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2022年10月のまとめ(個人)


公私の「私」

●家族とのふれあい

§  総括

10月。今月の初め、私はコロナの陽性になってしまいました。とはいえ、昨年に比べると止まらない咳のほかはまったくの軽症でした。交通機関に乗れないので東京に戻ることもできず、実家にこもってひたすら仕事をしていました。運動不足になるので、夕方になると故郷の西宮のあちこちを自転車で訪れました。
老齢の両親にコロナを移さないか。そのことだけが心配でしたが、無事に移さずに済んだことは良かったです。

一方、次女が過酷な仕事に倒れ、3週間以上たった今もまだ仕事に復帰できていません。

今月はそうした意味でも過渡期となる月でした。神の入れ替わりを体現したような。

そんな今月の前半、私はコロナもあって出歩かず、後半も別件の仕事が佳境に入ったため、今月はあまり出歩いていません。

常に思うのは、私にとって、行きたい場所ややりたい事が無限にあることです。どうすれば仕事とやりたいことを両立させることができるのか。公私でより一層の努力が必要です。

人生は有限であり、残された時間はわずかです。無数の生がそれぞれの運命のもと、懸命に毎日を生きようとしています。私も仕事に一日の大半の時間をとられています。
私の人生も、いつどこで突然の幕引きを迎えるかもしれません。コロナも軽症だからよかったものの、次はまた未知の感染症が人類を襲うかもしれません。
生きていることのありがたみを公私ともに忘れぬようにしながら、充実した日々を送ろうと思います。

娘たちもそれぞれの道を迷いながら歩んでいます。
私も娘たちの事をフォローしながら、これからの人生を有意義なものに過ごしてほしいと思っています。
残りの限られた人生の中で家族との時間を大切にしながら、自分に与えられた可能性と時間を精一杯使い切りたいと思います。

今月は家族とは一回お出かけしました。妻とはゼロ回、妻と長女とは一回、妻と次女とは一回、長女とは一回、次女とは一回。


§  月表

・十月お出かけ

武庫川河川敷 ランニングコース、甲武橋、武庫川パークロード、西国街道 髭の渡し、鳴尾八幡神社、甲子園浜海浜公園、今津灯台、今津港、西宮大橋、日本盛 酒蔵通り煉瓦館、白鹿クラシックス、素盞嗚神社、フレッツ、岡太神社、武庫川駅 (HS12)、武庫川橋梁、西武庫公園 (交通公園)、西国街道 髭茶屋、夙川橋、ニテコ池、西宮震災記念碑公園、小説火垂るの墓 誕生の地、塞神社、十一屋、JR甲子園口ほんわか商店街、川下川ダム、憩いの家、道場駅、甲子園駅 (HS14)、阪神甲子園球場、STAND IN 甲子園、ストライク軒 NOODLE STUDIO、甲子園歴史館、甲子園プラス、鳴尾球場跡地、甲子園口駅、東海道新幹線 豊橋駅、肉のハナマサ 鶴川店Dr.はん診療所、鶴川駅前図書館、相鉄ローゼン 薬師台店、国司館と家康御殿史跡広場、大國魂神社、陳麻婆豆腐 小吃館、TOKYOテレワーク・モデルオフィス府中、Jタワー高層棟、片町文化センター、モロゾフ、牛たん料理 大黒や、大和市文化創造拠点シリウス、箱根ガラスの森美術館現代ガラス美術館 Modern Glass Museumとりバックス、ひまわり書店函南店、ファミリーマート 函南丹那店ローソン 西湘江之浦店、薬師池公園 蓮園、野津田薬師堂、チャーボン多福楼、コナズ珈琲、有鹿神社、有鹿天神社、海老名氏記念碑、三王三柱神社、有鹿之池、有鹿井、海老名氏霊堂 (海老名城跡)、高野山真言宗 海老山満蔵寺総持院、八角広場 (旧国鉄西寒川駅跡地)、梶原氏一族郎党 (七士) の墓、一之宮天満宮、梶原景時館跡、レストラン なんどき牧場、旧相模川橋脚、ニトリ 茅ヶ崎店、大磯港、海湘丸 海老名店、まるごと高知、北海道どさんこプラザ、中華料理 香蘭、居酒屋ゆうや、大和市文化創造拠点シリウス、ゆで太郎、サイボウズ 本社、ここ滋賀、榎戸駅、小川ピーナツ、支那そば うみ、地鶏レモンサワー酒場 小林商店

・十月ツイート
https://togetter.com/li/1966033

§  家族とのお出かけ 家族で出かけたのは、上の年表で黄地に太字にしているイベントです。家族で出かけたのは、今月は一回です。


家で静養していた次女に行きたい場所を聞いたところ、箱根ガラスの森美術館に行きたいというので、家族で一日箱根にいました(10/16)。
ガラスのススキがきれいで、空も美しく、美味しい料理や美しいガラス細工を見て回ったのですが、まだ体調がよくない次女にとって静養の時になったのであればよかったです。
その日の夜は函南のとりバックスまで足を伸ばしました。8月26日に妻の希望で長女と三人で訪れたこのお店。次女も含めて再訪し、美味しい料理をいただきました。その帰りには久しぶりに山の家へ。
別の方がきちんと住まわれていて、安心しました。

私が月の前半は実家にいたり、後半は仕事で忙しかったりしたので、他の日にも外出が出来ませんでした。が、次女が家にいる間に玉子焼きパーティーをするなど、家族でのゆったりとした時間が大切でした。



