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家族で沖縄 2018/3/28


沖縄旅行も三日目。この日、当初の計画では首里城を訪れるつもりでした。ですが、訪問したのは違う場所。私たちが訪れたのは海中道路、浜比嘉島、そして伊計島でした。なぜ急に行き先を変えたのか。それはおとといの夜にパワースポットとしてシルミチューとアマミチューの墓を、そして昨日の夕食会では海中道路を薦められたからです。

薦められて今回訪れた場所はどこも全くの計画外。そもそも情報すらありません。さて、どんな所だろうと思いながら訪れた場所のどこもが素晴らしかった。

高速道路で北上し、途中から一般道へ。市街地を走ってたどり着いたのは海中道路入口。昨日、行きたかったのに行けなかったのは今帰仁城だけではありません。その近くにある古宇利大橋も走りたかったのです。ところが、美ら海水族館で時間を使い切ってしまいました。昨日見られなかった海と道路の織りなす美しい景色を見たいと思い、私は海中道路にやってきました。この海中道路、走っているとそれほどドラマチックな景色には出会えません。なぜなら平坦だから。海中道路の途中にある海の駅あやはし館の二階にあるうるま市立海の文化資料館で知ったのですが、海中道路は住民たちが自らの力で海を埋め立て、作った道路だというから驚きです。その際は米軍のブルドーザーも借りたといいますが、実質の作業は住民によってほとんどが担われたそうです。それだけ平安座島、浜比嘉島、宮城島、伊計島の四島の人々が抱く本土への交通手段への思いが強かったに違いありません。そうした人力で作り上げられた道路だから、高低差がなく、橋の風景がよく見える場所はあまり見当たりません。海の駅あやはし館にも展望台はありますが、そこでも全貌はよく見えませんでした。海中道路を通り過ぎ、いよいよ島へ乗り込んだ私たち。すぐに浜比嘉大橋を渡ります。渡った先は浜比嘉島。何の変哲もない島に見えます。ですが、この島は沖縄の神々が最初に住み着いたところなのです。

おとといに訪れた知念岬の近くの斎場御嶽は琉球で最も聖なる地。斎場御嶽から海の向こうに浮かで見える久高島は、琉球に神々がやってきた地と伝えられています。今に伝わる琉球開闢にまつわる神話。その神話に登場する神々の墓がこの浜比嘉島に残っているのだとか。アマミチューの墓は海辺沿いにある周囲20~30メートルほどの小島に鎮座しているというので、車を停めて訪れてみました。小島との距離は数メートル。なのでコンクリートの小道でつながっています。お墓はなんの飾りも装いもなく、島の中に慎ましやかにありました。コンクリートの歩道の手前に「アマミチューの墓」の看板がなければ、墓であることすら気づかないかも。でも、お墓とはそもそもこうした素朴なものなのかもしれません。ただ、この小島、あまりにも観光地化されていません。以前の台風で打ち上げられたと思われるゴミが撤去されずにたまっています。そこがちょっと残念といえば残念でした。でも、お墓の前に広がる浜辺から見た浜比嘉大橋と根本が波にえぐられた岩のコントラストは美しく、墓とあわせて一見の価値はあります。

私はその後、その周辺の集落を歩き回ってみました。この辺りには沖縄本土を席巻する都市化やアメリカ型の暮らしは及んでいないようです。沖縄に特有の屋根の低い家。そして石組みの塀とそれに挟まれ入り組んだ狭い道路。それらは素朴な風情を残していました。私はそうした光景をじっくりと目に焼きつけ、街並みを歩きました。

