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サイゼリヤ おいしいから売れるのではない 売れているのがおいしい料理だ


サイゼリヤは私が上京してからよく訪れているレストランだ。さまざまな店舗を合わせると、百回近くは行っているはずだ。
その安さは魅力的だ。そして味も常に一定のレベルの品質が保たれている。
(一度だけ、わが家の近所の店であれ?ということはあったが)

著者はサイゼリヤの創業者であり、今も会長として辣腕を振るっている。
その著者がサイゼリヤを創業し、経営していく中でどのように一大チェーンを築き上げたのか。そのノウハウや哲学を語るのが本書だ。

本書は、レストランの業界誌に連載されていた内容をもとにしているという。そのため、ページ数はさほど多くない。とはいえ、内容がコンパクトにまとめられているので、著者なりの経営の要点が学べる。

私が経営者として感じている壁は無数にある。その一つが、個人からチェーン展開への壁だろう。
個人で全てを回せているうちはまだいい。だが、規模を拡大しようとした途端、個人の能力や時間では賄えなくなってしまう。個人には24時間しか与えられていないからだ。
そこで人を雇う。さらに拠点を増やす。そうなると経営者の目は行き届かなくなる。個人のノウハウをどうやれば伝達できるのか。社員を多く雇い、規模を大きくするには、個人のノウハウを伝達しなければならない。スキル、哲学、規律。それを教えることが最初の壁だ。経営者が自らのビジネスを拡大するためには、まずその壁を乗り越えなければならない。その壁は高く険しい。
それは私自身が今、零細企業の経営者として実感していることだ。

本書は、地に足のついた経営を実践する上で参考になる点が多い。
個人から組織へと規模を拡大するにはどうすればよいか。
本書を読むと、サイゼリヤの成長の軌跡が分かる。サイゼリヤは、資金を調達し、急拡大を遂げてきたのではない。本書から受けるのは、一歩一歩徐々に規模を大きくし、自社でノウハウを積み上げながら経営を進めてきた印象だ。
それは経営の壁にぶつかっている私の立場からは、とても心強い。融資を受けるにはハードルが高いからだ。

著者は市川で開業した一号店で、多くの苦労と失敗をした。そしてそこから多くを学んだ。
著者は状況を打開するため、イタリアに視察に行った。そしてイタリア料理に着目した。当時は高級料理だったイタリア料理に着目したのは著者の先見の明だ。だが、それだけではない。そこから、思い切って金額を下げることで他店との差別化を行った。それらは著者が失敗から学んだことであり、それも著者の明断だといえる。

金額を下げる。それは、いわゆる安売りである。だが、一般に安売りはよくないとされている。私自身、かつては自分の単価を安く設定してしまい、自分の価値を下げてしまった失敗がある。
だが、著者は安く売ることで状況を打開した。私もそこを本書から学びたいと思った。

安売りといっても単に安く売るのではない。安く売るためには、安くてもなお、利益を出せなければ。そのためには利益を出すための体制が欠かせない。

著者は創業の頃から人時単位での生産性を重視してきたという。粗利益÷従業員の1日の総労働時間。この基準を著者は6000円という金額に設定しているそうだ。
また、ROI(Return On Investment)、つまり投資利益率を求める計算式は利益÷投資額×100だ。これも最低基準として20%に設定しているとのこと。

本書を読んでいると、サイゼリヤの成功の秘訣が見えてくる。それは、創業者である著者がどんぶり勘定ではなく、初めから利益と経営への意識をしっかり持っていたことによるのだろう。
だからこそ、継続的に成長を刻みながら、今の規模まで育てられたのだと思う。

もちろん成功の理由はそれだけではない。商品開発や組織開発なども必要だ。本書には財務だけでなく、経営全体に対する著者の努力も書かれている。
財務と組織。その両輪をきちんと押さえていたからこそ今のサイゼリヤがあるのだろう。

翻って私の反省だ。
私は個人で動くことに慣れてしまっていた。一人でやる分には、仕事も十分に回る。私は独立したとはいえ、長い期間を常駐の現場で働いてきた。そのため、私が本当の意味で経営者となったのはごく最近のことだ。常駐から抜け、個人で仕事を請けて回すようになったこの五年。それが私の経営者としての歴史だ。