§  妻とのお出かけ 妻と出かけたのは、上の年表で桃地に太字にしているイベントです。今月は妻と二人でゼロ回出かけました。

今月は私がバタバタとしていて、妻とは出かけていません。


§  妻と長女とのお出かけ 妻と長女と出かけたのは、上の年表で緑地に太字にしているイベントです。今月は妻と長女との三人で出かける機会は一回ありました。

一度といっても近所に買い物に出かけただけですが。
今月はその一方で、Cybozu Days 2022のパネルを長女に作ってもらっています。その際、妻からのアイデアも加味し、二人に協力してもらっています。

§  妻と次女とのお出かけ  妻と次女と出かけたのは、上の年表で緑地に太字にしているイベントです。今月は妻と次女の三人で出かける機会は一回ありました。

疲れている次女のため、近所のKona’s Coffeeでハワイアンの夕食を食べました(10/21)。
次女の疲労は相当に深く、心身ともに不調が生じています。次女の名前はハワイ語に由来を持っています。
少しでも回復してくれればよい、と。


§  娘たちとのお出かけ  娘たちと出かけたのは、上の年表で青地に太字にしているイベントです。


長女とは買い物に二人で出かけました。
次女は倒れた後、点滴を受けるために病院へ送迎しました。


次女はとにかく、理不尽で過酷な毎日を過ごしていました。怒られ、怒鳴られ。
ですが、今のうちに怒られなれておくと、後の人生がグッと楽になります。今回、限界がきて倒れたことは、後々の人生に必ず活きると思います。
なんとか耐え忍び、人生を生き抜く強さと耐性を備えてほしい。親からはそれだけです。

そして、この経験を家族で考えている計画に活かしてほしいと思います。次女も私に一生懸命アピールをしてきているので。
長女もあわせて。

コロナウイルス。ウクライナ。元首相の銃撃。宗教の問題。成人年齢の引き下げ。娘たちは変化の時代に生まれついてしまいました。
気の毒とは思いますが、そこで何をするかで人生は変わってきます。そもそも安定など、幻想でしかありません。
不満だらけの日々だと思いますが、そこから歯を食いしばって生きていってほしいと思います。

●私自身の十月(交友関係)

§  関西の交流関係 今月も高校時代の同級生たちと同窓会の調整をしていました。が、私がコロナでそれどころではなくなりました。

今月は十日ほど実家にこもっていたのですが、誰とも会っていません。
人に会えない分、自転車で西宮のあちこちを訪れられ、かつての思い出を上書きしましたが、故郷の懐かしいはずの光景が、旅先のような錯覚を感じました。おそらく私も東京で暮らし、仕事をする日々に染まりつつあるのかもしれません。

寂しい思いをしましたが、月末になって別の高校時代の友人からお誘いがありました。
12月には関西に帰ろうと思います。Cybozu Circus Osakaとあわせ、出張でも伺うつもりでしたので。


§  今月の交流 今月は、コロナもあり、仕事も立て込んでいたので一度も飲み会を行っていません。

それどころか、今月は交流すらほとんどしていません。仕事ではあちこちを訪れ、商談をしました。が、私自身にもあまり交流するだけの余裕がなかったことと、コロナの後遺症で少し咳が残ったこともあり。
月末になって咳もほぼ収まったので、来月はその分交流したいと思います。


●私自身の十月(文化活動)

§  今月のブログ 読んだ本のレビューを記す読ん読ブログの執筆は、主に2020年に読んだ1冊分となりました。
レビュー執筆は、私の中では大切なライフワークとして位置付けています。ですが、このところ、書く時間があまり取れていません。読んでから原稿をアップするまでの時間も一年十一カ月以上になろうとしています。
今は仕事でバタバタしており、本当に物を書く時間がとれていません。このところプライベートの時間が仕事によって犠牲になっています。レビューをアップする冊数と本を読んだ冊数は私にとって、ワークライフバランスのバロメーターです。はやくおくれを取り戻したいと危機感を持っています。

以前に連載していたCarry Meさんが運用する本音採用サイトの「アクアビット 航海記」を弊社サイトにアップし直す作業ですが、今月からは連載が中断した後、つまり書下ろしで書いています。
(「アクアビット航海記 vol.48〜航海記 その31」)
いよいよ熾烈な家の売却交渉が始まりました。身をすり減らすような交渉。地主や町田市や通行人からの圧力。それに耐えたからこそ今があります。

今月、書いた本のレビューは1本(
逸翁自叙伝 阪急創業者・小林一三の回想

今月、書いた映画のレビューは0本()。
今月、書いた抱負は0本() 。
今月、書いた旅日記は0本() 。
今月、書いた「物申す」は0本() 。
今月、書いた弊社の活動ブログは2本(
ワーケーションの意味をCLS道東で教わりました
kintone Café メタバース Vol.1に参加しました。
) 。
今月、書いた弊社の技術ブログは0本()。

なお、先月から毎営業日にnoteに書き始めた記事ですが、今月は以下の内容をアップしました。

9月29日 9月29日 名前を憶えてもらうやり方
9月30日 9月30日 経営に安定と平穏は必要か
10月3日  10月3日 自分の生を生き切る強い心
10月4日  10月4日 好機への取組が生を決める
10月5日  10月5日 会議の質は追求しなければ。
10月6日  10月6日 評価の基準の置き方は難しい
10月7日  10月7日 リモートワークの難点を考える
10月11日 10月11日 自分の間合いで仕事をする
10月12日 10月12日 厳しさと自由の何れを採るか
10月13日 10月13日 BCPに適した場所はどこか
10月14日 10月14日 メタバースの可能性を考える
10月17日 10月17日 過労と動機付けの境い目
10月18日 10月18日 ファイル乱立はこうして防ぐ
10月19日 10月19日 技術者の集合知の活かし方
10月20日 10月20日 作業に詰まった際の突破法
10月21日 10月21日 文系のセンスが技術者の要
10月24日 10月24日 速さより確かさを重んじる事
10月25日 10月25日 為替と物価を見据えて経営
10月26日 10月26日 Cybozu Daysは聞く事から
10月27日 10月27日 社会も政治も経営も変化

