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「わがまま」がチームを強くする。


本書はCybozu Days 2020の会場で購入した。
この会場において弊社は初めてCybozu Daysのスポンサーとしてブース出展を果たした。
その出展の興奮も醒めぬうちに、最終日のギリギリでサイボウズ商店に駆け込んで本書を手に取ったのを覚えている。

それまでkintoneエバンジェリストとして活動してきた私が法人を設立し、Cybozu Daysに出展も果たしたことで、ようやくサイボウズオフィシャルパートナーとしての一歩を踏み出せたことに感慨もひとしおだったことを覚えている。
ユーザーとしても技術者としても、そしてパートナーとしてもkintoneエコシステムの一員になれた記念が本書だ。

私がサイボウズ社やkintoneエコシステムに関わったいきさつは、さまざまなところで発信してきたのでここでは繰り返さない。

ただ、私がkintoneに自分のキャリアを賭けようと決め、それからずっとやってこられた理由はkintoneとそれを運営するサイボウズ社の理念に共感し続けられたからだ。
それまでにいた組織の中でやりにくかったことや窮屈と感じていたこと。それを打破しようとしてくれていたのがサイボウズ社であり、働き方改革の旗手としての魅力的な取り組みが私をkintoneへの道に駆り立てた。

組織に殉じて自分を殺すことが美徳とされた旧来の日本企業。
そうした企業の立場からすると、本書に取り上げられるようなわがままを社員に許すことなどあり得ない。わがままがまかり通るような状態は組織としての統率の根幹に関わる由々しき問題だ。
それが今までの日本社会の風潮だった。

そうして醸成されたわがままを許さない気風が進取の機運を阻み、柔軟な発想や多様性に溢れた社会への対応力を削いでいた。

ところがサイボウズ社は「わがまま」と言う誤解されやすい言葉を掲げることで、あえて世間の視点と半歩先の逆を行く。
そうした発想の延長で生まれたのがCybozu Days 2020のスローガンである『EGO & PEACE』なのだろう。
二つの矛盾する言葉を並べてテーマとしてしまうところがサイボウズ社のイメージ戦略の達者な点である。
そして、そのような攻める姿勢が私のような旧来の常識に飽き足らない者の共感を呼ぶ。

だが、ただそうした言葉を掲げるだけでは説得力は生まれない。
わがままを組織の構築に生かし、それを実践してきたサイボウズ社の積み重ねの上に『EGO & PEACE』がある。このスローガンは、実績に裏打ちされた言葉である。

本書は、わがままをどのようにチームビルディングに生かしてきたかについてのサイボウズ社による試行錯誤の跡がエッセンスとして描かれている。
結局、わがままとは一つの方針に従うことへの反発から生まれる。つまり画一性に対する多様性だ。わがままの数だけ多様性の種があると言っても良い。

だが、そのわがままも無秩序なわがままが乱発、乱立するような状態だと、チームはばらばらになってしまう。

まず軸となる企業理念。これを設ける。
わがままの最上位に企業理念というわがままをおく事で、それぞれのわがままの良し悪しが決められる。

この良し悪しを決められる組織こそがチームであり、ただ乱立しているわがままを放置するままにする集団がグループであるという一節は説得力に満ちている。

さらに、そのチームにはわがままを言うことが許されるような心理的安全性が確立されていることも重要だ。それがないと、そもそもわがまま自体が出されず、多様性へのタネも撒かれない

サイボウズ社の関係者から出されるブログや書籍の中でよく出てくるのが雑談の重要性だ。
雑談による自由な発想の会話。
そこから生まれるわがままを単にわがままとしてではなく、チームとして実現できる方向につなげる体制も必要だ。

同じようによく登場する言葉が説明責任と質問責任だ。
つまり、わがままとは質問責任である。今の組織の状態の矛盾を放置することも、自分の希望や欲求をわがままだからと言わずにおくことも、一種の質問責任の放棄である。
一人のわがままを次のアクションにどうつなげるか。そこからチームの多様性が生まれる。
そのアクションの設定までをやり遂げて、初めてチームは機能する。

それぞれのわがままの形は違う。が、それをうまく石垣のように組み合わせることで、頑丈な基盤を持った組織は出来上がる。
石垣は常に外にむき出しだ。つまり基盤の形やそこに組まられたわがままも外に常に公開されている。
その公明正大なありかた、つまり透明性を内外に示すことで、より組織は盤石になっていく。

本書を読んだとき、弊社はまだ一人親方の会社だった。
それから本稿をアップするまでに2年半が経過した。その間には複数のメンバーを増やし、企業理念も各種の規約も作り、企業としてはそれなりの形になってきた。

だが、弊社はまだ私の理想とする組織のあり方からは程遠い。
うまく動いていない理由は、弊社に盤石な商品・サービスが打ち出せていないことが原因なのだろうと分析した。
システム構築のゴールもプロセスもお客様によってまちまちだ。そして、今までの弊社はその対応を代表の私のスキルに依存していた。
弊社として全てのメンバーがお客様ごとに違うやり方を臨機応変に対応できるようにしようとしたが、それをメンバーに求めるのは酷な相談だったと反省している。
結局、疲弊してしまったのだろう。

上記の現状分析の上で、あらためて本稿をアップするにあたり、本書をざっと読み直した。

結果、私の目標とする組織のあり方は本書の内容からはいささかもずれていないと確信できた。
本書に書かれた形のチームビルディングはこれからも目標として有効だと思う。
また、弊社メンバーに本書を読んでもらうか、読み合わせ会を設けるなどして、少しでも理想となるチームに近づけていきたいと思う。

2020/12/16-2020/12/16


選別主義を超えて―「個の時代」への組織革命


本書は、私が人を雇用し、そろそろ組織を構築しなければ、と思い始めた頃に読んだ。

私の社会人のキャリアは、人とは違う道を歩んだように思う。
新卒で就職する事を諦めた私は、フリーター・ニートの道へ。しばらく、アルバイト生活を転々とした後、就職を決意するもののブラック起業に入ってしまい、揚げ句に皆の面前でクビを宣告され。
そこから、いきなり上京した私は派遣社員の道へと。やがて正社員に登用された私は程なくして転職。そこで個人事業主として会社の立ち上げにスカウトされ、さらにそこを抜けた後は個人事業主として、複数の現場を渡り歩くフリーランサーの稼業へと。やがて、個人事業主を法人にし、雇用に踏み切って今に至った。
このテーマでは、以前鎌倉商工会議所で登壇して話したこともある。

私のキャリアは上に書いたとおりだ。そのため、組織の中で組織の論理に苦しめられた経験が少ない。むしろ、苦しめられたらすぐにそこを離れた。そして、組織の論理に縛られるのを嫌って、その度に自分にとって楽であろうと選択を重ねてきたら今に至った。

本書の後半には、組織の中で自営業のように自由に動く働き方や、フリーランスの形を選ぶ働き方が登場する。ところが、私はだいぶ前にフリーランスの生活を選んだ。すでに本書に書かれている内容は自分の人生で実践していた。つまり、私は本書から学ぶところは本来ならばなかった。

だが、ここに来て私は人を雇用し、組織を作る側になった。すると、本書の内容は私にとってちがう意味を帯びてくる。

組織になじめず、組織から遠ざかっていた私が組織を作る。この皮肉な現実について、本書はいろいろな気づきを与えてくれた。
つまり、私が嫌だったと思う事を個人にしないような組織。それを私が作り上げていけばよいのだ。

しかし、どのように自分に合った組織を作ればよいのだろうか。
例えば経営者としての私が人を雇い、評価し、昇進・昇給させる。その時の基準はどこにおけば良いのだろうか。
私が人を昇進させ、昇給させる営み。それはつまり選別することに等しい。
一方、本書のタイトルは「選別主義を超えて」と題されている。選別がそもそも今の世の中にそぐわなくなり、その次を説いている。
と言う事は、私の中でされて嫌だったことをする必要はない。そのかわり、新たな手法を駆使して組織を運営していかなければならない。ここで私の脳内は堂々巡りを始める。

第一章 席巻する選別主義

この章では、今までのように横並びで入社し、終身雇用の名の下に全ての社員を平等に扱う建前から、早めにエリートを選別し、昇給や昇進にもあからさまな差をつけるやり方が広まっている現状を紹介している。

弊社はまだ零細企業だ。メンバーも少ない。一括で何十人も採用できるような規模になるにはまだ早い。そもそも、働けない社員を雇う余裕はない。そのため、弊社は採用面接の段階で選別をしなければ立ち行かなくなる。

また情報技術を旨とする弊社であるため、昔ながらありえたような単純作業のために人を雇うつもりもない。むしろ、そうした作業は全てシステムに任せてしまうだろう。

第二章 選別主義の限界

この章では、そうした選別主義がもたらす組織の限界について触れている。
社員間に不公平感がはびこること。そもそも選別を行うのは人間である以上、完璧な選別などありえないこと。本章はそうした限界が紹介される。
私も今、経営をしながらそれぞれの社員の適性やスキルや進捗を見極めるようにしている。だが、規模がより広がってくると、私一人ですべての社員の評価をすることは不可能だ。そもそも、私も人の子だ。完璧に客観的な評価ができるか正直自信はない。

