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人災はどこから始まるのか 「群れの文化」と「個の確立」


本書は、元日本原子力研究所や日本原燃株式会社といった原子力の第一線で働いていた著者が書いている。
原子力技術者が、東日本大地震が起こした惨禍とそれに伴う福島第一原子力発電所の事故を受け、贖罪の気持ちで書いたものだという。

題材が題材だからか、本書はあまりなじみのない出版社から出されている。
おそらく、本書に書かれている内容は、大手出版社では扱いにくかったのだろう。
だが、本書をそれだけの理由で読まないとしたらもったいない。内容がとても素晴らしかったからだ。

こうした小さな出版社の書籍を読むと校正が行き届いていないなど、質の悪さに出くわす事がたまにある。本書にも二カ所ほど明らかな誤植があった。
私の前に読んだどなたかが、ご丁寧に鉛筆の丸で誤植を囲ってくださっていた。
だが、その他の部分は問題がなかった。文体も端正であり、論旨の進め方や骨格もきっちりしていた。
著述に不慣れな著者にありがちな文体の乱れ、論旨の破綻や我田引水の寄り道も見られない。

しかも本書がすごいのは、きちんとした体裁を備えながら、明快かつ新鮮な論旨を含んでいる事だ。
原子力発電所の事故を語るにあたり、官僚組織の問題を指摘するだけならまだ理解できる。
本書のすごさは、そこから文化や文明の違いだけでなく、事故を起こす人の脳の構造にまで踏み込んだ事にある。

こう書くと論理が飛躍しているように思えるかもしれない。だが、著者が立てた論理には一本の芯が通っている。
著者は福島第一原子力発電所の事故を踏まえ、人間の脳を含めた構造や文化から説き起こさなければ、過ちはこれからも起こりうると考えたのだろう。
事故が起こる原因を人間の文化や脳の構造にまで広げた本書の論旨は、きちんとまとまっており、新鮮な気付きを私たちに与えてくれる。

本書の主旨はタイトルにもある通り、ムレの文化が組織の危機管理の意識を脆弱にし、責任の所在が曖昧になる事実だ。

日本の組織ではムレの意識が目立っている。それは戦後の経済成長にはプラスとなった。
だが、著者は、日本が高度経済成長を達成できた背景がムレの意識ではないと指摘する。それどころか、日本の成長は技術の向上とその時の国際関係のバランスが有利に働いた結果に過ぎないと喝破する。
日本の高度経済成長に日本のムレ組織の論理はなんら影響を与えなかった。
それは私たちにとって重要な指摘だ。なぜなら、今もなお、過去の成功体験にからめとられているからだ。
著者のような高度成長期に技術者として活躍した方からなされた指摘はとても説得力がある。

その結論までを導くにあたり、著者はまずムレと対立する概念を個におく。
それは西洋の個人主義と近しい。当然だが、個人主義とは「俺が、俺が」の自分勝手とは違う。

そうした文化はどこから生まれるのだろうか。
著者は、文化を古い脳の記憶による無意識的な行動であると説く。レヴィ=ストロースの文化構造論も打ち出し、それぞれの文化にはそれぞれに体系があり、それが伝えられる中で強制力を備えると説明する。

一方で著者はフェルナン・ブローデルの唱えた「文明は文化の総体」を批判的に引用しつつ、新たな考えを提示する。その考えとは、古い脳の所産である文化に比べ、文明は新しい脳である大脳の管轄下にある。要するに、理性の力によって文化を統合したのが文明だと解釈してよいだろう。
続いて著者は西洋の文化の成り立ちを語る。西洋はキリスト教からの影響が長く強く続いた。宗派による争いも絶えず、国家も文化も細かく分かれ、摩擦が絶えなかった西洋。そのような環境は相手の信教の自由を尊重する関係を促し、個人の考えを尊重する文化が醸成された。著者はイタリア・スペイン・フランス・ドイツ・イギリス・アメリカの文化や国民性を順に細かく紹介する。

