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2020年6月のまとめ(個人)


昨年から、毎月ごとに個人と法人を分けてまとめを書きます。

公私の「私」

●家族とのふれあい

§ 総括 コロナウィルスに翻弄されたこの数カ月。
六月になってようやく、わが国においてはコロナは落ち着きを見せはじめています。

とはいえ、今年に入ってから通院することになった妻の状態は不安定なままです。コロナによって手術の日程が定まらないからです。
だからこそ、団結しなければなりません。そうした逆風に耐えようと、わが家は自粛の中でもなんとか発散させようと工夫に工夫を重ねています。

その工夫が実り、今月は家族で大町、栂池へ旅をしました。
県をまたいでの移動の自粛要請が解除されるタイミングを読み、直前に宿を予約して。
星野リゾートさんの界 アルプスの施設やサービスには、皆が満足してくれました。本当に行ってよかったです。サービスに感動したあまり、次女が大泣きしたのも良い思い出になりそうです。

そんな幸せな出来事があった一方で、長女の抜歯の際に発覚した予想外の症状が、長女の頬が腫れさせたトラブルも起きました。ようやく腫れが引き始めたとはいえ、まだ気の毒な患部の腫れが続いています。
さらに次女もコロナによる逼塞が原因で、少し情緒を不安定にさせています。
こんな時こそ、家族のフォローををきちんとしなければ。
末尾に次女の話を夫婦でよく聞いてやりました。
引き続き工夫を重ねて、自粛の中でも生きる喜びを謳歌したいと思います。

家族とは四回、妻とは五回、妻と長女とは三回、妻と次女とは二回、お出かけしました。

娘たちが大きくなるとともに、家族で出かける機会が減っている中、こうやって旅をする機会は貴重です。
まだまだこれからもさまざまな出来事はあるでしょうし、まだまだ苦しい時期も続くでしょう。コロナをはじめとした自然の猛威は、私の生活を今後も脅かすに違いないです。
娘たちが妻を支えてくれるようになってきているのは嬉しいですが、そもそも実りの時期を楽しめるように、さらに努力をしなければ。
おかげさまで今月で長女の学費は全て支払いが完了しました。まずは一つ目のマイルストーンを通過しました。

いずれにせよ娘たちは巣立ちます。私は仕事以外にやりたいことが盛りだくさんな人間なので、子離れや引退をきっかけに老け込まなさそうですが、限られた人生でも家族との時間を大切にしたいと思っています。

§ 月表

・六月お出かけ

多摩川緑地公園、コーチャンフォー 若葉台店ジョイフル、俺流塩らーめん、恵比寿神社、ミスタードーナツ、モスバーガー 鶴川店ココデンタルクリニックコーチャンフォー 若葉台店相鉄ローゼン 薬師台店、東海道新幹線 名古屋駅、近鉄 津駅、伊勢中川駅、東青山駅、名張駅、三本松駅、道の駅 宇陀路 室生、鳴海橋、海神社、鎌倉の滝、くさ地蔵?山の神(三本松)、青葉の滝(深野)、青葉寺、道の駅 宇陀路 室生、三本松駅、タコとハイボール、難波神社、芭蕉翁句碑「旅に病で ゆめは枯野を かけまはる」、南御堂 (真宗大谷派 難波別院)、海鮮料理 まどもあぜる、梶平、ブロンコビリー 枚方招提店、トリップカフェ 高槻、村山実 銅像、あまがさき観光案内所(阪神尼崎駅前)、尼崎城 天守閣、Starbucks和食麺処サがミ 町田金井店ココデンタルクリニック、町田市立中央図書館、リカーポート 蔵家オールドヒッコリー 町田境川南町田グランベリーパーク、BIZcomfort南町田(グランベリーパーク)、タリーズコーヒー、Picard 南町田グランベリーパーク、だるまのめ 狛江店、町田市立さるびあ図書館、ジーニーズ 町田店44Apartment 薬師池店、薬師池、秘佛薬師如来、相鉄ローゼン 薬師台店、薬師池公園 蓮園、薬師池公園、江川亭 小金井本店、府中運転免許試験場、多磨霊園、武蔵野台駅、双葉SA (下り)星野リゾート界アルプス、信濃大町駅、清音の滝、八坂大滝、清音の滝、信濃木崎駅、森城跡、仁科神社、稲尾駅、森城跡仁科神社栂池ゴンドラリフト 栂池高原駅栂池ゴンドラリフト 栂の森駅栂池ロープウェイ 栂大門駅栂池ロープウェイ 自然園駅栂池ロープウェイ 自然園駅栂池ビジターセンター栂池自然園、展望湿原、浮島湿原、栂池ロープウェイ 自然園駅道の駅 白馬道の駅 安曇野松川 寄って停まつかわ民宿・そば処 ごほーでん梓川SA (上り)、大庄水産、聖龍、サイゼリヤ、中華そば 七面、薬師池公園 蓮園、薬師池公園、町田市役所ココデンタルクリニックコーチャンフォー 若葉台店