第三章 「組織の論理」からの脱却を

ここからは、新たな働き方への転換を紹介している。

組織が人を選別することの限界が来ているのなら、一人一人の社員が個々の立場で自立し、組織に頼らない人間として成長する。そうした道が紹介されている。

この章で書かれているのは、私が組織の中にいながら次の道を模索した試行に通ずる。実際、私はそのような選択を自分の人生に施してきた。今の私は弊社のメンバーにも、自立できるような人になってほしいと望んでいる。

もう、組織に頼りっぱなしで生きる生存戦略は、その本人の一生にとって良くない結果をもたらす。

何も言わず、文句も言わず、ロボットのように働いてくれる社員は果たして経営者にとってありがたいのか。おそらく私はそうした社員の明日は厳しいと感じる。

第四章 適用主義の時代へ

この章で紹介するのは、選別主義に代わる新たなパラダイムである適応主義だ。ある一定の年数がたてば昇給していくのではなく、その都度の会社の業績と個人・部署の業績を社会の状況に照らし合わせ、その都度で評価を行う。それが本書のいう適応主義だ。つまり年功序列は関係ない。

まさに今、社会はこのようになりつつある。

著者は、そのような社会になるためには、学校自体も変わらなければならないと言う。つまり従来のように新卒で大量採用し、といった企業側の要請が変わりつつある以上、学校側も変わらなければならな。企業からも任意のタイミングで社員を学校で学ばせることもある。柔軟で流動的な制度とカリキュラムも必要だとする。

私もこの点は同感だ。
今のような複雑な社会において、企業に入った後は勉強せずに過ごせる訳がない。会社に入っても常に勉強しなければ、これからは社会人としては通用しないと思う。
では、人々は何をどのように学べばよいか。それは企業側では教えにくい。だからこそ大学や専門学校は、常に社会人に対して門戸を開いておかなければならない。

第五章 21世紀の組織像
本書が刊行されたのは2003年。すでに21世紀に突入していた中で21世紀の組織像を語っている。
本書が刊行されてから19年がたち、ますます組織のあり方は多様化している。情報技術の進化がそれを可能にした。

本書で、フリーランスなどの新たな働き方が紹介される。それは、会社や組織を一生の働き場として見ず、スキルアップの場として見る考えだ。キャリアの中で組織に属するのは、あくまでも自らをバージョンアップさせるため。

本章で書かれていることは、私から見ると当たり前の事のように思える。たが、まだまだ組織に依存する働き方を選ぶ人が多いのは事実だ。2022の今でも。まだまだこれは改善の余地はある。そして、企業側でも流動的に働き方を前提に業務を組み立てることが求められる。

終章 日本型システムを見つめ直す

この章では、欧米の最新型の経営手法を安易に持ち込み、日本でまねる事の危険性を述べている。

私もまだ、自分なりの経営手法については試行錯誤の段階だ。
結局、私がいくらあがいたところで、組織としてきちんとした運営ができるようになには、規模が大きくなければ意味がない。
弊社の今の規模であれば、まだ私一人で対応できる。だが、やがては人事担当者を設け、本格的に考えていかなくては。
ただ、そうなったら今度は私個人のくびきを離れ、組織が組織としての自前の論理を備えていく。そうなったとき、個の時代を標榜する本書の意図に反した組織になっていかないか。

そうした段階に達したとき、どこまで経営者の、つまり個を重視する私の考えが評価の中に生かされていくのか。
本書を読むと、そうした課題のあれこれが果てしない未来になるように思える。努力するしかない。

2020/10/21-2020/10/28


リモートチームでうまくいく


著者の名前は今までも、さまざまなインタビューやネットニュースなどで拝見してきた。著者が経営するソニックガーデン社の取り組み事例として。
著者の登場する記事の多くはCybozu社に絡んでいることが多い。
そういえば、一時期、私と同じくkintoneのエバンジェリストだった方もソニックガーデン社の社員だった。
それもあって著者やソニックガーデン社のことは前から気になっていた。

著者やソニックガーデン社が唱える理念には、共感する部分が多い。
本書の前に著者が出版した『「納品」をなくせばうまくいく』は、私の心を動かした。
情報処理業界で生計を立てるものにとって、納品という営みはついて回る。それをあっさりとやめようと宣言する著者の言葉は、私を驚かせてくれたし、共感もできた。
システム業界にとって納品という商慣習は常識だった。だが、それはもはや非合理な商慣習ではないのか。そう考えていた人はいたかもしれないが、実際に行動に移す会社がどれだけあるだろう。

本書はそんな著者がリモートワークの要諦を語ってくれるというのだ。書店で手に取り、購入した。

弊社はもともと、リモートワークを実施している。
私自身はほぼリモートワークの体制で仕事を行っている。
だから、本書を買わなくてもリモートワークの本質はつかんでいるつもりだ。ではなぜ、本書を購入したのか。
それは、私の役目がプレーヤーから経営者に変わったからだ。

私はリモートワークの全てを自分の中に言葉として血肉にできていない。
それは私がプレーヤーであり続けてきたからだ。だから、私がいくらリモートワークの効能を人に勧めても説得力に欠ける。
だが、そろそろ外部の協力技術者も含めたリモートワークの体制を作ることを考えなければ。

弊社として、今後もリモートワークでいくことは間違いない。
そのため、経営者としてリモートワークを技術者にお願いする必要に駆られるだろう。その時の裏付けを本書に求めた。本書を読み、より一層の論理武装をしたいと思った。

私がやっているリモートワークとはしょせんプレーヤーのリモートワークだ。私自身が築き上げてきた仕事スタイルでしかない。そう自覚していた。
こんごはリモートワークを管理する側としての経験や知見が求められる。
私がやっているリモートワークの管理とは、しょせんはリモートワーカー同士の連絡に過ぎない。リモートチームになりきれていない。
その構築のヒントを本書から得たかった。

本書を読んだ後、弊社は雇用に踏み切った。そこで私は監督者として立ち振る舞うことを求められた。
ところが、私はどうもリモートワークの監督者として未熟だったようだ。期待する生産性には遠く及ばなかった。

それはもちろん本書や著者の責任ではない。私が未熟だったことに尽きる。それを以下でいくつか本文と私の失敗を並列してみたいと思う。

「セルフマネジメントができる人たちで構成されたチームを作り上げることでリモートチームは成立するのであって、その逆ではありません。多くの企業において、リモートワークの導入を妨げているものは、リモートワークそのものではなく、その背景にあるマネジメントの考え方ではないでしょうか。」(118ページ)

セルフマネジメントができるとはつまり、技術力が一定のレベルに達していることが条件だ。技術があることが前提で、それを案件の内容や進捗度合いと見比べながら、適切にマネジメントしなければならない。残念ながら、その技術力の見極めと案件への振り分けにおいて失敗した。これは経営者として致命的なミスだったと思う。

「私たちの会社もROWE(完全結果志向の職場環境)をベースに考えています。私たちがアレンジしているのは、その成果とは個人の成果ではなく、チームの成果であるとする点です。」(136ページ)

弊社も私を中心としたハブ型ではなく、各メンバーが相互に連携する組織を考え、メンバーにもその意向を伝えていたつもりだった。だが、どうしてもハブ型の状況を抜け出せなかった。
残念ながらメンバーが一定程度の技術に達していないとこのやり方は難しいかもしれない。お互いが教え合えないからだ。いくつかの案件では成功もしかけたのだが。
もう一度チャレンジしたいと思う。

「監視されなければサボる人たち、監視されないと安心しない人たち、そんな人たちでチームを組んだところで、リモートチームは実現することはできませんし、そもそもそんな人たちがオフィスに集まったとしても、大した成果を上げることなどできないのではないでしょうか。」(173ページ)

これも完全に書かれている通りだ。ただ、私としては実際は働き具合がどうだったのか、今となっては確かめる術もないし、そのつもりもない。結果が全てだからだ。

「オンラインでは物理的な近さも遠さもないので、フラットに誰とでも絡むことができるからです。」(206ページ)

私が間違えたことの一つが、本書の中でも紹介されているRemottyのようなお互いの顔が見られるツールを導入しなかったことだ。それによって例えば雑談がオンライン上で産まれることもなかったし、日記や日報を書いて見せ合う環境も作りきれなかった。

「新人のリモートワークは“NG”」(177ページ)

外部の人に弊社の失敗事例を告げた時、真っ先に指摘されるのはこのことだろう。私がしでかした間違いの中でもわかりやすい失敗がこれだ。いきなりリモートワークで走り出してしまった。

私がしでかした失敗によって、本稿をアップする一週間前に一人のメンバーを手離してしまった。お互いが持つ大切にしたい考えやスキルのずれなど、もう少しケアできることがあったのに。とても反省している。

弊社の救いはまだメンバーが残っていることだ。もう一度このメンバーでリモートワークの関係を作っていきたいと思う。
私を含めた弊社のメンバーにリモートワークが時期尚早だったのは確かだ。ただ、まがりなりにも一年近くはリモートワークの体制を続けてこられた。なんといってもCybozu Days 2021は、弊社と弊社に近しいメンバーだけで無事に出展できたのだから。
今後も週二回程度はリアルの場を作りながら、もう一度リモートワークの環境を作っていきたいと思う。

