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アクアビット航海記-私の技術とのかかわり方


「アクアビット航海記」では、個人事業主から法人を設立するまでの歩みを振り返っています。
その中では、代表である私がどうやって経営や技術についての知識を身につけてきたかについても語っています。

経営や技術。それらを私は全て独学で身につけました。自己流なので、今までに数えきれないほどの失敗と紆余曲折と挫折を経験して来ました。だからこそ、すべてが血肉となって自分に刻まれています。得難い財産です。

本稿では、その中で学んだ技術の学び方を語りたいと思います。
私自身が試行錯誤の中で培ってきたノウハウなので、これを読んでくだった方の参考になれば幸いです。

ただし先に断っておきますと、私の技術力などそれほど大したものではありません。しょせんは独学ですし。
今までに参画してきた常駐現場では多くの凄腕技術者を見てきました。私が最近棲息しているkintone界隈でも私より技術力の優れた人は無数にいます。
そのため、技術力だけで考えれば、私など手本にする価値はありません。

私が皆さんにお伝えできるのは、最小限の努力で必要な技術を身に付ける嗅覚です。それは備えてきたと思います。本稿ではそれを参考にしてもらえればと思います。

モチベーション

ずばりいうと、私の技術へのモチベーションは、面倒くさがりから来ています。さらに飽きっぽさと。

例えば仕事で何か面倒な作業が必要になったとします。
そう、Excelのブックからブックへの転記のような。

これ、一回や二回ならまだいいのです。でもそれが十回繰り返されてくると、とたんに繰り返しに飽きてしまうのです。そして作業が面倒に思えてしまうのです。これは毎日、同じ場所に通勤する営みについても同じ。

そうなると、この面倒くさい作業をやめるためにどうすればよいか、私の脳内がざわめきだすのです。

多分、新たな仕組みやアルゴリズムを考える労力の方が、繰り返す作業よりも大変なのでしょう。でもそんなことは関係がありません。それ以上同じ作業をしたくない。その思いの方が圧倒的に強いため、私を衝き動かします。アルゴリズムや仕組みを考えることは、繰り返しの作業とは無縁です。飽きないし面倒くささも感じません。本連載第二十五回で書いたように集計作業が面倒でExcelのマクロを作ったのはまさにこの実例です。

選ぶ

今までのキャリアで、私はさまざまな技術や言語に触れてきました。この言語や技術の選び方は、案外大切ではないかと思います。

私はどちらかというと新しいもの好きです。ところが、私のキャリアを振り返ってみると、言語や技術の選択に当たってそこまで冒険をしていません。

例えば、PCはWindowsとMs-Officeを主に使ってきました。サーバーを自分で構築する際も、ファイルサーバーはSamba、LAMP(Linux+Apache+MySQL+PHP)でウェブ環境を構築してきました。CMSはWordPressを主に扱いました。クラウドにしても、βテスターとして関わり始めたころのkintoneは無名でしたが、運営元のサイボウズ社はそのころからすでにグループウエアの雄として業界に地位を確立していました。今やkintoneはわが国でも著名なPaaSに成長しています。

今までに私が携わった技術や言語の中で衰退してしまったものを挙げてみます。ファイルサーバーのSambaやその際にMacをつないだAppleTalk。サービス連携の言語はJSONではなくXMLを学びました。常駐先で触る必要があったLotus NotesやLotus Scriptは衰退の最たるものです。あとはLinuxでサーバーを構築した際、採用したDistributionのRedHat LinuxやMiracle Linuxも今はあまり聞きません。

若い頃に得たVisual Basicの知識やLampの知識が今も生かせることは、私のキャリアにとってとても幸運だったと思います。衰退した言語や技術の習得に使った時間が無駄にならずに済んだので。このことは私のキャリアを考える上でとても重要だと思います。

その際、私がどういう基準で言語や技術を選んだのかは、あまり覚えていません。ただ、その当時からシェアが高いものを選んだように思います。また、安価な環境で使える言語であることも重要でした。例えばスクリプト言語はphpであれば安価なレンタルサーバーでも使えましたが、pythonやgoはサーバーにインストールする必要があったため、学びの対象から外しました。

シェアが高いということは、サポートサイトも多いということ。サポートサイトを必死に読み込めば、たいていのヒントはおのずから公開されていることに気づきます。おそらく私はそれらを踏まえながら、自分の学ぶべき言語を選んでいったように思います。

この時に単に新しいからといって新奇な言語や技術にあまり手を出さなかったことが、私のキャリアをあまり回り道に進ませずに済んだと思います。

調べる

自分が知りたいこと、実装したいことをどう調べると効率的か。

これはとても重要なところです。私が自分でプログラムに関心を持ち始めたのは1999年。まだインターネットが世間に広く使われ始めたばかりのころです。今のように少し検索するだけで技術資料が閲覧できる時代ではありません。つまり、書籍が頼りでした。

書籍は、その分野の全てを語ろうとします。まず、総論から始まり、その後で個別の説明を展開していきます。私はそうした総論の類を読みません。まっすぐ自分が求める機能を探します。書籍の場合は目次や索引が付されていますので、そこから探すと目指す機能を学べます。