・六月ツイート
https://togetter.com/li/1551551

§ 家族のお出かけ 家族で出かけたのは、上の年表で黄地に太字にしているイベントです。家族で出かけたのは、今月は四回です。
自粛の嵐の中、家族ではほぼ毎日顔を合わせている我が家。

家族でも何度か、出かけましたが、大町温泉郷にある星野リゾート 界 アルプスに泊まったのが今月の特記すべき出来事です。
その翌日は木崎湖、栂池高原へと足を伸ばし、信州の自然を堪能しました。
落ち着いた宿のたたずまい。そして見事な料理。
料理人を志す次女は、そのプロ意識に感動してガチ泣きしました。
お風呂が目当てだった家族は、存分に温泉を満喫していたようです(6/20)。

その翌日は私が妻に連れて行きたいと思った場所へ。
ロープウェイを二本乗り継ぎ、訪れた栂池自然園は、私のもくろみ通り、本州最後に旬を迎えるという水芭蕉の大群落が。しばし、言葉が出ませんでした。
いい旅になったと思います(6/21)。

今回のコロナは、自粛を強いられたからこそ、家族の意味を考えさせられる良い機会にもなっています。
生きる意味とは何か、死ぬと人は無に消えるのか。コロナは私たちに生きる意味を問いかけています。悪いことだけではありません。
働き方と生き方に思いを馳せる機会として活かさないと。

ちなみにこちらがボス猿です。彼らに取り囲まれ、辛くも逃げ出した興奮は私の中でおさまらず、帰りの高速でついついレンタカーの返却も急いでいたため、覆面パトカーに御用となってしまいました。二日前に免許の更新をしたばかりだったのに。。



§ 妻とのお出かけ 妻と出かけたのは、上の年表で桃地に太字にしているイベントです。今月は妻と二人で五回お出かけしました。
近所に整備されたばかりの公園で素晴らしい景色を堪能したり、町田を散歩したり。
今月から妻の歯科医院にkintoneを導入する準備を進めており、ココデンタルクリニックに詰める日も二日ほどありました。
他の日は、近隣のお店に訪れることが多かったです。

§ 妻と長女とのお出かけ 上の年表で緑地に太字にしているイベントです。
長女は親知らずを抜歯する際に、歯科医の祖父に抜歯してもらったのですが、歯が骨に癒着していたため、骨にまで影響が生じてしまいました。
頬が腫れた長女の姿はとても気の毒で、腫れ物に触るような日々が続きましたが、ようやく少し腫れが引き始めたのはよかったです。

長女は学校から多数の課題を出されていますが、オンライン授業が始まった影響からか、自室に閉じこもる傾向が増えたのは若干心配でした。
長女にとっても信州の旅は良い影響を与えてくれたと信じています。

§ 妻と次女とのお出かけ 上の年表で緑地に太字にしているイベントです。
この三人で出かける機会はありませんでしたが、末日になって悩める次女の話を私と妻とでじっくりと聞いてあげる機会を作りました。
進路のこと、バイトのこと。コロナによって世の中が不透明になる今、次女の将来も不透明になり、本人なりに不安を覚えているようです。

次女については学校からのメール連絡を全て家族lineに転送する設定を行ったため、次女の学業の様子は全て把握しており、次女は次女なりに頑張っているようですが、次女の彼氏の存在がうちの家族にも若干の波風を立てています。特に長女にとって。
でも、そういう変化があってこその家族であり、家族で話し合ってより良い人生を皆が歩めるようにしたいと思っています。

§ 娘たちとのお出かけ 上の年表で青地に太字にしているイベントです。
今月はコロナの影響もあり、私が家にいることも多く、娘たちとはかなりの時間、顔を合わせています。
ただ、次女の心も長女の心も日によって不安定になることもあります。
大人になる直前に、コロナに襲われた日々。将来を不安に思う娘たちに、どうやって親として接してゆくのか。
私にも親としての器が求められています。

●私自身の六月(交友関係)

§ 関西の交流関係 今月は関西へ仕事で訪れられました。
4月に手術をしたばかりの母に私が無自覚にコロナを移してしまわないか。
それが心配でしたが、まずはディスプレイ越しではく、面と向かって両親の息災を知ることができたのはよかったです。

帰省の道中は三重と奈良を少し散策し、その翌日はサイボウズさんの大阪支社でお仕事をした後、夜は船場センタービルで高校からの親友と再会を含めてお酒を飲む機会もありました。
翌日とその次の日も、高槻を中心にした何カ所かで、お客様の現在の業務を拝見させていただきました。
四日間で、関西の空気を存分に味わえたのが良かったです(6/7-10)。

