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コロナ感染記


9月1日(水曜)。
この日はサテライトオフィスで作業と三件の打ち合わせを予定していました。
いつもは家から最寄駅までバスで向かうのですが、この時なぜか車で向かったのは、何かの虫の知らせだったのでしょうか。3.11の時、常駐先に行かず家で仕事をしていたように。

虫の知らせがリイイインと告げたのは、電車に乗ってサテライトオフィスの最寄駅で下車し、サテライトオフィスに着く直前です。
妻からの連絡が全てを暗転させました。
妻によると、次女が体調の悪化で学校から早退したので迎えに行ってほしいとのこと。さらには大阪から新幹線で戻っている妻も体調が悪くなっているとのこと。それがコロナの第一報でした。

妻子の願いをむげにもできず、サテライトオフィスで二時間ほど慌ただしく打ち合わせなどをこなした後、逃げるようにそそくさと帰りました。そして、家の最寄駅まで電車で戻ったところ、次女と大阪から戻ってきた妻を拾うことができました。特に次女の体調が悪い様子。

私はその後、家で作業をこなしていました。

次女の体調は悪く、熱が出ている模様。妻もあまり体調が良くない模様。
すると、私の体調にも異変が。喉に違和感が生じたではありませんか。

その後、PCR検査薬を買いに妻と一緒に駅前まで一緒に向かいました。
戻ってから、翌日に打ち合わせを予定していたお客様のもとに、以下のようなメッセージを送りました。それが17時45分。

「一応、正直にお伝えしておくと、まだ定かではないのですが、
家族がコロナに感染した可能性があります。

PCR検査薬を購入したのですが、おそらくこの後発送しても結果が明日になってしまいます。

私は30日に一回目のワクチンを打ちましたが、今、少しだけ喉に違和感を感じています。○○の状況を見ると、オンラインで参加させていただいたほうが良いかもしれません。
それ以外は問題ないのですが、いかがいたしましょうか。」

すると、メッセージを送ってから少したって、急に倦怠感が私の身体全体を覆い始めました。いわゆるインフルエンザの症状のような。
あ、コロナになってもうた、とすぐに感じました。コロナの暗黒面が口を開けて私を飲み込んでいきます。

9月2日(木曜)。
この日はもともと、朝から四件の打ち合わせが予定されていました。

昨日のメッセージにも書いていた通り、都心の客先に行く予定も絡めていましたが、昨日のメッセージの後、オフラインの打ち合わせは延期にしていただきました。
私は自分が確実にコロナ患者であることを自覚しながら、完全に仕事モードで一日を送っていました。三件の打ち合わせはリモートで対応。

11時から12時に新規打ち合わせ一件。14時から15時に新規打ち合わせ一件。16時から17時まで新規打ち合わせ。
この時点では、まだ私の頭は明晰で、やり取りもきちんと普段通りにできていました。
コロナ何するものぞ。負けへんで~。

妻と次女は、15時に病院に行きその場で抗体検査をしてもらい、陽性反応をいただいてきました。私は打ち合わせがあったので病院には行けず。

9月3日(金曜)。
この日は2件の打ち合わせが予定されていました。10時半から11時と、15時から16時。
あと内部の打ち合わせを2件。
発症後、二日間はそこまで熱がなかったのですが、少しずつ疲労と熱が私の身体をむしばんでいるのがわかります。打ち合わせをしていてもしんどくなってきました。
そんな中、昨日今日と新たな案件の引き合いもいただいています。休んでいる場合ではないのです。

そんな中、念のため8月の26、27日に訪問したお客様にもコロナ感染の報告を。
さらに、妻にも許可を取って、家族のうち三人がコロナ陽性になった旨をSNSで書き込みました。

コロナであることを公表したとは言え、この日は週末には終えておかねばならない作業があり、私が寝たのは夜中の二時半過ぎ。

なお、妻と長女はPCR検査でも陽性が確定したらしく、保健所から自宅療養の指示を受けました。
この時、わが家で無事なのは長女一人のみ。買い物やその他の家事は彼女にお任せの状態。感謝感謝です。
頼もしい長女は、自分以外全員が陽性にもかかわらず、ワクチンを打たずに陰性のまま、乗り切ってくれました。

9月4日(土曜)。
この日は土曜日。お客様から連絡がない一日。ですが、私にはやるべき作業があったので作業していました。
この日、私も病院で抗体検査とPCR検査をしに行くつもりでしたが、いざ出かけようとした時、既に午前の診療受付の時間は過ぎていました。

なお、私の味覚・嗅覚障害が始まったのはこの日からだったように記憶しています。
娘が買ってきてくれたBaskin Robbinsのアイスクリームは甘いだけの塊に。味噌汁は塩辛く生暖かい未知の汁へ。

9月5日(日曜)。
この日の私は、完全に仕事をする気力と体力を失い、終日ベッドに寝て読書に勤しんでいました。
この日から発熱が37℃を超えたように記憶しています。

9月6日(月曜)。
午前。一人で車を運転して抗体検査とPCR検査を受けに行きました。確か朝の時点で私の体温は37.7℃。
病院に着きましたが、病院の中には入りません。外の駐車場で検査が完結します。他の患者さんに移すとまずいので。
そのため、先生と二人の看護師さんが完全防備で駐車場に現れ、その場で抗体検査のセッティングを。細く禍々しいほど長い綿棒が左の鼻の穴から喉の奥へと侵入し、コロナはいねえが~と巣を漁ります。この異物混入感はヤバい。
苦痛に満ちた時間の後、私は唾を容器になみなみと満たす作業に没頭しました。

