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スコッチウィスキー紀行


私がウイスキーの魅力にはまってから、長い年月が過ぎた。
そのきっかけとなった日の事は今でも覚えている。1995年8月5日から6日にかけてだ。
当時、広島に赴任中だった大学の先輩の自宅で飲ませてもらった響17年。この時に味わった衝撃から私は飲んべえに化けた。

その前日は原爆ドームの前でテントを張った。響に耽溺した翌朝は、原爆投下から50年を迎えた瞬間をダイ・インで体感した。
そうした体験も相まって、ウイスキーの魅力に開眼した思い出は私の中に鮮烈に残っている。
以来、20数年。ウイスキーの魅力に開眼してからの私は、ウイスキーを始めとした酒文化の全般に興味を持つようになった。

ウイスキーを学ぼうとした当時の私のバイブルとなった本がある。
その本こそ、本書の著者である土屋守氏が著した『モルトウイスキー大全』と『シングルモルトウイスキー大全』だ。

著者の土屋氏には、今までに二回お会いしたことがある。
初めてお会いしたのは、妻と訪れた埼玉のウイスキー・フェアだった。ブースには人がまばらで、一緒にツーショット写真を撮っていただく幸運にあずかれた。懐かしい思い出だ。
二度目はWhisky Festival in Tokyoの混雑した会場の中で友人と一緒の写真に入っていただいた。
忙しいさなかに、大変申し訳なかったと思っている。
もちろん土屋氏は私のことなど覚えていないはず。

本書は、世界のウイスキーライターの五人に選ばれた著者がウイスキーの魅力を語っている。
本書はTHE Whisky Worldの連載をベースにしているそうだ。THE Whisky Worldとは、土屋氏が主催するウイスキー文化研究所(古くはスコッチ文化研究所)が発行していた雑誌だ。
その研究所が出版する酒に関する雑誌は、WHISKY Galoreとして名を一新した後も毎号を購入している。さらに書籍も多くを購入してきた。
そのどれもが、情報量の豊富さと酒文化に対する深い愛情と造詣に満ちており、私を魅了してやまない。多分、これからも買い続けるだろう。

本書はスコッチの本場を訪れた記録でもある。
冒頭に各地域や蒸留所の写真がカラーで載っている。
その素朴かつ荒涼とした大地のうねり。その光景は、私の眼にとても魅力的に映る。
荒涼とした景色に魅せられる私。
だからこそ、そこから生まれるウイスキーにハマったのかもしれない。

よく知られているように、スコッチウイスキーという名前だが、複数の地域によって特徴がある。
アイラ、スペイサイド、ハイランド、ローランド、その他ヘブリディーズ諸島やオークニー諸島のアイランズウイスキー。
今のウイスキーの世界的な盛況は、スコッチの本場にも次々と新たな蒸溜所を生んでいる。
そのため、本書に登場する蒸留所の情報は少しだけ古びている。10年前のウイスキーの情報は、目まぐるしく活気のあるウイスキー業界ではすでに情報としては古びている。毎年のように新たな蒸留所が稼働をはじめ、クラフト・ディスティラリーを含めるとその数はもはや数えられない。

だからといって、本書に価値がないと思うのは間違いだ。
本書は世界的なウイスキーブームに沸く少し前の情報が載っているため、むしろ信頼できると思う。
今や、あらゆる蒸留所が近代化に向けて投資を進めている。その一方で、古いやり方を守り続ける蒸留所も本書にはたくさん紹介されている。

