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森の宿


著者のエッセイは初めて読む。

著者が海軍出身だったことはよく知られている。それもあって、海軍を題材にした作品が多いのは当然だ。
私も著者の作品は海軍を題材としたものが多いという印象を持っている。
山本五十六、米内光政、井上成美の三人をとり上げた伝記はつとに有名だ。
私はその三冊のそれぞれを複数回は読みなおしている。

そうした読書歴からか、私の持つ著者に対する印象は海軍で鍛え上げられた硬派な作家としての印象があった。
それだけに、ユーモアにあふれた本書の内容には思わず顔がほころんだ。

本書は、タイトルからもうかがえるように旅のエッセイの趣が強い。著者による旅先の珍道中が描かれている。
旅が好きな向きには、特に乗り物が好きな方にとって、本書の内容は興味深いはずだ。実際に旅がしたくなることは間違いない。
旅立ちのきっかけになるかもしれない。本書はその点からもお勧めできる。

もともと、著者は幼少期から乗り物が好きだったそうだ。
本書にも船、飛行機、鉄道、蒸気機関車など多種多様な乗り物が登場する。
蒸気機関車を運転する経験を楽しげに描いているかと思えば、飛行機についての随想も記している。
さらに船旅のゆったりとした時間軸がもたらす効果も。

著者の本来の姿とは、謹厳な作家ではないのかもしれず、むしろ、本書に書かれたような姿こそが著者の本当の姿なのだろう。文士としてのしかめ面ではなく。
今風でいえばオタクとしての気風を持っていたのが著者。それを好奇心の赴くままに楽しみ、文章にきちんと表す。
本書によって私の著者に対する親近感は増した。

本書に書かれたような旅が自在にできるから文士はうらやましい。もちろん、創作の際、産みの苦しみに呻吟することはさしおいても。
旅を中心とした題材。乗り物を愛する思いが文章に収まり切れず、硬質な文体であってもユーモアが感じられるのが本書だ。
その絶妙なバランスがとても面白い。

本書の読みどころは旅人としての視線に限らない。随所に登場する文士としてのすごみにも注目してもらいたいと思う。
例えば斎藤茂吉の短歌をすらすらとそらんずる下り。漢詩を鑑賞し、その中に漂う旅情をすくい上げ、旅人としての共感に言及する下り。

そうした素養はいったいどこで培ったのか。そうした読者の疑問にも著者は本書の中で答えてくれる。
著者が海軍を退役後に志賀直哉に弟子入りしたこと。志賀直哉の最後の門人として活躍したこと。
著者の略歴の中で、いつしか文士としての素養が開花したのだろう。

著者の経験や略歴から立ち昇る文士のすごみのようなもの。
そのすごみは、私のつたない文章では伝わらない。そもそもそういうすごみとはなんだろうか。私が訳知り顔で語ってみたところで怪しいだけだ。
今の世の中で文士のすごみなど語ってみても、本当にあったのだろうかとすら思ってしまう。いわば死語のようなものとして。

今の世の中に作家は多い。が、文士と呼べる方はどれだけいるのだろうか。
もちろん、現代の作家と文士の違いを定義することは困難だ。が、それを承知で無理やり定義してみたらどうなるのだろう。

私はその違いをリアルな実感の有無ではないかと考える。つまりはデジタルを知っているかどうか。

本書にとり上げられる旅は、平成に入ってからのものも多い。インターネットが世に広まった後だ。
本書からは著者がことさらにデジタルを避けていたような印象は受けない。
それにもかかわらず、本書からはデジタルの匂いが感じられない。
とらえどころのないデジタルの怪しさといえばよいか。

それも無理はない。年齢を考えると著者がインターネットに触れることはそれほどなかったはずだから。
ネット時代の到来を知る前に老齢になった。デジタルとは無縁。物の手触りしか知らない。それが本書に文士の香りを漂わせている。
そして、その香りの有無こそが、文士と現代の作家の間にある違いではないだろうか。そう思えてならない。

本書に登場するのは動く機械だ。機械とは目に見え、手で扱える。海軍に属していた著者の経験。乗り物が好きな最後の文士としての無邪気な体験。それらはリアルな機械を相手にしたときに発揮される。
もちろん本書に登場する乗り物とて、デジタルと無縁ではない。
昭和の後半からすでに精巧なCPUを内部に備えていたはずだから。

