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日本昔話百選


日本昔話と言えば、私たちの子どもの頃は市原悦子さんのナレーションによる土曜夜のアニメがおなじみだった。よくテレビで見ていたことを思い出す。
また、子どもの頃、わが家には坪田譲治氏によって編纂された日本昔話の文庫本があった。私はこれを何度も読み返した記憶がある。

長じた今、あらためて日本の昔話とはどのようなものだったかを知りたくなった。そこできちんと読み返してみようと思った。本書は大きな新刊の本屋さんで購入した。
本書は三省堂が出している。三省堂といえば辞書の老舗出版社だ。そうした出版社が昔話についての本を出しているのが面白い。辞書に準ずるぐらい、永久に収められるべき物語なのだろう。

日本昔話とは、誰でも知っている「桃太郎」や「浦島太郎」「舌切雀」といった話だけではない。それ以外にも名作は多い。
知られている昔話の他にも、面白い作品はまだまだ埋もれている。
私がかつて読んでいた坪田譲治氏の作品で覚えているのが「塩吹き臼」だ。欲をかいた男が何でも出てくる臼から塩を出したまま、止め方を知らぬまま船とともに海に沈む。どこかの海の底で今もなお、臼から湧きだし続けている塩が海の水を塩辛くしたというオチだ。
「塩吹き臼」は、子どもの頃の私に、なぜ海の水は塩辛いのかという疑問に答えてくれた。それとともに、欲をかいてはひどい目にあうとの教訓を与えてくれた。印象に残る「塩吹き臼」は本書に収められている。

昔話と言っても、単に勧善懲悪の話だけではない。寝太郎のように寝ているだけの男が思わぬ富を手にする話もある。それとは逆に実直で堅実な老夫婦に思わぬ幸運が飛び込んでくる話もある。
言いつけを守らなかったばかりに得られるべき幸運を逃す話もあるし、人でない生き物が思わぬ富を持ち込む話もある。

そうした昔話の数々は昔から伝えられてきただけあって、物語として洗練されている。幼い子どもでも理解できる長さで、物語の展開の妙を伝え、教訓をその中に込める。長い間にわたって語り伝えられてきた間に物語の骨格に適度な脚色だけが残されてきた。そうした粋と言えるものが昔話には詰まっている。

本書には全部で100話の話が収められている。

例えば本書の中には「桃太郎」も載っている。本書に載せられた「桃太郎」は川を流れてきたのが桃であることや、長じてから鬼退治に向かうところはおなじみの内容だ。だが、怪力の持ち主との設定だけで、桃太郎は義侠心や正義にあふれた青年ではない。成り行きで鬼退治に向かうところも大きく違う。
おそらく正義感の要素はあとから追加された設定なのだろう。その方が子どもにとって伝えやすいという思惑が加わったのだろうか。

本書の中には「花咲爺」も収められている。本書に載っている「花咲爺」は、私の知っている話とそう違わない。善人の爺さんの身の回りには金になる話が舞い込むが、悪人の爺さんは善人の爺さんの上前をまねる。そしてすぐに成果だけを求めては、うまくいかずにひどいことをする。

本書には「舌切雀」も載せられている。夫婦でも温和な夫と強欲で狷介な妻によって取りうる態度が違えば、得られるものも違う。夫婦であっても物事への対処の仕方によって得られるものが違う教訓は、欲望の醜さを分かりやすく教えてくれる。

本書は各地の古老の名前が何人も載っている。こうした人々が脈々と地域に伝わる話を口承で伝えてくれたのだろう。
だがいまや、こうした話が子どもたちの間に伝わることはほぼないはずだ。炉辺の物語の代わりに、テレビやネットやゲームが子どもたちの時間の友だからだ。わざわざ祖父母から話を聞く必要もなく、時をつぶす楽しみなど無限にある。
現代で失われてしまったものは他にもある。それは地域ごとの豊かな方言だ。本書にも話の中に方言があふれているし、終わりを表す決まり文句として登場する。

面白いのは「文福茶釜」だ。有名なのは群馬県館林市の文福茶釜だが、本書に採録されているのは鳥取県に伝わる話だ。
同じ話であっても全国に広まり、それぞれの地で方言をまといながら人口に膾炙していったのだろう。

テレビの力によって関西弁のような特定の方言は全国区に広がっている。その一方で、地域の中で人知れず絶滅への道をたどっている方言のいかに多いことか。そうした方言が本書には収められているが、それも本書の功績であろうか。

もう一つ本書には「わらしべ長者」に類する話が載っていない。
知恵を使ってさまざまなものを物々交換していく中で、少しずつ保有する資産を上げていき、ついには長者へと成り上がる。
その話は資本主義の根幹にも関わる話なので、採録してくれてもよかった気がする。

こうした昔話から、私たちはどのような教訓を受け取ればよいだろうか。
昔話から私たちが受け取るべき教訓とは、普通に生きている上で気づかないきっかけを、ここぞという時に取り込むための心の準備だろうか。
昔話の多くからは能動的ではなく、受動的な態度が重んじられているようにも思う。
つまり、私たちは人生の中で受動的に与えられた環境をもとに受け入れ、その中でいざという時に動く心構えを感じ取っておくべきなのだろうか。

受動的。これはわが国特有の人生への考えにも通じている気がする。
これらの昔話には、天変地異への備えや諦めといった日本人がわきまえておくべき態度が含まれていない。だが、積極的に自らの人生を変えていこうとする意欲や取り組みの大切さは主張していない。少なくとも本書からはその大切さはあまり感じられない。