先にも書いたとおり、著者はウイスキー文化研究所と言う研究所を主催している。そのため著者が著わす文章や情報からは、スコッチウイスキーに関してだけでなく、スコットランドを包む文化についての知識も得られる。
特に本書の第二部「ウィスキーと人間」では、スコットランドの歴史を語る上で欠かせない人物が何人も取り上げられている。
その一人は長崎のグラバー園でもお馴染みのトーマス・ブレイク・グラバーだ。マッサンこと竹鶴正孝氏の名前も登場する。また、ウイスキーの歴史を語る上で欠かせないイーニアス・コフィーであったり、アンドリュー・アッシャーといった人々も漏れなく載っている。また、意外なところではサー・ウィンストン・チャーチルにも紙数が割かれている。
それぞれがスコットランドもしくはウイスキーの歴史の生き証人である。
ウイスキーとは、時間を重ねるごとにますますうま味を蓄える酒。それはすなわち、歴史の重みを人一倍含む酒だ。その歴史を知る上で、ウイスキーに関する偉人を知っておいたほうがいいことは間違いない。

第三部は「ウィスキーをめぐる物語と謎」と題されている。
例えば、日本人が初めて飲んだウイスキーのこと。また、ウイスキーキャットにまつわる物語について。かと思えば、ポットスチルと蒸留の関係を語る。そうかと思えば、謎に包まれたロッホ・ユー蒸溜所も登場する。また、グレン・モーレンジの瓶に記されている紋章の持ち主、ピクト族も登場する。また、ロード・オブ・ジ・アイルズの島々の歴史や文化にも触れている。

第三部を読んでいると、ウイスキーをめぐる物語の何が私を惹きつけるのかがわかる。
それは、ケルト民族の謎に包まれた歴史だ。
ケルト民族が現代に残したロマンは多い。ウイスキー、ドルイド教、ケルト十字、ストーンヘンジ。
それらはおそらく目に見えない形で、現代の遠く離れた日本にも影響を与えているはずだ。
それらが謎めいていればいるほど、そして私たちを魅了すればするほど、ケルト民族に対する興味が湧いてくる。
スコットランドを訪れ、ウイスキーを愛でることは、すなわちケルト民族の魂を今に受け継ぐことに他ならない。

西洋の歴史を語る上で、ローマ帝国とキリスト教は欠かせない。
だが、その波に飲まれてしまい、歴史から消えた民族たちが独自の輝きを放っていたことを忘れてはならない。
消えてしまった民族の中でも、筆頭に挙げられるのがケルト民族であり、その痕跡を知ることは、自分たちのルーツを探る上で参考になる。
そうした意味でも本書は、ケルト民族を振り返るガイドブックになりうるはずだ。

今の科学は世界を狭くした。
だが、狭くなった世界は、人々を集約された情報と発達した文明で囲み、人々を都市に押し込めている。自由になったはずが、息苦しくなっているように思う人々もいるだろう。
中央へ、集権へ。そんな昨今を過ごす私たちからみれば、辺境の地にあって、かくも豊かな文明を生み出したケルト民族の姿は、同じ辺境に住む日本人からみても、何か相通ずるものを感じる。
両者が日本酒やウイスキーといった銘酒を生み出した民族であることも、なにやら共通の理由がありそうだ。

今の私たちは、世界中の酒文化を楽しめる。それは間違いなく幸運なことだ。
そして、ウイスキーは今も進化し続けている。
進化するウイスキーの豊かな状況はスコッチだけにとどまらない。バーボン、アイリッシュ、カナディアン、ジャパニーズも同様。
だからこそ、著者の活躍する範囲は多い。
折に触れて読んでいる著者のブログからも著者の忙しさが感じられる。
本書の情報だけに満足せず、著者のブログやWHISKY Galoreといった雑誌を読みながら、より知識を深めていきたいと思う。

‘2019/5/8-2019/5/9


竹鶴政孝とウイスキー


ジャパニーズウイスキーが国際的に評価されている。

最近はジャパニーズウイスキーの銘柄が国際的なウイスキーの賞を受賞することも珍しくなくなってきた。素晴らしい事である。ウイスキー造りには勤勉さと丁寧さ、加えて繊細さが求められる。風土、環境以外にも人の要因も重要なのだ。日本にはそれら資質が備わっている。近年になってジャパニーズウイスキーが賞賛されている理由の一つに違いない。