この五年、個人で仕事を回せるようになってきた。とはいえ、著者の例でいうと、私はまだ、商品開発に没頭している状態だ。組織開発や財務への意識は二の次。
著者を例に例えると、店内で調理をしながら配膳をし、レジ打ちもこなしている。それが私だ。多店舗展開とは程遠い状態にある。

ようやく本書を読んだ数カ月後から、弊社でも人を雇い始めた。ようやく次の壁を乗り越えようとし始めたのだ。

その壁を乗り越えるためにも、経営者としての心の持ち方を養わねばならない。また、失敗を次への教訓として生かさねばならない。また、経験を次代に伝えなければならないし、そのためにも公平な評価を心掛けなければならない。あれもこれも追うのではなく、要となる商品をベースにおき、数値目標は一つに絞る。
ここに書いたことは、どれも本書にも書かれている経営の要諦なのだろう。

そして、経営を行うためには、単なる精神論に頼らない。気持ちを前向きに持ちながらも、押さえておくべき経営のツボはきちんと把握する。その大切さ著者は説いている。
それは例えば在庫回転率や立地の重要性である。著者はそうした観点や指標を例に挙げる。ただ、著者が経営するチェーンストア業界ではなく、それぞれの読者の属する業界によって、その指標は臨機応変に変わるはず。まずはそれを理解すべきだろう。

例えば私のような情報処理業界の場合に置き換えてみる。
例えば、適切な案件が継続的に請けられ、その用意と準備と実装と保守が順調に回る状況。それこそがあるべき姿なのだろう。
そのためには、自社の得意分野を踏まえた上で、正当な商圏を見据える。そして、むやみやたらと広告や営業を打つのではなく、特定の企業に売り上げを依存するのでもなく、適度に分散してリスクを負わない営業チャネルを構築する。そんなところだろうか。

著者は働くことは幸せになることだ、という理念を掲げ、それを常に見直しているという。さらに、経営に失敗という概念はなく、失敗に思えるものはすべて次へつながる成功なのだとも説く。
そして、著者が説くことでもっとも私の心に刺さったことがある。それは、変化に対応するために必要なのが「組織」だと著者はいう。
普通に考えると、機動力と行動力のある一人の方が変化に対応しやすいのではないか。だが、一人だと、対応できるのは一人が動ける時間に限られる。一人の一日の持ち時間は24時間だ。
だが、組織の場合、人数×営業時間が持ち時間として与えられる。分業だ。それぞれが分業をこなし、その能力を磨きつつ、能力を発揮する。それができたとき、組織は一人の時よりも変化に対応できる。

本書で著者が説いている内容は決して難しくない。だからこそ、理屈をこねくり回す必要もない。経営とは複雑なものではなく、本来は単純なものなのかもしれない。だが、そう分かっていても経営は難しい。だが、経営者はそれをやり遂げなければならない。

私は自分の会社をどうしたいのか。経営理念は作り、雇用に踏み切った。失敗もして、ようやく少しずつ組織が形になりつつある。
税理士の先生、社労士の先生に加え、人財コンサルタントの方にもご指導を受けている。
本書で学んだこと、諸先生方のご指導を踏まえ、少しずつ経営の実践と安定に努力しようと思う。

2020/10/5-2020/10/5


幻のオリンピック 戦争とアスリートの知られざる闘い


東京オリンピックが延期になり、幻の開幕式も過ぎ去った今。
本当であれば、本稿を書き始めた今は熱戦の真っ盛りだったはずだ。

オリンピックの延期は、社会に大きな影響を与えた。わが国だけでなく、世界中にもニュースとなって拡散した。
当然、多くのステークホルダーにも大きな影響を与えたことだろう。
中でも、今回のオリンピックの目的を国威発揚や経済効果に当て込んでいた向きには、大会の中止は極めて残念な出来事だったと思われる。意地の悪い見方をすればだが。

オリンピックとは本来、アスリートによる競技の祭典だ。国の威信を発揚し、経済効果を高める手段に利用することも本来ならばおかしい。これらはクーベルタン男爵の掲げた理想には含まれていないはずだ。
こうした考えが理想主義であるといわれればその通り。だが、その理想を否定したとたん、オリンピックは単なるプロスポーツの大会にすぎなくなる。アスリートの競技や努力の全てに別の色がついてしまう。

