Articles tagged with: 地震

今こそ知っておきたい「災害の日本史」 白鳳地震から東日本大震災まで


新型コロナウィルスの発生は、世界中をパンデミックの渦に巻き込んでいる。
だが、人類にとって恐れるべき存在がコロナウィルスだけでないことは、言うまでもない。たとえば自然界には未知のウィルスが無数に潜み、人類に牙を剥く日を待っている。
人類が築き上げた文明を脅かすものは、人類を育んできた宇宙や地球である可能性もある。
それらが増長した人類に鉄槌を下す可能性は考えておかねば。
本書で取り扱うのは、そうした自然災害の数々だ。

来る、来ると警鐘が鳴らされ続けている大地震。東海地震に南海地震、首都圏直下地震、そして三陸地震。
これらの地震は、長きにわたって危険性が言われ続けている。過去の歴史を紐解くと発生する周期に規則性があり、そこから推測すると、必ずやってくる事は間違いない。
それなのに、少なくとも首都圏において、東日本大震災の教訓は忘れ去られているといっても過言ではない。地震は確実に首都圏を襲うはずなのにもかかわらず。

本書は日本の歴史をひもとき、その時代時代で日本を襲った天変地異をとり上げている。
天変地異といってもあらゆる出来事を網羅するわけではない。飢饉や火事といった人災に属する災害は除き、地震・台風・噴火・洪水などの自然災害に焦点を当てているのが本書の編集方針のようだ。

著者は、そうした天変地異が日本の歴史にどのような影響を与えたのかという視点で編んでいる。
例えば、江戸末期に各地で連動するかのように起こった大地震が、ペリー来航に揺れる江戸幕府に致命的な一撃を与えたこと。また、永仁鎌倉地震によって起こった混乱を契機に、専横を欲しいままにした平頼綱が時の執権北条貞時によって誅殺されたこと。
私たちが思っている以上に、天変地異は日本の歴史に影響を与えてきたのだ。

かつて平安の頃までは、天変地異は政争で敗れた人物の怨霊が引き起こしたたたりだとみなされていた。
太宰府に流された菅原道真の怨霊を鎮めるため、各地に天満宮が建立されたのは有名な話だ。
逆に、神風の故事で知られる弘安の大風は、日本を襲った元軍を一夜にして海中に沈め、日本に幸運をもたらした。
本書にはそういった出来事が人心をざわつかせ、神仏に頼らせた当時の人々の不安となったことも紹介している。
直接でも間接でも日本人の深層に天変地異が与えてきた影響は今の私たちにも確実に及んでいる。

本書は私の知らなかった天変地異についても取り上げてくれている。
例えば永祚元年(989年)に起こったという永祚の風はその一つだ。
台風は私たちにもおなじみの天災だ。だが、あまりにもしょっちゅう来るものだから、伊勢湾台風や室戸台風ぐらいのレベルの台風でないと真に恐れることはない。ここ数年も各地を大雨や台風が蹂躙しているというのに。それもまた、慣れというものなのだろう。
本書は、歴史上の洪水や台風の被害にも触れているため、台風の恐ろしさについても見聞を深めさせてくれる。

本書は七章で構成されている。

第一章は古代(奈良〜平安)
白鳳地震
天平河内大和地震
貞観地震
仁和地震
永祚の風
永長地震

第二章は中世(鎌倉〜室町〜安土桃山)
文治地震
弘安の大風
永仁鎌倉地震
正平地震
明応地震
天正地震
慶長伏見地震

第三章は近世I(江戸前期)
慶長東南海地震
慶長三陸地震津波
元禄関東大地震
宝永地震・富士山大噴火(亥の大変)
寛保江戸洪水

第四章は近世II(江戸後期)
天明浅間山大噴火
島原大変
シーボルト台風
京都地震
善光寺地震

第五章は近代I(幕末〜明治)
安政東南海地震
安政江戸地震
明治元年の暴風雨
磐梯山大噴火
濃尾地震
明治三陸大津波

第六章は近代II(大正〜昭和前期)
桜島大噴火
関東大震災
昭和三陸大津波
室戸台風
昭和東南海地震
三河地震

第七章は現代(戦後〜平成)
昭和南海地震
福井大地震
伊勢湾台風
日本海中部地震
阪神淡路大震災
東日本大震災

本書にはこれだけの天変地異が載っている。
分量も相当に分厚く、636ページというなかなかのボリュームだ。

本書を通して、日本の歴史を襲ってきたあまたの天変地異。
そこから学べるのは、東南海地震や南海地震三陸の大地震の周期が、歴史学者や地震学者のとなえる周期にぴたりと繰り返されていることだ。恐ろしいことに。

日本の歴史とは、天災の歴史だともいえる。
そうした地震や天変地異が奈良・平安・鎌倉・室町・安土桃山・江戸・幕末・明治・大正・昭和・平成の各時代に起きている。
今でこそ、明治以降は一世一元の制度になっている。だが、かつては災害のたびに改元されていたと言う。改元によっては吉事がきっかけだったことも当然あるだろうが、かなりの数の改元が災害をきっかけとして行われた。それはすなわち、日本に災害の数々が頻繁にあったことを示す証拠だ。
そして、天変地異は、時の為政者の権力を弱め、次の時代へと変わる兆しにもなっている。
本書は、各章ごとに災害史と同じぐらい、その時代の世相や出来事を網羅して描いていく。

これだけたくさんの災害に苦しめられてきたわが国。そこに生きる私たちは、本書から何を学ぶべきだろうか。
私は本書から学ぶべきは、理屈だけで災害が来ると考えてはならないという教訓だと思う。理屈ではなく心から災害がやって来るという覚悟。それが大切なのだと思う。
だが、それは本当に難しいことだ。阪神淡路大震災で激烈な揺れに襲われ、家が全壊する瞬間を体験した私ですら。

地震の可能性は、東南海地震、三陸地震、首都圏直下型地震だけでなく、日本全国に等しくあるはずだ。
ところが、私も含めて多くの人は地震の可能性を過小評価しているように思えてならない。
ちょうど阪神淡路大震災の前、関西の人々が地震に対して無警戒だったように。
本書にも、地震頻発地帯ではない場所での地震の被害が紹介されている。地震があまり来ないからといって油断してはならないのだ。

だからこそ、本書の末尾に阪神淡路大地震と東日本大震災が載っている事は本書の価値を高めている。
なぜならその被害の大きさを目にし、身をもって体感したかなりの数の人が存命だからだ。
阪神淡路大地震の被災者である私も同じ。東日本大震災でも震度5強を体験した。
また、福井大地震も、私の母親は実際に被害に遭い、九死に一生を得ており、かなりの数の存命者が要ると思われる。

さらに、阪神淡路大地震と東日本大震災については、鮮明な写真が多く残されている。
東日本大震災においてはおびただしい数の津波の動画がネット上にあげられている。
私たちはその凄まじさを動画の中で追認できる。

私たちはそうした情報と本書を組み合わせ、想像しなければならない。本書に載っているかつての災害のそれぞれが、動画や写真で確認できる程度と同じかそれ以上の激しさでわが国に爪痕を残したということを。
同時に、確実に起こるはずの将来の地震も、同じぐらいかそれ以上の激しさで私たちの命を危機にさらす、ということも。

今までにも三陸海岸は何度も津波の被害に遭ってきた。だが、人の弱さとして、大きな災害にあっても、喉元を過ぎれば熱さを忘れてしまう。そして古人が残した警告を無視して家を建ててしまう。便利さへの誘惑が地震の恐れを上回ってしまうのだ。
かつて津波が来たと言う警告を文明の力が克服すると過信して、今の暮らしの便利さを追求する。そして被害にあって悲しみに暮れる。

そうした悲劇を繰り返さないためにも、本書のような日本の災害史を網羅した本が必要なのだ。
ようやくコロナウィルスによって東京一極集中が減少に転じたというニュースはつい最近のことだ。だが、地震が及ぼすリスクが明らかであるにもかかわらず、コロナウィルスがなければ東京一極集中はなおも進行していたはず。
一極集中があらゆる意味で愚行の極みであることを、少しでも多くの人に知らしめなければならない。

本書は、そうした意味でも、常に手元に携えておいても良い位の書物だと思う。

‘2019/7/3-2019/7/4


東京大地震は必ず起きる


確信に満ちた力強いタイトル。地震が取り上げられた文章において、確信は避けられる傾向にある。なぜなら、地震予知は難しいから。急が迫っている場合ならまだしも、何年単位のスパンで確率が何パーセントと言われても、受け取る側に危機感はない。それどころか、下手に煽って経済活動が止まれば経済の損失がかさむ。特に日本のように交通機関のダイヤグラムにうるさい国の場合はなおさらだ。だから地震学者は地震の予知には慎重になる。慎重どころか及び腰になる。そこに来て本書だ。著者は防災科学技術研究所理事長の肩書を持つ方。地震予知が専門でない分、本書のように一歩踏み出したタイトルをつけられるのだろう。そして、本書のようなタイトルの本を著したことに、首都圏に迫る直下型地震の現実味と焦りを感じる。

著者は率直に述べる。阪神・淡路大震災が予想外だったと。1995年1月17日、著者は地震防災に関するシンポジウムのため大阪のホテルに泊まっていて早朝の地震に遭遇したそうだ。関西では大地震は起きない。そんな定説に安住していたのは何も私たちのような一般市民だけではない。防災学者にとって、関西で地震が起こるなど、ましてやあれほどの被害が発生するとは想像できなかったらしい。

著者は防災の専門家として、阪神・淡路大震災のちょうど一年前にアメリカ西海岸で起きたノースリッジ地震を例に挙げ、そこで高速道路が倒壊したようなことは日本では起きないと大見得を切っていたという。しかし、阪神高速は脆くも倒壊した。わたしの実家のすぐ近くで。著者はその事を率直に記し、反省の弁を述べる。その態度は好意的に受け止めたい。著者の態度は、同時に地震の予知や防災がいかに難しいかを思い知らされる。

たとえ確率が数パーセントであっても、それはゼロではない。そして地震は起こってしまうのだから。事実、阪神・淡路大震災が起こったとき、日本政府も関わっていた地震予知計画は成果があったとして第七次計画中だったが、阪神・淡路大震災を予知できなかったことにより、第七次で打ち切られたという。防災計画も、著者らは火災の延焼による被害が都市にダメージを与えると考えていたらしい。ところが都市直下型地震ではなく、日本の誇る堅牢な構造物すらあえなく崩れる。学者の無知を著者は悔やむ。

著者はその教訓をもとに、首都圏に迫る直下型地震に警鐘を鳴らす。それが本書だ。著者は震災が都市に与える影響を四つに分けていた。火災、情報、ライフライン、経済の四つだ。そして著者は阪神・淡路大震災によって、構造物の問題にも目を向けた。だから今は五つの要素が年に影響を与える。

東海地震や南海地震、それらが複合する東南海地震。これらの地震の発生が差し迫っていることは、ずいぶん前から言われて来た。しかし、この10数年は、それに加えて首都圏の地下を走る断層が引き起こす首都圏直下型地震についてもとり沙汰されるようになった。もし朝夕のラッシュ時に強烈な揺れが都心を襲えば、被害は阪神・淡路大震災の比ではない。私も死ぬことは覚悟しているし、そのリスクを避け、都心での常駐作業をやめた今でも、商談で都心に赴いた際に多い。だから地震で命を落とす可能性も高いと妻子には伝えている。

