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CLS道東 2024 極寒編に参加してきました



2024年2月3日に開催された「CLS道東 2024 極寒編」に参加してきました。
告知ページはこちらです。

CLSはコミュニティ・リーダーズ・サミットの略です。
つまり、全国の様々な地域・職種のコミュニティを率いる方々が集ってコミュニティのあり方や取り組みを紹介し、共有する場です。皆さんがそこで学び、コミュニティ活動に実践することが趣旨です。

私はCLS道東の初開催から全てに参加しています。

なぜ毎回参加するかというと、コミュニティ運営についての学びが得られるからです。

私は、kintone Caféというコミュニティ運営に複数の支部で関わっています。最近では、新たな支部の立ち上げや休眠していた支部の再活性化にも携わっています。

また、弊社も山梨県に関わりを深めています。
山梨県への関わり方をどうすればよいかについては、まったくの未経験からのスタートでした。

弊社の場合、役員である妻がGoodWay社とのご縁を深めました。そのご縁から、学生団体トップファンや山梨県活性化プロジェクトなどに人脈を拡げつつあります。
私もまた、kintone関連のイベントを通じて山梨での知己を増やしています。

山梨県ではこのように既存のコミュニティに参加してから、新たなコミュニティの立ち上げに関わりました。さらに、自社でも新たなコミュニティの創生も模索しています。

私と妻は共に、人口減少に悩む山梨県の役に立ちたいと志しています。そして、これからの働き方や暮らし方を考える上で山梨が適しているのではないかと考えています。
そこで、山梨に弊社の拠点を構えることを考えています。山梨に拠点を構え、リモートワークにより首都圏や他地域の案件は引き続き対応します。それと同時に、山梨での案件を増やすことで仕事を通じて地域に貢献したいという思いが増しています。
そうした活動を通して山梨のために還元できるやり方として、単なるクラウドを用いたシステム構築だけでなく、雇用創出やコミュニティ作りを組み合わせることが有効だと確信しています。

ゼロから人脈を広げるには、具体的にどのような行動を取るべきか。山梨で上記のような活動をするには何を考え、どう動くべきか。
CLSからは多くの事を学びました。
今までは、コミュニティのイベントに参加するだけだった私が、コミュニティの立ち上げや創出にも関われるようになったのも、CLS道東やCLS高知で得た知見があったからです。
今回のCLS道東でもそれぞれの地で活動されるコミュニティの運営事例を伺うことができました。


さて、CLS道東が始まりました。
風邪をひいているにもかかわらず司会役を全うしたみうみうさんによる開会のあいさつの後は、早速本編へ。その前に四宮琴絵さんからは946BANYAの入場者数が一万人を超えたというとてもうれしいニュースと記念すべき一万人目のお二人に花束贈呈が。おめでとうございます!


今回は参加者の名札が三種類用意されていました。どれも、秋田さんによる手書きでとてもすばらしかったのです。私はSLを選びました。


「トークセッション1【道東の魅力を掘り起こすー地域と人を巻き込む方法】」
モデレーターの塩崎さんの進行のもと、スピーカーの堀田さんと達川さんが士幌町と標茶町で取り組まれてる事業を話されていました。


堀田さんは株式会社atLOCALの代表として道の駅ピア21しほろの運営を行われています。
道の駅を民間に委託するにあたり、士幌町内で立候補する事業者がいなかったそうです。このままでは町外の事業者によって道の駅から士幌らしさが失われてします。それに危機感を感じ、会社を立ち上げられたとか。

堀田さんが中札内村のご出身で中札内村のJAにおられたという経歴も興味をひきました。
なぜならCLS道東の数日後に中札内村で三泊する予定があったからです。
また、士幌町の隣の音更町にお客様の現場視察の予定もありました。ということは、その際にピア21しほろに立ち寄れそうです。
また、弊社はJAさんにDX支援をしています。その中では直売所のDX推進もやるべきミッションの一つです。堀田さんの取り組みから学べる事は多いのではないかとひらめきました。

日本一町民に必要とされる道の駅という運営方針にも興味があります。道の駅の運営を町の人にも来てもらうためには、運営側としては表に出ない方がよい。
実際、道の駅ピア21しほろのウェブサイト(https://pia21shihoro.jp/)にはatLOCAL社はほぼ出てきません。商品にもロゴはだしていないそうです。