いまや、すでに取り返しのつかないところまで来ているのかもしれない。すでにスポーツはショーと同義であり、アマチュアリズムは死に絶えてしまったのだろうか。

広く知られている通り、1936年に行われたベルリン・オリンピックは、ナチス・ドイツによる国威発揚の場として大いに利用された。
本書は、その次に予定されていた1940年の東京オリンピックを題材にとっている。言うまでもなく東京オリンピックは日本が中国で起こった各種の事変を理由に開催権を返上し、中止された。

本書はその東京オリンピックによって影響を受けた人々を取り扱う。
まだアマチュアリズムが残っていた時期のアスリートが中止によってどのような影響を受け、その後の戦争によってどのような人生をたどったかを紹介する。当時のわが国のアスリートは、アマチュアリズムよりもナショナリズムによって縛られていた。その関係を掘り下げたのが本書だ。

本書の最初に登場するのは鈴木聞多氏だ。
ベルリン・オリンピックの四百メートルリレー競技で吉岡選手の次の走者だった鈴木選手は、本番でバトンを受け取る際にミスを犯し、失格となった。それによって当競技で金メダルが有力視されていた日本はメダルを獲得できずに終わった。
そのことで自らを責めた鈴木氏は、日立製作所にいったんは就職したものの、競技で失敗した負い目を軍人として国に奉職する事で返そうと志願し、陸軍に入隊したという。

本書に掲げられた鈴木氏の肖像写真は、俳優としても通用するほど端正な顔立ちをしている。
鈴木氏の肖像からは、国のために異常なほどの重圧を受けた悲壮さは感じられない。
だが、オリンピックの失敗によって人生を変えるしかなかった鈴木氏がどれほどの決意を強いられたのかは、その後の鈴木氏の選択からも明らかだ。
戦前のアスリートの多くが受けていた国威発揚という名の圧力。お国のためにという言葉がアスリートの競技人生だけでなく、人生そのものを左右したことが鈴木氏の生涯から読み取れる。

第二章では、当時のサッカー日本代表が取り上げられる。ベルリン・オリンピックにおいてスウェーデンを相手に逆転勝利を収めた当時のサッカーチームだ。全くの格下だった日本がスウェーデンを破ったことは、「ベルリンの奇跡」と称された。

サッカー史におけるジャイアント・キリングの例として挙げられるベルリン・オリンピックでのスウェーデン戦での勝利。
小柄な日本人の体格を生かすため、当時からパスサッカーを採用し、それを完成させたこと。それは、戦前の日本サッカー史のピークを作った。
その代表チームでエース・ストライカーを担っていた松永行氏は、ガダルカナル島における困難な任務の合間を縫ってサッカーに興じていたと言う。松永氏は未来の日本のサッカーのために本気で力になろうとしていたそうだ。
松永氏が戦死せずに生きていれば、日本のサッカー史は全く違う道筋をたどっていたかもしれない。本書を読んでそう思った。

続いて本書が追いかけるのは、わが国の水泳史だ。戦前の日本の水泳陣は、世界でも屈指の実力を持っていたことは良く知られている。ロサンゼルス・オリンピックでもメダルを量産した。戦後すぐにフジヤマのトビウオとして国民を熱狂させた古橋広之進氏もこの伝統の延長にいる。
その水泳チームを率いたのが監督の松澤一鶴氏。
当時にしては先進的な科学理論に裏打ちされた松澤氏のトレーニング方法は日本の力を飛躍的に高めた。
だが、戦争は教え子の多くを松澤氏から奪った。
そして、東京オリンピックの晴れ舞台さえも。

当時、東京オリンピックが中止となった後も大日本体育協会の評議員だった松澤氏は、スポーツが軍事色で塗りつぶされそうになる世相に一石を投じようと意見を具申していた。
私は松澤氏のことを本書で初めて知った。こうした人物が当時のわが国にいたことを知るのはうれしい。また一人、人物を見いだした思いだ。もっと広く松澤氏の事が世間に知られなければならない。