著者は防災の観点で、首都圏で震度6強の地震が起きたらどうなるかを詳細に書く。兵庫県と比べると東京の抱える人口や経済規模はレベルが違う。路地の狭さや公園の人口あたりの面積も。交通量の多さも。どれもが被害を膨大に増やすことだろう。「東京における直下地震の被害想定に関する調査報告書」は二編で千百ページにも達するという。著者はこの報告書の言いたいことは最初の20ページで良いという。その上で残りの部分を著者が要約し、被害の想定を述べる。

面白いのは著者がこの報告書に批判的なことだ。はっきりと「過小評価」と言っているし、そもそも想定自体が専門家による仮定に過ぎないという。おそらくこの報告書は建築物の分布や、電柱、地盤、道路などさまざまな条件をもとに作られている。だが、当日の気候や風、発生時間、震源地は仮定で考えるしかない。著者が言いたいのは、報告書を鵜呑みにしない、ということだろう。

著者はそれを踏まえ、液状化や火災発生、延焼、停電、断水など報告書で詳しく載せられている23区のそれぞれについて、データの読み方を述べている。この章は、都心に住んでいたり、仕事をしている方には参考になるはずだ。

続いて著者はライフラインとは何か、について述べる。上下水道、ガス、電気、道路、鉄道、電話などだ。本書は東日本大震災の前に出版されているため、福島の原発事故やそれが東京の電力需給に大きな影響をもたらした事には触れていない。そのかわり、阪神・淡路大震災でライフラインが広範囲に断絶した状況について、かなり触れている。

私の経験を語ると、東日本大震災で経験した不便など、阪神・淡路大震災で味わった不便に比べるとわずかなものだ。3.11の当日の停電では、妻は錦糸町から帰れず、私も娘たち二人とロウソクで過ごした。その後の計画停電では、仕事にも支障をきたした。私は当時、毎日日本橋まで通っていたので、交通網の混乱も知っている。だが、阪神・淡路大震災の時はそもそも電気もガスも水道も来ない状態が続いたのだ。わが家は大きな被害を受けた地域の東の端。すぐ近くの武庫川を渡れば、その向こうはまだ生活が成り立っていたので、買い出しや風呂はそこにいけば大丈夫だった。だから当時神戸市内に住んでいた方の苦労など、私に比べたらもっと大変だったはず。
阪神・淡路大地震での体験はこちら
人と防災未来センターの訪問記はこちら
地震に対する私の気構えはこちら

3.11で味わった地震の不便をもとに、首都圏の人が地震の被害を考えているとすれば大きな間違いだと思う。

本書は地震が起こってしまった場合のさまざまなシミュレーションもしてくれている。立川に官邸機能が移ることも。そして、私たちが何をすれば良く、普段から何を準備しておくべきかを記してくれている。本章に書かれた内容は読んでおくべきだろう。また、東京都民であれば、都から配られた『東京防災』も読んでおくことをお勧めしたい。私も本稿を書いたことで、あらためて『東京防災』を読んでおかねば、と思った。

不幸にして揺れで亡くなった場合は、その後のことは考えようがない。だが幸運にも生き残った時、そこには想像以上の不便が待っているはずだから。

末尾には著者が防災専門家の目黒公郎氏と対談した内容が載っている。そこに書かれていることで印象に残ったことが一つある。それは亡くなった方が思うことは、ライフラインの充実ではない。それよりも家の耐震をきっちりやっておけばよかった、と思うはず、とのくだりだ。地震の被災者になった事で、次への備えを語れるのは生き延びた人だけなのだ。私もそう。幸運にも生き延びた一人だ。だからこそ、このような文章も書けるし、日々の仕事や遊びもできる。このことは肝に命じておきたい。

また、村尾修氏との対談では、WTCのテロの現場を視察しに行った村尾氏の経験と、そこからテロに備える防災について意見を交換する。東京は地震だけでなく、テロにも無防備だとはよく言われることだ。だが、テロはどちらかといえば点の被害。震災は面の被害が生じる。また、アメリカは戦争の延長で防災や事後対応が考えられている事が、日本との違い、という指摘は印象に残る。

最後は著者が国会の委員会に参考人として呼ばれた際の内容をおさめている。その内容はまさに本書のまとめというべき。

私も常時都心にいることはなくなったとはいえ、まだまだ都心に赴くことは多い。本書を読みつつ、引き続き備えを怠らぬようにしたい。そして、生き残った者として、何かを誰かに還元する事が務めだと思っている。

‘2017/09/29-2017/10/01


三陸海岸大津波


3.11の津波は、日本人に津波の恐ろしさをあまねく知らしめた。ネット上に投稿された数々の津波動画によって。

私自身、それらの動画をみるまでは津波とは文字どおり巨大な波だと勘違いしていた。嬉々としたサーファーたちがパドリングして向かう巨大なパイプラインを指すのだと。しかし3.11で沿岸を襲った津波とは、海が底上げされる津波だ。見るからに狂暴な、ロールを巻いた波ではない。海上は一見すると穏やか。だが、実はもっとも危険なのはこのような津波なのかもしれない。

本書は、3.11が起きるまでに、三陸海岸を襲った代表的な津波三つを取り上げている。すなわち明治29年(1894年)の明治三陸地震の津波、昭和8年(1933年)の昭和三陸地震の津波、最後に昭和35年(1960年)のチリ地震津波である。

著者の記録文学はとても好きだ。時の流れに埋もれそうなエピソードを丹念に拾い、歴史家ではなく小説家視点でわれわれ読者に分かりやすく届けてくれる。記録文学の役割が過小に評価されているように思うのは私だけではあるまい。

だが、著者の筆力をもっても、津波とは難しい題材ではなかったか。

なぜか。それは、時間と時刻だ。

時間とは、過ぎ去った時間のこと。本書が書かれたのは1970年だという。明治三陸津波からは76年の月日がたっている。もはや経験者が存命かどうかすら危ぶまれる年月だ。では、昭和三陸津波はどうだろう。こちらは被害に遭ってから38年。まだ体験談が期待できるはず。

だが、ここで時刻という壁が立ちはだかる。明治も昭和も地震発生時刻は夜中である。津波が三陸沿岸を総ざらいしたのは暗闇の中。つまり、目撃者からは行動の体験は引き出せても、視覚に映った記憶は期待できないのだ。

二階の屋根の向こうに波濤が見えた、海の底が引き潮で数百メートルも現れた、という目撃談は本書に載っている。だが、断片的で迫力にかける。そもそも夜分遅くに津波に襲われた被災者の方々が克明に状況を目撃しているほうがおかしいのだ。

被災者に立ちはだかるのは暗闇だけではない。津波とは一切を非情に流し去る。朝があたりを照らしても、元の風景を思い出すよすがは失われてどこにもない。そして、その思い出すらも時の経過が消し去って行く。荒れ狂う波が残した景色を前に、被災者はただ立ち竦むしかない。後世に残すに値する冷静緻密な絵や文章による描写を求めるのは被災者には酷な話だ。写真があればまだよい。だが、写真撮影すら一般的でない時代だ。

そんなわけで、著者の取材活動にも関わらず、本書は全般的に資料不足が否めない。でも著者は明治、昭和の津波体験者から可能な限り聞き取りを行っている。

視覚情報に期待できない以上、著者は他の感覚からの情報を集める。それが聴覚だ。本書には音についての情報が目立つ。地震発生時に二発響いたとされる砲声とも雷鳴とも聞こえる謎の音。海水が家屋を破壊する音や家にいて聞こえるはずのない水音。目には映らない津波の記憶も、耳の奥にはしっかりと残されている。そういった情報は聞き取りでも残された文献からも拾うことができる。

地震の記録としてよく知られるのは、宏観現象だ。宏観現象とは、前兆として現れた現象のことだ。本書は宏観現象も網羅している。

なかでも秀逸なのは、ヨダという東北弁の語彙の考察だ。ある人は揺れがないのに襲いかかる津波をヨダといい、ある人は揺れの後の津波をヨダという。著者が出した結論は後者である。その様な誤解が生じたのは、本書で三番目に取り上げるチリ地震津波の経験が影響しているのだろう。地球の裏側で起こった地震の津波が2日後に死者を出すほどの津波になるとは誰も思うまい。

そして、そういった波にも甚大な被害を受けること。それこそがリアス式地形を抱える三陸の宿命なのだろう。

だが、宿命を負っているにも関わらず、三陸の人々の全員に防災意識が備わっているかと言えばそうでもない。

著者の聞き取りは、三陸の人々が地震にたいして備えを怠っていたことを暴く。津波を過小評価し過去の地震の被害を軽くみた人や、誤った経験則を当てはめようとして逃げなかった人が津波にはやられている。

今の時代、昔から受け継がれてきた知恵が忘れられているのはよく言われる。しかし、昔の人たちも忘れることについては同じだったのかもしれない。

明治の地震でも更地と化した海沿いから、高台に家屋を移す試みはなされた。しかし、漁師は不便だからという理由でほどなく海沿いに転居する家が後を絶たなかったとか。そしてそれらの家は、後年、沿岸を襲った津波の被害に遭う。

結局、人とは喉元を過ぎれば熱さを忘れる生き物かもしれない。その意味でも著者の記録文学は残っていくべきなのである。

‘2016/6/29-2016/6/29


この六年を契機にSNSの過去投稿について思ったこと


今日で東日本大震災が発生して六年が経ちました。テレビやブログでも六年の日々が取り上げられているようですね。

今日の14:46を私は家で仕事しながら迎えました。六年前のその瞬間も同じ。あの時も家で仕事していました。違う事といえば、今日は直前に町田市の広域放送で黙祷を促されたことでしょうか。よい機会をもらえたと思い、しばし目を閉じ自分なりに物思いにふけります。

この六年を自分なりに振り返ろうかと思ったのですが、やめておきます。昨年秋に二回ほど郡山に仕事でお呼ばれしました。郡山の素敵な方々や産物や美しい風景の数々。地震が起きてから東北の方々に何も貢献できていなかった自分に少しは区切りはつけられました。でも私はいまだに浜通りや三陸を訪問できていません。私が東日本大地震を語るには時期が早いようです。
弊社は、福島を応援します。(まとめ版)
弊社は、福島を応援します。(9/30版)
弊社は、福島を応援します。(10/1版)
弊社は、福島を応援します。(10/2版)

ふと、3.11前後の日記を覗いてみたくなりました。その頃の日記には一体何を書いていたのか。そして何を思ったのか。当時の私はまだmixiを利用していました。今や全くログインすることのないmixi。今回の機会に久々に当時のmixi日記を覗いてみることにしました。

久々に訪れるmixiはユーザーインターフェースが刷新された以外は案外同じでした。六年前の3.11の前後に書いた日記にもすぐアクセスできました。時間軸ではなく、年と月でカテゴライズされたmixi日記へのアクセスはFacebookに慣れた身には逆に新鮮です。日記ごとにタイトルが付けられるのも、後から日記を見たいニーズには適しています。私のようにSNS利用のモチベーションが自己ログ保存にあるような人にはうってつけですね。

最近のSNSはタイムライン表示が全盛です。Facebook、Twitter、Instagram、Snapchat。どれもがタイムライン表示を採用しています。mixiも過去日記の閲覧が容易とはいえ、基本はタイムライン表示です。多分、膨大に飛び込んでくる情報量をさばくには、タイムライン表示が適しているのでしょう。Snapchatに至っては投稿してもすぐ自動消去され、それが絶大な支持を得ているのですから。

mixiのように後から投稿を容易に閲覧できる機能はもはや流行から外れているのでしょう。今を生きる若者にはそもそも、後日のために投稿を取っておくという発想すらないのかもしれません。私も二十歳前後の記録は友達と撮りまくった写真以外はほとんど残っていないし。