数日後、実際に「道の駅 ピア21しほろ」に伺いました。そこで、堀田さんと懇談し、あらためてその運営方針やお考えについてうかがいました。
実際、「道の駅 ピア21しほろ」には地元の方と思しき方々の姿が多く見られました。また、スタッフと活発に意見を交わすミーティング中の堀田さんの姿もみることができました。
ミーティングで話される内容や指示内容が具体的であることも印象に残りました。この熱意こそが道の駅 ピア21しほろが町民に受け入れられた理由であることに納得しました。

余談ですが、「道の駅 ピア21しほろ」を訪れた翌日に、堀田さんのご実家である中札内村の「焼肉 開拓村」にも訪問できました。中札内村ではよく知られたお店だそうで、そのご縁には驚きました。ボリューム満点で肉もめちゃ美味しかったです。まさにCLSが生み出すご縁です。


また、達川さんは標茶町でTHE GEEKというサウナ&クラフトホステルを営んでおられます。ウェブサイトはこちらです。
達川さんは兵庫の宝塚のご出身で横浜の戸塚で仕事をする中、訪れた塘路に一目ぼれしたそうです。そこから知己もいない中、単身で挑戦を始めたそうです。
誰も知り合いがいない中、イベントを企画し、一人で黙々と準備をしていたら、みかねた地元の方が助けてくれたり、免許停止を食らった状態で移動に難儀していたら地元の方が助けてくれたり。

山梨で挑戦しようという今の弊社にとって共感できるストーリーがありました。

私も達川さんの経歴には親近感を持ちました。宝塚の隣の西宮で育ち、戸塚からそう離れていない町田に住んでいるからです。
ところが今の私は24年強の間、町田から離れられずにいます。達川さんはそこからもう一段高いレベルへ挑戦し、見事に成果を出しつつあります。その心意気は、学ばねばならないでしょう。

よく都会から田舎への移住にあたってよく聞くネガティブ情報として、地元の方に受け入れられないとか排除されるとかの声はよく聞きます。
お二人を見ていると、やり切ることで地域に受け入れられた人の達成感がありました。懸念よりも実際に地域に飛び込んでいくことで地元の方々の共感を得る。とても大切なことだと思います。
とても励みになったお二人のセッションでした。


ここで休憩。私はせっかくなのでお隣の大道東まつりで中札内いなか鶏に反応して、カレーを頂きました。めちゃ美味しかった。



さらにここで日本酒コーナーに吸い寄せられ、佐藤さんの元に伺うと、まさかのサウザーさんことジョイゾーの中嶋さんが!ジョイゾーさんへのご入社おめでとうございます!


「トークセッション2【京丹後で繋がるローカルとソーシャル】」
モデレーターの高山さんの進行のもと、スピーカーの長瀬さんと岸さんと渡邉さんが京丹後市で取り組んでいる事業について話されていました。

京丹後市といえば豊岡のお隣です。つい七日前、私が滞在していた城崎の近くです。
また、京丹後市は10年ほど前、両親とうちの家族で旅行にいき、夕日ケ浦などを訪れた思い出の場所でもあります。

Tangonianの皆さんからは興味深いキーワードがたくさん伺えました。
「コミュニティツーリズム」
「地域を「観光地」から「関係地」へ」
「繋がるローカルとソーシャル」
どれもが新鮮なキーワードです。

そうしたキーワードから通して教わったのは、コミュニティツーリズムが事業として成り立つことです。
観光客も地元の人も生身の人です。データではありません。
地元で働く人々は観光目的で生計を立てていません。そうした人に対し、浅薄な観光客を紹介すると信頼を損ねてしまいます。つまり信頼貯金がなくなってしまうのです。そうならないために本当に信頼できる人を絞って紹介する。つまり、お互いにとって無理のない形で共感を作る。

Tangonianの皆さんの取り組みからは、インバウンド需要をうまくとらえ、それを基にした地域おこしや地域創生が事業として成り立つ可能性を学びました。

私が役に立てるのはクラウドを活用した情報システムの構築です。
旅が好きで地域のために役立ちたいと思っている私ですが、どうすれば地域創生についてお客様に対価としていただけるサービスを提供する方法がよくわかっていません。