その機能の説明を読むと、自分の知らない事が次々に出てきます。メソッドや関数の記述。名前空間や言語体系。細かい文法など。それらを総当たりで調べていきます。その際も、名前空間についての総論は読み飛ばします。直接、該当する名前空間の書き方を探します。そうやって個別の自分の知りたいことだけを拾いながら、その積み重ねで全体を把握していく。それが私のやり方です。
ちなみに私は読書が大好きです。が、本を読む際は全く逆のアプローチをとります。途中の部分を読むなどもってのほか。必ず最初から最後まで通して読みます。ところが不思議なことに技術書を読む際だけはそのやり方だとうまく覚えられないのです。

私が技術の世界に触れ始めたころと違い、今はネット上から情報を得ることができます。ですが、その情報には書籍のような目次・索引がありません。つまり検索エンジンを使うしかないのです。この検索の際にキーワードを入力しますが、そのキーワードにもコツがあります。

技術の言語は国際的に英語が使われています。そのため、日本語だけで検索しても求める検索結果にヒットしないことがほとんどです。まず具体的な文言を英語も含めて検索します。また、エラーメッセージにあたった際はそのメッセージを検索文言に含めます。すると、求める結果が得られると思います。その際、英文が出てきたら大意ぐらいはつかめるぐらいの英文読解力があると楽です。その上でGoogle 翻訳やDeepLのような翻訳サイトを使って日本語で意味をつかみます。

なお、当たり前ですが得た結果をきちんと読解する力は必要です。私は文系学部で学んだ技術者ですが、読解力が私のキャリアを助けてくれたと確信しています。パッと読んで分かったつもりになってしまうと、結局遠回りになります。じっくりと文章を読むように心がけましょう。

実装する

この後の連載で、私がどのように実装の経験を積んでいったかは書いていく予定です。独立するまでにはかなりの回り道と試行錯誤と無数の失敗を繰り返しました。

日中は現場に常駐していた私が、個人の業務で無理せずに実装するにはどうすればよいか。全ては五里霧中の中でした。少しずつ実績を積み上げられ、しかも安価な投資額で実装環境が整えられるような案件を痛い失敗の中で少しずつこなしていったのが私のキャリアです。kintoneに出会うまでは。

私のように個人事業主から法人を設立するまでの歩みは、自分でいうのもなんですが、相当難しいと思います。

私のようにホームページの制作から始め、まずHTMLやCSS、JavaScriptを操るスキルを身に付け、そこからサーバーの選定や調達に進み、さらにphpなどの言語がデフォルトであるWordPressのようなCMSに手を染めていくと、キャリアとしてよいのではないかという気がします。この路線は、今のところまだ衰退の兆しがそれほどなさそうですし。

その際も、自分でサーバーを立ち上げ、LAMPをインストールし、AWSやGCP、Azureといったより高度な環境を選ぶより、まずは小規模な環境から始められる規模の案件をこなすとよいでしょう。要するに安価なレンタルサーバーでも十分要件が満たせるようなものです。

ブレイクスルー

とはいえ、ロジックの構築や予期せぬバグの出現など、実装にあたっては問題が生じます。

それをどのように克服していくかは切実な問題です。それで挫折し、折れた心を抱えながら情報処理業界からも去っていく人もいるでしょう。

そもそも、どれだけ本やウェブサイトを読んでも概念がちっともつかめない場合、どうすればよいのでしょう。正直、私にも概念がつかめずに苦戦したことが何度もありました。本連載第三十二回で書いた、行列のExcelからAccessの三次元を理解したのはまさにその一つ。

そこでも書きましたが、当時チームの部下だった年下のOさんに教えを請いました。そこで教えてもらったことで私は一つ目のブレークスルーを果たしました。この時、妙なプライドや自負があって独学にこだわっていたら、今の私はなかったと思います。

私はキャリアのほとんどを独学で積み上げてきたことに誇りも自負も持っています。ですが、今でもまだまだ分からないことが無数にあります。今の私がそうした事態にぶつかった時、二回り以上も年が離れた部下に教えを請い、頭を下げられると確信できます。しょせんは私のキャリアなど独学であり、正当に大学で情報科学を学んだ方には絶対に勝てないことが分かっていますので。

ブレークスルーを果たすには、自分の中で突き詰めて考えることは必要です。でも、概念を理解するためのちょっとした気づきを自分の中だけで得るのは難しいでしょう。その時、相手が誰であろうとヒントを与えてくれる方には頭を下げ、謙虚でいられるかどうか。それが出来る技術者こそが、年配になっても現役でやれる人だと思います。

加齢による好奇心の枯渇

かつてはプログラマー35才限界説、というものがまことしやかに言われていました。35才を超えるとプログラマーとしては使い物にならない、というやつです。

この説はある部分ではあたっています。ただし、それはアルゴリズムの構築が35才を迎えた途端にできなくなる、という意味ではありません。当たっているのは年齢による体力の問題です。それはどうしようもありません。徹夜でコーディングする作業は40歳を過ぎると難しくなるのではないでしょうか。

むしろ、ロジックの組み立てをきちんと自分の頭で考えた経験を35歳までに積んでいることのほうが大切かと。そうした経験があれば、60歳の半ばであっても第一線で問題なくやれると思います。身近にその生きた例を知っています。私自身、50歳の声が聞こえ始めていますが、まだやれると思っています。

また、今の言語はフレームワークなども充実しています。また、基本的なアルゴリズムについてはライブラリが豊富に用意されています。そのため、それを呼び出すだけでよいのです。加えてkintoneのようなPaaSを使えばデータベースの構築や通知・権限設定も手間をかけずに実装できます。