なお、本書に書かれている社長ラジオは、毎朝のスラックでのブログアップとして続けている。これは私の考えを浸透させる意味では貢献してくれているはずだ。そう信じている。
本書に書かれていることで役に立つことは多い。

‘2020/05/29-2020/05/31


Cybozu Days 2020に三日間出展しました


2020年11月11日から11月13日まで幕張メッセで催されたCybozu Days 2020に弊社も出展いたしました。https://cybozuconf.com/

今まで、弊社はCybozu Daysも含め、あらゆる展示会に出展した経験がありませんでした。
そうした経験の不足に加え、今回は世の中がコロナウィルスに振り回されています。そんな世相の中、そもそもCybozu  Days開催されるかすら定かではありません。
さらに、多数のkintone案件を受注し、開発に従事していた弊社にとって、並行してCybozu Daysの出展準備などとても無理。そう思っていました。

そう思っていた一方で、昨年のDaysの後、サイボウズオフィシャルパートナーとして任命いただきました。また、長らくエバンジェリストとして任命されていながら、ステージにも立ったことがなければブース出展の経験もなかった私。いつもオーディエンスのままだったことに自分でも飽きたらないものを感じていました。
パートナーになってブース出展の資格を得たところで、一つブース出展をやってみようか。
ところが弊社は、kintone連携ソリューションを持っていません。ブースに出展しても、出せるのはパートナーとしての開発実績か、エバンジェリストとしての立場のみ。そんな手持ちの札が少ない状態でブースを出展したところで、会場の隙間を埋めるだけに終わってしまうのでは、と懸念していました。

そんな私に心強い助っ人が。
Polaris Infotech社の情報親方こと東野さんです。
https://www.polarit.co/

kintone界隈の方々には、サイボウズ社が発行しているkintone導入ガイドブックはおなじみですが、そのコンテンツは東野さんによって作られています。
さらに東野さんは、新規技術やガジェットを導入するのが好きで、その進取の気性は、私をはるかに上回っています。
弊社はサイボウズオフィシャルパートナーであり、出展資格を持っていますが、Polaris Infotech社はパートナーでないため出展できません。

二社が共同出展することにより、互いに足りないところを補い合い、なおかつ二社にとってWin-Winの結果が見込まれる。
そんなわけで、共同出展に踏み込みました。

二社で共同出展することにしたとはいえ、来場者の目を引くにはもう一つ決め手が薄いことは否めません。なにしろ、kintone界隈で著名な連携サービスを持っていないのですから。そのような状態で出展するには決め手が足りない。もう一つ柱が欲しい。

そこで東野さんが提案したのが、アバターによる音声応答のソリューションです。
名古屋のRAKUDOさんが運営するAI Interfaceというサービスがあります。
https://www.ai-interface.com/
http://rakudo.io/homepage/
AI Interfaceが備える音声応答のソリューションの背後にkintoneを組み合わせれば、音声による応答を実現しつつ、背後のデータベースも備えられる。しかもkintoneの場合、簡単にデータベースが構築できる。より良いソリューションになるはず!

そんなわけで、他の案件との並行に疲弊しながらでしたが、アプリの連携に成功しました。

あとはブースの展示パネルやちらしや名刺の手配です。ここは出展経験を持つPolaris Infotechさんの経験に全面に依存しながら、無事に当日に間に合わせることができました。東野さんには感謝です。
スタッフも両社の関係会社やビジネスパートナーさんにご協力を仰ぎ、三日間で延べ11名のスタッフに手伝っていただきました。皆さんにも感謝です。
また、二日目の最後のほうにこうした素敵な動画を撮影し、すぐにYouTubeにアップしてくださったキンスキの松井さんにも感謝です。

こうして三日間の出展を無事終え、感じることは来場者の皆さんへの感謝です。
沢山の方が訪れてくださいました。埋め草ブースどころか、私たちの思った以上に。
二社の知己の方はもちろん。弊社が過去に手掛けさせていただいたお客様や、私が前月に登壇したセミナーで私に興味を持ってく出さった方や、サイボウズ社員の方など。
もちろん、初めてお会いする方も多くが私たちのブースに立ち寄ってくださいました。

もちろん、無名の私たちのブースは、ほとんどの方にとっては興味を引く対象になりえず、一瞥して通り過ぎてしまう方も多かったです。
それでも、私たちのブースに目を止めて下さった方がいたことは、とてもありがたく思いました。

なぜ目にとめてくださったのか。kintone連携ツールのパネルが掲げられてもおらず、ノベルティで客引きできるほど資金力もない我々のブースに。
それはおそらく、アバターの画面がブースの中で異彩を放っていたからでしょう。
アバターの女の子にならんで検索の応答結果として東野さんの顔が大きく映し出されたディスプレイ。それはなかなかのインパクトでした。東野さんの打った手が見事に功を奏しました。

今回のCybozu Days 2020は、EGO & PEACEというテーマでした。
わがままと平和。
その一見すると相反する二つのテーマは、今の多様化が求められる社会において、誰もが両立に悩んでいます。

私にとっても同じです。今までの私の生涯は、まさにEGOを追い求めてきたものでした。
ラッシュがいやだ、毎朝毎夕の通勤の繰り返しがいやだ。それは間違いなくEGOです。
では、そのEGOをどうやって実現し、人に迷惑をかけずに自分にとって平和な毎日を呼び入れるか。

そもそも私がなぜkintoneのエバンジェリストになっているか。
その主な理由は、こうしたサイボウズ社の理念に共感していることです。
毎年のCybozu Days で打ち出されるテーマが、私にとって刺さります。
今年もそれは変わりませんでした。

ただ、今年はブースに三日間のほとんどを立つことに決めており、セッション聴講はあきらめていました。
ですが、三日目のセッションが聞けたのはうれしかったです。(初日のkintone Hackもほぼ見ることができました)

まさにそこで展開されていた議論は、私と弊社の抱えるテーマに即しており、そうした場に出展社として参加できたことがとても誇らしかったし、得るものが多かったです。

弊社は大阪のCybozu Days 2020には出展しませんが、私は登壇のために初めて参加する予定です。今から楽しみでなりません。

最後になりましたが、来場者の皆さん・サイボウズの皆さん・弊社ブースのスタッフの皆さん・東野さん。ありがとうございました!


RPA界の技術者の皆様にお話しをしました



今月、唯一のお話の機会をいただきました。
お招きくださったのはPeaceful Morning株式会社様です。

Peaceful Morning株式会社様は、RPAの界隈のメディアを運営し発信しておられると同時に、RPAに知見のある大勢の技術者を擁し、RPAのツールやサービスを提供されています。
Peaceful Morningという社名にも見られる通り、従来の働き方に一石を投じる理念は、私が推すkintoneやサイボウズ社にも通ずるところがあります。
https://peaceful-morning.com/

今回は、一時間程度のお時間をいただきました。
一時間のすべてを座学形式ではなく、技術者の皆様から事前に質問を募り、それに答える構成でした。

事前にいただいた皆さんの質問内容を拝見すると、kintoneとは何かを知りたいというのは当然として、機能の詳細よりもむしろkintoneの概要や競合ツール、さらにコロナ禍におけるkintoneの需要や今後の展望など、kintoneを扱うことの可能性にご興味がおありの様子でした。
また、kintoneを扱うことによる働き方の変化や、エバンジェリストである私自身がkintoneを推す理由など、技術者としてのキャリアの可能性の一つとしてkintoneを検討したいとの意識を感じました。

事前の質問だけでも十二問に達し、質問に答えるだけで一時間が過ぎることは確実でした。
そのため、kintoneエバンジェリストとして登壇する私は、kintoneそのものの機能よりも、私の個人的な思いや、kintoneのどこに可能性があるのかといった本質的な部分を語ろうと決めました。

折悪しく本番直前になって私のPCの処理が終わらず、kintoneの画面イメージが映せなかったため、kintoneの紹介すらも口頭のみで済ませてしまいましたが(終わりの方で処理が終わったので画面共有で3,4分ほどお見せできました)。

私からの回答の中では、kintoneはREST APIが使えればほかのシステムとも連動が可能とお伝えしました。RPAでいうとUiPathはREST APIが扱えるので、kintoneとは相性が良いですよ、ということも。
おそらくRPA界の皆様には、データベースのバック/フロント構築が簡単にできるツールですよ、という視点で深く掘り下げたほうがより響いたのかもしれません。

参加者の皆様からのアンケートも開示していただきました。
kintoneの画面の動きやRPAとの連動の実例をもっと見たかったというご意見もありました。当然ですね。私の不手際があり、失礼いたしました。
また、私のkintone愛を感じた、といったご意見も数点ほどいただきました。それはまさに狙い通りのご感想だったのでうれしかったです。これを機会にkintoneに興味を持ってもらえればなおさらうれしいです。
RPAとkintoneの連携事例はまだ世に出ていないと思っているので、皆さんと一緒に事例を増やしていきたいです。

