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名古屋出張・桑名・養老・大垣の旅 2019/6/4-5


一日目、6/4
家を9時過ぎに出て、新横浜経由で名古屋へ。名古屋には11:45分頃につきました。
今までにも何度か名古屋は訪れていますが、仕事で行くのはおそらく初めてのはず。
この日は名古屋のお客様との打ち合わせやシステムの説明会などがあり、午後から夜まで息をつく暇もないほど。

ホテルは妻に予約してもらいました。場所は伏見の手前、錦橋のたもとです。なので、名駅から歩いていけると判断し、久々の名古屋駅前を味わいつつ歩きます。
転送してもらった案内メールに書かれていた住所まで歩き、着いたホテルはなぜか工事中。おかしいと思いながら、エレベーターを上下してみました。それなのに、どの階も工事しているのです。
思い余って地下の事務所まで乗り込んでみたら、実はビル全体がまだ開業前だったという落ちでした。どうもメールの住所が間違っていたみたい。
わたしが泊まる名古屋ビーズホテルはそこから50メートル離れた場所にありました。ああ、びっくりした。

結局そうしたバタバタがあったので、宿を出たのは12:25分過ぎ。さらに、伏見駅で迷ってしまい、お客様のもとについたのは13時ギリギリでした。
そのため、楽しみにしていたきし麺を食べる暇はなく、ファミリーマートのおにぎりを急いで胃に収めました。旅情ゼロ。

午後のお客様のもとでの詳細は書きません。仕事は無事に終了しましたし、いくつかの打ち合わせもつつがなく終えることができました。(ちなみに一年たった今でもこのお客様とのやりとりは頻繁です。)

夜はお客様の四名の方が酒席に誘ってくださいまして、「世界の山ちゃん 千種駅前店」で。
実は私、初めての山ちゃん体験です。うれしい。
きし麺、あんかけスパゲッティ、手羽先など、名古屋グルメと銘酒を思うがままに味わい尽くしました。

かなりの量のお酒を飲み、酩酊してしまった私。なんとか宿に帰りつくことはできました。でも、バタンキューです。すぐに寝入ってしまいました。
栄のバーを訪問しようと思っていたのですが。おじゃんです。

二日目、6/5
この日は、せっかく名古屋に来たのだから、と観光にあてる予定でした。
朝一で作業をこなし、ホテルを出たのは9時過ぎ。
ホテルに荷物を預かってもらい、名駅まで歩いて向かいます。そこから近鉄に乗って桑名へ。10時過ぎに着いた桑名は、ほぼ4年ぶりの訪問です。
前回の訪問では実家に帰る途中に車で訪れ、川べりで車中泊をしました。桑名城や六華苑や焼き蛤が懐かしい。
今回は桑名はただ立ち寄るだけの場所です。駅前の観光案内所でマンホールカードを入手しただけでした。

この日、私が目指したのは養老の滝です。そこに行くには養老鉄道に乗りかえねばなりません。
この養老鉄道、昔は近鉄の一支線でした。今は近鉄グループに属しているとはいえ、独立した地方鉄道として運行されています。
こうしたローカルな電車の旅は久しぶりで、停車している電車を見るだけで旅の臨場感はいや増していきます。

電車は、桑名から養老駅までの十駅を一駅一駅、丁寧に停車してゆきます。のどかな旅です。
電化されているとはいえ、単線ですから速度も控えめ。車窓からの景色を存分に味わうことができます。旅情を満喫するには十分。
沿線には栗の花が咲き、目に飛び込む風景は、山際に沿った鉄道の風趣が感じられます。

栗の花 今も鉄路の時 刻み
養老鉄道車内にて

養老駅を訪れるのは二十数年ぶりのこと。
当時の記憶はありませんが、久しぶりに訪れた駅には個性がそこらに見られます。中部の駅百選に選ばれただけのことはあります。
ここは酒の愛好家にとっても著名な地。滝近くの水をひょうたんに汲んだところ、酒に変化して父を喜ばせたという孝行伝説でも知られています。
駅名もひょうたん文字で描かれており、おびただしい数のひょうたんが天井からぶら下がる姿は個性そのものです。

