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アクアビット航海記 vol.39〜航海記 その24


あらためまして、合同会社アクアビットの長井です。
弊社の起業までの航海記を書いていきます。以下の文は2018/3/29にアップした当時の文章が喪われたので、一部を修正しています。
今回も家の処分について語ってみます。この経験を通して私をとても強くしてくれた家のことを。

家の防犯に取り掛かる


家の処分に着手した私。まず取り掛かったのは、家の防犯でした

当時、私たち夫婦と幼い長女が住んでいたのは、鉄筋三階建ての家屋でした。
その裏には木造二階建ての家が建っていました。本連載の第十九回にも書きましたが、私が初めて妻と出会った旅で泊めてもらった家です。

この家は空き家だったので、種々のリスクの温床となっていました。
たとえば、本連載の三十四回で登場した泥棒を稼業とする方にとって、裏の家は格好の獲物でした。
さらに本連載の第三十八回に書いたとおり、道路拡張を邪魔していると誤認した誰かの嫌がらせの標的になる恐れがありました。
裏の家が空き家で有り続ける限り、わが家は必ずならず者のターゲットになったことでしょう

もう一つの理由として、裏の家を片付ける必要を感じていました。いずれ訪れるはずの引っ越しの際、四代にわたって二軒の家にためこまれたモノの処分に難儀することは確実。今のうちに取り掛かっておかなければ。

初めて自分で契約書を作成する


私の手元に、弁護士のIさん向けに家の流れを説明した年表があります。弁護士のIさんは後の連載に登場していただきます。
その中の2002/12/29の出来事としてこう書かれています。
「友人「山下さん」に現住所木造2階建て家屋を貸す」
これは文字通り、私たち夫婦が住んでいた二軒のうちの木造2階建て(つまり裏の家)を山下さんに貸したことを示しています。

山下さんは私の大学の先輩にあたります。私が山下さんと知り合ったのは大学時代ではなく、私が東京に住んでからでした。
それ以来20年ほどは親しくさせてもらっています。私たち夫婦の結婚式では二次会の受付も引き受けていただきました。
当時、山下さんが住んでいたのは、私たち夫婦の家から車で20分ほど離れた賃貸マンションに住んでおられました。近くだったこともあって山下さんに裏の家に住んでもらえないか、と頼んでみたのです。

空き家であるから問題が生じる。それならば、人に住んでもらえばよい。人の気配がすればその家には活気が生じます。そして悪い輩を引き寄せなくなります。その結果、家の敷地全体が私たち家族にとって安全な場所になる。
さらに、山下さんに住んでもらっている間に荷物の片付けを少しずつ進められれば一石二鳥です。
もちろん山下さんのお手間を考慮し、家賃は破格の値段に設定しました。月二万円で町田の駅近一軒家なら、山下さんにとっても悪くない話のはず。つまりこの賃貸契約はどちらにもメリットのあるWin-Winになるに違いない。そう考えて山下さんに話を持っていきました。

この契約は不動産業者を介さずに締結しました。それどころか、契約内容の文言も一から私が練り上げました。おそらくその条文は法的には穴だらけだったはず。そりゃそうです。私は法律の専門家じゃありませんから。
この契約は、契約書の体裁はとったとはいえ、友人の間で交わされる信義に基づいた紳士協定に近かったかもしれません。破ろうと思えば、ほごにさえできたはず。それにもかかわらず最後まで契約に従ってくださった山下さんには感謝です。おかげで泥棒に襲われたのは本連載の三十四回に書いた時の一度だけで済みました。また、引っ越しまでの間に致命的な嫌がらせを受けることもありませんでした。

この時、契約の文章を自分で作ったことは後々の財産になりました。なぜなら、いずれ来る地主との交渉で、契約をめぐって一悶着が起こることは確実だったからです。
そればかりか、“起業”してからもこの時の経験は糧になりました
弊社では基本契約や機密保持契約をひと月に一度は交わしています。その際、契約内容は必ず熟読します。法的文書を読むセンスは、自分で契約書を一から作ったことによって身に付きました

プロの師匠にご助言をいただけた幸運


同じころ、私はもう一人の方とコンタクトを取り始めました。その方の名はHさんといいます。
本連載の第十九回で社会と接点を持とうとした私がいくつかのオフライン会に出ていたことは書きました。Hさんとはその中で知り合いました。
Hさんは私の結婚式の二次会にも来てくださり、乾杯の発声も引き受けてくださいました。
私が勝手にわが酒飲みの、そして人生の師匠としているHさんは、補償コンサルタントとして早いうちから独立しておられました。補償コンサルタントとはHさん曰く「国が定めた基準に基づいて、建物などの立ち退きに必要な移転の費用を算定する仕事」です。
つまり、わが家のような土地の一部が都市計画の一部に引っかかるようなケースの専門家です。もちろん、わが家のような借地権が絡んだケースも豊富に手がけていらっしゃったことでしょう。これぞまさにご縁のありがたみです