こうやって分野の違う技術者の方を前に語るといつも感じることがあります。
それは、kintoneのすそ野がユーザー部門には広がっているとはいえ、まだまだ技術者への浸透には至っていないということです。
技術者の中にはスクラッチ開発に価値を感じる方もいらっしゃれば、基盤から構築してすべてを統制することに意義を認めていらっしゃる方もいます。
もちろん、それは人それぞれなので自由です。ですが、No-Code/Law Codeといった従来のシステム開発の概念と違うツールへの使わず嫌いがあるとすればもったいないと思うのです。

ここ一年、私の中でエバンジェリストとしての活動の主眼の一つを技術者さんへの伝道に置こうと決めました。
それは、私がkintoneに賭けようと思った時期を見つめなおしたことで気づいたことです。
その時期、私には常駐現場を渡り歩く中で感じた既存のシステム開発への疑問が渦巻いていました。それは、人月換算や多層契約によるSES業務の課題、膨大なドキュメントの山、そして作った設計書や仕様書やプログラムが現場のオペレーターさんに直接届かないもどかしさなどほんの一部でしかなく、とても悶々としていました。
その時期の私がkintoneに感じた可能性とそれに賭けようとしたことで、今の私はあります。
それを考えると、技術者の方々が今の開発環境やツールから別のステップに進みたいと感じたときに、kintoneを開発ツールの一つとして選択肢に含めてもらえれば、私がkintoneに身を投じたモチベーションも共有できると考えたのです。

RPA界の技術者の皆様には、また機会があればkintoneを中心としたPaaS/SaaSの可能性について語ってみたいですね。今度はきちんと画面の動きもお見せしながら。今回の処理の遅れを機会にノートPCを新調したことですし。

まずは、今回のご参加者の皆様、ありがとうございました。
また、セミナーを運営してくださったPeaceful Morning株式会社の皆様、ありがとうございました。


2020年も気がつけば半ばに(法人)



いつの間にか2020年も半ばを迎えようとしています。
年々、時間の過ぎ去る感覚が速まっているとは感じていましたが、今年の上半期はとくにそれを顕著に感じました。

いうまでもなく、コロナウィルスが理由です。

昨年から弊社は、地方創生の流れに乗りたい、そして今後の柱の一つにしたいと、年始に郡山と猪苗代へワーケーションツアーに参加しました。
ところがいまや、それが一年も前のことのように思います。

コロナは、世の中をガラリと変えてしまいました。そして、ワークスタイルを一変させようとしています。

とはいうものの、弊社はもとからフルリモートワークを実践していたため、弊社の業務そのものについてはあまり大きな影響は受けていません。

むしろ、リモートワークへの流れによって、クラウドを使った業務システムの必要性が増し、それが弊社への引き合いの急激な増加となって現れています。

そのため、地方創生の話よりも、いただいた案件を消化するのにいっぱいになってしまいました。
代表のリソースが枯渇しそうになっているため、弊社でもパートナー技術者や協業パートナーとの協業を活発にしています。

その結果、弊社にとっては新たな業務、新たな業種、新たな知見との触れ合いがありました。
働き方の変化は、元から弊社にとっての望む変化であり、もとから推進すべき変化でした。
だからこそ、今後は弊社が学んだ知見を世の中に還元していかねばなりません。

おそらく、今後も社会にとってリモートワークへの要請は強まることでしょう。
この変化についていけず、新たな取り組みに乗り出さないままの企業や組織は衰えてゆくことは確実です。
だからこそ、技術の組み合わせ方、実装の仕方、使ってもらうための方法、肥大した組織のあり方について、弊社が世の中に還元できることは多いはずです。

その取り組みの中、地方創生への貢献もできると信じています。
リモートワークも結局は東京への一極集中への反発。であるならば、それは地方創生にも通じる道のはずなので。
それが弊社の使命だと思っています。

この半年で、コロナウィルスは弊社の社会的な使命をさらに強く呼び覚ましてくれました。
来期はこの使命に従い、前に進むのみです。


世界一速く結果を出す人は、なぜ、メールを使わないのか グーグルの個人・チームで成果を上げる方法


メールが世の中にとって欠かせないツールとなって、早くも20数年が過ぎた。
だが、今やメールは時代遅れの連絡手段となりつつある。
メールを使う事が生産性を阻害する。そうした逆説さえ常識となりつつある。
わが国の場合、信じられない事にFAXが現役で使われているという。真偽のほどは定かではないが、コロナウィルスの集計が遅れた理由にFAXの使用が報じられていた。

それにも関わらず、多くの企業では、メールがいまだに主要な連絡手段として活躍中だ。
私ですら、初対面の企業の担当者様とはメールを使っている。
メールが生産性を阻害する理由は、両手の指では足りないほど挙げられる。そのどれもが、生産性にとって悪影響しかない。

だが、メールに代わる連絡手段は今や無数にある。チャットツールも無数に。
メールに比べると、チャットツールは手軽さの点で圧倒的に優位だ。
情報が流れ、埋もれてしまうチャットツールの欠点も、最近のチャットツールでは改善されつつある。

そうしたツールの利点を活かし、さらに働き方を加速させる。
本書にはそうしたエッセンスが詰まっている。

「はじめに」で述べられているが、日本企業の生産性が低い理由として、著者は三つの理由を挙げている。
1 持ち帰って検討しすぎる
2 分析・検討しすぎる
3 打ち合わせ・会議など多くのコミュ二ケーションがコスト・ムダにしかならない

ここに挙げられた三つの生産性悪化の要因は、わが国の企業文化の問題点をそのまま表している。
いわゆる組織の問題だ。

とにかく、本書のエッセンスとは、即決と即断の重要性に尽きる。
1で書かれているような「持ち帰り」。これが、わが国の会議では目立つ。私もそうした現場をたくさん見聞きしてきた。
著者は、メール文化こそが「持ち帰り」文化の象徴だという。

こうした会議に現場で実務を知り、実際に手を動かしている人が出てくることはあまりない。会議に出てくるのはその上長であり、多くの場合、上長は進捗の管理に気を取られ、実際の業務の内容を理解するしていることが多くない。
例えば、私が属する情報処理の仕事を例に挙げると、実際に手を動かすのはプログラマーだ。その上に、詳細の設計を行うシステム・エンジニアがいる。

設計といっても、あまりにも混み入っているため、詳細な設計の内容を理解しているのは設計した当人になりがちだ。
会議に出てくるようなプロジェクトマネージャー、システムの全体を管理するマネージャーでは、現場の詳細はわからない事が多い。

そうした生産性を低下させる例は、情報処理に限らずどの業界にもある。
現場の複雑なオペレーションを理解するのは、一人か二人、といった現場は多いはずだ。
だから、業務内容の詳細を聞かれた際や、それにかかる労力や工数を聞かれると、現場に持ち帰りになってしまう。少しでも込み入った内容を聞かれると、部署の担当に聞いてみます、としか答えられない。

そうした細かい仕様などは、会議を行う前に現場の担当者のレベルで意見交換をしていくのが最もふさわしい。
なのに、かしこまったあいさつ文(いつも大変お世話になっております、など)を付けたメールをやり取りする必要がある。そうしたあいさつ文を省くだけで、迅速なやりとりが可能になるというのに。

著者が進めているようなチャットツールによる、気軽な会話でのやりとり。
これが効率をあげるためには重要なのだ。
つまり、かしこまった会議とは本質的に重要ではなく、セレモニーに過ぎない。私も同感だ。

ところが、わが国では会議の場で正式に決まった内容が権威を持つ。そして責任の所在がそこでようやく明確になる。

これは、なぜ現場の担当者を会議に出さないかという問題にも通じる。
現場の担当者が会議で口出したことに責任が発生する。それを嫌がる上司がいて、及び腰となる担当者もいる。だから、内容を把握していない人が会議に出る。そして持ち帰りは後を絶たない。悪循環だ。

著者は、会議の効率を上げることなど、論議するまでもない大前提として話を進める。

なぜなら、著者が本書で求める基準とは、そもそも10%の改善や向上ではなく、10倍の結果を出すことだからだ。
10倍の結果を出すためには、私たちの働き方も根本的に見直さなければならない。

本書を読む前から、私も著者の推奨するやり方の多くは取り入れていた。だが、今の10倍まで生産性を上げることには考えが及んでいなかった。私もまだまだだ。

著者によれば、今のやり方を墨守することには何の価値もない。
今のやり方よりもっと効率の良いやり方はないか、常に探し求める事が大切だ。
浮いた時間で新たなビジネスを創出する事が大切だと著者は説く。完全に賛成だ。
もっとも私の場合、浮かせた時間をプライベートな時間の充実につぎ込んでいるのだが。

本書には、たくさんの仕事のやり方を変える方法が詰まっている。
例えば、集中して業務に取り組む「スプリント」の効果。コミュニティーから学べるものの大きさや、人付き合いを限定することの大切さ。学び続けることの重要性。SNSにどっぷりハマらない距離感の保ち方。服装やランチのメニューなどに気を取られないための心がけ。