今のジャパニーズウイスキーの栄光は、全てが本書の主人公である竹鶴政孝氏の渡英から始まった。まだ日本に洋酒文化が根付かず、ウイスキーの何たるかを日本人の誰も知らぬ時代。そんな時代に竹鶴氏は単身スコットランドで学ぶ機会を得た。そして、そこで得た知見を存分に発揮し、日本にウイスキー文化の種を蒔いた。山崎、余市、宮城峡。どれもがジャパニーズウイスキーを語る上で欠かせない蒸留所だ。竹鶴氏はこれら蒸留所の設計に欠かせない人物であった。

それらの蒸留所を設計するにあたり、竹鶴氏が参考としたのは自らがスコットランドで実習した成果をノートにまとめたものだ。通称竹鶴ノート。

この竹鶴ノート、実は私は見かけたことがある。見かけただけでなく、手にとってページを繰ったことさえある。本書でも触れられているが、以前六本木ヒルズで竹鶴ミュージアムというイベントがあった。そこでは竹鶴ノートの現物が展示ケースに収められていた。私ももちろんじっくりと拝見した。さらに後日、麹町のbar little linkさんでは、関係者に限り複製頒布されたノートを見、それだけだけでなくページまで繰らせて頂いた。

竹鶴ノートの細かな描写からは、求道者の熱意が百年の時を超えて感じられる。日本に本場のスコッチウイスキーを。考えてみれば凄いことだ。あれだけの原材料をつかい、あれだけの時間をかけて熟成される製品を、ノートと記憶だけを頼りに地球の裏側にある日本で再現するわけだから。ITの恩恵に頼り切った現代人にはとてもできない芸当だ。

そんな求道者の風格を備えた東洋人に、リタ夫人が惹かれたのも分かる気がする。当時、どこにあるかも良く知らない東洋の国日本。スコットランドの女性が国際結婚で向かうには人生を賭けねばならない。そんな決断を下し、日本に来た竹鶴夫妻の日々は、想像以上にドラマチックだったことと思う。それが今「マッサン」としてNHKで朝の連続ドラマとなる。素晴らしいことだ。店頭から竹鶴や余市、宮城峡といった年数表示のモルトウイスキーが姿を消すぐらいに。「マッサン」は日本人にもわが国にこれほどのドラマと、これほどの魂のこめられた製品があったことを知らしめたと思う。

本書が「マッサン」を機に企画された事は否めない。だからといって、本書は単なるブーム便乗本と判断するのは早計だ。そうでない事は本書を読めば一目瞭然。なぜならば、「マッサン」のウイスキー考証は、我が国ウイスキー評論の第一人者である著者が担当したからだ。そして本書は考証の成果の一環として書かれた事は明らかだ。本書はいわば「マッサン」の副産物として世に出たといえるだろう。だが副産物とはいいながら本書は「マッサン」の絞りかすどころか、さらに深い内容を含んでいる。

本書の構成は三部からなっている。第一部は、マッサンとリタの歩みを概括している。それも単なる「マッサン」の粗筋ではない。日本の洋酒業界事情もそうだが、竹鶴氏の生い立ちから筆を起こしている。竹鶴氏が広島の竹原で今も日本酒醸造を営んでいる竹鶴家の一族である事はよく知られている。本書はその辺りの事情からなぜ摂津酒造に入社したのかと言う事情にも触れている。さらには摂津酒造の社長阿部氏が政孝青年をスコットランドにウイスキー留学させようとした経緯までも。もちろんスコットランドでの竹鶴夫妻の馴れ初めや修行の様子、日本に帰ってからの壽屋入社と大日本果汁の設立といった足取りもきちんと押さえている。

