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2023年10月のまとめ(個人)


公私の「私」

●家族とのふれあい

§  総括

10月。
今月も仕事が忙しく、旅はほぼどこかで仕事とセットです。
仕事の出張の合間に現地を少し旅する感じでしょうか。
仕事が忙しいまま、あっというまに月が終わる日々が続いています。

もちろん、少しは出かけました。
今月は鶴ヶ島、富士吉田、甲府、舘林周辺、十勝の大樹町、中札内村、帯広および、釧路、鶴居村、弟子屈町を訪れました。

仕事をしながら、旅をする。そのノウハウをいかに実現するかが私のテーマです。
が、私の理想にはほど遠い毎日です。

先月、私個人の力の限界を感じさせる出来事が相次ぎました。
経営者としても個のスキルだけでやっていくことに限界を感じました。
私の周りには個の力を発揮している方が何人もいますが、私が個人で何ができるのか、ということを考えるきっかけがありました。

私も今年で50の齢を迎えました。、少しずつ人生も下り坂になっています。体力も落ちています。
そして、次代を導かなければならない年代になってしまいました。
私自身、個のスキルを発揮する場面を切り替えていかなければならない時期が来ています。

私に与えられた時間は有限で、ますます残り少なくなっています。
残された時間を少しでも有意義にしたいと思います。死を迎えるまでに。

生きていること、生かされていることのありがたみ。
それを常に忘れぬようにしながら、充実した日々を送りたい。
皆さんと私の思いは同じです。

娘たちもそれぞれの道を迷いながら歩んでいます。
私も娘たちをフォローしながら、これからの人生を有意義なものに過ごしてほしいと思っています。
残りの限られた人生の中で家族との時間を大切にしながら、自分に与えられた可能性と時間を精一杯使い切りたいと思います。

今月は家族とはゼロ回お出かけしました。妻とは六回、妻と長女とは五回、妻と次女とは一回、長女とは一回、次女とは一回。


§  月表

 ・十月お出かけ
瀬谷農産物直売所 ハマッ子、ファミリーマート 大和南二丁目店、大和市文化創造拠点シリウス、大和市立図書館、びっくりドンキー、ジョナサン、北府中駅、JR武蔵野線 西国分寺駅、JR 国分寺駅、萩山駅、田無駅 (SS17)、吉田のうどん 羽だ、源義家公像、大國魂神社 大鳥居、TOKYOテレワークモデルオフィス、EKITERIA PRONTO、コメダ和喫茶 おかげ庵、サンドラッグ 町田野津田店DO-ZO豊川稲荷 東京別院ホテルニューオータニガーデンラウンジabiste真田濠堤PIZZA SALVATORE CUOMO、kintone Cafe 埼玉、釜玉中華そば ナポレオン軒 府中店、CEN CAFEカフェ・ベローチェ欧州航路金谷ホテルベーカリー 神楽坂店Toki CafeWorld Wine Bar by Pieroth飯田橋駅、麺屋 めんりゅう、泉中央公園、長福寺、須賀神社、ビッグボーイ、宝仙寺、中華ソバ 坦々麺 メンドコロ天鳳、淀橋、淀橋さくら公園、CAFe OASIS、Tully’s Coffee、富士山駅 (FJ16)、Q-STA、富士山展望デッキ、anyplace.work 富士、魁 本店、天然温泉 勝運の湯 ドーミーイン甲府丸の内澤田屋 本店cafe terroir葡萄屋kofu 甲州夢小路店狭山PA (外回り)セブンイレブン 千代田町上中森店、駅前プラザ「メイちゃん家」、川俣駅、土橋門、第一回全日本高等学校 レスリング選手権大会 開催の地、館林花菖蒲園、巨人軍栄光の初V 不屈のG魂誕生の地 分福球場、館林駅 (TI10)、ぶんぶく茶釜 たぬき像、館林駅前観光案内所、セブンイレブン 館林下三林店民ちゃんユニクロ相鉄ローゼン 薬師台店、日本橋、ドトールコーヒーショップ、横浜シティ・エア・ターミナル (YCAT)、第2ターミナル、とかち帯広空港 (OBO)、展望ホール、晩成温泉、道の駅 コスモール大樹、kintone Cafe 帯広、まさゆめ 駅前店、北海道ホテル、なごみ白木屋 帯広広小路店、北海道ホテル、豚丼のぶたはげ 帯広本店、帯広駅、釧路駅、釧路フィッシャーマンズワーフ MOO、946banya浜番屋ホテルWBF釧路釧路市観光国際交流センターホテルWBF釧路釧路フィッシャーマンズワーフ MOO946banya、digital station、モシリヤチャシ跡、Whisky Bar 高森、ホテルWBF釧路温根内ビジターセンター釧路湿原温根内木道コースBrasserie Knotホテルグリーンパークつるい摩周湖 第一展望台硫黄山硫黄山MOKMOKベース釧路市観光国際交流センター釧路プリンスホテルくろ◯セイコーマート 末広4丁目釧路プリンスホテル、セイコーマート 釧路和商市場店、ローソン 釧路浪花町店、フィッシャーマンズワーフMOOバス停、くしろフィス、弁慶、釧路北大通六郵便局、フィッシャーマンズワーフMOOバス停、946banya、フィッシャーマンズワーフMOOバス停、和食 拉麺 北斗、たんちょう釧路空港 (KUH)、搭乗口A、東京国際空港 (羽田空港) (HND)、羽田空港第1・第2ターミナル駅 (KK17)、町田慶泉病院、薬樹薬局 オガワ、横濱たんめん一品香、じぶんどき、Grill & Bar AW55、ドトールコーヒー、SARC東京様いっぺこっぺ 神田小川町店サイボウズ 本社、トヨクモ様、EKITERIA PRONTO、大和市文化創造拠点シリウス、山 焚き火フィールドカフェ和ぱすた ぽぽらまーまダイソー

・十月ツイート
https://togetter.com/li/2250210
§  家族とのお出かけ 家族で出かけたのは、上の年表で黄地に太字にしているイベントです。家族で出かける機会は、今月はありませんでした。

ただし、家で家族で次女のお誕生日会をしました。手作り料理満載の。なんといっても20歳ですから。


§  妻とのお出かけ 妻と出かけたのは、上の年表で桃地に太字にしているイベントです。今月は妻と二人で六度でかけました。

細かい町田市内での移動は除き、主な動きを以下に書きます。


二人で豊川稲荷の赤坂別院を詣でた後、ニューオータニでお茶をして、四谷まで歩き、しんみち通りの外れにあるPIZZA SALVATORE CUOMOで夕食を楽しみました(10/7)。
私も妻もお人好しゆえに、余計な荷物を背負ってしまっている最近ですが、二人でその状況をねぎらいあった一日でした。




また、別の日には甲府で合流し、甲府から館林に移動する行程を一緒にしました(10/13-14)。
前の日に妻は甲府で行われたイベントに出席し、私は富士吉田のイベントに出ていました。私はそこから甲府まで車で送っていただき、妻がいるホテルにチェックイン。
翌日はちいクラの準備を兼ねた挨拶周りをした後、館林に移動しました。
館林に行ったのは、妻の体のメンテナンスのためです。私も館林を訪れるのは久しぶりということもあり、関西大学関連の別イベントがあったにもかかわらず妻の運転手を務めました。

もう一つは今月の旅のクライマックスでもある釧路です(10/20-23)。
実は私が地方に仕事を絡めた旅をする際、妻を連れて行くのは初めてでした。
理由は二つ。
一つは、私がなぜ地方に仕事で行くのか、を妻に知ってもらうため。
もう一つは、妻がオーガナイザーに就任した地域クラウド交流会の全国グランプリ大会が行われたからです。

私は十勝や帯広から、妻は沖縄から新千歳経由で釧路に向かい、合流したのは946BANYA(10/20)。
その後に行われたスナックジョイゾー&輝け!!第4回地域クラウド交流会全国グランプリ in 釧路前夜祭も夫婦で出席し、多くの人とのご縁をつないでもらいました。


翌日の輝け!!第4回地域クラウド交流会全国グランプリ in 釧路は妻はオーガナイザーとして各種の役目を果たしました(10/21)。
私も出席してその一部始終を。夜の懇親会も。二次会以降は別行動でしたが、それぞれ釧路の夜を満喫しました。
さらに、その翌日は34名の皆さんと一緒にちいクラツーリズムに参加し、釧路湿原、鶴居村のBrasserie Knotさんや摩周湖、硫黄山を巡りました(10/22)。
摩周湖において、以前妻に組んでもらったブレスレットを間違えて湖に向けて飛ばしてしまいました。しかも妻の目の前で。
それもアイヌのカムイにささげたとあきらめようと思います。



これらの旅によって、地方にこそ可能性があり、妻になぜ私が地方を訪問するのか、という理由を納得してもらえたのではないかと思います。

私たちはその後もう一泊し、先に帰京した妻を釧路フィッシャーマンズワーフのバス停から送ったのですが、妻はその後東京にもどって体調が悪くなり、その夜遅くに帰京した私が、翌日妻を病院に連れて行ったところ、妻のインフルエンザが発覚しました。
最終日のホテルで少し風邪っぽい症状を訴えていたのですが、イベントのどこかでインフルエンザに罹ってしまったようです。
妻はその前に訪れていた沖縄も素晴らしかったらしく、タカラヅカの代表の疲弊が少しは取り戻せたのならよいですが。

せわしない毎日の中で、こうした時間がともに持てたことはよかったです。

§  妻と長女とのお出かけ 妻と長女と出かけたのは、上の年表で緑地に太字にしているイベントです。今月は妻と長女との三人で出かける機会は五回ありました。

今月、うちの野乃花に腫瘍ができていることが発覚し、妻と長女で東京農工大に診察に行きました。私もちょうど、田無に行く用事があったので北府中まで運転していきました(10/5)。

また、他の二日は近所へのお買い物や夕食を食べに三人で行動しました(10/6)(10/11)。

ある日は私の服をいくつか見繕ってもらいに三人で近所のユニクロに(10/15)。

月末には家の近所にある「山 焚き火フィールドカフェ」へ三人で訪れ、人のあまりいない贅沢な時間を過ごしました(10/29)。

経営上の問題で二人には苦労を掛けていますが、なんとかこの苦境を乗り切りたいと思います。

§  妻と次女とのお出かけ  妻と次女と出かけたのは、上の年表で緑地に太字にしているイベントです。今月は妻と次女との三人で出かける機会は一回もありました。

次女は昨年末で就職したお店を辞め、今はアルバイトで飲食の仕事を続けています。
ところが、そこも辞め、別の場所で働いています。

私が次女の勤める職場を訪れたのは(10/9)のこと。
楽しそうに生き生きと仕事をしている姿に安心しました。


その後、その数日前に二十歳の誕生日を迎えた次女の誕生日祝いをしようと、神楽坂で再集合しました。私も次女の勤める店から神楽坂へと移動し、妻と合流。次いで仕事を上がった次女とも合流。
開店したばかりの「欧州航路」というお店で買い物をした後は、「金谷ホテルベーカリー 神楽坂店」「Toki Cafe」へ移動。
さらに「World Wine Bar by Pieroth」でお酒が飲めるようになった次女と各種のワインをいろいろと飲み比べました。おいしかった。

お店からはソムリエナイフをプレゼントしていただきました。

§  娘たちとのお出かけ  娘たちと出かけたのは、上の年表で青地に太字にしているイベントです。

長女は4/1付けで雇用しました。
すでに2月から引継ぎもかねて打ち合わせにも同席してもらっていましたし、内部の定例会議にも出てもらっています。


11月からあるお客様の内部で総務の業務請負をすることになり、次女もつれて御茶ノ水のお客様に伺いました(10/26)。
その後、二人で日本橋のサイボウズ本社まで歩きました。サイボウズさんではパートナーとしての打ち合わせに長女も同席させ、その後はご担当者の方にサイボウズの社内を見学させてもらいました。
長女にとってはサイボウズ社自体が初めて。私も執務室を見せてもらうなど、貴重な体験ができました。

次女は、上に書いた通り、職場を見に行きました(10/9)。
彼氏も月末に韓国から来日したそうなので、楽しくやっているようです。

昨年末をもって私の中では子育ては終わったと思っています。娘たちにはそれぞれを一人の大人として対し、手助けができるところは私から手を差し伸べていこうと思います。

●私自身の十月(交友関係)

§  関西の交流関係 今月は関西とのご縁はあまりありませんでした。

ただ、月末に登壇したトヨクモNightのスライドで、トヨクモさんにいる同じ高校の後輩に敬意を称して、
スライドの内容を阪神タイガース(もっというと岡田監督)にフィーチャーしてみました(10/26)。

§  今月の交流 今月は、仕事に絡んだイベントが多かったので、飲みも含めた交流は比較的多めでした。

名刺を交換しないでもよい、個人的な交流はほぼなかったのですが、仕事上でお付き合いする方々とは本当に多くの方とお会いしました。
交換した名刺だけでも80枚。もちろん既知の方とも大勢とお会いしたので、200人ほどはお会いしたかもしれません。














鶴ヶ島で、富士吉田で、帯広で、釧路で、さらに品川で、目黒で。
本当に楽しかったです。

今月も皆様ありがとうございました。

●私自身の十月(文化活動)

§  今月のブログ 読んだ本のレビューを記す読ん読ブログの執筆は、書く時間がありませんでした。
レビュー執筆は、私の中では大切なライフワークとして位置付けています。ですが、今は書くための時間がありません。読んでからレビューをアップするまでの時間も二年を超えてしまいました。
今、私のプライベートの時間がほぼなくなってしまっています。仕事をからめた交流があるので精神的には困っていませんが、一人の時間がないことは見直さなければと考えています。
レビューをアップする冊数と本を読んだ冊数は、私にとってワークライフバランスのバロメーターです。ワークに偏っている今の状況を早く取り戻さねば、とかなりの危機感を持っています。

以前に連載していたCarry Meさんが運用する本音採用サイトの「アクアビット 航海記」の続きを弊社サイトにアップする作業ですが、今月はアップできませんでした。

今月、書いた本のレビューは0本()。
今月、書いた観劇のレビューは0本()。
今月、書いた映画のレビューは1本()。
今月、書いた抱負は0本() 。
今月、書いた旅日記は0本() 。
今月、書いた「物申す」は0本() 。
今月、書いた弊社の活動ブログは7本(
kintone Café 埼玉 Vol.6に運営・参加しました
よっちゃばれっkintone無尽! Vol.1に運営・参加しました
kintone Café 帯広 Vol.3に登壇・参加しました
スナックジョイゾー&輝け!!第4回地域クラウド交流会全国グランプリ in 釧路前夜祭に参加してきました
輝け!!第4回地域クラウド交流会全国グランプリ in 釧路に参加してきました
SORACOM UG Explorer 2023にLT登壇しました
雲の上Talking~トヨクモNightに登壇・参加しました
)。
今月、書いた弊社の技術ブログは0本()。

なお、昨年のはじめから毎営業日にnoteに書き始めた記事ですが、今月は以下の内容をアップしました。

9月28日 9月28日 所有の実感とリアルの仕事
9月29日 9月29日 神宮外苑の再開発への私見
10月2日 10月2日 下期に向け、率直に変化を。
10月3日 10月3日 ぉ客様への姿勢を考える。
10月4日 10月4日 生成AIをより活用すること
10月5日 10月5日 生成AIと若手の対等に対し
10月6日 10月6日 accessからkintone移行
10月10日 10月10日 iPadでも経営は可能。
10月12日 10月12日 大規模システムの難しさ
10月13日 10月13日 Cybozu Daysも間近に
10月16日 10月16日 地方でイベントを立上げ
10月17日 10月17日 CybozuDaysまで後少し
10月18日 10月18日 北海道で得るべき成果は
10月19日 10月19日 伴走開発は聴く事が大切
10月20日 10月20日 個人と経営者の動の違い
10月23日 10月23日 地方に目を向ける理由は
10月24日 10月24日 釧路で感じた集まる力と
10月25日 10月25日 ChatGPTの深さを知る
10月26日 10月26日 リアルで会うことの意味
10月27日 10月27日 会社の象徴としての場所

§  今月の読書 今月は8冊の本を読みました。内訳は、純文学三冊、ミステリ一冊、ルポ一冊、エッセイ一冊、伝記一冊、啓蒙書一冊。

今月も本を読む時間が取れていません。が、無理やり本は読むようにしています。ところが読んでもそれをアウトプットできていないのは上に書いた通りです。
形式的にアウトプットするのなら、ChatGPTに頼るのもありですが、それは自分にとって衰退への道だと思っています。

私が一昨年の年始に掲げた目標の一つは本を出版することですが、まったくそれが進んでいません。
仕事にかまけてしまっています。このことにもとても強い危機感を抱いています。このまま何も生み出さずに老いてしまうのでは、と。


§  今月の映画 今月の映画鑑賞は0本です。

なお、今年の大河ドラマ「どうする家康」も先々々々々月に入ってからほとんど見られていません。録画も溜まってしまっています。とにかく見る暇がないのです。
月末になって妻に呪術廻戦の映画を見させられました。また2章の最初の1話も。声優さんのイベントがあるので、私に少しでもなじませようというのでしょう。