駅舎内には地元のNPO法人が観光案内所のような施設を運営しているようです。ただ、私がが訪れたタイミングでは閉まっていました。残念です。
そればかりか、養老駅には事前にレンタサイクルがあると調べていたのですが、駅員さんがどこかに行ってしまったため自転車を借りられませんでした。

なので、駅から養老の滝までを歩くことに決めました。なに、ほんの2、3キロのことです。私にとってはさほどの距離ではありません。
その分、養老の街並みを味わいながら歩くことができました。通りがかった養老ランドという「パラダイス」を思わせる遊園地がとても魅力的です。さらに、公園の中は木々が緑をたたえており、視界の全てが目に優しいです。

養老公園を歩いていると、平日の午前でありながら、開いている店があります。食指が伸びます。
さらに歩くと、菊水泉に着きました。
ここがあの孝行伝説の泉です。名水百選にも選ばれています。

泉の底に影の映る様子は透明そのもの。名水とは何かを教えてくれるようです。
菊水泉のような澄んだ泉をみると、私の心はとても穏やかになるのです。

クモの巣や 霊泉さらに磨きけり
菊水霊泉にて

菊水泉の横には養老神社も建立されています。もちろんお参りしました。そして旅のご加護と仕事の無事を祈願しました。

そこから養老の滝までの道も、見事な渓谷美が続きます。木々と周りの空気の全てが私を癒やします。その喜び。渓流には小さな滝が続き、徐々に期待を膨らませてくれます。

たどり着いた養老の滝は、20数年ぶりに訪問した私を見事な滝姿で待っていてくれました。20数年前は、雨の中でした。滝壺にでかいガマガエルを見つけたことはよく覚えています。
雨の中の訪問だったことに加え、当時は今ほど滝の魅力に惹かれておらず、滝の様子は覚えていませんでした。
だから今回が初訪問とみなしても良いのかもしれません。

養老の滝は直瀑です。30メートル強を一直線に落ちる水量が豪壮で、それが周囲の木々に潤いを与えています。
見事な晴れ空の中、落ちる滝飛沫を見ているだけで、すべての雑事が洗い流されていきます。

白布や 巌透かして 涼やかに
養老の滝にて

一時間近くは滝の姿をあらゆる視覚から眺めていたでしょうか。
養老の滝の前には広場が設えられています。そこには威厳を備えた二基の岩が屹立しています。その合間からのぞく滝も風情があります。
時の天皇からお褒めを賜り、元号にまでなったこの地。それを象徴するのが養老の滝です。
全国に名瀑は多々あれど、元号になった滝はここのみ。
そうした歴史と滝の美しさは、私を滝の前にしばりつけ、全力で引き留めようとします。
この地には私を惹きつける何かがあります。
ですが、きりがありません。後ろ髪を引かれるようにして滝を後にしました。

老い先に あらがう 滝の姿かな
養老の滝にて

養老公園には、滝以外にも私の興味を惹く場所がほかにもまだあります。
ひょうたんランプの館というお店は、名の通りひょうたんで作ったランプを販売しており、外から中を想像するだけで30分は私をとどめることは間違いなかったので、中に入りませんでした。
また、かつてこの地で製造されていた養老サイダーも、瓶があちこちのお店に飾られていて目を惹きます。この養老サイダーは、明治の頃から有名なサイダーとして知られていたものの、二十一世紀に入って操業が中止されていた幻の品。それがブランド名と原料水とレシピを基に復活したそうです。まさにその銘品である養老サイダーをいただいた私。美味しい。旅のうるおいです。

さらに、親孝行のふるさと会館を訪問しました。
養老の滝訪問の証を書いてくださるというのでお願いしたら、途中で墨が出なくなってしまい、サインペンになったのはご愛嬌。

帰りは行きと違う道を通り、養老寺なども詣でながら駅に向かいました。
行きに見かけた養老天命反転地という、錯覚をテーマとした屋外の芸術作品を展示する公園があり、ここには惹かれました。が、この後の行動の都合もあってパスしました。
その代わり、養老の街並みを目に焼き付けながら帰りました。
次回の訪問では養老の街をじっくりと観ることを誓って。

