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大久保利通の肖像 その生と死をめぐって


私が本書を読んだ頃、我が家には薩摩弁が飛び交っていた。いや、飛び交っていたというのは正確ではない。話されていた、というのが正しい。誰によって話されていたかというと、うちの妻によって。

2016/11/20を千秋楽として、宝塚星組北翔海莉さんと妃海風さんのトップコンビが退団した。その退団公演のタイトルは「桜華に舞え」という。主人公は人斬り半次郎こと桐野利秋。全編を通して鹿児島訛り全開のこの作品を何度も観劇し、感化された妻は、日常の言葉すら薩摩訛りになったわけだ。

「桜華に舞え」は桐野利秋の生涯に男の散りざまを重ねた、北翔海莉さんの退団を飾るに相応しい作品だった。そして桐野利秋といえば西郷南州の右腕として、西南戦争でともに戦死したことでも知られる。

その西南戦争で薩摩出身でありながら、新政府軍側についたのが、本書で取り上げられている大久保利通だ。維新の薩摩を語るには欠かせない人物であり、維新の三傑であり、明治政府の元勲でもある。敵方だったためか「桜華に舞え」では脇役に甘んじている。そればかりか、明治維新に関する人物の中でも、大久保利通の人気は極めて低い。旧世代の士族につき、死んでいった桐野、西郷を見放し、敵に回したことで、情知らずのレッテルを貼られてしまったらしい。不平士族の不満の爆発に乗って乗せられた桐野、西郷の二人と違い、新生日本の理想を冷徹に見据えた大久保利通は、旧階級である氏族にくみするつもりなど毫もなかったはずだ。

大久保利通とは、情より論が勝った人物。それゆえに人気のなさは維新を彩った人士の中でも指折りだ。

だが、近年再評価の気運も高まっているという。

私自身、さまざまな書で大久保利通の事績や個人的なエピソードを知るにつけ、大久保利通とはたいした人物だと思うようになった。加えて、大久保利通が暗殺された紀尾井坂は、私が数年にわたって参画したプロジェクト現場に近い。清水谷公園に立つ大久保利通遭難碑は何度も訪れ、仰ぎ見たものだ。

本書を読むきっかけは、「桜華に舞え」以外にもある。それは仕事で郡山市を訪れたことだ。大久保利通最後の仕事となった安積開拓。それこそが今の郡山市発展の礎となった。私はそのことを郡山市開成館の充実した展示を読んで理解した。

安積開拓とは、猪苗代湖の水を安積の地、つまり、今の郡山市域に引き込み、巨大な農地に変える事業を指す。それによって明治日本の殖産を強力に推し進めようとした。その事業を通して大久保利通が発揮した着眼点や企画力は、まさに内政の真骨頂。その貢献度は、計り知れないものがある。

その貢献は、郡山市にあるという大久保神社の形をとって感謝されている。神殿こそないものの、祭神として大久保利通は祀られているという。まさに神だ。郡山市とは猪苗代湖を挟んで対岸に位置する会津若松が、いまだに戊辰戦争での薩長との遺恨を取り沙汰されていることを考えると、そこまで大久保利通の評価が高いことに驚くばかりだ。私は大久保神社の存在を本書によって教えられた。郡山の訪問時にそれを知っていれば訪れたものを。もし開成館の展示で紹介されていたとすれば、見落としたのかもしれない。不覚だ。

本書は、大久保利通にまつわる誤解を解くことをもっぱらの目的にしている。大久保利通にまつわる誤解。それは私が知るだけでもいくつかあるし、それらは本書にも網羅的に紹介されている。たとえば藩主後見の久光公に取り入るためだけに囲碁を身につけた、という処世術への軽蔑。紀尾井坂で暗殺された際、敵に背を向けた格好だったという汚名。佐賀の乱で刑死した江藤新平へ冷酷な対応をしたという伝聞。それらのエピソードを著者はおおくの資料を紐解くことで一つ一つ反論する。幕末の血なまぐさい日々にあって、志士達の前で示した勇敢なエピソード。佐賀の乱で刑死した江藤新平への残忍な態度だけが後世に伝えられた裏側の事情。征韓論に敗れて下野した西郷隆盛とは友情が保たれていたこと。西南戦争で示した大久保利通の心情の一端がこぼれ落ちた挿話。家族では子供思いであったこと、などなど。

そして著者がもっとも力を入れて反駁するのが、紀尾井坂で襲撃されたさい、見苦しい様を見せたという風評だ。著者はこの誤解を解き、悪評をすすぐため、あらゆる視点から当時の現場を分析する。私も本書を読むまで知らなかったのだが、紀尾井坂の変で襲撃を受けた時、大久保利通が乗っていた馬車は現存しているのだという。著者はその馬車の現物を見、馬車の室内に入って検分する。

