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坂の上の雲(五)


前巻から続く旅順攻略の大苦戦。朝日を拝んでまで人を超えた力を望んだ児玉源太郎の苦悩は晴れない。
悩んだ挙げ句に、児玉源太郎はついに大山元帥に申し出る。第三軍の指揮権を児玉参謀に委任する一筆をもらうことを。そして委任状を懐に忍ばせ、旅順へと向かう。

旅順を攻める第三軍の責任者は乃木大将。ところがこのままの戦況が続けば、日本にとっては国の存続に関わる問題になる。乃木大将と伊知地参謀に任せておいては日本はロシアに負け、そして滅ぶ。
追い詰められた思いを抱き、児玉源太郎は乃木大将に指揮権の一時預かりを申し出る。幸いにも両者の思惑と相手を思いやる思いが通じ、乃木将軍の面目は保たれたまま、児玉源太郎は一時的に第三軍の作戦をひきうけることで落ち着く。

実権を握った児玉源太郎がさっそく取りかかったのが、28サンチ榴弾砲の移設や二〇三高地を重点的に攻める戦略だ。また軍紀を一新するため、戦線を見ずに後方で図面だけで作戦を立てる参謀たちを叱責し、参謀が自ら最前線を視察させるよう指導する。迅速に立て直しを図った児玉策が的中し、第三軍は極めて短時間で二〇三高地を落とすことに成功する。乃木将軍と伊知地参謀の面目は対外的には保たれた。だが、内心はいかばかりだったか。

ところが、この二〇三高地を巡る下りは、今に至るまで賛否両論なのだという。
本書では、著者は伊地知参謀をこれでもかとこき下ろす。一方で乃木大将のことは人格者として、全軍を統括する大将であり、実際の作戦の立案には関わっていないとして否定しない。だが、著者が振るう伊地知参謀への批判の刃は、間違いなく乃木将軍をずたずたにしている。

その事を許せないと思う人がいるのか、著者と全く違う見解を持つ人もいる。
その説によれば、実は伊地知参謀の立てた策は戦場の現実を考えると真っ当で、著者の批判こそが戦場を見ずに書いた空想だという。
その説は詳しくはWikipediaに書かれている。が、私にはどちらの説が正しいのかわからない。
本書の記述が誤っているのか、それとも史実は全く違うのか。別の説によると、児玉源太郎が旅順で計画を立て直したことすら事実ではないという。もしそれが正しければ、本書の記述は根底から覆ってしまうのだが。

二〇三高地の陥落によって、高地から旅順港の旅順艦隊にやすやすと砲弾を降らせることが可能になった。そして旅順要塞そのものの攻撃も容易になった。ここに戦局は一つの転換を迎える。

印象的なのは、旅順が落ちた後、児玉源太郎が乃木大将に詩会をしようと声をかけるシーンだ。ここで著者は、児玉の漢詩と乃木大将の詩を比べる。そして、詩才においては乃木のそれが児玉を遥かに凌駕していたことを指摘して乃木の株を上げる。その時に乃木が吟じたのが爾霊山の詩だ。

爾霊山嶮豈難攀
男子功名期克艱
鉄血覆山山形改
万人斉仰爾霊山

爾霊山という言葉は二〇三高地にかけた乃木大将の造語であり、「この言葉を選び出した乃木の詩才はもはや神韻を帯びているといってもよかった」(148P)と著者は最大の賛辞を寄せている。
著者がここで言いたいのは、人の才とは適所を得てこそ、という事に尽きる。
乃木大将の才能は戦にはない。けれども、人格や詩才にこそ、将軍の才として後世に伝えられるべきだといいたいかのようだ。
著者は旅順戦については第三軍をこっぴどく非難している。だが、それは直ちに乃木大将の人格を否定するものではない、という事を強調したかったのだろう。

旅順艦隊はほぼ撃滅され、残討処理は第三軍に任された。そして、連合艦隊も旅順艦隊の監視をせずに良くなり、佐世保で修理に入る。
旅順要塞は、旅順艦隊が掃討された後も激烈な抵抗を繰り返す。だが、ついにステッセル将軍の戦意は萎え、日本に降伏を申し出る。
二〇三高地は落ちても、それがすぐ旅順戦の終結にならなかったことは覚えておきたい。

