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2023年5月のまとめ(個人)


公私の「私」

●家族とのふれあい

§  総括
5月。
今月も仕事が忙しく、連休も仕事をしていました。オフの日は3日ほどありましたが、完全オフの日は1日だけでした。
忙しかったですが、出張を利用して方々へ出かけられました。
今月は田無、高知、京丹波、大阪、甲府を仕事で訪問しました。また、近場では大磯や練馬、和光市や河口湖を旅しました。

仕事をしながら、旅をする。そのノウハウをいかに実現するかが私のテーマです。
少しずつやり方を理解しています。が、まだ努力が必要です。私にとって、行きたい場所とやりたい事は無限にあるのですから。
まだ私がオペレーションに当たらねばならない作業が多く、思ったような毎日は送れていません。

どうすれば仕事とやりたいことを両立させられるのか。
そうならないためのさらなる工夫が必要です。

仕事に偏っている証拠は、執筆活動や読書などの文化活動の低下として顕著に現れています。

私に与えられた時間は有限で、ますます残り少なくなっています。
残された時間を少しでも有意義にしたいと思います。死を迎えるまでに。

生きていること、生かされていることのありがたみ。
それを常に忘れぬようにしながら、充実した日々を送りたい。
皆さんと私の思いは同じです。

娘たちもそれぞれの道を迷いながら歩んでいます。
私も娘たちをフォローしながら、これからの人生を有意義なものに過ごしてほしいと思っています。
残りの限られた人生の中で家族との時間を大切にしながら、自分に与えられた可能性と時間を精一杯使い切りたいと思います。

先月に起こったアクシデント。無事に今月下旬に車が納車され、妻の後遺症がなかったのは幸いです。
韓国に4月中ずっと言っていた次女も初旬に日本に戻ってきました。
弊社に入ってくれた長女も登記やその他手続きで活躍してくれています。

今月は家族とは四回お出かけしました。妻とは一回、妻と長女とは四回、妻と次女とはゼロ回、長女と次女とはゼロ回。長女とは一回、次女とはゼロ回。


§  月表

 ・五月お出かけ
STRI山梨県立図書館 かいぶらりcaf? terroirくるむ甲州夢小路玉屋甲府城 山手御門内松陰門舞鶴城公園天守台甲斐府中城 鉄門KoKori ココリ山梨万年筆商会オープンカフェ まるごとやまなし館七賢山梨県産品センター 甲斐の味くらべ、前原塚古墳、猪方小川塚古墳、和泉多摩川河川敷、サイゼリヤ 鶴川駅北口店大磯迎賓館湘南発祥之地大磯 石碑鴫立庵肉と野菜の店 相模園こゆるぎの浜旧吉田茂邸大磯城山公園内門 (兜門)バラ園地場屋ほっこり果実園リーベル、175°DENO担担麺、島崎藤村旧居跡、豊島長崎の富士塚、白子の滝、七宝麻辣湯 町田東口店、肉匠の牛たん たん之助、薬師池公園、麺屋ジャイアン、ファミリーマート 田無町三丁目店、田無神社、CAFe de CRIe Plus、航海屋、町田市立中央図書館、STRI、イオンシネマ新百合ヶ丘Aeonliquor 新百合ヶ丘店STRI、らあめん花月嵐、啓文堂書店、薬師池公園 蓮園、空港第2ビル駅 (成田第2・第3ターミナル)、第3ターミナル、搭乗口 174、高知龍馬空港 (KCZ)、はりまや橋バス停、まるきちうどん 土佐本店、はりまや橋公園、はりまや橋、ドーミーイン高知、ドーミーイン高知、ローソン 高知追手筋1丁目店、個室四季料理くらり、ひろめ市場、コロンボ、武市瑞山先生殉節之地、高知大神宮、高知城、入明駅、搦手門跡、高知公園、グランド通電停、源水はりまや、はりまや橋デンテツターミナル前バス停、ちより街テラス、知寄町二丁目電停、追手筋宴舞堂、チョンマゲ、saga、バール・バッフォーネ、ボストンカフェ、馬場辰猪先生誕生之地、龍馬郵便局、龍馬の生まれたまち記念館、坂本龍馬先生誕生地、上町一丁目電停、麺 ほーほけきょ、高知中央郵便局、べろべろの神様、琴滝、道の駅 京丹波 味夢の里、塩谷古墳公園、京丹波マルシェ、胡麻駅、Tully’s Coffee、Zepp なんば、Tully’s Coffee、作ノ作 千日前本店、グランフロント大阪、ashibinaa、人類みな麺類 Premium、CoCo壱番屋、EKITERIA PRONTO、大和市文化創造拠点シリウス、薬師池公園、味の民芸 本町田店EXPASA談合坂 (下り)談合坂定食亭山梨県営 船津浜無料駐車場畳岩ふなつやみはらし亭河口湖チーズケーキガーデン、井出醸造店、道の駅 かつやま小海公園三七の広場談合坂SA (上り)、山下本気うどん、ドトールコーヒーショップ、町田合同庁舎ハローワーク町田01CAFE SURF DINER

・五月ツイート
https://togetter.com/li/2157554

§  家族とのお出かけ 家族で出かけたのは、上の年表で黄地に太字にしているイベントです。家族で出かけたのは、今月は四回です。

4月の1日から韓国に行っていた次女が10日に帰ってきてから、一人で過ごしたくないと実家に帰ってくることが増えています。


まず、家族で映画「ザ・スーパーマリオブラザーズ・ムービー」を見に行き、その夜は町田のSTRIでちょっとおしゃれな夕食を楽しみました(5/14)。

別の日には家族で夕食を(5/26)。味の民芸本町田店で。私たちがご飯を食べているまさにその時間、町田駅前の喫茶店で暴力団員が刺殺される事件がおき、たまたま家族でそろっていた幸運をかみしめました。

唯一の旅は家族そろって河口湖へ(5/28)。湖畔ですこしぶらぶらと。さらに道の駅かつやまと目の前の小海公園でわんちゃんたちを放し飼いにしてゆっくりした時間を過ごしました。
夜は三七の広場でワインパミスをまぜた飲茶をいただきました。おいしかった。

その翌日にも家族で「01CAFE SURF DINER」でハワイアンな夕食を楽しみました(5/29)。


§  妻とのお出かけ 妻と出かけたのは、上の年表で桃地に太字にしているイベントです。今月は妻と二人で一度でかけました。

連休中に二人で電車に乗って大磯へ(5/5)。大磯駅で降りて、町中や旧東海道を歩きました。
大磯迎賓館から、鴫立庵へ。俳諧の聖地に初めて訪れた後は、さらに東海道を東へと歩き、「肉と野菜の店 相模園」でおいしいお肉と野菜の料理を。

さらに東へ歩き、大磯城山公園へ。そこの旧吉田茂邸に入ってみたかったのです。が、火災から再建された旧吉田茂邸は閉園時間が来てしまったため、庭園をあるくだけに。

ただ、ここのバラ園が見事で、バラが好きだった吉田茂翁のバラ園を再現したものらしいのですが、まさに見事。その中でもコンラート・アデナウアーというバラの香りが素晴らしく、深く印象に残りました。
帰りは藤沢駅横の施設に入っていた果実園リーベルでパフェを。私もここでオンラインミーティングをしていました。