続いての第二部は本書の肝だ。竹鶴ノートが著者の注釈付きで全文掲載されているから。日本にウイスキーをもたらした原典。それはすなわち当時の本場ウイスキー製造の様子を伝える一級資料でもある。そして竹鶴ノートはウイスキー製造の時代的な変遷を追う上で優れているだけではない。今はなき蒸留所の製造事情を伝えていることも貴重なのだ。竹鶴氏が実習したヘーゼルバーン蒸溜所は今はもうない。ヘーゼルバーンがあったキャンベルタウン地区も、当時はスコッチ先進地域だったにもかかわらず衰退してしまった。今でこそスコットランド各地で蒸溜所が次々と復活・新設され、シングルモルトブームに湧いているが、それでもなお、キャンベルタウンには復活した一つを加えても三つしか蒸溜所がない。竹鶴氏が留学した当時はキャンベルタウンにある蒸留所の数は二十をくだらなかったというのに。その意味でも竹鶴ノートは貴重な資料なのだ。

竹鶴ノートの内容もまた凄い。書かれているのは精麦から発酵、蒸留、そして貯蔵・製樽といったウイスキー製造工程だけにとどまらない。従業員の福利や勤務体制など、当時の日本からみて先進的な西洋の制度まで書かれている。一技術者に過ぎなかった竹鶴氏がウイスキー作りの全てを吸収しようとした意欲と情熱のほどが伺える。著者が今の視点から注釈を入れているが、竹鶴ノートの記述に明らかな誤りがあまりないことも重要だ。それは竹鶴氏が本場のウイスキー作りを真剣に学んだために相違ない。後年、イギリスのヒューム副首相が来日した際に語った「スコットランドで四十年前、一人の頭の良い青年が、一本の万年筆とノートでわが国の宝であるウイスキー造りの秘密を盗んでいった」という言葉は、竹鶴ノートの重要性を的確に表している。それももっともとだと思えるほど、竹鶴ノートは正確かつ実務的に書かれている。学ぶとは、竹鶴氏がスコットランドで過ごした日々を指すのでは、とまで思う。決して頭の中の理論だけで組み立てた成果ではないことを、後世のわれわれは教訓としなければならない。(もっとも山崎蒸溜所建設の際、蒸留釜と火の距離を調べ直すために竹鶴氏はスコットランドを再訪したらしい)

第三部では著者が竹鶴威氏にインタビューした内容で構成されている。竹鶴威氏は政孝氏の甥であり、実子に恵まれなかった竹鶴氏とリタ夫人の養子として迎えられた人物だ。竹鶴氏とリタ夫人をよく知る人物として、本書に欠かせない方である。それだけではなくニッカウヰスキーの後継者として夫妻の期待以上の功績を残した方でもある。マスターブレンダーとしてもニッカウヰスキーに世界的な賞をもたらしている。竹鶴威氏へのインタビューは、竹鶴家の歴史や広島原爆や東京大空襲の遭遇、政孝氏やリタ夫人との思い出、ニッカ製品の変遷など幅広い話題に飛びながらも面白い。

著者はおそらく「マッサン」の考証にあたっては竹鶴ノートは熟読したことだろう。竹鶴氏の洋行やニッカウヰスキーの歩みをとらえ直したことだろう。そして竹鶴威氏とのインタビューによって竹鶴氏の生涯にほれ込んだのではないか。そしてそれは私も同じ。

私が幼稚園まで住んでいた家は、ニッカウヰスキー西宮工場のすぐ近くだった。なので私の脳裏には”ニッカウイスキー”ではなく”ニッカウヰスキー”の文字が染み付いている。後年、22、3歳の頃からウイスキー文化に魅了された私が、神戸の高速長田駅の古本屋で非売品の竹鶴氏の自伝を見つけた時も不思議なご縁を感じた。余市蒸留所には二度ほど訪れている。また、本書が発売されて一年後、私は著者と言葉を交わし、ツーショット写真も一緒に写って頂いた。そんな訳で、本書はとても思い入れのある一冊なのだ。

‘2016/05/01-2016/05/03