だが、著者のエッセイからは技術的なエンジニアの香りは漂ってくるものの、デジタルがはらむとらえどころのなさは感じない。デジタルとは、言うなれば仮構の存在だ。
データは現実を動かす。が、データそれ自体は人の五感は及ばぬ場所にある。

著者のエッセイからは、データが世の中を動かす虚しさではなく、実感のあるモノを扱う無垢で幸せな時代の名残が濃厚に感じられる。

デジタルの世界に慣れてしまった現代の作家と、リアルしか知らない作家。それが文士と文士以外を分ける違いではないだろうか。

デジタルに記憶を委ねる人生。デジタルに投影された芸術。そうではなく、五感で受け止められる現実。
それしか知らぬ本書のエッセイが、技術的なことをとり上げながらも、文士のすごみを備えていることが、本書にある種の品格を与えている。

言うまでもなく、デジタルを知っているかどうかで、文士と作家の優劣が決まるわけではない。
そもそも時代の違いを無視して比較すること自体が不公平だ。それを作家と文士の優劣の基準にすることは文士や作家に失礼だ。

私たちにできるのは、時代によって作家の語る断面の違いを味わうこと。その味わいこそが、書そのものの価値を決める。
さしずめ本書から味わえるのはデジタルが世を席巻する最後の証しだろう。

私たちの世の中は、これからも一層デジタルによって変化していくことだろう。
その時、乗り物という題材から、デジタルが世を席巻する最後の時代を切り取った本書の価値は見直されてもよいはずだ。
もっと本書が世の中に知れ渡ってほしいと思う。

2020/11/26-2020/11/27


昼は雲の柱


著者の作品を読むのはこれで三作目だ。著者は「震災列島」「死都日本」の二冊で、宮崎・鹿児島と濃尾平野を壊滅させている。

本書で壊滅させられるのは、富士山のふもとに控える山中湖村や御殿場市、裾野市のいったいど。

令和の今、富士山が噴火するとどうなるか。おそらく日本は言葉では表せない状態に陥ることだろう。壊滅的。
実際、江戸時代の宝永の大噴火では、富士山から吹き上げられた火山灰が江戸に積もったという。
ところが、今の東京の人々は噴火のリスクをとても楽観的に考えているように思う。なぜなら、江戸の街に降った火山灰は人体に直接の影響を与えず、後世に噴火の恐ろしさが伝えられていないからだ。

だが、現代は江戸時代とは違っている。現代は情報の時代だ。
あらゆる経済活動が情報機器の扱うデータに頼っている。
人々の日常すら、見えないデータの流通がなくては滞ってしまう時代。江戸時代とは社会的な状況が違っているのだ。

それらの情報機器が火山灰の襲来にどこまで耐えうるのか。残念ながら厳しい結果となるだろう。
火山灰の細かな粒子が機器の内部に入り込み、予期せぬ誤動作を起こす。そうなった時、首都の機能はどこまでダメージを受け、人々の生活にはどれほどの影響が生じるのか。

それだけならまだいい。
もし富士山から噴き出た火砕流が御殿場や三島や沼津まで流れた時、街はどうなってしまうのか。
その時、日本の大動脈は切断される。その時、日本の経済はどれほどの痛手を被るのか。
誰にもわからない。
確かに試算はされている。とはいえ、それらはあくまでも試算に過ぎない。
情報社会の恩恵を謳歌している今の日本は、まだ首都圏直下型地震も富士山大噴火も経験したことがないのだから。誰にもその被害は想像できない。

著者は「震災列島」「死都日本」の二冊で、日本の地質上の宿命を描いている。
各プレートがせめぎ合い、マントルが摩擦する上に浮かぶ日本。地震と火山との共存が古代から当たり前だった。
日本が享受している繁栄とは、実はあやうい地盤の上に乗っている。それを認めるのはつらいが事実だ。
それが今までの日本の災害史が示してきた教訓なのだ。

本書の冒頭には上下二段で富士山周辺の地図が掲げられている。
上段では神縄・国府津-松田断層帯の断層が図示されている。下段では富士山が噴火した際、火砕流が及ぶ範囲が図示されている。
神縄・国府津-松田断層帯は、伊豆半島の上部を巡って富士山頂を通り、富士山の西側で富士川河口断層帯となって海へと延びている。
その形は伊豆半島の生い立ちが、もともと太平洋の南の彼方に位置していた古代に起因している。
伊豆半島はかつて島だった。そして日本列島へ北上し、日本列島に衝突した。その衝撃が丹沢山地や富士山や箱根の景観を作り上げた。
皮肉なことに、その衝突によって富士山は日本列島のシンボルにふさわしい姿となり、観光資源を生み出した。そして古くから日本列島に住まう人々に富士山は崇められてきた。
かつては二つの峰を持つ「ふち(二霊)山」として。
時には怒り狂い、人々に自然の圧倒的な力を見せつける。その姿はまさに神。

