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選別主義を超えて―「個の時代」への組織革命


本書は、私が人を雇用し、そろそろ組織を構築しなければ、と思い始めた頃に読んだ。

私の社会人のキャリアは、人とは違う道を歩んだように思う。
新卒で就職する事を諦めた私は、フリーター・ニートの道へ。しばらく、アルバイト生活を転々とした後、就職を決意するもののブラック起業に入ってしまい、揚げ句に皆の面前でクビを宣告され。
そこから、いきなり上京した私は派遣社員の道へと。やがて正社員に登用された私は程なくして転職。そこで個人事業主として会社の立ち上げにスカウトされ、さらにそこを抜けた後は個人事業主として、複数の現場を渡り歩くフリーランサーの稼業へと。やがて、個人事業主を法人にし、雇用に踏み切って今に至った。
このテーマでは、以前鎌倉商工会議所で登壇して話したこともある。

私のキャリアは上に書いたとおりだ。そのため、組織の中で組織の論理に苦しめられた経験が少ない。むしろ、苦しめられたらすぐにそこを離れた。そして、組織の論理に縛られるのを嫌って、その度に自分にとって楽であろうと選択を重ねてきたら今に至った。

本書の後半には、組織の中で自営業のように自由に動く働き方や、フリーランスの形を選ぶ働き方が登場する。ところが、私はだいぶ前にフリーランスの生活を選んだ。すでに本書に書かれている内容は自分の人生で実践していた。つまり、私は本書から学ぶところは本来ならばなかった。

だが、ここに来て私は人を雇用し、組織を作る側になった。すると、本書の内容は私にとってちがう意味を帯びてくる。

組織になじめず、組織から遠ざかっていた私が組織を作る。この皮肉な現実について、本書はいろいろな気づきを与えてくれた。
つまり、私が嫌だったと思う事を個人にしないような組織。それを私が作り上げていけばよいのだ。

しかし、どのように自分に合った組織を作ればよいのだろうか。
例えば経営者としての私が人を雇い、評価し、昇進・昇給させる。その時の基準はどこにおけば良いのだろうか。
私が人を昇進させ、昇給させる営み。それはつまり選別することに等しい。
一方、本書のタイトルは「選別主義を超えて」と題されている。選別がそもそも今の世の中にそぐわなくなり、その次を説いている。
と言う事は、私の中でされて嫌だったことをする必要はない。そのかわり、新たな手法を駆使して組織を運営していかなければならない。ここで私の脳内は堂々巡りを始める。

第一章 席巻する選別主義

この章では、今までのように横並びで入社し、終身雇用の名の下に全ての社員を平等に扱う建前から、早めにエリートを選別し、昇給や昇進にもあからさまな差をつけるやり方が広まっている現状を紹介している。

弊社はまだ零細企業だ。メンバーも少ない。一括で何十人も採用できるような規模になるにはまだ早い。そもそも、働けない社員を雇う余裕はない。そのため、弊社は採用面接の段階で選別をしなければ立ち行かなくなる。

また情報技術を旨とする弊社であるため、昔ながらありえたような単純作業のために人を雇うつもりもない。むしろ、そうした作業は全てシステムに任せてしまうだろう。

第二章 選別主義の限界

この章では、そうした選別主義がもたらす組織の限界について触れている。
社員間に不公平感がはびこること。そもそも選別を行うのは人間である以上、完璧な選別などありえないこと。本章はそうした限界が紹介される。
私も今、経営をしながらそれぞれの社員の適性やスキルや進捗を見極めるようにしている。だが、規模がより広がってくると、私一人ですべての社員の評価をすることは不可能だ。そもそも、私も人の子だ。完璧に客観的な評価ができるか正直自信はない。

第三章 「組織の論理」からの脱却を

ここからは、新たな働き方への転換を紹介している。

組織が人を選別することの限界が来ているのなら、一人一人の社員が個々の立場で自立し、組織に頼らない人間として成長する。そうした道が紹介されている。

この章で書かれているのは、私が組織の中にいながら次の道を模索した試行に通ずる。実際、私はそのような選択を自分の人生に施してきた。今の私は弊社のメンバーにも、自立できるような人になってほしいと望んでいる。

