Articles tagged with: 文学

心のふるさと


今までも何度かブログで触れたが、私は著者に対して一方的な親しみを持っている。
それは西宮で育ち、町田で脂の乗った時期を過ごした共通点があるからだ。
また、エッセイで見せる著者の力の抜けた人柄は、とかく肩に力の入りがちだった私に貴重な教えをくれた。同士というか先生というか。

タイトル通り、本書で著者は昔を振り返っている。
すでに大家として悠々自適な地位にある著者が、自らの活動を振り返り、思い出をつづる。その内容も力が抜けていて、老いの快適さを読者に教えてくれる。

冒頭から著者は自らのルーツに迫る。
著者のルーツは岡山の竹井氏だそうだ。竹井氏にゆかりのある地を訪ね、自身のルーツに思いを馳せる内容は、まさに紀行文そのものだ。

続いて著者は、若き日の思い出を章に分けて振り返る。
著者がクリスチャンであることはよく知られている。そして、当社が幼い頃に西宮に住んでいたことも。
西宮には夙川と言う地がある。そこの夙川教会は著者が洗礼を浴びた場所であり、著者にとって思い出の深い教会であるようだ。
そこの神父のことを著者は懐かしそうに語る。そして著者が手のつけられない悪童として、教会を舞台にしでかした悪行の数々と、神父を手こずらせたゴンタな日々が懐かしそうに語られる。

また、著者が慶応で学ぶなか、文学に染まっていった頃の事も語られる。同時に、著者が作家見習いとして薫陶を受けてきた先生がたのことも語られていく。
その中には、著者が親交を結んだ作家とのエピソードや、他の分野で一流の人物となった人々との若き日の交流がつぶさに語られていく。

「マドンナ愛子と灘中生・楠本」
本書に登場する人物は、著者も含めてほとんどが物故者である。
だが、唯一存命な方がいる。それは作家の佐藤愛子氏だ。
90歳を過ぎてなお、ベストセラー作家として名高い佐藤愛子氏だが、学生時代の美貌は多くの写真に残されている。
この章では、学生の頃の佐藤愛子氏が電車の中で目を引く存在だったことや、同じ時期に灘中の学生だった著者らから憧れの目で見られていたこと。また佐藤愛子氏が霊感の強い人で、北海道の別荘のポルターガイスト現象に悩んでいたことなど、佐藤愛子氏のエッセイにも登場するエピソードが、著者の視点から語られる。

「消えた文学の原点」と名付けられた章では、著者は西宮の各地を語っている。書かれたのは、阪神・淡路大震災の直後と思われる。
著者のなじみの地である仁川や夙川は、阪神・淡路大震災では甚大な被害を被った。
著者にとって子供の時代を過ごした懐かしい時が、地震によってその様相をがらりと変えてしまったことへの悲しみ。これは、同じ地を故郷とする私にとって強い共感が持てる思いだ。
本編もまた、私に著者を親しみをもって感じさせてくれる。

本書を読んでいて思うのが、著者の交流範囲の広さだ。その華やかな交流には驚かされる。
さらに言えば、著者の師匠から受けた影響の大きさにも見るべき点が多々ある。
私自身、自らの人生を振り返って思い返すに、そうした師匠にあたる人物を持たずにここまで生きてきた。目標とする人はいたし、短期間、技術を盗ませてもらった恩人もいる。だが、手取り足取り教えてもらった師匠を持たずに生きてきた。それは、私にとって悔いとして残っている。

別の章「アルバイトのことなど」では、著者が戦後すぐにアルバイトをしていた経験や、フランスのリヨンで留学し、アルバイトをしていたことなど、懐かしい思い出が生き生きと描かれている。かつて美しかった女性が、送られてきた写真では、おばあさんになってしまったことなど、老境に入った思い出の無残が、さりげなく描かれているのも本書にユーモアと同時に悲しみをもたらしている。

また別の章「幽霊の思い出」では、怪談が好きな著者が体験した怪談話が記されている。好奇心が旺盛なことは著者の代名詞でもある。だから、そんな好奇心のしっぺ返しを食うこともあったようだ。
私に霊感は全くない。ただ、好奇心だけはいまだに持ち続けている。こうした体験を数多くしてきた著者は羨ましいし、うらやましがるだけでなく、私自身も好奇心だけは老境に入っても絶対に失いたくないと強く思う。

他の章には、エッセイが七つほどちりばめられている。

「風立ちぬ」で知られる堀辰雄のエッセイの文体から、「テレーズ・デスケルウ」との共通点を語り、後者が著者にとって生涯の愛読書となったことや、堀辰雄やモウリヤックの作品から、宗教と無意識、無意識による罪のテーマを見いだし、それが著者の生涯の執筆テーマとなったことなど、著者の愛読者にとっては読み流せない記述が続く。

また、本書は著者の創作日記や小説技術についての短いエッセイも載っている。
著者のユーモリストとしての側面を見ているだけでも楽しいが、著者の本分は文学にある。
その著者がどのようにして創作してきたのかについての内容には興味を惹かれる。
特に創作日記をつける営みは、作家の中でどのようにアイデアが生まれ育っていくかを知る上で作家への志望者には参考になるはずだ。

著者は、他の作家の日記を読む事も好んでいたようだ。作家の日々の暮らしや、観察眼がどのように創作物として昇華されたのかなどに興味を惹かれるそうだ。
それは私たち読者が本書に対して感じることと同じ。
本書に収められた著者のエッセイを読んでいると、一人の人間の日常と創作のバランスが伺える。本書を読み、ますます著書に親しみを持った。

‘2019/7/21-2019/7/21


坂の上の雲(三)


ロシアの南下の圧力は、日本の政府や軍に改革を促す。
そんな海軍の中で異彩を放ちつつあったのが秋山真之だ。彼は一心不乱に戦術の研究に励んだ。米西戦争の観戦でアメリカに行っていた間もたゆまずに。つちかった見識の一端は米西戦争のレポートという形で上層部の目にとまり、彼は海軍大学校の戦術教官に抜擢される。

そんな真之が子規に会ったのは子規の死の一カ月前のこと。
子規は死を受け入れ、苦痛に呻きながらもなお俳句と短歌革新の意志を捨てずにいた。
その激烈な意志は、たとえ寝たままであっても戦う男のそれだ。

本書はこの後、日露戦争に入ってゆく。そこで秋山兄弟は、文字通り日本を救う活躍を示して行く。
日露戦争は本書の中で大きな割合を占めており、秋山兄弟もそこで存在感を発揮する。では、三巻で退場してしまう子規とは、本書にとって何だったのか。

まず言えるのは、秋山兄弟と同じ時代の同郷であったことだろう。
賊軍の汚名を着た松山藩から、明治を代表する人物として飛躍したのがこの三人だったこと。
それは、薩長土肥だけが幅を利かせたと思われがちな明治の日本にも骨のある人物がいた表れだ。
著者はこの三人に焦点を当てることで、不利な立場を努力で有利に変えた明治の意志を体現させたのだろう。

次に言えるのは、秋山真之という日本史上でも屈指の戦術家の若き日の友人が子規だったことだ。
秋山真之が神がかった作戦を示し、日本海軍を世界でも例を見ない大勝へと導く。
そのような人物がどうやって育ったかを描くにあたり、正岡子規の存在を抜きにしては語れない。
正岡子規に感化され、文学を志した秋山真之が、軍人としての道を選ぶ。その生き方の変化は正岡子規との交流を描いてこそ、より幅が出てくるはずだ。

最後に言えるのは、本書が書き出したいのが明治という時代の精神ということだ。
果たして明治とは何だったのか。それを表すのに子規の革新を志し続けた精神が欠かせない。そうとらえても間違いではないと思う。
今の世の私たちは、結果でしか明治をみない。だから封建の風潮に固まっていた江戸幕府が、どうやって近代化できたかという努力を軽く見てしまう。実はそこには旧弊を排する勇気と、逆境を顧みず、新しい風を吹かせようとする覚悟があったはずだ。
正岡子規の起こした俳諧と短歌の変革にはそれだけのインパクトがあり、明治が革新の自体であったことを示すのにふさわしい人物だった。

著者は子規が死んだ後、稿をあらためるにあたってこのような一文から書き出している。
「この小説をどう書こうかということを、まだ悩んでいる。」(39P)
つまり、三人を軸に書き始めた小説の鼎が欠けた。だから主人公以外の人物をも取り上げねばならない、という著者から読者への宣言だ。
ここで登場するのが山本権兵衛である。日本の海軍史を語る際、絶対に欠かせない人物だ。

山本権兵衛が西郷従道海軍大臣のもとで行った改革こそ、日本の海軍力を飛躍的に高めた。それに異論を唱える人はそういないだろう。
その結果、日清戦争では清の北洋艦隊をやすやすと破り、日露戦争にもその伝統が生かされ、世界を驚かせる大勝に結びついた。
本書は太平洋戦争で日本が破滅したことにも幾度も触れる。そして陸海両軍の精神の風土がどれほど違うかにも触れる。その差が生じた理由にはさまざまに挙げられるだろう。そして、山本権兵衛が戊辰戦争から軍にいた能力の足りない海軍軍人を大量に放逐した改革が、海軍の組織の質に大きく影響を与えたことは間違いない。

その結果、海軍からは旧い知識しか持たない軍人が一掃された。
それは操艦の練度につながり、最新の艦船の導入を可能にした。
日露戦争の直前には、舞鶴鎮守府長官の閑職に追いやられていた東郷平八郎を連合艦隊司令長官に抜擢したのも山本権兵衛だ。

山本権兵衛こそは海軍の建設者。それも世界でも類をみないほどの、と著者は賛美を惜しまない。
そして、それをなし得たのは西郷従道という大人物の後ろ盾があったからこそだ。
陸軍の大山巌も本書では何度も登場するが、維新当時を知る人物が重しになっていたことも日本にとって幸いだったことを著者は指摘する。

この時期、軍に対して発言力を持つ政治家は多くいた。元老である。
彼らは軍の視点だけでなく国際政治の視野も持ち、日本を導いていった。

その彼らが制御できなかったのが、ロシアの極東への野心だ。
野心はたぎらせているが、戦争の意志はないとうそぶくロシアと繰り広げる外交戦。年々きな臭くなってゆくシベリアと満州のロシア軍基地を視察の名目で堂々と巡回する秋山好古。本書では明石元二郎も登場し、諜報戦をロシアに仕掛けて行く。
ロシアが高をくくるのはもっともで、日本は日清戦争で戦費も底ををつき、軍隊も軍備もロシアのそれには到底届いていない。

戦時予算を国庫から出させるため、西郷従道と山本権兵衛は財界の大物澁澤栄一に訴える。どれだけロシアの脅威が迫っているか。日本の存亡がどれだけ危ういかを。その熱意は澁澤栄一や高橋是清を動かす。さらにユダヤ人を迫害する帝政ロシアへの脅威を感じたユダヤ人財閥からの寄付を受けることにも成功する。その後ろ盾を得て、法外な戦時予算を確保する。

明治三十七年二月十日。日本がロシアに宣戦布告した日だ。
ここから著者は日露戦争の描写に専念する。 旅順港を封鎖し、ロシアが誇る旅順艦隊を港に釘付けにする。その間、陸軍は遼東半島や朝鮮半島経由で悠々と大陸に首尾よく渡る。
そして封鎖されたことに業を煮やした旅順艦隊に対し、さらに機雷を敷設し、輸送艦を沈めることで牽制を怠らない。
そそうした必死の工作の中、秋山真之の友人である広瀬中佐は海に消え、ロシア軍の司令官は機雷の爆発で命をおとす。連合艦隊もロシアに設置しか返された機雷によって二隻が沈没の憂き目にあう。

そうした駆け引きの間、決して喜怒哀楽を表さず平静かつ沈着であり続けたのが東郷司令長官だ。
最初は無名の軍人として軍の中でもその就任を危ぶむ者が多かった。だが、その将としての才を徐々に発揮して行く。

撃沈された二隻の戦艦が、軍費の乏しい日本にとってどれほど致命的だったか。
そうした苦境にもかかわらず、平静であり続けることのすごみ。
日本海海戦は東郷平八郎を生ける軍神に祭り上げたが、すでに戦いの前から東郷平八郎がカリスマを発揮していたことを著者は描写する。

‘2018/12/11-2018/12/12


坂の上の雲(二)


本書では日清戦争から米西戦争にかけての時期を描いている。その時期、日本と世界の国際関係は大いに揺れていた。
子規は喀血した身を癒やすため愛媛で静養したのち、小康状態になったので東京に戻った。だが、松山藩の奨学金給付機関である常盤会を追放されてしまう。
それは、短歌・俳句にうつつをぬかす子規への風当たりが限界を超えたから。

そんな子規の境遇を救ったのが、子規が生涯、恩人として感謝し続けた陸羯南だ。
羯南は子規を自分の新聞社「日本」の社員として雇い入れ、生活の道を用意する。それだけではなく、自らの家の隣に家まで用意してやる。
その恩を得て、子規は俳諧の革新に邁進する。
本書には随所で子規の主張が出てくる。そこではどのように子規が俳諧と短歌の問題を認識し、どう変えようとしたのかがとても分かりやすく紹介されている。

著者は日清戦争がなぜ起きたのかについて分析を重ねる。
日清戦争の勃発に至るまでにはさまざまな理由はある。だが、結局は朝鮮の地政が原因で日中の勢力の奪い合いが起こったというのが著者の見る原因だ。
そこに日本も清国も朝鮮も悪い国はない。ただ時代の流れがそういう対立を産んだとしかいえない。その歴史を著者はさまざまな視点から分析する。

本書には一人の外交官が登場する。小村寿太郎。
日露戦争の幕引きとなるポーツマス条約の全権として、本書の全編に何度か登場する人物だ。
彼の向こう気の強さと努力の跡が本書では描かれる。
そして日本の中国駐在公使代理として着任した小村寿太郎の立場と、朝鮮をめぐる日本と清の綱引きを描く。さらには虎視眈々と朝鮮を狙うロシアの野望を絡めつつ、著者は歴史を進めて行く。

そうした人々の思惑を載せた歴史の必然は、ある時点で一つの方向へと集約され、戦いの火蓋は切られる。
秋山兄弟はそれぞれ陸と海で任務を遂行する。そして本書を通して重要な役割を果たす東郷平八郎は浪速艦長として役割を果たす。

そうした軍人たちに比べ、伊藤博文の消極的な様子はどうだろう。
伊藤博文は、初代の朝鮮統監であり、後年ハルビンで暗殺されたことから、国外からは日本の対外進出を先導した人物のように思われている。だが、実は国際関係には相当に慎重な人物だったことが本書で分かる。
日清戦争の直接のきっかけとなった朝鮮への出兵も、伊藤博文が反対するだろうから、と川上操六参謀次長が独断で人数を増員して進めたのが実際だという。

日清戦争の戦局は、終始、日本の有利に進む。
清国の誇る北洋艦隊は軍隊の訓練度が足りず、操艦一つをとっても日本とは歴然とした差がある。
また、全ての指図が現場の指揮官では判断できず、その都度、北京に伺いを立ててからではないと実行できない。
両国の士気の差は戦う前から明らかであり、そんな中で行われた黄海海戦では日本は圧勝する。そして陸軍は朝鮮半島を進む。さらに旅順要塞はわずか一日で陥ちる。

こうした描写からは、戦争の悲壮さが見えてこない。それは清国の兵に何が何でも国を守るとの気概が見えないからだと著者は喝破する。同時に著者は、満州族を頭にいただく漢民族の愛国意識の欠如を指摘する。だからこそ、日清戦争の期間中、日本と清国の間には膨大な惨禍もおきなければ、激闘も起こらなかったのだろう。

そうした呑気な戦局を遊山気分で見にいこうとしたのが、当時、結核の予後で鬱々とした子規だ。彼はなんとか外の世界を見ようと、特派員の名目で清国の戦場へと向かおうとする。
彼が向かおうとしたタイミングは幸いと言うべきか、ほぼ戦争の帰趨が定まり、戦火も治まりつつある時期だ。
ところが彼は、陸羯南をはじめとした人々が体調を理由に反対したにも関わらず、渡航を強行したことでついに倒れる。それ以降、子規が病床から出ることはなかった。脊椎カリエスという宿痾に侵されたことによって。

そうした子規の行動は、見方によっては呑気に映る。だが、その行動は別の視点からみれば、明治の世にあって激しく自分の生を生きようとした子規の心意気と積極的にとらえることも可能だ。

威海衛の戦いでは海軍が圧勝し、日清戦争は幕を閉じる。それを見届けて真之はアメリカにゆき、米西戦争を観戦する。
そこで彼が得た知見は後年の日露戦争で存分に生かされる。
その知見とは、例えば、港に敵艦隊を閉じ込めるため、わざと船を港の入り口に沈める作戦を見たことだ。
また、米西戦争の観戦レポートの出来栄えがあまりに見事で、それが真之を上層部に取り立てられるきっかけになる。

そうしているうちに、事態は独仏露による三国干渉へと至る。
三国干渉とは、日本が清国から賠償で受け取った遼東半島を清国へと返却するよう求めた事件だ。そこには当然、ロシアの満州・朝鮮への野心がむき出しになっている。そのシーンで著者は、ロシアのヴィッテの嘆きを紹介する。
ヴィッテ曰く、ロシアの没落は三国干渉によって始まったとのことだ。ヴィッテ自身の持論によれば、ロシアはそこまで極東への野心を持ってはならないとのこと。だが、その思いはロシア皇帝ニコライ二世やその取り巻きには理解されず、それが嘆きとして残ったという。

なぜ、ロシアが極東に目を向け始めたのか。
そうした地理の条件からの説明を含め、著者は近世以降のロシアの歴史を説き起こしてゆく。そして、今に至るまでのロシアの状況を的確に彫りだしてゆく。
それによれば、西洋の進歩に乗り遅れた劣等感がロシアにはあった。当時のロシアは、社会に制度が整っていないこと。官僚主義が強いこと。そして、政府の専制の度合いが他国に比べて厳しいこと。さらに、不凍港を求めるあまり、極東へ進出したいというあからさまな野心が見えていること。最後に、ニコライ二世が、訪日時に津田三蔵巡査によって殺されかけたことから、日本を野蛮な猿として軽んじていたこと、などを語っていく。

そうして、日本とロシアの間に戦いの予感が漂っていく。そんな緊迫した中、意外なことにロシアは日本との戦いを予想していなかったという。それはロシアにとってみれば、日本の国力があまりにも小さいため、どれだけロシアが極東に圧力をかけようとも、日本がロシアに戦争を挑むはずがない、と高をくくっていたからだ。もちろん、歴史が語るとおり、日本は世界中の予想を跳ね返してロシアに戦いを挑むわけだが。

当時の日本がどれだけ世界の中で認識されていなかったか。そしてどれだけ侮られていたか。それなのに、日本にとってはどれだけロシアの圧力が国の存亡をかけたものととらえられていたか。風雲は急を告げる中、著者は次の巻へと読者をいざなう。

‘2018/12/7-2018/12/11


坂の上の雲(一)


海上自衛隊の横須賀地方総監部の見学に訪れたのは2017年の秋のこと。
その時、護衛艦「たかなみ」に乗船させていただいたが、たかなみに乗るまでの時間が空いてしまい、先に「三笠」見学に訪れた。

