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日本でいちばん大切にしたい会社3


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月末に経営の理想を思い出すため、本書に目を通すようにしている。
本書はシリーズの三冊目にあたる。読むたびに感動を受ける。刺激も受けるし、新鮮さを感じさせてくれる。

本書は、全部で七つの会社が取り上げられている。

一つ目は、徳武産業株式会社。香川県さぬき市の会社だ。もともとは手袋のメーカーだった。だが、靴の方が年間を通しての売り上げが見込めるため、業態を転換したそうだ。

この会社がユニークなのは、お年寄り向けに靴を特化したことにある。お年寄りだからあまり出歩かない。そのような固定観念は捨てなければならない。
お年寄りであってもおしゃれはしたい。むしろ、外に出たい。それなのに履く靴がないため、病院や家に閉じこもってしまうのが課題だそうだ。

靴は左右で一足。そんな固定観念さえも一蹴するのが徳武産業だ。
お年寄り向けの靴を販売するにあたり、左右のサイズを別々に作成するどころか、左右の靴をそれぞれ単品で販売する施策まで打っているという。そうした靴業界の常識を打ち破るサービスも、あくまでもお年寄りの希望に寄り添うため。その姿勢はお年寄りに対してだけではない。障害者に対しても同じだ。まったくすごいと言うしかない。

ついては、中央タクシー株式会社。長野県長野市にある会社だ。もともと、タクシー会社を継いで経営に奮闘していた社長が、あらためて自らの理想とするタクシー会社を目指して設立したそうだ。

残念なことに、タクシー業界には少し身を持ち崩しかけたようなドライバーもいたという。そのイメージはまだまだ世の中に根強い。タクシー業界にとっては、イメージの改善が喫緊の課題だと思う。中央タクシーも初めの頃は経験者を多く抱えていたため、その中にはガラの悪いドライバーもいたと言う。それを未経験者の募集から始め、既存のドライバーに煙たがられながらも社員教育を続けてきたことで、十年たった今ではドライバーは未経験者がほとんどを占めたと言う。

そうした社員教育の成果が実り、中央タクシーと言えば長野県内では同業者からも手本とされるまでになったそうだ。

タクシー業界は上にも書いた通り、まだ古い体質が幅を利かせている業界だ。そのため、会社を改革するため、タクシー業界の組合の存在がかなり足かせになったらしい。そこで中央タクシーは組合から脱退した。さらに長野オリンピックによって県内の景気が上向く中、オリンピックによる景気よりも地元のお客様を優先する姿勢を示した。それによってさらに地元の尊敬を勝ち得たそうだ。

その次に行った施策は、長野から成田や羽田へ向かう便を空港便として発足させたことだ。すべてはお客様のニーズのため。その施策が支持された。利益は後からついてくると顧客を第一に考える姿勢は本書にふさわしい。

三社目は、株式会社日本レーザー。東京都新宿区にある会社だ。もともとはとあるメーカーの子会社だった。だが、経営者と従業員による自社買収の結果、完全に独立した。
子会社の立場は親会社に縛られる。資産的にも資金的にも従属した立場だ。自らの会社の理想を追うためには、子会社の立場に甘んじず、独立独歩がふさわしい。

独立時の社長は、親会社からの出向社員だった。にもかかわらず、就任後、子会社側に骨を埋めると宣言した。それで社員の心をつかみ、さらにそこから努力を重ねた結果、完全に独立を成し遂げたと言う。

会社の最大の目的とは雇用すること。この会社の姿勢は、まさに見習うべきものだろう。
鶏口となるも牛後となるなかれ。それは私のモットーだ。それを実現するため、親会社や巨大会社の傘下に甘んじず、自立を目指すべきだろう。

四つ目はラグーナ出版。鹿児島県鹿児島市の会社だ。
精神障がい者のため、福祉と企業の間を隔てる壁を壊すことを目指し、メンタルヘルスに関する文芸誌や書籍の発刊を行っているという。

心の病はとても厄介だ。私もかつて鬱になったことがあるからよくわかる。重篤な症状で苦しむ人は、自分ではどうしようもない心の動きに苦しめられているのだろう。

そうした人々にとって、生きる意味とは何だろう。そこにもちろん答えはない。だが、心の病に苦しむ人々がやりがいや働きがいを見つけられれば、心の苦しみから少しでも遠ざかった暮らしが送れる。そのため、働く場所が必要なのであれば作るべきだ。このラグーナ出版もそうした会社だ。

五社目は、株式会社大谷。新潟県新潟市の会社。印章つまり印鑑だ。印鑑業界は今、厳しい状況に置かれている。リモートワークやペーパーレスの風潮が盛んだからだ。私も電子契約を率先して行っている。

だが、それがこうした会社の仕事を奪っていると考えると、後ろめたい思いに駆られる。障害者雇用をかなり率先して行っているこちらの会社に対して何かできる事はないだろうか。
そこで私も株式会社大谷のホームページを見に行ってしまった。すると本稿をアップする前日には、ウイスキー製造に乗り出すという記事を見かけた。ぜひ応援したいと思う。

六社目は島根電工株式会社。島根県松江市の会社だ。地域の設備工事の会社だが、従来型のゼネコンや官公庁の仕事から脱却することに成功した。「お助け隊」と言う制度を作り、細かい設備工事を請け負うことで成長してきた。大口受注からの脱却。それはどの会社でも苦労することだろう。私も弊社を立ち上げるにあたり、最初から大口顧客に頼らないと決めてやってきた。さまざまな施策を打つ中、やらねばならないのはきめ細かいサービスと営業だ。それを感じた。

七つ目は、株式会社清月記。葬祭業を営んでいる。
東日本大震災でもかなりの数のご遺体を納棺したという。それらすべてをやり遂げたその責任感。
こちらの会社も顧客第一のサービスを貫き、地道に業績を伸ばしてきた。

本書には著者が常々訴える、顧客第一よりも従業員第一の事例はそこまで出てこない。だが、著者は一貫してこう言っている。従業員が会社に愛着を持っていないのに、顧客に対して十分なサービスができるわけがない、と。

本書に登場する会社も顧客第一のサービスが支持を受けて業績を伸ばしている。顧客を優先したサービスが提供できることは、同時に会社が従業員第一の経営を続けている証しなのだろう。本書には何よりも雇用を優先するという言葉も紹介されている。

私もそれを踏まえた経営がしたいと思う。

‘2020/08/30-2020/08/31


人災はどこから始まるのか 「群れの文化」と「個の確立」


本書は、元日本原子力研究所や日本原燃株式会社といった原子力の第一線で働いていた著者が書いている。
原子力技術者が、東日本大地震が起こした惨禍とそれに伴う福島第一原子力発電所の事故を受け、贖罪の気持ちで書いたものだという。

題材が題材だからか、本書はあまりなじみのない出版社から出されている。
おそらく、本書に書かれている内容は、大手出版社では扱いにくかったのだろう。
だが、本書をそれだけの理由で読まないとしたらもったいない。内容がとても素晴らしかったからだ。

こうした小さな出版社の書籍を読むと校正が行き届いていないなど、質の悪さに出くわす事がたまにある。本書にも二カ所ほど明らかな誤植があった。
私の前に読んだどなたかが、ご丁寧に鉛筆の丸で誤植を囲ってくださっていた。
だが、その他の部分は問題がなかった。文体も端正であり、論旨の進め方や骨格もきっちりしていた。
著述に不慣れな著者にありがちな文体の乱れ、論旨の破綻や我田引水の寄り道も見られない。

しかも本書がすごいのは、きちんとした体裁を備えながら、明快かつ新鮮な論旨を含んでいる事だ。
原子力発電所の事故を語るにあたり、官僚組織の問題を指摘するだけならまだ理解できる。
本書のすごさは、そこから文化や文明の違いだけでなく、事故を起こす人の脳の構造にまで踏み込んだ事にある。

こう書くと論理が飛躍しているように思えるかもしれない。だが、著者が立てた論理には一本の芯が通っている。
著者は福島第一原子力発電所の事故を踏まえ、人間の脳を含めた構造や文化から説き起こさなければ、過ちはこれからも起こりうると考えたのだろう。
事故が起こる原因を人間の文化や脳の構造にまで広げた本書の論旨は、きちんとまとまっており、新鮮な気付きを私たちに与えてくれる。

本書の主旨はタイトルにもある通り、ムレの文化が組織の危機管理の意識を脆弱にし、責任の所在が曖昧になる事実だ。

日本の組織ではムレの意識が目立っている。それは戦後の経済成長にはプラスとなった。
だが、著者は、日本が高度経済成長を達成できた背景がムレの意識ではないと指摘する。それどころか、日本の成長は技術の向上とその時の国際関係のバランスが有利に働いた結果に過ぎないと喝破する。
日本の高度経済成長に日本のムレ組織の論理はなんら影響を与えなかった。
それは私たちにとって重要な指摘だ。なぜなら、今もなお、過去の成功体験にからめとられているからだ。
著者のような高度成長期に技術者として活躍した方からなされた指摘はとても説得力がある。

その結論までを導くにあたり、著者はまずムレと対立する概念を個におく。
それは西洋の個人主義と近しい。当然だが、個人主義とは「俺が、俺が」の自分勝手とは違う。

そうした文化はどこから生まれるのだろうか。
著者は、文化を古い脳の記憶による無意識的な行動であると説く。レヴィ=ストロースの文化構造論も打ち出し、それぞれの文化にはそれぞれに体系があり、それが伝えられる中で強制力を備えると説明する。

一方で著者はフェルナン・ブローデルの唱えた「文明は文化の総体」を批判的に引用しつつ、新たな考えを提示する。その考えとは、古い脳の所産である文化に比べ、文明は新しい脳である大脳の管轄下にある。要するに、理性の力によって文化を統合したのが文明だと解釈してよいだろう。
続いて著者は西洋の文化の成り立ちを語る。西洋はキリスト教からの影響が長く強く続いた。宗派による争いも絶えず、国家も文化も細かく分かれ、摩擦が絶えなかった西洋。そのような環境は相手の信教の自由を尊重する関係を促し、個人の考えを尊重する文化が醸成された。著者はイタリア・スペイン・フランス・ドイツ・イギリス・アメリカの文化や国民性を順に細かく紹介する。

ついでわが国だ。温暖な島国であり外敵に攻め込まれる経験をしてこなかったわが国では、ムレから弾かれないようにするのが第一義だった。ウチとソトが区別され、外に内の恥を隠蔽する文化。また、現物的であり、過去も未来も現在に持ち込む傾向。
そうした文化を持つ国が明治維新によって西洋の文化に触れた。文化と文化が触れ合った結果を著者はこのように書く。
「欧州という「個の確立」の文化の下で発展した民主主義や科学技術という近代文明の「豊かさ」を享受しています。それを使い続けるならば「個の確立」の文化の下でなければ、大きな危険に遭遇する事は免れません。」(168p)