§  今月の舞台 舞台については、今月は見ていません。

宝塚歌劇が生徒の自殺によって大揺れに揺れています。
私にも言いたいことはたくさんありますが、自分に余裕がないことと、そういう尻馬に乗ってドヤ顔しながら言論を振るうのはよそうと自重しています。
また、私が何も言わなくとも、代表制度についてはゆくゆく大きなメスが入るでしょうから静観しておきます。



§  今月の音楽 コロナが始まってから’70’sから活躍したアーチストの全曲を聞く活動を続けています。今月はEARTH , WIND & FIREの全アルバムを順に聴いています。ようやく最新アルバムまで聞き終えました。

釧路の地域クラウド交流会全国グランプリで聞いた地元の昭和小学校金管バンドの演奏はお見事でした(10/21)。
中学生並みの演奏であると感服しました。
なお、その場では地元の釧路鳥取傘踊りの演舞も披露され、日々に疲れた私に癒やしを与えてくれました(10/21)。

今月もまた音楽の才能に恵まれた方が天に召されました。
アリスやソロ活動で知られる谷村新司さんです。また「ダンシング・オールナイト」のヒットでしられるもんたよしのりさんや、Buck-Tickのボーカルとして私の年代には刺さる櫻井さんなど。
こういう方々の訃報からは、自分もまた年を取ったとったという単純な事実が思い起こされます。

そういえば、妻と訪れたニューオータニのラウンジにはおそらく世界で数台という貴重なピアノが置いてありました。
ピアノの弾き語りにあわせていただくおいしいスイーツや飲み物は、今月の思い出の一つです。

あとは今月は久々にカラオケを歌いました(10/19)。
帯広のTOKIOさんで六人で。昭和歌謡大すきで知られる札幌の斉藤栄さんとご一緒できたのがよかった。そういえばこちらには帯広の松山千春とでも呼べる人物もいらっしゃいました。


§  今月の美術 今月は、特に美術に関するトピックはありません。

とはいえ、富士山駅に設置されたQ-STAの屋上の富士山展望デッキから見た富士山は十分に美術でした。
また、北海道の大自然から見た景色はどれも美術を求める心を満たしてくれるものでした。


§  今月のスポーツ 今月は、スポーツをする余裕がありませんでした。
ラグビーのワールドカップもところどころの試合は見ましたし、日本シリーズも二試合ともダイジェストで見ました。

運動はしなければと真剣に考えているのですが、なかなかその時間がありません。


§  今月の滝 今月はどこも滝を訪れられませんでした。


§  今月の駅鉄 今月は一駅を訪れました。「川俣駅(10/14)」

川俣駅は、東武伊勢崎線にあり、かつて起こった川俣事件の記念碑が近くにあるような、群馬の地方駅です。
妻を連れて甲府から館林に向かった際、妻を下ろした後、一人でふらふらとこの辺りを訪れた際に立ち寄りました。
駅に隣接して駅前プラザ「メイちゃん家」があり、ここで明和町のマンホールカードをもらったら、そこでお店番をされておられるかたが話し好きで、マンホールカードやこの辺りの産業などいろいろと伺いました。
これも旅の思い出です。

あとは北海道も帯広から釧路までをおおぞらで乗り通りましたし、
硫黄山付近の釧網本線の線路も乗り鉄の心をくすぐりました。


§  今月の酒楽 今月は飲む機会がかなりありました。十四回、9日です。

まず、妻と赤坂から紀尾井町、そして四谷へと歩いた際、最後に立ち寄ったPIZZA SALVATORE CUOMOでは妻に飲ませました。私はノンアルコールカクテルを(10/7)。
その翌日のkintone Café 埼玉では餃子を焼いて食べながらのユニークな会になりましたが、ビールなどをいただきました(10/8)。


さらにその翌日は次女の勤務先を訪問した後、妻と次女と三人で神楽坂散策。最後に訪れた「World Wine Bar by Pieroth」でおいしいワインをたくさん飲み比べさせてもらいました。

また、よっちゃばれっkintone無尽 Vol.1の懇親会では富士吉田でも風情のある古民家リノベーションの居酒屋「魁 本店」で。こちらは、ノンスタイルのお店だけあり、日本酒も各地の銘酒がそろっていました。結構いただいてしまいました(10/13)。

また、kintone Café 帯広の懇親会では「まさゆめ 駅前店」で。二次会のTOKIOでもうまいお酒が飲めました。三次会の「なごみ白木屋 帯広広小路店」でも。楽しい酒でした(10/19-20)。

その翌日も釧路で地域クラウド交流会全国グランプリの前夜祭で「浜番屋」で(10/20)。


また、地域クラウド交流会全国グランプリの会場のマルシェでは私に日本酒と山椒のマリアージュを教えてくださった佐藤さんがブースを出しており、一杯だけ変わり種日本酒をいただきました。リンゴ入りということでおいしくいただきました。
また、その夜の懇親会でもお酒はいただきましたが、三次会で訪れた「Whisky Bar 高森」さんでは厚岸の2023年出荷をいただきました。やはりおいしかった!

また、その翌日に34人で向かったバスツアーの途中では鶴居村の「Brasserie Knot」にお邪魔しまして。4種類をいただき、TOKIBIを買って帰りました。
以前のCLS道東の会場でいただいたYAMASACHIがとにかくおいしくて、それが飲めればよかったのですが季節外れでした。

その夜は釧路市内の「くろ〇」にて妻と軽く。

東京に戻った後、大樹町でお世話になった社長と三人で品川でのおいしいお酒をいただきました。「じぶんどき」「Grill & Bar AW55」の二軒で。

また、その翌日にはトヨクモNightにてビールをいただきました。

ただ、体力的にはあまり調子が良くなかったので、ほとんどのお店で二、三杯しか飲んでいません。飲んだとすれば「魁 本店」「まさゆめ」「World Wine Bar by Pieroth」「じぶんどき」ぐらいでしょうか。
ただ、どの酒もおいしかったことだけは書いておきます。


§  今月の旅行 今月は、旅はある程度したと思っています。


上に書いた以外にも田無に商談で訪問する際、妻子と北府中まで一緒だったのですが、田無に向かうにあたり、武蔵野線と西武新宿線の交点に駅がなかったため、西国分寺と国分寺と萩山で乗り換え、なかなか珍しいルートで田無へと向かいました(10/5)。
その帰りも府中のサテライトオフィスに立ち寄ったので、国分寺から京王バスで府中に向かう変則ルートをとりました。これもまた旅。


赤坂からニューオータニ、そして真田濠堤から四谷のしんみち通りについては上に書いたので割愛します(10/7)。

神楽坂に至るルートもかなり歩きましたが割愛します(10/9)。


あと、お客様先の拠点で立ち合い作業した後、帰りにいずみ中央駅まで歩いたのですが、この時に泉親衡の屋敷跡があったとされる泉中央公園、長福寺、須賀神社を立ち寄りました(10/11)。
この辺りはまだよくしらなかったので、偶然とはいえ、旅をした気分を味わえました。


また、よっちゃばれっkintone無尽の会場である富士山駅に向かう途中は、生まれて初めて富士急行に乗りました。のんびりとした確定の旅は確実に旅情を高めてくれました、
また、富士山駅ホームからの富士山もよかったですし、富士山展望デッキからの富士山の美しさには言葉を失いました。


その翌日に妻と甲府から館林に向かった道中はともかく、舘林に着いた後に訪れた川俣駅や館林城の周辺、そして館林駅の駅前の様子なども旅の気分に浸れました。
館林は何度か通うことになりそうなので、あと何度か来た際に、行きたい場所を巡ろうと思います。田中正造記念館や日清製粉や正田記念館、つつじが丘公園、茂林寺やカルピスミュージアムなど。
妻と立ち寄った「民ちゃん」も庶民的な店構えでしたが、料理がとてもおいしかった。

さて、今月は北海道旅行を欠かすわけにはいきません。
10/18-10/23までの5泊6日の旅でしたが、全ての日に仕事が入っており、34人で訪れたちいクラツーリズムだけが唯一仕事っぽくない一日だったぐらいです。



帯広に羽田に向かうまでの道中も取っておいた便に間に合いそうになかったので自宅からGOを使い、車内でその後の手配をすべて連続で行い、町田から横浜、さらにYCATから羽田空港まで乗り継ぎ、なんとか保安検査を締め切り10分前にギリギリ間に合わせました。
帯広空港に着いた後は早速お客様がお迎えに来ていただき、晩成温泉についてからも打ち合わせその他をこなしました(10/18)。
翌日も晩成温泉にてオンライン打ち合わせやリアル打ち合わせを行いました。そして中札内村の別拠点ではkintoneの説明から行い、さらに実装内容の打ち合わせも。
その夜はお客様も一緒にお連れしてkintone Café 帯広に参加・登壇した後、皆さんと懇親会。その後二次会、三次会もkintone界隈の要人たちと。いやあ楽しく歌って飲めました。


その翌日は帯広はあいにくの雨だったので、ホテルでオンライン会議をこなし、北海道ホテルの見事な内装を記憶に刻み付けた後は、タクシーで帯広駅へ。
帯広駅では列車の発車前のわずかな時間を利用して豚丼をいただきました。そして、釧路に移動した後は946BANYAに直行して作業をさせていただき、妻も合流した後で会場となる「炉ばた 浜番屋」へ。楽しかったのは上にも書いた通りです。


翌日は朝からちいクラ全国グランプリに夜まで参加。夜も懇親会が楽しかったのは書いた通りです。
また少し行けていなかったモシリヤチャシ跡を訪れてみましたが、そもそも登るための入り口が夜で見当たらなかったのは残念です。
でもWhisky Bar 高森さんは念願だったこともあって、旅人としてその地でBar巡りをする幸せに浸れました。マスターと釧路という町や北海道のクラフト酒事情などを話ながらふける夜がとても心地よかった。

そして翌日のツーリズムです。まず釧路湿原はいつも釧網本線側からしか見ていなかったのですが、今回は温根内ビジターセンターとその先の木道を存分にあるき、壮大な釧路湿原の空気を堪能しました。
何よりも妻をここに連れてきてやれたのが一番喜ばしいことでした。まだ尾瀬にも連れて行ってやれていなかったので。
私のテンションはここでマックスに達しました。


でも、続いて連れていっていただいた「Brasserie Knot」の醸造所も、まさに行きたかった場所だったので、試飲も含めてとても満足しました。ここはまた来たい場所です。


さらに34人を乗せた場所は摩周湖へ。この日の摩周湖は見事に晴れ渡っており、反対側の雄阿寒岳や摩周岳の向こうに見える斜里岳の眺望も見事であり、
まさに道東のダイナミズムを視覚ではっきりと刻み付けることができました。


その後に立ち寄った硫黄山は、私はおそらく友人と二人で訪れて以来のはず。20年前に妻と長女とこの辺りに来た際はよらなかったはずなので。
箱根の大涌谷が多くの場所が立ち入り禁止になってしまった今、ここまで目の前でボコボコと沸騰する硫黄泉や硫黄のこんもり積もった様子を見られるここは貴重です。

バスの中でも皆さんの自己紹介が聞けたり、ガイドさんの道東知識がとても参考になったりと、素晴らしいバス旅を楽しめました。

釧路に戻った後、私と妻はホテルを移動する必要があったので、地元の居酒屋へ。


翌朝は帰京する妻を送った後、私は複数の打ち合わせにオンラインで出席しました。くしろフィスさんをお借りして。そこでお会いしたオーガナイザーの山形さんから教わった地元の名店弁慶にうかがい、カツスパをがっつりいただいたのも釧路を味わえたようでよかったです。
また、この一年半で四回も釧路を訪れているのに、幣舞橋から夕陽を落ちる様子を体験できていなかったので、秋晴れのこの日、しっかりと幣舞橋からの夕陽の落ちる様子を一部始終見収めました。そして私もバスに乗って空港へ。そして羽田へ。

上に書いた通り、妻がインフルエンザに罹ってしまったとはいえ、道東はやはり素晴らしいというしかありません。

今月、足跡を残した地は以下の通り。

東京都
 町田市、府中市、国分寺市、西東京市、港区、千代田区、新宿区、豊島区、中野区、中央区、品川区、大田区、目黒区
神奈川県
 横浜市旭区、大和市、横浜市泉区、川崎市麻生区
埼玉県
 鶴ヶ島市、川越市、狭山市
山梨県
 大月市、富士吉田市、甲府市
群馬県
 千代田町、明和町、館林市
北海道
 帯広市、大樹町、中札内村、釧路市、鶴居村、弟子屈町


§  今月のその他活動 人生も半分を過ぎ、一層焦りが募っています。少しでも日々に変化をつけようとする気持ちに衰えはありません。
今、心身が動くうちに仕事もプライベートも全力で。その考えには揺るぎがありません。

・公園は四カ所。「泉中央公園(10/11)」「淀橋さくら公園(10/12)」「館林花菖蒲園(10/14)」「釧路湿原温根内木道コース(10/22)」

・美術館はゼロカ所。
・駅は一駅。「川俣駅(10/14)」

・滝はゼロカ所。
・温泉は一カ所。「晩成温泉(10/18)(10/19)」
・山はゼロ山。
・酒蔵は一か所。「Brasserie Knot(10/22)」
・神社は二カ所。「大國魂神社 大鳥居(10/5)」「須賀神社(10/11)」

・寺は三寺。「豊川稲荷 東京別院(10/7)」「長福寺(10/11)」「宝仙寺(10/12)」
・教会はゼロカ所。
・史跡は四カ所。「真田濠堤(10/7)」「第一回全日本高等学校 レスリング選手権大会 開催の地(10/14)」「巨人軍栄光の初V 不屈のG魂誕生の地 分福球場(10/14)」「モシリヤチャシ跡(10/21)」

・博物館は一か所。「釧路湿原温根内ビジターセンター(10/22)」

・遺跡はゼロカ所。
・城は二城。「館林城(10/14)」「モシリヤチャシ跡(10/21)」

・灯台はゼロカ所。

・動物園はゼロか所。
・水族館はゼロか所。
・土木遺産はゼロか所。
・マンホールカードは一枚。「群馬県明和町(10/14)」

・ダムはゼロカ所。
・風景印はゼロ枚。
・御城印はゼロ枚。
・御宿印はゼロ枚。


私がまだ訪れていない場所の多さは無限です。やりたいこと、行きたい場所の多さにめまいがします。
今月も仕事にからめてですが、バラエティ豊かな移動ができました。この地球にはまだまだ無限に行くべき場所があります。
少しでもこうした場所を訪れてから死にたい。私の人生の残り時間のなかでどこまでの旅ができるか。


加齢によって日々、気力は減退していきます。人の明日はわかりません。人気俳優や女優も自死を選びます。私も不意の体調不良に襲われ、コロナに感染します。一昨年の秋にはハイキングのつもりが一晩の遭難と化し、人里のすぐそばで死ぬ可能性も体験しました。
いつかやろう、引退してからやろうという姿勢を根本的に見直さねばなりません。もう、未来の社会や環境がどうなっているかわからないからです。そこに老いつつある自らの衰えがかぶさってきます。
生きている今。今を生きているのですから、今、やるべきことをしなければ。後悔だけはしないように。
その姿勢のまま、仕事をこなしながらも、今のうちに時間の合間を見つけ、行けるところに行っておこうと思います。


死ねば全ては無に消えます。
私の経験をいくらブログにアップしても、膨大なデジタルの海の中に溶けて消えます。
それが分かっていても、自分に与えられた生を全力で全うしたいと思います。仕事もプライベートも全力で過ごそうと日々励んでいます。そのためにもこうして書き残しておこうと思います。


今は仕事に集中し、好きなことは引退後に。そんな悠長な考えが通用しないことをコロナウィルスは教えてくれました。人生はあっという間に終わってしまう。老いたときに平穏で好きなことができる世の中があるかどうかは誰にも保証されません。一方で、仕事の難しさや面白さも強く感じています。プライベートだけど充実させるのでもなく、仕事だけに人生を捧げるでもなく、その両立を目指す。だからこそ、今のうちから毎日を公私とも全力で生きる、という決意で日々を過ごしています。
コロナだからと閉じこもらず、一人でも旅を敢行したいと思います。
もちろん、一昨年の秋に遭難した経験は忘れてはなりません。命をなくしては元も子もないのは当たり前。ですが、何もせず命を枯らすよりはましです。
家族との縁も毎月、姿を変えています。仕事もいつかは引退を求められるでしょう。そうなった時にやることがない、とよく話に聞く老残にだけはなりたくないと思っています。



そう思い、訪れた場所で心の赴くままに俳句を詠んでいます。今月は俳句を18句。いずれもツイートまとめに載せています。


一方で、具体的に将来のこともそろそろ考えねばなりません。
法人のまとめに書いた通り、コロナに席巻された世の中ですが、弊社の売り上げはなんとか確保できています。
ただ、私個人としては投資もしておらず、賭け事もしていません。不労所得のタネも持っていません。
私が倒れた時、うちのメンバーが稼げるところまでは頑張らねば。

あらためて「私」を振り返ってみました。来月も自らの生に後悔のないような日々となることを信じて。


怒る富士 下


下巻では、富士の噴火によって人生を左右された人物のそれぞれの行動が描かれる。

上巻にも書いたように、膨大な富士からの噴出物は、駿東郡五十九カ村を亡所扱いにした。亡所とはその地域からの年貢が不可能となり、その地の農民には年貢の義務を課さない代わりに、庇護も与えない過酷な処置だ。
深刻な飢えの危機に直面した駿東郡五十九カ村の名主たちは、幕府への直訴に及ぶ。