そこで著者は馬車内で刺されたとか、馬車から引きずり出されたとかの目撃談が、遺された血痕の状況と矛盾していることを指摘する。つまり、大久保利通は、自らの意思で馬車の外に出て、襲撃者たちに相対したことを示す。背を向け、武士にあるまじき死にざまを見せたとの悪評とは逆の結論だ。

襲撃された際、大久保利通は護身用ピストルを修理に出していたという。間抜けなのか、それとも死生を超越した豪胆さからの行いかは分からない。だが、幕末から維新にかけ、血なまぐさい時代で名を遺すだけの才覚は持っていたはず。今さら無様な命乞いで末節を汚す男とは思えない。

だからこそ、本書には証拠となる馬車の写真は載せてほしかったし、イラストでよいから血痕の様子を図示して欲しかった。文章だけで書かれても説得力に欠けるのだ。大久保利通の最期が武士らしい決然としたものであってこそ、本書で著者が連綿と書き連ねた誤解への反論に箔が付くというもの。

最後にそれは本書の記述がもたらした、私にとってとても印象的なご縁について書き添えておきたい。そのご縁は、大久保利通と姫野公明師、そして私と妻を時空を超えて巡り合わせてくれた。

姫野公明師とは一説には明治天皇の御落胤とも言われる人物で、政財界に崇拝者も多いという。その姫野公明師が戸隠に移って建立した独立宗派の寺院が公明院となる。本書を読む5カ月前、私はとある団体の主催する戸隠参拝ツアーに参加し、公明院に入らせていただく機会を得た。公明院はとても興味深い場であり、護摩焚きの一部始終を見、貴重な写真や品々を拝見した。

大久保利通の最後を見届けた馬車が紀尾井坂から今の保存場所に行き着くまで。そこには、著者によるととても数奇な逸話があったらしい。そして、その際に多大な尽力をなしたのが姫野公明師だという。この記述に行き当たった時、わたしは期せずして身震いしてしまった。なぜかと言えば、ちょうどその時、私の妻が同じ戸隠参拝ツアーで公明院を訪れていたからだ。

わたしが文章を読んだ時刻と妻がが公明院を訪れた時刻が正確に一致したかどうか定かではない。ただ、ごく近しい時間だったのは確か。そんな限られた時間軸の中で姫野公明師と大久保利通、そして妻と私の間に強い引力が発生したのだ。そんな稀有な確率が発生することはそうそうない。スピリチュアルな力は皆無。占いも風水も心理学で解釈する私にして、このような偶然を確率で片付けることは、私にはとうてい無理だ。そもそも私がツアーに参加する少し前に、妻から公明院の由緒が記されたパンフレットを見せてもらうまで、姫野公明という人物の存在すら知らなかったのだから。今まで読んできた多くの本や雑誌でも姫野公明師が書かれた文章にはお目にかかったことがなかった。それなのに本書で姫野公明師が登場した記述を読んだ時、その公明院を妻が訪れている。これに何かの縁を感じても許されるはずだ。

戸隠から帰ってきた妻に本書の内容を教えたところ、とても驚いていた。そして本書を読んでみるという。普段、私が薦めた本は読まないのに。たぶん、本書を読んだ事で薩摩への妻の熱は少し長びいたことだろう。そのついでに、桐野、西郷の両雄と敵対することになった大久保利通についても理解を深めてくれればよいと思う。少なくとも怜悧で情の薄いだけの平面的な人物ではなく、多面的で立体的な人物だったことだろう。

私も引き続き、薩摩へ訪れる機会を伺い続け、いつかは明治を作った男たちの育った地を訪れたいと思う。

‘2016/11/20-2016/11/24


人斬り半次郎 幕末編


本書を手に取ったのは、「桜華に舞え」という舞台がきっかけだ。宝塚歌劇団星組のトップ退団公演。その公演で退団する北翔海莉さんが扮したのが、人斬り半次郎こと桐野利秋である。

「桜華に舞え」は劇団の演出家によるオリジナル脚本であり、本書は原作としてクレジットされていない。でも本書が全くの無縁だったとは思えない。脚本には間違いなく何らかの影響を与えているはずだ。

そんなわけで人斬り半次郎とはいかなる人物かを、舞台を観る前に本書で知っておこうと思った。

薩摩示現流と名乗る剣術の流派がある。映像で稽古風景を見た事があるが、撃ち込み一筋の気迫のこもった稽古だった。ただひたすらに攻めに徹する。そして気迫で相手を圧倒する。そこには守りや間合いといった静はなく、ただただ動の一点張り。人斬り半次郎こと中村半次郎も、示現流の達人である。