本書に書かれている事は、私が法人設立をきっかけに、普段から励行し、実践し、心掛けていることばかりだ。
そのため、本書に書かれている事はどれも私の意に沿っている。

結局、本書が書いているのは、人工知能によって激変が予想される私たちの仕事にどう対処するのか、という処方箋だ。
今や、コロナウィルスが私たちの毎日を変えようとしている。人工知能の到来よりもさらに早く。それは毎日のニュースを見ていればすぐに気づく。

そんな毎日で私たちがやるべき事は、その変化から取り残されないようにするか、または、自分が最も自分らしくいられる生き方を探すしかない。
今のビジネスの環境は数年を待たずにガラリと変わるのだから。

もし今の働き方に不安を覚えている方がいらっしゃったら、本書はとても良い教科書になると思う。
もちろん、私にとってもだ。私には足りない部分がまだ無数にある。だから、本書は折に触れ読み返したい。
そして、その時々の自分が「習慣」の罠に落ち込んでいないか、点検したいと思う。

‘2019/5/20-2019/5/21


40代を後悔しない50のリスト 1万人の失敗談からわかった人生の教訓


本書を読んだのは私が46歳になろうという直前だった。つまり、40も半ばを過ぎた頃だ。

論語の有名な一節に
四十而不惑
とある。

しかし、私の四十代は惑いの中にある。今の情報があふれる時代にあって、惑わずにいることは難しい。

論語のその前の文は
三十而立
だ。

私の場合、三十では立てなかった。いや、立ってはいたものの、足取りが定まらず、よろめいていたというべきか。
たしかに世間的には独り立ちしていたと見られていたかもしれない。だが、今から思えば全て周りの環境に引きずられていただけだ。

私なりに今までの人生を振り返る機会は持ってきたつもりだ。
ブログという形で何度も振りかえってきたし、アクアビット航海記として起業の経緯を連載している。
それら文章では、自分が人生の中で選択してきた決断の数々を記録してきた。

そうした選択のいくつかについては、悔いがある。逆に満足のいく今につながるような、過去の自分を褒めたい決断もある。
悔いについては、思い出す度、汗が噴き出るような恥も含まれている。他にも家族が瓦解しかねない危うい瞬間もあった。仕事を会社にするまでにも綱渡りを何度も超えてきた。

そうした振り返りは何のために行うのか。
それは、過去にとらわれ、現在に踏みとどまるためではない。未来へ、これから自分がどう生きるべきかについて考えるためだ。

そもそも私の場合、まだ何も成し遂げていない。成功にはほど遠く、目指す場所すら定かではないと自覚している。
家庭や経営、私自身についての課題は山積みになったままだ。
そもそも人生が成功に終わったかどうかなど、死ぬまで分からない。死んだらなおさら分からない。
私の場合、勲章を得たわけでもなく、ノーベル賞を得たわけでもない。
ましてや老後、自らの生き方を懐かしく振り返ると年齢にも達していない。
むしろ、今までの生き方を振り返り、これからの半生に活かさねばならない若輩者が私だ。

だから今、本書のような本を読むことも無駄ではない。

序章で著者は「一生の中で40代が重要な理由」を語っている。
その通りだと思う。
私にとっての39歳から40代前半にかけては転機となった出来事が多かった。
2012年の6月に私は39歳になった。その4月から、私にとって最後の奉公となった常駐業務が始まり、同時に自治会の総務部長になった。初めてのkintone案件が運用を開始したのもその頃。妻がココデンタルクリニックを開業したのは6月だ。

私がそれまで営んでいた個人事業を法人として登記したのが42歳の時。
当時、常駐システムエンジニアという自らの仕事のあり方にとても悩んでいた私は、そこから逃れる方法をいろいろ模索していた。
しかし30代の頃にしでかした選択のミスが尾を引いており、私は身動きが出来なかった。
結局、貯金もほぼゼロの状態で法人を設立する暴挙に踏み切り、それが私の道を開いた。
とはいえ、30代については悔いが多い。

著者は、40代に行動を起こさなかったことで、定年退職後に後悔している人が多いと説く。40代の10年をどう過ごすかによって、その後の人生がからりと変わる、とも。

仕事と家庭。そして自分。どれもが人生を全うするために欠かせない要素だ。私もそれはわかっていた。
なので、30代の終わりごろからはじめたSNSを、仕事と家庭、そして自分のバランスを取るために活用してきた。
仕事だけに偏らず、遊びも家族も含めた内容として世に公言することで、自分にそのバランスを意識させるSNS。私にとってうってつけのツールだと思う。

ただし、そうした自分の振る舞いについては、何かの明確なメソッドに基づいた訳ではない。
その時々の私が良かれと思って選択した結果に過ぎない。

本書は、そうしたメソッドを50のリストにして教えてくれる。

本書の工夫は、50のリストの全てをある人物の悔いとして表していることだ。
例えば、
「01 「自分にとって大切なこと」を優先できなかった」
「25 「付き合いのいい人」である必要などなかった」
「50 「もっと「地域社会」と付き合えばよかった」
のような感じだ。
ある人物とは、著者が今までの経験で関わった人物から仮定した、40代を無為無策のままに過ごしてしまった人物だ。
その人物の悔いとして表すことで、より危機感を持ってもらおうとの試みだろう。

誰もが今を生きることで一生懸命になっている。
なかなか将来を見据えた行動などできるものではない。
私もそうだった。
そして今も、これからの自分や世の中がどうなるかなど全く分からない。

私の世代は著者の世代よりもさらに10歳若い。そして第二次ベビーブーム世代だ。
私たちの世代が老境に入った頃、福祉に潤沢な予算が回されるのだろうか。他の世代に比べて人口比が突出している私たちの世代を国や若年層は養ってくれるのだろうか。
そうした将来に目を向けた時、今やっておくべき事の多さにおののく。
今を生きるだけでなく、これから先を見据えた行動が求められる。

四十代になると、人から叱られたり、指摘されることが減ってくる。これから先はさらに減っていくことだろう。
誤った方向に向かってしまった時、自分を正してくれるのは、誰だろう。
親友、妻、子、家族、恋人、親、同僚、上司、部下などが思い浮かぶ。
だが、そうした人々の助言も、最後は自分の次第だ。決断をどう下すかによって、助言は生きもすれば死にもする。
最後は自分なのだ。

本書は折に触れて読み返したいと思う。
将来、四十代の自分を後悔したくないから。
今の私が三十代の頃、決断出来なかった事を後悔しているようには。

‘2019/02/14-2019/02/17


クラウド時代のセキュリティと題して登壇してきました


師走の二十日にEBISU Tech Nightが開催され、そこでお話しする機会をいただきました。
こちらにはもう八回ほどお呼びいただいています。そのうち四回では登壇の誉を得まして。今回は五回目の登壇です。

さて、今回のEBISU Tech Nightはセキュリティがテーマとのことなので、私もそのテーマに合わせたスライドをご用意しました。
題して「クラウド時代のセキュリティ 一人SIerの場合」(スライドへのリンク)。
一人SIerとして長い私が、さまざまな案件をこなす中でセキュリティ・インシデントの対象となるような事故を起こさず、しかもセキュリティを意識するあまり、本業がおろそかにならないようにし、それでいて自由に動き回るワークスタイルを実現するために励行していることをお伝えしました。

おそらく、今のように毎日同じ開発センターに技術者が集うスタイルは、より流動的なスタイルへと変化してゆくでしょう。
仮に通勤が求められる現場が残ったとしてもそれは一部にとどまるはず。他の業界でワークスタイルの変革が進む中、肝心の情報処理業界だけが遅れを取るわけにもいきますまい。

ですが、例えリモートワークが情報業界で主流になったとしても、外回りの際にiPadやノートpcを持ち歩くことがセキュリティのリスクを増やすことは事実です。だからといってリスク軽減のために情報端末の持ち歩きをやめるのは本末転倒でしょう。

今回のスライドにはワークスタイルが変われば、との思いも込めたつもりです。

なお、登壇の際の資料には載せていませんでしたが、語った後にもう一つセキュリティを死守するためのTipsを思い出し、スライドに追加しました。

それは、必ずiPadを手に持つ習慣を身につけることです。
私の場合、ライフログを取るためにfoursquareを利用して訪問場所の記録をつけています。なのでチェックインのたびに必ずiPadの有無が意識できるのです。
実際、今年はiPadをトイレとお店に忘れかけましたが、すぐに不在に気づき、取りに戻って事なきを得ました。

もちろん、忘れても他人が見えないようにロックをかけるなどの対策は当然です。(これも当たり前すぎてスライドでは触れていません)。

ただし、私も二度ほどそうしたうっかりを起こしかけたので、あまり大きなことは言えません。
今後は私自身も老化に向けてラストスパートする予定なので万が一を起こさないための対策に意識を向けたいと思います。

最後になりましたが、EBISU Tech Nightの関係者様、ありがとうございます。


地方消滅 東京一極集中が招く人口急減


わが国をめぐる問題を挙げろ、と問われて答えをいくつ思い浮かべられるだろうか。私はすぐに十以上は用意できると思う。
では、その問題の中ですぐに解決策が見いだしやすく、しかも今のわが国に悪い影響を及ぼしている問題を一つ挙げろと言われればどうだろう。
その場合、私は東京への一極集中を挙げる。