そうした農民たちの思いに応えたのが、伊奈半左衛門忠順だ。間に立って名主たちの訴願を取り持つ。さらに、酒匂川の浚渫工事に農民たちを雇用し、生活が成り立つようにした。

だが、浚渫工事を江戸の組が請け負ったことで、浚渫工事は中途半端なものとなった。酒匂川の氾濫によって堤防が切れるたびに伊奈忠順は非難される。
駿東郡ではあちこちに伊奈忠順をたたえる伊奈神社が創建されているのに、足柄下郡あたりでは伊奈忠順の評判はあまりよろしくないらしい。

本書は、上下巻を通し、関東郡代である伊奈半左衛門忠順の生涯を軸に描いている。
だが、本書の構図を、硬直した幕府の官僚主義と伊奈忠順の対決の構図に限定すると物語が退屈になってしまう。
物語を広げるためには、実際に被害にあった農民たちの立場を描くことが欠かせない。彼らが富士の噴火によってどういう生涯を送ったかが重要になる。そこを描いておかないと物語が一面的になってしまうからだ。

本書には幕府の元で働く役人や奉行もたくさん登場する。が、農民たちも多く登場する。その一人はおことだ。

おことは、伊奈忠順とともに実直で有能な人物として描かれる。
伊奈忠順が民のために尽力したことの一つに、駿東郡五十九カ村の人々で希望する人々を駿河で働けるようにと紹介状を書いた。
その時、大勢の人を引率していったのがおこと。容姿に恵まれた上に、年上も含めた大勢を引率できるほどしっかりした女性だ。
おことは、噴火直後の混乱で引き離された佐太郎とつるのことも忘れずに気を配っている。
名主の跡取りであり、荒廃した土地を蘇らせようと奮闘する佐太郎。百姓の娘であるつる。二人は惹かれあっていたが、佐太郎の実家からは身分が違うとして避けられていた。

噴火の後、駿河に奉公に出たつるを追うように、皆を連れて駿河に落ち着いたおことは、その器量と能力を駿河町奉行の能勢権兵衛に見込まれる。

だが、おことの美貌は駿府代官に目をつけられる。駿府代官は、おことをわがものにしようと画策し、遊郭の女将も巻き込んで周到な罠をおことにかける。それを知らぬおことは、罠にはめられていってしまう。

伊奈忠順は、飢えて苦しむ駿東郡五十九カ村の民を救うため、駿河に蓄積されている備蓄米を放出させようと駿河町奉行の能勢権兵衛に依頼する。能勢権兵衛も心ある人物であり、放出にあたってのさまざまな手続きや職責を越えて伊奈忠順の依頼に応える。

おことの手引きによって、作太郎とつるは結ばれる。だが、おことは罠にかけられてしまう。近づいてきた恋人にそそのかされ、能勢権兵衛の元から持ち出した書類が世話になった人物を切腹に追い込んでしまう。自分のしたことが人々を裏切り、人の命を奪ったあげく、恋人にも良いように裏切られていたことを知ったおことは、遊郭に入れられて間も無く死を選ぶ。

「なにもかも、あの美しい顔をした、富士が仕組んだことなのだ。富士山の噴火さえなかったら、おそらく幸福な生涯を送ることができたのに。おことはその富士に手を合わせて別れを告げると、風月の物置きに入って首を吊った」(329ページ)

伊奈忠順も、さまざまな行いの詰め腹を取らされ、死を選ぶ。
後に残ったのは、民の事など顧みず、政略争いと面目を立てることに血道を上げる官僚たち。

「駿東郡五十九カ村はこの半左衛門一人が死んだことによって直ぐ救われるとは思われない。更に更に長い年月がかかるだろうが、決して、民、百姓を見棄ててはならぬ、また民、百姓から見棄てられてはならぬ」(318ページ)

これは、伊奈忠順が残した伝言の一つだ。
特に最後の民から見棄てられてはならぬ、という訓言が重要だ。

政治とは本来、富士山噴火のような未曽有の自然災害が発生した時にこそ、存在意義を発揮すべきだ。平時においては民間に任せておけば良い。
だが、民ではどうしようもないこのような自然災害の時にこそ、政治は真価が問われる。
ところが、本書に登場する幕閣の多くは、政治よりも勢力と派閥争いにうつつを抜かしてしまった。そればかりか、民のために奮闘しようとした心ある代官を陥れ、死に追いやった。

本書のタイトル「怒る富士」とは、そのような為政者の怠慢への怒りではなかったか。
今の政治が、同じような体たらくだとは思わない。だが、民のために奉仕する姿勢を忘れた時、富士山は再び噴火するだろう。
首都圏直下型地震よりも東南海地震よりも、今の文明を台無しにしようとする勢いで。

著者がかつて本書で描いて警句とは、三百年以上の歳月をへてもなお、有効であり続ける。

2020/10/3-2020/10/5


怒る富士 上


わが国でも第一の霊峰富士。その姿はまさに日本のランドマークにふさわしい。
だが、富士は古くから常にあのような白く秀麗な姿であり続けたわけではない。
富士もまれに怒る。噴火という形で。

最後に噴火してから三百年、富士山は鳴りを潜めている。
前回の噴火は江戸時代。その時の噴火を指して宝永の大噴火と呼ぶ。

本書はその宝永の大噴火によって人生を左右された人々と、なんとかして復興しようと努力した伊奈忠順の努力を描いている。

富士山の噴火による直接の火砕流や噴石などの被害が集中したのは、富士山に近い地域だった。甚大な被害を受けたのは、今の御殿場市や裾野市や小山町、さらに山北町、松田町、開成町から小田原に至る酒匂川沿いの町々だ。

当時のわが国はまだ鎖国の最中であり、今のように情報機器など皆無だった。
そのため、江戸の市中に数センチの火山灰が積もった程度であり、都市機能に影響はなかった。ましてや徳川幕府の政事に深刻な影響が生じることもなかった。
そのため、当時の江戸で書かれた文章からは噴火による被害の深刻さは伺えない。噴火が本当に深刻だったのは上に挙げた地域だった。それなのに、その悲惨な実情は無味乾燥な記録にしか残されていない。その被害をきちんと描こうとしたことに本書の価値がある。

本書では火山弾が人を襲う様や、火山灰や噴石が人の生活を奪う様が描かれる。凄まじい量の富士からの噴出物は、田畑を埋め、人々の生活の基盤を覆い、前途を暗闇で塗りつぶした。
江戸時代の農民は、農地から生まれる作物がなくては生活が成り立たない。だが、膨大な噴火物は容易には取り除ける量ではない。田畑を覆った堆積物を取り除がなければ復興はない。土木機械のない当時、何十年もの間も田畑は噴火物に覆われていた。史実では同地域の収穫量がもとに戻るまでに九〇年ほどを要したという。

農地を捨て、別の職についた人。売られていく娘。職の種類が少なく、人々に選択肢がわずかしかなかった時代だ。そうした人々が噴火の悲劇に遭遇すればどうなるか。
著者は、そうした人々の悲しみを描く。
そして、悲嘆に暮れる農民を相手にひとごとのような態度で接する人。政争の道具に利用しようとする人。今も江戸時代も人の本質はそう変わらない。
当時の世を収めていたのは徳川幕府。だが、その内実は派閥の間で勢力争いに明け暮れ、出世を争うか事なかれ主義が横行していた。
戦国の世から早くも百年。天下泰平が続けば政治には官僚主義がはびこる。宝永の大噴火が起こったのは五代将軍綱吉の時代。言うまでもなく、生類憐れみの令で悪名高い将軍だ。戦国の余韻が残っていた頃に比べ、徳川幕府にも緩みが見られ始めた頃だ。本書が描いているのは政治の怠慢だ。

本来ならば、このような時のために政治は機能しなければならない。だが、責任のなすりつけあいに終始した幕府は庶民を全く見ない。地元の小田原藩ですら、復興を諦めて幕府に藩領を返上したぐらいだ。

そんな中、庶民のために立ち上がったのが関東郡代の伊奈忠順。
伊奈忠順は苦境に喘ぐ庶民を見過ごさず、元の暮らしに戻れるようにするため奮闘する。暮らし向きを上げるために奔走し、復興工事に向けて働きかける。その工事には田畑を失った人々を雇い入れる。可能な限り農民の側に立とうとした。

今の世の中は当時とは比べ物にならないぐらい進化を遂げた。進化の立役者となったのは情報機器だ。ただ、そうした情報機器は噴火に対してとても脆弱だ。情報機器に頼った便利さは、皮肉なことに、世の中を江戸時代よりも脆弱に変えてしまった。

情報業界にいる身として、私は富士山の噴火は東南海地震や首都圏直下型地震にもましてリスクだと感じている。それは、経営者になった今、なおさら強く感じる。
情報機器が火山灰で使えなくなった時、いかにすれば経営が持続できるのか。それは経営者が抱くべき危機感だ。

だが、それ以上に本書を読んで感じたのは、政治がどこまで私たちを守ってくれるのか、と言う切実な思いだ。
経営が成り立たなくなる自然災害の中、自分の身は自分で守らなければ。

私は本稿を書く一カ月半前に宇都宮一週間ほど滞在した。
その背景には、ワーケーションがしたいという私の希望もあった。が、一番の目的は、富士山噴火時に仕事が出来る場所を探すことだ。火山灰に襲われることが確実な多摩地区に仕事場を置くことのリスク。そのリスクがあったからこそ、私は富士山の噴火時にあまり影響がなさそうな宇都宮で仕事の拠点を移せないか試した。仕事をし、暮らせるかを含めて滞在を試してみた。

さすがに江戸時代と今では違う。東京にも直接の被害は及ぶだろう。都心でも情報機器は不具合を起こすに違いない。
情報が即座に拡散される今、本書に書かれるような批判を浴びるような政治は行われないだろう。政権の批判につながってしまう。

とはいえ、経営者としてできることはしておかないと。
伊奈忠順のような人が活躍してくれるかどうかは誰にもわからないのだから。

2020/10/3-2020/10/3


2022年1月のまとめ(個人)


公私の「私」

●家族とのふれあい

§  総括 昨年の反省を生かし、今年から心機一転をはかることにしました。

ところが、オミクロン株が未曽有の感染を引き起こしています。
実際にコロナに感染した身としては、コロナの症状を過少に考えるつもりはありません。ただ、過剰に恐れるのもどうかと思います。

一昨年の九月に読んだ「死」についての分厚い本の内容を脳内で反芻しつつ、生きる意味を問い続ける毎日です。人生は有限であり、残された時間もあとわずかであることを感じながら。
昨年の下半期は、特にそれを感じました。生まれた地を訪問したこと。夜に死を恐怖したこと。コロナに感染したこと。山で遭難しかけたこと。仕事での成功と失敗。

今月は次女の家探しもしました。卒業制作展も終わっていよいよ我が家から巣立ちます。今まで二十年近く家族の形が固定されていましたが、少しずつその状況に変化が生じています。

私は仕事以外にもやりたいことをたくさん持っています。自分に残された時間の中で、それらがどれぐらいできるのだろうと考える日々です。やりたいことの何万分の一も出来ずに死んでいくのか、と恐れています。
娘の成長は月日の経過の表れです。限られた人生の中で家族との時間を大切にしたいと思っています。

今月は家族とは六回お出かけしました。妻とはゼロ回、妻と長女とはゼロ回、妻と次女とは一回、長女とはゼロ回、次女とは三回。

§  月表

・一月お出かけ

春日神社、鶴川郵便局、安全寺、多摩水道橋、アリオ橋本、天馬 カレーパン アリオ橋本店、NOODLE BOWL MAZE、喜界、平塚PA、伊東祐親の墓、城ヶ崎海岸駅、紅龍、伊豆高原駅、対島の滝、大淀・小淀、おたつ浜、橋立吊橋、大室山登山リフト、大室山山頂、五智如来地蔵尊、大室山 浅間神社、麺処うたり、スシローぐりーんうぉーく多摩ニトリ肉のハナマサ 鶴川店業務スーパー 鶴川店業務スーパー 町田南大谷店、横濱家系ラーメン 大岡家、松屋 鶴川店、ぼんくら、QBハウス、博多家系ラーメン 松本家、JINS、町田市立中央図書館、天下一品、蕎麦いまゐ青山通り不動産六人衆 青山店Royal Garden Cafe渋谷スクランブルスクエアコナズ珈琲、セブンイレブン 町田木曽東4丁目店、きらぼし銀行 町田木曽支店、麺処 八木屋、Bar Ley、啓文堂書店、コーチャンフォー 若葉台店、ドトールコーヒーショップ、ギョウザの萬金相鉄ローゼン 薬師台店、World Spicy’s プルワリ、狛江弁財天池緑地保全地区、星川製麺 彩、Odakyu OX 鶴川店、久米川古戦場跡、都立八国山緑地、将軍塚、白旗塚、誓詞橋、小手指ヶ原古戦場、狭山市市民交流センター、狭山市立博物館、セブンイレブン 入間扇町屋4丁目店、apo
llostation ポプラ八王子SS、町田調理師専門学校びっくりドンキー、さるびあ図書館

・一月ツイート
https://togetter.com/li/1838709

§  家族とのお出かけ 家族で出かけたのは、上の年表で黄地に太字にしているイベントです。家族で出かけたのは、今月は六回です。

まず元旦は、長女が近所の神社で巫女さんのアルバイトだったので、妻と次女とで参拝ついでに長女の姿を見に行きました(1/1)。
その日の夕方は実家の両親とZoomをつないで年始の挨拶ができました。

ついで、家族がArio橋本で買い物に行った後、そこで外食をするというので、私は狛江のサテライトオフィスから小田急と慶応を乗り継いで合流しました(1/5)。天馬のカレーを頂きました。

また別の日にはぐりーんうぉーく多摩へ(1/10)。スシローで回転すしを食べた後、次女の一人暮らしの準備の一環でニトリにも行きました。夜は次女の卒業制作展の食材を買うために肉のハナマサで買い物をしました。


Kona’s Coffeeに行ったのも家族ででした。妻が食べたいと希望したためです(1/16)。
妻が餃子が食べたいというので訪れたのはギョウザの萬金です(1/23)。


月末には次女の学校の卒業制作展があり、家族で訪問してきました(1/30)。
そこで次女の野菜彫刻が中国料理のコンテストで一位をとりました。
また、次女のチームが作り上げた中国料理コースも中国料理部門で一位をとりました。
今まで何かのコンテストや大会で一位をとったのは長女だけであり、次女は一度もそういう経験がないままでした。
ついに高校を卒業し、社会に出る直前で一位に選ばれる経験をしてくれたのはとても喜ばしいことでした。本人の人生にとって自信になる出来事になるはずです。

§  妻とのお出かけ 妻と出かけたのは、上の年表で桃地に太字にしているイベントです。今月は妻と二人でどこにも出かけませんでした。

お互いが時間が合わなかったのと、家族で出かけたので。
こういう月もあります。これもまた人生です。

§  妻と長女とのお出かけ 妻と長女と出かけたのは、上の年表で緑地に太字にしているイベントです。今月は妻と長女との三人で出かける機会はありませんでした。

また長女との関係が少し悪化しています。あーあ、という感じです。理由は分かっています。年頃だからということでしょうね。
もうトキグスリに任せるしかないでしょうね。
人生には山も谷もあるのです。


§  妻と次女とのお出かけ  妻と次女と出かけたのは、上の年表で緑地に太字にしているイベントです。今月は妻と次女の三人で出かける機会は一回ありました。

次女の就職先は青山の慈華さんです。ここに町田から通うのは営業時間の関係で不可能なので、その近所に住むしかありません。
その家探しに行きました(1/15)。

青山通り不動産さんへ突然訪問し、その場で二軒の内覧もお願いしました。
私自身も住居の内覧を経験するのは上京したての頃以来、約二十数年ぶりでした。
いよいよ次女も家を出るのか、と思うと感慨深いものがあります。

§  娘たちとのお出かけ  娘たちと出かけたのは、上の年表で青地に太字にしているイベントです。


次女とは卒業制作展に使用する食材探しで三回ほど一緒に買い物しました。
卒業制作展も見事な内容でした。その中にはコンテストで一位をとった野菜彫刻も使われていました。

コロナに人生を乱され、気の毒とは思いますが、そこで何をするかで人生は変わってきます。
不満だらけの日々だったと思いますが、そこで歯を食いしばって一位をとってくれたことは、親としてもとてもうれしい。

20才そこそこの私はあまり褒められた時間を過ごしていなかったので、娘たちにあまり大きなことはいえません。ただ、娘たちのそれぞれの頑張りを後ろから支えてあげられる親でありたいと思っています。と言いながら、先月と今月は家計の点で苦労を掛けてしまったのが申し訳ない。
これからも家族の時間が持てることを望みつつ。

●私自身の一月(交友関係)

§  関西の交流関係 今月は年賀状やSNSのやりとりだけで、あまり交流はしていません。
ただ、久々にやり取りをすると懐かしく思います。
昨年から年賀状はこちらから出すのをやめ、いただいた年賀状を返しているのですが、送った年賀状に名乗りを入れるのを忘れてしまいました。
私からだとの年賀状だと察してくださればうれしいのですが。

実家の両親とは元旦にzoomに会えました。今年もオミクロンがまん延していて、孫に合わせてあげられることはなさそうです。
そういえば私がはたママプロスポーツのインタビューに登場した翌日、今度は私の弟が翻訳者養成学校のウェブサイトに登場しました。