§  今月の読書 今月は13.5冊の本を読みました。内訳は、歴史ノンフィクション一冊、エッセイ一冊、農業本一冊、ミステリ一冊、純文学二冊、対談本一冊、歴史小説一冊、風刺小説二冊、ホラー二冊、SF一冊。伝記0.5冊。

今月はコロナがあり、移動もしていなかったので、本が多少は読めました。

私が昨年の年始に掲げた目標の一つは本を出版することですが、一昨年の11月に一緒に飲んだ方がそうした伝や知識を持っている方であり、必ず本を出版するとの思いは増すばかりです。
実は今月、甲子園歴史館を訪れた際、着想が湧き、とある方に連絡を取りました。いよいよ動きます。

あと、西宮を巡っているときに火垂るの墓の舞台となった満池谷墓地を訪れました。

§  今月の映画 今月の映画鑑賞は0本です。

今年は大河ドラマ『鎌倉殿の13人』を全て見ようと決意しています。今のところ第四十回まで全て見ることができています。何とか録画を駆使しながら。
面白いですし、俳優さんの演技が素晴らしいです。合間に梶原景時館跡や旧相模川橋桁跡など、鎌倉殿の13人で取り上げられた場所を訪れられました。


§  今月の舞台 舞台については、今月は0本です。

今月、読読レビューでアップしたのは小林一三の逸翁自叙伝です。いうまでもなくタカラヅカを創設した人物です。その中にもタカラヅカの事は触れられています。
また、今月は宝塚大劇場の脇を車で通りました。が、今の宝塚界隈は変わりすぎています。ファミリーランドの辺りはどこにでも見られる郊外の都市になり、私にとって何の感興も得られない場所に堕ちています。無残としかいいようがありません。
それも含め、舞台については興味がわきません。


その一方、ふらりと訪れた有鹿神社ではパンダ宮司を名乗る宮司さんが、設えられた舞台で奉納の舞を踊っておられるのを観ました。
表現としての舞台はやはり尊いものです。

§  今月の音楽 今月は音楽に関するイベントといえば、箱根ガラスの森美術館でバイオリンを弾いていた生演奏が印象に残ります。
人前で演奏が出来ることは、その人の人生を豊かにします。また、音楽を生で聞くことは聞き手の人生に潤いを与えてくれます。
音楽っていいなあと思うひと時でした。

コロナが始まってから’70’sを中心に活躍したアーチストの全曲を聞く活動を続けています。今月はAerosmithの全アルバムを聴いています。私の知らぬ名曲も知ることができました。


§  今月の美術 今月は、家族で訪れた箱根ガラスの森美術館にて、芸術をしっかりと堪能しました。


特別展では「~響き合う東西の美~ ガラス・アートの世界」が催されており、見事な作品の数々に見惚れました。
山本茜氏の載金とガラスの絶妙な融合はまさに美しさの極致。源氏物語の世界をモチーフとしたガラスの中に吸い込まれそうになりました。

山野宏氏の鳥をモチーフとした作品は、日本画のそれを思わせ、時間と空間を作品に閉じ込め、昇華させたかのような感覚を与えてくれました。


§  今月のスポーツ 今月は日本シリーズの月です。昨年と同じ組み合わせのカードですが、昨年にも劣らぬ熱戦が繰り広げられています。

そんな私は実家に滞在している間に甲子園での今季最終戦の選手からの挨拶を場外で聞きました。
また、コロナが陰性になった後、リニューアルした甲子園歴史館を訪れてきました。


阪神タイガースの歴史の重みと名選手たちの残した実績の数々。そして春夏の甲子園を彩った幾多もの中等学校・高校球児の歴史やその重みは、まさに素晴らしい。
また、甲子園ボウルの展示も変わっており、仕事でお世話になっている法政大学アメリカンフットボール部が前年度出場校として防具を身に付けたマネキンとして出ていました。


§  今月の滝 今月は滝を見ることができませんでした。


道場駅近くの百間滝をアタックしたのですが、草が生い茂っており、それ以上奥へ行くことができませんでした。
今月、滝を見る唯一のチャンスだったのですが、逃したことが残念です。


§  今月の駅鉄  趣味の駅訪問は三駅です。「道場駅(10/8)」「甲子園駅(10/9)」「榎戸駅(10/29)」

道場駅は私の中で実家に帰るたびに行きたいと思っていた場所でした。
前回来たのがいつだったか覚えていません。ひょっとしたら四十年ほど前のことかもしれません。駅前にある商店で委託販売している硬券を買ってもらったのを覚えています。今もその切符は実家に保管しているはずです。
今回、訪れてみると駅前には富士チタン工業の工場がありました。この工場は全く記憶にありません。今回、その姿を見たことで、道場駅が田舎駅だった印象は完全に覆ってしまいました。反対側は山裾に太福寺があり、農村風景を残していたというのに。駅も無人駅とはいえ、施設が新しくなっているのは当然です。それらも含め、私がかつて想像していたのどかな駅の印象は一掃されました。

甲子園駅は言わずと知れた高校野球の聖地です。私にとっても実家に住んでいた時は甲子園口駅や西宮北口駅に次いで利用した駅です。
今回、コロナが癒えた事でじっくり訪問してみました。かつて私が利用していたころとは違い、今は近鉄や山陽の列車が発着し、かつて慣れ親しんだ阪神の車両はほぼ一新されています。今回は台湾の桃園捷運と提携したことを記念したラッピング列車も見かけました。
ひっきりなしにやって来ては発車する列車と、ホームからの甲子園球場の眺め。そして、六甲の山々が見える風景などは、私にとって懐かしいはずです。が、数年前にできた甲子園球場の鉄傘を模した屋根が、私の印象を一変させてしまいました。もちろん、この屋根は素晴らしいと思います。近畿の駅百選に選ばれた駅に相応しい。ですが駅前広場、特に西口の風景は私のかつての記憶から一新されてしまいました。プランタン甲子園でアルバイトをしていたり、都ホテルで配膳の仕事をしていたころの印象はセピア色に色あせてしまいました。