だが、彼は途中で示現流の道場を辞めてしまう。それは道場で不和が起こったからだ。半次郎のあまりの強さに、他の門下生が太刀打ちできなくなったのだ。しかもその多くは藩の上士。一方で半次郎は下士であり、本来ならば上士を手合わせすることすらはばかられる立場なのだ。そこでいざこざが生じたため、半次郎は道場を辞め、稽古を自己流で行うことになる。

普通の人であればここで剣術を諦めてしまい、後の世に名を残すことはない。だが、彼が普通の人々と違ったのは、自己流であっても鍛錬を惜しまなかったことだ。なにがそこまで彼を駆り立てたのか。それは己に打ち勝つため。己の置かれた状況に打ち克つためだ。

唐芋侍。半次郎が属する郷士の事を薩摩ではさげすんでこう呼んだという。幕末の薩摩藩といえば開明の印象が強い。だが実は藩内には歴然とした階級があり、半次郎が属する郷士は下級武士、つまり下士として下に見られている。下士が藩主直参の上級武士として取り立てられることはほぼなかったという。半次郎の場合、父が公金横領の罪で訴えられたこともあり、ほぼ上士になる見込みはない。それもあって半次郎は上士に対する対抗意識が強く、道場でも世渡り下手の自分を押し通してしまったのだろう。

だが、半次郎は腕力に訴える粗暴なだけの男ではない。本書で描かれる半次郎は人間的にとても魅力的な男だ。美男子で女にはめっぽう優しく、そして惚れやすい。つまり男にはめっぽう強くて女には弱いのだ。一人の人間の中に強さと弱さが同居している。複雑ではなくむしろ単純。半次郎は決して粗暴なだけの男ではなかったが、彼の生きざまは示現流の影響を受けたのか、守りや間合いを知らなかった。おそらく世が世なら世事に疎く不器用な男として薩摩の吉野郷で生を終えていただろう。要領よく頭角を現すといった形では世に出られなかったに違いない。

彼の境遇を変えたのは黒船来航をきっかけとした国内情勢の変化と、藩主斉彬による登用策だ。それによって西郷隆盛が取り立てられる。郷士の中の暴れものとして城下の若手武士たちから恐れられ遠ざけられていた半次郎は、西郷の訪問を受ける。そして、半次郎が武芸を鍛錬する気迫と開墾に一心不乱に取り組む姿、弁の立つ様子は西郷を感心させる。

西郷にとって、小賢しいだけの男は不要だ。己の地位に満足せず、さわやかな男ぶりをみせる半次郎は、これからの薩摩に必要な人材と映ったのだろう。西郷の上士や下士といった身分にとらわれぬスケールの大きさは、本書を通じてさまざまなエピソードによって明らかにされてゆく。

半次郎が後日、西郷のもとにあいさつに訪れたときのこと。土産にと大きな唐芋を三本持ってきたのだが、それを見た西郷の弟小兵衛が笑う。それを見咎めた西郷が、小兵衛を叱る。この唐芋は半次郎の厚志であり、それを笑うとは何事であるか、というわけだ。情に厚く理想家肌だったと伝えられる西郷の人柄がしのばれるエピソードだ。この出来事によって半次郎は西郷に心酔し、この人のためなら、と一生を賭けることになる。

ここに、西郷に目を掛けられた半次郎の立身出世の物語が始まる。ただ、西郷の立場も弱い。薩摩の実権は前藩主斉彬公の急死によって久光公に移っている。そして斉彬公によって取り立てられた西郷と久光公はそりが合わない。先日も、島流しの憂き目にあったばかりだ。同士である大久保市蔵にとりなされ、罪を許されて戻ってきたとはいえ、まだのびのびと藩政を切り回すまでの力はない。しかし緊迫する情勢は久光公に上京を迫っていた。そのお供として半次郎を推す西郷。大久保市蔵に半次郎の腕の冴えを実検させ、大久保に認められた半次郎は出世への足がかりをつかむことになる。

彼の強さは、攻めの局面であれば、より強さを引き寄せる。だが、半次郎はすでにこの時気づいていない。攻めの局面に夢中になっていると、背後で失われてゆくものもあるということに。半次郎は女性を引き寄せる魅力的な男だ。夜這いの風習のある吉野では年上の幸江と恋仲になっていた。だが、立身出世に逸るあまり、半次郎は幸江を忘れて上京してしまう。幸江が実在の人物かどうかは知らないが、このくだりは、本書において半次郎の負い目となってずっとついて回る。