§  妻と長女とのお出かけ 妻と長女と出かけたのは、上の年表で緑地に太字にしているイベントです。今月は妻と長女との三人で出かける機会は四回ありました。

まず、弊社メンバーとの定例対面開発の場で昼にSTRIで食事をした際、メンバーの一人が入社日だったので、歓迎会もかねて。妻も長女も同席しました(5/1)。

また連休のる一日、妻が今度弊社で手掛けるイベントの下見に行きたいというので、甲府まで行ってきました(5/3)。県立図書館で6/3のイベントを一緒にする方と合流し、まずは秋ごろのイベントの開催場所としての可能性を探りました。
その後はCafé terroirに移動し、おいしい果物のピザやパスタを。ここのオーナーの方とも今度のイベントの事で話が盛り上がり、たまたま卵を届けに来た方とも盛り上がりました。
そこは甲府駅のすぐ近く。甲州夢小路という一角で、いくつかのお店も見学しました。

さらに舞鶴城址の天守台に登って甲府盆地をぐるりと見渡しました。今後、この地で何ができるかを確かめるように。
その後は甲府の繁華街へ。このあたりはだいぶさびれてしまった感がぬぐえません。が、万年筆商会などのユニークなお店もあり、甲府の可能性を感じさせてくれます。

夜は七賢酒場で七賢を飲みつつ、甲府の夜を堪能し、帰りはスーパーあづさで新宿まで出てそこから町田に帰りました。

別の日は近所のサイゼリヤへ(5/4)。

また別の日は弊社メンバーとの定例対面開発の場の後、町田駅で「肉匠の牛たん たん之助」へ(5/8)。

今後もこういう風に私と長女が行動を共にすることが多そうなので、それに妻も絡むパターンが増えそうです。


§  妻と次女とのお出かけ  妻と次女と出かけたのは、上の年表で緑地に太字にしているイベントです。今月は妻と次女との三人で出かける機会は一回もありませんでした。

次女は昨年末で就職したお店を辞め、今はアルバイトで飲食の仕事を続けています。
次女のことを本当に好いてくれている彼氏にも巡り合え、今は未来のことで頭がいっぱいのようです。

今月は4月1日からずっと行っていた彼氏のいる韓国から10日に戻ってきました。
モラトリアムと考え、22歳までは大目にみるつもりです。
ただ、そこで彼氏に甘えてしまうのではなく、自分の力で何かを成し遂げてほしいと考えています。
家庭も大切にしつつ、何かに挑戦してほしいな、挑戦をやめないでほしいな、と思う父親です。


§  娘たちとのお出かけ  娘たちと出かけたのは、上の年表で青地に太字にしているイベントです。

長女は4/1付けで雇用しました。
すでに2月から引継ぎもかねて打ち合わせにも同席してもらっていましたし、内部の定例会議にも出てもらっていました。

弊社の登記住所を変更する手続きや、社会保険関係の変更手続きも、無事に終わらせてくれました。
手こずっていたものの、まずは一人でやり切ったことは評価したいと思います。

月末になって残っている手続きを一緒に町田合同庁舎に行き、最初だけ一緒にいた後は、任せて帰ったらなんとか終わらせてくれました(5/29)。

昨年末をもって私の中では子育ては終わったと思っています。娘たちにはそれぞれを一人の大人として対し、手助けができるところは私から手を差し伸べていこうと思います。

●私自身の五月(交友関係)

§  関西の交流関係 今月は、関西に出張で伺いました。kintone hive osakaとkintone Café OSAKAに出席した後は仕事もあったので、
中高校大学時代の友人にはほぼ声をかけずに帰りました。
高校時代からの親友がFacebookをみて声をかけてくれたのですが、残念です。

ここ最近、私自身に余裕がなくなってきているので仕方ありません。
でも、今回でkintone界隈の関西の方々とのご縁は強まりましたし、また関西にこういうコミュニティ活動で来ることも増えそうです。

また中高校大学のころの友人とは会いたいと考えています。


§  今月の交流 
今月は、飲みの交流といえば、ほとんどがCLS高知での交流です(5/19-20)。
全国からの人々が集まった会は楽しかったです。

私自身、CLS高知 2023 (初鰹編)に参加しましたに書いた通り、前夜祭の一次会「個室四季料理くらり」では疲れがピークに達していたことと、会場の皆さんの話し声で会話ができず、苦しみました。
が、二次会以降の「ひろめ市場」と「コロンボ」では会話を楽しみました。

さらに、翌日のCLS高知本編の後、「追手筋宴舞堂」「チョンマゲ」「バール・バッフォーネ」「ボストンカフェ」と四次会まで高知の街を歩いた際の交流は忘れられません。

他の日は甲府や町田でちょこちょこと交流はしましたが、ほとんどが仕事に追われた毎日だったように思います。
大阪でもkintone hive osakaでもkintone Café OSAKAでも懇親会は欠席して仕事や打ち合わせをしていました。

でも、今月も本当にありがとうございました。

●私自身の五月(文化活動)

§  今月のブログ 読んだ本のレビューを記す読ん読ブログの執筆は、一冊しか書けませんでした。
レビュー執筆は、私の中では大切なライフワークとして位置付けています。ですが、今は書くための時間がありません。読んでからレビューをアップするまでの時間も二年を超えてしまいました。
今、私のプライベートの時間がほぼなくなってしまっています。仕事をからめた交流があるので精神的には困っていませんが、一人の時間がないことは見直さなければと考えています。
レビューをアップする冊数と本を読んだ冊数は、私にとってワークライフバランスのバロメーターです。ワークに偏っている今の状況を早く取り戻さねば、とかなりの危機感を持っています。

以前に連載していたCarry Meさんが運用する本音採用サイトの「アクアビット 航海記」の続きを弊社サイトにアップする作業ですが、今月はアップできませんでした。

今月、書いた本のレビューは1本(
大阪 - 大都市は国家を超えるか」)。
今月、書いた観劇のレビューは0本()。
今月、書いた映画のレビューは1本(
ザ・スーパーマリオブラザーズ・ムービー
)。
今月、書いた抱負は0本() 。
今月、書いた旅日記は0本() 。
今月、書いた「物申す」は0本() 。
今月、書いた弊社の活動ブログは3本(
CLS高知 2023 (初鰹編)に参加しました
kintone hive osakaに参加しました
kintone Café OSAKA Vol.23に参加しました
) 。
今月、書いた弊社の技術ブログは0本()。

