Articles tagged with: 学習

アクアビット航海記 vol.45〜航海記 その29


あらためまして、合同会社アクアビットの長井です。
弊社の起業までの航海記を書いていきます。以下の文は2018/5/13にアップした当時の文章が喪われたので、一部を修正しています。
今回は新たな会社でシステムを独学で習得しまくる話です。この時の経験が私を起業に導いてくれました。

オフィス移転で恥をかく


新しい会社の日々は、とても刺激的でした。

まず、私が入社してすぐに社屋の引っ越しがありました。新しい五階建てのビル。すべてが空っぽです。なにもありません。ネットワークどころか電源の場所も考慮されていません。全ては私に任されており、完全に白紙でした。そこでまずレイアウトを検討し、電源やネットワークの位置を設計しました。入社して早々、各部署の方と話を進めながら。

ファシリティ設計もネットワーク設計や電源設計も、当時の私にとって全てが初めての体験てした。やったことがなくてもやらねばなりません。やるのです。結果が良ければ全てがよし。ぶっつけ本番。あたって砕けろ。すると、なんとかなってしまうのではないか。

もちろん、何もなく終わるはずはありません。いくらVisioで図面を書いてみたところで、いざ本番となれば想定外の出来事が起こります。そもそも設計はあくまで机上の計画に過ぎません。物が実際に設置された時、計画とずれるのは当然のことなのです。そもそも私自身がオフィスのレイアウトやネットワーク設定など全くやったことがなく、計画はずさんだったはず。案の定、引っ越し当日は右往左往しました。

例えばモールです。モールってご存じですか?LANケーブルを保護し、しまい込むための塩ビ製の細長いカバーです。
モールは上と下に分離し、カチッとはめ込む構造になっています。ベロンと上下を分け、そこにLanケーブルをしまい込み、最後にパチリと上下をはめ込みます。ところが私はそんなこともすら知りません。
上下に閉じたままのモールのすき間に無理やりLanケーブルを押し込もうとしました。不可能を可能にする男、長井の面目躍如といいたいのですが、そもそも入るわけがありません。この時、来てもらっていた工事業者さんのあ然とした顔は今も思い出せます。
本連載の第十六回で、IMEを切り替える方法を知らなかった私が、半角カタカナでデータを打ち込み「ニイタカヤマノボレじゃないんだから!」と怒られた芦屋市役所でのエピソードは書きました。この時のモールの一件は、その時に負けず劣らず恥ずかしいエピソードです。土壇場で電源の場所が変更になり、それをお願いしたい時の電気業者さんが見せた絶望と諦めの顔も思い出せます。

自分に恥をかきまくって成長する


結局、私の二十代とはそういう恥ずかしい記憶の集まりです。でも今から思うと、恥をかいては捨ててきた積み重ねが私の成長につながっています。全ては血となり肉となりました。
もちろん、成長のやりかたは人によってそれぞれです。一つ一つの作業を丁寧にOJTで教わりながら恥をかかずに成長していく人もいるでしょう。ただし、それはあらかじめ決められたカリキュラムに沿っています。カリキュラムとは、習得の到達度を考慮して設計します。ということはカリキュラムに乗っかっているだけでは、成長の上限もあらかじめ決められています。

私の場合、乗っかっているカリキュラムからはみ出し、一人で突っ走ってばかりでした。そして失敗を繰り返していました。でも、それもよいのではないでしょうか。カリキュラムからはみ出た時、人は急激に成長できるような気がします。少なくとも、この頃の私はそうでした。
私の人生で何が誇れるかって、ほとんどの技術を独学で学び、恥をかきまくってきたことだと思っています。

私にとってこちらの会社で学んだ事はとても大きな財産となりました。情報技術のかなりを独学で習得しました。そして自分に対して恥をかき続けました。
私がかいた恥のほとんどは自分に対しての恥でした。というのも、この会社に私より情報技術スキルを持つ方はいなかったからです。つまり、自分自身がかいた恥は誰にも気づかれず、誰からも指摘されず、ほとんどが私の中で修正され、処理されていきました。その都度、自分の乏しい知識をなげきながら。

でも、そうやって自分の未熟さに毎日赤面しながら、私は会社の情報処理、ファシリティや機器管理やパソコン管理、ネットワーク管理の知識を着々と蓄えていきました。
自らが知らないことを学び、自分の無知に恥をかき続ける。今でもそうです。自分が知っていて安心できる知識の中でのみ仕事をすれば失敗はないでしょう。そのかわり成長は鈍いはずです。失敗の数もまた人生の妙味だと思います。

恥をかきすぎたら成長できた


入社した当初は、私を試そうと圧力をかける方がいました。が、徐々に難癖を付ける方は何も言わなくなりました。やがて私は自分の思うがままに環境を作れる立場になっていました。
もちろん職権の乱用はしません。自分の判断でこの機能が必要と判断し、稟議書を書き、上長に上げます。そのうちの九割方は決裁してもらえたように思います。会社には何社もシステムベンダーの方に来ていただきました。臆せずに自分で展示会にも出かけていき、知見を広げました。

時期は忘れてしまいましたが、自分でサーバーを構築したのもこの時期です。DELLのサーバーを購入してもらい、そこにRed Hat Linuxをインストールしました。さらに自分でSamba(オープンソースのファイルサーバー)を入れました。全ては白紙からの挑戦でした。

そのサーバーには後日、Apache(ウェブサーバー)やMySql(データベース)やPHP(プログラム言語)も自力でインストールしました。そうして自分なりの社内イントラネットを構築していきました。