ここまでで本書は五分の三を費やしている。だが、脳の構造から文化と文明にいたる論の進め方がきっちりしており、この部分だけでも読みごたえがある。

そして本書の残りは、東日本大震災における福島第一原子力発電所の事故と、その事故を防げなかったムレ社会の病巣を指摘する。
ムレに不都合な事実は外に見せない。津波による被害の恐れを外部から指摘されても黙殺し、改善を行わない。それが事故につながった事は周知のとおりだ。
社会の公益よりムレの利益を優先するムレの行動規範を改めない限り、同様の事故はこれからも起こると著者は警鐘を鳴らす。

著者は最後に、ムレ社会が戦後の民主化のチャンスを逃し、なぜ温存されてしまったかについて説き起こす。敗戦によって公務員にも職階制を取り入れる改革の機運が盛り上がったそうだ。職階制とは公務員を特定の職務に専念させ、その職域に熟達してもらう制度で、先進国のほとんどがこの制度を採用しているそうだ。
ところが明治から続く身分制の官僚体制が通ってしまった。GHQの改革にもかかわらず、冷戦体制などで旧来の方法が通ってしまったのだという。
その結果、わが国の官僚はさまざまな部署を体験させ、組織への帰属意識とともに全体の調整者の能力を育てる制度の下で育ってしまってしまった。
著者はそれが福島第一原子力発電所の事故につながったと主張する。そして、今後は職階制への移行を進めていかねばならないと。
ただ、著者は世界から称賛される日本の美点も認めている。それがムレの文化の結果である事も。つまり「ムレの文化」の良さも生かしながら、「個の確立」も成し遂げるべきだと。
著者はこのように書いている。
「これからは、血縁・地縁的集団においては古い脳の「ムレの文化」で行動し、その一方で、感覚に訴えられない広域集団では「個の確立の文化」によって「公」の為に行動する、というように対象によって棲み分けをする状況に慣れていかなければなりません。」(262P)

本書はとても参考になったし、埋もれたままにするには惜しい本だと思う。
はじめにも書かれていた通り、本書は原子力の技術者による罪滅ぼしの一冊だ。著者の年齢を考えると自らの人生を誇らしく語るところ、著者は痛みで総括している。まさに畢生の大作に違いない。
著者の覚悟と気持ちを無駄にしてはならないと思う。

‘2020/01/30-2020/02/01


今こそ知っておきたい「災害の日本史」 白鳳地震から東日本大震災まで


新型コロナウィルスの発生は、世界中をパンデミックの渦に巻き込んでいる。
だが、人類にとって恐れるべき存在がコロナウィルスだけでないことは、言うまでもない。たとえば自然界には未知のウィルスが無数に潜み、人類に牙を剥く日を待っている。
人類が築き上げた文明を脅かすものは、人類を育んできた宇宙や地球である可能性もある。
それらが増長した人類に鉄槌を下す可能性は考えておかねば。
本書で取り扱うのは、そうした自然災害の数々だ。

来る、来ると警鐘が鳴らされ続けている大地震。東海地震に南海地震、首都圏直下地震、そして三陸地震。
これらの地震は、長きにわたって危険性が言われ続けている。過去の歴史を紐解くと発生する周期に規則性があり、そこから推測すると、必ずやってくる事は間違いない。
それなのに、少なくとも首都圏において、東日本大震災の教訓は忘れ去られているといっても過言ではない。地震は確実に首都圏を襲うはずなのにもかかわらず。

本書は日本の歴史をひもとき、その時代時代で日本を襲った天変地異をとり上げている。
天変地異といってもあらゆる出来事を網羅するわけではない。飢饉や火事といった人災に属する災害は除き、地震・台風・噴火・洪水などの自然災害に焦点を当てているのが本書の編集方針のようだ。

著者は、そうした天変地異が日本の歴史にどのような影響を与えたのかという視点で編んでいる。
例えば、江戸末期に各地で連動するかのように起こった大地震が、ペリー来航に揺れる江戸幕府に致命的な一撃を与えたこと。また、永仁鎌倉地震によって起こった混乱を契機に、専横を欲しいままにした平頼綱が時の執権北条貞時によって誅殺されたこと。
私たちが思っている以上に、天変地異は日本の歴史に影響を与えてきたのだ。

かつて平安の頃までは、天変地異は政争で敗れた人物の怨霊が引き起こしたたたりだとみなされていた。
太宰府に流された菅原道真の怨霊を鎮めるため、各地に天満宮が建立されたのは有名な話だ。
逆に、神風の故事で知られる弘安の大風は、日本を襲った元軍を一夜にして海中に沈め、日本に幸運をもたらした。
本書にはそういった出来事が人心をざわつかせ、神仏に頼らせた当時の人々の不安となったことも紹介している。
直接でも間接でも日本人の深層に天変地異が与えてきた影響は今の私たちにも確実に及んでいる。

本書は私の知らなかった天変地異についても取り上げてくれている。
例えば永祚元年(989年)に起こったという永祚の風はその一つだ。
台風は私たちにもおなじみの天災だ。だが、あまりにもしょっちゅう来るものだから、伊勢湾台風や室戸台風ぐらいのレベルの台風でないと真に恐れることはない。ここ数年も各地を大雨や台風が蹂躙しているというのに。それもまた、慣れというものなのだろう。
本書は、歴史上の洪水や台風の被害にも触れているため、台風の恐ろしさについても見聞を深めさせてくれる。

本書は七章で構成されている。

第一章は古代(奈良〜平安)
白鳳地震
天平河内大和地震
貞観地震
仁和地震
永祚の風
永長地震

第二章は中世(鎌倉〜室町〜安土桃山)
文治地震
弘安の大風
永仁鎌倉地震
正平地震
明応地震
天正地震
慶長伏見地震

第三章は近世I(江戸前期)
慶長東南海地震
慶長三陸地震津波
元禄関東大地震
宝永地震・富士山大噴火(亥の大変)
寛保江戸洪水

第四章は近世II(江戸後期)
天明浅間山大噴火
島原大変
シーボルト台風
京都地震
善光寺地震

第五章は近代I(幕末〜明治)
安政東南海地震
安政江戸地震
明治元年の暴風雨
磐梯山大噴火
濃尾地震
明治三陸大津波

第六章は近代II(大正〜昭和前期)
桜島大噴火
関東大震災
昭和三陸大津波
室戸台風
昭和東南海地震
三河地震

第七章は現代(戦後〜平成)
昭和南海地震
福井大地震
伊勢湾台風
日本海中部地震
阪神淡路大震災
東日本大震災

本書にはこれだけの天変地異が載っている。
分量も相当に分厚く、636ページというなかなかのボリュームだ。

本書を通して、日本の歴史を襲ってきたあまたの天変地異。
そこから学べるのは、東南海地震や南海地震三陸の大地震の周期が、歴史学者や地震学者のとなえる周期にぴたりと繰り返されていることだ。恐ろしいことに。

日本の歴史とは、天災の歴史だともいえる。
そうした地震や天変地異が奈良・平安・鎌倉・室町・安土桃山・江戸・幕末・明治・大正・昭和・平成の各時代に起きている。
今でこそ、明治以降は一世一元の制度になっている。だが、かつては災害のたびに改元されていたと言う。改元によっては吉事がきっかけだったことも当然あるだろうが、かなりの数の改元が災害をきっかけとして行われた。それはすなわち、日本に災害の数々が頻繁にあったことを示す証拠だ。
そして、天変地異は、時の為政者の権力を弱め、次の時代へと変わる兆しにもなっている。
本書は、各章ごとに災害史と同じぐらい、その時代の世相や出来事を網羅して描いていく。

これだけたくさんの災害に苦しめられてきたわが国。そこに生きる私たちは、本書から何を学ぶべきだろうか。
私は本書から学ぶべきは、理屈だけで災害が来ると考えてはならないという教訓だと思う。理屈ではなく心から災害がやって来るという覚悟。それが大切なのだと思う。
だが、それは本当に難しいことだ。阪神淡路大震災で激烈な揺れに襲われ、家が全壊する瞬間を体験した私ですら。

地震の可能性は、東南海地震、三陸地震、首都圏直下型地震だけでなく、日本全国に等しくあるはずだ。
ところが、私も含めて多くの人は地震の可能性を過小評価しているように思えてならない。
ちょうど阪神淡路大震災の前、関西の人々が地震に対して無警戒だったように。
本書にも、地震頻発地帯ではない場所での地震の被害が紹介されている。地震があまり来ないからといって油断してはならないのだ。

だからこそ、本書の末尾に阪神淡路大地震と東日本大震災が載っている事は本書の価値を高めている。
なぜならその被害の大きさを目にし、身をもって体感したかなりの数の人が存命だからだ。
阪神淡路大地震の被災者である私も同じ。東日本大震災でも震度5強を体験した。
また、福井大地震も、私の母親は実際に被害に遭い、九死に一生を得ており、かなりの数の存命者が要ると思われる。

さらに、阪神淡路大地震と東日本大震災については、鮮明な写真が多く残されている。
東日本大震災においてはおびただしい数の津波の動画がネット上にあげられている。
私たちはその凄まじさを動画の中で追認できる。

私たちはそうした情報と本書を組み合わせ、想像しなければならない。本書に載っているかつての災害のそれぞれが、動画や写真で確認できる程度と同じかそれ以上の激しさでわが国に爪痕を残したということを。
同時に、確実に起こるはずの将来の地震も、同じぐらいかそれ以上の激しさで私たちの命を危機にさらす、ということも。

今までにも三陸海岸は何度も津波の被害に遭ってきた。だが、人の弱さとして、大きな災害にあっても、喉元を過ぎれば熱さを忘れてしまう。そして古人が残した警告を無視して家を建ててしまう。便利さへの誘惑が地震の恐れを上回ってしまうのだ。
かつて津波が来たと言う警告を文明の力が克服すると過信して、今の暮らしの便利さを追求する。そして被害にあって悲しみに暮れる。

そうした悲劇を繰り返さないためにも、本書のような日本の災害史を網羅した本が必要なのだ。
ようやくコロナウィルスによって東京一極集中が減少に転じたというニュースはつい最近のことだ。だが、地震が及ぼすリスクが明らかであるにもかかわらず、コロナウィルスがなければ東京一極集中はなおも進行していたはず。
一極集中があらゆる意味で愚行の極みであることを、少しでも多くの人に知らしめなければならない。