私の凌辱され放題の喉の奥からはその場で陽性反応が出ました。これで私も名実ともに陽性者です。
唾からのPCR検査の結果は翌日。
なお、この時に酸素飽和度を測ってもらったのですが96%でした。8/30に一回目のワクチンを受ける直前は98%だったので、肺に違和感はないけれど2%も下がっていたのですね。

なお、お医者さんに払う料金の1700円を持っておらず、慌てて近くの郵便局で出金してきました。何も手が触れぬようにして。私は今や世に隠すもののない陽性保菌者。一切のおさわりは厳禁!
病院に行く前は、せっかくなので近くの城跡や牧場に行こう、などとのんきなことを考えていた私。病院を後にする時、そんな気力は雲散霧消していました。一刻も早く帰って休みたい。

身体がしんどく、作業をするのも一休みずつ。ですが、メールやチャットの連絡は多く届きます。その度に一つ一つ対応します。

9月7日(火曜)。
この日、妻と次女を対象に町田市保健所より自宅療養のためのサバイバル物資を送ってもらいました。飲料や食料の数々。ありがたい。
前日に受けたPCR検査の結果も陽性判定となり、私も保健所による自宅療養者の一員に仲間入り。これから毎日、指示を待つ身です。
この日から発熱が38℃台を超えることが当たり前になりました。

熱がある中、お客様とのやり取りはいく度も発生しました。そして、私の正気もだんだんと怪しくなっていきます。メールやチャットの内容を後で読み返した時の誤字脱字の多さ。仕事のクオリティが保てない自分に怒る気力すら湧きません。後から考えるとこれだけの誤字脱字をよくも送っていたと思います。平常時にはありえない状態です。

夜、あまりにもしんどいので保冷剤を枕に寝ました。

9月8日(水曜)。
この日の翌朝にとあるお客様との打ち合わせが予定されていました。その打ち合わせまでに53件のkintoneのデータを正しいデータに修正する必要に迫られていました。ところが、53件のデータを開き、そのレコードの三項目を修正して保存するだけの作業がなかなか進みません。
休んでは気力を振り絞って作業に戻る。その繰り返しで、ようやく作業を終えられました。
平常では10分も掛からないはずの作業に、3時間近くかけた気がします。これでは、とても仕事になりません。朦朧とした脳裏に、さすがに仕事人として絶体絶命ではないかという思いがよぎります。

9月9日(木曜)。
早朝、大量の発汗で起きました。すると、熱も下がっていました。

ところが午前に久しぶりにオンライン・ミーティングを行ったところ、受け答えすらままならない自分に気づきました。次に話そうとしたことが脳内で像を結ばず、フリーズしてしまいます。話している最中に咳が出てしまい、途中で失礼することもしばしば。およそ商談を行うには不適切な状態。あまりのことに焦りよりも前に呆ける自分。

午後には、弊社内部での打ち合わせも行いました。ところが、私の状況は午前と同じです。話すべきことがまとまらず、論旨が一貫しない。直前に話した内容を忘れ、自分の中で支離滅裂になってしまう。
仕事人として相当ヤバい状況です。私はそのことに絶望しました。このままだと廃業もやむをえないかも。弊社の社員に申し訳ない、これから家族をどう養っていこうか。そんな思いが頭の中で生まれては消えていきます。
これがコロナの恐るべき後遺症かと戦々恐々とし、落ち込みました。

一方で、この日の夜に9/3にいただいた新規案件の納品報告を行いました。翌日には先方より状況が良好であるとのご連絡もいただけました。その後、9/14にお客様環境へのインストールも終わり、無事に納品・検収となりました。
コロナの症状がピークに達している間にどうやって納品した?と、自分でも信じられない思いでした。私の中のコビトさんに感謝ですね。

9月10日(金曜)。
熱は下がったのですが、私の咳が治まりません。
次女は9/7には熱が下がり、平常の暮らしに戻りつつありました。妻も9月8日には熱は下がった模様。ところが、妻の咳が一向に治まらないのです。ひょっとすると私から再び妻にコロナウィルスを送り返している可能性が。夫婦でコロナをパスし合っているほど暇じゃないので、妻は夜、別の部屋で寝ました。

私一人で寝室を占拠したのですが、この日の夜、病状が次の段階に進んでいることに気づきました。
肺の違和感です。いわゆる肺炎の症状と思われます。息苦しく、きちんと息が肺に行き渡っていない状態。気づかぬうちに肺にウィルスが忍び込んでいたのです。
無理やり深呼吸を繰り返し、肺が死滅しないように努力しました。ここで眠ったが最後、二度と目を覚めない恐怖。コロナの軽症患者が突然死亡したとの報道が眼前にちらつきます。
自分のし残したことの多さに絶望する暇すら与えられず、命と意識がフッと虚無の中に消える。そんな恐怖が私を脅かします。
この時の私の酸素飽和度は何パーセントだったのでしょうか。測っていないので何とも言えないのですが、あるいは80%台にまで落ち込んでいたのかもしれません。

9月11日(土曜)。
保健所からの定期電話で、咳と肺の違和感のことを話しました。
ところが、私の症状はまだ軽症に属する様子。酸素飽和度すら測られずに、私の自宅療養期間は12日で終了とのご指示をいただきました。

