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翔る合戦屋


第一作の「哄う合戦屋」で鮮烈なデビューを果たした石堂一徹。巻末で、落ち延びる遠藤軍を追う仁科盛明の軍勢を山間の狭間で止めようとする一徹と六蔵。若菜の為なら命をも顧みない男気溢れる結末は、強烈な印象を残した。

第二作と第三作の「奔る合戦屋」上下巻では、時代を遡る。そこでは遠藤家に仕官する前の一徹が描かれる。村上義清の配下にあって、若き一徹は村上軍の中でも戦上手の伝説を作り上げていく。しかし、理に勝ち過ぎ周りが見え過ぎる一徹の戦略は、主村上義清の戦術を凌駕するに至り、主従間の溝は大きくなる一方。ついに、一徹の戦略を苦々しく思っていた村上義清は独断で武田軍に小競り合いを仕掛ける。そこには折悪しく一徹の愛する朝日と子供たちと一徹子飼いの郎党として手塩にかけて育て上げてきた三郎太がいた。

主村上義清の器を見限り、放浪した挙句、一徹が辿りついたのは遠藤家の領地。そこから、第一作の「哄う合戦屋」に繋がる。

そして、本書は第四作「翔る合戦屋」である。第一作の終わりで一徹と六蔵は仁科勢を食い止めようと死地に身を投げる。しかし仁科盛明は遠藤家を追ったのではなかった。それよりも、遠藤家の武名を一手に負っていた一徹を武田家に招きたいという。しかし、一徹は「故あって武田家に帰参することはできない」と云う。著者が第一作「哄う合戦屋」の後に第二作、第三作で一徹の過去を語った理由はここにある。妻子を武田家配下の者どもに殺された一徹が武田家の旗下に参ずることはありえない。そのことは「奔る合戦屋」上下巻の読者にはたやすくわかることだ。つまり第一作の後に一徹の過去を語った後でなければ、続きは書いてはならないとしたのだろう。なお、本書では他にも「奔る合戦屋」上下巻を踏まえた記述が出てくる。なので、本シリーズは書かれた時代順ではなく、刊行順に読むのが正しい。

第一作では、遠藤家の主君吉弘は戦で一徹と張り合おうとする。挙句、豪族連合軍があっけなく仁科軍の裏切りにあって瓦解すると、己の愚を悟る。そして一徹に許しを請うとともに、若菜を一徹にやると云い捨てて逃げ去る。

晴れて夫婦となることを許された一徹と若菜は、仮祝言を挙げて閨を共にする。若菜は朝日がかつてそうだったように、一徹の賢夫人として輝きを増す。一徹が調略で得た仁科盛明の家族の懐にも入り込み、そのカリスマ的な魅力の本領を発揮する。一方、中信濃(安曇郡全域と筑摩郡北部)に領地を得た遠藤家は、来たる武田家の侵入に備えて領地経営に精を出す。一徹もまた、門田治三郎に銘じて攻城車を作らせるなど、戦の準備に余念がない。

内政と軍事の準備を進める中、一徹は外交にも気を配る。そして、かつての主君村上義清の許へ向かう。武田軍との戦いに備え、遠藤家と同盟するよう意を尽くして語る為だ。9年ぶりに訪れた石堂村、父や兄との邂逅の様子などが描かれる。このシーンもまた「奔る合戦屋」上下巻を読んでいないと分かりにくい。

物語はやがて風雲慌ただしくなる。武田家の侵攻が迫るのだ。そこでは一徹の戦略が功を奏し、武田晴信は砥石城攻略に拘った挙句に、多大な時間と将兵を喪うことになる。世に言う「砥石崩れ」である。しかし、その機に乗じて村上義清は晴信本人の首を獲ることに失敗し、晴信は何とか本拠に逃げ帰る。

晴信が叩かれたその隙に深志城を奪取することを画策する一徹。深志城とは今の松本城のこと。大きな濠が特徴的な名城である。おそらくは当時も濠があったのあろう。その濠を攻略するための攻城車が図に当たる。武田軍の拠点としての深志城をあと一歩のところまで追いつめる遠藤軍。しかし、晴信が放った苦し紛れの流言策があたり、晴信が攻めてくるとの恐怖心に慄いた村上義清の離陣によって、深志城奪取はならなかった。