養老の駅に着き、次の電車までの間、しばらく駅前や駅舎を撮影していました。そして、桑名からやってきた電車に乗って大垣方面へ移動します。
せっかくなので、桑名から養老までは乗らなかったサイクルトレインの車両に乗りました。
サイクルトレインとは、車両内に自転車を持ち込める制度です。
でも、こういう試みって、実際に使われている現場に遭遇することはあまりないですよね?
ところが、次の駅ぐらいから自転車を持ち込んできたお客さんがいました。しかも私のすぐ横で。実際に利用されている様子をみて感動する私。
電車内に自転車など、都会では絶対見られない光景です。
また、サイクルトレインを実施している地方のローカル鉄道はあるでしょうが、そうした場所には車で訪れることがほとんどです。
この電車の旅にふさわしい体験ができました。

大垣に近づくにつれ、地元の高校生の姿が目立ってきます。
養老まで乗って来た時の寂とした車内とは様子が一変。学生の乗客と自転車がある車内。なかなかの盛況です。
そして窓の外には美しい車窓が広がり、旅の思い出にアクセントを加えてくれています。
こうした資産を多数持っている養老鉄道には、今後も頑張ってほしいです。うれしくなりました。

電車は大垣の駅に着きました。私は下車します。養老鉄道はさらに北の揖斐まで延びているそうです。機会があれば全線を乗車したいですね。それだけの魅力はありました。

さて、大垣の街です。私は大垣の駅は何度か乗り降りした経験があります。
大阪と東京を青春18きっぷで行き来する時、大垣駅は大垣行き夜行やムーンライトながらの終発着駅です。なので私は何度もお世話になりました。
ところが、大垣をきちんと観光したことは一度しかありません。

今回は短い時間ですが、レンタサイクルを借りて大垣の街を巡るつもりでした。
特に訪れたいのは奥の細道むすびの地記念館です。
松尾芭蕉が奥の細道の旅を完結したのがここ大垣なのです。
私も旅人の端くれとして、また、素人俳句詠みとして、一度は訪れてみたいと思っていました。

駅前のマルイサイクルというお店で自転車を借り、颯爽と大垣の街に繰り出しました。
自転車で旅に出るこの瞬間。これも旅の醍醐味の一つです。

商店街を抜け、しばらく行くと公園の横を通りました。ここは大垣公園です。大垣城をその一角に擁しています。
このあたりから芭蕉翁の時代の面影を宿す街並みが見えてきます。
水都の異名に恥じない美しい水路が流れ、そこに沿ってなおも走ると、住吉燈台という灯台が見えてきました。海沿いの灯台はよく見ますが、川沿いの灯台とは珍しい。しかもそれが往時の姿をとどめていることにも心が動きます。

水路にはかつて船着場だったと思われる階段があちこちに残されており、かつての水都の面影が偲ばれます。
芭蕉翁が奥の細道を終えたとされる実在の船着場の姿は、当時から何も変わっていないのでは、と思わせる風格を漂わせていました。
その船着き場のそばの川べりに建てられたのが、奥の細道むすびの地記念館です。

わが生も 締めは若葉で 飾りたし
おくのほそ道むすびの地にて

奥の細道といえば、日本史に燦然と輝く紀行文学の最高峰です。
あれほどの旅を江戸時代に成し遂げた芭蕉翁のすごさ。さらに俳句を文学的な高みまで研ぎ澄ませて作中に盛り込んだ構成。私も旅人の一人として、常々その内容には敬意を抱いていました。

旅の師を 若葉の下で 仰ぎ見る
おくのほそ道むすびの地にて

ただ、私は何も食べていません。おなかが空いています。さらに道中にも仕事上のご連絡を多くいただいていました。なのでまずは売店に直行し、食べられそうなお菓子を買い込みました。さらに併設のカフェスペースに電源があったので、お店の方に断りを入れて使わせてもらいながら、空腹を満たし、作業に勤しんでいました。
ここで購入した烏骨鶏の卵で作ったバウムクーヘンがとても美味しかった。