三笠公園は、横須賀地方総監部から30分ほど歩いた場所にある。海に面した風光明媚な公園は海に面し、岸壁には「三笠」が停泊している。
岸壁には平らかな広場が設えられている。丸く形どられた池には噴水が吹き出し、その池の中央には三笠を背後にした東郷平八郎元帥の銅像が遠くを見据えている。

私にとって初めての三笠。
艦内は思ったより広く、そして現役当時を思わせる雰囲気が保たれていた。
甲板には巨大な鎖が無造作にさらされ、その先は海へと消えている。

その時、ご一緒した方より聞かれたのが「「坂の上の雲」読みました?」だった。私は恥じらう気持ちと共に「まだ読んだことがないんですよ~」と返した。
そして、三笠の甲板や操舵輪や艦長室を存分に堪能する間、私の心にわだかまっていたのは、自分がまだ明治を描いた本書を読んでいないことだった。
読者家を称していながら、まだ本書を読んでいない事実に気づかされたのが、この時の会話だった。

もう一つ、私に本書を読まねばと思わせたのは、東郷元帥記念公園の存在だ。
当時、私が半常駐していた職場の近所の東郷元帥記念公園によく散歩に訪れていた。
公園に残されたライオン像と給水塔の遺物だけがかつての旧宅の広壮さの名残を今に伝えている。
この公園には本当に何度も訪れており、私は東郷元帥には何かとご縁があったのだろう。

私が「坂の上の雲」を読み始めるのも時間の問題だったに違いない。
2018年も後半になり、意を決して読みはじめた。

もっとも、読む前から本書の内容はおぼろげには知っていた。
秋山兄弟と正岡子規を軸に据え、勃興する明治日本の時代の空気を描く。そんな認識だった。

その第一巻である本書では、三人の生い立ちを語る。
伊予松山での日々。それは、戊辰戦争で新政府軍に抗した賊軍としての汚名との戦いだった。
その汚名は、伊予の若者から栄達の道を奪う。
未来の希望が喪われた有為の若者にとって、政府高官の道は選択肢にない。軍隊に入るか、学問で生きるしか、身を立てる術はなかった。

秋山兄弟は、そうしたタガを破ろうと、迷える青年期を送る。そして正岡子規も身を立てる道を文学に求める。
一巻である本書は、彼らの若さと野心が充満している。

彼らの心を支えていたのは、時代の空気もあった。
封建の時代が去り、次なる未来へ駆け上がろうとする明治日本の勃興。
それは賊軍とされた伊予松山でも同じだ。
人々は枠にはまらず、自由でありながら、日本人としての矜持を持っていた。

明治とは、日本人の一人一人が自身の生き方を真剣に悩み、日本のこれからを真摯に考えていた時代でもある。
そして、封建の時代から新時代に切り替わるにあたり、仕組みが整っていないため、なろうと思えば、身を立てられる時代でもあった。

正岡子規は、秋山真之とともに、松山中学を首尾良く中退する。そして上京して一高に入学し、栄達への足掛かりを掴む。
しかし、一高に入学したはよいが、文学に熱中してしまう。
哲学を論じ、人はどう生きるかに頭を悩ませる子規。
その姿は、国家建設の理想に燃えていた一部の学生にとっては看過できない振る舞い。一高の学生でありながら文学にうつつを抜かすとは何事か、と糾弾される。

さらに秋山兄弟の兄、好古は一足先に陸軍に入る。
一高での肩身の狭さや、兄に学費を負担してもらっている引け目もあり、真之も海軍へと進路を変更する。それは、一緒に文学を極めようと誓った仲の正岡子規を裏切ることでもある。
真之はここで自らの資質を要領が良すぎることと見極めている。試験にも勉強せずにヤマを張って臨み、そのヤマを見事に当てて高得点を取る。
文学に惹かれながらも、自らの容量の良さを生かす場を違う世界に求める。この点は重要だ。

本書で描かれる真之は要領も良いが、向こう気の強い人間だ。
そんな真之が唯一頭が上がらない人物。それが、兄の好古だ。その兄が陸軍に入ったため、同じ軍でも兄とは違って海軍に目を向けたことも見逃せない。

もちろん、真之のその選択は、将来の日本を救うことになる。日本海海戦の勝利として。そのことを読者の私たちは知っている。そして、著者も読者がそれを承知していることを前提の上で本書をつむいでゆく。

本書で見逃してはならないのは、好古の欧行のエピソードだ。
好古の留学先は、明治の陸軍が模範としたドイツではなくフランス。
それは陸軍の教育方針では見えない視点を好古に与え、後年、黒溝台や奉天で好古が騎兵を率いて活躍する素地となる。
本書ではドイツから招いたメッケルがどれだけ日本陸軍に影響を与えたかについても触れている。
その事実とあわせて読むと、好古の後年の日露戦争での活躍がより深みをともなって理解できる。

また、子規が喀血する場面も本書に登場する。野球に熱中した少年が味わった初めての蹉跌。
真之たちと歩いて江ノ島まで行ったほどの男が、旅に疲れた結果、喀血を友とする悲哀。
海軍兵学校に入った真之は学校が江田島に移ったこともあり、松山に帰り、病床の子規を見舞う。
軍人としての道を進む真之と病床に臥す子規の対比。これが本書に複雑な味わいを与えている。

もちろん、病床で諦めなかったことが、子規の名前を不朽にした。そして秋山兄弟もそれぞれの経験を積み、後年の名声の基礎を培っている。
彼らの名が後世に輝かしく伝わっているのはなぜか。そうした彼らの青年期のエピソードこそ、本書のかなめだ。

読者は、本書で描かれる日本の歴史を知っている。結果を知った上で、なおかつわくわくしながら読める。
それこそが、本書の魅力でもある。

‘2018/12/5-2018/12/7


僕が本当に若かった頃


老境に入った著者が過去の自分を思い返しつつ、そこから生まれた随想を文章にしたためる。
本書を一言で言い表すとこのようになる。

本書に収められた十の短編をレビューにまとめることは、正直言ってなかなか難解だ。

なぜなら、本編には、著者自身の人生を彩った出来事が登場し、著者の親族も登場し、そして著者が今までに発表した作品の登場人物が登場するからだ。

著者の代表作である『同時代ゲーム』はよく知られている。その世界観が著者が生まれ育った四国の山奥の村をモチーフとされていることも。
そうした作品に登場する人物は、著者の人生にも登場する人物でもある。そうした人物が本書にはあちこちで登場する。だから、著者の作品を読んでいないと読者には何のことか分からなくなってしまうのだ。

「火をめぐらす鳥」
この一編は、著者の生涯を持って生まれた息子との日々を描いている。
今や作曲家として著名な光氏と過ごした時間は、著者にどのような影響を与えたのか。
その一端が描かれる本編からは、光氏の存在が著者の作家活動に大きな影響を与えたことが見て取れる。

「「涙を流す人」の楡」
華やかな外交官との交流を語る内容が一転して、著者の育った四国の山奥の谷間の村の描写へと変わる。
その二者を繋ぐイメージがニレの木だ。楡を通して結びついた二つの世界。

その二つの世界の主人公である著者は時間によって隔てられている。
百戦錬磨の外交官との談論ができるようになった、と著者が感慨をもつ今。そして、四国の谷間の村の幼い頃の経験。
著者の育った谷間の村の狭いけれど豊かな世界が授けてくれたことは、著者の今と確かにつながっている。
その谷間の村の経験は、著者の作家活動にも大きな恵みをもたらしてくれた。そう著者は振り返る。

そしてそうした自分にさらなる成熟がもたらされたのも、外交官との交流があったからだと著者は述べる。
N大使の逝去に際して書かれたと思われる本編で、著者は今の自分の心で過去を再構成する。

それにしても著者の文章の読みにくさといったら!

「宇宙大の「雨の木」」
時間と空間をつらぬいて遍在する「不死の人」。
不死の人を小説に書きたいと願う著者が、文学の影響や好みを自由自在に語る。
三島由紀夫を批判し、フォークナーの作品世界を好む著者。
著者の探し求めるイメージの断片がさまざまに現れる。

“雨の木”は著者の作品でも登場する。
著者が想起する多様なシンボルが本編のように混交して現れることで、著者の小説の基本的なイメージが形をなしてゆく様子をうかがうことができる。

「夢の師匠」
谷間の村の「夢を読む人」と「夢を見る人」を見て育った著者の子供の頃の記憶。
彼らが戦争によって境遇を変えられてしまう様子は、著者に強い印象を刻む。
そのイメージを通し、続いての「治療塔」の構想へとまとまってゆくいきさつを記した一編だ。

平田篤胤全集の「仙童寅吉」の話と、ゲルショム・ショーレムの「ユダヤ神秘主義」に書かれた中世ヨーロッパの祈禱神秘主義をめぐる引用。
それらに刺激を受けたという著者がそれらを引用しつつ、SFへとイメージを広げてゆく。

「治療塔」
著者にとって珍しいと思われるSF作品。
筒井康隆氏と著者の交流は知られているが、本編は筒井氏の影響から生まれたのだろうか。
古い地球を見捨てる人類と、古い地球に留まり続ける人類。
新しい人類にならんとする人々は、治療塔で癒やされる。
著者にとって、人類や地球は理想の姿ではないだろう。ところが治療塔の概念は、人類が自ら根本的に成長を遂げることを諦めてしまっているかのようだ。
それは著者自身の諦めの表れなのだろうか。『治療塔』はまだ読んでいないので、機会があれば読んでみたいと思う。

「ベラックワの十年」
ダンテの「神曲」をモチーフにした著者の作品『懐かしい年への手紙』に登場させなかった道化者のべラックワ。

その姿を振り返りながら、自らの中の道化の部分や放埒さを思い起こそうとする一編だ。
本書の中では読みやすい部類に入る。

ノーベル賞を受賞し、難解と言われる作風のため、著者に近づきがたい印象を受けているのなら、本編で書かれた著者の姿から印象が変わるかもしれない。

「マルゴ公妃のかくしつきスカート」
性的に放縦だったとされるマルゴ公妃の生涯を振り返るテレビ番組をきっかけに、ある人物の放縦と性的な自由さを探ってゆく一編。

著者の思索の対象はマルゴ公妃だけではない。テレビ局のスタッフである篠君の言動も著者の興味を引く。その二人を通して、著者は人の自由さとは何かについて考えを深めてゆく。

著者にとって冒険とは文学的なそれに等しいと思う。だが、著者は自由で羽目を外した行いをする人物には見えない。きっと堅実だったと思う。動くよりも見る側の人。
その証拠に以下のような文章が登場する。
「事実、小説家は志賀、井伏といった例外的な「眼の人」をのぞいて、見る瞬間にではなく、文章を書き、書きなおしつつ、かつて見たものをなぞる過程でしだいに独特なものを作ってゆくのだ。」(202p)

「僕が本当に若かった頃」
著者が20歳の頃、家庭教師をしていた繁君。ひょんなことで繁君の消息がわかったことから、著者が当時のことを思い出し、つづってゆく一編。
まさに著者が若かった頃の話だ。

かつて著者の前から消息を絶った繁君に何が起こったのか。繁君はその理由を長文の手紙で知らせてくる。
本編に載っているその手紙は果たして著者の創作なのか。それとも繁くんの実際の手紙なのか。私にはわからない。

繁君の秘密が明かされてゆく様は本編は、ミステリーを読んでいる気分になる。

「茱萸の木の教え・序」
著者の故郷の四国から、孝子ことタカチャンの残した文書やその他の事績をまとめる段ボールが送られてきたことから始まる一編。
孝子とは、著者の従妹にあたる。起伏の多い人生を送った末、亡くなった。
著者の伯父がその一生をまとめたいと、作家である著者に託す意図で送ってきた資料の数々。

著者はタカチャンの思い出を振り返る。その中で著者は故郷で繁っていた茱萸の木に着目する。タカチャンの残した文の中でもいく度か取り上げられる茱萸の木。
伐採されてしまった茱萸の木に語りかけていたタカチャンの思いは何か。それを探りながら著者はタカチャンの一生をつづってゆく。

そうすることで著者なりに同時代を生きたタカチャンの鎮魂を果たそうとするかのように。

「著者から読者へ」
これは本書に収められた「僕が本当に若かった頃」を書いた著者から読者に向けての手紙の体裁をとっている。
著者にとっては「僕が本当に若かった頃」は、旅の疲れを癒やす作品でもあったようだ。

解説の井口時男氏の文章は、大江健三郎という巨大な作家の著作群の中で、本書が占める意味を克明に記している。
その中で本書のいくつかで登場した若い頃の著者=僕の出来事は、徹底的に言語化された「僕」というテキストになっていることが示される。つまり、本書は私小説ではないし、エッセイもどきの小説でもない。
本書は著者がその小説技法を存分に生かした巧妙な短編群なのだ。

‘2018/11/20-2018/11/28


ブンとフン


著者の作品はずっと読んでみたいと思っていた。それなのに、著者の作品で先に読んだのは講演録「日本語教室」のほうだった(レビュー)。実家の父の蔵書の中に本書があり、もの心ついた頃から本書の存在は知っていた。

本書を読んだのは、山の仲間とはじめての尾瀬を訪れた帰りのバス。すがすがしい気持ちで一泊二日の旅を終え、帰路についた私にとって本書は実に愉快だった。そのまま新幹線の中で一気に読み通してしまった。本書のナンセンスな内容が心地よい疲れを抱えた私には合っていたのだろう。

売れないけれど、孤高の小説家フン先生。フン先生が新たに書き上げた小説は、次元を超えて縦横無尽に行来する大泥棒の話。その名もブン。次元を超えて出没する能力をブンに与えてしまったものだから、ブンは小説から現実世界に抜け出てしまう。小説から抜け出したブンは、現実世界であらゆるものを盗みまくる。そんなブンをどうにか捕まえようと、警察長官のクサキサンスケがあらゆる手を使い、ついには悪魔や盗作作家までも使ってブンと対決する。そんな粗筋だ。荒唐無稽なことおびただしい。著者もあとがきで述べているが、「馬鹿馬鹿しいということについては、この小説を抜くものがない」(201-202P)。

ところが本書は発表されてから50年近く生き残っている。本書は地元の図書館で借りた。図書館で開架蔵書として残り続けることは実は大したことではないかと思う。長く残っている事実は、本書がただの馬鹿馬鹿しい小説ではない表れだ。本書の馬鹿馬鹿しさの裏側にあるのはまぎれもない風刺の精神だ。

ブンは奇想天外なものを盗みとる。金などより、人々を驚かせることに喜びを感じるかのように。そしてある時からブンは形のないものを盗み始める。例えば歴史。例えば記憶。例えば見栄。例えば欲望。それらは明らかに著者の思想の一端を映し出している。あらゆる価値観への挑戦。その風刺の対象には、既存の観念への挑戦も含まれていることはいうまでもない。

フン先生は、自らの小説が売れることへも憤る。まるで売れることが悪のように。それは、文壇で売れっ子の作家たちへの挑戦でもある。そもそも「ブン」=文が悪で「フン」=糞を理想とする設定自体がユニークだ。本書を発表するまでは無名の作家だった著者の反骨精神が感じられるではないか。

あとがきによると本書の元となる戯曲が書かれたのは1969年の春から夏にかけてのことだという。1969年といえば、世界的にある潮流の潮目が変わった年だ。東大の安田講堂をめぐる攻防。新左翼や赤軍派があちこちで起こした騒動。ウッドストック・ロックフェスティバルの開催。アポロ11号が月面に着陸し、人類の第一歩が記された。そうした出来事の裏側で、わが国の学生運動が終わりを迎えつつあった。運動が圧殺され、一部の運動家は過激派となって地下に潜伏する。日本も世界も保守と先鋭に二分化されつつあった時期だ。

著者が本書で目指したのはもはや実現が難しくなりつつある理想の世界に対する抵抗なのだろうか。本書には古さもあるし、時代の背景が濃厚な描写も目立つ。だが、本書の随所に設けられた試みは今も斬新だ。いまだに輝きを失っていない。読者への作者からのお願いが随所に挟まれたり、のりしろでPTAに対する抵抗をそそのかしたり。そういった手法は今みても新鮮だし、当時の人々にはさらに驚きを持って受け入れられたはずだ。そうした手法は今、とある作品に影響を与えているように思える。娘達の読んでいた「かいけつゾロリ」シリーズに。

だが、本書が備えているような風刺と、構造の破壊を行った作品に最近なかなかお目にかかれない。今、本書のような作品は生まれないのだろうか。本書が発表された1969年は、テレビの分野でも「8時だヨ全員集合!」や「コント55号の裏番組をブッ飛ばせ!」などが新風を巻き起こした。本書もその一つだろう。だが、メディア自体は斬新な表現が生まれつつあるなか、表現そのものとして斬新な作品は生まれていない気がする。

だが、あらゆる常識が覆され、既存の通念がゆらいでいる昨今。本書のような認識を転覆させるような作品はまだまだ生み出せるのではないだろうか。メタ文学、メタ認識。それまでにも私たちの感性を揺さぶる作品はたくさん生み出されていた。本書だけがすごいわけではない。だが、本書のすごいところは、そうした認識の枠を無意味なものにしながら、なおかつお笑いとユーモアで勝負していることだ。多分、その取り合わせが本書をいまだに作品として残させているのかもしれない。

だが、当時は斬新だった本書も、古典としての価値を帯びつつあるように思える。本書はもっと以前に、それこそ私が親の蔵書の中で意識しているうちに読んでおけばよかったと思う。本書の結末など、社会に向けて学んでいた当時にあっては衝撃だったことだろう。まだ著者の作品で読んでおきたいものは何冊かある。早めに読む機会を持ちたいと思う。

‘2018/06/02-2018/06/03


東京オリンピック 文学者の見た世紀の祭典


二〇二〇年は東京オリンピックの年だ。だが、私はもともと東京オリンピックには反対だった。

日本でオリンピックが開かれるのはいい。だが、なんで東京やねん。一度やったからもうええやないか。また東京でやったら、ますます東京にあらゆるものが集中してまう。地方創生も何もあったもんやない。なんで大阪、名古屋、仙台、福岡、広島あたりに誘致せえへんねん。それが私の思いだ。今もその思いは変わらないし、間違っていないと思っている。

とはいえ、すでに誘致はなった。今さら私が吠え猛ったところで東京で二度目のオリンピックが開催される事実は覆らない。ならば成功を願うのみ。協力できればしたい。開催が衰退する日本が最後に見せた輝きではなく、世界における日本の地位を確たるものにした証であることを願っている。

そのためには前回、一九六四年の大会を振り返りたい。市川昆監督による記録映画もみるべきだが(私は抜粋でしか見ていない)、本書も参考になるはずだ。

本書の表紙に執筆者のリストが載っている。東京オリンピックが行われた当時の一流作家のほとんどが出ていると言って良い。当時の一流の作家による、さまざまな媒体に発表された随筆。本書に収められているのはそうした文章だ。当時発表された全てのオリンピックに関する文章が本書に網羅されているかどうかは知らない。だが、本書に登場する作家がそうそうたる顔ぶれであることは間違いない。

