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尾瀬の旅 2018/6/3


山小屋の朝は早い。それはなんとなくわかっていました。だが、これほどまでに早いとは。起きたのは4時半。しかも、アラームもなしに。なぜなら周りの人たちが皆起きるからです。私もその気配に目覚めました。気配だけでなく、寒さでも目が覚めました。私はこの旅においても、山登りにふさわしからぬ格好でやってきました。朝方の尾瀬を舐めた装備で。だから、夜ちょっと寒かったのです。毛布も布団も用意されていたにもかかわらず。そんな訳で私は惰眠をむさぼることなく、皆と変わらぬ時間に目覚められました。

起きたとはいえ、朝食にはまだ時間があります。ではなぜ皆さんは起きるのか。それは、朝もやの中に目覚める尾瀬を体で感じるためです。朝もやの尾瀬。それは私の目に幻想の世界と映りました。朝もやが尾瀬の一帯をベールの様に覆い、音もなくゆらめく様子。それが見渡す限り広がっています。この光景は、早く起きて見るべきといえましょう。尾瀬ならではの素晴らしい朝まだき。都会では決して見られないほどの。

木道には、まだお互いの顔さえよく見えないほどの暗さであるにもかかわらず、たくさんの人が朝もやの尾瀬を一目見ようとたたずんでいます。凍えるほどの寒さであるにも関わらず。私も精一杯着込み、朝もやの尾瀬を見届けようと気張ります。でも、それだけの価値はありました。朝もやに覆われていた尾瀬の向こう、至仏山があるはずの方角が徐々に白んで行きつつあるのが分かります。それとともに、朝もやが少しずつ薄らいでいくのです。朝もやが薄らいでいくと同時に鳥が活動を始めます。鳥がさえずり、鳥が飛び交い、尾瀬の朝が始まりつつあることを尾瀬中に知らせるかのように。そして、朝もやの向こう側から、湿地の広大な地平が私たちの前に徐々に姿を現します。この一連の流れは、ただただ荘厳。時間の移り変わりを全身で受け止め、魂で感じる。これこそ、朝を迎える営みの本来の意味なのでしょう。この感覚も、現代の都会人がうしないつつある感覚だと思います。

そのうちに朝日が燧ケ岳の向こう側から姿を現します。ここにおいて尾瀬の朝はクライマックスへ。朝もやから日の出までの一時間ちょっとの時間。これは、私の人生でも貴重な経験でした。今までにも比叡山や神戸空港から初日の出を見たことがあります。でも、朝もやと鳥が広大な空間で織りなすハーモニー。この経験は尾瀬でしか味わえません。

そして朝食。ところがまだ六時前だというのに、朝食を待つ長蛇の列ができています。私たちはここでも遅れを取りました。でも、朝食の時間には間に合い、おいしい朝ご飯をもりもりといただきました。そして、今日の道のりを無事に踏破するため、準備を進めます。

私たちが宿を出たのは六時半ごろだったでしょうか。オーナーは各パーティーの出発を送り出すのに忙しく立ち回っています。そんな忙しい中でありながら、私たちの集合写真を撮ってくださろうといろいろと骨折ってくれます。その姿をみて、山小屋の本質が少しは分かった気がします。山小屋とは自己責任と自己管理が求められる場所。お互いが己を律しつつ、一期一会の縁を大切にしようとする場所。それこそ山男山ガールの本分なのでしょう。今まで、私にとっての山はハイキングの延長でしかなく、せいぜい、見知らぬ人同士がすれ違いざまに「こんにちは」と呼びかけ合う程度の認識でした。ところが、山小屋の朝を体験し、山の気持ち良い朝を過ごしてみると、私の中で山への意識がさらに強まったような気がします。