この日、気力を奮って読読ブログを一本書き上げました。「アンジェラの灰」。ブログを書くにもエネルギーが必要です。何よりも論旨を整合させる知力が求められます。内容の良しあしはともかく、自分がまたブログを書き上げられたことに満足しました。

9月12日(日曜)。
先に自宅療養期間を終えた妻と次女が、新大久保に買い出しに行きたいと願っています。私もいい加減、外に出たい。そのため、新大久保まで運転しました。
妻子を新大久保で降ろした後、私は一人で中野の哲学堂公園へと向かいました。
初めて訪れた哲学堂公園の園内は、上り下りの勾配があります。園内を歩きながら上り下りを繰り返しましたが、体力の衰えは顕著です。咳もときおり飛び出してきます。
園内には数多くの哲学の概念が設けられています。そうした場所で向かい合い、哲学に頭を働かせられません。哲学とは無縁の知力。とはいえ、異変に襲われず、園内を歩けたのは吉兆です。

この日、携帯電話を家に忘れてしまいました。その間、保健所から日曜日にもかかわらず何度かご連絡をいただいていました。申し訳ないです。
保健所のご担当者は毎日連絡を絶やさずにくださいました。ありがたいことです。感謝です。

私の発熱は治まり、残る症状は咳だけ。後は私の仕事人としての能力が元に戻っているのか。後遺症は残るのか。それらを見極めないことには、私の将来が不透明です。

味覚・嗅覚障害ですが、この日の前日ぐらいに戻った気がします。この日、新大久保で買ってきた食材を家族で久々に食卓を囲んで食べたのですが、その美味しかったこと!

9月13日(月曜)-14日(火曜)。
まだ本調子ではないのですが、作業を行い、指示を出して過ごした両日でした。
合間には、近所を散歩しました。自らの体力の回復具合を見定めるためです。というのも、10日近くも外に全く出ずに過ごす経験はこれまでの私の人生でもめったにありません。予想通り、私の足腰はめっきり弱っていました。

自分の気力・知力・行動力・判断力がどの程度まで衰えたのか。
私の仕事人としての能力はコロナ前のレベルから比較してどれほど低下したのか。それが知りたいという切実な思い。

13日と14日にも読読ブログをそれぞれ一本アップしました。「殺人鬼フジコの衝動」「日本昔話百選」。自分にとってこの二つの記事は、分析や論旨など満足していません。ただ、記事をアップするごとに、自分のロジカルな力の回復を信じることができました。

9月15日(水曜)-16日(木曜)。
咳が一向に治りません。ですが、それぞれ両日にオンライン会議を一件ずつこなしました。
しゃべると咳が口を飛び出してきます。ですが、少しずつ商談をこなしていくにつれ、自分の口に滑らかさや判断力が戻ってきているのが感じられます。
これは自分の救いとなりました。
15日にも読読ブログを一本アップできました。「その後の鎌倉 抗心の記憶」。書いていて、少しずつ自分の文章に論旨が備わってきていることを感じました。

9月17日(金曜)。
この日は、もともと9/10にリアルで渋谷で打ち合わせの予定がありました。ところが私がコロナに罹患したため、延期をお願いしました。延期をご快諾いただいた後も、私は自分の体力や商談に臨む能力に自信を失っていました。そのため商談のタイミングを遅らせてもらっていました。
でも、大きな案件。私も腹をくくらねばなりません。
この日の朝、渋谷にお伺いしました。二件のリアル商談を合わせて二時間。商談の間、私はフリーズもせず、自分で話していることの脈絡も失わずに過ごせました。ホッとしました。
私と同行してくれたのは、この案件で一緒に組む技術者さん。彼にカニ味噌ラーメンをごちそうしました。

私は商談の後、行きたい場所がありました。新馬場です。沢庵和尚が徳川家光より賜った東海寺と、東海寺から離れた場所にある大山墓地の中にある沢庵和尚のお墓が目当てでした。
渋谷から大崎まで電車で移動し、大崎から東海寺と墓地までを歩く。さらに墓参りの後は、大井町まで歩きました。
沢庵和尚については、この後のブログに書くつもりです。
私の体力の衰えは顕著です。ただ、自分の知的好奇心が衰えていないことと、何かを知ることについての自分の思いが失われていないことが確認できました。限りのある人生の尊さに思いをはせたことも。

この日は夕方から二件の打ち合わせがあり、サテライトオフィスから対応する予定でした。ですが、疲れたので自宅まで戻ってから打ち合わせに参加。
商談をこなすごとに口が滑らかになってきているのがわかります。ときおり咳き込む以外は。

夜は、新たな案件で、複数のPaaS/SaaSの連携フロー図の作成を一気に行いました。
そうした作業を通じて、コロナ前の自分に戻りつつあることが実感できました。自分はまだ仕事がこなせる。そんな状況に感謝しつつ。

9月18日(土曜)。
雨だったので、家の中で作業を行っていました。作業を行うための知力や集中力はだいぶ元の水準に戻りつつあることが感じられました。
この日も読読ブログを一本アップしました。「日本書記の世界」。こうやって文章を書くことが、仕事の上でも有効なリハビリテーションになっています。

9月19日(日曜)。
せっかくの休みで、快晴なので妻と二人で房総半島をドライブしてきました。海岸で波と戯れつつ、美味しいものを食べる。コロナから生還した夫婦にまばゆく映る人生。
この時の往復の道中、妻とたくさんのことを話せたのは旅ならでは。人生とは何か。何のために生きるのか。夫婦にとって今の人生の中で何が障害だったのか。多くのことを話し合いました。

