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無頼のススメ


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私は独り。一人で生まれ、独りで死んでいく。

頭で考えれば、このことは理解できるし受け入れられる。だが、孤独でいることに耐えられる人はそう多くない。
独りでいることを受け入れるのは簡単ではない。

群れなければ。仲間といなければ。
新型コロナウイルスの蔓延は、そうした風潮に待ったをかけた。
独りで家にこもることが良しとされ、群れて酒を飲むことが悪とされた。
コロナウイルスのまん延は、独りで生きる価値観を世に問うた。

孤独とは誰にも頼らないこと。つまり無頼だ。

無頼。その言葉にはあまり良いイメージがない。それは、無頼派という言葉が原因だと思われる。
かつて、無頼派と呼ばれた作家が何人もいた。その代表的な存在として挙げられるのは、太宰治と坂口安吾の二人だろう。

女性関係に奔放で、日常から酒やドラッグにおぼれる。この二人の死因は自殺と脳出血だが、実際は酒とドラッグで命を落としたようなものだ。
既存の価値観に頼らず、自分の生きたいように生きる。これが無頼派の狭い意味だろう。

本書のタイトルは、無頼のススメだ。
著者は、広い意味で無頼派として見なされているそうだ。ただ、私にとって無頼派のイメージは上に挙げた二人が体現している。正直、著者を無頼派の作家としては考えていなかった。

だが、そもそも作家とは、この現代において無頼の職業である事と言える。
ほとんどの人が組織に頼る現在、組織に頼らない生き方と言う意味では作家を無頼派と呼ぶことはありだろう。

今の世の中、組織に頼らなければやっていけない。それが常識だ。だが、本当に組織に頼ってばかりで良いのだろうか。
組織だけではない。
そもそも、既存の価値観や世の中にまかり通る常識に寄りかかって生きているだけでよいのだろうか。
著者は、本書においてそうした常識に一石を投じている。

人生の先達として、あらゆる常識に頼らず、自分の生き方を確立させる。著者が言いたいのはこれだろう。

著者はそもそも出自からしてマイノリティーだ。
在日韓国人として生を受け、厳しい広告業界、しかも新たな価値を創造しながら、売り上げにつなげる広告代理店の中で生き抜いてきた人だ。さらには作家としても大成し、ミュージシャンのプロデュースにまで幅を広げている。著者が既存の価値観に頼っていれば、これだけの実績は作れなかったはず。
そんな著者の語る内容には重みがある。

「正義なんてきちんと通らない。
正しいことの半分も人目にはふれない。
それが世の中というものだろうと私は思います。」(19ページ)

正義を振りかざすには、それが真理であるとの絶対の確信が必要。
価値観がこれほどまでに多様化している中、そして人によってそれぞれの立場や信条、視点がある中、絶対的な正義など掲げられるわけがない。

また、著者は別の章では「情報より情緒を身につけよ」という。
この言葉は、情報がこれほどまでに氾濫し、情報の真贋を見抜きにくくなった今の指針となる。他方で情緒とは、その人が生涯をかけて身に付けていくべきものだ。そして、生きざまの表れでもある。だからこそ、著者は情緒を重視する。私も全く同感だ。

ノウハウもやり方もネットからいくらでも手に入る世の中。であれば、そうした情報に一喜一憂する必要はない。ましてや振り回されるのは馬鹿らしい。
情報の中から自分が必要なものを見極め、それに没頭すること。全く同感だ。

そのためには、自分自身の時間をきちんと持ち、その中で自分が孤独であることを真に知ることだ。

著者は本書の中で無頼の流儀についても語っている。
「「酒場で騒ぐな」と言うのは、酒場で大勢で騒ぐ人は、他人とつるんでヒマつぶしをしているだけだからです。」(64ページ)

「人をびっくりさせるようなことをしてはいけない。」(65ページ)
「人前での土下座、まして号泣するなんて話にもならない。」(65ページ)

「「先頭に立つな」というのも、好んで先頭に立っている時点ですでに誰かとつるんでいるから。他人が後からついてくるかどうかなんて、どうでもいいだろう。」(65ページ)