本書にも書かれている通り、都心への一極集中は地方から人を一掃し、消滅の危機に追いやっている。
そして、都心の機能は3.11の時に如実に現れたとおり、飽和の極みにある。このまま問題を放置しておけば悪い事態に陥るのは確実。
だが、一極集中への解決策は他の問題(国防、少子化、移民、地震、感染症、温暖化、宇宙からの災厄、人工知能、遺伝子)に比べるとまだ対策のしようがあると思う。少子化をのぞいた他の問題は日本だけでは難しいが、一極集中は国内でどうにかできる問題だからだ。

本書は、このまま手をこまねいていると896の都市が亡くなると危機感をはっきり表明している。そして、それに対してさまざまな打つ手を提示している。
元岩手県知事で総務大臣も務めた著者が提示する現状認識と処方箋は明確だ。白い表紙がおなじみの中公新書で、赤一色の本書の装丁は目立つ。内容もあいまって本書はベストセラーになったという。

だが、こうした危機が迫っているにもかかわらず、国が一極集中へ本腰を入れて対応しているとはとても思えない。それどころかマスコミもこの問題については口を閉ざしているように思える。
おそらく出版・マスコミ業界がもっとも一極集中の恩恵を受け、また、促進してきた当人だからだろう。

だが、新聞離れ、テレビ離れが叫ばれている今、もう既存のビジネスモデルに未来はないと思う。
インターネットは情報の価値を拡散し、都市でも都会でも情報が等しく受け取れるようにしてしまった。
今や、情報に関しては都会の優位性はなくなっている。あえて言うなら、ネットワーク越しよりも対面で会った時のほうが受け取れる情報は多いぐらいだろうか。

なぜ人は都会に出てきてしまうのか。
その理由は、従来から言われていた仕事があるかどうか、に尽きるのではないか。
戦前や戦後、農村から出稼ぎと称して多勢の人々が都会へと出てきた。それが戦後の高度経済成長につながった。そうした成功の体験を今も引きずっているのが日本ではないだろうか。
ネットワークがない時代、情報は都会が独占していた。都会にはチャンスがあり、金が流れていた。だから人々は集まってきた。都会だと仕事につける。地方にはないやりがいが都会にはある。そうした幻想がわが国をいまだに縛っている。

かつての私もそうだった。
兵庫の西宮に住んでいた私は、私が求めていた編集者には大阪ではなれないと思い、東京に出てきた。
もちろん、理由はそれだけではない。
当時、付き合っていた今の妻が東京に住んでいて、しかも歯科大学の病院に勤務していたため、動けなかったという理由もある。

私の場合、東京に出た理由はそれだけだ。東京に対する憧れはなかった。
家から自転車を漕いで1時間で大阪の梅田に行けた。そもそもファッションやビジネスに興味がなかった。
もし妻が仙台に住んでいて、私が望む仕事があれば仙台にだって向かっていたかもしれない。

そういう過去をもっている私だから、今の若者が地方から都会へと向かう理由も分かる。
当時の私と同じような動機だろうと察する。漠然とした都会に対する憧れで東京に出てきて、そして消耗してゆくのだろう。
その理由や幻滅はよくわかる。なので、私は今の若者たちを非難しようとは思わない。
それどころか、そうした若者に対して地方に仕事先が就職先が用意されていれば、都会に来なくてもよいのではないか、と提案したい。

今や、私が上京した頃と違い、ネットワークが日本の全土を覆っている。
仮に地方から都会に出てきたとしても、仕事が終わればスマホとにらめっこしているのであれば、都会に住む意味はないはずだ。稼げる仕事の有り無しの違いにすぎないので。

そして今、職種にもよるが、地方で仕事は可能だ。
私の仕事は情報系だが、ネット会議で大抵のことはケリがつく。仕事の発注から受注、納品までを一度も顧客と会わずに済ませたことも何度もある。

本稿をアップする二週間前には奈良の下北山村に行き、二泊三日でワーケーション体験をした。
コワーキングスペース「Shimokitayama Biyori」のWi-Fi環境が良かったのか、AWSのオンラインカンファレンスに参加し、東京で行われた顧客との会議にもオンラインで参加できた。

また、この体験で、田舎の暮らしはお金がかからないことも知った。そもそもお金を使う場所がないのだ。
都会には刺激的なものが多すぎる。そして、その刺激が仮にネット上のコンテンツで満たせるのであれば、地方でもそれは享受できる。

個人の性格にもよるが、私の場合、二週間に一度、東京や大阪に出られればそれで十分。それであれば地方でも働けるし暮らしていけるめどはついた。

だが、その体験をもってしても、本書の内容を読むにつけ危機感が募る。
本書には今後の人口予測と消滅可能性のある896の市町村のリストも付されている。
そこには当然、下北山村も含まれている。しかもこのリストによれば2010年の下北山村の人口は1000人を超えているが、先日訪れた時点ではWikipediaの情報では800人を割っていた。
日中でもほとんど車が通らない下北山村のメインストリートを思い出すにつけ、「消滅」の二文字が切実に迫ってくる。

本書では国による国家戦略の必要も記されている。
だが、今の国会ではモリ・カケ問題や桜を見る会やその他の大臣の失言の糾弾にばかり時間が空費されている。
そのような足をすくわれるようなことをしでかす与党にも失望させられるし、そうした問題をあげつらうばかりの野党にも期待が持てない。
党利党略や利益誘導より、国家の大計に取り組み、足元をしっかり固めて喫緊の課題に注力してほしいと思う。
マスコミももっともっとこの問題には発言してほしい。旅情を誘う番組もいいが、一極集中の問題の危機感を報道しないと何が報道機関か、と思う。

少子化の問題も本書は一章を割いて取り上げている。そして、都会の生きにくさが子作りの妨げになっていることは確実だ。
保育園落ちた日本死ね!!! のブログが反響を巻き起こしたことは記憶に新しい。これもまた、都会の生きづらさの顕著な例だと思う。
子育てをしながら働ける環境を。企業においてもそうした対策が求められていることは自明のことだ。
もし自社の利益を追求するモチベーションを自社の百年後の存続にあると考えているならば、少子化を甘く見るとそもそも会社のサービスの売り先が消え去っていますよ、と忠告したい。

本書にはさまざまな処方箋が載っている。それらの一つ一つはもっとも。
だが、実際に効果を上げうるかどうかはやってみてはじめて分かる点が多い。
だから二の足を踏むのではなく、今のうちに取り組まなねば間に合わないのだ。
本書には各地に人口流出のダムとなる地を作る対策を挙げている。
たとえば下北山村を例に挙げると、村の若者が外に出るのを防ぐのは難しいかもしれない。だが、その流出先が東京ではなく、熊野市や尾鷲市であれば下北山村にはすぐ戻れる。
そうしたダムになりうる都市を各地に育てていくべき、という提言には賛成だ。
ある程度の経済規模さえ確保してもらえれば、都会の人が地方で転職する際にもハードルは少ない。

本書では、そうしたモデルケースとして北海道を取り上げている。
今、日本で最も過疎化が進んだ地域と言えば北海道だろう。
私もあの原野の雰囲気は好きだが、それが将来の日本全土の景色と言われれば、言葉を失ってしまう。
北海道の中でも札幌だけがダムになりうるのではなく、函館、帯広、旭川、釧路といった都市をダムとして、それ以上の流出を食い止める。本書にはその事例が詳しく載っている。

それでは地域がどのようにして雇用を創出していけばよいか。
この課題は当然、考えられなければならない。今までにも議論は出し尽くされてきている。
本書には地域が活きる6モデルとして、産業誘致型、ベッドタウン型、学園都市型、コンパクトシティ型、公共財主導型、産業開発型が挙げられている。
どれもが可能性があるモデルだと思うが、地域によってどれを選ぶかは、地域の特性にもよるだろう。

本書は最後に増田氏と識者による三つの対談が載っている。
最初は藻谷浩介氏との対談。藻谷氏はかつて私もブログで取り上げた『里山資本主義 日本経済は「安心の原理」で動く』の編者でもある。(a href=”https://www.akvabit.jp/%E9%87%8C%E5%B1%B1%E8%B3%87%E6%9C%AC%E4%B8%BB%E7%BE%A9-%E6%97%A5%E6%9C%AC%E7%B5%8C%E6%B8%88%E3%81%AF%E3%80%8C%E5%AE%89%E5%BF%83%E3%81%AE%E5%8E%9F%E7%90%86%E3%80%8D%E3%81%A7%E5%8B%95%E3%81%8F/” target=”_blank”>レビュー)
二人の結論もやはり今のままでは地方ばかりか日本も破綻するというもの。
さらにお二人は提言として東京に本社を置く必要の意味を問うている。アメリカではニューヨークに本社を置く企業は四分の一だが、日本の場合、七割が東京にあるという。