もう、組織に頼りっぱなしで生きる生存戦略は、その本人の一生にとって良くない結果をもたらす。

何も言わず、文句も言わず、ロボットのように働いてくれる社員は果たして経営者にとってありがたいのか。おそらく私はそうした社員の明日は厳しいと感じる。

第四章 適用主義の時代へ

この章で紹介するのは、選別主義に代わる新たなパラダイムである適応主義だ。ある一定の年数がたてば昇給していくのではなく、その都度の会社の業績と個人・部署の業績を社会の状況に照らし合わせ、その都度で評価を行う。それが本書のいう適応主義だ。つまり年功序列は関係ない。

まさに今、社会はこのようになりつつある。

著者は、そのような社会になるためには、学校自体も変わらなければならないと言う。つまり従来のように新卒で大量採用し、といった企業側の要請が変わりつつある以上、学校側も変わらなければならな。企業からも任意のタイミングで社員を学校で学ばせることもある。柔軟で流動的な制度とカリキュラムも必要だとする。

私もこの点は同感だ。
今のような複雑な社会において、企業に入った後は勉強せずに過ごせる訳がない。会社に入っても常に勉強しなければ、これからは社会人としては通用しないと思う。
では、人々は何をどのように学べばよいか。それは企業側では教えにくい。だからこそ大学や専門学校は、常に社会人に対して門戸を開いておかなければならない。

第五章 21世紀の組織像
本書が刊行されたのは2003年。すでに21世紀に突入していた中で21世紀の組織像を語っている。
本書が刊行されてから19年がたち、ますます組織のあり方は多様化している。情報技術の進化がそれを可能にした。

本書で、フリーランスなどの新たな働き方が紹介される。それは、会社や組織を一生の働き場として見ず、スキルアップの場として見る考えだ。キャリアの中で組織に属するのは、あくまでも自らをバージョンアップさせるため。

本章で書かれていることは、私から見ると当たり前の事のように思える。たが、まだまだ組織に依存する働き方を選ぶ人が多いのは事実だ。2022の今でも。まだまだこれは改善の余地はある。そして、企業側でも流動的に働き方を前提に業務を組み立てることが求められる。

終章 日本型システムを見つめ直す

この章では、欧米の最新型の経営手法を安易に持ち込み、日本でまねる事の危険性を述べている。

私もまだ、自分なりの経営手法については試行錯誤の段階だ。
結局、私がいくらあがいたところで、組織としてきちんとした運営ができるようになには、規模が大きくなければ意味がない。
弊社の今の規模であれば、まだ私一人で対応できる。だが、やがては人事担当者を設け、本格的に考えていかなくては。
ただ、そうなったら今度は私個人のくびきを離れ、組織が組織としての自前の論理を備えていく。そうなったとき、個の時代を標榜する本書の意図に反した組織になっていかないか。

そうした段階に達したとき、どこまで経営者の、つまり個を重視する私の考えが評価の中に生かされていくのか。
本書を読むと、そうした課題のあれこれが果てしない未来になるように思える。努力するしかない。

2020/10/21-2020/10/28


日本でいちばん大切にしたい会社 2


『日本でいちばん大切にしたい会社』に続いて読んだのは、続編である本書だ。

『日本でいちばん大切にしたい会社』にも出ていたが、著者が大切にすべき5人とは以下の方をさしている。

一、社員とその家族
ニ、社外社員(下請け、協力会社の社員)とその家族
三、現在顧客と未来顧客
四、地域住民、とりわけ障害者や高齢者
五、株主・出資者・関係機関

著者はこの順序を重んじる。
通常、企業が優先するのは顧客だ。顧客優先主義が重んじられる。「お客様は神様です」というアレだ。

だが、著者は顧客よりも社員を重んじる。そしてこのように書く。
「自分が所属する会社や組織に不平・不満・不信感をもった社員や、自分が所属する組織に感動や愛社心をもち合わせない社員が、顧客に対して心を込めた接客サービスや、感動的商品の創造提案をすることなどできるはずがないからです。」(18ページ)

この言葉に間違いはない。まさにその通りだと思う。
だが、心底からこの思いを抱き、偽りなく日々の業務にあたっているサラリーマンや経営者が果たしてどれだけいるのだろうか。正直、心許ない。
表向きは自社を愛し、会社に不満はないという振りをしながら仕事をしていないだろうか。