さて、われわれは尾瀬小屋を出発し、次なる場所に向かいます。今日のルートは、燧ケ岳の脇をぐるっと回り、尾瀬沼から三平峠を抜け、大清水のバス停を目指します。正直に言うと、今回の旅に臨むにあたり、私には一つの不安がありました。その不安とは腰痛です。春先から悪化していた腰痛。果たして今回の尾瀬の旅で皆さんに迷惑をかけずに歩きとおせるのだろうか、という不安。その不安は私の心の中にずっと巣くっていました。昨日は平坦な道がほとんどだったので、腰痛を忘れて景色を堪能できました。ところが今日は山を越えねばなりません。私の腰はこの行程に耐えられるのか。

そんな私の不安を払うかのように、朝を謳歌する森は私を元気にします。空気は一点の雑味もなく、ただただおいしい。木漏れ日も私の心に優しく降り注ぎます。やがて道は上りになりました。そして、その道のりは次第に急になっていきます。山登りの段階にはいったのでしょう。私たちのパーティーの他にも複数のパーティーが同じ道程をゆきます。皆さん山小屋に泊まり、早朝に出発した方々なのでしょう。私たちはそうした方々を追い抜きながら、尾瀬沼のを目指して歩を進めます。

山を登っていると、何度か湿原を抜けます。木道が湿原を貫き、左手にそびえる燧ケ岳はくっきりと姿をあらわにしています。ちょっと左に折れて登ればすぐに登頂できそうなほど、すぐ近くにそびえています。このあたりからは昨日見かけたような雄大な広がりは見えません。ですが、木道が渡された湿原に人の姿はまばら。そのためか、昨日よりもさらに荒らされていない自然を味わえました。とくにこのあたりには水芭蕉の群生が目立ちます。昨日、鳩待峠から山の鼻に至る道の脇でも水芭蕉の群落を見かけました。ですが、往来する人々が発する熱で水芭蕉も弱ったのか、あまり精彩が感じられられませんでした。ところが、このあたりの道に咲いていた水芭蕉はとにかく元気。可憐な株、元気な株、それぞれが群生して一つの景観を作り上げています。これぞ「夏の思い出」にも歌われた尾瀬の水芭蕉といわんばかりに。

いくつもの湿地を行き過ぎ、登りと下りを繰り返した後、私たちは尾瀬沼のほとりにつきました。そこは沼尻という地名がついています。私たちの眼前に広がる尾瀬沼。そこは私たちを満面の輝きで迎えてくれました。朝の陽光が湖面をきらめかせ、見渡す景色の中には人工物がまったく見あたりません。沼と名付けられていますが、沼の語感にはどちらかといえばどんよりとした暗さがあります。ですが、私たちを迎えた尾瀬沼は全てが明瞭。どこにも後ろ暗さはありません。何事も隠さず、自然のすべてを開けっぴろげにしています。それどころか、沼のほとりにたたずむ私たちの心を見透かすかのよう。このきらめきを前にすると、自然の偉大さに襟を正すほかありません。沼と池の区別はよくわかりませんが、こちらのサイトによると、自然にできたものが沼だそうです。遠いむかし、大地のうねりが尾瀬沼を作り上げたのでしょう。昨日見かけた雄大な景色も良かったけれど、尾瀬沼のありようも私たちを癒やしてくれました。

私たちは、尾瀬沼の周りを沿ってさらに歩みを進めます。次に訪れた場所はビジターセンター。ここで私たちはしばし休憩をとり、尾瀬小屋の方が作ってくださったおむすびを頬張りながら、存分に景色を楽しみました。お土産物を冷やかしながら、次の峠に向けて英気を養います。この山小屋を過ぎると、さらに尾瀬沼をぐるりと回りこみ、山小屋へ。そこからは急な登りがあり、その先では三平峠が私たちを待ちうけています。

さて、三平峠。確かに登りは急でしたが距離が短い。私にとっては拍子抜けがするほど簡単に突破できました。さすがに私の腰は痛みを感じはじめていました。が、何とか皆さんの足手まといにならず、無事に峠を越えられたのはよかった。三平峠を過ぎれば後は下るのみ。ここからは、ひたすら峠を降り、大清水まで向かいます。