でも、3.11の時のような天災では、アーカイブされた記録が後になって大きな意味を持つと思うのです。つい先日にも膨大にアップされたYouTube動画を場所や時間でアーカイブし、検索できる仕組みが東北大学によって公開されたとか。動画でふりかえる3.11ー東日本大震災公開動画ファインダーー

各種SNSでは、システムAPIなどを使って一括アーカイブはできるはずですし、Facebookでは一般アカウント設定から過去投稿の一括ダウンロードもできます。ただ、それだけでは足りません。mixiのように、容易に利用者が過去のウォール投稿やツイートにカテゴリーツリー経由でアクセスできるようにしても良いと思うのですよ。システム実装はあまり難しくないと思いますし。学術的な投稿アーカイブだけでなく、利用者にとっても過去日記を閲覧できる機能はあってもよいと思うのですが。

今回、過去の日記を久々に読み返して、過去の自分に向き合うのも悪くないと思いました。仕事を多数抱え、過去の日記を読み返す暇などほとんど無い今だからこそなおさらに。

とはいえ、気恥ずかしい記述があるのも事実。地震前最後に書いた日記は2011/3/8のこと。長女と二人で風呂に入ったこと。学校で性教育の授業を受けたと教えてもらったことが書かれてました。うーむ、、、これは気恥ずかしい。さらに、実名が求められないmixiでは私の書く筆致が全体的にのびのびしている気がしました。これは今の自分の書きっぷりについて反省しないと。


震災列島


著者の作品を手に取るのは、「死都日本」に続き2冊目だ。前作は九州南部に実在する加久藤カルデラがスーパーボルケーノと化し、カタストロフィを引き起こす内容だった。本書では東海地震を取り上げている。ともに共通するのは、今の日本が抱えている破滅的リスクが現実となる仮想未来を題材としていること。いわゆるパニック小説と云ってもよい。

しかし、単なるパニック小説として本書を片付けてしまうのはもったいない。前作においては、しっかりした科学的知見に裏付けられた破局噴火の描写が秀逸だった。前作がいかに科学的知見の裏付けある小説だったかは、実際に行われた火山学者によるシンポジウムが「死都日本」と題されたことでもわかる。絵空事ではない、現実に起こり得る最大限の天災を描いたのが「死都日本」であった。

本書は、前作に比べてよりパニック小説として工夫している箇所が見られる。それは復讐譚としての側面である。前作は火山からの逃避行の描写に多くを割いたため、物語の筋としては一方通行になってしまったキライがあった。本作の構成はその点を踏まえた著者なりの工夫なのだろう。

主人公明石真人はボーリング業者として生活を営んでいる。ボーリング業者とはいわゆる地質屋に等しい。建築物を立てる前にその地層を調べるのが業務内容だ。つまり、地震に対する基礎知識を持った主人公という設定となっている。名古屋市南部の海抜ゼロメートル地帯で親や家族と共に暮らしている。が、そこに工務店の顔をして乗り込んできたのが阿布里組。阿布里組とは企業の顔をしているが実は企業舎弟、いわゆるヤクザである。その阿布里組によって、地域の人々の生活は脅かされる。主人公の父善蔵は、町内会長として阿布里組に抗議する。が、その意趣返しとして主人公の娘友紀は誘拐され、さらには強姦されてしまう。救い出された友紀は自殺を図る。その復讐を遂げるため、前兆現象が確実に起こっている東海地震を正確に予測し、そのどさくさで阿布里組に復讐を企てる。果たしてそのような予測が可能であるかどうかはともかくとして、友紀への強姦シーンを含めた仕打ちの描写は、凄絶なものがある。主人公が阿布里組に抱く復讐動機としては充分すぎるものである。娘を持つ私にも絵空事と見過ごせないと思えてしまうほどの内容だった。

主人公と善蔵の見立て通り、本震は発生する。その描写は凄まじいものがある。名古屋中心部のビル街の惨状、津波による街の一掃。メタンハイドレート層の崩壊による爆発。そして、浜岡原発のメルトダウン一歩手前までの事故。こういった描写が科学的知見に裏打ちされていることは前作でも実証済み。起こり得る損害はかなり正確に書かれているのではないかと思う。この辺りは実際の科学者による解説が欲しいところだ。

ちなみに本書が発行されたのは、2004年10月。文庫版である本書でさえ2010年1月に発行されている。東日本大地震と福島第一原発の事故が起きる数年前に、すでに本書のような内容の小説を執筆していたことに畏敬の念を覚えずにはいられない。特に浜岡原発の事故描写の迫真振りといったら、鳥肌が立つほどのもの。発電所長は主人公が住む町の住人で単身赴任しているという設定だが、ご都合主義という批判は脇に追いやるほどの迫真の描写である。

そして、前作と同じく、天災を機に政府が発動する緊急経済政策が登場する。著者にとって、または日本の裏を知る人々にとって、日本の財政問題を解消する手段は天災にしかないかのように。

本書の最期は、復讐劇のクライマックスとなり、47人の阿布里組員達は全て復讐の犠牲となる。が、それはもはや本書の主旨にとって重要なものではなく枝葉の出来事だ。その証拠に復讐を遂げた主人公にあるのは達成感でもなんでもない。ただただ虚脱感があるのみ。虚脱感が巨大地震に襲われた街並みと主人公の心に取りつく。

ただ、本書は虚脱感では終わらない。本書で著者が訴えたかったことは、エピローグにこそある。主人公が発する台詞「生きて考えるよ。不完全な生き物だから」にそれが集約されている。

来ると言われて久しい東海地震。または東南海地震。さらには首都直下型地震。私が生きている間に、おそらくこのどれかに遭遇することだろう。すでに阪神大震災と東日本大震災に遭遇した私だが、災害の覚悟だけは常時持ち続けていたいものだ。ゆめゆめ油断だけはすることなかれ、と肝に銘じたい。本書を読んで得たもの、それは知識だけではない。地震に遭遇しても折れないだけの心の拠り所、だろうか。

2015/8/4-2015/8/6


地震に備える仕事と生活


熊本で大きな地震がありました。

奇しくも兵庫県南部地震(阪神・淡路大震災)と同じマグニチュードだったそうですね。
断層を震源とした都市直下型としても同じ構造のように思えます。

当時、兵庫県南部地震で被災した者としては、今回の地震には思うところが多々あります。

その思いは、どうしても目前に迫っているといわれる首都圏直下型地震にたどり着きます。2020年のオリンピックも近づいている東京ですが、耐震対策については依然として改善の兆しが見えません。

私はこの4月からワークスタイルを変えました。3月までは月~金は都心で客先に常駐するスタイル。4月からは週の半分を弊社事務所や町田近辺で仕事するスタイル。ワークスタイル切り替えの理由の一つは、地震に対するリスク回避です。

2011/3/11。東日本大震災が起きた日の私はたまたま家で仕事をしていました。当時、私は日本橋の某金融機関本店で勤務していました。しかし、この日は個人で請けていたお仕事を進めたくて、家で仕事をしていたのです。一方、妻は地震発生の瞬間、仕事で錦糸町にいました。結局妻が帰って来たのは翌朝のこと。小学校に通っていた娘たちを迎えに行ったのは私でした。

もしそのとき、私が普段どおり日本橋に向かっていたら、娘たちは父や母の迎えもないまま、心細い思いを抱えて学校で一夜を過ごすことになったことでしょう。

その経験は、私に都心常駐の仕事が抱えるリスクを否応なしに意識させました。個人事業主となってから5年。ゆくゆくは常駐に頼らぬ仕事を目指そうと漠然とは思っていました。でも、都心常駐から町田近辺での仕事へ、という切り替えを真剣に模索するようになったのは3.11の後です。そして昨年は1.17の阪神・淡路大震災が発生して20年の節目でした。自分の被災者としての思い出を振り返るにつれ、ワークスタイル切り替えの思いはさらに強まりました。

私が個人事業を法人化したのはその余韻もさめない4/1のことです。法人化にあたって、どこにビジネスの基盤を置けばよいか、かなり考えました。個人事業主であれば身軽です。仮に首都圏直下型地震が起き、都心で受託していた仕事が継続できなくなったとしても、別の場所で仕事を頂くことができたかもしれません。でも法人化を成した後ではそうも身軽ではいられません。いざ都心が地震で甚大な被害を蒙ったとして、ビジネスの重心が都心に偏っていると、経営基盤にも深刻なダメージが及ぶでしょう。弊社のような創立間もない零細会社としてはなおさらです。そのようなリスクを軽視することはできませんでした。

法人化当初から描いていたワークスタイルの変更は、1年を経てこの4月から一部ではありますが成し遂げることができました。しかしまだまだです。私の目標は日本全国にあります。人を雇って支店を置くのもよいですが、できれば私自身が日本を巡り、巡った各地域の人々と交流できるような仕事がしたいと思っています。いわば旅の趣味と仕事を両立できるようなワークスタイル。

実際、私が大阪で非常にお世話になり、東京でも度々お世話になった方は、堅実な士業に従事しながらも、全国から引き合いを受けては地方を度々訪れているそうです。この方のワークスタイルやライフスタイルは、昔から私の目標とするところです。

私がそういったワークスタイルを実現できたあかつきには、各地を訪れてみたいと思います。地震の被害から復興され、ますます名城としての風格を備えた熊本城を見つつ、地域振興の仕事をお手伝いできているかもしれません。東北の沿岸部では活発な市場の掛け声の中、IT化のお手伝いができるかもしれません。雪深い新潟の山里では、うまい日本酒を頂きながら地元の人々と日本酒文化を世界に発信するための戦略を肴に歓談しているかもしれません。実家に帰った際には、30年前の阪神・淡路大震災からの歴史をかみ締めながら、地元の友人たちと飲んでいるかもしれません。

でも、まずは足元です。足元を固めないと。そのためにはワークスタイルの変革をぜひとも成功させるために努力することが必要です。町田にビジネスの拠点を置いたとして、首都圏直下型地震のリスクは少しは軽減されますが、立川断層を震源とした地震が起きた場合は甚大な被害を受けるでしょう。富士山が仮に噴火した場合もそうです。火山灰による被害は都心よりもさらにひどいものになるでしょう。結局、問題とすべきでは場所ではなく、一箇所に長く留まるようなライフスタイルといえるのかもしれません。

また、どこにいても災害が起こりうるのであれば、いつも災害に関して備えておく必要があります。昨年の秋、東京都民には充実した防災手帳が配布されました。内容はすばらしいの一言です。これを再び読むことを怠ってはならないでしょうね。また、普段から「いつも」地震に備えるためには、以前にも読ん読ブログでも紹介しました以下の本が参考になります。
地震イツモノート―阪神・淡路大震災の被災者167人にきいたキモチの防災マニュアル

なお、こちらの内容はWebでも無料で公開されています。是非お読み頂くことをお勧めします。

最後になりますが、熊本で被災された方々に平穏の日々がなるべくはやく訪れますように。私個人の体験から、被災された方にとって外部でどういった報道がされようが、どういったブログが書かれようが、何のイベントが自粛されようが、全く関係ないことはよくわかっているつもりです。私が書いたこのブログにしても、ほとんどの被災者の方には届かないことでしょう。