§  今月の交流 オミクロン株のまん延ににょって、予定されていた飲み会が中止になってしまいました。
今月は仕事でさえ、リアルの商談は三回だけでした。
プライベートでも人に会うどころではなく、ほぼ仕事ばかりの毎日でした。

もっとも、今年はメリハリを付けようと思っていたので、仕事に専念できました。

●私自身の一月(文化活動)

§  今月のブログ 読んだ本のレビューを記す読ん読ブログの執筆は、主に2020年に読んだ7冊分となりました。
レビュー執筆は、私の中では大切なライフワークとして位置付けています。ですが、このところ、書く時間があまり取れていません。読んでから原稿をアップするまでの時間も一年六カ月以上がたっています。
はやくおくれを取り戻したいと危機感を持っています。質を落とさずにこの期間を縮めたい。それが去年に引き続いての課題です。書く行為への熱意は衰えていませんので、引き続き続けたいです。

以前に連載していたCarry Meさんの運用する本音採用サイトの「アクアビット 航海記」を弊社サイトにアップする作業ですが、今月は1本アップしました。
(「アクアビット航海記 vol.39〜航海記 その24」)
家の処分に向けて動き始めたことや、初めて自分で契約文書を作ったことなどを振り返っています。

今月、書いた本のレビューは14本(
ウルフ・ホール 上
ウルフ・ホール 下
神去なあなあ日常
憂鬱な10か月
日本でいちばん大切にしたい会社 7
ベルカ、吠えないのか?
不思議な数列フィボナッチの秘密
タイガーズ・ワイフ
日本でいちばん大切にしたい会社
日本でいちばん大切にしたい会社 2
明日をどこまで計算できるか? 「予測する科学」の歴史と可能性
波形の声
夜更けのエントロピー
幻のオリンピック 戦争とアスリートの知られざる闘い

今月、書いた抱負は1本(
2022年の抱負
) 。
今月、書いた旅日記は0本() 。
今月、書いた物申すは0本() 。
今月、書いた弊社の活動ブログは0本()。
今月、書いた弊社の技術ブログは0本()。

§  今月の読書 今月は11冊の本を読みました。内訳は、ビジネス本二冊、ミステリー六冊、純文学二冊、伝記一冊。

今月は公私のメリハリをつけるようにしているのですが、仕事に疲れたら読書、というようにしています。そのため、少し読書の傾向がエンタメに寄っています。

私が昨年の年始に掲げた目標の一つは本を出版することですが、一昨年の11月に一緒に飲んだ方がそうした伝や知識を持っている方であり、必ず本を出版するとの思いは増すばかりです。
今年は、その準備も進めています。


§  今月の映画 今月の映画鑑賞は0本です。
ですが、Amazon Primeで正月に燃えよドラゴンを見ました。実は私、これをきちんと見るのは初めてだったのです。
あと、今年は大河ドラマ『鎌倉殿の13人』を全て見ようと決意しています。遊びの回数を減らし、メリハリをつけるために。ケーブルテレビの録画機能を駆使すれば大丈夫のはず。


§  今月の舞台 舞台については、今月は0本です。
タカラヅカを創設したことで知られる小林一三氏の伝記を読みました。小林一三氏の経歴を知ると、タカラヅカの創設が氏の芸術家としての思いの発露の場所だったことがよくわかります。

§  今月の音楽 今月も生演奏を聴く機会がありませんでした。
コロナが始まってから、70年代の洋楽を聴きまくっています。今月は先月に続いてElton Johnの全アルバムから、Barbra Streisandのアルバムを順に聴いていっています。ほとんど初めて聞くアルバムばかりですが、『Stoney End』は名作だと思いました。


§  今月の美術 今月は特に美術に触れていません。が、次女の卒業作品展では見事な絵心にあふれた料理を楽しみました(1/30)。

§  今月のスポーツ 今月はほぼスポーツを見ていませんし、やってもいません。一度だけ自転車で数キロ走りました。
ですが、仕事の合間に近所を走るようにはしています。
大室山のお鉢めぐりは1キロですが、ここを軽く歩いたのが思い出せるスポーツです。


§  今月の滝 今月は一カ所だけ滝を見に行きました。「対島の滝(1/9)」
対島の滝は海に直接流れ落ちています。この形の滝は、四半世紀前にオシンコシンの滝を船の上から見て以来です。滝巡りを趣味にするようになってから、海に落ちる滝を見るのは初めてです。
本来なら海上に顔をのぞかせる岩に苔が生えることはまずありません。ですが、この滝は常に淡水が落ちてくるため、海の上の岩に苔が生しているのです。滝の上から見る滝姿もよいですが、近くの大淀・小淀から真正面でみる対島の滝も良かったです。
伊豆半島の成り立ちは日本列島の中でも独特です。その地形のダイナミズムを感じられるのもこの滝の良さです。浄蓮の滝や河津七滝と並んで、伊豆半島で欠かせない滝として記憶にとどめておきたいと思いました。


§  今月の駅鉄  趣味の駅訪問は二駅です。「城ヶ崎海岸駅(1/9)」「伊豆高原駅(1/9)」

共に伊豆急行線の駅であり、中部の駅百選に選ばれています。
城ヶ崎海岸駅は今までにも来たかった駅でした。駅舎がログハウスになっていて、ホームに足湯があるというので。
私が訪れた時、足湯はコロナウィルス対策で中止されていました。が、ログハウスが健在だったのはよかったです。別荘地の雰囲気を濃厚にはなっていた駅前の光景も駅の個性として覚えておきたいと思います。

後者は20年ほど前に生まれたばかりの長女と妻と出来たことがあります。もちろんその時は駅のホームには入りませんでしたが。とても懐かしかったです。
ホームでもこの駅が運行上の結節点になっているらしく、車両の切り離しと連結が行われていました。サフィール踊り子号も何度も見ましたし、伊豆急行の本社があるこの駅では独特の個性のある中華料理店もあり、駅前の足湯も含めて印象に残る駅でした。


§  今月の酒楽 今月は外で一回飲みました。
月島で商談した帰りに立ち寄ったBar Leyさんです(1/21)。
実はこの日から東京都がまん延防止等重点措置の対象地域に含まれたことを知らずに入りました。そのため、お店にいられたのは1時間ほど。ですが、マネージャーさんと会話を楽しみ、名刺も交換しました。
Taliskerの10年とブラー・グラン・ソラージュがとてもおいしかったです。
久しぶりにBarで落ち着く時間を持てたのは良かったです。



それ以外はほぼ家飲みでした。正月の三が日には昇勢の毘沙門天を頂きました(1/2)。
家のウィスキーはかなり空けました。また、刈穂も一合を飲みました(1/29)。美味しかったです。


§  今月の旅行 今月からオンとオフのメリハリを付けようと思っています。仕事での外出や商談と、個人の外出を。

今月は正月も三日間とも仕事に専念していましたので、旅は二回だけにとどめました。
まず、正月休みをかねて伊豆へ(1/9)。対島の滝と大室山を目指しました。
伊豆急行の城ヶ崎海岸駅を訪れ、別荘地ならではの雰囲気を堪能しました。
続いて伊豆高原駅へ。かつて山の家を持っていた時期は伊豆は何度も訪れました。伊豆高原にも何回か。その時以来の訪問です。


対島の滝や大淀・小淀の風景は素晴らしかった。伊豆半島の豊かなGEOサイトを体感しました。良い時間が過ごせました。
ここでは湾の入り組んだ様子を利用してクライミングの練習を行っていました。
また橋立吊り橋もとても良かった。吊り橋は非日常感を演出するよい施設です。伊豆の景色は飽きません。

いまだに登った事がなかった大室山にも訪れました。大室山は保護のために登山道がありません。登るためにはリフトのみでしか登れないので、おじさん一人でリフトで登りました。
でも、大室山は加工にアーチェリー場が設けられ、全長1キロほどのお鉢をぐるりとめぐることができます。ここからの富士山の風景や、伊東市街を見下ろすと、かつての地層活動や火山活動の片鱗が感じられます。今までに登った事がなかったことを悔やみつつ、良い体験ができたと思っています。

もう一つの旅は、午後から少し空いた時間を使ってドライブした久米川、小手指から狭山市への旅です。

わが家の近くは鎌倉街道が通っています。旧鎌倉街道の旧道もあります。鎌倉街道は新田義貞公が元弘の乱で上州の新田郷から鎌倉まで攻め込んだ道です。分倍河原古戦場はすでに何年か前に訪れましたが、久米川古戦場と小手指ヶ原古戦場はまだ訪れたことがなかったのです。ともに当時の様子が想像できるような塚が遺されており、しばし太平記の世界に思いをはせました。

そのまま、今まで未訪問だった狭山市へ。駅前をぶらついた後は、狭山市博物館へ。ここでは狭山茶についての特別展示が行われていたのです。狭山茶が静岡茶や宇治茶とどう違うのか気になっていたので、よい機会でした。狭山についてもさまざまな知識を得ることができました。


§  今月のその他活動 人生も半分を過ぎ、一層焦りが募っています。少しでも日々に変化をつけようとする気持ちに衰えはありません。
今、心身が動くうちに仕事もプライベートも全力で。その考えには揺るぎがありません。

・公園は二カ所。「薬師池公園(1/24)」「都立八国山緑地(1/29)」
・博物館は一カ所。「狭山市立博物館(1/29)」
・美術館はゼロカ所。
・駅は二駅。
「城ヶ崎海岸駅(1/9)」「伊豆高原駅(1/9)」

・滝は一滝。「対島の滝(1/9)」
・温泉は一カ所。「多摩境天然温泉 森乃彩(1/31)」
・山は一山。「大室山(1/9)」

・酒蔵はゼロカ所。
・神社は二カ所。「春日神社(1/1)」「大室山 浅間神社(1/9)」
・寺は一カ所。「安全寺(1/3)」
・教会はゼロカ所。
・史跡は六カ所。「伊東祐親の墓(1/9)」「久米川古戦場跡(1/29)」「将軍塚(1/29)」「白旗塚(1/29)」「小手指ヶ原古戦場(1/29)」「誓詞橋(1/29)」
・遺跡はゼロカ所。
・城はゼロ城。
・灯台はゼロカ所。
・水族館はゼロか所。
・土木遺産はゼロか所。
・マンホールカードは一枚。「埼玉県狭山市(1/29)」
・風景印はゼロ枚。
・風景印はゼロ枚。
・御城印はゼロ枚。

私がまだ訪れていない場所の多さは無限です。やりたいこと、行きたい場所の多さにめまいがします。
仕事に追われて今月も行けなかった場所のどれほど多いことか。これでは日々に追われてあっという間に老け込んでいくことは間違いありません。
そうしているうちに、加齢によって気力を奪われ、あきらめを自らの自然な感情と勘違いしたまま、かつての欲求を忘れ老いてゆく。これだけは防ぎたいと思っています。

人の明日はわかりません。人気俳優や女優も自死を選び、私も不意の体調不良に襲われ、コロナに感染します。ハイキングが一晩の遭難と化し、人里のすぐそばで死ぬ可能性も体験しました。
いつかやろう、引退してからやろうという姿勢を根本的に見直さねばなりません。もう、未来の社会や環境がどうなっているかわからないからです。そこに老いつつある自らの衰えがかぶさってきます。
生きている今。今を生きているのですから、今、やるべきことをしなければ。後悔だけはしないように。
その姿勢のまま、仕事をこなしながらも、今のうちに時間の合間を見つけ、行けるところに行っておこうと思います。

死ねば全ては無に消えます。
私の経験をいくらブログにアップしても、膨大なデジタルの海の中に溶けて消えます。
それが分かっていても、自分に与えられた生を全力で全うしたいと思います。仕事もプライベートも全力で過ごそうと日々励んでいます。

今は仕事に集中し、好きなことは引退後に。そんな悠長な考えが通用しないことをコロナウィルスは教えてくれました。人生はあっという間に終わってしまう。老いたときに平穏で好きなことができる世の中があるかどうかは誰にも保証されません。一方で、仕事の難しさや面白さも強く感じています。プライベートだけど充実させるのでもなく、仕事だけに人生を捧げるでもなく、その両立を目指す
だからこそ、今のうちから毎日を公私とも全力で生きる、という決意で日々を過ごしています。
コロナだからと閉じこもっている場合ではないのです。
コロナに人生を台無しにされるぐらいなら、一人でも旅を敢行したいと思います。会話は控え、マスクに口と鼻を隠した黙旅を。
先々月に遭難したように、命をなくしては元も子もないのは当たり前。ですが、何もしないままなら命は枯れてしまいます。

家族との縁も毎月、姿を変えています。仕事もいつかは引退を求められるでしょう。そうなった時にやることがない、とよく話に聞く老残にだけはなりたくないと思っています。
人はいつか死ぬ。コロナウィルスの蔓延はそのことを教えてくれました。何をしても最後には死にます。一昨年の九月に読んだ「「死」とは何か」という本には死生観を持つことの大切さが書かれていました。昨年の九月にはそれに加えて沢庵和尚の生涯から権力にこびず、わが道を行く生き方を学びました。

一方で、具体的に将来のこともそろそろ考えねばなりません。
法人のまとめに書いた通り、コロナに席巻された世の中ですが、弊社の売り上げはなんとか確保できています。
ただ、私個人としては投資もしておらず、賭け事もしていません。不労所得のタネも持っていません。
私が倒れた時、うちのメンバーが稼げるところまでは頑張らねば。

それぞれの場所で俳句も読みました。今月は俳句を9句。いずれもツイートまとめに載せています。

あらためて「私」を振り返ってみました。来月もコロナと共存しつつ、自らの生に後悔のないような日々となることを信じて。


2021年11月のまとめ(個人)


公私の「私」

●家族とのふれあい

§  総括 コロナウィルスに感染した影響は仕事と家計にも悪影響を与えています。
もちろんコロナ感染を通して、私の内面に得たものは多かったのですが。

世界はまだコロナウィルスの患者数と死者数の増加に苦しめられています。ですが、わが国は専門家にも謎の患者数の急減が起こっています。いまや新規感染者数は一桁に迫る勢いです。
ここにきて南アメリカが発祥とされるオミクロン株が出現し、また世界はコロナによって席巻されそうな気配を見せています。わが国にはどのような影響があるのか、まだわかっていません。

私はコロナに振り回されるのが嫌です。コロナが世界を振り回している間も、なるべく外に出ていました。自宅療養の最終日には外に出ていました。その翌々週には山で遭難もしました。今月もちょくちょく外出していました。
私のような態度でコロナに向き合う方もいるでしょう。逼塞して室内にこもってしまう方もいるでしょう。コロナの中でも自らの人生を全うしようとあがく方も。今の世の中は、それぞれの個人の人生への向き合い方を試しているようです。

昨年の九月に読んだ「死」についての分厚い本の内容を脳内で反芻しつつ、生きる意味を問い続ける毎日です。
人生は有限であり、残された時間もあとわずかであること。この八月、九月、十月の経験も反芻しつつ生きています。

死ねば全ては無に消えます。
私の経験をいくらブログにアップしても、膨大なデジタルの海の中に溶けて消えます。
それが分かっていても、自分に与えられた生を全力で全うしたいと思います。仕事もプライベートも全力で過ごそうと日々励んでいます。

今は仕事に集中し、好きなことは引退後に。そんな悠長な考えが通用しないことをコロナウィルスは教えてくれました。人生はあっという間に終わってしまう。老いたときに平穏で好きなことができる世の中があるかどうかは誰にも保証されません、
だからこそ、今のうちから毎日を公私とも全力で生きる、という決意で日々を過ごしています。
コロナだからと閉じこもっている場合ではないのです。

今月は家族とは一回お出かけしました。妻とは二回、妻と長女とは四回、妻と次女とはゼロ回、長女とは一回、次女とは数回。

娘たちはいつか巣立ちます。私は仕事以外にやりたいことが盛りだくさんの人間です。だから、子離れや引退をきっかけに老け込むことはないでしょう。ですが、限られた人生でも家族との時間を大切にしたいと思っています。