本書が面白いのは、地質学の最新成果を盛り込みながら、一方で人々にとっての神とはなにか、どうして生まれたのかという考察が豊富に加えられていることだ。
その解釈はとても興味深い。
著者がめぐらす考察の範囲は日本神話にとどまらない。
たとえばソドムとゴモラで知られる旧約聖書の挿話も本書には登場する。シナイ山とアララト山の関係も。
地球の変動が人類の深層記憶として刻まれ、それらが各地で神話として語り継がれてきた。

太古の人類にとって、火山の噴火とは人知が圧倒的な及ばぬ力を感じさせる一大イベントだったことだろう。
火山こそが神と等しかった。神は怒らせると噴火や地震としておごり高ぶる人類に鉄槌を下す。
その一方で噴火は人類に火を教えた。熱を加えることで肉は食べやすくなり、食物は殺菌できるようになる。人々の健康は増進し、寿命を延ばした。
世代間の伝承が進むようになり、人間は文明を持つまでの進化を遂げた。それらもすべて神、つまり火山が人類にもたらした恩恵だ。

ホモ・サピエンスが生まれたのはアフリカの大地溝帯であることはよく知られている。そしてその地は火山地帯でもある。
著者は本書の主要な登場人物である山野承一郎の口を通して火山=神説を語る。
類人猿が人類へと進化したきっかけには火山の噴火があった。この説にはとても興奮させられた。

長きにわたって伝えられてきた火山の恩恵と恐ろしさ。それは人類に神への畏敬を生み、人々は神によって導かれ、種として成熟を遂げた。

本書は冒頭で徐福伝説を登場させ、富士山のふもとに徐福の墓を置く。もちろんそれは著者の創作だろう。
秦の始皇帝から命ぜられ、蓬莱山に不老不死の薬を探しに来た徐福。彼が富士山を発見し、それを神の象徴として感じたという想像。それはロマンチックな心を目覚めさせる。

本書では富士山が噴火する。その圧倒的な描写は本書の一つのクライマックスだ。
だが著者が書きたかったのは、その破壊の側面ではないはずだ。上にも書いた通り、著者は火山が人類に恩恵を与えてきたことを記してきたからだ。
では、富士山が本書で描かれる通りに噴火したら、日本列島に住む私たちにはどのような恩恵をもたらされるのだろうか。
私は、その恩恵とは東京への一極集中を終わらせることにあると思う。富士山の噴火をきっかけに首都圏の機能が壊滅的なダメージを受ける。それをきっかけに日本列島の各地に分散した日本人。それが未来ではないか。

そういえばかつて日本沈没を描いた小松左京氏も、分散した日本人に希望を見いだしていた。私もそう思っている。

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‘2020/01/27-2020/01/28


名古屋出張・桑名・養老・大垣の旅 2019/6/4-5


一日目、6/4
家を9時過ぎに出て、新横浜経由で名古屋へ。名古屋には11:45分頃につきました。
今までにも何度か名古屋は訪れていますが、仕事で行くのはおそらく初めてのはず。
この日は名古屋のお客様との打ち合わせやシステムの説明会などがあり、午後から夜まで息をつく暇もないほど。

ホテルは妻に予約してもらいました。場所は伏見の手前、錦橋のたもとです。なので、名駅から歩いていけると判断し、久々の名古屋駅前を味わいつつ歩きます。
転送してもらった案内メールに書かれていた住所まで歩き、着いたホテルはなぜか工事中。おかしいと思いながら、エレベーターを上下してみました。それなのに、どの階も工事しているのです。
思い余って地下の事務所まで乗り込んでみたら、実はビル全体がまだ開業前だったという落ちでした。どうもメールの住所が間違っていたみたい。
わたしが泊まる名古屋ビーズホテルはそこから50メートル離れた場所にありました。ああ、びっくりした。