ついで車で向かったのはシルミチューの墓。そこは神社のような鳥居があり、そこを潜ると緩やかな階段が参拝者を上へと導きます。その様はまさに本土の神社そのもの。その上を目指して進んでいくと岩屋があります。そこがシルミチューの墓です。柵があって岩屋の奥の洞には入れませんが、上から枝垂れた植物の枝が岩屋と洞を彩り、一層厳かな雰囲気を漂わせています。神秘的な場。ここは娘たちにとってはあまり興味のない場所だったかもしれません。ですが、琉球の文化を語る上では欠かせない場所。私はここに来て良かったと思います。教えてくださった方に感謝です。せっかくなのでその近くの岩場をゆっくりと家族で散策。岩場と砂地が複雑に入り組んだ地形に海水が浸透し、干潟を作り上げています。いろいろな魚や貝も見ました。ここで私たちは、イカの骨と思われる謎の平たい物体を見つけ、大切に持ち帰ります。

さて、浜比嘉島を去る時がきました。この後の行動は全くのノープラン。島々の奥の方にビーチがあると聞いており、そこで時間を過ごそう、とだけ決めていました。平安座島、宮城島の向こう、伊計島へとビーチを求め、車を走らせます。

途中、大規模な石油タンク群が見えます。行きの飛行機からも見えた景色です。ボタンが多数並んだような沖縄にそぐわない光景。その横を車で走りながら、これもまた沖縄の一つの現実だと思いつつ車を走らせます。実はこの日の早朝、私は一人でゆいレールの県庁前駅を訪れました。趣味の駅巡りの一環として。沖縄の行政の中心であり、にぎわいの象徴でもある国際通りを擁する中心。ところがモノレールに沿って下を流れる久茂地川の色はどんよりと濁り、川からはドブのにおいが濃厚に漂ってきます。沖縄でありながら、那覇はすでに都会の汚濁をこれでもかと身にまとっています。そんな沖縄の別の現実を突きつけられた朝。ところが石油タンク群を過ぎ、さらに道を進むと、沖縄ののどかな風景に出会えます。

時々見かけるビーチの看板に導かれながら、私たちがたどり着いたのは大泊ビーチ。その手前にも、別のビーチがありましたが、私の勘が一番奥にあるビーチへと進ませるのです。大泊ビーチは有料でした。でも、勘に従って良かった。有料だけあって、ここはとても素晴らしいビーチでした。入り口からして、離島の風情がみなぎっています。音楽がのんびり流れる小屋と、のどかに寝そべる猫が私たちをお出迎え。そこから浜辺へ下る小道を進むと、そこは誰もいないビーチ。完全に貸し切り。広大なビーチが私たちの思うままに使えます。もう、ただただ感動。妻と娘たちはここで、浜辺に落ちているガラスや貝をひたすら拾い集めます。その種類の豊富さだけでも見飽きません。普通に店で売られていてもおかしくないカラフルで小粒な貝が浜辺に散らばり、陽光にきらめいています。これぞ沖縄。一昨日、昨日とビーチには訪れましたし、そのどこもが本土では出会えない美しさです。ですが、大泊ビーチはその中でも一番でした。

今回、泳ぐための道具は持ってこなかったので、海には入りませんでした。ですが、沖まで行こうと思えば行けます。かなたには沖縄本島も見えます。ここではいっとき、文明から切り離されず、それでいて文明を忘れられます。

しばらくすると他の人々もやって来ましたが、それでも広大なビーチには多くても十人がいるだけ。私たちがほぼ独占する状態に変わりありません。望んでも望めないぜいたくな空間と時間。一人500円の値段も惜しみないと思えるほどの。波打ち際で遊び、ベンチに座り、ぼーっと海を見る。それはまさに南国のリゾートの過ごし方。ここ10年近く、家族を南国やハワイに連れてきていません。今回の旅が、妻にとってハワイのかわりになれば。少なくとも大泊ビーチはホノルルのビーチよりもダントツで美しく、圧倒的にきれい。それほど、ここの海は美しかった。2、3時間このビーチで過ごしたでしょうか、そろそろ行かねばなりません。