榎戸駅は。商談で八街を訪れた際に利用しました。4月に訪れた際は隣の八街駅で降りたのですが、榎戸駅はそのひとつ前です。
駅の施設はとても新しく、日中は駅員も常駐しています。Wikipediaの記述によればこの駅舎は三年前に竣工したそうです。駅前には真新しいロータリーも備わっていて、まるで新設駅のようです。これは、この辺りに宅地が増えたことによる駅の設備改修だそうです。
ただ、駅前には店がなく、パチンコ店やコンビニが少し離れた位置にあるぐらい。私が駅前を出てお客様先に向かうとすぐ、目の前には農村風景が広がりました。落花生畑が広々と続く光景は、私を癒してくれます。
榎戸駅で印象に残っているのは、ホームで次の列車を待っていたカマキリです。カマキリが列車を待つ様子は私の旅情をいたく刺激してくれました。何もかも振り捨ててこれから旅に出ないか、と誘われているようで。


また関西からの帰り、豊橋で途中下車して町を少し散策しようと思ったら、購入していた切符のうち新幹線分が途中下車ができず、駅の待合室で2時間近く仕事をしました。それもまた、よい思い出です。


§  今月の酒楽 今月は上にも書いた通り、飲み会は全くありませんでした。私がコロナ感染とその後の後遺症で咳が残っていたためもあります。

それでも月末は、出先で一人酒を楽しみました。
サイボウズ社で作業をさせてもらった帰りに訪れた「ここ滋賀」の美冨久です(10/27)。一杯だけなので味も楽しめて、その後の作業にも差し支えないのがありがたいです。美味しかった。

また、八街へ出張に行った帰り、八街駅の近くにある「地鶏レモンサワー酒場 小林商店」で頂いたレモンサワーも印象に残ります。レモンが丸ごといくつも詰め込まれたサワーはとても美味しかった(10/29)。

他にもいくつかお酒は楽しみました。まず、実家にいる間、迷惑をかけたお詫びに両親に甲子園口駅前の十一屋さんで仙介を買って一緒に呑みました。

東京に帰った後、家族で玉子焼きパーティーをしましたが、その際に桔梗信玄餅のビールを妻が買ってきてくれました。これもまた美味しかった。

また、銀座に商談で伺った帰り、「まるごと高知」というアンテナショップで安芸虎を購入しました。


§  今月の旅行 
今月は、大阪出張で長く滞在しました。前述のとおりコロナによるものです。が、ガイドラインによれば自転車での移動は可能だったので、仕事で疲れた夕方に西宮の街を思うがままに巡りました。
私が長年住んでいた西宮にも、私がまだ知らない場所があります。また、訪れていなかった場所もあります。新たな建物や施設が建ち、私という人間にも変化が生じました。
そうした心持ちで見て回った西宮は、やはりバランスの取れた優れた街です。私にとっての誇りです。
その一方で、西宮はワーケーションの場、つまり旅先であるとの印象が私を覆いました。それは意外なことであります。が、東京に居を定めて23年たった今、私にとっては西宮は住む町ではなく、旅先の街に変わってしまったのでしょう。そんな感慨に襲われました。

その間、以下のように西宮市内を巡りました。
武庫川の心安らぐ流れをさかのぼり、髭の渡しを西宮側と尼崎側の両方で訪れました(10/1)(10/4)。

阪神武庫川線に沿って、小松の商店街や通っていた塾や岡太神社を訪れました(10/3)。

甲子園浜から今津灯台や西宮浜を巡りました(10/2)。

西宮神社の脇から夙川の流れを、そしてニテコ池や火垂るの墓の誕生地碑を見て回りました(10/5)

さらに車で宝塚から176号線にそって山口を通り、道場へ(10/9)。この辺りを車で来るのは数年前に両親とうちの家族とで天橋立に向かって以来でしょうか。その前となると、20年以上昔のことになりそうです。帰りは盤滝トンネルから越木岩神社あたりを通って帰りました。

最後の日は甲子園駅や甲子園歴史館へ。さらに雨の中鳴尾球場跡地にも再訪しました(10/9)。


私にとって西宮は好きな街であることを再確認しました。

その私が東京で好きな街なのが府中です。作業場所を訪れるため、府中を訪れました(10/12)。

府中は、西宮と似ている点が多数あります。
15年ほど前にこんなブログを書きました。西宮と府中・・・・・・・最後に町田
この中で書いた府中の印象は今もなお色褪せません。今回西宮と府中をじっくり訪れ、その思いを新たにしました。

さて、今月の旅行は家族で訪れた箱根ガラスの森美術館と函南があります(10/16)。
そのことは上にも書いたので文章では繰り返しません。

あとは月も末が近づいた時期に仕事の出張で訪れた千葉県八街市です(10/29)。
今回は観光をするゆとりはなかったのですが、お客様先に向かう道中では、落花生畑で収穫されている山「らっかぼっち」がたくさん見られました。まだ収穫途中のものも。
夜は八街駅前で八街そばと居酒屋で地鶏を楽しみました。
あった皆さんは八街は田舎で・・・と自虐的なことをおっしゃるのですが、私はこういう広い場所が好きです。心が癒されます。大地に畑が広がる、そう、北海道のような景色が。

