Articles tagged with: 江戸

今こそ知っておきたい「災害の日本史」 白鳳地震から東日本大震災まで


新型コロナウィルスの発生は、世界中をパンデミックの渦に巻き込んでいる。
だが、人類にとって恐れるべき存在がコロナウィルスだけでないことは、言うまでもない。たとえば自然界には未知のウィルスが無数に潜み、人類に牙を剥く日を待っている。
人類が築き上げた文明を脅かすものは、人類を育んできた宇宙や地球である可能性もある。
それらが増長した人類に鉄槌を下す可能性は考えておかねば。
本書で取り扱うのは、そうした自然災害の数々だ。

来る、来ると警鐘が鳴らされ続けている大地震。東海地震に南海地震、首都圏直下地震、そして三陸地震。
これらの地震は、長きにわたって危険性が言われ続けている。過去の歴史を紐解くと発生する周期に規則性があり、そこから推測すると、必ずやってくる事は間違いない。
それなのに、少なくとも首都圏において、東日本大震災の教訓は忘れ去られているといっても過言ではない。地震は確実に首都圏を襲うはずなのにもかかわらず。

本書は日本の歴史をひもとき、その時代時代で日本を襲った天変地異をとり上げている。
天変地異といってもあらゆる出来事を網羅するわけではない。飢饉や火事といった人災に属する災害は除き、地震・台風・噴火・洪水などの自然災害に焦点を当てているのが本書の編集方針のようだ。

著者は、そうした天変地異が日本の歴史にどのような影響を与えたのかという視点で編んでいる。
例えば、江戸末期に各地で連動するかのように起こった大地震が、ペリー来航に揺れる江戸幕府に致命的な一撃を与えたこと。また、永仁鎌倉地震によって起こった混乱を契機に、専横を欲しいままにした平頼綱が時の執権北条貞時によって誅殺されたこと。
私たちが思っている以上に、天変地異は日本の歴史に影響を与えてきたのだ。

かつて平安の頃までは、天変地異は政争で敗れた人物の怨霊が引き起こしたたたりだとみなされていた。
太宰府に流された菅原道真の怨霊を鎮めるため、各地に天満宮が建立されたのは有名な話だ。
逆に、神風の故事で知られる弘安の大風は、日本を襲った元軍を一夜にして海中に沈め、日本に幸運をもたらした。
本書にはそういった出来事が人心をざわつかせ、神仏に頼らせた当時の人々の不安となったことも紹介している。
直接でも間接でも日本人の深層に天変地異が与えてきた影響は今の私たちにも確実に及んでいる。

本書は私の知らなかった天変地異についても取り上げてくれている。
例えば永祚元年(989年)に起こったという永祚の風はその一つだ。
台風は私たちにもおなじみの天災だ。だが、あまりにもしょっちゅう来るものだから、伊勢湾台風や室戸台風ぐらいのレベルの台風でないと真に恐れることはない。ここ数年も各地を大雨や台風が蹂躙しているというのに。それもまた、慣れというものなのだろう。
本書は、歴史上の洪水や台風の被害にも触れているため、台風の恐ろしさについても見聞を深めさせてくれる。

本書は七章で構成されている。

第一章は古代(奈良〜平安)
白鳳地震
天平河内大和地震
貞観地震
仁和地震
永祚の風
永長地震

第二章は中世(鎌倉〜室町〜安土桃山)
文治地震
弘安の大風
永仁鎌倉地震
正平地震
明応地震
天正地震
慶長伏見地震

第三章は近世I(江戸前期)
慶長東南海地震
慶長三陸地震津波
元禄関東大地震
宝永地震・富士山大噴火(亥の大変)
寛保江戸洪水

第四章は近世II(江戸後期)
天明浅間山大噴火
島原大変
シーボルト台風
京都地震
善光寺地震

第五章は近代I(幕末〜明治)
安政東南海地震
安政江戸地震
明治元年の暴風雨
磐梯山大噴火
濃尾地震
明治三陸大津波

第六章は近代II(大正〜昭和前期)
桜島大噴火
関東大震災
昭和三陸大津波
室戸台風
昭和東南海地震
三河地震

第七章は現代(戦後〜平成)
昭和南海地震
福井大地震
伊勢湾台風
日本海中部地震
阪神淡路大震災
東日本大震災

本書にはこれだけの天変地異が載っている。
分量も相当に分厚く、636ページというなかなかのボリュームだ。

本書を通して、日本の歴史を襲ってきたあまたの天変地異。
そこから学べるのは、東南海地震や南海地震三陸の大地震の周期が、歴史学者や地震学者のとなえる周期にぴたりと繰り返されていることだ。恐ろしいことに。

日本の歴史とは、天災の歴史だともいえる。
そうした地震や天変地異が奈良・平安・鎌倉・室町・安土桃山・江戸・幕末・明治・大正・昭和・平成の各時代に起きている。
今でこそ、明治以降は一世一元の制度になっている。だが、かつては災害のたびに改元されていたと言う。改元によっては吉事がきっかけだったことも当然あるだろうが、かなりの数の改元が災害をきっかけとして行われた。それはすなわち、日本に災害の数々が頻繁にあったことを示す証拠だ。
そして、天変地異は、時の為政者の権力を弱め、次の時代へと変わる兆しにもなっている。
本書は、各章ごとに災害史と同じぐらい、その時代の世相や出来事を網羅して描いていく。

これだけたくさんの災害に苦しめられてきたわが国。そこに生きる私たちは、本書から何を学ぶべきだろうか。
私は本書から学ぶべきは、理屈だけで災害が来ると考えてはならないという教訓だと思う。理屈ではなく心から災害がやって来るという覚悟。それが大切なのだと思う。
だが、それは本当に難しいことだ。阪神淡路大震災で激烈な揺れに襲われ、家が全壊する瞬間を体験した私ですら。

地震の可能性は、東南海地震、三陸地震、首都圏直下型地震だけでなく、日本全国に等しくあるはずだ。
ところが、私も含めて多くの人は地震の可能性を過小評価しているように思えてならない。
ちょうど阪神淡路大震災の前、関西の人々が地震に対して無警戒だったように。
本書にも、地震頻発地帯ではない場所での地震の被害が紹介されている。地震があまり来ないからといって油断してはならないのだ。

だからこそ、本書の末尾に阪神淡路大地震と東日本大震災が載っている事は本書の価値を高めている。
なぜならその被害の大きさを目にし、身をもって体感したかなりの数の人が存命だからだ。
阪神淡路大地震の被災者である私も同じ。東日本大震災でも震度5強を体験した。
また、福井大地震も、私の母親は実際に被害に遭い、九死に一生を得ており、かなりの数の存命者が要ると思われる。

さらに、阪神淡路大地震と東日本大震災については、鮮明な写真が多く残されている。
東日本大震災においてはおびただしい数の津波の動画がネット上にあげられている。
私たちはその凄まじさを動画の中で追認できる。

私たちはそうした情報と本書を組み合わせ、想像しなければならない。本書に載っているかつての災害のそれぞれが、動画や写真で確認できる程度と同じかそれ以上の激しさでわが国に爪痕を残したということを。
同時に、確実に起こるはずの将来の地震も、同じぐらいかそれ以上の激しさで私たちの命を危機にさらす、ということも。

今までにも三陸海岸は何度も津波の被害に遭ってきた。だが、人の弱さとして、大きな災害にあっても、喉元を過ぎれば熱さを忘れてしまう。そして古人が残した警告を無視して家を建ててしまう。便利さへの誘惑が地震の恐れを上回ってしまうのだ。
かつて津波が来たと言う警告を文明の力が克服すると過信して、今の暮らしの便利さを追求する。そして被害にあって悲しみに暮れる。

そうした悲劇を繰り返さないためにも、本書のような日本の災害史を網羅した本が必要なのだ。
ようやくコロナウィルスによって東京一極集中が減少に転じたというニュースはつい最近のことだ。だが、地震が及ぼすリスクが明らかであるにもかかわらず、コロナウィルスがなければ東京一極集中はなおも進行していたはず。
一極集中があらゆる意味で愚行の極みであることを、少しでも多くの人に知らしめなければならない。

本書は、そうした意味でも、常に手元に携えておいても良い位の書物だと思う。

‘2019/7/3-2019/7/4


日本ふーど記


著者はエッセイストとして著名だが、著作を読むのは本書が始めて。

最近はエッセイを読む機会に乏しい。
それは発表されるエッセイやそれを産み出すエッセイストの問題ではなく、ネット上に乱舞するブログやツイートのせいだろう。
エッセイもどきの文章がこれだけ多く発信されれば、いくら優れたエッセイであっても埋もれてしまう。
雑誌とウェブでは媒体が違うとはいえ、雑誌自体が読まれなくなっている今では、ますます紙媒体に発表されるエッセイの存在感は薄れる一方だ。