とある座談会では、他の出席者が国威発揚の迎合的な意見を述べる中、松澤氏は以下のような意見を述べて抵抗している。
「戦争とスポーツ、あるいは戦争と体育を結び付けて考える場合に、戦争についてこれだけしか要らないから、これだけやっておればいいのだ、これ以外のものは要らないという考えは非常に非文化的じゃないか。さっき井上さんが体育の理念について言われましたが、われわれ体育関係者はもう一つ高度な理念をもっているのです。」(149ページ)

第四章では、東京オリンピックの水泳選手として選ばれていた白川勝三氏の思いが紹介される。また、戦時下で記録会の名目で水泳大会が行われていた事実も著者は掘り起こしている。

児島泰彦氏はベルリン・オリンピックでメダルを期待されていた。だが敗退した。戦時中は沖縄戦で戦い、海岸に追い詰められた後、与論島まで泳いで逃げるといったきり、戻ってくることはなかったという。
さらに、東京オリンピックの中止によって出場の機会を奪われたのは、女性のアスリートも同じだ。本書に登場する簱野冨美氏もその一人。
こうした人々が語る言葉に共通するのは無念さだ。
そして、今の平和な時代にスポーツにまい進できる若人たちをうらやみつつ、ねたまず素直に応援する姿勢には心を動かされる。

最終章は、第三章に登場した松澤氏が再び登場する。1964年の東京オリンピックの実行委員となった松澤氏は、戦争に翻弄された無念を晴らすように、閉会式である仕掛けを決行する。そのいきさつが本書で掘り起こされている。
その仕掛けとは閉会式の入場だ。予定では整然と行進するはずだった。だが、松澤氏は直前になって各国の選手がバラバラに自由に場内に入る演出を決行する。選手たちが自由気ままに振る舞う演出は、民族も人種も国も違うアスリートたちがスポーツを通じて交流し、一つになる平和を思わせてくれる。

掲揚される国旗の監修を担当していた吹浦氏が閉会式の裏事情を本書で証言してくれている。
この閉会式の演出は東京オリンピック以来、オリンピックでは恒例となっている。
この背景には、戦争に翻弄された松澤氏の思いが込められていた。そのことを知ると、松澤氏に対する敬意が湧いてくる。
それとともに、戦前のアスリートがいかに不自由で理不尽な環境に置かれていたのかについて、松澤氏の無念がどれほどのものだったかについて思いが深まる。

本稿を書き始めた時、白血病によって長期入院を余儀なくされた競泳の池江選手が試合に復帰したニュースが飛び込んできた。
白血病を克服した彼女の精神力には敬服するしかない。コロナで延期が決まったとはいえ、東京オリンピックが開催されることを願ってやまない。

本稿をアップしてから随分だったが、その間にオリンピックは無観客で無事に開催され、幾多もの感動を与えてくれた。池江選手も競技に出場し、復活を印象付けてくれた。
そうした姿に、本書に登場した先人たちも泉下で喜んでくれていると信じたい。

‘2020/08/15-2020/08/16


日本でいちばん大切にしたい会社 7


本書は、パートナー企業の社長様からお借りした一冊だ。

著者の講演は拝聴したことがある。関西大学カイザーセミナーでゲストとして登壇してくださったのが著者だ。

目の前で講演の内容を伺った時の迫力は今も印象に残っている。
迫力とは、人を大切にしない会社への糾弾と批判のトーンの厳しさだ。経営をやっている価値がないとか、詐欺であるとか、辛辣な言葉は強く印象に残っている。

だが、著者が槍玉にあげるように、世の中にある多くの会社は利益を追うあまり、他の点がお留守になってしまっている。利益を優先するあまり、社員を統制し、費用を切り詰める。その一方で売上を伸ばし続けるために社員にノルマを課す。そうした会社がよろしくないのは当然だ。

私もそうした現場を見てきたし、それが嫌で独立した。
だが、利益のみを優先する会社が多い中でも、社員を大切にしながら、経営を成り立たせている会社はある。

本シリーズは7ということだ。7まで出ているということは、それだけたくさんの素晴らしい会社が世の中にあるということなのだろう。
なお、私は1から6を読んでおらず、7を初めて読む。