本書は、そうした意味でも、常に手元に携えておいても良い位の書物だと思う。

‘2019/7/3-2019/7/4


東京大地震は必ず起きる


確信に満ちた力強いタイトル。地震が取り上げられた文章において、確信は避けられる傾向にある。なぜなら、地震予知は難しいから。急が迫っている場合ならまだしも、何年単位のスパンで確率が何パーセントと言われても、受け取る側に危機感はない。それどころか、下手に煽って経済活動が止まれば経済の損失がかさむ。特に日本のように交通機関のダイヤグラムにうるさい国の場合はなおさらだ。だから地震学者は地震の予知には慎重になる。慎重どころか及び腰になる。そこに来て本書だ。著者は防災科学技術研究所理事長の肩書を持つ方。地震予知が専門でない分、本書のように一歩踏み出したタイトルをつけられるのだろう。そして、本書のようなタイトルの本を著したことに、首都圏に迫る直下型地震の現実味と焦りを感じる。

著者は率直に述べる。阪神・淡路大震災が予想外だったと。1995年1月17日、著者は地震防災に関するシンポジウムのため大阪のホテルに泊まっていて早朝の地震に遭遇したそうだ。関西では大地震は起きない。そんな定説に安住していたのは何も私たちのような一般市民だけではない。防災学者にとって、関西で地震が起こるなど、ましてやあれほどの被害が発生するとは想像できなかったらしい。

著者は防災の専門家として、阪神・淡路大震災のちょうど一年前にアメリカ西海岸で起きたノースリッジ地震を例に挙げ、そこで高速道路が倒壊したようなことは日本では起きないと大見得を切っていたという。しかし、阪神高速は脆くも倒壊した。わたしの実家のすぐ近くで。著者はその事を率直に記し、反省の弁を述べる。その態度は好意的に受け止めたい。著者の態度は、同時に地震の予知や防災がいかに難しいかを思い知らされる。

たとえ確率が数パーセントであっても、それはゼロではない。そして地震は起こってしまうのだから。事実、阪神・淡路大震災が起こったとき、日本政府も関わっていた地震予知計画は成果があったとして第七次計画中だったが、阪神・淡路大震災を予知できなかったことにより、第七次で打ち切られたという。防災計画も、著者らは火災の延焼による被害が都市にダメージを与えると考えていたらしい。ところが都市直下型地震ではなく、日本の誇る堅牢な構造物すらあえなく崩れる。学者の無知を著者は悔やむ。

著者はその教訓をもとに、首都圏に迫る直下型地震に警鐘を鳴らす。それが本書だ。著者は震災が都市に与える影響を四つに分けていた。火災、情報、ライフライン、経済の四つだ。そして著者は阪神・淡路大震災によって、構造物の問題にも目を向けた。だから今は五つの要素が年に影響を与える。

東海地震や南海地震、それらが複合する東南海地震。これらの地震の発生が差し迫っていることは、ずいぶん前から言われて来た。しかし、この10数年は、それに加えて首都圏の地下を走る断層が引き起こす首都圏直下型地震についてもとり沙汰されるようになった。もし朝夕のラッシュ時に強烈な揺れが都心を襲えば、被害は阪神・淡路大震災の比ではない。私も死ぬことは覚悟しているし、そのリスクを避け、都心での常駐作業をやめた今でも、商談で都心に赴いた際に多い。だから地震で命を落とす可能性も高いと妻子には伝えている。

著者は防災の観点で、首都圏で震度6強の地震が起きたらどうなるかを詳細に書く。兵庫県と比べると東京の抱える人口や経済規模はレベルが違う。路地の狭さや公園の人口あたりの面積も。交通量の多さも。どれもが被害を膨大に増やすことだろう。「東京における直下地震の被害想定に関する調査報告書」は二編で千百ページにも達するという。著者はこの報告書の言いたいことは最初の20ページで良いという。その上で残りの部分を著者が要約し、被害の想定を述べる。

面白いのは著者がこの報告書に批判的なことだ。はっきりと「過小評価」と言っているし、そもそも想定自体が専門家による仮定に過ぎないという。おそらくこの報告書は建築物の分布や、電柱、地盤、道路などさまざまな条件をもとに作られている。だが、当日の気候や風、発生時間、震源地は仮定で考えるしかない。著者が言いたいのは、報告書を鵜呑みにしない、ということだろう。

著者はそれを踏まえ、液状化や火災発生、延焼、停電、断水など報告書で詳しく載せられている23区のそれぞれについて、データの読み方を述べている。この章は、都心に住んでいたり、仕事をしている方には参考になるはずだ。

続いて著者はライフラインとは何か、について述べる。上下水道、ガス、電気、道路、鉄道、電話などだ。本書は東日本大震災の前に出版されているため、福島の原発事故やそれが東京の電力需給に大きな影響をもたらした事には触れていない。そのかわり、阪神・淡路大震災でライフラインが広範囲に断絶した状況について、かなり触れている。

私の経験を語ると、東日本大震災で経験した不便など、阪神・淡路大震災で味わった不便に比べるとわずかなものだ。3.11の当日の停電では、妻は錦糸町から帰れず、私も娘たち二人とロウソクで過ごした。その後の計画停電では、仕事にも支障をきたした。私は当時、毎日日本橋まで通っていたので、交通網の混乱も知っている。だが、阪神・淡路大震災の時はそもそも電気もガスも水道も来ない状態が続いたのだ。わが家は大きな被害を受けた地域の東の端。すぐ近くの武庫川を渡れば、その向こうはまだ生活が成り立っていたので、買い出しや風呂はそこにいけば大丈夫だった。だから当時神戸市内に住んでいた方の苦労など、私に比べたらもっと大変だったはず。
阪神・淡路大地震での体験はこちら
人と防災未来センターの訪問記はこちら
地震に対する私の気構えはこちら

3.11で味わった地震の不便をもとに、首都圏の人が地震の被害を考えているとすれば大きな間違いだと思う。

本書は地震が起こってしまった場合のさまざまなシミュレーションもしてくれている。立川に官邸機能が移ることも。そして、私たちが何をすれば良く、普段から何を準備しておくべきかを記してくれている。本章に書かれた内容は読んでおくべきだろう。また、東京都民であれば、都から配られた『東京防災』も読んでおくことをお勧めしたい。私も本稿を書いたことで、あらためて『東京防災』を読んでおかねば、と思った。

不幸にして揺れで亡くなった場合は、その後のことは考えようがない。だが幸運にも生き残った時、そこには想像以上の不便が待っているはずだから。

末尾には著者が防災専門家の目黒公郎氏と対談した内容が載っている。そこに書かれていることで印象に残ったことが一つある。それは亡くなった方が思うことは、ライフラインの充実ではない。それよりも家の耐震をきっちりやっておけばよかった、と思うはず、とのくだりだ。地震の被災者になった事で、次への備えを語れるのは生き延びた人だけなのだ。私もそう。幸運にも生き延びた一人だ。だからこそ、このような文章も書けるし、日々の仕事や遊びもできる。このことは肝に命じておきたい。

また、村尾修氏との対談では、WTCのテロの現場を視察しに行った村尾氏の経験と、そこからテロに備える防災について意見を交換する。東京は地震だけでなく、テロにも無防備だとはよく言われることだ。だが、テロはどちらかといえば点の被害。震災は面の被害が生じる。また、アメリカは戦争の延長で防災や事後対応が考えられている事が、日本との違い、という指摘は印象に残る。

最後は著者が国会の委員会に参考人として呼ばれた際の内容をおさめている。その内容はまさに本書のまとめというべき。

私も常時都心にいることはなくなったとはいえ、まだまだ都心に赴くことは多い。本書を読みつつ、引き続き備えを怠らぬようにしたい。そして、生き残った者として、何かを誰かに還元する事が務めだと思っている。

‘2017/09/29-2017/10/01


この六年を契機にSNSの過去投稿について思ったこと


今日で東日本大震災が発生して六年が経ちました。テレビやブログでも六年の日々が取り上げられているようですね。

今日の14:46を私は家で仕事しながら迎えました。六年前のその瞬間も同じ。あの時も家で仕事していました。違う事といえば、今日は直前に町田市の広域放送で黙祷を促されたことでしょうか。よい機会をもらえたと思い、しばし目を閉じ自分なりに物思いにふけります。

この六年を自分なりに振り返ろうかと思ったのですが、やめておきます。昨年秋に二回ほど郡山に仕事でお呼ばれしました。郡山の素敵な方々や産物や美しい風景の数々。地震が起きてから東北の方々に何も貢献できていなかった自分に少しは区切りはつけられました。でも私はいまだに浜通りや三陸を訪問できていません。私が東日本大地震を語るには時期が早いようです。
弊社は、福島を応援します。(まとめ版)
弊社は、福島を応援します。(9/30版)
弊社は、福島を応援します。(10/1版)
弊社は、福島を応援します。(10/2版)

ふと、3.11前後の日記を覗いてみたくなりました。その頃の日記には一体何を書いていたのか。そして何を思ったのか。当時の私はまだmixiを利用していました。今や全くログインすることのないmixi。今回の機会に久々に当時のmixi日記を覗いてみることにしました。

久々に訪れるmixiはユーザーインターフェースが刷新された以外は案外同じでした。六年前の3.11の前後に書いた日記にもすぐアクセスできました。時間軸ではなく、年と月でカテゴライズされたmixi日記へのアクセスはFacebookに慣れた身には逆に新鮮です。日記ごとにタイトルが付けられるのも、後から日記を見たいニーズには適しています。私のようにSNS利用のモチベーションが自己ログ保存にあるような人にはうってつけですね。

最近のSNSはタイムライン表示が全盛です。Facebook、Twitter、Instagram、Snapchat。どれもがタイムライン表示を採用しています。mixiも過去日記の閲覧が容易とはいえ、基本はタイムライン表示です。多分、膨大に飛び込んでくる情報量をさばくには、タイムライン表示が適しているのでしょう。Snapchatに至っては投稿してもすぐ自動消去され、それが絶大な支持を得ているのですから。

mixiのように後から投稿を容易に閲覧できる機能はもはや流行から外れているのでしょう。今を生きる若者にはそもそも、後日のために投稿を取っておくという発想すらないのかもしれません。私も二十歳前後の記録は友達と撮りまくった写真以外はほとんど残っていないし。

でも、3.11の時のような天災では、アーカイブされた記録が後になって大きな意味を持つと思うのです。つい先日にも膨大にアップされたYouTube動画を場所や時間でアーカイブし、検索できる仕組みが東北大学によって公開されたとか。動画でふりかえる3.11ー東日本大震災公開動画ファインダーー

各種SNSでは、システムAPIなどを使って一括アーカイブはできるはずですし、Facebookでは一般アカウント設定から過去投稿の一括ダウンロードもできます。ただ、それだけでは足りません。mixiのように、容易に利用者が過去のウォール投稿やツイートにカテゴリーツリー経由でアクセスできるようにしても良いと思うのですよ。システム実装はあまり難しくないと思いますし。学術的な投稿アーカイブだけでなく、利用者にとっても過去日記を閲覧できる機能はあってもよいと思うのですが。

