Articles tagged with: 小田原市

2021年6月のまとめ(個人)


公私の「私」

●家族とのふれあい

§ 総括 梅雨が続いています。夏はすぐそこまで来ている。準備の時期。
そのはずですが、夏の訪れを無邪気に喜ぶには、世の中が騒然としすぎています。
一方でコロナに関するニュースが相変わらず世を騒がし、もはや日常の一部となっています。
コロナに従い続けるのか、それともコロナに立ち向かうのか。一人一人に人生観が問われています。

昨年の九月に読んだ「死」についての分厚い本の内容を脳内で反芻しつつ、あらためて生きる意味を問う最近です。人生が有限であること。残された時間があとわずかであること。

たとえ死ねば全てが無に消えるとわかっていても、全力で自分に与えられた生を全うしたい。仕事もプライベートも。
今は仕事に集中し、好きなことは引退後。そんな悠長な考えでは人生はあっという間に終わってしまいます。毎日を公私とも全力で生きる、という決意で過ごしています。
そうした考えが娘たちにも伝わればいいな、と思っています。
コロナだからと閉じこもっている場合ではないのです。

家族とは四回お出かけしました。妻とは六回、妻と長女とは二回、長女とは一回、次女とは数回。

娘たちはいつか巣立ちます。私は仕事以外にやりたいことが盛りだくさんの人間なので、子離れや引退をきっかけに老け込まなさそう。ですが、限られた人生でも家族との時間を大切にしたいと思っています。

§ 月表

・六月お出かけ

一番いちばん、ハローワーク町田、有隣堂、町田モディ町田ロフト、グリーンハウス 新宿早稲田、てんぷら 高七、鶴川駅前図書館サイゼリヤららぽーと立川立飛JINSヴィレッジヴァンガードGeorgesNEWERA TACHIKAWA北海道うまいもの館Pinkberry九龍點心有隣堂ZARAGAP北海道うまいもの館LEMONADE by Lemonica、阿佐ヶ谷神明宮、COCODE阿佐ヶ谷、北海道らーめん 味丸、阿佐谷パールセンター、四川郷土菜 郷巴老、Honda Cars東京中央 町田西店リカーランドトップ 町田店、薬師池公園 蓮園、薬師池公園、根府川駅、寺山神社、東海道本線 白糸川橋梁 (根府川鉄橋)、湘南メンチ、釈迦堂、根府川関所跡、佐奈田霊社、石橋山古戦場、文三堂、与一塚、小田原(早川)の道祖神、紀伊神社、早川駅、COCODE笹塚、麺 りあん、十号坂商店街、keep will marce、讃岐うどん かいと、自家製麺つけそば 九六、多摩川、薬師池公園、薬師池公園 蓮園、二子玉川 蔦屋家電、帰真園旧清水邸書院、帰真園、二子玉川公園、マヨルカ好奇心の部屋文教堂Cinnabon Seattles Best Coffee、東京オリンピック(1964) 50km競歩折り返し点、Sizzler瀧神社柏屋大國魂神社大國魂神社 本殿、府中市観光情報センター、スーパーアルプス 多摩境店クロスガーデン多摩多摩境天然温泉 森乃彩、市ノ坪神社、川崎市コンベンションホール、福祉パルなかはら(中原区社会福祉協議会)、完熟屋 BEE FRIENDSHIPシアタークリエ炭焼 うな富士NIIGATA100HMV&BOOKS日比谷しまね館千代田線 日比谷駅 (C09)サンドラッグ 町田野津田店、大雄山駅、金太郎生家跡地、足柄万葉公園、足柄城址、新羅三郎義光吹笙之石、足柄関所跡、道の駅 足柄・金太郎のふるさと、相鉄ローゼン 薬師台店町田市鶴川市民センター、ラーメン大桜 町田・野津田店

・六月ツイート
https://togetter.com/li/1738161

§ 家族のお出かけ 家族で出かけたのは、上の年表で黄地に太字にしているイベントです。家族で出かけたのは、今月は四回です。

近所に軽く夕食に食べに行った日(6/5)の翌日、私の誕生日でした。あいにくの雨の予報だったので、私がせめて行ったことのない場所に行きたいと希望し、ららぽーと立川へ(6/6)。ここで飲茶バイキングのお店でたらふく食べ、館内でショッピングを楽しみました。