そうした意味ではプログラマー35才限界説とは、かつて情報処理業界の言語や環境が発展途上だったころの名残だと思っています。ちなみに私は文系学部の出身なので、文系プログラマー限界説にも反対の立場です。女性エンジニアの方も優秀な方が多いので、男性だけが優位というのも間違っています。

ただし、それ以外に限界説が当てはまる人はいます。それは体力の問題ではなく、心の柔軟さの問題です。肉体とともに心は徐々に柔軟さを失っていきます。実年齢が30歳であっても、自分が持っている技術や環境から学ぼうとしないと、35才よりも前に限界を迎えます。上に書いたように、自分より詳しい若手に頭を下げられるかも限界の年齢を決めるでしょうね。

例えば新卒で情報処理業界に入り、会社が用意してくれた既存の業界や言語や環境の中で安定した仕事をこなしていたとします。その状態に甘んじて新たな言語や環境を学ぼうとしなかったとすれば、老いはより早くあなたをむしばむはずです。そして気が付いたときには技術者としての活躍の場がない、という悲劇に遭遇します。

私自身、今からDeep LearningやMachine Learning、ブロックチェーンや3Dプリンターを学ぶには億劫な思いを感じます。概念は大体理解しているつもりですが、それを新たな実装として試してみようとする気概が出てきません。私にも間違いなく老いは忍び寄っています。

それを防ぐには好奇心を持ち続けるしかないと思います。これは私の価値観ですが、仕事だけが毎日ではないと思います。さまざまなプライベートの趣味や出会いや楽しみを持ち、仕事以外に多様な刺激を受けるような環境に身を置く。それが40代50代になって少しずつ効いてきて、あなたの身を助けてくれるはずです。

まとめ

私なりに技術との関り方をまとめてみました。もちろんこれは私の例にすぎません。人によってそれぞれのやり方があるはず。ここに書いた内容を基に、皆さんがそれぞれの立場で取り入れられる点があれば、取り入れていただければと思います。


一番やさしい簿記


今、クラウド会計システムはどれくらいの種類があるのだろうか。私もよく把握していないが、私の脳裏に即座に浮かぶのは会計freeeだ。

2019年の12月、freee社において開催されたfreee Open Guild #07で登壇を依頼された。そのタイトルは「kintone エバンジェリストがfreee APIを触ってみた」。
登壇の資料を作るにあたり、会計freeeのAPIリファレンスを念入りに読み込んだ。その作業を通して、私はfreee APIのリファレンスにかなりの好印象を持った。わかりやすく見やすいリファレンスを作り上げようという配慮が随所になされている。それはfreee社の掲げるオープンプラットホームを体現していた。
さらにその登壇をご縁として、私はfreee Open Guildの運営スタッフにもお誘いいただいた。
そうした関わりが続いたことで、私の中ではfreee社に対する親しみが増している。
おそらく今後も、私がfreeeとkintoneの連携イベントで登壇する機会はあるに違いない。実際、2020年には両社が共催したfreee & kintone BizTech Hackというイベントで二回ハンズオン講師を勤めた。さらに、freee社よりご依頼を受けて動画コンテンツも作成した。
今後もfreee社から案件を受注する機会は増えていくことだろう。

そんな訳で、私は久しぶりに簿記を勉強しようという気になった。
私は大学の商学部に在籍した頃に簿記三級を取得している。授業の単位取得の条件が簿記三級の合格だったからだ。
私にとって簿記の資格とは、単位のために受けるだけで、当時はなんの思い入れもなかった。それ以来、簿記からは完全に遠ざかっていた。

それは個人事業主として独立した後も変わらずだった。青色申告事業者として事業主登録を行ったにもかかわらず。青色申告者である以上、正式な簿記による経理処理が求められる。だが、私はお世辞にも褒められた簿記はやっていなかった。さらに法人として登記してからは、経理の実務は税理士の先生に完全にお願いしており、私自身が簿記の仕訳に携わる機会はますます減った。
ところが今回、freee社とのご縁ができたことで、最低限の知識を得ておく必要に迫られた。できるだけ簡単で、手軽に読める簿記の本を読まねば。そこで、手に取ったのが本書だ。

本書の見開き折り返しには、
本書は
超初心者の基礎学習
3級受験前の復習に役立つ内容です!
と書かれてある。
既に三級を持っていた私には本書の内容はとてもわかりやすかった。
そして仕訳とは何かを徐々に思い出すことができた。

左が借方、右が貸方。単純な内容だ。取引を必ず対となる借方と貸方に記載する。その時、借方と貸方の勘定科目に書いた金額の合計は一致しなければならない。
それが複式簿記のたった一つの要点だと思う。

もちろん税理士の先生になりたければそれでは足りない。複雑な簿記を流暢に使いこなすことが求められる。
だが、仕訳と決算さえこなせればよいぐらいのレベルであれば、本書ぐらいがちょうどいい。

冒頭のプロローグでは、著者がいかにして簿記一級に満点で合格できるまでになったかと言う経歴がわかりやすい文章で書かれている。

歯科診療所の受付をやりながら、出入りしていた税理士さんに憧れ、簿記を勉強して始めたこと。何度もあきらめそうになりながらこつこつと勉強を続け、簿記一級を満点で合格したこと。今では公認会計士として働いているそうだ。