私はこのHさんからたくさんの貴重なご助言をいただきました。
私が関西の実家に帰った折、うちの母を連れてHさんの構える大阪市内の事務所にお邪魔したこともあります。Hさんは私が住んでいた町田の家にまでわざわざ足を運び、家の状況を確認することまでしてくださいました。

前回の連載で私が採るべき七つの案について列挙しました。私は、地主との交渉にあたって、それらの案の中から徐々に方向性を定めていきました。その際にHさんからいただいたご助言がどれだけ役に立ったか。
なお、Hさんは私たち夫婦と町田市や地主との契約には絡んでいません。そもそも大阪にお住まいですし。
その立場でありながら、いろいろとご尽力くださったことに感謝の念は尽きません
人生や酒の師匠であり、私が苦しめられていた家の処分にあたっての恩人だと今も今後も思っています。
Hさんは私が関西に帰省する度、時間を見つけてお会いする方の一人です。コロナがまん延し始めてからはお会いできていませんが、また関西に返ったらお会いしたいと思っています。

私はこうした行動をおそらく2002年の夏過ぎに始めていた記憶があります。2002年の夏。その時、わが国ではとあるイベントが開かれていました。日本のみならず世界を沸かせたイベント。
なんだかわかりますか? そう、日韓共催サッカーワールドカップです。
当時、私はスカパーのカスタマーセンターに勤めていました。そしてスカパーのカスタマセンターはワールドカップ景気に沸いていました。全試合をスカパー加入者であれば無料放映したためです。加入申し込みの殺到で猛烈に忙しい状態が続いたのを覚えています。
そのワールドカップが終わり、一息つけたことでようやく家の処分に着手できたのでしょう。

スカパーカスタマーセンターの仕事に一つの区切りがつき、ようやく家の処分に向けて本腰を入れ始める。それは私にとって一つの転換点でした。
その話はまた次回で。ゆるく永くお願いします。


時生


たまに、著者はSFの設定に乗っかった作品を書く。本書もそのうちの一冊だ。
本書が面白いのは、SFの設定を支える技術をくだくだしく説明せずに、台詞だけで虚構の設定を読者に納得させていることだ。

その設定とは、タイムワープ。

自分の息子が過去の若い自分を助けに来る。
その設定を私たちはどこかで聞いたことがあるはずだ。ドラえもんで。そう、第一話でセワシが高曽祖父ののび太を助けに来たエピソードが頭に浮かぶ。

もちろん、本書は一筋縄のひねりでおしまいにしない。幾重にも設定や伏線を敷き、物語の世界がほころびないよう工夫を加えている。

本書を結構のある物語に仕立て上げ、著者が語ろうとしたメッセージとは何か。
私はそれを若さの無知と愚かさ、そして若さが持つ自由の可能性だと受け取った。

多くの人は若さの謳歌し、楽しんで過ごす。
その一方で、多くの若者はその自由を存分に味わうあまり、後に残そうとはしない。一瞬一瞬を衝動で生き、刹那の快楽として消費してしまう。
それは傍からみると、無知で愚かな行いにも思える。
だが、自由のただ中にいる当人にとっては、自らに与えられた一瞬こそが正義なのだ。
他人からしたり顔でどうこう言われたところで耳には入らないし、入れるつもりもない。

ところが普通の人は、年老いてもなお、若い気持ちを抱き続けることは出来ない。
どれほどハツラツとしたチョイワルオヤジであろうと、どこかが若い頃とは違うものだ。
体の張り、立ち居振る舞い、言葉に至るまで若い頃とは変わりつつある。経験を積み、老成し、体のどこかは確実に衰えてゆく。それが老いる宿命の残酷さなのだから。

この事実は、若き日にどれだけ悟っていようと、老けてからどれだけ若々しく心がけようとも変わらない。
若い日の自分と老いた自分は絶対に違う。
ところが、自分が将来どうなって行くかなんて決して誰にもわからない。
未来から来た人以外には。

本書は、宮本拓実の成長の物語だ。
本書の冒頭は、拓実が妻の玲子と語る場面で始まる。
二人の間に授かった一人息子である時生が、遺伝性の病で死の床に伏し、余命もわずかしかない。
その時、拓実は、若い頃に経験した不思議な縁を麗子に語り始める。

コネも学歴も能力もない若い日の拓実。1970年代が終わろうとする頃だ。その日ぐらしの拓実の毎日に希望は見えない。
若い頃はやる気と無鉄砲な前のめりだけを武器として突き進む。拓実もそうだ。傲岸にもとれる言動と根拠のない自信だけで突っ走ってゆく。
そんな拓実の日々は根無し草のようで、展望はない。