§  月表

・十一月お出かけ

とんかつ kappo 有薫 海浜幕張店、幕張イベントホール、アパホテル&リゾート東京ベイ幕張、国際展示場 1-3ホール、とり鉄、コメダ珈琲店、ぶっ豚 仙川店、Brewin’ Bar 主水、セブンイレブン 稲城中央橋前店大栄PA (下り)香取神宮香取神宮 総門鹿島新宮香取神宮 本殿櫻大刀自神社天真正伝神道流始祖 飯篠長威斎墓朱の大鳥居押手神社香取神宮 要石香取神宮 奥宮亀甲堂道の駅 水の郷さわら 地域物産館道の駅 水の郷さわら、古書 武雄書店、佐原の町並み、酒々井プレミアム・アウトレット蒼龍唐玉堂THE NORTH FACEray cassin 酒々井プレミアムアウトレットサンクゼール、さるびあ図書館、防人見返りの峠 展望台、Coeur & Heart、純愛カレーうどん なでしこ長女、関西大学 高槻キャンパス B棟、関西大学総合情報学部、関西大学高槻キャンパス 大学生協、月見台バス停、摂津峡公園、摂津峡 白滝、白糸の滝、西之河原橋 バス停(高槻市営バス)、熱帯食堂、川安、石田てっぺい 高槻駅前店、武庫川河川敷 ランニングコース、ザめしや 上甲子園店、町田調理師専門学校町田モディ町田マルイローカルインディア、薬師池公園、スエヒロ館、弥助そば、山下本気うどん、おでんやden、ラーメン豚山、世田谷区立 喜多見農業公園、慶元寺、多摩川左岸 海から21Km、セブンイレブン 川崎上麻生2丁目店東急プラザ銀座、小金城趾駅、大谷口歴史公園 (小金城趾)、流山駅、新選組流山本陣 近藤勇陣屋跡、閻魔堂、浅間神社、流山本町まちなかミュージアム、富士塚、常与寺、流山市立博物館、流山おおたかの森駅、流山市観光情報センター、日月堂、松戸観光案内所、波除稲荷神社ホテルモントレ銀座東京駅八重洲パーキング 東駐車場すぱじろうホテルモントレ銀座ナチュラルローソン 中央銀座一丁目店JBA BAR 洋酒博物館ホテルモントレ銀座セブンイレブン 川崎上麻生2丁目店東急プラザ銀座、TOHOシネマズ日本橋、武蔵嵐山駅 (TJ32)、ラーメン五月、菅谷館跡、三ノ郭、畠山重忠公像、西ノ郭、忠魂祠、蔀土塁、正?門跡、本郭、建物群と井戸跡、嵐山史跡の博物館、嵐山町ステーションプラザ 嵐なび、武蔵嵐山駅 (TJ32)、和泉多摩川河川敷、スエヒロ館、喜楽、富士の見える橋、不動橋、慶元寺、恵比寿ガーデンプレイス、暖暮、薬師池、支那そば やまいち、町田市立中央図書館、BOOKOFF SUPER BAZAAR 町田中央通り (本・ソフト館)、日本酒ラボ、薬師池

・十一月ツイート
https://togetter.com/li/1809713

§  家族とのお出かけ 家族で出かけたのは、上の年表で黄地に太字にしているイベントです。家族で出かけたのは、今月は一回です。

今月は、次女がアルバイトに忙殺され、ほとんど毎日のように3カ所のバイト先へ向かっていました。それもあって家族ではほとんど過ごせていません。
また、妻も宝塚の公演が始まったため、連日公演先へと向かっています。

それもあって、唯一家族で外食をしたのがスエヒロ館。
これは家計に悪影響を及ぼした私の責任もあると思っています。


あとは妻の誕生日が今月だったので、家族でケーキや次女の作った料理をいただきました。

家という基盤がある幸せを噛みしめつつ、限られた一生をどういきるのか。次女にはバイトの迎えの際に何度も話しましたが、これからもそれを伝えていきたいと考えています。

§  妻とのお出かけ 妻と出かけたのは、上の年表で桃地に太字にしているイベントです。今月は妻と二人で二回出かけました。
11月は結婚記念日の月です。

ですが、結婚記念日当日は妻が宝塚の代表の仕事がありました。そのため、朝一で妻を銀座まで送り、私はその間松戸や流山をドライブ。


夜に東京駅界隈で合流し、ホテルモントレー銀座へ(11/21)。二人で夜の銀座を歩き、食事をしてBarを訪問して美味しいお酒を飲みました。
翌日もホテルでのんびりしてから帰宅(11/22)。
今月は家計が苦しかったので、あまり盛り上がらない記念月でした。とても反省しています。

その翌日は私が日本橋で映画を観る予定があり、代表の仕事で銀座に向かう妻を乗せて一緒に過ごしました(11/23)。
今が乗り越える時期ですが、これもまた人生です。来月は仕事も心機一転し、歳の締めにふさわしい月にしたいと思います。

§  妻と長女とのお出かけ 妻と長女と出かけたのは、上の年表で緑地に太字にしているイベントです。今月は妻と長女との三人で出かける機会は四回ありました。

まず、コメダ珈琲で一緒に食事をする機会を(11/3)。
続いて妻の希望で香取神宮に向かいました(11/6)。私も妻も長女も初訪問の香取神宮。境内をじっくりとめぐることができました。良い神社の雰囲気に浸れた一日でした。本殿やその背後にある鹿苑の辺りのひなびた感じも良かったのですが、奥社の辺りも良い雰囲気でした。剣聖である香取神道流を創始した飯篠長威斎の墓の傍にそびえる気にびっしりと生えたキノコの見事なことや、そこで可憐な尺取虫を見かけたのも思い出です。トンボやカマキリを数匹見かけるなど、自然の豊かさも印象に残りました。


参道の入り口にある亀甲堂のみたらし団子のおいしさは私の中で一位かもしれません。それほどおいしかった。
その後は道の駅水の郷さわらでたくさん農産物を購入しました。さらに日は落ちていましたが佐原の町並みを。
食事は酒々井アウトレットモールまで行き、そこの蒼龍唐玉堂で美味しい中華を楽しみました。

その翌日は、町田の街中で買い物をした後、良い景色が見られる場所として我が家の近所にある防人見返りの峠に妻と長女とワンチャンたちを連れていきました(11/7)。少しだけハイキング気分が出来たのもよかったかもしれません。

また、次女の最後の文化祭にも妻と長女とで訪れました(11/14)。連日のアルバイトでかなり疲れていた次女ですが、私たちが訪れたときは元気そうでした。私も早朝の新幹線で戻ってきた甲斐がありました。文化祭のあとは町田で買物を楽しみ、カレーを食べました。

次女が連日バイトに精を出し、目の前で慈華の田村シェフに面接のお願いをする次女の姿に刺激を受けたのか、個人事業主をしながら就職もしようかな、という気になっているようです。まずは一度きちんと会社の中でもまれた方がよいと思うので、私も応援したいと思っています。

§  妻と次女とのお出かけ  妻と次女と出かけたのは、上の年表で緑地に太字にしているイベントです。今月は妻と次女の三人で出かける機会はありませんでした。


次女は連日アルバイトに精を出しており、本人なりに人生に対して一生懸命に向き合おうとしています。シラケ気分で人生を斜めに見るのではなく、前向きに生きようとするところは評価したいです。
今月は家計が苦しく、次女もそれも考えてアルバイトに精を出してくれていたようです。
就職も決まり、後は卒業するだけ。残り少ない高校生活を謳歌して欲しいと思います。

§  娘たちとのお出かけ  娘たちと出かけたのは、上の年表で青地に太字にしているイベントです。
今月は娘たちとは長女と二回、次女と数回出かけました。

長女は自らが手掛けたCybozu Days 2021で弊社のブースのパネルを見に、幕張メッセ迄はるばる来てくれました(11/2)。少し会場を案内し、いくつかのブースでは娘を紹介もしました。
もう一度は長女がコロナワクチンを打ちに行く際に送迎した(11/29)時です。

次女はアルバイトの帰りに何度となく迎えに行きました。


コロナに人生を乱され、気の毒とは思いますが、そこで何をするかで人生は変わってきます。
20才そこそこの私はあまり褒められた時間を過ごしていなかったので、娘たちにあまり大きなことはいえません。ただ、娘たちのそれぞれの頑張りを後ろから支えてあげられる親でありたいと思っています。と言いながら、今月は家計の点で苦労を掛けてしまったのが申し訳ない。
これからも家族の時間が持てることを望みつつ。

●私自身の十一月(交友関係)

§  関西の交流関係 今月は出張で関西に行きました。
ただ、出張の予定の前後に予定を入れてしまっていたので、関西に行ったものの、仕事に終始し、旅がほぼできなかったのは残念でした。
唯一午前で打ち合わせが終わった日の午後に関西大学総合情報学部を訪れ、その後、近くの摂津峡を20数年ぶりに散策しました(11/11)。
あとは、午後からオンラインイベントに登壇する日の午前に、自転車を漕いで武庫川の河川に咲き誇るコスモス畑を見に行ったことでしょうか(11/13)。

それと、東京にいる高校時代の友人の頼みで、高校三年時のクラスのLINEグループに東京に来ないかというお誘いを書き、久々に皆さんと会話をしたのが特筆できます(11/27)。

なお、母は私が宿泊した最後の日に検査したのですが、転移がなかったことも吉報の一つです。

§  今月の交流 先月末に解除された緊急事態宣言ですが、その後もあまり飲む機会は戻ってきていません。
とはいえ、今月はイベントも復活したため、飲む機会を何度か作りました。

まず、Cybozu Days 2021にスタッフとして参加してくれた皆さんに”とんかつ kappo 有薫 海浜幕張店”でお酒を御馳走しました(11/1)。
また、その翌日はCybozu Days 2021が閉幕したこともあって、高知から参加された皆さんも交え、うちのメンバーもそろって”とり鉄”で愉快な酒の席を楽しみました(11/2)。
また、高槻に仕事で訪れた際は、無事にテストが終わったことに軽く祝杯を”川安”で(11/12)。
また、別の案件の商談をこなしたあとは、その技術者と半蔵門から四谷のしんみち通りまで歩き、”おでんやden”でおでんをつつきながら(11/18)。


もう一つの交流は、友人と二人で映画「信虎」を日本橋の映画館で見てから、埼玉の嵐山町まで足を延ばして畠山重忠公が拠点とした菅谷館跡を訪問しました(11/23)。
広大な城址を巡り、地元のB級グルメである辛モツやきそばを美味しくいただきました。紅葉も美しく、満足の一日でした。

最後に、自宅飲みですが、kintone エバンジェリストの皆さんとオンライン交流を深めました(11/19)。オンライン飲み会の食事と飲料が届くnonpiで楽しみました。私はビールやチューハイを。ここまでそろえてもらえるとオンライン飲み会も楽しくなります。

来月も徐々に交流は復活するでしょう。適度に飲んで交流を楽しめることを願っています。


●私自身の十一月(文化活動)

§  今月のブログ 読んだ本のレビューを記す読ん読ブログの執筆は、主に2020年に読んだ6冊分となりました。
レビュー執筆は、私の中では大切なライフワークとして位置付けています。ですが、このところ、書く時間があまり取れていません。読んでから原稿をアップするまでの時間も一年六カ月以上がたっています。
はやくおくれを取り戻したいと危機感を持っています。質を落とさずにこの期間を縮めたい。それが去年に引き続いての課題です。書く行為への熱意は衰えていませんので、引き続き続けたいです。

三年前の春まで連載していたCarry Meさんが運用している本音採用サイトの「アクアビット 航海記」を弊社サイトにアップする作業ですが、今月は0本アップしました。アップするのをすっかり忘れておりました。来月は必ずアップしたいと思います。

今月、書いた本のレビューは6本(
アメリカの高校生が学んでいるお金の教科書
タイタンの妖女
成功している人は、なぜ神社に行くのか?
太陽の簒奪者
未来の年表
球界に咲いた月見草 野村克也物語
)。
今月、書いた映画のレビューは1本(
信虎
)。
今月、書いた抱負は0本() 。
今月、書いた旅日記は0本() 。
今月、書いた「物申す」は0本() 。
今月、書いた弊社の活動ブログは6本(
Cybozu Daysに行ってみた
Cybozu Days 2021を終えて(セッション聴講編)
Cybozu Days 2021を終えて(ブース出展編)
Cybozu Daysに初参加、初出展してみた
Cybozu Days 2021の弊社関連ブログまとめ
kintone Café JAPAN 2021でミッションに挑みました
)。
今月、書いた弊社の技術ブログは0本()。

§  今月の読書 今月は9冊の本を読みました。内訳は、時代小説六冊、宗教本一冊、技術本一冊、ビジネス本一冊。

今月は先月からまたいで読み進めていた「宮本武蔵」を読破したことが実績です。素晴らしい。

私が年始に掲げた目標の一つは本を出版することですが、昨年の11月に一緒に飲んだ方がそうした伝や知識を持っている方であり、必ず本を出版するとの思いは増すばかりです。
今月はその準備も進めたいと願いました。

先々月に山の中で遭難し、沢庵和尚の生涯と自分の今の空虚を比べ、発信力にもっと力を入れなければ、という思いに駆られました。


§  今月の映画 今月の映画鑑賞は1本です。
信虎はテーマが地味だったのですが、実はとても面白い一作だったと思います。寺田農さんの演技が素晴らしかった。7
信虎

§  今月の舞台 舞台については、今月は0本です。
妻が宝塚の代表の仕事で忙殺されています。

§  今月の音楽 今月も生演奏を聴く機会がありませんでした。
コロナが始まってから、70年代の洋楽を聴きまくっています。今月はElton Johnの全アルバムを順に聴いていっています。やはりいいですね。
1982年のアルバム「Jump Up!」の良さに気づけたのが収穫です。


§  今月の美術 訪れた美術関係のイベント・施設については、今月は0カ所です。
ただ、いたるところでモミジの美しさを堪能しました。香取神宮や摂津峡、薬師池公園、菅谷館跡、慶元寺など。自然こそが一番の美術なのかもしれません。


§  今月のスポーツ 今月は、先月に山を登ったこともあり、ほぼ運動はしていません。
あえて言えば、実家に帰った際に武庫川を自転車で行き来したぐらいでしょうか(11/13)。また、何度かサテライトオフィスから多摩川や狛江界隈を自転車で巡りました。

今月は球史に残る日本シリーズの名勝負がありました。ヤクルトスワローズが4勝2敗で日本一になりましたが、その内訳はどの試合も接戦。
ちょうどスワローズが日本一になった翌日に本のレビューでアップしたのが野村克也氏を取り上げた本。そのご縁も感じました。

§  今月の滝 今月は訪れた滝は二滝です。「白滝(11/11)」「白糸の滝(11/11)」。ともに摂津峡にある滝です。高槻から手ごろに行ける場所にあるこの摂津峡。20年以上前に友人と訪れた際、水に落ちる失態をしたのですが、どこで落ちたか思い出せませんでした。
滝は小降りですが、先月も滝を訪れられず、今月も摂津峡のみだった私には良い滝でした。


§  今月の駅鉄 趣味の駅訪問は二駅です。「小金城趾駅(11/21)」「流山駅(11/21)」
共に流鉄の駅であり、流山駅は関東の駅百選にも選ばれています。
可憐な電車がとても印象的でした。また、小金城址駅では御城印が売られていて、私も購入しました。閑散としていた割に駅員さんがいたのが印象的でした。


流山駅は車庫の傍でパンダグラフの実物を間近で見ることが出来ました。カラフルな電車が止まる駅は、思ったよりもにぎわっていました。
カラスが構内の線路の上で食事をしていたのもご愛敬。また、殺風景だったであろう車庫横の壁に流山の風物を描いた壁画が描かれており、それも風情を醸していました。
この全線はのんびりと乗ってみたいと思えました。


§  今月の酒楽 今月は外で八回飲みました。そのうち四回は上に書いた交流で飲んだ酒席とスマレジDevelopers Dayで頂いたチューハイです。

その他に訪れたのは、銀座での商談の後に近くの“Brewers Bar“で飲んだIPAとタリスカーです(11/5)。ここでうちのメンバーと真剣にSlackでやりとりをしながら飲みましたので、味をじっくり味わえませんでした。ですが、熱くなる心を鎮めてくれました。


さらに、妻との結婚記念日の際、妻と銀座の洋酒博物館に立ち寄りました(11/21)。このお店は今や妻の方が多く訪れているお店です。
私はここでBIG PEATとHighland Park 12年を頂きました。妻とBarに行くのは久しぶり。自分の不甲斐なさを感じながらのお酒ですが、これが明日へのエネルギーにもなります。Barのありがたみを感じた一時でした。


あと、急に寒さが増してきた日、町田の図書館で仕事上の調べ物をした帰りに、日本酒ラボへ立ち寄って燗酒を頂きました(11/28)。
菊姫の山廃仕込みの燗酒と、忠愛の生酛純米です。美味しかったなぁ。

それと、香取神宮の帰りに道の駅水の郷さわらで買ってきた仁勇もおいしくいただきました(11/8)。


§  今月の旅行 今月は何度か旅が出来ました。宿泊を兼ねてだとアパホテル&リゾート東京ベイ幕張に二泊しました(10/31-11/2)。また、関西への出張があったので自宅にも四泊しました(11/10-11/14)。ただ、ともに仕事がメインなので、旅をした感覚はありません。

関西への出張時に時間の合間に関西大学の高槻キャンパスを訪問し、摂津峡を歩いた(11/11)くらいでしょうか。この時、三好氏が居城とした芥川山城址にも登りたかったのですが、急な雨に降られて断念したのが惜しまれます。

摂津峡は上にも書いたとおり、若い頃に友人と来て水に落ち、摂津富田あたりまでは友人の車で送ってもらったものの、そこから濡れたまま帰宅した思い出があります。今回、自分が落ちた場所にも訪れたかったのですが、完全に場所を忘れていました。
また、高槻キャンパスはかつてゼミの合宿で来た覚えがありますが、それ以来二回目の訪問です。そこで学生を見ながら仕事をしていると、何か時の経過に感傷の世界に落ち込みかけました。