超初心者向けと言うだけあり、本書は簡単な仕訳の処理方法が何度も何度も繰り返し登場する。それは懐かしい宿題のドリルのようだ。
資産、負債、資本、そして費用と収入。この5つが簿記の中では基本の枠となる。取引の属する勘定科目によって、その5つのどこに入るかを当てはめていく。そして結果として左右が合計金額で等しくなるように振り分けてゆく。

ただ、借方と貸方の左右に振り分ける当て込みの方法は案外と難しい。右と左が収益と費用で変わることも理解を難しくする。

勘定科目の金額が正の値である場合、適した勘定科目が属する枠に転記する。逆に負の値である場合、反対側に転記すればいい。
そしてそれが対となる勘定科目では逆の位置になる。それさえ覚えれば、仕訳については何とか理解できる。
本書を読んでいるうち、大学時代に受けた簿記の知識がよみがえってきた。

本書はまさに一番やさしい簿記とうたうだけあって、かなりの説明を仕訳に割いている。
私の印象では全体の6割が仕訳の説明に当てられている。次々と仕訳の事例が登場し、それに取り組むうちに読者は自然と仕訳に慣れていく。そういう仕掛けだ。

本書は、伝票についても説明が割かれている。伝票は受発注のシステムを作る上で不可欠の知識だ。私の仕事でも頻繁に登場する。
ただし私は今まで伝票のことをデータ管理の観点からとらえていて、簿記や経理の観点からは考えてこなかった。だが、実は伝票とは簿記の必要から生れた仕組みなのだ。私は本書を読んでそれを理解した。仕訳帳に記帳するかわりに伝票に記帳するようになったいきさつなど、学びからはいつになっても新たな発見をもたらしてくれる。
三伝票制、五伝票制があることも本書によってもう一度教えられたことだ。三伝票制は入金伝票、出金伝票、振替伝票で管理する。五伝票制はそれに売上伝票と仕入伝票が加わる。
売上伝票の勘定科目は売掛金しかなく、仕入伝票の勘定科目は買掛金しかないこと。
こうした知識も本書を読んで再び学びなおせた。仕事で使っている知識の歪みが補正されるのは学ぶ者の喜びだ。

また、決算書の作り方についても本書は丁寧に説明してくれている。
私も決算書は最低限の見方だけは知っている。だが、その作り方となるとさっぱりだった。
本書の説明を聞いていると、その仕組みが理解できる。そして、会計システムのありがたみが実感できる。
その進化系であるクラウド会計のこれからも楽しみだ。

‘2020/02/05-2020/02/09


アクアビット航海記 vol.22〜航海記 その10


あらためまして、合同会社アクアビットの長井です。
弊社の起業までの航海記を書いていきます。以下の文は2017/12/28にアップした当時の文章が喪われたので、一部を修正しています。

前半生のまとめ


前回に書いた通り、上京した私。
悩める前半生から心機一転、新たな人生へ足を踏み入れます。

ここで後半生に入る前に、今までの連載を振り返ってみたいと思います。
ただ、振り返るにあたり言っておかねばならないことがあります。
それは、何が良くて何が悪かったかの判断を拙速に決めてはならないことです。その判断基準は人によって、時期によってまちまちだからです。
ましてや私の場合、成功者ではありません。まだ発展途上の不安定な状態です。
不安定な今を基準にそれまでの人生を判断することだけは戒めないと。

なので、ここでは振り返る基準を”起業”したという事実において判断してみようと思います。
起業にあたって、前半生の私の何が良かったのか、何がまずかったのか。
”起業”したという事実をもとに、前半生のまとめを記したいと思います。

七つの賜物


まず一つ目に挙げられるのは、私が大学卒業後、新卒として社会に出なかったことです。
新卒で採用されなかったことによって、私は社会人としての基礎訓練を受けずに社会に出ました。これは私の足かせになりましたが、型にはまらずに済んだメリットもありました。そのどちらが良かったかは、今となっては結果論にすぎません。
ただ、人と違うレールを歩んでいるという引け目を無理やり味わったことは、私の起業へのハードルを確実に下げました
また、若い時分から、一つの現場に縛られることがなく、さまざまな職場を経験できたことも、私にとってはプラスだったと思います。

二つ目に挙げられるのは、私がなにがしかの技術を手にした状態で大学を卒業したことです。
大学の学問を修めただけでなく、ブラインドタッチという技をもって社会に出ました。
これは、当時の私にとって武器となりました。
もちろん、ブラインドタッチだけで起業できるはずはありません。しかし、入力オペレータとして派遣登録できるぐらいには、私の役に立ってくれました。なぜなぜなら、社会に出てすぐ、自分の技術でお金をもらう経験を積めたからです。
私が上京して仕事したとき、大学のブランドには頼れませんでした。当時、東京では私の出た大学は無名だったからです。つまり、出身大学がどこだろうと関係がないのです。
その時、人に貢献できるスキルが己にあるかないかだけが問われます。
技術の大切さを若いうちに痛感できたのはよかったと思います。