そんな日々に現れたのが、トキオと名乗る少年。
少しだけ拓実より年下のトキオの不思議な言動は、拓実を苛立たせる。だが、トキオに導かれるように、拓実の人生は転機を迎える。
トキオのすべてを見通したような言動に拓実は振り回されつつ、徐々に導かれながら成長を遂げてゆく。

未熟と言う言葉がそのまま当てはまる拓実の言動に苛立ちながら、恋人を追う拓実と行動をともにするトキオ。
若い頃の実の父の体たらくに幻滅しながら。

子が時間をさかのぼって未熟な頃の親の様子を見る。普通はまずありえない。
逆に親としても、自分の若い頃の姿を子に見られることはまずない。
私自身、ジタバタともがいている若き日の姿を娘たちに見られたら、さぞや赤面するに違いない。

自分の可能性だけを信じて生きるのに必死の拓実には、自分の将来などわかるはずがない。
その時の衝動に任せ、生きたいように生きていくしかないのだ。
それこそが生きる営みの本質なのだから。

子が親の若い頃に介入する本書の設定は、生の営みの本質をあぶり出す。
拓実とトキオの親子は世代として連続している。
そして、世代が連綿と受け継がれているからこそ人という種は続く。

だが、同じ血を分けた肉親であっても、種が同じであっても、心を共有することは不可能だ。
たとえ顔やしぐさが似通っていたとしても、人は自分の内面しか見通せない。それが個人の本質だ。
他人からいくら助言されようと、生きるのはしょせん自分。

拓実は、東京から名古屋、大阪と恋人を求めて奔走する中、トキオの助言もあって成長してゆく。
そして、未来に関するヒントをトキオから少しだけ示され、それをもとに将来の足がかりをつかむ。

それは確かにトキオのおかげだ。
だが、そこに著者のメッセージが含まれている。
私たちは、生きている上で将来に活かせるヒントを毎日誰かからもらっている。
それを生かすも殺すも無視するも受け入れるも自分次第。
その積み重ねを大切にした人は、成功を手にする。その事は、今までの成功者たちが無数の文章として書き伝えてくれている。

そしてもう一つ、本書で見落としてはならないのは、拓実たちを助けてくれる数多くの協力者の存在だ。
タケミやジェシーといった、一期一会の縁だけで恋人を探す拓実たちに手を差し伸べる人たち。
それは、私たちが生きていく上で大切な、人と結ぶ無数の縁の重みを教えてくれる。
学校やバイト先、職場や地域で知り合った人々との出会い。そうした人々との触れ合いが私たちを次第に大人へと成長させてくれる。
常に生活をともにするパートナー程ではないにせよ、こうした一瞬一瞬を共有する人々からの助けに気づき、それに感謝できる人生と、そうでない人生の違いの大きさよ。

拓実は、トキオや仲間との経験を通して、やさぐれて投げやりだった自分を反省する。そして、成長のきっかけをつかんでゆく。

その姿は、私自身にとっても、自分の成長のいきさつを見ているようで恥ずかしくなる。
拓実ほど尖っていた訳ではないが、私の若い頃の行いも相当に馬鹿げていたと思う。
それが今や40代も半ばを過ぎ。経営者であり家長に収まっている。
でも、それはあくまで結果論でしかない。
私も若い頃は若い頃なりに一生懸命に生きようとしていた。

今もなお、私は自分の人生を後悔しないように生きているつもりだ。
本書はそうした私の姿勢を後押ししてくれる本だ。
生きることとは、自分自身を全力で生きること。
それを雄弁に語っている。

その真理を、SF風の設定に仕立て、エンターテインメントとしても楽しめるように仕上げている。

本書はところどころに、1980年代を迎えようとする頃の世相を表す工夫が施されている。細かい所を探すと面白いかもしれない。
本書の舞台は私が6歳の頃であり、私にとっても何か懐かしい匂いがする。

1979年に実際に起こった日本坂トンネルの事故は本書の重要なモチーフとなっているが、おそらくこれからも東名道を車で通るたび、本書のことを思い出すに違いない。

‘2019/3/29-2019/3/29


アクアビット航海記 vol.10〜起業のデメリットを考える その4


あらためまして、合同会社アクアビットの長井です。前回にも書きましたが、弊社の起業物語をこちらに転載させて頂くことになりました。第二回~第六回までは起業をポジティブにとらえた視点での利点を述べました。前々回、前回に続き、今回も起業のデメリットを語っています。前回、起業前であれば、利害関係が友人との関係にモロに響くことはあまりない、と書きました。ところが、“起業”してからは、その辺りがガラッと変わります。今回はここから続けたいと思います。なお、以下の文は2017/10/13にアップした当時の文章そのままです。