帰るにあたり、伊計島をぐるっと回って見ました。まず、伊計島灯台。ビーチからも見えていた灯台にはぜひ行って見たいと思っていました。離島に立つ灯台。人が常駐せず、無人でただ海を見守る存在。それはまさに最果ての旅情そのもの。私はその前でしばしたたずみ、旅の空を見上げました。この辺り、見渡す限りの畑が広がり、それも旅情を一層促します。何の作物が育っているのかはわかりませんが、私の好きな景色です。

海中道路へ戻る途中、ぬちまーす塩の工場に寄ります。ですが、中には入りませんでした。ぬちまーす塩は妻が愛用しています。が、すでに国際通りで買い込んでいました。なので工場には寄らなくて良いと妻が言うので次の場所へと向かいます。そこはキングタコスのお店。おとといの夜、国際通りで出会った妻の患者さんから教えてもらったお店です。私たちが訪れたのはまさに街の食堂と呼ぶに相応しい店でした。そして、出されたキングタコスの武骨な感じと言ったら。それはまさに庶民の味。私は特においしいおいしいと食べました。娘たちにはちょっと量が多く、しかも味が単調だったようでしたが。こういうお店を訪れるのも旅の楽しみです。

刻々と、飛行機の時間が迫りつつあります。まだ沖縄にとどまっていたい。満喫したい。焦りにも似た思いを抱きながら、私は車を駆ります。そんな私の目に映ったのは勝連城跡の標識。ここに寄ってみようじゃないか、と妻を誘います。なぜなら昨日、今帰仁城に寄れなかったから。今回の旅でまだ達成できていない事があるとすれば、それは城の訪問。

そう思って訪れた勝連城でしたが、これがまた素晴らしかった。麓から見上げる城の様子は、勇壮さと威容を兼ね備えています。城の権威がここまで体現された城は本土でもそうは見られません。しかも勝連城には天守がありません。石垣の遺構だけでこれほどの印象を受けるとは思いませんでした。私にとって勝連城の第一印象とは、本土で出会ったどの城より強烈でした。

麓の駐車場に車を停め、娘たちは城に興味がないと言うので私と妻の二人で城を登ります。登って行くと、次々と曲輪が現れます。それらは本土の城と遜色がなく、むしろ勝連城が十五世紀に建てられたことを考えると、本土よりも進んでいると言えましょう。各曲輪は広々としていて、四の曲輪ではなぜか、コスチュームに身を包んだ五人の戦隊が、何やら収録らしきものをしています。近くに寄らなかったので推測ですが、五人の正体はうるま市の観光の戦隊モノ、闘牛戦士ワイドー!だと思われます。私たちはそれを上から見つつ、標高を刻むにつれ変わりゆく城の姿を楽しみました。勝連城は阿摩和利が反乱を起こした際、立て籠った地だと伝わっています。それは十五世紀。日本の戦国時代よりさらに前に、大きな嵐が琉球で起こりました。その嵐は尚氏による琉球の統一を確かにしました。琉球の歴史において、欠かせない舞台になったのがここ勝連城。それだけの重みと、時の流れが石組みの一つ一つにしみこんでいるように思えます。それを感じながら、天守台からの景色を堪能します。ここからの景色がまた素晴らしい。走っているときには感じられなかった海中道路の全体が一望のもとに見えます。南に目を転ずれば、おととい訪れた知念岬が。全てがきらめき、海の恵みの広がりが感じられる。それが勝連城。阿摩和利がここに城を立てた必然が実感できます。

この勝連城、私が今までに訪れた城の中でも鮮烈な印象を残しました。あまりにも。その印象をより確かなものにしたい。まだまだ長い時間ここにいて琉球の風を感じていたい。南国の陽の光を浴びていたい。しかし、そろそろ飛行機の時間を意識しなくてはなりません。城の資料館で勝連城の歴史をざっと見て、琉球の歴史の本を買い、国際通りへと車を飛ばします。国際通りでは、娘たちと家族で最後のお土産を買い回りました。例えば妻はサメの歯でできたアクセサリーを買います。娘たちもお土産を買います。私は、国際通りの近くにある市場本通り、市場中央通り、むつみ橋商店街を冷やかし、那覇の騒がしさとエネルギーを耳になじませます。

