Articles tagged with: 地域創生

やまなしワーケーションに参加しました


2月28日から3月1日にかけて「やまなしワーケーション」に参加してきました。


この事業主催は山梨県二拠点居住推進センター。事業運営は株式会社パソナ JOB HUBです。

今回、このイベントのご縁をいただいたのは、合同会社エムシースクエアの山口さん。
山口さんは普段から山梨でも活発に活動されておられます。
昨夏のITコミュニティのイベントを真鶴町で開催した際にワークショップのファシリテーターをお願いしたのが山口さんとのご縁の始まりです。その後、山梨にもご縁をお持ちということを知り、年末に弊社が主催した「ビルド山梨」でも山梨について話してもらいました。

私は普段からワーケーションをよく行っています。ですが、今回のように主催を自治体で行い、運営の方の引率を伴ったワーケーションツアーへの参加は久しぶりです。私が前回、こうしたツアーに参加するのはコロナが始まる直前でした。

今回は、場所が山梨ということもあり、話をいただいてすぐに参加を即決しました。
ただし、初日はお客さんに訪問しての定例会議や作業予定があり、日中の行程は参加せず、夜の懇親会から合流しました。

・初日の夜

甲府駅を降り立った私が向かったのは「Phil」です。創作フレンチ・ダイニングバーのお店です。
この界隈のお店は私も数回利用したことがあります。ですが「Phil」はまだ来たことがありませんでした。


私が入った時はまた前菜が来ただけだったので、遅れてきた私も通常通りのメニューをお願いしました。
こちらの飲み放題のメニューがとても豊富で、カルバドスやブランデーなども飲み放題。飲み放題にカルバドスがある店はあまり見かけないので、嬉しくなって何杯も飲んでしまいました。

今回の参加者は全員が初対面でした。事前にオンラインで打ち合わせたパソナ Job Hubの方や山梨県のお二方を除いて。
もっとも、私は全員が初対面のイベントにしばしば参加します。そういう時、私はテーブルを周遊して名刺を交換して回ることはしません。
まず、自分のテーブルを離れないこと。そして、そこで聞き役に徹します。こういう時、とにかく聞く姿勢に徹することです。そうすれば、すんなり場に入っていけます。

おかげで、同じテーブルだった皆さんのパーソナリティーやどういう目的で参加しているか、といった情報を知ることができました。また、今回のワーケーションに山梨県としてどういう効果を期待しているかについてもより深く理解できました。
結果として、中途参加であってもあまり違和感なくツアーに合流できたのではないかと思います。

お店の閉店時間が来たので、皆さんは二次会に繰り出しておられました。が、私は今日の宿である「城のホテル」へ向かいました。
明日は月末です。明日も移動が続くので、いわゆる月末処理が何もできなくなることが予想されました。そのため、私はホテルに帰って作業に集中する必要がありました。

こちらの「城のホテル」は、今までも甲府城のすぐ横で目立つ姿が気になっていました。今回の機会で初めて泊まる機会を得ました
ロビーにはワークスペースが設えられており、無料のドリンクバーや有償のワインサーバーが用意されていて、甲府気分を盛り上げてくれます。しかも歴史関係の本が多く並べられ、漫画もいろいろなものが置かれています。
私も「宝石商のメイド」「美味しんぼ80巻 日本全県味巡り 山梨編」を借りて部屋に持ち込み、作業の合間に読みました。もちろん、山梨への理解を深めるためです。
作業の時間をとった甲斐もあって、翌日の移動にあたって事前にしておくべきことは終わりました。3時半に寝ました。

・2日目「勝沼ぶどうの丘」

さて、翌朝。
前夜の「Phil」でのお話の中で、モスバーガーの話が出ました。それに則り、私の朝食はモスバーガー。
山梨は全国でもっともモスバーガーの店舗数が多い都道府県だそうです。以前、妻からも聞いていました。

モスで腹ごしらえをし、皆さんと合流してバスに乗りました。ここからが私にとってのツアー開始です。
とはいえ、バスの中で交流を深めたわけではありません。私もバスの中でパソコンを拡げて作業しました。私だけでなく、皆さんもそれぞれの仕事をバスの中でされていました。
今回のツアーの参加者の皆さんはほぼ経営者です。バスの中で仕事がこなせる方が多く、交流タイムのようなものがなかったのはかえってありがたかったです。


バスが向かった先は「勝沼ぶどうの丘」。
ここには家族で5、6回は来ています。ですが、前回来てからもう8年半も経っていました。
前回来た時は、将来の自分が山梨でイベントを行ったり、拠点や住居を探し始めるなど毛頭も考えていません。ですが、今の私は立場を変え、山梨へのコミットを深めています。その視点から眺めた甲府盆地は、私に違う印象と決意を与えてくれました。

テラス席で仕事をしていると、何人かがテラスに集まってきました。その機会を生かして昨晩話せなかった方と、じっくりとお互いのビジネスや取り組み、そして山梨への関わり方について話しました。
勝沼ぶどうの丘に着いてから、昼の食事前までの時間をたっぷりとってもらえたのはよかったです。この時間の中で、ほとんどの方とコミュニケーションを取り終えることができました。

上の「ぶどうの丘 展望ワインレストラン」では、美味しいカレーに舌鼓を打ちました。
ここからの甲府盆地の景色は、これからの私や弊社や参加者の山梨での可能性を感じさせてくれます。


久々に訪れた地下のワインカーヴも相変わらずの壮観です。ワインどころ甲州のワインが一堂に集う景観はすばらしい。
ただ、ツアーの道中のどこかで聞いた話ですが、ここのワインカーヴに甲州市の全てのワイナリーが集まっているわけではないそうです。甲州ワインは全国区になりましたが、産地呼称の問題や各地域のワイナリーさんの思惑などが入り乱れ、なかなか難しいようです。

・2日目「MGVsワイナリー」

そんなワイナリー運営ですが、可能性はあります。そう思わせてくれたのは、私たちが次に訪れた「MGVsワイナリー」です。


私は「MGVsワイナリー」には初訪問です。敷地に建てられているのは、できて間もないと思われる清潔そうな建物です。

それもそのはずで、こちらはもともと半導体の工場だったそうです。
2階の会議室で、私たちは「MGVsワイナリー」を運営する塩山製作所の松坂社長より直にお話を伺う機会を得ました。
もともと、物流エンジニアだったという松坂社長。奥様のご実家が塩山製作所だったそうです。
今もまだ塩山製作所は半導体事業を営んでおられますが、国内の半導体産業が海外勢に押され、需要が減ってきたこともあって、ワイナリーへの進出を決意されたそうです。

半導体は市場を読むのが難しく、それに伴い売り上げに応じた在庫調整も難しい。それも半導体が負けた理由の一つだそうです。
今は需給の波に影響を受けづらい携帯基地局の機器に特化した業務を展開されているそうです。

松坂社長からは、ワイナリーへの転換を後押しした理由として山梨の可能性も踏まえて以下の点を挙げてくださいました。
・景観を生かした事業が展開できる。
・物流量の増加は見込めないかわりに、インターチェンジが近いので物流拠点がある。
・もともと、ご実家が葡萄農家であり、ワインを醸造する権利を持っていた。そしてワインが好きだった。

さらに、半導体事業を営みながらワイナリーを営むメリットとして、以下のように挙げて下さいました。
・ワイナリーはマーケティングが大切。それは、商品開発と販売からなる。
・半導体事業は下請けなので一極集中できる利点があり、しかも市場の動きを読むことが求められる。そこで培ったスキルがワイナリーを営む上で役に立った。
・ワイナリーは半導体事業で培った技術優位性を活かせる。
・さらにマーケットへの販売力もワイナリーを営む上で活かせた。

お話を伺っていると、松坂社長のお言葉から届く波長は完全に技術者としてのもの。私は技術者とはいえ、半導体分野には明るくないのですが、同じ技術者として通じるものを感じました。
先日のCLS道東でお会いした方も技術者からワイン醸造家に転身を果たされておられました。技術とワイン作りは相性が良いのかもしれません。

質問タイムでは、私を含めた三人から質問が出ました。真空を用いた鮮度保持技術や、ガラスビーズを会社の主力商品として取り扱われている方がいて、みなさん熱心です。
松坂社長曰く、すでに真空技術は試されたそうです。また、ガラスビーズは半導体を高品質にする上で欠かせないらしく、すでに宇宙に飛び立って活躍しているそうです。

私も何か質問したいなと思いました。
そこで私が質問したのは、山梨で雇用を考えているが、山梨の人がどういうマインド持っているか。技術を扱う会社として、雇用にあたってのアドバイスがあれば、という趣旨の内容でした。
それに対して松坂社長よりいただいたのは、やはり山梨には少し閉鎖的なところがある。そのため、却ってオープンに運営した方が良いと言うアドバイスでした。
他にアドバイスいただいたのは、教育はシステム化した方が良いという点です。
ここの点については、まさに今取り組んでいることです。我が意を得た想いです。山梨で雇用する際には見せられる研修資料を作り上げなければ、と決意を新たにしました。

あと、雇用する際に気を付けた方が良いこととして、「やっちょし」という甲州弁の言葉は、「やれ」の意味ではなく、「やっちゃだめ」ということです。「やれし」は「やれ」を意味するそうです。つまり語感が逆になってしまうことがコミュニケーションの妨げになるから気をつけた方が良いということでした。

松坂社長、ありがとうございました。


階下に降りて、醸造ルームも見学させてもらいました。
半導体製造には、塵が禁物です。そのため、クリーンルームが欠かせません。そのクリーンルームがそのまま醸造施設に生まれ変わっています。つまり、品質管理にはこれ以上ない環境です。ガラス越しに見るタンクには、半導体を扱う会社ならではの技術を流用したセンサーも稼働しています。そのタンクも松坂社長のこだわりでイタリアから取り寄せたというステンレスのもの。作業の効率性を考えたサイズにされているそうです。至る所に松坂社長のこだわりが感じられる醸造施設でした。
赤、白、スパークリングのタンクには、それぞれチェスの駒やスカルをモチーフにしたマークが印字されていて、それがまた醸造ルームに彩りを与えていました。