だが、紙媒体のエッセイとウェブの情報には違いがある。それは稿料の発生だ。
ウェブ媒体にも稿料は発生する場合はある。ただ、その対象はより専門分野に偏っている。
そうした中、著者の日々のよしなし事をつづるエッセイに稿料をはらう例は知らない。ましてや有料サイトでは皆無ではないだろうか。

もちろん、そこには文化の違いがある。ウェブ日常の情報収集の手段とする世代と、昔ながらの紙の媒体を信奉する世代の違いが。
ただ、エッセイとして稿料が支払われるには、それだけの面白さがあるはず。ましてや、本書のようにエッセイとして出版されるとなると、理由もあるはずだ。
もちろん、ブログがあふれる今と本書が発行された昭和の終わりではビジネス環境も違う。
だが、著者はエッセイストとして、エッセイで生計を立てている。そこに何かのヒントはないか、と思った。

本書を町田の高原書店の入り口の特価本コーナーで見つけた時、私は会津で農業体験をして間もない頃だった。日本の食にとても関心が高く、何かできないかと思っていた。
だからこそ、本書が私の目にひときわ大きく映った。

本書は著者が日本各地の食を巡った食べ歩記だ。だからうまそうな描写が満載だ。
だが、うまそうな描写が嫌みに感じない。それが本書の良いところだ。
本書を読んでいると、食い物に関するウンチクもチラホラ出て来る。ところが、それが知識のひけらかしにも、自由に旅ができる境遇の自慢にも聞こえないのがよい。
著者は美味を語り、ウンチクも語る。そして、それと同じぐらい失敗談も載せる。その失敗談についクスリとさせられる。結果として、著者にもエッセイにも良い読後感をもたらす。

実はエッセイもブログもツイートも、自分の失敗や弱みをほど良く混ぜるのがコツだ。これは簡単なようで案外難しい。
ツイートやウォールやブログなどを見ていると、だいたいいいねやコメントがつくのは、自分を高めず、他を上げるものが多い。
だが、往々にして成長するにつれ、失敗をしでかすこと自体が減ってくる。プライドが邪魔して自分の失敗をさらけ出したくない、という意識もあるだろう。そこにはむしろ、仕事で失敗できない、という身を守る意識が四六時中、働いているように思える。

だからこそ、中高年の書くものには、リア充の臭いが鼻に付くのだ。
私もイタイ中年の書き手の一人だと自覚しているし、若者とってみれば、私の書く内容は、オヤジのリア充自慢が鼻に付くだろうな、と自分でも思う。
私の場合、ツイートでもウォールでもブログでも、自分を飾るつもりや繕うつもりは全くない。にも関わらず、ある程度生きるコツをつかんでくると、失敗の頻度が自然と減ってくるのだ。
大人になるとはこういう事か、と最近とみに思う。

そこに来て著者のエッセイだ。
絶妙に失敗談を織り込んでいる。
そして著者は、各地の料理や人を決してくさす事がない。それでいて、不自然に自分をおとしめることもしない。
ここで語られる失敗談は旅人につきものの無知。つまり著者の旅は謙虚なのだ。謙虚であり博識。博識であっても全能でないために失敗する。

「薩摩鹿児島」では地元の女将のモチ肌に勘違いする。勘違いしながら、居酒屋では薩摩の偉人たちの名が付けられた料理を飲み食いする。
「群馬下仁田」では、コンニャクを食い過ぎた夜に異常な空腹に苦しむ。
「瀬戸内讃岐」では、うどんとたこ焼きまでは良かったが、広島のお好み焼き屋で間髪入れさせないおばさんに気押され、うどんと答えた著者の前に焼かれるお好み焼きとその中のうどんに閉口する。
「若狭近江」ではサバずしを食したまでは良かったが、フナずしのあまりの旨さになぜ二尾を買わなかったかを悔やむ。
「北海道」では各地の海や山の産物を語る合間に、寝坊して特急に乗り損ねたために悲惨な目にあった思い出を語る。
「土佐高知」では魚文化から皿鉢料理に話題を移し、器に乗せればなんでもいい自由な土佐の精神をたたえる。かと思えば、最後に訪れた喫茶店でコーヒーと番茶で胃をガボガボにする。
「岩手三陸」ではホヤから話を始めたはずが、わんこそばを食わらされてダウンする。
「木曾信濃」は佐久の鯉料理からはじまり、ソバ、そして馬肉料理と巡って、最後はハチの子料理を著者の望む以上に食わされる。
「秋田金沢日本海」ではキリタンポやショッツルが登場する。そして日本の、裏側の土地の文化を考えあぐねて胸焼けする。
「博多長崎」に来てようやく、失敗談は出てこない。だが、ヒリョーズや卓袱料理、ちゃんぽんを語った後に長崎人はエライ!と無邪気に持ち上げてみせる。
「松坂熊野」は海の幸に松坂牛が並ぶ前半と、高野山の宿坊で精進料理にひもじい思いをさせられる後半とのギャップがよい。
「エピローグ/東京」では、江戸前鮨の成り立ちと歴史を語り、ファストフードの元祖が寿司である以上、今のファストフードもどうなるかわからないと一席ぶっておきながら、おかんじょう、と小声で遠慮がちに言う著者が書かれる。

そうしたバランスが本書の心地よい点だ。
かつてのエッセイストとは、こうした嫌味にならず、読者の心の機微をよく心得ていたのだろう。
私もそれにならい、そうしたイベントをほどよく織り交ぜたい。私の場合、ビジネスモードを忘れさえすれば、普通に間の抜けた毎日を送れているようなので。

‘2018/10/31-2018/10/31


本当はすごい!東京の歴史


数多くの本を読んでいると、本の内容に感化されて旅に出ることも二度や三度ではない。本書を読んだ際もそう。本書を読んですぐ、私は鹿嶋神宮を訪れた。

結果としては、本書を読んだことでよい気づきが得られた。ところが当初、本書の内容には期待していなかった。本書を読んだ理由はただ単に長年住み、仕事の場としている東京のことをより知ろうと思っただけに過ぎない。それに加えて本書を読み始めたとたん、関東こそが日本の文化や歴史の起源であるという主張が飛び込んできたのでさらに鼻白んでしまった。本書を読み始めた頃、私は本書を眉に唾を付けて読んでいた事を告白する。

私は西日本の生まれだ。両親ともに福井をルーツとしている。福井の病院で産声をあげ、両親が家を構える甲子園に移ってからは、二十数年を過ごした。家のすぐ近くにはタイガースと高校野球の聖地である甲子園球場が控ええ、うどん、タイガース、関西弁、粉モンの文化にどっぷり浸かって育った。そうした文化を生み出した関西が日本文化の揺籃の地と信じて疑わなかった。飛鳥の都からから難波宮、平城京、恭仁京、長岡京、平安京、福原京。歴代の都はすべて関西にあり、そこで栄華を誇って来た。仁徳天皇陵や大阪城は今も雄大な姿を見せ、関西の文化的な豊饒さを象徴しているかのよう。

そうした土壌に育った上、歴史の授業でも日本史の舞台が関西であることを学ぶ。連綿と続いてきた日本の歴史の積み重ね。その地に住んでいると、文化や伝統を日常のものとして無意識に受け取って育つ。そうして、日本の文化や歴史の主流が関西にあるという観念が定着してゆく。

ところが本書は日本の歴史を東国から捉え直す。日本書記に書かれた神々の国産み神話を除けば、そもそも日本の歴史とは高天原から天孫降臨した神々の裔が高千穂から東へ征服に向かったことに端を発する。本書はその高天原こそが鹿嶋にあったという。実際に鹿嶋には今も高天原という地があるという。私も本書を読んですぐ、実際にその地を確認してきた。実際に高天原という地名をみて、思わず感動してしまった。

本書を読むまで、私は鹿嶋に高天原があることを知らなかった。ところが本書からその事実を教えられ、わが目でも目撃した。ということは、高天原が鹿嶋にあった、つまり日本のそもそもが東から興ったと説く本書の記述にも信ぴょう性が感じられる。あながちトンデモ説とはいえないのだ。

そうなると、弥生や縄文といった時代区分の由来が東京にあることも、本書の主張を補強しているように思える。巨大遺跡といえば仁徳天皇陵や羽曳野のあたり、奈良盆地のそれが頭に思い浮かぶ。だが、東京にも遺跡は多く点在している。さいたまの古墳群や大森貝塚に代表されるように。それはすなわち、当時の東国に人口が多かったことの証拠でもある。

人口が多かった事実は、文明の発展にも関係する。その時、富士山の存在が人々の信仰心を向かわせたことも否定する論拠は見当たらない。著者は富士山を天上、つまり高天原と見立てる。富士山が見える範囲で東の端に位置するのが鹿嶋神宮、西の端に位置するのが伊勢神宮という新鮮な論が展開されるが、それにも説得されそうになる。平安時代に編まれた延喜式神名帳では、神宮の名が付く神社は伊勢神宮、鹿嶋神宮、そして香取神宮の三つしかないとか。香取神宮も鹿嶋神宮に近い場所にある。その二つの神宮が鎮座する地こそ常陸の国。つまり常世の国だ。そしてそれらに共通するのは富士山が見える範囲にあるということ。