いよいよ、車でレンタカーを返しに行きます。今回、この車にはとてもお世話になりました。沖縄観光はレンタカーが一番ですね。レンタカーを返し、来た時と同じ送迎バスで空港へ。空港では、名残を惜しむようにお土産を買い、そして機上の人に。羽田に着いたのは深夜。でも充実した三日間が過ごせました。お世話になった方々に感謝です。


家族で沖縄 2018/3/26


思い切って家族で沖縄へ、と妻が企画したのが今回の旅。その前触れには、二月に修学旅行で沖縄に行った長女の意向があります。その中で長女はアブチラガマに行き、ボランティアのガイドさんの話にとても感銘を受けたのだとか。そのガイドさんの名前は忘れたけど、お礼が言いたい、という長女の想いを実現させることが今回の目的です。

4月からは娘たちが二人とも受験生に。旅行にはそうそう行けなくなる。それを見越しての今回の旅です。これが家族四人の最後の旅になるかもしれない、との思いで。

Am6:30に羽田を発つSkymark511便に乗るため羽田へ。私は昨年の沖縄ひとり旅の時と同じく、パソコンを持参して来たので、搭乗口の近くでしばし作業。そして睡眠。まだ寒さを感じる羽田の早朝から、9:30に那覇空港へ。とたんに陽気が体を包みます。一気に旅気分。ここは沖縄。家族でそろって飛行機に乗って出かけるのは1年半ぶり。皆が高揚します。那覇に着いたらすぐにレンタカーの送迎バスに乗りました。昨年の一人旅ではレンタカーの手違いで時間を無駄にしました。その時と同じ轍は踏みますまい。

さて、レンタカーを借りたわれわれは一路、アブチラガマへと向かいました。道中、沖縄の空気や雰囲気を存分に味わいながら街を流します。次女はすでに興奮しています。無理もありません。次女がリゾート地に来るのはずいぶん昔にフラの大会に出るためハワイを訪れて以来ですから。道沿いのあらゆるお店に突っ込みと笑いと解説を交えています。こういう時、家族を連れてきて良かったと思います。

車はカーナビに従いアブチラガマへ。ところが事前に予約しておいたアブチラガマの見学時間は午後。なのでカーナビの目的地を変更。知念岬に狙いを定めます。知念岬。そこは昨年、私がひとり訪れた地。近くの斎場御嶽ではいたく感動し、琉球で最も聖なる地の厳粛さが今もまだ息づいていることを全身で受けました。そこは私に命を吹き込んでくれました。

今回、旅の開始を知念岬にしたのは良かった。まず最初に沖縄の海の美しさを家族に見せられたから。折りしもパラグライダーがすぐ上空を飛び回っており、海はどこまでもきらめいて青。海の向こうに久高島が横たわり、凪いだ海は平和そのもの。 昨年、私が訪れた際は台風の翌日でした。そのため空も海も台風がかき回した痕跡を荒々しく残していました。今年は波打ち際まで独り向かい、海の透き通る美しさをじっくりと味わいました。その間、娘たちと妻も知念岬の公園でのんびり。海と空の広がりを全身で感じてくれたはず。

知念岬公園を堪能した後は道の駅に寄りました。まだ沖縄で何も食べておらず、最初の沖縄料理はここでおいしい沖縄そばやロコモコ。ちょうど糖質オフダイエットをしている最中でしたが、沖縄そばとあれば食べないというのが無理です。沖縄の海を見ながらとてもおいしい食事のひとときを過ごしました。本来ならば近くの斎場御嶽にも連れて行ってやりたかったのですが、アブチラガマの時間が迫ってきたため次の場所へと移ります。