私が入社した当初、その会社の販売管理はオービック社の商蔵奉行が担っていました。受発注や伝票発行の全てをそれでまかなっていました。そもそも私がこの会社に呼ばれたのも、システムのオペレーションミスによる誤請求があったためです。そこでFAXをOCR変換して取り込む仕組みも作りました。EDIも何パターンか導入しました。夜間バッチでデータを自動で取得し、受注データへ変換する仕組みも構築しました。
その過程で私は社内の受発注の仕組みから勉強し、システムが備えている販売管理に関する機能の理解も深めました。販売管理を行う際は、在庫管理も欠かせません。その二つは表裏一体です。この会社は自社の倉庫も持っていました。となると在庫管理から物流の知識に至るまでの知識も修めなければ。

それらの新たな知識の習得と並行して、社内の全パソコンは私が管理していました。入社までの半年、土曜日に訪問して全パソコンのメンテナンスを行っていたことは書きました。新社屋に移る際、ネットワークや電源の構成やレイアウトも把握しました。そうした日々の中、パソコンのメンテナンス・スキルも身に付き、ネットワーク構築やサーバー設計にも経験を重ねていきます。遅いノートパソコンのメモリ増設ぐらいなら行えるぐらいまでに。

この時期の私がどれだけ充実していたか。今の私からはまぶしく思えるほどです。好きなだけ学び、存分に成長していました。しかもそれが会社の効率の改善につながっていました。とてもやりがいに溢れた時期でした。そして幸せでした。
学べること。成長できること。その成長を自分で実感でき、さらに人に対して目に見える形で貢献できること。

少し前の私は、こうした一連の仕組みを全くしりませんでした。結婚した翌年あたりに友人たちが私の家に来て、自作パソコンを組み立ててくれたことがあります。この時に来てくれたのは、大学の政治学研究部の後輩とスカパー・カスタマーセンターのオペレーターさんと義弟でした。珍しい組み合わせ。そして皆が私より年下。
それなのに、私は彼らがやってくれている作業のほとんどが理解できませんでした。
そんな私が今や、新たな会社で情報統括を行う立場となりました。少し前まではニイタカヤマノボレと怒られていた私が。モールの構造を知らずに無理やり押し込もうとした私が。

これが人生の面白さだと思います。

ただし、私の人生には大きな試練がまだ続きます。
その試練とは家の処分。本連載の第三十七回第三十八回三十九回にも書いた家の処分です。
私が転職した大きな理由の一つは、そもそもこの家を処分するためでした。
次回は家の処分を二回にわたって書いてみます。ゆるく長くお願いします。


人工知能はどのようにして「名人」を超えたのか?


本書は新刊で購入した。タイトルに惹かれたためだ。

人工知能が人類にどのような影響を及ぼし、人類をどのように変えていくのか。それは私が興味を持つ数多くのテーマの一つだ。

1997年に当時のチェス世界チャンピオンをIBMのディープ・ブルーが破った快挙は、人工知能の歴史に新たな扉を開いた。もう一つ、人工知能の歴史における偉業として挙げられるのは、2011年にアメリカの有名なクイズ番組「ジェパディ!」でこれもIBMが作ったワトソンが人間のクイズ王を破ったことだ。

これらの出来事は人類の優位を揺るがした。それでもなお、チェスよりもはるかに複雑で指し手の可能性が膨大にある囲碁や将棋において、人間が人工知能に後れをとることは当分こないとの予想が大勢を占めていた。それは、ゲーム中に現れる局面の指し手の数を比較すれば分かる。チェスが10の120乗だとすれば、将棋は10の226乗。囲碁は10の360乗にもなるからだ。
だが、2015年にGoogleのAlphaGoが世界のトップ棋士を破ったことは人間の鼻をへし折った。2017年には棋界においても人工知能「ponanza」が、人類のトップクラスの棋士を一敗地に塗れさせた。

本書は人工知能「ponanza」の開発者が、その開発手法や機械学習について語った本だ。

そもそも、人工知能はどのように将棋の指し手を覚えるのだろう。そして開発者はどのように将棋を人工知能に教え込むのだろう。
本書は、私が人工知能や機械学習に対して持っていたいくつかの誤解を正してくれた。それと同時にAlphaGoと「ponanza」の手法の違いにも気づきを与えてくれる。

本書の第1章「将棋の機械学習━プログラマからの卒業」では、まずコンピューターの歴史や、機械学習についての試行錯誤が語られる。ここで重要なのは、人工知能が人間の思考を模倣することを諦めたということだ。人間の思考を諦めたとは、どういうことだろう。
人間の思考とは、自分の脳内の動きを思い返すに、何かを判断する際にそれを過去の事例と照らし合わせ、ふさわしいと判断された結果だ。
だが、その評価基準や過去の事例の探索は、プログラムで模倣することが難しい。私も、自分自身の心の動きをトレースするとそう思う。

まず、プログラムによる判断からの卒業。それが将棋の人工知能の発展におけるブレイクスルーとなった。これは他の機械学習の考えにも通ずるところだ。むしろ本質ともいえる。

「ponanza」のプログラムには過去の棋譜や局面の情報は一切含めておらず、将棋のルールや探索の方法だけが書かれているという。局面ごとの評価そのものについては全て「ponanza」に任せているそうだ。
この構成は機械学習に通じている方にとっては当たり前のことだろう。だが、プログラムで一切の評価を行わない原則は誤解しやすい部分なので、特に踏まえておかねばならない。