敷地内にある畑にもご案内いただきました。この畑もまた面白い。例えば、葡萄の樹の上にあるはずの棚がありません。

私は勝沼でぶどう狩りを何度も体験したことがあります。その時は、頭上の棚から垂れ下がるブドウの房を切り取りました。
ところが、こちらのワイナリーではその棚がありません。「棚づくり」に対して「垣根づくり」と呼ぶそうです。その二つでは葡萄の味に変化があるそうです。そうしたあらゆる可能性を考えた葡萄栽培にチャレンジしておられるのが「MGVsワイナリー」です。
しかもSDG’sの一環として、剪定したぶどうの枝をきちんと乾燥させ、野焼きして得られた炭を施肥しておられるとか。
https://www.jacom.or.jp/nousei/news/2021/03/210305-49850.php
こちらのリンク先にもその取り組みが書かれていました。


さて、いよいよ試飲です。今回は3種類(白×2、赤×1)を飲ませてもらいました。私の感想では赤がとても美味しく、圧倒的な香味と樽由来と思われる味わいが気に入りました。
ただ、荷物の問題や、妻があまりお酒を飲めなくなっている今の状況を考え、購入は一旦見送りました。とはいえ、また妻と家族と来た時に買って帰ろうと思います。


環境に配慮し、品質にもこだわりをもっておられる「MVGsワイナリー」。とても感銘を受けました。技術と醸造の融合が大手資本でなくてもできることを知りました。また来ます。ありがとうございました。

・2日目「より道の湯」

さて、バスに乗った私たち。バスが向かうのは都留市。「より道の湯」が目的地です。

「より道の湯」で宿泊や館内の説明を受け、各々の部屋に入ったのが15時過ぎ。そして夕食は19時。
その間の4時間は自由です。
今回のワーケーションプランは全般的に行程に余裕がありました。それがとても助かりました。
今までに参加した企業運営のワーケーションは移動の合間が続き、すぐにイベントが入って作業が集中できないこともありました。私の働き方が洗練されてきて、効率よく動けるようになったのでそのように思ったのかもしれませんが。

部屋で打ち合わせやら作業をこなしました。その後、まだ外は明るく、夕食までの時間もあります。そこで、散歩しに外に出ました。
都留市は何回か通過したことがあります。が、リニア見学センターをだいぶ前に訪問したくらいで街を歩いたことはほぼありません。
今回、せっかくの機会なので都留市の街中をちょっと歩いてみたいと思いました。


少し調べてみると、都留市は実は谷村城址を中心に城下町としての歴史があるらしいのです。
そこで、都留市役所への方へと歩いてみました。
目指す谷村城址は、小学校のグラウンドの端に石碑が建てられていました。城跡の雰囲気は感じられませんでしたが、塀が黒塗りの板塀仕立てになっていました。
それだけでなく、街を歩いてみると、随所にかつての城下町としての面影を感じます。鍵状になった道や水路などに。

少し雨が降ってきたし、作業の続きもあったので、宿に戻りました。そして、作業を行い、せっかくなのでお風呂を浸かりに行きました。
風呂に浸かっていると夕食の時間が迫ってきたので館内着のまま、ふらりと宴会場に現れました。すると、館内着を着ているのが私ともう一人だけでした。

この飲み会、とても楽しく飲めました。宴会場に大きく二つの島が分かれ、お互いが、とても楽しく和気あいあいとしていました。ツアーも2日目の夜を迎え、皆さんがお互いの人となりを知りつつあったからだと思います。
飲み会には都留市の方々も参加されていました。私も先ほど都留市役所を訪れたばかり。街についての関心もあります。
そこで都留市のアピールポイントを伺いました。それによって、さらに都留市への理解が深まりました。都留市の名産の一つが布団だったこともここで初めて知りました。豊富な名水を使って布団を洗う!


こういう宿での飲み会はいいですね。皆さんお酒を召し上がっても乱れず、私もおいしいお酒が飲めました。
盛り上がったあまり、お店の営業時間が終わって何度も催促を受けるまで皆さんと名残惜しげに会話をしていました。

・3日目「FAR YEAST BREWING」



翌日。最終日です。
都留市は一面の雪景色でした。部屋の窓から見た光景が美しい。私は朝食までの時間を使ってすぐそばの都留市駅を訪問しました。昨日の夕方にも通りがかった際、特徴のある門構えのピンク色の駅舎は風情すら感じます。かつての都留市の玄関口の面影を残しています。
もちろん、今も都留市の玄関口です。雪に覆われた駅で写真を撮っていると、たくさんの高校生たちがホームに向かっていきます。ホームに向かうと、やってきた河口湖行きと大月の電車が行き違いをし、たくさんの高校生たちはどちらかの車両に乗って通学していきます。
こういう光景を見ると、鉄道は地方の学生にとって、なくてはならない生活の足であることを感じます。
山梨県で唯一の私鉄として、富士急行さんには頑張って欲しいなと思いました。

部屋に戻って朝食をいただき、ロビーへ集まりました。
そこでパソナさんに酔い止めを勧められました。
小菅村への道中で乗り物酔いする方がいるからだそうです。

最終日の今日、向かうのは小菅村。 「FAR YEAST BREWING」への訪問が目的です。

私は、山梨はほとんどの場所を訪れています。が、早川町と丹波山村と小菅村だけはまだ足を踏み入れたことがありません。今回、ついに小菅村に訪問できることが楽しみでした。しかも訪問先が「FAR YEAST BREWING」であるからなおさらです。
道中は快晴で、しかも前夜の雪がまだ山肌を彩り、とても美しい景色が車窓の向こうに広がっています。乗り物酔いなどする余裕もなく、ひたすら外の景色に見惚れていました。


小菅村につき、早速「FAR YEAST BREWING」へ。
山田社長がみずからお出迎えしてくださいました。


以前はカーナビの部品を作る工場だったこの建物。その建物を利用して山梨小菅・源流醸造所は運営されています。
入ってすぐ、壁に掲げられた膨大な数の賞状にまず圧倒されます。これらの膨大な賞状もほんの一部であり、古いものは掲げていないとのこと。それもそのはずで、昨年一年間だけでも23もの賞を獲得したそうです。
さらに面白いことに、「FAR YEAST BREWING」の瓶に貼られるラベルが置いてあります。自由に持っていってくださいとのことです。私も今までにさまざまなブルワリーを訪れましたが、ラベルが取り放題のブルワリーは初めてだと思います。
そこに置いてあるラベルは本当にさまざまです。カラフルなもの、お洒落なもの、洗練されたもの。
それだけ豊富なラベルの数、つまり、ビールの種類を擁しているからこそ、こうしたことができるのでしょう。
後日、五反田の直営店にも伺いましたが、そこでもラベルの取り放題はより種類を増やして用意されていました。このサービス、とてもよいです。
ラベルの祭典は、さらにドアを開けて醸造施設に入ってすぐの壁でクライマックスを迎えました。今まで発売されたすべての銘柄のラベルなのでしょう。壮観です。

私たちは、山田社長にご案内いただき、工場の中をあちこち見学させていただきました。
この見学ツアーがとても貴重かつ、学びにあふれる内容でした。
ご案内いただいた場所の中には、おそらく普段はご案内いただけないような場所も含まれていたはずです。
例えば大麦の原料置き場。こちらの置き場には、実際に大麦の原材料が入っている袋がそのまま置かれています。
そこで麦芽を実際に食べさせてもらいました。麦芽を食べた経験は、他のブルワリーさんでもあります。が、今回は山田社長がそこらへんの袋を開け、そこから手で受け取ったことに意味があります。まさに原材料そのもの。そこに作為や飾りは一切ありません。
もう、完全に手の内を見せてくださっています。

手の内を見せてくださるのはそれだけではありません。
元は、食品工場ではない建物を改築・改修していることで、少しずつビール工場として理想の姿を作る途中であることも教えてくださいました。
例えば、入れてもらった粉砕室の床には虫を捕獲するトラップがありました。そこに入ってきた虫の数をきちんと計数管理し、衛生管理に生かしておられるそうです。
普通、こうした虫はブルワリーにとってほもっとも都合が悪く、隠すべき対象です。そうしたところも堂々と見せてくださる山田社長の器の広さを感じるとともに、それだけFAR YEAST BREWINGは人間がやれる最大級の衛生管理に向けて努力されていることを意味します。
人間のやることに100%はありません。ですが、限りなく100%に近づく努力ができるのも人間。そんな姿勢を見せてもらいました。
私が普段扱うサイボウズさんのkintoneも、人間のやることに100%は無いと言う前提のもと、セキュリティー対策をとられています。お互いの姿勢に通ずるところを感じました。

「FAR YEAST BREWING」の取り組みはそれだけではありません。ITの力もきちんと使っています。
人の手は絶対に必要ですが、人の手間をより効率化できる仕組みは取り入れるべきでしょう。
例えば、酵母の生育状況を示す状況を計数管理するための機械を見せてもらいました。この機会でやっていることも、顕微鏡で人が見ても、機械を通してみても、見る対象に変わりはありません。しかも人が目で見て数える事と、機械に計上を任せることは、何の品質上の違いもないはずです。だからこそ、数を数える仕事は機械に任せてしまうのです。
それはまさに、作業の本質を見極めておられるからできる判断です。作業の本質を見極めた上で、必要なところに必要なIT化を導入しているということが感じられました。
そうした工夫はタンクの清浄でも見られました。ビールのみならず、食品を扱う上で清浄は必須のはずです。タンクの清浄状況をチェックするための指標となるのが、ATP(アデノシン三リン酸)の検出量です。生物残さに含まれるこの成分が検出されるということは、清浄が不完全であることの証しです。ATPを可能な限り少なくする。実際、山田社長のお話によると、他社に比べてかなり低い数値を維持されているそうです。ATP残存量のチェックにあたっては機械の力を使っておられるそうで、キッコーマンのロゴが入ったセンサー機器をみせていただきました。

他にもブルワリーとしての工夫点を教わりました。それは二次発酵です。通常のビール醸造プロセスでは、発酵タンクで発酵させた後、加熱して発酵を止めてしまいます。ところが「FAR YEAST BREWING」では、発酵後に瓶に詰めた後、瓶の中でも発酵プロセスを継続させます。その効果として、発酵の際に酸素を使うため、瓶内の残存酸素量が0になります。酸素の残存量がなくなるということは、ビールの品質を悪化させる酸化のリスクがなくなることです。残存酸素量が0というのは通常はあり得ないそうですが、それを達成していることは誇るべきでしょう。

今回の見学ツアーの一連の流れは、全て山田社長が説明してくださいました。
その口調はとても丁寧で、私たちのような醸造の素人にも真摯に対応してくださいました。
私は山田社長のご説明から、上に書いたようなさまざまな品質上の配慮や努力、そして本質を見極める目を合わせて謙虚な人柄に惹かれました。
そしてその中にはただの謙虚だけでなく、自社製品についての絶対的な自信も感じました。