さて、腹がくちくなったところで、店の人に再度お断りをいれ、机にパソコンを置かせてもらい、資料館の中へ。

ここ、期待以上の展示内容でした。
芭蕉翁の奥の細道の全編を現代文に読み下した解説がパネルになって展示されています。その解説たるや、国語の教科書よりも詳しいのでは、と思わされます。これはすごい。感動しました。
私も何年か前、古文と読み下し文が併載された奥の遅道は読破しました。が、本では学べなかった詳しい内容や構成がこの資料館では学べます。
俳句を好む私のような人だけでなく、日本史や日本文学の愛好家にとってもここはお勧めできます。もちろん旅が好きな人にも気に入ってもらえることでしょう。
私もまた来ようと思いました。

あまりにも資料館に長居しており、カフェが先に閉まったことに気づかずじまい。せっかく許可をくださったスタッフの方にご迷惑をかけてしまったのは申し訳なかったです。
その分、またお伺いしたり宣伝しようと思いました。

記念館に併設された水場では美味しい水を飲めます。それを飲んで活力を得た後は、再び自転車で駅のほうへと。
大垣城の天守閣に寄ったのですが、天守はすでに閉館時刻のため、入れませんでした。
天守を背景に従えた戸田氏鉄公の騎馬姿の銅像が美しく、逆の角度からは夕日にとても映えていました。大垣城は「おあむ物語」の舞台でもあり、次回は城の見学も含めて訪れたいと思いました。

さて、時間は17時を過ぎました。マルイサイクルさんに自転車を返す時刻まではまだ余裕があります。
そうなると宿主の脳を操ってどこぞへ向かわせようとするのが私の中の悪い虫です。そやつに操られるがままに、私は次の目的地へとハンドルを切りました。
向かうは墨俣一夜城跡。後で確認したところ、大垣駅から7.3キロ離れています。
それでも行ってしまうのが私のサガ。そして持ち味。

ところがなかなか遠いのです。
一生懸命、自転車を漕いだのですが、揖斐川を超える揖斐大橋を渡り、安八町に入ったところで、引き返す潮時だと判断しました。無念です。あとで確認したら墨俣城まではちょうど真ん中でした。
そこから大垣駅へと戻り、自転車を無事に返却しました。大垣を堪能するには時間が足りなかったようです。いずれまた再訪したいと思います。
大垣駅から電車に乗り、豊橋行の新快速で名古屋へ。

名古屋に着き、せっかくなのでナナちゃん像を探しました。ですが、見つけることができません。
錦橋の名古屋ビーズホテルへと荷物を取りに戻った帰り、諦めきれずにナナちゃんを探しました。あった!ようやく見つけることができました。
インパクトのある姿を脳裏と写真に収めたところで、山本屋本店で味噌カツうどんを。
お土産は昨日お客様にお土産でいただいた名古屋名物のお菓子セットがあるので、家族にはあと一品買った程度でした。


戦国姫物語 城を支えた女たち


ここ数年、城を攻める趣味が復活している。若い頃はよく各地の城を訪れていた私。だが、上京してからは家庭や仕事のことで手一杯。城巡りを含め、個人的な趣味に使う時間はとれなかった。ここにきて、そうした趣味が復活しつつある。それも誘ってくれた友人たちのおかげだ。

20代の前半に城を訪れていた頃は、有名な城や古戦場を訪れることが多かった。だが、最近は比較的マイナーな城を訪れている。なぜかといえば、名城の多くは明治に取り壊され、江戸時代の姿をとどめていないことが多いからだ。そうした城の多くは復元されたもので、残念ながらどこかに人工的な印象を受ける。私は今、そうした再建された広壮な城よりも、当時の姿を朽ちるがままに見せてくれる城に惹かれている。中でも山城は、山登りを好むようになった最近の私にとって、城と山の両方をいっぺんに達成できる魅力がある。