“起業”すると新たな知り合いは増えますが、責任を背負っての付き合いになります。

個人事業であれ、法人であれ、組織のトップである以上、組織の不始末は代表の責任です。責任を分散させ、曖昧にすることは許されなくなります。組織はかばってくれないのです。よく、経営者は孤独だ、という言葉を聞きます。それは責任者である以上、甘んじて引き受けなければなりません。

では、“起業”すると新たな友人を作れないのでしょうか。私の個人的な経験ではそうではありません。むしろ、人と知り合いになれる可能性はより増えます。

“起業”すると、広告塔としての役割を担わねばなりません。トップセールスマンとしての自覚が求められるのです。ということは、外に出かける機会も増えます。セミナーや異業種交流会、パーティーなど。そのような場所に集うのはあなただけではありません。“起業”した方々が同じような目論見で集ってきます。そこでは、“起業”した方だけでなく、“起業”を目指している、または“起業”しつつある人々にも出会えることでしょう。要するに価値観の似通った方が集まるのです。そこで知り合いを作ることはそれほど難しくありません。むしろ、利害の対立がなければ、一生の友人に出会える可能性もあると思います。

ところが、そういった方々は組織のトップであることが多い。従って、利害が対立した時にはお互いが矢面に立たねばなりません。お互いが組織の責任を背負う立場である以上、いざ利害が対立すればたもとを分かたねばならないこともあります。利害が関係構築の邪魔をしたり、仲を引き裂いたりもします。“起業”した皆さんはそれがわかっています。そして、利害を絡めないようなうまい付き合いの方法を模索していきます。ですから、“起業”すると大人の付き合いに長けていかざるをえません。あまりお互いの内部に深く立ち入らず、当たり障りのない話題に終始するような。もっともこれは組織の中で生きていく処世術でもあるため、大人であれば多かれ少なかれ身に着けるスキルなのかもしれませんが。

友人との起業について。

また、信頼できる友人と共同で“起業”する、という事例もよく聞きます。でも、私に言わせるとそれも賛否の分かれるところです。なぜならば、もとからある友人との仲など関係なく、ビジネスである以上は利害が割り込んでくるからです。仮にその友人との関係が、利害とは関係ないところで結ばれた場合はなおさらです。ビジネスの冷徹な利害に直面して、なおも続く友情であればよいのです。が、下手すればせっかく結んだ友情関係だって壊れてしまうかもしれません。

「安心」と「信頼」について。

前回、組織と個人を対比させる際に「安心」と「信頼」という二つのキーワードを示しました。それはどういうことでしょうか。このキーワードは社会心理学者の山岸俊男氏が提唱しています。「安心」とは組織の中の論理です。組織の中でその人物が受け入れられてゆく過程で、組織はその人物を「安心」できる人物として認めます。つまり、組織に属していることは、自らが「安心」できる人物と外部に示すことでもあるのです。一方、組織から外に出て独立することは、「安心」という組織のセーフティネットから出ることと等しい。個人の立場で外に出る時、私たちは自らが「信頼」できる人間であることを示さねばなりません。組織の提供する「安心」のかわりに「信頼」が求められるのです。

新たに知己となった方とお会いするとき、われわれは無意識に「安心」と「信頼」の基準で判断している。それが山岸氏の提唱する主旨です。同じ組織に属しているか、組織の肩書を背負った方であれば「安心」できます。ところがお会いした方が個人事業を営んでいるか見知らぬ会社の代表者であった場合は「安心」はできません。そのかわりに私たちはお会いした方が「信頼」できるかどうかを見極めねばならないのです。利害が衝突するリスクを引き受けてもお付き合いできるかどうか。

学生時代のトモダチには、「安心」も「信頼」もありません。ただ気の合うトモダチなのです。ところが、社会にでると「安心」を基準に仲間が作り上げられます。そして、“起業”すると「信頼」をベースに友人を構築していくのです。ですから、“起業”してから新たに組織を構築する行ないの中には、自らが「安心」できる組織を作りたい希望が含まれている。そんな仮説も可能です。そう考えると、仕事を広げるための体制作りには「信頼」から「安心」への回帰願望があるとみなしても許されるかもしれません。利害が衝突する「信頼」から「安心」へと。

安心から信頼へ。“起業”する前とした後では、あなたが身につけなければならない観念には違いが生じるのです。それこそが私が実感した友人との関係の違いではないかと思います。利害のない中で心を許し合うトモダチ。安心を背負って交際する仲間。そして信頼を武器に付き合ってゆく友人。私の本音は、その区別を取っ払いたいと思っています。「安心」でき「信頼」でき、さらにそこを超えて心を許し合え、本音で付き合える友人。そんな友人を“起業”してからも作っていければ。私は常にそう願っています。

この点をデメリットとみるか、「信頼」を身に着けるチャンスとみるか。それは皆さん次第だと思います。

次回も引き続き、起業のデメリットを語っていこうとおもいます。ゆるく永くお願いします。


アクアビット航海記 vol.9〜起業のデメリットを考える その3


あらためまして、合同会社アクアビットの長井です。前回にも書きましたが、弊社の起業物語をこちらに転載させて頂くことになりました。第二回~第六回までは起業をポジティブにとらえた視点での利点を述べました。前々回、前回に続き、今回も起業のデメリットを語っています。なお、以下の文は2017/10/5にアップした当時の文章そのままです。

人付き合いの質が変わります。

このデメリットを起業前に想定していた方は偉いと思います。少なくとも私には予想外でした。良くも悪くも、人付き合いの質は“起業”すると変わります。公私ともに。何故だかわかりますか?