本書には全部で七つの会社が取り上げられている。
どれもが著者によって厳選された感動企業だ。

福島県の陰山建設
郡山のみならず、福島県全域で献血の陰山として有名らしい。
私は郡山には少しだけご縁がある。だが、陰山建設の名前は初めて聞いた。

社屋に隣接した広大な駐車場。ここは普段、広大な空きスペースとして遊んでいる。
ところが年に三日、この駐車場に献血車と献血志望者が集まるという。さらに、そうした人々をもてなすための出店が出されているという。そうした出店は全て、陰山建設の社員の方々が催しているという。当然費用は陰山建設が持っている。無償奉仕だ。
陰山建設の社会貢献に対する姿勢は素晴らしい。
この中で紹介されている跡取りとなった三代目社長の挫折とそこからの頑張り。そして、周りのサポートが受けられるまでに持ち直すストーリーも感動的だ。弊社もそうなるように見習わねば。

東京都の昭和測機
秋葉原にある精密機械のメーカーだ。
開発・営業・製造が三位一体となり、社内で自由なジョブローテーションを組んでいる。社長自らトイレ掃除とタイムカード打刻を率先して行っている。社長も社員と同じ立場との考えには全く同感だし、それを実践していることも素晴らしい。
経営も多品種少量生産を続け、本業と関係のない投資は一切行わない方針を堅持しているそうだ。

やはり、こういう光る部分を持っている企業は強い。本編を読んでいて、同じ技術会社として弊社の強みを生かさなければと強く共感した。

昭和測機が秋葉原にある事は、何か強みになっているのだろうか。
私には、秋葉原の伝統が何かと問われても適切な答えが見つからない。今や秋葉原はサブカルチャーのメッカとなっているからだ。
だが、昭和測機のような企業が秋葉原で頑張っていることは、秋葉原に日本のモノづくりの伝統が色濃く引き継がれている証しなのかもしれない。最近、衰退が叫ばれる技術立国日本の素晴らしさとして特筆すべきだ。モノづくり日本の希望といってもよいかもしれない。
昭和測機さんが理念を継続できるのも、社員の皆さんの風通しが良いだけでなく、社内で作り上げてきた仕組みがうまく回っているからだろう。弊社も切磋琢磨しなければ。

新潟県のフジイコーポレーション
新潟にあるこちらの会社は、除雪機を世界各国に輸出しているという。また、フジイコーポレーションの社員への心配りの細やかさには感動を覚える。亡くなった社員を社員総出で見送るだけでなく、社内の仕組みのあちこちに社員に負担をかけないための配慮がなされている。

メンバーを愛し、大切にする。それを口にするのは簡単だ。だが、その実践となると難しい。どこまでが正しいのか、私はまだ確信を持っていない。良かれと思ったことが伝わらなかった痛手も記憶に新しいからだ。だが、どのようになろうとも、まず社員を大切に思う気持ちだけは持ちたいと思う。

静岡県のNPO法人六星・ウイズ
創業者の斯波氏は、あのHONDAを創業した本田宗一郎氏と同じ会社で、しかもHONDAの創設メンバーの一人だったという。だが、斯波氏はある日、本田宗一郎と一緒に泊まった宿で視覚障害者の方から杖のことで相談を受けた。その時、視覚障害者の苦労とそれを助ける事業にやりがいを感じた斯波氏は、本田氏と違う道を歩み、視覚障害者向けの事業に奔走する。

今では斯波氏から事業を引き継いだ二代目の社長さんが運営しているが、その姿に営利の目的は感じられない。
視覚障害者といってもいろいろいる。障害者の皆さんにとって何がつらいか。それは、勉強しても仕事の機会が与えられないことだそうだ。
たしかに私が自分の目が見えなくなったと想像してみよう。仕事はほぼできなくなるだろう。さらにほとんどの娯楽が奪われてしまう。この上、仕事したいと望んでも、その機会すら奪われたら、生活に希望がなくなってしまうに違いない。

視覚障害者の立場に自分を置いてみるには、目をつぷって少しでも歩いてみればいい。その不便さは言語を絶する。
また、仕事をしたいのにできないことがどれだけ苦しみのかは、理屈でも理解できる。NPO法人六星・ウイズは障害者に点字の名刺を作成する仕事を通して就業の機会を提供している。これは本当に尊い仕事だと思う。

兵庫県のツマガリ
こちらの会社は、私もなんとなく名前は聞いたことがあった。西宮の甲陽園にあるそうだ。私はもちろん訪れたことがない。そして、大丸神戸と大丸梅田にしかお店もしておらず、オンライン・ショッピングを使わない限り、他地域の方はなかなか買えないらしい。
宮崎で極貧の家に育った創業者は、人の導くままに洋菓子の道に入り、導かれるままに今の繁盛店を築き上げた。