城を訪れる時、ただ城を眺めるだけではもったいない。城の歴史や、城を舞台に生きた人々の営みを知るとさらに楽しみは増す。特に人々が残した挿話は、人が活動した場所である以上、何かが残されている。もちろん、今に伝わる挿話の多くは有名な城にまつわるものだ。有名な城は規模も大きく、大勢の人が生活の場としていた。そこにはそれぞれの人生や葛藤が数知れずあるはず。だが、挿話が多いため、一つ一つに集中しにくい。印象も残りにくい。だが、埋もれつつある古城や、こぢんまりとした古城には人もあまりいなかったため、そうした地に残された挿話には濃密な情念が宿っているように思えるのだ。

その事を感じたのは、諏訪にある上原城を訪れた時のことだ。先に挙げた友人たちと訪れたこの城は、諏訪氏と武田氏の戦いにおいて重要な役割を担った。また、ここは諏訪御料人にゆかりのある城だ。諏訪御料人は、滅ぼされた諏訪氏の出で、一族の仇敵であるはずの武田信玄の側室となり、のちに武田家を継ぐ勝頼を生んだ女性だ。自らの父を破った信玄に身を任せたその心境はいかばかりか。戦国の世の定めとして、悲憐の運命をたどった諏訪御料人の運命に思いをはせながら、諏訪盆地を見下ろす。そんな感慨にふけられるのも、古城を訪れた者の特権だ。

戦国時代とは武士たちの駆け抜けた時代であり、主役の多くは男だ。だが、女性たちも男たちに劣らず重要な役割を担っている。諏訪御料人のような薄幸の運命を歩んだ女性もいれば、強く人生を全うした女性もいる。本書はそうした女性たちと彼女たちにゆかりの強い60の城を取り上げている。

本書は全七章からなっている。それぞれにテーマを分けているため、読者にとっては読みやすいはずだ。

第一章 信玄と姫
 躑躅ヶ崎館と大井婦人 / 小田原城と黄梅院 / 高遠城と松姫 / 伏見城と菊姫 / 上原城と諏訪御料人 / 新府城と勝頼夫人
第二章 信長と姫
 稲葉山城【岐阜城】と濃姫 / 小牧山城と生駒吉乃 / 近江山上城とお鍋の方 / 安土城と徳姫 / 金沢城と永姫 / 北庄城とお市の方 / 大坂城と淀殿 / 大津城とお初 / 江戸城とお江 / 岩村城とおつやの方 / 坂本城と熙子
第三章 秀吉と姫
 長浜城とおね / 山形城と駒姫 / 小谷城と京極龍子 / 美作勝山城とおふくの方 / 忍城と甲斐姫
第四章 家康と姫
 勝浦城とお万の方 / 岡崎城と築山殿 / 浜松城と阿茶局 / 鳥取城と督姫 / 松本城と松姫 / 姫路城と千姫 / 京都御所と東福門院和子 / 宇土城とおたあジュリア / 江戸城紅葉山御殿と春日局 / 徳島城と氏姫
第五章 九州の姫
 首里城・勝連城と百十踏揚 / 鹿児島城と常盤 / 平戸城と松東院メンシア / 佐賀城と慶誾尼 / 熊本城と伊都 / 鶴崎城と吉岡妙林尼 / 岡城と虎姫 / 柳川城と立花誾千代
第六章 西日本の姫
 松江城と大方殿 / 吉田郡山城と杉の大方 / 三島城と鶴姫 / 岡山城と豪姫 / 常山城と鶴姫 / 三木城と別所長治夫人照子 / 勝龍寺城と細川ガラシャ / 大垣城とおあむ / 彦根城と井伊直虎 / 津城と藤堂高虎夫人久芳院 / 掛川城と千代 / 駿府城【今川館】と寿桂尼
第七章 東日本の姫
 上田城と小松殿 / 越前府中城とまつ / 金山城と由良輝子【妙印尼】 / 黒川城【会津若松城】と愛姫 / 仙台城と義姫 / 米沢城と仙洞院 / 浦城と花御前 / 弘前城と阿保良・辰子・満天姫