今回、過去の日記を久々に読み返して、過去の自分に向き合うのも悪くないと思いました。仕事を多数抱え、過去の日記を読み返す暇などほとんど無い今だからこそなおさらに。

とはいえ、気恥ずかしい記述があるのも事実。地震前最後に書いた日記は2011/3/8のこと。長女と二人で風呂に入ったこと。学校で性教育の授業を受けたと教えてもらったことが書かれてました。うーむ、、、これは気恥ずかしい。さらに、実名が求められないmixiでは私の書く筆致が全体的にのびのびしている気がしました。これは今の自分の書きっぷりについて反省しないと。


精神論抜きの電力入門


貧しい資源の上に危うく乗っかった日本の繁栄。福島第一原発の事故によって、改めて我々にはその事実が突き付けられた。資源に乏しい我が国が、今の繁栄をどのように維持するのか。多くの人々が忘れ去ってしまったこの問いは、実は全く解決されていない。問題は棚上げされ、事故から4年以上の時が過ぎている。本書は、この問いに答える上で、重要な資料となるかもしれない。一読してそんな感想を抱いた。

著者は経済産業省で資源エネルギー政策の課長などを歴任した人物である。原発推進を国策とした経緯に当事者として関わり、政策の立案者として貢献してきた。いわば我が国原発推進の中心人物であり、その主張は原発推進の立場に依っている。

なぜ日本が原発に頼らざるをえないのか、どうして即時原発廃止が現実的でないのか。クリーンエネルギーが主流にならないのは何が問題か。そういった疑問に対し、本書では精神論に頼った議論を切り捨て、実務の立場からの解説に終始している。本書の題には「精神論ぬき」という言葉が含まれている。なぜそのような言葉を入れる必要があったのだろうか。それは、原発事故の後、精神論で今の電力危機を乗り切ろうとする風潮への警告なのだろう。

私も実は、当時精神論寄りの意見を吐いた一人だ。ただし、単純な精神論だけを唱えていた訳ではない。「電気が無ければただの箱」であるIT技術に生活の糧を得る者として、電力の安定的な供給=原発は必須と考えていた。そのため、原発の即時廃止についても慎重論に立っていたように覚えている。そして、原発は将来的には廃止の方向で考えるべきだが、代替エネルギーの無い現状では稼働せざるをえず、稼働させ続けた上で電力使用量を減らして徐々に原発から脱却すべきという意見を述べた。その意見は今も変わっていない。

夜間に煌々と明かりをつける住宅展示場や、繁華街の過剰にまぶしい光。これらをもう少し抑えるだけで、夜間電力量は減らせるのではないか。重要なのは昼夜の電力使用量の節約云々ではなく、万が一に備えて普段から節約(MOTTAINAI)の精神に慣れておくこと。それが資源貧国の民としてあるべきではないか、というのが私の思いだったように思う。今思い返しても、一歩間違えると精神論の罠に落ち込みかねない意見だ。しかし間違った意見だとは今でも思っていない。間違っていないが、私がその意見を述べるにあたり、裏付けとなる確かなデータや知識を持っていた訳ではないことは率直に認めたい。だが、本書は意見を述べるためのデータや知識を持つ、実務の第一線の著者が描いた本である。

著者の論考は、徹底して実務の立場に立っている。そこには一切の希望的観測は含まれない。理想論や希望論を排する姿勢は清々しいほどだ。冷徹な立場に徹して電力事情について解説された本書には、精神論の入り込む隙間もない。それでいて、本書が原発バラ色未来だけを描いた本かというと、そうでもない。原発利権や電力会社の構造問題にもきっちりとメスを入れている。著者の視線は常に原発の存在について、理想論や希望論を抜きにした、精神論からは遠く離れた場所に留まっている。著者の立場からいえば難しい、単純な原発擁護論とは一線を画しているのが本書の素晴らしい点の一つといえる。

第1章 電力不足の打撃と損失
第2章 原発依存にかたむいた事情
第3章 エネルギー政策の基礎とルール
第4章 再生可能エネルギーの不都合な真実
第5章 原子力をめぐる不毛な論争
第6章 賠償を抱えた東電の行く末
第7章 電力自由化の空論と誤解
第8章 「東日本卸電力」という発想の転換

ここに各章の表題を挙げたが、論じるべき点は全て論じきっているといえる。日本の電力を考える上で、本書で提示された現状を出発点とすることは重要ではないかと思う。

ただし、事故当時、精神論を唱えた私としては、まだ理想論や精神論は捨て去りたくない気持ちもある。精神論を排した本書には一矢でも報いておきたいところである。例えば、本書の第一章、第二章。電力使用量を下げねばならないという市井からの主張に対して、著者は現実的でないと一刀の元に切り捨てている。ここは少し納得が行かない。著者の唱えるすべての施策が実現しても尚、また、仮に原発事故が起こらなかったとしても尚、電力を無尽蔵に消費し尽す今のライフスタイルは見直さねばならないのではないか。これは電力問題にとどまらず、日本の将来を考える上で重要な論点ではないだろうか。

もう一点、本書ではクリーンエネルギーについても国内外の事情を紹介した上で、現時点では質量ともに代替電力としては期待できないと結論付けている。この結論は現時点では認めざるをえない。だが、著者は決してクリーンエネルギーの将来を見捨てている訳ではない。それは本書を読んでも明らかである。本書を読んだクリーンエネルギー開発の技術者の方は、是非とも本書を読み、発奮してクリーンエネルギーを開発して頂きたい。精神論にも似非科学にも無縁の、文句のつけようのないクリーンエネルギーを。その点は、私も著者も思いは一緒だと思う。

最後に、本稿を書く段になって、著者のブログhttps://ieei.or.jp/2015/06/sawa-akihiro-blog150623/ を読む機会があった。そこには、原発推進派としての著者からの贖罪にも似た言葉が綴られていた。本書ではそういった贖罪の言葉は見られない。おそらくはあえて外したのだろう。だが、このブログからは著者の真摯な態度が伝わってくる。本書を読んで、所詮は原発推進派の都合にそったことしか書かれていないんでしょ、と思う向きは、このブログを読まれることをお勧めする。クリーンエネルギーを望む声が高まってもなお、原発を推進せざるをえない日本の貧しい資源事情について、思いを致すこと間違いない。

著者とて、決して手放しで原発が最適解と考えている訳ではないのだ。著者一人にその重荷を背負わせるのではなく、我々市民として電力の節約を唱えることは、決して精神論ではないと思うのだが。本書とブログを読み、著者の真摯な姿勢に感銘を受けても尚、私が抱く電力節約についての想いだけは変わることはなかった。

という内容を書いたまま、8か月近く本稿を眠らせていた。読んだ順に読読ブログをアップするという方針のため、他のレビューを待っていたのだ。今日、本稿をアップするわけだが、結果として本書を読み終えて一年以上が経ってしまった。しかも、あろうことかその間に著者は病魔に侵され、この世から去ってしまった。今年の1月16日のことである。著者と面識があった訳ではないけれど、ブログから著者の想いに触れていただけに衝撃を受けた。当ブログが存命中の著者の目に触れることはなかっただろうことは分かっている。だが、著者の存命中に本稿をアップしたかった。アップが著者の死後になってしまったことは慙愧に堪えない。

私が偉そうなことは言えないことは重々承知だ。IT業界に生きるものとして、電気に縛り付けられた一人にすぎない。プライベートでも電気の点けっぱなしは始終やらかす。著者からみれば私もまた電気を湯水のように使い倒す大衆の一人なのだろう。それは分かっている。だからこそせめて、こういった文章をものし、著者の想いに少しでも報いたかったと思うのだ。

著者亡き今、東京は都知事が辞任するという体たらく。それでいて2020年のオリンピックは着々と迫っている。電力問題など真面目に考えている人などほんのわずかしかいないに違いない。さぞ無念だったことだろう。本書や著者の遺したブログが少しでも多くの方の目に触れることを望みたい。

‘2015/6/20-2015/6/24


空飛ぶ広報室


本書は働く人々を描いた物語だ。

働き方には色んなスタイルがある。独り黙々と仕事をこなすやり方もあれば、侃々諤々議論をしながら進める方法もある。それは、一般企業であれ、個人事業主であれ、自治体であれ変わらない。様々な屈託や挫折を抱えた人々、夢や希望を持った人々が一つ所に集い、同じ目標に向かって任務を遂行する。それは本書の舞台である航空自衛隊航空幕僚監部広報室でも同じだ。

自衛隊という特殊な職場でも、仕事のスタイルは特殊ではない。それは、頭ではわかっているつもりだ。しかし、自衛隊を知らぬ我々部外者は、ともすれば自衛隊員を色眼鏡でみてしまう。陸自、海自、空自のいずれも、ストイックで何者をも寄せ付けないピリピリした隊員揃い。融通が利かず、アイドルにうつつを抜かすなどもっての他。我々はそんなステレオタイプな先入観を自衛隊員に対して抱いていないだろうか。私は薄ぼんやりとだが抱いていた。自衛隊員の知り合いが一人いるにも関わらず。

しかし、本書を読んだ後は、そのような先入観は一掃された。

本書には、空自広報室が舞台だ。そこでは、我々が持っていたステレオタイプな自衛隊員とは程遠い、血の通った人々が活き活きと仕事をしている。

彼らの任務は、日本国民に向けて自衛隊を広報すること。考えてみればおかしな話だ。自分たちが守っている当の国民に対する広報とは一体どういう意味だろう?しかし、自衛隊には現実に広報部署が陸海空それぞれに設けられている。これこそは、自衛隊が置かれた現状に他ならない。自衛隊がどのように国民から見られているか。それを払拭するために自衛隊の広報に従事する方々が何を思い、何を信じて働いているのか。本書は外部から客観的に見るのではなく、内部の視点で自衛隊を描いている。

自衛隊が世間にどう見られているか。そのことを最も感じられる部署こそは広報室だろう。やれ税金泥棒だの、やれ軍国主義復活の象徴だの。自衛隊に対する世間の風当たりは未だに冷たい。

本書の主人公空井二佐が、取材に来た帝国テレビの稲葉リカから投げ掛けられた言葉がそれを象徴している。

「だって戦闘機って人殺しのための機械でしょう?」

花形戦闘機パイロットとしての未来を交通事故で絶たれ、広報室に異動してきたばかりの空井。彼はこの言葉に立場を忘れキレてしまう。

「人を殺したいなんて思ったことありません!」

キレてしまった空井を諭すための鷺坂室長の言葉。その言葉が自衛隊の立場を端的に表している。

「暴論を黙って聞いてちゃいかんよ。」
「主張自体は正しいんだ。」
「その正しい主張をな、怒鳴っちゃ駄目なのよ」
「俺らの信条は専守防衛だからな」
広報室の任務を自覚し、自衛隊の立場を冷静に見据えた言葉だと思う。