本書の中心的な論点は、富士山にある。富士山こそは宗教的なシンボルでもあり、古来から高天原に擬せられてきたのではないかと著者はいう。富士山こそは西日本にはない日本のシンボル。著者の論の芯を貫くこの事実は揺るぎない。

ところが、本書で著者が唱える説には2つ大きな難関がある。一つは、なぜ東征軍が出雲を攻め、大和に入るにあたり、鹿嶋から高千穂を経由する道筋をたどったのか、という疑問。もう一つはなぜ古代と中世までの東国は、本邦の歴史では脇役に過ぎなかったのかの理由だ。

最初の点について著者は、当時の出雲に大国主命系の勢力があり、その巨大な勢力を最初に征服するため、九州から上陸したのではないかと説く。そこで重要になるのが鹿嶋と鹿児島の地名の相似だ。鹿島立つという言葉があるように鹿島から出立した東征軍が、高千穂に向かう際にまず上陸したのが鹿児島ではないか。その二つの地名には共通する語源が隠れているのでは、という著者の論にも蒙を拓かれた思いだ。

ただ、もう一つの難関について、著者は説得力のある論点を提示していない。まさにそれこそが重要なのに。この点こそ、私が本書で一番残念に思った点だ。

だが、理由はなんとなく想像がつく。古来から富士山が何度も噴火してきたことは周知の事実だ。地震もそう。つまり、日本のシンボルであるはずの富士山はシンボルでありながら、東国にとっては天変地異の象徴だったのだ。降り積もる火山灰や地震による災害。東国は文化や歴史の伝統となるには、あまりにも天災に苦しめられすぎてきたのだ。それが、東国を文化や歴史の中心から遠ざけたのではないか。ところが本書では関東ローム層の由来には触れていながら、富士の噴火による天災の被害については全く触れていない。なぜ著者がその点に触れなかったのか理解に苦しむ。私のような素人でも簡単に思いつくのに。

関東が東征の出発地だったと言う論点は新鮮。とても勉強になる。なのになぜ富士山の噴火や関東で頻発した地震には触れなかったのか。その理由は全く分からない。本書と著者のためにも惜しいと思う。

本書は、以降の各章でも東国の歴史を描き出す。古墳の時代、中世、武士の活躍した平野の様子。家康によって開発された首都としての江戸と、世界一の規模を誇る都市に繁栄した江戸。幕末の動乱をへて、天子を擁して文字通り日本の首都となった東京から現代の東京の様子までを概観する。

著者は東国を持ち上げながら、今の世界的な大都市となった東京については非常に厳しい。都市計画の失敗や、西洋を真似たような街づくりの思想など、今の東京に対する不満をつらつらと列挙する。都市としての繁栄を極めたかに見える今の東京は、著者にとっては逆に不満の対象であるところが面白い。

つまり、著者にとっては西日本に対する東日本の優位を示すといった瑣末な事はどうでもよいのだ。本書は日本の文化や歴史の発端が東にあったことを主張することに本旨がある。従来の定説とは違い、世間にはまだまだ受け入れられていない著者の説。それを世に問わんとする著者の意志は分かる気がする。そして著者の意志を割り引いても、本書で書かれた内容からは著者が自らの論を主張するための牽強付会の匂いは漂ってこない。それは本書のためにも擁護しておきたい。

だからこそ、藤原氏の初代鎌足が鹿嶋の出身だったことや、平泉で武家の文化が栄えたこと、鎌倉に幕府が開かれたことなど、歴史の所々で東が西を凌駕した理由にも納得がいく。さらに、水戸光圀が大日本史の編纂事業をしじし、それが幕末には尊王攘夷の先鋒としての水戸藩の存在感の発揮につながったことなど、日本の歴史の要所に常陸が登場することに得心がいく。日本の伝統を復興しようするうねりが鹿嶋神宮の近隣から起こったことは、そうした伝統に立脚した故あることなのだろう。鹿嶋の土壌で育った尊王攘夷の思想を薩摩、つまり鹿児島が受けつぐ。そんな著者の指摘する因果すら、こじつけには思えなくなる。

このように、本書が示す気づきは実に豊かだ。私は本書によって鹿嶋神宮を訪れなければならないと思い、すぐに実行した。ただ、本書の内容が実りあればあるほど、東京には根本的な都市としての欠陥があるように思えてならない。その欠陥とは、天災に弱いという一点に尽きる。著者が意図したのかどうか分からないが、その事実が本書からは綺麗に抜けている。ある時期から江戸を中心とした東国は、日本の歴史の中で傍流に置かれる。その理由こそ、度重なる天災にあったことは間違いないはずなのに。

公平を期する上でも、そのことにはぜひとも触れて欲しかったと思う。なぜなら、今の繁栄を謳歌する東京は間もなく潰えようとしているからだ。東海地震、首都圏直下型地震、富士山噴火。リスクは山積みだ。世界の首都の中でも飛び抜けて天災に弱いとされる東京。その事実は、住民の一人として見据えておかねばならないはず。なぜ、東京はこれだけの平野を擁しながら、日本の歴史では長らく坂東の地として辺境扱いされていたのか。その理由を世に知らしめる絶好の本こそ本書なのに。

現代の東京が天災の危険の上に薄皮一枚で乗っている。その事実はいまさら変えようもない。とはいえ、本書が示すように鹿嶋神宮が歴史で演じた重要性はいささかも薄らぐことはないはず。むしろ、鹿嶋神宮はもっともっと世に広く知られなければならない。私はそう思う。実際、鹿嶋神宮や剣術の達人である塚原卜伝のお墓など、鹿嶋を訪れたことはとてもよい経験と知見になった。その際、香取神宮に行かれなかったことが心残り。なので、もう一度行きたいと思っている。本書を携えて。

‘2018/07/09-2018/07/13


伊能忠敬―日本をはじめて測った愚直の人


ここにきて、また伊能忠敬が脚光を浴びている。中高年の希望の星として。

伊能忠敬といえば、日本ではじめて全国地図を作った人物だ。全国を測量して歩き、実際の日本の地形と遜色ない日本地図を作った業績は不朽だ。井上ひさし氏による『四千万歩の男』で取り上げられたこともしられている。

なぜ中高年の希望の星なのか。それは、伊能忠敬が地図作成の世界に入ったのが50歳の年だからだ。50歳といえば、現代人の感覚でも晩年に差し掛かっている。ましてや当時の感覚では隠居して当たり前の歳だ。今の私たちが定年後にセカンドライフを志すのと同じように考えてはならない。当時の尺度では遅すぎるのだ。しかもそんな老齢から19歳年下の高橋至時に弟子入りする謙虚な心も見事だ。当時の感覚では相当な老年であるにも関わらず、当時の不便な交通事情の中、全国津々浦々を歩き回り「大日本沿海與地全図」を完成させた。私はまだ実物を見たことがないが、本書には「大日本沿海與地全図」の一部が載っている。その精緻な出来栄えにはうならされる。見事というほかはない。

本書は伊能忠敬をブックレットの形で紹介している。ブックレットといえば薄い小冊子の体裁だ。本書は88ページという少ない紙数しかない中で伊能忠敬の事績を紹介している。網羅しているとはいえないが、生い立ちと業績、そして伊能図の今に至る歩みまでをコンパクトかつ概観的に紹介している。それが、私にとってはよかった。なにせ伊能忠敬のことを本で読むのはほぼ初めてなのだから。『四千万歩の男』も読んでいないし、せいぜいが教科書で習った程度の知識しかない。要するに私は伊能忠敬のことを何も知らなかったに等しい。そんな私には88ページの本書の内容はかえってコンパクトで頭に入ってきた。ダイジェストで伊能忠敬の生涯を学べた感じがして。

たとえば隠居前の伊能忠敬がどのように家業を経営していたかについても記している。研究によると伊能家の資産は現在の貨幣価値で45億円以上だったそうだ。立派な億万長者である。しかも伊能忠敬は名主職まで勤めていたとか。それだけの実績を重ねていたのに、江戸に出て測量の弟子入りをし、一からキャリアを積み上げなおしたのだから恐れ入る。

なぜ伊能忠敬は日本を測量しようと思ったのか。それは地球の大きさや形を明らかにしたいという志をもともと名主の頃から持っていたからだという。地球の大きさや形を明らかにするには測量が必要となる。伊能忠敬が師の高橋至時に測量を願い出たところ、せめて蝦夷までの距離を求めなければ地球の大きさは測れないといわれた。それが伊能忠敬を測量に向かわせたという。