三つ目は、自分の内面を底の底まで見つめた経験です。
人生に悩み、自分の限界を痛感し、底で這いずり回る苦しさを実感したこと。これは自分の弱さや未熟さを教えてくれました
よく「若い時の苦労は買ってでもしろ」と言います。その通りだと思います。
私の場合はまず鬱の症状が自分自身の壁として立ちはだかりました。この壁は厚く険しかった分、壁を打ち破った先にある世界の広がりを自分に示してくれました。
また、大学時代に経験したホテルの配膳のアルバイトと、ブラック企業でしごかれた経験は、私の天狗の鼻を容赦もなくへし折りました。
それらの経験は、自分にとって向いている仕事はなにかを考える上で頼りになるガイドになりました。
後半生、起業で苦しくなった時も何度もありました。ですが、それ以上に苦しい経験を積んでいると、心は折れないものです。

四つ目は、人の上に立つ経験を積んでいたことです。
私にとっては大学時代の部活がそうです。
規模の大小や、種類は問いません。形はなんだってよいのです。どういう形であれ、人の上に立つ経験。それは、起業に踏み切る上で私を後押ししてくれました。
私の場合は末端の派遣職員の立場も味わったため、両側の立場から物事を見る視点も養えました
あと、若い時期に孤独を噛みしめ、孤独に慣れる術を持っていたことも起業には助けとなりました。経営者は孤独なのです。

五つ目は、読書の習慣を得たことです。
苦しい時期に本を救いを求めたことは、一過性の快楽ではなく、書物の中から心を養ってくれました。
本の中には著者や登場人物による多様な視点と、そこから導き出された考えが詰まっています。そして、人生を多様な価値、あらゆる角度から教えてくれます。
未熟で若いうちは、実生活で熟練のための経験を得ることなど、そうそうありません。しかし読書はそれを可能にしてくれます。
”起業”して一旗をあげることも、組織の中で仕事を全うすることも、書物の中では等しく経験できるのです。
その効果を若いうちから感得できたことは私の人生の糧となりました。

六つ目は、新たな人々との触れ合いです。
違うフィールドにいる人と接点を持ち、お付き合いする。それは人生の可能性を広げてくれるのです。
この人とのご縁の大切さが自らの助けになることを知り、その出会いに感謝できたことも重要だったと思います。
読書で得た多彩な人生への見方を、人々との付き合いで実際に確かめる。その経験は、人にはそれぞれの人生の可能性があることも教えてくれました。もちろん自分の可能性も。
さらに、それぞれの人が自分の考えや価値を抱いて生きていることも身をもって知りました。それが多様性につながります。比較する基準の多さは、人と自分を比較する呪縛から私自身を解き放ってくれました。
それらの経験は、私の仕事の幅を広げてくれたばかりか、生涯の伴侶を得る時にも役立ちました。
変に人嫌いにならず、人とのご縁が自分を成長させてくれる実感を若い頃に得られたのはありがたかったです。

七つ目は、瞬発力の大切さを知ったことです。
私が上京する直前、2週間ほどの間に一気呵成に物事を決断し、実行に移しました。
その行いは、私の人生を新たなステージへと進めてくれました。
瞬発力の大切さは、後半生で起業に踏み切る際にも実感しました。
”起業”した後は、悩んでいる時間などなかなか取れません。時には後先を考えずに飛び込むこともあります。当然、失敗もあります。私がブラック企業に飛び込んだように。
でも、過ぎてしまえばそれは結果です。過去の失敗として懐かしく思える日が来るのです。
そのためにも直感に従って決断することはなおざりにしてはなりません。石橋をたたいて渡らない、などもってのほか。
瞬発力の大切さを肝に銘じたことも、私の人生の財産です。

感謝します

本稿を書いた2017年の年末は、私が常駐先から抜け、真の意味で独立を果たす時期でした。
正直にいうと、当時、安定収入が入らなくなることにためらいました。家計も苦しかったですし。
本稿を書いてから今、3年近くがたちました。コロナで経済が失速していますが、なんとかやってこられています。安定収入がない怖さも最近はそれほど感じません。
今の状況など、私にとっては這い上がるべき場所さえも見えなかった時期に比べれば大したことはありません。その時期を乗り越えた経験は、今の自分を勇気づけてくれます。
たぶん、これからも苦しい時期はあるでしょう。が、この頃に味わった苦しみを思い出せば、乗り越えられると信じています。

後半生も、さまざまな試練が私を待っています。何度も打ちのめされました。死を思う事もありました。
でも、なんとか今、本稿を書けていることに感謝したいです。

最後に、当時、私にこういう連載の場を提供してくださったCarry Meさんにあらためて感謝を申し上げます。当時の「本音採用」編集長の野田さんにも。
また、つたない私の文章と私の取るに足りない一生に付き合ってくださっている読者の方にも感謝の言葉を。そして、両親や肉親、私とご縁のあったすべての人にも感謝の言葉を。

本連載第一回で書いたように、私は個人と家庭と仕事の両立を目指しています。
そして、人には人の考えがあり、それを押し付けるつもりもありません
あくまで私は淡々と自らの起業までの歩みを記すのみ。
引き続き、後半生をつづっていきます。ゆるく永くお願いいたします。
皆様のアフターコロナが良くなることを願って。


天平の甍


今になってなぜ鑑真和上について書かれた本書を手に取ったのか。特に意図はない。なんとなく目の前にあったからだ。あえていうなら、平成27年の年頭の決意で仏教関連の本を読もうと決めていた。そして意気込んで親鸞についての本(レビュー)を読んだのだが、私には歯が立たなかった。それ以来、仏教についての勉強はお留守になっていた。しかし平成27年も師走を迎え、年越しまでにもう一冊くらいは仏教関連の本を読みたいと思ったのが、本書を手に取った理由だろうか。