経営者としても同じだ。
私も社員のために経営したいと思っている。実際にその思いを抱いて雇用に踏み切った。
だが、実際に経営者として雇用に踏み切った今、その言行を一致させることの難しさを感じている。
企業とは売上を継続的に上げ続けなければならない。自分一人ならよい。だが、雇用した以上、継続的に給与を支払い続けなければならない。
営業もしながら、検収をいただき続けなければならない。その上、社員には技術の習得を求めなければならない。さまざまなお客様のビジネスの理解も深めてもらう必要もある。さらに、価値観の違いを踏まえてともに会社のために仕事をしなければならない。その難しさに直面しているのが今の私だ。

私は昨年、社員のための経営を継続するためには、まず継続的なサービス・商品の提供が不可欠だと痛感した。
もちろん社員を優先する姿勢は大切だ。だが、それと劣らないほど顧客を重んじ、顧客に支持されるサービス・商品を作らなければ継続的な売り上げは見果てぬ夢だ。

『日本でいちばん大切にしたい会社』に登場した五社は、理念も立派だが、まず会社として継続できる仕組みが成り立っていることを考えたい。
そのためには、まず創業者自身の不断の努力が必要だろう。
創業者が継続できる経営を作った後、ようやく社員に目を向け、社員への還元が必要となってくるのではないかと思った。

だから、理想としては著者の言う通り一、ニ、三の順番が望ましい。だが、一と三の間はほぼ僅差であるべきだと感じている。少なくとも今の段階の弊社にとっては。
もちろん顧客を優先するあまり、社員のことをおろそかにすることはおかしい。
このバランスをとることは本当に難しい。いざ経営者になってみると感じたことだ。

そこで本書だ。

本書には八社が紹介されている。

1、株式会社富士メガネ
戦前に樺太で創業したこちらの眼鏡店は、北海道を中心に、今や東京にも店舗を出しているという。

 その徹底した顧客第一主義は、多くの人々により支持を受けているという。かの松下幸之助や司馬遼太郎もこちらのメガネ店の顧客だったという。

 顧客からの支持を受けるばかりではない。長年の間、世界に散在する難民キャンプを訪れ、そこでメガネを作成して寄贈する活動を行っているという。それで国連やその他の機関からいくつもの表彰を受けているという。

 かけがえのない視力は、失われるとその貴重さが身に染みる。私も眼鏡をかけているからわかる。
この徹底した顧客第一主義と人道的な姿勢は、戦中の苦労を知り、それをうまく伝えているからだろう。とても大切なことだと思う。
この戦中の苦労は富士メガネさんのサイトに掲載されている。

2、医療法人鉄蕉会亀田総合病院
知っている方のお嬢さんがこの病院で看護師をしているそうだ。それ以外にもこちらの病院については多方面から良い話を聞くことがある。
本書に書かれているように、患者さんのためを真摯に思う姿勢は、金満主義や象牙の塔、冷たいといった病院に持たれる一般的な悪しきイメージを変えてくれるに違いない。

 病の苦しみに涙する人にとって、苦しい場所であるはずの病院をこのように信頼できる。おそらくそれは、考えているよりも難しいはずだ。
それは、病院に属する全てのスタッフが同じ理念をいだいてこそだろう。巨大病院の組織の中で激務にもかかわらず疲弊せずに仕事ができる仕組みにも見習う点があるはずだ。

3、株式会社埼玉種畜牧場「サイボクハム」

 埼玉にサイボクハムという牧場がある事は知っていた。まだ行った事はない。
本書によるとサイボクハムは、農業のディズニーランドと言うべき多様な施設がある楽しい場所だそうだ。

 だが、そこに至るまでには、豚の品種改良や経営に対する飽くなき努力があった事を忘れてはならない。そうした努力が、独自の地位を築いたのだろう。
こちらのウェブサイトには創業者の姿勢が載っている。
ようは酪農や種畜の業界のことだけでなく、自分の携わる仕事に対する姿勢の問題だと思う。
私も見習わなければ。