局面ごとにそれぞれの指し手について、勝率が高い方を内部で評価する。その判断基準となるデータは内部で膨大に学習し蓄積されている。
人間の判断でも同じことを行っているはずだが、数値に変換して高い方を採用することまでは行っていない。
つまり統計と確率だ。その手法を採用したことに対する感情や情緒は「ponanza」は考えない。あくまでも数値を重んじる。

ところが「ponanza」は当初、機械学習を使っていなかったという。代わりにロジスティック回帰の手法を採用していたようだ。
つまり統計から確率を演算して予想する手法だ。「ponanza」が機械学習を採用したのは、まさに本書の執筆中だったと言う。

第2章「黒魔術とディープラーニング━科学からの卒業」では、機械学習について書かれる。
機械学習にもいくつかの問題があるという。例えば、単純な丸暗記ではうまく知能が広がらず、判断も間違うのだとか。そこで、わざといくつかの探索を強制的にやめさせるという。このドロップアウトと呼ばれる手法によって人工知能に負荷を与えたことによって、かえって人工知能の学習は進んだという。
重要なのはこの時、なぜそのような効果が生まれるのか科学者でも把握できていないことだ。他にも、技術者がなぜそうなるのか分かっていない事象があるという。たとえば、機械学習において複数の層を学習させると、なぜそれがうまく学習されるのか。また、ある問題を解くにあたって、複数のCPUで計算させる場合でも闇雲にCPUを増やすだけでは正解率は上がらない理由も分かっていないそうだ。むしろ、一つの課題を複数のCPUで同時に解くように指示した方が早く正確な解を導き出せるそうだ。だが、その理由についてもまだ解明できていないと言う。
著者はそれを黒魔術と言う言葉で表している。

細部の構造を理解すればそれが全体においても理解できる。つまり科学の還元主義だ。機械学習の個別の動きについては科学者でも理解できている。だが、全体ではなぜそのような結果が導かれるのかが理解できない。つまり、すでに人工知能は還元主義を超越してしまっている。

なぜ人工知能がシンギュラリティーに達すると、人の理解が及ばない知能を獲得してしまうのか。生みの親であるはずの技術者がなぜ人工知能を制御できないのか。黒魔術の例えは、誰もが抱くはずの根本の疑問を私たちにわかりやすく教えてくれる。
人工知能の脅威論も、技術者が理解できない技術が横行していることへの危機感から生まれているに違いない。

第3章「囲碁と強化学習━天才からの卒業」では、人類によって磨き上げられた知能が人工知能によってさらに強くなる正のフィードバックが紹介される。
囲碁の人工知能であるAlphaGoが驚異的な能力を獲得した裏には、画像のパターン認識があった。囲碁の局面ごとの画像を膨大に学習し、それぞれごとに勝率の良い方を判断する術。
画像認識の際に有用だったのがモンテカルロ法だ。これは、統計学の書物を読むとしばしばお目にかかる概念だ。たとえば円の面積を求めたい場合、いわゆる円周率πを使うのではなく、ランダムに打ち込んだ点が円の外にあるものと内にあるものを数える。するとその割合の数が増えれば、πに限りなく近くなる。

座標の位置によってその統計と確率を判断する。
それは囲碁のように白と黒の碁石が盤面で生き物のように変化するゲームを把握するときに有用だ。それぞれの点を座標として記憶し、その勝率を都度計算する。
AlphaGoはモンテカルロ法による勝率予想と機械学習の併用で作られている。画像処理の処理はまさに人工知能の得意分野だ。それによってAlphaGoの性能は飛躍的に上がった。

10の360乗と言う膨大な局面の最善手を人工知能が判断するのは困難とされていた。だが、AlphaGoはそれを成し遂げてしまった。
人間の知能を超越し、神として見なされるふさわしい圧倒的な知能。それは信仰の対象にすらなった。すでに人間の天才を超えてしまったのだ。

第4章「倫理観と人工知能━人間からの卒業」では、知能と知性について深い考察が繰り広げられる。

著者は、人工知能が人類を凌駕するシンギュラリティは起こると考えている。シンギュラリティを語る際によく言われる懸念がある。それは、人工知能が人類によって制御が不能になった際、人工知能の内部の論理が人間に理解できないことだ。人間は人工知能の判断の根拠を理解できないまま、支配され、絶滅させられるのではないかという恐れ。

著者は、その懸念について楽観的に考えている。
その根拠は、人類が教え込み、人類の知恵をもとに学習した人工知能である以上、人類の良い面を引き継いでくれるはずという希望に基づいている。
つまり人間が良い種族であり、良い人であり続ければ、人工知能が私たちに危害を加えない保証になるのではないかということだ。人が親、人工知能が子供だとすれば、尊敬と愛情を感じる親に対して、子は敬意を持って処遇してくれるはず。その希望を著者は語っている。

巻末ではAlphaGoの偉業について語る著者と加藤氏、さらに囲碁棋士の大橋氏との3者対談が収められている。

対談の中では、AlphaGoと対戦したイ・セドル氏との対戦の棋譜が載せられている。複雑な局面の中でなぜAlphaGoがその手を選んだのか。その手は勝敗にどのような影響を与えたのか。
それが解説されている。

早い時では第七手でAlphaGoが打った一手が、ずいぶん後の局面に決定的な影響を与える。まさに人工知能の脅威と、人類が想像もつかない境地に達したことの表れでもある。
私はあまり囲碁が得意ではない。だが、人間が狭い視野で見られていない部分を人工知能がカバーするこの事象は、人工知能が私たちに与える影響を考える上で重要だと思った。
おそらく今後と、人工知能がなぜそのようなことをするのか私たちには理解できない事例が増えているはずだ。