ここまでで、私はすでに「FAR YEAST BREWING」のファンになっていたと言っても過言ではありません。
今までにも「FAR YEAST BREWING」の製品は「馨和 KAGUA」や「東京BLONDE」を飲んだことがあります。が、私にとっては数多あるクラフトビールの一社としてしか認識していませんでした。
今回の訪問によって、「FAR YEAST BREWING」は本物のブルワリーであるとの認識を持ちました。さらには、山梨から世界に発信できるブルワリーではないかと。

2階の会議室に場を移し、そこであらためてスライドをベースにして、山田社長より設立までの経緯や設立にあたって大切にすることなど、さまざまなお話を伺いました。

世界から原材料を集めて作るビールも良いが、なるべく地元の原材料を使ったビール作りがしたいと言う姿勢や、その取り組みにも惹かれました。
下の見学ツアーの中でも、ペレット状にして真空パックにしたヤキマチーフ社のホップを見せてもらいました。大麦も海外製のものがほとんどでした。
ですが、それに飽き足らない山田社長は、地元産、つまり山梨の農産物を原材料にしたビールが作れないか、という取り組みをされているそうです。北杜市の小林ホップ農園さんのホップを使ったり、桃やぶどうを使ったビール、さらに米を使ったビールなどとても面白い取り組みをされているようです。
これからの農業は大量生産・収穫と高品質の少量生産の二極に分かれる。その後者に着目したことで、山梨の可能性を世界に問う。まさに素晴らしい。

印象に残ったのは、最初は地域活性のことは考えずに小菅村に移住したという点です。それが、小菅に移住して生産を行ううちに、山梨や小菅村のコミュニティにコミットするようになったそうです。そうなった理由は、地元のコミュニティに参加する中で、小菅村に愛着を持つようになったということもあるでしょうし、主要マーケットを東京や海外に向けて考えていたら、得意先売上の二位と三位に山梨県の企業が入っていて、実は地元こそが大きなマーケットだと気づいた、といういきさつもありそうです。
結局、真っ当にビール作りを突き詰めていたら、今の状態になったということでしょう。
山田社長からは、
『地方の「地」は地味・地道の「地」』という言葉もいただきました。まさに「FAR YEAST BREWING」の姿勢が今の形に繋がっていることを感じました。

一つ、山田社長の言葉で考えさせられたことがあります。それは、リモートワークを廃止するというご決断です。
「FAR YEAST BREWING」は国内と海外に直営店を持ち、モノを作る業種です。そのため、弊社とはそもそも業種も業務プロセスも違います。一概に比較はできません。私としては、どうこういう話ではないことは理解しています。

ですが、山田社長がその理由として挙げた「リモート中心の業務設計になると、生産性が低下する。現場力が弱くなる。」という点はどの業界でも一緒です。そして、私にも思い当たる節があります。それだけに考えさせられました。
「FAR YEAST BREWING」はすでに東京から小菅村に本社を移されたということですから、リモートワークの廃止は東京一極集中を促進させるご決断ではありません。なおさら、リモートワーク廃止のご決断に異議を唱えるつもりは毛頭ありません。
ただ、これがもし東京で会社を経営する方のお言葉であれば、私はさらに深刻に考えていたかもしれません。

リモートワークをどう考えるかについては、山梨だけでなく地方が維持されるかどうかを考える上で欠かせない視点だと思います。
山梨で地産地消の仕事が生み出せればよいのですが、今はそうではありません。山梨から人が出ていく一方の現状が山梨県知事による「人口減少危機突破宣言」につながったはずです。
それを打開する一つのやり方こそ、都会の人手不足を山梨で担いながら、山梨から都会への人口流出を食い止めることです。つまり、山梨に住みながら、都会の仕事をこなすリモートワークではないかと思います。
それは、昨晩、都留市の皆さんと話した内容にも通じます。

まずは、私として「FAR YEAST BREWING」が今後とも小菅村で経営できるよう、応援したいと思います。

山梨小菅・源流醸造所を出た後、近くの廣瀬屋旅館さんの直営する酒販店を訪問し、そこで私たちは思い思いに「FAR YEAST BREWING」のビールを購入しました。
こちらのお店にはかなりの種類の「FAR YEAST BREWING」の製品が常備されています。これだけで心が騒ぎます。私も四本を買いました。


そして四本のお酒を持ち、廣瀬屋旅館の広間へ移動しました。そこで山田社長や広報の若月さんも交えて懇親のランチ会です。地元の川魚を使ったと思われる料理がおいしかった。
ここでは、上記のリモートワークの話など突っ込んでお伺いしたかったです。が、横一列の配置だったので、なかなかお話ができにくかったです。これはまた、次の機会を待ちたいと思います。

山田社長、若月さん、ありがとうございました。

・3日目「まとめのワークショップ」


さて、私たち一行は、そこから歩いてすぐの小菅村公民館へ移動しました。そこで、山梨県庁のお二方を交え、ワーケーション全体を振り返るワークショップを行いました。
印象深いキーワードや、山梨に対してこの先できることは何か。そうしたそれぞれの思いを付せんに記し、発表とともに模造紙に貼っていく内容です。

皆さん、それぞれ3日間で感じたことを発表しておられました。
私は以下のようなことを書き、発表しました。
・一日目の日中に参加していないため、内容が薄いこと。
・都留市には布団があること。
・山梨は実力があるにもかかわらず、下請けに甘んじてアピールの機会を失っていたこと。
・その分、品質へのこだわりは高く、今すぐ世界で勝負できる可能性を秘めていること。
・山梨はキャラクタービジネスの発祥でもあり、今後そうした方向でも可能性があること。
・実は山梨のあちこちの都市には、志と発信力のある有力プレーヤーがいらっしゃること。
・都会に人を流出させず、リモートワークを活用した地元に定住した働き方ができること。
・私が山梨でITコミュニティをすでに七回運営しており、今後はその中に地元の企業にも入ってもらい、紹介の場を設ければ、技術者に地元の産業を知ってもらえること。
・山梨に拠点を移したあかつきには、このようなイベントの開催頻度をより上げたいこと。

山梨の可能性はこの三日間で存分に感じました。
私として忸怩たる思いなのは、初日の日中に参加できなかったことでした。ヴィジョナリーパワーの戸田社長やアトリエいろは(アメリカヤ)の千葉社長にもお会いできていません。
これは今後、訪問してキャッチアップしたいと思います(CROSS-BEは昨秋に作業で使わせていただきました)。

さて、バスはここで大月に向かって戻ります。そして大月駅前で皆さんとはお別れしました。ここで電車に乗り換えて東京に帰る方もいれば、そのままバスに乗って東京に帰る方も。
私だけは皆さんと別方向、すなわち富士吉田に向かいました。

私が富士吉田で参加した「よっちゃばれっ kintone 無尽」や西裏での懇親会、さらに翌朝は日本橋のサイボウズさんで「みんなの居場所大会 in 東京」に参加したことは本稿からは割愛します。

なお、参加の中でもnoteの記事は別に挙げています。
・「2月29日 山梨の可能性を感じるワーケーション https://note.com/akvabit/n/n4b9a4b8e458d
・「3月1日 地方に行くとニーズが見える https://note.com/akvabit/n/ne68e09202afa
・「3月4日 品質追求の醸造所でもできるところはIT化。 https://note.com/akvabit/n/n4066aea608cc

まずは今回のやまなしワーケーションでご縁のあったすべての皆さん、本当にありがとうございました。


kintone Café 神奈川 Vol.16に参加・登壇してきました


2023年12月16日に『kintone Café 神奈川 Vol.16』に参加・登壇してきました。
詳細は告知サイトをご覧ください。

今回の開催場所は、神奈川と静岡の境にある山北町。

kintone Café 神奈川は、今まで神奈川のあちこちで開催してきました。
今回、山北町を開催場所として選んだのは、夏に真鶴町で『kintone Café 神奈川 Vol.15』を開催したことがきっかけです。ご参加いただいた山北町の町会議員である高橋さんと意気投合し、次回はぜひ山北町でやりましょうということで今回の開催が実現しました。

静岡県に境を接する山北町は、首都圏からはかなりの距離があります。皆さんも山北町に来る道行きだけでそれぞれのドラマがあったようです。
私もそうです。
私は前日の夜、甲府で『よっちゃばれっ kintone 無尽 Vol.2』に参加していました。
甲府からどのようにして山北町に移動したかと言うと、まず、富士吉田市の小俣さんに富士吉田まで送ってもらいました。


そこで日が変わる寸前にチェックインした「ホステル富士山・結」さんで一泊し、翌朝の御殿場行きの路線バスで移動し、そこから数駅を御殿場線で山北駅まで移動しました。

小俣さんのおかげで、甲府から山北までの距離が意外に近く感じました。感謝しています!


山北駅は御殿場線に属しています。ところが、かつて丹那トンネルが開通するまでの山北駅は東海道本線に属していました。交通の要衝として広大な駅構内を機関車が行き交い、往時の駅はかなり賑わっていたそうです。
私も山北駅についてすぐ、駅そばにある鉄道博物館を訪れ、過ぎ去りし日々の山北の街の賑わいをしのびました。


駅前には、ロケセットと見紛うような建物が今も立っていて、かつての賑わいを今に伝えています。

そのような山北町も、今は神奈川でも屈指の過疎率の高さに悩まされています。

前回のkintone Café 神奈川は、真鶴町の町おこしとkintoneの可能性を追求しました。
今回も山北町の町おこしとkintoneの組み合わせを志しました。

山北町議員である高橋さんに紹介していただいた、山北駅近くにある山北町生涯学習センターが今日の会場でした。

今までのkintone Café 神奈川は、私が企画から司会進行から登壇まで関わっていました。
が、昨今の私のリソースは限界に近づいており、今回はかなりの担当をスタッフの皆さんにお任せしました。

藤村さんには企画全般や会場確保。
原田さんには司会進行。
加藤さんには「kintone Caféとは」の登壇。
根崎さんには自己紹介セッションの進行。
私は今回は登壇だけでした。
本当にみなさんには感謝です。


原田さんから開会の挨拶があり、和やかにスタート。今回は原田さんから司会と進行役に立候補してくれました。


続いて「kintone Caféについて」のパートを加藤さんから。
加藤さんは言うまでもなく、kintone Café 神奈川を立ち上げた張本人であり、kintoneの界隈ではFacebookの「kintone活用研究会」を主催する方として重鎮の存在です。