二つ目の対談は、小泉進次郎氏、須田善明氏と行っている。
小泉氏は政治家として著名だが、須田氏は宮城県女川町の町長であり、東日本大震災で被害にあった町の復興を担当している。
本稿をアップする今、小泉氏の株はかなり下がってしまった。だが、小泉氏が一極集中を問題として認識していることはこの対談でも述べられている。そして今も持ってくれているはずだと期待している。
結局、一極集中の解消を国家戦略として策定し、それを確実に遂行していかなければこの問題は解決しないと思う。
その戦略とは東京オリンピックや大阪万博ではない。地方を主役にしたイベントを誘致するといったことでもない。
たとえば、本社の機能を六大都市以外の都市に移した企業に対しては税務上の優遇措置を与えるとかの策でもあるし、いつの間にか誰も言及しなくなった遷都の問題を真剣に議論することでもある。

三つ目の対談は、慶応義塾大教授の樋口美雄氏と行っている。
6モデルに即した地方の生き残り策を提言しているが、それらを推進するためのリーダーの存在が指摘されている。
まったくその通りだと思う。本当であれば、地方から選出されたはずの国会議員が担うべきことだが、国政や党政を優先させることに汲々としている。

本書を読んで思うのは、考えるよりも実行の必要性だ。
もちろんそれは私や弊社にも当てはまる。
東京に登記し、東京に住んでいる私。働き方を変えることで朝夕の通勤ラッシュを一人分だけ解消させることができた。
ここ数年、地方でも講演する機会も増えてきた。ワーケーション体験に参加し、地方で働き、暮らす可能性も確信できた。
働き方改革を掲げるサイボウズ社のkintoneを担ぐことで、地方の方とのご縁は増えてきた。
そうした実践ができる立場にある弊社と私。だが、それが実体ある生活として地方に還元できているとはとてもいえない。
下北山村へ伺う契機となった紀伊半島はたらくくらすプロジェクトはカヤックLivingさんをはじめとした複数の企業が共同している。そうした取り組みがすでになされている今、私も弊社に協力できることはあるはず。

これから私や弊社に何ができるのか。これからも動いていかねばなるまい。

‘2018/11/13-2018/11/16


Cybozu Days 2019 in 東京に行きました


2019/11/7、11/8の幕張はある気配に包まれていました。
そこではCybozu Days 2019 in 東京が催されていたのです。
ただし、幕張に満ちていた気配とは、熱気ではなく禍々しい気でした。

今年のテーマは「モンスターへの挑戦状」
そのテーマ通り、モンスターたちに占拠されたパビリオン。会場全体が禍々しく彩られています。
その中にはちらほらと勇者のイラストも見受けられます。ですが、空間の大部分はモンスターに占められたまま。

そんな会場にも、参加者が増えていくにつれモンスターに立ち向かう機運が満ちていきます。
勇者とはすべての参加者のこと。皆でモンスターに立ち向かうのが今年のCybozu Daysのミッションなのです。

では、私たちが立ち向かうモンスターとは何でしょうか。
そのヒントは既にサイトにも動画で流されていました。そして、二日目のメインセッションでも青野社長から語られました。
モンスターとは目に見えません。そもそも存在すらしません。
モンスターとは私たち自身が作り上げてしまった存在なのです。

戦後の高度経済成長の結果、成功体験として日本中に刷り込まれてしまった観念。その代表が年功序列や終身雇用です。
そうした観念から派生したモンスターたち。
毎日決まった場所に通勤し、背広とネクタイの着用が正しいとする「通念」が蔓延り、その背後には一度きりの人生を「カイシャ」に捧げさせようと蠢くモンスターの闇が見え隠れします。

そうしたもろもろのモンスターたちと一緒に戦う私たちのために、七カ所に分かれたセッション会場のあちこちで、二日間にわたっていろいろなセッションが行われました。

初日のProduct Keynoteでは、GAROON、kintoneを軸に、これまでのアップデートと今後のアップデート予定が披露されました。
チーム応援ライセンスは対象アカウントが三倍に増え、危うく私の口から歓声が飛び出そうに。
LGWAN対応やアメリカでのkintone状況など、今後に期待が持てそうな発表が続きます。

keynoteの前には「俺キン」のセッションがありました。
俺はこんな風にモンスターと戦ってきた、と発表する勇者たちの姿は尊いです。私も場外から戦いの軌跡に聞き惚れました。
モンスターとの戦い方は勇者によってまちまち。あえてKINTONEに乗って登場する掟破りの登場もまたよし。

Keynoteの次は、kintone hiveです。
毎年聞いていますが、全国で知らぬうちに育ってしまったモンスターたちと戦う姿には、共感と感動があります。
例えるなら上出来のRPGのプレイ動画を大勢の勇者とともに観戦する臨場感のような。

私はhiveの前、各社のブースをダッシュで巡りました。
中でもfreee社のブースに長居していました。freee社で今度kintoneとfreeeのAPI連携についてお話しするためです。
その情報を入手し、freee社のみなさんと会話をして勉強。今後にもつなげていくためにも。

hiveの後は、kintone Café in Cybozu Daysにも参加しました。
Cybozu Daysが終わってすぐ、お膝元でのkintone Café 東京 Vol.9を主宰する私としては、全国各地にある勇者の集うギルドのあり方から学べるもの多かったこと。
kintone Café開催の意義や目的を考えるきっかけにもなりました。

このセッションと同じ時間には開発者向けのセッションがありました。
私はとても行きたかったけれど、kintone Caféのセッションを選びました。
まだまだ私もか弱い勇者なので、分身の術が会得できておらず悔しい。いずれ公開される動画を待ってみます。
なお、このセッションから冒険仲間に情報親方が加わってくれました。以後は行動をともに。

続いてはkintone hack Nightです。このセッションも見逃せません。
勇者として最前線に出てモンスターと戦うには、スキルを磨かねば。それを披露する場こそhack Night。
勇者の出で立ちに身を包んだ六名の勇者がおのおのの磨き上げたスキルを披露します。そして採点。
採点の間、魔の司会者ウッシーが召喚したモンスターが登場し、勇者にさらなる試練を与えます。あるモンスターは18世紀二ポーンの「コウメダユウ」に姿をかえ、華麗なる滑り芸を駆使して勇者に襲いかかります。あるいは21世紀の「ワタナベケン」がレスラーの出で立ちで絶叫して勇者の行く手を遮るのです。
勇者、危うし!
奮闘もむなしく、魔法に魅入られ笑わされた勇者には激烈なゴムパッチンが顔面に炸裂。容赦なくHPを削っていきます。

毎年、勇者の激闘から学ぶところは多いです。
私的には、AR世界の振る舞いをkintoneに結びつけた勇者「ウィル」さんのセッションがインパクト大でした。
が、優勝はヲタ芸とkintoneの組み合わせで満場の笑いをさらった勇者「つっきー」さんの逆転勝利。いや、楽しかった!

一日目『最軽量のマネジメント』を出版されたばかりのサイボウズ社副社長の山田さんがサイボウズ商店の店頭に立たれていたので、著書を購入し一緒に写真を撮っていただきました。
そして、情報親方と飯を食って締め。
ルーラを唱え、二時間以上かけて町田の宿屋に戻りまして。

さて、二日目。
いきなりの「SEKAI NO OWARI」の曲にバイオリンをフィーチャーしたバンドが登場し、素晴らしい二日目を予感させます。

二日目は、働き方をメインに据えたセッションが主です。
メインセッションでは青野社長の書籍「会社というモンスターが、僕たちを不幸にしているのかもしれない。」を編集したphp研究所の方と青野社長の対談から始まりました。
今回のCybozu Days 2019のテーマ「モンスターへの挑戦状」のもとになったというこの書を、私はまだ読めていません。ですが、この対談を聞くと、早く読まねば、という気にさせられます。
私が常々感じていた日本を覆う思い込みの数々。

タカマツナナさんとの対談も参考になりました。
お笑い芸人として活動する中、活動を若年層への政治参加を促すものに変えるなど、自在に活動を行うタカマツさんの意気込みが面白かったです。
タカマツさんもまた、芸人の立場から世の中のモンスターと戦っているのでしょう。

そのタカマツナナさんの後に登場したのが麹町中学校の工藤校長との対談です。
工藤校長は、宿題や委員会など学校生活につき物のさまざまな制度に抜本的な改革を加えたことでよく知られています。
一人一人の生徒のことを考えた結果、そうした制度や行事で必要のないものは廃止も辞さない。そうした伝統的に伝わる制度の多くは、実は前例主義に基づいた思い込みのモンスターの生み出した幻想にすぎない。そう力強く言い切る工藤校長こそ、教育界にさっそうと現れた勇者の中の勇者なのかもしれません。

この日の私は、作業もしなければならず、昨日以上にブース巡りができませんでした。用意してくださった電源席で、作業に没頭。

続いてのセッションはサイボウズ社に中途入社した社員が語る、サイボウズ社内の情報共有のあり方です。
私もお客様とともにモンスター退治の旅に出る時、早い時期にこのモンスターと戦います。
そもそも、情報共有に妙なブロックがあると、kintoneという武器もうまく機能しません。
どこまでの情報をkintoneにアップしてもらえるのかによって導入の成否も分かれるのではないか。そう思います。

その視点でみたこのセッションはまさに驚きです。
社内経営会議の生の声まで含めて全社員に公開するというのですからすごい。
ですが、私も妙な秘密主義は面倒なので、この点はとても勇気づけられます。
また、経営者の方にもサイボウズさんはここまでやってますよ、という根拠を得られたことも大きかった。