4、株式会社アールエフ

 飲み込める内視鏡付カメラ。フィルム不要のレントゲン。ともに素晴らしく画期的な製品だ。それは、創業者の熱意から開発されたという。
まだとても新しい会社だが、技術力の結晶のような部分で他の会社との差別化に成功し、継続的な経営を続けている。
医療の現場であるからこそ、女性を重んじ、お客様に対して熱意をもって仕事ができる会社なのだろう。

 後進を意欲的に育てる姿勢や、自社で大学院大学を設立すると言う構想など、私も頭に留めておきたい会社だ。

 ウェブサイトもなかなか個性的だ。

5、株式会社樹研工業

 超極小のプラスチック歯車を製造するこちらは、人事制度では大きな魅力を持っている。
入院した社員に亡くなるまでの3年半、給与を払い続けること。社歴にかかわらず年齢順に給与額を設定するなど、とても独創的だ。
定年がないということも特筆すべきだろう。

 とにかく社員を大切にし、投資を惜しまない。
それも製品が継続的に売上のあることが大切だ。そして、作り上げた仕組みを不断の努力で社内に展開しているからだろう。

 その両輪が好循環で回っていることが素晴らしい。
こちらのサイトに樹研工業さんの強みが書かれているが、全ての工程を外注せずに自社で賄っていることもすごいと思える。
目標にしたい会社の一つだ。

6、未来工業株式会社

 こちらの会社は日本で一番休みの多い会社だそうだ。
創業者のお二人が演劇に青春をかけ、実業家のイメージとはかけ離れているのもいい。

 タイムレコーダーやユニフォームもなく、残業すると罰金を取られるなど、あらゆる面で素晴らしい。自由を求めた演劇人らしい発想だ。

 本社を大きくせず、コミュニケーションを活発にするためコピー機を増やさず、その並んでいる列での交流を狙う。

 そうしたユニークな社風が、お二人の創業者が退いた後も引き継がれていることも素晴らしいと思う。出入り業者の営業担当者をスカウトされたということだが、素晴らしいと思える。
昔の私がこうした会社を知っていたら、もっと違った人生が歩めたのではないかとすら思えた。

7、ネッツトヨタ南国株式会社

 いわゆるカーディーラーは全国のあちこちにある。
あまり変わりばえがしないのかな、と失礼ながら思っていた。だが、この会社はユニークな研修制度を持っているようだ。

 四国と言えばお遍路が有名だ。そこを障碍者と二人でペアを組み、八十八カ所を案内して回るというのだ。

 ほかにも社内の制度や経営理念など、カーディーラーという失礼だがありきたりな業態であっても色を出せることが素晴らしいと思った。

8、株式会社沖縄教育出版

 朝礼がとにかく長いと著者も書いている。
だが、そこではあらゆる社員のためのイベントがあるという。

 私もかつて出版会社にいたことがある。社訓を読んで絶叫し、ボウズだと丸坊主に刈られる会社だったが。

 こちらの創業者もモーレツ社員として働いており、ある日自らの人望のなさに気づき、やり直したという経歴を持っているようだ。
やはり弱みを知った人間は強くなれる。

 私もやり直そうと思えた。

‘2020/08/02-2020/08/02


日本でいちばん大切にしたい会社


先日『日本でいちばん大切にしたい会社 7』を読んで感銘を受けた。
著者が講演で語っていた事例が載っており、私も経営者のはしくれとしてこのままではいけないと元気づけられた。
そこで、他の会社の事例も知りたいと思い、本を貸してくださったパートナー企業の社長に他のシリーズもお借りした。

本書はシリーズの第一巻にあたる。
本書の第一部では本書を世に出すにあたっての思いが書かれている。

「はじめに」では、企業経営者が陥りがちな五つの言い訳が挙げられている。
「景気や政策が悪い」
「業種・業態が悪い」
「規模が小さい」
「ロケーションが悪い」
「大企業・大型店が悪い」
これらは全て企業の経営悪化を外部の要因のせいにしている。

経営の悪化を外部のせいにするのではなく、まず内部を変える。それが本書の肝だ。
「内部は変えられない」のではなく、そもそも変えようとする努力をしていない。それも著者の厳しい意見だ。
その時、社員やその家族の幸せを第一に考えず、経営の悪化を社員のせいにして、社員に過度な負担を求める会社など経営者として論外。そう著者は断罪する。