老後の安定への望みも著者はきっぱりと拒む。年金や投資、貯蓄。それよりも物乞いせず、先に進む事を主張している。

「「私には頼るものなし、自分の正体は駄目な怠け者」」(96ページ)
そう自覚すれば他人からの視線も気にならない。そして、独立独歩の生き方を全うできる。冒頭で著者が言っている事だ。

そもそも著者は、他人に期待しない。自分にも期待しない。
人間は何をするかわからない生き物だと言い切っている。
「実際、「いい人」と呼ばれる人たちのほうが、よっぽど大きな害をなすことがあるのが世の中です。」(107ページ)

著者は死生観についても語っている。
「自分が初めて「孤」であると知った場所へと帰っていくこと。」(130ページ)

「なぜ死なないか。

それは自分はまだ戦っているからです。生きているかぎり、戦いとは「最後まで立っている」ことだから、まだ倒れない。」(131ページ)

本書は一つ一つの章が心に染みる。
若い頃はどうしても人目が気になる。体面も気にかけてしまう。
年月が過ぎ、ようやく私も経営者となった。娘たちは自立していき、自分を守るのは自分であることを知る年齢となった。

これからの人生、「孤」を自分の中で築き上げていかねばならないと思っている。

努力、才能、そして運が左右するのがそれぞれの人生。それを胸に刻み、生きていきたい。

著者は運をつかむ大切さもいう。時代と巡り合うことも運。

私の場合は技術者としてクラウドの進化の時代に巡りあえた。それに職を賭けられた運に巡り合えたと思う。
だが、著者は技術そのものについても疑いを持つ。
「技術とは、人間が信じるほどのものではなくて、実は曖昧で無責任なものではないか。
技術革新と進歩には夢があるように聞こえるけれど、技術を盲信するのは人間として堕落しているということではないか。私は、人類みんなが横並びで進んでいくような技術の追求は、いつか大きな失敗をもたらすような気がしてなりません。」(174ページ)

私もまだまだ。人間としても技術者としても未熟な存在だ。多分、ジタバタしながら一生を生き、そして最後に死ぬ。
そのためにも、何物にも頼らず生きる。その心持だけ常に持ちたいものだ。とても良い一冊だと思う。

2020/9/1-2020/9/1


蜩ノ記



人はいつか死ぬ。それは真理だ。

大人になるにつれ、誰もがその事実を理屈では理解する。そして、死への恐れを心に抱えたまま日々を過ごす。
だが、死への向き合い方は人それぞれだ。
ある人は、死の現実を気づかぬふりをする。ある人は死の決定に思いが至らない。ある人は死に意識が及ばぬよう、目の前の仕事に邁進する。

では、死の到来があらかじめ日時まで定められているとしたら?

本書は、あらためて人の死を読者に突きつける。
死ぬ日が定められた人は、いかに端座し、その日を迎えるべきなのか。

本書は江戸時代の豊後の羽根藩が舞台だ。まず、江戸時代という時代の設定がいい。
戦国の世の刹那的な生と死の観念を色濃く残す時代。
それでいながら、合戦がなく平穏な時代。
死ぬ覚悟を常に懐に抱えているはずの武士も、気を緩めると保身への誘惑に屈してしまう。江戸時代とは、武士にとって自らの存在意義が試される時代でもあった。

そんな時代を生きながら、自らに下された死を受け入れ、決められた死までの日々を屹然と受け入れる男がいる。
その男の名は戸田秋谷。
秋谷が死を下された理由。そこに秋谷の咎はない。
にも関わらず、秋谷は決然として生きる。死を嘆いたり、運命にあらがったりしない。
藩から命じられた家譜編纂の仕事を粛々とこなしながら、妻子を養っている。
その凛とした姿は、近隣の民からは尊敬の念を向けられている。

秋谷の家譜編纂の手伝いを命じられたのが壇野庄三郎。
彼は、藩内で誤解から生じた刃傷沙汰を起こし、藩から謹慎を命じられる身だ。
庄三郎は戸田秋谷の家に住み込み、生活をともにしながら仕事を手伝う。手伝いを名目に掲げているが、庄三郎が言外に受けた命とは、実際には秋谷の監視役を兼ねていることは明らか。
藩からの命には、編纂する家譜の内容を監視する役目もあった。
秋谷が死罪を命ぜられるに至った事件のあらましを、秋谷自身が自分に有利なように改ざんせぬよう監視する役目。そこには、藩の思惑を感じさせる。

