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神隠し


空港。私たち一般人が利用できる施設のうち、おそらくは最も高いセキュリティが敷かれている場所だろう。

それはハイジャックのリスクがあるからだ。
国際空港の場合は、出国と入国審査が必須なので、より高いセキュリティが求められる。怪しい人物を自由に出入国させないための措置だ。
それゆえ、一度出国審査を終えて空港内に入ると、その間の身分は不定となる。ひとたびゲートを過ぎてしまうと、その瞬間だけはどの国の人でもなくなってしまう。トム・ハンクス主演の『ターミナル』のような事態を思い起こさせる。
もちろん、そうした事態を防ぐために、空港のセキュリティや身分チェックは厳重になっている。

本書のタイトルである神隠しとは、まさにそのゲートで消えてしまった子供の状態のことだ。本書はある家族の前で行方が分からなくなった子供の行方を追うミステリだ。

本書の面白さの一因は、舞台がアメリカに設定されていることだ。上に書いた空港とはロサンゼルス国際空港である。
アメリカが舞台なので、本書の登場人物のほとんどはアメリカ人である。
日本人が書いた日本語の小説でありながら、アメリカ人の会話や行動の描写が大部分を占めている。
もちろん、登場人物の中には日本人もいる。だが、本書に登場する日本人はほんのわずかだ。主人公のグレッグの妻の郁恵と日本の寺の住職ぐらいだろうか。あとはほぼアメリカ人。

日本人がそのような小説を書くのは大変だろう。
だが、著者のプロフィールを読むとその心配は無用だ。著者はアメリカに渡米後、起業を果たし、今もアメリカに住んでいるそうだ。
つまり、アメリカの暮らしやビジネスや事物が具体的に描写できる。
特に、空港の人が行きかう様子の描写はテンポがよい。おそらく著者は普段から空港を利用し慣れているのだろう。そして、それを文章に落とし込むための観察術にも長けているのだろう。

ロサンゼルス国際空港とは、多様な人種が集う場所である。もちろん、日本人がいることに違和感は覚えない。また、そこで最も多くを占めるのがアメリカンなのはいうまでもない。他にもヨーロッパの各国やアフリカにルーツを持つ人々が混在している。

多くの人種がひしめくことで起こること。それは人種問題だ。むしろ、人種問題とは無縁ではいられない。
そして、アメリカは多民族国家だ。
特にアメリカの場合、ほんの数十年前まではアフリカン・アメリカンの人々への差別感情が色濃く残っていた。だからこそ、人種問題には敏感であるべきだ。
在米日本人も太平洋戦争中は収容所に入れられた苦難の歴史を持っている。

だからこそ、人種問題について社会的な仕組みも整っているだろうし、人々の間に人種間の軋轢に対処するための知恵が蓄積されている。
著者の問題意識は日常からそうした問題に常に向いていて、本書はまさにそうした問題意識から描かれたと言っても良いだろう。

本書のテーマは空港のセキュリティだけではない。グレッグが勤めるジャーナリズムの現場は、インターネットに押されて終焉を迎えつつある。さらには警察司法行政改革も取り上げられている。

しかし、それらのテーマを超えて、本書で最も強調されているのは親子の愛情や絆だ。それは人種や文化を超えて同じであり、尊い。
尊いだけではなく、人はそれを守るために思いもよらない力を発揮する。

アメリカでは銃撃事件が絶えない。生命の安全が常に脅かされている。その一方で、家族や肉親を守ろうとする人々の思いは強い。
言うまでもなく、その感情は同じ人間である以上は持っていて当たり前だ。日本人であろうとアメリカ人であろうと変わりないはず。
ただ、それは頭では理解していても、実感と心から理解しているかというとためらいがある。同じ人間であり、同じ感情を共有できるはずであることは分かっていても、アメリカに住んだことのない私のような読者にとっては、実際に感情で理解しているかどうかは心もとない。

そうした微妙な文化や感情の揺れを描いていることが本書の価値なのだと思う。それを描くのが日本人の感性を持ち、アメリカの生活事情に精通した著者であることも。

もちろん、アメリカにも優れた小説家は無数にいる。日本語に翻訳されたアメリカの小説はいくらでも読むことができる。
だが、翻訳されたアメリカの小説と日本人の小説家が書いたアメリカの暮らしは、何かが違う。