それによって、信濃制覇目前にして大魚を逃した一徹は、深く自信を喪失する。そして煩悶し、己の生き方について深く考える。

一徹が至った結論は、軍師廃業である。では何を生業とするのか。それが、第一作から一徹の特技として再三出てきた木彫の技である。おそらく著者は第一作で一徹を登場させた時から、この結末を見据えて書き継いできたのではなかろうか。

一徹は己の後半生を軍師ではなく木彫師として生きようと決意する。その落ち着き先は越後。この当時の越後と云えば上杉謙信がすぐに想い出される。この時はまだ長尾景虎と名乗っており、越後国内の統一もままならない状態。だが、一徹は景虎の中に己に似た軍才を見出し、景虎もまた一徹を伽衆として己の領内に取り込もうとする。なお、本書の舞台は天文十九年。天文十九年は川中島の第一次合戦が戦われる3年前である。つまり本シリーズは川中島合戦のプロローグでもあるのだ。本書を読んだ方には、川中島合戦で軍神と呼ばれた上杉謙信の背後に一徹の影を見るはずだ。

以降、一徹は己の果たしえなかった夢を越後の虎に託し、若菜と共に物語から去る。そして遠藤家の面々や仁科家にもきちんと落とし前をつけて本シリーズの幕を引く。実にあざやかとしか言いようがない。かつて一徹は朝日や若葉、桔梗丸や三郎太を亡くした。同じ轍を踏まない結末は、なるべく簡潔に戦を収める一徹の面目躍如と云えよう。

後書きで著者自身が明かしているが、史実に残る武田晴信、村上吉清、仁科盛明の動きと、本書で書かれた彼らの動きには些かの矛盾もないという。史実を歪めず、その上で史実の間隙を縫うかのようにして、一徹や遠藤吉弘、若菜といった架空の人物を自在に動かす。このことがどれほど賛嘆されるべき仕事かは、一言で語りつくせない。とにかく賞賛の念しか浮かばない。実に素晴らしい。

また、第三作「奔る合戦屋」下巻のレビューで、本シリーズの魅力について書いた。それは、組織の中で才を持ち、かつ、上を持ち上げる生き方のできない男の悩みを掘り下げていることだ。つまり、組織でうまく立ち回ってゆけない男の不器用さへの共感が本シリーズには満ちているのである。その男とはもちろん一徹を置いて他にない。

本書の結末の一徹の軍師引退、木彫師としての転身からは、脱サラという言葉が連想される。組織を抜けて自分の得意な仕事をして生きていくことは、サラリーマン諸氏にとって憧れだろう。脱サラを単なる現状からの逃避として考えるのであれば、決して良い結果は産まない。しかし、一徹のように真摯に悩み、その結果自らを縛り付けていた価値観の殻を破った結果であれば、きっと成功するはずだ。深志城攻略に失敗した後の一徹は、まさに軍師という固定観念の殻を破り、木彫師という立場へと翔けようとする。まさに翔る合戦屋である。

精々が出家といった選択肢しか持たなかった当時の戦国武将の転身として、本書で書かれた結末は或いは突飛なものかもしれない。しかし、そのような余生を選ぶ主人公が描けたのは、最初から一徹を創造した著者に与えられた特権ではないだろうか。ただし、その特権を活かして続編といったことは控えて頂きたいものだ。本書のラストは物語の続きを仄めかしているが、素直に戦塵から身を洗い、木彫師として一徹に生きて欲しい。私はそう思う。

‘2015/01/25-2015/01/28


奔る合戦屋 下


幸せに満ちた上巻から、波乱と悲劇の下巻へ。武田家が佐久郡を窺う中、一徹は村上義清に呼び出される。そこで一徹は義清に次ぐ戦の副将に任じられようとする。一徹の危惧はあたり、義清のその案は他の譜代家臣から猛反発を受け、一徹は石堂家、そして自らがまだ村上家中にあって不動の地位を築いていないことを改めて認識する。