梅雨の中、妻が行きたい神社があるというので、ついでに娘たちもつれて府中のシズラーに行ったのは父の日(6/20)。美味しい料理と会話が嬉しい一日でした。その日の夜に家族で温泉に行こうと向かったところ、温泉が緊急事態宣言の最終日の日曜日であり、しまっていました。そのため、その翌日に再度家族で向かい、今度は温泉に浸かれました(6/21)。

今回のコロナを通し、毎日のメリハリの大切さを痛感しています。漫然と過ごしていてはあっという間に時間が過ぎていきます。仕事だけの毎日ではない、自分自身や家族との時間にも思い出を刻みたいと考えています。

家という基盤がある幸せ。それを噛みしめつつ、生きる意味とは何か、死ぬと人は無に消えるのか。コロナを通して生きる意味を考えたいと思います。
この一年、そして今月もコロナによってあまり出かけられませんでした。それによって、今の一瞬一瞬の大切さを強く感じています。

§ 妻とのお出かけ 妻と出かけたのは、上の年表で桃地に太字にしているイベントです。今月は妻と二人で六回出かけました。

まずは新調する車を見に二人で(6/10)。帰りには近くのリカーランドトップさんで美味しいお酒を買いました。
妻は医療従事者なので、早めにワクチン接種のお知らせが来ていました。とはいえ、咋秋に手術した妻の身に何かあるとまずいので、二子玉川まで私が運転。二人で二子玉川のお店を見て歩きました(6/19)。妻の接種の間、私は近くの帰真園で読書を。
その翌日は父の日を家族で過ごしたのですが、娘たちは神社に興味がないので、私と妻で瀧神社と大國魂神社を参拝しました(6/20)。
また、妻から強く誘われていたのが舞台。有楽町のシアタークリエでCLUB SEVENの公演を見てきました。久々の観劇の後は、妻がお勧めするうなぎ屋さんで美味しいうなぎに舌鼓を打ちました(6/24)。
他にも家の近所で買い物に行ったり、手続きで市民センターに訪れたりした月でした。

§ 妻と長女とのお出かけ 妻と長女と出かけたのは、上の年表で緑地に太字にしているイベントです。今月は妻と長女との三人で二回出かけました。

まずは町田の街中を。いろいろと買い物をして回りました(6/1)。あと、近所のお店にも食べに行きました(6/16)。

長女も専門学校を卒業し、仕事をこなしながら、家の事もいろいろと手伝ってくれています。それもあって長女とは良く語った月でした。

§ 妻と次女とのお出かけ 妻と次女と出かけたのは、上の年表で緑地に太字にしているイベントです。今月は妻と次女の三人で出かける機会はありませんでした。

次女は今月、ミシュランで星を獲得した慈華という外苑前にある中華料理のお店でインターンに励んでいました。
厳しい現場の雰囲気におののきながらも、腕のたつシェフのプロ意識や厳しさに触れ、とても刺激になっている様子です。
私も何度も駅まで迎えに行きましたが、その度に疲れ切ってはいたものの、将来の夢が見えてきた様子なのがよかったです。

§ 娘たちとのお出かけ 娘たちと出かけたのは、上の年表で青地に太字にしているイベントです。
今月は娘たちと出かける機会はありませんでした。

とはいえ、家では会話がたくさんあったので良かったです。
これからも家族の時間が持てますように。

●私自身の六月(交友関係)

§ 関西の交流関係 今月は関西には行きませんでした。
私も余裕がなかったので、没交渉のひと月でした。

§ 今月の交流 今月は、緊急事態宣言やまん延防止法が足かせとなり、私自身も仕事が忙しかったこともあり、お酒を飲む機会はほぼありませんでした。

その分、商談や打ち合わせやイベントがあったので、交流は盛んだったのです。
来月もまだ交流は出来ないでしょう。私の場合、一人の時間も苦にならないので、またどこかに旅をして気持ちを発散しようと思っています。


●私自身の六月(文化活動)

§ 弊社ブログへのアップ記事一覧 読んだ本のレビューを記す読ん読ブログの執筆は、主に2019年に読んだ10冊分となりました。
レビュー執筆は、私の中では大切なライフワークとして位置付けています。ですが、このところ、書く時間があまり取れていません。読んでから原稿をアップするまでの時間も一年六カ月以上に延びています。
ちょっと遅れが目立ってきており、こちらも危機感を持っています。質を落とさずにこの期間を縮めたい。それが去年に引き続いての課題です。書く行為への熱意は衰えていませんので、引き続き続けたいです。

