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夕暮れをすぎて


著者の本国アメリカでは、本書は「Just After Sunset」という短編集として出版された。日本ではそのうち前半部が本書となり、後半部は「夜がはじまるとき」として出版されている。どういった契約になっているのかは知らないが、著者の短編集にはこのような形態をとるものが多い。

また、著者の短編集にお馴染みの趣向として、必ず短編集全体に対する著者の解説と、各編に対する解説が付されることが挙げられる。この解説を読むだけでも、稀代のストーリーテラーである著者の創作エピソードが理解できる。本書に収められた諸編は、著者の解説によると短編を書く喜びを取り戻した時期に書かれたものだそうだ。内容的には中編といってもよい分量のものもあるが、いずれも粒ぞろいの秀作揃いといえる。

以下に一編ずつ、レビューを書いていくことにする。

【ウィラ】

列車のアクシデントにより駅に足止めを食らっている乗客たち。彼らは手持ち無沙汰に迎えの列車をただひたすらに待っている。デイヴィッドの婚約者ウィラは待つことに飽き、デイヴィッドと共に近くの街へと向かう。そこで気付くこの世の真実。

気づいた真実を携え、それを他の乗客に伝えるために駅へ戻る二人。しかし、相手にされることはない。もはや迎えの列車など来ないことに気付いてしまった二人と気付かない乗客たち。列車は当の昔に廃線となり、今の自分達が世を去る原因となった事故が完全に復旧されることはもはや永遠にない。生者ではなく死者の視点から残酷な世界を見渡した構図が印象的な一編だ。

【ジンジャーブレッド・ガール】

本書随一の長さを持つ中編。物語の構成としては新味は感じられない。離婚の危機に瀕し、独り島に住まう主人公。そこで殺人鬼に遭遇してしまい、あわや惨殺されそうになる話。著者には悪霊の島という長編が上梓されているが、そのモトネタとなったのが本編ではないかと思われるが、そのことは著者の解説にはない。

【ハーヴィーの夢】

予知夢の話である。倦怠の中にある初老の夫婦。第一線で働く敏腕で成功者の夫との生活にももはや刺激は感じられない。そんな中、急に饒舌に夢を語り始める夫。そのリアルな内容と語り口に引き込まれる妻。

正夢としか思えないその夢は、彼らの身内に近づく不幸を暗示している。そしてその夢が正夢かどうかは読者に委ねられる。夢と同じく、現実の彼らに電話がなったところでこの物語は終わる。

著者の解説によるとこの物語を閃いたのは夢の中だとか。そのこと自体がすでに一つの物語といえる。

【パーキングエリア】

平凡な教師。それが主人公である。そして、ささやかな作家活動の成果とともに、想像力も人並み以上に持った人物。

その主人公が、たまたまパーキングエリアの女子トイレで虐待現場を目撃する。迷いとの戦いに勝ち、虐待する男を懲らしめる主人公。生まれて一度も喧嘩したことがないのに、生まれてはじめて味わう暴力衝動に驚く。女を解放し、虐待男に対して完全に優位に立つ主人公。主人公を覆う殻が割れた瞬間である。

【エアロバイク】

四年前に妻をなくした画家が、医者から不摂生を警告されるシーンから始まる本編。
無聊を慰めるためと体力をつけるためにエアロバイクを購入した主人公は、地下室に据え付けたそれを漕ぎながら、壁に大作を作り始める。そしてニューヨーク州のポキプシーからハーキマーヘの想像上の旅をエアロバイクに乗って行くことになる。道中見た脳内の風景を壁に描きながら。

トランス状態になるにつれ、壁の絵は主人公の制御から徐々に離れ始める。そして、絵の中で彼が乗る自転車は見えない追跡者に追われることとなる。

追跡者とは果たして、、、?

現実と虚構の境目を曖昧にする奇想の物語である。絵が現実を侵食する話は、著者の他の長編でも見掛ける。が、冒頭の医者による警告が見事に落ちへと繋がる結末は、見事に短編としての構成を成している。

【彼らが残したもの】

9.11の同時多発テロは日本にいる我々にも衝撃的な出来事だった。アメリカの方々にとってはもっと衝撃だったろう。

本編は、私が初めて読んだ9.11に関する一編である。おそらくは他の作家による小説の題材には相当取り上げられているのだろうが。

9.11で亡くなった方々の遺品が、偶然その日に休んで難を逃れた主人公の身辺に現れる。ビルの倒壊する轟音とともにこの世から消えたはずの品々が。

それらの品々は、咎なくして世を去った人々の無念の象徴だ。なぜそれが彼の元へ現れるのか。著者得意の怪異現象である。だが、怪奇現象を怪奇現象に終わらせず、それをアメリカの人々の鎮魂の想いに結びつけるのは流石である。私自身、本書に収められた秀作の中でも本編に最も強い印象を受けた。主人公がそれら遺品を届けるため、遺族を訪ねる結論もよかった。

本編に登場する人物が発するセリフの中で、以下のようなものがある。

「あいつらはあれを神の名のもとにおこなった。でも、神なんかどこにもいないの。もし神がいたのならね、ミスター・ステイリー、神はあの十八人だかの犯人全員を、やつらが搭乗券を手にしてラウンジで待っているあいだに始末していたはずよ。でも、そんな神はいなかった。ただ、乗客に搭乗を呼びかけ、あのクソ野郎どもにゴーサインを出しただけよ」

このセリフがアメリカの声を代弁しているとは思わないが、こういう声もまた、神なき今となっては主流なのだろう。

そして、このセリフは私に別の思いを連想させた。本書の筋やプロットをほぼ同じに、ヒロシマやナガサキを題材に物語を作っても良いのではないか、と。念のためにいうと、原爆を投下したのがアメリカだから因果応報で9.11のテロが起きたとか、そういった意図はない。8.6と8.9と9.11には何の関係はない。ただ、云えるのはあの日ニューヨークの空を覆った焔と煙がアメリカの人々に永久に刻印されたように、日本人にも二つのキノコ雲の映像は永久に刻印されているということだ。テロルや暴力との闘いは人類がいまだに克服できないテーマだ。それに向かい合わねばならない宿命は、日本人であってもアメリカ人であっても等しく持っている。本書の様な着想の物語はヒロシマやナガサキを舞台にあってもよいし、日本人にこそかかれるべきではないかと思った。

【卒業の午後】

9.11の生中継映像は私も見た。日本時間では深夜だったが、雲ひとつない鮮やかな背景と、ビルから立ち上る煙り。そこに突っ込んでくる二機目と吹き上がる爆発の炎。そういった映像が無音のまま、何の解説もないまま流される様はまさに衝撃だった。映像越しでも十分に衝撃を受けたのだから、現地での衝撃は尚のことだったろう。

本編は、マンハッタン対岸で卒業式を終えた少女が目撃した、平穏な日々が崩壊する瞬間を描いている。一読しただけでは、ホラー要素が薄く、著者の作風とは違うように思える。しかし、本編は紛れもないホラー作品である。作家の想像力の産物ではない、現実に起こりうる恐怖。それは平穏な日々が崩壊する恐怖であり、現実こそが最も恐ろしい恐怖を潜めているという予感。著者の筆は、その恐怖を余すところなく書いている。そして著者が描くのがマンハッタンの現地ではなく、対岸からの映像として描くことで、リアルと非現実の合間を絶妙に現している。

‘2015/05/18-2015/5/21