特に梅田のサイボウズ大阪支社から北大阪の景色を一望にできた事で、私自身のルーツが大阪にあることを強く意識しました。

§ 今月の交流 コロナウィルスによるイベント自粛の嵐は、私から飲み会の機会を何度も奪いました。飲んだ日数は3日。延べ3軒。
コロナによる自粛の嵐は、飲食業界を直撃しており、私もお店の応援がしたいのですが、そもそもやっていない店があり、テイクアウトで弁当を買ったり、酒屋やネットで遠距離の生産者支援をすることが精いっぱいです。数回、遠方の産物を注文しておいしい料理を堪能しました。
また、お酒も栂池高原や、町田の蔵屋さんで5,6本購入しました。
そうしたお酒はオンライン呑み会でいただくか、妻との晩酌でいただきました。おいしかったです。

そして今、リアルで飲める機会が激減しているだけに、リアルの場で飲む喜びは大きいです。
それも高校時代からの親友となるとなおさら。
船場センタービルの地下にある「海鮮料理 まどもあぜる」での時間は幸せでした(6/8)。
その翌日も高槻の「梶平」というお店でお客様と一緒に美味しい酒と料理を楽しみました(6/9)。おそらく高槻で飲んだのは生まれてはじめてだったかもしれません。親戚が住んでいて昔からなじみの深い地だというのに。
最後はパートナー企業の方と狛江の「大庄水産」でこれまた美味しい魚とお酒を(6/23)。相当酔っぱらってしまいました。

今月の私とご縁を結んでくださった皆様、本当にありがとうございました!

●私自身の五月(文化活動)

§ 読書・観劇レビュー 読んだ本のレビューを記す読ん読ブログの執筆は、主に2019年に読んだ18冊分となりました。
レビュー執筆は、私の中では大切なライフワークとして位置付けています。このところ、書く時間があまり取れていませんでしたが、今月はもともと書いていた原稿に手を入れただけで済んだため、遅れを少しだけ取り戻すことができました。一年と20日遅れです。。この期間を質を落とさずに縮めたい。それが去年に引き続いての課題です。書く行為への熱意は衰えていませんので、引き続き続けたいです。

一昨年の春まで連載していたCarry Meさんの運用する本音採用サイトの「アクアビット 航海記」を弊社サイトにアップする作業ですが、今月は1本アップしました。
(「アクアビット航海記 vol.22〜航海記 その10」)
代表の前半生をまとめました。何が起業にとって良かったのか。それを振り返ることは、今の弊社の社風を形作る上で、参考になると思います。

今月、書いた本のレビューは18本(
ジンの歴史
さくら
時生
チームのことだけ、考えた。
盤上の夜
愚者の夜
魔法の種
楽園のカンヴァス
任務の終わり 上
任務の終わり 下
魔法のラーメン発明物語―私の履歴書
世界史を創ったビジネスモデル
スコッチウィスキー紀行
心霊電流 上
心霊電流 下
世界一速く結果を出す人は、なぜ、メールを使わないのか グーグルの個人・チームで成果を上げる方法
追憶の球団 阪急ブレーブス 光を超えた影法師
奥のほそ道」)。
今月、書いた抱負は0本() 。
今月、書いた旅日記は0本() 。

今月、書いた物申すは1本(
47歳。若いとみるか、老いとみるか。」) 。

今月、書いた弊社の活動ブログは1本(
2020年も気がつけば半ばに(法人)」)。

§ 今月の読書 今月は7冊の本を読みました。内訳は自己啓発書一冊、音楽評論一冊、ビジネス実務書一冊、SF小説一冊、娯楽小説一冊、歴史小説二冊。
私の今年の目標の一つは本を出版することですが、まだまだ道は遠いです。
今月はコロナ自粛もあったため、本屋に何度も足を運びました。
そして何冊も本を買いました。今月の読書の多くはかなり手ごたえがある分量でした。前月にブックカバーチャレンジに参加したことで、読書の魅力を見直したことも多いです。

§ 今月の映画 今月の映画鑑賞は0本です。
今月もキングダムは見られずじまい。これで3カ月見られていません。

§ 今月の舞台 舞台については、今月は0本です。
今月ついに宝塚の公演再開が発表されました。それに応じて妻がまた代表としてのさまざまな準備に追われつつあります。
それが目下の切実な悩みです。

§ 今月の音楽 今月は生演奏を聴く機会がありませんでした。ただ、相変わらずGoogle Musicには活躍してもらっています。YouTube Musicにも移行してみましたが、機能にバグが目立つため、またGoogle Musicに戻っています。
今月はyes、Genesis、Led Zepperin、The Whoしか聴いていません。聴きまくってました。

§ 今月の美術 今月は美術の展覧会を見る機会がありませんでした。

§ 今月のスポーツ 今月は相変わらずコロナが自粛を強いており、スポーツはできていません。
散歩は良く行いましたが、それはスポーツとはいえません。
プロ野球やサッカーも無観客で開幕しましたが、あまり見られていません。
なお、観戦とは意味合いが違いますが、炎のザトペック投法で知られる阪神の名投手、故村山実さんの銅像をようやく母校の跡地で拝見することができました(6/10)。