なお、昨年のはじめから毎営業日にnoteに書き始めた記事ですが、今月は以下の内容をアップしました。

4月27日 4月27日 統制すると面白くなくなる
4月28日 4月28日 フルリモートへの道は半ば
5月1日 5月1日 切り替えはきっかけに活かす
5月2日 5月2日 人工知能は人による意思こそ
5月3日 5月3日  アメフトから経営を学びたい
5月4日 5月4日 イベントの立ち上げ人になる
5月5日 5月5日 マルチタスクは弊害だそうで
5月8日 5月8日 コロナへの価値観は人ごとに
5月9日 5月9日 占い師はヒアリングが上手い
5月10日 5月10日 1on1からの学びを大切に
5月11日 5月11日 排他/同時制御は意識する事
5月12日 5月12日 その場で回答せねば勝てぬ
5月15日 5月15日 先入観という罠から逃れる
5月16日 5月16日 売上に慢心してはならぬぞ
5月17日 5月17日 ベーシックインカムが来る
5月18日 5月18日 フリーWi-Fiに気をつける
5月19日 5月19日 開発の決め事はとても大事
5月22日 5月22日 旗を自ら振り続けられる人
5月23日 5月23日 地方で案件を請ける理由は
5月24日 5月24日 kintone hiveに参加して
5月25日 5月25日 コミュニティの場を供する
5月26日 5月26日 公私混同がキーワードです
5月29日 5月29日 スクラム開発と定義するよ

§  今月の読書 今月は6冊の本を読みました。内訳は、伝記一冊、民族レポート本一冊、歴史書一冊、時代小説一冊、社会学ビジネス書一冊。宗教書新書一冊。

今月も本を読む時間が取れていません。が、無理やり本は読むようにしています。ところが読んでもそれをアウトプットできていないのは上に書いた通りです。
形式的にアウトプットするのなら、ChatGPTに頼るのもありですが、それは自分にとって衰退への道だと思っています。

私が一昨年の年始に掲げた目標の一つは本を出版することですが、まったくそれが進んでいません。
仕事にかまけてしまっています。このことにもとても強い危機感を抱いています。このまま何も生み出さずに老いてしまうのでは、と。


§  今月の映画 今月の映画鑑賞は1本です。

次女の希望で家族で「ザ・スーパーマリオブラザーズ・ムービー」を見に行きました(5/14)。
小学生のころ、マリオブラザーズやスーパーマリオブラザーズで遊んだ私には、その世界が映画としてよみがえったことだけで充分です。
ブログはこちら

なお、今年の大河ドラマ「どうする家康」も今月に入ってからほとんど見られていません。録画も溜まってしまっています。


§  今月の舞台 舞台については、今月は見ていません。



§  今月の音楽 コロナが始まってから’70’sから活躍したアーチストの全曲を聞く活動を続けています。今月はBruce Springsteenの全アルバムを順に聴いています。
まだ聞き終えていません。あと残りアルバム一枚。


ある日のこと、商談の帰りに新宿のアルタ前の広場を通りがかったとき、路上で演奏していたバンドのリズムセクションが見事な変拍子を決めていて、つい立ち止まってしまいました。(5/12)。

また、今月はTina Turner氏がなくなりました。
83歳ということでしたが、もうそんな年齢になるのか、と驚きました。
ご冥福をお祈りいたします。


§  今月の美術 今月は、美術に触れる余裕がありませんでした。


§  今月のスポーツ 今月は、スポーツをする余裕がありませんでした。テレビ観戦すらほとんどできていません。


§  今月の滝 今月は滝を二か所訪れました。「白子の滝(5/6)」「琴滝(5/22)」
白子の滝は板橋区と和光市の境となる崖に落ちています。が、水量はわずか。駐車場の脇から入ってすぐの場所にあります。
あまり整備されているとはいいがたい場所で、水量もわずかです。が、かつてはここに水流がながれ、大きな崖が大地を穿っていたことの痕跡が感じられました。


京都の京丹波町に商談で訪れた際、午前中にオンライン打ち合わせがあり、早めに現地の道の駅について、そこからオンラインをつなごうとしました。
実家で車を借りて、早めに向かったところ、思ったより早く着いたので、道の駅の近くにあ琴滝を訪れました。
ここ、予想を超えてよかったです。

四季折々に豊かな色彩に飾られた姿が想像できるような。
京都の滝といえば金引の滝ですが、ほかにも見るべき滝があることを教えられました。


§  今月の駅鉄 今月は四駅を訪れました。「入明駅(5/20)」「グランド通停留所(5/20)」「上町一丁目停留所(5/21)」「胡麻駅(5/22)」


入明駅は、CLS高知の本編がある朝に少し散歩した際に立ち寄りました。
高架駅ですが、高架下には志の龍馬像が両手を広げた姿で立っていました。高架からは高知市街の北側に広がる山並みが一望できます。
志の龍馬駅という副駅名がつけられた駅は、一両編成の列車しか止まらないのですが、新しくて古びておらず、訪れてよかったと思いました。


グランド通停留所は、高知城からほど近い大通り上に設けられた停留所です。入明駅から高知城の西側を歩き、停留所までやってきました。
今回の高知出張でははじめてとさでんに乗りました。地元出身の漫画家の西原理恵子さんのイラストもユニークです。
高知の街を走る路面電車が町の見栄えを形作っています。こうした路面電車が残されていることにこそ、高知の街の良さがあります。


CLS高知の翌日、少し龍馬の生まれた街並みを歩いたのですが、その際に訪れました。
龍馬の生誕地のすぐそばにある停留所です。
こおkでも漫画家の西原理恵子さんのイラストが、何の変哲もない停留所であることをアピールしていました。でも、それがよかった。

胡麻駅は、京丹波町での商談の後、立ち寄りました。
停車する電車から多くの中学生か降りてきて、とても賑わっていました。
こう言う光景を見るたびに、乗降客数だけでその路線を過疎と決めつけてはならないと感じます。
駅前はさびれていましたが、近くにニュータウンがあるらしく、駅の様子や駅前の様子とは違った活気があったことは新たな発見でした。


あと、くまなくめぐってはいませんが、千川駅を訪れた際、駅構内のピアノ、いわゆるエキナカピアノを見かけました。皆さん、思い思いに弾かれていて、少し和めました。

§  今月の酒楽 今月も先月に続いてお酒体験については申し分なかったと思います。わずかな機会を生かしてお酒を楽しめました。


まずは妻と長女と訪れた甲府で、夜に訪れたのが七賢酒場(5/3)。先月にも次女や次女の彼氏を連れて台ケ原の七賢酒造を訪問しました。
そこで飲んだおいしい七賢が甲府の駅前で直営のお店を出していたので、立ち寄ってみました。おいしかったです。料理も。

家族で訪れたSTRI(5/14)。ここではカクテルをいただきました。おいしくいただけました。
ここ、料理もおいしく、昼に来た時もビュッフェスタイルで楽しめるのですが、夜もなかなか良かったです。

さて、そのあとは高知でいただいた料理やお酒がおいしかったです(5/19-20)。
中でも前夜祭の三次会で訪れたコロンボでいただいたワインは、私の酔いを一気に進めました。

後夜祭の三次会でいただいたバール・バッフォーネでいただいた白ワインも、絶品のジェノベーゼと合って最高でした。
また、四次会で訪れたボストンカフェは、ちょうど桜のカクテルがメニューにあったので、満足するまでいただきました。



他にも、次女が韓国から帰ってきた際、彼氏と一緒に私宛に買ってきてくれた韓国純米焼酎 火尭(ファヨ)はうれしかったです。おいしかったし。
後日、ビールと一緒に飲むとおいしいことも教えてもらいました。確かにおいしかったです。

