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戦国姫物語 城を支えた女たち


ここ数年、城を攻める趣味が復活している。若い頃はよく各地の城を訪れていた私。だが、上京してからは家庭や仕事のことで手一杯。城巡りを含め、個人的な趣味に使う時間はとれなかった。ここにきて、そうした趣味が復活しつつある。それも誘ってくれた友人たちのおかげだ。

20代の前半に城を訪れていた頃は、有名な城や古戦場を訪れることが多かった。だが、最近は比較的マイナーな城を訪れている。なぜかといえば、名城の多くは明治に取り壊され、江戸時代の姿をとどめていないことが多いからだ。そうした城の多くは復元されたもので、残念ながらどこかに人工的な印象を受ける。私は今、そうした再建された広壮な城よりも、当時の姿を朽ちるがままに見せてくれる城に惹かれている。中でも山城は、山登りを好むようになった最近の私にとって、城と山の両方をいっぺんに達成できる魅力がある。

城を訪れる時、ただ城を眺めるだけではもったいない。城の歴史や、城を舞台に生きた人々の営みを知るとさらに楽しみは増す。特に人々が残した挿話は、人が活動した場所である以上、何かが残されている。もちろん、今に伝わる挿話の多くは有名な城にまつわるものだ。有名な城は規模も大きく、大勢の人が生活の場としていた。そこにはそれぞれの人生や葛藤が数知れずあるはず。だが、挿話が多いため、一つ一つに集中しにくい。印象も残りにくい。だが、埋もれつつある古城や、こぢんまりとした古城には人もあまりいなかったため、そうした地に残された挿話には濃密な情念が宿っているように思えるのだ。

その事を感じたのは、諏訪にある上原城を訪れた時のことだ。先に挙げた友人たちと訪れたこの城は、諏訪氏と武田氏の戦いにおいて重要な役割を担った。また、ここは諏訪御料人にゆかりのある城だ。諏訪御料人は、滅ぼされた諏訪氏の出で、一族の仇敵であるはずの武田信玄の側室となり、のちに武田家を継ぐ勝頼を生んだ女性だ。自らの父を破った信玄に身を任せたその心境はいかばかりか。戦国の世の定めとして、悲憐の運命をたどった諏訪御料人の運命に思いをはせながら、諏訪盆地を見下ろす。そんな感慨にふけられるのも、古城を訪れた者の特権だ。

戦国時代とは武士たちの駆け抜けた時代であり、主役の多くは男だ。だが、女性たちも男たちに劣らず重要な役割を担っている。諏訪御料人のような薄幸の運命を歩んだ女性もいれば、強く人生を全うした女性もいる。本書はそうした女性たちと彼女たちにゆかりの強い60の城を取り上げている。

本書は全七章からなっている。それぞれにテーマを分けているため、読者にとっては読みやすいはずだ。

第一章 信玄と姫
 躑躅ヶ崎館と大井婦人 / 小田原城と黄梅院 / 高遠城と松姫 / 伏見城と菊姫 / 上原城と諏訪御料人 / 新府城と勝頼夫人
第二章 信長と姫
 稲葉山城【岐阜城】と濃姫 / 小牧山城と生駒吉乃 / 近江山上城とお鍋の方 / 安土城と徳姫 / 金沢城と永姫 / 北庄城とお市の方 / 大坂城と淀殿 / 大津城とお初 / 江戸城とお江 / 岩村城とおつやの方 / 坂本城と熙子
第三章 秀吉と姫
 長浜城とおね / 山形城と駒姫 / 小谷城と京極龍子 / 美作勝山城とおふくの方 / 忍城と甲斐姫
第四章 家康と姫
 勝浦城とお万の方 / 岡崎城と築山殿 / 浜松城と阿茶局 / 鳥取城と督姫 / 松本城と松姫 / 姫路城と千姫 / 京都御所と東福門院和子 / 宇土城とおたあジュリア / 江戸城紅葉山御殿と春日局 / 徳島城と氏姫
第五章 九州の姫
 首里城・勝連城と百十踏揚 / 鹿児島城と常盤 / 平戸城と松東院メンシア / 佐賀城と慶誾尼 / 熊本城と伊都 / 鶴崎城と吉岡妙林尼 / 岡城と虎姫 / 柳川城と立花誾千代
第六章 西日本の姫
 松江城と大方殿 / 吉田郡山城と杉の大方 / 三島城と鶴姫 / 岡山城と豪姫 / 常山城と鶴姫 / 三木城と別所長治夫人照子 / 勝龍寺城と細川ガラシャ / 大垣城とおあむ / 彦根城と井伊直虎 / 津城と藤堂高虎夫人久芳院 / 掛川城と千代 / 駿府城【今川館】と寿桂尼
第七章 東日本の姫
 上田城と小松殿 / 越前府中城とまつ / 金山城と由良輝子【妙印尼】 / 黒川城【会津若松城】と愛姫 / 仙台城と義姫 / 米沢城と仙洞院 / 浦城と花御前 / 弘前城と阿保良・辰子・満天姫