それを機に、石堂家は軍制を整える。郎党のうち、成長著しい三郎太を馬乗りに昇格させる。三郎太も機は熟したと見て、花に夫婦になってほしいと頼み込む。花の負担を軽くするために、一徹と朝日の養女になってはどうかと提案する朝日。

足元が固まったところで、いよいよ武田家の侵攻が迫る。村上義清に信濃統一への筋道を語る一徹。自らの理想を張良、諸葛孔明であるとする一徹の、武よりも智を迸らせたいという思いが表に出てくる。

歴史に「もし」は禁物。しかも一徹は架空の人物。それを差し置いても、ここで一徹が語った内容が実現していたら、川中島の戦いはあるいは起こらなかったかもしれない。そういう空想が読者にも許されてもよい場面である。

しかし、村上義清はここにきて限界を露呈する。そして、村上義清と一徹の主従関係にも暗雲が垂れ込める。戦の場で戦術を駆使するだけでよしとする村上義清と、さらにその上をゆく戦略を語る一徹の器の差。そして一徹には老獪さがなく、うまく義清を己が思うままに操る術を知らない。ここを著者は下巻の転換点とする。

続く章で、一徹から相談を受けた龍紀は独りごつ。「家臣の才能が主君のそれと比べて釣り合いを逸すると、互いに不幸になるのではないか」。龍紀の予感はあたり、下巻は以降、一徹にとって心地よい世界ではなくなってゆく。

武田家が佐久郡に軍を進める中、一徹の策が当たり、武田信虎を大井城に閉じ込めることに成功する。そこで敵軍の若き将、武田晴信の判断に将来の好敵手の予感を抱く一徹。さらに、なぜ村上領で武田家に通ずる者が後を絶たぬか。これを武田晴信の深謀遠慮であると指摘する一徹と、それを苦々しく聞く村上義清。もはや両者の溝は埋めようがなく深い。

我々読者は、主従二人の心が開いていく様に気をもみ、一徹の憂いを我が事のように抱くことになる。読者にとっても、一徹の悩みは心当る節があるかもしれない。なまじ知恵が回ると、組織のトップ判断や改善点が目につく。自らの信ずる道を進みたいが、組織内の力学はそれを許さず、結果、組織内での出世に破れていく。そのような人は少なくないだろう。そして、一徹もまた苦悩する。凡庸な上司ならまだよい。しかし、村上義清は戦場においては天賦の才を持っている。そのことが一徹をなお苦しめる。両雄並び立たず。あるいはポストに空きがない、とも言おうか。

よく、時代小説が支持される理由として、組織にあって活躍する登場人物に自らを重ね合わせることが言われる。であれば、一徹の苦悩は、読者に共感を呼びおこすことだろう。本シリーズが読者に支持される理由もここにあるのではないか。

本書はやがて、東信濃に位置する海野氏が越後の上杉氏と結んだ事に端を発する、海野平の戦いにいたる。仇敵であるはずの武田家と連携した村上家は、一徹の活躍もあって、海野氏を追い落とす。そして、戦後の武田家、村上家、諏訪家の協議により、武田家の軍勢は撤収することが決まる。

最終章、朝日の父が余命幾ばくもないことがわかり、三郎太などの郎党の護衛とともに、身重の朝日と若葉は帰省する。しかし、そこには撤兵したはずの武田軍の残党がおり、焼き働きとして近隣を略奪・放火していた。なぜ、撤兵したはずの武田軍がいたのか。そこには、一徹に黙って、武田軍への小競り合いを指示した村上義清の独断があった。先の海野平の戦いで武田信虎にいいように戦後の領土を画された村上義清の恨み。その器の小ささがこのような武田軍の跳梁の引き金となった。

何が起こったかはここでは書かない。結果、一徹は己を活かしきれなかった村上義清を見限る。そして村上家から暇をもらい、流離いの日々に出る。

放浪し始めた一徹は、風の噂で武田信虎が子の晴信によって駿河に追放されたことを知る。父が子の器量を恐れるあまりに子を疎んじ、その結果自らの首を絞める。立場を領主と部下に置き換えると、このことは村上義清と一徹の関係にも当てはまる。さらにいうと、このことはまた、世の経営者諸氏に向けた警句ともとれる。無論、私にもとっても。