そこで創業者の人生について強調されるのは、自分で選んだ道ではないということだ。導かれるまま、縁のままに洋菓子の道に入った創業者。ところが、極貧ゆえ自然のものしか食べられなかったことによって舌が鋭敏になった。さらに、どの仕事でも子供時代の苦労に比べたら大したことがない、とこつこつと努力した結果が今につながっているという。
利益を顧みず、最高級の素材で庶民にも手が出る値段のケーキを出す。それだけのことでこれだけの支持が得られる。まさに見習わなければならないと思った。

島根県の出雲土建
こちらは、炭を建材にする商品を開発して会社を再生した。一時期は役員が業績悪化を取って辞任し、緊急の要請で常務から社長になった今の社長は、当初は無給で働いていたという。
楽しい時期、挫折の時期、雌伏の時期。そうした社長のいる企業は強い。

宮崎県の生活協同組合コープみやざき
生活協同組合はもともと、賀川豊彦氏が提唱した運動だ。賀川豊彦氏の活動範囲は多岐にわたったが、ベストセラーになった著作のほとんどは今では顧みられていない。だが、生活協同組合の仕組みは、今も世に伝わっている。
私もコープこうべは実家にいる頃はよく利用していた。残念ながら生活協同組合の仕組みは今、かつての勢いがないように思える。
だが、コープみやざきは250,000人もの会員を擁している。それは、なぜ共同購入するのかと言う理念が今も伝えられているからだ。安心な食品や誠実な良品を仲間内で助け合って購入する。その単純な理念が今もなお息づいているからだと言う。

理念が企業を存続させる良い例だと思う。

本書に登場する七つの会社はとても参考になった。だが、私が失敗を通して学んだ事は、理念とは、まず会社を継続させるための仕組みや提供するサービスの内容がしっかりとしていなければ、成り立たないと言うことだ。
その時、会社の継続を優先するあまり、社員に無理をさせ、顧客に迷惑をかけるようなことをしてはいけないのは当然だ。

本書からは理念の大切さは学んだし、それはしっかりと追求していかねばならないと思っている。だが、理念先行ではなく、まず会社の仕組みをきちんと構築しようと思った。折に触れて本書は読み返し、継続的な経営への取り組みが利益至上主義に陥らないようにしたいと思う。

‘2020/07/10-2020/07/11


海賊とよばれた男


原作を読んだ時には泣かなかったのに、スクリーンの本作に泣かされた。

観る前の私の耳にちらほら漏れ聞こえてきた本作の評は、原作に比べてだいぶ端折られている、とか。果たして原作の良さがどこまで再現されているのか、不安を感じながら本作を観た。

そして、冒頭に書いたとおり泣かされた。

たしかに本作では原作から様々な場面がカットされ編集されている。その中にはよくもまあこのシーンをカットしたな、というところがなくもない。だが、私はよくぞここまで編集して素晴らしい作品に仕上げた、と好意的に思っている。

本作のパンフレットはかなり気合の入った作りで、是非読んでほしいと思うのだが、その中で原作者が2ページにわたってインタビューに答えている。もちろん原作や本作についても語っている。それによると、原作者からの評価も上々のようだ。つまり原作者からも本作の演出はありというお墨付きをもらったのだろう。

原作の「海賊とよばれた男」は、数ヶ月前に読み終えた。レビューについてもまだアップしていないだけで、すでに書き終えている。そちらに原作の筋書きや、國岡鐵造の人となりや思想については書いている。なのでこのレビューでは本作の筋書きそのものについては触れない。このレビューでは、本作と原作の違いについて綴ってみようと思う。

まず一つ目。

原作は上下二巻に分かれている。上巻では、最初の半分で戦後の混乱期を書き、残りで創業から戦前までの國岡商店の基盤づくりの時期を描く。下巻では戦後のGHQや石統との闘いを経て日章丸のイラン行き、そしてさまざまな國岡商店の移り変わりと鐵造の老境に至るまでの経緯が書かれている。つまり、過去の流れを挟んでいるが、全体としては時間の流れに沿ったものだ。