北海道と高知の旅心がやみがたく、銀座の商談の帰りにまるごと高知によってミレーや生姜や日本酒やカボチャコロッケやおかきを買って帰ったのも今月です(10/24)。

§  今月のその他活動 人生も半分を過ぎ、一層焦りが募っています。少しでも日々に変化をつけようとする気持ちに衰えはありません。
今、心身が動くうちに仕事もプライベートも全力で。その考えには揺るぎがありません。

・公園は五カ所。「武庫川パークロード(10/1)」「甲子園浜海浜公園(10/2)」「西武庫公園 (交通公園)(10/4)」「西宮震災記念碑公園(10/5)」「薬師池公園 蓮園(10/18)」

・美術館は二カ所。「箱根ガラスの森美術館(10/16)」「現代ガラス美術館 Modern Glass Museum(10/16)」

・駅は三駅。「道場駅(10/8)」「甲子園駅(10/9)」「榎戸駅(10/29)」

・滝はゼロカ所。
・温泉はゼロカ所。
・山はゼロ山。
・酒蔵はゼロカ所。
・神社は九カ所。「鳴尾八幡神社(10/2)」「素盞嗚神社(10/2)」「岡太神社(10/3)」「塞神社(10/5)」「大國魂神社(10/12)」「有鹿神社(10/23)」「有鹿天神社(10/23)」「三王三柱神社(10/23)」「一之宮天満宮(10/23)」

・寺は二カ所。「野津田薬師堂(10/18)」「高野山真言宗 海老山満蔵寺総持院(10/23)」

・教会はゼロカ所。
・史跡は十三カ所。「西国街道 髭の渡し(10/1)」「西国街道 髭茶屋(10/4)」「小説火垂るの墓 誕生の地(10/5)」「鳴尾球場跡地(10/9)」「国司館と家康御殿史跡広場(10/12)」「海老名氏記念碑(10/23)」「海老名氏霊堂(10/23)」「有鹿之池(10/23)」「有鹿井(10/23)」「八角広場 (旧国鉄西寒川駅跡地)(10/23)」「梶原氏一族郎党 (七士) の墓(10/23)」「梶原景時館跡(10/23)」「旧相模川橋脚(10/23)」

・博物館は一カ所。「甲子園歴史館(10/9)」

・遺跡はゼロカ所。
・城は二城。「海老名氏霊堂(海老名城跡)(10/23)」「梶原景時館跡(10/23)」

・灯台は一カ所。「今津灯台(10/2)」

・動物園はゼロか所。
・水族館はゼロか所。
・土木遺産はゼロか所。
・マンホールカードは二枚。「東京都府中市(10/12)」「千葉県千葉市(10/29)」
・ダムはゼロカ所。
・風景印はゼロ枚。
・御城印はゼロ枚。
・御宿印はゼロ枚。


私がまだ訪れていない場所の多さは無限です。やりたいこと、行きたい場所の多さにめまいがします。
今月もある程度訪れることはできたとはいえ、高知ですらまだ百カ所以上は行きたい場所があります。
加齢によって日々、気力は減退していきます。月末の熱暑はお出かけの気力を奪います。そのまま、あきらめを自らの自然な感情と勘違いしたまま、かつての欲求を忘れ老いてゆく。これだけは防ぎたいと思っています。


人の明日はわかりません。人気俳優や女優も自死を選び、私も不意の体調不良に襲われ、コロナに感染します。ハイキングが一晩の遭難と化し、人里のすぐそばで死ぬ可能性も体験しました。
いつかやろう、引退してからやろうという姿勢を根本的に見直さねばなりません。もう、未来の社会や環境がどうなっているかわからないからです。そこに老いつつある自らの衰えがかぶさってきます。
生きている今。今を生きているのですから、今、やるべきことをしなければ。後悔だけはしないように。
その姿勢のまま、仕事をこなしながらも、今のうちに時間の合間を見つけ、行けるところに行っておこうと思います。

死ねば全ては無に消えます。
私の経験をいくらブログにアップしても、膨大なデジタルの海の中に溶けて消えます。
それが分かっていても、自分に与えられた生を全力で全うしたいと思います。仕事もプライベートも全力で過ごそうと日々励んでいます。

今は仕事に集中し、好きなことは引退後に。そんな悠長な考えが通用しないことをコロナウィルスは教えてくれました。人生はあっという間に終わってしまう。老いたときに平穏で好きなことができる世の中があるかどうかは誰にも保証されません。一方で、仕事の難しさや面白さも強く感じています。プライベートだけど充実させるのでもなく、仕事だけに人生を捧げるでもなく、その両立を目指す。だからこそ、今のうちから毎日を公私とも全力で生きる、という決意で日々を過ごしています。
コロナだからと閉じこもっている場合ではないのです。
コロナに人生を台無しにされるぐらいなら、一人でも旅を敢行したいと思います。会話は控え、マスクに口と鼻を隠した黙旅を。
咋秋に遭難したように、命をなくしては元も子もないのは当たり前。ですが、何もしないままなら命は枯れてしまいます。

そう思い、訪れた場所で心の赴くままに俳句を詠んでいます。今月は俳句を13句。いずれもツイートまとめに載せています。

家族との縁も毎月、姿を変えています。仕事もいつかは引退を求められるでしょう。そうなった時にやることがない、とよく話に聞く老残にだけはなりたくないと思っています。
人はいつか死ぬ。コロナウィルスの蔓延はそのことを教えてくれました。何をしても最後には死にます。一昨年の九月に読んだ「「死」とは何か」という本には死生観を持つことの大切さが書かれていました。昨年の九月にはそれに加えて沢庵和尚の生涯から権力にこびず、わが道を行く生き方を学びました。