その他の旅としては、妻と長女と訪れた香取神宮や佐原の旅です。
上にも書いたので繰り返しませんが、とても思い出に残る旅となりました。

とくに佐原の町並みには日中に再訪したいです。

松戸と流山へ、妻との結婚記念日の日中に訪れました(11/21)。朝、妻を銀座で下した後、首都高を使って松戸へ。

そこから流山の方向へ。途中、流鉄こと流山電鉄の小金城址駅に寄りました。そして、そこから近くにある小金城址を訪れました。
だいぶ開発によってかつての姿が失われていましたが、まだ主郭が遺されており、しばしの戦国の風を感じました。
さらに、流山駅へ。ここで市役所に車を止めさせてもらい、流山駅を訪問した後、近藤勇の陣跡や江戸川の河川敷、さらに流山まちかど博物館を訪れました。流山は白みりん発祥の地。今も流山キッコーマンが白みりんを醸造しています。その工場の壁を利用して博物館にしています。他にも街中にはかつての繁栄を偲ばせる面影があちこちにありました。
ここの浅間神社は近藤勇が率いる甲陽鎮撫隊の残党と新政府軍が対峙したと言い伝えられています。この神社本殿の裏には富士塚が遺されていました。見事な富士塚で、結構登るのも難儀し、ライトダウンジャケットに引っかき傷をつけてしまいましたが、登ることができました。
その後、流山市立博物館に立ち寄って町のあらましやいきさつを学び、流山おおたかの森駅へ。ここはつくばエキスプレスが通っており、近代的な街づくりがされていました。流山のもともとの街と比べ、今やこちらが町の中心であることは歴然としています。新旧の街の違いを感じながら、少し街を歩きました。

その後は松戸の観光案内所に立ち寄ってから、築地の波除稲荷神社へ。そこで妻と合流しました。二の市の熊手を購入し、手締めも行ってもらいました。そこで一旦ホテルモントレー銀座にチェックインした後は、私はそこのデスクで仕事。妻は代表の仕事。夜、再び合流して食事とBarに行ったことは先に書いた通りです。

今月最後の旅は、友人と二人で映画を鑑賞し、その後に武蔵嵐山の菅谷館跡を訪れた旅です(11/23)。
菅谷館跡は続日本の百名城に選ばれただけあり、広大な敷地に良好にかつての土塁や堀が残っており、見ごたえのある城でした。畠山重忠公といえば源頼朝を助けた人物であり、北条家を巡る内紛に討死した悲劇の人物として知られています。この人物の在りし日を思いながら、紅葉に映える城跡を巡ったのは良い思い出です。

行きに立ち寄ったラーメン五月さんで頂いた地元のB級グルメ、辛モツやきそばも忘れられません。


§  今月のその他活動 人生も半分を過ぎ、一層焦りが募っています。少しでも日々に変化をつけようとする気持ちに衰えはありません。
今、心身が動くうちに仕事もプライベートも全力で。その考えには揺るぎがありません。

・公園は三カ所。「摂津峡公園(11/11)」「薬師池公園(11/15)(11/27)(11/28)」「世田谷区立 喜多見農業公園(11/20)」
・博物館は三カ所。「流山本町まちなかミュージアム(11/21)」「流山市立博物館(11/21)」「嵐山史跡の博物館(11/23)」

・美術館はゼロカ所。
・駅は二駅。
「小金城趾駅(11/21)」「流山駅(11/21)」

・滝は二滝。「白滝(11/11)」「白糸の滝(11/11)」
・温泉はゼロカ所。
・山はゼロ山。
・酒蔵はゼロカ所。
・神社は七カ所。
「香取神宮(11/6)」「鹿島新宮(11/6)」「櫻大刀自神社(11/6)」「香取神宮 奥宮(11/6)」「押手神社(11/6)」「浅間神社(11/21)」「波除稲荷神社(11/21)」

・寺は三カ所。「慶元寺(11/20)」「常与寺(11/21)」「慶岸寺(11/25)」

・教会はゼロカ所。
・史跡は八カ所。

「天真正伝神道流始祖 飯篠長威斎墓(11/6)」「香取神宮 要石(11/6)」「防人見返りの峠 展望台(11/7)」「新選組流山本陣 近藤勇陣屋跡(11/21)」「閻魔堂(11/21)」「富士塚(11/21)」「畠山重忠公像(11/23)」「忠魂祠(11/23)」

・遺跡はゼロカ所。
・城は二城。「小金城址(11/21)」「菅谷館跡(11/23)」

・灯台はゼロカ所。
・水族館はゼロか所。
・土木遺産はゼロか所。
・マンホールカードは二枚。「千葉県流山市(11/21)」「千葉県松戸市(11/21)」
・風景印はゼロ枚。
・御城印は二枚。「小金城(11/21)」「菅谷城(11/23)」

私がまだ訪れていない場所の多さは無限です。やりたいこと、行きたい場所の多さにめまいがします。
仕事に追われて今月も行けなかった場所のどれほど多いことか。これでは日々に追われてあっという間に老け込んでいくことは間違いありません。
そうしているうちに、加齢が気力を奪い、あきらめを自らの自然な感情と勘違いしたまま、かつての欲求を忘れ老いてゆく。これだけは防ぎたいと思っています。


人の明日はわかりません。人気俳優や女優も自死を選び、私も不意の体調不良に襲われ、コロナに感染します。ハイキングが一晩の遭難と化し、人里のすぐそばで死ぬ可能性も体験しました。
いつかやろう、引退してからやろうという姿勢を根本的に見直さねばなりません。もう、未来の社会や環境がどうなっているかわからないからです。そこに老いつつある自らの衰えがかぶさってきます。
生きている今。今を生きているのですから、今、やるべきことをしなければ。後悔だけはしないように。
その姿勢のまま、仕事をこなしながらも、今のうちに時間の合間を見つけ、行けるところに行っておこうと思います。

コロナに人生を台無しにされるぐらいなら、一人でも旅を敢行したいと思います。会話は控え、マスクに口と鼻を隠した黙旅を。
先々月に遭難したように、命をなくしては元も子もないのは当たり前。ですが、何もしないままなら命は枯れてしまいます。

家族との縁もこれから姿を変えていくことでしょう。仕事もいつかは引退を求められるでしょう。そうなった時にやることがない、とよく話に聞く老残にだけはなりたくないと思っています。
人はいつか死ぬ。コロナウィルスの蔓延はそのことを教えてくれました。何をしても最後には死にます。昨年の九月に読んだ「「死」とは何か」という本には死生観を持つことの大切さが書かれていました。九月にはそれに加えて沢庵和尚の生涯から権力にこびず、わが道を行く生き方を学びました。

一方で、具体的に将来のこともそろそろ考えねばなりません。
法人のまとめに書いた通り、コロナに席巻された世の中ですが、弊社の売り上げはなんとか確保できています。
ただ、私個人としては投資もしておらず、賭け事もしていません。不労所得のタネも持っていません。
私が倒れた時、うちのメンバーが稼げるところまでは頑張らねば。

それぞれの場所で俳句も読みました。今月は俳句を16句。いずれもツイートまとめに載せています。

あらためて「私」を振り返ってみました。来月もコロナと共存しつつ、自らの生に後悔のないような日々となることを信じて。



昼は雲の柱


著者の作品を読むのはこれで三作目だ。著者は「震災列島」「死都日本」の二冊で、宮崎・鹿児島と濃尾平野を壊滅させている。

本書で壊滅させられるのは、富士山のふもとに控える山中湖村や御殿場市、裾野市のいったいど。

令和の今、富士山が噴火するとどうなるか。おそらく日本は言葉では表せない状態に陥ることだろう。壊滅的。
実際、江戸時代の宝永の大噴火では、富士山から吹き上げられた火山灰が江戸に積もったという。
ところが、今の東京の人々は噴火のリスクをとても楽観的に考えているように思う。なぜなら、江戸の街に降った火山灰は人体に直接の影響を与えず、後世に噴火の恐ろしさが伝えられていないからだ。

だが、現代は江戸時代とは違っている。現代は情報の時代だ。
あらゆる経済活動が情報機器の扱うデータに頼っている。
人々の日常すら、見えないデータの流通がなくては滞ってしまう時代。江戸時代とは社会的な状況が違っているのだ。

それらの情報機器が火山灰の襲来にどこまで耐えうるのか。残念ながら厳しい結果となるだろう。
火山灰の細かな粒子が機器の内部に入り込み、予期せぬ誤動作を起こす。そうなった時、首都の機能はどこまでダメージを受け、人々の生活にはどれほどの影響が生じるのか。

それだけならまだいい。
もし富士山から噴き出た火砕流が御殿場や三島や沼津まで流れた時、街はどうなってしまうのか。
その時、日本の大動脈は切断される。その時、日本の経済はどれほどの痛手を被るのか。
誰にもわからない。
確かに試算はされている。とはいえ、それらはあくまでも試算に過ぎない。
情報社会の恩恵を謳歌している今の日本は、まだ首都圏直下型地震も富士山大噴火も経験したことがないのだから。誰にもその被害は想像できない。

著者は「震災列島」「死都日本」の二冊で、日本の地質上の宿命を描いている。
各プレートがせめぎ合い、マントルが摩擦する上に浮かぶ日本。地震と火山との共存が古代から当たり前だった。
日本が享受している繁栄とは、実はあやうい地盤の上に乗っている。それを認めるのはつらいが事実だ。
それが今までの日本の災害史が示してきた教訓なのだ。

本書の冒頭には上下二段で富士山周辺の地図が掲げられている。
上段では神縄・国府津-松田断層帯の断層が図示されている。下段では富士山が噴火した際、火砕流が及ぶ範囲が図示されている。
神縄・国府津-松田断層帯は、伊豆半島の上部を巡って富士山頂を通り、富士山の西側で富士川河口断層帯となって海へと延びている。
その形は伊豆半島の生い立ちが、もともと太平洋の南の彼方に位置していた古代に起因している。
伊豆半島はかつて島だった。そして日本列島へ北上し、日本列島に衝突した。その衝撃が丹沢山地や富士山や箱根の景観を作り上げた。
皮肉なことに、その衝突によって富士山は日本列島のシンボルにふさわしい姿となり、観光資源を生み出した。そして古くから日本列島に住まう人々に富士山は崇められてきた。
かつては二つの峰を持つ「ふち(二霊)山」として。
時には怒り狂い、人々に自然の圧倒的な力を見せつける。その姿はまさに神。

本書が面白いのは、地質学の最新成果を盛り込みながら、一方で人々にとっての神とはなにか、どうして生まれたのかという考察が豊富に加えられていることだ。
その解釈はとても興味深い。
著者がめぐらす考察の範囲は日本神話にとどまらない。
たとえばソドムとゴモラで知られる旧約聖書の挿話も本書には登場する。シナイ山とアララト山の関係も。
地球の変動が人類の深層記憶として刻まれ、それらが各地で神話として語り継がれてきた。

太古の人類にとって、火山の噴火とは人知が圧倒的な及ばぬ力を感じさせる一大イベントだったことだろう。
火山こそが神と等しかった。神は怒らせると噴火や地震としておごり高ぶる人類に鉄槌を下す。
その一方で噴火は人類に火を教えた。熱を加えることで肉は食べやすくなり、食物は殺菌できるようになる。人々の健康は増進し、寿命を延ばした。
世代間の伝承が進むようになり、人間は文明を持つまでの進化を遂げた。それらもすべて神、つまり火山が人類にもたらした恩恵だ。

ホモ・サピエンスが生まれたのはアフリカの大地溝帯であることはよく知られている。そしてその地は火山地帯でもある。
著者は本書の主要な登場人物である山野承一郎の口を通して火山=神説を語る。
類人猿が人類へと進化したきっかけには火山の噴火があった。この説にはとても興奮させられた。

長きにわたって伝えられてきた火山の恩恵と恐ろしさ。それは人類に神への畏敬を生み、人々は神によって導かれ、種として成熟を遂げた。

本書は冒頭で徐福伝説を登場させ、富士山のふもとに徐福の墓を置く。もちろんそれは著者の創作だろう。
秦の始皇帝から命ぜられ、蓬莱山に不老不死の薬を探しに来た徐福。彼が富士山を発見し、それを神の象徴として感じたという想像。それはロマンチックな心を目覚めさせる。

本書では富士山が噴火する。その圧倒的な描写は本書の一つのクライマックスだ。
だが著者が書きたかったのは、その破壊の側面ではないはずだ。上にも書いた通り、著者は火山が人類に恩恵を与えてきたことを記してきたからだ。
では、富士山が本書で描かれる通りに噴火したら、日本列島に住む私たちにはどのような恩恵をもたらされるのだろうか。
私は、その恩恵とは東京への一極集中を終わらせることにあると思う。富士山の噴火をきっかけに首都圏の機能が壊滅的なダメージを受ける。それをきっかけに日本列島の各地に分散した日本人。それが未来ではないか。

そういえばかつて日本沈没を描いた小松左京氏も、分散した日本人に希望を見いだしていた。私もそう思っている。

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‘2020/01/27-2020/01/28


ドキュメント 滑落遭難


ここ数年、滝に関心を持ち、ひとりであちこちの滝を訪れている。ここ二年は山登りのパーティーに参加し、あちこちの山へ登るようになってきた。
そのパーティーのリーダーによる硬軟を取り混ぜた見事なリーダーシップに、私自身も経営者として学ぶところが多い。

私の場合、独りで移動するにあたってはかなりむちゃもしている。体力にはある程度の自信があり、パーティーでの移動とはちがって速度を緩める理由がないためだ。実際、一人の行動では標準タイムよりもペースが速い傾向にある。
それは過信だ。その過信が事故を招きかねないと肝に銘じている。そのため、山はあまり一人では登らず、なるべくパーティーで訪れるようにしている。

実際、本書を読む一年前には、独りで相模原の早戸大滝をアタックし、遭難しかけたことがある。
それがどれほどの危険な状況だったのかは、正直なところ、まだ甘く見ていた。本書を読むまでは。
本書を読むと、私のその時の経験は、実は相当に危険な状況だったのではないか、と思うようになった。

本書を読んだことで、そうした無謀な行動は控えなくては、と思うようになった。
また、遭難の事例を通じ、人々の山への熱意がより感じられた。それによって私に残された命がある限りは、できるだけ多くの山に訪れたいと意識するきっかけにもなった。

本書は、六例の遭難事例が載っている。また、それに加えて埼玉県警山岳救助隊の報告としてさまざまな遭難の事例がドキュメントとして収められている。

まず富士山。私自身は、まだ富士山に登ったことがない。しかも冬山に関してはスキーであちこちを訪れた程度であり、山登りを目的に置いたことはない。
スキーで訪れた際に、雪山の視野の悪さは充分すぎるほど知っているし、あえて雪山を目指そうとする意欲はない。

とはいえ、実際に雪山での滑落がどれほど想像を絶するものかは、本書の記述から感じ取れる。おそらく、スキー場の急斜面よりももっと強烈な斜面を転げ落ちていったのだろう。
夏山でもよく目にするのが、登山道の脇にありえない角度で斜面が口を開けている光景だ。あの斜面を転がり落ちたらどういうことになるか。想像するだけで恐ろしい。
本書で書かれている通り、そもそも止まることすら不可能になるのだろう。
ここで取り上げられた方は500メートルを滑落したと言う。そのスピードがどれほど強烈だったのか。

本編では教訓として富士山の冬山トレイルであれば、さほど難易度が高くないという錯覚と、下準備の不足を指摘している。また、登山届が未提出だったことや、救急療法に関する知識の不足というところも教訓として上がっている。
これらの教訓は、私にとって耳の痛い内容を含んでおり、私がもし無謀な思い付きを実行していたら間違いなく糾弾の対象となることだろう。ちょっとやばいと思った。

続いての事例は、北アルプスの北穂高岳だ。こちらは山のベテランがガレ場から滑落し、膝を強打したというものだ。
本書に載っている事例の中では最もケガとしては軽いが、膝の打撲がひどくて下山できず、ヘリコプターを呼ぶ羽目になったという。
ヘリコプターを呼んだことによる救出のための費用は相当かさみ、その額なんと440,000円だという。
山岳保険に加入していたため、実際の費用は抑えられたそうだが、山岳保険に入っていない私の身に置き換えてみると、これはまずいと痛感した。
また、ストックの重要性にも触れられているが、私はまだ持っていない。これもまずい。

続いては、大峰山脈・釈迦ケ岳の事例だ。
練馬区の登山グループ17名が、新宿から大峰山系の釈迦ケ岳に向かっていたところ、続けて2件の事故を起こしてしまう。そのうちの1人は、首の骨を折って即死するという痛ましい事故だ。

当日の天気は地元の人に言わせれば山に行くべきではない程度の雨脚だったという。一方でパーティーのリーダーであるベテランの引率者は小雨だったという。
出発時間も早いほうがよかったという批判があり、そのリーダーは時間には問題なかったと言い張っている。つまり平行線だ。
責任逃れと切って捨てることもできるが、実際の状況はその場にいた方しかわからない。ただ、それで人が死んでしまったとすれば大問題だ。

著者は大峰山の自然を守ろう会の方の意見を紹介している。事故が起きたあたりは、修験道の修行場であり仏の聖域でもある。そのような場所に人が入るべきではないと言う意見は、登山そのものへの問題提起だ。
決して登山自体が悪いわけではないと断った上で、いわゆる昨今流行している登山ツアーのあり方について一石を投じる。ここで事故が起こったコースは、二つの日本百名山に登れることから、登頂数が稼げるコースとしても人気があったという。こうした登頂数を稼ぐ考え方に問題の根がある、と。これは私自身も肝に銘じなければならない。