続いては、根崎さんの進行により来場されている全員に自己紹介を行ってもらう時間。

この日、来てくださった皆さんは多士済々。kintone Café 神奈川のスタッフとして活動していただいている皆さん以外にも、以前のkintone Café 神奈川に来ていただいた方や、今回が初参加の方など豊かな顔ぶれが揃っています。
中でも長野の軽井沢から駆けつけてくださった山本さんは神奈川県庁でDX推進に関わられているご縁で来ていただきましたし、小俣さんは昨日の甲府からの帰りの車の中で、私からのラブコールに応えて富士吉田から来てくださいました。
そしてもちろん山北町の皆さんも。ご参加の皆さん、ありがとうございました。


続いて「チャレンジの総量をあげるワーク」を藤村さんから。

アメリカからこのタイミングで聞こえてきたのが大谷選手の巨額の契約金による移籍。
その大谷選手が高校時代から掲げ、夢の実現のためのツールとして使っていたのがマンダラチャート。
藤村さんによるマンダラチャートを使ったワークは、まさに時宜を得た内容でした。

数人からなる四つの班に分かれ、班ごとに皆で考えるチャレンジを決めます。続いてそのチャレンジのための要素を決めます。さらに、その要素を満たすたのための方法を考えます。
このような構成でワークは進みました。


私が属する班では、山北町の魅力を考えるチャレンジを考えました。四人で考えると色々と出てきます。
全国津々浦々。人のいるところに文化あり。どこが劣っていることはありません。優劣を比べるなど論外。山北町も同じ。
今日も山北町を憂い、希望を語る人々が集まっています。こう言う人がいる限り、街はまだ大丈夫なのです。

その思いを乗せて、高橋さんから山北町の魅力を語ってもらいました。
「山北のお峯入り」というユネスコの無形文化遺産に選ばれた山北町の民俗芸能について詳しく語っていただきました。
高橋さん、前回からのご縁もあわせてありがとうございました。

この「山北のお峯入り」について、私は今回山北町に来るまで、全くその存在を知らずにいました。
全国に残された風流踊りの一つとして、「山北のお峯入り」があるそうです。
この風流踊りにkintoneを絡めることで、どういう風に山北町の役にたつのかはまだ想像がつかないのが正直なところです。

私に何ができるのだろうと考え、それを頭に残したまま、休憩を挟んで私の登壇の番になりました。


今回の私の登壇資料は時間がなかったため、真鶴で使った資料の焼き直しでした。真鶴の文字を山北に変えただけ。
でしたが、この日の皆さんの自己紹介を受け、山北町の農業にkintoneがどう活用できるかについてワークの間と休憩時間を利用して内容を盛り込みました。

山北町から出席された方々は、kintoneのことをあまりご存じないようでした。そのため、kintoneについての説明に加え、来られた方の課題に合わせて農業とkintoneの可能性について様々な事例をお伝えしました。皆さんの心に響いてくださったのであればよかったです。
ただ、反省点もあります。「山北のお峯入り」をkintoneにどうつなげるかを話の中に盛り込めませんでした。これは、今後山北町とのつながりの中で模索してきたいと思っています。

私が話し始めた直後に、次の登壇者である一般社団法人かながわ地域振興会の瀬戸理事長が会場にお越しになり、入れ替わるように山本さんが軽井沢に帰られました。山本さん、遠くからありがとうございました。


私の登壇に続いては瀬戸理事長から。瀬戸理事長は、山北町にお住まいで地元のことにもさまざまに関わっておられます。

その思いと熱量は熱く、衰退する街をもう一度盛り上げたい、街のために力を尽くしたいとの気概を感じました。
山北町にも高橋さんだけでなく、瀬戸理事長のような街のためを思う志のある方がいらっしゃることが、本当に心強く思います。
懇親会でも瀬戸理事長とは様々なお話をしました。その中でもお話しされていましたが、山北町の残念なところは、行政側のご担当者がこうした場に出てこないところです。
だからこそ、民間で頑張るしかない。そんな瀬戸理事長の覚悟が垣間見えるセッションでした。
瀬戸理事長、ありがとうございました。


続いてのセッションは、ぴょんさんによる「kintoneリスキリングを進めるコツ5つ」です。
ぴょんさんは12月いっぱいをもって働いていた瀬戸理事長の下から退職し、新たな道に進まれるとか。
そのような状況で上司を前にして、組織への提言とも取れる内容を話すぴょんさんの大胆さは素晴らしい。そして、それ以上に瀬戸理事長とぴょんさんの間の信頼関係の深さが垣間見れる好セッションでした。

組織の中間にいる人たちにとって、ぴょんさんのような動きは煙たかったのでしょうか。折り合いが悪かったのでしょうか。私のような外野がぴょんさんの退職についてあれこれいうことは控えます。
が、ぴょんさんと瀬戸理事長の間には確かな信頼関係を感じました。そして、ぴょんさんのセッションを受け止める瀬戸理事長の器の大きさを感じるとともに、瀬戸理事長こそ、kintoneエコシステムの考えやダイバーシティ、多様な働き方へのご理解をお持ちで、かつ、とても柔軟な思考の持ち主だという確信を得ました。

今回印象に残ったことの一つが、この瀬戸理事長とぴょんさんの関係性と、ぴょんさんから瀬戸理事長へ託されたバトンの重さでした。

ぴょんさんによると、今回のkintone Caféで瀬戸理事長と私をお繋ぎしたかったそうです。
それはこの後の懇親会で存分に発揮されました。ぴょんさん本当にありがとうございました。


続いて最後を飾ってくださるのが山路さん。

山路さんは、夏に真鶴で行った『kintone Café 神奈川 Vol.15』で当日の朝にイベントの存在を知り、都心から真鶴まで駆けつけてくださったフットワークの軽さを持ってらっしゃいます。
今回、山北町だけでなく、全国に通じる地域活性化のためのkintoneを使ったビジネスプランについて語ってくださいました。大学を出てすぐと言うのに、早くもビジネスプランを考えられるその行動力と頭脳がとても頼もしい。

山路さんのこれからが楽しみですし、その行動力に惚れて、今回の『kintone Café 神奈川 Vol.16』をもって、山路さんにはスタッフに加わってもらうことになりました。山路さん、ありがとうございます。

今回をもってスタッフに加わってくださったのは山路さんに加えて中さんもです。中さんは小田原、真鶴そして山北と3回連続でkintone Café 神奈川に参加してくださっています。本当にありがとうございます。
次回から一緒に活動していきましょう!


皆さんの刺激的な登壇内容を受け、予定外であったにもかかわらず、急にLTをしたいと手を挙げたのが藤村さん。
「つながる、しょうなん」と言うタイトルで、今進めていらっしゃるビジネスモデルについて大いに語ってもらいました。
皆さん、本当にこういうビジネスプランの構築がお得意です。私はどうも頭脳が0→1のタイプではないようで、1→10のタイプです。なので、なおさらビジネスモデルを考えつき、その実行に向けて動ける皆さんがうらやましいです。藤村さん、今回はいろいろとありがとうございました。

さて、皆さんのセッションが盛り上がったため、最後に予定していたディスカッションは懇親会に持ち越すことに。


会場撤収の都合もあり、慌ただしく集合写真を撮り、無事に撤収も終えました。


続いては駅前の「ヤマキタバル」さんへ。先ほど駅前で風情のある建物と目を留めた場所こそが懇親会の会場でした。


kintone Caféといえば懇親会。いつも楽しいのですが、今日も楽しかった。
楽しいだけではなく、皆さんの熱い思いをたくさん聞けましたし、語り合えたのがよかった。
私も瀬戸理事長やぴょんさんとはかなり長く語らせていただきました。

普段はこうした場にはほぼ出ないという瀬戸理事長がかなり残ってくださったこと自体が、今回のkintone Caféの素晴らしさを物語ってくれます。
私も来年、経営に加えてこうした活動をよりしていきたいと強く感じました。山北町や真鶴町に対してどういう価値を提供できるか考えます。


今回、山北町でのkintone Café 神奈川に集ってくださったみなさん、心からありがとうございました。
次は相模原市を予定しています。今回の成功を受けて、全神奈川県市区町村でやる目標を公表しました

こちらからポストまとめをご覧ください。


MOVED MeetUpに参加してきました



2023/12/7に『Moved MeetUp』に参加してきました。

参加した際の全体的な感想は、こちらのnoteに詳細に記載しています。

このnoteは弊社内部向けにイベントの翌日に書いたものを、二日後に公開する際にリライトしています。
その中で触れたとおり、最初の三つのセッションは遅刻して聞けませんでした。

そこで、参加者向けに限定公開された動画を後日見た後、当日の感想も踏まえて書き直したのが本稿となります。

上で取り上げたnoteの中でも触れましたが、会場で配布された冊子に記載されていた内容は、私の心に深く響きました。
冊子の中にはこのような文章がありました。
「一人で抱え込み、なんとか踏ん張ろうともがく日々が続きましたが、会社を畳む気はありませんでした。」
「当時の渋谷は起業家であっても経営者ではなかったのです。」
これらはMOVEDを創業した渋谷さんが創業時に味わった苦しみです。そして、冊子の中にはそこからの打開のストーリーが書かれていました。それらは、同じ経営者である私にとっても深く共感できるものでした。

冒頭の渋谷さんの基調講演「今日も、だれかの #きっかけ になる」を拝見したところ、冊子に書かれていた苦労についてはネガティブになるから、ということであまり触れておられませんでした。

これは適切な判断だと思います。祝うべきイベントの日にネガティブな情報を控えるのは理にかなっています。
ネガティブな情報は、イベントに参加した皆さんが帰り路に冊子を読むことで知ればよいはずです。
創業期の苦労を乗り越えたからこそMoved MeetUpが開催できるまでに至ったことが参加者に伝われば、余韻も増すというものです。

私自身もまさにその余韻を感じました。
私の場合は参加者の大半の方とは違い、先に冊子を読んでから渋谷さんの講演を拝聴しました。
でも、余韻は今も残っています。そして今も経営に難儀する者として、這い上がり、このようなイベントを開く良い手本を見せてくれたことに尊敬の気持ちしかありません。
志が真っ当で、戦略が正しい方向を向いていれば、会社は必ず上を向いて前に歩ける。そんな勇気すら与えてくれました。

そもそも私たちはなんのために会社を興すのか。そして活動するのか。
従業員の食い扶持を稼ぐのは必要ですし、組織に属することで将来のリスクから逃れられます。また組織の中でともに歩むことで不安も軽減されます。
ここまではイベントの中で小林さんが言及されていたマズローの五段階欲求説の中で低次の欲求として分類されています。