第一次から第十次まで行われた全国の測量。それらも本書は概要が紹介する。さすがに第十次の旅は体力面からか弟子たちに任せたようだ。だが、それ以外の旅は全て伊能忠敬本人が足を運んだというからすごい。あと、あらためて理解したことがある。それは伊能図が沿岸の地図を詳しく記したとはいえ、内陸をくまなく測量した訳ではないことだ。 いくつかの内陸部の土地は回っているようだが、あくまでも沿岸のみを網羅したのが伊能図と考えてよさそうだ。よく考えてみれば、ありとあらゆる場所を訪れていたら、20年弱で徒歩で全国を回れるはずがない。つまり沿岸部に特化し、その精度を高めたことが伊能図をこれだけの完成度にしたということだ。このことを本書は教えてくれた。それだけでも読んだ甲斐がある。

本書には伊能図以前に記された日本地図の歴史と、「大日本沿海與地全図」のその後の運命にも紙数を割いている。明治に入ってすぐ、皇居で起こった火事によって 「大日本沿海與地全図」 の正版は失われてしまったという。しかも伊能家に保管されていた副本の控図までもが関東大震災で焼失してしまったとか。しかし模写された図の数々は、今も世に伝えられている。50才から志した日本地図への取り組みは200年以上たった今も世に伝えられているのだ。

なによりも本書が重んじているのは、伊能忠敬の実像を正しく紹介することだ。本書によると伊能忠敬は厳格かつ堅実な人物だったという。そこには後世、皇国史観によって左右され、作り上げられた伊能忠敬像なく、実際の本人を紹介したいという著者の想いがある。著者は国土地理院のご出身のようだ。その立場からも、伊能忠敬の成した歴史的な意義は強調してし足りないのだろう。だから例えば、伊能忠敬が幕府と反目し合いながら全国を測量して回ったという伝説も否定する。幕府や諸藩の妨害を乗り越えて地図を作り上げた伊能忠敬という英雄像は私たちも修正したほうがよさそうだ。そして実直な伊能忠敬像を紹介した著者は、これからの時代を生き抜くのに、伊能忠敬の粘り強く堅実に進む生き方を勧めている。

人類の何年にもわたる努力が、人工知能によって一瞬に達成されようとする今、伊能忠敬の生き方は何を教えるのだろう。私は、もはや成果物の量や精度では人工知能に太刀打ちできなくなるだろうと思っている。だが、それは成果物だけで成果を評価する限りの話だ。人口知能が人の人生を左右しようとする今、個人の自我が蓄える経験の重み。それこそがより大切にされる気がする。経験と自制の大切さを200年前のわが国で体現したのが伊能忠敬。冒頭に書いた通り、50才から実績を作り上げたということばかりが取り上げられているが、そればかりが伊能忠敬の偉大さではあるまい。見逃してはならないのが、商売に精を出している間も伊能忠敬は各種の勉強に励んでいたことだ。名主の頃から勉学に打ち込んでいたことが本書でも紹介されている。50才で一念発起するまでの年月も土台があってのこと。実直にこつこつと。それこそがもっとも肝に銘じるべきことだと思った。

‘2017/12/22-2017/12/27


大久保利通の肖像 その生と死をめぐって


私が本書を読んだ頃、我が家には薩摩弁が飛び交っていた。いや、飛び交っていたというのは正確ではない。話されていた、というのが正しい。誰によって話されていたかというと、うちの妻によって。

2016/11/20を千秋楽として、宝塚星組北翔海莉さんと妃海風さんのトップコンビが退団した。その退団公演のタイトルは「桜華に舞え」という。主人公は人斬り半次郎こと桐野利秋。全編を通して鹿児島訛り全開のこの作品を何度も観劇し、感化された妻は、日常の言葉すら薩摩訛りになったわけだ。

「桜華に舞え」は桐野利秋の生涯に男の散りざまを重ねた、北翔海莉さんの退団を飾るに相応しい作品だった。そして桐野利秋といえば西郷南州の右腕として、西南戦争でともに戦死したことでも知られる。

その西南戦争で薩摩出身でありながら、新政府軍側についたのが、本書で取り上げられている大久保利通だ。維新の薩摩を語るには欠かせない人物であり、維新の三傑であり、明治政府の元勲でもある。敵方だったためか「桜華に舞え」では脇役に甘んじている。そればかりか、明治維新に関する人物の中でも、大久保利通の人気は極めて低い。旧世代の士族につき、死んでいった桐野、西郷を見放し、敵に回したことで、情知らずのレッテルを貼られてしまったらしい。不平士族の不満の爆発に乗って乗せられた桐野、西郷の二人と違い、新生日本の理想を冷徹に見据えた大久保利通は、旧階級である氏族にくみするつもりなど毫もなかったはずだ。

大久保利通とは、情より論が勝った人物。それゆえに人気のなさは維新を彩った人士の中でも指折りだ。

だが、近年再評価の気運も高まっているという。

私自身、さまざまな書で大久保利通の事績や個人的なエピソードを知るにつけ、大久保利通とはたいした人物だと思うようになった。加えて、大久保利通が暗殺された紀尾井坂は、私が数年にわたって参画したプロジェクト現場に近い。清水谷公園に立つ大久保利通遭難碑は何度も訪れ、仰ぎ見たものだ。

本書を読むきっかけは、「桜華に舞え」以外にもある。それは仕事で郡山市を訪れたことだ。大久保利通最後の仕事となった安積開拓。それこそが今の郡山市発展の礎となった。私はそのことを郡山市開成館の充実した展示を読んで理解した。

安積開拓とは、猪苗代湖の水を安積の地、つまり、今の郡山市域に引き込み、巨大な農地に変える事業を指す。それによって明治日本の殖産を強力に推し進めようとした。その事業を通して大久保利通が発揮した着眼点や企画力は、まさに内政の真骨頂。その貢献度は、計り知れないものがある。

その貢献は、郡山市にあるという大久保神社の形をとって感謝されている。神殿こそないものの、祭神として大久保利通は祀られているという。まさに神だ。郡山市とは猪苗代湖を挟んで対岸に位置する会津若松が、いまだに戊辰戦争での薩長との遺恨を取り沙汰されていることを考えると、そこまで大久保利通の評価が高いことに驚くばかりだ。私は大久保神社の存在を本書によって教えられた。郡山の訪問時にそれを知っていれば訪れたものを。もし開成館の展示で紹介されていたとすれば、見落としたのかもしれない。不覚だ。

本書は、大久保利通にまつわる誤解を解くことをもっぱらの目的にしている。大久保利通にまつわる誤解。それは私が知るだけでもいくつかあるし、それらは本書にも網羅的に紹介されている。たとえば藩主後見の久光公に取り入るためだけに囲碁を身につけた、という処世術への軽蔑。紀尾井坂で暗殺された際、敵に背を向けた格好だったという汚名。佐賀の乱で刑死した江藤新平へ冷酷な対応をしたという伝聞。それらのエピソードを著者はおおくの資料を紐解くことで一つ一つ反論する。幕末の血なまぐさい日々にあって、志士達の前で示した勇敢なエピソード。佐賀の乱で刑死した江藤新平への残忍な態度だけが後世に伝えられた裏側の事情。征韓論に敗れて下野した西郷隆盛とは友情が保たれていたこと。西南戦争で示した大久保利通の心情の一端がこぼれ落ちた挿話。家族では子供思いであったこと、などなど。

そして著者がもっとも力を入れて反駁するのが、紀尾井坂で襲撃されたさい、見苦しい様を見せたという風評だ。著者はこの誤解を解き、悪評をすすぐため、あらゆる視点から当時の現場を分析する。私も本書を読むまで知らなかったのだが、紀尾井坂の変で襲撃を受けた時、大久保利通が乗っていた馬車は現存しているのだという。著者はその馬車の現物を見、馬車の室内に入って検分する。

そこで著者は馬車内で刺されたとか、馬車から引きずり出されたとかの目撃談が、遺された血痕の状況と矛盾していることを指摘する。つまり、大久保利通は、自らの意思で馬車の外に出て、襲撃者たちに相対したことを示す。背を向け、武士にあるまじき死にざまを見せたとの悪評とは逆の結論だ。

襲撃された際、大久保利通は護身用ピストルを修理に出していたという。間抜けなのか、それとも死生を超越した豪胆さからの行いかは分からない。だが、幕末から維新にかけ、血なまぐさい時代で名を遺すだけの才覚は持っていたはず。今さら無様な命乞いで末節を汚す男とは思えない。

だからこそ、本書には証拠となる馬車の写真は載せてほしかったし、イラストでよいから血痕の様子を図示して欲しかった。文章だけで書かれても説得力に欠けるのだ。大久保利通の最期が武士らしい決然としたものであってこそ、本書で著者が連綿と書き連ねた誤解への反論に箔が付くというもの。

最後にそれは本書の記述がもたらした、私にとってとても印象的なご縁について書き添えておきたい。そのご縁は、大久保利通と姫野公明師、そして私と妻を時空を超えて巡り合わせてくれた。

姫野公明師とは一説には明治天皇の御落胤とも言われる人物で、政財界に崇拝者も多いという。その姫野公明師が戸隠に移って建立した独立宗派の寺院が公明院となる。本書を読む5カ月前、私はとある団体の主催する戸隠参拝ツアーに参加し、公明院に入らせていただく機会を得た。公明院はとても興味深い場であり、護摩焚きの一部始終を見、貴重な写真や品々を拝見した。

