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華、散りゆけど 真田幸村 連戦記


来年のNHK大河ドラマは、真田幸村公を主人公とした真田丸なのだとか。大河ドラマをほとんど見ず、そもそもテレビをはじめ、マスメディアに触れることが少ない私。それでもやはり、真田日本一の兵が大河ドラマの題材になれば気になる。そんなところに、妻がしなの鉄道の「ろくもん」乗車を申込み、家族四人で贅沢な旅を楽しむ機会を与えられれば猶更である。本書を読んだのはまさにろくもん乗車の直前であり、読後の余韻も新しい間に「ろくもん」に乗車した。そのことで、本書の読後感が一層鮮やかとなった。

外装に真田の赤備えのえんじ色をまとい、真田家の家紋である真田六文銭を随所に配した「ろくもん」の車両は真田の格調を意識させるに充分。「ろくもん」に乗って長野から軽井沢へと遊んだ旅は、否応なしに私を真田家の駆けた戦国時代へと誘い込んだ。

本書の装丁は、えんじ色に六文銭を大きくあしらった「ろくもん」と同じ意匠である。いや、画一的な臙脂色に塗られた車両に比べ、本書の装丁の方が複雑な地模様が描かれている分、趣があると言える。

趣があるのは、装丁だけではない。その中身もまた、重厚で荒々しく、真田日本一の兵と称えられた公の生きざまがよく描かれていたといえよう。

本書は、真田幸村公が父昌幸公と共に蟄居させられていた高野山を出奔してから、大阪夏の陣で自刃するまでに焦点を当てている。本書で書かれているのは、云うならば公の生涯でもっとも輝いていた時期に等しい。内容もさぞや爽快な戦国活劇ものであるかのように思われる。しかしそうとばかりは云えない。無論、本書では真田丸での謀略や敵本陣への突撃をはじめ、血が滾るような痛快な戦闘シーンが豊富に活き活きと描かれている。しかし、陽の当たるシーンのみを描くだけでは、物語に陰影はだせない。それだと単なる戦国アクション巨編と堕してしまい、却って幸村公の魅力もぼやけてしまう。

敵陣深く攻めこみ、あわや徳川三百年の歴史をIFの世界に押し込めかねないところまで追い詰めたその武勇。真田丸を築き、夏の陣で徳川方を大いに撹乱した知略。幸村公がなぜ大阪冬夏の陣で真田日本一の兵(つわもの)と呼ばれたかは、蟄居中に父の昌幸公から学んだ教えを抜きに語れない。何のために兵法を学ぶのか、という虚しさの中、折れそうになる心でひたすら昌幸公から兵法の教えを聴く日々。本書はその辺りの描写をないがしろにせず、むしろじっくりと語る。雌伏の時の描写が深ければ深いほど、大阪方の誘いに迷う幸村公の苦悩に真実味が出る。誘いを受け入れ、あばら家に埋もれ掛けていた己を奮い立たせ、戦国男児の気概を滾らせる場面は、本書のクライマックスとも言える。腐らずに切磋琢磨を怠らぬ者に、天はかならず働き場所を用意する。その様な感動が読者の胸に流れ込む名場面である。

そのような雌伏の時を描くにあたり、真田六連銭(六文銭)の由来や、武田家にあって赤備えを許された真田家の誇りもきっちりと説明される。本書の中では昌幸公から幸村公へ説明する由来は、同時に読者の心にもしっかりと届く仕掛けとなっている。

さて、高野山を出てから大阪入城を果たす一行。幸村公の視点から物語は進むため、他の浪人衆、特に大野治房公の描写に偏りを持たせている。治房公は、本書では大阪にあって優柔不断な将として書かれている。真田丸の築城を願い出る幸村公と、それを拒もうとする治房公の攻防が描かれ、ますます愚将としての治房公が印象付けられていく。一方では後藤基次、毛利勝永、明石全登、木村重成、長宗我部盛親といった武で鳴らした諸侯との心の繋がりも書かれている。

そして冬の陣勃発である。真田丸に陣取って神出鬼没な活躍で徳川方を悩ませる幸村公。父から蟄居中に教わった知略を駆使するシーンは本書でも一番の盛り上がりを見せる。実は、本書においては夏の陣で徳川方に突撃して家康公に肉薄するシーンよりも、真田丸での活躍のシーンのほうが印象に残る。来年の大河ドラマ真田丸ではどのような演出を採るのであろうか。気になるところである。

そして大阪城を攻めあぐねた家康により、大砲で天守を狙うという策が当たり、戦に恐れをなした淀殿の鶴の一声で一時休戦となる。このあたり、幸村公の独白が様々に描かれるが、己の知略を乗り越えて大砲で戦を終わらせた家康公の知略に歯噛みする様子。ここらの悔しがり方が少々淡泊に描かれているのが気になった。真田丸に手ごたえを感じていただけに、逆に幸村公の失望をよく表す演出なのかもしれない。しかも、講和条件として外堀のみの埋め立てのはずが、内堀まで一気に埋め立てられる。この謀略の主は、本多正純公。家康公の懐刀として父に続いて取り立てられたこの男は、本書内では陰険な官僚としての書かれ方をしている。そして交渉の最中に幸村公にこっぴどくやり込められる役割を演じている。実際にそのような史実があったかどうかは分からないが、その書かれ方からして、本書内の一番の悪役は、大野治房公ではなく本多正純公といえよう。しかし正純はそれにめげず、とうとう内堀埋め立てを成し遂げてしまう。これが、大坂方の致命傷となる。続く夏の陣では防戦一方となった大阪方。真田丸も講和で破却された幸村公は、乾坤一擲の策として家康公の陣へと突撃する。真田日本一の兵(つわもの)と後世に語り継がれるこの時の武勇だが、もはや本書前半に描かれた高揚感はどこへやら。滅びゆく者の最期の輝きが絶妙に描写されており、読者には哀しみしか感じさせない。

講和から夏の陣に至るまで、本書の流れは実に速い。それは、前半部の蟄居を描写するにじっくりと語っていたのとは明らかに違う流れである。明らかに戦になってからの本書は、怒涛のように筋書きにそって進み過ぎたきらいがある。せめて冬の陣から夏の陣の間、もう少し知略で活動する幸村公の姿を見たかった。しかし、それも詮方ないのかもしれない。関ヶ原の戦いと同じころ戦われた上田城の戦いでは、父昌幸公の指揮下にあるだけであり、実際の本格的な指揮初陣といえば、大坂冬の陣が初めてだったのだから。

そう読むと、一気に家康の術中に嵌った大阪の冬から夏にかけて、戦術では局所で勝利しても、戦略で負けてしまった幸村公の、十分に活躍できなかった生涯の無念が本書の構成から却ってにじみ出ているようにも思える。しかし、幸村公は夏の陣での突撃によって、真田日本一の兵(つわもの)として武名を永らく残すことができた。まさに「華、散りゆけど」である。

侘び寂びの蟄居から状態から華々しい戦場へ、最後には諦念の域に達する公の後半生を描いた著者の意図がそこにあったとしたら、まさに的を射た内容になっていると思われる。大河ドラマの開始前に一読をお勧めしたい。

2014/11/5-2014/11/7