本書は決して自衛隊を美化し、礼賛する小説ではない。これは本書全体を通しての一貫したトーンだ。自衛隊は国民の嫌われ者と自嘲するセリフ、またはそれに似た描写は本書のあちこちに散らばっている。今の自衛隊は、まだまだ国民に嫌われている。その現実は逃げない。本書もまた逃げずにその事実を直視している。

本書には戦後のGHQの民主化政策や、教育政策には全く触れない。国際関係や外交や地政学といったややこしい話もほぼ無縁。そもそも矛盾を孕んだまま産まれたのが自衛隊だ。その矛盾に各隊員が折り合いをつけつつ、任務をこなす。本書で活き活きと描かれる仕事風景は、一般企業や自治体でも見られる風景と同じといってもよい。本書が描き出す自衛隊内部からの視点は実に新鮮だ。見慣れた仕事風景のはずなのに新鮮さを感じるのは、どれだけ我々が色眼鏡で自衛隊を見ていたかの裏返しに過ぎない。内側から見ているからこそ、以下の紹介するような自衛隊の各所の特徴をつかみ、かつ自嘲するような四字熟語が作れる。

空自 勇猛果敢・支離滅裂
陸自 用意周到・動脈硬化
海自 伝統墨守・唯我独尊
統幕 高位高官・権限皆無
内局 優柔不断・本末転倒

本書は、無知で偏見のあるテレビディレクターの稲葉リカが取材と称して訪問してくるところから物語が動き始める。彼女へのレクチャー役を空井が担当するという設定が効いている。稲葉リカに自衛隊の基礎知識を説明する空井のセリフを通し、読者もまた、自衛隊の知識を得ることになる。読者は、さらに上に紹介したような空井と稲葉リカの感情のぶつけ合いを通して空井や稲葉リカのキャラも理解し、感情移入することになる。著者の手際は実によい。空井と稲葉リカのやり取りを通じ、読者は空井や稲葉リカの背景も知ることとなる。空井は自分に何の落ち度もない事故でパイロットの夢を絶たれた。稲葉リカはテレビ局で記者から外された鬱屈を抱えている。そして、自衛隊の存在に八つ当たりすることで、国民の自衛隊への態度を代弁した気になっている。本書の大まかな粗筋は、パイロットの夢絶たれた空井の再生であり、稲葉リカの自衛隊への認識改めといえる。そしてその中で微妙に育まれる二人の淡い恋模様である。

二人をめぐる広報室の面々も魅力的だ。いろんな屈託や希望を抱えた個性的な彼ら彼女らは、単なる二人の引き立て役ではない。章ごとに、彼らにスポットを当てた話作りがされている。

まず柚木典子三佐。幕僚長の前でも尻を掻くマイペース美人。残念な美人でありべらんめえ美人。だが、彼女には彼女の屈託があり、初めから残念な美人だったわけではない。その屈託の理由や、彼女がそれを乗り越える過程も本書で描かれている。それもまた、自衛隊が孕む問題の一つなのだろう。

続いて槇博巳三佐。防衛大学から柚木三佐との同期。残念な美人のつっこみ担当であり、柚木三佐からは風紀委員と揶揄されている。柚木三佐が残念な美人になった経緯を知るだけに、柚木三佐を気遣い、突っ込み役を敢えて引き受ける。真面目な四角四面の堅物だけの人物だけではなく、鷺坂室長を慕うなど、人情の機微も弁える人物でもある。

次いで片山和宜一尉。悪く云えば粗暴で雑。よく云えばアグレッシブ。空井をことのほかいじるが、それは広報に対する熱意の裏返しでもある。一般の広告代理店で研修を受けた経験がある。鷺坂室長を慕っているが、それ以上に比嘉一曹にライバル心とその裏返しの尊敬の念を抱いている。

さらには、比嘉哲広一曹。人当たりの良さと人脈の豊かさは長年の広報畑勤務の賜物。自他共に認める能力の持ち主ながら、広報室には経験豊かな下士官が必要との信念で、昇進に全く興味を示さない。わざわざ鷺坂室長が他基地の広報からスカウトして広報室に連れてきただけのことはある。片山一尉とは対照的なキャラクターながら広報室の重鎮という言葉が似合う人物。

最後に鷺坂室長。自衛隊の外からは広報室に詐欺師あり、と一目置かれる人物。アイドルには滅法詳しくミーハー。それでいて、広報業務を大所高所から観ることの出来る視野の持ち主で、正に広報室の要と云える人物。懐と器の広さで広報室をまとめ、駄目なものは駄目と一線を引くだけの見識を持っている。また、商談を仕切らせると海千山千のテレビマンも真っ青になるほどの話術の持ち主。

著者の後書きによると、本書の企画は空自広報室から持ち込まれたらしい。持ち掛けた人物こそ、鷺坂室長のモデルでもある方だとか。本書全体にみなぎる自衛隊への一本筋の通った明快な立場や考え方は、非常に説得力がある。それも室長自らが持ち掛けた企画であれば腑に落ちる。おそらくは著者も空自広報室で念入りにブリーフィングやオリエンテーションを受けたのだろう。他にも比嘉一曹のモデルとなった方など何人かの情報提供者によって本書は出来上がったとあとがきで著者が記している。しかし、そういった方々の助言も頂きながらも、本書をまとめたのは紛れもなく著者である。その筆運びには脱帽するほかはない。

航空自衛隊の鷺坂室長のモデルの方の思惑通り、本書は、自衛隊の最良の広報誌に仕上がっていると思う。まずは、自衛隊にアレルギーを持つ多くの人が本書を読むことを望みたい。自衛隊に勤める人々のことを「特殊な職業だけど特殊な人間ってわけじゃないんだなって」と思ってもらえるように。

国防や平和主義、国際関係やら竹島尖閣諸島北方領土云々。国防上、自衛隊の存在は必要だろう。でもそういったややこしいことを考える前に、まず自衛隊での仕事にもこういった仕事があるんだよ。ということを知っておいても良いと思う。私自身、阪神・淡路大震災の経験から、自衛隊に対する認識を改めた。だが、それでもなお、自分が自衛隊のことを何も知っていなかったこと。本書を読んでそのことを痛感した。

なお、本書の上梓直前に、東日本大震災が発生する。著者はそのため本書の刊行を延期し、松島基地の被害状況とそこでの空井と稲葉リカの再会の場を作る。ここは後から書き足したというだけに、すこし後付けの感は否めない。が、著者が刊行を止めてまで書き足しただけのことはあり、自衛隊を広報する上で打ってつけのエピソードがてんこ盛りだ。地震の日、空自の方々が自分たちのことを差し置いて、被災者の方々に何をしたか。

今、東日本大震災における自衛隊員の写真集が手元にある。そこに移っている姿こそ、被災者の私が阪神・淡路大震災で目撃した自衛隊の姿に他ならない。それまで自衛隊に対して良い感情を持っていなかった私が、自衛隊への認識を一新したのはあの地震での経験による。そのことを思い出させるようなエピソードが本書の最後に付け加えられたことは、懐かしいとともに嬉しかった。

‘2015/03/11-2015/03/12


被災地の本当の話をしよう 陸前高田市長が綴るあの日とこれから


最初に断っておくと、私には東日本大震災について語れる何物もない。知識も資格も。あれから4年の歳月が経とうとしているが、発生後、東北には一度も行けていない。いや、一度だけ行ったことがある。それは一昨年の夏、地震発生から二年半後のこと。家族でいわき市のスパリゾートハワイアンズに行ったのだが、気楽な観光客としての訪問であり被災地の皆様に貢献した訳ではない。

阪神・淡路大震災の被災者として何も出来なかった。そんな自分に未だに収まりの悪い想いを抱いている。仕事の忙しさや恩人である先輩の逝去による精神状態の悪化などはもちろん言い訳にならない。

私が貢献したことがあったとしても微々たるものである。幾ばくかのチャリティー品を買うのが精々。本書も実は、チャリティー品として売られていたものである。

著者は、東日本大震災発生当時の陸前高田市長である。そして、今もその任務を遂行されておられる。加えて、私の娘が通う中学の大先輩にも当たる。そのご縁から、毎年行われる学校見学会に陸前高田市の応援ブースが設けられている。ブースには被害状況や、復興状況のパネルが展示されており、私も見学させて頂いた。また、ブースでは陸前高田市の物産も販売されている。前年に訪問した際は食品しかなく、昆布やサイダーを購入したのだが、今回の学校見学会で訪れてみると、物産の横に本書が並んでいた。迷うことなく購入した。

私の本購入の流儀は積ん読である。購入してしばらく経ってから読み始めることが多い。しかし、本書は別である。積ん読扱いを私の中の何かが許さなかった。

本書は、地震に遭遇した著者の綴った記録である。被災自治体の長として、夫として、父として、家長としての行動が率直に綴られている。己に与えられたこれらの役割のどれも疎かにせず全霊で災害に当り、奮闘にも関わらず想像を絶する津波の猛威になすすべもなく呑み込まれて行く様が記されている。奥様が津波に呑まれ行方不明になる中、自治体の長としての職務を放棄せず、母を亡くした我が子に対する父としての接し方に自己矛盾と葛藤を抱える。本書の記述は、現場の惨状を見、それに率先して立ち向かわなければならない著者にしか書けない血の通った内容である。

涙が出た。著者の直面した重い日々に。それを堪え平静に綴られる文章に。そして何も出来なかった自分に。

本書を前にすると、数多のブログ、数ある新聞や雑誌、何度も行われた永田町での記者会見が霞んで消える。ジャーナリズムすら無力に思える。

家族とは、仕事とは、責任とは。頭で理解した振りをすれば、そう振る舞えるのが大人。東京電力や当時の首相の対応に苦言を発信するのも簡単なIT社会。しかし、そのどれもが本書の前ではカゲロウのように薄い。ほとんどの意見は紙のように軽い。本書のレビューを書いている私も同様で、著者の痛みや苦しみを理解したとはとても言えない。

しかし、この本が私に与えた影響は小さくはない。それは、地域のコミュニティについての気付きを与えてくれたから。法人化という目標を立てた私にとって、本書が与えてくれた何かは確かに伝わった。そしてそれは、私の中で着実に育ち始めている。

本書を読み終えて、数ヶ月経った今、私が被災地に行ける目処は立っていない。しかし、社会起業としての生き方に向け、舵を切りつつある自分がいる。いつか、何かのご縁で、被災地の力になれれば本望である。