峠を過ぎてから私の印象に残ったのは二カ所。一つは湧水がきれいだったこと。もう一つは道にわずかにできた水たまりに、無数のオタマジャクシが群がっていたことです。その生命のたくましさというかみなぎる力。自然の営みの妙を感じた瞬間でした。しばし足を止め、ただただオタマジャクシの集団に見ほれました。

さらに下っていくと川に行きあたりました。その川沿いにしばらく進んでいくと滝が見えました。今回の尾瀬の旅で、もし可能であれば三条の滝に行ってみたかった。ところがそれは昨日訪れたヨッピ吊橋のさらに先にあります。行程の中に組み込むには難しく、とても行くのは無理。なのでここで見た滝が、今回の旅で私が見た唯一の滝です。後から調べたところでも無名の滝。おそらくはこちらのサイトに載っているナメ沢の2段十メートルの滝だと思います。あまり自信はありません。ですが、今回の尾瀬の旅で唯一出会ったこの滝は、精一杯の滝姿を私の前に披露し、水しぶきを上げていました。

山道を下っていくと急に道が広がりました。そこは一ノ瀬という地。かつてはここまでバスが来ていたらしく、朽ちたバス停と小屋が残っています。ここで長く伸びきったパーティーの後続を待ちました。一ノ瀬からは、ある程度舗装された道を行くのみ。私たちは数人で歩きつつ、しゃべりつつ、大清水まで下っていきました。大清水バス停。ここは上毛高原駅へ向かう直通バスの発着所でもあります。私はリーダーにお願いし、帰りのバスの切符もお願いしました。お金を借りたので他のお土産にはお金は使えません。ここでバスに乗ってしまうと尾瀬を離れてしまう。そんな中、私の心に手持ちの金がない後ろめたさがあったのは悔やまれます。

大清水から上毛高原へのバスは、来た時と同じく二時間ほどかかりました。皆さんは、眠りを取ったり車窓を眺めたりしながらバスに揺られていました。私は、持ってきた文庫本を読みながら、行きのバスでも見かけた吹割の滝や、ロマンチック街道に沿って点在する名所の数々を目に焼き付けました。遠からず必ず再訪することを誓いつつ。

上毛高原駅に到着しました。ここからの帰りの切符はクレジットで購入し、約30時間ぶりに自分のお金で支払えました。そして切符の購入待ちをしている間に、帰りの新幹線はやってきました。なので、上毛高原駅でもあまり余韻を味わう間もなく、帰りの新幹線に乗って群馬を離れます。この日は余韻を味わう間もないほど、すんなりと過ぎてしまったのがちょっと残念です。私は新幹線を大宮で下車。大宮からは数名に分かれ一緒に帰り、新宿からは小田急線でお近くに住む方と帰りました。道中、いろいろな話をしながら旅の余韻を噛み締めていました。家に帰ったのはまだ日が高く、私にとってはまだ現地にいてもおかしくないほどの時刻。私が今までに経験してきた旅のほとんどは、夜になってから現地を出ることがほとんどだったので。ですが、これこそが山ガール・山男の時間軸なのでしょう。勉強になりました。

最後に、今回連れて行ってくださったパーティーの皆様、そしてお金を貸してくださったリーダーにお礼を言わねば。誠にありがとうございました。とても素晴らしい二日間になりました。ちなみにお金は翌日にきちんとリーダーに振り込み、お返しできました。

この旅から四カ月後、私は独りで吹割の滝を訪れました。さらにバスの車窓から気になっていた奥利根うどんのお店にも立ち寄りました。ですが、一人で尾瀬を再訪するには敷居が高いようです。幸いなことに、今回のパーティーで再度尾瀬を訪問する計画が持ち上がっているようです。再び、尾瀬を訪問できればこれほどの幸せはありません。


