Articles tagged with: 乃木希典

賊将


『人斬り半次郎』に書かれた桐野利秋の生涯。本書はその前身となった短編『賊将』が収められた短編集だ。

本書は著者が直木賞をとる直前に出され、まさに脂ののった時期の一冊だ。

多作で知られる著者だが、著者のキャリアの早期に出された本書にも流麗な筆さばきが感じられる。
とはいうものの、速筆で知られていた著者も本書を書くにはかなりの苦労があったらしい。

私たち一般人にとっては、時代小説が書けるだけでも大したものだ。おそらく私たちは書くだけで難儀するだろう。今を書くことすら大変なのに、価値や文化の異なる当時を描きつつ、小説としての面白さを実現しなければならないからだ。特に、時代小説は、登場人物をその時代の人物として描かねばならない。その違いを描きながら、読者には時代小説を読む楽しみを提供しなければならない。時代小説作家とは、実はすごい人たちだと思う。
読者は時代小説を読むことで、現代に生きる上で当たり前だと思っていた常識が、実は時代によって変わることを知る。現代の価値とは、現代に沿うものでしかない。それを読者に教えることこそが時代小説の役割ではないだろうか。

「応仁の乱」

本編は応仁の乱を描いている。
応仁の乱を一言で語るのは難しい。
もし応仁の乱を一言で済ませろと言われれば、山名宗全と細川勝元の争いとなるのだろう。だが、応仁の乱を語るにはそれでは足りない。
応仁の乱によってわが国は乱世の気運がみなぎり、下克上を良しとする戦国時代の幕を開けた。

その責任を当時の足利幕府八代将軍である足利義政にだけ負わせるのは気の毒だ。
後世に悪妻と伝えられる日野富子との夫婦関係や、二人の間に生まれた義尚が、還俗させ義視と名乗らせた弟の立場を変えてしまったこと。日野富子の出自である公家や朝廷との関係も複雑だったこと。加えて、有力な守護大名が各地で政略を蓄えており、気の休まる暇もなかったこと。どれも義政にとって難題だったはずだ。

後世の印象では無能と見られがちの義政。だが、本人にはやる気もあった。愚鈍でもなかった。だが、受け継いだ幕府の仕組みが盤石ではなかったことが不運だった。

そもそも、足利幕府の始まりが盤石でなかった。初代将軍の足利尊氏は圧倒的な力を背景に征夷大将軍に就いたわけではなかった。建武の乱から観応の擾乱に至るまで戦乱は絶えず、天皇家すら南北朝に分かれて争っていた。
ようやく三代将軍の義満によって権力を集中させることができたが、義政の父である六代将軍義教が嘉吉の乱で白昼に殺されてからは、将軍の権威は弱まってしまった。義政の代は、各守護大名の協力のもとでないと幕府の権力の維持は難しくなっていた。

複雑な守護大名間の勢力争いや、夫婦間の関係などを細やかに描いた本書は、義政の葛藤と苦悩を描くとともに、応仁の乱へ歴史が導かれていった事情を詳らかにしていてとてもわかりやすい。
応仁の乱の背景を知るには本編は適していると思う。

「刺客」

こちらは、江戸時代の松代藩における権力争いを描いている。
松代藩といえば、真田家だ。著者の代表作の一つに「真田太平記」がある。

著書の著作リストを見る限り、松代藩を舞台とした作品は多そうだ。

本編は、松代藩の権力争いの中、翻弄されていく娘の無念と、刺客として任務を果たす男の運命を描いている。
現代に比べると、当時は相手の生を尊重することはあまりなかった。本編にもその習慣の低さが描かれている。
ただし、本編のような人と人の争いは今の世でもありえる。実は、今の世にも同じような悲劇が隠れているのではないか。

「黒雲峠」

仇討ちも現代の私たちにはなじみのない習慣だ。
だが、当時は幕府や藩に届けを出せば肉親の敵を成敗することは認められていた。忠義を奨励することになるため、幕府の統治にも都合がよかったからだ。