企業として食い扶持を稼ぐのは当たり前です。が、弊社も苦戦しているとおり、これすら実現することが難しいのです。
企業の生存率は資料によってまちまちですが、最初の創業期で少なくない企業の志が潰えていくのが現実です。

そのような当初の試練を乗り越えられたMOVEDさんが、次の段階に進むのは必然といえます。
尊厳欲求としての、他社から認められたいための活動。
自己実現欲求としての、自らの能力を創造的に生かしたいための活動。
それぞれ、五段階欲求説の中では高次の欲求として位置づけられています。

面白いのは、MOVEDさんの活動が自社メンバーに対してその欲求を満たせるようにしているだけでなく、「顧客」にもその欲求を実現してもらうための仕組みを備えていることです。

私たちシステム開発業者は、顧客の業務改善のためのシステム開発に従事します。
ところが今までのわが国ではシステムの目的が単にオペレーションを楽にし、業務効率を上げるためだけになっていたように考えます。つまり低次の欲求を満たすためのシステム開発でした。
もちろん、人によってはそこから独力で次のレベルに進む方もいるでしょうが、そのような方が少数派。

仕事とは組織の目的に沿うことが当たり前。個人の欲求などプライベートの時間で好きにやればよい。
そんな風潮において、MOVEDさんが顧客の高次の欲求を満たすことを提供する価値としておいていらっしゃることが新鮮でした。

それについては、次のセッションで詳細が明かされました。
地域支援部さんの「糸魚川をご存知ですか? MOVEDと市がタッグで挑む地域支援」
この活動こそ、その高次の欲求を自社メンバーと顧客に提供するものではないかと思います。

システム開発や人材育成を行う会社がなぜ地域支援まで携わるのか。
その理由こそ、私が常日頃考えている関心の対象です。

私は旅が好きです。旅をすることをそのものを仕事につなげたい。
ところが、私は旅とは関係ない企業に勤めました。そうすると、土日祝しか旅はできません。
その後、システム開発者として独立すると、なおさらそんな旅が不可能になってしまいました。
そもそも作家やライターにならなければそんな仕事はできない。

私にとっての自分の自己実現とは何か。それを考えた時、私はそれを旅においてしまうのです。システム開発ではなく。
地域支援こそ、旅をしながら、それを顧客への価値の提供につなげられるのではないか。
CLS道東やCLS高知でもそうした活動を実践されている方に多数お会いしました。

私にもそれができるはず。
私がMOVEDさんにお誘いされた際、7月の「糸と魚と川」に参加させてもらった理由もそこにありました。

今までにもワーケーションでいくつかの県に滞在してきました。それは旅の欲求を満たせて楽しかったのですが、私が行ったタイミングがずれていたこともあって、地元の方とのイベントでの触れ合いがなかなかできずにいました。
それがようやく昨年あたりから、CLS道東やCLS高知といったイベントで実現できるようになってきました。
その結果が「糸と魚と川」への参加として結実しました。この時にコジロウさんに撮っていただいた写真は今年の私のベストショットだと思います。

都会の者からこうした笑顔を引き出す。そして、地元にとって少しでも活性化へ協力してもらうための何かを引き出す。

MOVEDさんの活動が高次の欲求を満たすことにある証しといえます。

ただし、高次の欲求を満たすためには、私たちも努力が必要です。
そして、努力しようにも、独力ではなかなか難しい。
それをお助けするのがクラウドユニバーシティです。

クラウドユニバーシティの「kintone人材育成のポイントとは? 受講企業の本音トーク!」

では受講企業さん二社が登場し、その内容を受講者の立場から深堀しておられました。

kintoneの使い方を教えることの難しさは、私も実際にやっているからわかります。
弊社に入ってきたメンバーもそろそろ三年になりますが、うちに入る前に専門学校で半年ほど技術を学んだだけで、弊社の面接の際はkintoneの存在すらしりませんでした。
そんな彼も、いまや多重PromiseをJavaScriptで扱えるまでになりました。すでにkintone開発だけならほぼ任せられるようになっています。

ところが、そんな成功例はレアケースです。私が社運をかけてマンツーマンで教えた結果にすぎません。
実際、私が続けて人を雇った際は、雇った分だけかさむ人件費を稼ぐため、他の案件に追われて教育には時間をかけられていません。そして、悪循環に陥っています。

日常業務と並行してDX人材を育てるのは、システム開発会社ですら、容易なものではありません。
ましてや、システム開発を業務の軸に据えてない他の会社さんの場合、日常業務の合間に一からDX人材を育成しなければなりません。その大変さは察することができます。

さて、それ以降のセッションについては、上記のnoteでも触れたので繰り返しません。
どれも弊社や私にとって有用なものです。

今回、動画を見直したことで感じたことや学んだことを本稿に記しました。
それを踏まえ、来年の1月に予定されているMOVEDさんのイベントに参加する予定です。
冬の「糸と魚と川」では、高次の欲求をどのように伝えていくか。私自身の経験から得られた提案をワークの中で行えれば、それが私自身にとってもより具体的な実践結果として学びになると期待しています。そしてそれが弊社の今後の活動の糧になるはずです。

まずはMOVEDの皆様、参加された皆様、ありがとうございました。



輝け!!第4回地域クラウド交流会全国グランプリ in 釧路に参加してきました


前夜祭の楽しさから一夜明け、本日はいよいよちいクラの全国大会です。
オーガナイザーは9時に集合という指示を受け、私も妻と共に9時前に会場に入りました。

私は立場上、9時に入る義務はありません。
とはいえ、弊社も甲府で開催する予定のちいクラ山梨を企画運営します。
もちろん、ちいクラ山梨の運営は妻の役割です。しかし、私も当日はサポートをする必要があると予想しています。
それもあって、雰囲気や準備などを見ておかねばと思いました。


釧路市観光国際交流センターは、いつも釧路を訪れる際に必ず立ち寄るMOOフィッシャーマンズワーフのすぐそばにあります。
広い会場では設営がほぼ終わり、次々とマルシェの店舗を出す方々がお店の飾り付けや設営準備に勤しんでいました。妻もオーガナイザーの一員として朝礼に出席し、朝礼の後もそれぞれの役割を果たして行きます。

私自身も、この日の夕方、ちいクラ全国大会が終わった直後に、別のイベントでオンラインでLT登壇する予定がありました。そのため、どの場所であれば接続ができるか、どの場所であれば音声がクリアになるのかを把握する必要がありました。そこで会場の中だけでなく、建物の外も歩きまわりながら、ロケーションハンティングに勤しんでいました。

場所のめどがつき、作業していたところに妻からの連絡があったので、会場に戻りました。

すると、妻はマルシェでお店番の役割を与えられていました。そして、何やら楽しそうにお店の店番をしていました。マリモデザインファクトリーさんのショップです。

こちらでは、オーガニックな素材や鮭が美味しく食べられるお皿などユニークな商品が展示されています。同じオーガナイザー仲間として妻とも仲良くしてくださっていると言うことで、私もいろいろなご縁を結ばさせていただきました。

他のショップもいくつか覗かせていただきました。

中でもCLS道東で私に日本酒と山椒のコラボレーションを教えてくださった佐藤さんのブースでは変わり種日本酒もいただきました。
さすがにこの日は夕方に登壇の予定があったので一杯だけにしましたが。


他にも会場にkintoneがいたことも書いておかないと。サイボウズ災害支援プログラムです。
サイボウズ災害支援プログラムサイト

ここ数年の日本は、明らかに災害が増えています。そうした災害の際にkintoneなどのツールを活用し、ボランティアの受け入れや指示、災害場所の迅速な把握などに使ってもらう取り組みです。

私もkintone Café 神奈川でスタッフがサイボウズ災害支援プログラムについて話しているのを聞いていました。そのため、内容についてはおおよそは知っていましたが、きちんと聞くのは今回が初めて。代表の柴田さんとも初めてきちんとご挨拶ができましたし、驚いたのはあっとクリエーションの黒木さんまでが釧路に駆けつけてくださっていたことです。だいぶ前に黒木さんとは、神戸でお会いしたことがありますが、まさか、こういう出会いに恵まれるのも、このちいクラの良さでしょうね。
そうしているうちにいよいよ本編のプログラムが始まりました。


まずは地元の釧路鳥取傘踊り保存会による傘踊りの演舞披露から始まりました。
私は釧路に鳥取という地名があることを知っていましたし、それが鳥取からの開拓者にちなんでいることも推測していましたが、この傘踊りについては知りませんでした。
開拓の志に燃えた当時の人々の思いを、今もこうやって受け継いていることは素晴らしい。


続いて、サイボウズの青野社長による講演です。
私は初めて大塚商会のセミナーで青野社長の講演を聞いてから、今までに何度も青野社長の講演は聞いてきました。ただ、地域をテーマにした講演は聞いた記憶がありません。

東京などの大都市と地方の格差は埋まるどころかますます開いています。
衰えていく一方の地方を活性化するにはどうするか。その地の産業の力を育てるしかない。
ただ、わが国の場合、地方どころか都市にすらIT人材が枯渇しており、諸外国に比べてもIT技術者の割合が少ない状況にあります。

kintoneのようなローコードツールを使えば、地方にもITの力を導入できるはず。

ちいクラの開始にあたっての思いも含め、あらためてサイボウズさんの理念は一貫していると思いました。

そして、最前列で青野社長の講演を聞いていた妻にもその理念は伝わったはず。
なぜ私が地方に肩入れするのか、という理由も含めて。


続いてはちいクラの本編がスタートです。
ちいクラといえばアイスブレイクに必ず設けられている大人の本気のラジオ体操。
会場に集った皆さんにラジオ体操の手本を示すため、壇上に五人のオーガナイザーが現れます。
ん?その中に見知った顔が。なんとうちの妻が混じっているではありませんか!

まだ一度もちいクラを開催していないにもかかわらず、いきなりオーガナイザーデビューを果たしてしまった妻。
まずはおめでとうです。

そしていつもの音楽に乗って体を動かす皆さん。ところが私はラジオ体操が久しぶりすぎて、周りの人と右左を逆に踊っていました。
あれ?さては壇上の妻を見つめすぎたかな?