§ 今月の滝 今月、訪れた滝は4滝です。
「鎌倉の滝(6/7)」「青葉の滝(6/7)」「清音の滝(6/20)」「八坂の大滝(6/20)」
鎌倉の滝は道が崩れていたため、落ち口からしか見られませんでした。また、青葉の滝は見事な自然の造形が石段を形作っており、心を正してくれました。
大町の清音の滝は、道のすぐ脇にある滝で、そばの崖には石仏も彫られた歴史を感じさせる端正な滝でした。
そして八坂の大滝は五十メートルともされる落差にもかかわらず、水量が滝つぼを穿たない程度に抑えられ、風によってあちらこちらに散っていることで、音がとても優雅でした。
もちろん落下する水の下で水を感じることもでき、裏側からものぞくことができる滝で、私に感動を与えてくれました。生涯でも十本の指にいれてもよいぐらいの。

§ 今月の旅行 今月は、大阪出張に行く道中に関西の水を存分に味わいました。
行きに新幹線を名古屋で下車し、そこから近鉄に乗り換える際は間違えてデビューしたばかりのヒノトリに乗ってしまい、偶然にも新型特急の旅を楽しみました(6/7)。
さらに乗り継ぎを間違えたことが功を奏し、東青山駅で電車待ちの間に周囲を散策ができました。
また、それによって赤目四十八滝への訪問を諦めたため、代わりに下車した三本松駅の周辺では、宇多川の清流を見ながら、佇まいも見事な海神社に参拝し、近隣の山に分け入って鎌倉の滝と青葉の滝を求めて歩き回りました(6/7)。
平家ゆかりの青葉の笛が生まれたとされる青葉の滝の姿は見事でした。さらにはかつて伊勢へ参る旅人で賑わったという三本松の旧旅籠町を歩けたのも良い思い出となりました。
その翌日は夕方に松尾芭蕉が死没した難波別院で芭蕉の辞世の句碑を見て、人生の短さをかみしめてきました(6/8)。
コロナが私の人生を不自由にしている今だからこそ、心は常に外の世界に向けなければ。
その想いを新たにしました。

家族で訪れた大町でも、妻子を界 アルプスに送り届けたあと、一人で大町の市街や、駅、そして滝めぐりを楽しみました。特に八坂の大滝の50メートルの滝姿には身惚れました(6/20)。
翌朝も7時前に一人宿を出て、木崎湖畔へ。仁科氏が本拠として構えていた森城址やその後にできた仁科神社。そして美しい木崎湖の姿には時間も忘れて惚れぼれとしていました(6/21)。
あとで妻子を連れて再訪したほどに。
栂池自然園も、雪で塞がっていた先まで一人で登り、雄大な展望湿原から白馬の山を間近にし、その帰りには二十匹ほどのニホンザルの群れに囲まれる経験も。
旅を満喫した二日間でした(6/20-21)。



§ 今月の駅鉄 趣味の駅訪問は五駅です。「東青山駅(6/7)」「三本松駅(6/7)」「信濃大町駅(6/20)」「信濃木崎駅(6/21)」「稲尾駅(6/21)」。
東青山駅は意図せず意図せず訪れ、公園以外に何もない様子が新鮮でした。三本松駅も偶然の産物で訪れることになり、印象に残ります。最後に三つはどれも大糸線の駅です。思えば駅の魅力にはまったのは大糸線の梓橋駅でしたから、原点回帰ができたと思います。

§ 今月の酒楽 コロナウィルスによるイベント自粛の嵐は、私から飲み会の機会を何度も奪いました。飲んだ日数は3日。延べ3軒。
そんな中、WOLFBURN蒸溜所のオンラインセミナーに試飲付きで参加できた経験は売れしかったです。新たなオンラインセミナーの形が見られました(6/28)。
また栂池高原で購入した「栂の森」と「北安大國」のしぼりたて生原酒は美味しかったです。
あとはgin  Festivalが中止になってしまった代替としてgin festival  TVも楽しむことが出来ました。
蔵家で購入した玉泉洞酒造のnew Bornはまだ開けていませんが、楽しみでなりません。
今月は仕事に精魂を傾けていたので、上に書いた大庄水産の飲み(6/23)の後、かなり酔っ払ってしまいましたが。



§ 今月のその他活動 人生も半分を過ぎ、一層焦りが募っています。少しでも日々に変化をつけようとする気持ちに衰えはありません。健康なのに外出できない。コロナが私たちの行動に制限を掛けています。悔しくてなりません。

・公園は三カ所。「多摩川緑地公園(6/3)」「薬師池(6/16)(6/17)(6/29)」「栂池自然園(6/21)」

・博物館はゼロカ所。
・駅は五駅。「東青山駅(6/7)」「三本松駅(6/7)」「信濃大町駅(6/20)」「信濃木崎駅(6/21)」「稲尾駅(6/21)」
・入手したマンホールカードは二枚。「兵庫県尼崎市(6/10)」「長野県大町市(6/20)」
・滝は四滝。「鎌倉の滝(6/7)」「青葉の滝(6/7)」「清音の滝(6/20)」「八坂の大滝(6/20)」