本書からは翻訳小説を読んでいるような印象は受けなかった。それはおそらく、本書に登場するアメリカ人の言動が日本人と同じとの印象をうけるからではないだろうか。
なぜだろう。
それは、日本人である著者が小説を書くにあたって無意識に脚色していることもあると思う。本書はアメリカで出版されるのではなく、日本人向けに描かれている。そのため、著者はアメリカが舞台である特色は活かしつつも、家族や肉親の絆をテーマとする際に日本人の感性でアメリカ人を描いたと思われる。
家族や肉親の絆をテーマとするため、日本人の読者に向けたアメリカ人になってしまったというべきだろうか。

ただ、この私の感想は、私がアメリカ人と親しくなったことがないための誤解かもしれない。
私が正しいかどうかはどうでもよい。むしろ本書は、私に自分の認識のあやふやさを教えてくれたことに意味があると思っている。
私もなるべく日本人の殻に閉じこもらないようにしようと考えている。ただ、私の日常で付き合いがあるのは公も私もほぼ日本人だけだ。
私の年齢が上がっていくにつれ、さらに海外の人との付き合いがうまくできなくなっていくことだろう。脳が柔軟性を失っていき、慣れ親しんだ日本人との日常に埋没してしまうだろう。

本書は、私に異文化に触れていない気づきを与えてくれた。

2020/12/11-2020/12/12


メデューサの嵐 下


下巻では、着陸する空港を求めてあちこちを飛び回るスコットの苦闘が描かれる。
メデューサが野放しになっている事実は、アメリカ中が知ることとなった。ペンタゴンやCIAも、とんでもない兵器が空にある事態を把握する。一方で、アメリカを危機に陥れた犯罪者がすでに亡くなったロジャーズではなくヴィヴィアンによってなされたと考え、捜査するFBIも。
さまざまな思惑を持つ人々がそれぞれの立場で事態を掌握しようとするため、なかなかうまくいかない。

もっともやっかいなのは、メデューサを無傷で確保したいとの軍の一部の思惑だ。
まだどの国も開発に成功していないメデューサウェーブが今、合衆国の上空にある。それは軍にとって願ってもないチャンスだ。この兵器を可能な限り無傷で入手し、内部を解析することによって、アメリカによる世界の覇権はより一層強固なものとなる。
アメリカに無限の力がもたらされるメデューサは、軍が確保しなければならない。
そう確信した一部の軍人は、兵器を遺棄したいと願うスコットを欺き、スコットの飛行機を軍の飛行場に着陸させようと画策する。

ところがスコットのそばには、兵器の実際の開発者であるロジャーズの妻ヴィヴィアンがいる。かつてロジャーズと一緒に研究職に就いていたヴィヴィアンにとって、ロジャーズの能力はよく知っている。この兵器を完成させてもおかしくないことも。
ロジャーズがやると決めたら必ず実行する。軍がいかに知恵をめぐらそうとも、安全に解体することなど不可能。メデューサは軍が生半可に扱えるような代物ではない。そして、処置を誤ったが最後、アメリカ中の電子機器は使い物にならなくなり、アメリカは二度と立ち上がれないほどのダメージを被る。

ヴィヴィアンからそのような事を聞いたスコットは、アメリカを救わねばという使命につき動かされる。そして、策をめぐらせながら機を飛ばし続ける。スコットエアも自分自身もそしてクルーも最後まであきらめることなく、どうやればメデューサを安全に処分するかを考えながら。

そのスコットからみて、軍のおかしな動きは怪しむに十分だった。軍が自らを欺きメデューサを手中に収めようとしているのではないか、と。その疑いが確信に高まり、いったんは着陸した空港から、軍の制止を振り切って再び離陸への道を選ぶ。
物語を盛り上げるため、このような余計な画策をする役割の人物は必要だ。軍人としての動機がもっともなだけに、スコットを再び空へと送り出す展開も無理やりな感じは受けない。

軍の用意した飛行場が頼りにならないとなれば、もうスコットにとれる道はすくない。時間は少ない。そこで彼がどういう決断を下すのか。

超巨大台風とメデューサ。熱核爆弾としての側面も持つメデューサが爆発すれば、電磁波だけでなく、自身も一瞬にして塵と化す。
そのような極限状況にあって、ある人はパニックに陥り、ある人は判断力を失う。だが、ヒーローでなくとも、集中力を高められる人もいる。本書のスコットのように。
もともと航空機のパイロットは高度な知識と集中力を擁する仕事だという。
本書のような事態に巻き込まれたとしても、スコットが毅然と対処できることはある意味理にかなっている。空軍のもと戦闘機載りの経歴ならなおさら。