仇討ちとは個人的な思いの強い行いだ。そして、それは命にも関わる。
だからこそ、真剣にもなる。濃密な関係の中、人の本章が顕わになる。

現代の私たちは、当時の人々が仇討ちにかける思いと同じだけの何かを持っているだろうか。そう思わせてくれる一編だ。

「秘図」

人は謹厳なだけでは生きていかれないものだ。
本編は、そのような人間の本性を描いており、本書の中でも印象深い一編だ。

若い頃に放蕩の道に迷いかけ、名を変えて生まれ変わった徳山五兵衛。
今では藩の火付盗賊改として、厳格な捜査と取り調べによって人々に一目置かれていた。

だが毎夜、妻子が寝静まった後、自室で五兵衛が精根を傾けるのは、絵描き。それも男と女の交わる姿を描いた秘図。つまり春画だ。

やめようにもやめられぬまま、死を自覚した五兵衛。自分の数十年にわたるこのような別の姿を人々にさらすわけにはいかない。
妻にも自分の亡き後は絶対に手文庫を処分するようにと言い残す。

自負に満ち、誇りの高い武士も楽ではなかったのだろう。

今の世も終活と称し、ハードディスクの中身をいかにして処分するか、という問題がある。またはSNSにアップした内容の取扱いなど。まったく、江戸時代も今の世も、人の心のあり方はそう変わらない。これもまた時代小説から得られる面白さだ。

「賊将」

本書の表題になっている本編は、人斬り半次郎が、陸軍少将桐野利秋になってからの物語だ。

西郷どんを慕うあまり、征韓論で不利になったことに悲憤し、西郷隆盛と共に薩摩に下野する桐野利秋。
薩摩を立ち上がらせよう、西郷どんの意見を政府に認めさせようと奔走したのも桐野利秋。西南戦争に向けてもっとも急進論を唱えた一人が桐野利秋だった。

幕末には名うての志士として活動した人斬り半次郎は、結果的に官軍の側の人として栄達した。だが、すぐに運命に操られるままに逆賊の汚名を被る。
その結果、西南戦争では賊将として突き進み、戦死する。その様子を描いた本編は、人間の運命の数奇さとはかなさだ。
後日、著者が桐野利秋の志士の時代を長編にしたて直したくなったのもよくわかる。

「将軍」

明治に生き、明治に準じた乃木希典将軍も、自分に与えられた天運と時代の流れに翻弄された人物だ。

西南戦争で軍旗を奪われた事を恥と感じ、軍人と生きてきた乃木将軍。
さらに日露戦争における旅順攻略戦でも莫大な戦費を使い、あまたの兵士の命を散らした。自分の恥をすすぐためには息子たちを戦地で失ってもまだ足りないかというように。

明治天皇の死に殉じて死を選んだ乃木将軍の姿は、明治がまだ近代ではなく歴史の中にあったことを教えてくれる。

2020/10/6-2020/10/10


坂の上の雲(六)


本書を通して著者は、日露戦争で陸海軍の末路が太平洋戦争の敗戦にあることを指摘する。
さらに著者は、このころの陸軍にすでに予断だけで敵を甘く見る機運があったことも指摘する。
例えばロシアの満州軍は、厳冬のさなかには矛を収めるはずという予断。その予断からは児玉源太郎ですら逃れられなかった。いわんや陸軍の全体は言うまでもなく。
ただし、秋山好古が率いる騎兵団を除いて。

騎兵団から敵情視察の結果、幾たびもロシア軍に動きがあるとの報告をあげても、参謀本部はたかをくくったまま。
好古はここにきて腹を決める。敵軍の動きをわずかな手勢で食い止めるしかないと。
秋山好古が幾たびもの軍の壊滅の危機をどうやって防いだか。それはただ耐えることに尽きる。動じない。愛用の酒の入った水筒を携え、ただ呑み、ただ耐える。
その忍耐こそが好古の名を後世に残したといってもよい。

陸軍首脳が完全にロシア軍の意図を読み違えていた「黒溝台付近の会戦」は、軍の動員の状況からロシア軍の攻勢までのすべてにおいて日本に不利だった。そう著者はいう。
その結果、一方的に押し込まれる日本軍。しかもロシア軍の攻勢は好古のいる翼の側面に集中する。
そんな攻勢をやり過ごすため、好古は騎兵の長所である馬をあきらめる。そして秋山支隊に支給された機関銃を携え、壕にこもって防戦する。守戦に徹しつつ、将の風格である豪胆さを示す。そこに秋山好古の真骨頂はある。

そんな風に危機に瀕していた日本軍を救ったのはロシア軍の分裂だ。
グリッペンベルク将軍が率いる第二軍の攻勢に乗じ、クロパトキン将軍の第一軍の攻勢が合流すれば戦局は決したはず。
だが、グリッペンベルク将軍の策が的中し、功を挙げることで自らの立場が喪われることを懸念したクロパトキン将軍は、攻めるのをやめ、そればかりか退却を指示する。
9割以上の兵が無傷に残されていたというのに。官僚の打算が日本を救ったのだ。まさに僥倖という他はない。