でも、私自身にとって熊本の地震には何かのご縁を感じるのです。それは冒頭に挙げたような阪神・淡路大震災の類似もあるでしょう。さらには、ここ2週間私が開発で使っているCodeIgniterというフレームワークを介したご縁もあります。3.11が起きた日、私が自宅で作業していたのが、まさにCodeIgniterを使った開発でした。それ以来数年ぶりに使っていたら今回の地震に遭遇しました。

そんな訳で、熊本の地震には何かの縁を感じます。その縁を私がどういう行動で太くするか、それはこの後考えてみようと思います。まずは先に紹介した地震イツモノートを紹介して、これからの地震への備えについて注意喚起しようと思います。


阪神・淡路大震災から20年 私のたたかい


本書は阪神淡路大震災の被災者による手記です。

昨年、2015年は兵庫県南部地震が起きて20年。各地で追悼イベントがありました。私自身、被災者です。20年目を迎えた1/17にはblogもアップしました。そこで、私なりに20年の区切りを付けたつもりです。また、その3ヶ月後には、灘区にある「人と防災未来センター」にも訪れ、その時に感じた事をblogにも書きました。

本書は訪れた「人と防災未来センター」の売店で購入した一冊です。

本書のような体験記は今までにも多数読んできました。東京大空襲、広島・長崎の原爆投下については多数の書籍で。東日本大震災についてはWebで。

でも、私自身が被災者となった天災といえば、阪神・淡路大震災が唯一です。東日本大震災でも自宅で被災しましたが、あれしきの経験ではとても被災者と自称することはできません。実際に被災された方々にも失礼ですし。でも、阪神・淡路大震災であれば、私自身、被災者と自称しても許されるのではないでしょうか。

それでも私の体験など、当時阪神・淡路に住んでいた方々の中にあっては、その一つに過ぎません。当然ですよね。震災に遭われた方の数だけ震災体験はあるのですから。本書はそのことを強く思わせてくれます。

揺れを感じた場所の違いもさることながら、震災時の立場の違いは実に大きいと思います。私の場合、学年末試験開始当日でした。とはいえ、実際に社会に出て仕事をされていた方々に比べると、私の苦労など持ちだすことすらおこがましいです。社会で地位を得、仕事をしながら地震の後始末もする。その苦労を思えば私の体験など気楽なものです。

もちろん、私は当日だけではなくその後に至るまで色々と動きました。吹田市への避難先の探索を友人に依頼したり、借家の契約も行ったり、引っ越し作業にあたっては車で何往復したことか。でも、所詮は学生の身分。時間があったからできたことです。社会人となった今は、あの頃社会人でありながら被災者であった方々の苦労に思い致すことができます。

本書には当時社会の一線で働いていた方々の体験談が多数収められています。

また、何よりも感じるのは、本書に寄稿されている方の多くは、地震の後も阪神間に留まっています。地震後、四年少しで関東に出てしまった私とは大きく違います。本書のサブタイトルにも「私のたたかい」という文字が含まれています。いうなれば私は地震への闘いを4年で中断し、東京へ逃げてしまった者ともいえます。たたかいを続ける両親や弟を残して。

街が復興していく様子。少なくとも表面的には傷が癒えて行く様子。記憶が風化していく焦りや寂しさ。そういった感情は、私には薄くしか残っていません。闘い半ばにしていなくなったのだから。私のように年に2、3度の帰省だけでは見えない街の移り変わりを見続けてきたのが、本書に寄稿された方々なのだと思います。

皆様の文章から感じられるのは、地震体験が生々しく残っていることです。勿論その記憶には風化やすり替えも含まれているでしょう。私自身の記憶ですらそうなのですから。

でも、共通しているのは、この記憶を後世に伝えたいということです。私自身、少なくともそういう気持ちは持ち続けたいと思っています。地震の巣である東京で仕事の基盤を持っている今、決してそのことは忘れてはならないと思っています。

今の東京は、地震の痛みを忘れてしまっています。皆さんが記憶しているのは精々が計画停電による、朝のラッシュの長蛇の列でしょう。

原発稼働の有無や、福島第一原発事故による放射能について警鐘を鳴らすのは無駄とは思いません。が、それ以上に、東京の様な地震多発地帯に国の三権ばかりか、経済文化が集い続けていることに危機感は増す一方です。

「人と防災未来センター」の訪問ブログでも書きましたが、私が訪れた際は、丁度震災20周年の特別展が催されていました。その中で、もし東京で大地震が発生したら、という題で多数の東京のランドマークがイラスト化され、崩れる建物や避難民が書かれていました。

今の東京住民の方々は決してその予想を軽んじてはなりません。なぜ軽んじてはならないか。その答えが本書に寄稿されている方々の体験から読み取れます。私も含め、神戸を地震が襲うなど考えもしなかった方々。その方々の衝撃と狼狽、復興の実情が本書には詰められています。

さらには、忘れてはならないことがあります。ここに寄稿されている方々は私も含め、運よく震災体験を書く事が出来た方々です。その陰には、体験を書くどころか、思い出す機会すらないまま無念の死に直面した人々の存在があります。6500弱もの人々の存在が。

彼らの言葉にならぬ無念は、今の東京に暮らす皆様にはどう捉えられているのでしょう。もはや別の国、別の歴史の出来事になってしまっているのではないでしょうか。

亡くなった方々の幾分の恐怖や無念を伝える本書のような体験記は、東京に住む人々にこそ知られるべき。私はそう思います。

‘2015/05/03-2015/05/05


地震イツモノート―阪神・淡路大震災の被災者167人にきいたキモチの防災マニュアル


今年(2015年)は阪神・淡路大震災が起きて20年。1/17には自分自身の記憶を新たにするため、当日の動きやその後の私の対応をブログに書いた。また、春の帰省時には神戸の「人と防災未来センター」にも行き、資料や映像からも当時の記憶を新たにした。

その際、一つ印象に残った展示があった。それは首都圏に地震が起こったらどうなるかを訪問者に想像させる展示だ。首都圏に住んでいれば誰もが場所を想像できる場所のイラストが20~30箇所分、部屋を囲むように貼りつけられている。そのイラストには特徴的な場所の様子に加え、避難民が多数書かれている。地震が起きたと仮定し、その後の想定される動きをイラストにすることで、イメージを喚起させることが狙いなのだろう。

しかし、この展示には一つ問題がある。それは当展示を一番見るべき人が見られないということだ。首都圏に住む人々こそ、この展示を見て、地震に対する備えを行うべき。なのに、首都圏の人々のほとんどはこの展示を知らぬまま、地震に遭うこととなる。そのあたりの想いや訪問の感想は、以下のブログでも書いた。

私は、首都圏直下型地震や東南海地震が私の存命中に起きることはほぼ確実と思っている。その被害がかなりの確率で私の生命を奪いかねないことも覚悟している。とはいえ、それについて具体的な備えをしているかと云えば、ノーである。

本書は、「人と防災未来センター」の協力も一部得ている。地震が「もしも」起きた場合に備えるのではなく、「イツモ」起きることを前提とし、「イツモ」持っておくべき備えや心の持ち方について書かれている。

ただ、いくら備えが大事とはいえ、字面ではなかなかそのメッセージは伝わりづらい。本書は、それを防ぐため、相当量のイラストが付されている。寄藤文平氏によるイラストの数は百点では済まない。本書に収められた情報量は、文章五割、イラスト五割に達しているのではないだろうか。JTの大人たばこ養成講座の公共広告のイラストで知られる寄藤氏のイラストは、親しみやすく、出しゃ張らず、それでいて必要なメッセージを伝えている。

本書には、多数の被災者から寄せられた経験が集められている。地震の際に何が起き、何が必要になるか。その膨大な集合知こそが、本書の肝である。いくら寄藤氏のイラストが多数添えられていたとしても、それが行政からの上から目線のメッセージでは住民の心には届かない。実際に被災し、地震の恐ろしさや不便さを体感した人々によるメッセージこそが、有事の際に我々を救ってくれる。メッセージの有用性は、実際に被災した私自身で良ければいくらでもお墨付きを与えられる。細かい点まで多々挙げられており、私が読んでも新たな気付きが得られるほどだ。

先日、東京都から防災手帳が配布された。その内容は素晴らしく、まさに世界に冠たる地震都市東京の総力が結集されたといっても過言ではない。しかし、その中に含まれていないものがある。それは、本書に書かれている経験や知恵だ。1923年以来、東京に足りていないのは地震の経験である。今度その経験を得られる時は、多くの人々の尊い命が引き換えとなることは確実だろう。その中には私自身も含まれている可能性も高い。

都市型直下地震の備えが書かれた本書は、実はもっと見直され、取り上げられないといけない。そして首都圏の人々にもっと読まれなければいけない。そう思う。

‘2015/04/26-2015/04/26


「人と防災未来センター」を東京にもつくるべき


先週、4/26日に帰省した折、HAT神戸にある「人と防災未来センター」を訪問してきました。

のっけから結論をいうと、
「人と防災未来センター」を東京にもつくるべき。
これです。

さらに言えば、
特別企画展として催されていた「1.17 阪神・淡路大震災20年 伝えよう 未来へ 世界へ」も含めて東京での展示をお願いしたい。
これです。

このセンターの目的は、再び阪神・淡路大震災の被害を繰り返さぬため、後世に、未来に向けてメッセージを発信することにあると思います。確かに、阪神・淡路大震災の被災者にとり、遠い未来の阪神・淡路地域の防災を願うのは当然のことです。

しかし、それだけでよいのでしょうか。

私は、当センターの展示物の持つメッセージは、今の首都圏に住む人々にとってこそ切実に発信されるべきだと思うのです。江戸の昔から、東京には地震がつきもの。これは云うまでもありません。ここ150年に限っても安政江戸地震、関東大震災が発生しました。間隔から算出すると首都圏が大地震に襲われることは必至と言われています。

先日の東日本大震災では、首都圏も大きな揺れに襲われました。とはいえ、震源地は宮城県沖です。地震による直接の被害といってもお台場のビルが燃え、京葉工業地帯で爆発が起こったぐらいでした。首都圏に住まわれるほとんどの方にとって、地震の被害として記憶に残っているとすればなんでしょう。計画停電や電車遅延による心労、放射能汚染に対する恐れがせいぜいではないでしょうか。いづれも直接の地震被害ではありません。二次被害です。

しかし、このセンターの展示で阪神・淡路大震災の被害を見ると、東日本大震災で首都圏が被った地震による直接被害は、まったく過小なものであったと思わされます。そして、憂うべきなのは、そのことによって首都圏に住む方々が、地震への畏れを過小に認識し、それを定着させてしまったことでしょう。地震と言ってもたいしたことではない、という無意識の油断。このような油断が地震災害を広げることは云うまでもありません。当センターの目的は、そういった油断を諌め、将来の教訓とするためにこそあります。

なぜこのようなことを書くかというと、私自身、1.17と3.11の揺れをともに体験しているからです。といっても、1.17と3.11の揺れや建物被害の程度は比較にもなりません。町田で体験した3.11の震度五強の揺れは、1.17で体験した震度六強の揺れに比べても僅かなものでした。では、阪神・淡路大震災と同じ程度の揺れが首都圏を襲ったら何が起こるか。その被害の程度については私にも想像がつきません。相当な被害になる事は間違いないでしょう。私自身、あるいは命を落とすこともあるでしょう。

今回、初めて当センターを訪問し、そのことを強く感じたからこそ、自分への戒めとして本文を書くこととしました。

以下に、センターを訪問しての感想を述べていますが、結論は冒頭に書いた通りです。首都圏が阪神・淡路大震災と同じ揺れが起きたらどうなるか。そのことについて、首都圏の人はあまりに無関心です。首都移転の議論もすっかり下火となり、2020の東京オリンピックだけが先走っているように思えてなりません。私はそのことを強く危惧しています。少しでも多くの首都圏の方に、このセンターと同じような展示を見て頂きたい。