これらの組み合わせの中で私が知らなかった城や女性はいくつかある。なにしろ、本書に登場する人物は多い。城主となった女性もいれば、合戦に参じて敵に大打撃を与えた女性もいる。戦国の世を生きるため、夫を支えた女性もいれば、長年にわたり国の柱であり続けた女性もいる。本書を読むと、戦国とは決して男だけの時代ではなかったことがわかる。女性もまた、戦国の世に生まれた運命を懸命に生きたはずだ。ただ、文献や石碑、物語として伝えられなかっただけで。全国をまんべんなく紹介された城と女性の物語からは、歴史の本流だけを追うことが戦国時代ではないとの著者の訴えが聞こえてくる。

おそらく全国に残る城が、単なる戦の拠点だけの存在であれば、人々はこうも城に惹かれなかったのではと思う。城には戦の場としてだけの役目以外にも、日々の暮らしを支える場としての役割があった。日々の暮らしには起伏のある情念や思いが繰り返されたことだろう。そして、女性の残した悲しみや幸せもあったはずだ。そうした日々の暮らしを含め、触れれば切れるような緊張感のある日々が、城を舞台に幾重にも重なっているに違いない。だからこそ、人々は戦国時代にロマンや物語を見いだすのだろう。

むしろ、本書から読み取れることは、戦国時代の女性とは、男性よりもはるかにまちまちで多様な生き方をしていたのではないか、ということだ。男が戦や政治や学問や農商業のどれかに従事していた以上に、女はそれらに加えて育児や夫の手助けや世継ぎの教育も担っていた。結局のところ、いつの世も女性が強いということか。

私が個人的に訪れたことのある城は、この中で25城しかない。だが、最近訪れ、しかも強い印象を受けた城が本書には取り上げられている。例えば勝連城や忍城など。まだ訪れていない城も、本書から受けた印象以上に、感銘をうけることだろう。本書をきっかけに、さらに城巡りに拍車がかかればよいと思っている。まだまだ訪れるべき世界の城は多いのだから。

‘2018/09/25-2018/09/25


秀頼脱出


唐突ながら、出版社には格があると思う。格が何かを表現するに、新聞を例にあげると良いだろう。例えばガセネタといえば東スポ、大スポであり、信頼できる新聞といえば日本経済新聞というように。もっともこの例も最近は怪しくなりつつあるけれど。要するに情報の発信元への信頼度を格といい替えてみた。

出版社によってはトンデモない珍説を堂々と出版してしまうこともある。記載された情報を著者の主観だけでろくに裏取りせず、堂々と帯に新説として打ち出してしまうなど。そのようなトンデモ本の類いは「ト学会」に面白おかしく取り上げられ出版社としての格を落とす。そうしたトンデモ本を出す出版社の本は、どれほど真面目な内容であってもエンターテインメントの一種として見られ、読者は読んでいる間、眉に唾を付けっぱなしとなる。出版社や著者にとっては甚だ不本意な話であると思う。

では、本書の発行元である国書刊行会はどうか。国書刊行会は、私にとっては格の高い出版社である。世界のマイナーだが面白い本、日欧米以外の国で出版された名作や前衛作、そして問題作を我が国に積極的に紹介するその志には常々敬服している。格の高さだけでなく志を持っている出版社だと思っている。その二つを兼ね備えた出版社となるとなかなか見当たらない。