秋谷の一家は、秋谷の病弱の妻織江や、娘の薫、息子の郁太郎からなる。秋谷の一家と暮らすうち、庄三郎は秋谷の人物に惹かれてゆく。
秋谷が死に値する軽挙を犯すような人物にはとても思えない。秋谷の人物の深みからは、そうした軽々しさが微塵も感じられない。
藩から命に何かの思惑が潜んでいるのではないか。それは藩の歴史に関する何かの秘密に関するのでは。藩への忠誠が薄らぎだすとともに、藩からの任務と戸田家への思いの間で庄三郎が板挟みになる。

他の諸藩と同じく、羽根藩にも問題がある。それは代官による収奪や、それに抗する百姓の反抗として現れていた。
ところが、秋谷の治めた地ではそうした騒ぎが起きない。それは秋谷の人物に民が畏敬の念を持っていたからだ。
秋谷の薫陶を受けて育った郁太郎も村の少年と分け隔てなく交わる。秋谷自身に身分で人を判断せず、公平に接する考えがあり、それが一層、民の心を惹きつけていたのだろう。

ところが藩から民に対する圧力は増し、藩の暗躍も盛んになるばかり。
民と藩の緊張が高まる中、秋谷はどう身を処するのか。
秋谷と庄三郎の共同による編纂作業は進み、藩の過去に潜む事情も明らかとなる。そして、その作業は、秋谷の死罪が無実である確証も明らかにした。
だが、調査が進むにつれ、秋谷の死の期日も刻一刻と近づいてゆく。

本書で描かれるのは、もののふの姿だ。秋谷という一人の男の。
合戦はなくなり、武士が統治する立場を利して薄汚れた利権を漁るようになって長い。
そのような風潮の世にあって、秋谷が自分を律する態度の気高さ。

冒頭で本書の舞台は江戸時代であり、生と死の観念が戦国の余韻を残すと書いた。
ところが、本書の舞台となる時期は、十九世紀に入ってすぐの頃だ。大坂の役からは百八十年、島原の乱から数えても百六十年は経過している。
実は本書の登場人物たちが生きる時代は、現代の私たちが最後の戦い(太平洋戦争)を体験した時間より百年ほど長く太平の時代に生きている。
私たちが最後に戦争の廃虚を目にしたのは七十年前に過ぎないというのに。

その事実に思い至った時、死を達観しているように見える秋谷の態度を時代が違うからと片付けるのは乱暴に思える。
秋谷の生き方と対立する、利権と保身に凝り固まった藩の重鎮たちも、私たちは心から軽蔑できるのだろうか。
著者はそうした問いかけも含めて本書を記していることだろう。
現代人の死生観が急速に変質してしまった事。今の日本人が失ってしまった厳しい生と死の観念。
それらを秋谷の生きざまを通して描いているのが本書だ。

もう一つ、本書が描くのは親から子への生きざまの伝え方だ。
本書が最も感動を与えるのがこの部分だ。
親の責任。それは時代が違っても変わらない。
親として子に何をか伝え、何をか教えるべきか。それはどういう方法が適切なのか。
現代の親もぶち当たる悩みだ。もちろん私も親として試行錯誤した。親としての振る舞いは難しい。

親としてのあり方を秋谷は示す。
本書も終盤に差し掛かる中、秋谷の親としての本領は発揮される。息子に、そして娘に。最も心を動かされる場面だ。
そこから読み取れるのは、たとえ時代が違っても、親と子の関係は普遍である事だ。
将来、社会のあり方がどう変わろうとも、親と子の生物としての関係は維持されるはず。
その時も親と子の中で受け継がれるべき本質は変わらないはず。その本質を本書は教えてくれる。

私も娘二人の子育てが終盤に近づきつつある。
ひょっとしたら娘たちはそれぞれの伴侶を得、私にとって義理の息子ができるかもしれない。そうなった時、息子を育てたことがない私にとっては、新たな試行錯誤の日々が始まることだろう。
本書から得られるものは多い。