仏教を学問として取り扱った本よりも本書のような小説の方がリハビリにはちょうどよい。本書は、著者の作品の中でもよく知られている。そして、本書で語られる鑑真和上の事績は日本史の教科書にも取り上げられているほどだ。我が国の仏教伝来を知るための一冊として本書は相応しいといえるだろう。

そんな期待を持ちつつ本書を読み始めたのだが、本書の粗筋は私が学ぼうとした意図とは少し違った。日本への仏教伝来を知ろうにも日本が主な舞台ではない。鑑真和上が倭国に仏陀の教えを伝えんとして幾度もの挫折から失明し、それでも仏教の伝戒師がいない日本のために命を賭けて海を渡ってきた事はよく知られている。その過酷な旅については、奈良の唐招提寺に安座されている鑑真和上座禅像の閉じたまなざしが明らかに語っている。

本書は、鑑真和上来日に関する全てが著者の想像力によって描かれている。ただし、その舞台はほとんどが唐土だ。鑑真和上が奈良時代の大和朝廷に招提されてから入寂するまでの期間、伝戒師として過ごした期間についてはほとんど触れられていない。考えてみれば当たり前のことだ。鑑真和上の受難に付いて回る挿話とは、唐土と海上での出来事がほとんどだからだ。したがって、我が国への仏教伝来事情を学ぼうにも本書の視座は違っているのだ。

だが、それで私の意欲がくじかれたと考えるのは早計かもしれない。当時の我が国は大唐帝国を模範とし模倣に励んでいた。仏教だけではない。平城京の区割りや律令制度にいたるまで大唐帝国を模範した成果なのだ。遣唐使の歴史がこれだけわれわれの脳裏に刷り込まれているのも、当時の我が国にとって遣唐使がもたらす唐文化がいかに重要だったかの証といえよう。

なので、鑑真和上を日本に招提するため、日本の僧が唐土へ渡り各地を巡って仏教を学ぶ姿そのものが、我が国の仏教伝来事情と言い換えてよいのかもしれない。

本書に登場する留学僧たちの姿から感じられるのは「学ぶ」姿勢である。「学ぶ」は「真似ぶ」から来た言葉だという。「学び」はわれわれの誰もが経験する。が、そのやり方は千差万別。つまり、考えるほどに「学ぶ」ことの本質をつかみとるのは困難になる。しかし、その「学び」を古人が愚直に実践したことが、今の日本を形作っている。そういっても言いすぎではないはずだ。

本書の主人公は鑑真和上ではない。日本僧普照である。本書は、普照とともに遣唐使船に乗って唐に渡った僧たちの日々が描かれている。さらに、彼らと前後して唐に渡り、唐に暮らす日本人も登場する。

普照と共に唐に渡ったのは、栄叡、戒融、玄朗。それぞれ若く未来を嘱望された僧である。また、30年前に留学僧として唐に渡り、かの地に留まっていた景雲、業行も本書の中で重要な人物だ。この六人は、それぞれが人生を賭け、学びを唐に求めた僧たちだ。

普照は、本書では秀才として描かれる。他人にあまり関心を持たない冷悧な人間。いわば個人主義の権化が普照である。本来であれば、学びの本質とは個人的な営みである。しかし当の普照は、自らを単に机の前にいるのが長いだけの男と自嘲している。そして、普照は努力の目的を見失ってしまい個人の学びに見切りをつける。替わりに、鑑真を招く事で我が国に仏教を学ばせようとする。個人ではなく国家の視点への転換である。普照の意識が個人から国家や組織へと置き換わってゆく様は、本書の隠れたテーマといえる。普照の意識の変化は、学ぶ事についての意識の深まりである。それは、我が国が歴史の中で重んじた、中華の歴代帝国を手本とする学びにも通ずる。国家単位での学びを個人で体現したのが普照といえる。

では、そもそも普照を鑑真招提の目的へ誘った栄叡は何を学ばんとしたのか。彼は唐へ向かう船上で、すでに国家の立場で学ぶ意識を持っていた。普照が気づくより前に、個人のわずかな学びを積み重ねることが国の学びとなることを理解していたのが栄叡である。なので栄叡こそが鑑真和上の招提を思い付いた本人だ。そして栄叡は招提のために奔走し、普照の人生をも変える。しかし栄叡は二回目の渡航失敗により、病を得、志半ばで異国の土となる。しかし、その志は鑑真や普照を通じて日本仏教に影響を与えた。大義のために私をなげうつ態度は、当時の日本の志士といっても過言ではない。栄叡のような人物たちが、今の日本の形成に大きく寄与しているはずだ。

