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昭和天皇の終戦史


岩波書店は、注意深く覆い隠しているが、どちらかと言えば左寄りの論座を持っている。もちろんそれは悪いことではない。
本書のタイトルから推測するに、昭和天皇の戦争責任についてある程度は言及し、認めているであろうことは予想していた。

昭和天皇が崩御して間もない時期に発見された昭和天皇独白録。敗戦後すぐの時期に内々で語られたというこの独白録が発見された時、新聞で一面に取り上げられたことを私は見た覚えがある。
本書はこの独白録の成立までの過程や、その内容などを取り上げている。著者は、この独白録が「平和のために苦悩する天皇」という先入観につながることを危ぶんでいる。著者は軍国とリベラルの二元で終戦史を捉えることに反対する立場だ。

私は、昭和天皇は一点の過ちも曇りもない、いわゆる聖人君子だとは思っていない。結局、すべての歴史上の人物と同じ、歴史の波に翻弄された方だと思っている。巨大な歴史の渦に抗おうと、懸命に努力し、あわや最後の天皇として名を残すところまで追い詰められた方だと。

判断を誤った局面もあった。逆に日本をそれ以上の破滅から救った英断もあった。
終戦の際、御前会議で聖断を下したことも昭和天皇の本心だったと思う。勝者として進駐してきたGHQのマッカーサー司令官に会った際、私がすべての責任を取るといった言葉も紛れもなく本心からの言葉だったと思う。緒戦の戦果に喜んだのも事実だろうし、開戦が決断される御前会議において明治天皇御製の句を詠んで深い憂慮を示したのも事実だろう。
一人の人間が担うにはあまりにも大きな重荷を背負ったのが昭和天皇。その逆境に耐え、日本の戦後の復興に導いたのも昭和天皇。実に英明な人だったと思う。昭和天皇がこの時、日本の天皇でよかったとすら思っている。

理想主義に燃え、軍国主義に対抗する天皇だったら、軍部の若手将校に退位させられていただろう。悪くすれば幽閉や暗殺さえあったかもしれない。
逆に愚昧な方だったとしたら、聖断もくだせなかっただろうし、GHQの協力も得られぬまま日本は共産主義に赤く染まっていたかもしれない。日本はもっと破滅的な未来を迎えていた可能性だってあった。

賢明でバランスのとれた方であったため、自らの置かれた政治的な立場やよって立つ体制の仕組みや限界もわかっていたはずだ。また、帝王学を学んでいたので、国際関係や地政学もある程度は身につけていたと思う。その上で世論の右傾化や軍の強硬な態度も把握していたことだろう。
その一方、ひと時の衝動で千数百年と続いた王朝を自らの代で終わらせられないとの危機感も強く抱いていたはずだ。

著者が描く昭和天皇のイメージとは以下の文に表される。

「天皇自身は、国家神道的国体観念をふりかざす「精神右翼」や「観念右翼」を一貫して忌避し、そうした勢力の政治的代弁者とみなされていた平沼騏一郎や「皇道派」系の将軍に対しては、終始批判的な姿勢をくずさなかった。
しかしそのことは、天皇が国体至上主義から少しでも自由であったことを意味しない。むしろ天皇は、「皇祖皇宗」に対する強烈な使命感に支えられながら、「国体護持」を至上の課題として一貫して行動した」(219 ページ)

つまり著者は、昭和天皇独白録を奉るつもりもなければ、戦争を主導した戦犯だと昭和天皇を糾弾するつもりもない。その一方で、昭和初期の日本が戦争主導グループとリベラルなグループに分かれ、昭和天皇が終始リベラルな側にいて戦争に反対を唱えていたと言う論調が定着し、それがこの昭和天皇独白録によってさらに助長されるのではないかと言う懸念を表明している。

本書は、独白録の内容や、成立までの過程を丁寧に追っている。
著者のスタンスは上に書いた通り。その上で著者は、本書において宮中派と呼ばれるグループに焦点を当てている。宮中派とはつまり牧野伸顕から木戸幸一に至る天皇の側近グループであり、穏健派とも呼ばれるグループだ。