承知のとおり、今年は兵庫県南部地震、いわゆる阪神・淡路大震災が発生して20年の節目の年です。1/17には追悼行事の報道で、当時の記憶を新たにした方も多いのではないでしょうか。わたし自身、薄れる一方の記憶を呼び起こし、当日にこのような一文をしたためました。

人と防災未来センターでは、20年を総括する特別展が催されています。今回の帰省は高校時代の友人達に招かれたのですが、良い機会と捉え、まだ未訪問だった当センターに足を運びました。IMG_3532

ガラスで覆われた印象的な外観のセンターは、西館と東館に別れています。西館一階から入場した私は、エレベーターで四階に案内されました。四階から二階へと下り、一度降りると上階へは戻れないようになっています。

四階は震災追体験フロアと銘打たれています。案内されたのは、立ち席のシアター。シアターの入り口には震災追体験を望まれない方は三階へお進みくださいと看板が立てられています。この看板の意味するところは、シアターを体験すればすぐに分かります。

当センターの目的は、防災の精神を未来に伝える事と受け止めました。防災の精神は、単に写真や遺物や文章を眺めるだけでは養われません。揺れの凄まじさに堅牢な建造物がいとも簡単に破壊される都市直下型地震の恐怖。この恐怖が刷り込まれてこそ、防災の必要性に目覚める。私はこのシアターの意味をそう体験し、心に刻みました。

shockと名付けられたシアターは、不規則で大きな凹凸が覆われたスクリーンが立体的に設置されています。直角三角形の長辺を想像すると分かりやすいです。観客は、震動を体感できる台のような場所に立ちます。前面のシアターには地震の揺れの凄まじさが映り、フラッシュが幾度も鋭く明滅し、サラウンド音響がシアター内に轟き、足元は揺れます。揺れるといっても、震度七の揺れではありません。それでは観客は映像を体験するところではなくなってしまうでしょう。揺れは抑えられているとはいえ、凸凹スクリーンに映る揺れの映像は凄まじい出来です。正直言って、これCGですよね?現実の映像ではないですよね?と聞こうかと思った程です。野島断層が断裂する瞬間を、阪急伊丹駅が崩壊する刹那を、長田区の住宅が粉々になる過程を、センター街のアーケードか原型を失う一瞬を、阪神高速神戸線が倒壊する数秒を、明石の天文科学館が揺れに翻弄される様子を、走行中の阪神電車が脱線する衝撃を、これら揺れの瞬間を偶然納めたアマチュアカメラマンの映像が残っており、それが上映されたかのよう。そのくらいリアルな映像でした。 

起震車という車があります。機械の力で震度七が体験できるというものです。私も体験したことがあります。その揺れに比べたらこのシアターの揺れはそれほどのことはありません。あの日の朝、両手で家を捕まれてめちゃくちゃに振り回されたような感覚を知る私にすればシアターの揺れは遠く及びません。でも、映像のリアルさがあまりにも真に迫っているため、20年前の恐怖が呼び起こされたようです。小学生以下のお子さんだと泣くかもしれません。

揺れの衝撃を味わった我ら観客は、シアターの外へ誘われます。そして、そこで目にするのは、病院の待合室。強烈な揺れに翻弄され、様々なものが散乱した病院に迷いこみます。20年前の朝に引き戻されたような空間です。病院の一方の壁は大破し、5時46分の明け方の暗い空が見えます。外に出ると、崩落した家の瓦礫が道路を塞ぎ、傾いた電柱から垂れ下がった電線が頭上に迫ります。高架からは路盤が崩れ、ずり落ちた線路が。これらのリアルな等身大ジオラマが、あの朝の、辺りを満たす奇妙な静寂を思い起こさせます。

ずり落ちた線路を潜ると、大震災ホールへと続きます。このシアターには、光も揺れも音響もありません。語り手は地震当時15歳の女性。激震により家は大破し、瓦礫の中に生き埋めとなるも、火の迫るなか、近隣の住民に助けられた経験を語ります。隣の部屋にいた姉は、「いいから、早よ行き!」という言葉を残し、焼死します。彼女がそのあと体験した、不安と寒さ、避難所生活のストレス、救急物資のありがたみが語られます。町は徐々に復興していきますが、土地を離れた人、賑わいを取り戻せない商店街の寂れなどをへて、彼女は震災体験を活かし、看護師になります。

ブログにも書いたように、私自身、地震当日からしばらくの時期は生きるのに必死で、復興の様子や街並みの様子はあまり覚えていません。しかし、こうやってシアターの彼女の体験を追ううちに、20年経って忘れてしまったこと、20年の時間の中に封じ込めてしまったものが思い出されます。感動しました。小学生の姉妹を連れた家族連れも来ていましたが、最初のshockでは平気だったのに、こちらのシアターではずっとすすり泣きの声を上げていました。

最初のshockの入り口に、震災追体験を望まれない方は三階へお進みくださいとの看板のことを書きました。その意味がよくわかりました。人によってはこれらの展示は余りにも強く当時を思い出させます。PTSDの症状に襲われる可能性も否定できません。常連客が再度の追体験を省くためだけといった理由もあるのでしょうが、シアターの内容にショックを受ける人への配慮もありそうです。この二つの映像と等身大ジオラマにはそうさせるだけの力があります。

続いて下りのみのエスカレーターで三階に降ります。震災の記憶フロアと名付けられたここは被害と互助、復興についての場です。かなり濃密な空間となっています。正直すべての展示を見るには体力と気力がいります。一字一句くまなく追うことは断念しました。でも、鷹取商店街の高熱でぐにゃぐにゃに溶けたアーケードの残骸や、揺れによってひどく歪んだ側溝の蓋など、印象に残る展示物も多かったです。様々な方の震災体験が豊富に展示され、行政の動きやNPOの活動など、実に濃い空間です。NPOには私も関心を持っており、ことさらじっくりと拝見しました。阪神・淡路大震災の起きた平成七年が日本のNPO元年とも言われるぐらい、地震後のNPO活動には特筆すべきものがありました。こういった専門的なことも学べるのがこちらのフロアです。IMG_3534

続いて二階へと下りました。一度二階に下ると三階のフロアには戻れないため、三階は生半可な気持ちでは見て回れません。しかし、防災・減災体験フロアという名の二階フロアは、比較的子供向けのワークショップや体験的な展示物が多く、少し拍子抜けしました。とはいえ、日本各地のハザードマップを集めたコーナーや多数用意されたPCによる災害ページの閲覧コーナーなど、じっくり腰を据えると学ぶべき点は多いです。家庭に備蓄すべき防災グッズも数多く展示されており、首都圏の人にこそ見てもらいたいフロアといえるでしょう。

こちらのセンターは西館と東館に別れていると書きました。二階には渡り廊下が設けられていて、東館に渡ることができます。東館の展示は、根本の限られた地球の資源や環境の大切さを学べる展示となっています。そして特別展示の場所としても。常設展はどちらかというと子供向けの内容が多く、帰京の時間が迫っていた私は、じっくりと見て回りませんでした。でも、特別展示は別です。

「1.17 阪神・淡路大震災20年 伝えよう 未来へ 世界へ」と題された特別展はじっくりと見て回りました。手作り感あふれるボードに書かれた当日の被害やその後の復興が分かりやすくまとめられています。被災地の全ての家屋が白地図で貼りだされ、被害度に応じて色分けされています。被災して全壊認定を受けた私の実家も白地図でくっきりと示されており、色も塗られていました。しかしこうやって全体で見ると、我が家よりも重度の被害に遭った家屋の多さに言葉を失います。IMG_3550

こちらの特別展で首都圏の人々に特に見て欲しいのは、南海トラフ巨大地震や首都直下地震など将来発生する大規模災害についての展示です。首都圏に住む人々にはお馴染みの景色が手書きイラストで30枚近く展示されています。戸越銀座や三軒茶屋、押上やお台場、新宿や多摩センターといった景色の。あえてキャプションは付されていませんが、首都圏に住む人にとってはどこを描いたか想像の付くイラストです。これらのイラストは全てあるテーマを基に描かれています。それは、地震発生後の人々が避難する様子です。あえて建物は想像し易くするため原型のまま描かれていますが、そこに登場する人々の様子は切迫しています。普段住んでいる街が被災したとき、何が起こるか想像してみて欲しいというのがこの展示の主旨なのです。

しかし、私は展示を観ながら素朴な疑問を抱くに至りました。それは、阪神間に住む人々はこれらのイラストをみてどこか想像つくのだろうかというものです。さらには、果たしてこの展示を首都圏の方々が見ることはあるのだろうか、という展示自体への疑問にもつながります。

ここにきて、冒頭にもあげた結論に繋がる訳です。「特別企画展として催されていた「1.17 阪神・淡路大震災20年 伝えよう 未来へ 世界へ」も含めて東京での展示をお願いしたい。」という結論に。今のままではこの展示は首都圏のほとんどの人の眼に触れることなく、特別展示の期間が終われば破棄されてしまうでしょう。それはあまりにも惜しい。防災がいま日本でもっとも必要な都市はどこかといえば、東京を中心とした首都圏に他なりません。当センターの展示物をもっとも見るべき人々が住まう場所も同じです。なのに、それが首都圏の人々に届いていないもどかしさ。私が本文を書こうと思い立ったきっかけもまさにそこにあります。

 叶うならば、東京に地震が来ないで欲しい。でも、科学的見地から、東京が地震に襲われることは免れない。であれば、少しでも被害が減らせるような方策を取るしかない。そのためには、首都圏に住まう人々に少しでも当センターのことを知らせるような運動を起こさねば。そのような動機から、本文を書きました。願わくはこの文をきっかけとし、首都圏の方々が当センターの展示に関心を持って下さるように。

 そうでなければ、20年前に亡くなられた6434人の犠牲が活かされなくなってしまいます。


震度0


警察内部というよりも組織の中で戦わねばならぬ閉じた世界のやるせなさ。仕事場だけでなく家庭にも裏表を持ち込む組織内の争いの陰惨さを描き出そうとした著者の意図がくみ取れる。

震度0というタイトルには様々な意味を込めてのものであろうが、それは、表だって力に訴えることなく、背後では後ろ暗い陰謀を張り巡らせる力の表現であり、物語の背景で同時進行している阪神・淡路大震災の震度7の惨状を尻目に身内で争う様を対比する指標としての震度0であったりする。もちろん、自然の力に対する人間の争いの小ささを表す尺度であったりもする。

実際の被災者である私にとっては、あの現場に立ち会っていない者どもの醜さとして、この対比の手法は効果を上げているように思えるのだが、本筋に関係ない、あくまで著者の意図をより鮮明に浮き彫りにするためだけの地震の取り上げ方については賛否両論があろうと思われる。

’12/3/2-12/3/3


鹿男あをによし


デビュー二作目にして、この世界観の飛躍もさることながら、この筆力の充実ぶりといったら。

発想も大枠自体はそれほど突飛でもないのだけれど、細かい部分での描写や動きが自由な発想で楽しめる。それは終盤で明かされるとあるアイテムの正体や、それぞれの登場人物の役割などに代表される発想の飛躍に代表される。拡げた大風呂敷の空間を精いっぱい使い切っているだけに、設定に無理があると思わせないところがすばらしい。