面白いことに、著者は対談の中でこのように語っている。
「コンピューターは、論理的に動くけれど、本当の意味での論理力は足りていないんです」(263ページ)。
つまり、人工知能とはあくまでも過去の確率から判断しているだけであって、もし人間が既存の棋譜や学習内容に含まれていない手を打ってきた時、人工知能はそれを論理的に捉えられず混乱するのだ。

もう一つ本書を読んで気づくのは、人類自身が囲碁や将棋の奥深さを人工知能に教えられることだ。人類が思いも寄らない可能性を人工知能によって教えられる。
それは、これからの人工知能と人間の共存にとって希望だと思う。人工知能から人間も学び、新たなヒントを得ていく。

これは著者のシンギュラリティへの態度と並んで楽観的な意見だと指摘されるはずだ。
だが、今さら人工知能をなかったことにはできない。私たちは何があろうとも人工知能と共存していかなければならないのだ。
本書は人工知能の本質を理解する上でとても優れた本だと思う。

‘2020/08/18-2020/08/18


終わりの感覚


正直に言う。本書は、読んだ一年半後、本稿を書こうとしたとき、内容を覚えていなかった。ブッカー賞受賞作なのに。
本稿を書くにあたり、20分ほど再読してみてようやく内容を思い出した。

なぜ思い出せなかったのか。
それにはいろいろな原因が考えられる。
まず本書は、読み終えた後に残る余韻がとてもあいまいだ。
それは、主人公のトニーが突きつけられた問いへの解決が、トニーの中で消化されてしまうためだと思う。トニーはその問いへの答えを示唆され、自ら解決する。その際、トニーが出した答えはじかに書かれず、婉曲に書かれる。
そのため、読後の余韻もあいまいな印象として残ってしまう。

また、本書は提示された謎に伴う伏線が多く張られている。そのため、一つ一つの文章は明晰なのに、その文章が示す対象はどこかあいまいとしている。
この二つの理由が、私の記憶に残らなかった理由ではないかと思う。

人はそれぞれの人生を生きる。生きることはすなわち、その人の歴史を作っていくことに等しい。
その人の歴史とは、教科書に載るような大げさなことではない。
歴史とは、その人が生きた言動の総体であり、その人が人生の中で他の人々や社会に与えた影響の全てでもある。

だが、人の記憶は移ろいやすい。不確かで、あいまいなもの。
長く生きていると幼い頃や若い頃の記憶はぼやけ、薄れて消えてゆく。

つまり、その人の歴史は、本人が持っているはずの記憶とは等しくない。
本人が忘れていることは記憶には残らず、だが、客観的な神の視点からみた本人の歴史としてしっかりと残される。

過ちや、喜び、成し遂げたこと。人が生きることは、さまざまな記録と記憶をあらゆる場所に無意識に刻みつける営みだ。

自分のした全ての行動を覚えていることは不可能。自分の過去の記憶をもとに自らの歴史をつづってみても、たいていはゆがめられた記憶によって誤りが紛れ込む。
自分の自伝ですら、人は正確には書けないものだ。

本書の最初の方で、高校時代の歴史教師との授業でのやりとりが登場する。
「簡単そうな質問から始めてみよう。歴史とは何だろう。ウェブスター君、何か意見は?」
「歴史とは勝者の嘘の塊です」と私は答えた。少し急きすぎた。
「ふむ、そんなことを言うのではないかと恐れていたよ。敗者の自己欺瞞の塊でもあることを忘れんようにな。シンプソン君は?」
と始まるやりとり(21-22p)がある。
そこで同じく問いに対し、トニーの親友であるフィンことエイドリアンは、以下のように返す。
「フィン君は?」
「歴史とは、不完全な記憶が文書の不備と出会うところに生まれる確信である」(22p)

さらに、その流れでフィンことエイドリアンは、同級生が謎の自殺を遂げた理由を教師に問いただす。
そこで教師が返した答えはこうだ。
「だが、当事者の証言が得られる場合でも、歴史家はそれを鵜呑みにはできん。出来事の説明を懐疑的に受け止める。将来への思惑を秘めた証言は、しばしばきわめて疑わしい」(24p)
著者はそのように教師に語らせる。
これらのやりとりから読み取れるのは、歴史や人の記憶の頼りなさについての深い示唆だ。

長く生きれば生きるほど、自分の中の記憶はあいまいとなる。そして歴史としての正確性を損ねていく。

トニーが学生時代に付き合っていた彼女ベロニカは、トニーと別れた後、エイドリアンと付き合い始めた。ベロニカの両親の家にまで行ったにもかかわらず。
そのことによって傷ついたトニー。エイドリアンとベロニカを自らの人生から閉めだす。
その後、エイドリアンが若くして死を選んだ知らせを受け取ったことによって、トニーにとって、エイドリアンとベロニカは若い頃の旧友として記憶されるのみの存在となる。

トニーはその後、平凡な人生を歩む。結婚して娘を設け、そして離婚。
40年ほどたって、トニーのもとにベロニカの母から遺産の譲渡の連絡が届く。そこから本書の内容は急に展開する。
なぜ今になってベロニカの母から遺産が届くのか。その手紙の中では、エイドリアンが死とともに手記を残していたことも書かれていた。