これらの組み合わせの中で私が知らなかった城や女性はいくつかある。なにしろ、本書に登場する人物は多い。城主となった女性もいれば、合戦に参じて敵に大打撃を与えた女性もいる。戦国の世を生きるため、夫を支えた女性もいれば、長年にわたり国の柱であり続けた女性もいる。本書を読むと、戦国とは決して男だけの時代ではなかったことがわかる。女性もまた、戦国の世に生まれた運命を懸命に生きたはずだ。ただ、文献や石碑、物語として伝えられなかっただけで。全国をまんべんなく紹介された城と女性の物語からは、歴史の本流だけを追うことが戦国時代ではないとの著者の訴えが聞こえてくる。

おそらく全国に残る城が、単なる戦の拠点だけの存在であれば、人々はこうも城に惹かれなかったのではと思う。城には戦の場としてだけの役目以外にも、日々の暮らしを支える場としての役割があった。日々の暮らしには起伏のある情念や思いが繰り返されたことだろう。そして、女性の残した悲しみや幸せもあったはずだ。そうした日々の暮らしを含め、触れれば切れるような緊張感のある日々が、城を舞台に幾重にも重なっているに違いない。だからこそ、人々は戦国時代にロマンや物語を見いだすのだろう。

むしろ、本書から読み取れることは、戦国時代の女性とは、男性よりもはるかにまちまちで多様な生き方をしていたのではないか、ということだ。男が戦や政治や学問や農商業のどれかに従事していた以上に、女はそれらに加えて育児や夫の手助けや世継ぎの教育も担っていた。結局のところ、いつの世も女性が強いということか。

私が個人的に訪れたことのある城は、この中で25城しかない。だが、最近訪れ、しかも強い印象を受けた城が本書には取り上げられている。例えば勝連城や忍城など。まだ訪れていない城も、本書から受けた印象以上に、感銘をうけることだろう。本書をきっかけに、さらに城巡りに拍車がかかればよいと思っている。まだまだ訪れるべき世界の城は多いのだから。

‘2018/09/25-2018/09/25


関ケ原


私は、戦国武将の中でも石田三成に自分と近いものを感じている。

今までに関ヶ原は三回訪れた。三回とも笹尾山の石田三成本陣には訪れたが、桃配山には一度も行っていない。桃配山とは徳川家康が最初に本陣とした山だ。また、最後に関ケ原を訪れた際は、妻と二人で石田三成の生誕地を巡ってから戦場に向かった。私は明らかに石田三成に愛着を感じているようだ。

本作は、石田三成を主人公とした関ケ原合戦の物語だ。原作となった司馬遼太郎作の「関ヶ原」でも主人公は石田三成として書かれていたらしい。らしいと書いたのは、原作を読んだかどうか覚えていないからだ。石田三成がどう書かれていたかも記憶が曖昧。だからこそ本作は観たいと思った。

本作は、合戦シーンの派手さだけを魅せて終わる映画ではない。戦国時代を継ぐ時代をどう作ろうとしたのかを描く映画だ。なので、関ヶ原の合戦に至るまでの経緯を丁寧に描いているのが特徴だ。

関ヶ原の合戦とは戦国時代の幾たびも行われた合戦の中でも最大にして、日本の覇権の行く末を決めた最重要の合戦。これに異をとなえる史家はまずいないと思う。大坂の陣も、山崎の合戦も、関ヶ原の合戦に比べれば少し粒が小さい。前者は政権磐石となった徳川家による戦国時代の後始末的な戦いだし、後者は織田家の後継者争いの意味合いが強いからだ。関ヶ原の合戦とは、豊臣家が政権を担うのか、それとも徳川家がとって替わるのか、その後の260年間の帰趨が定まった戦いでもある。260年の未来の重みがあったからこそ、関ヶ原の合戦は重要だったのだ。それが解っていたからこそ、戦う前から武将たちは駆け引きに骨身を削ったのだと思う。