正直言って私が本書を手に取ったのは、題名と出版社の落差に興味を持ったからだ。もし本書が私にとって格の落ちる出版社から発行されていれば本書は手に取らなかっただろう。なにせ題名が「秀頼脱出」である。豊臣秀頼は大坂城で死んだのではない、という陰謀説の臭いが題名からもうもうと立ち込めている。そして本書は小説ではなく歴史書の類だ。しかも著者の名は本書で初めてお見かけした。となればなおさら本書は敬遠の対象となる。しかし、そのような偏見を抱きかねない本書は国書刊行会から出版されているのだ。私ががぜん興味を持ち、本書を手に取ったのはそういう経緯からだ。

なお、私は歴史にまつわる伝説の類いは好きだ。高木彬光氏の名著「成吉思汗の秘密」はそれこそ10回は読んでいる。こういう悠久の歴史の中で遊ぶロマンは好きだ。史実を金科玉条のように崇め奉るだけではロマンは生まれない。しかし、ロマンはロマン。それを史実として吹聴することについてはちょっと待て、と思う。

秀頼が死なずに薩摩辺りに逃れたという説があるのは以前からおぼろ気には知っていた。だが、今までの私は太閤の栄華を惜しむ民衆の心情が作り上げたよくある陰謀説の一つとしてあまり本気にしていなかった。

わたしがここに来て秀頼の脱出に興味を持った理由は二つ。一つは先日読み終えた「とっぴんぱらりの風太郎」だ。(レビュー)。秀頼はこの本において主要な脇役として登場する。その哀愁と愛嬌の両方を備えたキャラ設定には親しみを覚えた。そして「とっぴんぱらりの風太郎」は大坂城の大爆破でクライマックスを迎えるのだが、秀頼の最期は曖昧に描かれていた。果たして「とっぴんぱらりの風太郎」の中で秀頼はどうなったのかという疑問が喉に引っ掛かっていた。

もう一つは大河ドラマ真田丸の存在だ。本書を読んだ時点ではまだまだ先だが、いずれは秀頼の最期もドラマ内で映し出される日も来るのだろう。その時に秀頼の最後がどう描かれるのか、という興味だ。結局、私は真田丸の視聴を途中で断念してしまったのだが。

本書では秀頼脱出に真田大助が先導役を果たしたという説まで紹介されている。著者の探求は幸村一行の消息までは及んでいない。著者が追及し検証するのはあくまでも秀頼が大坂城を脱出し、薩摩へ逃れたという仮説の構築だ。そこに著者は重きを置いている。

その検証を進めるにあたり、著者の姿勢は慎重この上ない。そもそも著者が秀頼脱出説に興味を持ったのは、木下家の現当主、木下俊凞氏から木下家に一子相伝で伝わる伝承を教えてもらったからだという。その伝承とは、秀頼の遺児国松は京で斬首に処せられたのではないというものだ。豊臣秀吉の若き日の姓名が木下藤吉郎であることはよく知られている。諸説はあるが木下とは父の名乗っていた姓だという。そして秀吉の死後は秀吉の妻北政所の一族が木下家を継いだという。いずれにせよ木下家は秀吉に縁ある家柄だ。江戸幕府からは一定の配慮を受け江戸時代を生き延び、今に至っている。そんな一族に伝わる伝承だからこそ、著者は俗説として退けず、真剣に向き合ったのではないか。

さらに著者は、ある縁で多田金山に眠る伝説に真田幸村の家臣として知られる穴山小助が絡んでいたことを知る。太閤埋蔵金伝説で知られる多田金山には、今も眠ったままの財宝があるという。金山の資金の一部は、大阪冬夏の陣や秀頼の薩摩行きにあたり豊臣家のためとして使われたという。こういった周辺の伝承も、著者の心を調査へと駆り立てる。

著者は秀頼脱出説の真偽を調べるため九州へ飛ぶ。木下家に伝わる伝承によると、木下家が藩主となった立石藩5000石から初代藩主木下延俊の意思によって日出藩が分家された。日出藩の藩主となった人物こそ、大阪城から逃れた国松ではないかと著者は推測する。そこには立石藩主木下延俊が設けた子の名前が六人とも同じ縫殿助という名となっていて、いかにもな証拠となっている。