名作として心に刻んでおきたい一冊だ。

‘2019/3/9-2019/3/10


憂鬱でなければ、仕事じゃない


本好きにとって幻冬舎は気になる出版社だ。後発でありながら、右肩下がりの出版業界で唯一気を吐いている印象がある。その幻冬舎を設立し、今も率いる社長の見城氏は気になる人物の一人だ。また、サイバーエージェントといえば、ITバブルの弾ける前から確かな存在感を発揮していた会社。同じ業界の端くれで中途半端な立ち位置に居続けた私にとっては仰ぎ見る存在だった。しかも、本作を読んで気づいたのだが、サイバーエージェントを創立し、今も率いる藤田氏は私と同い年。今の私と藤田氏を比べると実績や名声、財産にはかなりの開きがある。もとより私がそういう類いの物に価値を見いださないのは承知の通り。だが、それをさておいても、私と藤田氏の経験の差は歴然としている。本書を読んだ私が思うことはたくさんある。

その二人によって編まれた本作は、とても刺激的だ。タイトルからしてただならぬ雰囲気を漂わせている。

だが本書を読む前の数日間、関西でリフレッシュした私にとっては、本書でどう厳しいことを言われようとも糧にできる。そんな私の期待に本書は応えてくれた。そして、本書は私の甘えにガツンと来る手応えがある。

本書をカテゴリーにくくるとすればビジネス書の類いだ。だが、ビジネス書として片付けるには本書はもったいない。本書は人生論でもあり、分かりやすい哲学書でもある。いかに生き、いかに死を迎えるか。それが二人の話者によって縦横に語られる。

二人の語りを収めるにあたり、本書には工夫が成されている。その工夫とは、あえて対談形式を捨て、二人のそれぞれがエッセイ形式で書き上げていることだ。本書が世に出るまでに、二人は何度も対談を重ねたのだろう。前書きで藤田氏が語っているように、2010年後半から2011/3/11まで二人で何度も会ったそうだ。何度も話し合ったあった結果、本書のような形に落ち着いたのだろう。それが肯ける。

ただ、対談形式にしただけではライブ感は出ても論点がぼやけやすい。そこで二人の対談の結果をいくつかの論点に分けたのだと思う。論点を分けた上でそれぞれの論点に合わせて二人がエッセイのような文章を書く。それを章ごとのフォーマットとして一貫させる。そのフォーマットとは以下の感じだ。まずは見城氏がラジカルな挑発で読者の感性やプライドをかき回す。それで読者の血圧を少し上げたところで、藤田氏の冷静な筆致がそれを補強する。

各章のタイトルは、見城氏の文章のフレーズが当てられている。そのフレーズはさすが編集者と言うべき。キャッチーなコピーが見城氏の文からは飛び出してくる。本書のタイトルもその一つ。だが他にも、魅力的なタイトルがずらりと並んでいる。

たとえば
・自己顕示と自己嫌悪は「双子の兄弟」
・努力は自分、評価は他人
・スムーズに進んだ仕事は疑え
・パーティには出るな
・「極端」こそわが命
・これほどの努力を、人は運という
・ふもとの太った豚になるな。頂上で凍え死ぬ豹になれ
・良薬になるな。劇薬になれ
・顰蹙は金を出してでも買え
などなど。

私の場合は、「自己顕示と自己嫌悪は「双子の兄弟」」がもっともピンと来た。私自身、おのれの能力の足りなさ加減に時々いらつくことがある。特に記憶力。識りたいことがたくさんあるのに一度では覚えられない記憶力の悪さ。しかもそれが近ごろ低下していることを自覚する。私の中にもある自己顕示は、私の中にある自己嫌悪を備えてようやく両立するのだと。

また、私が一番耳が痛かったのは「 スムーズに進んだ仕事は疑え 」だ。弊社のような原価がすなわち人件費となる業界は、工数が少なく済めばその分、利益率の増加につながる。しかし見城氏の文をよく読むと、「大事なのは、費やした時間ではない。仕事の質である。(49P)」が主旨であることがわかる。つまりこれは困難に立ち向かいつつ、ただ時間を掛ければ評価される風潮へのアンチテーゼなのだ。であるならば見城氏の言葉は、スムーズに進んだ仕事は質に見落としがないか疑い、問題なければ間髪入れずに次の仕事に取り掛かれ、と読み取れる。