§  今月の旅行 
今月は上にも書いた通り、仕事をからめた出張がほとんどです。甲府と高知と京丹波、大阪と難波、そして西東京を訪れました。プライベートで訪れたのは大磯と河口湖です。







今月、足跡を残した地は以下の通り。
東京都
 町田市、狛江市、多摩市、立川市、東大和市、西東京市、府中市、板橋区、練馬区、豊島区、渋谷区、新宿区、港区、目黒区、世田谷区、
神奈川県
 相模原市、大和市、横浜市、川崎市、藤沢市、大磯町
山梨県
 甲府市、上野原市、富士河口湖町、甲府市、
埼玉県
 和光市、朝霞市
大阪府
 大阪市
兵庫県
 西宮市
千葉県
 成田市
高知県
 南国市、高知市
京都府
 京丹波町、南丹市


§  今月のその他活動 人生も半分を過ぎ、一層焦りが募っています。少しでも日々に変化をつけようとする気持ちに衰えはありません。
今、心身が動くうちに仕事もプライベートも全力で。その考えには揺るぎがありません。

・公園は七カ所。「舞鶴城公園(5/3)」「大磯城山公園(5/5)」「バラ園(5/5)」「薬師池公園(5/9)(5/18)(5/26)」「はりまや橋公園(5/19)」「高知公園(5/20)」「塩谷古墳公園(5/22)」

・美術館はゼロカ所。
・駅は四駅。「入明駅(5/20)」「グランド通停留所(5/20)」「上町一丁目停留所(5/21)」「胡麻駅(5/22)」

・滝は二カ所。「白子の滝(5/6)」「琴滝(5/22)」
・温泉はゼロカ所。
・山はゼロ山。
・酒蔵は一か所。「井出醸造店(5/28)」
・神社は二カ所。「田無神社(5/11)」「高知大神宮(5/20)」

・寺はゼロ寺。
・教会はゼロカ所。
・史跡は十四カ所。「甲府城 山手御門(5/3)」「内松陰門(5/3)」「甲斐府中城 鉄門(5/3)」「湘南発祥之地大磯 石碑(5/5)」「鴫立庵(5/5)」「旧吉田茂邸(5/5)」「内門 (兜門)(5/5)」「島崎藤村旧居跡(5/6)」「豊島長崎の富士塚(5/6)」「はりまや橋(5/19)」「武市瑞山先生殉節之地(5/20)」「搦手門跡(5/20)」「馬場辰猪先生誕生之地(5/21)」「坂本龍馬先生誕生地(5/21)」

・博物館は一カ所。「龍馬の生まれたまち記念館(5/21)」
・遺跡は二カ所。「前原塚古墳(5/4)」「猪方小川塚古墳(5/4)」。
・城は二城。「舞鶴城址(5/3)」「高知城(5/20)」

・灯台はゼロカ所。
・動物園はゼロか所。
・水族館はゼロか所。
・土木遺産はゼロか所。
・マンホールカードは一枚。「神奈川県大和市(5/26)」
・果物狩りはゼロか所。
・ダムはゼロカ所。
・風景印はゼロ枚。
・御城印はゼロ枚。
・御宿印はゼロ枚。

私がまだ訪れていない場所の多さは無限です。やりたいこと、行きたい場所の多さにめまいがします。
今月も仕事にからめてですが、バラエティ豊かな移動ができました。この地球にはまだまだ無限に行くべき場所があります。
少しでもこうした場所を訪れてから死にたい。私の人生の残り時間のなかでどこまでの旅ができるか。


加齢によって日々、気力は減退していきます。人の明日はわかりません。人気俳優や女優も自死を選びます。私も不意の体調不良に襲われ、コロナに感染します。一昨年の秋にはハイキングのつもりが一晩の遭難と化し、人里のすぐそばで死ぬ可能性も体験しました。
いつかやろう、引退してからやろうという姿勢を根本的に見直さねばなりません。もう、未来の社会や環境がどうなっているかわからないからです。そこに老いつつある自らの衰えがかぶさってきます。
生きている今。今を生きているのですから、今、やるべきことをしなければ。後悔だけはしないように。
その姿勢のまま、仕事をこなしながらも、今のうちに時間の合間を見つけ、行けるところに行っておこうと思います。


死ねば全ては無に消えます。
私の経験をいくらブログにアップしても、膨大なデジタルの海の中に溶けて消えます。
それが分かっていても、自分に与えられた生を全力で全うしたいと思います。仕事もプライベートも全力で過ごそうと日々励んでいます。


今は仕事に集中し、好きなことは引退後に。そんな悠長な考えが通用しないことをコロナウィルスは教えてくれました。人生はあっという間に終わってしまう。老いたときに平穏で好きなことができる世の中があるかどうかは誰にも保証されません。一方で、仕事の難しさや面白さも強く感じています。プライベートだけど充実させるのでもなく、仕事だけに人生を捧げるでもなく、その両立を目指す。だからこそ、今のうちから毎日を公私とも全力で生きる、という決意で日々を過ごしています。
コロナだからと閉じこもらず、一人でも旅を敢行したいと思います。
もちろん、一昨年の秋に遭難した経験は忘れてはなりません。命をなくしては元も子もないのは当たり前。ですが、何もせず命を枯らすよりはましです。
家族との縁も毎月、姿を変えています。仕事もいつかは引退を求められるでしょう。そうなった時にやることがない、とよく話に聞く老残にだけはなりたくないと思っています。


そう思い、訪れた場所で心の赴くままに俳句を詠んでいます。今月は俳句を14句。いずれもツイートまとめに載せています。


一方で、具体的に将来のこともそろそろ考えねばなりません。
法人のまとめに書いた通り、コロナに席巻された世の中ですが、弊社の売り上げはなんとか確保できています。
ただ、私個人としては投資もしておらず、賭け事もしていません。不労所得のタネも持っていません。
私が倒れた時、うちのメンバーが稼げるところまでは頑張らねば。

あらためて「私」を振り返ってみました。来月もコロナと共存しつつ、自らの生に後悔のないような日々となることを信じて。


CLS高知 2023 (初鰹編)に参加しました


2023/5/20に催されたCLS高知に初めて参加しました。CLSとはコミュニティ・リーダーズ・サミットの事です。
告知ページ

姉妹編のCLS道東には初回と二回目に参加しています。
ですが、本家であるCLS高知に参加する機会はなかなか巡ってきません。参加したくてもチケット獲得競争が激しくて、いつも断念しています。

CLSといえば、本編が始まる前の数日間に行われる各地でのワーケーションが魅力的です。
今回はサブタイトルが~ 2023初鰹編 ~と銘打たれているのです。もう、参加する前からよだれが止まりません。カツオ!
ですが、今の私には前もって高知に滞在する時間の余裕はありません。今回も事前のワーケーション参加は見送り、開催前日に成田からのJetstarで高知への一歩を記しました。