大久保利通の最後を見届けた馬車が紀尾井坂から今の保存場所に行き着くまで。そこには、著者によるととても数奇な逸話があったらしい。そして、その際に多大な尽力をなしたのが姫野公明師だという。この記述に行き当たった時、わたしは期せずして身震いしてしまった。なぜかと言えば、ちょうどその時、私の妻が同じ戸隠参拝ツアーで公明院を訪れていたからだ。

わたしが文章を読んだ時刻と妻がが公明院を訪れた時刻が正確に一致したかどうか定かではない。ただ、ごく近しい時間だったのは確か。そんな限られた時間軸の中で姫野公明師と大久保利通、そして妻と私の間に強い引力が発生したのだ。そんな稀有な確率が発生することはそうそうない。スピリチュアルな力は皆無。占いも風水も心理学で解釈する私にして、このような偶然を確率で片付けることは、私にはとうてい無理だ。そもそも私がツアーに参加する少し前に、妻から公明院の由緒が記されたパンフレットを見せてもらうまで、姫野公明という人物の存在すら知らなかったのだから。今まで読んできた多くの本や雑誌でも姫野公明師が書かれた文章にはお目にかかったことがなかった。それなのに本書で姫野公明師が登場した記述を読んだ時、その公明院を妻が訪れている。これに何かの縁を感じても許されるはずだ。

戸隠から帰ってきた妻に本書の内容を教えたところ、とても驚いていた。そして本書を読んでみるという。普段、私が薦めた本は読まないのに。たぶん、本書を読んだ事で薩摩への妻の熱は少し長びいたことだろう。そのついでに、桐野、西郷の両雄と敵対することになった大久保利通についても理解を深めてくれればよいと思う。少なくとも怜悧で情の薄いだけの平面的な人物ではなく、多面的で立体的な人物だったことだろう。

私も引き続き、薩摩へ訪れる機会を伺い続け、いつかは明治を作った男たちの育った地を訪れたいと思う。

‘2016/11/20-2016/11/24


画狂人 北斎


ここ一年、私にとって両国界隈はぐっと身近な場所となった。個人的に訪れるのは、江戸東京博物館や国技館、回向院、横網町公園やクラフトビールパブのpopeyeなど。そしてこの一年で、両国でお仕事のご縁も結ばせていただくことになった。今、私にとって両国は公私ともに熱い場所だ。

本作を観る機会も両国でのお仕事のご縁からいただいた。観劇の一週間前のこと。おかげで素晴らしい舞台経験ができた。きっかけをくださった方にはとても感謝している。

昨年秋にすみだ北斎美術館が開館したことは記憶に新しい。だが、わたしはまだ訪れていないし、積極的に観に行こうとも思っていなかった。両国界隈を歩くと嫌でも葛飾北斎の痕跡が目につくのに。例えば生家跡だったり寓居跡だったり。江戸時代の風情が残されているとはいえない両国界隈だが、北斎が遺した足跡は両国のあちこちに点在している。それなのに、私は両国を何度も訪れながら、ついに北斎自身に興味を持つことがなかった。

でも今は違う。今の私は北斎にとても興味をもっている。なぜなら本作を観たから。本作こそは、私に葛飾北斎の世界を教えてくれた。科学者並みに計算され尽くした構図。枠にはまらず、破天荒な人生観。画に打ち込んだ壮絶な執念の力。北斎の娘お栄との奇妙な生活。齢90を控え、なお長命を欲した活発な意思。北斎を知れば知るほど、北斎は私の生き方の範となるべき人物に思えてくる。中途半端な私の生き方を、よりアグレッシブにしたのが北斎ではなかったか。生涯に93回引っ越し、三万点の作品をのこし、画号を幾度も変え、貪欲に自らの生き方を追求した人物。そう伝えられているのが葛飾北斎。知れば知るほど魅力的に思えてくる。

本作は、葛飾北斎についての朗読劇だ。朗読劇、という芸術形式は私にとっては初めて。朗読会のような感じだろうか。あるいは直立不動、または座像のように動かぬ朗読者たちが、単調に台本を読んでいくような光景。レコーディングスタジオでアテレコする声優さんのような感じ?本作をみるまで、私はそんな想像を抱いていた。

ところがそうではなかった。本作は私の貧困な演劇知識で創造の及ぶような朗読劇ではない。そもそもそんなありきたりな演出を宮本亜門氏がよしとするはずはないのだ。本作は宮本亜門氏が演出と脚本を担当している。朗読劇と銘打たれているとはいえ、舞台のダイナミズムを損なうような演出をするはずがない。

朗読劇であるため、朗読者にはそれぞれのもち場が用意されている。その前には譜面台のような台本置きが設けられている。そこには台本が載せられている。朗読者たちはそれを読み、そしてめくっていた。しかし朗読者は、そこでただ台本を読んでいたのではない。読むのではなく、確かに演じていたのだ。朗読者たちは舞台を動きまわり、それぞれの役を演じる。そもそも、演じているのは名の知れた有名な役者さんであるから、台本など要らないはずなのだ。実際、舞台を動き回る時、役者さんの手元に台本はない。動と静。そこには確かな演劇のダイナミズムが息づいていた。

なぜ、このような形態を宮本亜門氏は採ったのだろう。わたしにはその真意がわからない。ただ、想像はしてみたい。私の想像だが、場面が頻繁に切り替えられるため、それを整理する進行役が必要だったからではないか。本作の舞台は平成29年の東京、そして化政文化華やかなりし江戸の二つだ。二つの時代を本作は幾度も行き来する。そのため、場面の進行役を置くことで場面展開を観客にわかりやすくした。そのため、朗読劇の形態を採ったという考えが一つ。

もう一つは、観客に北斎の魅力をわかりやすく伝えるためではないか。本作の狙いは、観客に北斎の魅力をわかりやすく紹介することにある。それは本作がすみだ北斎美術館のオープニングで上演され、大英博物館の北斎展で上演されたことからも明らかだ。本作は北斎研究家による講演の様子が登場する。背景にプロジェクションマッピングで北斎の絵がふんだんに表示される。朗読劇であれば、このように舞台から北斎研究家が講演する、という演出が観客に受け入れられやすい。また、講演という形態を採ることで、わかりやすく観客に北斎の紹介を済ませてしまえる。実に合理的な演出ではないか。だからこそ、朗読劇という体裁をとったのではないかと思う。

また、本作で工夫があるのが、現代側の場面にもドラマ性を持たせていることだ。現代東京に登場するのは北斎研究家の長谷川南斗とその助手峰岸凜。長谷川南斗は北斎の計算され尽くした構図を称賛し、現代に通じる北斎の先駆性を紹介する。彼の視野には北斎の娘であり、画家としても後世に名を遺すお栄の貢献は入らない。単なる北斎の娘、そして身の回りの世話をする女中としてしか。そんな師の説に助手の凛は違和感を感じる。ことあるごとに論を戦わせる二人。二人にはそれぞれの過去のしがらみがあった。南斗は双子の兄が画壇で天才画家として持てはやされた一方、自分には絵の才能がなかったことを劣等感として持ち続けている。それなのに兄は才能を持ったまま自殺してしまい、自分だけが遺されたことで劣等感を鬱屈している。美術評論家として糧を得ている現状も飽き足りていない。凛は画家としての将来を嘱望された天与のセンスの持ち主。だが、東日本大震災ですべてを失い、以来絵筆を折ったままの状態が続いている。

そういった背景を持たせることで、現代の二人に単なる北斎のキュレーター以上の役割を与えているのだ。それが本作により深みを与えていることは言うまでもない。演出の醍醐味とはこういうことなんだろうと思う。南斗を演じていた菊地創さんと凛を演じていた秋月三佳さんは、本作のポスターには写真付きで登場していなかったが、本作には欠かせない演者だったと思う。

そんな現代から一転して江戸。江戸では北斎と娘のお栄が喧々諤々としながら画業に専念している。白状すると、私は本作を観るまでお栄の存在を知らなかった。長谷川南斗には、単なるお手伝いとしてしか扱われなかったお栄だが、宮本亜門氏の演出ではお栄は単なるお手伝いや娘ではなく共作者として描かれている。

なぜお栄は北斎の陰に隠れ、共作者に甘んじているのか。そこには父北斎に対するお栄の尊敬がある。生活をともにすると絵以外には無頓着でうんざりさせられる父。「親でなければ、絵師でなければとっくに飛びだしていた」」とは、作中のお栄のセリフだ。ところが悪態をつき、伝法な口調で罵倒しながら、お栄は北斎から離れない。なぜならそこには尊敬があるから。あまりに巨大すぎる才能と絵に対する向上心。それがお栄を捕まえて離さない。