続いては赤城山・黒檜山だ。
数日前に訪れたばかりの冬山を急遽、一人で登ることになった遭難者の五十代女性。
数日前に訪れていたことによって冒険心を起こしてしまったのか、違う道を行ってしまった。登山届がでておらず、単独行だったので足取りも推測するしかない状態だが、迷った揚げ句に体力を消耗し、最後は滑落して動けなくなって凍死したということらしい。
自らの経験への過信と、何かあった時に備えた装備の不足とリスクマネジメントの欠如がもたらした事例だ。

ちょっと知っているから、と芽生えた冒険心に誘われるまま、違う道に分け入ってしまう。これは似たような行動をしがちな私にとって、厳に教訓としなければなるまい。

続いては、北アルプス・西穂高岳独標の事例だ。
登山には着実なステップアップの過程がある。まず近所の小さな山から始め、やがて千メートル級の山、二千メートル級の山、さらには冬山、そして単独行といったような。
その道のりは長くもどかしい。それが嫌だから着実なステップを踏まずに次々と難易度の高い山に挑戦し、そして大ケガを負う。
そんな人がいる中、本編で事故にあった方は着実で堅実なステップアップをこなしてきた方だ。準備も多すぎるほど詰め込むタイプで、事故には遭いにくいタイプ。

ところが、山荘からすぐ近くの独標へ向かう途中で滑落してしまう。そこから一気に400メートルを滑り落ちてしまう。
奇跡的に命は取り止めた後、ほんのわずかだが、つながった携帯電話を頼りに、切れ切れに遭難の一報も出すことができた。
重すぎるザックがバランスを崩した原因となったが、そのザックがクッションになり、さらにザックの中には連絡手段や遭難時の備えが入っていたことが功を奏した。

なによりも、この方が生きて社会復帰してやる、との強い意志を持っていたことが、生き延びた原因だという。これもいざとなった場合に覚えておかねばなるまい。

続いては、南アルプス・北岳の遭難事例がとり上げられる。
この編で語るのは滑落した当人ではなく、それを間近で目撃し、救助にも携わった方だ。
この時期の北岳にはキタダケソウという可憐な花が咲き乱れ、それを目当てに訪れる人も多いのだとか。だが、六月末とはいえまだ雪渓は残っている状態。そこをアイゼンやピッケルもなしで向かおうとする無謀な行為から、このような事故が起こる。夏山とはいえ、準備は万端にする。思い込みだけで気軽に訪れることの危険を本編はよく伝えている。

最後は、埼玉県警山岳救助隊があちこちの事例を挙げている。
ここであがっている山はそれ程の高峰ではない。
それでも、ちょっとした道迷いや油断によって転落は起こりうる。
高峰に登ろうとする際は心の準備に余念がないが、低山だとかえって気楽な気持ちで向かってしまうため、事前に山に行ったことを教えずに向かってしまうことはありそうだ。そうなると遭難の事実も分からず、救助隊も組織されない。
そうやって死んでいった人の多さを、本編は語っている。
多分、私がもっとも当事者になりそうなのが、ここで取り上げられた数々の事例だろう。

こうして本書を読み終えてみると山の怖さが迫ってくる。
本書を読む少し前、私は十数人のパーティーの一員として至仏山に登った。
そこから見下ろす尾瀬は格別だったが、雲の動きがみるみるうちに尾瀬の眺望を覆い隠してしまい、それとともに気温がぐっと下がったことも印象に残っている。これが山の怖さの一端なのだろう。

私はまだ自分が山の本当の怖さを知らないと思っている。また、私は自分の無鉄砲な欠点を自覚しているため、独りで無謀な登山はしないように心がけている。
だが、その一方で私は一人で滝を巡りに行くことが多い。多分、私にとって危険なのは滝をアタックしてアクシデントに遭遇した場合だろう。
滝に向かう時、おうおうにして私は身軽だ。遭難時のことなど何も考えていない。

冒頭に書いた早戸大滝の手前であわや遭難しかけた事など、まさに命を危険にさらした瞬間だったといえる。
早戸大滝は今までもなんどもチャレンジし、その度に引き返す勇気は発揮できている。
この引き返す勇気を今後も忘れないためにも、本書はためになった。

‘2019/9/9-2019/9/10


2020年10月のまとめ(個人)


昨年から、毎月ごとに個人と法人を分けてまとめを書きます。

公私の「私」

●家族とのふれあい

§ 総括 コロナウィルスに翻弄されたこの数カ月。
十月になっても世の中には不安の影が覆っています。それを受け、コロナと共存するための風潮が広まっています。

今月は妻の手術の入院がありました。無事に手術は成功し、一週間の入院を経て退院しました。術後の経過も良好のようです。昨年からの不安の種の一つが取り除かれました。
面会も不可能だったりと、大変な状況の中、家族で乗り越えられたことは大きいですね。

私自身も、あまりにも仕事が山積みし、月末になって倒れてしまい、末日には数年ぶりに病院に行きました。
先月読んだ「死」についての分厚い本が常に頭をよぎりました。

両親や妻の手術、私自身の体調など、あらためて生きる意味を問いたくなります。人生が有限であること。残された時間があとわずかであること。

たとえ死ねば全てが無に消えると分かっていても、全力で自分に与えられた生を全うしたい。仕事もプライベートも。
今は仕事に集中し、好きなことは引退後に、などという悠長な考えではなく、今を両方とも全力で生きる、という決意とともに。
そうした考えが娘たちにも伝わればいいな、と思っています。

私が仕事が詰まり、今月は完全にワークライフバランスが崩れてしまいました。
そうした多忙な状況を見極めながら、引き続き工夫を重ねて、自粛の中でも生きる喜びを謳歌したいと思います。

家族とは一回、妻とは三回、妻と長女とは四回、長女とは四回、長女と次女とは一回、お出かけしました。

いずれにせよ娘たちは巣立ちます。私は仕事以外にやりたいことが盛りだくさんな人間なので、子離れや引退をきっかけに老け込まなさそうですが、限られた人生でも家族との時間を大切にしたいと思っています。

§ 月表

・十月お出かけ

東京油組総本店、吾妻橋、隅田公園リバーサイドギャラリー、東京じゃんがら、BOOKOFF 浅草稲荷町店、下谷神社、馬賊、浅草薬酒バー、東雲寺、味の民芸、しゃぶ葉町田市民病院、ウエスト、町田市民病院、サニーベッカリー、鶴川駅前図書館、吉野家、アメリア三和、アメリア町田根岸ショッピングセンター、町田市民病院、オーケー 町田森野店、ウェルパーク 町田旭町店、セブンイレブン 原町田大通り店、町田東急ツインズ、北海道らーめん ひむろ 浅草店、中華料理 菜香、山下公園、蘭州牛肉拉麺、関帝廟、Coeur & Heart、町田市民病院、多摩川、らーめんくじら軒 横浜本店、籠屋(秋元酒店)、多摩水道橋、モスバーガー 鶴川店、新田毎、ジョーシン つるかわ店、スシローぐりーんうぉーく多摩、高座山、杓子山、葭池温泉前駅、モスバーガー 鶴川店、旧白洲邸 武相荘、きつねくぼ緑地、ダイソー 町田金井店ジョーシン つるかわ店、カフェ・ベローチェ、イトーヨーカドー

・十月ツイート
https://togetter.com/li/1615978

§ 家族のお出かけ 家族で出かけたのは、上の年表で黄地に太字にしているイベントです。家族で出かけたのは、今月は2回です。まずは入院と手術を控えた時期に次女の誕生日にしゃぶ葉に行きました。
また、もう一度は、退院した妻が寿司を食べたいというので、たくさんの寿司をいただきました。
家でも鍋を囲んだりたこ焼きパーティーをしたり。

まずは、妻が無事に退院できたことがよかったです。

今回のコロナを通し、生きる意味を日々感じているからこそ。家族の意味はそこにあります。
家という基盤がある幸せを噛みしめつつ、生きる意味とは何か、死ぬと人は無に消えるのか。コロナを通して生きる意味を考えたいと思います。


§ 妻とのお出かけ 妻と出かけたのは、上の年表で桃地に太字にしているイベントです。今月は妻と二人で三回お出かけしました。
とはいえ、お出かけしたのは入院の時などであり、あとは近所に一度出かけた程度です。

§ 妻と長女とのお出かけ 上の年表で緑地に太字にしているイベントです。今月は妻と長女と三人で四回お出かけしました。
一つはお彼岸から少し遅れての墓参りです(10/4)。
あとは近所のお買い物などです。

§ 妻と次女とのお出かけ 上の年表で緑地に太字にしているイベントです。今月はその機会はありませんでした。
次女とも今月はあまり触れあえていません。次女もよく出かける人なので当然なのですが。


§ 娘たちとのお出かけ 上の年表で青地に太字にしているイベントです。
今月は妻の手術があったため、長女と次女とで一回お出かけしました。
町田の街中で美味しい料理を三人で食べました。私は写真のようにチーズフォンデュを。
長女には、とあるサイトのイラストを手伝ってもらっていました。無事にうまく公開もできました。

●私自身の十月(交友関係)

§ 関西の交流関係 今月は、仕事がいろいろと忙しく、関西に帰る時間がありませんでした。
仕事では関西の方とよくお話ししていたのですが。また、関西からの案件も3,4件頂いており、またうかがうことになりそうです。


§ 今月の交流 今月は仕事が忙しく、飲み会がゼロでした。一度も誰とも飲まなかったのは、いつ以来か覚えていないです。


●私自身の十月(文化活動)

§ 読書・観劇レビュー 読んだ本のレビューを記す読ん読ブログの執筆は、主に2019年に読んだ6冊分となりました。
レビュー執筆は、私の中では大切なライフワークとして位置付けています。このところ、書く時間があまり取れず、先月は一冊分しか書けませんでした。なので、今月は仕事の合間に六冊をアップしました。
この期間を質を落とさずに縮めたい。それが去年に引き続いての課題です。書く行為への熱意は衰えていませんので、引き続き続けたいです。

一昨年の春まで連載していたCarry Meさんの運用する本音採用サイトの「アクアビット 航海記」を弊社サイトにアップする作業ですが、今月は1本アップしました。
(「アクアビット航海記 vol.25〜航海記 その12」)
上京した私が仕事をはじめ、そこで技術者としての最初の足掛かりをつかむ様子を振り返っています。

今月、書いた本のレビューは6本(
島津は屈せず
八日目の蝉」「動物農場
<インターネット>の次に来るもの
昭和史のかたち
原爆 広島を復興させた人びと
背番号なし戦闘帽の野球 戦時下の日本野球史 1936-1946

今月、書いた抱負は0本() 。
今月、書いた旅日記は0本() 。
今月、書いた物申すは0本() 。
今月、書いた弊社の活動ブログは1本(
RPA界の技術者の皆様にお話しをしました
)。

§ 今月の読書 今月は14冊の本を読みました。内訳は時代小説七冊、ビジネス書一冊、組織論一冊、企業ノンフィクション一冊、歴史書二冊、ミステリ一冊、技術解説書一冊。

今月は前半に本を読みました。それと今月は仕事での移動が多かったので、本を読む時間は取れたためです。

私の今年の目標の一つは本を出版することですが、早く出したくなった体験でした。
§ 今月の映画 今月の映画鑑賞は0本です。
今月もキングダムは見られずじまい。これで7カ月見られていません。一方で、当時お客様より教えていただいた鬼滅の刃は、妻子がはまっており、よくテレビで見ていたので私も何度か。

§ 今月の舞台 舞台については、今月は0本です。

§ 今月の音楽 今月は生演奏を聴く機会がありませんでした。ただ、今月はついにYouTube Musicに移行しました。今年は春先から70年代の洋楽を聴きまくっています。今月もそれは変わらず。Eric Clapton、George Harrison、Linda Ronstadtの3アーチストをほぼ聞いていました。
仕事だけの今月にあって、音楽に助けられました。
そういえば妻の手術が成功した日は、Eddie Van Halenの訃報が届いた日でした。また聴かないと。
§ 今月の美術 今月は、美術館への訪問はしていません。芸術の秋だというのに。

§ 今月のスポーツ 今月は外出もほとんどできず、このままではどこにも行かずに終わってしまうと思ったので、一日だけ山登りを敢行しました。
鳥居地峠から高座山、杓子山への縦走を往復で。
先月、長篠の古戦場で登った城山を除けば、今年の春先に山に登ったきりだったので、体力の衰えは顕著でした。
何度も断念を考えたほどでしたが、頂上から見た富士山の見事さは登った甲斐がありました。
§ 今月の滝 今月、訪れた滝は0滝です。前述の山登りの中で行きたかったのですが、滝に行く時間がなく。

§ 今月の旅行 今月は、25日までどこにも行けずにいました。
これはまずい、と山登りをしたのは上に書いたとおりです。

結局、高座山と杓子山から富士山の雄姿と忍野八海を見たのが全てです。



§ 今月の駅鉄 趣味の駅訪問は一駅です。「葭池温泉前(10/25)」
葭池温泉前駅は、山登りの後に立ち寄りました。明るい緑に塗られた小ぶりな駅でした。
できれば葭池温泉に浸かってから帰りたかったですが断念。

§ 今月の酒楽 今月は仕事が忙しく、飲み会がゼロでした。
しかも体調不良もあって家も含めても酒自体をあまりぼ飲んでいません。
第三週の日曜日には日本酒の達人の方々より、日本酒バーでの飲み会にお誘い頂いていました。
ですが、仕事で断念。月を通して一度も誰とも飲めずじまいだったことを考えると、無理を押しても行っておけばよかった。
浅草で仕事帰りに薬酒バーを見つけ、ふらりと入って飲んだぐらいです。
それとこれも仕事の途中でよった酒屋で麦冠の芋を買いましたが、まだあまり飲めていません。


§ 今月のその他活動 人生も半分を過ぎ、一層焦りが募っています。少しでも日々に変化をつけようとする気持ちに衰えはありません。
今、心身が動くうちに仕事もプライベートも全力で。その考えには揺るぎがありません。

・公園は三カ所。「隅田公園リバーサイドギャラリー(10/2)」「山下公園(10/14)」「きつねくぼ緑地(10/26)」
・博物館はゼロカ所。
・駅は一駅。「葭池温泉前駅(10/25)」
・入手したマンホールカードはゼロ枚。
・滝はゼロ滝。
・温泉はゼロカ所。
・山は二山。「高座山(10/25)」「杓子山(10/25)」
・酒蔵はゼロカ所。
・神社は一カ所。「下谷神社(10/3)」
・寺は二カ所。「東雲寺(10/4)」「関帝廟(10/14)」
・教会はゼロカ所。
・史跡はゼロカ所。
・遺跡はゼロカ所。
・城はゼロカ所。
・灯台はゼロカ所。
・水族館はゼロか所。
・風景印はゼロ枚。
・御城印はゼロ枚。

私がまだ訪れていない場所の多さにめまいがします。他の活動もまだまだやりたいことがいっぱいあります。
それなのに、今月は仕事に追われてほとんど出かけられていません。
こういう毎日を続けていると、疲れに追われてあっという間に老け込んでいきそうです。
一番怖いのは年齢から来るあきらめと気力の減退です。これだけは防ぎたい。

家族との縁もこれから姿を変えていくことでしょう。仕事もいつかは引退を求められるでしょう。そうなったときにやることがない、とよくある老残にならぬよう。
人はいつかは死ぬ。コロナウィルスの蔓延はそのことを教えてくれました。先月は「「死」とは何か」という本を読み通しました。
人の明日はわかりません。人気俳優や女優も自死を選び、私も不意の体調不良に襲われる。
ですから、いつかやろう、引退してからやろうといっていると、未来の自分にそれを妨げられてしまいます。
今を生きているのですから、今、やるべきことをしなければ。
後悔だけはしないように。
仕事だけでなく、いまのうちに時間の合間を見つけ、行けるところに入っておこうと思います。

一方で、将来のこともそろそろ考えねばなりません。
法人のまとめには書いた通り、コロナにもかかわらず、法人としての売り上げは確保できています。ただ、私個人としては投資もしなければ賭け事もせず、不労所得のタネも持っていません。
つまり、一人で私自身の体だけが頼りです。
なので、体に何かがあれば収入は尽きます。そろそろ貯蓄のことも考えていかなければ。

それぞれの場所で俳句も読みました。今月は5句。いずれもツイートまとめに載せています。

あらためて「私」を振り返ってみました。来月もコロナと共存しつつ、自らの生に後悔のないような日々となることを信じて。


高速道路・沼津の旅 2019/5/3


充実した連休も早くも最終日。
朝、東京へ向かって出発する窓から両親に手を振りつつ、甲子園を去ります。

尼崎インターチェンジから名神に乗り、草津ジャンクションから新名神へと乗り継ぎ。
連休の最終日は、渋滞がつきもの。
御多分にも漏れず、草津ジャンクションの手前では渋滞に悩まされました。
ですが、その後は順調そのもののドライブでした。土山サービスエリアで休憩した後は、掛川パーキングエリア以外は渋滞に巻き込まれることもなく。

土山サービスエリアには、小高く土がもられた丘が設えられ、今までも何度か利用させてもらっています。わが家のワンちゃんたちも少し休憩。

新名神の亀山と四日市の区間が通じたことで、草津から伊勢湾岸自動車道を経由して御殿場までの区間は、ほぼ渋滞とは無縁のドライブとなりました。

ところが、そんな幸せは「横浜町田ICから数十キロの渋滞」と言う表示を見るまでの事でした。大和トンネルを起点とした地獄の渋滞が今回の連休にも性懲りもなく待ち受けていたのです。