本書が面白いのは、イデオロギーの違いを超えて収録されていることだ。右や左といった区分けが雑なことを承知でいうと、本書において右寄りの思想を持つ作家として知られるのは、石原慎太郎氏と三島由紀夫氏と曾野綾子氏だ。左寄りだと大江健三郎氏と小田実氏が挙げられるだろう。それぞれが各自の考えを記していてとても興味深い。

本書は、大きく四つの章にわけられている。その四つとは「開会式」「競技」「閉会式」「随想」だ。それぞれの文章は書かれた時期によって章に振り分けられたのではなく、取り扱う内容によって編者が分類し、編んでいるようだ。

「開会式」の項に書かれた内容で目立つのは、日本がここまでの大会を開けるようになった事への賛嘆だ。執筆者の多くは戦争を戦地、または銃後で体験している。だから戦争の悲惨さや敗戦後の廃虚を肌で感じている。そうした方々は、再建された日本に世界の人々が集ってくれた事実を素直に喜び、感動を表している。

中でも印象に残ったのは杉本苑子氏の文章だ。東京オリンピックから遡ること二十一年前、開会式が催された同じ場所で学徒出陣壮行会が行われた。雨の中、戦地に送られる学徒が陸上競技場を更新する写真は私にも記憶がある。東條首相が訓示を述べる写真とともに。杉本氏はその現場の寒々とした記憶と、この度の晴れやかな開会式を比べている。そこには戦時とその後の復興を知る方の思いがあふれている。現代の私たちには学徒出陣壮行会など、教科書の中の一ページ。だが、当時を知る方にはまぎれもない体験の一コマなのだ。

他の方の文章でも開会式のプログラムが逐一紹介されている。事細かにそれぞれの国の行進の様子を報告してくれる方の多いこと。行進の態度から、お国柄を類推したいかのように。日本にこれだけの地域、民族、国の人々が集まることだけで感無量であり、世界の国に日本が晴れがましい姿を示すことへの素朴な感嘆なのだろう。戦争中は国際社会から村八分に近い扱いを受けていた。その時期の日本を知っていればいるほど、これほど大勢の人々が日本に集まる事だけで、日本が再び世界に受け入れられたと喜べる。それはすなわち、日本の復興の証でもあるのだから。そうした喜びは戦時中を知らない私にんも理解できる。

ただ、文学者のさがなのか、批評精神は忘れていない。例えば直前で大会への参加を拒否された北朝鮮とインドネシアへの同情。南北ベトナムの両チームが参加しない件。台湾が参加し、中華人民共和国が不参加なことなど。世界がまだ一つになりきれていない現状を憂う指摘が散見される。まさに時代を映していて興味深い。

ここで私が違和感を覚えたのは、先に左寄りだと指摘した大江健三郎氏と小田実氏の文章だ。小田氏の論調は、前日まで降っていた雨が開会式当日に晴れ渡った事について、複雑な思いを隠していない。それは、政治のイデオロギーを持ち出すことで、開会式当日の晴れ姿を打ち消そうとする思惑にも感じる。大江氏の文章にも歯にものが挟まったような印象を受けた。あと、開会式で一番最後に聖火を受け取り、聖火台へ向かう最終聖火ランナーの方は、昭和二十年の八月六日に産まれた方だった。そのことに象徴的な意味を感じ、文に著したのは数いる著者の中で大江氏のみであり、「ヒロシマ・ノート」を書いた大江氏がゆえの視点として貴重だったと思う。

開会式については総勢14名の作家の著した文が収められていた。この時点ですでに多種多様な視点と論点が混じっていて面白かった。

もう一つ、私が印象を受けたのは三島由紀夫氏の文章だ。引用してみる。
「ここには、日本の青春の簡素なさわやかさが結晶し、彼の肢体には、権力のほてい腹や、金権のはげ頭が、どんなに逆立ちしても及ばぬところの、みずみずしい若さによる日本支配の威が見られた。この数分間だけでも、全日本は青春によって代表されたのだった。そしてそれは数分間がいいところであり、三十分もつづけば、すでにその支配は汚れる。青春というのは、まったく瞬間のこういう無垢の勝利にかかっていることを、ギリシャ人は知っていたのである。」(32ページ)。
「そこは人間世界で一番高い場所で、ヒマラヤよりもっと高いのだ。」(32ページ)。
「彼が右手に聖火を高くかかげたとき、その白煙に巻かれた胸の日の丸は、おそらくだれの目にもしみたと思うが、こういう感情は誇張せずに、そのままそっとしておけばいいことだ。日の丸とその色と形が、なにかある特別な瞬間に、われわれの心になにかを呼びさましても、それについて叫びだしたり、演説したりする必要はなにもない。」(32-33ページ)。

続いては「競技」だ。東京オリンピックについて私たちの記憶に残されているのは、重量上げの三宅選手の勝利であり、アベベ選手の独走であり、円谷船主の健闘であり、東洋の魔女の活躍であり、柔道無差別級の敗北だ。もちろん、他にも競技はたくさん行われていた。本書にもボクシング、レスリング、陸上、水泳、体操が採り上げられている。

意外なことに、論調の多くは日本の健闘ではなく不振を指摘している。後世の私たちから見れば、東京オリンピックとは日本が大量のメダルを獲得した最初の大会として記憶に残っている。だが、当時の方々の目からみれば、自国開催なのに選手が負けることを歯がゆく思ったのではないか。特に、水泳と陸上の不振を嘆く声が目立った。それは、かつて両競技が日本のお家芸だったこととも無関係ではない。

そうした不振を嘆く論調が石原慎太郎氏の文から色濃く出ていたのが面白かった。

そして、ここでも三島由紀夫氏の文章がもっとも印象に残る。あの流麗な比喩と、修辞の限りを尽くした文体は本書の中でも一頭抜け出ている。本書を通した全体で、小説家の余技ではなく本気で書いていると思えたのは三島氏の文章のみだった。「競技」の章ではのべ四十一編が掲載されているのだが、そのうち九編が三島氏によるものだ。

やはり、競技こそが東京オリンピックの本分。そんな訳で「競技」の章には多くの作家が文章をしたためている。

続いての「閉会式」では、六編の文章が載っている。著者たちは総じて、東京オリンピックには成功や感動を素直に表明されていた。むしろ、オリンピックの外に漂っていた国際政治のきな臭い空気と、オリンピック精神の矛盾を指摘する方が多いように思えた。

興味深く読んだのは石原慎太郎氏の文だ。後の世の私たちは知っている。石原氏が後年、東京都知事になり、二度目の東京オリンピック招致に大きな役割を果たすことを。だが、ここではそんな思いはみじんも書かれていない。そのかわり、日本がもっと強くあらねばならないことを氏は訴えている。石原氏の脳裏にはこの時に受けた感動がずっと残り続けていたのだろう。だから二〇二〇年のオリンピック招致活動に乗り出した。もし石原氏が福岡県知事になっていたら福岡にオリンピックを持ってきてくれたのだろうか。これは興味深い。

続いては「随想」だ。この章ではオリンピック全体に対しての随想が三〇編収められている。

それぞれの論者がさまざまな視点からオリンピックに対する思いを吐露している。オリンピック一つに対しても多様な切り口で描けることに感心する。例えば曽野綾子氏は選手村の女子の宿舎に潜入し、ルポルタージュを書いている。とりたてて何かを訴える意図もなさそうなのんびりした論調。だが、各国から来た女性の選手たちの自由で溌溂とした様子が、まだ発展途上にあった我が国の女性解放を暗に訴えているように思えた。

また、ナショナリズムからの自由を訴えている文章も散見された。代表的なのは奥野健男氏の文章だ。引用してみる。
「だがオリンピックの開会式の入場行進が始まると、ぼくたちの心は素直に感動した。それは日本人だけ立派であれと言うのではなく、かつてない豊かさ、たのしさを持って、各民族よ立派であれという気持ちであった。インターナショナリズムの中で、ナショナリズムを公平に客観的に感じうる場所に、いつのまにか日本人は達していたらしい。それはゆえない民族的人種的劣等感からの、そして逆投影からの解放である。
 ぼくはこれだけが敗戦そして戦後の体験を経て、日本民族が獲得し得た最大のチエではないかと思う。負けることに平気になった民族、自分の民族を世界の中で客観的にひとつの単位として見ることができるようになった民族は立派である。いつもなら大勢に異をたてるヘソ曲がりの文学者たちが、意外に素直に今度のオリンピックを肯定し、たたえているのも、そういう日本人に対する安心感からであろうか。」(262-263ページ)
この文章は本書の要約にもなりえると思う。

あと目についたのは、アマチュアリズムとオリンピックを絡めた考察だ。村松剛氏の文章が代表的だった。すでにこの時期からオリンピックに対してアマチュアリズムの危機が指摘されていたとは。当時はまだ商業主義との批判もなければ、プロの選手のオリンピック参加などの問題が起きていなかった時期だったように思うが、それは私の勉強が足りていないのだろう。不明を恥じたい。

また、日本の生活にオリンピックがもたらした影響を指摘する声も目立った。オリンピックの前に間に合わせるように首都高速や新幹線が開通したことはよく知られている。おそらくその過程では日に夜を継いでのモーレツな工事が行われたはずだ。そして国民の生活にも多大な影響があたえたことだろう。それゆえ、オリンピックに対する批判も多かった。そのことは本書の多くの文章から感じられた。中でも中野好夫氏は、オリンピック期間中、郊外に脱出する決断を下した。そして連日のオリンピックをテレビ観戦のみで済ませたという。それもまた、一つの考え方だし実践だろう。中野氏はスポーツそのものは称賛するが、その周囲にあるものが我慢できなかったのだとか。中野氏のように徹底した傍観の立場でオリンピックに携わった方がいた事実も、本書から学ぶことができる。オリンピックに対して疑問の声が上がっていたことも、オリンピックが成功裏に終わり、日本の誉めたたえられるべき歴史に加えられている今ではなかなかお目にかかれない意見だ。

私も二〇二〇年のオリンピック期間中は協力したいと書いたものの、中野氏のような衝動に駆られないとも限らない。

私が本章でもっとも印象に残ったのは石原慎太郎氏による文だ。石原氏の文は「随想」の章には三編が収められている。引用してみる。
「参加することに意味があるのは、開会式においてのみである。翌日から始まる勝負には勝たねばならぬ。償いを求めてではない。ただ敗れぬために勝たねばならぬ。
 人生もまた同じではないか。われわれがこの世にある限り、われわれはすでに参加しているのだ。あとはただ、勝つこと。何の栄誉のためにではなく、おのれ自身を証し、とらえ直すためにわれわれは、それぞれの「個性的人生」という競技に努力し、ぜひとも勝たねばならぬのである。」10/25 読売新聞 ( 320-321ページ )

この文には感銘を受けた。オリンピックに限らず人生を生きる上で名言と言える。

二〇二〇年の東京オリンピックを迎えた私たちが本書を読み、じかに役立てられるかはわからない。だが、当時の日本の考えを知る上ではとても参考になると思う。また、当時の生活感覚を知る上では役に立たないが、日本人として過ごす心構えはえられると思う。それは私たちが二〇〇二年の日韓ワールドカップを経験したとき、世界中から観光客を迎えた時の感覚を思い出せばよい。本書に収められた文章を読んでいて、二〇〇二年当時の生活感覚を思い出した。当時はまだSNSも黎明期で、人々はあまりデータを公共の場にアップしていない。二〇〇二年の感覚を思い出すためには、こうした文書からそれぞれが体験を書いてみるのも一興だと思う。

それよりもむしろ、本書は日本人としての歴史観を養う上で第一級の資料ではないかと思う。二〇二〇年の大会では、一九六四年の時とは比べ物にならないほど大量の文章がネット上に発表されるはず。その時、どういう考察が発表されるのか。しかも素人の作家による文章が。それらを本書と比べ、六〇年近い時の変化が日本をどう変えたか眺めてみるのも面白いかもしれない。

‘2018/04/27-2018/04/29


境界なき土地


著者の『夜のみだらな鳥』は傑作と言うべき作品だった。読者の時空ばかりか道徳をも失わせるような内容にはとても衝撃を受けた。ただ、一方で凝りに凝った複雑極まる構成のため、読むのにとても骨が折れたことを覚えている。一言でいうと難解な小説だ。

それ以来、久々に読む著者の小説が本書だ。ところが、本書はとても読みやすい。時間軸は一度回想シーンが挟まれるだけ。挟まれる場所もせいぜい二カ所ほど。『夜のみだらな鳥』に比べると、本書の読みやすさは段違いに思える。

ところが本書を人畜無害な内容と思うのは早計だ。本書もまた、一筋縄では行かない側面を持っている。それはジェンダーおよびセックスの観点だ。この二つは本作の中で曖昧に取り扱われる。それが読者を惑わせる。『夜のみだらな鳥』に登場するような奇形児は出てこないため毒は幾分薄い。だが、本書の中で描かれる性の混乱は、本作を異色にしている。タイトルには『境界なき土地』とあり、描かれる舞台も境界などなさそうに思える。だが、本書が指す境界の対象とは間違いなく「性」のはずだ。本作が出版された1966年は、今のようにトランスジェンダーや性同一性障害といった認識も薄い。だから本作は相当に衝撃を与えたことだろう。

本作の舞台はある娼館だ。あるくたびれた街エスタシオン・エル・オリーボ。ワイン醸造所が移転してしまい、今にも消え去りそうな街。そこに娼館はある。娼婦たちが住まい、そこを訪れる客。町の住民や街の顔役として存在感を発揮する男。本書の登場人物は一見するとまともだ。ところがそこに住まう娼婦、とくに主人公として娼館を統べるマヌエラの性別が曖昧に描かれている。そんなマヌエラに執心するパンチョ・ベガは明らかに男。マヌエラの年齢もかなり老を食っていることがほのめかされる。そんなマヌエラに執心するパンチョが異様に映る。

彼の執心が一体どこからくるのか。そしてマヌエラの心は雌雄どちらにあるのか。また、マヌエラの過去になにがあったのか。街の顔役、そして代議士のドン・アレホはこの街をどうしたいのか。それらの設定と展開は読者の興味を引き止めることに成功している。読者を惑わせるというよりは、読者に性の曖昧さを伝えることが本書の眼目であるかのようだ。

本書の冒頭にクリストファー・マーロウの戯曲『ファウスト博士』の一節が引用されている。

ファウスト まずは地獄についてお聞かせ願おう。
人間たちが地獄と呼ぶ場所はどこにあるのだ?
メフィストフェレス 空の下だ。
ファウスト それはそうだろうが、場所はどこなのだ?
メフィストフェレス 様々な要素の内側だ。
我らが拷問を受けながら永久にとどまる場所。
地獄に境界はないし、一カ所とはかぎらない。
地獄とは今我らが立つこの場所であり、
この地獄の地に、我らは永久に住み続けることになるのだ・・・・・

この詩を引用したということは、著者は性そのものを地獄と読み替えていた節がある。性の欲望こそが地獄なのだと。しかもその地獄には境界がなく、果てもない。実は外部から区分けがされていて、人がそのなかで過ごせていればどれだけよいか。だが、その区分けが取っ払われた時、人はどれほどの苦痛を感じるのか。とりとめのなく、漂うような不安。踏みしめる大地もなく、よって立つ柱もない現実が人にどれほどストレスを与えるのか。『境界なき土地』とは、人から基準が取り上げられた時の苦痛であり、自らの人生から基準が喪われた時の地獄を指しているのかもしれない。

時代はまだLGBTの理解もなく、あいまいな性が人々に眉をひそめられていた時期だ。だからこそこのような形で描かれた性に興味を持つ。このころのラテンアメリカにはこういう性の取り上げ方は許されていたのだろうか。そして、あえてマヌエラを少しグロテスクな描写にしたのは、当時の性のアブノーマルさが受け入れられなかったということなのだろうか。その苦痛を著者は『境界なき土地』という言葉で表しているのだと思う。

おそらく実際は当時のラテンアメリカにも性的マイノリティの方は多数いて、ある程度は受け入れられていたのかもしれない。しかし、かなり白眼視もされ、場合によっては迫害も受けていたのかもしれない。マヌエラの描かれ方からそんなことを想った。

今の日本ではLGBTがだいぶ知られてきている。だが、このような内容の本がそれほど支持を受けるとは思えない。まだまだキワモノとして受け取られているような気がする。実は日本のLGBTを巡る事情も、当事者に言わせればまだまだ地獄に近いのかもしれない。

あとがきに訳者が、著者の人物を襲ったスキャンダラスな部分を少し紹介している。『夜のみだらな鳥』の異常で衝撃的な描写は、著者の実体験から描かれていたことがわかる。それとともに、本書の曖昧な性の問題も、著者の実像から抽出されたのだろう。これは読みやすい分、くわせものの小説だ。

‘2017/12/11-2017/12/18


別れ


フィクションのエルドラードと銘打たれたこのシリーズに収められた作品は結構読んでいる。ラテンアメリカ文学の愛好者としては当然抑えるべきシリーズだと思う。加えて本書の訳者は寺尾隆吉氏。とあらば読むに決まっている。氏の著した『魔術的リアリズム』は、2016年の私にとって重要な一冊となったからだ。

本書は三編からなっている。それぞれが味わい深く、優れた短編の雰囲気を醸し出している。

「別れ」
表題作である。訳者の解説によると、著者は本編を偏愛していたらしい。著者にとって自信作だったのだろう。

海外の小説を読んでいると、描かれる距離感に戸惑うことがある。小説に置かれた視点と人や建物との距離感がつかみにくくなるのだ。日本を舞台にした小説なら生活感がつかめ、違和感なく読めるのだが。その訳は、読者である私が他国の生活にうとく、生活感を体で理解できていないからだろう。だから、生活どころか訪れたことのない地が舞台になると描かれた距離への違和感はさらに増す。それがラテンアメリカのような文化的にも日本と隔たった地を舞台としていればなおさらだ。ラテンアメリカを舞台とした本書も例に漏れず、読んでいて距離がつかみづらかった。描かれた距離の違和感が私の中でずっとついて回り、後に残った。その印象は若干とっつきにくかった一編として私に残り続けている。

本編の舞台はペルー。謎めいた男の元に届く意味ありげな封筒。それを男に届ける主人公はホテルマン。次第に泊まっている男の正体がバスケットボールの元ペルー代表であることが明かされる。そして、男を診断した医師の話によると、男は不治の病にかかっているとか。次第に明らかになってゆく男の素性。だが、男は町の人々と打ち解けようとしない。それどころか部屋に閉じこもるばかり。

ある日、男のもとにサングラスをかけた女が訪れる。すると男はそれまでとは一転、朗らかで明るい人物へと変貌する。そして、女の訪問とともにそれまで定期的に届いていた二種類の封筒が来なくなる。数週間、男の元に逗留した女が去ると、再び二種類の封筒は定期的に届き始める。さらに、男の態度も世捨て人のような以前の姿に戻る。

夏のクリスマスが終わる頃、男の元には別の若い娘がやって来る。男は山のホテルで、若い娘との時間を過ごす。口さがないホテルの人々の好奇の目は強まる。娘が去ってしばらくすると、再びサングラスの女が来る。今度は子供を連れて。さらには若い娘も再び姿をあらわす。男のもとで2組の客人は鉢合わせる。一触即発となるかと思いきや、二組は友情を結ぶかにも見える。