一方で、具体的に将来のこともそろそろ考えねばなりません。
法人のまとめに書いた通り、コロナに席巻された世の中ですが、弊社の売り上げはなんとか確保できています。
ただ、私個人としては投資もしておらず、賭け事もしていません。不労所得のタネも持っていません。
私が倒れた時、うちのメンバーが稼げるところまでは頑張らねば。

あらためて「私」を振り返ってみました。来月もコロナと共存しつつ、自らの生に後悔のないような日々となることを信じて。



武庫川紀行―流域の近・現代模様


1999年の3月末に上京してから、そろそろ20年になる。それ以来、長女が産まれた時を除けば年末年始は必ず実家に帰省している。私の実家は西宮市にあり、帰省の度に必ず渡るのが武庫川だ。

私の実家は武庫川から歩いて数分の場所にある。だから武庫川は私にとって川の代名詞だ。石投げに興じ、たこ揚げで走り回り、釣りで水面を見つめた。ナマズを捕まえ、河原で焼いて食べたこともある。鯉を持ち帰って親に焼いてもらったことも。ランニングで顔をほてらせ、サイクリングで風を感じた。野球やサッカーにも興じた。小学校一年生の夏には川の土手の木に止まるセミを取りに行こうとして車にはねられ、十日ほど入院したことも忘れられない。私の前半生を語る上で武庫川は切っても切れない。長じてから帰省する度にmp、娘たちを連れて河原で花火をし、ヌートリアを追っかけ、たこ揚げをした。

武庫川を見るたびに実家に帰って来た実感が湧く。武庫大橋から見た北摂や六甲の山々。旧甲子園ホテルの屋根。ここは私のふるさとだ。おそらく死ぬまでずっと、私は武庫川に帰ってきては自分を培って来た風土を確認し続けることだろう。

ところが、私はきちんと武庫川を歩いたことがない。私が歩いた事があるのは、武田尾から生瀬までの武庫川渓谷と、宝塚大劇場周辺。あとは、宝塚から河口まで。上流についてはほとんど知らない。高校時代の同級生は夏休みに数人で武庫川の源流まで自転車で往復したそうだ。だが、私はとうとうそうした冒険をしそびれたまま上京してしまった。

本書は私にとってし残した忘れた武庫川探訪の替わりとなる一冊だ。

本書で著者がたどるのは、源流から河口までだ。流域をたどりながら、その付近の名所や歴史に触れつつ、川を下ってゆく。武庫川の流域といっても広く、さまざまな人々が歴史を作り上げる舞台にもなって来た。そのため、著者の筆はあちこちの寄り道をさまよう。だから、本書の構成は少しとりとめがない。

序章には「阪神間の母なる川」とタイトルが付き、流域のイメージが語られる。サイクリング道路を描いて人々の憩いの場であることを紹介したかと思えば、土手に並び立つ松の樹が減りつつあることを憂い、国道43号線以南の釣り人の様子と、そこに作られた堰堤の効果に疑問を投げる。武庫の地名と歴史に触れつつ、治水に苦心してきたいきさつを語る。著者が序章で武庫川の全容を描きたい意図は分かる。が、問題提起なのか、流域の描写なのか、今ひとつ分かりにくい。

第1章は「源流を探る」と題されている。実は武庫川の源流はとても分かりにくい。それは田松川の存在による。一応、河川法上で定められた武庫川の源流は、真南条川と天神川の合流点となっているようだ。だが、真南条川から分かれて北に伸びる田松川が、源流の存在を曖昧にしている。田松川はもともとは運河として開かれた川だ。途中に設けられた水門を境に、一方は武庫川へ、もう一方は加古川へと分水界を成している。さらにややこしいのが、少し北に違う分水界があることだ。そこでは加古川と由良川が分かたれ、それぞれ瀬戸内海と日本海を目指す。日本で最も低い分水界としてかつて訪れたこともある。その近くに武庫川と加古川を分かつ運河が設けられている事が、武庫川の源流の在りかを分かりにくくしている。

著者は役所や地元の人々に教えを請いながら源流を巡って歩き回る。こうした足を費やした調査が本書の魅力だ。著者は田松川からさらに篠山川へとさかのぼってゆく。かつて国鉄篠山線が走っていた廃線跡を訪れ、篠山市街からさらに東の京都府境の方まで足を伸ばす。一方では真南条川の源流である愛宕山へ登り、もう一つの天神川の源流である松尾山へも登る。私も一度、訪れてみたいと思う。

第2章は「丹波から摂津へー国境を下る」と名付けられ、武庫川の流れをたどりながら、風土が描き出される。武庫川は丹波篠山から宝塚までの区間の多くをJR宝塚線(福知山線)に沿っている。著者は駅をたどりながら、あたりの歴史や風物を語る。福知山線や国鉄篠山線の歴史をおさらいし、古市駅の成り立ちも語る。篠山の街が鉄道を誘致することに及び腰だったため、篠山を避けて線路が敷設されたが、古市は街の有力者である小林氏が無償で土地を提供したのが大きかった。戦時中は小林家に当時大阪鉄道局長だった佐藤栄作氏が疎開しており、佐藤栄作氏が揮毫した額が残されているなど、貴重なエピソードと写真が紹介される。古市はまた、赤穂浪士の一人、不破数右衛門のゆかりの地でもあり、江戸時代の道しるべも残されているとか。古市は古くからの市が栄えたが、今は寂れていることなども著者は記す。