尾瀬の旅 2018/6/2


40歳を過ぎた頃から山登りがしたくなりました。そんな私の思いに応えるかのように、お誘いしてもらったのが山登りのグループ。それ以降、年に一度の参加ですが、山登りをさせてもらっています。今回、そのグループで尾瀬の旅が企画されました。一回でいいから尾瀬に行ってみたいと思っていた私は、一緒に連れて行ってもらいました。

当日の朝、大宮へ向けて小田急で向かった私。実は一つ、前夜にし忘れたことがありました。それは旅費の調達。すっかりお金を下ろすのを忘れたまま、当日の朝を迎えてしまったのです。うかうかしていると無一文で山に向かう羽目になってしまいます。ところがそうなる確率はかなり高い。
 1.7時2分に大宮を発つたにがわ401号に乗らないと集合時間に間に合わない。
 2.キャッシュカードが使えるのは朝7時以降。
 3.使えるATMは限られている。
埼京線の車内で大宮駅の構内地図を血眼になってにらんだ私。新幹線の乗り換え口に近く、私のカードが使え、なおかつ朝7時に空いている機械。あった! ところが、朝7時ちょうどに操作したディスプレイには「時間外」という文字が。ああ無情。ワンモアトライしても状況は同じ。かくして私は金を手にすることもできず、階段を駆け上がってたにがわの車内へ。ギリギリセーフ。

上毛高原駅に降りたった時点で、私の所持金は3千円程度でした。もちろん、バスに乗る前に金を下ろすことはできません。なぜなら上毛高原駅構内や近辺に私が使えるATMはなかったからです。それぐらいは抜かりなく調べておきましたので。役に立たぬクレジットカードとキャッシュカードを懐に、私は途方に暮れて駅の改札を抜けました。ちなみに行きの切符だけは事前に購入しておいたのです。私が忘れていたのは当日の宿泊費のこと。間抜け。

上毛高原の駅前のバス停。そこが今回の集合場所でした。私が乗ったたにがわがぎりぎりだったため、今回、一緒に尾瀬を歩くパーティーのメンバーは全員揃いました。バスはすでに到着しており、乗客を乗せ始めています。もうなりふり構っていられません。すぐにリーダーに私の窮状を訴えました。リーダーは快く「いいよ貸すよ」と言ってくれました。若干あきれ顔で。そりゃそうだ。しかも私が「尾瀬の小屋でATMとかカード支払い、無理ですよね」なんて間抜けさに拍車をかける質問をするので、あきれ顔がさらにクッキリと。多分、私も自分にあきれ顔だったはず。ともかく最初のバス代はお借りできました。

バスに乗ってしまった以上、もうどうしようもありません。ここは成り行きに任せ、みんなの迷惑にならぬようにするのが肝心。肩身の狭い思いをしながらも私の肚は座りました。上毛高原駅を8:00に出たバスは、鳩待峠行きバス連絡所まで約1時間50分の道のりを走ります。道中、コンビニや銀行を見かけるたび、私の脈拍はリズムを刻みました。しかし運転手を脅してバスから降りるだけの度胸はとてもとても。そうしているうちにバスは終点へ。

鳩待峠行きバス連絡所は、マイカー入山が規制されている尾瀬への入り口です。そこから鳩待峠へのシャトルバス代も立て替えてもらいました。ここから先はATM不毛地帯。もはや、完全に覚悟を決めるしかありません。私はこの先、お金のことは一切気にしまい、楽しもうと決めました。30分強、シャトルバスに乗って着いたのは鳩待峠。10:50。尾瀬の入り口です。いよいよここからがスタート。リーダーの点呼のもと、私たちは尾瀬への第一歩を踏み入れました。

