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しろばんば


本書は著者の幼少期が取り上げられている。いわゆる自伝だ。著者は伊豆半島の中央部、天城湯ヶ島で幼少期を過ごしたという。21世紀になった今も、天城湯ケ島は山に囲まれ、緑がまぶしい。百年前はなおのこと、自然の豊かな地だったはずだ。その環境は著者の分身である洪作少年に健やかな影響を与えたはず。本書の読後感をさわやかにする洪作少年のみずみずしく素朴な感性。それが天城湯ヶ島によって培われたことがよく分かる。

小学校二年生から六年生までの四年間。それは人の一生を形作る重要な時期だ。伊豆の山奥で洪作少年の感性は養われ、人として成長して行く。洪作の周囲にいる大人たちは、素朴ではあるが単純ではない。悪口も陰口も言うし、いさかいもある。子どもの目から見て、どうだろう、と思う大人げない姿を見せることもある。大人たちは、少年には決して見せない事情を抱えながら、山奥でせっせと人生を費やしている。

一方で、子供には子供の世界がある。山あいの温泉宿、天城湯ヶ島は大人の目から見れば狭いかもしれない。だが、子供の目には広い。子供の視点から見た視野。十分に広いと思っていた世界が、成長して行くとともにさらに広がってゆく。本書を読んでうならされるのは、洪作の成長と視野の広がりが、見事に結びつけられ、描かれていることだ。

洪作の視野は土蔵に射し込む光で始まる。おぬいばあさんと二人、離れの土蔵に住まう洪作。洪作は本家の跡取りとしてゆくゆくは家を背負うことを期待されている。だが、洪作は母屋では寝起きしない。なぜなら洪作は祖父の妾だったおぬいばあさんに懐いているからだ。洪作の父が豊橋の連隊に勤務しているため、母と妹も豊橋で暮らしている。おぬいばあさんも洪作をかわいがり、手元に置こうとする。そんなわけで、洪作は母屋に住む祖父母や叔母のさき子とではなく、おぬいばあさんと暮らす。洪作の日々は閉ざされた土蔵とともにある。

本書の『しろばんば』という題は、白く浮遊する羽虫のことだ。しろばんばを追いかけ、遊ぶ洪作たち。家の周囲の世界だけで完結する日々。外で遊び、学校に通い、土蔵で暮らす。そんな洪作の世界にも少しずついろいろな出来事が混じってくる。母の妹のさき子とは温泉に通い、汗を流す。父の兄であり、学校の校長である石守森之進宅に呼ばれた時は、見知らぬ場に気後れし、長い距離を家まで逃げ帰ってしまう。おぬいばあさんとは馬車や軽便鉄道に乗って両親のいる豊橋に行く。その途中では、沼津に住む親族たちに会う。

話が進むにつれ、洪作の見聞する場所は広がってゆく。人間としても経験を積んでゆく。

低学年の頃、一緒に風呂に入っていた叔母のさき子が、代用教員として洪作の学校で教壇に立つ。洪作にとって身近な日常が、取り澄ました学校につながってゆく。校長というだけで父の兄のもとから逃げていた洪作も、もはや逃げられなくなる。さきこともお風呂に入れなくなる。一気に大人の雰囲気を帯びたさき子は、別の教師との仲をうわさされる。そしてそれは事実になり、妊娠して学校を辞める。そして、結婚して相手の赴任地へ移ってしまう。それだけでなく、その地で結核にかかり命を落とす。さき子は母や妹と離れて暮らす洪作にとって身近な異性だった。そんなさき子があっという間に遠ざかり、遠くへ去ってしまう。

さき子がいなくなった後、洪作に異性を意識させるのは、帝室林野局出張所長の娘として転校して来たあき子だ。あき子は洪作を動揺させる。その動揺は、少年らしい性の自覚の先駆けであり、洪作の成長にとって大きな一歩となる。

おぬい婆さんとの二人暮らしはなおも続く。が、洪作が成長するにつれ、おぬい婆さんに老いが忍び寄る。おぬい婆さんは下田の出身。そこで、老いを感じたおぬい婆さんは故郷の景色を見たいといい、洪作はついて行く。そこで洪作が見たのは、故郷に身寄りも知り合いもなくし、なすすべもないおぬい婆さんの姿だ。自分には知り合いや知識が広がってゆくのに、老いてゆくおぬい婆さんからは知り合いも知識も奪われてゆく。その残酷な対照は、洪作にも読者にも人生のはかなさ、人の一生の移ろいやすさを教えてくれる。

洪作に人生の何たるかを教えてくれるのはおぬい婆さんだけではない。洪作の家庭教師に雇われた犬飼もそう。教師の仕事が引けた後に洪作に勉強を教えてくれる犬飼は、洪作に親身になって勉強を教えてくれる。だが、犬飼のストイックな気性は、自らの精神を追い詰めて行き、変調をきたしてしまう。気性が強い洪作の母の七重の言動も洪作に人生の複雑さを示すのに十分だ。田舎だからといって朴訥で善良な人だけではない。人によって起伏を持ち、個性をもつ大人たちの生き方は、洪作に人生のなんたるかを指し示す。それは洪作の精神を形作ってゆく。

本書は著者の自伝としてだけでなく、少年の成長を描いた作品としてd語り継がれていくに違いない。そして百年前の伊豆の山間部の様子がどうだったか、という記録として読んでも面白い。

私は伊豆半島に若干の縁を持っている。数年前まで妻の祖父母が所有していた別荘が函南にあり、よく訪れては泊まっていた。ここを拠点に天城や戸田や修善寺や富士や沼津などを訪れたのも懐かしい。その家を処分して数年たち、伊豆のポータルサイトの仕事も手がけることになった。再び伊豆には縁が深まっている。また、機会があれば湯ヶ島温泉をゆっくりと歩き、著者の足跡をたどりたいと思っている。

’2017/10/04-2017/10/08