一方、国松の父秀頼は薩摩の谷山でかくまわれ、そこで子を成したのち45歳で自死した伝承が残っているらしい。それを裏付けるかのように地元には秀頼が薩摩に来た伝承が野史に残っていたり、秀頼の墓と伝わる石塔が今も立っている。著者はそれらの伝承は確認したものの、それ以外に碑や墓、書状という明確な形では確証が得られなかったようだ。本書にはそのことが正直に記してある。

著者の探求はかつて日出藩があった今の日出町へと向かう。日出藩菩提寺だった松屋寺には豊臣と銘された石柱や石灯籠が多数並んでいる。それらは写真として本書に紹介されている。また、日出藩領にある長流寺は、他の寺にはあまり見られぬ場所に石柱が立っている。その石柱にはただ一言『興亡三百年』と彫られている。これも写真で掲載されている。

著者が住職に伺った話でも、国松が立石藩初代藩主延由であることは公然の事実として伝えられているらしい。位牌にも豊臣の名が刻まれており、その位牌の写真も本書に紹介されている。

こういった著者の探求は、読者をして国松生存説に傾かせるには魅力的だ。冒頭に書いた通り、国書刊行会という名のある出版社が本書を出すからには相当の裏付けがないと難しい。著者が調べて本書に掲載した裏付けは、国松生存説を補強し、出版に踏み切らせるだけの強力な調査結果だったと思われる。

あとは秀頼である。秀頼は著者の調べるによると宗連と名を変えて薩摩に住んでいたという。だが、薩摩には確とした痕跡が残されていない。薩摩藩としては幕府の目を憚って証拠を残さぬように処置したのだろうと著者はいう。そして、著者の主張する通り国松生存が濃厚であれば、秀頼もまた生存していたと考えるのが自然である。薩摩には秀頼生存の確とした証拠がない代わりに、あちらこちらに伝説は残されている。著者はそれらの説も紹介するのだが、秀頼生存説の決定打となる証拠がない。

膠着状態の著者を救うかのように、埼玉の木場氏という方からの連絡がある。木場氏は、自家に伝わる一子相伝を語る。それによれば豊臣家に仕えた馬場文次郎という武士がいて、この人物が秀頼の大坂城脱出にあたって多大な貢献を果たしたとか。そのため、島津藩では木下の”木”と恩人である馬場の”場を組み合わせて木場という家を創設し、秀頼の子孫に名乗らせたというのだ。木場家では一子相伝の口伝として代々伝承されているというのだ。

木場家の伝承は歴史ロマンとしては魅力的だが、正直いって口伝なのが弱い。口伝だけでなく手紙や書状が残っているのであれば、本書でその手紙を紹介して欲しかったのだが。

また、木場家の伝承の中では真田大助が落ち延びる秀頼と鶴松に同道して薩摩へと向かったとあるようだ。木下家に伝わる一子相伝にも木場家に伝わる一子相伝にも、真田幸村ではなく大助が薩摩落ちに関係したという。双方の一子相伝を信ずるならば、真田幸村は薩摩に落ち延びず大助だけが落ち延びたことになる。つまり真田信繁の名を日ノ本一の兵として高めた大坂の陣での活躍は、死なずに落ち延びたという行いに汚されなかったことになる。これには正直ほっとした。兵をおいて将が薩摩に落ち延びたとすれば幻滅だからだ。

本書では巻末で私も初耳の説が紹介されている。それによると秀頼が設けた息子の一人に羽柴天四郎秀綱がいたという。そして島原の乱の首領であったと記された文書があるという。いうまでもなく天草四郎である。また、そこには秀頼自身も参戦していたともいう。その書状も本書には紹介されていないし他の証拠もない。これが本当なら歴史ロマンの花開く話なのだが。

著者が本書を世に問うた後、どのような調査を行ったのか。そして日本の史学会が秀頼脱出説をどう扱ったのか。そのことをとても知りたく思う。史実として秀頼脱出を認めるわけではないが、火のないところに煙は立たないともいう。何がしかの新事実があるのならなおさらだ。脱出説には関係なく、秀頼を再評価する動きも歴史家の間にあるとも聞く。戦国の世を締めくくる合戦の大将の末路が、城と共に飛散したのか、それとも今の世まで脈々と伝わっているのか。それはとても興味があるのだが。

‘2016/03/22-2016/03/24