尾瀬への道。それは拍子抜けするほど楽でした。なぜなら人が多かったから。行列が途切れずに続き、私たちはその流れに乗って歩くだけでよかったのです。ただし、道中は単調ではなく、なだらかな道なりにも尾瀬らしい光景は見られます。その光景とは道端に咲く水芭蕉と黙々と進む歩荷の姿です。歩荷とは、尾瀬の山小屋に必要な物資を運ぶ人たちを指します。彼らは山小屋が求める物資を大量に背負子に背負って運びます。私たちのようなハイカーが歩むのと同じ道を黙々と往復して。過酷な仕事であることは一目でわかるし、尊敬の念を抱きます。この日、私たちは何度も歩荷の姿を見かけました。こういう人たちの仕事によって私たちのようなハイカーは尾瀬を訪れ、自然を満喫し、泊まれるのです。そのありがたみを尾瀬への道中で意識できたのは幸いでした。尾瀬の中心はまだ先だとは言え、道の左側には山々が見え隠れし、まぎれもない山岳地を進んでいることを意識しました。

さて、鳩待峠から延々と歩いた私たちは、ついに尾瀬の入り口、山の鼻にたどり着きました。そこはまさに尾瀬の入り口。山小屋が並び大勢のハイカーがめいめいに群を作ってたむろしています。私たちも陣を確保し、食事をとりました。山小屋にはトイレ待ちの人が列をなし、それぞれが旅の準備を進めています。その間に私は、広場を抜けた先の歩道まで足を進め、山を眺めました。私の視線の先には至仏山がそびえています。その麓に立ってみると、大いなる広がりが至仏山のてっぺんに向けて収斂しており、つい誘われそうに。まさに登山口。今からちょっと登って来る、と言いたくなる誘惑に駆られました。もちろん、勝手な行動は禁物です。私は至仏山をしっかりと目に焼き付け、皆さんの元へと戻りました。

さて、いよいよ尾瀬の道を歩みます。そこはまさにうわさに聞いていた尾瀬そのもの。うわさどころか、映像や写真をはるかに凌ぐ広がり。私たちの前に広がるのは、ただただ雄大な尾瀬の光景。たぶん、この感覚は自分で体験しなければ決して味わえないでしょう。私たちの行く手には燧ケ岳の山体が待ち受け、逆を向くと至仏山が控えています。はるかに続く木道にはハイカーが連なり、それが遠く見えなくなるまで続いています。この景色こそ、人々が歌に詠み、メロディーに乗せ、語り継いできた尾瀬なのでしょう。木橋を歩いている間、私の脳内を「夏の思い出」が無限にループしていたことはいうまでもありません。

尾瀬の湿原を歩いていると、やたらにカエルの鳴き声が聞こえてきます。木橋の両脇には、流れる川や池、水たまりがあります。それらの水場をのぞくと、カエルが何匹も大口を開けて歌っているのでは。そう思えるほど、カエルの合唱が耳をうちます。なので私は木橋を歩いている間もずっとカエルを探していました。結局、一匹も出会えませんでしたが、サンショウウオらしき両生類の泳ぐ姿には癒やされました。

山々は美しく、空は青い。鳥がたまに飛び交い、さえずりが聞こえる。行く手と背後に雄大な山がそびえ、そこにケロケロとカエルの声がこだまする。ここは別天地。ぜいたくな時間と空間。都会ではまず夢の向こうのまぼろしでしょうし、どれだけVRの技術が進もうとも人の五感+αを完璧に満たすことはできないはず。

燧ヶ岳と至仏山は悠然とその姿をさらしている。それなのに私たちを取り巻く景色は刻一刻と姿を変えます。広大な湿原を飛びまわる鳥のさえずり、水のせせらぎの音。植生や花々の移り変わり。せせらぎは自在に流れて池をなし、川に水を集めて沼に注ぎ、燧ケ岳の姿を克明に映します。どこまで歩いても無限の自然。その可能性が私を飽きさせません。