そうした客人の動きを主人公はメッセンジャーとなって観察する。一体この男と二組の訪問者はどういう関係なのか。町の人々の不審は消えない。彼らのそばを送迎者となって動き回る主人公までもが、町の人々の容赦ない好奇の目にさらされる。男が死病によって世を去る直前、主人公は男に渡しそびれていた二通の封筒を見つける。そして中を開いて読む。そこには男と若い娘、そして母子との関係が記されていた。そして自分だけでなく、ホテルの人々がひどい誤解をしていたことに気付くのだ。主人公の胸にはただ苦い思いだけがのこり、物語は幕をとじる。

本編は男と二組の関係が最後まで謎として描かれていたために、あいまいさが際立っていた。そのあいまいさは、それぞれの関係どころか、小説の他の距離感までもぼやけさせていたように思う。本編で距離感をつかめなかった点はいくつかある。例えばホテルと山の家との距離。そして、登場人物たちをつなぐ距離感だ。例え閑散期であっても、一人の男の動向がうわさの的になるほどホテルは暇なものだろうか、という疑問。それほどまでに暇なホテルとはどういう状況なのか。その疑問がついて回る。それほどまでに他人に排他的でいながら、ホテルが営めるほどの需要がある街。そして、繁忙期は逆に人が増えることで男の行方がわからなくなる1950年代のペルー。一体どのような人口密度で、人々のつながりはどこまで密なのか。本編を読みこむにはその距離感が肝心なはずだが、私にはそのあたりの感覚がとうとうつかめずに終わった。

なぜ距離感が求められるのか。それは本編が別れをテーマとするからだ。別れとは人と人とが離れることをいう。つまり距離感が本書を読み解く上で重要になるのだ。それなのに本書で描かれる距離感からは、男と女性たちの、男と町の人々の距離感が測りにくかった。当時のラテンアメリカの街並みを思い浮かべられない私にとって、これはもどかしかった。かつて女にもて、栄誉につつまれた男が、あらゆるものとの別れを余儀なくされる。男の栄光と落魄の日々の落差は、距離感がともなってこそ実感となって読者に迫るはずなのだ。それが私に実感できなかったのは残念でならない。男と女の悲哀。そこに人生の縮図を当てはめるのが著者の狙いだとすればこそ、なおさらそう思う。男は女たちだけでなく、人生からも別れを告げようとするのだから。

本編が人々の口に交わされるうわさとその根源となる男女の関係を描き、その中から別れの姿をあぶりだそうとしていたのなら、そこに生じる微妙な距離感は伝わらねばならない。それなのに本書が描く距離感を想像できないのは残念だった。なお、念のために書くと、著者にも訳者にも非がないのはもちろんだ。

続いての一編「この恐ろしい地獄」は、若い尻軽女を妻に持つ、さえない中年男リッソが主人公だ。リッソが妻グラシア・セサルの所業にやきもきしながら、自暴自棄になってゆく様子が書かれている。訳者によると、本編は実話をもとにしているという。それも、三行ほどの埋め草記事。それを元にここまでの短編に仕立てたらしい。

女優である妻グラシアを愛しつつ、彼女の気まぐれに振り回されるリッソ。みずからに放埒な妻を受け止められるだけの度量があると信じ、辛抱と忍耐でグラシアの気ままを受けいれようとするリッソ。だが、悲しいかな、器を広げようとすればするほど、器はいびつになって行く。浮名を流し、自らの発情した裸の写真を街にばらまくグラシア。リッソが幾たびもの別居の末、グラシアを、そして人生を諦めて行く様子が物悲しい。リッソの諦めは、すべての責任をグラシアではなく自分自身に負わせることでさらに悲劇的なものになる。そしてグラシアの破廉恥さすら、非難のまとにするどころか悲しみの中に包んでいくように。生真面目な新聞の競馬欄を担当するリッソ。真面目に実直であろうとした男が、女の振る舞いを負うてその重みに押しつぶされて行く様子。その様を男の視点だけに一貫して書いているため、とても説得力に満ちている。

「別れ」では距離感の把握に難儀した。逆に本編は、男からの視点で描かれているため距離感がつかみやすい。男と女の関係は、日本だろうとラテンアメリカだろうと変わらないということなのだろう。

最後の一編は「失われた花嫁」だ。

結婚するため、ウェディングドレスを着てヨーロッパに向かった若い娘モンチャ・インサウラルデが、結婚相手から裏切られる。その揚げ句サンタ・マリアへと戻ってくる。そして街の家に閉じこもり、庭を徘徊してすごすようになる。

街にある薬局には薬剤師バルテーが住みついていたが、助手のフンタに経営権を奪われ、店は廃墟へと化してゆく。いつのまにか店に住み着いたモンチャとともに。

本編を彩るのはただ滅び。本編の全体に滅び行くものへの哀惜が強く感じられる。ウェディングドレスを狂った老婦人が着流し、町を彷徨う姿に、美しきもののたどる末路の残酷さを著している。著者はその姿を滅びの象徴とし、本編のもの寂しい狂気を読者に印象付ける。それは、美女が骨に変わり果ててゆく様子を克明に描いた我が国の九相図にも、そして仏教の死生観にもつながっている。

モンチャの死を確認した医師ディアス・グレイは、街ぐるみでモンチャを見て見ぬ振りし続けた芝居、つまりモンチャの狂気を狂気として直視しない振る舞いの理由を理解する。
「彼に与えられた世界、彼が容認し続けている世界は、甘い罠やうそに根差しているわけではないのだ。」154ページ

私にとって著者は初体験だが、後者二つは短編としてとても優れていると思う。ただ、訳者あとがきで寺尾氏が述べているように、なかなかに訳者泣かせの作家のようだ。多分「別れ」にしても距離感をうまく訳出しきれなかったのだろう。だが、他の作品も読んでみたいと思う。

‘2017/12/01-2017/12/07


エレクトラ


中上健次氏(以下敬称略)の作品で読んだ事があるのは、『枯木灘』くらい。読んだのは記録によると、1996年11月だから二十二年前まで遡らなければならない。内容についてはあまり覚えていない。出口のない閉そく感が濃密だったことだけをかすかな読後感として覚えている。

中上健次が読むべき作家である事は、頭ではわかっていた。だが、私には濃密な世界観に向かい合うだけの余裕も、読み下すだけの自信もなかった。自信がない中、読めないでいた。そんな所に、中上健次の評伝として傑作だ、と本書を勧められた。私に本書を紹介してくれたのは、仕事仲間として知り合った方。だが仕事仲間とはいえ、この方とは文学や音学の趣味が合う。なので、仕事の域を超えて友人としてもお付き合いさせていただいている。この方の推薦とあらば傑作に違いない。

そう思って読み始めた本書は、たしかに評伝として優れていた。そしてすいすいと読み進められた。評伝とは元来、対象人物の由来や育ちを解体し、分析する作業だ。普通ならば劇的な驚きに出会うことは少ない。評伝の対象となる人物の残した業績に、どういったきっかけや学び、またはご縁があるのか。それを知ることで自分のこれからに生かすのが評伝を読む目的だからだ。だが、本書には驚きがあった。それは中上健次の出自が被差別部落にある事が詳細に描かれていた事だ。

もちろん、中上健次の出自が部落にあること自体はおぼろげに知っていた。私の蔵書の中に解体新書というものがある。本の雑誌ダ・ヴィンチが発行した作家を詳しく紹介したMOOKだ。そこで中上健次も取り上げられており、被差別部落の出であることは触れられていた。だが本書を読むまで、中上健次の文学が被差別という立場から書かれたという視点は私から全く抜け落ちていた。

念のため言っておくと、私は自分では、歴史的に差別を受けた出自を持つ方への偏見はあまりないと思っている。今でも被差別の目で周囲から見られる地域があることや、週刊誌などでたまに出自を暴かれる有名人がいることも知っている。

とはいっても、関西に住んでいた頃は全く同和問題には無縁ではなかった。わたしが幼い頃の西宮には明らかにそうと思える場所も残っていた。また、差別されいじめられている人もいた。大学のころには芦原橋にあるリバティ大阪(大阪人権博物館)にも行ったことがあるし、本書を読んだ9カ月ほど後にもリバティ大阪を再訪した。

だが、日常生活の皮膚感覚ではそうした差別意識に出会う機会は日に日にまれになっているように思う。私のようにいろいろな方と仕事や交流会で会う機会が多いと、中にはそういう出自を持つ方にも会っているはずだ。だが、仕事である以上、相手の出自などどうでもいい。要は結果が全てなのだから。だからかもしれないが、東京に出てからの私に同和問題を意識する機会は薄らいでいた。

とはいえ、関西にいまだに被差別部落といわれる地区は存在していることは確かだし、わたしの幼少期に文壇デビューした中上健次にとっては出自の問題はより切実だったに違いない。ましてや中上健二の故郷新宮にあっては、なおのこと切実だったと思う。

数年前、妻と紀伊半島を半周する旅をしたことがある。新宮にも立ち寄ってめはり寿司に舌鼓を打った。この時、新宮駅前や徐福公園、浮島の森に行こうと思い、駅前周辺をあちこち車で移動した。この時は何も感じなかったが、本書を読んで、なんとなくこみごみした路地を車で通ったことを思い出した。今、地図を見てみると中上健次生誕の地は駅のすぐ横のようだ。おそらく、私もすぐそばを通ったはずだ。新宮を旅行した時、私はすでに『枯木灘』は読んでいた。それなのに、その時の私が中上健次のことを思い浮かべることはなかった。

本書は、中上文学が差別の現実に苦しむ露地から何をすくい上げ、どう作品に昇華させたのかが描かれている。

本書の扉には、ソポクレスの『エレクトラ』が引用されている。
「さて、故国の土よ、氏神様よ、願わくはわたしがこの旅路を首尾よく終えて帰国を果たせますように。なつかしい父祖の館よ、そなたもわたしの願いをきいてくれ。」

『エレクトラ』は本書の題名にもなっている。そして、中上健次がまだ無名のころに書いた小説のタイトルでもある。本書は、無名時代の中上健次が、編集者に叱られ、励まされる姿で幕を開ける。続いて著者は、無名の中上健次が文学に青春をささげる背景を探る旅に出る。

著者は中上健次の故郷、新宮の春日地区を取材する。そして、生前の中上健次を知る存命者を訪ねて回る。著者の取材と描写は徹底していて、在りし日の春日地区がよみがえってくるようだ。今や再開発が進み、春日地区にかつての雰囲気は残されていないとか。それでも著者は春日地区で生を受け、成長した中上健次の在りし日をよみがえらせようとしている。春日地区の方々が人生を切り開こうとして苦闘した姿。差別という現実に、ある者は風評に負け、ある者は人生を諦める。そうした人々の哀しみや怒りは、中上健次の作品群にありありと表れていることをしめすため、著者はあらゆる中上作品を豊富に引用する。そこには差別という現実を決して隠そうとせず、文学を通して世の中に叩きつけようとする中上健次の怒りがある。

本書に引用されている詩の豊富さは、特に目を引く。詩とはイメージの氾濫であり、理屈ではない感情の裸の部分だ。これらの詩を読んでいると、発表された小説だけでは 中上健次の世界感は到底理解できないことに気づく。第四章のタイトルにもなっている「故郷を葬る歌」は、なかなかに物騒な内容だが、著者はそのねじれた感情を見破り、最後の締めに中上健次の甘えを見て取り、「尻の青い、甘ったれの詩であった」と両断している。

本書は一人の少年が、熊野から上京し、芥川賞受賞を果たし、小説家として押しも押されもせぬ存在になるまでが描かれる。そこには、なぜ小説家にならねばならないのか、という一人の人間の切実な動機があったのだ。そしてそれを見抜き、小説家としての大成を見守った編集者の役割も見逃せない。本書は高橋一清、鈴木孝一の二人の編集者による作家を養成する軌跡でもある。二人の編集者による魂を削るかのような叱咤と激励が中上健次を大成させたと言っても言い過ぎではない。私は本書ほど編集者が作家に与える影響力の大きさを描いた書物を読んだことがない。編集者が小説家を生かしもするし殺しもするのだ。本書で印象に残る表現に梅干の種がある。梅干の種までは小説家なら誰でもたどり着ける。その種をさらに割って、核までたどり着く。そのような覚悟を鈴木氏は幾度も中上健次に迫ったという。

いうまでもなく、ここで言う核とは被差別の出自を示しているのだろう。種をどうやって割り、どうやって核を引きずり出すのか。中上健次は詩や散文などあらゆるやり方で己の中にある核に迫ろうと奮闘する。新宿での無頼で自由な日々をへて、連続射殺魔として世を騒がした永山則夫に共感を抱き、結婚して家族を持つ。中上健次はそこでいったん現実を見つめ、国分寺に家を構え、毎日仕事をしに羽田空港まで出かける。たいていの人はそのまま一生を終えてしまうが、彼はその長距離通勤にも負けず、家族を守りながら小説家として一本立ちする。そのいきさつが本書にはつぶさに書かれている。日々の仕事をこなしながら、彼が小説家への志を捨てなかったのも核を持っていたからだろう。被差別を出自とした自らの故郷への愛憎、それに立ち向かわねばならないという確固たる意志。そこに中上健次の作家の真価がある。そしてそれに気づき、引き出そうとした編集者の慧眼。

中上健次の核は、『十九歳の地図』『火宅』『蛇淫』『岬』といった諸作で種の表皮に徐々にひびがはいり、ついに『岬』で芥川賞を受賞して日の目をみる。本書において著者は、芥川賞を受賞して以降の作品にあまり重きを置かない。『枯木灘』でさえも。『枯木灘』とはそれら短編で研ぎ澄まされた作品世界を長編として生まれ変わらせた作品であり、それ自体に新鮮さを求めるのは間違いかもしれない。いうなれば総集編というかベスト盤。となると『枯木灘』しか読んでいない私は、中上健次の真価に触れずにいるのだろう。

『岬』で一躍、世間的に脚光を浴びた中上健次。それ以降の作品で本書が多くを触れるのは熊野のルポルタージュである『紀州 木の国・根の国物語』の苦闘のいきさつだ。その他の作品は本書ではほとんど触れられない。小説家として不動の地位を築いてからの作品にも高い評価を受けた作品は多い。だが、著者によれば、それらの作品はいまや核を割ることに成功した小説家の、いかに核を味わうか、の技巧の結果でしかないようだ。

自らの中にある核を取り出した後、中上健次にできることは己の出自にけじめをつけることだけ。熊野の被差別部落を葬ったのは実質、中上健次自身であることが本書には記される。改善事業や文化会の開催など、春日地区の改善に貢献したあと、やるべきことがなくなったかのように、中上健次はガンに侵される。本書では特に触れられていなかったが、死の前に中上健次は、路地、つまり被差別をモチーフとしない作品への転換を模索していたらしい。ところがその成果は世に出る事はなかった。それもまた運命なのだろうか。中上健次がなくなったのは那智勝浦。故郷に帰って死ねたのがせめてもの慰めだったと思うほかはない。

46歳の死はあまりにも早い。また、惜しい。そして私はその年齢に近づきつつある。それなのに、総集編としての『枯木灘』しか読んでいない私の読書体験の乏しさに焦りが生まれる。まだ間に合うはずだ。読むべき本の多さに圧倒される思いだが、読んでおかなくては。本書はよい機会となった。友人に感謝するしかない。

‘2017/06/04-2017/06/08


図説滝と人間の歴史


滝が好きだ。

みていて飽きない稀有なもの。それが滝だ。旅先で名瀑を訪れると時間のたつのを忘れてつい見入ってしまう。滝ばかりは写真や動画、本を見ただけではどうにもならない。滝の前に立つと、ディスプレイ越しに見る滝との次元の違いを感じる。見て聞いて嗅いで感じて。滝の周囲に漂う空気を五感の全てで味わう。たとえ4K技術が今以上に発達しても、その場で感じる五感は味わえないに違いない。

私の生涯で日本の滝百選は全て訪れる予定だ。本稿をアップする時点で訪れたのは25カ所。まだまだ訪れる予定だ。私が目指す滝には海外も含まれている。特にビクトリア、 ナイアガラ、イグアス、エンジェル、プリトヴィツェの五つの名瀑は必ず訪れる予定だ。

今までの私は滝を訪問し、眼前に轟音を立てる姿を拝むことで満足していた。そして訪れるたびに滝の何が私をここまで魅了するのかについて思いを巡らしていた。そこにはもっと深いなにかが含まれているのではないか。滝をもっと理解したい。直瀑渓流瀑ナメ瀑段瀑といった区分けやハイキングガイドに書かれた情報よりもさらに上の、滝がありのままに見せる魅力の本質を知りたい。そう思っていたところ、本書に出会った。

著者はオーストラリアの大学で土木工学や都市計画について教えている人物だ。本書はいわば著者の余技の産物だ。しかし、著者が考察する滝は、私の期待のはるか先を行く。本書が取り上げるのは滝が持つ多くの魅力とそれを見るための視点だ。その視点の中には私が全く思いもよらなかった角度からのものもある。

例えば絵画。不覚にも私は滝が描かれた絵画を知らなかった。もちろんエッシャーの滝はパズルでも組み立てたことがある。だがそれ以外の西洋の滝を扱った絵画となるとさっぱりだ。本書は絵画や写真がカラーでふんだんに掲載されている。数えてみたら本書には滝そのものを撮った写真は67点、絵画は41点が載っている。それらの滝のほとんどは私にとってはじめて知った。自らの教養の足りなさを思い知らされる。

本書では、滝を地学の観点から扱うことに重きを置いていない。滝が生まれる諸条件は本書でも簡潔に解説されており抜かりはない。滝の生成と消滅、そして学問で扱う滝の種別。それらはまるで滝を語る上でさも重要でないかのようにさらりと記される。そういったハイキングガイドのような記述を本書に期待するとしたら肩透かしを食うことになるだろう。

本書の原書は英語で書かれている。翻訳だ。この翻訳が少し練れていないというか、生硬な文章になっている。少し読みにくい。本書はそこが残念。監修者も付いているため、内容については問題ないはず。だが、文章が生硬なので学術的な雰囲気が漂ってしまっている。

だが、この文章に惑わされて本書を読むのをやめるのはもったいない。本書の真骨頂はその先にあるのだから。

地質学の視点から滝を紹介した後、本書は滝がなぜ人を魅了するのかを分析する。この分析が優れておりユニーク。五感で味わう滝の魅力。そして季節毎に違った顔をみせる滝の表情。増水時と渇水時で全く違う表情を見せる滝。著者は世界中の滝を紹介しつつ、滝についての造詣の深さを披露する。

そして、著者は滝の何が人を魅了するのかを考察する。これが、本書の素晴らしい点だ。まず、滝の姿は人々に大地の崇高さを感じさせる。そして滝は人の感情を呼び覚ます。その覚醒効果は滝に訪れると私の心をリフレッシュしてくれる。また、眺望-隠れ場理論と呼ばれるジェイ・アプルトンの理論も紹介する。この理論とは、眺望の良いところは危険を回避するための隠れ場となるとの考えだ。「相手に見られることなく、こちらから相手を見る能力は、生物としての生存に好ましい自然環境の利用につながり、したがってそうした環境を目にすることが喜びの源泉になる」(72p)。本能と滝を結び付けるこのような観点は私にはなかった。