私にはまだ、その原因の本質は分かりません。たぶん、死ぬまで分からないのでしょう。学生時代の友人と社会に出てからできた友人の付き合い方がなんとなく違う。そう思ったことはありませんか? それと同じく、社会に出てから絆を結んだ友人と、“起業”した後に友情を作った友人もどことなく違います。それが良いのか悪いのか。判断は人それぞれですが、私にとってはそこに差が生じることが問題なのです。

子供のころのトモダチ付き合い。

私にとって友人とは財産です。学生時代につるんだトモダチ。いまでも私は関西の実家に帰ると友人に会って旧交を温めます。そんな時、一気に若返ったように話が弾む。みなさんも思い当たる節があるのではないでしょうか。 もちろん、社会人になってからの仲間もかけがえのない財産です。また、“起業”してからできた友人ともこれからずっと仲良くしたいと願っています。社会人になってからの仲間も“起業”してからの友人も、子供の頃に培ったトモダチのように付き合いたい。そこに私の本心はあります。

本稿を書き始める前日、私は某BARで月一回恒例の独り呑みを楽しんでました。何も背負わず、個人の立場でフラっとBARに入り、お酒を楽しむ。私にとっては欠かせない憩いの一瞬です。だんまりの時もあれば、マスターやバーテンダーさんや常連客と話が弾むこともあります。昨夜の場合は後者でした。そこで知り合ったのが、誕生日から運勢や性格をみてくださる方。その方がおっしゃるには私は無邪気な少年の心を持った人、だそうです。

いまなお少年のような心を持ち、当時のようなトモダチ付き合いがしたいと願う。それが現在の私。だからこそ、大人になってから仲間や友人たちの間に挟まる薄紙一枚の仕切りに敏感になるのかもしれません。たかが薄紙一枚。でも、私にとっては壁にも等しい。なぜそんな薄紙にトモダチの付き合いを邪魔されるのか。その理由を考えてみました。

それは、利害が絡むから、ではないでしょうか。仕事をすること。そこにはお金が関わります。利害もからみます。責任がのしかかります。仕事を完遂するにあたっては、友情よりも優先されなければならないものがあるのです。それが、学生時代のトモダチと、大人になってからの仲間や友人との違いだと思います。

トモダチには利害など関係ありません。もちろん、美しいだけではありません。子供心にけんかも嫉妬も行き違いもそれなりにあったはず。なぜ、あいつだけ先生の覚えがめでたく、級友から仲良くされるのか、といった想い。そんな微妙な利害の綱引きはあったかもしれません。人によっては大人顔負けの打算で友人を演じていた人もいたかもしれません。でも、そこには大人になってから味わうようなビジネスの冷徹な論理はありません。だからこそ、いまでも会って話すと懐かしさを感じるのです。貴重なのです。

社会に出てからの仲間付き合い。

ここまでの内容で、学生時代のトモダチと、大人になってからの付き合いに違いがあることはおぼろげに理解しました。では、社会人になってからの仲間と“起業”してからの友人には違いがあるのでしょうか。私はあると思っています。では、何がどう違うのか。私はその違いを組織と個人の違いに求めました。あるいは安心と信頼の違いと言いかえてもよいでしょう。

社会に出た後、たいていの人はどこかの組織に入ります。新卒で採用されたり、私のように卒業すぐに就職しない方は派遣先だったり。夢を追いつつバイト生活で生計を立てる場合もバイト先や夢追う仲間たちとのコミュニティが組織にあたります。そういう場所で、いったん社会のルールを学び、社会に溶け込んでいくのです。まず組織の一員となることが一般的であると思います。そして、組織の一員としての立場で、新たに友人との関係を構築していく。その関係には利害の絡む場合とそうでない場合があります。利害が絡まない場合はいいのです。趣味や異業種交流会や合コンなどで知り合った友人との関係ですね。利害の発生しない付き合いなら学生時代のノリでつきあえることでしょう。