戒融の学びは、実践の学びである。「机にかじりついていることばかりが勉強と思うのか」と仲間たちに言い放ち、早くから放浪の意思を表す。そして実際に皆と袂を分かち、僧坊や経典に背を向け流浪の旅に出る。学校や教団のような組織に身を置く事をよしとしない戒融は、私自身に一番近い人物といえるかもしれない。自身の苦しみは自身で処理し、他にあまり出さない姿勢。そういう所も、ほとんど独学だけでやって来た私がシンパシーを感じる箇所だ。独りの学びもまた学びである。しかし、それは人に理解されにくい道だ。本書の戒融は、人から理解されない孤高の人物として描かれる。本書は普照の視点で書かれているため、戒融は物語半ばで姿を消す。そして物語の終わり近くになって再登場する。実在の文献によると戒融という僧がひっそりと遣唐使船で帰国した事が記されているそうだ。ただ、戒融が放浪僧だったとの史実はなく、あくまで著者の創作だろう。しかし、創作された戒融の姿からは独学の限界と寂しさがにじみ出ている。私も独学の誘惑にいまだに駆られている。が、私の能力では無理だ。共同作業によらねばならない現実を悟りつつある。何ともはかないことに、独り身の学びを全うするには人の一生はあまりにも短いのだ。それでもなお、独り学びには不老と同じく抗い難い魅力を感じる。

玄朗の学びは、同化の学びといえる。玄朗もある時点までは普照たちと同様に学問を目標としていた。しかし、玄朗は唐に向かう船上ですでに日本への里心を吐露する。そこには、同化と依存の心が見える。当初から向学心の薄かった玄朗の仏教を学ぶ意思は唐に渡って早々に薄らぎ始める。玄朗の意欲はますます減っていき、普照が鑑真和上の招提に奔走する間に唐への同化の度を強め、ついには唐で家族を持ち僧衣を脱ぐに至る。普照や鑑真が乗る日本への船に招かれながら、土壇場で心を翻して唐人として生きる道を選ぶ。玄朗の心の弱さをあげつらうのは簡単だ。だが、それはまた唐の文化に自らを馴染ませる学びの成果といえないか。玄朗は玄朗なりに自らの性格や依存心を早くから自覚し、仏門に向いていない自らの適性を学んだともいえる。それはそれで同化の学びとして何ら恥じるところはない。古来、数限りない適応や同化が繰り返され、人類は栄えてきたのだから。

景雲の学びは、諦めの学びだ。30年間唐にあって何物をも得られず、ただ無為の自分を自覚する。30年とは当時の人にとって一生に等しい時間だ。だが、私を含めた現代の人間の中に景雲を笑える人はそういないだろう。全員が景雲のような無為な人生を送る可能性もあるはずだ。だからこそ、景雲の生き方を反面教師として学ばねばならない。大人になるために学ばねばらないこと。それは自らの適性を探る行為だと思う。決して大学に行くためでも大企業にはいるためでもなく。自分が何に向いているかを試行錯誤する過程が学ぶことともいえる。義務教育とは、適性を学ぶための最低限の知識や社会適応を学ぶ場だと私は思っている。景雲にしてもあるいは他の文化、他の時代に生きていたら自らを表現できる場があったに違いない。諦めの学びは、良い意味でわれわれにとって有効な学びとなるだろう。

最後に業行。この人物の存在が本書に深い陰影を与えていることは間違いない。本書が単に鑑真の偉業をなぞるだけの本に終わっていないのも、業行の存在が大きいと思う。業行が唐に渡ったのは普照たちに遡ること30年前。その間、ひたすらに写経に打ち込んできたのが業行だ。付き合いも避け、栄位も求めず、ただ己の信ずる仕事に打ち込んできた人物。膨大な経典を写し取り、それを日本に持ち帰ることだけを生きがいとする日々。その学びは、寡黙の学びといえる。その成果は、業行と共に海の藻屑と消える。30年間の成果が自らの命と共に沈もうとするとき、業行は何を思っただろう。しかし、業行の寡黙の学びとは、何も業行だけのことではない。業行以外にも同じ志をもって命がけで唐に学んだ無名の人々の中には業行と同じ無念を味わった人もいたのではないか。無名とはすなわち寡黙。寡黙ではあるが、彼らが唐から持ち帰ってきたものが日本を作り上げていったことは間違いない。史書はともすれば饒舌に活躍した人々を取り上げる。当たり前のことだ。史書に残らない人々は、容赦なく時代の塵に埋もれてゆく。しかし寡黙な人々が着実に学びとらなければ、我が国の近代化はさらに遅れていたかもしれないのだ。寡黙な学びを実践した業行はじめ、無名の人々には感謝しなければなるまい。

後世の日本人はこういった人々の困難と徒労の積み重ねの成果を享受しているだけに過ぎないことを、われわれは知っている。本書に出てくる以外の人々によって命を懸けた学びが繰り返されてきたことだろう。それは、簡単に情報を得られ、ディスプレイ越しに旅行すらできてしまう現代人には想像すらできない速度の積み重ねだったのではないか。では、われわれは何を学べばよいのか。本書が問いかけるものとは、本書が刊行された昭和当時よりも今のIT化著しい時代に生きる者にとって重い。

‘2015/11/27-2015/12/02


受験生に向けて-偏差値に負けるな


そこら中で梅の花が咲き誇っています。紅白が美しい季節です。

この季節はまた、受験の季節でもあります。受験が終わった方、まだこれからの方。喜びや悲しみが、それぞれの方に届けられていることでしょう。

我が家も長女が初受験に臨みました。幸いにして第一志望の学校に受かることが出来ましたが、不合格も経験しています。初めての試験がどうだったか。本人にはまだきちんと聞けていません。成長にあたっての通過点として記憶に残してくれればよいのですが。少なくとも偏差値の高低よりも、自分の行きたい道を選んでくれたことは評価したいと思います。