あと「パーティには出るな」の下りもそう。ここ半年ほど、交流会やSNSなど広く浅くの付き合いを見直そうとしている私を後押ししてくれる章だった。

「これほどの努力を、人は運という」の章もそう。努力のアピールが全く無駄なことはよく分かっている。経営者の立場では結果でしか評価されないことも。

あと「ふもとの太った豚になるな。頂上で凍え死ぬ豹になれ」の章もそう。独立にあたって私が自分に何度も言い聞かせたのが、「鶏口となるも牛後となるなかれ」の言葉。史記に原典のあるこの言葉を何回私は念じたことか。見城氏がいう凍え死んだ豹とはヘミングウェイの短編に登場する一文のようだ。私もまさに凍え死んだ豹でありたいものだ。

本書には他にも刺激的な言葉が並ぶ。だが、見城氏ほどの実績を残した方の口が語ると説得力がある。そしてこれらの言葉からは、私もまだまだ人付き合いにおいて甘いな、と思える。本書は私が関西への旅から戻って読み始めた。関西の旅では何回も飲み会や面会を持ち、旧交を温めた。この旅は私がSNSに費やす時間を減らし、表面だけでなく深い関係を持ちたい。それも少人数の会合で、という意図で行った旅だった。その旅から帰ってきてすぐ、本書を読み始めた。そして、付き合いの質を変えようとする私の決断が本書によって後押しされたと同時に、まだまだ私の仕事の仕方や商談に臨む場の覚悟に足りない点があったと反省した。

そして、どんな小さなことでも頼まれごとは忘れないという見城氏の言葉にも、私もわが身を省みて汗顔の至りだ。この関西の旅で、私は一つの約束事をした。それは「アクアビット航海記」のブログを印刷し、郵送することだ。戻って一年近くたつが、まだできていない。早くやらねば。

なお、本稿のように本書を紹介することで、本書が根性論や精神論に満ちた一冊と思われるかもしれない。でも本書はモーレツ社員の養成書ではないのだ。きちんと余暇やスポーツの効用も謳っている。見城氏は週六日ジムに通うそうだ。それに刺激を受けた藤田氏もジムに通う日数を増やしたとか。私は本音ではジムで機械的に体を鍛えるより、山や地方を歩き回って体を鍛えたい。だが、仕事だけが人生でないことを本書が語っていることは言い添えておかないと。もちろん、本書に充ちている気づきのヒントは生かさねばならないのだが。

あと、それに対する藤田氏のコメントで、寝ないと能率が落ちるというのがあった。それは同い年代として安心した。結局、寝不足の自慢も結果が伴わなければなんの意味もないのだから。

本書を読んでいると、熱い見城氏のコメントに対する一見、冷静に思える藤田氏のコメントがじわじわ効いてくる。実は私は藤田氏が述べていることのほとんどに頷けた。それはもちろん、見城氏の刺激的な言葉を読み、私の心の風通しが良くなったからなのだが。

もう一つ、書いておかねばならない。それは本書が講談社から出されたことだ。見城氏は自社の幻冬舎で本書を企画してもよかったはず。なのに、ライバル社の企画にも全力で取り組んだ。そしてこうして素晴らしい本を作った。本書の冒頭の章のタイトルは「小さなことにくよくよしろよ」だが、おそらく出版社の垣根などということは、見城氏にとっては小さなことですらなく、本質的なことでもないのだろう。そこに見城氏のスケールを感じる。

本書によって私はお二人にとても興味を抱いた。もし私が今のまま頑張ったとして、遥か先を歩くお二人は遠い。早く追いつけるよう精進したい。

‘2018/03/08-2018/03/09


The Greatest Showman


私が、同じ作品を映画館で複数回みることは珍しい。というよりも数十年ぶりのことだ。私が子供の頃は上映が終わった後もしばらく客席にいれば次の回を観ることができた。今のように座席指定ではなかったからだ。だが、いまやそんな事はできない。そして私自身、同じ映画を二度も映画館で観る時間のゆとりも持てなくなってきた。