空港につき、バスで市内に向かう間は、空の上に届いていた連絡の返信をこなしていました。せっかく南国土佐に着いたというのに、旅情を味わう時間もありません。
バスがはりまや橋バスターミナルについた後、近くのうどん屋さんであわただしく食べた「四万十のりうどん」でようやく土佐らしさを感じました。


これじゃあかん、と私の思考回路を仕事モードからそらすため、昨年六月に高知に来た際に見逃したはりまや橋を訪れました。
おそらく私がはりまや橋をまじまじと見学したのは30数年ぶりだったはずです。これで私の初日の観光は終了です。

ホテルドーミーインに着いたのは15時ごろでしたが、そこから前夜祭が始まるまでの間、部屋にこもってうちのメンバーのフォローや連絡に忙殺されました。
少しだけ言い訳すると、四月にメンバーを四人、五月にも一人追加したことによって、経営者として未熟な私にはさまざまな雑務が一気に降ってきています。それもあって疲れが溜まっています。

そんな状態で臨んだ前夜祭の一次会では私の調子はさっぱりでした。
前夜祭にもかかわらず、70人以上の人が一つの広間に集まり、大盛況の会。そのため、声が反響して全く話が聞こえません。隣の人との会話ですらも一割ぐらいしか聞こえないので、会話になりませんでした。心が折れかけました。


私は一次会の自分をまずいと思いました。そこで、二次会のひろめ市場に着いてからは自分の心に喝を入れ、積極的な会話を心がけました。
すると、一次会よりも話が聞こえてきます。会話が成り立ちます。
一次会で侵されたにわかコミュ障を克服したことによって、私はようやく会話できる喜びに浸ることができました。そしてCLS道東で知り合ったもののあまり話せていなかった方や、新たな交流を結んだ方との語らいに花を咲かせることができました。


ここではとにかくカツオ!カツオ!カツオ!
やいろ亭さんと吉照さんの料理はおいしかった。

ただ、体調は上向いてきません。三次会のコロンボでは、私の記憶も怪しくなってしまいました。
会話が楽しかったことは覚えているし、話題も弾んだはずなのですが、何を話したのか覚えていません……
酔っ払ったまま店を出てどう歩いたのか、ホテルに帰ったのがいつか。すべては闇です。

さて、翌日、13時から始まるCLS高知の本編の前に、せっかくなのでお散歩を楽しみました。
今回の旅程は二泊三日です。しかも、本編の翌日に高知のお客様との打ち合わせが入っていました。しかも、その翌日の月曜日には京都の京丹波町で対面商談の予定があります。ということは、高知を日曜の夕方に出なければなりません。今回は、高知の観光は無理だろうと諦めていました。
それでも、高知の文化や風土や産物を少しでも脳内に刻み込んでおきたい。その一心で歩き回りました。


新緑に包まれた高知城の天守を見上げつつ、城の周りを歩きました。さらに趣味の駅訪問の一環で近くの入明駅まで足を延ばしてみました。
すると、駅の入り口に龍馬の像がありました!志の龍馬像です。その両手を広げた姿は、今日のイベントで得られる成果の多さを予感させてくれました。
入明駅からまた城へ戻り、今度は反対側の城の西側から大通りまで歩きました。「源水はりまや」さんに立ち寄って量がたっぷりの腰が入ったおいしいうどんを楽しみました。
ドーミーインでは、夕べからの酒と汗をシャワーで洗い流し、CLS高知の本編に備えてkintoneエバポロシャツに着替えました。

さて、会場に向かった私。会場の場所を完全に間違ってしまいました。
私が向かった場所は、夜の懇親会会場。誰もいません。当たり前です。
道端で固まっていたカレーパンマンにたすけを求め、停留所からとさでんに乗りました。そして会場の知寄町テラスまで。けがの功名とはまさにこのことです。初めてのとさでん乗車を果たせました。

さて、ここから本編です。
私が会場に入った時、最初のセッションの途中でした。

パネルディスカッション1
「地域に風をもたらす旗の立て方」


会場では皆さんがローズピンクのTシャツを着ており、なかなかの壮観です。
スタッフの皆さんが着ているのならわかります。が、それにしては着ている人の数が多すぎるような気がします。
私はその後もずっとオレンジ色のkintone エバポロシャツを着ていました。最後のワークセッションの前にようやく無料でもらえることに気づいて、着ました。

登壇者の皆さんは、札幌や福島、そして徳島で活動しておられます。
まさに地域に風をもたらしている方々。札幌から来られた富山さんは、私が初めて訪れたCLS道東のセッションでも印象に残りました。私もその後、わざわざ斜里のお店を訪れてみようと思わせるほどの印象に残る活動をしておられました。

「求心力と遠心力」
「公私混同」

私は、この公私混同がとても刺さりました。
一見すると、今の風潮とあえて逆を張っているような語感です。ところが、私も経営者としての自分を顧みると、公私混同しているのです。そのことに気づかされました。
定時に上がった後は仕事を完全に忘れることは不可能です。一方で、私の立場は仕事時間中であっても、自分の意志で休息することも可能です。
ところがそれは経営者の立場が自由だから。その一方、従業員に対しては公私混同という言葉は、会社の労務管理やメンタルケア、生産性を考えると、大っぴらに言いづらい雰囲気があります。

でも、考えてみると、仕事のアイデアはリラックスしたプライベートな時間から湧いてきます。また、仕事が面白くてしょうがない時期は、プライベートの時間でも仕事のアイデアが浮かんでくるものです。
公私混同とは決してネガティブワードではないのです。

私はまだ会場の雰囲気になじめていません。でも。徐々に皆さんの話を聞くうちに、会場の雰囲気になじんでいきました。

ここで議題に上がっていた
「旗の立て方と巻き込み方」
もまさに根幹の部分です。

私はこの点について、後日noteの中で取り上げました。
どうすれば旗を立て続けられるのか。

まず、CLS高知からCLS道東の位置が重要です。日本の中心都市からは離れています。それにもかかわらず、参加者の皆さんはここで体験できる熱気を求めて日本各地から集まり、各地へと散らばります。
その行為そのものが、すでに自らの旗を掲げているに等しいのです。時間もお金もかけて、多忙な人々が集まる。その営みや思いこそがすなわち『旗』なのでしょう。
大漁旗を思わせるコミュニティの巨大な旗があります。それを参加者の各自がそれぞれのコミュニティ用の旗に持ち替え、その地で精いっぱい振り続ける。そのことが大切なのです。

この登壇者の皆さんも、地域それぞれの取り組みを語っておられます。
地域の持つ魅力に加え、パッションやアイディアや実行力が加わることで、地域からの発信は巨大な力を生む。登壇者の皆様は、その可能性を示してくださいました。
私も今、別のイベントを立ち上げる準備にかかわっています。CLS高知では運営者側の熱量が大切であることを教わりました。そもそも、何かをしようとするのであれば、旗は振り続けなければ。

次のセッションでは、私もより会場の雰囲気になじめました。そして、話に一層集中できるようになりました。
少しずつ内容についてのツイートを発信できるようになりました。そして、発信することで自分の精神がどんどん活性化し、コミュニティーの場に溶け込めるようになりました。