夫婦ともにコロナを経験した今、残り余生が急に現実感を伴って迫ってきました。
コロナ前から常に考え続けてきたこと。それは仕事だけで終わるにはもったいない人生の豊かさです。豊かな人生を全うするにはどうすればよいか。そして、何をしなければならないのか。
そうした私の考えについて、腹を割って話し合いました。ドライブは話し合いにはうってつけです。

9月20日(月曜)。
三連休の最終日。まだ咳き込む自分が残っています。
知力・気力はだいぶ戻ってきた感触があります。
ですが、体力はどうか。本当にこれからの人生を生き抜ける体力は戻ってきたのか。

それを試すため、一人で山登りへ。電車を乗り継ぎ、笹子駅まで。そこから滝子山へアタックしました。
ところが、高尾駅で30分乗り継ぎに待たされたこともあり、滝子山の登山道に着いたのは14時過ぎ。そこから登れるところまで登ったのですが、日が暮れた後の自分の体力に全く自信がなく、16時前に三丈の滝で越前撤退を決断しました。
帰路、私は自分の体力のなさや準備不足の失敗に心の底から憤っていました。
立ち寄った笹一酒造の酒遊館で購入した日本酒を一合、帰りの電車で飲み干しました。そして見事に酔っぱらってしまいました。目がちかちかし、目の前の明かりが異様にまぶしい。
八王子の駅前広場をさまよい、ベンチで横になる私。横になっている私の横では若者がスケボーを持ちながらしゃべっています。この時、狩られていたら、おじさんは瞬殺されたはずです。

横たわりながら、酔っぱらいながら、私は自分の情けなさに心の底から失望し、コロナごときで体力を落とした自分の体たらくに強烈な反発を感じていました。
今後の自分に課す目標は、山梨百名山制覇。それぐらいやってやる、という決意とともに。

ですが、そうした自らの怒りの底に、自分の可能性もかすかに感じていました。
それは、自分の中に相変わらず強烈な現状維持への拒否感があること、人生に変化をつけたいと言う意思の強さが再確認できたことです。
コロナに負けてたまるかという意思が残っているのなら、自分はコロナに打ち負かされることはない。
強烈な怒りの奥底に、自分の芯の手ごたえを確かめられた一日でした。

9月21日(火曜)。
この日も多数、打ち合わせをしました。
打ち合わせしていて、頭の中が真っ白になったり、自分の脳の動きが制御不能になったりの恐怖に襲われることはなかったです。仕事人として役に立てないという絶望感に覆われることも。
さまざまなプログラミング作業にも手を染めましたが、ロジックを構築する能力に支障はなさそうです。
後は、いつになれば私から咳が去るのか。

9月22日(水曜)。
この日は、サテライトオフィスに赴いて作業していました。
サテライトオフィスを訪問するのはコロナ発症の日以来です。この時、サテライトオフィスに訪れてすぐ、妻子を迎えるために急遽帰宅したのでした。

朝一にも家で打ち合わせをこなし、サテライトオフィスでもオンライン・オフラインを含め、複数の打ち合わせをこなした一日でした。
サテライトオフィスに始まり、コロナからの回復に向けたサテライトオフィスにいる今。そろそろ自分のコロナについて著す時期だろうと思いました。
ただし、咳はまだ残っており、決して完治ではありません。私に可能なのは、いずれ完治すると信じることのみ。
くしくもこの日は、とうとうコロナから逃げ延びた長女が一回目のワクチンを打った日。

私もコロナ患者として、その痛みを多少なりとも知ることができました。
今後、コロナが世界中から根絶されることはないでしょう。だからこそ、少しでも多くの人がコロナに罹患せず、そして家にこもらずにそれぞれの人生を全うしてほしい。そう願います。
まずは皆さんがワクチンを可能な限り打ってくださることを。私も二回目のワクチンを九月末には打ちたいと考えています。

コロナのわが家にかかわってくださった皆さま、本当にありがとうございました。


2020年9月のまとめ(個人)


昨年から、毎月ごとに個人と法人を分けてまとめを書きます。

公私の「私」

●家族とのふれあい

§ 総括 コロナウィルスに翻弄されたこの数カ月。
九月になっても落ち着く気配はありませんし、世界では死者が百万人を突破したそうです。それを受け、コロナと共存するための風潮が広まっています。

今年に入ってから通院することになった妻ですが、手術の日程が決まりました。
とはいえ、コロナがどこに潜んでいるかわからない中での手術と入院であるため、規制が相当厳しいですね。面会も不可能です。
その準備も進めながら、快気後のことにも目を向ける最近です。

生と死については、今月、ほぼ一ヶ月かけて「死」についての分厚い本を読み終えました。
一方で、芸能人の自死が相次いでおり、おさまる様子が見えません。

そうした風潮と両親や妻の手術に直面すると、あらためて生きる意味を問いたくなります。
たとえ死ねば全てが無に消えると分かっていても、全力で自分に与えられた生を全うしたい。仕事もプライベートも。
今は仕事に集中し、好きなことは引退後に、などという悠長な考えではなく、今を両方とも全力で生きる、という決意とともに。
そうした考えが娘たちにも伝わればいいな、と思っています。