・温泉は一カ所。「大町温泉(星野リゾート 界 アルプス)(6/20)」

・山はゼロ山。
・酒蔵は0カ所。
・神社は四カ所。「恵比寿神社(6/4)」「海神社(6/7)」「難波神社(6/8)」「仁科神社(6/21)」

・寺は三カ所。「青葉寺(6/7)」「南御堂 (真宗大谷派 難波別院)(6/8)」「秘佛薬師如来(6/16)」
・教会はゼロカ所。
・史跡は三カ所。「芭蕉翁句碑(6/8)」「村山実 銅像(6/10)」「多磨霊園(6/19)」
・遺跡はゼロカ所。
・城は二カ所。「尼崎城 天守閣(6/10)」「森城跡(6/21)」

・名水百選はゼロカ所。
・灯台はゼロカ所。

私がまだ訪れていない場所の多さにめまいがします。他の活動もまだまだやりたいことがいっぱいあります。
一番怖いのは年齢から来るあきらめと気力の減退です。これだけは防ぎたい。
家族との縁もこれから姿を変えていくことでしょう。仕事もいつかは引退を求められるでしょう。そうなったときにやることがない、とよくある老残にならぬよう。
人はいつかは死ぬ。コロナウィルスの蔓延はそのことを教えてくれました。これから、健康であっても時間があっても出られない。そんな事態にも見舞われそうです。
だからこそ、後悔だけはしないように全力で生きなければ!
仕事だけでなく、いまのうちに時間の合間を見つけ、行けるところに入っておこうと思います。

一方で、将来のこともそろそろ考えねばなりません。
法人のまとめには書いた通り、コロナにもかかわらず、法人としての売り上げは確保できています。ただ、私個人としては投資もしなければ賭け事もせず、不労所得のタネも持っていません。
つまり、一人で私自身の体だけが頼りです。
なので、体に何かがあれば収入は尽きます。そろそろ貯蓄のことも考えていかなければ。

それぞれの場所で俳句も読みました。今月は16句。いずれもツイートまとめに載せています。

あらためて「私」を振り返ってみました。来月もコロナと共存しつつ、自らの生に後悔のないような日々となることを信じて。


吹けよ風呼べよ嵐


川中島にいまだ訪れたことがない私。それなのに、川中島の戦いを描いた小説を読む経験だけは徐々に積んでいる。そして合戦シーンに血をたぎらせては、早く訪問したいと気をはやらせている。そんな最近だ。友人が貸してくれた本書もまた、私の心を川中島に向かわせようとする。

だが本書の中において、川中島の戦いが描かれるシーンはほんのわずかしかない。386ページある本書の終盤、多めに数えてもせいぜい60ぺージほど。では、あとのページは何の描写に費やしているのか。それは、村上義清軍の戦いを追うことで費やしている。本書は上田原の戦いから始まる。上田原の戦いといえば、村上義清と武田晴信によってなされた信濃の覇権をめぐる一連の戦いでも初期に行われた合戦だ。上田原の戦いで武田軍の侵攻を退けた村上軍は、続けて武田軍に後世、砥石崩れと称される程の痛手を負わせる。北信濃に村上義清あり、と高らかに謳うかのような戦い。本書の主人公である須田満親は、従兄でかつ刎頸の友である信正とそれらの戦いを間近にみていた。

だが、村上義清がいくら北信濃で武名を高めようとも、勢力としては信濃の一地域を治めるだけの存在にすぎない。そもそも、信濃とは諸豪族が割拠する地。戦後史においては、信濃における二大勢力として小笠原長時と村上義清の両雄が並び称されていた。だがそれぞれは勢力として小粒。それゆえ、甲斐から侵略を進める武田軍に徐々に突き崩されてゆく。しかも武田軍は武で成果がなければ調略を試すなど、柔軟かつ老練な攻め手を繰り出してくる。硬軟取り混ぜた武田軍の攻撃に徐々に勢力を削られてゆく村上軍。その調略の先は、信正の親である須田信頼にも伸びる。その結果、須田信頼と信正親子は武田軍にくみする。つまり、須田満親と信正は敵味方となってしまうのだ。満親を襲った凶報は、満親と信正を互いにとっての仇敵に仕立て上げることになる。上田原の合戦見物の際は、弥一郎、甚八郎と呼び合っていた二人。それが憎み合い戦場で剣を交えるまでに堕ちてしまう。戦国の世の習いの無残さを思わせる展開だ。

仲の良かった従兄が敵味方に分かれる。そんなことは下克上のまかり通る戦国時代にあって特に珍しくもなかったはず。そして豪族が相打ち乱れ、合従連衡を繰り返す信濃にあってはより顕著だったに違いない。つまり戦国期最大の合戦として後の世に伝わる川中島の戦いとは、ついにまとまる事を知らぬまま、乱れに乱れた信濃が堕ちるべき必然だったのだ。信濃の地で戦われた合戦でありながら、甲斐の武田と越後の上杉の戦場となった川中島とは、つまるところ信濃の豪族たちのふがいなさが凝縮した地だったともいえる。