一方、バルチック艦隊はバルト海を出航した。だが、その航海は前代未聞の長大なものであり、苦難に満ちていた。
北海では日本の艦船と勘違いしてイギリス漁船を砲撃し、英露間に戦争を起こす寸前の事態を招いている。
つまり、航海のはじめからバルチック艦隊の士気は低く、あまり意気揚々とした航海ではなかった。司令長官のロジェストウェンスキーは水兵や将官に厳しくあたり、人を容易に信じない人物として描かれる。
四巻から描かれた航海の描写ではアフリカ沿岸を南下し、マダガスカルに行くところまでが描かれる。

本書では、日本と同盟を結ぶイギリスの妨害が日本に有利に働く。露仏同盟を結んでいるはずのフランスも、イギリスからの圧力でバルチック艦隊に港を提供することを渋る。
折しも、極東でロシアが敗北を繰り返す報が入り、バルチック艦隊の前途を危うくする。
そんな中で航海を続けたことの方が大変なこと。むしろ今では、バルチック艦隊は日本海海戦で全滅したことを嘲られるより、無事に航海を成し遂げた偉業が讃えられているぐらいだ。

ステッセル将軍は降伏時の会見で乃木将軍の態度に感銘を受ける。
そうした場での所作の一つ一つが絵になり、また感銘を与える。それが乃木将軍の良い点だ。
乃木将軍に限らず、本書に主に登場する人物の多くは、戊辰戦争の時代を知る人々だ。
乃木、大山、山本、東郷、小村。
本書の主人公は秋山兄弟と正岡子規であるが、彼らではなく、維新の風を知る人物が脇を固めることで、本書で描かれる明治の様相は層が厚く、説得力も増す。

一方のロシアは、相変わらず官僚的な発想が幅を利かせ、軍に弊害をもたらす。
クロパトキンとグリッペンベルクの争いもその一つだ。
日本は秋山騎兵団が背後を撹乱し、戦線を維持している。が、ロシアの全軍が乱れず総力をあげられれば突破されてしまう薄さしかない。ところがロシアの軍を率いる二人の意見が衝突し、さらに官僚の保身が邪魔して、意思の統一が図れない。この点も日本にとっての僥倖だった。

‘2018/12/14-2018/12/17


坂の上の雲(四)


本書では日露戦争の最初の山場が描かれる。それは黄海海戦と沙河会戦、そして遼陽会戦だ。

黄海海戦は、ロシアの旅順艦隊にとって惨々たる結果となった。もちろん日本にとっても。
それまでは旅順港外での小規模な戦いや機雷の敷設の応酬があったとはいえ、戦いというよりも小競り合いと呼んだ方がよいぐらい。小手調べのような争いに終始していた。

それは旅順艦隊がロシア本国の皇帝の命令に縛られていたからである。その命令とは、ウラジオストクへ向かえという意図のはっきりしないもの。そこに極東総督のアレクセーエフが抱く、やがてやって来るはずのバルチック艦隊が極東に来るまでは艦隊を温存しておきたいとの思惑が絡み、旅順艦隊司令長官のウィトゲフトから決断力を奪っていた。

三巻ではそうした帝政ロシアにはびこっていた官僚主義の弊害に触れている。
ヴィッテがロシア満州軍総司令官のクロパトキンに進言していたのは、アクレセーエフを早めに追放すること。指揮と命令の系統が硬直した官僚主義は、ロシアにとっては不幸な結末の原因となったが、日本にとっては幾たびも幸運な結果をもたらす。

しかし、機が熟したと判断したウィトゲフトは、ついにウラジオストクへ艦隊を出航させる。そしてそれを防ごうとした日本の艦隊との間で砲火を交える。黄海海戦だ。
著者の筆は、この海戦の一部始終を語る。本書の巻末にも黄海海戦の動きが図解されている。
この海戦で威力を発揮したのは、日本の砲弾に詰められた下瀬火薬だ。下瀬火薬は貫通力には乏しい。だが、当たると高熱の火災を生じさせる。その火災は、甲板の非金属部分や乗員に甚大な被害を与える。
下瀬火薬によって旅順艦隊は指揮系統が乱された上に、三笠の放った十二インチ砲弾が旅順艦隊旗艦のツェザレウィッチの司令塔に命中し、ウィトゲフトや操舵員を消し去る。著者はこの砲弾を「運命の一弾」と名付けている。また、後年になっても黄海海戦で勝てる見込みはわずかしか持っていなかったという秋山真之も「怪弾」と呼んでいる。この一弾が戦局に決定的な役割を果たす。黄海海戦のみならず日露戦争にも影響を与えた一撃だった
といえよう。