もちろん、これらのことを言うだけなら簡単だ。その実践となると簡単ではない。
私自身、自分を省みて忸怩たる思いはある。経営に関しても苦しい思いをしながら試行錯誤している。

弊社の経営に関しては、変えるべきは企業の外部環境ではなく、内部であることは間違いないと思っている。
だが、経営者として企業の内部を見た時、メンバーを外部環境として考えていないだろうか。経営者の思いを内部とすると、メンバーや社員の働きを外部環境とし、そこに経営悪化の原因を求めているとすれば、経営の悪化を自分以外のせいにしているのと同じだ。

昨年、メンバーを雇用した時の私は、本書を読んだ結果を踏まえ、自分なりに理想を固めつつあった。
メンバーのための会社でありたい。私が起業や組織の中で働くなかで嫌だったことは、弊社のメンバーにはしない。経営の悪化をメンバーのせいにはしない。
そうした思いを基に企業理念や経営理念も定めた。

だが、私自身のコロナをきっかけに経営が苦しくなった。
私がこんなに頑張っているのに、私だと簡単にプログラミングできるのに、私はこんなにすぐに返信を打つのに。
私の気概が衰えた時、こうした悪感情が湧いてきたことがあった。

その結果を受け、年末年始に反省をした。そこで、そもそも弊社の業務が継続できるものでなかったことを認めた。私自身のスキルや経験を基準に考えた経営になっていた過ちを受け入れた。そして、そう思わないようにしたつもりだったが、私のスキルや経験のレベルをメンバーに急いで求めてしまっていたことを猛省した。

まず、メンバーのための会社を作る前に、会社が継続できるためのサービスを提供しなければ。
その思いをもとに、本稿を書くにあたり、あらためて本書を読み直してみた。

本書には五つの会社が紹介されている。
日本理化学工業
伊那食品工業
中村プレイス
柳月
杉山フルーツ

日本理化学工業さんは、川崎市にある。弊社のサテライトオフィスから自転車で行ける場所だ。私は本書を読んだ後、この会社のすぐ近くを通ったことがある。その時は気づかなかったが、機会があれば再訪して見学させてもらえればと願っている。
日本理化学工業さんは、チョークを作っている会社だ。チョークを世界に輸出している。
特筆すべきなのは、従業員の多くが知的障害者ということだ。
正直にいうと、今の弊社が知的障害者を雇って業務を回す自信はない。だが、日本理化学工業は六十年前からそれを実践し始め、今では全社員の七割が知的障碍者を雇って業務を回している。
まず、主力商品であるチョークが常に消費される商品であること。そして、それを開発し製造し販売する社内の仕組みが整っていること。その理念も素晴らしいし、社内で継続する仕組みができていることが素晴らしい。
だが、当初はかなりのためらいがあったことが本書には紹介されている。
会社で働くより施設でゆっくりしていたほうが幸せではないか、と思った創業者の大山氏がとある僧侶に相談したところ、以下のような言葉をもらったそうだ。
幸福とは、①人に愛されること、②人にほめられること、③人の役に立つこと、④人に必要とされること
②③④は施設では経験できない、と。
それに気づかされた創業者は社内の仕組みを障碍者でも担えるように少しずつ変えていったのだという。その絶えざる努力が素晴らしいし、一朝一夕には出来ない重みなのだろう。だが、私も含めたすべての経営者は、そうした努力を怠らないことだ。

続いての伊那食品工業さんは、著者のことを知る前から名前を聞いたことがあった。
四十八年もの間増収増益を続けたこともすごいが、社員の幸せを優先した経営を貫いていることも見逃せない。それは社員を家族として見る経営理念がしっかりしているからだ。家族だから礼儀作法についてもきちんと指導する。
こちらも、理念だけではなく、寒天という軸となる商品を持ち、それを開発・製造・販売する体制ができているからに違いない。
また、伊那食品工業さんはそもそも競合他社と戦わないという。それも重要な点だ。競合することで余計な社内のリソースが消費され、消耗する。そして社内を良くし、社員のために還元しようとする力が失われる。さらに、目先の利益を追わず、大手スーパーからの要望も、自社の目の届下範囲でやりたいという理由で断ったという。つまり少しずつの成長を重んじ、一時のブームに乗らないのだ。四十八年間の増収増益が途切れた理由も、寒天ブームがおこったため、経営者が社員と世の中からの要請に押され、反対していたが増産に踏み切ったことが翌年の反動につながったためだという。
伊那食品工業さんのホームページには、そうした会社の思いがしっかりと書かれている。弊社も見習わなければならない。