でも、場合によっては利害が発生するかもしれません。例えば、取引社の担当者同士で交流を結ぶ場合です。商談しているうちにウマが合って仲良くなる。よくある話です。でも、仕事上の関係は利害をはらんでいます。もし万が一納期が遅れ、片方がもう片方に迷惑をかけた場合など、モロに利害関係が噴出します。ただし、利害が衝突しても、個人にそれらの責任が問われることはあまりありません。なぜなら組織の一員だから。個人として謝罪の気持ちを表すのは当然ですが、法的責任が個人に及ぶことはそうそうありません。もっとも法人格の種類にもよりますし、個人として懲戒処分に相当するようなトラブルを引き起こしたらそれは別の話。ただ言えるのは、基本的には組織の一員である以上、利害が付き合いにモロに響くことはあまりないということです。利害関係といってもたかが知れているのです。

ところが、“起業”してからは、そのあたりがガラッと変わります。

次回も引き続き、“起業”した後の人付き合いの違いについて語っていこうとおもいます。ゆるく永くお願いします。


家族で沖縄 2018/3/27


今回、グレイスリーホテル那覇に泊まったのは、妻がここの朝食をおいしいと評価したからです。私が泊まった昨年も素晴らしい朝食をいただきました。娘たちにも朝食は好評でした。そして始動。

この日の目的地は二つ。美ら海水族館と、今帰仁城です。沖縄本島の北部。なので朝食も早々に車を出します。車で高速のインターまで向かい、そこから北に進路を定めます。そして許田インターチェンジで高速を降ります。名護は私が23年前に大学の合宿に来た際、はじめに泊まった地。その時の記憶では人の少ないのどかな場所という印象が強いですが、その頃とはもう全く違っています。そもそも記憶がほとんどなく、どのホテルに泊まったかすら覚えていません。車は名護の市街地を通り過ぎ、本部の方へ向かいます。私にとっては未知の地。そのあたりから海沿いを走ると、海の輝きが否が応でも目に入ってきます。その色の鮮やかさ。あまりの美しさに我慢できず、途中にあった崎本部緑地公園というところに寄りました。そこに広がる砂浜とエメラルドグリーンの海。みんな大はしゃぎ。感嘆の声しかでません。本土にいては知らなかったはずのこのような通りすがりの場所でも美しい海が見られる。それが沖縄の沖縄たるゆえん。ここはゴジラ岩と称されるゴジラに似た岩があり、岩のゴツさが目立ちます。が、美しい海と砂はゴジラに負けずきらめいています。目いっぱい写真を撮りまくりました。

もうここですでに景色の美しさに目がくらみそう。眼福を通り越し、心が洗われます。それほどの美しさでした。ですが、私たちが向かうべきは美ら海水族館。さらに車を走らせます。美ら海水族館は私にとって初めての場所。広い駐車場に停め、ゲートへと歩きます。かつての海洋博覧会の跡地を利用した広大な敷地。期待に心も弾みます。

水族館が好きな私にとって美ら海水族館は1つの憧れ。ようやくそれが今叶おうとしています。言うだけあって水槽が大きく魚の種類も多彩。中でも熱帯魚の美しさは目を奪います。巨大水槽は広く、中で回遊する魚たちにも気のせいか余裕が感じられます。

黒潮の深みのある豊かさ、サンゴに群がる色鮮やかな芳醇さ。小さな水槽には本土の水族館ではあまり見ない魚が姿を覗かせています。タッチプールや上から見下ろせる水槽、そしてさまざまなサメの歯型など、サメの生態を紹介するコーナー。盛りだくさんです。

美ら海水族館の売りは、本館だけでなく屋外の施設が豊富である事です。オキちゃん劇場と名付けられたイルカショーのプールは広大で、かつダイナミック。ここはすぐ背後に美しい海が控えており、視覚的にもイルカが映えます。海の向こうには伊江島が横たわり、伊江島をバックにイルカが飛び跳ねる様はまさにフォトジェニック。オキちゃん劇場の近くにはイルカラグーンという浅めのプールもあります。そしてイルカプールの近くにはウミガメのためのプールや砂浜が設えられたウミガメ館が。そこでは間近でウミガメの歩みも泳ぎも見られます。また、マナティー館というマナティのための施設もあり、そこでは巨大なマナティが人魚よろしく肢体をあらわにして泳いでいます。これらはどれも水族館が好きな人にはたまらない場所でしょう。

美ら海水族館は、確かに素晴らしい。何が素晴らしいって、外の設備の広さやその開放感。それこそが美ら海水族館の素晴らしさに違いない。私たちは飽きることなく水族館の中や外の施設、売店をぐるぐる歩きまわりました。

そしてこの水族館、目の前にビーチが広がっています。マナティ館のすぐ脇からビーチに降りられます。これだけでも日本の本州の水族館では味わえないぜいたくさです。こうした場所は観光客の多さにビーチも薄汚れているのが常態のはず。ところがこのビーチ、驚くばかりに美しい。ここでしばらく体を、心を、足を洗います。ここだけでも美ら海水族館の優れた点が感じられます。十分満足しきった私たち。歩き疲れたので水族館の建物の屋上デッキにあるお店で私はノンアルコールビールを、そして娘たちはアイスを食べます。

