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鳥取・由良・北栄の旅 2019/5/1


朝、家族で車で出発し、向かったのは鳥取。中国道を軽快に西へと走り、次いで、中国道から鳥取道へ乗り継ぎ、車は快調に北へと向かいます。旅路に一切の不安はありませんでした。

ところが、私たちの旅はいきなりの渋滞によって暗礁へと乗り上げます。しかもその渋滞のタチが悪く、トンネルの中で全く車が動かないのです。そう、渋滞のなかでも一番イライラが募るやつ。さらに悪いことに、渋滞にハマったのが対面通行の一車線のトンネルの中。戻れないし、動かない。八方塞がりとはまさにこのことです。

全く車が動く気配のないトンネルの中で、Twitterから状況を確認しようとする妻や娘たち。
そこで分かったのは、私たちが足止めされているトンネルで、しかも、つい先ほど事故が発生したらしいということ。
こういう事態にはあまり慣れていないだけに、イライラと不安は募ります。

約1時間半ほど黙り込んだ車の列の中で足止めを食ったでしょうか。ようやく車の列が動きだす瞬間がやってきました。一時はトンネルの中で何時間も閉じ込められるかと思った。
後からTwitterで調べたところでは、事故の一部始終や、その救助作業や撤去作業の一部始終を書いてる人がいたようです。

鳥取道で思わぬ足止めを強いられた私たちは、渋滞による遅れを取り戻すべく、鳥取の市街から9号線を使って西へと向かいました。

最初に立ち寄ったのは道の駅はわい。ハワイが好きな妻にとって、ここは喜ぶはず。一度は連れてきたかった場所でした。
ここではおいしそうなジェラートをいただきました。

ハワイからおさらばした私たちは、さらに日本海の潮の香りを浴びながら、風力発電の風車の足元を潜り抜けながら、北栄町へと至りました。
今日の目的は、ここ北栄町にある青山剛昌ふるさと館。青山剛昌さんとは、名探偵コナンの生みの親です。
街おこしをコナンで。それは鳥取県が県を挙げて取り組んでいる施策のようです。
ここまでの道中にも鳥取砂丘コナン空港とネーミングされた旧鳥取空港のそばを通ってきました。空港にまでネーミングされるほど、名探偵コナンは日本に浸透しています。コナンを創造した青山剛昌先生も、この辺では故郷の生んだ偉人に近い扱いです。

駐車場から青山剛昌ふるさと館に向かった私たちですが、既に館の前には行列ができており、チケットを買うだけでも苦労が待っている様子。
道中、何も買わずに来たためおなかがすいた私は、併設されている道の駅を訪れ、何か食べるものを探しました。ですが、食べ物はほぼ売り切れていて、何も買えません。
あちこちで写真を撮り、妻子のもとに戻って行列にお付き合いしましたが、それでも結局入館までに一時間ほど時間を過ごしました。
館内も混雑がひどく、展示物を丁寧に見ようと思うと骨が折れます。

でも、混雑が起きるのも、それだけ人々に愛されているからこそ。
人々に愛される作品を創り上げた業績は偉大です。しかも作家ご本人が現在進行形で活躍されているとなればなおさら。
よくある文人の過去の展示物や業績を偲ぶ施設ではありません。今現在も精力的に活動されている先生の施設。それだけに、青山剛昌ふるさと館の展示物には昔を顧みる雰囲気が一切ありません。
何よりも、館内にいる子供の割合が圧倒的なこと。それは、さまざまなメディアで展開されているコナンのコンテンツが今を時めく形で支持されている証しです。
青山剛昌ふるさと館は、コナンファンの方にはたまらない施設だと推薦できます。

私もコナンのコミックスは十巻あたりまでは読んでいます。
私はアニメよりもまず、一次創作物を読み込みたい人です。なので、あらためてコナンの原作を読破したいと思いました。

コンテンツの力は偉大です。
青山先生が幼少期の頃、書きためた作品。北栄町を中心としたこの地域で催されるイベントに提供したイラストの数々。私が印象を受けたのは青山先生の蔵書です。私も親しんだ推理小説の名作が並んだ書棚からは、あれだけの長期連載を、しかも推理物でやり遂げた先生の造詣の深さが感じられます。
こうした展示からは、青山先生の故郷への愛着がひしひしと感じられました。
故郷に錦を飾るとはこういうことでしょう。私は先生が成し遂げた証の数々にとても心を動かされました。何か世の中に残したい、という意欲がひしひしと私の中に沸き上がってきます。