そして著者が、設定のユニークさだけの作家でないことを見せてくれたのが、本書の剣道のシーン。胸が熱くなる。ここまで臨場感あふれる剣道の試合風景を描いた小説はまだ読んだことがない。飛び散る汗や竹刀の音、刻々と押し寄せる疲労の波。それらを操ってここまで熱く読ませるシーンが描けるからこそ、壮大な世界観と細かなディテールが相乗効果を生み、流れるように奔放に、破綻を全く感じさせることなく作品世界を完結させられるのだということを、思い知らされた。

それにしても鴨川ホルモーといい、本書といい、プリンセス・トヨトミといい、私の読んだ三冊は、どれも地理的な感覚が豊かな人にしか書けない設定になっている。おそらく著者は地図を眺めるのが好きな方ではないかと思う。 

’12/1/26-’12/1/26


幻夜


後味が強烈に悪い。こんなことが許されるのだろうか、と思えるほど。

そしてその思いを後から振り返るにつれ、まんまと著者の術中に嵌ったことを悟る。後味が悪ければ悪いほど作中人物への感情移入の度合いが強いことを意味し、おそらくはそれを狙って書いた著者のほくそ笑む顔が浮かぶようだ。

私もまんまと思惑に乗せられてしまった口だけど、私の場合は個人的な経験も相まって、余計に思いが強かったのかもしれない。本書は阪神・淡路大地震の描写から始まる。揺れる神戸の街の様子が写実的に描き出されていく。阪神・淡路の被災者である私の記憶を呼び起こすには充分すぎるほどに。

私の記憶を呼び覚ました上に、本書を読んだのが2011年も暮れようとしている時期で、東日本大震災の映像が繰り返される中、本書冒頭の描写が私個人の思い出にフラッシュバックしたことも理由の一つだろう。後味が強烈に悪いのも、神戸のがれきの中で巡り会った二人の若者のその後の運命に感情が入ってしまったまま、結末を知ってしまったための感情なのかもしれない。

本書は映画化もされた「白夜行」の姉妹編ともいえる本で、「白夜行」にでてくるヒロインのミステリアスな部分よりも、こちらで出てくるヒロインのほうがより冷静かつ酷薄に書かれている。「白夜行」のヒロインは実家で潜んでいた頃の描写があるだけ、まだ薄倖の少女時代に同情できる感情がわずかに残るが、本書では神戸の街以降の描写が中心で、同情が芽生える余地もない。

私の個人的な思い出はともかくとしても、本書では「白夜行」のヒロインと違った書き方を意識的にし、ああいった結末に持って行ったことは間違いない思う。本当に読者の感情を揺さぶるのがうまい作家だと思う、東野氏は。

’11/12/18-’11/12/20


関東大震災 消防・医療・ボランティアから検証する


吉村昭氏の名著やその他新書やムックの数々を読んできた私。春先には「東京・関東大震災前後」4-8188-0932-2 の論点のユニークさや細かさに勉強させられたのだが、こちらの本も参考になった。

未曽有の大災害になった理由を、当時の技術力の未熟さに帰しがちな、現代のわれわれ。ところが実は技術力の不足だけではないということを当時の様々な記録を丹念に記していくことで浮き上がらせていく。

今の首都圏の対策が本当にこの本に書かれたような色んな要因を踏まえて行われているのか疑問に思えてくる。

’11/9/17-’11/9/18


東北地方太平洋沖地震(3/19-26編)


前回の続きです。

こうやって並べてみると、自分の行動や考えの推移がよくわかります。ツイッターでつぶやく利点を初めて実感できた気がします。

------19日------
2011/03/19 13:31
地震発生前から動き始めていた、我が家の重要な将来設計について、今朝一歩前進の進展がありました。

2011/03/19 21:22
1~3号機、炉心は冷却状態…東電会見 (読売新聞 – 03月19日 19:42) https://mixi.at/a598HJH まだまだ楽観は許さない状況にあるが最悪の状況一歩手前から、針は巻戻った模様。本当に現地で体を張ってくれた方々には敬意を表します。

2011/03/19 21:29
もちろん、あれですよ。あれ。あくまで一歩前進だけですが(^_^) RT @****** どの計画ですか⁇ 気になる…(⌒-⌒; ) RT @*******: 地震発生前から動き始めていた、我が家の重要な将来設計について、今朝一歩前進の進展がありました。

2011/03/19 21:42
まさに!! RT @****** @******* リョーカイしました( ̄^ ̄)ゞで、答えあってますよね。。。

2011/03/19 21:43
あれです。今からゼッケンにロゴ縫い付ける練習 RT @******* あれですね。 RT @*******: もちろん、あれですよ。あれ。あくまで一歩前進だけですが(^_^) RT @****** どの計画ですか⁇ 気になる…(⌒-⌒; ) RT @*******: 我が家の重要

2011/03/19 22:06
<プロ野球>セ・リーグも3月29日に開幕延期 (毎日新聞 – 03月19日 21:23) https://mixi.at/a595T2u 色々と考え方があるのはわかるが・・・・どうしても東日本でやりたいんかね・・・・西日本のファンにまで自粛させるのもどうかと思う。

------20日------
2011/03/20 4:31
なんか仕事用のFacebook、ぽつぽつフレンドが増えてきているのだが・・・Are You Interested? というアプリの招待がきて、知り合いからだったので登録したら、以降一日2~3人からアポイントが・・・調べると機能はあるらしいがはまると課金されるアプリらしく無視状態。

2011/03/20 8:45
名勝・松島、崩落被害=「長命穴」消え、半壊の島も―国宝「瑞巌寺」は壁にひび https://mixi.at/a5av6F3 家族で一昨年の年末に仙台を旅したのですが、この時に牡蠣を食べたお店や土産物屋などことごとく流されたとか・・・五大堂や瑞巌寺は軽微な被害で無事らしいのです…

2011/03/20 9:00
一昨年やなくて、さらにその前年でした

2011/03/20 12:45
朝方ちょっと仮眠した後、再び電話で起こされました。知り合い作成の予約システムで障害が起きたとのこと。ColdFusionは門外漢なので手助けできるかわからないのですが、合間をみて作業してみます。私もFPDI+TCPDFの組み合わせでのPDF生成の完成度を上げないとなりません。

2011/03/20 14:49
朝に記述した予約システムのほうは障害が治ったようです。よかったよかった。今回の震災でもっと壊滅的な状況も考えられましたが、私の聞く限りではかなりのシステムが活きていました(みずほ銀行は除く)。データセンターの耐震対策を見直しました。耐震対策なしでサーバー運営するリスクを見直さねば

2011/03/20 21:34
テレビで尾崎豊の歌が流れている・・・・今聞くと聞きこんでしまいそう。今は聞けない・・・もうすでに頭からシェリーが離れなくなりつつある・・・・・相方がテレビを見ろと呼ぶ・・・・

------21日------
2011/03/21 5:26
いやぁぁぁっと、TCPDF+FPDIでPDF出力ができました。夜8時ごろから入力+確認フォーム作り始めて・・・配置的には思ったところに来ているようだが、POSTした値が反映していないのはこれから気合い入れてなおします。が、その前にちょっと仮眠します。

2011/03/21 18:48
今日の夜の町田地域での停電が回避されたそうです。仕事で切羽詰ってる状況だけに本当に助かりました。ソースの怪しげな風聞が舞う中、私はそれでも現場で努力している方々に対しては勿論、政府や東電関係者に対しても敬意を表したい。平和な地域では早くも地震が喉元をすぎ、好き放題いっていますが。

------22日------
2011/03/22 5:57
あー朝になってしまいました。このまま徹夜で客先いきますか・・・それとも午前中だけ勘弁していただくか、考えます。昨日も朝方まで起きてたし、さすがに疲れました。

2011/03/22 12:42
ちょっと仮眠をいただき、今客先へと向かっています。車内は電気が消灯されたりついたり。暗すぎるのも不便ですが、快晴の日などは消灯を励行すべきかもしれません。電力が完全復旧したあとにも続けていくべき事は多いように思います。

------23日------
2011/03/23 6:32
うーむ・・・・3日連続で朝方までの作業となってしまいました・・・・昨日は3時間ほど仮眠してから出かけましたが・・・今日は客先で午前に打ち合わせがあるため、このままお出かけとなりそうです・・・・まあおかげさまでTCPDFとFPDIの組み合わせでPDFは自由に出せるようになりました。

2011/03/23 16:55
日程はお上が決めることではないかも知らんが巨人が決めることでもない。選手会や他の11球団がどう考えるか。幾多の名選手を産み出した球団がまた汚されてゆく。この間逝去された与那嶺氏は泉下で何を思うか。 Gオーナー 開幕29日強行姿勢 https://mixi.at/a5dT7tH

------24日------
2011/03/24 1:31
やはり3月は年度末ということでばたばたと色々な仕事が舞い込んできます。今回の震災により電力確保ということでより一層クラウド化が進んでいくのでしょうね。社内の片隅にサーバーを置いて運用する事が許されなくなりつつある様に思います。私も外出中は携帯しか仕事がない状況を早く解消しないと。

2011/03/24 13:16
技術メモ。TCPDFの作成時に使用するテンプレートpdfに、PDF Xchange Viewerのテキストボックス機能で描画したものを使うと、内部圧縮形式が違う旨のエラーが発生します。pdfに書かれた記載内容を消したい場合は TCPDFで消した方が速そうです。

2011/03/24 20:52
帰路の駅前で地元の中学校の卒業生有志や町田青年会議所の方々が、寒い中声を高くして募金活動を行っていた。不逞の輩共に失望させられるニュースも出てきている中、救われる思い。ただ、持ち合わせがなく、かなり気まずい思いで帰宅。と、上の娘あてにカブ隊から手紙が。今度の日曜日に募金活動。行く

------25日------
2011/03/25 18:27
町田停電だそうです。炊飯器にかけていたお米がおじゃん。

2011/03/25 18:35
地震発生日の停電から二週間、町田の夜から灯りか消えることがありませんでしたが、先程停電した模様です。休養の機会と前向きに考えることにします。開発案件など、昨日の朝方に山を越えておいて良かった、、、

2011/03/25 19:52
鶴川着。駅前電気ついとる。地元中の卒業生が今日も募金活動。まぶしい。

------26日------
2011/03/26 1:22
ようやく年度末の多忙な状態から先が見え、ちょっと気を抜いてウェブを徘徊してみたところ、私が個人事業主になるにあたり、多大な影響を与えた会社が解散していることに気づきました・・・・・衝撃が体を走っています・・・

2011/03/26 17:56
この2か月、深夜電力消費量が前年比2倍増の私がいうことではないですが、枝野氏がいった生活様式の変更については真剣に考慮せねばならないと思います。アーミッシュのようになれというのではなく、余剰な電力使用を減らすことから始めればよいかと思います。公共施設で今実践しているようなものです

2011/03/26 19:40
東電「貞観地震」の解析生かさず  https://mixi.at/a5gCuKe ようやく欲しかった情報が来た。この情報がないにもかかわらず鬼の首でもとったかのように東電を責める論調にはとても賛成できなかったのだが。これからようやく東電の上層部の責任について、話が進められる…

2011/03/26 20:31
そういわれるとつらい・・・ちょっとまっててください。今ちょっと峠を越えました。その代りうちの相方には車送迎なしとお伝えください @****** @******* まってます…

2011/03/26 20:42
明日終日残りをやりますか・・・・今から年度末のお別れ会に相当遅ればせながら行ってまいります。

2011/03/27 1:34
ありがとう!!!! @******** ありがとう!!!! RT @******: おやすみなさい…

2011/03/27 3:12
おつかれさまですー @******** やっと帰宅中なう。おやすみなさい。


東北地方太平洋沖地震(3/12-18編)