中村ブレイスさんは、島根の石見銀山の近くにある会社で、義肢製造をしている会社だ。
交通の便がとても悪い場所に位置しているにもかかわらず、就職を希望する方が引きも切らないという。
都市にでなければ業績は上がらないという言い訳。それをこの会社は会社を存続させてきたことで否定している。
米国で義肢を学んだ創業者の中村氏は、帰国後あえて大都市で操業せずに故郷をどうにかしたいとの思いで操業する。
最初に入った社員は、体がとても弱く、出社してもすぐに帰宅し、何日も来ないこともあったという。普通の就業時間を働けるようになるまで七年半もかかったという。
その辛抱は尊敬に値する。メンバーに対して焦ってしまった私自身を恥じる気持ちでいっぱいだ。
その存続にあたっては、世の中の人にとって必要な仕事であることも大きい。人口乳房や人工肛門、義肢などは当事者にとっては涙を流すほどありがたがるものだろう。それを制作することは、仕事のやりがいとなって社員たちは土日に自主的に出勤し、働くことも厭わずに制作に向き合っている。
こうした会社を見るたび、ITが本当に人々に大切な仕事であるために、何をしなければならないかを考えたい。少なくともブルシット・ジョブを楽にするためのIT技術であっては、中村ブレイスさんのようにはなれないだろう。

柳月さんは帯広にある和菓子のお店だ。帯広といえば六花亭が有名だが、こちらはあえて北海道の外に出ずに、質の高い製品を作り続けているという。
ここで心に留めておきたいのは、「あなたの会社がなかったら、お客様はほんとうに困りますか?」(151ページ)との問いだ。
情報処理を営む弊社に置き換えてみると、弊社と同じようなシステムを開発する会社は多い。その中で弊社でなければ、という存在意義を示さなければどうなるか。おそらく、並み居るシステム会社の中に埋もれていってしまうに違いない。
また、こちらの柳月さんは、同業他社と争わず、協業の姿勢を崩さないという。情報処理業界も相見積りや価格競争が盛んだ。
私自身は他社との競争をあまりしたくないのだが、そもそもシステム構築という目的やプロセスが似通っている以上、他社の業務とかぶってしまうところがある。そこをどのようにやっていくか。愚直に良い技術を研鑽していくしかないと考えている。

杉山フルーツさんは静岡の吉原市にある個人経営の果物店だ。商店街の一角にあるその様子は、私もGoogle Mapで確認した。
こちらのお店が日本中から評判を呼び、今や生フルーツゼリーで全国を出張展示で巡っているという。
その徹底した顧客視点の経営は、地元の商店街にあった大規模店舗の撤退による危機感がきっかけだという。
危機にあった時にどう振る舞い、どのような経営を行うか。それはどの経営者にとっても等しいテーマだ。
弊社も本書を読んだ後、経営で失敗しかけた経験を持った。杉山フルーツさんのように顧客第一の視点を、単なるスローガンでなく実践することを実践したいと思う。

‘2020/08/01-2020/08/01


球界消滅


私の蔵書を数えたことはここ何年もないが、多分五千冊から一万冊の間だろう。30年以上に亘って蓄え続けてきたのだから、それぐらいにはなるだろう。しかし、その中で署名本となると、多分本書以外にはないかもしれない。

本書は署名本だ。扉に著者のサインが記されている。とはいえ、著者と面識はない。本書は新百合ヶ丘駅ビルの本屋で購入した。著者サイン本と書かれたポップの下、平積みで残っていた一冊が本書だ。ひょっとするとサイン会か何かの残りかもしれない。しかし、サイン本とのポップに惹かれたのもまた事実。著者のことも本書のことも知らないままに本書を購入したのだから。だが、サインだけなら買わなかったことは言うまでもない。題名に惹かれたからこそ本書を手に取った。というよりも、「球界消滅」という題名に興味を惹かれない野球ファンはそうそういないだろう。