一方の本作は、戦後の國岡鐵造の時間軸で動く。その中で鐵造の追想が合間に挟まれ、そこで過去を振り返る構成になっている。この構成を小説で表現しようとすると、著者はとても神経を使い、読者もまた時間軸の変化をとらえながら読まねばならない。しかし文章と違って映像では國岡鐵造の容姿の違いを一目で観客に伝えることが可能だ。スクリーン上の時代が追想なのかそうでないか、観客はすぐ判断できる。つまり本作の構成は映像ならではの利点を生かしている。それによって、観客には本作の流れがとても理解しやすくなるのだ。

続いて二つ目。

本作では大胆なまでに様々なシーンを原作から削っている。例えば國岡鐵造が國岡商店を創業するまでの過程。ここもバッサリ削られている。國岡商店の創業にあたっては、大学の恩師(史実では内池廉吉博士)から示唆された商売人としての道(生産者より消費者への配給理念)が重要になるはずだ。しかしこのあらましは本作では省かれている。また、鐵造が石油に興味を持った経緯も全てカットされている。そういった思想的な背景は、本作のあるシーンでクローズアップされる「士魂商才」の語が書かれた額と、全編を通して岡田准一さんが演ずる國岡鐵造その人の言動から受け止めなくてはならない。この選択は、監督にとって演出上、勇気がいったと思う。

さらに大幅に削られているのが、日章丸事件の前段となるアバダン危機についての情報だ。本作では日承丸という船名になっているが、なぜ日承丸がイランまで行かねばならなかったか。この前提となる情報は本作ではほんのわずかなセリフとアバダンの人々の歓迎シーンだけで表されている。つまり、本作を鑑賞するにあたってセリフを聞き逃すと、背景が理解できない。これも監督の決断でカットされたのだろう。

また、原作下巻の半分を締める「第四章 玄冬」にあたる部分もほとんど削られている。日承丸が帰って来た後、画面にはその後の経緯がテロップとして表示される。テロップに続いてスクリーンに登場する鐵造は車椅子に乗った引退後の姿だ。日田重太郎との別れのシーンや油槽所建設、第一宗像丸遭難など、原作の山場と言えるシーンがかなり削られている。このあたりの監督の決断には目を瞠らされた。本作で木田として登場する日田重太郎との別れは、原作ではグッとくるシーンだ。しかし本作での木田は、戦後すぐの國岡商店の苦闘の中で、すでに写真の中の人物になってしまっている。木田との別れのシーンをカットすることで、上映時間の短縮の効果とあわせ、戦後復興にかける鐵造の想いと恩人木田への想いを掛け合わせる効果を狙っているのだろう。

さらに三つ目。

大胆にあちこちのシーンをカットする一方で、本作には監督の演出上の工夫が随所に施されている。アバダンを出港した日承丸が英国艦隊による拿捕を避けながらマラッカ海峡から太平洋に抜ける途中、英国軍艦と真正面に対峙するシーンがある。実は原作には本作に書かれたような船同士が対峙するシーンはない。原作で描かれていたのはむしろ国際法や政治関係上の闘争の方が主。アバダンからの帰路の描写はアレ?と拍子抜けするほどだった。しかし、それだと映像的に弱い。監督は映像的な弱さを補うため、本作のように船同士を対峙させ、すれすれですれ違わせるような演出にしたのだろう。それはそれで私にも理解できる。ただ、あんな至近距離ですれ違う操舵が実際に可能なのか、というツッコミは入れたいところだが。

もう一つ大きな変更点がある。それは東雲忠司という人物の描かれ方だ。本作で吉岡秀隆さんによって演じられた東雲は、かなり血肉の通った人物として描かれている。日承丸をイランに派遣するにあたって東雲が店主鐵造に大いに反抗し、番頭格の甲賀から頰を張られるシーンがある。このシーンは原作にはなく、監督独自の演出だ。でも、この演出によって戦時中の辛い思い出が思い起こされ、悲劇を乗り越えさらに國岡商店は進んで行かねばならない、という店主鐵造の想いの強さが観客に伝わる。この演出は原作者もパンフレットで認める通り、原作にない映画版の良さだと思う。