コミュニティツーリズムの考え方は、私にとって新たな気づきを与えてくれたように思います。
Tangonianの皆さんありがとうございました。

続いてはサポーターセッション。


「サポーターセッション1 生活協同組合コープさっぽろ」
長谷川さんといえば、武闘派CIOとして著名な方です。このセッションでは長谷川さんが広報担当として売り出したい方(お名前を失念してしまいました・・・・)と掛け合う様子がとても面白く、私も妻と同じようなスタイルで登壇できへんかなぁとつい考えてしまいました。
こういうのも新たなコミュニティの形です。
登壇慣れしていなくても、コミュニティ活動に不慣れでも、こういう場数を踏むことで人は成長していく。その過程が見られたような気がします。


「サポーターセッション2 KEEN株式会社」
KEENさんの事業の中でKEEN Managerは面白いと思いました。
発信者とは育てることも必要でしょう。ですが、発信が好きかどうかは育てる前からわかるはず。つまり、将来のコミュニティにとって欠かせない発信者を発掘することは、コミュニティの継続にとってやるべきことです。それをやってくれるのがKEEN Manager。そういうニーズはお客様の中にありそうなので、頭に入れておき、今後に提案できる機会があればよいと思いました。


「サポーターセッション3 雪川醸造合同会社」
ワイン、飲んでますか?というタイトルでしたが、今回のCLS道東の懇親会ではワイン飲めずに終わりました。
上に書いた通り、日本酒と山椒のマリアージュを教えてくださった佐藤さん、サウザーさんの二人がタッグを組んだ日本酒ブースに吸い寄せられてしまったためです。

ワインの複雑なウンチクやしきたりから脱して、もっとも楽しくワインを飲むように訴える山平さんの話は印象に残りました。
「果実味、酸、余韻」というキーワードは覚えました。今後はこのキーワードを軸にワインを語ろうと思います。
私はワインを極めることはあきらめていました。ですが、ワインもこの三つのキーワードで語ればより面白い世界になるはずです。

山平さんとは翌日の大人の遠足でもご一緒させていただきました。
カキキンさんのオイスターバー牡蠣場にて、牡蠣の殻がワインづくりに使えると、商談を申し込んでいた山平さんの姿がとても印象に残りました。
機を見て素早くご縁を結ぶ。商いとはこうあるべきです。遠足の最中であってもアンテナを立てて次への動きができる。よい見本を見せてもらいました。


続いては、9名の方によるLTタイム。
実は十日ほど前にLT枠に欠員が出たので、LTやりましょうか?と申し出ました。ところが、私がもたついているうちに別の方がLT枠に申し込みました。私のLT登壇の機会は失われました。

今回の皆さんのLTを聞いていて、早いうちに、CLS登壇の実績解除は果たさねばと思いました。
CLSは学びの場として有効です。ただ、参加するにつれ、学べることはどうしても減っていくはずです。それでも、登壇さえすれば、きっと次の展開が開けるはず。
CLS道東に何度も来ていると、顔見知りの方が増えてきます。ただ、顔を知っていることと、実際の活動内容を知る事には大きな隔たりがあります。
皆さんのLTを聞いていて、この方が何の活動をしているかについての情報がアップデートされる感覚を味わいました。
それは私も同じ。よく顔を見るkintoneのエバポロシャツ来ている奴はなに?と思われていることでしょう。それを、皆さんの前で登壇することで情報をアップデートしてもらう。次回は登壇を目指します。


さて、LTタイムの後は、
「ワークショップ 【各地のCLS運営を招いてのワークショップ】」
として、CLS高知の小林さん、CLS道東の四宮さん、そして今度CLS三島らへんを立ち上げる川村さんによるもの。

この組み合わせはとても興味深いものでした。
なぜなら、冒頭に書いた通り、弊社にとって山梨でのコミュニティづくりは避けては通れないからです。その際に参考となるのが、コミュニティのあり方の一つの到達形であるCLSだと思います。


前回、CLS道東に参加した後、CLS三島が立ち上がるとの話を聞きました。それを聞く前は、CLS山梨もありかな、と思っていました。が、CLS三島らへん(らへんというキーワードは微妙)と重なる可能性もあるため、山梨でのCLS開催は控えておいたほうがよさそうです。
ただ、それでもCLSのプラットフォームから学べることは多くあると思っています。山梨のほかに山北や真鶴でも地域創生のご相談を頂いている今となってはなおさらです。