続いて私たちが向かったのは、エメラルドビーチ。ここは広く大きな突端があり、やしの木が伊江島をバックに育っています。この広いエメラルドビーチ、まさにビーチという名にふさわしい。これが水族館のすぐ横にあると言うことが信じられぐらい。私と長女はそこでヤドカリを探し、それと遊んでいました。

エメラルドビーチでのんびりと海を見ながら、私たちは2時間近く過ごしたでしょうか。こうした余裕のある時間こそ、沖縄に来た真価だと思います。今回、当初は今帰仁城に行く予定でした。それは妻の希望でした。私も同感。ところが、エメラルドビーチの豪華さとぜいたくさは、今帰仁城へ行く時間を奪ってしまいました。

そろそろ私たちは美ら海水族館を後にしなければなりません。次に行くべき場所があったからです。それは友人との再会。昨年、私が独りで沖縄を旅した際、那覇空港で再会した友人。その時が16、7年ぶりの再会でした。今回はその友人の家族とうちの家族が一緒になって食事をする。そのような提案をいただきました。その場所は美浜アメリカンビレッジ。どのくらいかかるのか全く見当がつきません。なので、エメラルドビーチから本館へと戻り、最後に少しお土産屋を観てから帰ります。そして車へ。帰り、名護市街までは順調でした。ところが許田インターの手前で渋滞にはまり、しかも、降りた沖縄南インターでも渋滞に巻き込まれます。結局友人の家族に会えたのは約束の時間から45分ほど後。本当に申し訳ない。

ご主人には昨年会いましたが、奥さまにお会いするのは17,8年ぶり。お互いその当時は子供がいません。ですが、今はお互いが大きな子供を連れています。時の流れるのは早い。でも、その間もずっと年賀状のやりとりは続けていました。ですから、茨城に住んでいた家族がいきなり沖縄に移住したと聞いた時は驚きました。まさに行動力の権化。私などとても及ばない行動力です。今回、主に話をしたのは沖縄で住むことについてです。このご主人は「幸福度No.1☆「沖縄移住」でワクワク楽園生活」という本を出し、Amazonでランキング一位に輝いています。(https://okinawa-move.jp)。昨年、那覇空港でお会いした際には本を出すことの大変さとその効果についていろいろと教えていただきました。私にとって見習う点をたくさんお持ちの方です。

久々の再会、楽しい時間はあっという間に終わり。その家族は先にお店を去ります。私たちはアメリカンサイズの料理を一生懸命平らげます。そしていざ会計に行ったところ私は驚きます。なんと、先にうちの分のお勘定を済ませていただいているではないですか。本当に申し訳ない。遅れてきたのに。そしてありがたい。こうした友人によって、私は今まで何度助けられてきたことか。どうにかして将来の恩返しにしたいものです。

さて、私たちはせっかくなので美浜アメリカンビレッジを散策します。沖縄といえば米軍が持ち込んだアメリカンな文化が町のあちこちに根付いています。この近く、沖縄市は昔はコザ市といい、沖縄住民の騒動でもよく知られる町です。美浜アメリカンビレッジはそのアメリカンな感じを残したまま観光地として昇華し、賑わっています。本土では味わえない興味深いお店が軒を連ねていて、娘たちもまた来たいと申しております。私ももう一度、今度は昼間に来てみたいと思いました。

さて、美浜アメリカンビレッジを出た私たちはホテルへと戻ります。今日は満足し切っています。なので、居酒屋には行かずに寝ます。いや、飲まない、という選択肢はありません。なので、ローソンで買ったビールそして泡盛で一日を締めます。とても楽しい一日でした。


夜明け前のセレスティーノ


著者もまた、寺尾氏による『魔術的リアリズム』で取り上げられていた作家だ。私はこの本で著者を初めて知った。寺尾氏はいわゆるラテンアメリカにの文学に花開いた\”魔術的リアリズム\”の全盛期に優れた作品を発表した作家、アレホ・カルペンティエール、ガブリエラ・ガルシア=マルケス、ファン・ルルフォ、ホセ・ドノソについては筆をかなり費やしている。だが、それ以降の作家については総じて辛口の評価を与えている。ところが著者については逆に好意的な評価を与えている。私は『魔術的リアリズム』で著者に興味を持った。

著者は共産主義下のキューバで同性愛者として迫害されながら、その生き方を曲げなかった人物だ。アメリカに亡命し、その地でエイズに罹り、最後は自殺で人生に幕を下ろしたエピソードも壮絶で、著者を伝説の人物にしている。安穏とした暮らしができず、書いて自らを表現することだけが生きる支えとなっていた著者は、作家として生まれ表現するために生きた真の作家だと思う。