また、もう一つ私に印象を残したのは、滝とエロティシズムを組み合わせる視点だ。私は滝をそういう視点で見たことがなかった。しかしその分析には説得力がある。滝は吹き出す。滝は濡れる。滝はなだらかに滑る。このような滝の姿から想像されるのは、エロスのメタファーだ。あるいは私も無意識のうちに滝をエロティシズムの視点で感じていて、そこから生命の根源としての力を受け取っているのかもしれない。

また、楽園のイメージも著者にとっては滝を語る上で欠かせない要素のようだ。楽園のイメージを著者は滝がもたらすマイナスイオン効果から結びつけようとしている。マイナスイオンが科学的に正しい定義かどうかはさておき、レナード効果として滝の近くの空気が負の電荷を帯びることは間違いないようだ。マイナスイオンが体をリフレッシュする、つまり滝の周りにいると癒やされる。その事実から著者は滝に楽園のイメージを持ってきているように受け取れた。ただ、マイナスイオンを持ち出すまでもなく、そもそも滝には楽園のイメージが付き物だ。本書は滝に付いて回る楽園のイメージの例をたくさん挙げることで、楽園のイメージと滝が分かちがたいことを説いている。

著者による分析は、さらに芸術の分野へと分け入る。絵画、映画、文学、音楽。滝を扱った芸術作品のいかに多いことか。本書で紹介されるそれら作品の多くは、私にとってほとんど未知だ。唯一知っていたのがシャーロック・ホームズ・シリーズだ。ホームズがモリアーティ教授と戦い、ともに滝へと落ちたライヘンバッハの滝のシーンは有名だ。また、ファウストの一節で滝が取り上げられていることも本書を読んでおぼろげに思い出した。そして滝を扱った芸術といえば絵画を外すわけにはいかない。本書は41点の絵画が掲示されている。その中には日本や中国の滝を扱った絵画まで紹介されている。著者の博識ぶりには圧倒される。日本だと周文、巨勢金岡、円山応挙、葛飾北斎の絵について言及されており、葛飾北斎の作品は本書にも掲載されている。私が本書に掲載されている絵画で気に入ったのはアルバート・ビアスタット『セントアンソニーの滝』とフランシス・ニコルソン『ストーンバイアーズのクライドの滝』だ。

芸術に取り上げられた滝の数々は滝が人間に与えた影響の大きさの表れだ。その影響は今や滝や流れそのものを人間がデザインするまでに至っている。古くまでさかのぼると、古代ローマの噴水もその一つだ。ハドリアヌス帝の庭園の噴水などはよく知られている。また、純然にデザイン目的で作られた滝もある。本書はそれらを紹介し、効果やデザインを紹介し、人工的な滝のありかたについてもきちんと触れている。

滝を美的にデザインできるのならば、滝をもっと人間に役立つように改良できるはずだ。例えば用水のために人工的に作られたマルモレの滝。マルモレの滝の作られた由来が改良の代表例として本書に取り上げられる。他にも水力発電に使われるために水量を大幅に減らされ、滝姿を大幅に変えられた滝。そういった滝がいくつも本書には紹介される。改良された滝が多いことは、滝の本来の姿を慈しみたい滝愛好家には残念な話だ。

人工的に姿を変えられる前に滝を守る。そのため、観光化によって滝の保全が図られる例もある。本書には観光化の例や工夫が豊富に紹介される。私が日本で訪れた多くの滝でも鑑瀑台を設け、歩道を整備することで観光資源として滝を生かす取り組みはおなじみだ。観光化も行き過ぎると問題だし、人によっては滝原理主義のような考えを持つ人もいるだろう。私は華厳の滝(栃木)や仙娥滝(山梨)や袋田の滝(茨城)ぐらいの観光化であれば、特に気にならない。もちろん滝そのものに改変を加えるような観光化には大反対だが。

こうして本書を読んでくると、滝とは実にさまざまな切り口で触れ合えることがわかる。このような豊富な切り口で物事を見る。そして物事の本質を考える。それが大切なのだ。私も引き続き滝を愛好することは間違いない。何も考えずに滝の眼前で何時間もたたずむ愛しかたもよいと思うし、場合によっては滝を考え哲学する時間があってもよい。本書を読むと滝の多様な楽しみ方に気づく。そうした意味でもとても参考になる一冊だ。図書館で借りた一冊だが、機会があれば買おうと思っている。

‘2017/04/21-2017/04/22


対岸


本書は、著者の処女短編集だそうだ。

著者は私が好きな作家の一人だ。簡潔な文体でありながら、奇想天外な作品を紡ぎ出すところなど特に。

本書はまだ著者がデビュー前、アルゼンチンで教員をしていた頃に書かれた作品を主に編まれている。

後年に発表された作品ほどではないが、本書からはすでに著者の才気のきらめきが感じられる。

本書に収められた諸編。その誕生の背景は訳者が解説で詳しく記してくださっている。田舎の閉鎖的で垢抜けない環境に閉口した著者が、懸命に作家を目指して励んだ結果。それらが本書に収められた短編だ。

本書は大きく四部に分かれている。最初の三部は「剽窃と翻訳」「ガブリエル・メドラーノの物語」「天文学序説」と名付けられている。各部はそれぞれ四、五編の短編からなっている。そして最後の一部は「短編小説の諸相」と題した著者の講演録だ。著者は短編小説の名手として世界的な名声を得た。そして短編小説を題材に講演できるまでに大成した。この講演は、晩年の著者がとても肩入れしたキューバにおいてなされたという。

著者の習作時代の作品を並べた後で、最後に著者自身が短編小説を語るのが、本書をこのように編集した意図だと思われる。

まずは前半の三部に収められた各編について寸想を記してみたい。

まず最初の「剽窃と翻訳」から。

「吸血鬼の息子」
吸血鬼伝説に想をとっている本編。一般に吸血鬼が描かれる際は、食欲だけが取り上げられる。つまり血液だ。

だが、美女の生き血を欲する欲とは、美女の体を欲する性欲のメタファーではないか。そこに着目しているのが印象に残る。吸血鬼が永遠に近い命を持つからといって性欲を持たなくてよいとの理はないはず。

吸血鬼の子を身ごもったレディ・ヴァンダから、どのような子どもが生まれるのか。それは読者の興味をつなぎとめるにふさわしい。その後、予想もしない形で吸血鬼の息子は誕生する。その予想外の結末が鮮やかな一編。

「大きくなる手」
本編は、本書に収められた13編の中でもっとも分かりやすいと思う。そして、後年の著者が発表したいくつもの名短編を思わせる秀編だ。主人公プラックが自らの詩をけなしたカリーを殴った後、プラックの手が異常に腫れる。その腫れ具合は車に乗せるにも一苦労するほど。

主人公を襲うその超現実的な描写。それが、著者の後年の名編を思わせる。大きくなりすぎた手を持て余すプラックの狼狽はユーモラスで、読者は主人公に待ち受ける出来事に興味を引かれつつ結末へ誘われて行く。そして著者は最期の一文でさらに本編をひっくり返すのだ。その手腕はお見事だ。

「電話して、デリア」
電話というコミュニケーション媒体がまだ充分に機能していた時期に書かれた一編。本書に収められた短編のほとんどは1930年代に書かれているが、本編は1938年に書かれたと記されている。けんかして出て行った恋人から掛かってきた電話。それは要領を得ない内容だった。だが、彼から電話をかけてきたことに感激したデリアは、彼と懸命に会話する。電話を通じて短い応答の応酬がつながってゆく。

結末で、デリアは思いもよらぬ事実を知ることになる。正直言ってその結末は使い古されている。だが、編末でラジオから流れるアナウンサーの話すCM文句。これが、当時には電話がコミュニケーション手段の最先端であった事実を示唆していて時代を感じさせる。著者が今の時代に生きていて、本書を書き直すとすれば、電話のかわりに何を当てるのだろう。

「レミの深い午睡」
本編はなかなか難解だ。自分があらゆる場所あらゆる時代で死刑執行される夢を普段から見る癖のあるレミ。今日もまたその妄想に囚われたまま、レミは午睡から起きる。そしてモレッラのところに連絡するが、何か様子がおかしい。

モレッラのところにはドーソン中尉がいて、銃声と叫び声が響く。執行人は脈をとって死人の死を確認し、立会人は去って行く。果たしてレミは妄想どおり死刑執行されたのか。それともレミが死刑を執行したのか。主体と客体は混然とし、読者は物語の中に惑わされたまま本編を終えることになる。

「パズル」
これまた難解な一編だ。殺人現場において、見事に殺害をし遂げる人物。そして殺害されたラルフを待ち続けるレベッカと主人公「あなた」の兄妹。彼らを尋問して警察が帰った後、二人の間で何が起こったのか問答が続く。

果たしてラルフはどこで殺されたのか。謎が明かされて行く一瞬ごとの驚きと戸惑い。本書は注意深く読まねば誰が誰を殺したのかわからぬままになってしまう。読者の読解力を鍛えるには好都合の短編だ。

続いて第二部にあたる「ガブリエル・メドラーノの物語 」から。

「夜の帰還」
死後の幽体離脱を文学的に取り扱えば本編のようになるだろうか。死して後、自分の体を上から見下ろす体験の異常さ。それだけでなく、主人公は自分を世話してくれていた老婆が自分の死を目にして動転しないよう、死体に戻って自分の体を動かそうと焦る。主人公の焦りは死という現象の不条理さを表しているようで興味深い。

死を客観的に見るとはこういう経験なのかもしれない。

「魔女」
万能の魔女として生きること。それは人のうらやみやねたみを一身に受けることでもある。また。それは自分の欲望を我慢する必要もなく生きられるだけに不幸なのかもしれない。

本編の結末はありがちな結果だともいえる。だが、単に自分の欲望に忠実に生きること。その生き方の果てにはなにがあるのか、ということを寓話的に描いた一編とも言える。抑制を知って初めて、欲望とは充足される。そんな教訓すら読み取ることは可能だ。

「転居」
本編も著者が後年に発表したような短編の奇想に満ちた雰囲気を味わえる。仕事に没頭するライムンドは、ある日突然家が微妙に変化していることに気づく。家人も同じだし家の間取りにも変わりはない。だが、微妙に細部が違うのだ。その戸惑いは会計事務所につとめ、完結した会計の世界に安住するライムンドの心にねじれを産む。

周囲が違えば、人は自らの心を周辺に合わせて折り合いを付ける。そんな人の適応能力に潜む危うさを描いたのが本編だ。

「遠い鏡」
著者が教員をしていた街での出来事。それがメタフィクションの手法で描かれる。ドアの向こうには入れ子のようにもう一つの自分の世界が広がる。

街から逃げ出したくて逃避の機会を探しているはずが、いつの間にか迷い込むのは内面の入れ子の世界。それは鏡よりもたちがわるい。抜け出そうにも抜け出せない。そんな著者の習作時代の焦りのようなものすら感じられる。

続いて第三部にあたる「天文学序説」から。

「天体間対称」
「星の清掃部隊」
「海洋学短講」
この三編は著者が作家としての突破口をSFの分野に探していた時期に書かれたものだろう。そう言われてみれば、著者の奇想とはSFの分野でこそ生かせそうだ。だが、本書に収められた三編はまだ習作のレベルにとどまっている。おそらく著者の文才とは、現実世界の中に裂け目として生じる異質なものを描くことにあるのてばないか。つまり、世界そのものが虚構であれば、著者の作り出す虚構が埋もれてしまい効果を発揮しなくなってしまう。多分著者がSFの世界に進まなかったのはそのためではないかと思う。

「手の休憩所」
こちらは逆に、著者の奇想がうまく生かされた一編だ。体から離れ、自立して動き回る手。その手と共存する日々。手は細工や手遊びに才能を自在に発揮する。しかし私に訪れた妄想、つまり私の片手と動き回る手が手を取り合って逃げてしまうという妄想。それがこの膠着状況に終止符を打ってしまう。

続いては末尾を飾る「短編小説の諸相」
これは、冒頭に書いたとおり、著者の講演を採録したものだ。ここで著者は短編小説の極意を語る。

長編小説と違い、短編小説には緊張感が求められると著者はいう。じわじわと効果を高めていく長編とは違い、効果的かつ鋭利に読者の心に風穴を開けねばならない。それが短編小説なのだという。テーマそのものではなく、いかにして精神的・形式的に圧力をかけ、作品の圧力で時空間を圧縮するか。著者が強調するのは「暗示力」「凝縮性」「緊張感」の三つだ。

この講演の中では、著者が好む短編が挙げられている。それはとても興味深い。ここに収められた講演の内容は何度も読み返すべきなのだろう。含蓄に溢れている。そして、本講演の内容は、おそらく今まで著者のどの作品集にも収められなかったに違いない。私もいずれ、機会を見て本書は所持したいと思っている。

そして確固とした短編の名作を生み出してみたいと思っている。

‘2017/02/21-2017/02/24


ペドロ・パラモ


本書の存在は、昨年読んだ『魔術的リアリズム』によって教えられた。『魔術的リアリズム』の中で著者の寺尾隆吉氏は本書の紹介にかなりのページを割き、ラテンアメリカ文学の歴史においてなぜ本書が重要かを力説していた。それだけ本書がラテンアメリカ文学を語る上で外せない作品なのだろう。それまで私は本書の存在すら知らなかった。なので、本書の和訳があればぜひ読みたいと思っていた。そこまで激賞される本書とはいかなる本なのか。そんな私の願いはすぐに叶うことになる。多摩センターの丸善で本書を見つけたのだ。しかも岩波文庫の棚だから値段も控えめ。その場で購入したことは言うまでもない。

そして本書は、2017年の冒頭を飾る一冊として私の読書履歴に加わることになった。ここ数年、新年の最初に読む本は世界文学全集が続いていた。ゆっくりと読書の時間がとれるのは新年しかないので。ところが2017年は年頭から忙しくなりそうな感じ。そのため比較的ページ数が少ない本書を選んだ。

本書は、ラテンアメリカ文学史に残る傑作とされている。だが、一度読んで理解できる小説ではない。二度、三度と読まねば理解はおぼつかないはずだ。すくなくとも私には一度目の読破では理解できなかった。

なぜなら、本書は場所と時代が頻繁に入れ替わるからだ。本書はたくさんの断章の積み重ねでできあがっている。訳者によるあとがきの解説によると七十の断章からなっているとか。そして各章のそれぞれで時代と場所を変えている。さらには話者も変わるのだ。各章が続けて同じ時代、同じ場所を語ることもあれば、ばらばらになることもある。それらは、章の冒頭で断られる事なく切り替わる。そもそも章番号すら振られていない。つまり、それぞれの章の内容や登場人物を丹念に把握しないとその断章がどの時代と場所を語っているのか迷ってしまうのだ。そのため本書を読み通すだけでも少し苦労が求められる。

読者は本書の冒頭の文で本書のタイトル『ペドロ・パラモ』の意味を知る。それはフアン・プレシアドが会おうとする自らの父の名前である。ところがすぐに読者は「ペドロ・パラモはとっくの昔に死んでるのさ」というセリフがファン・プレシアドに投げかけられる(14P)ことで困惑する。タイトルになった人物が死んでいるとはどういうことだろう、と。さらには、冒頭の断章がフアン・プレシアドの視点になっているはずなのに、フアン・プレシアドと会話している相手が、たった数ページの間に二転三転するのだ。そもそもフアン・プレシアドは誰と話しているのか。フアン・プレシアドに話しかけているのは誰なのか。読者は見失うことになる。そしてファン・プレシアドはいくつかの断章でいなくなり、別の人物の視点に物語は切り替わる。さらに、主人公であるはずのペドロ・パラモは死んでいる。その時点で誰が本書の主人公なのかわからなくなる。多分、死んでいるペドロ・パラモは主人公ではなりえない。と思ったら終盤では過去の世界の住人としてペドロ・パラモが登場する。そして、それまでの断章でも語り手が次々と切り替わるのだ。どの時代、どの場所の人物の視点で物語が語られているのか、わからなくなる。もはや誰が主人公なのか、読者は著者の仕掛けた世界に惑わされてゆくばかりだ。

本書が読みにくい理由はその外にもある。それぞれの場所や時代ごとに目を引くような比喩や表現による書き分けがないのだ。印象に残るエピソードが現れないので、記憶に残りにくい。それぞれの場所と時間ごとのエピソードに関係が付けにくいのだ。そして、全体的なトーンは暗めだ。前向きな展開でもない。その上、登場人物たちの発するセリフは微妙に食い違う。それらは読者に釈然としない感じを抱かせる。誰が誰に語っているのかもはっきりしないセリフが次々と積み重なり、読者の脳に処理されずに溜まってゆく。明らかに過去からの亡霊と思われるセリフが違う書体で随所に挟まれる。セリフとセリフの間には、話者の間にコミュニケーションがなりたっている。が、それはある瞬間でブツリと途切れてしまうのだ。そして何事もなかったかのように次の断章に繋がってゆく。本書を読むだけでもとても難儀するはずだ。

だが、そういったもやもやは、本書を読み終えた時点でかなり解消されるだろう。なぜこれほどまでに曖昧な印象を受けるのか。その理由を読者が知るのは、本書を読み終え、本書の構造を理解してからとなる。その時、読者は知る。なぜ、本書の登場人物の話す言葉や視線がぼやけているのか。なぜ、頻繁に死を示すことばや比喩が登場するのかを。

本書が込み入っているのは時間と場所だけではない。生者と死者の関係も同じように込み入っているのだ。普通に話している相手が実は死者であり、さらには断章の主人公さえも死者である物語。死者と生者が混在する世界。死者ゆえに時間を超越する。死者故に空間を飛び越えて遍在できる。そのため、本書は複雑なのだ。何次元もの層が複雑に折り重なっている。そしてわかりにくい。

また、もう一つ。本書を分かりにくくしている要素がある。それは構造だ。本書が70の断章で成り立っていることは上に書いたが、全体の行動がループしているのだ。それも本書をわかりにくくしている。本書の終わりが本書のはじまりにつながるのだ。つまり、終わりまで読んでようやく本書の始まりの意味に気づく仕掛けになっている。上に書いたとおり本書を2度、3度読まねば理解したといえない理由はここにある。

『魔術的リアリズム』の中で著者の寺尾氏は本書の円環構造を、このように書いている。
「円環構造の真の意義は作品の基調となる非日常的視点を内部に自己生産するところにある」(92P)、と。

ここでいう自己生産とは登場人物による会話が、次の展開を呼ぶことを意味する。先にも書いたとおり、本書は断章のセリフが次の断章を呼び出している。だから本書の主人公は誰でもよいのだ。死者でもよいし、過去の住人でもよい。会話だけが主人公のいない本書に一貫して流れ続ける。そう考えると『ペドロ・パラモ』とは主人公をさすタイトルではない。どんな呼び方でも構わないと思える。ところが本書のあとがきの訳者の解説ではペドロ・パラモにも意味があることを教えられるのだ。ペドロが石、パラモは荒れ地。ということはペドロ・パラモを求める意図とは、「荒れ地の石」をもとめる旅にもつながる。だからこそ本書はつかみどころがない。登場する人々は死に、あらゆるものが読者にあいまいな世界。目的が荒れ地の石なのだから当然だ。その意味ではペドロ・パラモは主人公ではなく、本書の存在そのものかもしれない。