CLS高知やCLS道東は地域が持つ強いコンテンツ(風土や景色や食)がを生かせます。CLS三島らへんもまた、箱根や富士、伊豆といった国内有数の観光地を近隣に擁しています。
かつて函南や三島にはよく訪れていました。妻が持っていた山の家があったからです。だから、三島の持つコンテンツの豊かさは理解しているつもりです。
CLS三島がどのように育っていくのかについても、とても興味があります。


CLSとは私にとっては学びの場でした。ということは、まだ参加したことのない方にとっても十分な学びの場となるはず。
CLS三島らへんは首都圏からも行きやすいですし、日程も発表されたので参加したいと考えています。


丁度のその時間に美しい釧路の夕陽が落ちました。コンテンツの強さを象徴する場面です。


さらにCLSの創始者である小島さんの誕生日が今日であり、まさかの誕生日プレゼントが!!
厚岸のボトルもうらやましいし、秋田さんが描かれた小島さんの似顔絵がとても素敵でした!おめでとうございました!


そしてその後は武市さんの集合写真家としての強力なリーダーシップのもと、全員で集合写真を撮りました。

今回は若干前回よりも人数が減ったように思います。
毎回お見えになっていた釧路市長やえぞ財団の皆さん、惣田さんもお見掛けしませんでした。
(鈴木議員も来ていないと書きましたが、お見えになっていたそうです。琴絵さんからFacebookでご指摘いただきました。ありがとうございます。また、失礼しました)

ただ、こういうのは当然ながら任意参加であり、皆勤だからえらいということはありません。
今後、私もやむを得ない事情によって来られなくなることもあるはずです。


夜の懇親会ではゆっくり話せなかった方々と多くのお話ができました。とても楽しい時間でした。また、その後の二次会、三次会もかなり楽しみました。どうやって宿である大喜湯 春採店に帰ったのか、全く覚えていないぐらいに。
ただ、酔った中でも皆さんと交流を深める中で私なりにCLS道東に来る理由、学ぶべき内容や学んだ内容も整理できたように思います。

実際に私がコミュニティを作り始める前と後では、CLSから受ける情報の質も大きく変わったように思います。
作り始めた今だからこそ、実践されている方々から受け取る情報が明らかに変わったように思います。
そして、山梨やその他の知己で弊社が展開するコミュニティづくりに、今回のCLS道東で学んだことは活かせるはずです。

次の海霧編にもまた来て、学びたいと考えています。
また、その時には私からも何かの取り組みで得た情報を共有したいと思っています。

まずはご参加の皆さん、スタッフや登壇者の皆さん、HOKKAIDO DESIGN CODEやジョイゾー社の皆さん、その他、ご縁のあった皆様、本当にありがとうございました。

XのPOSTまとめサイトはこちらです。


お金に愛されるお金持ちの考え方大全


当ブログでは、本書が取り上げるような欲得そのものを目的とした本はなかなか登場しない。
なぜなら、私がそうした本をあまり読まないからだ。私はビジネス本すら、あまり読まない。

ただ、こうした本が何の足しにもならない、とは思わない。むしろ逆だ。
私の場合、本書のような類の本と付き合うパターンはだいたい定まっている。そのパターンとは、商談で都心を移動する間、時間ができたときに本屋に入り、店頭に並んでいる本をさっと斜め読みする事だ。
そうやって本屋の店頭で並ぶ本を立ち読みし、ごく一部の情報を頭にたたきこむ。さらに、その学びを直後の商談で実践することもある。
それで十分だと思っている。
私はそうやって生きてきた。そして少しずつ学んできた。

ではなぜ立ち読みするだけでなく、買ってしまわないのか、と問われるはずだ。店頭での斜め読みなど、読んだうちに入らない、と。
確かに買って読んだほうが、吸収できる知識量は違う。
だが、私はあえてそうした付き合い方をしている。

なぜなら、本書のような本は、読んだ内容が普段の行動につながっている。
ということは、立ち読みで得た知識を即座に活かせるのだ。つまり、本の中で得た気づきを本屋を出た後の行動に反映できる。改善もできるし、実践もたやすい。
加えて、本書のような内容は短い断章が含まれているため、つまんで読んでも内容が把握できる。
つまり、じっくりと読まなくても、本屋の店頭でも知識を吸収できる。