‘2015/1/24-2015/1/24


奔る合戦屋 上


哄う合戦屋で、鮮烈にデビューを果たした著者と主人公の石堂一徹。中信濃の豪族遠藤家に召し抱えられるや知略と武勇を発揮し、わずか三千八百石の遠藤家の当主吉弘をして、国持ち大名の夢を見させ得るまでにした漢。そのストイックで筋の通った欲のない様は、新たな戦国武将像を我々に提示した。

哄う合戦屋では遠藤吉弘の娘若菜と、相愛の仲となる。が、作中では度々、一徹が心を閉ざす原因になった出来事が仄めかされる。果たして一徹に何が起こったのか。何が一徹の心を閉ざしたのか。本書は石堂一徹が遠藤家に召し抱えられるまでの歩みを描いている。

時は天文二年(1533年)、信濃の北半分を手中に納める村上義清の陣。村上義清は、後年、川中島の戦いでも活躍した史実上の人物。その陣中に、19才の一徹はいた。序章の有坂城の城攻めで存在感を出す一徹。のっけから、前作の余韻にひたる一徹ファンの心を掴む出だしだ。

その功もあって、主君の村上義清からは、一徹を石堂の当主に、という命が下る。石堂家は、代々村上家にあって次席家老として勘定奉行を努めている。長男輝久はその任に耐得る実直な性格なのに、一徹を当主にという下知に戸惑う当主龍紀と息子兄弟。一徹の案を元に、本家は一徹が継ぎ、輝久は分家を起こし当主となり、本家と分家は同じ知行とすることで決着を見る。最初に武辺と計略の才を見せておき、返す刀で欲の無さや知略を見せるあたりは、実に鮮やか。ここでもまた、読者は一徹に魅了される。

ここで、一徹に嫁取りの話が持ち込まれる。朝日である。武士の娘で大柄、かつ、明るく素直な朝日は、一徹と仲睦まじい夫婦となる。それからは、朝日が石堂家の嫁として、一目置かれるまでが描かれる。と同時に、我々読者は石堂家の家風、一徹の心根の優しさ、一徹配下の郎党達の異能を知ることとなる。ここらの著者の筆運びは、実に滑らか。突飛な挿話を交えることなく読者に物語の背景を覚えさせる手腕は実に見事。

石堂家の風習を語る中では、郎党達と女中達の夜這いの風習と、共同体の慣習をもさらりと創造してみせる。村上家の中で譜代ではない石堂家が村上家でいかに重用されるようになったか。石堂家の財源が豊かな理由としての石堂膏という膏薬をも創造する。著者の想像力はとにかく冴えている。その一方で、一徹は朝日に中国の古典を紐解く。その中で、張良と諸葛孔明を一徹が自分に通ずる人物として挙げる。

続いて郎党である。一徹配下の郎党達の異能を引き立てる場として、著者は戦を用意する。郎党の活躍あって、城は落ちる。その中で、一徹の語るいくさ観は、本シリーズの全てに通ずる魅力でもある。

また、郎党達のそれぞれの個性を描き分け、一徹の単なる駒としてではなく、血を通わせた人物に彫りあげる著者の語りの巧みさも見逃せない。

最終章で、朝日が懐妊するとともに、花が石堂家の一員として加わる。花は貧しい農家の娘として女衒に売られ、そこから逃げるところを一徹一行に助けられた少女。着の身着のままで、飢えが当たり前だった花を相応しく躾ける下りは、朝日の持つ徳が存分に描かれる場面である。

全てが満たされ、一片の曇りもない上巻。これら全てが下巻への伏線となる。一徹を放浪に到らせた悲劇は、悲劇を知らぬ日々が幸せに満ちているほど、一層悲劇となる。

上巻の締めは、一徹の才能の一つである彫り物。産まれたばかりの青葉の玩具用にと作った蛙に朝日が吹き出す一文で終わる。

‘2015/01/22-2015/01/24