今月はタカラヅカの公演も終わり、妻もようやく一旦は代表の仕事から解放されました。

家族のフォローをきちんとしなければならない時ですが、私も仕事が詰まってきており、余裕がありません。
そうした多忙な状況を見極めながら、引き続き工夫を重ねて、自粛の中でも生きる喜びを謳歌したいと思います。

家族とは一回、妻とは二回、妻と長女とは二回、妻と次女とはゼロ回、お出かけしました。

いずれにせよ娘たちは巣立ちます。私は仕事以外にやりたいことが盛りだくさんな人間なので、子離れや引退をきっかけに老け込まなさそうですが、限られた人生でも家族との時間を大切にしたいと思っています。

§ 月表

・九月お出かけ

相鉄ローゼン 薬師台店,鶴川ワインバー,アクアビット サテライトオフィス,和泉多摩川河川敷,T’sたんたん,はし藤本店様,三六 湯島店,いっせいらーめん,ファミリーマート 玉川三丁目店,砧線跡歩道,慶元寺,須賀神社,第六天塚古墳,慶元寺,江戸重長像,喜多見稲荷塚古墳,喜多見 氷川神社,アクアビット サテライトオフィス,多摩川決壊の碑,多摩川,アクアビット サテライトオフィス,セブンイレブン 狛江猪方3丁目店,薬師池公園,リアルアバター株式会社,モンブラン,池波正太郎記念文庫,台東区中央図書館,はし藤本店様,喫茶室ルノアール,北九州酒場,ファミリーマート 町田鶴川駅北店,アクアビット サテライトオフィス,鶴川駅前図書館,アクアビット サテライトオフィス,鶴川駅前図書館,アクアビット サテライトオフィス,Odakyu OX 鶴川店,町田市立中央図書館,町田天満宮,アクアビット サテライトオフィス,はし藤本店様,中華ソバ ビリケン,神谷バー,吾妻橋,ファミリーマート 橋本駅南口店,ハラグループ本部,きらぼし銀行 橋本支店,めん処 一ぷく,BUSO AGORA,ココデンタルクリニック,アクアビット サテライトオフィス,アクアビット サテライトオ
フィス,長篠城跡,不忍の滝,長篠城駅,ローソン 鳳来長篠店,へだまの水,河鹿渕,阿寺の七滝,乙女滝,猿滝,百間滝,滝,本長篠駅,長篠郵便局,長篠荏柄天神社,医王寺,医王寺山 武田勝頼本陣跡,天神山陣地跡,長篠城址史跡保存館,新城市設楽原歴史資料館,馬防柵,土屋昌次戦死乃地,真田信綱  真田昌輝之碑,徳川家康本陣跡,織田信長戦地本陣跡,茶臼山稲荷神社,茶臼山公園,道の駅 もっくる新城,奥三河製麺,ミニストップ,清水PA(上り),アジアン料理 サハラ(SAHARA)狛江店,アクアビット サテライトオフィス,アクアビット サテライトオフィス,湾岸幕張PA (下り),和田浦駅,道の駅 和田浦 WAO!,シロナガスクジラ全身骨格,和田白渚海岸,渚の駅 たてやま,鋸山ロープウェー 鋸山山麓駅,鋸山 日本寺,保田駅,鋸南町観光協会保田案内所,道の駅 保田小学校,ばんや新館,海辺の湯,山岡家 君津店,東京ディズニーシー,モスバーガー 鶴川店,セブンイレブン 町田大蔵店,とんこつらーめん 七志 町田店,アクアビット サテライトオフィス,セブンイレブン 町田鶴川駅前店,いろり庵きらく,はし藤本店様,浅草ビール工房 feat.Campion Ale,バーミヤン,アクアビット サテライトオフィス,片瀬江ノ島駅 (OE16),KUA`AINA,カヒコ,江の島弁天橋 Smoking Area,片瀬橋,江島神社,江の島カフェ,Eggs ‘n Things,片瀬江ノ島駅 (OE16),セブンイレブン 大和東3丁目店,横濱家系ラーメン 代々木商店 2号店,テル・・コーポレーション様,代々木八幡宮,代々木八幡古代住居跡,こがも亭

・九月ツイート
https://togetter.com/li/1599999

§ 家族のお出かけ 家族で出かけたのは、上の年表で黄地に太字にしているイベントです。家族で出かけたのは、今月は1回です。近所のお店で中華料理をいただきました。
とはいえ、家族では家で多くの時間を過ごしました。電動草刈り機を購入した際なども家族で大笑いする機会はありました。

そもそも今月は妻が前半は宝塚の代表で家を空けていたし、私もあまり家にいなかったので、仕方がありません。
今回のコロナは、自粛を強いられたからこそ、家族の意味を考えさせられる良い機会にもなっていると思います。
家という基盤がある幸せを噛みしめつつ、生きる意味とは何か、死ぬと人は無に消えるのか。コロナを通して生きる意味を考えたいと思います。

私が昨年の台湾旅行のレポートを遅ればせながら書いたことで、家族との間も台湾旅行の楽しかった思い出が多かったように思います。本当に楽しかったなあ。


§ 妻とのお出かけ 妻と出かけたのは、上の年表で桃地に太字にしているイベントです。
今月は妻と二人で二回お出かけしました。
とはいえ、お出かけしたうちには入らないような感じです。
妻も代表が終わってから息をつく暇もなく、手術が控えています。
気が張っているうちに手術もしてしまえてよいのかもしれませんが・・・