一昨年の春まで連載していたCarry Meさんが運用している本音採用サイトの「アクアビット 航海記」を弊社サイトにアップする作業ですが、今月は1本アップしました。
(「アクアビット航海記 vol.33〜航海記 その19」)
技術者として一歩を踏み出した私の頃を書いています。

今月、書いた本のレビューは10本(
パニック・裸の王様
叫びと祈り
夏の約束
介護入門
A
海の上のピアニスト
十二人の死にたい子どもたち
明日の子供たち
ウロボロスの波動
やぶれかぶれ青春記
)。
今月、書いた映画のレビューは0本()。
今月、書いた抱負は0本() 。
今月、書いた旅日記は0本() 。
今月、書いた物申すは0本() 。
今月、書いた弊社の活動ブログは1本(
kintone Café 神奈川 Vol.8を開催しました
)。
今月、書いた弊社の技術ブログは0本()。

§ 今月の読書 今月は9冊の本を読みました。内訳は、SF二冊、英国純文学一冊、ミステリ二冊、伝記一冊、トルコ純文学二冊、自己啓発本一冊。

仕事の合間に本を読んでいますが、9冊はよく読んだ方でしょう。
特に『無垢の博物館』の二冊には時間を掛けました。また、感銘を受けました。
ですが、私が読んでいない本はまだ無数にあります。残された余生で何冊の本が読めるのか。私に残された時間は短いのです。

私の今年の目標の一つは本を出版することですが、昨年の11月に一緒に飲んだ方がそうした伝や知識を持っている方であり、必ず本を出版するとの思いは増すばかりです。
人生の師匠が出版した本のレビューを書いたこともありますし。

§ 今月の映画 今月の映画鑑賞は0本です。

ただし、テレビで放映されていたボヘミアン・ラプソディは見られました。

一方、今月もキングダムは見られずじまい。これでほぼ一年ほど見られていません。
見たい映画もまだまだあるので、今後は映画を観る時間を増やしたいと思います。

§ 今月の舞台 舞台については、今月は1本です。
とても久々に観劇しました。妻が強く誘ってきたので、有楽町のシアター・クリエで。CLUB SEVEN。盛りだくさんな内容でしたが、それをこなす舞台の七人に舞台人のすごさを教わった気がします。
私に宝塚を応援する意思はありませんが、演劇や舞台人は応援したいと思います。
§ 今月の音楽 今月も生演奏を聴く機会がありませんでした。
コロナが始まってから、70年代の洋楽を聴きまくっています。今月はThe Steve Miller Bandの全てのアルバムを順に聴きました。これまた良いですね。


§ 今月の美術 今月は美術館などへ行く機会は取れませんでした。

§ 今月のスポーツ 今月も各種スポーツのネタには困りません。阪神タイガースの佐藤輝選手の打棒も見事だし、大谷・ダルヴィッシュ選手の活躍にも心が躍ります。
ただ、東京オリンピックの状況が不透明ですね。私個人の意見としては、五輪と同等の大会を競技毎に世界各国で開催し、選手には栄誉が与えられるような配慮をお願いしたいと思います。

もちろん、開催されたとして観客が許されるのなら、見に行きたいと思っていますが。


§ 今月の滝 今月、訪れた滝は1滝です。「夕日の滝(6/27)」
かの金太郎こと坂田金時の産湯として使われたともいうこの滝。直瀑ですが、脇の水流の様子も含め、見ごたえのある滝でした。
滝の水に視点をあてると、スローモーションで落ちてゆく水に人生のはかなさを感じました。ここはアクセスも容易なのでお勧めしたい滝です。


§ 今月の旅行 今月は、仕事が忙しく、梅雨空ということもあって旅ができませんでした。もちろんコロナという障害もありましたが。
旅といえるの旅行を二回敢行しました。
まずは、根府川駅の周辺です(6/12)。関東大震災の際に土石流に駅舎や列車が襲われ、海の底には今もまだ遺構が眠っているというこの場所。前から行きたかったのですが、ようやく訪れられました。列車と海と空のコントラストもよかったですし、珍しい観光列車も見られました。
また、近くの白糸川をまたぐ鉄橋の勇壮な様子にも感銘を受けました。
帰りに訪れた鈴木農園さんでは様々なお話をさせていただきましたし、海岸際にある湘南メンチさんでは美味しい試食を楽しみながら、しばし仕事に没頭できました。ワーケーション先としてもお勧めできます。
帰りは、歩いて石橋山まで。かの源頼朝公が蜂起したこの地。初めて訪れられました。
また、その周りには野生の猿が何匹も群れを成しており、私も威嚇されました。でも、線路際で通過する列車をものともせずにいつく姿に図太さと強さを感じました。
後日、そのサルの群れを駆除する発表があったのには驚きました。