ちょっと仕事がばたばたしていて全く書く暇がありませんでした。

本日のつぶやきにおいて、私の家庭はほぼ平常通りに戻ったと書きました。ですので、発生日翌日からの私の行動をtwitterの2アカウントのつぶやきを時系列に並べて書いてみます。

私からのツィートやリツィートは表示されるが、頂いたリツィートは除外してあります。(今回のアップに際し、アカウント情報も伏字に変えました。)

こうやって並べてみると、自分の行動や考えの推移がよくわかります。ツイッターでつぶやく利点を初めて実感できた気がします。

------12日------
2011/03/12 10:02
相方朝方町田に戻る。家に帰る間もなく学童の説明会を大幅に短縮して出席。今帰宅しました。

2011/03/12 13:32
うちの相方、今日の鴻巣の診療お休みになりました。明日のフラも、娘たちのゼルビアファインズの練習も明日のゼルビアの開幕戦も中止です。

2011/03/12 14:22
福島第一原発のメルトダウンや、再度の津波の兆候など、まだ状況には予断を許しません。しばらく情報収集に努めます。

2011/03/12 20:43
我が家にもコスモ石油関連のメールが回って着ました。 これは嘘です。https://bit.ly/i10dCJ まずはメールよりもコスモ石油からの公式発表を優先的に信じましょう。情報に踊らされぬよう、冷静な対応を望みます。

2011/03/12 22:20
今、近所のスーパーに家族で行ってきました。昨晩は暗闇の店頭でローソクと電池だけだったのが、今日は灯りも煌々と、平常通り。かと思いきや、カップめん、牛乳、パン、お米が品切れ。なぜかカップめんのコーナーにSpa王だけがたくさん残っていました。

------13日------
2011/03/13 20:07
15年前より政府対応は評価できるが、あのころにないネット情報の氾濫に皆が踊らされている気がする。情報メディアの主役がネットに移りつつあった感が強いここ数年だが、一方通行型の既存メディア有用性も再確認。ネットメディアも今回の件を教訓とすべく、今から実践すべきかと思われる。

2011/03/13 20:26
津波感知システムが想定通り作動しなかったとのことですが、おそらく実動テストをほどほどのレベルまでしかやらなかったのではないかと。システムテストでも極端な例は省くことありますし。今回の災害を教訓に、最大想定の10倍程度のテストが可能な施設を官産学共同で作るべきではないだろうか?

2011/03/13 20:33
東京都23区は除外という措置も理解できるが、地方にしてみればまたか、と思われそう。ただでさえ地方にリスクを負わせて都市が有利な原発立地のツケが露呈しただけに。 東日本大震災:「輪番停電」14日から実施 https://t.co/XMNjAuW via @mainichijpnews

2011/03/13 23:32
計画停電の件、我が家(事務所)のグループ分けがわかりました。なんと2グループにまたがって含まれています。つまり月曜日は一日3回も停電に見舞われることになりました。これはピンチです。

------14日------
2011/03/14 0:05
システム系のセンター、停電対応でてんやわんや。かなり深刻かと。

2011/03/14 2:18
情報もろもろありがとうございます!! 確定申告ならびに業務的にピンチです。 RT @****** @******** @******* 2と5ですよー。ほぼ一日中停電です… 9:20~13:00 15:20~19:00 18:20~22:00

2011/03/14 2:19
疎開案いいですね。うちも RT @******** 東京電力つながらなくって、いろいろととびかってわからない。町田市は、二つにわかれるってうわさあるし。大蔵町は台5グループでいいにゃろか・・・・。春休みはいったら、娘を名古屋か広島のどちらかの実家に疎開させようかとも思ってます。

2011/03/14 6:39
小田急も京王もjr横浜線も動かず。都心にでられん。

2011/03/14 6:56
おはようございます。田園都市線が動いているみたい @****** おはようございます。電車はだめですね… RT @nogyery: 小田急も京王もjr横浜線も動かず。都心にでられん。

2011/03/14 7:48
町田市小中学校は休校。私も客先へは行かず、自宅でたまった仕事を片付けます。

2011/03/14 7:55
RT 3月14日首都圏計画停電による運行予定 #jishin https://t.co/gUSObIm via @gizmodojapan #gizjp

2011/03/14 9:14
早朝から妻が会長をやっている学童保育の対応でばたばたしておりました。町田市小中学校はお休みですが、学童保育は実施するとのこと。私は都心に向かう電車がマヒしておりますので、客先への出勤は自宅待機とし、別作業を行っておりました。ただし、まもなく計画停電が始まるので、作業ができません。

2011/03/14 13:44
原発事故および停電に関しても混乱が続いているが、引き続き冷静でいたいものです。原発に関しては感情的で一方的な書き込みも目立つけど RT 震災でも秩序保つ日本人、「人に迷惑かけない」精神=中国報道 https://t.co/fZLAq4m via @searchinanews

2011/03/14 13:46
私は相変わらず鉄道運休の関係で家にいます。家族も同じくです。停電が延期になったため、まだこちらはつながる状況です。

2011/03/14 16:45
今税務署に向けて自転車を駆っているのですが、町田市街地上空にヘリが。どういったご用件でしょうか。停電は一時間半あとです。税務署人一杯

2011/03/14 16:58
町田署の前にテレビ朝日のクルーが数名張り込み。コストコの件?それとも先程のヘリと同じく停電待ち?

2011/03/14 17:10
菅原神社前交差点にもクルーが7、8人。レポーターの話す内容から推測するに、停電後の道路交通マヒを懸念しているらしい。

2011/03/14 17:43
お電話、ツイッター、メールその他で安否確認を頂いた皆様、ありがとうございます。あと1時間近くで停電となり、連絡手段が携帯のみになってしまいます。週末に終わらせる予定だった確定申告ができずじまいなので、e-tax不能な場合に備えて先ほど税務署にいって書類を頂いてきました。

2011/03/14 17:51
今町田市街まで自転車で行ってきました。ガソリンは種別問わず品切れ。食糧もかなり品切れです。被害の中心である東北と違い、インフラに甚大な被害はなくすぐに供給は回復するはずです。焦らずに買占めに走ることのないようにしましょう。まずは東北への物資輸送を優先させるようにお願いします。

2011/03/14 18:06
RT @gigazine: 小田急電鉄の運転再開予定について追記しました。 https://gigaz.in/K68dY

2011/03/14 18:27
あと三分。備蓄水食料、電源、自家発電ラジオ、あかり。完了

2011/03/14 19:35
結局第5グループに入っていた我が家は停電しない模様。ただバソコンは万が一を考え様子見。茨城が停電範囲に入っている事に不信感。あの辺りも被災地ではないのか?配慮もわかるが人工密集地から停電させ、余剰電力を東北に回すべきでは。

2011/03/14 20:48
結局パソコン電源ON。明日の確定申告に向けてラストスパート。

------15日------
2011/03/15 2:39
今の時点で小田急の運行状況は出ているが・・・・昨日も朝方になって修正されたので、もう少し様子をみてみる。

2011/03/15 8:55
今町田市役所窓口。住基カードの証明書期限が切れているらしく。今交付してもらってます。

2011/03/15 11:55
e-tax終了!午後から客先にいくはずが、別件で対応が必要となり本日も在宅作業。

2011/03/15 11:59
ようやく確定申告が終了しました。昨日万が一を考えて税務署に書類も取りに行ったのですが、予定通りE-taxで完了。ブラウザベースになってだいぶ使いやすくなりました。朝も電子証明の取得で市役所まで自転車で行ったのですが、ガソリンスタンド渋滞で、朝の時点で売り切れです。

2011/03/15 12:16
朝チャリンコで町田市街地まで出かけたのですが、ガソリンスタンド渋滞がひどかった。いろんな事情があるでしょうが、今我々にできるのは消費生活を我慢することかと RT@****** アイドリングストップすれば、どれだけのガソリンが確保されるか…

2011/03/15 18:05
町田市は今日は停電を行うようです。今放送が流れておりました。本日は朝3時間ほど寝た後は確定申告関連作業と開発作業に没頭しておりました。これから停電の合間に休もうと思います。

2011/03/15 18:06
今日は町田市やるようです。私も睡眠をとりたいと思います。

2011/03/15 21:33
今日も直前に町田市から広域放送ならびにメールが配信されながらも停電が行われず・・・・。まぁ私は2時間ほど仮眠をとらせてもらったのですが。

2011/03/15 21:44
今日も停電と各種案内があったにも関わらず町田市では実施されず。非難するのは容易ですが、いろんな意味で得るものも多いと思います。平静の日常に戻った時にこれらの経験が糧とならんことを望みます。

2011/03/15 22:44
町田は震度4のようです。揺れる直前にテレビの緊急地震速報と同時にゴゴゴと音がしたのでダッシュで娘たちを守りに行くことができました。うちは無事です。

2011/03/15 22:59
わんちゃん吠えますよね。金曜日も30分ほど前に吠えてました RT @******** うちも無事です。肝心なときに携帯の緊急地震速報稼働しませんでした。たまたまニュースみてたから・・・それと、チョコがいきなりおりてきてそわそわしだしたからわかりました。今も少しそわそわしてるので

2011/03/15 23:01
無事でよかった! iPhone色々と無料アプリがあるらしいですね。携帯は地震に関しては完全に後手後手です @****** @******** @******* 無事っす! iPhoneアプリのゆれくるは揺れてる時に通知がきました(´Д` )

2011/03/15 23:10
ちなみに・・・・昨日がホワイトデーということがほとんど顧みられなくなっている昨今ですが、今日、上の娘の彼氏がプレゼントを持ってやってきました。私は仕事してて応対していませんが、初々しくてよいね。

------16日------
2011/03/16 1:17
明日は客先に行かねば・・・・地震が起きてから都心に出るのは初めてとなります。小田急も休日ダイヤで動いているようだし

2011/03/16 8:18
都心につきました。特別ダイヤで快速急行に乗れ、車内も比較的空いています。通路も節電で暗い箇所がありますが、平時に戻っても今の状態を維持できるよう、皆で共通認識を持ちたいものです。

2011/03/16 12:59
都心の某ビル十数回にいます。かなりゆれました。震度3だそうです。

2011/03/16 17:50
心配していた仙台の友人から無事の知らせが。地震後連絡が取れていなかったのでホッとしました。mixiを初め、snsの力を実感することが多い昨今です。

2011/03/16 18:59
激混み急行、新百合ヶ丘着。まもなく停電?の鶴川へ。

2011/03/16 19:05
うーん駅前電気が灯っておるなあ。今日も停電らなかったらしい。

2011/03/16 22:46
町田市震度3。

------17日------
2011/03/17 3:12
今日は良い知らせが多数あってよい感じです。ちょっと仕事のほうがラストスパートという感じですが・・・・今から風呂に入ります。3時間は寝たい。

2011/03/17 7:20
今代々木上原。昨日と同じ快速急行。混雑度三倍。

2011/03/17 12:45
相方から連絡ありました。町田も発生日以来ようやくですね。 RT @******** 町田市大蔵町は、停電がはじまりました

2011/03/17 16:48
客先に来ていたのだが、東電からの緊急電力削減依頼を受け、緊急退去依頼が来ました。帰ります。もっとも今晩も大規模停電の可能性とか。二件ほど切羽つまっている仕事があるというのに困りました。