本書が荒れ地の石なのであれば、読者はそもそも何を求めて本書を読めばよいのだろう。それは読者もまた死ぬという絶対的な真実を突きつけるためなのか。もしそうだとすれば、個人にとって救いがない。だが、本書はもう一つ世のならいとは堂々めぐりにあることも示している。それは種族としての希望として考えられないだろうか。たとえ個人の営みはむなしく虚になることがわかっていても、種族は未来に向けて延々と円を描き続けていく。そこに読者は希望を見いだせないだろうか。本書を読む意味とは円環の仕組みにこそあるのかもしれない。

訳者はこう書いている。「断片と断片をつなぐ伏線の中に、うっかりして見落としてしまいそうなものもたくさんある。読み返して、ふと気づいたりするのだが、こんな目立たぬところにもこういう仕掛けがあったのかと驚くと同時に、作品の隅々にいたるまでの精緻な構築にあらためて感嘆の声をあげてしまいそうになる。」(217P)

原書と日本語訳を何度も読み返したはずの訳者にしてこのような感慨を持つぐらいだ。私など本書の仕掛けのほんの一部しか知らないに違いない。なにしろまだ一度しか読んでいないのだから。だからこそ必ずや本書は読み直し、理解できるように努めたいと思う。

‘2017/01/01-2017/01/09


澄みわたる大地


魔術的リアリズムの定義を語れ、と問われて、いったい何人が答えられるだろう。ほとんどの方には無理難題に違いない。ラテンアメリカ文学に惹かれ、数十冊は読んできだ私にも同じこと。魔術的リアリズムという言葉は当ブログでも幾度か使ってきたが、しょせんは知ったかぶりにすぎない。だが、寺尾氏による『魔術的リアリズム』は、その定義を明らかにした好著であった。

その中で寺尾氏は、魔術的リアリズムに親しい小説や評論をかなり紹介してくださっている。その中には私の知らない、そもそも和訳がまだで読むことすらままならない作品がいくつも含まれていた。

著者略歴には寺尾氏が訳したラテンアメリカの作家の著作も数冊載っている。それによって知ったのは、寺尾氏が、理論だけでなく実践「翻訳」もする方であること。私は寺尾氏がまだ知らぬラテンアメリカ文学を翻訳してくれることを願う。

そんなところに、本書を見掛けた。著者はラテンアメリカ文学を語る上で必ず名の挙がる作家だ。だが、上述の寺尾氏の著作の中では、著者の作品はあまり取り上げられていない。作風が魔術的リアリズムとは少し違うため、寺尾氏の論旨には必要なかったのだろう。だが、著者の名は幾度も登場する。メキシコの文学シーンを庇護し、魔術的リアリズムを世界的なムーブメントへと育てるのに大きな役割を果たした立役者として。その様な著者の作品を訳したのが寺尾氏であれば、読むしかない。

本書はセルバンテス文化センター鯵書の一冊に連なっている。セルバンテス文化センターとは、麹町にあってスペイン語圏の文化を発信している。私も二度ほど訪れたことがある。セルバンテス文化センターでは、スペイン本国だけでなくスペイン語圏を包括している。つまり、本書のようなメキシコを舞台とした文学も網羅するわけだ。

そういったバックがあるからかは知らないが、本書の内容には気合いが入っている。小説の内容はもちろんだが、内容を補足するための資料が充実しているのだ。

脇役に至るまで登場するあらゆる人物の一覧。メキシコシティの地図。本書に登場したり、名前が言及されるあらゆる人物の略歴。さらには年表。この年表もすごい。本書の舞台である1950年代初頭までさかのぼったメキシコの近代史だけでなく、そこには本書の登場人物たちの人物史も載っている。

なぜここまで丁寧な付録があるかというと、本書を理解するためには少々の知識を必要とするからだ。革命をへて都市化されつつあるメキシコ。農地を手広く経営する土地持ちが没落する一方で、資本家が勃興してマネーゲームに狂奔するメキシコ。そのようなメキシコの昔と今、地方と都市が本書の中で目まぐるしく交錯する。なので、本書を真に理解しようと思えば、付録は欠かせない。もっとも、私は付録をあまり参照しなかった。それは私がメキシコ史を知悉していたから、ではもちろんない。一回目はまず筋を読むことに専念したからだ。なので登場人物達の会話に登場する土地や人物について、理解せぬままに読み進めたことを告白する。

筋書きそのものも、はじめは取っ付きにくい思いように思える。私も物語世界になかなか入り込めないもどかしさを感じながら読み進めた。それは、訳者の訳がまずいからではない。そもそも原書自体がやさしく書かれているわけではないから。

冒頭のイスカ・シエンフエゴスによる、メキシコを総括するかのような壮大な独白から場面は一転、どこかのサロンに集う人々の様子が書かれる。紹介もそこそこに大勢の人物が現れては人となりや地位を仄めかすようなせりふを吐いて去ってゆく。読者はいきなり大勢の登場人物に向き合わされることになる。やわな読者であればここで本書を放り投げてしまいそうだ。本書に付されている付録は、ここで役に立つはずだ。

前半のこのシーンで読者の多くをふるいにかけたあと、著者はそれぞれの登場人物を個別に語り始める。それぞれの個人史は、すなわちメキシコの各地の歴史が語られることに等しい。メキシコの地理や歴史を知らない読者は、物語に置いていかれそうになる。またまた付録と本編を行きつ戻りつするのが望ましい。

実のところ、中盤までの本書は導入部だ。読者にとっては退屈さとの戦いになるかもしれない。

しかし中盤以降、本書はがぜん魅力を放ち始める。本書は、文章の表現や比喩の一つ一つが意表をついた技巧で飾られている。それは、著者と訳者による共作の芸術とさえ言える。前半にも技巧が凝らされた文章でつづられているのだが、いかんせん世界に入り込めない以上は、飾りがかえって邪魔になるだけだ。だが、一度本書の世界観に入り込むことに成功すると、それらの文章が生き生きとし始めるのだ。

文章が輝きを放つにつれ、本書内での登場人物達の立ち位置もあらわになって行く。ここに至ってようやく冒頭のサロンで人々が交わす言葉の意味が明らかになっていく。本書はそのような趣向からなっている。

登場人物たちが迎える運命の流れは、読者にページをめくる手を速めさせる。本書を読み進めていくうちに読者は理解するはずだ。本書がメキシコを時間の流れから書き出そうとする壮大な試みであることに。

革命とその後に続く試行錯誤の日々に翻弄される人々。その変わりゆく営みのあり方はさまざまだ。成り上がり階級の人々が謳歌していた栄華は、恥辱に塗れ、廃虚となる。没落地主の雌伏の日々は、名声の中に迎えられる。人々の境遇や立場は、時代の渦にはもろい。本書の中でもそれらは不安定に乱れ舞う。吉事に一喜し、凶事に一憂する人々。著者のレトリックはそんな様子を余すところなく自在に書いてゆく。閃きが縦横に走り、メキシコの混乱した世相が映像的に描き尽くされる。

だが、それらの描写はあくまでも比喩として多彩なのだ。非現実的な出来事は本書には起こらない。つまり、本書は魔術的リアリズムの系譜に連なる作品ではないのだ。それでいて、本書の構成、描写など、間違いなくラテンアメリカ文学の代表として堂々たるものだと思う。おそらくは、寺尾氏もそれを考えて『魔術的リアリズム』に本書を取り上げなかったと思われる。だが、魔術的リアリズムを抜きにしても、本書はラテンアメリカ文学史に残るべき一冊だ。寺尾氏も我が意を得たりと、本書の翻訳を引き受けたのだと思う。

‘2016/07/17-2016/08/05


黙示録


著者の作品を読むのは『テンペスト』以来久しぶりとなる。
テンペスト 上 レビュー
テンペスト 下 レビュー

なぜ4年も遠ざかっていた著者の作品を読もうと思ったか。それは、著者の作品に魔術的リアリズムがあるとの評を見掛けたためだ。先日、寺尾氏の『魔術的リアリズム』を読み、深い感銘を受けた (レビュー)。それを契機に改めて魔術的リアリズムの系譜に連なる我が国の作品を探してみた。すると、著者の作品が引っかかって来た。

そう言われて初めて『テンペスト』にも魔術的リアリズムを思わせる描写があった事を思い出した。 ただ、初めて触れた著者作品 『テンペスト』 の全てに好印象を抱いた訳ではない。沖縄の歴史を細かく、そして大胆に描く構成は良かった。だが、地の文と遊離したせりふのわざとらしいポップさはいささか鼻に付いた。『テンペスト』には今から思うと魔術的リアリズムの魅力が詰まっていたように思う。だが、不自然さを感じさせる文体を欠点として目をやってしまい、そういった作品の魅力的な側面を見逃していた。それもあって、著者の他の作品に食指が動かなかった。

本書は4年ぶりに読む著者作品となる。本書を読むにあたっては、魔術的リアリズムの描写に注目しながら読み進めた。

本書は琉球舞踊の組踊を取り上げている。玉城朝薫によって創始された琉球舞踊。芸術としての琉球舞踊が真に成立したのは、玉城朝薫の才能によるところが多いという。そして朝薫が活躍した時期、琉球王朝には蔡温という名宰相が、琉球国の基盤を作ろうとしていた。18世紀の頃だ。

清の朝貢国でありながら薩摩藩に侵略された琉球国。それによって清と徳川幕府の二重属国の立場に甘んじていた。そんな祖国を真に独立した国として、さらには世界の中心として輝かせたい。蔡温の野望は大きい。蔡温、朝薫の二人とも、目指すのは琉球の存在意義を周辺国に向け打ち立てることだ。それには清にも大和にも負けない琉球国の威厳を豊饒な文化によって示す。豊饒な文化とは、歌舞音曲によって評価されることが多い。つまり、琉球に独自の歌舞音曲である、組踊を創始すればよい。玉城朝薫は、組踊を創始した偉大な才能である。だが、いくら歌と踊りが創作されても、それらは演者がいてこそ。その踊りの体現者こそが、本書の主人公である蘇了泉であり、そのライバル雲胡である。本書では了泉と雲胡が切磋琢磨しながら踊りの粋を極めていく姿が描かれる。

本書にも『テンペスト』で鼻に付いた誇張されたせりふ回しは健在だった。このせりふ回しによって、主人公が発するせりふが地の文の流れから浮いてしまう。その浮き加減をコミカルで漫画的な読みやすさとして評価する方もいるだろう。が、やはり私にとっては気になった。

とはいえ、本書からは『テンペスト』で感じたようなセリフと血の文の浮き沈みが感じられなかった。本書において、蘇了泉の心は静から動へ幾度も浮き沈みを繰り返す。それは躁鬱とすら思わせるほどの起伏だ。確かに、躁状態の蘇了泉が発するせりふは地の文から浮いて走り回っていた。だが、低いテンションの時のせりふ回しは地の文に足が着いていたといえる。その時、物語のテンポと主人公の心の動きは見事に一致していた。テンションが高い時は、主人公の高揚や躁的な気分を表していると思えば納得して読み進められた。

一方、本書にちりばめられた魔術的リアリズムの手法も確かめた。まだ幾分、躁状態のせりふ回しには 落ち着かなさを感じた。とはいえ、 全体的にはとても効果的に魔術的リアリズムの手法が使われていたと思う。了泉の跳躍が少しずつ空へと飛翔するかのような描写。江戸への琉球使節団団長の御歳130歳の妖怪のような姿。彼の部屋はカビが覆い、床は腐って抜け落ち、少年を歪んだ性の欲望として漁る。そして全く気配を悟らせぬ江戸の瓦版屋の銀次。彼はどこでも神出鬼没に現れる特技の持ち主。彼らの描かれ方は、誇張が与える劇的な効果を確実に本書にもたらしていたと思う。そして本書でもっとも魔術的リアリズムが感じられた描写といえば、了泉と雲胡の踊りだ。二人が舞台で演ずる舞踊は人々を観客席から違う世界へといざなってゆく。 彼らの踊りが人に与える様の描写は、魔術的リアリズムの本分を発揮していたといえるだろう。

寺尾隆吉氏の著書によれば、魔術的リアリズムの定義とは「 非日常的視点を基盤に一つの共同体を作り上げ、そこから現実世界を新たな目で捉え直す」ことだという。ここでいう共同体を本書に移し替えれば琉球の人々が該当するはずだ。また、リアリズムとは、江戸幕府と清の間で二重朝貢を余儀なくされる琉球の現実のこととらえてよいだろう。琉球の存在意義を、独自の文化、特に独自の舞踊に託そうとする思い。琉球が背負う地政の宿命と、そこから次の世界へと琉球を導こうとする朝薫や蔡温の生き方は、リアリズムと呼ぶに値する。そんなリアリズムをしっかりと描きながら、真摯な舞踊が与える感動を、現実から逸脱した描写で描き出す手法は、確かに本書に効果を与えていた。

本書の中には人々のつづる漢文詩や、ウチナーンチュ(琉球語)による美しい歌詞が随所に登場する。それらは、大陸文化と大和文化が交わり、独自の進化を遂げた琉球文化の豊かさを存分に意識させる。そんな文化的土壌をしっかりと描きつつ、その成果として、組踊の持つ果てしない可能性をしっかりと語っているのが本書の魅力なのだ。

本書を読み終えて一年後、私は沖縄の地を22年ぶりに訪れた。その際、沖縄第一の聖地として知る人ぞ知る斎場御嶽にも訪れた。なぜ私が斎場御嶽を訪れようと思ったか。その答えの一端は本書の中にある。

踊りの魅力を文章で現す。それは実際のところ、至難の業ではないだろうか。音楽と動きの融合芸術である舞踊は、単に文章に落とし込むだけではその魅力は伝わらない。しかし、本書はそんな難問の答えに限りなく近づいているように思える。本書で描かれた組踊の奥深さや魅力は、私のような踊りの門外漢にもしっかりと伝わった。そればかりか、踊りを描くには魔術的リアリズムの描写こそ最適であることも知った。芸術や芸能を描いた作品として、本書の名前は忘れないだろう。私の中でしっかりと刻み付けられたのだから。

琉球の地理的な位置。華やかな宮廷生活とさげすまれるニンブチャーという身分の人々の現実。そういった琉球の光と影を描き出し、そこに踊りのあでやかな描写で彩った本書は、沖縄を描いた傑作といえる。私は著者が『テンペスト』に描いた沖縄よりも、本書で描かれた沖縄にこそ惹かれる。22年ぶりの沖縄訪問にあたっては、本書で知った組踊にも少しは触れたかった。だが、時間がそれを許さなかった。次回の訪問時にはぜひ組踊を鑑賞してみようと思う。

‘2016/07/11-2016/07/15


カラマーゾフの妹


本書は江戸川乱歩賞を受賞している。江戸川乱歩賞といえば推理作家の登竜門としてあまりにも名高い。多数の作家を輩出していて、受賞作もバラエティに富んでいる。私も歴代の受賞作は読むようにしているし、タイトルもかなりの数を諳んじられる。そんな歴代の受賞作にあって、本書のタイトルは白眉だと言える。一目で世界文学史に残るあの作品が脳裏に浮かぶのだから。ドストエフスキーによる「カラマーゾフの兄弟」。期待しない方がおかしいだろう。

本書は「カラマーゾフの兄弟」の13年後を描いた続編という体だ。「カラマーゾフの兄弟」は、私も20年ほど前に読んだ。だが、記憶はおぼろげだ。長兄ドミトーリィが父フョードルを殺した罪で収監されたことは覚えていても、その経緯や動機については忘れてしまった。イワンが神を語るシーン、大審問官のシーンの印象が強く残り、ニーチェ言うところの「神は死んだ」思想が印象に残る。その読後感に引きずられ、肝心の筋書きが記憶の中で曖昧になっている。

本書が「カラマーゾフの兄弟」の続編と位置づけられていることは「はじめに」で語り手の独白として記される。それによれば、ドストエフスキーは「カラマーゾフの兄弟」の続編を書く意思があったらしい。つまり本書は、ドストエフスキーが書くはずだった続編を替わりに書くという建前となっている。

語り手はなおも記す。ドストエフスキーは、13年後の続編を描くことを前提に「カラマーゾフの兄弟」本筋にわざと関係ない挿話をいれ、矛盾点を残したのだと。それらの矛盾点の全ては、続編の布石なのだという。本書は、前作の矛盾点を解明しつつ、真の殺害犯は誰なのか、という謎解きを主にしている。

となると、「カラマーゾフの兄弟」の筋を知らないと、本書は理解できなくなってしまう。著者はそのあたりの配慮を忘れない。簡潔かつ分かりやすく前作の粗筋が読者に開陳され、読者がとまどうことはない。本書の巻末に付されている江戸川乱歩賞の選評で、選考委員の東野圭吾氏は、自分だけ「カラマーゾフの兄弟」を読んでいなかった事を告白している。だが、東野氏の選評には、本書がわかりにくいとの記述はなかった。

巧みに前作を参照しながらも、本作はあくまで著者のオリジナルだ。13年後を舞台にドストエフスキーが続編を予定していたことさえも、ひょっとすると著者がしかけたブラフではないか、と思わせる。ドストエフスキー本人が続編を書くと言っていたことすら。

そもそも「カラマーゾフの兄弟」とは、長兄ドミトーリィ、次兄イワン、末弟アレクセイに私生児のスメルジャコフを指す。本書に登場するのは検事となった次兄イワンと末弟のアリョーシャである。スメルジャコフは前作の作中で自死を遂げるが、父フョードル殺しで有罪となった長兄ドミトーリィは、流刑先のシベリアで事故死したという設定になっている。イワンは作中の裁判シーンで自分が真犯人でスメルジャコフを唆して父を殺させたと錯乱し退廷させられる。イワンは、自らが陥った錯乱を一時の気の迷いと思えぬまま、そもそもドミトーリィが父を殺したことに疑いを抱いたまま、内務省で捜査官となる。自分の心の深淵はどこまで深いのか、という疑問を持ちながら、ついに意を決して父の事件の再捜査に着手する。

パートナーは、イギリスで評判の探偵から直々に探偵術の教えを請うたトロヤノフスキー。二人はフョードルの亡骸を墓から暴き、凶器が骨に遺した痕跡を鑑定する。

本作の舞台が前作の13年後、つまり1889年であることは見逃せない点だ。19世紀が終わろうとするこの時期は、やがて来る20世紀を支える学問や技術が勃興期を迎えていた。トロヤノフスキーが探偵術の教えを請うたイギリスの探偵とはシャーロック・ホームズに他ならないが、ホームズの探偵術とは、物事の全てに意味を与える学問的な態度の象徴でもある。それを示すかのように、本書にはこの時代を象徴するような様々な趣向が登場する。例えば精神分析。例えば心理学。さらには情報工学。これらが芽生え始めたのは、丁度本書の舞台となった時期に合致する。フロイトによる自由連想法の確立。ヴントやジェームズによる実験心理学の創始。ホレリスによるパンチカードのアイデア。