そんなお栄の複雑な感情を、演じる中嶋朋子さんは巧みに演じていた。本作の主題は、お栄とは北斎にとってなんだったか、だといっていい。つまり見方を変えれば本作の主役はお栄なのだ。お栄が父北斎に向ける複雑な心境をいかにして観客に伝えるか。ここに本作の肝があるように思う。そんな北斎を演じていたのが志賀廣太郎さん。気性の荒いお栄と同じぐらい奇天烈な北斎。ところが、本作の北斎は少しおとなしい。それもそのはず。本作で描かれる北斎は老境の北斎なのだから。達観しつつ、生には執着。悟りつつ、画業には貪欲。そんな老境の北斎を、志賀さんは見事に演じていた。

画狂人、鬼才、偏屈者。とかく天才画家にはそういうエキセントリックな人間像を当てはめやすい。だが実は、葛飾北斎とは志賀さんが演じた人ではなかったか。飄々とした、絵だけ描いていれば幸せな、その代わりに他のことは何もしないだけの人ではなかっただろうか。

本編が終わった後、宮本亜門氏と隅田北斎美術館館長の菊田氏によるアフタートークがあった。お二人のトークから感じられたのは、世界中で今なお研究され、賞賛される北斎の姿だ。そしてお二人が北斎を敬愛する様子も伺えた。それは、演劇の世界で活躍する宮本亜門氏の生き方にも反映するのだろう。開演前と開演後のロビーで談笑する宮本亜門氏からは、名声に興味をもたず、ただ演出が好きで北斎が好きな思いが伝わってきた。

北斎にしてもそう。他からの視点など気にすることはない。ただ自分の好きな道を一心不乱に生きればいい。人生を悔いなく生きるとは、まさにそういうことなんだなあ、と。

‘2017/09/17 曳舟文化センター 開演 17:30~

https://www.city.sumida.lg.jp/bunka_kanko/katusika_hokusai/hokusai_info/gakyojinhokusai.html


とっぴんぱらりの風太郎


関西人である私にとって、万城目ワールドはとてもなじみがある。デビュー作から本書までの7作は全て読んでいる。特に長編だ。京都、奈良、大阪、長浜。それら関西の町を舞台として繰り広げられる物語はとても面白い。古い伝承が現代に甦り、波乱を巻き起こす。関西の言葉や文化で育った私にはたまらない。物語の構成は、古き伝承をモチーフとし、現代を舞台に進行する。伝承を題材にしつつ、現代を舞台に奇想天外な物語を産み出す著者の作品は、読者をわくわくさせてくれる。

そして本書だ。

本書は著者の新境地ともいえる一冊に仕上がっている。本書の舞台は過去。現代は全く出てこない。つまり、著者にとっては初の時代小説となる。

本書の主役は抜け忍の風太郎。伊賀の衆だ。伊賀は言うまでもなく忍びの里だ。山間の小国は忍びの技を研ぎ澄まし、動乱の戦国の世を生き延びてきた。天正伊賀の乱など周辺国からの弾圧を跳ね除け、忍びの国として生き残る。それを可能としたのは苛烈な忍びの掟。弱者は容赦なく切り捨てられ、一人前の忍びとして生き残るのは一握り。幼い頃から風太郎を縛り付けてきたのは、ただ冷徹な忍びの掟だった。そんな過酷な環境で生き残びた風太郎の周りには一癖ある連中ばかりが残っている。子供時代からともに切磋琢磨し、生き延びた仲間達をも瞬時に裏切り、相闘うことも辞さない。そこにあるのは非情な関係。

そんな日々の中、伊賀上野城を舞台とした密命を帯びた風太郎は、侵入にあたって石垣を傷つけてしまう。伊賀の殿様は、築城の名手として知られる藤堂高虎。本書では異常なほど城に偏愛をもつ人物として語られる。

城を傷つけた下手人には死あるのみ。風太郎は死をもって失敗を償わされそうになる。それを救い、死んだことにしてくれたのは、忍びを統べる采女様。

忍び失格として伊賀を放逐された風太郎は、当てもなく京にでる。太閤秀吉亡き後、風太郎が棲みつく京は徳川家の威風に服している。天下分け目の関ヶ原の戦いに勝利し、徳川家にとって残る仮想敵は大坂城だけ。大坂城の秀頼・淀殿と徳川家の間に張り詰めた緊張は、京の街にも及んでいる。そんな大坂冬の陣を間近にして、風太郎は京でその日暮らしを送る。

風太郎は、劣等感に塗れている。忍びを逐われ、根なし草となった自らの境遇に。だが、江戸と大坂の間に張り巡らされた陰謀の糸は、風太郎の人生を変えて行く。

今までの著者の作風とは違い、本書は時代小説の骨格をがっちり備えている。では、時代小説に手を染めるにあたって著者は作風を変えたのか。今までの著者の作品の底に流れていた大真面目に奇想天外を語る魅力。その魅力はうれしいことに本書でも健在だ。

本書では、瓢箪に宿る因心居士が物語のトリックスターのような役割を果たす。ところどころでひょいと風太郎の前に現れては、風太郎の生きざまを導いていく。

また、風太郎の周囲には個性的な人物達が登場し、風雲があわただしさを増す京の町に暗躍する。風太郎とともに伊賀で忍びの掟を生き抜いた忍び、黒弓、蝉、百市。さらには故太閤秀吉の奥方である北政所。京都所司代の隠密として風太郎を付け狙う残菊。産寧坂で瓢箪を商う飄六で働く芥下。さらには、大坂城にいるはずのあのお方。風太郎を取り巻く登場人物は一癖も二癖もある連中だ。

本書は全編が極上の伝奇時代小説の趣に満ちている。本書は娯楽として読んでも無論面白い。特にラストなど、大団円に相応しい派手な幕切れである。しかし、本書には娯楽小説としてで片付けるにはもったいない深みがある。

大坂の陣といえば、応仁の乱に端を発した戦国時代を締めくくる出来事として知られる。戦国の世の終わり。それは忍び達が要らなくなる時代の到来でもある。徳川の世になって、もはや忍びの技能は滅び行くしかなく、種族としても時代の流れに取り残されてゆく宿命を背負う。そんな時代の変わり目にあって、忍び一族の哀しみが書かれているのが本書だ。そもそも風太郎からして、伊賀に戻りたくても戻れない忍びの成れの果て。戦国の殺伐とした世にあっては忍びの世界では抜忍成敗。使えない忍びは死ぬ他ない。風太郎のような立場で生きていけることがすでに時代の移り変わりを表している。黒弓、蝉、百市といった忍びもまた同じ。忍び以外の職に身をやつしながら密命を帯びて行動している。

つまり、時代の変わり目にあって人はいかに生きるのか。そこに本書のテーマが見え隠れする。

そして、大坂の陣を目前にして、感慨にふけるのは忍びだけではない。

豊臣家の人々の上にも滅びの予感が濃い影を落としている。豊臣家もまた、戦乱から平和への時代の変わり目に取り残されようとする一族だ。そして本書に登場する主な豊臣方の人物は、そのことを自覚し覚悟を決めている。それは北政所のねねと秀頼公だ。それとは逆に、滅び行く豊臣家に与して戦国の仇花を散らそうとする武将たちはほぼ登場しない。大坂の陣に登場する著名な大坂方の人々は本書にはほぼ出てこない。例えば、真田幸村や毛利勝永、後藤又兵衛といった人々。大野治房は一瞬だけ登場するが、淀殿はほぼ
登場しない。

豊臣家の滅亡を予感した人々、忍びが要らざる世を感じ取った人々。本書は時代の変わり目にあって、去り行く人々の潔さ、または美学を書いた小説なのかもしれない。

その象徴こそが、本書の幕切れを飾る大坂城が倒壊する様子だ。むしろ小気味良いといっても良いほどに、戦国の世の終焉を知らしめる爆発や火災は、本書のテーマに相応しい。

‘2016/02/10-2016/02/15


東京自叙伝


現代の数多いる作家たちの中でも、著者の書くホラ話は一級品だと思っている。本書もまた、壮大愉快なホラ話が炸裂し、ホラ話として読む分には楽しく読み終えることができた。

そもそも小説自体がホラ話であることはもちろんだ。中でもSFはジャンル自身が「ホラ」を名乗っているだけに、全編が作家の妄想空想ホラ話だ。

しかし、それら他ジャンルの作家達を差し置いても、私は純文学出身の著者をホラ話の第一人者に挙げたいと思う。何故か。

ミステリーやSFなどのホラ話を楽しむためには読者に感情移入が求められる。ミステリーであれば、序盤に提示された謎。この謎に対し、6W5Hの疑問を登場人物と一緒に悩む。そして解決される過程の驚きやカタルシスを楽しむ。ミステリーを読むに当たって読者に求められる作法だ。SFであれば、作中に書かれた世界観を理解し、その世界観の中で葛藤や冒険に挑む登場人物に共感する必要がある。そうしなければ、SF作品は味わいづらい。