「この「穏健派」の評価いかんによって、日本の近代史はまったく異なった像をむすぶが、私見によれば、当初、対米英協調路線と政党内閣制を支持していたこのグループは、十五年戦争の経過のなかで次第にそのスタンスを変化させ、軍部の路線との間の距離を縮めていった」(228ページ)

東京裁判において裁判に協力的な姿勢を示し、軍部に戦争責任を押し付ける形で国体の護持、すなわち天皇の戦争責任を免責に持ち込んだ事は、穏健派としては上々の成果だろう。この独白録の作成も対策の一つであることは当然の話だ。むしろ、国難にあたってこうした弁明書がないことの方が不思議に思える。

私は、穏健派と昭和天皇が成し遂げた今の日本の基盤をよしとし、感謝している。
戦前の皇国主義が今も続いていたら私のような自由を尊び、多様性を重んずる人間には生きづらい世の中だったと思うし、日本が悪平等を旨とした共産主義になっていたら、もっと生きづらかったはずだ。
私は昭和天皇には戦争責任はあったと考えている。だが、それは昭和天皇をおとしめることにはならないはずだ。一人の人間として懸命に努力し、知恵を絞り、立場や体制のバランスを考え、いざというときには毅然とした態度で事に当たった昭和天皇に私心はなかったちろう。その苦悩や責任の重さは私には到底想像もつかない。
だが、それでもどうにもならないのが歴史の当事者の宿命だ。

その過程では後世から見れば誤りと判断できる言動もあった。戦局にも一喜一憂した。ときには首相を叱責し、反乱軍に対してつよい口調で意思を示したこともあった。作戦に口を出したこともあった。
それらだけを取り上げれば、昭和天皇の戦争責任は重く、東京裁判ではA級戦犯並みの判決を受けた可能性だってあっただろう。少なくとも退位は避けられなかったはずだ。たが、昭和天皇は退位論にも与せず、あえて困難な道を選び続けた。
国民から畏れ敬われる立場から、親しまれる象徴の立場へ。国内を行幸し、四十数年の間をかけて新たな天皇像と戦後の日本を作り上げた。それは、普通の人にはとうてい成し得ないことだと思う。

聖人君子としての固定のイメージで語ることは、決して昭和天皇も喜ばないと思う。むしろ、バランスのとれた方だからこそ、自分の戦時中の過ちも含めて、バランスを取るために本書を良しとしたはずだ。むしろ喜ばれたのではないだろうか。天皇機関説をその通りだと認めた方だけに。

2020/10/14-2020/10/18


運を天に任すなんて―人間・中山素平


自分が政治の世界に身を置いてみたところで、彼らを凌ぐような実績を残せる域にはまだ達していないと思うだけに、今の政治家の体たらくについてはあまり批判したくはないけれど、戦後の日本の高度成長を支えてくれた先達と比較して、これはという巨星が少ないような気がする。

日本の戦後復興にあたり、財界が果たした役割についての異論はないと思うけれど、財界に錚々たる人物が揃っていたことが、どれほど日本に発展をもたらしたか。

今までに様々な方を取り上げた評伝を幾冊も読んできたけれど、彼ら成功者と言われる方々に通ずるのは、運や能力よりも、意思の力が強い事ではないかと思う。特に会社勤めの頃よりも独立した今、そのことを感じるようになってきた。もとより自己啓発本の類はあまり手に取らない私だけれど、おそらく同じようなことが書かれているのではないかと思う。

本書のタイトルは、組織の中で理不尽とも思われる流れに逆らうことなく生きぬき、財界の重鎮となった中山素平氏に対して著者が言った言葉に対し、中山氏が返した強い反発の言をもとにしている。

中山氏の一生を概観すると、大勢の流れに抗せず、あるがままに生きたように見えるエピソードがあるため世間ではそのように評する向きもあったようだが、中山氏の中では、大したことでない場合には我を見せず、ここぞというところで意思を通したことに誇りを持たれているのだと思う。