著者は業務多忙の中、娘の中学に大先輩として、話しに来て頂いたと聞く。先ほど娘に聞いたところ、「よく、『被災地に何が必要ですか』と支援者から聞かれる。でもそれは実際に被災地に来て、その目で被災地の状況を見た上で、御自身で考えて頂きたい」という部分が印象に残ったようである。どういう話をされたのか、我が娘に何が託されたのか、それは知らない。しかし、著者の言葉は私の娘へ確かに伝わったようである。私が本書から受け取った想いのように。

2014/9/6-2014-9/6


神の火の行方を想う夏の一日


神の火の行方を想う夏の一日
神の火の行方を想う夏の一日

神の火の
 行方を想う
    夏の一日

2013年8月7日 福島県 スパリゾートハワイアンズにて

注釈) この写真の方角、50キロほどの場所に福島第一原発はあります。地震とその後の大災害から2年半近くを経て、いわき市は思った以上に平穏な様子でした。が、この瞬間にも事故の後始末に奔走する現場の方々の苦労を想いました。


東北地方太平洋沖地震(3/19-26編)


前回の続きです。

こうやって並べてみると、自分の行動や考えの推移がよくわかります。ツイッターでつぶやく利点を初めて実感できた気がします。

------19日------
2011/03/19 13:31
地震発生前から動き始めていた、我が家の重要な将来設計について、今朝一歩前進の進展がありました。

2011/03/19 21:22
1~3号機、炉心は冷却状態…東電会見 (読売新聞 – 03月19日 19:42) https://mixi.at/a598HJH まだまだ楽観は許さない状況にあるが最悪の状況一歩手前から、針は巻戻った模様。本当に現地で体を張ってくれた方々には敬意を表します。

2011/03/19 21:29
もちろん、あれですよ。あれ。あくまで一歩前進だけですが(^_^) RT @****** どの計画ですか⁇ 気になる…(⌒-⌒; ) RT @*******: 地震発生前から動き始めていた、我が家の重要な将来設計について、今朝一歩前進の進展がありました。

2011/03/19 21:42
まさに!! RT @****** @******* リョーカイしました( ̄^ ̄)ゞで、答えあってますよね。。。

2011/03/19 21:43
あれです。今からゼッケンにロゴ縫い付ける練習 RT @******* あれですね。 RT @*******: もちろん、あれですよ。あれ。あくまで一歩前進だけですが(^_^) RT @****** どの計画ですか⁇ 気になる…(⌒-⌒; ) RT @*******: 我が家の重要

2011/03/19 22:06
<プロ野球>セ・リーグも3月29日に開幕延期 (毎日新聞 – 03月19日 21:23) https://mixi.at/a595T2u 色々と考え方があるのはわかるが・・・・どうしても東日本でやりたいんかね・・・・西日本のファンにまで自粛させるのもどうかと思う。

------20日------
2011/03/20 4:31
なんか仕事用のFacebook、ぽつぽつフレンドが増えてきているのだが・・・Are You Interested? というアプリの招待がきて、知り合いからだったので登録したら、以降一日2~3人からアポイントが・・・調べると機能はあるらしいがはまると課金されるアプリらしく無視状態。

2011/03/20 8:45
名勝・松島、崩落被害=「長命穴」消え、半壊の島も―国宝「瑞巌寺」は壁にひび https://mixi.at/a5av6F3 家族で一昨年の年末に仙台を旅したのですが、この時に牡蠣を食べたお店や土産物屋などことごとく流されたとか・・・五大堂や瑞巌寺は軽微な被害で無事らしいのです…

2011/03/20 9:00
一昨年やなくて、さらにその前年でした

2011/03/20 12:45
朝方ちょっと仮眠した後、再び電話で起こされました。知り合い作成の予約システムで障害が起きたとのこと。ColdFusionは門外漢なので手助けできるかわからないのですが、合間をみて作業してみます。私もFPDI+TCPDFの組み合わせでのPDF生成の完成度を上げないとなりません。

2011/03/20 14:49
朝に記述した予約システムのほうは障害が治ったようです。よかったよかった。今回の震災でもっと壊滅的な状況も考えられましたが、私の聞く限りではかなりのシステムが活きていました(みずほ銀行は除く)。データセンターの耐震対策を見直しました。耐震対策なしでサーバー運営するリスクを見直さねば

2011/03/20 21:34
テレビで尾崎豊の歌が流れている・・・・今聞くと聞きこんでしまいそう。今は聞けない・・・もうすでに頭からシェリーが離れなくなりつつある・・・・・相方がテレビを見ろと呼ぶ・・・・

------21日------
2011/03/21 5:26
いやぁぁぁっと、TCPDF+FPDIでPDF出力ができました。夜8時ごろから入力+確認フォーム作り始めて・・・配置的には思ったところに来ているようだが、POSTした値が反映していないのはこれから気合い入れてなおします。が、その前にちょっと仮眠します。

2011/03/21 18:48
今日の夜の町田地域での停電が回避されたそうです。仕事で切羽詰ってる状況だけに本当に助かりました。ソースの怪しげな風聞が舞う中、私はそれでも現場で努力している方々に対しては勿論、政府や東電関係者に対しても敬意を表したい。平和な地域では早くも地震が喉元をすぎ、好き放題いっていますが。

------22日------
2011/03/22 5:57
あー朝になってしまいました。このまま徹夜で客先いきますか・・・それとも午前中だけ勘弁していただくか、考えます。昨日も朝方まで起きてたし、さすがに疲れました。

2011/03/22 12:42
ちょっと仮眠をいただき、今客先へと向かっています。車内は電気が消灯されたりついたり。暗すぎるのも不便ですが、快晴の日などは消灯を励行すべきかもしれません。電力が完全復旧したあとにも続けていくべき事は多いように思います。

------23日------
2011/03/23 6:32
うーむ・・・・3日連続で朝方までの作業となってしまいました・・・・昨日は3時間ほど仮眠してから出かけましたが・・・今日は客先で午前に打ち合わせがあるため、このままお出かけとなりそうです・・・・まあおかげさまでTCPDFとFPDIの組み合わせでPDFは自由に出せるようになりました。

2011/03/23 16:55
日程はお上が決めることではないかも知らんが巨人が決めることでもない。選手会や他の11球団がどう考えるか。幾多の名選手を産み出した球団がまた汚されてゆく。この間逝去された与那嶺氏は泉下で何を思うか。 Gオーナー 開幕29日強行姿勢 https://mixi.at/a5dT7tH

------24日------
2011/03/24 1:31
やはり3月は年度末ということでばたばたと色々な仕事が舞い込んできます。今回の震災により電力確保ということでより一層クラウド化が進んでいくのでしょうね。社内の片隅にサーバーを置いて運用する事が許されなくなりつつある様に思います。私も外出中は携帯しか仕事がない状況を早く解消しないと。

2011/03/24 13:16
技術メモ。TCPDFの作成時に使用するテンプレートpdfに、PDF Xchange Viewerのテキストボックス機能で描画したものを使うと、内部圧縮形式が違う旨のエラーが発生します。pdfに書かれた記載内容を消したい場合は TCPDFで消した方が速そうです。

2011/03/24 20:52
帰路の駅前で地元の中学校の卒業生有志や町田青年会議所の方々が、寒い中声を高くして募金活動を行っていた。不逞の輩共に失望させられるニュースも出てきている中、救われる思い。ただ、持ち合わせがなく、かなり気まずい思いで帰宅。と、上の娘あてにカブ隊から手紙が。今度の日曜日に募金活動。行く

------25日------
2011/03/25 18:27
町田停電だそうです。炊飯器にかけていたお米がおじゃん。

2011/03/25 18:35
地震発生日の停電から二週間、町田の夜から灯りか消えることがありませんでしたが、先程停電した模様です。休養の機会と前向きに考えることにします。開発案件など、昨日の朝方に山を越えておいて良かった、、、

2011/03/25 19:52
鶴川着。駅前電気ついとる。地元中の卒業生が今日も募金活動。まぶしい。

------26日------
2011/03/26 1:22
ようやく年度末の多忙な状態から先が見え、ちょっと気を抜いてウェブを徘徊してみたところ、私が個人事業主になるにあたり、多大な影響を与えた会社が解散していることに気づきました・・・・・衝撃が体を走っています・・・

2011/03/26 17:56
この2か月、深夜電力消費量が前年比2倍増の私がいうことではないですが、枝野氏がいった生活様式の変更については真剣に考慮せねばならないと思います。アーミッシュのようになれというのではなく、余剰な電力使用を減らすことから始めればよいかと思います。公共施設で今実践しているようなものです

2011/03/26 19:40
東電「貞観地震」の解析生かさず  https://mixi.at/a5gCuKe ようやく欲しかった情報が来た。この情報がないにもかかわらず鬼の首でもとったかのように東電を責める論調にはとても賛成できなかったのだが。これからようやく東電の上層部の責任について、話が進められる…

2011/03/26 20:31
そういわれるとつらい・・・ちょっとまっててください。今ちょっと峠を越えました。その代りうちの相方には車送迎なしとお伝えください @****** @******* まってます…

2011/03/26 20:42
明日終日残りをやりますか・・・・今から年度末のお別れ会に相当遅ればせながら行ってまいります。

2011/03/27 1:34
ありがとう!!!! @******** ありがとう!!!! RT @******: おやすみなさい…

2011/03/27 3:12
おつかれさまですー @******** やっと帰宅中なう。おやすみなさい。


東北地方太平洋沖地震(3/12-18編)


ちょっと仕事がばたばたしていて全く書く暇がありませんでした。

本日のつぶやきにおいて、私の家庭はほぼ平常通りに戻ったと書きました。ですので、発生日翌日からの私の行動をtwitterの2アカウントのつぶやきを時系列に並べて書いてみます。

私からのツィートやリツィートは表示されるが、頂いたリツィートは除外してあります。(今回のアップに際し、アカウント情報も伏字に変えました。)

こうやって並べてみると、自分の行動や考えの推移がよくわかります。ツイッターでつぶやく利点を初めて実感できた気がします。

------12日------
2011/03/12 10:02
相方朝方町田に戻る。家に帰る間もなく学童の説明会を大幅に短縮して出席。今帰宅しました。

2011/03/12 13:32
うちの相方、今日の鴻巣の診療お休みになりました。明日のフラも、娘たちのゼルビアファインズの練習も明日のゼルビアの開幕戦も中止です。

2011/03/12 14:22
福島第一原発のメルトダウンや、再度の津波の兆候など、まだ状況には予断を許しません。しばらく情報収集に努めます。

2011/03/12 20:43
我が家にもコスモ石油関連のメールが回って着ました。 これは嘘です。https://bit.ly/i10dCJ まずはメールよりもコスモ石油からの公式発表を優先的に信じましょう。情報に踊らされぬよう、冷静な対応を望みます。

2011/03/12 22:20
今、近所のスーパーに家族で行ってきました。昨晩は暗闇の店頭でローソクと電池だけだったのが、今日は灯りも煌々と、平常通り。かと思いきや、カップめん、牛乳、パン、お米が品切れ。なぜかカップめんのコーナーにSpa王だけがたくさん残っていました。

------13日------
2011/03/13 20:07
15年前より政府対応は評価できるが、あのころにないネット情報の氾濫に皆が踊らされている気がする。情報メディアの主役がネットに移りつつあった感が強いここ数年だが、一方通行型の既存メディア有用性も再確認。ネットメディアも今回の件を教訓とすべく、今から実践すべきかと思われる。

2011/03/13 20:26
津波感知システムが想定通り作動しなかったとのことですが、おそらく実動テストをほどほどのレベルまでしかやらなかったのではないかと。システムテストでも極端な例は省くことありますし。今回の災害を教訓に、最大想定の10倍程度のテストが可能な施設を官産学共同で作るべきではないだろうか?