さらに、目的がお金や人生を豊かにする、と明確であるため、余計なことを考える必要もない。
そうした経験から、本書のようなお金に関する本は無駄にはならないと思っている。
もちろん、場合によっては本屋で買い求めることもある。本書もその一つだ。

私の人生で学んできた事の一つは、占いや風水や運やツキといったものは決して軽んじてはならない、という教訓だ。
それは何も、どこそこの方角に水晶をおけば金回りが良くなるとか、壺を買えば運気がうんぬんという意味ではない。
私は、占いや風水や運やツキとは、心理的効果の積み重ねだと思っている。
私たちは日頃の言動で相手になにがしかの影響を及ぼし、相手からも及ぼされている。それこそが心理的効果だ。

政治、経済、教育など、社会のあらゆる営みは、人と人との関係から編み上げられている。
人付き合い、ビジネス、友人関係。そうした結果の積み重ねの結果が、今この瞬間の私たち自身の姿だ。
お金持ちという属性が、ビジネスでの成功の結果、を指すと仮定すれば、それもまた積み重ねの結果だ。
人付き合い、ビジネス、友人関係の成果を金儲けにつなげるのはあまりにも寂しい人生観だ。確かにそう思う。
ただ、その一方で、それらが豊かな方がいろいろな意味で有利になることも否めない。

そして、商談をしたことがある人なら分かると思うが、相手のしぐさや顔つき、視線や話し方は重要だ。そうした所作には、相手の考えることが往々にして現れる。
この提案は見当違いだったなとか、この金額は高いかな、といったことも、商談相手を注意深く見ていれば、なんとなく感じられる。
優れた占い師は、相手のちょっとした仕草から内面を読み取り、相手の内容をズバリと言い当てると言う。
それと同様に、商談の場でも、無意識であっても内面は滲み出てしまう。つまり、自分自身の言動を相手にきちんとした印象として伝われば受注につながってゆく。

背広をパリッと着こなして、凛とした格好で商談に臨むよりも、商談中の顔つきやしぐさによって心理的な安心感を与えることができた時の方が、ご発注いただく確率は大きくなるのではないか。個人的にはそう思っている。

その証拠に私はこの数年、ほとんどの商談でネクタイを着用せずに臨んでいる。
そのかわり、商談の際には集中力を研ぎ澄まし、相手の目を見つめながら一挙手一投足に注意を払っている。
だから、集中力が乱れたときは失注するし、相手の感情に同調できれば受注につながる。

私はあらゆる分野の成功者とは、そうした自らの挙措が相手にもたらす効果を知り尽くした人だと思っている。

そして人前に出た時、自らの振る舞いを相手に印象付けるには、普段からの心掛けが大切だ。
いくら商談の場で集中し、相手に自らの存在を印象付けようとしても、普段の行動があらわれることは避けられない。
要は普段から、どれだけ凛とした印象を与える行動をとっているかだ。つまり習慣づけ。

本書は、商談などで成功した金持ちの振る舞いを紹介する。そうした振る舞いが、結果として人を引きつけ、ビジネスも盛んにすることを説いている。

いざ商談の場でも取り繕わずに済ませるには、普段の振る舞いから良い点を取り入れてゆくのがお勧め、というわけだ。

本書は全7章からなっている。それぞれの章には、15~20ほどの項が含まれている。

今の私は、本書に書かれたおすすめのうち、いくつかをすでに実践していた。

だからこそ、本書は30代前半の私に読ませたかったと思う。そうしていれば30代の頃にあれほどの苦労をすることもなかったのに。

だが、そういう時期に限って、本書に書かれたような内容は心に響かない。皮肉なことに。
そして、自分が実践してから読むと、内容に共感できることが多い。今の私の実感だ。

‘2019/02/09-2019/02/14


アジャストメント


フィリップ・K・ディックといえば、SF作家の巨匠として知られる。

映画化された作品は数多い。だが、著者はとうの昔に世を去っている。没年が1982年というから亡くなって30年以上経つ。それなのに2010年代になってもなお映像化された作品がスクリーンを賑わしている。こんなSF作家は著者だけかもしれない。