とはいえ、まだ休憩時間に周りに積極的に話しかけられる心境まで持ちあげられませんでした。
いつものイベント参加に比べて、私の積極性が疲れからか持ち上がりません。あかんなぁと自分でも歯がゆく感じていました。

プロンプト・Kさんのコミュニティ活動の充実にも刺激されました。私も負けていられないと思いました。

パネルディスカッション2「コミュニティの力でJTCは変わるのか? 【武闘派サラリーマン編】」

では、さらに私もツイートの数を増やしました。

そもそもJTCとは、Japan Traditional Companyのこと。つまり、日本の伝統的な会社です。
今、さまざまな方面でやり玉に挙げられている会社です。
ですが、会社が長く続いているから悪いのではありません。古いやり方を自ら変えずにいる会社に問題があるのです。

わが国には世界最古の企業をはじめ、世界でも長寿企業の多い国としてしられています。
そうした企業はその時代に合わせた変化を自らなしえてきたからこそ生き延びてきたのです。
であれば、JTCと呼ばれても変化すれば、生き延びられるはずです。

このセッションでは、「ちゃんとしないと怒られる会社」にいる皆さんからの生々しい実体験が語られました。どのようにして外のコミュニティ活動をこなしつつ、会社でも実績を上げ、さらにアピールにつなげるか。そうした貴重なお話がありました。

この話は、全国のサラリーマン諸氏にこそ聞いてほしいと思いました。したたかで、打たれ強くないと成果は上げられないと。

特に私にとってはDCAのくだりが受けました。『PDCA』ではなく『DCA』。
DCAとは、Do→Check→Ayamaruをつなげた言葉です。

他にも出張申請のやり方などが盛り込まれ、とても面白かった。

私も今や、好きなように自分が行けばよかっただけだったのが、うちのメンバーにもどこまで自由にさせるかのバランスを取らねばならない立場です。
決してJTCのような悪い意味の融通の利かない会社にはしたくないし、さりとて会社にとって長短期的になんの益もない活動であれば承認をためらいます。

個人的には最後の方でファシリテイタ―の友岡さんのおっしゃった「本を読む、旅に出る、人に会う」について首がもげるほどうなづける内容でした。
これ、個人で好きなように旅をするのはよいとして、これらの営みに仕事が絡んだとたん、拒否反応を示す技術者を多く見てきました。
こここそが公私混同の肝で、成長の要だというのに。

このころには私の心も随分と温まってきました。

続いてのKDDIアジャイル開発センター様やNextmode様のサポーターセッションも興味深い内容でした。
そういえば、前夜祭でもKDDIさんの方とお話しをしました。そして、その柔軟な社風に共感を覚えました。
また、この春に弊社のリモートワーク規定を作成する際に、Nextmodeさんが公開されているブログを参考にさせていただきました。
二社ともにワーケーションを強力に推進しておられます。
「公私混同が企業競争力となる会社」とは、素晴らしすぎるじゃないですか。

ここからしばらくは、LTタイムが続きます。
私も皆さんの発表を聞きながら、ツイートを行い、同時に明日の打ち合わせの準備作業も進めました。

道東や高知や福島など、LTで登壇された皆さんの取り組みはとても興味深いものでした。実はこれらの人々は、それぞれのコミュニティに帰ればコミュニティ・リーダーとしてばりばり活動している方々なのです。
こうした会社の広範な活動や、それぞれの背景を聞き、共感することは私にとってのよい刺激です。
私もゆくゆくはここでLTをしたいと決めました。
そして、私もこうした皆さんを自社のイベントにお呼びすることができるように頑張ります。

続いてのサポーターズセッションはジョイゾーさん。
スピーカーの木野宮さんには、なぜかさまざまな場所でお会いします。そもそも、初めにお会いしたのが大崎のイベント。ジョイゾーではなく別の会社さんのブースにおられたのが木野宮さんだったというご縁。
釧路でも東陽町でもお会いして、何やら不思議なご縁を感じていました。実は新入社員で、まだ入社して間もないことも東陽町で知りました。
ジョイゾー初のマーケターとして働く中、こうやって皆さんの前で登壇するまでの挫折や悔しさ。それも赤裸々に語ったLTからは覚悟や決意が感じられました。
自らを客観視することは難しい。ですが、それを克服して視野を広げることはもっと難しい。うちのメンバーにも聞いてほしいと思いました。

最後のセッションであるグループディスカッション powerd by スナックかすがい
「高知の人財流出を食い止めろ!酒とカツオに負けないアイデア創発激論会」
も見ごたえのある内容でした。


何よりもファシリテイターを務めた原さんの振り方とツッコミ方が素晴らしくて。
今回、大きなセッション三つのどれも、ファシリテイターの方が素晴らしく、私にとっての刺激になりました。
その前のセッションでファシリテイタ―を務めた武闘派CIOの友岡さんも見事でしたが、原さんも素晴らしい。
前夜の三次会では、原さんのお隣で話をしていました。それなのに、これほどまでにファシリテーションに長けた方だとは知りませんでした。もっとこの点について深い話をしておけば、と思いました。

私も最近、イベントで登壇や司会進行は担うことが多くなっています。が、ファシリテイターの経験はまだまだ足りていません。
多分、今の私がファシリテイターを担っても原さんや友岡さんのようにうまくやれないでしょう。きっとグダグダなセッションにしてしまうはずです。
単なる進行ではなく、それぞれのパネリストから次につながる話を引き出し、絶妙に突っ込んで笑いにつなげるテクニック。

お二人のファシリテーションは私の足りないところが何かを気づかせてくれました。

原さんの秀逸なツッコミ力は、本編の後、皆さんと『とさでん』に乗ってドーミーインまでの道中でも話した中でも再確認しました。面白い。


原さんからは、続いて各班で分かれて高知をよくするためのワークを仕切ってくださいました。私もその場で三人のチームに合流し、高知のためになにができるかを考えました。
最後になって、座学だけでなく、自分で参加できる機会をいただいたのもよかったです。


そして最後は集合写真家の武市さんが見事に仕切って大きな写真に収めてくださいました。いつもありがとうございます。

その夜の後夜祭は、昨日のお店のように騒がしい周囲の雰囲気とは違っていました。広々とした店の中は、三カ所に会場が分かれていて、とても話しやすかったです。
私は普段、酒席ではあまり移動しない人なのです。が、昨晩にあまり全力で楽しめなかった分も挽回しようと、あちこちを動き回りました。





そのまま、二次会はチョンマゲに移動しました。三次会はBuffoneを訪れ、絶品のジェノベーゼや白ワインをいただきました。四次会はBoston Cafeに流れて各種カクテルを楽しみました。
どのお店でも、前日の不調を克服して余りある会話を楽しんだ夜でした。


翌日は竜馬の生まれ育った町のあたりを訪れ、午後からはお仕事。そして、18時半発の特急南風に乗って大阪の実家に向かいました。
金曜日に来て、二泊しただけのあわただしい高知滞在でした。が、初めて参加したCLS高知では多くの気づきと学びを促すキーワードを聞くことができました。
短いなりに、私としては得るところの多い三日間でした。