さて、バルチック艦隊は、マダガスカルの北辺にあるノシベという小さな港で二カ月待機している。それはロシア政府からの指示を待っていたため。
ロシア外務省の外交力はまったく効果を上げていない。そして旅順艦隊が消え去った今、新たな艦隊をこれ以上派遣することに意味があるのか。そんな意見の分裂があったかどうかは資料に残っていない。
ただ言えるのは、そうした時間の浪費が日本の連合艦隊の傷を完全に癒やしたことだ。そればかりか日々の厳しい砲撃訓練によって、連合艦隊の精度は上がってゆく。

そして著者の筆は、長期の停泊によってバルチック艦隊を覆った士気の低下と、長期にわたる航海が露わにした石炭の補給の問題に進む。それは、バルチック艦隊が最初からはらんでいた宿命だ。
ロシア皇帝はそんなバルチック艦隊のために、第三艦隊を追加で編成させる。そして極東に向けて出航させる。

そこにはロシア政府の思惑もあった。ロシアの国内で起こる革命の機運を鎮めるためにも、バルチック艦隊には勝ってもらわねばならないという。
それほどまでにロシアの国内には不穏な空気が充ちていた。
その空気の醸成に一枚も二枚も噛んでいたのが、明石元二郎大佐だ。
本書では明石大佐の八面六臂の活躍がつぶさに描かれる。その活躍はロシアの屋台骨を揺るがし、ロシア革命へとつながる道を帝政ロシアに敷いた。
その活躍によるかく乱の戦果は、一説には日本軍の二十万に匹敵したというほどだ。

帝政ロシアの害悪とは、ただ専制体制だったからではない。
極東に侵略の手を伸ばしたように、東欧やバルト海沿岸でもロシアの侵略の手はフィンランドやポーランドに苦しみを与えていた。
明石大佐はそうした国際風潮を即座に読み取る。そして明石大佐は謀略の全てを実名で行った。そうすることで信頼を得、ロシアの周辺国とロシアの内部から反帝政の機運を煽ったのだ。

およびスパイが持つ暗いイメージとは反対のあけすけで飾りを知らない人物。そんな人物だからこそ明石は信頼されたのだろう。
また、その行動を助けるように、反ロシアの空気が充満していたからこそ、彼の行動は広い範囲に影響を与え、絶大な効果をあげたのだと思う。

本書とは関係がないが、明石元二郎は日露戦争後、台湾総督をつとめた。
その縁からか、元二郎の子の元長が、国共内戦で苦境に陥った臺灣の国民党軍を助けるため、日本の根本博中将を台湾に送り届ける役割を果たしたという。
その事実を扱った本を読んだのは、本書を読む二週間ほど前の話。
それを知っていたから、本書で八面六臂の活躍を見せる明石元二郎の姿には、単なるスパイではなく別の印象を受けた。

明石元二郎がどれほど変人だったかは、本書にも描写されている。たとえば生涯、歯を磨かなかったとか。
そういえば、本書に登場する秋山好古も生涯、風呂を嫌っていたという。
そうした人物が活躍できるほど、当時の社会は匂いに鈍麻していたのだろうか。現代の私たちが何かあればすぐ臭いを言いつのる事を考えると隔世の感がある。

そして本書はいよいよ、奉天会戦と日本海海戦へ向けて時間を進める。
まずは、士気の低下したままのバルチック艦隊の様子を描く。
後世ではあまり芳しくない評価を与えられているバルチック艦隊。そして、司令長官のロジェストウェンスキーへの評価も辛辣だ。
著者は辛辣に描きつつ、彼を若干だが擁護する。それはロシアの官僚主義が司令長官の力だけではどうにもならなかったという指摘からだ。

ロシアの満州軍は、黒溝台付近の会戦の結果、辞表を叩きつけたグリッペンベルク将軍が本国に帰ってしまう。
残されたクロパトキン将軍は奉天を最終決戦の場にするべく準備を進める。
準備を行うのは日本側も同じ。
遊軍に近い扱いの鴨緑江軍を満州に送り込んだ大本営の意図は、奉天会戦を見込んだのではなく、日露戦争の戦後を見据えたものだ。少しでも有利な条件を勝ち取れるよう、敵の占領地を確保することが鴨緑江軍の目的だった。が、現地の参謀本部は少しでも軍勢を増やすため、鴨緑江軍を戦場の遊軍として組み入れる。

