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PAN ネバーランド、夢のはじまり


最近の映画には、有名な物語を題材にした内容が多い。それも単純なリメイクではない。その物語があまりにも世間に広まっていることを逆手に取っていることが多い。例えば内容を解釈しなおしたり、製作秘話を紹介したり、さらには前日譚を披露したり、といった趣向だ。映画製作者にとっては金鉱を掘り当てたに等しい題材なのだろう。

今日観た「PAN ネバーランド、夢のはじまり」ピーターパンもそう。有名なピーターパンの内容の前日譚、いわばプロローグを創造したのが本作だ。ピーターパンの製作秘話については、すでに映画化されている。ジョニー・デップが戯曲の原作者ジェームス・マシュー・バリーに扮した「ネバーランド」がそうだ。内容のレベルが高く、感動させられた一作だった。私も泣かされたものだ。だが、その内容は大人向けであり、子どもには若干伝わりにくかったと思われる。

だが、本作は子供に伝えることを第一に考えた内容となっている。なぜピーターパンは、フック船長と始終争っているのに、笑っているのか。なぜ彼らの戦いはどことなくのどかで、トムとジェリーみたいなのか。ピーターパンはいつからネバーランドにいるのか。どうやって空を飛べるようになったのか。本作ではそれらの秘密が明かされる。ピーターパン好きにとってはたまらない一作だろう。

母親によって孤児院に預けられたピーターは、子供時代を孤児院で過ごす。母が恋しくて仕方ないピーターは、ある日、ドイツ軍によるロンドン空襲の最中、孤児院の地下で母が自分宛に送った手紙を見つける。親友のニブルとシスターからのいじめに耐えるピーター。ここら辺りまでは暗い色調の落ち着いた雰囲気で話が進む。

そしてその空襲の後、話は一気にファンタジー溢れる場と化す。空飛ぶ海賊船が孤児院上空にやってきて、孤児院は子さらいの場と化す。ニブルは連れ去られる間際に孤児院へ飛び降りたが、ピーターはそのまま空飛ぶ海賊船に乗って黒ひげの下へと連れ去られる。黒ひげは、大規模に奴隷を使って妖精の石ピクサムの採掘をさせつつ、妖精の粉の不老効果を浴び続けている。そこでピーターと知り合ったのが、フックと名乗る男。作業監督のスミとともに、採掘所からの脱出に成功し、部族の集落へと向かう。そこで自らが部族の伝説の少年であることを知らされるピーターは、母もまた部族に所縁をもつ人であることをしり、部族で母と合うことを求める。そこへ黒ひげが襲来し、妖精の王国までもが黒ひげによって蹂躙されてゆき・・・・という話。

つまり、ここにはフック船長vsピーターという図式は出てこない。悪役はヒュー・ジャックマン扮する黒ひげなのである。フック船長はギャレット・ヘトランドが爽やかに演じている。そこには手鉤もなければヒゲもない。フック船長のイメージを全く新しい物として提示したのが本作の演出で一番工夫した点かもしれない。ピーター・パンとフック船長は、本作においては仲間であり戦友なのである。なぜピーターパンは、フック船長と始終争っているのに、笑っているのか。なぜ彼らの戦いはどことなくのどかで、トムとジェリーみたいなのか。その2つの疑問は、本作を観ていると解消されることになる。

ピーター・パンの物語の登場人物への思い入れが強ければ強いほど、スクリーンの登場人物が生き生きとして見える。なので、俳優陣にはかなり高いハードルが課せられる。その点、残念ながら私にとって、本作の俳優陣の演技はそれほど役のイメージと合わなかったといわねばなるまい。いや、イメージというよりか、俳優間の掛け合いの間合いがしっくりこなかった。そこが残念であった。特にミスター・スミはフックに協力するかと思えば、黒ひげの手先となって妖精の王国のありかを教えるなど忙しい役である。ドジでのろまな愛敬ある悪役の手下のイメージを作り上げたといえばミスター・スミ。これには同意いただける方も多いのではないか。しかし本作でのミスター・スミの繰り出す様々なボケが少し間を逸していたのだ。黒ひげとの掛け合いでもフックやピーターとの掛け合いでも。そこが残念であった。また、掛け合いの間がずれているように思えたのは、フック船長とピーター、タイガー・リリ-の間での掛け合いもそう。私の求める間合いと劇中の彼らの間合いのずれは最後までとうとう解消されないままだった。

それはフック船長のイメージが異なり過ぎていたといったことでもない。タイガー・リリーがイメージ的に妖艶過ぎたためでもない。なぜだろう。

黒ひげのヒュー・ジャックマンの演技は格別で、抑揚とアクセントの効いた悪役っ振りは素晴らしかった。また、リーヴァイ・ミラー扮するピーターは、その瞳の美しさやスクリーンでの立ち居振る舞いすべてがピーター・パンのイメージそのままで、素晴らしいものがあった。それだけにこのずれが私の中で惜しいと思わされた。

このずれの原因は分からないが、あるいはこういうことかもしれない。本作の中で、全てのピーター・パンの話は明かされる訳ではない。たとえばフック船長の手鉤。様々なミュージカルやアニメによって右腕にもなったり左腕にもなったりしているという手鉤の由来は本作では出てこない。また、フック船長とピーター・パンが争うようになった理由。これも本作では提示されていない。伏線的なものすらない。この違和感が余韻となって、本作内での俳優たちの掛け合いの違和感を強調させたのかもしれない。

とはいえ、本作の美術効果や音楽効果は素晴らしい物があった。特に第二次大戦中のロンドンの様子や孤児院、ネバーランドや妖精の王国など、見事というしかない色彩の使い方で、美術の素晴らしさは見るべきものがあった。また、音楽面でも見逃せない。特に、NIRVANAの「Smells Like Teen Spirit」に独創的なアレンジを施して黒ひげの登場シーンに流したセンスは唸らされた。まさか第二次大戦やファンタジーの王国の話で、NIRVANAが流れるとは。他にもラモーンズも使われていた。

ひょっとしたら第二弾が作成され、その中で先に書いた手鉤や争いの理由が書かれるのかもしれない。そうしたら、また娘たちと観てみようと思う。本作でリーヴァイ・ミラー少年が演じたピーター・パンの瞳は、そのぐらい魅力的だった。

’2015/11/1 イオンシネマ新百合ヶ丘