実際、本書の中では中山氏の物事に拘泥しない普段のエピソードとともに、強固な意思の強さを表すエピソードも描かれている。その両のエピソードの結果として氏の社会的な実績が築きあげられたように受け取れた。

平素に柔軟な氏の人柄があったからこそ、肝心な時に意思を通せたのだということがよくわかる。どちらかが欠けても駄目なのであり、そのバランス感覚と、いざというときの抑揚、つまりメリハリの重要性が人生の荒波を乗り切るに有効であることを教えられる。

今年の一年をメリハリ、に置く私にとっても非常に参考になる生き方である。

’12/1/28-’12/1/30


昭和史七つの謎〈part2〉


歴史に対するバランス感覚を大切にする著者の歴史観を支持する私は、本書を読んでもその期待が裏切られないことに安心しつつページをめくった。

本書では「東条英機に利用されたゾルゲ事件」「明かされる「大本営発表」の歪みと嘘」「「陸軍中野学校」の真の姿をさぐる」「吉田茂が描いた国家像とは?」「昭和天皇に戦争責任はあるか」「「A級戦犯」は戦後なぜ復権したか」「田中角栄は自覚せざる社会主義者か」という魅力的な題材が並んでおり、各章のタイトルだけで興味が湧くのを抑えられなくなる。

特に「昭和天皇に戦争責任はあるか」については、昭和史を語る上で外せない論点で、ここでも著者のバランス感覚は冴えわたり、マトリクス状にして色んな角度から分析している事には感嘆。善悪二元論などとはすでに次元が違うその姿勢といい、著者のバランス感覚を保つ秘密を垣間見られた気がした。

他の章もそれぞれに魅力的なのだけど「「陸軍中野学校」の真の姿をさぐる」もよかった。情報戦に圧倒的な力で負かされたという思い込みがある第二次大戦の我が国だけれど、実は局地戦では健闘した人々がいてそれらが中野学校出身者というのが、実は一般社会よりも学歴偏重が強い軍の矛盾を表しているようで興味深かった。

「吉田茂が描いた国家像とは?」なども、今の政治の混迷を脱するヒントが隠れているようで興味深い。

こうやってそれぞれの章ごとに戦争やその当時の日本を描いているように見えても、実は日本人とは何かという一本の筋で貫かれているため、読んで考えるべき点の多い本である。

’12/1/19-’12/1/20


骨の記憶


著者の名前はミステリ関係のランキング本や新古書店などで目にしていたけれど、手に取るのは初めて。

浅い見方をすればプロットは集団就職での裸一貫での状況からバブルに踊るまでの日本昭和史を背景に絡めたサクセスストーリーで、有りがちといえば有りがちな内容である。が、それだけで切って捨ててしまうには惜しいほどのディテールが込められている。特に前半部、主人公が東北で貧富の差をかみしめつつ、とある出来事にまきこまれるまでの展開において、実に骨太で気合の入った描写が続く。東北弁が縦横に駆使されていて、ほとんど意味がつかめないほどである。私は東北出身者ではないので東北弁が妥当な使われ方をしているのかどうかわからないが、上京後の主人公の運命の変遷によって主人公の言葉が徐々に標準語に置き変わっていく様など、丁寧な描写がなされていることに好感が持てた。

凡百の成功譚や、見せかけの成功を戒める教訓譚からこの本が一線を画しているのも、この丁寧な描写に尽きると思う。

主人公が運をつかみ始めるところから話の展開が速くなるのは、よくある偉人伝と同様な流れであり、成功者の孤独やむなしさ、それを覆う上流社会の暗さの描写もきっちりと押さえた筋の展開は安心して読み進められる。だからといって単調な筋展開に陥らないのは、冒頭に仕掛けられた伏線がかなり印象に残るものであるからであり、どのように主人公が自らの人生の落とし前をつけるか、についての興味は持続し、ページを繰る手は休まらない。

戦後日本が国際経済で覇を唱えるまでの道行と、主人公のそれを重ねて読むことで、戦後日本の光と闇を、集団就職という視点から追体験することも可能な小説である。

’11/12/03-’11/12/05