結局そうしたバタバタがあったので、宿を出たのは12:25分過ぎ。さらに、伏見駅で迷ってしまい、お客様のもとについたのは13時ギリギリでした。
そのため、楽しみにしていたきし麺を食べる暇はなく、ファミリーマートのおにぎりを急いで胃に収めました。旅情ゼロ。

午後のお客様のもとでの詳細は書きません。仕事は無事に終了しましたし、いくつかの打ち合わせもつつがなく終えることができました。(ちなみに一年たった今でもこのお客様とのやりとりは頻繁です。)

夜はお客様の四名の方が酒席に誘ってくださいまして、「世界の山ちゃん 千種駅前店」で。
実は私、初めての山ちゃん体験です。うれしい。
きし麺、あんかけスパゲッティ、手羽先など、名古屋グルメと銘酒を思うがままに味わい尽くしました。

かなりの量のお酒を飲み、酩酊してしまった私。なんとか宿に帰りつくことはできました。でも、バタンキューです。すぐに寝入ってしまいました。
栄のバーを訪問しようと思っていたのですが。おじゃんです。

二日目、6/5
この日は、せっかく名古屋に来たのだから、と観光にあてる予定でした。
朝一で作業をこなし、ホテルを出たのは9時過ぎ。
ホテルに荷物を預かってもらい、名駅まで歩いて向かいます。そこから近鉄に乗って桑名へ。10時過ぎに着いた桑名は、ほぼ4年ぶりの訪問です。
前回の訪問では実家に帰る途中に車で訪れ、川べりで車中泊をしました。桑名城や六華苑や焼き蛤が懐かしい。
今回は桑名はただ立ち寄るだけの場所です。駅前の観光案内所でマンホールカードを入手しただけでした。

この日、私が目指したのは養老の滝です。そこに行くには養老鉄道に乗りかえねばなりません。
この養老鉄道、昔は近鉄の一支線でした。今は近鉄グループに属しているとはいえ、独立した地方鉄道として運行されています。
こうしたローカルな電車の旅は久しぶりで、停車している電車を見るだけで旅の臨場感はいや増していきます。

電車は、桑名から養老駅までの十駅を一駅一駅、丁寧に停車してゆきます。のどかな旅です。
電化されているとはいえ、単線ですから速度も控えめ。車窓からの景色を存分に味わうことができます。旅情を満喫するには十分。
沿線には栗の花が咲き、目に飛び込む風景は、山際に沿った鉄道の風趣が感じられます。

栗の花 今も鉄路の時 刻み
養老鉄道車内にて

養老駅を訪れるのは二十数年ぶりのこと。
当時の記憶はありませんが、久しぶりに訪れた駅には個性がそこらに見られます。中部の駅百選に選ばれただけのことはあります。
ここは酒の愛好家にとっても著名な地。滝近くの水をひょうたんに汲んだところ、酒に変化して父を喜ばせたという孝行伝説でも知られています。
駅名もひょうたん文字で描かれており、おびただしい数のひょうたんが天井からぶら下がる姿は個性そのものです。

駅舎内には地元のNPO法人が観光案内所のような施設を運営しているようです。ただ、私がが訪れたタイミングでは閉まっていました。残念です。
そればかりか、養老駅には事前にレンタサイクルがあると調べていたのですが、駅員さんがどこかに行ってしまったため自転車を借りられませんでした。

なので、駅から養老の滝までを歩くことに決めました。なに、ほんの2、3キロのことです。私にとってはさほどの距離ではありません。
その分、養老の街並みを味わいながら歩くことができました。通りがかった養老ランドという「パラダイス」を思わせる遊園地がとても魅力的です。さらに、公園の中は木々が緑をたたえており、視界の全てが目に優しいです。

養老公園を歩いていると、平日の午前でありながら、開いている店があります。食指が伸びます。
さらに歩くと、菊水泉に着きました。
ここがあの孝行伝説の泉です。名水百選にも選ばれています。

泉の底に影の映る様子は透明そのもの。名水とは何かを教えてくれるようです。
菊水泉のような澄んだ泉をみると、私の心はとても穏やかになるのです。

クモの巣や 霊泉さらに磨きけり
菊水霊泉にて

菊水泉の横には養老神社も建立されています。もちろんお参りしました。そして旅のご加護と仕事の無事を祈願しました。

そこから養老の滝までの道も、見事な渓谷美が続きます。木々と周りの空気の全てが私を癒やします。その喜び。渓流には小さな滝が続き、徐々に期待を膨らませてくれます。

たどり着いた養老の滝は、20数年ぶりに訪問した私を見事な滝姿で待っていてくれました。20数年前は、雨の中でした。滝壺にでかいガマガエルを見つけたことはよく覚えています。
雨の中の訪問だったことに加え、当時は今ほど滝の魅力に惹かれておらず、滝の様子は覚えていませんでした。
だから今回が初訪問とみなしても良いのかもしれません。