だが、こういった当時最先端の技術や学問の趣向を取り入れたことが、本書の風格をより強固にしたとは思えない。むしろ損なったのではないかと批判的に思っている。特に後半の情報工学の部分については、本書の物語にとって果たして必要だったのか疑問に思う。そのことは、乱歩賞の選評では誰一人取り沙汰していない。だが、私にとっては、この趣向は本書の着想を台無しにしかねなかったと感じた。多分私にそう思わせたのは、本書の数ヶ月前に読んだ「屍者の帝国」が原因かもしれない。同じ19世紀末を舞台とし、当時としては空想的な情報工学をネタとしていたため、本書にアイデアに新鮮味を感じなかったから。ただ、それを除いても本書の構成には余計だったと思われてならない。

また、本書は心理学の側面からの分析が目立つ。「カラマーゾフの兄弟」でも兄弟たちの内面は深く描写されている。そして、本書ではさらに深く掘り下げられているのが印象的だ。それはフィクションの世界の住人だからこそ許されるのだろうか。たとえば「カラマーゾフの兄弟」で錯乱する姿を描写された次兄イワンの内面は、本書にあってさらに呵責なく暴かれ、晒される。また、同様に純粋な聖人のように描かれていたアリョーシャも、本作では相当にねじくれた人物として描写される。こういったことが許されるのも、本書の登場人物が虚構の、しかも一世紀以上前の人だからに違いない。選評では複数の選者が、この手法は二度は使えない、と未来の応募者に警告を発している。それは、古典を題材にする手法だけでなく、登場人物の内面を蹂躙する手法への警告も含んでいる気がした。

ただ、そういった批判は作品自体に対するものだ。当然ながら、それらの批判は著者に向けられたものではない。「カラマーゾフの兄弟」に光を当て、その矛盾点に気づき、それを元にした続編を生み出した著者の慧眼は、ただただ見事というしかない。また、こういう形で古典を甦らせた著者の功績も素直に認めたい。

おそらくは本書を皮切りに他の古典小説を翻案する手法が氾濫する気がする。今のディズニーがグリム童話の新解釈をネタとして映像化しているように。でもそういった作品が世にいくら出回ったとしても、本書の価値はいささかも揺るがないと思う。

‘2016/06/16-2016/06/20


魔術的リアリズム―二〇世紀のラテンアメリカ小説


「魔術的リアリズム」。当読読ブログでも何度かこの言葉を取り上げている。

「魔術的リアリズム」とは、ラテンアメリカの作家たちによって知られる文学潮流の一つである。現実をベースにした描写に超現実的なエピソードを織り込むことで物語に深みを持たせる。本書を読むまで私が「魔術的リアリズム」について理解していた定義はこんな感じだ。

それが独学の理解に過ぎないことは自分でも分かっていた。一度はこの言葉と正面から向かい合わねば。そう思っていたところに本書を見かけ、手に取った。

著者が「はじめに」で述べているとおり、「魔術的リアリズム」という語句の定義はしっかりと定められている訳ではない。そもそも読む人によって多様な受け取り方をされる事に文学の価値があるはず。とすれば、文学に何かを定義すること自体がナンセンスではないだろうか。

そんな事は著者にとっても先刻承知のはず。それを分かっていて敢えて「魔術的リアリズム」というものの本質を掴もうと切り込む。大学教授としてラテンアメリカ文学を教える著者にとって、避けては通れない課題。その成果が本書だ。

第一章 シュルレアリスムから魔術的リアリズムへ

とっかかりはシュルレアリズムだ。ダダイズムの系譜から連なるシュルレアリズム。意味をなさず繋がりのない言葉が続くあれだ。「魔術的リアリズム」の源にシュルレアリズムを置く著者の意図はすんなりと理解できる。源と書いたが、それはシュルレアリズムが「魔術的リアリズム」に先んじて現実からの開放を目指した事を指すのではない。実は「魔術的リアリズム」という単語が初めて世に出たのは、シュルレアリズムが最も華やかなりし時期。ドイツの美術評論家フランツ・ローが最初にこの言葉を使ったのが1925年。表現主義の絵画に対する批評の言葉として使われたという。シュルレアリズムを語る際はアンドレ・ブルトンの「シュルレアリズム宣言」は外せないが、出版されたのは1926年。つまり「魔術的リアリズム」の言葉はシュルレアリズムの聖典よりも早く世に出たことになる。そのため、一見すると「魔術的リアリズム」の源をシュルレアリズムに置くのは矛盾に思える。さらに著者によれば、フランツ・ローのいう「魔術的リアリズム」と本書で論じようとするラテンアメリカ諸作家による「魔術的リアリズム」に直接の関係はないそうだ。だが「魔術的リアリズム」の言葉がシュルレアリズムの潮流の中で生まれたことも確か。その系譜に沿うならば、シュルレアリズムが蒔いた芸術の新たなうねりは、確実にラテンアメリカ文学の将来に影響を及ぼすことになる。

そのうねりは、まずラテンアメリカからパリに遊学に来ていた三人の作家に影響を与えた。その三人とはグアテマラのミゲル・アンヘル・アストゥリアス、キューバのアレホ・カルペンティエール、ベネズエラのアルトゥーロ・ウスラル・ピエトリ。著者はこの三人の文学を比較し、その代表作とされる作品を分析する。この三人の代表作のうち、著者が最も高い評価を与えたのはアストゥリアスの「グアテマラ伝説集」。たしか岩波文庫にも収められていたはずだ。では残り二人についてはどうか。ところが著者の評価は冴えない。わたしはピエトリの名を本書で始めて知った。一方カルペンティエールは私の好きな作家の一人だ。さらに言えばここで著者が俎上に上げている「エクエ・ヤンバ・オウ」はかつて私も読んだ。確か関西大学出版部が出していたように思う。わたしの出身校ながら出版物を見かけた事が珍しかったので印象に残っている。だが肝心の内容については作者と同じくピン、と来なかった。著者も「エクエ・ヤンバ・オウ」をカルペンティエールの未熟な時期の作品と一蹴している。

こうなると著者が推す「グアテマラ伝説集」は是非とも読んでみなければなるまい。本書で知った「グアテマラ伝説集」の素晴らしさと先駆性は、わたしを新たな読書欲に駆り立てた。こうやってまだ見ぬ書を知る喜びといったら! 知ることはとても楽しい。学べる幸せは何事にも替え難い。

第二章 魔術的リアリズムの原型

第二章で著者は、ヨーロッパに芽生えた「魔術的リアリズム」がラテンアメリカで花開いたのがなぜか、という問いに答えを出す。それは「豊かな多様性に特徴づけられた統一体としてのラテンアメリカ、そのコスモポリタン性に求められるべき」(47P)であるという。

とはいえ、ラテンアメリカで「魔術的リアリズム」がすぐに花開いた訳ではない。そもそもシュルレアリズムからしてヨーロッパ本国では退潮に向かっていた。ファシズムの台頭とともに。ヨーロッパを引き揚げラテンアメリカに帰った三人の作家も、世界的な戦時色の中これといった作品を残せずにいた。第二次世界大戦とは世界中に戦争の惨禍をもたらしただけでなく、芸術的にも多大なダメージを与えたのだ。

しかし、大戦も終わり、発表の場が閉ざされていた作家たちは戦時中にため込んだ鬱屈を吐き出すように旺盛な創作に励み出す。その一人が第一章にも登場したカルペンティエールである。第二章で著者は主にカルペンティエール「この世の王国」を取り上げる。私もかつて読んだ際に強い印象を受けた。大戦中にカルペンティエールが訪れたハイチ。この地の豊かさに衝撃を受けたカルペンティエールは、重要な知見を手にする。それは「驚異の知覚は信奉を前提とする」事。この一文を著者は特筆する。これは「この世の王国」の序文に記されていたという。なお、だいぶ前に「この世の王国」読んだはずの私は当然のことながらこの一文を忘れていた。ここらへんが大学で文学を教える著者と素人の私の差なのだろう。

カルペンティエールはシュルレアリスムを「驚異的なものの存在を信じぬままに小手先だけで驚異を生み出そうとしていた」(54P)と批判する。その上で、「驚異の知覚と伝達には驚異自体を信じること、さらには基底となる世界観を共有することが不可欠だと論じている」(54P)と説く。カルペンティエールのこの見解は、批評家から批判されたらしい。それでもなお、著者が「この世の王国」をラテンアメリカ文学の重要なマイルストーンとしてあげたのは理由がある。それは著者によると、黒人の奴隷たちによって打ち立てられたハイチの王国を描写するにあたり、西洋人による西洋文化の視点からではなく黒人の奴隷からみた世界を描いているからだ。シュルレアリスムが所詮は西洋文化人の慰み物でしかなかったとすれば、第一章で触れた三人の作家が発表した作品も、西洋文化の視点から描かれたラテンアメリカに過ぎなかったという事だ。著者が指摘するのはこの点だ。「グアテマラ伝説集」の語りの主体は、マヤ・インディオだった。それは著者が「グアテマラ伝説集」を評価する理由の一つ。そして「この世の王国」もまたラテンアメリカからの語りで構成されている。「魔術的リアリズム」がラテンアメリカで発展するにはラテンアメリカ自身からの視点が欠かせない。その事は、著者にとって重要な点と位置付けられているようだ。その道標の一つとして「この世の王国」を外すわけにはいかなかったのだろう。

一方、返す刀で著者は「この世の王国」の限界も指摘している。限界とは、西洋的視点を交えずにラテンアメリカの物語を語ること。カルペンティエールは土着視点からの描写を目指しているが、作品の随所に西洋的比喩が出てくることだ。作中に西洋的比喩が現われる度、読者の知覚からはカルペンティエールの意図したラテンアメリカへの驚異が薄れてゆく。「驚異の知覚は信奉を前提とする」事を説いたはずのカルペンティエールが信奉を前提にできていない事実。ラテンアメリカの驚異を読者に披露する事を企図したはずのカルペンティエール自身が、驚異とは西洋から見た驚異に過ぎない根本の矛盾に気付かなかった時点で、その試みは頓挫するしかなかったのだ。著者の論理の進め方は実に鮮やかだ。

では、ラテンアメリカを語るには、土着の視点での語りを純粋に推し進めればよいのか。そうではないことを、著者はアストゥリアスの「とうもろこしの人間たち」を例に挙げて説く。アストゥリアスは第一章でカッコグアテマラ伝説集」の作者として登場した。「とうもろこしの人間たち」は、マヤ世界観へ極限まで寄り添った作品として描かれた。だがその結果、誰にも理解できない作品になってしまっているという。私はまだ読めていないが。つまりラテンアメリカの「魔術的リアリズム」も、西洋の教養人に読まれて初めて価値が見出される。土着民は小説などそもそも読まないのだから。でも土着民に寄り添いすぎると誰にも理解できなくなる。しかしながらラテンアメリカを西洋の視点から語ると破綻する。その地の文化に完全に密着した小説など、前提から無理だということ。それを悟ったカルペンティエールは「この世の王国」を最後に「魔術的リアリズム」から離れてしまう。

著者は袋小路に至ってしまった理由を、西洋とラテンアメリカを二極で捉えてしまったことに帰する。つまり西洋=先進、ラテンアメリカ=後進という二元化の考えだ。無意識のうちに西洋とラテンアメリカを単純に二分化してしまったことがカルペンティエールの失敗だと著者はいう。

第三章 魔術的リアリズムの隆盛

第三章では、二極化に替わる新たな軸を打ちだした作家の活躍が描かれる。彼らによって「魔術的リアリズム」はいよいよ世界的な隆盛を迎える。ここで紹介されるのは二極化の罠に落ち込まず、次なるレベルへと到達した作品だ。

第三章で取り上げられる作品は「転轍手」「ペドロ・パラモ」そして「百年の孤独」。まず著者は「転轍手」の分析において、前章までの諸作品に見られた西洋とラテンアメリカという対立軸が、正常と狂気という対立軸に置き換わったことを指摘する。つまりカルペンティエールをはじめとした旧来の作品がラテンアメリカを描こうとして失敗した原因が西洋とラテンアメリカの二極化にあったならば、これらの作品は正常から見た狂気を描く事で、ラテンアメリカ小説を対西洋という枠組みからは解き放ち、普遍的な文学として昇華させたのだ。

また「ペドロ・パラモ」では、小説の筋書きを推進する構造にも着目する。その構造とは円環構造にある。それは登場人物達のささやき。そのささやきがさらに次なる事態を引き起こし、作中の人物たちを廻り廻ることになる。著者は、円環構造の真の意義は作品の基調となる非日常的視点を内部に自己生産するところにある(92P)と喝破する。

「百年の孤独」では西洋とラテンアメリカに替わる新たな対立軸を作品内に打ちだすだけでなく、新たな構造も備えている。著者は「百年の孤独」をさらに精緻に分析し、その構造を明らかにする。「百年の孤独」は架空の街マコンドを舞台とした小説だ。多彩な登場人物。創始者、来訪者、町の後継者たちの言動が物語を動かしている。つまりは、語り手が単一ではないのだ。「百年の孤独」を一つの頂点として「魔術的リアリズム」は完成を見る。ではなぜ「百年の孤独」がここまで持てはやされたのだろうか。著者は超自然的出来事が「魔術的リアリズム」の要素の一つであることは承知の上で、ドイツの作家ギュンター・グラスの「ブリキの太鼓」と「百年の孤独」を対比する。「ブリキの太鼓」も超自然的な出来事が頻出する傑作だが、主人公が一人というところに物語展開の限界がある。ところが「百年の孤独」はマコンドに縁のある大勢の関係者が起こす、または関係者に起こる事象を描いている。そのため、多様な視点から魔術的リアリズムが描けるのだ。著者はそれこそが「百年の孤独」の価値である事を説く。そして、その語り手が物語の枠外にいるのではなく、縁ある者を含んだマコンドの世界、それ自体から発信されていることが重要だ強調する。

「百年の孤独」における語りの重要性については私も理解できる。その語りは奇想天外であるばかりか、現実のコロンビアともかけ離れていない。そこに単なるファンタジーではない「魔術的リアリズム」としての「百年の孤独」があると著者はいう。私が今までに読んだ小説のうち、再読したものはあまり多くないが、「百年の孤独」はその一冊だ。なので著者が言及することも理解できる。

本書で著者は、「魔術的リアリズム」の定義を何度か試みる。第三章の締めに置かれる以下の文もその一つだ。

フィクション化によって日常的現実世界を通常と異なる形で提示して「異化」し、同時に、現実世界に起こる、フィクションと見まがうばかりの異常な事件を「平板化」して受容可能にする、一見矛盾するように見える二つのプロセスを同時に達成した時点で、アストゥリアス、カルペンティエール、ルルフォと継承されてきた「魔術的リアリズム」は完成した。「魔術的」=「驚異的」であることと、「リアリズム」=「日常性」が見事に融合した結果こそ、『百年の孤独』にほかならないのだ。(117P)

第四章 魔術的リアリズムの新展開

1967年は、ラテンアメリカ文学にとって一つの頂点となった年だ。「百年の孤独」が世界的ベストセラーとなり、アストゥリアスがノーベル文学賞受賞がした年。第四章で著者は1967年を起点とした「魔術的リアリズム」をあらためて捉え直す。

本書はここまでラテンアメリカ文学の歩みを紹介して来た。だが、第三章までに登場する作家たちに、アルゼンチンのボルヘス、ビオイ・カサーレス、コルタサルといった名前が出て来ない。彼らもまたラテンアメリカ文学を語る上で欠かせない作家のはず。中でもコルタサルは私の認識では「魔術的リアリズム」に属する作家だ。だが著者はこれらの作家を「ラプラタ幻想文学」の範疇に括る。ラプラタとはアルゼンチンを流れるラプラタ川の事に違いない。「ラプラタ幻想文学」とは、アルゼンチンに縁のある作家たちをまとめるための言葉だと理解した。ではなぜ作者は彼らを「魔術的リアリズム」の本流に置かないのだろうか。著者によると「ラプラタ幻想文学」に連なる作家たちの作風は「魔術的リアリズム」とは一線を画するという。その根拠を著者は、現実世界との関わり方に置く。

フィクションの構築によって現実世界への新たな視点を求めた魔術的リアリズムの作家と違って、彼らはフィクションによって現実世界そのものの存在意義を消滅させようとしていた(133P)。

というのが著者が示す理由だ。つまり、語り手の立ち位置がフィクションの外側と内側どちらにあるかの違いと受け取れば良いだろうか。「魔術的リアリズム」の諸作品は、内側世界の共同体の住人として物語を語る。ちょうど「百年の孤独」のマコンドの住人のように。一方「ラプラタ幻想文学」の語り手は読者の側の現実世界から作品を語るといえばよいだろうか。私も好きな短編にコルタサルの「南部高速道路」がある。著者もこの一編を「魔術的リアリズム」に近いと評価する。それでもコルタサルは現実世界に軸足を置き、その視点から異常な世界を書いている。その点が著者の考える「魔術的リアリズム」とは少し違うという事だろうか。

第五章 闘う魔術的リアリズム

著者が「魔術的リアリズム」の正当な後継者として認めるのは「夜のみだらな鳥」だ。私も「夜のみだらな鳥」は読んだ。そしてとても衝撃を受けた。「夜のみだらな鳥」の異常な語り手の本質は、外部からの冷静な語りを一切受け付けないところにある。狂気の世界の内部からの語りにしか、「夜のみだらな鳥」の世界観は作りだせない。

著者は相当数のページを「夜のみだらな鳥」に割いている。「百年の孤独」と同等かそれ以上かもしれない。それだけ衝撃的であり、評論家にとっても挑み甲斐のある対象なのだろう。私自身、「夜のみだらな鳥」を紹介しろといわれても、上に挙げたような文しか書けない。しかし「夜のみだらな鳥」がラテンアメリカの文学において最高峰に位置する作品だということは分かる。私が読んだラテンアメリカの小説などほんの一部にしか過ぎないが、「夜のみだらな鳥」が醸し出す異様な世界観は、世界の文学史においても指折りのはずだと思う。

「夜のみだらな鳥」には多くのページを割いた著者だが、「魔術的リアリズム」を語るにはまだ足りないらしい。著者は、独裁者のモチーフもラテンアメリカ文学の特徴に挙げる。われわれ日本人はラテンアメリカを政治的な紛争が絶えない地域とイメージする。そして名だたる独裁者を輩出した地域としても。ラテンアメリカ文学には独裁者を扱った小説が多々ある。著者はラテンアメリカ文学の三大独裁者小説として「族長の秋」「至高の我」「方法再説」を挙げる。後者二冊は私はまだ読んでいない。が、この他にもバルガス・リョサによる「チーボの狂宴」も読んでおり、独裁者がラテンアメリカ文学に頻出するイメージである事は私にも納得できる。

本章で著者は、独裁者小説についても詳しく分析し、その定義を以下のように示す。

独裁者小説とは何かということにおいて、「魔術的リアリズム」の手法を使いながらも、独裁制を人間的現象として理解する意図が前面に打ち出されている。(177P)