こうした本書の癖を考えてみた時、実は本書は代表的な話を百話選んだだけで、まだまだ昔話の豊潤な世界には限りがないのだと思う。

‘2020/03/09-2020/03/23


日本列島七曲り


これこそ著者の毒がそこいらにまかれたスラップ・スティックの宝の山だ。

著者にかかればタブーなどどこ吹く風。性も英雄も深刻な事件も政治も茶化してしまう著者の悪ノリが盛り込まれている。

「誘拐横丁」
複数のご近所家族が子どもを誘拐しあうぶっ飛んだ内容の短編。
ご近所同士で子を奪い合い、金をよこせとお隣さんの間で金が飛び交う。
そんな狂った関係も本当の殺戮につながらず、最後は乱交パーティーに突入するあたりが、本編のユーモラスな後味につながっている。
そこには著者の根本の人の良さが垣間見える。

「融合家族」
一つの家屋を奪い合った結果、二組の夫婦が標準的な広さの家屋に無理やり同居する話。
片方の家族の居間がもう片方の家族の使う台所で、片方の家族の玄関はもう片方の家族の夜の寝室を使う。しかもお互いを意識しつつ無視しながら。
こんなこんがらがった設定は小説ならでは。本編こそ映像化できない作品といえるのではないか。そして著者のすごさが堪能できる作品だと思う。
ちなみに本編も最後は乱交パーティーに突入する。

「陰悩録」
本書を読む一カ月前に訪れた世田谷文学館の筒井康隆展で、数作品の拡大された生原稿のすべてが壁に掲げられていた。
「関節話法」「バブリング創世紀」と並んで本編も。
ひらがなを主体に記された本編は、ユーモアを失わずにオチで読者を驚かせる。その点からも著者の名作の一つである事は言うまでもない。
おそらくは著者が入浴した際にひらめいたのだろうけど、そこから本編にまで発想をふくらませられたことがすごい。

「奇ツ怪陋劣潜望鏡」
人の心に潜む欲望が妙な幻覚として日常をむしばんでいく様子が描かれている。妙な幻覚とは、抑圧された性への渇望を抱えたまま結婚したあるカップルに起こる。
具体的には潜望鏡の形をとって日常のあらゆる場所に登場する。
今から思うと、よくありがちなネタなのだろう。だが、無意識の現れなど随所に著者の心理学の知識が現れているのが面白い。
もっとも、本編が前提としている性の抑圧は、ネット上でいくらでも性的な発散ができる現代では通用しない気もするが。

「郵性省」
これまた性のエネルギーについて。
オナニーによってテレポーテーションができる能力を身につけた益夫の物語。
男子の、しかも高校生の性のエネルギーはかなり高そう。だから、本編のような突き抜けた物語もあながち夢物語には思えない。
それにしても著者の突き抜け方はさすがと言うしかない。着想からの展開の広がりは、著者の感嘆すべき点だ。
本編はオチも秀逸。

「日本列島七曲り」
表題作。発表された当時、盛んだったハイジャックを風刺している。
こうした深刻な事件も著者の筆にかかれば、スラップ・スティックの格好の題材になる。実際、思想のために飛行機を乗っ取る行いなど、悪い冗談でしかない。9.11でワールドセンタービルに飛行機が突っ込む瞬間を中継で見ていた私は、なおさらそう思う。
本編を不謹慎というのは簡単だが、テロ行為をこうした手法で批評したっていいじゃないかと思う。

「桃太郎輪廻」
桃太郎という誰もが知る童話も著者が翻案すると、悪趣味な内容へと早変わり。
桃太郎だけでなく、グリム童話の名作も取り込んだ内容は、童話のほのぼの感とは無縁。
本能のままに突き進んだ桃太郎一行がやらかす悪事は、童話として中和され薄められた物語の元となった逸話がもっとギラギラとヤバかった事を思わせる。
本編のオチは有名な桃太郎の冒頭シーンにきっちりと輪廻させていて、そうした部分に著者の着想のすばらしさを感じる。

「わが名はイサミ」
メタキャラとして著者が顔を出しまくる本編は、新撰組局長の近藤勇を茶化しまくっている。歴史上の英雄だろうが知ったことか、とばかりに。
勝沼の戦いに赴くまでに甲陽鎮撫隊が連日宴会を繰り返しながら進軍し、新政府軍に先に甲府城を押さえられた失態は史実に残されている。その史実をモチーフに、近藤勇の人物を徹底してけなしている。
まったく、著者にはタブーなどないのか、と思いたくなる。

「公害浦島覗機関」
本編は著者の作品の中でも上位に挙げられるべき作品ではないかと思う。
ホテルの中にある謎の空間の存在に気づいた主人公。
空間からは二つの部屋がのぞける。部屋の様子から、どうも空間の中は周囲に比べて時間の進みが遅くなるらしい。
客室の一つでは首都から人を追い出すため公害を促進しようと画策する政治家が指示を出している。その政策が功を奏し、人が住めないレベルにまで大気汚染が進む。ところが人は首都圏にしがみつき続けそして。
作品のオチが見事。

「ふたりの秘書」
二人の女性の秘書に二股をかける社長のドタバタ。
著者にはフェミニストを敵に回す作品がいくつかあるが、本編もその一つ。
見えと虚栄と相手との比較に余念がない女性の一面を、二人の秘書を描くことで表現している。
ロボット秘書もチラッと登場させることで、人間の人間臭さを揶揄しつつ、人間のおかしみを出すあたり、著者の人の良さがわずかに見える気がする。

「テレビ譫妄症」
テレビ評論家が大量のテレビを見ているうちに、現実との境目が曖昧になっていく様が描かれている。
これはありがちな設定かもしれない。だが、数日間ぶっ通しでオンラインゲームをして死ぬ若者が報道される今、違う意味で現実味を持って迫ってくる。
VRやARなどが私たちの暮らしに身近になってきた最近では。

‘2018/11/08-2018/11/09