だが、本作は妻がまた観たいというので一緒に観た。妻子は三度目、私は二度目。

一度目に観た時。それは素晴らしい観劇の体験だった。だが、すべてが初めてだったので私の中で吸収しきれなかった。レビューにもしたため、サウンドトラックもヘビーローテーションで聞きまくった。それだけ本作にどっぷりはまったからこそ、二度目の今回は作品に対し十分な余裕をもって臨むことができた。

二回目であっても本作は十分私を楽しませてくれた。むしろ、フィリップとバーナムがバーのカウンターで丁々発止とやりあう場面、アンとフィリップがロープを操りながら飛びまわるシーンは、前回よりも感動したといってよい。この両シーンは数ある映画の中でも私の記憶に刻まれた。

今回、私は主演のヒュー・ジャックマンの表情に注目した。いったいこの映画のどこに惹かれるのか。それは私にとってはヒュー・ジャックマンが扮したP・T・バーナムの生き方に他ならない。リスクをとってチャレンジする生き方。バーナムの人生観は、上にも触れたフィリップをスカウトしようとバーでグラスアクションを交えながらのシーンで存分に味わえる。ただ、私はバーナムについてよく知らない。私が知るバーナムとはあくまでも本作でヒュー・ジャックマンが演じた主人公の姿だ。つまり、私がバーナムに対して魅力を感じたとすれば、それはヒュー・ジャックマンが表現した人物にすぎない。

ということは、私はこの映画でヒュー・ジャックマンの演技と表情に惹かれたのだ。一回目の鑑賞ではそこまで目を遣る余裕がなかった。が、今回はヒュー・ジャックマンの表情に注視した。

するとどうだろう。ヒュー・ジャックマンの表情が本作に力を漲らせていることに気づく。彼の演技がバーナムに魅力を備えさせているのだ。それこそが俳優というものだ。真の俳優にセリフはいらない。真の俳優とはセリフがなくとも表情だけで雄弁に語るのだ。本作のヒュー・ジャックマンのように。

本作で描かれるP・T・バーナムは、飽くなき挑戦心を持つ人物だ。その背景には自らの生まれに対する反骨心がある。それは彼に上流階級に登り詰めようとする覇気をもたらす。

その心のありようが大きく出るのが、バーナムとバーナムの義父が対峙するシーンだ。本作では都度四回、バーナムと義父が相まみえるシーンがある。最初は子供の頃。屋敷を訪れたバーナムが淑女教育を受けているチャリティを笑わせる。父から叱責されるチャリティを見かねたバーナム少年は、笑わせたのは自分だと罪を被り、義父から張り手をくらわされる。このシーンが後々の伏線になっていることは言うまでもないが、このシーンを演じるのはヒュー・ジャックマンではなく子役だ。

次は、大人になったバーナムがチャリティ家を訪れるシーンだ。この時のバーナムは意気揚々。自信満々にチャリティをもらい受けに訪れる。ヒュー・ジャックマンの表情のどこを探しても臆する気持ちや不安はない。顔全体に希望が輝いている。そんな表情を振りまきながら堂々と正面から義父に対し、その場でチャリティを連れて帰る。

三度目は、パーティーの席上だ。ここでのバーナムはサーカスで名を売っただけに飽き足らず、ジェニー・リンドのアメリカ公演の興行主として大成功を収めたパーティーの席上だ。上流階級の人々に自分を認めさせようとしたバーナムは、当然認めてもらえるものと思いチャリティの両親も招く。バーナムは義父母をリンドに紹介しようとする。ところが義父母の言動がまだ自分を見下していることを悟るや否や、一言「出ていけ」と追い出す。この時のヒュー・ジャックマンの表情が見ものだ。バーナムはおもてでは愛嬌を振りまいているが、裏には複雑な劣等感が潜んでいる。そんな複雑な内面をヒュー・ジャックマンの表情はとてもよく表していた。そしてチャリティの両親をパーティーから追い出した直後、乾杯の発声を頼まれたバーナムは、堅い表情を崩せずにいる。さすがにむりやり微笑んで乾杯の発声を務めるが、その自らの中にある屈託を押し殺そうとするヒュー・ジャックマンの表情がとてもよかった。