2011/03/13 20:33
東京都23区は除外という措置も理解できるが、地方にしてみればまたか、と思われそう。ただでさえ地方にリスクを負わせて都市が有利な原発立地のツケが露呈しただけに。 東日本大震災:「輪番停電」14日から実施 https://t.co/XMNjAuW via @mainichijpnews

2011/03/13 23:32
計画停電の件、我が家(事務所)のグループ分けがわかりました。なんと2グループにまたがって含まれています。つまり月曜日は一日3回も停電に見舞われることになりました。これはピンチです。

------14日------
2011/03/14 0:05
システム系のセンター、停電対応でてんやわんや。かなり深刻かと。

2011/03/14 2:18
情報もろもろありがとうございます!! 確定申告ならびに業務的にピンチです。 RT @****** @******** @******* 2と5ですよー。ほぼ一日中停電です… 9:20~13:00 15:20~19:00 18:20~22:00

2011/03/14 2:19
疎開案いいですね。うちも RT @******** 東京電力つながらなくって、いろいろととびかってわからない。町田市は、二つにわかれるってうわさあるし。大蔵町は台5グループでいいにゃろか・・・・。春休みはいったら、娘を名古屋か広島のどちらかの実家に疎開させようかとも思ってます。

2011/03/14 6:39
小田急も京王もjr横浜線も動かず。都心にでられん。

2011/03/14 6:56
おはようございます。田園都市線が動いているみたい @****** おはようございます。電車はだめですね… RT @nogyery: 小田急も京王もjr横浜線も動かず。都心にでられん。

2011/03/14 7:48
町田市小中学校は休校。私も客先へは行かず、自宅でたまった仕事を片付けます。

2011/03/14 7:55
RT 3月14日首都圏計画停電による運行予定 #jishin https://t.co/gUSObIm via @gizmodojapan #gizjp

2011/03/14 9:14
早朝から妻が会長をやっている学童保育の対応でばたばたしておりました。町田市小中学校はお休みですが、学童保育は実施するとのこと。私は都心に向かう電車がマヒしておりますので、客先への出勤は自宅待機とし、別作業を行っておりました。ただし、まもなく計画停電が始まるので、作業ができません。

2011/03/14 13:44
原発事故および停電に関しても混乱が続いているが、引き続き冷静でいたいものです。原発に関しては感情的で一方的な書き込みも目立つけど RT 震災でも秩序保つ日本人、「人に迷惑かけない」精神=中国報道 https://t.co/fZLAq4m via @searchinanews

2011/03/14 13:46
私は相変わらず鉄道運休の関係で家にいます。家族も同じくです。停電が延期になったため、まだこちらはつながる状況です。

2011/03/14 16:45
今税務署に向けて自転車を駆っているのですが、町田市街地上空にヘリが。どういったご用件でしょうか。停電は一時間半あとです。税務署人一杯

2011/03/14 16:58
町田署の前にテレビ朝日のクルーが数名張り込み。コストコの件?それとも先程のヘリと同じく停電待ち?

2011/03/14 17:10
菅原神社前交差点にもクルーが7、8人。レポーターの話す内容から推測するに、停電後の道路交通マヒを懸念しているらしい。

2011/03/14 17:43
お電話、ツイッター、メールその他で安否確認を頂いた皆様、ありがとうございます。あと1時間近くで停電となり、連絡手段が携帯のみになってしまいます。週末に終わらせる予定だった確定申告ができずじまいなので、e-tax不能な場合に備えて先ほど税務署にいって書類を頂いてきました。

2011/03/14 17:51
今町田市街まで自転車で行ってきました。ガソリンは種別問わず品切れ。食糧もかなり品切れです。被害の中心である東北と違い、インフラに甚大な被害はなくすぐに供給は回復するはずです。焦らずに買占めに走ることのないようにしましょう。まずは東北への物資輸送を優先させるようにお願いします。

2011/03/14 18:06
RT @gigazine: 小田急電鉄の運転再開予定について追記しました。 https://gigaz.in/K68dY

2011/03/14 18:27
あと三分。備蓄水食料、電源、自家発電ラジオ、あかり。完了

2011/03/14 19:35
結局第5グループに入っていた我が家は停電しない模様。ただバソコンは万が一を考え様子見。茨城が停電範囲に入っている事に不信感。あの辺りも被災地ではないのか?配慮もわかるが人工密集地から停電させ、余剰電力を東北に回すべきでは。

2011/03/14 20:48
結局パソコン電源ON。明日の確定申告に向けてラストスパート。

------15日------
2011/03/15 2:39
今の時点で小田急の運行状況は出ているが・・・・昨日も朝方になって修正されたので、もう少し様子をみてみる。

2011/03/15 8:55
今町田市役所窓口。住基カードの証明書期限が切れているらしく。今交付してもらってます。

2011/03/15 11:55
e-tax終了!午後から客先にいくはずが、別件で対応が必要となり本日も在宅作業。

2011/03/15 11:59
ようやく確定申告が終了しました。昨日万が一を考えて税務署に書類も取りに行ったのですが、予定通りE-taxで完了。ブラウザベースになってだいぶ使いやすくなりました。朝も電子証明の取得で市役所まで自転車で行ったのですが、ガソリンスタンド渋滞で、朝の時点で売り切れです。

2011/03/15 12:16
朝チャリンコで町田市街地まで出かけたのですが、ガソリンスタンド渋滞がひどかった。いろんな事情があるでしょうが、今我々にできるのは消費生活を我慢することかと RT@****** アイドリングストップすれば、どれだけのガソリンが確保されるか…

2011/03/15 18:05
町田市は今日は停電を行うようです。今放送が流れておりました。本日は朝3時間ほど寝た後は確定申告関連作業と開発作業に没頭しておりました。これから停電の合間に休もうと思います。

2011/03/15 18:06
今日は町田市やるようです。私も睡眠をとりたいと思います。

2011/03/15 21:33
今日も直前に町田市から広域放送ならびにメールが配信されながらも停電が行われず・・・・。まぁ私は2時間ほど仮眠をとらせてもらったのですが。

2011/03/15 21:44
今日も停電と各種案内があったにも関わらず町田市では実施されず。非難するのは容易ですが、いろんな意味で得るものも多いと思います。平静の日常に戻った時にこれらの経験が糧とならんことを望みます。

2011/03/15 22:44
町田は震度4のようです。揺れる直前にテレビの緊急地震速報と同時にゴゴゴと音がしたのでダッシュで娘たちを守りに行くことができました。うちは無事です。

2011/03/15 22:59
わんちゃん吠えますよね。金曜日も30分ほど前に吠えてました RT @******** うちも無事です。肝心なときに携帯の緊急地震速報稼働しませんでした。たまたまニュースみてたから・・・それと、チョコがいきなりおりてきてそわそわしだしたからわかりました。今も少しそわそわしてるので

2011/03/15 23:01
無事でよかった! iPhone色々と無料アプリがあるらしいですね。携帯は地震に関しては完全に後手後手です @****** @******** @******* 無事っす! iPhoneアプリのゆれくるは揺れてる時に通知がきました(´Д` )

2011/03/15 23:10
ちなみに・・・・昨日がホワイトデーということがほとんど顧みられなくなっている昨今ですが、今日、上の娘の彼氏がプレゼントを持ってやってきました。私は仕事してて応対していませんが、初々しくてよいね。

------16日------
2011/03/16 1:17
明日は客先に行かねば・・・・地震が起きてから都心に出るのは初めてとなります。小田急も休日ダイヤで動いているようだし

2011/03/16 8:18
都心につきました。特別ダイヤで快速急行に乗れ、車内も比較的空いています。通路も節電で暗い箇所がありますが、平時に戻っても今の状態を維持できるよう、皆で共通認識を持ちたいものです。

2011/03/16 12:59
都心の某ビル十数回にいます。かなりゆれました。震度3だそうです。

2011/03/16 17:50
心配していた仙台の友人から無事の知らせが。地震後連絡が取れていなかったのでホッとしました。mixiを初め、snsの力を実感することが多い昨今です。

2011/03/16 18:59
激混み急行、新百合ヶ丘着。まもなく停電?の鶴川へ。

2011/03/16 19:05
うーん駅前電気が灯っておるなあ。今日も停電らなかったらしい。

2011/03/16 22:46
町田市震度3。

------17日------
2011/03/17 3:12
今日は良い知らせが多数あってよい感じです。ちょっと仕事のほうがラストスパートという感じですが・・・・今から風呂に入ります。3時間は寝たい。

2011/03/17 7:20
今代々木上原。昨日と同じ快速急行。混雑度三倍。

2011/03/17 12:45
相方から連絡ありました。町田も発生日以来ようやくですね。 RT @******** 町田市大蔵町は、停電がはじまりました

2011/03/17 16:48
客先に来ていたのだが、東電からの緊急電力削減依頼を受け、緊急退去依頼が来ました。帰ります。もっとも今晩も大規模停電の可能性とか。二件ほど切羽つまっている仕事があるというのに困りました。

2011/03/17 17:01
すでに早退けした人々で駅は一杯。私も帰れるうちに帰ります。

2011/03/17 17:39
代々木上原激混み

2011/03/17 18:25
新百合ヶ丘激混み。各停にのられへん。

2011/03/17 18:47
鶴川着。一本各停見送っても激混み。停電は終わったらしい

2011/03/17 19:52
先ほど帰宅。特段駅で並んだわけでもないのに2時間半かかりました。激混みの中、怒鳴り合いもいがみ合いもない車内。諸外国の賛嘆する日本国民の美徳の一端が見える。だが、忍耐や寛容だけでは、集中の弊害を覆い隠すことはできなくなっていることも事実。遷都の話がそろそろ復活してきてもよいのだが