再会したベロニカから、トニーは不可解な態度を取られる。ベロニカが本当に伝えたいこととは何か。
トニーは40年前に何があったのか分からず困惑する。
エイドリアンの残した手記。ベロニカの謎めいた態度。
突きつけられたそれらの謎をトニーが理解するとき、自らの記憶の不確かさと若き日の過ちについて真に理解する。
かつて、高校時代に歴史の教師とやりとりした内容が自分のこととして苦みを伴って思い出される。

本書は、人の記憶の不確かさがテーマだ。長く生きることは、覚えてもいない過ちの種を生きている時間と空間のあちこちに撒き散らすこと。
エイドリアンのように若くして死んでしまえば過ちを犯すことはない。せいぜい、残した文書が関係者によって解釈されるくらいだ。
だが、長く生きている人が自分の全ての言動を覚えていられるものだろうか。

私も今までに多くの過ちを犯してきた。たくさんの後悔もある。私が忘れているだけで、私の言動によって傷つけられた人もいるはずだ。
50歳の声が聞こえてきた今、私の記憶力にも陰りが見え始めている。一年半前に読んだ本書の内容を忘れていたように。

誰もが誠実に、過ちなく生きていたいと思う。だが、過ちも失敗もなく生きていけるほど人の記憶力は優れていない。私も。これまでも、この先も。
過去と現在、未来に至るまで、私とは同じ自我を連続して持ち続けている。それが世の通念だ。だが、本当に私の自我は同じなのだろうか。その前提は、本当に正しいのだろうか。
本稿を書くにあたって改めて読み直したことで、そのような思いにとらわれた。

‘2020/01/01-2020/01/03


イカの心を探る 知の世界に生きる海の霊長類


ここ四、五年ほど、イカに魅了されている。イカの泳ぐ姿や水中でホバリングする姿。なんと美しいのだろうか。体の両脇にあるヒレはどこまでも優雅。波打つように動かし、自由自在に海中を動く。その優美な姿や白く輝く体には惚れ惚れするばかりだ。水族館に行くと、イカの水槽の前だけで3、4時間はゆうに過ごすことができる自信がある。

イカの美しさは私にとって魚類どころか生物の最高峰でもある。もちろん、寿司ネタで食べるイカも魅力的だ。だが、それも全て泳ぐ姿の美しさがあってこそ。もちろん、イカの他にも泳ぐ姿が美しい水中生物はたくさんいる。エイやサメやその他の中堅どころの魚も悪くはない。だが、どこか泳ぎに優雅な感じがしない。無理しながら、ゆとりがないように感じるのは私だけだろうか。それは多分、私が水族館の水槽でしか魚を見ていないからだろう。

水族館の大水槽でよく見るのはイワシの大群。だが、そもそも集団行動を好まない私にとって、イワシの群れはあまり魅力的に映らない。その点、イカは優雅だ。優美であり孤高である。私が水族館の生き物でもっとも魅了されたのは、1匹でも生きていくと言う決意がみなぎるそのシルエットだ。イカの気高くもあり、美しさをも備えた姿は、私の心を惹きつけて止まない。

だからこそ、本書のようにイカを愛する研究者がイカを研究する姿にはうらやましさを感じる。そして、つい本を手に取ってしまうのだ。本書は水族館でイカに魅了された後に購入した一冊だ。

著者によると、イカとは実に頭の良い生き物だそうだ。イカと並んで並び称される水中生物にタコがいる。タコの頭の良さはよく取り上げられる。著者によるとイカはタコと同じ位、もしくはそれ以上に頭の良い生物なのだという。

著者は生物学者として琉球大学でイカを研究している方だ。そしてその研究テーマは、イカの知能を明らかにすること。はたしてイカに知能はあるのか。それはどれほど高いのか。その知能は人間の知能と比較できるのか。本書で明かされるイカの知能の世界は、私たちの想像の上をいっている。そもそも私たちはイカをあまりにも過小評価しすぎている。水中でただ泳ぐだけのフォルムのかわいらしい生き物。イカ釣り漁船のあかりにおびき出され、簡単に釣人の手にかかってしまう生き物。そんな風に思っていないだろうか。

私のイカについての貧しい認識を、著者はあらゆる実験で論破してみせる。そもそも、タコの知能を凌駕するイカは、タコに比べるとずっと社会的なのだという。水槽でしかイカを知らない私は、大海原に生きるイカが、群れをなしたり、助け合ったり、個体ごとに相互を認識して、ソーシャルな関係を維持していることを本書で教わるまで知らなかった。イカは種類によっては体色を自由に変えられることは知っていたが、それは敵に対する威嚇ではなく、ソーシャルな関係を結ぶ上でも役に立っていたのだ。それだけ高度なコミュニケーション手段が備わっているイカ。イカに足りないのはストレスへの耐性だけ。それだけはタコの方に分があるらしい。ストレスが募るとすぐに死ぬため、実験や観察がとみに難しいらしい。イカの研究とは大変な仕事なのだ。

イカに群があり、群れを維持するためのソーシャルなコミュニケーションをとっている事実は、イカに知能はどのぐらいあるのか、という次なる興味へと私たちをいざなう。そこで、いわゆる知能テストをイカに試みる著者の研究が始まる。その研究が示唆するのは、イカには確かに一定の知能があるという事実だ。学習し、奥行きを理解して、記憶できる能力。短期記憶だけでなく、長期記憶があること。そうした実験結果は、イカの知能の高さをまぎれもなく証明する。そして驚くべきことに、イカには世代間の教育がないという。つまり、親が子に何かを教えることもなければ、少し上の世代が下の世代に何かを伝える証拠も見つかっていないのだとか。それでいながら知能を発揮する事実に、感嘆の思いしか浮かばない。イカの可能性は無限。