上京した久光公に随行して京に出た半次郎。だが、この時期の薩摩藩が置かれていた情勢は薄氷の上を歩むようなものだ。西郷もそれを見越した上で薩摩藩に良かれと思い、久光公の命令に反して自己判断で動く。それが久光公の逆鱗に触れ、また島流しにあってしまう。それと前後して寺田屋では薩摩藩士同士による刀傷沙汰も起こっている。世にいう寺田屋騒動だ。

めまぐるしく薩摩藩を巡る情勢は変化する。そんな中にあって、もくもくと勤めを全うする半次郎。が、彼の剣術の腕は少しずつ京の街中に知られてゆく。青蓮院宮の衛士として幾度も宮の危機を救う。そして、扇子問屋を営む松屋の娘おたみを救う。おたみを救ったことで、彼女が気になってしまう半次郎。武士が女に惚れることは弱点につながる。しかも、勤務の最中に知り合った法秀尼とは、性の愉楽に身をゆだねる仲となる。

この謎めいた法秀尼が、西郷のいない京において半次郎の成長に大きな役割を果たすことになる。前に半次郎を攻める一方で守りを知らないと書いた。だが、半次郎とて愚かではない。剣術以外に自分の身を立てる武器が必要であることを悟り、法秀尼に書を習うのだ。さらには本も読みふける。仕事も剣術も手習いも含めて強靭な体力でそれらをこなして行く。人斬り半次郎が後年、桐野利秋となったのは、この時期の精進のたまものだろう。

著者は幕末の情勢と半次郎の日々を鮮やかに書き分けていく。天下の情勢と薩摩藩の置かれた立場が複雑に変動する中、任務と自己鍛錬を怠らぬ半次郎の日々。堅苦しいだけでなく、法秀尼と肉欲に溺れるゆとりも見せる。そんな日々にあって、長州藩との抗争に目覚しい活躍を見せる半次郎は、薩摩藩にあって伍長としてそれなりの地位を固めたといえる。幸吉という自分を慕う少年も手元におき、一見すると半次郎の日々は順風満帆に思える。だが、半次郎が抱くおたみへの少年のような恋心は募るばかり。おたみもまた、自らを救ってくれた半次郎を慕うのだが、それに半次郎は気づかない。殺伐とした幕末の京にあって、すれ違う二人の心がもどかしくも、とても新鮮だ。多情多彩な半次郎の日々を、彼は要領は悪いなりに、全力でこなしてゆく。こういう不器用なところが半次郎の魅力なのだ。

そんな中、二年ぶりに許された西郷が京に来る。そして土産話として吉野の幸江が嫁に行ったことを半次郎に知らせる。そのことを聞かされた半次郎はうろたえる。法秀尼との情事やおたみへの思慕など、多情な半次郎だが、幸江のことに衝撃を受け、苦しむ。この多情さが彼の魅力であり、煩悶する彼はとても人間くさく、好感がもてる。

そんな忙しい中でありながら剣術の鍛錬は怠らないので、半次郎の剣術の冴えは人々のますます知るところとなる。法秀尼からもらった和泉守兼定を懐に差し、西郷の遣いとして長州を視察して回り、半次郎は忙しい。京を覆う物騒な世相は池田屋事件を起こし、半次郎が長州から戻ってきた直後には禁門の変がおきる。それによって長州と薩摩の対立は決定的なものとなる。そして薩摩に中村半次郎あり、という武名は京や江戸、そして長州にも達する。

そんな日々が半次郎を変えていったのだろう。久々に薩摩に帰った半次郎は、あまりにも立場が上がったことで吉野の人々から仰ぎ見られる存在となる。一方で、自信に満ちた半次郎に眉をひそめる人々もいる。守りも間合いも知らない半次郎がいちずであればあるほど、人々との差は開いてしまう。そんな不器用で直情な半次郎の悲しい性が少しずつあらわになってゆく。吉野でかたくなに半次郎に合うのを避ける幸江の態度は、そんな半次郎の後年の孤独を予見するかのようだ。人は栄達してもなお、少年の頃と同じような心でいられるか、という問題がある。成長は自信へと変わるが、その自信は人々の目に尊大に映る。私自身も気をつけねばならない点だと思っている。

半次郎の肥大しつつある自信は、淀川の決闘であわや命を落としかけることによって足元をすくわれる。同郷の大山格之助によって助けられたことは、天狗になりかけた自らを諫める機会になったはずだ。だが、徳川幕府の命運もわずかな今、半次郎に自らを省みる時間が与えられることはない。そして倒幕の勢いはいっそう増してゆくばかり。時代に翻弄される半次郎の悲劇が、ほのめかされるかのように上巻は終わる。

‘2016/08/06-2016/08/08