武庫川はその流れの中で丹波と摂津の国境をまたぐ。旧道でいうと日出坂峠だ。旧道の今を紹介し、丹波杜氏がこの峠を往来していた在りし日に思いを馳せる。酒文化を語る上で、武庫川は避けては通れない。杜氏通った道というほかにも、この地には酒にまつわる酒滴神社が鎮座している。かつて伊丹の酒造家が偶然見つけた酒造に適した水がこの地の水だという。後日、酒滴神社の水と同じような水を求めて見つかったのが灘五郷の酒に欠かせない宮水だったとの伝承もあるとかまだこの神社には未参拝なので、ぜひ訪れてみたい。この付近で武庫川を見守って来たのが虚空蔵山。著者はそこにも登ったようだ。さらに著者は近くにある日本六名窯の一つ、立杭焼も紹介する。あと、大きく蛇行した武庫川が福知山線から離れた地に鎮座する駒宇佐八幡神社の由来にも触れる。この辺りは国道176号を通りすぎるだけでほとんど知らない。来てみなければ。

第3章「三田から有馬へ」は沿川の永沢寺の花しょうぶ園や、母子大池、有馬富士、福島大池などの紹介から始まる。江戸時代には九鬼氏の城下町でもあった三田。本書には三田の名の由来も書かれている。三田はまた、白洲次郎氏の先祖の地としても私にはなじみがある。なお、白洲次郎氏は本書には全く登場しない。そのかわりに10年ほど前、9年連続で人口増加率日本一だった三田がニュータウンとして発展する歴史や、急激な人口増加に対応するための用水の苦労などが紹介される。青野ダムはその一つだ。ところが青野ダムの貯水量の大半は、神戸の北神ニュータウンに回されてしまっているそう。今の水利権の詳細はわからないが、水道局がやりくりしているのだろう。とはいえ、川沿いの住民としてもっと意識しておかなくては。

有馬温泉の真ん中を流れる有馬川も武庫川の支流だ。有馬温泉から北に向かって流れており、南に向かう武庫川に慣れた身としては、土地勘から武庫川の支流ではないと勘違いしてしまう。まさに著者の指摘する通りだ。子どものころは道場から岡場や田尾寺など家族でよく訪れたので、この付近の景色は農村風景として私の脳裏に刻まれている。かつてはここに国鉄有馬線が走っていたとか。著者の探訪の足はその廃線跡にも向く。有馬線は戦時中に閑線として廃止されたという。だが、有馬温泉は今も賑わっている。私も温泉で、仕事で訪れた。だが、林立する旅館が有馬温泉に課題をもたらしているのも事実。街全体を博物館のようにしたいという神戸市の方の談話が載っているが、うまくやってほしいものだ。

この章ではほかに、千刈ダム、鎌倉峡、百丈岩、金仙寺湖、丸山などが紹介される。どこも西宮市民にとっては憩いの地。私自身、実家の墓がこの辺りにあるので、一度きちんと巡っておきたいと考えている。

第4章は「武田尾温泉から武庫川渓谷へ」。ここもまた、武庫川を語るには絶対欠かせない。武田尾温泉には何度か訪れ、温泉に入りに行く企画も立てたことがあるが、まだ一度も湯につかった事がない。今も風情が残り、いい場所だと思っている。近くの亦楽山荘は、西宮市民と宝塚市民だけでなく、桜の愛好家には名の知れた地だ。ここは水上勉氏の小説『櫻守』のモデルにもなった笹部新太郎氏の桜の演習林だったという。私はまだ訪れられていない。近いうちに訪問しなければ。

生瀬から武田尾までの区間、かつては国鉄福知山線が渓谷沿いにくねくね走っていた。今、軌道跡はあるハイキングコースになっている。私も二度走破した。手軽な冒険気分が味わえるのでオススメしたい。だが二度目に訪れた時、水面に生活排水の汚れを思わせる泡が無数に浮かんでおり、はなはだがっかりした。今から七、八年ほど前のことだ。渓谷美を堪能しようにも泡が気になり、ついて来た妻に武庫川の良さを誇ろうにも誇れなかったのが悲しい。

しかもこの地はあわやダムになってしまう所だった。その計画が持ち上がったのは1995年9月。ちょうど私が初めてハイキングコースを走破した頃だ。その計画に対する地元の反対運動が起こり、粘り強い運動の末、ダムの着工については20年間ほど凍結になったという。その中で練り上げられた自治体による提言は、全国にもまれに見る先進的な治水の観点を含んでいるという。私ももちろんダムには反対だ。飲料水の確保が喫緊の状態ならまだしも、治水だけであれば風景を犠牲とするには見合わない。万が一武庫川が決壊したら、多分、私の実家も浸水するだろう。けど、それを見越してもやはり反対だ。

本章ではほかに流域の名塩や蓬莱峡も紹介される。どちらも西宮市の小学生が地域学習として必ず学ぶ地だ。蓬莱峡など、家族で何回も訪れた。本書に登場するのも当然だろう。

第5章「宝塚から西宮・尼崎界隈」で取り上げられるのは、私にとっておなじみの場所だ。生瀬から宝塚温泉、大劇場、ファミリーランドにかけては、阪急文化の原点である。阪神間モダニズムの一角を担っているエリアのはず。ところが今はだいぶ様変わりを遂げている。ファミリーランドは閉園し、跡地利用もうまく進んでいない。少なくとも私にとって宝塚の再開発はうまくいっているとは思えない。ひょっとしたら阪急グループは都心に進出することで頭がいっぱいで、宝塚の土地の価値を忘れたとさえ思う。そんなファミリーランドの跡地利用のもたつきに乗じて、宝塚大劇場の武庫川を挟んだ対岸にラブホテルが煌々とけばけばしい見た目で対抗し、あたりの風情をかなり貶めている。宝塚大劇場は宝塚歌劇の中では東京の有楽町に並び立つ存在であり続けてはいる。が、ヅカファンの妻の情報では明らかに有楽町のほうが優遇されているとか。確かに宝塚は大阪から見て奥まった場所にある。これ以上の集客も発展も見込めないだろう。だからこそ、自社の文化の発信地として阪急グループには今後も宝塚を重視してほしいと願ってやまない。