さて、いよいよ本編が始まります。
ここからは全国各地の地域クラウド交流会で選ばれた方々が、それぞれの思いを発表する場です。
プレゼンターご本人と一緒に登壇するのは各地のオーガナイザーの皆さん。

さすがというべきか、皆さんの思いがそれぞれ熱い。
特筆すべきは、ほとんどのプレゼンターの方が個人の思いだけで登壇までされていることです。
何かの企業の後ろ盾や組織ぐるみでの登壇ではなく、個人の思いだけで発表までしてしまうこの熱量。

同じ時刻、はるか高知ではCLS高知が催されています。
そちらではさまざまなコミュニティのあり方や運営が議論されているはず。既存のコミュニティも含めて、多くは他の企業に所属されている方が運営しています。
その一方、ちいクラでは個人の方がそれぞれの思いを聴衆に問い、支援を求めています。

いうまでもなく、どちらにも優劣は付けられません。
ただ、ちいクラは個人の思いがダイレクトに表出されるので、私たちの感情に響くかもしれません。

実際、皆さんのプレゼンによって私も感情を揺り動かされました。
cocoスペースの今野さんの壇上で感情をあふれさせる姿。前夜祭でもお隣で話させてもらった釧路の秋田さんの苦しみを乗り越えた姿。秋田さんは見事に優勝しました。おめでとうございます。
甲賀で馬と人の居場所に取り組む稲増さんの内容には興味を持ちましたし、仙台で高校生向けのオンライン学習サービスを立ち上げた佐々木さんの取り組みはこれからのわが国に直結するはずです。
豊岡の守本さんの取り組みは同じ地元としてとても共感し、社会的処方という言葉も教わりました。豊岡の久保さんは懇親会でお話し、同じ阪神間にご縁があることと、私の次女のキャリア形成に参考になりそうな取り組みをされているのでとても共感しました。
郡山の相樂さんの助産師としての取り組みは、まさにこれから少子化と戦っていかなければならない希望そのものです。


さて、続いては、これまた地元釧路の昭和小学校の金管バンドによる演奏です。
これがまた、とても上手かった!
私の次女も中学校の頃、吹奏楽部でユーフォニアムを担当していたので、私も何度も演奏会を聴きに行きました。
なので、最初は小学生の演奏ということが信じられませんでした。お見事!


続いては、オーガナイザーの四宮琴絵さんによるファシリテーションのもと、サイボウズの青野社長、蝦名釧路市長、漫画家の最上うみみさんによるトークセッション。
なかなか意表を突く人選ですが、これが面白かったし、参考になりました。
青野社長は著書や講演、サイボウズさんの社風として私もなじんでいます。そして、蝦名市長は毎回CLS道東に必ず顔を出してくださるばかりか、懇親会にも登場し、私も何度かお話しさせていただいた方。その政治家らしからぬフランクでオープンな人当たりに好感を持っていました。そこに最上さんのアーチストとしての感性が入ることで、セッションの内容が予測できなくなりました。
まさにセッションの中に登場した通り、掛け算が生み出す予想できない変化が期待できそうです。アドベンチャーと地域の力と漫画が何かを生み出せるのではないか。そんな期待を持たせてくれるセッションでした。

私はまだ、ファシリテーターを行った経験はあまりありません。未経験者からの意見からではありますが、見事なコラボレーションを生み出した琴絵さんのファシリテーションには感心しました。春先のCLS高知でもかすがい製菓の原さんのファシリテーションに感心した時と同じ感覚です。
いつかは私や妻もこういう場でもファシリテーターとしてトークセッションを切り回せるようにならないと、と思わされました。


さて、これをもってちいクラ全国大会も終了です。
そして皆さんで集合写真の撮影。
この時の私の心は少し焦っていました。なぜならこの後、SORACOM UG ExplorerのLT登壇が控えていたからです。朝の時点で登壇する場所のめどはつけておいたので、接続や音声障害の懸念はなかったのですが、そもそも時間に間に合わなかったらどうしよう。

結論からいうと、登壇は無事に終わりました。登壇については別ブログで取り上げたいと思います。

さて、会場を移動し、946BANYAでの懇親会です。
この懇親会もとても楽しい時間を過ごすことができました。
いちいち皆さんとの会話は繰り返しません。

例えば、
サイボウズのソーシャルデザインラボの皆さんと会話ができました。
但馬信金の皆さんとも会話ができました。
蝦名釧路市長とは結構長い時間お話をさせていただきました。前後半の二部制に分かれ、後半は妻も交えて。
5月のkintone hive sendaiのアフターhiveの場で一緒に業務改善のワークショップに取り組んだ宮城第一信金の皆さんからは先方から気づいてお声がけいただきました。
久保さんとは同じ阪神間にご縁があったことで盛り上がりました。
札幌と和歌山を結ぶ活動をされているさとうさんともご縁がつながりました。ほかにも皆さんとの貴重な時間がとてもうれしかったです。

最後の挨拶でジョイゾーの小渡さんが男泣きを見せる姿に私ももらい泣きしてしまいました。地域のご縁から採用につながり、しかも今や八面六臂の活躍をなされている小渡さんと、小渡さんに活躍の場を与えられたジョイゾーさんにうらやましさを感じると同時に、弊社も同じような方に入ってもらうようにならなければ、という決意が沸きました。

妻もまた、皆さんとの交流のパイプを太くしていたようです。
そこで、その後の二次会は妻と私は別々の行動をしました。
私は、デジラポを見学させてもらえるというので、そちらの皆さんと行動を共にし、妻はオーガナイザー仲間と釧路の夜に繰り出しました。


デジラポは釧路市役所の目の前のビルに位置しています。
ここがすごい内容でした。コワーキングスペースとしての機能はもちろんですが、子供が情報技術に興味を持ってもらえるような設備が充実しています。
ロボット、IoT、メタバース、3Dプリンター、カッティングマシーン、ドローン。なんとこれらのツールがたくさん使えるとのこと。
まさに技術者にとっては垂涎の場所。釧路に高専があることは上にも書きましたが、釧路はジョイゾーさんの拠点でもあるし、今後はデジタルの街として名をはせるかもしれません。
デジラポサイト

さて、ここで三々五々、散会した私たち。
私もせっかくなので、ここ1年半で釧路を三回訪れていながら、まだいけていなかった場所を巡りました。
モシリヤチャシ跡と、Whisky Bar 高森さんです。
うーん、厚岸おいしかった!!! 見事に釧路の夜が締まりました。

本日も皆さん、ありがとうございました!

翌日もちいクラツーリズムで釧路湿原、鶴居村、摩周湖、硫黄山を巡りましたが、それはいずれ別ブログで取り上げたいと思います。


スナックジョイゾー&輝け!!第4回地域クラウド交流会全国グランプリ in 釧路前夜祭に参加してきました


本稿のタイトルは長いですが、それは二つのイベントが同時に開催されたからです。
以下は、妻と一緒にこの二つのイベントに参加してきたレポートです。

前夜は三次会まで帯広で飲み明かしていました。投宿していた北海道ホテルに着いたのは2時ごろだった気がします。

ところがこの日は平日。朝九時からオンラインで東京のお客様と打ち合わせがありました。
お客様と話す際、私の喉はかなりかれていたことでしょう。


打ち合わせが終わると、帯広で旅情を味わう間もなく、すぐに釧路へと向かいました。帯広で仕事をすることも考えましたが、天気はあいにくの雨でした。帯広の地を堪能する暇もなく、駅で食べた豚丼だけで釧路に向かいました。
そんな風に早めに釧路に移動する必要があったのは、夜のイベント前に妻と釧路で合流するためです。


そこで、11時39分発のおおぞらで釧路に向かいました。この便については、昨夜三次会まで一緒だった濱内さんに教えてもらいました。ありがとうございます。
別車両に乗ってらっしゃった濱内さんも同じく向かう先は釧路!いざ!ちいクラへ!


釧路に着いた私は、まっすぐ釧路フィッシャーマンズワーフ MOOにある「946BANYA」に向かいました。
946BANYAでは明日、第4回地域クラウド交流会全国グランプリ in 釧路(ちいクラ全国大会)の懇親会が催されます。
そして、あとで訪れる夜のイベント会場(炉ばた浜番屋)とは川を挟んだ対岸にありました。妻と待ち合わせるには最適の場所です。
また、私もここでなら作業ができるとあたりをつけていました。

私の予想通り、946BANYAでは仕事が快適に進みました。オフラインの作業も、東京のお客様とのオンライン会議も、全てが円滑でした。
釧路でも仕事ができる今の情報環境には本当に感謝しています。この事は言葉に尽くせません。

さて、時間が来たので、私と妻は菅原さん原田さんと連れだって会場となる炉ばた浜番屋に移動しました。


今回はこちらの会場で本稿のタイトル通りの二つのイベントが開催されました。
とくにスナックジョイゾーは、釧路で初の出張開催。いつも催されている東陽町でも同時に開催され、窓と言われる縦長のデジタルサイネージを使って双方の会場で二元中継し、それぞれスナックジョイゾーを開催してしまう斬新な試み。さらに、それをちいクラの前夜祭と絡めてしまうあたりが、ジョイゾーさんの発想力を現しています。

中継だけならツールを使えば簡単にできてしまうでしょう。ですが、釧路と東陽町に同じ機材を導入し、それをお店に持ち込んでしまうまでの準備は大変だったはずです。
ジョイゾーさんに拍手ですね。



私は皆様のお膳立てに感謝しながら、美味しい料理を楽しみ、会話に花を咲かせていました。

思い起こせば七月のCLS道東でも、こちらの浜番屋で花咲蟹を食べたのでした。
別の方のSNS投稿でこのお店から蟹を自宅発送できることを知った妻から、なぜ家に送ってくれないのかとお叱りのメッセージがあったので、帰りの新千歳空港で蟹を買って送ったのも思い出です。
そんな過去の失敗も、今回浜番屋に妻を連れてきたことで帳消しになったのではないでしょうか。

今回、妻が釧路に来たのは、ちいクラ全国大会があるからです。そして、私にとってもこうした地方でのイベントに妻と同行するはじめての機会でした。
この夏、妻はちいクラのオーガナイザーとしての研修を受け、晴れてオーガナイザーとして認定されました。
そのため、妻は初めから釧路に来ることに積極的でした。はたから見れば、妻のイベントに私が従順についていったように見えるかもしれません。

ですが、ちいクラに妻を巻き込んだのは私の目論見でした。
発端から話すと、今年の春先にジョイゾーの四宮琴絵さんから連絡がありました。オーガナイザーになる人を募集しているので誰かいないか、と。
私はそれを聞いた途端、これは妻にやらせよう、やらせるべきだ、とひらめきました。