ついでわが国だ。温暖な島国であり外敵に攻め込まれる経験をしてこなかったわが国では、ムレから弾かれないようにするのが第一義だった。ウチとソトが区別され、外に内の恥を隠蔽する文化。また、現物的であり、過去も未来も現在に持ち込む傾向。
そうした文化を持つ国が明治維新によって西洋の文化に触れた。文化と文化が触れ合った結果を著者はこのように書く。
「欧州という「個の確立」の文化の下で発展した民主主義や科学技術という近代文明の「豊かさ」を享受しています。それを使い続けるならば「個の確立」の文化の下でなければ、大きな危険に遭遇する事は免れません。」(168p)

ここまでで本書は五分の三を費やしている。だが、脳の構造から文化と文明にいたる論の進め方がきっちりしており、この部分だけでも読みごたえがある。

そして本書の残りは、東日本大震災における福島第一原子力発電所の事故と、その事故を防げなかったムレ社会の病巣を指摘する。
ムレに不都合な事実は外に見せない。津波による被害の恐れを外部から指摘されても黙殺し、改善を行わない。それが事故につながった事は周知のとおりだ。
社会の公益よりムレの利益を優先するムレの行動規範を改めない限り、同様の事故はこれからも起こると著者は警鐘を鳴らす。

著者は最後に、ムレ社会が戦後の民主化のチャンスを逃し、なぜ温存されてしまったかについて説き起こす。敗戦によって公務員にも職階制を取り入れる改革の機運が盛り上がったそうだ。職階制とは公務員を特定の職務に専念させ、その職域に熟達してもらう制度で、先進国のほとんどがこの制度を採用しているそうだ。
ところが明治から続く身分制の官僚体制が通ってしまった。GHQの改革にもかかわらず、冷戦体制などで旧来の方法が通ってしまったのだという。
その結果、わが国の官僚はさまざまな部署を体験させ、組織への帰属意識とともに全体の調整者の能力を育てる制度の下で育ってしまってしまった。
著者はそれが福島第一原子力発電所の事故につながったと主張する。そして、今後は職階制への移行を進めていかねばならないと。
ただ、著者は世界から称賛される日本の美点も認めている。それがムレの文化の結果である事も。つまり「ムレの文化」の良さも生かしながら、「個の確立」も成し遂げるべきだと。
著者はこのように書いている。
「これからは、血縁・地縁的集団においては古い脳の「ムレの文化」で行動し、その一方で、感覚に訴えられない広域集団では「個の確立の文化」によって「公」の為に行動する、というように対象によって棲み分けをする状況に慣れていかなければなりません。」(262P)

本書はとても参考になったし、埋もれたままにするには惜しい本だと思う。
はじめにも書かれていた通り、本書は原子力の技術者による罪滅ぼしの一冊だ。著者の年齢を考えると自らの人生を誇らしく語るところ、著者は痛みで総括している。まさに畢生の大作に違いない。
著者の覚悟と気持ちを無駄にしてはならないと思う。

‘2020/01/30-2020/02/01


日本の原爆―その開発と挫折の道程


「栄光なき天才たち」という漫画がある。かつてヤングジャンプで連載されており、私は単行本を全巻揃えていた。日本の原爆開発について、私が最初にまとまった知見を得たのは、単行本6巻に収められていた原爆開発のエピソードからだ。当時、何度も読み返した。

我が国では原爆を投下された被害だけがクローズアップされる向きにある。もちろん、原爆の惨禍と被爆者の方々の苦しみは決して風化させてはならない。そして、それと同じくらい忘れてはならないのは、日本が原爆を開発していた事実だ。日本が原爆を開発していた事実を知っていたことは、私自身の思想形成に少なからず貢献している。もし日本が原爆開発に仮に成功していたら。もしそれを敵国に落としていたら。今でさえ複雑な日本人の戦争観はさらに複雑になっていたことだろう。

本書は日本の原爆開発の実態にかなり迫っている。著者の本は当ブログでも何度も取り上げてきた。著者の筋の通った歴史感覚にはいつも信頼をおいている。そのため、本書も安心して手に取ることができた。また、私は著者の調査能力とインタビュー能力にも一目置いている。本書のあちこちに著者が原爆開発の関係者にインタビューした内容が引用されている。原爆開発から70年以上たった今、関係者の多くは鬼籍に入っている。ではなぜ著者が関係者にインタビューできたのか。それは昭和50年代に著者が関係者にインタビューを済ませていたからだ。原爆開発の事実を知り、関係者にインタビューし、原稿に起こしていたそうだ。あらためて著者の先見性と慧眼にはうならされた。