なぜ私はこれほどまでに彼の義父との対峙に肩入れするのか。それは、私自身にも覚えのある感情だからだ。自らの境遇に甘んじず、さらに上を目指す向上心。その気持ちは周りから見くだされ、軽んじられると発奮して燃え上がる。だが、燃え上がる内面は押し隠し、愛嬌のある自分を振る舞いつづける。この時のヒュー・ジャックマンの顔つきは、バーナムの内面の無念さと焦りと怒りをよく表していたと思う。そして結婚直前の私の心も。

四度目は、再びバーナムが実家に戻ったチャリティを迎えに行くシーンだ。火事で劇場を失い、ジェニー・リンドとのスキャンダル報道でチャリティも失ったバーナム。彼がFrom Now On、今からやり直そうとチャリティの屋敷に妻子を取り戻しに行くシーンだ。ここで彼は、義父に対して気負わず当たり前のように妻を取り戻しに来たと伝える。その表情は若きバーナムが最初にチャリティをもらい受けに乗り込んだ時のよう。ここで義父に対して媚びずに、そして勝ち誇った顔も見せない。これがよかった。そんな見せかけの虚勢ではなく、心から自らを信じる男が醸し出す不動の構え。

よく、悲しい時は無理やり笑えという。顔の表情筋の動きが脳に信号として伝えられ、悲しい気分であるはずの脳がうれしい気分だとだまされてしまう。その生活の知恵はスクリーンの上であっても同じはず。

本作でヒュー・ジャックマンの表情がもっとも起伏に満ちていたのが義父とのシーン。ということは、本作の肝心のところはそこにあるはずなのだ。反骨と情熱。

だが、一つだけ本作の中でヒュー・ジャックマンの表情に精彩が感じられなかったシーンがある。それはジェニー・リンドとのシーンだ。最初にジェニー・リンドと会う時のヒュー・ジャックマンの表情はよかった。ジェニー・リンドの歌声をはじめて舞台袖で聞き、公演の成功を確信したバーナムの顔が破顔し、安堵に満ちてゆく様子も抜群だ。だが、ジェニー・リンドから女の誘いを受けたバーナムが、逡巡した結果、話をはぐらかしてリンドから離れるシーン。ここの表情がいまいち腑に落ちなかった。もちろんバーナムは妻への操を立てるため、リンドからの誘惑を断ったのだろう。だが、それにしてはヒュー・ジャックマンの表情はあまりにも曖昧だ。ぼやけていたといってもよいほどに。もちろんこのシーンではバーナムは妻への操とリンドとの公演、リンド自身の魅力のはざまに揺れていたはずだ。だから表情はどっちつかずなのかもしれない。だが、彼が迷いを断ち切るまでの表情の移り変わりがはっきりと観客に伝わってこなかったと思う。

それはなぜかといえば、このシーン自体が曖昧だったからだと思う。リンドはせっかく秋波を投げたバーナムに振られる。そのことでプライドを傷つけられ公演から降りると啖呵を切る。そして金のために自分を利用したとバーナムを攻め、スキャンダルの火種となりかねない別れのキスを舞台でバーナムにする。ところが、公演を降りるのはいささか唐突のように思える。果たしてプライドを傷つけられただけですぐに公演を降りるのだろうか。おそらくそこには、もっと前からのいきさつが積み重なった結果ではないだろうか。それは、映画の上の演出に違いない。そもそも限られた時間で、リンドは誘惑し、バーナムがリンドから誘惑に初めて気づき、その場でさりげなく身をかわす。そんなことは起こるはずがない。それは映画としての演出上の都合であって、それだけの時間で演出をしようとするから無理が生じるのだ。Wikipediaのジェニー・リンドの項目を信じれば、リンドが公演を降りたのは、バーナムの強引な興業スケジュールに疲れたリンドからの申し出だとか。それがどこまで真実かはわからない。が、本作ではあえて劇的な方法で二人を別れさせ、リンドとバーナムのスキャンダルにつなげたいという脚本上の意図があったのだろう。だが、その意図が練られておらず、かえってヒュー・ジャックマンからも演技の方向性を隠してしまったのではないか。それがあのような曖昧な表情につながってしまったのではないかと思う。

他のシーンで踊り歌うヒュー・ジャックマンの表情に非難をさしはさむ余地はない。だからこそ、上のシーンのほころびが惜しかった。

‘2018/04/02 イオンシネマ多摩センター