かれていました。

今の東京住民の方々は決してその予想を軽んじてはなりません。なぜ軽んじてはならないか。その答えが本書に寄稿されている方々の体験から読み取れます。私も含め、神戸を地震が襲うなど考えもしなかった方々。その方々の衝撃と狼狽、復興の実情が本書には詰められています。

さらには、忘れてはならないことがあります。ここに寄稿されている方々は私も含め、運よく震災体験を書く事が出来た方々です。その陰には、体験を書くどころか、思い出す機会すらないまま無念の死に直面した人々の存在があります。6500弱もの人々の存在が。

彼らの言葉にならぬ無念は、今の東京に暮らす皆様にはどう捉えられているのでしょう。もはや別の国、別の歴史の出来事になってしまっているのではないでしょうか。

亡くなった方々の幾分の恐怖や無念を伝える本書のような体験記は、東京に住む人々にこそ知られるべき。私はそう思います。

‘2015/05/03-2015/05/05