§ 妻と長女とのお出かけ 上の年表で緑地に太字にしているイベントです。
今月は妻と長女と三人で二回お出かけしました。
江の島です。海が見たい妻について、そしてハンバーガーやパンケーキなど、おいしい食べ物を食べてきました(9/27)。手術を控えた妻には良い時間だったようです。私は江の島在住の猫たちとふれあってました。
月末になって、妻の入院の準備にも妻と長女で出かけたのですが、ランチを食べたお店のオーナーさんとまさかの20年近く前にご縁があったことが判明しました。当時私たち夫婦が家探しに苦労していた時期に訪れた不動産屋さんを通したご縁が。うれしいですね。


§ 妻と次女とのお出かけ 上の年表で緑地に太字にしているイベントです。
今月はその機会はありませんでした。
次女とも今月はあまり触れあえていません。次女もよく出かける人なので当然なのですが。

§ 娘たちとのお出かけ 上の年表で青地に太字にしているイベントです。
今月もコロナの影響もあり、娘たちとはかなりの時間、顔を合わせています。
コロナによる不安定さはだいぶなくなり、穏やかな家の中での時間が過ごせたように思います。
長女には、とあるサイトのイラストを手伝ってもらっています。昨年の9月に大ゲンカして一ヶ月間口を利かなかった時期から比べると大きく違います。こういう時間がありがたい。

●私自身の九月(交友関係)

§ 関西の交流関係 今月は、仕事がいろいろと忙しく、関西に帰る時間がありませんでした。
仕事では関西の方とよくお話ししていたのですが。来月と再来月でしょうか。


§ 今月の交流 今月は仕事が忙しく、飲み会も控えめでした。
飲んだ日数は2日。延べ2軒。

今、リアルで飲める機会が激減していただけに、リアルの場で飲む喜びは大きいです。

まずは三六 湯島店では、三人で飲んだのですが、そのうちのお一人とは2,3年ぶりの再会。洋楽や純文学が話せる友人はなかなか周りにいないのでうれしかったです。もつ鍋もとてもおいしかった(9/4)。
八月に小倉で飲んだ楽しい一日はいまだに記憶に鮮明です。その時は四人で飲み歩きましたが、そのうちのお二人と新宿で打ち合わせの後、近くの北九州酒場で。小倉の夜を思い出させるような店の名前と料理にしびれた一日でした(9/8)。

今月の私とご縁を結んでくださった皆様、本当にありがとうございました!


●私自身の九月(文化活動)

§ 読書・観劇レビュー 読んだ本のレビューを記す読ん読ブログの執筆は、主に2019年に読んだ1冊分となりました。
レビュー執筆は、私の中では大切なライフワークとして位置付けています。このところ、書く時間があまり取れていませんでしたが、今月はそれに拍車をかけて書けませんでした。旅日記を六本アップしたこともそうですし、仕事も忙しかったからです。
この期間を質を落とさずに縮めたい。それが去年に引き続いての課題です。書く行為への熱意は衰えていませんので、引き続き続けたいです。

一昨年の春まで連載していたCarry Meさんの運用する本音採用サイトの「アクアビット 航海記」を弊社サイトにアップする作業ですが、今月は1本アップしました。
(「アクアビット航海記 vol.24〜航海記 その11」)
上京した私がどうやってまず生きていくまでの足掛かりを作ったのかを書いています。

今月、書いた本のレビューは1本(
ビジュアル年表 台湾統治五十年

今月、書いた抱負は0本() 。
今月、書いた旅日記は6本(
尾瀬の旅 2019/7/20
至仏山登山 2019/7/21
家族で台湾・中正記念堂 2019/7/22
家族で台湾・九份 2019/7/23
家族で台湾・十分・士林 2019/7/24
家族で台湾・台北101・台北 2019/7/25
)。
今月、書いた物申すは0本() 。
今月、書いた弊社の活動ブログは2本(
弊社はCYBOZU DAYS 2020に出展いたします。
freee & kintone BizTech Hackの第一期を終えて」)。

§ 今月の読書 今月は3冊の本を読みました。内訳は啓蒙書一冊、哲学書一冊、純文学一冊。
三冊しか読めなかったのは、6月に購入した「「死」とは何か」を読み通すのに時間をかけたからですす。3週間以上かけて読み通しました。回りくどく思えるほどの著者の思索の過程をたどる道のりは、最近仕事に忙しくて忘れそうになっていた哲学の心を思い出させてくれました。
AIが人の話題に上るようになって久しいですが、こうした人が考えない婉曲な考え方をAIには学ばせるべきだと思います。私たちですら、こうした思考をショートカットしてしまっているのですが、その省かれた部分にこそ人の英知が眠っているように思えてなりません。

また、商談の前に台東区の中央図書館内に設定された「池波正太郎記念文庫」を訪れ、時代小説の大家の生涯に触れられたのはうれしかったです(9/8)。ここでは池波正太郎さん以外の時代小説がずらりとそろった文庫もあり、壮観でした。

私の今年の目標の一つは本を出版することですが、早く出したくなった体験でした。
§ 今月の映画 今月の映画鑑賞は0本です。
今月もキングダムは見られずじまい。これで6カ月見られていません。