すでに衆目の見るところ、太閤秀吉亡き後、天下を担うのは内府(徳川家康)であるのは明らか。では何をもって石田三成は豊臣家の天下を守ろうとしたのか。それは「義」だ。本作で鍵となるのは、石田三成が島左近を召しかかえるシーンだ。ここで、石田三成は「義」が太閤晩年の豊臣政権から失われてしまっていることを率直に吐露する。武将たちが太閤秀吉に臣従しているのは利益のためのみ。利益だけで維持される政権に義はないといい切る三成。三成は義をもって天下は運営されるべきという。三成の旗印、大一大万大吉に込められた意味だ。「一人が万民のために尽くし、天下が泰平になればみんなが心豊かに暮らせる」

怜悧冷徹な官僚的人物。それが今までの石田三成評だった。本作はそのイメージを覆しにかかる。ただ権威に盲従するのではなく、権威に威を借るのでもない。今の太閤殿下に義はないといい切る三成に旧来のイメージはない。むしろ、豊臣政権の末期は三成にとって忌避すべき政権であり、徳川家康こそが豊臣の利得政権の後継者なのだ。それがゆえに、政権をとらせてはならない。秀吉が天下を取った当時の理念に立ち返らせることに自らの信念を掛ける三成。そこには従来の豊臣政権の後継者としての石田三成の悪評はない。三成と家康が考える豊臣政権は、正義と不義が鮮やかに反転しているのだ。三成にあるのは自分が豊臣政権を担い正道に戻すのだ、という強烈な自負だ。

だからこそ、たかだか19万石の石高しか持たない石田三成に、日和見軍がいたとはいえ、あれだけの人数が馳せ参じたのだろう。

三成が義を語るシーンは他にもいくつか出てくる。例えば初芽に対し、天下が自分の理念に沿って運営されるのを確かめたら諸国を巡りたい、一緒に来てくれないか、というシーン。ここで描かれる三成は覇権や自己保身に汲々としない人物だ。初芽にも観客にも岡田三成が最も魅力的に映るシーンとして、ここを上げてもいいほどに。

また開戦前夜、松尾山の小早川秀秋の元に行き、明日の参戦をかき口説くシーンもそう。ここでも義は持ち出される。小早川秀秋が当初から徳川家康に内通を約していたのであれば、あそこまで迷わなかったはず。本作でも秀秋が三成に悪感情を持ってしかるべき伏線はたくさん引かれている。秀次の側室駒姫の処刑を監督する三成と彼らを不承不承連行する役目を仰せつかった秀秋は、いかな感情を三成に抱いたか。また、朝鮮の役での秀秋の戦いぶりを三成が罵倒するシーンも同じく重要だ。それだけの伏線があってもなお、秀秋に東軍への寝返りを迷わせたものは何か。

周到に関ヶ原の合戦前夜までを描くことで、本作は6時間で大勢が決したとされる関ヶ原の合戦に重層的な重みを与えている。南宮山にこもったきり出てこなかった毛利軍や、大勢が決した後に敵中突破して薩摩に逃げ帰るまで動こうとしなかった島津軍もきっちり書いている。また、前哨戦となった大垣城や杭瀬川の一戦と前夜の駆け引きまでもが、 カット割りと編集によって 疑心暗鬼と駆け引きが深められているところも本作の見どころだ。また、小早川秀秋の寝返りの瞬間に新たな解釈を与えているのも興味深い。

合戦シーンもリアルに感じた。泥臭く、派手さのない戦さ。突いて、組み付いて、叩く。剣が首を跳ね飛ばすシーンなど一、二回しかでてこない。実際の戦闘はそんなものだったのだろう。後の剣豪宮本武蔵が関ケ原の戦いに参戦していたとも伝わっているが、鮮やかな剣術で斬りまくったという話は聞かない。それも本作を観れば納得できる。また、戦陣の描写もリアル。東西がきれいに二分され対峙した分かりやすさはない。整然とした戦場で、戦況の全てを見極めた軍師の采配が鮮やかに全軍を動かすといったこともない。あちこちで旗印を掲げた集団が槍の穂を組み押し合っている。前後に集団が向かい合い、上下に騎馬武者が行き来し、そこここで鬨の声がこだまする。広大な戦場でそれぞれの軍団同士が組み合って、それぞれの持ち場でしのぎを削る。それが戦場の実情なのかもしれない。本書の三次元、いや、時間も含めると四次元に描かれた戦場は混沌としており、それがとてもよい。実際に関ヶ原を訪れつ私にも、在りし日の戦場が思い起こせるようだ。そしてそのすべてを見ているのは村の地蔵。三成によって転がっていた地蔵が元の祠に安置され、それが戦場に迷い込んだ初芽たちと雑兵によって荒らされ、さらにそれを戦後の実検で訪れた家康によって安置しなおされる演出も良かった。