妻は結婚してから20数年の間、いろいろなコミュニティや集いに参加していました。そしていいように使われ、数年で疲弊してそのコミュニティを離れることを繰り返していました。
私よりも弁舌が立って頭も回るのに、お人好しでいいように使われてしまう。そして疲れ切って消耗する。それが毎回のパターンでした。まさに琴絵さんからお誘いいただいた時も某コミュニティの中で疲弊の極にありました。
私はそれをとてももどかしく見ていました。適所におけばいきいきと活躍できる妻なのに、なんともったいない、と。

今回のちいクラオーガナイザーの話を琴絵さんから受け、妻にやらせようと思った背景にはそういういきさつがありました。
ちいクラならば、サイボウズさんの事業なので、私もある程度は知っています。理念にも共感しています。アホはええけどウソはあかん、という社風を擁するサイボウズさんになら裏切られることはないでしょう。
また、私自身もちいクラには今まで墨田や郡山で三回ほど出たことがあり、なじみもあります。
また、会社としてオーガナイザーに登録する必要があるため、弊社にとっても必ずプラスの効果があらわれるはず。

そうした背景もあって私も初めから妻のオーガナイザー就任は後押ししてました。そして、ぜひ妻にはちいクラ全国大会に行くべきだと伝えていました。
今回のちいクラ全国大会の日程はCLS高知と重なっていましたが、私は最初から釧路を選んでいました。七月にCLS道東で訪釧した際も、10月21日にはCLS高知ではなくちいクラ全国大会に来るからよろしく、と皆さんに言っていたくらいです。

なぜ私がそこまで妻を連れてくることに積極的だったかについては、もう一つ理由があります。
それはCLS高知やCLS道東、または他の地域で行われるkintone Caféや糸と魚と川のようなイベントに、なぜ私が参加するのかということを妻に知って欲しかったからです。

ある地域に全国から人が集まり、そこで各地の文化やご縁を結び合う。
それによって地域は元気になると、東京や他の大都市に人が集中する問題にも解決の道が見える。私や弊社が首都圏で埋もれるつもりがなく、地域を応援しよう、外に向けて積極的に打って出ようとの意思を皆さんに伝えられる。
それによって地域から仕事が舞い込むこともあり、地域から登壇依頼が来ることもある。
私はそう思って地域のイベントに積極的に参加しています。

妻にとっては、私のこのような活動は、旅好きの道楽の一環に見えていたかもしれません。
が、実際にこうやって一緒にイベントに参加してもらうことで、各地域から来る人たちのご縁やつながりが道楽を超え、仕事にまでつながるんだよ。地域で得たご縁が首都圏での仕事にまでつながることもあるんだよ。
それを伝えたかったのです。それには百聞は一見に如かず。一緒に釧路に来てもらい、体験してもらえればいい。

今回のイベントは、kintone CaféやCLSとはまた違うメンバーが集っていました。私にとっても新鮮な顔ぶれでした。
中でも、サイボウズ社の青野社長を始め、旧社長室であるソーシャルデザインラボの皆さんが釧路に集結しておられました。
私は普段、サイボウズの多様な部署の方とやりとりをしています。が、ソーシャルデザインラボの皆さんとはまだお会いしたことのない方が多く、今回のイベントでは貴重なご縁をいただきました。


釧路に来て早々、素晴らしいご縁に恵まれました。
妻にとっても今後の活動に向けて弾みとなる出会いだったのではないでしょうか。
もはや明日の本番は楽しみでしかない。そんなふうに思えた一日でした。

まずはこの日、お会いした皆さん、ありがとうございました。そして妻へのきっかけを作ってくださった琴絵さん、今回の準備を行ってくださったジョイゾーの皆さん、本当にありがとうございました。サイボウズの皆さんもありがとうございました。


kintone Café 神奈川 Vol.15を主催・登壇しました



8月19日にkintone Café 神奈川を真鶴で開催しました。
告知サイト

今回は株式会社あわえさんにもご協力いただき、現地での会場の確保や真鶴の皆さんへの声かけ等をお願いしました。

なぜ真鶴で開催することになったのか、その背景を説明します。
まず、今年の1月にさかのぼる必要があります。

私が自社でサテライトオフィスを開きたいと考え、その候補地の一つとして真鶴を訪れたのが発端です。その際に真鶴の街並みに惹かれ、また来たいなあと思っていました。

その後、5月にCLS高知があり、私も高知まで足を伸ばして参加しました。その中のセッションでとても心に刺さるキーワードが提示されました。
「公私混同」
この言葉を語った方こそ、登壇されておられた株式会社あわえの吉田代表です。
私はその言葉にとても印象を受け、あわえさんのページを訪れたところ、なんとあわえさんのサテライトオフィスの1つに真鶴があるではありませんか。
株式会社あわえ様


kintone Café 神奈川は、4月の頭に小田原で開催しました。小田原で会場として使わせてもらったコワーキングスペースも、一月に真鶴に訪れた後、小田原で使わせてもらった場所でした。
CLS高知で得た着想から、kintone Café 神奈川の次は真鶴で開催したいけどどうだろうか、kintone Café 神奈川を運営する皆さんに諮ったところ、いいねえ。という声をいただいたので、私からあわえさんにコンタクトを取り、今回のkintone Café 神奈川が実現しました。

まず最初のあわえさんとのオンラインミーティングでは、kintone Café 神奈川を一緒に進めてくださっている藤村さんとkintone Caféの理念やイベントの内容を説明し、協力し合える可能性をすり合わせました。
さらには私と藤村さんとで真鶴にお伺いし、あわえさんのスタッフとして現地で活動されている松木さんと会場の使い方や当日のテーマやスケジュールを打ち合わせました。

早い段階でテーマが地域創生と言う方向性は決めていました。あわえさんが手がけておられる地方創生の事業と、神奈川県唯一の過疎地である真鶴町の課題をkintoneで解決する。そのようなイベントスキームが早い段階から頭にあり、ブレることもありませんでした。

言うまでもなく、kintone Caféは企業セミナーではありません。理念でもそれは厳しく禁じています。
なので、私たちからもあわえさんとの最初のオンラインミーティングでそれは入念にお伝えし、ご理解いただきました。そして、あくまでもkintoneを使って真鶴町の課題の解決策を探る方針で臨みました。


8月19日。
真鶴町最大の祭りである貴船祭りも一段落し、真夏の海日和が続く真鶴町。
この日もとても暑く、駅から会場である真鶴町観光役場に向かうだけで一苦労でした。

でも、海を目の前にした会場はまさに開放的。
私はデビット伊東さんのいらっしゃる伊藤商店でラーメンを啜り、13時前に現地に着きました。すると、皆さんも開始時間である15時を待つのも惜しいかのように、14時過ぎにはかなりの人が集まってきました


今回は、ジョイゾーの根崎さんに司会進行を担ってもらうことにしました。

kintone Caféの理念や会場の諸注意など、ここでX(Twitter)でハッシュタグでつぶやいてもらうよう皆様にお願いせず、ホワイトボードに書いただけにしたのは失敗でした。おかげで今回のkintone Caféはつぶやきが控えめでした。

でも、その後の自己紹介は23、4人の全参加者に円滑に行ってもらい、根崎さんの進行も順調。目玉焼きをどのように食べるか、また、何をかけるかと言う質問を交えたことで、自己紹介の内容にバラエティが生まれたのは良かったです。
実際、皆さんの自己紹介を聞いていると、人によってそれぞれの目玉焼きがあるんだなぁと思いました。


さて、自己紹介の前にはあわえ社の三宅さんから真鶴について軽く触れていただきました。
その中では、皆さんに真鶴の置かれた状況や、今回の目的をインプットしてもらいました。

続いては、私からkintoneの紹介を行いました。
まず私から聞いたのは、皆さんの中にkintoneを初めて触る方がどれくらいいるか、ということです。すると10名ほどの方がkintoneを触ったことがないそうです。
実際、事前に聞いていた話でも、何人かはkintoneを初めて触ると聞いていました。そのため、私のスライドの内容もかなり初心者向けかつコンパクトにしました(ちなみに今回初めてcanvaをkintone Caféのスライドに使いました)。

今回の紹介では、kintoneの基本機能では、地域課題を解決するには足りないと判断し、外部との連携の可能性を理解してもらうことが地域創生の肝だと考えていたので、外からのさまざまな情報をkintoneに流入させる方法やkintoneから外の媒体に情報を出力させるやり方について話をしました。

まぁ皆さんうなずいてくださったり一生懸命聞いてくださっていたので、少しは役に立ったのかなと思います。
スライド(kintone Café 神奈川 Vol.15 (canva.com))

さて、私の登壇の次は、いよいよ今回のメインの一つである山口さんによるグループワークです。


実は、皆さんが参加者が入室される際、真鶴の良いところを付箋に書いてもらい、窓に貼って貰いました。

そして山口さんの登壇では、まず、アイスブレイクとして、改めて参加者の皆さんに個人のやりたいことや希望願望を付箋に書いてもらい、窓に貼り出してもらいました。

この猛暑の中、ダウンジャケットが欲しいとか、旅行したいとかマンホールカードを取得したいとかYSL展に行きたいとか、真面目な学術的なことや、技術的な目標を書いてくださる方もいたり、とてもバラエティー豊かな内容でした。
こうやってアイスブレイクを設けるだけで、研修とはよく回るっていうのは私も経験上知っています。まさにその生きた実例が見られました。

実は、こうした事は、全て山口さんの周到な準備の一つでした。
山口さんのグループワークの手法はワールドカフェを踏襲しておられましたが、その上に山口さん自身による準備や山口さん自身のファシリテーション能力によって、とても良い形で議論が進みました。

4人ずつ5テーブルに分かれた各グループではとても熱心に議論が進みました。私たち運営側でも議論が円滑に進められるように、真鶴の方や真鶴以外から参加した方をテーブルごとに分散させた形で分けました。
それもあって、本当に皆さんが真鶴のことをよく考え議論してくださったと思います。

私が山口さんにお会いするのは今回が初めてでしたが、その進め方にとても感銘を受けました。

実は私も先日研修講師を100人ほどの方の前で行いました。そのご縁で別の研修講師の方の手腕も拝見し、最近私の中では、研修講師と言うキーワードがとてもホットです。

今回の山口さんの手法も今後どこかで参考にさせてもらいたいと思いました。
ワールドカフェの手法自体は、
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/ワールドカフェ
のリンクに書いてますので、ご参考にしていただければと思います。