木橋は山の鼻からほぼ一本道に東へと伸び、牛首分岐と呼ばれる分岐点に至ります。そこを境にほとんどの方は山の鼻の方へと戻ってゆきます。ところが牛首分岐の先にも湿原が果てなく広がっています。そして牛首分岐から先へ向かうハイカーの数はグッと減ります。その奥へ向かうのは私たちのような山小屋に泊まるハイカーだけなのでしょう。だから、その先に続く木橋の往来は、それまでと違って心に余裕を持てました。そして余裕の心でじっくりと自然に浸れます。場所によってはほぼ独占といってもよいほどに。

相談の結果、私たちは牛首分岐から北のヨッピ吊橋へと向かいました。そしてヨッピ吊橋を渡る体験を楽しんだ後は南へと下ります。ヨッピ吊橋から南に下る道は人通りも絶え、木橋を行くのは私たちのパーティーのみ。この一望がすべて独占できます。全てが満ちたり、完結しているこの湿原を。木橋の脇に咲く小さな植物を見かけるたび、腹ばいになって植物を接写しても誰にも迷惑をかけずに済む。この無限の広さの下、木橋から道を踏み外さない限り、自然は私たちのもの。

私たちが南に下った道は、竜宮と名付けられた場所で牛首分岐から伸びるもう一本の道と合流します。そこからは東に向かって山小屋へ向かいます。途中、福島と群馬の県を分かつ川を橋の上から見下ろします。県境といってもそれはあくまで人間の決めた境目にすぎず、自然はそんな思惑を超越して流れています。すぐ北には新潟の県境も接しています。さらに広大な尾瀬の中には栃木との県境も含んでいるはず。ここは地理の妙味が楽しめる場所。これはまさに山歩きの楽しみです。

さて、目の前には燧ケ岳が迫りつつあります。燧ヶ岳の麓に固まった建物群が見えており、あのどれかが今夜の宿のはず。もう間近です。ところが行けども行けども山小屋は近づいて来ません。まっすぐに伸びる一本の木道の果てに燧ケ岳も山小屋群が見えているにもかかわらず。こうした広大な平原の中では人の距離感がいかに当てにならないか。ビルや住居に慣れ親しんだ普段の生活は、私たちの距離感を退化させてしまったのでしょう。そして都会の生活を支えているのは電力。東京で暮らす私たちの場合、東京電力です。そして尾瀬の木橋をなす全ての木材には東電の印が銘打たれています。東京電力が尾瀬保全に果たした役割は賞賛を惜しみません。一方、都会と尾瀬の間に横たわる環境の差の激しさが私を複雑な思いに閉じ込めます。都会を支えているのが原子力発電であり、その支えが崩れた福島第一原発事故の影響を知る今ではさらに複雑な気持ちに陥らせます。

そうやって考えているうちにも、少しずつ山小屋の群れはその姿を大きく、明らかにしていきます。そしてわれわれはようやく山小屋に着きました。尾瀬小屋。今日、私たちが泊まる場所です。

ところで私、今まで山小屋に泊まった記憶がありません。おそらく今回が初めてのはず。なので山小屋にはちょっとおっかないイメージを持っていました。なぜならここは自給自足の場。先ほど見かけた歩荷が届ける貴重な物資が全て。その現実を踏まえると、都会にいるような感覚で泊まることは許されません。ゴミは持ち帰るのが鉄則。私のような山の素人にもそれぐらいの想像は及びます。その予想を裏付けるように、早速オーナーの方から、泊まるに際の注意ががありました。それは簡潔にして明瞭。誤解の立ち入る隙もないほど。こういうところも、山小屋の敷居の高さでしょうし、自己責任と自己管理を兼ね備えた人にしか許されない厳しさなのでしょう。