だが、その事実をもとに須田満親を責めるのは酷な話。彼は村上家にあって生き延びるため、そして須田家を存続させるため、懸命に働く。満親の働きは、村上家がいよいよ武田軍の攻勢を防ぎきれず上杉家を頼る際に彼自身の運命を切り開く。村上義清によって上杉家への使者に命じられることで。それまでに使者として上杉景虎の知己を得ていたことが上杉家への使者として適任だったのだ。それは、須田満親を次なる運命へと導く。つまり、川中島の戦いへと。満親の嫁初乃はもともと信正の妹として満親に嫁いできた。だが、武田軍の調略が須田家を引き裂いたため、兄信正と初乃は敵対することになる。そんな運命に翻弄されながら、彼女は世をはかなむことなく満親へ付き従い越後へと落ち延びる。本書で描かれる彼女の運命は戦国の時代の過酷さ、そして確固たる権力に恵まれなかった信濃に生まれた女子の運命を如実に書き出している。

親しさの余りに、憎さが百倍したような満親と信正の関係。それは、幾度もの運命の交錯をへてより複雑さを増してゆく。そしてついには川中島の戦いでは上杉軍と武田軍として相まみえ、剣を交えさせることになるのだ。

残された記録による史実によれば須田満親は1598年まで存命だったようだ。つまり満親は川中島を生き残ったのだ。では信正はどうだったか。史実によれば武田家滅亡後に上杉家に属したと伝わっている。だが、本書では川中島以降の両者には触れていない。あるいは、上杉家で旧交を温め直したのか、それともかつての反目を引きずりながら余生を過ごしたのか。本書には、上杉家での二人の邂逅がどうだったかについては触れておらず、読者の想像に委ねている。

そのかわりに著者は、川中島の戦いで満親と信正に剣を打ち合わせることで、二人のその後に著者なりの解釈を示している。満親に勝たせることで。そして満親にとどめを刺させないことで。その瞬間、二人の間には弥一郎と甚八郎の昔が戻ったのだ。「禍根を断っては、武士は鈍ります。禍根あってこそ、武士はよき働きができます」とは川中島の戦いの後、謙信と語らった際の満親のセリフだ。それを受けて謙信もこう返す。「もう一太刀か二太刀見舞えば、わしは信玄を殺せた」「だがな、馬を返して四太刀目を浴びせようとしたところで気づいたのだ。欲が勝つか義が勝つかは、力で決めるものではなく、天が決めるものだとな」「そうだ。欲に囚われた者は欲に滅ぼされる。最後に勝つのは義を貫く者だ。つまり禍根を断たずとも悪しき者は自ずと立ち枯れる」

ここでいう欲とは武田信玄の領土拡張欲であり、義とは毘沙門天を戴く上杉謙信の信念を表わしている。この二つの概念は、両者を比較する際によく見かける。だが、有名な一騎打ちをこういう解釈で描いた事に、本書の真骨頂がある。川中島の合戦で敵味方に相まみえる事になった須田満親と信正の従兄同士。二人の運命に小豪族の置かれた運命の悲哀を表しただけでなく、義と欲の争いを禍根を断つ形で決着させず、人の生き方として歴史の判断にゆだねた著者の解釈。これもまた、一つの見識といえる。

おそらく、川中島の戦場には、幾多の入り組んだ、長年に渡って織りなされた運命の交錯があったはずだ。満親と信正。信玄と謙信。信繁と景家。川中島には彼らの生きた証が息づいている。人の一生とは何を成し遂げ、何に争わねばならないのか。そんな宿命の数々がしみ込んでいるのだ。そのことを新たに感じ、人の一生について感慨を抱くためにも、私は川中島には行かねばならないのだ。

‘2016/12/24-2016/12/28


槍ヶ岳開山


日本の仏教をこう言って揶揄することがある。「葬式仏教」と。

平安から鎌倉に至るまで、日本の宗教界をリードしてきたのは紛れもなく仏教であった。しかし、戦国の世からこのかた、仏教は利益を誘導するだけの武装集団に堕してしまった。その反動からか、江戸幕府からは寺院諸法度の名で締め付けを受けることになる。その締め付けがますます仏教を萎縮させることになった。その結果、仏教は檀家制度にしがみつき「葬式仏教」化することになったのだと思う。

では本当に江戸時代の仏教は停滞していたのか。江戸時代に畏敬すべき僧侶はいなかったのか。もちろんそんなことはない。例えば本書の主人公播隆は特筆すべき人物の一人だろう。播隆の成した代表的な事跡こそが、本書の題にもなっている「槍ヶ岳開山」である。

開山とは、人の登らぬ山に先鞭を付けるということだ。人々が麓から仰ぎ見るだけの山。その山頂に足跡を残す。そして、そこに人々が信仰で登れるようにする。つまり、山岳信仰の復興だ。山岳信仰こそは、行き詰っていた江戸仏教が見いだした目標だったのだろう。そして現世の衆生にも分かりやすい頂点。それこそが山だったのだ。登山を僧や修験者といった宗教家だけのものにせず、一般の衆生に開放したこと。それこそが播隆の功績だといえる。