このときの私の担当は、各テーブルから挙げられた解決策をホワイトボードに書き移す係。
それぞれが別々の課題と解決策を提示してくださっており、良い感じに散らばった結果となりました。真鶴の皆さんにも良いきっかけができたのではないでしょうか。

さて、ここで一度休憩をとり、水分補給や名刺交換等に時間を使ってもらいました。

続いては「真鶴の課題を語る」と題して、あわえ社の松木さんと、観光案内所の近くでhonohonoというお店を経営されておられる入江さんからそれぞれ10分ずつ真鶴の現状や課題を語ってもらいました。

今回のテーマは真鶴と言う神奈川県でも、唯一の過疎地域として認定されている町の課題をkintoneでどう解決するか、という事でした。
6700人を擁する街の人口も、年々減少しており、5000人を切る可能性も視野に入らなければならないそうです。
5000人といえば村から町になるための必要条件です。さすがに町になった後、再び村に格下げされることはあまりないそうですが、危機感も持たれている方が多いとの印象を受けました。
一方で、東京から見れば真鶴は熱海の手前であり、まだまだ可能性があるはず。今回も多くの真鶴の方が来ていただき、活発な議論が繰り広げられましたが、お二方の話も、まさにそうした議論をより裏付ける内容でした。

お二方の話の後は、藤村さんからkintoneを使った課題解決の提案と言うことで2つほど提案をしていただきました。

kintoneをよく存じ上げている藤村さんならではの提案は、これからの真鶴にとって参考になる情報のはずです。
その後、私も藤村さんとともにパネリストとして、皆さんの前に移動し、皆様からの質問やkintoneを使ってどのようにこの場で出た課題を実現していくかということをお答えしました。皆さんからも時間の許す限り、積極的に質問を行っていただき、私からもその場でお答えさせていただいたつもりです。

今回の反省点としては、ここをもう少しじっくりと掘り下げたかったところですが、ちょっと時間が足りなかったかなと言う感じです。

でも、私が皆さんからの質問に答える内容を真鶴町役場の中村さんが一生懸命ノートにメモしておられるのが印象的でした。きっとこの後、真鶴町でも地域課題の解決にあたっては、kintoneを使った仕組みを検討していただければ、私たちも本望です。期待したいと思います。

最後には恒例の全員写真。

さて、お楽しみの懇親会です。今回は観光案内所の目の前にあるお店の別部屋をお借りし、約七割ほどの方が残って歓談と懇親を楽しみました。

真鶴といえば魚です。真鶴の漁港で揚がったお魚のフライや刺身が美味しくて美味しくて。そこに真鶴みかんが添えられていたのが素晴らしい。

その他もきちんとお腹にたまるものもたくさんご用意していただき、我々も存分に食べて満足しました。

さて、一次会で何人かの方が帰られましたが、続いての二次会はなんと草柳商店と言うお酒屋さん。こちらはお店でお酒を買ってその辺で飲むことができます。このスタイルがとても新鮮で、かつ真鶴町に迎え入れられたと言う感触が得られました。それがとても嬉しかったです。
ここでも、皆さんの間では話が盛り上がりました。10人ほどの皆さんと楽しく会話ができました。もちろん、次のkintone Caféへのや仕事へのつながりもこの一次会と二次会で生まれました。
もちろん、そして真鶴の今後の事についても。

私としては、マンホールカードのことで盛り上がったり、私を指して現職の議員の方から議員に向いていると言われたことも印象に残りました。

そろそろ帰宅です。まだ夜の10時前だというのに暑い。汗が滝のように流れる中を駅まで歩きました。そして、おそらくはちゃんとそれぞれが家に帰れたはず。
真鶴も神奈川県の一部なのです。少し遠いけど。

それにしても今回は本当に楽しかったです。朝にお知らせを見てわざわざ遠くからきてくださった方もいれば、通り掛かって参加してくださった真鶴の方もいました。神奈川県の全域から様々な人が参加し、とても盛り上がりました。

毎回やる度にやって良かったと感動するkintone Caféですが、今回も100%以上の満足感が残りました。反省点もありましたが、kintone Caféの新しいあり方が作れたような手応えがありました。

まずは今回参加してくださった方、登壇してくださった方、ありがとうございました。また、企画段階から関わっていただき、場所を用意してくださったり、相談もしてくださった株式会社あわえのお二方や、素晴らしいグループワークを進めていただいた山口さん、お店の皆さんやその他真鶴の皆さん、本当にありがとうございました。

もう一度、いや、何度でも真鶴には来たいと思います。


「ご当地もの」と日本人


本書を読んでいる最中、商談の後に神奈川県立歴史博物館を訪れた。
「井伊直弼と横浜」という特別展示をじっくり楽しんだ。

すると、神奈川県立歴史博物館のゆるキャラこと「パンチの守」が現れた。私は館内を鷹揚に巡回する「パンチの守」を追った。「パンチの守」が博物館の表玄関に出て迎えたのは彦根市が誇るゆるキャラこと「ひこにゃん」だ。
全くの偶然で二体のゆるキャラの出会いを見届けられたのは望外の喜びだった。
しかもそのタイミングが本書を読んでいる最中だった。それは何かの暗合ではないかと思う。

私はゆるキャラが好きだ。地方のイベントでも会うたびに写真を撮る。

私が好きなのはゆるキャラだけではない。

私は旅が大好きだ。月に一度は旅に出ないと心身に不調が生じる。
ではなぜ、旅に出るのか。それは日常にない新奇なものが好きだからだ。

日常にない新奇なものとは、私が普段生活する場所では見られないものだ。その地方を訪れなければ見られないし、食べられないもの。それが見たいがために、私はいそいそと旅をする。

例えば寺社仏閣。博物館や城郭。山や海、滝、川、池。美味しい名物や酒、湯。珍しい標識や建物。それらは全てご当地でしか見られないものだ。
もちろん、食べ物や酒はアンテナショップに行けば都内でも味わえる。郷土料理のお店に行けば現地で食べるのと遜色のない料理が味わえる。
でも違う。これは私の思い込みであることを承知でいうが、地方の産物はやはり地方で味わってこそ。

他にもご当地ソングやご当地アイドルがある。地方に行かなければ存在にも気づかない。でも、現地に行けばポスターやラジオで見聞きできる。

私などは、ご当地ものが好きなあまり、地方にしかない地場のスーパーや農協にも行く。必ず観光案内所にも足を運ぶ。もちろん駅にも。

そうした私の性向は、ただ単に旅が好きだから、日常にないものが好きだから。そう思っていた。

だが、著者は本書でより深い分析を披露してみせる。
著者によると、ご当地意識の発生については、律令国家の成立の頃、つまり奈良時代にまで遡れるという。
当時、大和朝廷には各地から納められた物品が届いていた。いわゆる納税だ。租庸調として知られるそれらの納税形態のうち、調は各地の名産を納めることが定められていた。
地方からの納税の形で、大和には各地の風物の彩りに満ちた産物が集まっていた。

大和が地方を統べるためには、役人も派遣する。国司として赴任する役人も、地方と大和の赴任を繰り返していた。地方ではその地の新鮮な産物を楽しんでいたはずだ。例えば魚は、大和では干物でしか手に入らないが、現地では生魚として刺し身で味わえたことだろう。干物とは違う新鮮な風味に満足しながら。

各地の名産を納めさせるためには、その地の状況を把握しなければならない。だから、各地の風土記が編まれた。著者はそう推測する。

大和朝廷と地方を行き来する役人の制度は、江戸時代になり参勤交代が制度に定められたことで強固なものとなった。それが260年近い年月も続けられたことにより、日本人の中にご当地意識として根付いたのだと著者は説く。

実際、他の国々では日本ほどご当地にこだわらないのだという。その理由を著者は、日本の国土が東西南北に広く、海と山の多様な起伏に恵まれているため、土地によって多様な産物があるためだと考えている。

江戸時代から各地の産物の番付表があったこと。春夏の甲子園が地方の代表としての誇りを胸に戦うこと。県民性の存在が科学的に実証されていること。地域性を実証する団体として、県人会の集まりが盛んであること。

そう考えると、私も東京に住んで二十年近くになるが、いまだに故郷への愛着は深い。マクドナルドはマクド。野球は阪神タイガース。そのあたりは譲れない。

私は、クラウドを使ったシステム構築を専業にしている。だから、合理的な考え方を尊んでいるつもりだ。だが、故郷への愛着はそうした合理性の対象外だ。そもそも比べること自体がナンセンスで、価値の範疇が違っている。
それは当然、私だけでなく日本の多くの人に共通した考えだと思っている。

東京は私のように各地から集った人の持ち寄る文化や価値の違いが渦を巻いている。顔には出さずとも、それぞれが違う県民性を抱く人の集まり。だからこそ、各人が鎧をまとって生きている。皆が仮面をかぶって生活をしているから、こんなに冷たい街になったのだ、という論はよく聞く。

著者は本書でさまざまなご当地ものの実情を挙げていく。その中で、ご当地ものにも光と影があることを示す。
ゆるキャラの成功が経済効果をもたらした自治体もあれば、いつのまにかひっそりと姿を消し、お蔵入りを余儀なくされたゆるキャラもいる。

また、商品に産地を名付けることの規制が整っていないこと。それが傍若無尽な産地を騙った手法の蔓延につながっていることにも警鐘を鳴らす。
著者が例として示すように、縁日の屋台に描かれた富士宮焼きそばや中津から揚げの文字は本当に産地の製法を使っているのかという疑問はもっともだと思う。さらにいうと、製法はその土地の手法をまねていても、果たして素材はその土地のものなのか。つまり地産地消でなくても良いのか、という疑問まで生じる。

また、ゆるキャラの著作権の問題も見過ごされがちだ。本書ではひこにゃんの著作権訴訟も取り上げている。著作権について述べられている章は、私が神奈川県立歴史博物館でひこにゃんを見てすぐに読んだため、印象に残る。

今、戦後の経済発展が、似たような街をあちこちに作ってしまった反動がご当地キャラに現れているとの分析はその通りだと思う。各地が画一的だからこそ、無理やり地域に結びつけた名物を創造し、違いを打ち出す必要に駆られている。それが今のゆるキャラの過当競争になっている事実など。

著者はそうした負の面をきちんと指摘しつつ、地域の多彩な名物が日本の魅力の一つとして、諸外国にアピールできる可能性も指摘する。
オリンピックを控えた今、日本には有名観光地だけでない魅力的な場所を擁していることも。

地方の活性化をなんとかしてはかりたい、東京一局集中の弊害を思う私には、本書は参考となった。

‘2020/02/21-2020/02/26