奉天会戦が迫る中、日本の連合艦隊は砲術の猛特訓を行い、バルチック艦隊がいつ日本近海に現れてもよいように万端の準備を進める。

‘2018/12/17-2018/12/22


坂の上の雲(五)


前巻から続く旅順攻略の大苦戦。朝日を拝んでまで人を超えた力を望んだ児玉源太郎の苦悩は晴れない。
悩んだ挙げ句に、児玉源太郎はついに大山元帥に申し出る。第三軍の指揮権を児玉参謀に委任する一筆をもらうことを。そして委任状を懐に忍ばせ、旅順へと向かう。

旅順を攻める第三軍の責任者は乃木大将。ところがこのままの戦況が続けば、日本にとっては国の存続に関わる問題になる。乃木大将と伊知地参謀に任せておいては日本はロシアに負け、そして滅ぶ。
追い詰められた思いを抱き、児玉源太郎は乃木大将に指揮権の一時預かりを申し出る。幸いにも両者の思惑と相手を思いやる思いが通じ、乃木将軍の面目は保たれたまま、児玉源太郎は一時的に第三軍の作戦をひきうけることで落ち着く。

実権を握った児玉源太郎がさっそく取りかかったのが、28サンチ榴弾砲の移設や二〇三高地を重点的に攻める戦略だ。また軍紀を一新するため、戦線を見ずに後方で図面だけで作戦を立てる参謀たちを叱責し、参謀が自ら最前線を視察させるよう指導する。迅速に立て直しを図った児玉策が的中し、第三軍は極めて短時間で二〇三高地を落とすことに成功する。乃木将軍と伊知地参謀の面目は対外的には保たれた。だが、内心はいかばかりだったか。

ところが、この二〇三高地を巡る下りは、今に至るまで賛否両論なのだという。
本書では、著者は伊地知参謀をこれでもかとこき下ろす。一方で乃木大将のことは人格者として、全軍を統括する大将であり、実際の作戦の立案には関わっていないとして否定しない。だが、著者が振るう伊地知参謀への批判の刃は、間違いなく乃木将軍をずたずたにしている。

その事を許せないと思う人がいるのか、著者と全く違う見解を持つ人もいる。
その説によれば、実は伊地知参謀の立てた策は戦場の現実を考えると真っ当で、著者の批判こそが戦場を見ずに書いた空想だという。
その説は詳しくはWikipediaに書かれている。が、私にはどちらの説が正しいのかわからない。
本書の記述が誤っているのか、それとも史実は全く違うのか。別の説によると、児玉源太郎が旅順で計画を立て直したことすら事実ではないという。もしそれが正しければ、本書の記述は根底から覆ってしまうのだが。

二〇三高地の陥落によって、高地から旅順港の旅順艦隊にやすやすと砲弾を降らせることが可能になった。そして旅順要塞そのものの攻撃も容易になった。ここに戦局は一つの転換を迎える。

印象的なのは、旅順が落ちた後、児玉源太郎が乃木大将に詩会をしようと声をかけるシーンだ。ここで著者は、児玉の漢詩と乃木大将の詩を比べる。そして、詩才においては乃木のそれが児玉を遥かに凌駕していたことを指摘して乃木の株を上げる。その時に乃木が吟じたのが爾霊山の詩だ。

爾霊山嶮豈難攀
男子功名期克艱
鉄血覆山山形改
万人斉仰爾霊山

爾霊山という言葉は二〇三高地にかけた乃木大将の造語であり、「この言葉を選び出した乃木の詩才はもはや神韻を帯びているといってもよかった」(148P)と著者は最大の賛辞を寄せている。
著者がここで言いたいのは、人の才とは適所を得てこそ、という事に尽きる。
乃木大将の才能は戦にはない。けれども、人格や詩才にこそ、将軍の才として後世に伝えられるべきだといいたいかのようだ。
著者は旅順戦については第三軍をこっぴどく非難している。だが、それは直ちに乃木大将の人格を否定するものではない、という事を強調したかったのだろう。

旅順艦隊はほぼ撃滅され、残討処理は第三軍に任された。そして、連合艦隊も旅順艦隊の監視をせずに良くなり、佐世保で修理に入る。
旅順要塞は、旅順艦隊が掃討された後も激烈な抵抗を繰り返す。だが、ついにステッセル将軍の戦意は萎え、日本に降伏を申し出る。
二〇三高地は落ちても、それがすぐ旅順戦の終結にならなかったことは覚えておきたい。