本書に収められた短編のうち最近のものは「凍った旅」だ。この作品は1980年に発表されている。1980年といえばインターネットどころか、マッキントッシュやウィンドウズが生まれたての頃だ。インターネットはまだ軍事用の連絡手段としてごくごく一部の人間にしか開放されていなかった時期。ネットライフなど、SF作家の脳内にも存在したか怪しい。著者が脂に乗っていた世代はさらに二世代ほど遡る。本書に収められた作品の多くはそのような時代に着想された。

そんな古き良き時代に産み出された著者の作品が、現代でもなお映像化されるのは何故だろう。

本書に収められた短編にはその疑問を解き明かす鍵が隠れている。

それは人の心を描いている、ということではないか。人の心の作用は、技術が発達した今もまだ闇の中だ。人工知能が当たり前となった現代にあっても、人の心の深淵は未知。精神医学も脳神経学も、脳波や言動といった表面に聴診器を当てて心の動きを推し量っているにすぎない。

つまり、著者の扱うSF的な主題は、今なおSFとして通用するのだ。たとえ道具立てが古びていようとも。そんなものは映像に表現する際に最新の意匠を当てはめれば済む。それだけの話だ。ここにこそ今なお著者の作品が映像化される理由が隠れていると思う。

その点を以下に示してみよう。

「アジャストメント」
2011年にマット・デイモン主演で映画化された。本編では、環境が人の心が作り出したものか、それとも環境があってその中に人の意識が作動するか、いわゆる唯物論と唯識論が取り上げられている。

「ルーグ」
犬と人間の交流の断絶を描いている。つまり、犬の心と人間の心は吠え声を通してしか繋がり得ないという事だ。犬が絶望的にいくら泣き喚こうが、人間にはただのうるさい無駄吠えとしか聞こえない事実。

「ウーブ身重く横たわる」
心のタブーの産まれる所に切り込んだ著者のデビュー作。何がタブーを作り出すのかがとても鮮やかに描かれる。

「にせもの」
ぼくがぼくだということを示す方法。記憶も自我もコピーされたとして、果たして自分が自分であることをどうやって証明すればよいか。自我のあり方について鋭くえぐった一編だ。

「くずれてしまえ」
本編は、心が陥る怠惰の罠を書いている。もしくは想像力の涸渇と言い換えてもよい。なんでもコピー自在な異種生物によって支えられた世界。それが崩壊して行く様。なにやら技術に依存しきった人類の未来を描いているようで不気味な一編。

「消耗員」
この一編は心とはあまり関係なさそうだ。いわゆる異種=虫とのファンタジー。

「おお! ブローベルとなりて」
本編は、同族以外のものを排除しようとする差別意識をテーマとしている。

「ぶざまなオルフェウス」
本編は、芸術家や歴史に名を残す人物に降り立つ霊感を扱っている。いわゆるひらめき。著者自身が登場するのも笑える。歴史改変ものでタイム・パラドックスに無頓着なのはご愛嬌だ。

「父祖の信仰」
信仰と忠誠の話だ。もしくは個人と組織の対立と言い換えてよいかもしれない。薬が登場するが、それは信仰や忠誠の媒介を象徴しているのだろう。そういった媒介物があって初めて、信仰や忠誠は成り立つのかもしれない。むしろ、成り立たないのだろう。

「電気蟻」
本編はロボットの自我の話だ。自我に気づいたロボットが自殺する話。これは、心の自律性を風刺していると思われる。

「凍った旅」
本編は、記憶や幼き日のトラウマの深刻さを描いている。長期睡眠者の意識だけが目覚めた中、宇宙船の統御コンピュータが、長期睡眠者の精神ケアのため、時間稼ぎに幼い日々の記憶を蘇らせる話だ。全てを暗く自虐的に受け取ってしまう長期睡眠者の心の闇が、ケアされていく様子が描かれている。

「さよなら、ヴィンセント」
これはリンダ人形のモデルのリンダについての物語だ。何かせずには自分のありようを確かめられない。そんな心の弱さが簡潔に記されている。

「人間とアンドロイドと機械」
これは著者のエッセイだ。内容や主旨がかなり回りくどく説明されており、全貌を把握することは難しい。私が受け取った著者のメッセージは、人間とアンドロイドと機械を厳密に区別する術はないということだ。自我よりも行動様式、もしくは存在論にまで話は及ぶ。その該博なエッセイの中で著者の結論を見出すのは難しい。結局は人間的な属性などどこにもない、という結論だと思ったが、どうだろうか。

‘2016/04/14-2016/04/20