おそらく著者も自身や仲間のパイロットの姿をみていたはず。その素養は承知していたため、本書のような設定も著者には荒唐無稽とは考えていなかったのだろう。

飛行機とはただでさえ、一瞬の操作ミスが命の危機に直結する。
だから、もともとサスペンスの題材としては適している。
そして著者にパイロットとしての知識があったならば、飛行機を題材とした本書のようなサスペンスは面白いはずだ。

実際、本書を読む間は手に汗を握るような展開が連続する。本書のように極上の緊張感を楽しめるのは、読者としての喜びだ。

ただ、本書には物足りない点もあった。
正直にいうと、本書の登場人物にはもう少し深みがあっても良かったと思う。
たとえばスコットがなぜ一人で貨物便を扱うスコットエアを創業したのか。上巻の冒頭でそのあたりのいきさつには多少は触れられる。だが、あまりスコットが貨物会社を創業した動機には挫折があまり感じられなかった。
さらに、重要な役回りを演じるドクやジェリーの人物ももう少し深く掘り下げてもよかったのではないだろうか。

そしてリンダにも同じ物足りなさがつきまとう。なぜ南極からの観測データを焦って積み込まねばならないのか。そこに環境学者としての彼女が抱いていた地球温暖化の危機感を書き込めば、より彼女の強引な行為の理由が理解できたはず。

結局、本書で一番無茶な企てを仕掛けたロジャーズと、その企みにまんまとはめられたヴィヴィアンの元夫婦が、人物の中でもっとも深みがあったように思うのは私だけだろうか。
彼らの闇の暗さと、たくらみや巻き込まれた事件はもっとも現実に考えにくい役回りだったにもかかわらず。

だが、そうした欠点など取るに足りないと思えるぐらい、本書は航空機とそれを舞台にしたサスペンスの書き方に長けていたと思う。
あえて人物の書き方に注文を付けたのも、それだけ本書のサスペンスとしての構成がしっかりしていたからだ。

このあたりのバランスをどうすればよかったのかは、結果論に過ぎない。
一つだけいえるのは、本書が極上のサスペンスだったこと。それを読めて楽しめたことぐらいだ。

本書は余韻の描き方もとてもよかった。この終わり方によって、沸騰していた物語に締めくくりが付けられたように思える。

‘2019/6/19-2019/6/19


メデューサの嵐 上


本書は、だいぶ長い間、私の部屋で積ん読になっていた一冊だ。
ちょうど読む本が手元になくなったので手に取ってみた。

本書は、今まで積ん読にしていたのが申し訳ないほど面白かった。
何が面白かったかと言うと、飛行機の運転操縦に関する知識が深く、臨場感に満ちていたことだ。それもそのはずで、著者はもともと貨物便のパイロットをしていたそうだ。

本書の主人公であるスコットもまた零細貨物航空会社スコットエアの経営者であり、パイロットだ。そのスコットエアを運営しながら、綱渡りの経営を続け、営業で案件をとってきては収入を運営につぎ込む。その姿は、私と弊社そのもの。だから感情移入ができた。

しかも、本書の主人公の場合、実際の貨物便を所持している。
という事は、維持費がかかる事を意味する。また、それを運行するためのスタッフも雇わねばならない。
スタッフとはスコットエアの場合、副操縦士のジョン・ドク・ハザードと機関士のジェリー・クリスチャンだ。
スコットエアにはスタッフも大きな機器もある。だから、弊社のようにパソコンだけを持っていれば済むはずがない。
スコットの経営は、私よりもさらに過酷であり、綱渡りの連続であるはずだ。

さて、本書のタイトルにもなっているメデューサとは、メデューサウェーブを発する兵器の事だ。もちろん実在しない。著者の造語だ。
メデューサウェーブとは、強力な電磁波。その強力な電磁波によって、電子と磁気の情報で成り立っている情報機器を一撃で無効にできる。つまりデータを破壊できるのだ。
世界中のハードディスクに保存されているあらゆる情報や、ネットワーク上を行き来する電気信号。そうした情報は電子データであり、電子データが安全に保持されることが社会のあらゆる活動の前提となっている。
だが、メデューサウェーブによってそれらが一気に無効になるとすれば、その恐ろしさは計り知れない。実際、複数の国の兵器関係者は今も研究しているはずだ。