§ 今月の舞台 舞台については、今月は0本です。
妻が代表をしている宝塚の公演がようやく終わりました。やれやれです。

§ 今月の音楽 今月は生演奏を聴く機会がありませんでした。ただ、今月はついにYouTube Musicに移行しましたThe Doobie Brothers、Steely Dan、Eric Claptonの3アーチストをほぼ聞いていましたが、合間に浜田省吾さんの曲も気合をいれるために聴きました。くじけそうになったときに私を元気づけてくれます。
§ 今月の美術 今月は、美術館への訪問はしていません。
ですが、一人で訪れた千葉の和田浦駅(9/22)の駅舎内にはちょっとしたクジラをモチーフとした美術作品が掲げられており、そばの道の駅にはクジラの骨格標本まで展示されていました。

§ 今月のスポーツ 今月は相変わらずコロナが自粛を強いており、スポーツはできていません。
ですが、一人で旅をした長篠・新城・設楽原では精力的に滝や戦場巡りに精を出し、かなり体力を使いました(9/19)。
その三日後に訪れた鋸山には登る予定でしたが、雨が降ってきたことと時間がなくなったので断念したのが残念でした。長篠・設楽原の山は三つとも小規模だったので。

§ 今月の滝 今月、訪れた滝は8滝です。
「不忍の滝(9/19)」「河鹿渕(9/19)」「阿寺の七滝(9/19)」「乙女滝(9/19)」「母子滝(9/19)」「猿滝(9/19)」「百間滝(9/19)」「名もなき滝(9/19)」
全て、阿寺の滝近辺にある滝です。阿寺の七滝はそれぞれにも名がつけられていますが、ここでは一つの滝とカウントします。その深い滝つぼの礫岩からなる地層と、滝つぼに以前はまり込んだ木の様子が印象的でした。私にとって38カ所目となる日本の滝百選の滝です。
さらに、道が通行止めでかなり回りこんで訪れた百間滝は、日本の滝百選に選ばれてもおかしくないと思えるほどの滝姿で、しばし見とれていました。中央構造線のずれにできた滝ということで、まさにそのずれを存分にいかした見事な滝でした。
また、不忍の滝は日本百名城に選ばれている長篠城内を流れ落ちる滝で、この水が長篠・設楽原の戦いにおいて堅守を誇った城の防御と渇きを癒やす水になったと思えば感慨深いです。

§ 今月の旅行 今月は、一人で突発的に旅立ち、車中泊を敢行した長篠・設楽原への旅(9/19)と、房総半島の南端、和田浦へと訪れた旅(9/22)、そしてサテライトオフィスに備わった折り畳み自転車を駆って二子玉川へ往復したミニ旅(9/5)、妻と長女を連れて向かった江の島への旅(9/27)が思い出です。

長篠・設楽原へは21時半に出かける決断をし、現地には二時前に着きました。上にも書いた駅や滝を訪れ、午後は長篠・設楽原の戦跡をめぐるため、山を走って登っていました。
まさに私自身に突発的な旅を行うだけの決断力と行動力が残されているのか、を自分に問うためにも敢行した旅でしたが、まだ自分の中に熱いものが残されていると知って嬉しかったです。その前の数週間は仕事でかなり疲弊していたので。
訪れた二つの資料館や史跡の数々。まさに戦いの蹄の後が聞こえてきそうなほど、地形が残されており、資料館の多くの火縄銃とともに印象に残った旅でした。
最後に訪れた道の駅で食べた猪ラーメンもおいしかった。また、ここで買ったヤングコーン入りの総菜が家族にもとても好評でした。

房総半島の南端は、妻子を舞浜のTDLで下ろした後、思い立って向かいました。
和田浦が実はくじらの漁港であることで、道の駅では鯨コロッケを頂き、また海の幸が入ったどんぶりも平らげました。
帰りによった館山も、館山城は里見氏の本拠であり、南総里見八犬伝の資料館もあることを知り、もう一度訪れたいと思っています。
また、鋸山を登れなかったあと、温泉につかりたくて三カ所ほど巡りましたが、その中で保田小学校の後を道の駅に活用した施設がすごくよさそうで印象に残りました。

一人でサテライトオフィスから二子玉川に向かい、ラーメンを食べて帰った帰りには、慶元寺を参拝しました。江戸氏は徳川幕府が成立したのちに名を江戸氏から喜多見氏に変え、この地を収めたとか。
この近辺には広壮な喜多見氷川神社や古墳群もあり、世田谷区内とは思えないほど風情にあふれた良い場所でした。また来たいと思えるほどに。

妻子で訪れた江の島は、妻の気分転換を第一に考えたので、私が喜ぶ行動は控えました。クアアイナでハンバーガーを、Eggs ‘n Thingでパンケーキを食べて。
それでも、猫たちと戯れられたのはうれしかったです。猫とは、その翌日に商談の帰りによった代々木八幡宮でもたわむれられました。カラスと猫がすれ違うというまれな経験をして。



§ 今月の駅鉄 趣味の駅訪問は四駅です。「長篠城駅(9/19)」「本長篠駅(9/19)」「和田浦駅(9/22)」「保田駅(9/22)」

長篠城駅は、小ぶりな駅舎ですが、城の壁と石垣をあしらった駅舎が印象的でした。この駅前には、武田勝頼公にゆかりのある「さかさ桑」が植えられていたのですが、その葉に二匹ほどのかいこを発見。野生のかいこは初めて見ました。
本長篠駅は、飯田線の折り返しの駅として設けられているようです。豊橋行きの電車が折り返しで止まっていました。そういえば、この日も平岡駅からの区間が運休中でした。かつて秘境駅ツアーで訪れた時も平岡駅で急に止まって肝を冷やしました。