もう一回は、南足柄市です。金太郎こと坂田金時の遺構を中心にめぐりました(6/27)。坂田金時の生家跡や遊んだ石、産湯をつかった夕日の滝など、とても印象に残りました。また、大雄山駅にも訪れ、さらに足柄峠では万葉集の頃から防人が訪れ、多くの歴史上の人物が行き交ったとされるこの場所で物思いにふけりました。

梅雨空の中、一瞬だけ姿をのぞかせた富士山も、足柄城址の様子とあわせて印象に残りました。


§ 今月の駅鉄 趣味の駅訪問は3駅です。「根府川駅(6/12)」「早川駅(6/12)」「大雄山駅(6/27)」
根府川駅は上にも書いた通り、関東大震災で甚大な被害を受けた駅で、供養塔もいくつか見かけました。
今見ると、とても土石流に襲われそうな感じはなかったのですが、地震や噴火によっていつ何時この辺りが被害に遭うかもしれず、きっちりと目に焼き付けてきました。
早川駅は帰りに石橋山を経由し、歩いてきました。もう夜だったのですが、小田原駅の隣にある割にはこじんまりとした駅でした。

大雄山駅は根府川駅と同じく関東の駅百選に選ばれています。車庫や古びた駅舎がとても風情を醸していました。思った以上に利用客もあったのでほっとしました。


§ 今月の酒楽 今月は外では一度も飲んでいません。
ですが、妻が酒屋で何本か買ってくれました。私も日本酒も含めて購入しましたし。


§ 今月のその他活動 人生も半分を過ぎ、一層焦りが募っています。少しでも日々に変化をつけようとする気持ちに衰えはありません。
今、心身が動くうちに仕事もプライベートも全力で。その考えには揺るぎがありません。

・公園は四カ所。「薬師池公園(6/11)(6/18)(6/29)」「二子玉川公園(6/19)」「帰真園(6/19)」「足柄万葉公園(6/27)」
・博物館はゼロカ所。
・美術館はゼロカ所。
・駅は三駅。「根府川駅(6/12)」「早川駅(6/12)」「大雄山駅(6/27)」

・入手したマンホールカードは一枚。「東京都府中市(6/20)」
・滝は一滝。「夕日の滝(6/27)」
・温泉は一カ所。「多摩境天然温泉 森乃彩(6/21)」
・山はゼロ山。
・酒蔵はゼロカ所。
・神社は六カ所。「阿佐ヶ谷神明宮(6/9)」「寺山神社(6/12)」「佐奈田霊社(6/12)」「紀伊神社(6/12)」「瀧神社(6/20)」「大國魂神社(6/20)」「市ノ坪神社(6/22)」
・寺は二カ所。「釈迦堂(6/12)」「文三堂(6/12)」
・教会はゼロカ所。
・史跡は九カ所。「根府川関所跡(6/12)」「石橋山古戦場(6/12)」「与一塚(6/12)」「小田原(早川)の道祖神(6/12)」「帰真園旧清水邸書院(6/19)」「東京オリンピック(1964) 50km競歩折り返し点(6/20)」「金太郎生家跡地(6/27)」「新羅三郎義光吹笙之石(6/27)」「足柄関所跡(6/27)」

・遺跡はゼロカ所。
・城は一カ所。「足柄城跡(6/27)」

・灯台はゼロカ所。
・水族館はゼロか所。
・土木遺産はゼロか所。
・風景印はゼロ枚。
・御城印はゼロ枚。

私がまだ訪れていない場所の多さにめまいがします。他の活動もまだまだやりたいことがいっぱいあります。
自粛自粛と過ごしていると、疲れに追われてあっという間に老け込んでいきそうです。
一番怖いのは年齢から来るあきらめと気力の減退です。これだけは防ぎたい。