続いて著者が考えるのは、イカのアイデンティティだ。はたしてイカは自我を備えているのか。イカは自分自身を認識できるのか。それが目下、著者の研究の最大のテーマだそうだ。イカが社会性を備えていることは先行する世界中の研究が解き明かしてくれた。あとは社会性がソーシャルな仕組みを作る本能によるのか、それとも自己と他者を認識する自我の高度な働きによるのか。

ところで、イカの自我はどうやって証明するのだろう。何の証拠をもってイカに自我があることが証明できるのか。実は本書で興味深いのは、そうした研究手法のあれこれを惜しげもなく示してくれることだ。イカの自我を証明するための試行錯誤のあれこれが本書には記されている。イカが自分自身を認識することを、どうやって客観的に確認するのか。その証明に至るまでのプロセス自体が、イカに限らず知性の本質に迫る営みでもある。本書はこうした学術的な実験に触れていない私のようなものにとって、実験とは何を確認し、どう仮説を立てるのかについての豊富な実例の山なのだ。

そうした工夫の数々は、私のようなロジックだけが頼りの情報の徒にとってみると、はるかに難易度が高い営みに思える。イカの研究者は、手探りで先達の研究を学び、試行錯誤して改良を重ね、研究してきたのだ。本書はそうした生物学の現場の実際を教えてくれる意味でも素晴らしい内容だ。

もちろん、イカの姿を見て飽きることを知らない私のようなイカモノずきにとって、イカに対する愛着をさらに揺るぎないものにしてくれることも。

‘2018/08/17-2018/08/20


喜嶋先生の静かな世界


著者の本は一時期よく読んでいた。よく、と言っても犀川シリーズだけだったけど。犀川シリーズとは、那古野大学の犀川助教授とゼミ生である西之園萌絵が主役のシリーズ。本稿を書くにあたり、著者のWikipediaを拝見したところ、犀川シリーズをS&Mシリーズと呼ぶことを知った。S&Mシリーズはとにかく読みやすい。読みやすさのあまり、内容をほとんど忘れてしまう事が逆に欠点となるほどに。私がS&Mシリーズを読むのを途中でやめてしまったのは、その読みやすさが災いしてのことに違いない。そのため、S&Mシリーズの結末は知らない。結局のところ、西之園萌絵は犀川先生を射止めたのかどうかも。

本稿を書くにあたり、私が最後に読んだS&Mシリーズ及び著者の作品を調べてみた。その作品とは「今はもうない」だ。S&Mシリーズの最後から数えて三つ目の作品だ。しかも私は「今はもうない」を二回読んでいる。1998年の11月と2001年の4月に。おそらくはこのときも一回目に読んだ内容を忘れてしまっていたのだろう。私は、これを最後に著者の作品から遠ざかることになる。

そういうわけで本書は、十数年ぶりに読む著者作品となる。

長音を避ける理系色の豊かな文体は相変わらず。ドクターはドクタ。スーパーはスーパ。エネルギーはエネルギィだ。久々に読んでもやはり個性的だ。懐かしさを感じた。

水のようにすっと心に染み入る読みやすさも健在。小説家として稀有な文章力の持ち主なのだろう。文章がうますぎるのだ。そういえば、本書に載っていた著者の略歴を見ると、元名古屋大学助教授となっている。私が著者の作品を読んでいた頃は、まだ現役の名古屋大助教授だった気がする。いつの間に研究職をやめて作家専業になったのだろうか。そう言えばその頃に比べて作品リストも大分層が厚くなったようだ。国立大助教授の職をなげうっても作家として専念できるだけの手ごたえを著者は感じたのだろうか。

だが、国立大助教授まで登り詰めるのもおいそれとできることではない。それができたのは、著者が学究生活に魅力を感じていたからに他ならないと思う。雑務に追われず、自らのピュアな探求心に身を委ねられる日々。充実と成果が相和して得られた研究生活。研究職を辞す決心をした著者には、小説家としての今後の希望と同じくらい、研究者としての日々に後ろ髪を引かれたのではないか。

本書を読むと、学究生活への愛着を感じる。主人公や主人公の師である喜嶋先生の描き方は、著者がかつて持っていたはずの志を体現した人物そのものだ。

本書にはここに書くほどの特別なあら筋はない。あるとすれば、主人公の幼時から大学入学、そして修士課程、博士課程への道筋がそうだ。取り立ててドラマチックな出来事は起こらないし、登場人物の間の関係も単純だ。著者の文体のように、スッと読める筋書きになっている。

本書は筋のない分、主人公の心の軌跡が明るみになっている。読み書きの苦手な少年が宇宙を志す。文系科目は避け、理系科目にのみ興味を寄せる。大学もやすやすと理系学部に入学する。大学の享楽的な雰囲気に失望するも、大学院の求道的な姿勢を目にし、そこに自らの居場所を定める。己の信ずるままに学問に邁進する主人公の人生は、雑味がなく読んでいてとても小気味良い。

院での生活と、そこでの喜嶋先生との出会いが本書の肝となる部分だ。筋といった筋もない本書だが、著者は先生や先輩の院生の異動をうまくからめながら、話が停滞しないように読者を引っ張ってゆく。うまいなあ、と思う。著者の筆達者な筋運びには一分の乱れもない。