だが、播隆が行ったのは修行としての登山だ。修行とは己自身と対峙し、仏と対話する営み。純粋に個人的な、内面の世界を鍛える営みだ。それを、いかにして小説的に表現するか。ここに著者の苦心があったと思われる。

本書には、越中八尾の玉生屋の番頭岩松が、後年の播隆となって行く姿が描かれている。だが、その過程には、史実の播隆から離れた著者による脚色の跡がある。wikipediaには播隆の出家は19の時と書かれているらしい。wikipediaを信ずるとなると、19で出家した人間が番頭のはずがない。ただ、どちらを信ずるにせよ、槍ヶ岳を開いたのが播隆であることに変わりはないはず。

播隆に槍ヶ岳を登らせるため、著者はおはまを創造する。越中一揆において、おはまは岩松が突き出した槍に絶命する。仲の睦まじいおしどり夫婦だった二人だが、夫に殺された瞬間、おはまは夫をとがめながら絶命する。一揆の当事者として成り行きで農民側に加担することになった岩松は、越中から逃げて放浪の旅に出る。おはまが最後に己に向けた視線に常に胸を灼かれながら。

一揆で親を亡くした少年徳助を守るという名分のもと、旅を続ける岩松は椿宗和尚のもとに身を寄せることになる。そこで僧として生きることを決意した二人は、大坂の天王寺にある宝泉寺の見仏上人に修行に出される。そして見仏上人の下で岩仏という僧名を得、修行に明け暮れる。次いで京都の一念寺の蝎誉和尚の下に移り、そこで播隆という僧名を与えられることになる。八年の修行の後、播隆は椿宗和尚の元に戻る。

八年のあいだ、俗世から、おはまの視線から逃れるため、修行に没頭した播隆。皮肉にも修行に逃れようとしたことが播隆に威厳を備えさせてゆく。俗世の浮かれた気分から脱し、信心にすがり孤高の世界に足を踏み入れつつある播隆。だが、一方で播隆を俗世につなぎとめようとする人物も現れる。その人物とは弥三郎。彼はつかず離れず播隆の周りに出没する。一揆の時から播隆 に縁のある弥三郎は、播隆におはまの事を思い出させ、その罪の意識で播隆の心を乱し、女までめとわせようとする。播隆 と弥三郎の関わりは、本書のテーマにもつながる。本書のテーマとは、宗教世界と俗世の関わりだ。

だが、僧の世界にも積極的に俗世と関わり、そこに仏教者として奉仕することで仏業を成そうとする人物もいる。それが播隆 を僧の世界に導いた椿宗和尚だ。椿宗和尚は、播隆こそ笠ヶ岳再興にふさわしい人物と見込んで白羽の矢を立てる。

播隆は期待に応え、笠ヶ岳再興を成し遂げる。しかし、その偉業はかえって播隆 を、事業僧として奔走する椿宗和尚の影響下から遠ざけてゆく。播隆にとっての救いは、笠ヶ岳山頂でみた御来迎の神々しさ。おはまの形をとった 御来迎に恐れおののく播隆 は、おはまの姿に許しを得たい一心で名号を唱える。

再びおはまの姿をとった御来迎に槍ヶ岳の山頂で出会えるかもしれない。その思いにすがるように播隆 は槍ヶ岳開山に向け邁進する。だが、笠ヶ岳再興を遂げたことで弟子入り希望者が引きも切らぬようになる。一緒に大坂に修行に向かった徳助改め徳念もその一人。また、弥三郎は播隆にめとらせようとした女てると所帯を持つことになるが、その双子の片割れおさとを柏巌尼として強引に播隆の弟子にしてしまう。俗世の邪念を捨て一修行僧でありたいと願う播隆に、次々と俗世のしがらみがまとわりついてくる。

皮肉にも槍ヶ岳開山をやり遂げたことで、仏の世界から俗界に近くなってしまう播隆。そんな彼には、地元有力者の子息を弟子にといった依頼もやってくる。徳念だけを唯一の弟子に置き、俗世から距離を置きたがる播隆は、しつこい依頼に諦めて、弟子を取ることになる。さらには槍ヶ岳開山を盤石にするための鎖の寄進を願ったことから、幕府内の権力闘争にも巻き込まれてしまう。それは、犬山城を犬山藩として独立させようと画策する城主成瀬正寿の思惑。播隆の威光と名声は幕政にまで影響を与えるようになったのだ。播隆本人の意思とは反して。

播隆の運命を見ていると、もはや宗教家にとって静謐な修行の場はこの世に存在しないかに見える。それは、宗教がやがて来る開国とその後の文明開化によって大きく揺さぶられる未来への予兆でもある。宗教界も宗教者もさらに追い詰めて行くのだ。宗教はもはや奇跡でも神秘でもない。科学が容赦なく、宗教から神秘のベールをひきはがしてゆく。例えばたまたま播隆の元に訪問し、足のけがを治療する高野長英。彼は蘭学をおさめた学者でもある。長英は播隆に笠ヶ岳で見た御来迎とは、ドイツでブロッケン現象として科学的に解明された現象である事を教えられる。