もう一つ、大きく違う点は弟正明の不在だ。正明は原作ではかなり主要な人物として登場する。戦時中は満鉄の部長であり、戦後は帰国して鐵造の片腕となった。だが、本作では全く登場しない。どういう演出上の意図があったのだろう。その理由を考えるに、そもそも本作では日承丸以降の出来事がほとんど描かれない。原作では日章丸事件以降も話はまだ終わらず、國岡商店を支える鐵造の後継者たちも交替していく様が書かれる。ところが本作からは後継者という要素が見事に抜け落ちている。國岡鐵造という人物を描くにあたり、監督は鐵造一人に焦点を合わせようとしたのではないか。そのため、後継者という要素を排除したのではないか。そして、後継者を排除した以上、正明を登場させるわけにはいかなかったのだと思う。

あと一つ、原作ではユキの大甥からの手紙が鐵造の元に届く。だが本作では、看護婦に連れられ車椅子に乗った鐵造が大姪の訪問を受ける設定に変わっている。ユキが残したスクラップブックを見、最後に挟まれていた二人で撮った写真を見て号泣する鐵造。観客の涙を誘うシーンだ。私が泣いたのもここ。手紙という伝達方法に比べると、直接映像で観客に届ける演出のほうが効果は高いに違いない。また、原作では子を産めないユキが、鐵造に相対してその旨をつげ、自ら身を引くという描写になっている。しかし、本作ではユキを引き合わせてくれた兄がユキからの手紙を鐵造に託ける設定となっており、ユキは姿を見せない。そしてユキからの手紙には、仕事でのすれ違いが原因で寂しさの余り身を引いたということが書かれている。原作の描写は時代背景を差し引いてもなお、女性にとって複雑な想いを抱かせかねない。監督はその辺りを配慮して、本作では子が産めないから自ら身を引くという描写ではなく、寂しいからという理由に和らげたのではないかと思う。

ここまで観ると、原作に比べて人名や船名が変わっていることも理解できる。日章丸と日承丸。日田重太郎と木田章太郎。新田船長と盛田船長。どれもが監督の演出によって原作と違った言動になった人物だ。その変化を宣言するためにも、登場人物の名前は変わらなければならなかった。そういうことだと私は受け止めている。

原作と映像作品は別物、と考える私は、本作で監督が施した一切の演出上の変更を支持したい。よくぞここまでまとめきったと思う。

そして監督の演出をスクリーン上に表現した俳優陣の頑張りにも拍手を送りたい。実は私は岡田さんを映画のスクリーンで観るのは初めて。同じ原作者による「永遠の0」も岡田さん主演だが、そちらもまだ観ていないのだ。そんな訳で初めて観た岡田さんの、20代から90代までの鐵造を演じ切ったその演技力には唸らされた。もはやジャニーズと言って鼻で笑うような人は私を含めていないのではないだろうか。その演技は一流俳優のそれだ。年齢に合わせて声色が替わり、鐵造の出身地である福岡訛りも私にすんなりと届いた。そもそも、最近のハリウッド作品で嫌なところがある。舞台が英語圏でないのに、役者たちが平気で英語を喋っていることだ。だが、本作ではそのあたりの
配慮がきちんとされていた。鐵造の福岡訛りもそうだし、GHQの将校の英語もそう。これはとてもうれしい。

他の俳優陣のみなさんもいちいち名前はあげないが、若い時分の姿から老けたところまでの、半纏を羽織って海へ乗り出して行く姿と背広を着てビジネスマン然とする姿、オイルタンクに潜って石油を組み上げる姿の喜びようなど素晴らしい演技で本作を支えていた。あと、ユキを演じた綾瀬はるかさんの演技も見逃すわけにはいかないだろう。ユキは、原作と違ってが何も言わず鐵造の元を去る。つまり、それまでのシーンで陰のある表情でその伏線を敷いておかねばならない。そして綾瀬さんの表情には決意を秘める女性のそれが刻まれていたと思う。その印象が観客の印象に残っていたからこそ、車椅子に乗った鐵造が大姪から見せられたスクラップブックと二人で撮った写真を見て慟哭するシーンの説得力が増すのだ。

本作を観たことで、俄然俳優岡田准一に興味がわいた。時間ができたらタオルを用意して「永遠の0」を観ようと思う。

’2017/01/07 イオンシネマ新百合ヶ丘