ところが今も先生には寝る時間がほぼないらしい。従って、先生が北栄町に来訪し、自身の名が冠せられたここに来る事もあまりないそうです。それは売れっこのマンガ家である以上、宿命なのかもしれません。
月並みな言葉ですが、努力こそは力です。継続こそが成果です。
たとえ寝る暇がなくても、好きなことを仕事にできている先生は充実しているはず。それがよく感じられる展示でした。

ちなみに、ミュージアムショップもものすごい行列でした。私は店の外で長時間、妻子の戻りを待っていました。一時間近く待ったような気がします。

さて、青山剛昌ふるさと館の前には広場が設えられています。アガサ博士の黄色いワーゲンが停められた広場には、余裕をもった広がりがあります。時折、着ぐるみのコナン君も表に現れ、みなに愛嬌を振りまいています。

私は今まで、地方の道の駅をかなりの数を訪れました。その中でも、この施設の混雑は目を見張るほどです。
広場には、いくつかの屋台が店を出していました。その屋台の持ち主の一人が放し飼いにしていると思しき一羽のニワトリがあたりを自由にうろうろしていたのが印象に残りました。
ニワトリの姿をじっくり見ているだけでも、日々の雑事を忘れられます。

青山剛昌ふるさと館から由良駅までの二、三キロの道は、コナン通りと名づけられています。歩道には、コナンに出てくるキャラクターがプリントされていて、あたりの畑に咲いた花々を平面から見つめています。平面だけでなく、コナンに登場する主要キャラクターの銅像が道の両側のあちこちにたち、観光客を出迎えています。

私たちが最初に通りがかったのは、コナンの舞台である米花町の街並みを模した施設です。
さらにコナン大橋と名付けられた橋を渡ります。
その道はやがて交差点へと至ります。昔は街の目抜き通りだったと思われるこの交差点。旧町役場と思われる建物の前にもスイカをかじるコナン君の像が彩りを添えています。
さらにそこから、由良駅へと歩きます。

由良駅も完全にコナンの外観となり、コナン駅の愛称が名付けられています。道中がコナン尽くしで、そのなりふりも構わぬ感じが逆に吹っ切れてすがすがしかったです。

この駅も、街並みも、コナンで町おこしをする前は、寂れた田舎の気配に焦りを含ませながら、何の変哲もない様子でたたずんでいたのでしょう。
今や、多くの観光客が訪れる街中。駅にも活気が感じられます。
北栄町は、コナンを中心にした街おこしの成功例として記憶されるべきでしょう。

逆に、コナンに匹敵するキラーコンテンツがないその他の都市にとっては、街おこしの難しさを感じさせる実例になるかもしれません。

由良駅では、じっくり中を見させていただきました。駅舎の外観もコナン一色です。
ところが、駅の改札に入ると、旅情を感じられる風情を存分に残しています。定義が何かはさておいても、山陰のローカル駅とはこのような感じ、と言いたくなるような。

駅舎の一角には北栄町の観光案内所も設けられ、ここでは来駅証明書も買いました。どこまでも、コナンに彩られています。

再び、青山剛昌ふるさと館へ戻る途中、青山自動車という自動車工場を見かけました。おそらく青山先生のご実家に間違いありません。
駅や街並みの様子と違い、あえてコナン色を出さず、街の一つの風景として溶け込んでいたのが逆に堂々としていました。

さて、先ほど通りすがった米花町の街並みを模した施設。コナンの家 米花商店街と名付けられています。作中の街並みを再現したものでしょう。
そこにもグッズショップがあり、さらにカフェも併設されていたため、そこで遅い昼食をいただきました。

こういう施設もファンにはたまらないはずです。
コナンの映画が封切られる度、映画を観に行く妻や娘たちも、青山剛昌ふるさと館には満足していたようでよかったです。
私もコナンの世界を街おこしの活用する実例を存分に見ることができました。

車に戻った時、すでに時刻は夕刻。
もともとの私のもくろみでは、妻子がコナンにどっぷりつかっている中、大山のふもとにある大山滝を見に行くつもりでした。
ですが、行きに渋滞に巻き込まれたことと、思った以上にコナンに徹した街並みにからめとられてしまい、私の滝見は次回にお預けとなりました。

帰りは来た道を通って帰りました。で、夕食は中国道の加西サービスエリアの官兵衛というレストランでとんかつを食し。
連休の二日目はよい旅となりました。