本書は聖と俗のはざまでもがく仏教が、次第に俗へと追い詰められて行く様を播隆の仏業を通して冷徹に描いている。まな弟子の徳念さえも柏巌尼 との愛欲に負けて播隆のもとを去って行く。1840年、黒船来航を間近にして播隆は入寂する。その臨終の席で弥三郎がおはまの死の真相やおはまが死に臨んで播隆 に向けたとがめる視線の意味を告白する。全てを知らされても、それは意識の境が曖昧になった播隆には届かない。徳念と柏巌尼が出奔し、俗世に堕ちていったことも知らぬまに。西洋文明が仏教をさらに俗世へと落としてゆく20年前。播隆とは、宗教が神秘的であり得た時代の古き宗教者だったのか。

取材ノートより、という題であとがきが付されている。かなりの人物や寺は実在したようだ。しかしおはまの実在をほのめかすような記述は著者の取材ノートには触れられていない。おそらくおはまは著者の創作なのだろう。だが、播隆が実在の人物に即して書かれているかどうかは問題ではない。本書は仏教の堕ちゆく姿が主題なのだから。獣も登らぬ槍ヶ岳すらも人智は克服した。最後の宗教家、播隆自身の手によって。誤解を恐れずいうなら、播隆以降の仏教とは、葬式仏教との言い方がきつければ、哲学と呼ぶべきではないか。

‘2016/11/15-2016/11/19


哄う合戦屋


生き急ぐ多くの現代人にとって、過去を描く歴史・時代小説は、教養臭いものとして遠ざけられがちである。

だが、私は将来への展望とは、過去の土台があってこそ、と常々考えている。実在・架空を問わず、歴史上の登場人物のたどった歩みには、自分の行先にとっての参考や指針となることがおうおうにしてある。

昨年末に友人より薦めて頂き、お借りした本書には、私にとって得るところが多々あった。

時は16世紀半ば。越後の上杉家が台頭し、甲斐では、武田晴信(信玄)が領土拡大の野望を隠そうともしない。両者の激突場となる気配濃厚の、川中島合戦前夜の信州が本書の舞台である。

二大勢力の狭間でしのぎを削る豪族たちの一つ、遠藤家は、内政に定評のある当主吉弘の下、領民一体となった経営を行っている。そこに風来坊として仕官する石堂一徹と、遠藤吉弘の娘若菜。そして吉弘を交えた3人が本書の主人公である。

題名からも想像できるとおり、表向きの主人公は、世に聞こえたいくさ上手として設定された石堂一徹となっている。名利を求めず、己の能力がどこまで戦国の世に通ずるかを人生の目的に据えた男として。本書を通して、軍師として主君を支える男の生き様の潔さに心震わすことも一つの読み方。

しかし、私は本書の面白みは他にもあると思う。むしろ、本書に込めた著者の思いとは、「物事の本質を見抜くことの美しさと苦み」にあったのではないか、と。

苦みとは、人々と視点の達する深みが違うため、感情や考えがずれる生きづらさを指す。たとえば、一徹がいくさの手柄話をせがまれる場面。そこで一徹は、首級を挙げたことよりも、戦況を自由自在に操ったことを手柄とする。もちろんそれは家臣たちには伝わらず、困惑で迎えられる。また、隣国との争いの一番手柄を最初に情報を知らせた者に与え、肝心の戦いで敵の大将を討ち取ったものに与えない。それがもとで、その者から恨みを買う。

美しさとは、外面の技巧よりも、内面にその物の真実を見て取る考えを指す。たとえば一徹は、若菜の描いた絵に、技巧ばかりが先走る若さを見抜き、その絵から想像がふくらむ余地のないことを指摘する。また、領民に慕われる若菜の、才能から来る無意識の打算に対し、その無意識を意識する強さと、そうせざるをえない立場の弱さに対し、共感を覚える。

そして吉弘はその間に立ち、領主としての立場や体面といった、物事の表面を完結させようとする。それは、娘を一徹に渡したくないとの親のエゴであり、一徹のお蔭で領地を拡大できたのに、その地位に甘んじて一徹を疎んずると心の弱さである。吉弘は、本書では物事の本質を見抜くことと逆の、人間的な弱さの持ち主として描かれる。

本書の面白みは、表立った激動の歴史を追うことよりも、この3者の心の動きを追うことにあると思う。そして彼らの世渡りの術とは、現代に生きる我々にも参考になるのではないか。会う人々、抱える仕事、あふれる情報。その中からどのようにして本質を見極め、自分の行動を律するか。本書から考えさせられることは多い。

いままで、本書についても著者についても知らずにいた。このような佳作を生み出す作家がまだまだ多数、私の読書経験から漏れている。読書は人生にとって涸れない泉とはよく言ったもので、こういう新たな喜びが与えられるから、読書は面白い。

’14/01/15-14/01/16