養老の滝は直瀑です。30メートル強を一直線に落ちる水量が豪壮で、それが周囲の木々に潤いを与えています。
見事な晴れ空の中、落ちる滝飛沫を見ているだけで、すべての雑事が洗い流されていきます。

白布や 巌透かして 涼やかに
養老の滝にて

一時間近くは滝の姿をあらゆる視覚から眺めていたでしょうか。
養老の滝の前には広場が設えられています。そこには威厳を備えた二基の岩が屹立しています。その合間からのぞく滝も風情があります。
時の天皇からお褒めを賜り、元号にまでなったこの地。それを象徴するのが養老の滝です。
全国に名瀑は多々あれど、元号になった滝はここのみ。
そうした歴史と滝の美しさは、私を滝の前にしばりつけ、全力で引き留めようとします。
この地には私を惹きつける何かがあります。
ですが、きりがありません。後ろ髪を引かれるようにして滝を後にしました。

老い先に あらがう 滝の姿かな
養老の滝にて

養老公園には、滝以外にも私の興味を惹く場所がほかにもまだあります。
ひょうたんランプの館というお店は、名の通りひょうたんで作ったランプを販売しており、外から中を想像するだけで30分は私をとどめることは間違いなかったので、中に入りませんでした。
また、かつてこの地で製造されていた養老サイダーも、瓶があちこちのお店に飾られていて目を惹きます。この養老サイダーは、明治の頃から有名なサイダーとして知られていたものの、二十一世紀に入って操業が中止されていた幻の品。それがブランド名と原料水とレシピを基に復活したそうです。まさにその銘品である養老サイダーをいただいた私。美味しい。旅のうるおいです。

さらに、親孝行のふるさと会館を訪問しました。
養老の滝訪問の証を書いてくださるというのでお願いしたら、途中で墨が出なくなってしまい、サインペンになったのはご愛嬌。

帰りは行きと違う道を通り、養老寺なども詣でながら駅に向かいました。
行きに見かけた養老天命反転地という、錯覚をテーマとした屋外の芸術作品を展示する公園があり、ここには惹かれました。が、この後の行動の都合もあってパスしました。
その代わり、養老の街並みを目に焼き付けながら帰りました。
次回の訪問では養老の街をじっくりと観ることを誓って。

養老の駅に着き、次の電車までの間、しばらく駅前や駅舎を撮影していました。そして、桑名からやってきた電車に乗って大垣方面へ移動します。
せっかくなので、桑名から養老までは乗らなかったサイクルトレインの車両に乗りました。
サイクルトレインとは、車両内に自転車を持ち込める制度です。
でも、こういう試みって、実際に使われている現場に遭遇することはあまりないですよね?
ところが、次の駅ぐらいから自転車を持ち込んできたお客さんがいました。しかも私のすぐ横で。実際に利用されている様子をみて感動する私。
電車内に自転車など、都会では絶対見られない光景です。
また、サイクルトレインを実施している地方のローカル鉄道はあるでしょうが、そうした場所には車で訪れることがほとんどです。
この電車の旅にふさわしい体験ができました。

大垣に近づくにつれ、地元の高校生の姿が目立ってきます。
養老まで乗って来た時の寂とした車内とは様子が一変。学生の乗客と自転車がある車内。なかなかの盛況です。
そして窓の外には美しい車窓が広がり、旅の思い出にアクセントを加えてくれています。
こうした資産を多数持っている養老鉄道には、今後も頑張ってほしいです。うれしくなりました。

電車は大垣の駅に着きました。私は下車します。養老鉄道はさらに北の揖斐まで延びているそうです。機会があれば全線を乗車したいですね。それだけの魅力はありました。

さて、大垣の街です。私は大垣の駅は何度か乗り降りした経験があります。
大阪と東京を青春18きっぷで行き来する時、大垣駅は大垣行き夜行やムーンライトながらの終発着駅です。なので私は何度もお世話になりました。
ところが、大垣をきちんと観光したことは一度しかありません。