娘が修学旅行で訪れたアブチラガマ。そこは沖縄戦で起こった悲劇を今に伝える場の一つ。沖縄戦では多くの兵や住民、そして動員学徒が米軍に追い詰められました。その場所が今もなお、残されています。それもリアルなかたちで。その地の底には光は届かず、生と死のはざまが闇に凝縮されています。押し込められた深い苦しみ。それを発散することもできない漆黒。そんな闇の中で兵隊や看護学生が閉じこもり、出口の見えない絶望を味わっていました。今回、私たちをご案内してくださったガイドの方は石嶺さんといいます。長女が修学旅行で教わったガイドさんとは別の方だったようですが、とても精力的かつ情熱的な語りをされる方で、私たちはその語りから地の底に何があり、地上の歴史からどう隔絶されているのかを学びました。

アブチラガマ。その入り口は観光地にありがちなこと様相とは程遠い。もちろん、チケットの売り場らしき小屋はありますが、壕の入り口自体は何の飾りもありません。

入るとすぐ中は真っ暗です。懐中電灯がないと何も見えません。漆黒の闇。壕の外がどうなっているのか何もわかりません。わずかな湧水、それも岩から浸み出すようなわずかな水だけが全て。この湧水を頼りに人々は生きながらえました。石嶺さんは私たちにこの真っ暗な中の絶望と孤独、そして生きていることの大切さを一生懸命語ってくれます。生きるという営みの実感。今の子供たちが希薄にしか持たず、分かろうにも分かり得ない感覚。

これからどうやって生きていけばいいのか。娘たちが受験を控えた今、漠然と生についての不安を感じていることでしょう。そんな中、石嶺さんの話から何かを感じ取ってくれたのであればうれしい。

アブチラガマの中を歩きつつ、その中で石嶺さんが教えてくれたこと。それは生の厳しさ、死の近さだけではありません。孤独という状態 。それが石嶺さんが何よりも実感させたかったことだと思います。それは周りに誰がいようと生きるのは自分1人である事実。真の孤独は今のSNSや情報に囲まれた社会では味わえません。生と死の境目が曖昧でありながら、誰も頼るもののない孤独。壕に閉じこもった誰もが自分のことで手一杯で、人に頼れない心細さ。アブチラガマの絶対的な闇は、私たちに生の実感を教えてくれます。

アブチラガマを出る前、石嶺さんは私たちをある場所に導きました。そこは出口にほど近い場所。暗闇なのは相変わらずですが、わずかな光が洞窟内にこぼれ出ています。それは外の光です。そしてその光がわずかに洞窟内の一点だけを照らしているのです。それを見た時、壕内の人々の喜びはいかばかりかものだったか。想像ができます。一寸先も見えない中では、その光は希望そのものだったはず。絶望から希望への転換を石嶺さんは熱く語ります。

普段は陽気で快活な次女も、アブチラガマの中では無言でした。彼女なりにその荘厳かつ厳粛な空気を感じていたのでしょうか。二回目の長女はもちろん。彼女たちなりにいろいろな思いを噛み締めてくれたことでしょう。私にとってもここは初めて。平和祈念資料館やひめゆりの塔にもジオラマや保存された壕はありましたが、それらは明かりに照らされ、時の流れにさらされ続けています。ですが、アブチラガマの闇は当時の闇を引きずっていました。だからこそ壕内に響く石嶺さんの話はとてもよく胸に染み入りましたし、私たちにはとても教えられない平和を愛する心命と、そのかけがえのなさを娘たちに伝えてやれたと思います。石嶺さんありがとうございました。

アブチラガマから外に出た時、陽光が私たちの目を射ます。死の闇から生の光へ。そのコントラストこそ、生の実感に他ならないのです。アブチラガマの真上は、通ってもそれと気づかない道路と畑です。そこに咲いていたハイビスカスがとても印象に残りました。