しかし著者の作品は、感情移入する必要のないホラ話だ。壮大なホラであることを作家も読者も分かった上でのホラ話。設定も構成も現実に立脚しながら、それでいて話が徹底的なホラ話であるとの自覚のもと書かれているものが多いように思う。読者は内容に感情移入することなく、客観的な視点で著者の紡ぐホラ話を楽しむことができるのだ。少なくとも私は著者の作品と向き合う際、そのように読む傾向にある。「「吾輩は猫である」殺人事件」や「新・地底旅行」や「グランド・ミステリー」などの著者の作品を私は、作品それ自体を大きく包み込むようなホラを楽しみながら読み終えた記憶がある。

恐らくは著者自身、読者による感情移入や共感など度外視で書いているのではないか。読者の感情に訴えるというよりは、構成や筋、文体までも高度なホラ話として、その創造の結果を楽しんでもらうことを狙っているように思う。

それはおそらく、著者が芥川賞受賞作家として、純文学作家として、世に出たことと無関係ではないはずだ。

最近の著者は、ミステリーやSF、時代物、本書のような伝記文学など、広い範囲で書き分けている。それらの著作はそれぞれが傑作だ。そしてミステリーの分野に踏み込んだ作品は、週刊文春ミステリーベスト10やこのミステリーがすごい!といった年末恒例のミステリーランキングの上位に登場するほどだ。

そうしたジャンルの壁を易々と乗り越えるところに著者の凄みがある。それはもはや純文学作家の余技のレベルを超えている。他ジャンルへの色気といったレベルすらも。ましてや生活のために売れない純文学から他ジャンルへの進出でないことは言うまでもない。そういった生活感のにじみ出るようなレベルとは超越した高みにあるのが著者だ。作家としての卓越した技量を持て余すあまり、ホラ話を拡げ、想像力の限界に挑んでいるのではないかとすら思う。

本書はタイトルの通り、東京の近代史を語るものだ。幕末から東日本大震災までの東京の歴史。その語りは通り一遍の語りではない。複数の時代をまたがる複数の人物の視点を借りての語りだ。それら人物に東京の地霊が取り憑き、その視点から各時代の東京が書かれている。地霊が取り憑くのは有史以前の人であり、虫ケラであり、動物である。地霊は複数の物体に同時に遍く取り憑く。或いは単一の人物に取り憑く。本書の全体は、各章の人物間の連関が頻繁に現れる。過去の時代の人の縁を後の時代の人物の行動に絡めたり。そういった縁の持つ力を地霊の視点から解き明かしたのが本書である。

幕末から遷都を経て文明開化の明治まで、地霊が取り憑いたのは柿崎幸緒。この人物は幕府御家人の養子から剣術を極め、幕末の殺伐とした時期に辻斬りとして活動した後、幕府軍の一員として新政府軍と戦う。さらに新政府の官吏となって明治を過ごすが、地霊が離れるにつれ、消えるように一生を終える。

明治から関東大震災、復興の昭和初期、そして終戦間際まで地霊が取り付くのは榊晴彦。軍人として東京を見聞した榊の視点で物語は進む。東京にとっては激動の日々だが、軍人から見た帝都とは、いかなるものだったか。シニカルにコミカルにその様子が描かれる。神国不滅を叫ぶ軍人の視点と、その上にある地霊としての醒めた視点が重なり合うのが面白い。

昭和初期から空襲下の瓦礫と、高度成長期まで地霊が取り憑くのは曽根大吾。空襲下の帝都で九死に一生を得た彼は、愚連隊として終戦後の混乱を乗り越えていく。ここらあたりから東京が少し増長を始める。

戦前戦後の混乱から高度成長期を経てバブルに踊る中、弾けては萎む東京で地霊が取り憑くのは友成光宏。彼の時代は東京が空襲の廃墟を乗り越え、大きく変貌する時期。安保闘争やオリンピック、テレビ放送。それらに、地霊としての様々な縁が重なる。これらの縁の重なりは、東京をして首都として磐石のものにするに十分。地霊としての力は、強力な磁場を放って地方から人間を東京に吸い付ける。東京がますます増幅され、地霊にとっても持て余す存在となりつつある東京の姿がこの章では描かれる。

バブル後の失われた20年、根なし草のような東京に振り回されるのは、地霊が取り憑いた戸部みどり。バブルの狂騒に負けじと派手に駆け抜けた戸部の一生はバブルの申し子そのもの。ワンレン・ボディコン・マハラジャを体験し、バブルがはじけると一気に負け組へと陥る。そんな取り憑き先の人生の浮沈も、地霊にとっては何の痛痒を与えない。一人の女性の踊らされた一生に付き合う地霊は、すでに東京の行く末については達観している。

 即ち「なるようにしかならぬ」とは我が金科玉条、東京という都市の根本原理であり、ひいては東京を首都と仰ぐ日本の主導的原理である。東京の地霊たる私はズットこれを信奉して生きてきた。(348P)

地下鉄サリン事件のくだりでは、このような思いを吐露する。

 そもそも放っておいたっていずれ東京は壊滅するのだから、サリンなんか撒いたって仕様がない。(352P)

東京を語る地霊が最後に取り憑いたのは郷原聖士。無差別殺人を犯す人物である郷原は、無秩序な発展に汚染された東京の申し子とも言える存在だ。秋葉原無差別殺人も深川通り魔事件も池袋通り魔事件も、そして新宿駅西口バス放火事件も自分の仕業と地霊はのたまう。そして東京を遠く離れた大阪で起こった付属池田小学校の通り魔殺傷事件も同じくそうだという。東京を離れた事件までも自分の仕業という地霊は、それを東京が無秩序に拡大し、地方都市がことごとく東京郊外の町田のような都市になったためと解く。

 たとえば郷原聖士の私はしばらく町田に住んだが、地方都市と云う地方都市が町田みたいになったナと感想を抱くのは私ひとりではないはずだ。日本全土への万遍ない東京の拡散。(412P)

東京が東京の枠を超え、平均化されて日本を覆ったという説は、町田に住む私としてうなづけるところだ。ここに至り読者は、本書が単なる東京の歴史を描くだけの小説でないことに気づくはずだ。東京という街が日本に果たした負の役割を著者は容赦なく暴く。

郷原もまた東京西部を転々とし、家庭的に恵まれぬ半生を過ごしてきた。つまりは拡散し薄れた東京の申し子。その結果、原発労働者として働くことになり、福島原発で東日本大震災に遭遇する。彼はそこで東京の死のイメージを抱き、それが地霊が過去に見てきた東京を襲った災害の数々に増幅され発火する。

本章において、初めて著者が東京へ投影するイメージが読者に開陳されることとなる。それはもはや異形のモノが蠢く異形の都市でしかない。もはや行き着くところが定まっている東京であり、すでに壊滅しつつある東京。2020年のオリンピックで表面を塗り固め、取り繕った街。もはや地霊、すなわち著者にとっては東京は壊滅した街でしかない。

本書がホラ話であることをことさらに強調しようとする文がところどころに挟まれるのが、逆に本書の暗いトーンを浮き彫りにしているといえる。しかし本書は他の著者の著作とは違い、単なるホラ話として受け取ると痛い目に遇いそうだ。

本書は福島の原発事故を東京の将来に連想させるような調子で終わる。本書には書かれていないが、首都圏直下型地震や富士山噴火、あるいは地下鉄サリン事件以上のテロが東京を襲う可能性は著者の中では既定のものとして確立しているに違いない。ホラ話として一級品の本書ではあるが、単にホラ話では終わらない現実が東京を待ち受けている。ホラから出たまこと。ホラ話の達人として、著者はそれを逆手にとって、嗜虐や諷刺をたっぷり利かせながら、東京に警鐘を鳴らす。

‘2015/10/3-2015/10/8


靖国


常駐先の移転により、麹町で仕事をするようになったのは昨年3月のこと。昼はなるべく外出し、ともすれば単調なリズムになりがちな平日の心身を整えている。

私の散歩コースの中には、靖国神社も含まれている。昼食がてらの散歩にしては、オフィスから少々離れており、参拝を行う時間はない。精々、練塀を眺めるだけであった。しかし、この年になるまで、一度も靖国参拝を果たしていない私。靖国の近くで仕事をしている好機を逃したくない、との思いが強くなってきた。

本書を入手したのはそのような時期である。入手以来半年、なかなか読めずにいたが、読み始めるとすぐに、妻が靖国神社に参拝したいと言いだした。縁であろう。思い立ったが吉日、というわけで、最初の休みに家族で参拝する機会を得た。読書中の本書を小脇に抱えて。

神社という場には、日本人の心を落ち着かせるものがある。静けさに満ちた平時の佇まいもよいが、祭りでは、一転して賑やかなハレの場となる。ケガレを祓う神域でありながら、静と動の二面を持つところが、日本の心性に合うのかもしれない。