2011/03/17 17:01
すでに早退けした人々で駅は一杯。私も帰れるうちに帰ります。

2011/03/17 17:39
代々木上原激混み

2011/03/17 18:25
新百合ヶ丘激混み。各停にのられへん。

2011/03/17 18:47
鶴川着。一本各停見送っても激混み。停電は終わったらしい

2011/03/17 19:52
先ほど帰宅。特段駅で並んだわけでもないのに2時間半かかりました。激混みの中、怒鳴り合いもいがみ合いもない車内。諸外国の賛嘆する日本国民の美徳の一端が見える。だが、忍耐や寛容だけでは、集中の弊害を覆い隠すことはできなくなっていることも事実。遷都の話がそろそろ復活してきてもよいのだが

2011/03/17 21:59
現場で努力を続ける関係者の方々、島根から福島へ志願した電力マンの方、東電、政府関係者と頭を垂れるべき方々が多数います。そして本日も危機と言われながらも東京電力の皆様の努力で大規模停電が起きず、私も仕事を続けられます。明治維新後や第二次大戦後に驚異の復興を遂げた日本。きっと今も・・

2011/03/17 22:06
<東日本大震災>電源の燃料尽き魚類など絶望 福島の水族館 (毎日新聞 – 03月17日 19:54) https://mixi.at/a5777UW 目の前が海なんやからなんとか放してあげられへんやろか・・・

------18日------
2011/03/18 2:08
むぅ・・・・・手ごわいなぁ・・・・・多国語対応・・・・

2011/03/18 2:09
Windowsのメモ帳って普通にハングルや繁体字中国語や簡体字中国語が書けるんですね。初めてしりました。他のエディタだと文字化けして困っていたのに・・・・灯台下暗しとはまさにこのこと。

2011/03/18 2:36
古田敦也氏が“セ・リーグ3月25日開幕”に猛反対 https://mixi.at/a57d2m0 開幕したっていいとは思うが、名古屋以西で開催したらどないやろ。セリーグは甲子園と広島ドームと名古屋ドームでのみ開催。あとは西日本の地方球場で。

2011/03/18 9:31
町田停電だそう。相方より連絡あり。今回は市からの連絡なし。連休中の対応につき、調査しておくべし。

2011/03/18 12:21
私の妻(歯科医)宛に東北の被災者の遺体特定の為の検死手伝いの打診が来ました。正式に依頼が有れば承けようと思います。私は15年前の地震被災者ですが、今は家庭と仕事で目一杯の状況から節電位しか手助けが出来ません。更に私の睡眠が削られますが、これが我が家にできる最大限の奉公になります

2011/03/18 18:42
今鶴川着。昨日と違い、快速急行えらい空いてた。これから忙しい連休がはじまります。

2011/03/18 22:25
Lamp構成のフォーム作成にここ数日携わっており、my.cnfがいじれない環境で韓国語と中国語関係を文字化けさせずにDBに格納する件、ちょっと苦しんでおりましたが、先ほどうまくいきました。多言語を扱うの初めてだったのでかなり不安でしたがちょっとほっとしました。

2011/03/18 22:29
苦しんでいた多国語対応がうまくいき、喜んでいたところ、帰宅した相方からムカつく話を聞かされ逆上。これだけ国民が明日に向かっている時に、鼻持ちならん最悪なサラリーマンが小田急の車内に椅子占領してふんぞり返っていたとか。しかも得意先からの電話に嘘までついて。うちの相方はたかれたらしい


東北地方太平洋沖地震(発生日編)


 今日で地震が発生し、一週間が経ちました。

 犠牲者は阪神淡路大震災の死者を超え、まだまだ増えていくとのこと。全ての被災者に心から手を合わせ、冥福を祈りたいと思います。

 1週間という区切りがついたことと、個人的にも地震により深くかかわる契機となる出来事がこの1,2日にあり、一度自分の中で整理してみようと思い立ちました。

 まずは1週間の記録ということで、ざっと追ってみたいと思います。

------11日------
 前日客先に対し、明日は自宅で仕事をしたい旨を告げていたので、朝方まで仕事をしてから11時ごろに起床。家で仕事をした理由は、15日に締め切りの確定申告が迫っていること、データ入力案件で本日依頼される予定のデータ入力数が多いであろうこと、前回受け取った入力データの納期が本日の午後で、一部終了していなかったこと、25日納期の開発案件の進捗を進めたかったこと、の4つ。

 寝間着で作業していた私は、14時ごろ、風花(チワワ)と小春(ヨーキー)がワンワンと吠え盛るので人が来たのかと思っていましたが、外を見ることがありませんでした。その時に外を見ることが出来ていたら実は誰もおらず、いわゆる宏観現象を体験したのかもしれませんが、今となっては分かりません。

 本日〆の入力分を終え、お客様に完了メールをお送りしたのが14時36分。落ち着く間もなく、開発案件の作業を進めているときに地震はおきました(14時46分)。最初のP波は首都圏でよく遭遇するありきたりな地震であろうと高をくくっていました。2日前にも客先で大きな揺れを体験したことも影響したのかもしれません。
 ところがこの揺れは収まるどころかますます激しくなる一方。どーんという強烈な一撃ではなくじわじわと震度が増していく揺れです。風花と小春は吠え盛り、色々な家具が揺れ動きます。パソコンの電源が落ち、停電が発生したことに気付いた私はここに至ってただ事ではないことを悟り、書斎を出て、ホールの本棚をを抑えながら、扉を閉めます。カップボードの上の義母の絵が下におち、揺れは収まる様子もありません。一人の力では本棚を抑えているのが精いっぱいで、為す術もなく色々なものが動き騒ぐのを見ているだけでした。天井のファンが落ちてこないかだけを心配して上を見たりしたのを覚えています。
 やがて揺れは収まり、どこかでかなり大きな地震があったのではないかと思いを巡らせます。
続いて家族の安否。相方がフラのインストラクターとして朝から錦糸町に出かけており、揺れが収まりかけた時点でメールを2通送っています。「大丈夫かあ」(14時50分)「停電した」(14時51分)。これに対して「大丈夫」(14時51分) というメールがあり、まずは安心。この時点ではまだ携帯の送受信制限もなく、円滑に連絡がとれました。
 家の中をさっと点検し、何も割れておらず、義母の絵をもとに戻し、寝室の前の廊下の鏡が反対側の壁にもたれているのを直し、寝室の大きな鏡が支えのトランクを押しやりながら横になっているのを直します。これといった被害がなかったのが幸いです。
 
 直後にドコモからiコンシェルの地震速報が届き、東北地方が震源の地震であることを知りましたが、それ以外の情報は一切わかりません。携帯は連絡手段として使えなくなり始め、家の電源はブレーカーを何度操作してもまったく回復する様子をみせません。それでもかろうじて相方に停電していることと家の被害は軽微であることをメール送信することはできました(15時4分)
 余震が起こるたび、風花と小春が怯えてぶるぶると震えがとまりません。二匹を膝の上に乗せて、携帯の状態を見ながら、読書をすることにした直後に、関西の父から電話がありました(15時20分)。こちらの無事を聞く間も惜しく、興奮してしゃべる父。東北でかなり強い地震が発生し、すさまじい津波が町を襲っていることや、お台場で火事が起こっていることなどを教えられます。大方の状況は呑み込みつつも、お台場が火事ということに違和感を感じました。東北を震源とする地震にかかわらず、お台場がすごいことになっているということは、都心はかなり大変なことになっているのではないだろうか、と。ここで初めて相方が帰宅できないという可能性を頭に浮かべたのを覚えています。
 父とは10分程度話をし、相方に「帰れそうか?お台場とか凄いことになってるらしい。うちの親と電話で話してきいた。こっちはまだ停電。町田震度5らしい。市の屋外放送でゆうてた」というメールを送ります(15時34分)つまりこの時点ですでに町田市からは緊急災害放送が流れたことになります。
 
 以後、なかなかつながらない携帯で相方と何度かやり取りをして、娘たちのことやこれからのお互いの身の振り方を決めます。迷ったのが娘たち二人をどうするか。特に上の娘は放課後に友達の家に遊びに行く約束をしていたので、下手に動くと娘を路頭に迷わせることにもなり、また、給電が復活しない以上はセコムも回復せず、今の状態で外出するよりも電気の復活を待ってから娘たちのところに向かおうと夫婦で合意しました。

 ところがなかなか電気は復旧せず、情報からも隔絶された状態で、本当に娘たちを迎えに行かなくてもよいのだろうか・・・という疑問が膨らみます。こういう緊急時に学校がどういう対応をとってくれるのかがよくわからず、思い余って二匹を連れて散歩がてら周辺を回ってみます。ところが待ちに待った散歩と勘違いして喜ぶ風花、おずおずついてくる小春を連れているとなかなか前に進めず、しかも外はセーターだけだと寒いことに気づき、一旦二匹を連れて帰りました。
 防寒着を着て自転車を漕いで小学校の学童保育に着いたのが16時49分。ここで学童の保護者会会長をやっている相方が、学童の保護者向けSNSに状況を案ずる書き込みをしていることを知り、私が代理で状況を保護者向けに発信します。
 指導員の先生から、4年生は学校内で待機していることを聞き、防災頭巾をかぶる着ぐるみ次女を連れて学校内に入り、上の娘も確保したのが17時0分。
 親の想いと相違して、娘たちは私が早く迎えに来てくれないものだからむくれていた様子。とくに友達と遊ぶ予定が地震で狂わされた上の娘は不満が高じていて、さんざん文句を言われました。

 娘たちと家に帰ると、すでに外は日が沈み始め、灯りのない夜を過ごさねばならないことに気づかされます。娘たちには部屋を掃除させ、懐中電灯やろうそく・マッチなどを探します。夕食は昼飯の残りがあったので、それを3人で食べましたが、食料も用意しなければなりません。15年前の経験からすでに店頭から食品が消えていることを想像しましたが、一応行ってみました。すると店内にすら入れません。停電しているのだから当然です。それでも店頭で電池とろうそくを販売してくれていました。真っ暗の中営業していた店員さんに感謝の言葉をかけ、ろうそくだけ購入して帰りました。地震後初めての夜をろうそくの灯りのみで過ごします。街灯も家々の電気もなく、たまに通り過ぎる車のライトだけの世界。否応なしに異常事態であることがわかります。下の娘は電気のない生活が初めてで、かなり怯えた様子です。

 実家の両親や相方と連絡を取りつつ、mixiや学童のsnsを使ってごくわずかな外の世界との絆をつなぎます。いかに電気のある生活に慣らされきっていて、情報が入るありがたみに気づかないでいたかがわかりました。
 娘たちも9時過ぎには上のベッドに入り、私は引き続き連絡を取り合いながら、相方がフラの生徒さんのご自宅に泊めてもらうことや、学童保育の今後のことなどを連絡し合います。

 そうやって連絡の合間にろうそくの明かりで読書している間に、いきなり電気が復活しました。23時8分でした。復活するなり通電したセコムのコントローラーが誤作動をおこし、侵入者発生と大声で触れ回ります。5分近くどうしても音が消せませんでしたが、ようやく鳴り止ませることができました。家の電気関係をチェックし、異状のないことを確認し終わったので、地震発生後、全く仕事にならなかった一日を挽回するため、パソコンを再起動させます。が、ネットでさまざまな被害状況から目が離せません。私が情報から隔絶されている間にも、ネットの世界では膨大な情報が刻一刻と集められ、配信されていることに驚きます。また、被害の実態がかくも大きなものであり、ここに至って初めて事態が深刻なものであることを理解しました。

 1時過ぎに就寝しました。