独裁者小説がラテンアメリカ文学の潮流として興った理由を語る上でラテンアメリカ諸国を襲った軍事政権の登場は欠かせない。軍事政権が各国で政権を獲った事は、諸作家の執筆環境にも大きな影響を与えた。文学者は否応なしに政治に密着することになった。

「百年の孤独」の成功の影にはメキシコ政府による文学者を優遇する政策があった。そのことは、メキシコ文化センターという施設が果たした役割として第三章の冒頭で紹介されている。国によって成熟したラテンアメリカ文学は、国による縛りが強まると牙をむく。ラテンアメリカ文学の隆盛によって地位を高めた作家達の反抗は、これらの独裁者小説といって現れたのだろう。特にラテンアメリカの独裁国家といえばキューバは外せない。キューバの作家レイナルド・アレナスについての言及が本章には登場する。アレナスは、ホモセクシュアルとして迫害されたという。そんなアレナスが書く独裁者は、かなり異形だという。この事もラテンアメリカ文学と地域の繋がりを示す点として見逃せない。私はまだアレナスは未読なので、一度読んでみなければと思っている。

第六章 文学の商業化と魔術的リアリズムの大衆化

最終章で著者は「魔術的リアリズム」が商業ベースに乗ってしまった現状に切り込む。もちろん批判的な筆致で。そもそも著者が第二章で指摘したように「魔術的リアリズム」の諸作品は、一部の文学的素養のあるインテリにのみ読まれていた。こういった読者に熱狂的に支持されたが、同じ人々がブームの沈静化に一役買った点も見逃せない。そこで出版社は一般的な読者に対して「魔術的リアリズム」の手法を流用した作品を出版したのだろう。ここに登場する諸作家は私も何冊か読んでいる。その中でもイザベル・アジェンデの「精霊たちの家」は本章でも大きく取り上げられている。著者は「百年の孤独」と「精霊たちの家」を対比し、ラテンアメリカ文学ブーム後の作品の特徴を見極めようとする。著者が違いに挙げるのは、例えば「精霊たちの家」が運命に結実する物語であり、すでに完結してしまった世界であることや、勝ち組の価値観が全編に横溢したステレオタイプな語りの多いこと、である。

それら80年代以降に生まれた「魔術的リアリズム」作品には、一部読者にしか訴えない作品ではなく、コマーシャリズムに乗っていると著者はいう。そして、その事によって一般の読者を獲得した。著者はこれら作家の本質はエンターテインメント性にあり、そちらの土俵で評価されるべきという。

結びで著者は本書で示してきた概観を繰り返す。そして「非日常的視点を基盤に一つの共同体を作り上げ、そこから現実世界を新たな目で捉え直す」(220P)と「魔術的リアリズム」の定義を総括する。残念ながら、本書には他国への「魔術的リアリズム」の影響や、「魔術的リアリズム」の今後の進み方については触れた箇所はない。そこまで筆を進めるところまでは行かなかったようだ。

でも、本書によって今までのラテンアメリカ文学、中でも「魔術的リアリズム」の歩みや特徴が明らかにされた事には変わりがない。また、本書によって私が読んでいないラテンアメリカ文学をたくさん知った。そして「魔術的リアリズム」とは何ぞや、という私がそもそも本書を読むに至った動機も満たせた。本書で著者が語る分析や切り込み方はとても参考になった。よくよく考えてみると、当ブログを書き始めてから、文学論を読むのは初めてのような気がする。今まで文学論など学んだ事のない私。そんな私が全くの独学で書いてい当ブログだが、本書によって新たな視点を身につけられた事も大きい。

できれば本書は購入して座右の書にしたいぐらいだ。そして本書で紹介された諸作品は、既読のものも含めて再読したいと思う。

‘2016/06/04-2016/06/07


後藤さんのこと


実験的といおうか、前衛的といおうか。
著者の作品は唯一無二の立場を確立している。

あまたの小説群が山々を成す中、孤峰として独立しているのが著者とその作品群だ。

冒頭の表題作からして、すでに独自世界が惜しげもなく披露される。森羅万象、古今東西に宿る後藤さん一般を、縦横無尽に論じ尽くすこちら。赤字、青字、緑字。黒地、赤地、緑地。そして白地に白字。カラフルな後藤さんが主語となり目的語となり述語となって本編を彩る。本編は壮大かつミニマムな後藤さんの存在論でもある。そして主語とは何かについて果敢に挑んだ記号論の極北でもある。

形而上であり、形而下。ペダンチックであり、ドメスチック。本編で著者は大上段に振りかぶり、大真面目な顔であらゆる角度から後藤さんを斬りまくる。かつて小中学生の頃われわれを悩ませた算数の証明問題。本編は、後藤さん一般を証明するために著者が仕掛けた壮大な問答の成果と言い換えてもよい。

本編から読者は何を得るのか。
その生真面目なユーモアを堪能することも楽しみ方の一つだ。それだけでも本書はじゅうぶんに楽しめる。

だが私は、本編は著者による実験だと思いたい。事物について、物事について語る事を突き詰めたらどうなるか。それが本編なのだ。一つの物事を極めるためには多面的かつ多層的にあらゆる角度からその事物を分析せねばなるまい。そして語れば語るほど、物事を表す語句は重なり合い、ハレーションを起こす。物事を表す語句はゲシュタルト崩壊を起こし、脳内で溶解してゆく。結果、語句は記号でしかなくなる。紙に印刷された後藤さん一般は、フォントの色と地の色によって眼に映るクオリアとしてしか認識できなくなる。本編で著者が仕掛けるのは、記号の本質論であり存在論に違いない。

続いて収められた一編は「さかしま」。「さかしま」とは「道理に反する」といった意味がある。

慇懃な文体でつづられた本編は、お役所が発行する文章のようだ。それが延々と続く。遠い未来の人類にまだお役所というものが残っているとすれば、その機関はこういう文書を発行するのだろう。その未来のお役所は、読者こと帰還者に向けてこの文章をつづり続ける。帰還者は、テラが人類の発祥の地であり、テラはすなわち凍結された領域ウルと等しいとする伝説を信じて帰還してきた人物だ。

宇宙は複数の泡宇宙が並行している。最新の宇宙論にはよく登場する議論だ。本書ではウルが存在する空間とは、時間次元が存在する特異な空間のこと記されている。つまり語り手のお役所と読者こと帰還者の時間の概念は食い違っているのだ。食い違っているというよりは、語り手のお役所には時間自体の認識がないと思われる。論理のみで構成された次元宇宙に存在する語り手のお役所は、時間という異質な次元に絡め取られた存在である帰還者とは本来相容れるはずがない。

では、そのような帰還者でない帰還者に向けて、語り手のお役所は何をそんなに事務的に解説するのだろうか。論理空間の執行者たるお役所が、帰還者に向けては論理にならない論理を堂々と語る。そのこと自体が「さかしま」ではないか、ということになる。つまり、本編はお役所という存在に向けての強烈なアンチテーゼの文章なのだ。固定された論理、つまりは法や条例で時間に生きる住人である帰還者を縛ることそのものが「さかしま」なのだ。著者が告発する「さかしま」とはその根源的な矛盾に他ならない。

続いての一編は「考速」。文章という存在の不可思議な多義性を追求した一編だ。文章が単語の切り方によって幾通りもの意味を持ちうることはよく知られている。いわゆる「ぎなた」読みだ。

弁慶がな、ぎなたを持つ
弁慶がなぎなたを持つ

この二つの文は、音読みすると「べんけいがなぎなたをもつ」となる。同じ読みであっても、句読点の置き方や単語の切り方によって文の意味がまったく違ってくる。本編ではそういった文章の構造論が追求される。追求されるのは「ぎなた」読みの可能性だけではない。文章を一つの図形の展開図としてみなし、それを再び立体に再構成し直す可能性の追求。そこまで著者の手は及ぶ。

思考に思考が追いつくことは果たして可能か。0と1による思考の限界。思考の循環を定理や公理とよぶことで、論理破綻から逃れるという論法。回路図と背理法のコンピューターノイズ。文章の語彙のならびが冗長ゆえに短くあるべきという考えと、文章の長さ故にあるいは圧縮することのかなわぬ長さがあるべきという考えの対立。

本編は、言語の成り立ちを問う。人類が長年の文化的お約束に安住して、なあなあでやりとりする言語の意味を。そもそも見直されなければならないのは言語が生物にのみ許された通信信号-プロトコルであるとの前提ではないか。著者が問うのは曖昧なお約束、つまり言語そのものについてだ。そして著者の問いを突き詰めた先には、人工知能による人工言語が待ち受けているに違いない。

続いての一遍は「The History of the Decline and Fall of the Galactic Empire」。題名からしてデヴィッド・ボウイのあの名曲を想像させる。

そして、本編の内容は本書の中でも一番とっつきやすいかもしれない。「銀河帝国」という語彙を、あらゆる種類の文章にはめ込むことで、銀河帝国という言葉の意味が変容する。銀河帝国の意味は短くもなり長くなる。矮小にも縮めば雄大にも化ける。ユーモラスに変化し、かつ神聖さを帯びる。その自在な柔軟さは、言語がそもそも記号の集まりでしかないという事実を読者に再確認させる。文章論や文体論といったところで、それらを構成する単語のそれぞれはしょせん記号でしかない。本編は、著者が作家として文章へ挑んだ結果ではないだろうか。

たとえば
01:銀河帝国の誇る人気メニューは揚げパンである。これを以って銀河帝国三年四組は銀河帝国一年二組を制圧した。
23:銀河帝国を二つ買うと、一つおまけについてくる。三つ揃えると更に一つがついてきて、以下同文。
41:包帯で変装とは古い手だぞ銀河帝国第二十代幼帝。いや、今は銀河帝国第四十代幼帝とお呼びした方がよいのかな。
48:この世に銀河帝国なんていうものはありはしないのだよ。銀河帝国君。
81:家の前に野良銀河帝国が集まってきて敵わないので、ペットボトルを並べてみる。

続いての一編は「ガベージコレクション」。IT技術者にはこの言葉はよく知られている。プログラム内部で確保したメモリ領域をプログラム終了時に自動的に集めて再使用できるよう解放する機能をガベージコレクションと呼ぶ。昔のプログラム言語にはこの機構が備わっていなかった。つまりプログラマーはきちんとメモリの解放処理を行わねばならない。そうしないと解放されないまま使えないメモリ領域が増大してしまう。その結果、メモリの使用可能域を圧迫し、コンピューターが重くなる原因となる。いわゆるメモリリークだ。

本編で語ろうとしているのは、すべての情報系を制御しようとする試みだ。往々にして情報とは一方向のみに伝わる。すでに発信された情報は、もはや逆方向に戻ることはない。情報を逆流させて制御する試みは、人類に残された最後の領域となる可能性がある。今まで人類が意識したことのない、情報の方向性という問題。それにもかかわらず指数的に増大する情報量は、ログという形でロールバックされることが求められている。それは今後の情報社会の基盤に求められること必至の要件だ。システム開発の現場でもデータベースを使う際はログによる更新の制御は必須だ。障害時に更新前の情報に戻すロールバックや、正常時に情報の更新を確定させるコミットメントは当然の機能として設けられる。これをあらゆる情報系に拡大する思考実験が本編だ。

最終的には超現実数を持ち出すことによって、著者はその解決を図ろうとする。だが、それはその時点でこの試みが頓挫するに違いないということを意味する。情報のエントロピーは増大し続け、それを回収することは誰にもできそうにない。だが、回収できなければ、それはすなわち情報が世にあふれ続けることになる。しかもそのほとんどは無価値な情報のゴミだ。つまりガベージ。いったい、それを誰が解決できるのか。そもそも数学に無限やゼロは許されるのか。本編からはそんな著者の問題提起が読み取れる。

最後の一編は「墓標天球」。

本編は一度読んだだけでは分からなかった。本稿の初稿では本編について書くのを断念したくらいだ。初稿を書いて約一年が経ち、本稿をアップする前に本編をもう一度読んでようやく少し内容がつかめた。

本編は比喩の極北に挑んでいる。本編にあふれるそれらが何に対する暗喩なのか、何を指すメタファーなのか。それを正確に指し示すことは困難だ。それでいて、本書には筋書きがある。いや、筋書きのようなもの、といったほうが良い。その筋書きらしき展開が螺旋状に、もしくは一回転する球のように、もしくは一回りできる立方体のように、どこに向かうでもなく循環する。その筋書きは、少女と少年の周りで時間を巡り、空間を巡る。それは本編に登場する立方体の展開図のようだ。

循環し、周回する天球は本編ではもっとも基本となるイメージだ。天使、または神が最初の天球を回したあと、その内側の天球を別の天使が回し、さらに別の天使が・・・と入れ子構造は無限に小さくなる。アリストテレスの神存在論を逆にゆくような議論だ。その中で天球の内側にいる人間とはただ営むための存在に過ぎない。

私は本編全体が指している比喩の対象とは、この天体の上で繰り広げられるあらゆる意思の営みではないだろうか、と推測する。この天体とは地球に限らない。他の生命体のいる天体でもいい。その上で営める生命の動きを単純化する。本編に出てくる少年とは人類の男。少女とは人類の女の投影だ。人類が過去から未来へと営むあらゆる意思を徹底的に単純化すれば、本編になるのではないか。

インペトゥム。本編で何度か登場する言葉だ。「創造のあと、単純な創造を繰り返す力」と少女がセリフで補足する。つまり、営みとは最初の創造のあとの単純な繰り返しに過ぎないのだ。そこに意味を無理やり付与しようと果てなき努力をする少年=男と、ただあるがままに営みを生きて行く少女=女。

少年は球体を一周させるかのように溝を掘る。丁度人類が伐採し、掘削し、開墾し、建築するように。何の目的かは誰にも分からない。強いていうなら経済のため。そして営みのため。

少年と少女は出会い続ける。そしてすれ違い続ける。出会ったら子供が生まれる。すれ違っても営みは続いてゆく。そうした営みの全ては記録され続ける。ただ記録するために記録され続ける。禁忌は何かのためだけに禁忌であり、豚は食べるためだけの豚に過ぎない。少年と少女の間にやり取りされる封筒の中身は開封するまでもない。常に一つの真実だけが書かれているのだから。

本編が指し示す比喩の対象とは、実は全ての営みには根源的な目的などない、という虚無的な事実なのかもしれない。少なくとも人類にとっては。全ては螺旋階段をだらだらと登り続ける営みに帰着するほかないのだと。それは政治、経済、科学、哲学、恋愛、スポーツ、など関係ない。全ての営みをいったん漂白し、単純に比喩して抽出したのが本編ではないだろうか。

本書には、もう一編が隠れている。それは帯に記されている。帯に記されているのは「目次」というタイトルの目次だけでなる短編だ。40マスある格子状の各ページを進んでいった結果、徹底的に読者は著者と本と読者の間をさまよい、混乱させられることだろう。目次という本そのものの構造すら著者の手にかかれば抽象化され、解体されてしまう。

いったい著者の目指す極点はどこにあるのだろう。私は本稿を書いたことを機に改めて著者に興味を持った。もう少し著者の本を読み込んでみなければ。

‘2016/03/25-2016/03/28


考えるヒント3


時代の転換点。むやみに使う言葉ではない。しかし、今の日本を取り巻く状況をみていると、そのような言葉を使いたくなる気持ちもわかる。中でもよく目にするのが、今の日本と昭和前期の日本を比較する論調である。戦争へと突き進んでいった昭和前期の世相、それが今の世相に似ていると。

もちろん、そういった言説を鵜呑みにする必要はない。今と比べ物にならぬほど言論統制がしかれ、窮屈な時代。情報が溢れる今を生きる我々は、かの時代に対し、そのような印象を持っている。情報量の増大は、政府が情報統制に躍起になったところで止めようがない流れであり、昭和前期の水準に戻ることはありえない。

そのような今の視点から見ると、情報が乏しい時代に活躍した言論人にとっては、受難の年月だっただろうと想像するしかない。破滅へ向かう国を止められなかった言論人による自責や悔恨の言葉が、戦後になって文章として多数発表されている。自分の思想と異なる論を述べざるを得なかった、自分の思いを発表する場がなかった、自分の論を捻じ曲げられた、等々。その想いが余り、反動となって戦前の大日本帝国の事績を全て否定するような論調が産まれた、とも推測できる。

著者はその時代第一級の言論人であり、戦前戦中は雌伏の年月を強いられたと思われる。本書の随所をみても、著者の屈託の想いが見え隠れしている。だが、窮屈な時代に在って、その制約の中で様々な工夫を凝らし、思想の突破点を見出そうと努力したからこそ、著者の思想が戦後に花開いたともいえよう。

本書は随筆集であり、講演録を集めたものである。収録されたのは、昭和15年から昭和49年までに発表された文章。戦時翼賛体制真っただ中に発表されたものから、高度成長期爛熟の平和な日本の下で発表されたものまで、その範囲は幅広い。本書の章題を見ると、○○と○○といったものがやたら目につく。挙げてみると「信ずることと知ること」「生と死」「喋ることと書くこと」「政治と文学」「歴史と文学」「文学と自分」。全12章のうち、半分にこのような章題が付いている。

上に挙げた○○と○○からは、ヘーゲルで知られる弁証法でいう命題と反対命題が連想できる。そして弁証法では、その二つの命題を止揚した統合命題を導くことが主眼である。つまり、統合命題を導くための著者の苦闘の跡が見えるのが本書である。暗い世相と自らの思想を対峙させ、思想を産み出す営み自体も弁証法といえるだろう。本書には人生を賭けた著者の思想の成果が凝縮されている。

本書の題名は考えるヒント3となっている。その前の1と2は比較的分かりやすい主題に沿って論が進められたように記憶している。しかし、本書は一転して難解さを増した内容となっている。統合した思想を産み出そうとする著者の苦闘。これが本書の大部分を占めているからである。著者の苦闘に沿って読み進めるのは、読み手にとってもかなり苦しい体験であった。

本書の中でも「ドストエフスキイ七十五年祭に於ける講演」は特に難しい。ボルシェビキ出現以前のロシアの状況から論を進め、フルシチョフによるスターリン批判までのロシア史の中で、ドストエフスキイを始めとしたロシアの知識階級の闘争がいかになされたかを概観する内容である。しかし教科書レベルの知識しか持たない私のような者にとり、読み通すのは相当の苦行であった。日本国内では一時期、ロシア社会主義への理解が知識人の間で必須となった感がある。しかし中学の頃、ソ連邦解体をニュースで知った私にとり、ロシア社会主義とはすでに滅び去ったイデオロギーである。左翼系の本も若干読みかじったこともあるが、突っ込んだ理解には到底至れていない。加えてロシア文学は登場人物の名が覚えにくいことは知られている。本講演に登場する人物の名前も初めて聞く名が多く、それに気を取られて講演の概略とそこで著者が訴える主題が理解できたかどうかも覚束ない。

今と比べて情報量が乏しく、自ら求めなくては情報を手に入れられなかったこの頃。知識を深め、それを学ぶ苦しみと喜びは深かったに違いない。翻って、今の情報化社会に生きる私が、その苦しみと喜びの境地に達しえたか、著者の識見、知恵に少しでも及び得たか。答えは問うまでもなく明らかである。努力も覚悟もまだまだ足りない。本書を読み、そんなことを思わされた。

’14/08/16-‘14/08/28