「はじめに」からすでに著者は重要な問題を提起する。それは8/6 8:15から8/9 11:02までの75時間に日本の指導者層や科学者、とくに原爆開発に携わった科学者たちになすすべはなかったのか、という問いだ。8/6に原爆が投下された時点で、それが原爆であることを断定し、速やかに軍部や政治家に報告がされていたらポツダム宣言の受諾も早まり、長崎への二発目は回避できたのではないかという仮定。それを突き詰めると、科学者たちは果たしてヒロシマに落とされた爆弾が原爆であることをすぐ判断できたのか、という問いにつながる。その判断は、技術者にとってみれば、自分たちが作れなかった原爆をアメリカが作り上げたこと、つまり、技術力で負けたことを認めるのに等しい。それが科学者たちの胸の中にどう去来し、原爆と認める判断にどう影響したのか。そしてもちろん、原爆だと判断するためには日本の原爆開発の理論がそこまで及んでいなければならない。つまり、日本の原爆開発はどの程度まで進んでいたのか、という問いにもつながる。

また、著者の着眼点の良さが光る点がもう一つある。それは原爆が開発されていることが、日本の戦時中の士気にどう利用されたか、を追うことだ。空襲が全国の都市に及び始めた当時、日本国民の間に「マッチ箱一つぐらいの大きさで都市を丸ごと破壊する爆弾」を軍が開発中である、とのうわさが流れる。「広島 昭和二十年」(レビュー)の著者が著した日記の中でも言及されていたし、私が子供のころ何度も読んだ「漫画 日本の歴史」にもそういったセリフが載っていた。このうわさがどういう経緯で生まれ、国民に流布していったか。それは軍部が劣勢の戦局の中、国民の士気をどうやって維持しようとしたか、という考察につながる。そしてこのようなうわさが流布した背景には原爆で敵をやっつけたいという加害国としての心理が国民に働いていたことを的確に指摘している。

うわさの火元は三つあるという。学者の田中館愛橘の議会質問。それと雑誌「新青年」の記事。もう一つ、昭和19年3月28日と29日に朝日新聞に掲載された科学戦の様相という記事。それらの記事が国民の間にうわさとなって広まるまでの経路を著者は解き明かしてゆく。

そして原爆開発だ。理化学研究所の仁科芳雄研究室は、陸軍の委嘱を受けて原爆開発を行う。一方、海軍から委嘱を受けたのは京都帝大の荒勝文策研究室。二つの組織が別々に原爆を開発するための研究を行っていた。「栄光なき天才たち」でも海軍と陸軍の反目については触れていたし、それが日本の原爆研究の組織的な問題点だったことも描かれていた。本書はそのあたりの事情をより深く掘り下げる。とくに覚えておかねばならないこと。それは日本の科学者が今次の大戦中に原爆の開発は不可能と考えていたことだ。日本に作れないのなら、ドイツにもアメリカにもソ連にも無理だと。では科学者達は何のために開発に携わっていたのか。それは二つあったことを関係者は語る。一つは、例え原爆が出来なくても研究することに意義があること。もう一つは、原爆の研究に携わっていれば若い研究者を戦場に送り出さずにすむ計算。しかし、それは曖昧な研究への姿勢となり、陸軍の技術将校に歯がゆく思われる原因となる。

仁科博士が二枚舌ととられかねない程の腹芸を見せ、陸軍と内部の技術者に向けて違う話を語っていた事。複数の関係者が語る証言からは、仁科博士が対陸軍の窓口となっていたことが本書でも述べられる。著者の舌鋒は仁科博士を切り裂いていないが、仁科博士の苦衷を察しつつ、無条件で礼賛もしないのが印象的だ。