和田浦駅は、関東の駅百選にも選ばれています。駅舎はくじらをあしらっており、駅舎内には小ぶりなくじらの資料やアートが飾られており、百選の認定証やプレートが無防備に掲げられているのが印象的な駅でした。駅前の広場に立つヤシの木も含めて。
保田駅はその帰りに寄りました。夕方ですが、鋸山に登ろうとして断念した私が、保田駅のホームから見える鋸山に羨望のまなざしを送った駅でもあります。

§ 今月の酒楽 今月は仕事が忙しく、飲み会も控えめでした。
飲んだ日数は4日。延べ4軒。
そのうち2件は上にも書いた通りです。残りの2軒は一人のみで訪れました。
まずは浅草で店を構え、電気ブランでも知られる「神谷バー」へ(9/14)。今まで表に面した売店で電気ブランのボトルは購入したことはあったけれど、初めて中に入りました。
軽く電気ブランともつ煮を頂きました。仕事の疲れが癒される一瞬でした。

もう一軒も浅草に近い「浅草ビール工房」にてビールを二杯(9/25)。ここでもおいしいビールでのどを潤しました。そろそろビールがうまい季節ですね。私も美酒が飲みたい。


§ 今月のその他活動 人生も半分を過ぎ、一層焦りが募っています。少しでも日々に変化をつけようとする気持ちに衰えはありません。
今、心身が動くうちに仕事もプライベートも全力で。その考えには揺るぎがありません。

・公園は三カ所。「和泉多摩川河川敷(9/3)」「薬師池公園(9/7)」「茶臼山公園(9/19)」
・博物館は四カ所。「池波正太郎記念文庫(9/8)」「長篠城址史跡保存館(9/19)」「医王寺民俗資料館(9/19)」「新城市設楽原歴史資料館(9/19)」
・駅は四駅。「長篠城駅(9/19)」「本長篠駅(9/19)」「和田浦駅(9/22)」「保田駅(9/22)」
・入手したマンホールカードは一枚。「千葉県館山市(9/22)」
・滝は八滝。「不忍の滝(9/19)」「河鹿渕(9/19)」「阿寺の七滝(9/19)」「乙女滝(9/19)」「母子滝(9/19)」「猿滝(9/19)」「百間滝(9/19)」「名もなき滝(9/19)」

・温泉は一カ所。「海辺の湯(9/22)」
・山は三山。「天神山(9/19)」「医王寺山(9/19)」「茶臼山(9/19)」
・酒蔵はゼロカ所。
・神社は七カ所。「須賀神社(9/5)」「喜多見 氷川神社(9/5)」「町田天満宮(9/13)」「長篠荏柄天神社(9/19)」「茶臼山稲荷神社(9/19)」「江島神社(9/27)」「代々木八幡宮(9/28)」

・寺は三カ所。「慶元寺(9/5)」「医王寺(9/19)」「鋸山 日本寺(9/22)」

・教会はゼロカ所。
・史跡は十カ所。「砧線跡歩道(9/5)」「江戸重長像(9/5)」「多摩川決壊の碑(9/6)」「医王寺山 武田勝頼本陣跡(9/19)」「天神山陣地跡(9/19)」「馬防柵(9/19)」「土屋昌次戦死乃地(9/19)」「真田信綱  真田昌輝之碑(9/19)」「徳川家康本陣跡(9/19)」「織田信長戦地本陣跡(9/19)」
・遺跡は三カ所。「第六天塚古墳(9/5)」「喜多見稲荷塚古墳(9/5)」「代々木八幡古代住居跡(9/28)」

・城は一カ所。「長篠城跡(9/19)」

・灯台はゼロカ所。
・水族館はゼロか所。
・風景印はゼロ枚。
・御城印は一枚。「長篠城(9/19)」

私がまだ訪れていない場所の多さにめまいがします。他の活動もまだまだやりたいことがいっぱいあります。
一番怖いのは年齢から来るあきらめと気力の減退です。これだけは防ぎたい。
家族との縁もこれから姿を変えていくことでしょう。仕事もいつかは引退を求められるでしょう。そうなったときにやることがない、とよくある老残にならぬよう。
人はいつかは死ぬ。コロナウィルスの蔓延はそのことを教えてくれました。そして今月は「「死」とは何か」という本を読み通しました。
人の明日はわかりません。人気俳優や女優も自死を選ぶ衝撃は、そのことを教えてくれました。ですから、いつかやろう、引退してからやろうといっていると、未来の自分にそれを妨げられることだって考えれるのです。今を生きているのですから、今、やるべきことをしなければ。
後悔だけはしないように。
仕事だけでなく、いまのうちに時間の合間を見つけ、行けるところに入っておこうと思います。

一方で、将来のこともそろそろ考えねばなりません。
法人のまとめには書いた通り、コロナにもかかわらず、法人としての売り上げは確保できています。ただ、私個人としては投資もしなければ賭け事もせず、不労所得のタネも持っていません。
つまり、一人で私自身の体だけが頼りです。
なので、体に何かがあれば収入は尽きます。そろそろ貯蓄のことも考えていかなければ。


それぞれの場所で俳句も読みました。今月は11句。いずれもツイートまとめに載せています。

あらためて「私」を振り返ってみました。来月もコロナと共存しつつ、自らの生に後悔のないような日々となることを信じて。