私自身、かつては高校受験生でした。受験した高校は、通っていた小学校の隣に立っていました。私にとって通い慣れた場所です。何もなければ全く印象に残らぬまま、人生の単なる通過点として過ぎてしまったことでしょう。でも、この通過点は結構覚えています。なぜなら生まれてこの方、緊張のあまり胃が痛くなったのは高校受験の時だけだからです。受験前の2、3週間はとにかく胃が痛くて痛くて。

その後の私の人生を考えれば、高校受験で胃を痛めた経験は微笑ましくすら思えます。高校受験よりも胃の痛い試練や苦難など、それこそたくさん潜り抜けてきたので。でも、今の私が胃を痛くするとしたら、食べすぎか呑みすぎが関の山です。多分今後も、私がディナーバイキング以外で胃を痛めることはないでしょう。それはなぜかというと、私が個人事業主の時期を長く過ごし、今は法人の代表という立場に就いているからだと思います。

個人事業や法人経営。それは常に成果が求められる世界です。成果を出せなかったら二度と発注を頂けないだけの話。落選通知すら来ません。これが就職活動であれば「厳正なる選考の結果、誠に残念ではございますが」のような文が届くのでしょう。しかしビジネスの世界ではそれすら来ないことがほとんどです。その度にいちいち胃を痛めていたら、太田胃酸やパンシロンがいくつあっても足りません。

「偏差値」というのは受験生にとってはとかく悪評の高い言葉です。でも、私のような立場からいうと恵まれた言葉です。相対であれ絶対であれ、目標値が明確に設定されているのですから。そして、もっと恵まれていると思うのは、一度「偏差値」の門を潜り抜けてさえしまえば、その評価は生涯変わることがないことです。

同じことは偏差値が設定されている高校や大学受験に限らず言えます。例えば国家資格。医者や教員、税理士や公認会計士、法曹資格のような資格がそうです。それらの国家資格は、更新試験が設けられていません、そのため一度取得すればほぼ不変です。自ら返上するか、不祥事による資格はく奪が無い限りは生涯持ち続けていられます。また、公私企業の正社員もそうです。終身雇用を錦の御旗として掲げてきた我が国としては、一度正社員になるとそうそうクビになることはありません。

立場が守られているという状況は、緊張感を喪わせやすい。これは皆さんも認めるところでしょう。それはまた、既得権益の死守という動機をも産みかねません。

もちろん、私が知っている方は皆さん努力されています。セミナーに出席したり勉強会を開いたり。私の妻は歯医者ですが、最近は歯や口の健康から体全体の健康寿命を取り入れるため勉強しているようです。そういった方々は、一度得た立場に安住することなく、努力を重ねられている方として尊敬したいと思います

でも、色んな事件やニュースを見ていると、どうも我が国の活力を失わせているのは、そういった努力家ではない、立場に安住してしまった方のような気がしてなりません。

最近の日本に活力がなくなっていることは色んな方が指摘しています。それぞれに説得力がある意見だと思います。私はここにもう一つ追加しておきたいと思います。それは、努力が不要な社会になってしまっているということです。一度入ってしまえば、一度得てしまえばさらなる成長努力をせずに既得利益が得られる社会。組織内での立場だけを気にしておけばよい社会。これでは活力も出て来ませんし、他のハングリーな国々に負ける一方です。仮に今後我が国が移民を増やしていくとして、今のような状況が続けばどんどん優秀な移民者に職を取って代わられかねません。

今後は、こういった意識は改められるべきではないかと思います。常にある程度の緊張を保つような社会。努力しなければ安易に地位を追われてしまうような社会。それは流動性のある社会といってもよいでしょう。また、あらゆる方にチャンスが広がる社会でもあります。働きたいのに働けない不定期労働者や結婚したいのに収入がない独身の方や子供が欲しいのに収入も保育園もないご夫婦にとってチャンスが巡る社会。

そして、絶えざる努力が求められる社会にあっては、受験の意味すら変わってくるでしょう。入学のハードルは低いが、卒業時に学問の成果が問われる学校。大学時代遊びまわっていた私がいうのもなんですが、卒業時に学位を容易に与えすぎだったのでしょうね。今までは。

今の受験生の方々には、一旦受かったからといってゆめゆめ努力を怠ることのないようにして頂きたいです。また、自分の思う志望校に行けなかった方も、決して今後の人生を諦めることのないようにして頂きたいです。偏差値が低い学校だっていいじゃないですか。偏差値が高い学校に入学して気を抜いた連中を追い抜く時間はまだ沢山あります。社会に出たら大学や高校がどこだったかなんて大手企業の学閥しか気にしませんよ。それよりも大切なのは、いかに仕事が出来るかです。社会に出てからも自らの評価を取り戻すチャンスは沢山転がっています。これは間違いありません。

私自身、関西では名の通った大学を卒業しましたが、上京して以来、その威光に頼ることは殆どありません。そもそも誰も知らなかったので頼りようもありませんでしたし。己のほんのちょっとの才覚と、それを補うかなりの努力でこれまで何とかやって来ました。また、これからも勉強を惜しまず世を渡っていこうと思っています。

そういった姿勢を今回合格した娘には教えて行きたいと思っています。そのためには、私自身も常に勉強の意欲を持ち続けねば。そう強く思います。