本書では、靖国神社が持つ静と動の側面を、九段周辺の地勢、そして江戸から明治に至る時の流れから解き明かす。そこは和文化が西洋文明に洗われる場であり、封建の幕府から開かれた政府へと生まれ変わる時期でもある。靖国神社が九段に建てられた理由も、下町の江戸文化と山手の明治文明の境目、つまり九段坂があったためではないかと著者は看破する。私もそのような視点を持って、坂上の靖国神社参道から九段坂を通して、坂下の神田方面を見た。なるほど、その主旨には頷けるところがある。

靖国神社の持つ繋がりは実に幅広い。本書が採り上げる期間は、靖国神社の創立経緯から、太平洋戦争で降伏した直後までとなる。その記述の中で登場する人物や建造物の数はかなりの数に上る。日本武道館とビートルズに始まるプロローグ。サアカス団から奉納競馬、力道山、そして小錦に至る、ハレの場としての境内。大村益次郎、明治天皇から大正天皇といった為政者から見た靖国の意義。河竹黙次郎、岸田吟香、二葉亭四迷と坪内逍遥といった文化と風俗の舞台となった靖国の存在感。大鳥居建立の経緯から、遊就館と勧工場を結ぶ、カペレッティを中心とした建築家の繋がりと、野々宮アパート、軍人会館といった、東京の中でも最先端建築の中心に位置する靖国神社。

本書を読む前は、私の中では、江戸の代表的な神社は、江戸総鎮守でもある神田明神であり、東京の中心である神社は明治神宮か東京大神宮と思い込んでいた。が、本書を読んだ後は、それが靖国神社であることに思い至らされた。それは、政治的な意味や、地理的な理由によるものではない。江戸から東京へと、西洋の事物を取り入れ巨大化したこの都市の、文化の発信源が、ここ靖国神社であったことによる。

実に多種多様な事物が、靖国神社を廻って繋がっている。上に挙げた関連する人物や事物にも西洋由来のものがかなり多い。そこには、靖国神社が従来持っているはずの、様々な価値観を取り入れる器の広さ、そして文化の重層性を訴えたい著者の想いが強く感じられる。国家主義ではなく、国際主義の場。その文化的意義を忘れて靖国神社を語ることの危うさについて、問題提議を行うのが、本書の主題ではないかと思う。

本書の中では、A級戦犯や富田メモ、国務大臣参拝などといった、戦後の靖国神社について回る一切の単語が出てこない。昭和天皇すら一度も登場しない。そこには、明らかな著者の意図が見える。政治的な論争の場としてではなく、文化的な豊穣の場。靖国神社とは、本来そのような場所ではなかったか。

今回の参拝では、大村益次郎像から休憩所までの空間を利用して靖国神社青空骨董市が開催されていた。かつては、この場所で競馬が開かれていたという。読書中にその舞台を訪問するという縁に恵まれた今回。本書の記述とその舞台を実地に見られたことは実に幸運であった。本書で紹介される膨大な関連性を理解するにはまだまだ時間が必要だが、まずは最低限の境内散策と本殿参拝が出来たことでよしとしたい。それまでに何度も本書の記述には目を通し、江戸から東京へと移り変わるこの都市が理解できるよう、努力したいと思う。

なお、娘連れであったことと、次の予定もあったので遊就館には行かなかった。次回、早めに機会を作って拝観したいと思う。少なくとも本書の主題とは直接関連していないとはいえ、靖国神社の祭神を理解するには展示物を観なければ。

’14/1/31-’14/2/5


近代日本の万能人 榎本武揚


武揚伝<上><上>を読んでから、榎本武揚という人物に興味を抱いたわけだけれど、上記リンク先でも書いたように、明治以降の逆賊という汚名の中、いかにして大臣を歴任し、子爵を受爵できるまでにいたったのかについて興味があったところ、こちらの本を見つけたので読んだ。

末裔たる榎本氏や歴史作家として名の知れた方や在野の榎本武揚研究家、最近よく文章を見かける元外交官など、多種多様な人々を集めての座談録や講演録、榎本子爵紹介記事が載っていたりと、万能人という題名にふさわしく様々な分野に活動の足跡を残した榎本武揚についての研究がこの一冊に集大成されているよう。

幕末までの榎本武揚が彼のほんの一面でしかなかったことを知らしめるような、明治以降の活躍もまた、八面六臂の活躍というのかもしれない。政治に外交に技術に科学に公害に隕石に冒険に、と驚くほかはない。明石・福島の両氏よりも先にシベリア横断を成し遂げたり、隕石から短刀を鍛造して皇室に捧げたり、と知らない異能振りがこれでもかと紹介されていく。過小評価とは彼のためにある言葉かもしれないと思わされるほど。

文中でもどのようにして明治政府に登用され、業績を上げていったかが述べられているけど、このようなあらゆる分野から業績を上げていることそのものが、彼がなぜ幕臣の立場で明治政府からかくも重用されたかの証明となっている。

小説である武揚伝とは違ってこちらは学術的な面が強く、しかも業績の紹介に筆が費やされた感があるので、江戸っ子として明治天皇や庶民からも慕われたという彼の人柄や人間性に触れたような記述は少ないけれど、かえってそれが彼の魅力の巨大さを際立たせているように思えた。また、これだけの業績を上げながらも自己宣伝をほとんどせずに生涯を追えていった彼だからこそ、逆にその人間性を伺うことができるというものだ。

私としては技術で国家に貢献するも、人間関係の複雑に絡み合った糸を解きほぐすような政治活動からは一歩引いていたという彼の立場や生き方に、自分の身の立て方を学びたいと思うばかりだ。

’11/11/22-’11/11/24


武揚伝〈下〉


著者の本は第二次大戦下のエピソードを重厚に取り上げた諸作や、警官シリーズなど、比較的よく読んでいる。

エンターテインメントの骨法が分かっている人だけに、下巻は江戸開城から官軍に反旗を翻すまでの逡巡、函館への航行と圧倒的な劣勢の中の苦闘と、時代に翻弄される主人公の姿を一気に読ませてくれる。

勝海舟や徳川慶喜の出番はがくんと減り、代わりに函館まで転戦した人々の群像劇が中心となっている。中でも土方歳三がクローズアップされている。

土方歳三はじめ徳川家に恩を奉ずる人々は、死場所を求めてあるいは新勢力への本能的な反感など、総じて革新を拒否する保守の人といった位置づけにされ、主人公は過去を守るために奮戦する人物としての描写が多い。上巻が西洋文明を進取する未来に向けて戦う人であったのに、下巻では逆の立場となっているのが面白い。

榎本武揚という大人物ですら翻弄される歴史の荒波。その荒波も隠れたテーマとなっている。オランダへの航海では難破させられながらも乗り越えられた荒波に、江戸から函館、そして松前への航海ではついに屈服してしまうところに、歴史の波に抗うことの厳しさを感じた。

榎本武揚の生涯を概観するに、逆賊の汚名を着つつも明治政府に重用された部分が取り上げられがちなのだが、この小説では終わりの2、3ページに一夜の夢として、さらにはエピローグとして簡潔に明治政府での功績を2ページだけ取り上げただけで、あえて描くのを避けている。小説の終わらせ方としてはいさぎよいし、読後感も良かったのだけれども、一方ではその見えない葛藤を書ききるのも小説の役割ではないかとも思った。

’11/11/06-’11/11/07


武揚伝〈上〉


最近のTPP論議について、これは日本国の開国であるという論調を目にすることが多い。ここ200年でいうと、幕末、第二次大戦に続く3回目の開国であるという。

今のtppがどのような開国になるのか皆目わからないけれど、封建体制を終わらせ日本を変えたという意味では最も重要な開国が幕末のそれであることは言うまでもないと思う。

幕末から明治にかけては、有名無名問わず公私の情を超えて、日本のために精魂尽した人が幾百もいたけれど、榎本武揚については、Wikipedia程度の知識しか持っていなかった。

逆賊の汚名を着せられた旧弊の徒として人生を終えておかしくないのに、明治政府でも重用されたその人物とは・・・

気になって読んでみた。彼の生き様から、今の閉塞しつつある日本を考えるヒントが得られないかと思って。

上巻は15代将軍慶喜が大阪城を脱出するところまで。榎本少年が親の幕臣技官であった父の薫陶を受け、葛藤しつつも幕府の留学生としてオランダに赴き男を磨く箇所など、私にとって新たな知識を得るとともに、その進取の気質と意思の強さこそが、逆賊でありつつ明治政府に取り立てられた強みであることをしった。実は幕末明治にかけて、立場が違えば国を率いていくことのできた人であったのだなぁ・・・・と今まであまり知らずにいたことを恥じる思い。

それにしても気になったのは、小説ゆえに主人公を引き立てるためなのか、徳川慶喜や勝海舟が低く、それも貶められるまで描かれているところ。慶喜については私もいろいろ読んだりして知識はあったのだけれど、勝海舟までもがこういう評価のされ方をするとは・・・・氷川清話とか子供向けの伝記を読んだだけではわからない陰影のある人だったんだなぁということも得た知識の一つ。

’11/11/04-’11/11/06