だからこそ、コロナに人生を台無しにされたくない、と万全の準備で旅をしました。会話は控えた黙旅です。

家族との縁もこれから姿を変えていくことでしょう。仕事もいつかは引退を求められるでしょう。そうなった時にやることがない、とよくある老残にならないためにも。
人はいつか死ぬ。コロナウィルスの蔓延はそのことを教えてくれました。昨年の九月は「「死」とは何か」という本を読み通しました。
人の明日はわかりません。人気俳優や女優も自死を選び、私も不意の体調不良に襲われる。
ですから、いつかやろう、引退してからやろうといっていると、未来の自分にそれを妨げられてしまいます。
今を生きているのですから、今、やるべきことをしなければ。
後悔だけはしないように。
仕事だけでなく、今のうちに時間の合間を見つけ、行けるところに入っておこうと思います。

一方で、将来のこともそろそろ考えねばなりません。
法人のまとめには書いた通り、コロナにもかかわらず、法人としての売り上げは確保できています。ただ、私個人としては投資もしなければ賭け事もせず、不労所得のタネも持っていません。
つまり、一人で私自身の体だけが頼りで、体に何かがあれば収入は尽きます。そろそろ貯蓄のことも考えていかなければ。

それぞれの場所で俳句も読みました。今月は10句。いずれもツイートまとめに載せています。

あらためて「私」を振り返ってみました。来月もコロナと共存しつつ、自らの生に後悔のないような日々となることを信じて。


戦国大名北条氏 -合戦・外交・領国支配の実像


本書は手に入れた経緯がはっきりと思い出せる一冊だ。買った場所も思い出せるし、2015/1/31の昼はどこに行き、どういう行動をとったかも思い出せる。

その日、友人に誘われて小田原で開かれた嚶鳴フォーラムに参加した。
小田原といえば二宮尊徳翁がよく知られている。だが、二宮尊徳翁と同じ江戸期に活躍し、今に名を残す賢人たちは各地にいる。例えば上杉鷹山や細井平洲など。
そうした地域が産んだ賢人を顕彰しあい、勉強しあうのが嚶鳴フォーラムだ。

嚶鳴フォーラムが始まる前、私と友人は小田原城を訪れた。
というのも、フォーラムでは城下町としての小田原が整備されるにあたり、北条氏が果たした役割を振り返る講演があったためだ。講師である作家の伊東潤氏は、北条氏の五代の当主がなした治世を振り返り、その治が善政であったことを強調しておられた。

フォーラムで刺激を受けた帰り、小田原の観光案内所に立ち寄った。
そこで出会ったのが武将の出で立ちに身を包んだ男性。その方は学生で、その合間を縫って観光ガイドを勤めてらした。そしてとても歴史に造詣が深い方だった。
小田原に住み、北条氏を熱く語るその方からは、小田原における北条氏がどのようにとらえられているかを学ぶことができた。彼の熱い思いはわたしにもたくさん伝わったし、私の思う以上に小田原には北条氏の存在が強く刻まれていることも感じられた。
その彼の熱意に打たれ、案内所で購入したのが本書だ。

兵庫の西宮で育った私にとって、地元が誇る大名への思いをストレートに語れる彼はある意味でうらやましい。というのも、西宮に武将の影は薄いからだ。
西宮戎神社を擁する門前町であったためか、江戸時代の大部分を通して西宮は幕府の天領だった。
戸田氏や青山氏が一時期、西宮を領有したこともあったらしいし、さらにその前には池田氏や瓦林氏が統治していた時期もあったようだ。
だが、西宮で育った私には故郷の武将で思い浮かぶ人物はいない。

今、私は町田に20年近く住んでいる。そして、故郷にはいなかった武将の面影を求め、ここ数年、北条氏や小山田氏にゆかりのある地を訪れている。小机城や玉縄城、滝山城、関宿城など。もちろん小田原城や山中城も。
そうした城は今もよく遺構を伝えている。それはおそらく、北条氏が滅亡した後、関東を治めた徳川家が領民を慰撫するために北条氏の遺徳を否定しなかったためだろう。

嚶鳴フォーラムをきっかけとした今回の小田原訪問により、私は北条家の統治についてより強い関心を抱いた。

ところが、本書はなかなか読む機会がなかった。
購入した二年半後には次女と二人で小田原城を登り、博物館で北条家の治世に再び触れたというのに。
本書を手に取ったのは、それからさらに一年四カ月もたってから。
結局、買ってから三年半も積んだままに放置してしまった。

さて、本書は北条氏五代の治世を概観している。
初代早雲から、氏綱、氏康、氏政、氏直と続き、秀吉の小田原攻めで滅亡するまでの百年が描かれている。百年の歴史は、過酷な戦国時代を大名が生き延び、勢力を伸ばそうとする努力そのものだ。