皆様、本当にありがとうございました。

なお、CLS本編のスライドは、私のiPadでは不鮮明です。
当日の盛り上がりとともに、togetterのまとめサイトでご覧ください。


笠岡・鞆・kintone Café 広島@福山 2019/3/1


この旅を振り返るには、その前年の秋までさかのぼらなければなりません。
2018年の秋、kintone Café JAPAN 2018が日本橋のサイボウズ社で開催されました。それは、全国で活動するkintone Caféのリーダーが集まる場所。
その集まりに参加していたkintone Café 広島のリーダーである安藤さんに、来春は登壇します、と約束したのです。

約束した以上、果たすのは当然。
Messengerのやり取りによって決まった開催日が3/1でした。

前夜、新幹線で甲子園の実家に向かい、両親と鍋を囲んだ私。
翌朝、実家の車を借りて福山へ向かいました。
宝塚ICから中国自動車道と山陽自動車道を乗り継ぎ、一路西へと車を駆る私。今回は同乗者もおらず、車内には私ひとり。つまり、リハーサルには持ってこいです。夜に話す内容を何度も繰り返しフロントガラスに向けて語る私。多分、反対車線を走る超人的な動体視力のドライバーからは不気味に映ったことでしょう。

夜の登壇に向け、やる気に満ちた私。
とはいえ、高速道を降りたのは笠岡インターチェンジ。福山の一つ手前です。
なぜ、笠岡?
それはもう、私のいつものパターンが発動したからです。仕事で地方に行く際は必ず観光を組み込む。それは私の王道。
いったんkintoneのことは忘れ、笠岡を堪能したい!
そんな私が目指したのはカブトガニ博物館。

カブトガニ博物館は、まだ未訪問でした。なので前から一度は来たいと願っていました。何せ世界で唯一のカブトガニを取り上げた博物館ですから。
館内にはカブトガニの生態が観察できるよう、大小のカブトガニが多数、水槽で飼育されています。
この博物館では、生きる化石とも言われるカブトガニの生態や、なぜ笠岡にカブトガニが生息しているのかについての詳しい展示がされています。それらの展示はどれもが興味深く、知識として得がたいものです。なぜなら、カブトガニはあまり水族館でも見かけないからです。つまり、カブトガニの生きざまや萌えるポイントを知らずに生きてきたのです。

水槽の中でもあまり動かず、ジッとしている個体もいれば、雌雄のツガイが交尾中のまま、水槽に固定されたかのように動かない姿も食い入るようにみました。
何もかもがミステリアス。それでいて憎めない存在。
エイリアンのモデルになったのでは?と思わせるいかついフォルムを擁しているカブトガニに、萌えを感じる人はなかなかいないはず。
もし興味を持ったあなたは一度カブトガニ博物館に来てみることをお勧めします。

私の印象に強く残ったのは、カブトガニの血液から薬が作られていることです。
カブトガニの独特の青白い血からしか作れない薬があるらしく、それがここ笠岡で製薬会社と連携して作られているとか。
素晴らしいことです。それ以上に素晴らしいのは、青白い色の鮮烈さ。
カブトガニに対しては「おめえらの血は何色だァ」とすごんで見せても「青白ですが、何か?」と返し技を喰らうので気を付けなければ。

カブトガニ博物館には、養殖池やシアターや化石展示など見所に富んでいます。この博物館のためだけに笠岡に来る価値はあると思えました。そう言い切ってしまえるほど、全国でも唯一無二の存在なのです。
博物館の受付ではマンホールカードもいただきました。笠岡市のマンホールにはカブトガニがあしらわれていて、コレクターの琴線をくすぐってくれます。

博物館の外には大きめの公園が設えられ、そこには等身大と思われる巨大な恐竜の像が何体も展示されています。笠岡では恐竜も発掘されたらしく、館内にも化石が展示されていました。
私が訪れたとき、ちょうど幼稚園の園児たちが見学に来ていて、恐竜の周りでお弁当を食べていました。この中で何人が古生物学者になってくれることやら。楽しみです。


カブトガニ博物館の目の前に広がる海は、カブトガニの住処であることが納得できるほど凪いでいました。
この穏やかな海の光景は、笠岡を思い出すたびに脳裏に浮かぶことでしょう。

この海に 太古の奇跡 輝きぬ
笠岡市立カブトガニ博物館にて

私がまだ知らずにいた笠岡の魅力。
そうした出会いに恵まれる経験こそが、旅の妙味です。

他にも笠岡の魅力はあるはず、と駅前のラーメン店を探したのですが、あいにく車を停めるスペースが見つからず。
海辺の隠れ家のような場所にあるうどん屋も訪れてみましたが、そこも あいにくの閉店日でした。天は私に笠岡の食い物をお預け遊ばしやがる。

ところが私に、天は笠岡ラーメンを賜ってくださったのです。
それは広大な干拓地の中にある道の駅ベイファーム笠岡まで足を伸ばしたときの事。
せめてそこで軽く食事だけでも、と思った私に笠岡ラーメンの写真が。醤油ベースのそれをつるりと。ご馳走さまです。
時間が遅くなったので、惣菜ビュッフェまで用意されていたのですが、さすがにそれは我慢しました。
道の駅に売られている農産物はどれもがとても美味しそう。この地の豊かさを感じます。

何しろ、あたりは広大です。干拓によって生まれたとされる道の駅周辺は、広大な農地。この広がりから、豊穣な産物が生産される。まさにこれは笠岡のランドスケープ。
海と干拓地の平らで広やかな様子は、私の記憶に笠岡の魅力として残り続けるはずです。

続いて私が向かったのは鞆の浦。
私はかつて、福山には来たことがあります。だが、その時には鞆の浦は訪れませんでした。その時の私が訪れたのは、ホロコースト記念館。その話はまた別に。

さて、私の期待を裏切らぬように、鞆の浦は、風情と歴史を全力で私の眼前で表現してくれていました。
古来より風待ちの港町として栄えてきた伝統。それは、道の狭さにもあらわれています。車を止める場所を見つけられず私に鞆の街を二周もさせてしまうほど。

結局、停める場所が見つからず、観光案内所に車を停めさせてもらいました。最初は観光案内所にも一瞬だけ停めさせてもらうつもりだったのです。
ところが、少し街に足を踏み入れた私は出会ってしまったのです。保命酒の店舗に。
風情のある建物に掲げられる保命酒の看板。それが数軒連なり、通りを構成している。私はそのたたずまいにすっかり魅了されてしまいました。

保命酒の知識など全く持たぬまま、鞆の浦に迷い込んだ私。予期せぬ酒蔵の出現にすっかり上機嫌となり、鞆の浦から去り難くなってしまいました。
入江豊三郎本店の店舗に入り、店員さんにあれこれ質問させてもらい、製法の資料などを興味深く拝見しました。
養命酒とほぼ製法は同じらしいのですが、鞆の浦の賑わいとともに、全国的な知名度も落としてしまったとか。
惜しい。一介の飲んべえに過ぎないただの風来坊の私ですが、保命酒はもっと知ってもらいたい、と思える存在でした。
私も一本、入江豊三郎商店の一リットル瓶を、両親のために買い求めました。