新東名の運転が順調すぎるだけに、渋滞地点までも順調に迫ってきます。刻一刻と。掛川を抜けた後は、新清水を過ぎ、富士に迫る。

そこで私は決断しました。長泉沼津インターチェンジで降りる選択肢を。

渋滞など無為な時間を過ごすより、連休の最後は家族とともに夕飯を食べる。ついでに沼津港の夜を満喫しながら、旅の余韻を楽しもうという趣向です。
そのまま、渋滞が解消していればなおよし。そんな心づもりです。
長泉沼津インターチェンジを降り、向かったのは沼津港。
かつて家族でも来たことがあるし、長女と二人で来たことがあります。
美味しいお店が集まっているここで海の幸を楽しめれば、連休の締めもふさわしくなるというもの。

また、赤く染まった夕焼けと、沼津港の凪いだ海面の様子が見事でした。富士のシルエットが浮かぶ姿はまさに絶景。
今、富士を染めている太陽は、つい前日には日御碕の夕景を演出していたのです。
これぞ自然の摂理。その仕組みの正確さと荘厳さには、心が打たれます。

連休も最終日を迎え、沼津港にはそれほど人が残っていません。
夕食までは順番を待ったものの、その時間を利用して、沼津港大型展望水門びゅうおを見学することができました。

赤富士や 夕陽 昨日は出雲染め
沼津港にて

海鮮のお店「浜焼きしんちゃん」では、前日に続いてサザエをいただき、沼津港で水揚げされた海の幸を心ゆくまで堪能しました。

御代明けて サザエを喰らう 西東
浜焼きしんちゃんにて

さて、21時頃まで沼津港にいた私たちですが、情報を調べると、東名の渋滞はまだ解消していない模様。ならばと、私は次の策を打ち出します。

沼津から函南へと抜け、そこから熱函道路を通って熱海へ。熱海からは3本の有料道路を乗り継いで、小田原厚木道路へと。小田原厚木道路を疾走した後は、厚木ジャンクションの手前で圏央道に乗り換え、東名の渋滞を回避します。そして相模原愛川インターで降りて家まで。
このルートで渋滞を回避できました。

こうして、神戸、梅田、鳥取、出雲、沼津と各地を股にかけた連休は終わりました。
思った以上に、自分のアクティブなエネルギーが失われていないことに安堵しつつ。


本当はすごい!東京の歴史


数多くの本を読んでいると、本の内容に感化されて旅に出ることも二度や三度ではない。本書を読んだ際もそう。本書を読んですぐ、私は鹿嶋神宮を訪れた。

結果としては、本書を読んだことでよい気づきが得られた。ところが当初、本書の内容には期待していなかった。本書を読んだ理由はただ単に長年住み、仕事の場としている東京のことをより知ろうと思っただけに過ぎない。それに加えて本書を読み始めたとたん、関東こそが日本の文化や歴史の起源であるという主張が飛び込んできたのでさらに鼻白んでしまった。本書を読み始めた頃、私は本書を眉に唾を付けて読んでいた事を告白する。

私は西日本の生まれだ。両親ともに福井をルーツとしている。福井の病院で産声をあげ、両親が家を構える甲子園に移ってからは、二十数年を過ごした。家のすぐ近くにはタイガースと高校野球の聖地である甲子園球場が控ええ、うどん、タイガース、関西弁、粉モンの文化にどっぷり浸かって育った。そうした文化を生み出した関西が日本文化の揺籃の地と信じて疑わなかった。飛鳥の都からから難波宮、平城京、恭仁京、長岡京、平安京、福原京。歴代の都はすべて関西にあり、そこで栄華を誇って来た。仁徳天皇陵や大阪城は今も雄大な姿を見せ、関西の文化的な豊饒さを象徴しているかのよう。

そうした土壌に育った上、歴史の授業でも日本史の舞台が関西であることを学ぶ。連綿と続いてきた日本の歴史の積み重ね。その地に住んでいると、文化や伝統を日常のものとして無意識に受け取って育つ。そうして、日本の文化や歴史の主流が関西にあるという観念が定着してゆく。

ところが本書は日本の歴史を東国から捉え直す。日本書記に書かれた神々の国産み神話を除けば、そもそも日本の歴史とは高天原から天孫降臨した神々の裔が高千穂から東へ征服に向かったことに端を発する。本書はその高天原こそが鹿嶋にあったという。実際に鹿嶋には今も高天原という地があるという。私も本書を読んですぐ、実際にその地を確認してきた。実際に高天原という地名をみて、思わず感動してしまった。

本書を読むまで、私は鹿嶋に高天原があることを知らなかった。ところが本書からその事実を教えられ、わが目でも目撃した。ということは、高天原が鹿嶋にあった、つまり日本のそもそもが東から興ったと説く本書の記述にも信ぴょう性が感じられる。あながちトンデモ説とはいえないのだ。

そうなると、弥生や縄文といった時代区分の由来が東京にあることも、本書の主張を補強しているように思える。巨大遺跡といえば仁徳天皇陵や羽曳野のあたり、奈良盆地のそれが頭に思い浮かぶ。だが、東京にも遺跡は多く点在している。さいたまの古墳群や大森貝塚に代表されるように。それはすなわち、当時の東国に人口が多かったことの証拠でもある。

人口が多かった事実は、文明の発展にも関係する。その時、富士山の存在が人々の信仰心を向かわせたことも否定する論拠は見当たらない。著者は富士山を天上、つまり高天原と見立てる。富士山が見える範囲で東の端に位置するのが鹿嶋神宮、西の端に位置するのが伊勢神宮という新鮮な論が展開されるが、それにも説得されそうになる。平安時代に編まれた延喜式神名帳では、神宮の名が付く神社は伊勢神宮、鹿嶋神宮、そして香取神宮の三つしかないとか。香取神宮も鹿嶋神宮に近い場所にある。その二つの神宮が鎮座する地こそ常陸の国。つまり常世の国だ。そしてそれらに共通するのは富士山が見える範囲にあるということ。

本書の中心的な論点は、富士山にある。富士山こそは宗教的なシンボルでもあり、古来から高天原に擬せられてきたのではないかと著者はいう。富士山こそは西日本にはない日本のシンボル。著者の論の芯を貫くこの事実は揺るぎない。

ところが、本書で著者が唱える説には2つ大きな難関がある。一つは、なぜ東征軍が出雲を攻め、大和に入るにあたり、鹿嶋から高千穂を経由する道筋をたどったのか、という疑問。もう一つはなぜ古代と中世までの東国は、本邦の歴史では脇役に過ぎなかったのかの理由だ。

最初の点について著者は、当時の出雲に大国主命系の勢力があり、その巨大な勢力を最初に征服するため、九州から上陸したのではないかと説く。そこで重要になるのが鹿嶋と鹿児島の地名の相似だ。鹿島立つという言葉があるように鹿島から出立した東征軍が、高千穂に向かう際にまず上陸したのが鹿児島ではないか。その二つの地名には共通する語源が隠れているのでは、という著者の論にも蒙を拓かれた思いだ。

ただ、もう一つの難関について、著者は説得力のある論点を提示していない。まさにそれこそが重要なのに。この点こそ、私が本書で一番残念に思った点だ。

だが、理由はなんとなく想像がつく。古来から富士山が何度も噴火してきたことは周知の事実だ。地震もそう。つまり、日本のシンボルであるはずの富士山はシンボルでありながら、東国にとっては天変地異の象徴だったのだ。降り積もる火山灰や地震による災害。東国は文化や歴史の伝統となるには、あまりにも天災に苦しめられすぎてきたのだ。それが、東国を文化や歴史の中心から遠ざけたのではないか。ところが本書では関東ローム層の由来には触れていながら、富士の噴火による天災の被害については全く触れていない。なぜ著者がその点に触れなかったのか理解に苦しむ。私のような素人でも簡単に思いつくのに。

関東が東征の出発地だったと言う論点は新鮮。とても勉強になる。なのになぜ富士山の噴火や関東で頻発した地震には触れなかったのか。その理由は全く分からない。本書と著者のためにも惜しいと思う。

本書は、以降の各章でも東国の歴史を描き出す。古墳の時代、中世、武士の活躍した平野の様子。家康によって開発された首都としての江戸と、世界一の規模を誇る都市に繁栄した江戸。幕末の動乱をへて、天子を擁して文字通り日本の首都となった東京から現代の東京の様子までを概観する。

著者は東国を持ち上げながら、今の世界的な大都市となった東京については非常に厳しい。都市計画の失敗や、西洋を真似たような街づくりの思想など、今の東京に対する不満をつらつらと列挙する。都市としての繁栄を極めたかに見える今の東京は、著者にとっては逆に不満の対象であるところが面白い。

つまり、著者にとっては西日本に対する東日本の優位を示すといった瑣末な事はどうでもよいのだ。本書は日本の文化や歴史の発端が東にあったことを主張することに本旨がある。従来の定説とは違い、世間にはまだまだ受け入れられていない著者の説。それを世に問わんとする著者の意志は分かる気がする。そして著者の意志を割り引いても、本書で書かれた内容からは著者が自らの論を主張するための牽強付会の匂いは漂ってこない。それは本書のためにも擁護しておきたい。

だからこそ、藤原氏の初代鎌足が鹿嶋の出身だったことや、平泉で武家の文化が栄えたこと、鎌倉に幕府が開かれたことなど、歴史の所々で東が西を凌駕した理由にも納得がいく。さらに、水戸光圀が大日本史の編纂事業をしじし、それが幕末には尊王攘夷の先鋒としての水戸藩の存在感の発揮につながったことなど、日本の歴史の要所に常陸が登場することに得心がいく。日本の伝統を復興しようするうねりが鹿嶋神宮の近隣から起こったことは、そうした伝統に立脚した故あることなのだろう。鹿嶋の土壌で育った尊王攘夷の思想を薩摩、つまり鹿児島が受けつぐ。そんな著者の指摘する因果すら、こじつけには思えなくなる。

このように、本書が示す気づきは実に豊かだ。私は本書によって鹿嶋神宮を訪れなければならないと思い、すぐに実行した。ただ、本書の内容が実りあればあるほど、東京には根本的な都市としての欠陥があるように思えてならない。その欠陥とは、天災に弱いという一点に尽きる。著者が意図したのかどうか分からないが、その事実が本書からは綺麗に抜けている。ある時期から江戸を中心とした東国は、日本の歴史の中で傍流に置かれる。その理由こそ、度重なる天災にあったことは間違いないはずなのに。

公平を期する上でも、そのことにはぜひとも触れて欲しかったと思う。なぜなら、今の繁栄を謳歌する東京は間もなく潰えようとしているからだ。東海地震、首都圏直下型地震、富士山噴火。リスクは山積みだ。世界の首都の中でも飛び抜けて天災に弱いとされる東京。その事実は、住民の一人として見据えておかねばならないはず。なぜ、東京はこれだけの平野を擁しながら、日本の歴史では長らく坂東の地として辺境扱いされていたのか。その理由を世に知らしめる絶好の本こそ本書なのに。

現代の東京が天災の危険の上に薄皮一枚で乗っている。その事実はいまさら変えようもない。とはいえ、本書が示すように鹿嶋神宮が歴史で演じた重要性はいささかも薄らぐことはないはず。むしろ、鹿嶋神宮はもっともっと世に広く知られなければならない。私はそう思う。実際、鹿嶋神宮や剣術の達人である塚原卜伝のお墓など、鹿嶋を訪れたことはとてもよい経験と知見になった。その際、香取神宮に行かれなかったことが心残り。なので、もう一度行きたいと思っている。本書を携えて。

‘2018/07/09-2018/07/13


日本の地形・地質―見てみたい大地の風景116


人に作れないものはない、と言いたげに人工物が身の回りにあふれている昨今。もはや、何が人工物で何が自然の造形物かの区別がつかなくなりつつある。そこにきて、人工知能の進展がその懸念に拍車をかけている。

私が数年前から滝や山登りに魅せられているのは、その現実からの逃避だ。人工物の少ない場所へと。自然が与えてくれる安らぎへと。私はそうした風景に魅せられ、山へ分け入る。

とはいえ、人跡未踏の自然など、もはや望みようもないのは先刻承知だ。だが、滝は違う。滝にはまだ自然の姿が保たれているのではないだろうか。たとえ、滝の近くに観瀑台が設置されたとしても、滝の上流にダムが水をふさぎ水量が減ったとしても、滝そのものに人工の改変が及ぶことは余りない。自然が作り上げた造形が今も保たれている。

そんな滝の無垢なあり方。それが私が滝に興味を持った理由の一つだ。そして、滝をみるということは、自然の地層や地質を眺める事に等しい。なぜなら、川の流れが自然の段差によって分断されたのが滝だから。

ある日生まれた段差に水が浸食を加える。水の力によって岩が転がり、岩がせり出し、岩が崩落し、岩が滑らかになる。滝の前に立つと、自然の摂理と時間の尺度を感じる。そこにはこざかしい人間の営みを超越した厳かな大地の力が息づいている。人のなんと小さなことか。

本書で紹介されている各地の地層や地質は、自然の摂理のあり方そのものを今に伝える。どの地層も人工のせせこまさなど皆無。人の手を借りず、ありのままの自らをさらけ出している。その大きさに惹かれるのだ。

本書は日本各地に顕れている地形や地質を網羅的に紹介している。日本各地に残された大地の大きな力の痕跡。地球の歴史の悠久な流れが刻まれた印。本書は、私のまだ見ぬ地質の魅力に満ちている。

それだけでなく本書が良い点。それは滝に偏っていないことだ。むしろ滝は少ない。本書に紹介される116カ所の地形・地質の中で、滝は10カ所ほど。挙げてみると、知床半島の一部としてカムイワッカ湯の滝、袋田の滝、華厳の滝、吹割の滝、常布の滝、称名滝、赤目四十八滝、神庭の滝、関之尾滝、高千穂峡の一部として真名井の滝、曾木の滝、屋久島の一部として千尋の滝だ。

むしろ本書は、滝以外の地形、それも私が知らなかった魅力的な地形がたくさん出てくるのがうれしい。山や渓谷、奇岩や砂丘。油田やガス田、島や海岸など。

本書で採り上げられた116の地で私が訪れたことがあるのは、本稿をアップした2018年10月末時点で、知床半島、十二湖・日本キャニオン、きのこ岩、袋田の滝、華厳の滝、瀬林の漣痕と恐竜の足跡、吹割の滝、山の手崖線地形・武蔵野台地、三浦半島、東尋坊海岸、木曽駒ヶ岳千畳敷、二見浦の夫婦岩、熊野鬼ヶ城と獅子岩、橋杭岩、六甲山、天橋立、琴引浜、玄武洞、山陰海岸、鳥取砂丘、神庭の滝、秋吉台、屋島、阿波の土柱、大歩危・小歩危、室戸岬の二十六カ所だけだ。そう、私が訪れるべき場所は多い。また、本書には日本の地質百選に選ばれた地もいくつか出てくる。しかし、全ては網羅されていない。日本の地質百選に選ばれ、私が2017年のはじめに訪れた秩父の「ようばけ」も、本書には登場していない。

つまり、私が訪れるべき場所はまだまだあるということなのだ。

それと同時に私が知らねばならないことも多い。例えば地形や地質を構成する岩石の種類。岩石の種類はとても多い。そして、岩石の種類の違いによって、風化や浸食の速度に差が出る。それが壮大かつ多彩な地形を産み出してきたのだ。本書には地形に応じた成り立ちの説明が載っている。

私が行ったことのある場所でいえば、郡山の近郊で連れて行っていただいたきのこ岩がまさにそれだ。岩の上と下で岩石の種類が違うため、下だけ風化が進行し、きのこ形の岩が林立している。まさにわかりやすい例だ。

岩石の種類を見分けられれば、より一層地形の妙味が楽しめる。ところがなかなか岩石を覚えられない。私がすぐにわかるのは花崗岩ぐらいだ。というのも、私の故郷西宮は背後に六甲山地を擁しており、至る所で脆い花崗岩が露呈しているからだ。ところが花崗岩だけが岩石ではなく、他にも種類がたくさんある。本書は岩石の種類を覚える良い機会となった。

火成岩、堆積岩、変成岩。火成岩は冷え方や化学成分、密度や色で、粒度で分かれる。玄武岩、安山岩、流紋岩、デイサイト、斑れい岩、閃緑岩、花崗閃緑岩、花崗岩。堆積岩は、粒度によって変わる。れきがん、砂岩、泥岩、シルト、火砕岩、石灰岩、チャートなど。変成岩は熱や圧力によって分かれる。ホルンフェルス、結晶片岩、片麻岩、マイロナイト。うむ、なかなか覚えられない。

他にも覚えておくとよいのは、地球の歴史だ。デボン紀とかジュラ紀とかいうあれ。本書に登場する116カ所の地形の中には、五億年前のカンブリア紀にできたという小滝ヒスイ峡、立神峡が含まれている。そこから現代の地質学的な区分である新生代の第四紀まで、時代によってさまざまな地形が生まれた。今、進行中の新生代の第四紀で顕著な地質現象もいくつか取り上げられている。例えば富士山とか。

覚えるべきこと、行くべき場所は多い。本書は本来ならば折々に開くべき本なのだろう。ぜひ手元に持っておきたいと思う。

‘2017/12/27-2017/12/29