関東に住んでいると、関東平野の広大さが体感できる。
広大な土地に点在する城を一つ一つ切り崩してゆきながら、領内の民衆を統治するために内政にも力を注ぐ北条家。その一方で武田家、上杉家、真田家、結城家、佐竹家、里見家と小競り合いを続け、少しずつ領土を広げていった。
その百年の統治は困難で安易には捨てられない努力がなくては語れないはず。だからこそ、北条氏は容易に秀吉の足下に屈しようとしなかったのだろう。その気持ちも理解できる。

歴史が好きな向きには、北条家が関東で成した合戦がいくつか思い浮かぶだろう。
小田原城奪取、八王子城攻防戦、河越夜戦、二回にわたって繰り広げられた国分台合戦など。
「のぼうの城」で知られる忍城の水攻めも忘れてはならないし、滝山城から多摩川を見下ろしながら、攻め寄せる上杉謙信の残像に思いをはせるのも良い。信玄の旗が掛けられた松の跡から見る三増峠の戦場も趣がある。落城間近の小田原城に思いを漂わせながら、秀吉の一夜城を想像すると時間はすぐに過ぎてゆく。
だが、本書は物語ではない。なのでそうした合戦をドラマティックに書くことはない。むしろ学術的な立ち位置を失わぬようにコンパクトな著述を心がけている。

ただ、史実を時系列に描くだけでは読者が退屈してしまう。そこで本書は、全五章の中で北条氏と周辺の大名との関係を軸に進める。

第一章は「北条早雲・氏綱の相模国平定」として基礎作りの時期を描いている。
今川氏の家臣の立場から伊豆を攻めとり、そこから相模へと侵攻して行く流れ。大森氏から小田原城を奪取し、小田原を拠点に三浦氏との抗争の果て、相模を統一するまでの日々や、武蔵への勢力拡張に進むまでを。

第二章では「北条氏康と上杉謙信」として両上杉氏の抗争の中、関東管領に就いた上杉謙信が数たび関東へ来襲し、それに対抗した北条氏康の統治が描かれる。
北条氏の関東支配はいく度も危機にさらされている。が、滝山城の攻防や小田原城包囲など上杉謙信が関東を蹂躙したこの時期がもっとも危機に瀕していたといえる。

第三章では「北条氏政と武田信玄」として武田信玄が小田原城を攻めた時期を取り上げている。
上杉謙信もいくどか関東への出兵を企てていたこの時期。北条家がもっとも戦に明け暮れた時期だといえる。農民からも徴兵しなければならないほどに。その分、内政にも力を入れた時期だと思われる。そして今川家、上杉家、武田家とは何度も同盟を結んでは破棄する外交の繰り返し。

第四章では「北条氏直と徳川家康・豊臣秀吉」として天下の大勢が定まりつつあった中、関東の雄として存在感を見せていた北条家に圧迫が加えられていく様子が描かれる。
名胡桃城をめぐる真田昌幸との抗争や、佐竹・結城氏との闘い。天下をほぼ手中におさめた豊臣秀吉にとって、落ち着く様子がない関東平野は目立っていたに違いない。何らかの手段で統治せねばならないことや、そのためにはその地を治める北条家と一戦を交えなければならないことも。

終章は「小田原合戦への道」と籠城を選択した北条氏が圧倒的な豊臣連合軍の前に降伏していくさまが描かれる。
敗戦の結果、氏政は切腹、氏直は高野山へ追放されるなど、各地に散り散りとなった北条家。
北条家を滅亡に追いやった小田原合戦こそ、戦国の最後を締めくくる戦いと呼んでもいいのではないか。
もちろん、戦国時代は大坂の役をもって終焉したことに異論はない。ただ、全国統一という道にあっては、小田原の戦いが一つの大きな道程になったことは間違いないと考えている。

小田原の戦いで敗れたことで関東の盟主が徳川家に移った。それなのに小田原においては徳川の名を聞くことはない。
400年たった今も、小田原の人々は北条家の統治に懐かしさを覚えているかのようだ。よほど優れた内政が行われていたのだろう。
この度、小田原の人々から北条家についての思いを伺ったことで、私は北条家の各城を巡ってみようとの思いを強くした。
もちろん本書を携えて。

‘2018/11/10-2018/11/12