また、実際に原爆が落とされた前後の科学者たちの行動や心の動き。それも本書は深く詳しく述べている。その中で理化学研究所出身で陸軍の技術将校だった山本洋一氏が語ったセリフがは特筆できる。「われわれはアメリカの原爆開発を疑ったわけですから、アメリカだって日本の技術がそのレベルまで来ているか、不安だったはずです。そこで日本も、原子爆弾を含む新型爆弾の開発に成功したのでこれからアメリカ本土に投下する、との偽りの放送を流すべきだったのです。いい考えではありませんか。そうするとアメリカは、たとえば長崎には投下しなかったかもしれません」(186ページ)。著者はこの発想に驚いているが、私も同じだ。私は今まで多くの戦史本を読んできたが、この発想にお目にかかったことはなかった。そして私はこうも思った。今の北朝鮮と一緒じゃねえの、と。当時の日本と今の北朝鮮を比べるのは間違っている。それは分かっているが、チキンレースの真っただ中にいる北朝鮮の首脳部が戦意発揚に躍起になっている姿が、どうしても我が国の戦時中の大本営に被ってしまうのだ。

山本氏は8月6日にヒロシマに原爆が投下された後、すみやかにアメリカの国力と技術力から算出した原爆保有数を算出するよう上司に命じられる。山本氏が導き出した結論は500発から1000発。その計算が終わったのが8月9日の午前だったという。そのころ長崎には二発目の原爆が炸裂していた。また、広島へ向かう視察機に搭乗した仁科博士は、搭乗機がエンジンの不調で戻され、ヒロシマ着は翌八日になる。つまりここで冒頭に書いた75時間の問題が出てくる。ヒロシマからナガサキまでの間に意思統一ができなかったのか、と。もっとも戦争を継続したい陸軍はヒロシマに落とされた爆弾が原爆ではあってほしくなくて、それを覆すためには確固たる説得力でヒロシマに落とされた爆弾が原爆であることを示さねばならなかった。

そして科学者たちの脳裏に、原爆という形で核分裂が実証されたことへの感慨と、それとともに、科学が軍事に汚されたことへの反発が生じること。そうした事情にも著者はきちんと筆を割き、説明してゆく。

それは戦後の科学者による反核運動にもつながる。例えばラッセル=アインシュタイン宣言のような。そのあたりの科学者たちの動向も本書は見逃さない。

「おわりに」で、著者はとても重要なことをいう。「今、日本人に「欠けている一点」というのは、「スリーマイル・チェルノブイリ・フクシマ」と「ヒロシマ・ナガサキ・フクシマ」とは、本質的に歴史的意味がことなっていることを強く理解すべきだということだ。この二つの構図を混同してはならないと自覚しなければならない」(258ページ)がそれだ。私もそのことを強く思う。そしてぼんやりと考えているとヒロシマ・ナガサキ・フクシマを同列に考えてしまいかねない罠が待ち受けていることにも思いが至る。

もう一つ「日本での原爆製造計画が実らなかったために、私たちは人類史の上で、加害者の立場には立たなかった。だが原発事故では、私たちのこの時代そのものが次の世代への加害者になる可能性を抱えてしまった」(260ページ)という指摘も重要だ。下手に放射能被害の不安を煽ったりする論調には反対だし、私は事故後の福島には三度訪れている。だが、煽りに対して反対することと、原発事故からの教訓を読み取る必要性は分けるべきだ。

「あとがき」で著者は重ねて書いている。「本書は、あえて日本の原爆製造計画という、日本人と原子力の関係の原点ともいうべき状態を改めて確認し、そこに潜んでいた問題をないがしろにしてきたために現在に繋がったのではないかとの視点で書いた。」(266P)。この文章も肝に銘ずる必要がある。いまや日本の技術力は世界に冠たるレベルではなくなりつつある。このまま日本の技術力が地に落ちてしまうのか、それとも復活するのか。それは原発事故をいかに反省し、今後に生かすかにかかっている。海外では雄大な構想をもつ技術ベンチャーが増えているのに、日本からはそういう風潮が生まれない。それは原爆開発の失敗や敗戦によって萎縮してしまったからなのか、それとも原発事故の後遺症によるのか。問うべき点は多い。

‘2017/11/21-2017/11/23