今回は短い時間ですが、レンタサイクルを借りて大垣の街を巡るつもりでした。
特に訪れたいのは奥の細道むすびの地記念館です。
松尾芭蕉が奥の細道の旅を完結したのがここ大垣なのです。
私も旅人の端くれとして、また、素人俳句詠みとして、一度は訪れてみたいと思っていました。

駅前のマルイサイクルというお店で自転車を借り、颯爽と大垣の街に繰り出しました。
自転車で旅に出るこの瞬間。これも旅の醍醐味の一つです。

商店街を抜け、しばらく行くと公園の横を通りました。ここは大垣公園です。大垣城をその一角に擁しています。
このあたりから芭蕉翁の時代の面影を宿す街並みが見えてきます。
水都の異名に恥じない美しい水路が流れ、そこに沿ってなおも走ると、住吉燈台という灯台が見えてきました。海沿いの灯台はよく見ますが、川沿いの灯台とは珍しい。しかもそれが往時の姿をとどめていることにも心が動きます。

水路にはかつて船着場だったと思われる階段があちこちに残されており、かつての水都の面影が偲ばれます。
芭蕉翁が奥の細道を終えたとされる実在の船着場の姿は、当時から何も変わっていないのでは、と思わせる風格を漂わせていました。
その船着き場のそばの川べりに建てられたのが、奥の細道むすびの地記念館です。

わが生も 締めは若葉で 飾りたし
おくのほそ道むすびの地にて

奥の細道といえば、日本史に燦然と輝く紀行文学の最高峰です。
あれほどの旅を江戸時代に成し遂げた芭蕉翁のすごさ。さらに俳句を文学的な高みまで研ぎ澄ませて作中に盛り込んだ構成。私も旅人の一人として、常々その内容には敬意を抱いていました。

旅の師を 若葉の下で 仰ぎ見る
おくのほそ道むすびの地にて

ただ、私は何も食べていません。おなかが空いています。さらに道中にも仕事上のご連絡を多くいただいていました。なのでまずは売店に直行し、食べられそうなお菓子を買い込みました。さらに併設のカフェスペースに電源があったので、お店の方に断りを入れて使わせてもらいながら、空腹を満たし、作業に勤しんでいました。
ここで購入した烏骨鶏の卵で作ったバウムクーヘンがとても美味しかった。

さて、腹がくちくなったところで、店の人に再度お断りをいれ、机にパソコンを置かせてもらい、資料館の中へ。

ここ、期待以上の展示内容でした。
芭蕉翁の奥の細道の全編を現代文に読み下した解説がパネルになって展示されています。その解説たるや、国語の教科書よりも詳しいのでは、と思わされます。これはすごい。感動しました。
私も何年か前、古文と読み下し文が併載された奥の遅道は読破しました。が、本では学べなかった詳しい内容や構成がこの資料館では学べます。
俳句を好む私のような人だけでなく、日本史や日本文学の愛好家にとってもここはお勧めできます。もちろん旅が好きな人にも気に入ってもらえることでしょう。
私もまた来ようと思いました。

あまりにも資料館に長居しており、カフェが先に閉まったことに気づかずじまい。せっかく許可をくださったスタッフの方にご迷惑をかけてしまったのは申し訳なかったです。
その分、またお伺いしたり宣伝しようと思いました。

記念館に併設された水場では美味しい水を飲めます。それを飲んで活力を得た後は、再び自転車で駅のほうへと。
大垣城の天守閣に寄ったのですが、天守はすでに閉館時刻のため、入れませんでした。
天守を背景に従えた戸田氏鉄公の騎馬姿の銅像が美しく、逆の角度からは夕日にとても映えていました。大垣城は「おあむ物語」の舞台でもあり、次回は城の見学も含めて訪れたいと思いました。

さて、時間は17時を過ぎました。マルイサイクルさんに自転車を返す時刻まではまだ余裕があります。
そうなると宿主の脳を操ってどこぞへ向かわせようとするのが私の中の悪い虫です。そやつに操られるがままに、私は次の目的地へとハンドルを切りました。
向かうは墨俣一夜城跡。後で確認したところ、大垣駅から7.3キロ離れています。
それでも行ってしまうのが私のサガ。そして持ち味。