沈没はしなかったものの、コントロールが効かず漂い始めたツェザレウィッチは、かえって他の旅順艦隊の動きを乱す。旅順艦隊のそれぞれの戦艦は、下瀬火薬によって甲板上をさんざんに痛めつけられながら、あちこちの港に逃げ込む。逃げこんだ先が中立国の港であった場合は武装解除され、別の港に逃げ込めたとしても戦艦として二度と使えなくなる。ウラジオストクから出撃してきたウラジオ艦隊も日本の連合艦隊から戦艦として使えなくなるほどの打撃を受ける。
そうして黄海海戦は日本の勝利が確定した。旅順艦隊の一部は旅順に逃げ帰り、再び旅順港に籠ってしまう。

続いては陸軍の戦いだ。遼陽の会戦。それは、近代日本が戦った初の大会戦。
ロシア軍はシベリア鉄道を活用して物資も要員も潤沢に供給できる。対する日本は弾薬の使用量の見込みが信じられないほど甘く、常に戦闘員と砲弾と物資の残りを心配しながらの戦う羽目に陥る。

この戦いで運命を分けたのは、秋山好古の率いる騎兵だ。敵の後方で躍動し、それがクロパトキンの判断を散乱させたことが、戦局の流れを変えた。そして第一軍の黒木大将が敵将のクロパトキンの目をかすめ、太子河の渡河に成功したことも結果に大きな影響を与えた。

本書の全体に通じるのは、情報が不便だった時代だからこそ、情報を得られなかった側が負ける教訓だ。
通常であればどの戦いもロシアが圧倒的に有利であるはず。なのに、一瞬の判断が勝敗を分けている。ロシアは情報が不足することで疑心暗鬼となる。対する日本は遮二無二の攻めダルマを貫いてロシアを押し切ってしまう。

それは沙河会戦でも同じ。もはや砲弾の不足は異常な状態。本書の記述を読んでいると、日本は砲弾がないのにどうやって勝ったのか疑問に思えるほどだ。
実は日本の勝利とは、薄氷を踏むような奇跡が繰り返し起こり、その積み重ねで勝ったことを著者は繰り消し語る。

遼陽会戦と沙河会戦は、まだ児玉源太郎の立てた入念な計画があったからまだ勝てる見込みが少しはあった。
だが、旅順攻略戦を担当する第三軍の場合、作戦も何もなく、ただ人海戦術で押すしかない稚拙なものであった。
乃木大将は後世、神に祀られた人だ。人物の魅力を高く備え、その魅力によって人々を惹きつけ、将たる威厳を持っていたという。そのカリスマ性は兵を死ぬための突撃に向かわせる力となった。
ところが、乃木大将は戦が上手ではない。そして乃木将軍を補佐すべき参謀がこれまた頑固な人海戦術しか知らない伊知地孝介だったことが第三軍の不幸だった。一度決めた方針に固執し、客観的になれず、人に意見を聞く謙虚さもない日本人の悪い点を体現したような人物。著者はとにかくこの伊知地参謀をけなしにけなす。その描写は全ての日本の悪徳を一身に背負ったかのようだ。

いく度も要塞に突撃を敢行しては、掘に日本兵の死体を埋めてゆく。そして何の工夫もなく、大本営に人員と弾薬の補給をひたすら要請する。

旅順要塞を攻略しないことには港内に閉じこもった旅順艦隊は動かせない。そして旅順艦隊を生き延びさせていると、やがてやって来るバルチック艦隊と合流し、日本の連合艦隊が勝てないほどの戦力となる。旅順要塞を落とし、そこに守られている旅順艦隊を一掃しなければ日本の勝利はない。第三軍に日本の運命が託されているのだ。

焦る児玉源太郎。
彼が朝日を毎朝拝むようになったのもゆえなきことではない。
江ノ島には児玉源太郎を祀る神社がある。後世、神になった彼にして、祈るしかなかったのが日露戦争の現実だった。

戦争の結末を知っているのに、スリルに満ちた物語に引き込まれてゆく。

‘2018/12/13-2018/12/14