続いてのセッションは医療介護業界の四天王がパネリストとなって、kintone導入のあれこれを語ってくださるセッションです。
四天王の内、三人はCybozu Days 2019の前日にkintone エバンジェリストに就任した方で、まさに豪華な陣容です。
実際、医療業界へのクラウド導入は、クラウドの認知のバロメーターです。
妻が歯科診療所を経営している私にとっても、とても興味深いセッションでした。

その次のセッションも、クラウドの認知のバロメーターの一つです。
自治体への導入にあたっては、LGWANとの連携がセットでないと情報の流通が滞ります。
神戸市と市川市の事例ですが、かつて神戸市役所と芦屋市役所で入力オペレーターをした経験がある私にとって、神戸市の事例には興奮しました。神戸市が主宰するワークショップには芦屋市の方も参加されているとか。
私の来し方を考えると感慨が湧きます。この分野でも今後は協力をしていければうれしいと思いました。
「来なくてもいい市役所」の実現に向けて。

そしてすでに最終セッションへ。
その前に、アーセスさんのブースに立ち寄りました。
お客様がチーム応援ライセンスに申請していて、申請が通ればアーセスさんのプラグインを使う提案もお客様にしていました。なので、KOUTEIやKOYOMIについてあらためてお話を聞きに伺ったのです。

最終セッションは『五体不満足』で知られる乙武氏の講演。そして青野社長との対談です。
乙武氏もまた、世に跋扈するモンスターと戦い続けてきた勇者です。とにかく目の力が強く、意思のみなぎった面構え。表情は豊かに、雄弁に語ってくださいます。不満足な五体で表現できない分を言葉と顔と喉だけで。
私も話者の端くれとしてとても刺激を受けました。スピーカーたるものこうありたいものです。
美しいものは、と問われた乙武氏が「覚悟」と答えた姿が、まさに美しい。モンスターと戦い続けるには覚悟がいります。その覚悟こそ、勇者のまとうべき究極の鎧なのかもしれません。
著書『四肢奮迅』を出されたばかりだというので、私も手に取ってみようと思いました。

冒険の旅に終わりはありません。
とはいえ、四人の勇者と幕張で飲みかわし、いったん私にとってのCybozu Days 2019 in 東京は幕を閉じました。
三日続けて幕張と町田を往復したのでHPとMPはすっからかん。でも、その替わりKP(気力)は満タンに充填されました。

初日の禍々しい気配からは一変、幕張の夜にはさわやかな風が吹いていました。ここ、幕張の地からモンスターは退けられたのです。

ただし、RPGの世界ではラスボスを倒してもゲームは永遠に続いていきます。私たちの人生もそうであるように。
まだまだモンスターは世に棲んでいるのです。

そうしたモンスターを退治する冒険の旅路では、仲間との交流が欠かせません。
今回、こうした英雄たちの交流の場を作っていただいたサイボウズさんには感謝です。
スタッフの皆様、登壇者の皆様、参加者の皆様、ありがとうございました。
これからもモンスターと戦い続けていきましょう!


テレワーク―「未来型労働」の現実


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毎朝毎夕の通勤。世の通勤者にとっての悩みの種の一つである。電車の中は立錐の余地もなく、その煩わしさは通勤の意欲を削ぐに十分である。前向きに考えたくとも、そのスペースはあまりにも狭く、集中力を発揮して生産的な時間とするにはあまりにも雑音が多い。

日々の務めの一つとして、諦めて耐え忍ぶのか。人間を練るための修行として無に入るか。他人を内心でこき下ろして鬱憤を晴らすか。あるいは日々の通勤をしなくてもよい仕事に就くか。車内に充満する人々の想いは多様であるに違いない。

かつて、テレワークという概念が脚光を浴びつつあった。勤め先は変えずに、自宅で作業の一部、又は全体を行うという仕事のスタイルのことである。IT化の進展により、技術的にそれが可能となる態勢が整い、通勤ラッシュは過去の言葉に。私も当初はそれに飛びついた。総務省のパブリックコメントにラッシュ緩和策をテレワークに絡めて寄稿したこともある。

だが、テレワークという概念が提唱され、大分年月が経ったが、状況に変化はないように思える。テレワークの切り札として、一時シン・クライアント端末も持て囃されたが、クラウド全盛の世にあって、最近は影が薄い。

おそらくは第一次ベビーブーム世代の大量退職と、徐々に整備された交通網によって、混雑の重症化に歯止めが掛かったためもある。それと、今のビジネス慣用が、テレワークを受け付けにくいやり方になっていることも大きいのではないか。

本書では、その後者のビジネス慣用の面から、テレワーク幻想に疑問を投げかける。まず、総務省がいうほどテレワークが浸透していない現実を、統計数値から分析する。分析といっても難しい数式が並ぶわけではなく、分析の条件の立て方に誤解を与えるようなことを指摘する。次に、テレワークの形態を在宅勤務型、モバイルワーク型、在宅ワーク型、SOHO型の4つに分ける。その中から本書の分析の対象として、SOHO型を除外する。

在宅勤務型については、実際の勤務形態を幾多の例と統計数値から個別に論証し、実際は労務管理の及ばない、より残業を強いている現状を指摘する。

モバイルワーク型については、製薬メーカーのMR職の例を挙げ、自己裁量労働の長所に比べ、過酷な長期間労働の現実を示す。

在宅ワーク型については、電脳内職という言葉をあげ、労働に見合わない賃金と、作業スキル以外にも統括、営業スキルなどを持たねば高収入は見込めない欠点を提示する。

いずれの例も、成功例と失敗例を挙げてはいるものの、全体的なトーンとしては、テレワーク幻想に冷水を浴びせるものである。

私としては、誠に残念なことに、筆者の論旨に賛成である。なぜか。私は、平日は常駐勤務、夜中と土日祝日にはSOHO型+在宅勤務型として生計をたてている。また、2年前までは在宅ワーク型の仕事も請け、私から協力頂く作業者の方々に作業を割り振る統括作業も行っていた。つまり当事者である。当事者の立場としては、本書の例証に頷けるところが多かった。むしろ、在宅ワーク型では他の作業例を読み、大変参考になったほどである。

また、IT企業での常駐勤務を経験している立場からも、テレワークの普及阻害要因はいくつも挙げることができる。それはセキュリティの問題(コンプライアンス)ももちろんある。が、それだけではない。そもそも、業務要件を作業者間で共有するためには、ディスプレイ越し、ネットワーク越しの作業では、共通の理解を醸成することは困難である。少なくとも現在の音声やテキストのやり取りだけでは難しい。リモート操作による画面共有も、ネットワーク帯域が不十分なため、面と向かっての打ち合わせには及ばない。思考イメージの共有が現在の技術では実現できていない以上、例えIT企業であっても、Face to Faceの、実際の場を共有しての会議は衰える様子はない。これが残念ながら現実である

本書でも、テレワークのために既存制度を変えることのナンセンスを指摘している。社会の仕組みの変革があって、はじめてテレワークという手段が活きるという認識である。今の少子化が進行する日本においては、労働者が減っていく今後を考えると、社会の仕組みの変革が、労働時間の作業時間を減らす方向に進むとは考えにくい。

もちろん、ペイ・エクイティやワークシェアリングの考えも紹介されてはいる。しかし、テレワークによる労働の実体の客観的な把握が、企業にとっても労働者にとっても困難である実情から、まずその点の改善を提唱する。さらに、女性の社会参加に対する認識がまだまだ旧態依然としたものであることにも本書の目は届いている。また、私見では、集うこと、群れることを無意識に求めている人々については、IT化の進展や労務体制の変化がどうあれ、テレワークを逆に拒否することも考えられる。

私個人としては、今の通勤生活は大嫌いである。今の朝夕の通勤から得られる利点は、どう数えても片手で足りるほどしか挙げられない。私自身の三方良しとは、仕事と家庭と個人の3つであるが、三方良しの目標と、今の現状は私自身にとって明らかに矛盾している。だからといって、私が通勤生活から抜け、雇用者の立場となったとしても、この問題は避けては通れないだろう。

ただ、私の知る会社では、社長自らが率先して既存の労務・人事制度に風穴を開けるべく奮闘している。まだまだテレワークを活かすことのできる工夫の余地、考えるべき点は沢山残っていると思われる。どうすればテレワークが浸透するのかについて考えるためにも、本書が打ち破ろうとする、テレワーク幻想の現実をしっかりと見据え、今後に活かさねばと考えている。

’14/2/5-’14/2/7


イタリア人の働き方


文中でも触れられている通り、私にもイタリアに対しては脆弱な経済基盤という印象があっただけに、最近の欧州経済危機でも危機リストに名前が挙がってこない理由の一端がわかった気がします。

個人事業主が多いというイタリアの特質ゆえに、組織や国家統制的な面では弱いけれど、実は個々人が責任と誇りを持って仕事にあたっているという点がわかり、個人事業主としての自分や今後の事業計画に大きな参考となりました。

’11/9/7-’11/9/7