一分の乱れもないのは、主人公が師と仰ぐ喜嶋先生も同じ。雑務を排し、学究のみに向かいたいがために講師以上の職を望まない喜嶋先生。その学究者として筋の通った姿に主人公は感銘を受ける。

本書には俗世の安易な快楽は登場しない。学生ノリの飲み会すらほぼ登場しない。本書はむさ苦しい男だけの小説と思いきや、女性も数人出てくる。しかし、本書では恋愛さえ、浮世離れした高尚な営みとして描かれる。院生となった主人公に、大学入学当初から主人公に想いを寄せていた清水スピカが告白する。そんな主人公の人生にとってエポックな出来事さえ、著者は繊細に取り扱う。キスしか描写されないまま、研究者となった主人公はスピカと結婚するのだ。果たして婚前交渉かあったのかどうか、本書からは全く伺うことはできない。プラトニックとでも言いたくなるような、清らかな男女関係だ。

喜嶋先生と計算センタのマドンナ沢村さんの関係も高尚かつ純そのもの。しかし本書には主人公や喜嶋先生を笑う無粋な輩は登場しない。学究の高みを目指して研究にうちこむ本書のテーマにとって、二人の間のロマンスをどうこういう余地はない。本書の純粋さは、登場人物だけでなく読者からの下世話な突っ込みすらも跳ね返す。本書からは世のあらゆるもの、人の営みそのものすら、徹底して水や空気のように透明で通り過ぎていくものとして扱おうとする著者の意思が感じられる。本書は、水のようにしみこむ文体と、水のように薄い俗世の味わいと、水のように純粋な学問への思いから成っている。森の奥に静かにたたえられた湖のように。

主人公が助手から他大学の助教授へと招聘されるにつれ、つまり研究以外のものが生活に混じるに従い、喜嶋先生の口調に丁寧さが混じってゆき、自然と疎遠になってゆく。人は成長するにつれ、世の中と折り合ってゆくために、世俗のものと妥協し、それらを身につけてゆく。それゆえ、世俗に染まった者にとっては、喜嶋先生の孤高を貫こうとする姿が淡々としているように見えるほど、逆に痛々しさを感じる。そしてある種の悔しさすらも感じる。さらには哀しみの感情も抱く。俗なものに流されるとは、長いものに巻かれることは、これほどにも楽なことなのか。そして、自己を貫いて生きるとは、これほどまでに苦しいものなのか。そんなことまで思わせる哀切さにみちた結末だ。

本書の帯には、こう書かれている。
学問の深遠さ、研究の純粋さ、大学の意義を語る自伝的小説

私はこう付け加えたい。
学問の深遠さ、研究の純粋さ、孤高の困難さ、大学の意義を語る自伝的小説、と。

‘2016/07/15-2016/07/16


竹鶴政孝とウイスキー


ジャパニーズウイスキーが国際的に評価されている。

最近はジャパニーズウイスキーの銘柄が国際的なウイスキーの賞を受賞することも珍しくなくなってきた。素晴らしい事である。ウイスキー造りには勤勉さと丁寧さ、加えて繊細さが求められる。風土、環境以外にも人の要因も重要なのだ。日本にはそれら資質が備わっている。近年になってジャパニーズウイスキーが賞賛されている理由の一つに違いない。

今のジャパニーズウイスキーの栄光は、全てが本書の主人公である竹鶴政孝氏の渡英から始まった。まだ日本に洋酒文化が根付かず、ウイスキーの何たるかを日本人の誰も知らぬ時代。そんな時代に竹鶴氏は単身スコットランドで学ぶ機会を得た。そして、そこで得た知見を存分に発揮し、日本にウイスキー文化の種を蒔いた。山崎、余市、宮城峡。どれもがジャパニーズウイスキーを語る上で欠かせない蒸留所だ。竹鶴氏はこれら蒸留所の設計に欠かせない人物であった。

それらの蒸留所を設計するにあたり、竹鶴氏が参考としたのは自らがスコットランドで実習した成果をノートにまとめたものだ。通称竹鶴ノート。

この竹鶴ノート、実は私は見かけたことがある。見かけただけでなく、手にとってページを繰ったことさえある。本書でも触れられているが、以前六本木ヒルズで竹鶴ミュージアムというイベントがあった。そこでは竹鶴ノートの現物が展示ケースに収められていた。私ももちろんじっくりと拝見した。さらに後日、麹町のbar little linkさんでは、関係者に限り複製頒布されたノートを見、それだけだけでなくページまで繰らせて頂いた。

竹鶴ノートの細かな描写からは、求道者の熱意が百年の時を超えて感じられる。日本に本場のスコッチウイスキーを。考えてみれば凄いことだ。あれだけの原材料をつかい、あれだけの時間をかけて熟成される製品を、ノートと記憶だけを頼りに地球の裏側にある日本で再現するわけだから。ITの恩恵に頼り切った現代人にはとてもできない芸当だ。

そんな求道者の風格を備えた東洋人に、リタ夫人が惹かれたのも分かる気がする。当時、どこにあるかも良く知らない東洋の国日本。スコットランドの女性が国際結婚で向かうには人生を賭けねばならない。そんな決断を下し、日本に来た竹鶴夫妻の日々は、想像以上にドラマチックだったことと思う。それが今「マッサン」としてNHKで朝の連続ドラマとなる。素晴らしいことだ。店頭から竹鶴や余市、宮城峡といった年数表示のモルトウイスキーが姿を消すぐらいに。「マッサン」は日本人にもわが国にこれほどのドラマと、これほどの魂のこめられた製品があったことを知らしめたと思う。