ところがなかなか遠いのです。
一生懸命、自転車を漕いだのですが、揖斐川を超える揖斐大橋を渡り、安八町に入ったところで、引き返す潮時だと判断しました。無念です。あとで確認したら墨俣城まではちょうど真ん中でした。
そこから大垣駅へと戻り、自転車を無事に返却しました。大垣を堪能するには時間が足りなかったようです。いずれまた再訪したいと思います。
大垣駅から電車に乗り、豊橋行の新快速で名古屋へ。

名古屋に着き、せっかくなのでナナちゃん像を探しました。ですが、見つけることができません。
錦橋の名古屋ビーズホテルへと荷物を取りに戻った帰り、諦めきれずにナナちゃんを探しました。あった!ようやく見つけることができました。
インパクトのある姿を脳裏と写真に収めたところで、山本屋本店で味噌カツうどんを。
お土産は昨日お客様にお土産でいただいた名古屋名物のお菓子セットがあるので、家族にはあと一品買った程度でした。


藁の楯


映画館で「藁の盾」を観たのは本書を読む1年前、5/18のことである。大沢たかおさん、藤原竜也さん、松嶋菜々子さんなど錚々たる俳優陣に支えられ、その演技力とプロットの独創性に唸らされた映画であった。見終わった後に原作がビーバップハイスクールを描いたきうちかずひろ氏によるものと知り、原作も読みたくなった。1年経ち、ようやく読めたのが本書である。

いささか乱暴な言い方をすると、映画は状況描写、小説は内面描写が本分である。とはいえ、映画版は俳優陣の演技が素晴らしく、内面の心理がスクリーン越しに伝わってくるものがあった。しかしその前提となる背景説明が映画版では省かれており、登場人物の行動に裏付けが取れない印象を受けた。小説版ではそのあたりがどう書かれているか、知りたい想いが強かった。

実際に読み終えて思ったのは、映画版とほぼ同じであった。つまり、残念ながら背景説明はあまりなかったということである。護送SPの一人一人にもう少し背景描写があればよかったのに、という思いは変わらなかった。本書を書くにあたり、著者が筋運びのテンポを臨場感に並々ならぬ努力を掛けたことはよくわかる。だが、状況説明、つまり登場人物の深みがより書かれていればもっとよかったのにと思う。これは著者に失礼を承知で書くのだが、漫画というメディアが小説と映画の中間でも、映画寄りに位置していることが関係しているのではないだろうか。

本書が小説デビューとは思えぬほど面白い小説だけに、映画版を先に観てしまった私のような読者からは、同様の感想があるのではないだろうか。でも、また機会があれば次作も読ませて頂きたいと思っている。

’14/05/03-’14/05/03


藁の楯 わらのたて


とにかく俳優陣の演技が素晴らしい。とくに主人公演ずる大沢たかおさんは、プロ意識と個人的な思いの狭間で葛藤する様が見事である。

護送する側の5人のそれぞれに抱えた職務への責任と、内に隠した事情を隠してのせめぎ合いは、不自然さを少しも感じさせないし、護送される側の藤原竜也さんの、自分本位な犯罪者、くずっぷり演技は見惚れるばかり。それ以外の脇役陣についても、役柄に溶け込んでいて、演出について手抜きはない。

以前、東京国際映画祭に招待されてからというもの、日本映画を見る機会が増えたが、テレビでは見られない演技力の確かさには毎回驚かされる。

それまであまり日本映画を観てこなかったことに後悔するばかりである。

ストーリーについては、原作は未読であり、そちらを読まない限り、プロットに対する評価はアンフェアと思う。

ただ、原作では、もう少し護送する5人の側の背景が描かれていたのではないだろうか。映画化にあたっての尺の都合は理解するものの、もう少し背景が描かれていれば、と思う。

また、ラストの場面では場を盛り上げるためとはいえ、あれほどの大舞台を作り上げるのはどう考えてもおかしい。それまで積み上げてきた諸設定が台無しになってしまった気がする。せめて蜷川が顕れるのが、賞金を取り消してからなら、説得力があったのに・・・・惜しい。

でも、ラストの藤原さんのセリフは、あのセリフに本作の深みがあると思うだけに、素晴らしい。

本作があの「ビー・バップ・ハイスクール」によって描かれていたことも驚いた。いつの間にか小説家としても活躍されていたとは。本作を観て、原作も読んでみたいと思う。

最後に、、、メインスタッフの一人と以前、名刺交換をさせて頂いたことに気づいた。おそらくはあの方のはず・・・びっくり。

2013/5/18 ワーナー・マイカルシネマ新百合ヶ丘