さて、川はさらに流れてゆく。続いては小浜宿が紹介される。そして逆瀬川、仁川といった支流も。この二つの支流は独特の堰堤がよく目立つ。なぜなら上流から大量の土砂が流れて来るからだ。この川の堰堤は見ただけで印象付けられる。あまり他の川で見ない光景だからだ。仁川を紹介する際、著者は上流の地すべり資料館のことも忘れずに紹介する。兵庫県南部地震の時、ここで大規模な地滑りがおき、何十人もの命が失われた。それはつまり、逆瀬川と仁川の上流にある六甲山が花崗岩地質であるため土が風化しやすいことを意味する。要するにもろいのだ。以前訪れた蓬莱峡も同じく六甲山地に属しているが、とても足元がもろかったことを思い出す。

さらに著者は江戸時代の武庫川には橋がなく、替わりに渡しが五つ設けられていたことも紹介する。静岡の大井川に江戸時代を通して橋が架けられなかった理由を、江戸防衛のため徳川幕府が架橋を禁じたというのは有名だ。だが著者はそもそも当時の土木技術では常設の橋が架けられなかったのでは、との考えを披露する。つまり、武庫川もそれだけ暴れ川だったのだろう。一方で武庫川は豊かな水を流域に与えて来た。天井川の仁川の川底を掘り抜き南に流した百間樋も社会の授業で習った。上流にも武庫川の水は用水に利用されている。沿川の住民たちを潤してきた。少し場所は離れるが宮水にも西宮の街は恩恵を受けてきた。宮水は先にも書いたが灘五郷の酒の核だ。その酒が船で江戸に下る際、目印となった今津灯台も本書にはでてくる。

本稿の冒頭に書いた通り、このあたりの武庫川の姿、そして流域の文化は私にとってとてもなじみ深い。そうした目で読むと、本書には物足りなさも目につく。例えば本書では武庫大橋は触れていない。また、このあたりの武庫川に欠かせないサイクリングや松の並木は、序章で写真や文章で触れたためか書かれない。本書の構成に難があると私が思ったのはこうした欠点によるものだ。

阪神武庫川線ののどかな様子や、河口の付近にある釣り渡船も、武庫川の下流の光景ではセットになる。「一文字」といえば私も何度か行った釣りの堤防だ。船でなければ渡れず、魚が大量に釣れる。この辺りには釣りセンターがいくつかある。私もよく訪れた。ここの尼崎川の対岸もかつては西宮だったが、阪神競馬場に近い田近野町と替地で尼崎市になったことなど、著者は余さずそうした事情を詳らかにする。

ところが、本書に登場しない沿川の施設もある。例えば競馬場だ。武庫川流域を語る際に、競馬場は外せないはず。仁川と武庫川の合流地にある阪神競馬場は日本でも有数の競馬場だが本書にはほぼ登場しない。また、今も阪神競馬場の重賞レースに名を残す鳴尾記念は、武庫川の河口から少し離れた地にあった鳴尾競馬場を記念した名だ。ここも登場しない。同様に甲子園球場も出てこない。かつて武庫川から分かれ三角州を成した枝川を埋めた跡地に甲子園球場が建てられたことはあまりにも有名。中等野球が甲子園で開催される前、鳴尾競馬馬の近くにあった鳴尾球場で開かれていたことも知られた話だが、そこも出てこない。本書の編集方針として、近世以降の人工物はあまり出さないと決めたのだろうか。

だがその代わり、武庫川ダムのいきさつがそうだったが、近世に企てられた武庫川の景観に大きな影響を与えたであろう計画について、著者はかなりの紙数を費やす。

第6章は「武庫川河口周辺の環境を守る市民の戦い」と題され、武庫川ダムの他に西宮を大きく揺さぶった三つの計画について詳しく紹介される。これらは、本書を読むまで私は全く知らず、それだけでも本書を買った意味がある。一つは西宮、甲子園浜の大規模な埋め立て計画だ。昭和三十五年、当時の田島西宮市長が甲子園浜沖を埋め立て、そこに日本石油を誘致しようと動いたことがある。先の武庫川ダムの計画もその工業用水の確保という側面があったという。埋め立て計画は長年の運動の末、誘致も含めて白紙になった。もう一つは、武庫川の河川敷沿いに阪神高速を走らせるという計画だ。これも住民の猛反対の末、撤回されたという。最後に、甲山にロープウェイを通す計画だ。これも猛反対に遭い、実現しなかったという。どれもが西宮の景観を大きく変えていたはずの計画であり、私はそれらが実現されなかったことに心底ほっとしている。それと同時に先人たちの努力に感謝しなくてはならない。

今の甲子園浜、西宮浜、香櫨園浜の渚にたつと、沖を阪神高速湾岸線が横切っている。だが、私が子供の時はまだ水平線が見えていた。西宮浜や鳴尾浜はすでに私が物心ついた時には埋め立てられていたが、香櫨園浜の沖には何もなかった。その時、香櫨園浜で見た浜際を走る大量の鯖の光景はいまだに忘れられない。そんな見事な自然の恵みがつい30年ほど前までは見られたのだ。今や西宮の浜辺から水平線は消えた。もう戻らない。ならばせめて、本書に紹介されたような計画が実現されなかったことに感謝すべきだと思う。

本書もはじめに、でそうした意図が込められてはいる。が、より本書の趣旨が武庫川の豊かな自然と近世の環境破壊からの戦いを紹介するとより強くいっておいてもよかったと思う。そうした観点で本書はとても参考になり、勉強させてもらったからだ。ずっと手元に置いておこうと思うほどに。

‘2018/01/20-2018/01/21