惹かれないファンがいたとすれば、それは本書の題名にアンチプロ野球の匂いをかぎ付けたからかも知れない。そう思わせるような題名だ。しかし、本書はアンチプロ野球本ではない。アンチどころか、プロ野球を愛するあまり大胆に未来を提言しているのが本書だ。

本書の主人公は横浜ベイズの副GM大野。彼はチーム改革にセイバーメトリクスの手法を使い、データに基づいたチーム力の強化と効果的な補強に成功する。

しかし、そんな大野の知らぬ間に、球界再編の話が進行する。プロ野球の盟主として自他共に認める東都ジェッツとの合併。東都ジェッツの親会社は東都新聞社。社主の京極四郎の意を受けたのは国際事業室室長の牛島。横浜ベイズの選手やファンの気持ちは無視されたまま、東都ジェッツへの吸収合併は着々と進んでゆく。

降ってわいた合併話に横浜ベイズの選手の士気は落ちる一方。そして東都新聞社による巧みな世論形成により、他のセ・リーグの球団オーナーにとっても合併やむなしの雰囲気が醸成されてゆく。しかし、東都新聞社京極と牛島の描く青写真はさらに上をいく。なんと、12球団を4球団に減らし、メジャーリーグに合流させるというのだからスケールがでかい。

各社の思惑が交わる中、球界はどうなってしまうのかというのが筋だ。

横浜ベイズや東都ジェッツという名前からわかる通り、本書は限りなくモデルに近いチームや個人が想像できる。東都新聞社社主の京極四郎など、まんまナベツネその人だ。他にも楽天監督時代の星野さんを思わせる人物が東北イグレッツ監督として登場する。

ここまで書くならいっそ実名で、と思ってしまいたくもなる。が、それもできないのだろう。だが、モデルが明確なことで、読者は本書のキャラクターたちの容姿を脳裏に描きながら読み進められる。それが本書のキャラクター造形に寄与していることは確かだ。

だが、脇役は誰がモデルでもそれほど問題ない。問題なのは、主人公大野だ。大野のモデルはDeNAの球団社長のあの方に違いない。そんな気がするのは私だけだろうか。今も横浜DeNAベイスターズの球団社長である池田純氏に。

大野はデータ重視野球を進めてチームを改革する一方で、自分の副GMとしてのあり方に飽き足らないものを感じている。それは人情味。彼は合併騒ぎにゆれるチームにあって、能率のデータと人情のプレイの狭間に揺れる。

それは日本プロ野球をどうするかという選択にも通じる。データ重視のアメリカ式ベースボールか、精神論に頼った日本野球か。でも実はその二択すら違っているのではないか。昔と違い盲目的にアメリカ野球の背中を追う時期はとうに終わっている。だからといってアメリカに学ぶものは何もないというほど卓越しているわけでもない。今の日本野球は微妙なバランスの上に立っているともいえる。

一つ、本書から日本プロ野球が学ぶべきものがあるとすれば、企業をバックに付けた球団経営には限界があるということだ。アメリカはオーナーがいるとはいえ、企業色は限りなく薄い。それでいて単一経営で黒字を達成している球団が多い。それは、コミッショナー以下、大リーグ機構自体の努力でもある。大リーグは、少なくとも建前としては日本プロ野球における読売巨人軍のような存在はない。巨人一強で興行が成り立った時代はもう過去の話。本書に出てくる東都ジェッツや東都新聞社の人気に他の球団がぶら下がるような構造にはもはや先行きがない。それは明らかに改めなければならない。

そして著者の視点はより先を見据えている。本書には合併にともなう日本の企業都合のフランチャイズ集約のシミュレーションが登場する。それなど見事なものだ。また、労せずしてメジャーリーガーになれる選手の思惑、家庭の事情など選手それぞれの描きかたもよく取材している。

中でも、本書の結末までの筋運びには唸らされる。一筋縄ではいかないというか。それは果たして著者が実際の日本プロ野球に対して望む未来なのか、またはそうでないか。とても気になるところだ。次回、どこかのサイン会で著者にお見かけすることがあれあ、サイン本はよいので直にお伺いしてみたい。

‘2015/09/18-2015/09/21