私たちが泊まる部屋は二階。20畳ほどの部屋です。ここで男女一緒に別パーティーの人たちも一緒に泊まるのです。私たちは旅の疲れを癒やしつつ、そこでめいめいが荷物を整理したり、次なる準備を進めたりします。山小屋といっても、何も全く原始的な生活を強いられる訳じゃありません。団欒用の部屋にはテレビも付いていれば、電源もあります。ただし、電源は貴重です。電子機器に充電だってできます。もちろん、それは各自の節度ある利用にかかっています。私もタブレットの充電に重宝しました。

中を探検しているうちに、気がつくとパーティーの皆さんがいないことに気づきました。あれ、と思って外に出ると、皆さん玄関の外の木のベンチに座りビールを飲み始めていました。私も遅れて参加しました。

今回のパーティー、私は三度目の参加でした。知った人もいますし、初めての人もいます。なので、そうした方々への自己紹介もしながら、ビールを飲みながらの歓談です。私は仕事柄、誰も知り合いのいない集まりに一人で参加することが苦になりません。というか、苦にしていては個人事業も法人も立ちいかないので自分をそう躾けた、という方が正しいかもしれませんが。でも、たとえそうした集まりが苦手な人であっても、山はおススメです。たとえ話題の引き出しが乏しくも、話術が下手でも気にする必要はありません。美しい自然の全てが話題のネタに使えますし、移りゆく自然の一瞬一瞬が雄弁にあなたのかわりに語ってくれるはず。しかも、このパーティー、私にとって仕事上で利害関係のある人は皆無です。なので私も気兼ねなく過ごせます。何よりも素晴らしい景色をともにする一体感。これこそが山の楽しみではないでしょうか。

心地よいビールと自然に酔っているうちに、夕日がその色合いを濃くしていきます。そして至仏山の方角に色を残しながら、夕闇があたりを染めていくのです。時が一刻ごとに尾瀬の景色を違った形で映し出し、それを屋外でビールを飲みながら見つめる。そんなぜいたくな時間の使い方、買ってでも欲しいはず。尾瀬にハマる人は何度も来る、と聞きますが、今日の経験だけでその意味が少しわかった気がします。

暗がりが濃くなる中、食堂に向かい、ご飯を食べます。すでに食堂にはたくさんの人たちが列をなしていました。パーティーごとにまとまって食事できないほどに。むしろここではそんなわがままは不要です。郷に入ればなんとやら、で流儀にしたがいました。私の前後左右で同じパーティーの方派一人。でも、隣の初対面の方と茶碗にご飯をよそいよそられ。こうした一期一会も山小屋の醍醐味だと納得しながら。しかも、山ガールと山男の食欲は限度を知りません。そんな期待を満たすかのようにご飯がおかわりできる喜び。もちろん、これらの食材は歩荷の皆さんの苦労のたまものであることを忘れてはなりません。なので、残すなど論外。なるべく残飯が出ないようにおかわりを際限なくしたいところですが、後ろにも食事を待っている人がいるので、その辺りのマナーへの配慮も必要です。こうした呼吸は何度も山小屋へ泊まるうちに身につくものなのでしょう。

尾瀬小屋には、団欒できる部屋もちゃんと用意されています。火鉢を囲みテーブルを囲み、歓談を。また、別の部屋にはギャラリーのような写真が飾られた部屋もあり、そこでもめいめいが好きなように時間を過ごせるのです。

そして、山小屋の夜は早い。これは、都会の生活に慣れていると全く味わえません。私のような宵っ張りにはなおさら。何しろ21時ごろにはもう消灯なのですから。そしてその分、朝は早い。

皆さんが静まった後、私は尾瀬に関する本をギャラリールームで読みながら、しばし時間を過ごしました。今日の感動を知識で補いたい。宵っ張りには夜は暮れたばかりなのですから。高ぶった心を鎮めるためにもこうした部屋があることはありがたい。

そんなわけで、尾瀬の旅の初日は終わりました。素晴らしかったです。皆様に感謝。