本書が「マッサン」を機に企画された事は否めない。だからといって、本書は単なるブーム便乗本と判断するのは早計だ。そうでない事は本書を読めば一目瞭然。なぜならば、「マッサン」のウイスキー考証は、我が国ウイスキー評論の第一人者である著者が担当したからだ。そして本書は考証の成果の一環として書かれた事は明らかだ。本書はいわば「マッサン」の副産物として世に出たといえるだろう。だが副産物とはいいながら本書は「マッサン」の絞りかすどころか、さらに深い内容を含んでいる。

本書の構成は三部からなっている。第一部は、マッサンとリタの歩みを概括している。それも単なる「マッサン」の粗筋ではない。日本の洋酒業界事情もそうだが、竹鶴氏の生い立ちから筆を起こしている。竹鶴氏が広島の竹原で今も日本酒醸造を営んでいる竹鶴家の一族である事はよく知られている。本書はその辺りの事情からなぜ摂津酒造に入社したのかと言う事情にも触れている。さらには摂津酒造の社長阿部氏が政孝青年をスコットランドにウイスキー留学させようとした経緯までも。もちろんスコットランドでの竹鶴夫妻の馴れ初めや修行の様子、日本に帰ってからの壽屋入社と大日本果汁の設立といった足取りもきちんと押さえている。

続いての第二部は本書の肝だ。竹鶴ノートが著者の注釈付きで全文掲載されているから。日本にウイスキーをもたらした原典。それはすなわち当時の本場ウイスキー製造の様子を伝える一級資料でもある。そして竹鶴ノートはウイスキー製造の時代的な変遷を追う上で優れているだけではない。今はなき蒸留所の製造事情を伝えていることも貴重なのだ。竹鶴氏が実習したヘーゼルバーン蒸溜所は今はもうない。ヘーゼルバーンがあったキャンベルタウン地区も、当時はスコッチ先進地域だったにもかかわらず衰退してしまった。今でこそスコットランド各地で蒸溜所が次々と復活・新設され、シングルモルトブームに湧いているが、それでもなお、キャンベルタウンには復活した一つを加えても三つしか蒸溜所がない。竹鶴氏が留学した当時はキャンベルタウンにある蒸留所の数は二十をくだらなかったというのに。その意味でも竹鶴ノートは貴重な資料なのだ。

竹鶴ノートの内容もまた凄い。書かれているのは精麦から発酵、蒸留、そして貯蔵・製樽といったウイスキー製造工程だけにとどまらない。従業員の福利や勤務体制など、当時の日本からみて先進的な西洋の制度まで書かれている。一技術者に過ぎなかった竹鶴氏がウイスキー作りの全てを吸収しようとした意欲と情熱のほどが伺える。著者が今の視点から注釈を入れているが、竹鶴ノートの記述に明らかな誤りがあまりないことも重要だ。それは竹鶴氏が本場のウイスキー作りを真剣に学んだために相違ない。後年、イギリスのヒューム副首相が来日した際に語った「スコットランドで四十年前、一人の頭の良い青年が、一本の万年筆とノートでわが国の宝であるウイスキー造りの秘密を盗んでいった」という言葉は、竹鶴ノートの重要性を的確に表している。それももっともとだと思えるほど、竹鶴ノートは正確かつ実務的に書かれている。学ぶとは、竹鶴氏がスコットランドで過ごした日々を指すのでは、とまで思う。決して頭の中の理論だけで組み立てた成果ではないことを、後世のわれわれは教訓としなければならない。(もっとも山崎蒸溜所建設の際、蒸留釜と火の距離を調べ直すために竹鶴氏はスコットランドを再訪したらしい)

第三部では著者が竹鶴威氏にインタビューした内容で構成されている。竹鶴威氏は政孝氏の甥であり、実子に恵まれなかった竹鶴氏とリタ夫人の養子として迎えられた人物だ。竹鶴氏とリタ夫人をよく知る人物として、本書に欠かせない方である。それだけではなくニッカウヰスキーの後継者として夫妻の期待以上の功績を残した方でもある。マスターブレンダーとしてもニッカウヰスキーに世界的な賞をもたらしている。竹鶴威氏へのインタビューは、竹鶴家の歴史や広島原爆や東京大空襲の遭遇、政孝氏やリタ夫人との思い出、ニッカ製品の変遷など幅広い話題に飛びながらも面白い。

著者はおそらく「マッサン」の考証にあたっては竹鶴ノートは熟読したことだろう。竹鶴氏の洋行やニッカウヰスキーの歩みをとらえ直したことだろう。そして竹鶴威氏とのインタビューによって竹鶴氏の生涯にほれ込んだのではないか。そしてそれは私も同じ。

私が幼稚園まで住んでいた家は、ニッカウヰスキー西宮工場のすぐ近くだった。なので私の脳裏には”ニッカウイスキー”ではなく”ニッカウヰスキー”の文字が染み付いている。後年、22、3歳の頃からウイスキー文化に魅了された私が、神戸の高速長田駅の古本屋で非売品の竹鶴氏の自伝を見つけた時も不思議なご縁を感じた。余市蒸留所には二度ほど訪れている。また、本書が発売されて一年後、私は著者と言葉を交わし、ツーショット写真も一緒に写って頂いた。そんな訳で、本書はとても思い入れのある一冊なのだ。

‘2016/05/01-2016/05/03