本書は著者のデビュー作だ。ところがデビュー作でありながら、本書から受ける印象は底の見えない痛々しさだ。本書の全体を覆う痛々しさは並みのレベルではない。初めから最後まであらゆる希望が塗りつぶされている。私はあまりの痛々しさにヤケドしそうになり、読み終えるまでにかなりの時間を掛けてしまった。

本書は奇抜な表現や記述が目立つ。とくに目立つのが反復記法とでも呼べば良いか、いささか過剰にも思える反復的な記述だ。これが随所に登場する。これらの表記からは、著者が抱えていた闇の深さが感じられる。それと、同時にこう言った冒険的な記述に踏み切った著者の若さと、これを残らず再録し、修正させなかった当時の編集者の勇断にも注目したい。私は本書ほど奇抜で無駄に続く反復表現を読んだことがない。

若く、そして無限に深い闇を抱えた主人公。著者の半身であるかのように、主人公は虐げられている。母に殺され、祖父に殺され、祖母に殺され。主人公は本書において数限りなく死ぬ。主人公だけではない。母も殺され、祖父も殺され、祖母も殺される。殺され続ける祖母からも祖父からも罵詈雑言を投げつけられ、母からも罵倒される主人公。全てにおいて人が人として認められず、何もかもが虚無に漂い、無に吸い込まれるような救いのない日常。

著者のような過酷な人生を送っていると、心は自らを守ろうと防御機構を発動させる。そのあり方は人によってさまざまな形をとる。著者のように自ら世界を創造し、それを文学の表現として昇華できる能力があればまだいい。それができない人は自らの心を分裂させてしまう。例えば統合失調症のように。本書でも著者の母は分裂した存在として描かれる。主人公から見た母は二人いる。優しい母と鬼のごとき母。それが同一人格か別人格なのかは文章からは判然としない。ただ、明らかに同一人物であることは確かだ。同一人物でありながら、主人公の目に映る母は対象がぶれている。分裂して統合に失敗した母として。ここにも著者が抱えていた深刻な状況の一端が垣間見える。

主人公から見えるぶれた母。ぶれているのは母だけではない。世界のあり方や常識さえもぶれているのが本書だ。捉えどころなく不確かな世界。そして不条理に虐待を受けることが当たり前の日々。その虐待すらあまりにも当たり前の出来事として描かれている。そして虐待でありながら、無残さと惨めさが一掃されている。もはや日常に欠かせないイベントであるかのように誰かが誰かを殺し、誰かが誰かに殺される。倒錯し、混迷する世界。

過剰な反復表現と合わせて本書に流れているのは本書の非現実性だ。\”魔術的リアリズム\”がいう魔術とは一線を画した世界観。それは全てが非現実。カートゥーンの世界と言ってもよいぐらいの。不死身の主人公。決して死なない登場人物たち。トムとジェリーにおける猫のトムのように、ぺちゃんこになってもガラスのように粉々になっても、腹に穴が開いても死なない登場人物たち。それは\”魔術的リアリズム\”の掲げる現実とはかけ離れている。だからといって本書は子供にも楽しめるスラップスティックでは断じてない。なぜなら本書の根底に流れているのは、世界から距離をおかなければならないほどの絶望だからだ。

むしろ、これほどまでに戯画化され、現実から遊離した世界であれば、なおさら著者にとってのリアルさが増すのではないだろうか。だからこそ、著者にとっては本書の背景となる非現実の世界は現実そのものとして書かれなければならなかったのだと思う。そう思わせてしまうほど本書に書かれた世界感は痛ましい。それが冒頭にも書いた痛々しさの理由でもある。だがその痛々しさはもはや神の域まで達しているように思える。徹底的に痛めつけられ、現実から身を守ろうとした著者は、神の域まで自らを高めることで、現実を戯画化することに成功したのだ。

あとは、著者が持って生まれた同性愛の性向にどう折り合いをつけるかだ。タイトルにもあるセレスティーノ。彼は当初、主人公にとって心を許す友人として登場する。だが、徐々にセレスティーノを見つめる主人公の視点に恋心や性欲が混じりだす。それは社会主義国にあって決して許されない性向だ。その性向が行き場を求めて、セレスティーノとして姿を現している。現実は無慈悲で不条理。その現実を乗り切るための愛や恋すら不自由でままならない。セレスティーノに向ける主人公の思慕は、決して実らない。そしてキューバにあっては決して実ってはならない。だから本書が進むにつれ、セレスティーノはどんどん存在感を希薄にしてゆく。殺し殺される登場人物たちに混じって、幽霊のように消えたり現れたりするセレスティーノ。そこに主人公の、そして著者の絶望を感じる。

繰り返すが、私は本書ほどに痛々しい小説に出会ったことがない。だからこそ本書は読むべきだし、読まれなければならないと感じる。

‘2017/08/18-2017/08/24