2011/03/17 21:59
現場で努力を続ける関係者の方々、島根から福島へ志願した電力マンの方、東電、政府関係者と頭を垂れるべき方々が多数います。そして本日も危機と言われながらも東京電力の皆様の努力で大規模停電が起きず、私も仕事を続けられます。明治維新後や第二次大戦後に驚異の復興を遂げた日本。きっと今も・・

2011/03/17 22:06
<東日本大震災>電源の燃料尽き魚類など絶望 福島の水族館 (毎日新聞 – 03月17日 19:54) https://mixi.at/a5777UW 目の前が海なんやからなんとか放してあげられへんやろか・・・

------18日------
2011/03/18 2:08
むぅ・・・・・手ごわいなぁ・・・・・多国語対応・・・・

2011/03/18 2:09
Windowsのメモ帳って普通にハングルや繁体字中国語や簡体字中国語が書けるんですね。初めてしりました。他のエディタだと文字化けして困っていたのに・・・・灯台下暗しとはまさにこのこと。

2011/03/18 2:36
古田敦也氏が“セ・リーグ3月25日開幕”に猛反対 https://mixi.at/a57d2m0 開幕したっていいとは思うが、名古屋以西で開催したらどないやろ。セリーグは甲子園と広島ドームと名古屋ドームでのみ開催。あとは西日本の地方球場で。

2011/03/18 9:31
町田停電だそう。相方より連絡あり。今回は市からの連絡なし。連休中の対応につき、調査しておくべし。

2011/03/18 12:21
私の妻(歯科医)宛に東北の被災者の遺体特定の為の検死手伝いの打診が来ました。正式に依頼が有れば承けようと思います。私は15年前の地震被災者ですが、今は家庭と仕事で目一杯の状況から節電位しか手助けが出来ません。更に私の睡眠が削られますが、これが我が家にできる最大限の奉公になります

2011/03/18 18:42
今鶴川着。昨日と違い、快速急行えらい空いてた。これから忙しい連休がはじまります。

2011/03/18 22:25
Lamp構成のフォーム作成にここ数日携わっており、my.cnfがいじれない環境で韓国語と中国語関係を文字化けさせずにDBに格納する件、ちょっと苦しんでおりましたが、先ほどうまくいきました。多言語を扱うの初めてだったのでかなり不安でしたがちょっとほっとしました。

2011/03/18 22:29
苦しんでいた多国語対応がうまくいき、喜んでいたところ、帰宅した相方からムカつく話を聞かされ逆上。これだけ国民が明日に向かっている時に、鼻持ちならん最悪なサラリーマンが小田急の車内に椅子占領してふんぞり返っていたとか。しかも得意先からの電話に嘘までついて。うちの相方はたかれたらしい


東北地方太平洋沖地震(発生日編)


 今日で地震が発生し、一週間が経ちました。

 犠牲者は阪神淡路大震災の死者を超え、まだまだ増えていくとのこと。全ての被災者に心から手を合わせ、冥福を祈りたいと思います。

 1週間という区切りがついたことと、個人的にも地震により深くかかわる契機となる出来事がこの1,2日にあり、一度自分の中で整理してみようと思い立ちました。

 まずは1週間の記録ということで、ざっと追ってみたいと思います。

------11日------
 前日客先に対し、明日は自宅で仕事をしたい旨を告げていたので、朝方まで仕事をしてから11時ごろに起床。家で仕事をした理由は、15日に締め切りの確定申告が迫っていること、データ入力案件で本日依頼される予定のデータ入力数が多いであろうこと、前回受け取った入力データの納期が本日の午後で、一部終了していなかったこと、25日納期の開発案件の進捗を進めたかったこと、の4つ。

 寝間着で作業していた私は、14時ごろ、風花(チワワ)と小春(ヨーキー)がワンワンと吠え盛るので人が来たのかと思っていましたが、外を見ることがありませんでした。その時に外を見ることが出来ていたら実は誰もおらず、いわゆる宏観現象を体験したのかもしれませんが、今となっては分かりません。

 本日〆の入力分を終え、お客様に完了メールをお送りしたのが14時36分。落ち着く間もなく、開発案件の作業を進めているときに地震はおきました(14時46分)。最初のP波は首都圏でよく遭遇するありきたりな地震であろうと高をくくっていました。2日前にも客先で大きな揺れを体験したことも影響したのかもしれません。
 ところがこの揺れは収まるどころかますます激しくなる一方。どーんという強烈な一撃ではなくじわじわと震度が増していく揺れです。風花と小春は吠え盛り、色々な家具が揺れ動きます。パソコンの電源が落ち、停電が発生したことに気付いた私はここに至ってただ事ではないことを悟り、書斎を出て、ホールの本棚をを抑えながら、扉を閉めます。カップボードの上の義母の絵が下におち、揺れは収まる様子もありません。一人の力では本棚を抑えているのが精いっぱいで、為す術もなく色々なものが動き騒ぐのを見ているだけでした。天井のファンが落ちてこないかだけを心配して上を見たりしたのを覚えています。
 やがて揺れは収まり、どこかでかなり大きな地震があったのではないかと思いを巡らせます。
続いて家族の安否。相方がフラのインストラクターとして朝から錦糸町に出かけており、揺れが収まりかけた時点でメールを2通送っています。「大丈夫かあ」(14時50分)「停電した」(14時51分)。これに対して「大丈夫」(14時51分) というメールがあり、まずは安心。この時点ではまだ携帯の送受信制限もなく、円滑に連絡がとれました。
 家の中をさっと点検し、何も割れておらず、義母の絵をもとに戻し、寝室の前の廊下の鏡が反対側の壁にもたれているのを直し、寝室の大きな鏡が支えのトランクを押しやりながら横になっているのを直します。これといった被害がなかったのが幸いです。
 
 直後にドコモからiコンシェルの地震速報が届き、東北地方が震源の地震であることを知りましたが、それ以外の情報は一切わかりません。携帯は連絡手段として使えなくなり始め、家の電源はブレーカーを何度操作してもまったく回復する様子をみせません。それでもかろうじて相方に停電していることと家の被害は軽微であることをメール送信することはできました(15時4分)
 余震が起こるたび、風花と小春が怯えてぶるぶると震えがとまりません。二匹を膝の上に乗せて、携帯の状態を見ながら、読書をすることにした直後に、関西の父から電話がありました(15時20分)。こちらの無事を聞く間も惜しく、興奮してしゃべる父。東北でかなり強い地震が発生し、すさまじい津波が町を襲っていることや、お台場で火事が起こっていることなどを教えられます。大方の状況は呑み込みつつも、お台場が火事ということに違和感を感じました。東北を震源とする地震にかかわらず、お台場がすごいことになっているということは、都心はかなり大変なことになっているのではないだろうか、と。ここで初めて相方が帰宅できないという可能性を頭に浮かべたのを覚えています。
 父とは10分程度話をし、相方に「帰れそうか?お台場とか凄いことになってるらしい。うちの親と電話で話してきいた。こっちはまだ停電。町田震度5らしい。市の屋外放送でゆうてた」というメールを送ります(15時34分)つまりこの時点ですでに町田市からは緊急災害放送が流れたことになります。
 
 以後、なかなかつながらない携帯で相方と何度かやり取りをして、娘たちのことやこれからのお互いの身の振り方を決めます。迷ったのが娘たち二人をどうするか。特に上の娘は放課後に友達の家に遊びに行く約束をしていたので、下手に動くと娘を路頭に迷わせることにもなり、また、給電が復活しない以上はセコムも回復せず、今の状態で外出するよりも電気の復活を待ってから娘たちのところに向かおうと夫婦で合意しました。

 ところがなかなか電気は復旧せず、情報からも隔絶された状態で、本当に娘たちを迎えに行かなくてもよいのだろうか・・・という疑問が膨らみます。こういう緊急時に学校がどういう対応をとってくれるのかがよくわからず、思い余って二匹を連れて散歩がてら周辺を回ってみます。ところが待ちに待った散歩と勘違いして喜ぶ風花、おずおずついてくる小春を連れているとなかなか前に進めず、しかも外はセーターだけだと寒いことに気づき、一旦二匹を連れて帰りました。
 防寒着を着て自転車を漕いで小学校の学童保育に着いたのが16時49分。ここで学童の保護者会会長をやっている相方が、学童の保護者向けSNSに状況を案ずる書き込みをしていることを知り、私が代理で状況を保護者向けに発信します。
 指導員の先生から、4年生は学校内で待機していることを聞き、防災頭巾をかぶる着ぐるみ次女を連れて学校内に入り、上の娘も確保したのが17時0分。
 親の想いと相違して、娘たちは私が早く迎えに来てくれないものだからむくれていた様子。とくに友達と遊ぶ予定が地震で狂わされた上の娘は不満が高じていて、さんざん文句を言われました。

 娘たちと家に帰ると、すでに外は日が沈み始め、灯りのない夜を過ごさねばならないことに気づかされます。娘たちには部屋を掃除させ、懐中電灯やろうそく・マッチなどを探します。夕食は昼飯の残りがあったので、それを3人で食べましたが、食料も用意しなければなりません。15年前の経験からすでに店頭から食品が消えていることを想像しましたが、一応行ってみました。すると店内にすら入れません。停電しているのだから当然です。それでも店頭で電池とろうそくを販売してくれていました。真っ暗の中営業していた店員さんに感謝の言葉をかけ、ろうそくだけ購入して帰りました。地震後初めての夜をろうそくの灯りのみで過ごします。街灯も家々の電気もなく、たまに通り過ぎる車のライトだけの世界。否応なしに異常事態であることがわかります。下の娘は電気のない生活が初めてで、かなり怯えた様子です。

 実家の両親や相方と連絡を取りつつ、mixiや学童のsnsを使ってごくわずかな外の世界との絆をつなぎます。いかに電気のある生活に慣らされきっていて、情報が入るありがたみに気づかないでいたかがわかりました。
 娘たちも9時過ぎには上のベッドに入り、私は引き続き連絡を取り合いながら、相方がフラの生徒さんのご自宅に泊めてもらうことや、学童保育の今後のことなどを連絡し合います。

 そうやって連絡の合間にろうそくの明かりで読書している間に、いきなり電気が復活しました。23時8分でした。復活するなり通電したセコムのコントローラーが誤作動をおこし、侵入者発生と大声で触れ回ります。5分近くどうしても音が消せませんでしたが、ようやく鳴り止ませることができました。家の電気関係をチェックし、異状のないことを確認し終わったので、地震発生後、全く仕事にならなかった一日を挽回するため、パソコンを再起動させます。が、ネットでさまざまな被害状況から目が離せません。私が情報から隔絶されている間にも、ネットの世界では膨大な情報が刻一刻と集められ、配信されていることに驚きます。また、被害の実態がかくも大きなものであり、ここに至って初めて事態が深刻なものであることを理解しました。

 1時過ぎに就寝しました。