本作を観ると、石田三成には武運拙くという言葉が似合う。実際、あと一息だったのだと思う。秀忠軍三万五千の軍勢が上田城で足止めされたという幸運もあって、戦況は東西どちらに転んでもおかしくなかった。家康の老獪な根回しが毛利軍を南宮山から動かさず、ギリギリで小早川秀秋の寝返りを生んだからこその敗戦。

戦いの前段から処刑場へ運ばれるまでの日々を石田三成は生きる。自らが信ずる大義を見据えて。その眼差しは、本作で石田三成を演じた岡田准一さんがしっかりと再現してくれている。なんといえば良いか、岡田さんは目で三成を演じている。まるで目前に本物の秀吉が床几に肘をついているかのように。家康と丁々発止の、そして無言の対面を果たすかのように。島左近が戦場で疾駆する様子を見るかのように。岡田さんの三成は、本物の石田三成がこうだったと思わせる迫真性がある。今までも色んなドラマでさまざまな役者さんによって三成は演じられて来た。その中でも岡田三成がもっとも血が通っていたように思う。それはもちろん、役者さんだけの力ではない。監督による三成解釈が官吏三成を前面に押し出さず、血の通った理想主義者として描いていたからだろう。でも、その期待に応えて演じきった岡田さんの演技がすごい。毎回唸らされる。

さらに、家康を演じた役所さんも見事というほかはない。家康もあまたの役者によって演じられてきたが、役所家康も屈指の家康像だったと思う。さりげなく爪を噛む癖や老獪さを醸し出すあたり、家康が現世に現れたらあのような、と思わせた。まるで現し身のよう。

また、他の役者さんもお見事。出番は少なかったが、滝藤さん扮する秀吉の老残の感じや哀れさが流ちょうな名古屋弁によってとても現れていたし、キムラ緑子さんによって演じられた北政所は、一説に関ケ原の戦いの黒幕ともいわれる北政所のしたたかさがよく出ていたと思う。また平さん演ずる島左近が、また歴戦の勇者のつわものぶりを全身にまとっていてとても印象に残った。また、石田三成といえば大谷刑部吉継との友情は外せないが、大場さんによって演じられた大谷吉継の達観した感じが、本作に一層の深みを与えていたように思う。他の役者さんも含めて、役者さんたちの演技に不満はない。スタッフと役者のすべてががっちり組み合い、これほどまでの大作を作り上げたことに感謝したい。

パンフレットによれば、監督の構想は二転三転したという。主役は島左近から小早川秀秋、さらに島津義弘と替わり、最後に石田三成に落ち着いたようだ。その年月たるや構想25年。原作をおそらくは何度も読み込み、あらゆる視点で物語を読み直したのだろう。それが本作の重層的で多面的な描写につながっているはず。まさに監督の想いが詰まった渾身の作品を観たという喜びが全身にわいてくる。すばらしい一作だったと思う。

あえていえば、史実に忠実であろうとするあまり、ケレン味に欠けるところが欠点だろうか。人によってはもっと娯楽に徹して欲しかったという意見もあるかもしれない。もっとも私には欠点ではなく、そのケレン味のなさが良かったのだが。おかげで四回目の関ケ原巡りがしたくなった。次は南宮山や桃配山も登り、三成の逃亡ルートや島津の逃亡ルートも歩いてみたい。

2017/9/1 イオンシネマ新百合ヶ丘