続いて、私たちが向かったのは、ひめゆりの塔です。昨年も私1人で訪れました。が、今回も外すわけにはいきません。こんにちは沖縄の平和学習の一環で娘たちを連れて行こうと思いました。ところが、肝心の次女が車内で寝てしまいました。だからひめゆりの塔へ伺ったのは私と妻と長女だけ。去年、私は一人で訪れじっくりと見ました。なので私自身にとっての新たな発見はありません。ですが、今回はレクイエムホールに備え付けられた体験談のかなりに目を通しました。ここは何度訪れても厳粛な気持ちになってしまいます。前回は私1人でしたが、今回は娘と一緒なので、娘がどう考えているのか、平和の大切さを教えられます。

そしてひめゆりの塔の前にある優美堂でサーターアンダギーをおいしくほおばります。沖縄の料理と食事の豊かさと、そこに込められた平和の大切さを噛み締めながら、ひめゆりの塔を後にしました。もう一カ所、平和祈念公園にも行きたかったのですが、今回は寄る時間がありません。昨年は、私1人が訪れましたが、ここも見せたかった。特に、放映される米兵が撮影した動画は強い印象を残しています。海に浮かぶ幼児の死体。それが波に漂いつつ、当てどなく永久に口を閉ざしうつろな顔をさらしている。それはまさに衝撃でした。他にも無残な集団自決の遺体が動画で映し出されます。そうしたショッキングな動画は、私たちが享受する平和の価値を雄弁に語ります。そして、今の生の大切さも。

私たちは平和の大切さの余韻を感じつつ、那覇へと向かいます。今回、私たちが泊まるのは、ホテルグレイスリー那覇。妻が昨年、泊まって良かったと言い、私も一人で泊まりました。そこは沖縄の国際通りのまさにど真ん中。とても良いロケーション。そこにチェックインした私たちは早速、国際通りへと繰り出します。

あるいは娘たちにとって、沖縄とは陰惨な戦場の過去より、国際通りのエキゾチックな異国情緒の今こそが大事なのかもしれません。それもいいでしょう。あれこれ言うつもりはありません。そう言う私も泡盛の名店には舌なめずりなのですから。

私たちが今回訪れたのは、妻が家族と行きたいと言っていた居酒屋です。ところが場所と名前を忘れたらしく、私たちが入ったのは「波照間」と言うお店でした。ここで後ほどの時間を予約し、続けて国際通りを散策します。去年は大雨の中を歩き回ったので、泡盛のお店を訪れるだけで精一杯でした。今回は国際通りの賑わいと広がりを感じながら歩き回りました。家族で訪れる観光。これはこれで悪くありません。

さて波照間に戻ってきました。この波照間は沖縄民謡のライブがあります。実はここは妻の意中の店ではなかったようですが、私たちは焼酎や泡盛そして沖縄の名物に舌鼓を打ちながら、最後に沖縄民謡のサービスを楽しみました。琉球衣装に身を包んだ男性1人と女性2人による3人のショウ。とても風情があります。特に男性の方の顔は、私の知る大学の後輩にそっくり。女性も琉球風に結った髪が沖縄情緒を体現しており、とても美しかった。(ところがこの翌々日、お店に入ろうとするお二人の姿を国際通りで見かけました。完全に洋装でした。)

さて、食事を堪能した私たちは、さらに国際通りをのんびりと歩き回ります。妻や娘たちは沖縄の産物を。私はもっぱら泡盛巡り。そして存分に国際通りを堪能した後、私たちは宿へと戻りました。しばらく宿の中で旅の疲れを癒やした後、私と妻とで再び街へと出ます。ボートレースアンテナショップ 沖縄・国際通り Double Deckerというお店でお会いしたのは妻のココデンタルクリニックの患者さん。沖縄から町田へと通ってきてくれているありがたい方。そこでしばらく軽いお酒を飲みながらおしゃべり。ついで、私たちは夫婦で「ぱいかじ」へ向かいます。ここも妻が行きたがっていた場所です。「ぱいかじ」でもライブが行われているようですが今回はライブはやっていませんでした。でも、料理はおいしく、酒もうまい。何杯も泡盛をいただきました。こうやって夫婦で沖縄でお酒が飲める幸せをかみしめつつ。

それはとても幸せなひとときでした。すべてのことに感謝。