もしそのような恐ろしい兵器が、在野の一科学者によって作り上げられたとしたら。そして、その科学者が狂った動機をもとにその兵器を実際に稼働させようとしたら。もしその兵器がスコットの操縦する貨物機に積まれていたとしたら。
本書はそうした物語だ。全編がサスペンスに溢れている。

その科学者ロジャーズ・ヘンリーは、離婚した妻ヴィヴィアンに対して復讐しようとしていた。そして彼の復讐の刃は自分の才能を認めようとしなかった合衆国政府にも向けられていた。
そんなロジャーズの狂った執念を一石二鳥で実現したのがこのメデューサウェーブ。
ガンで自らの余命がいくばくもない事を知ったロジャーズは、ヴィヴィアンに連絡を取る。
その時、ヴィヴィアンは離婚したことによって収入のあてがたたれ、困窮状態にあった。
死の床で寝込んでいたロジャーズからの頼みを断れずに引き受けてしまったことが、本書の発端となる。

メデューサに巧妙な仕掛けを組んでいたそのロジャーズは、自ら命を断つ。
そしてヴィヴィアンは、生計がいよいよ立ち行かなくなり、ロジャーズの頼みを実行する。
ロジャーズの頼みとはヴィヴィアンも同伴したまま、貨物便にその箱に似た兵器を積み込む事。
しかし、積み込まれるべきだったメデューサは、手違いで積み込まれるべき貨物便とは違う便に積み込まれた。その飛行機こそ、スコットの操縦する飛行機だった。そしてスコットがそのまま飛行機を離陸させたことで、メデューサは空に解き放たれてしまう。
巧妙にも、ヴィヴィアンのペースメーカーと兵器を同期させるようにしていたロジャーズは、ワシントンの上空で兵器を作動させる。
兵器の電子コンソールには、ヴィヴィアンが離れると兵器をすぐに稼働させるという脅迫の文字が。

飛行機は着陸もできなければ、兵器を処分することもできない。つまり、燃料の切れるまで飛び続ける羽目に陥る。
しかも間の悪いことにアメリカに最大級の台風が襲来している。つまり、スコットは巨大な台風の中を、いつ爆発するとも知れない兵器とともに飛び続けなければならない。

貨物の積み込みや、空港での手続き。そして実際の操縦や航空機の形に関する知識。
そうした知識がないまま、本書のような物語を書くと、非現実的な設定に上滑りしてしまう。
だが、冒頭に書いた通り著者はもともと飛行機会社を経営していたという。そうしたキャリアから裏付けられた説得力が本書に読みごたえを与えている。

同時に著者は、兵器の情報がどのようにしてマスコミに漏れ、それがどのように世間を騒がせるかについてもきちんとリサーチを行っているようだ。
危険極まりない兵器が空を飛び回っていることを知った世間はパニックに陥る。
そのいきさつもきちんと手順を踏んでおり、無理やりな感じはしない。だから、本書からは説得力が保たれている。

今の社会は電子データに従って動いている。どこにでもありふれているが、ひとたび混乱すれば、世界の仕組みは破滅し、アメリカの覇権は雲散霧消する。
メデューサウェーブのような兵器の着想は、おそらく他の作家にも生まれていることだろう。だが、私にとっては本書で初めて出会った。それだけに、新鮮だった。

スコットの操縦する飛行機には、ドクとジェリー、ヴィヴィアンの他にもまだ乗客がいる。
南極での調査を終え、政府研究機関に至急渡したいからと荷物を運んでほしいと強引に乗り込んできた女性科学者のリンダ・マッコイ。
この5名の間にコミニケーションが取られながら、5人でどのようにして協力し合い、危機を脱するのか、という興味が読者をつかんで離さない。

実際のところ、本書の核心度や描き方、物事の進め方やタイミングなど、あらゆる面で第一級のサスペンスで、まさにプロの描いた小説そのものである。
才能の持ち主が知識を備えていれば、本書のような優れたサスペンスになるのだ。

いったいスコットたちはどのように危機を乗り切るのだろうか。下巻も見逃せない。

‘2019/6/14-2019/6/19