保命酒によって鞆への興味がむくむくと湧いた私。
続いて向かったのは、鞆城跡。
天守は現存しませんが、天守の代わりに歴史博物館が鞆の街を見守っています。
天守台から見下ろす鞆の街、そして瀬戸内海。まさに絶景です。早春の瀬戸内海の景色とはこのようなものか、と悦にいる私。

ちなみにこの時の私は、鞆の浦がモデルとなったといわれる「崖の上のポニョ」は確かに意識していましたが、それほどの感慨は持ちませんでした。鞆城址からのアングルがポニョのしんに思い当たらなかったからかもしれません。
そもそも街もあまりポニョのことは表に出していない様子。
それはそうでしょう。これだけの観光資産を抱えていればポニョに頼らなくとも十分なはず。
ポニョの海 なだらかに春 歌いけり
鞆の浦にて

ますます鞆の浦に興味を抱いた私は、夜のkintone Caféのことなどすっかり忘れ、せっかくなので鞆の浦をさらに見て歩きたくなりました。
まず観光案内所に一度戻り、きちんとお店の人に話しをしてお金を支払い
、ついでに私向けに四蔵の製品がそれぞれミニボトルになったお土産を購入しまして。

再び街を巡り始めた私が訪れたのは、常夜燈のある海辺です。この日は観光客も多かったのですが、地元の中学生がボランティアガイドをしている姿に打たれました。数人ではなく、20人以上はガイドがいたでしょうか。積極的に声を掛けてくるのです。
私も声を掛けてくれた男子に太田家住宅や七卿落ちの史跡の由来を教わりました。なんだか胸がほっこりしました。

常夜燈のたもとにいた地元の古老らしき方は、ガイドさんの説明に納得がいかないらしく、文句を垂れていました。
わたしもその古老には常夜燈の由来をいろいろと教わりました。が、古老もいつの日か、ガイドできる体力がなくなるはず。
だからこそ中学生がガイドを行うことが重要なのです。
彼ら彼女らの存在がどれだけ観光客には爽やかに映るか。そして将来、地元への愛着をどれだけ養ってくれるか。
私にとって、鞆の浦の思い出の一つがこのガイドさんたちとの出会いでした。

常夜燈の側にはいろは丸展示館があり、そこは中に入って見学しました。坂本龍馬が乗っていて、紀伊藩の明光丸と衝突して沈んだあの船です。

私は最後に、坂本龍馬が隠れて住んでいたという桝屋清右衛門宅の隠れ部屋を見学しました。
鞆の浦とは、さほど広くない街の至る所にこうした歴史の面影を宿す場所があります。歴史が好きな人にとって、鞆には何日滞在しても飽きないことでしょう。
「竜馬がゆく」の世界がこうして今も残されていることに、粛然とした思いがよぎります。
室町、安土桃山時代、江戸時代、幕末と歴史の年輪が刻まれた鞆の浦の魅力は一度だけの訪問では到底味わい切れるものではないのでしょう。

わたしにとって見るべきところはまだまだあり、安国寺や平賀源内生祠など行けなかった場所からはいまだに後ろ髪を引っ張られ続けています。
ですが、そろそろ福山に向かわなければ。何のために福山にきたのか忘れそうになってしまいます。

私が福山でとったのはアンカーホテル。福山城の近くです。
シャワーを浴び、登壇内容の最後の確認をしていると、私と同じく遠方からkintone Café広島に来られた久米さんからご連絡があり、一緒にタクシーで会場に向かいました。
その後のkintone Café広島の詳細は、

kintone Café 広島 vol.12 @福山に登壇しました


に記しており、本項では割愛します。

とにかく、とても充実した一日でした。この旅でお会いした皆様、ありがとうございました。


人間臨終図鑑I


伝奇作家として知られる著者だが、有名な諸作品を読む前に著者の書いた伝記を読むことになってしまった。何を隠そう、私は著者の作品を今まで読んだことがなかったのだ。雑誌ではなく、書物で読むのは初めて。

本書は、古今東西の有名人の死に様を集めている。取り上げられているのは、享年が若い順だ。

冒頭をかざるのは、八百屋お七。想い人に逢いたいあまり放火をしでかした江戸の女性。享年十五歳。次は大石主税。忠臣蔵で知られる内蔵助の息子だ。父と共に吉良邸に討ち入りを果たし、切腹で生涯を終えた。享年十五歳。その次に登場するのは、ナチの強制収容所で命を落としたアンネ・フランク十六歳だ。

冒頭の若くして亡くなった三人は、どれも我が国では知られた存在だ。だが、人類の歴史を振り返れば享年十五歳未満で亡くなった人は他にもたくさんいるはずだ。だが、本書には登場しない。恐らくは本書に取り上げられるに足る業績がないためだろう。(放火を業績というのは憚られるが。)

なぜ、十五歳未満の人物が登場しないのか。それは、人生で成果を出し始める時期が十五歳以降であることを示す証拠だと思う。

本書は以降、十代から二十代、三十代と取り上げられる享年が上がってゆく。それに従い、紹介される死に様が変わっていくのが興味深い。

若いうちに亡くなる原因とは、不慮の事故であることがほとんどだ。もしくは若さ故の勇み足か。だが、将来を嘱望されながら、若くして病に世を去った方もいる。彼ら彼女らの無念も本書には取り上げられている。

三十代にもそれぞれの一生の締めくくりがあり、四十代にも死に至るまでの事情がある。著者がとりあげるのは、聖人君子だけではない。鬼畜な犯罪者だって革命家だって等しく取り上げる。いかに死んだのかを書く本書だが、何かを成し遂げないと本書には取り上げられないのだ。ただ死んだだけなら他にも該当者は沢山いる。諸外国にはその地で有名な若くして亡くなった人もいるだろうが、つまりは著者が取り上げるかどうかだ。やはり何をなしたか、が重要になるのかもしれない。

ただ、生前の業績が取り上げられる理由になるとはいえ、やはり本書は死に様を描く本だ。本書は享年五十五歳でなくなった大川橋蔵までが取り上げられている。人生五十年の信長の時代ならともかく、今から見ると五十代で死ぬのは若死にを意味する。

そのためだろうか、著者が書く若い人々の死に様には、どことなく哀惜の色が漂う。本書には32歳で暗殺された坂本竜馬も取り上げられているが、著者は以下のような言葉をはなむけに添えている。「もう少し生かしておきたかった、と思われる人間は史上そう多くないが、坂本竜馬はたしかにその一人である」。他に著者が本書内で同様に評価しているのは大杉栄、小栗虫太郎、島津斉彬などだ。

また、著者が作家なだけに、作家の訃報には紙数が割かれている。石川啄木や夏目漱石など。

本書は日本人の著者によって書かれただけに、日本人の割合が非常に高い。だからこそ、我々にとっては思い入れもあるし、日本人の死生観について興味深い例を教えてくれる。

自分がどうやって死ぬか。死ぬときには後世に恥じぬ死に様でありたい。そう思うのだが、まだまだそう思うには時間が掛かるのだろうな。

‘2016/07/06-2016/07/08