一方、バルチック艦隊はバルト海を出航した。だが、その航海は前代未聞の長大なものであり、苦難に満ちていた。
北海では日本の艦船と勘違いしてイギリス漁船を砲撃し、英露間に戦争を起こす寸前の事態を招いている。
つまり、航海のはじめからバルチック艦隊の士気は低く、あまり意気揚々とした航海ではなかった。司令長官のロジェストウェンスキーは水兵や将官に厳しくあたり、人を容易に信じない人物として描かれる。
四巻から描かれた航海の描写ではアフリカ沿岸を南下し、マダガスカルに行くところまでが描かれる。

本書では、日本と同盟を結ぶイギリスの妨害が日本に有利に働く。露仏同盟を結んでいるはずのフランスも、イギリスからの圧力でバルチック艦隊に港を提供することを渋る。
折しも、極東でロシアが敗北を繰り返す報が入り、バルチック艦隊の前途を危うくする。
そんな中で航海を続けたことの方が大変なこと。むしろ今では、バルチック艦隊は日本海海戦で全滅したことを嘲られるより、無事に航海を成し遂げた偉業が讃えられているぐらいだ。

ステッセル将軍は降伏時の会見で乃木将軍の態度に感銘を受ける。
そうした場での所作の一つ一つが絵になり、また感銘を与える。それが乃木将軍の良い点だ。
乃木将軍に限らず、本書に主に登場する人物の多くは、戊辰戦争の時代を知る人々だ。
乃木、大山、山本、東郷、小村。
本書の主人公は秋山兄弟と正岡子規であるが、彼らではなく、維新の風を知る人物が脇を固めることで、本書で描かれる明治の様相は層が厚く、説得力も増す。

一方のロシアは、相変わらず官僚的な発想が幅を利かせ、軍に弊害をもたらす。
クロパトキンとグリッペンベルクの争いもその一つだ。
日本は秋山騎兵団が背後を撹乱し、戦線を維持している。が、ロシアの全軍が乱れず総力をあげられれば突破されてしまう薄さしかない。ところがロシアの軍を率いる二人の意見が衝突し、さらに官僚の保身が邪魔して、意思の統一が図れない。この点も日本にとっての僥倖だった。

‘2018/12/14-2018/12/17


坂の上の雲(四)


本書では日露戦争の最初の山場が描かれる。それは黄海海戦と沙河会戦、そして遼陽会戦だ。

黄海海戦は、ロシアの旅順艦隊にとって惨々たる結果となった。もちろん日本にとっても。
それまでは旅順港外での小規模な戦いや機雷の敷設の応酬があったとはいえ、戦いというよりも小競り合いと呼んだ方がよいぐらい。小手調べのような争いに終始していた。

それは旅順艦隊がロシア本国の皇帝の命令に縛られていたからである。その命令とは、ウラジオストクへ向かえという意図のはっきりしないもの。そこに極東総督のアレクセーエフが抱く、やがてやって来るはずのバルチック艦隊が極東に来るまでは艦隊を温存しておきたいとの思惑が絡み、旅順艦隊司令長官のウィトゲフトから決断力を奪っていた。

三巻ではそうした帝政ロシアにはびこっていた官僚主義の弊害に触れている。
ヴィッテがロシア満州軍総司令官のクロパトキンに進言していたのは、アクレセーエフを早めに追放すること。指揮と命令の系統が硬直した官僚主義は、ロシアにとっては不幸な結末の原因となったが、日本にとっては幾たびも幸運な結果をもたらす。

しかし、機が熟したと判断したウィトゲフトは、ついにウラジオストクへ艦隊を出航させる。そしてそれを防ごうとした日本の艦隊との間で砲火を交える。黄海海戦だ。
著者の筆は、この海戦の一部始終を語る。本書の巻末にも黄海海戦の動きが図解されている。
この海戦で威力を発揮したのは、日本の砲弾に詰められた下瀬火薬だ。下瀬火薬は貫通力には乏しい。だが、当たると高熱の火災を生じさせる。その火災は、甲板の非金属部分や乗員に甚大な被害を与える。
下瀬火薬によって旅順艦隊は指揮系統が乱された上に、三笠の放った十二インチ砲弾が旅順艦隊旗艦のツェザレウィッチの司令塔に命中し、ウィトゲフトや操舵員を消し去る。著者はこの砲弾を「運命の一弾」と名付けている。また、後年になっても黄海海戦で勝てる見込みはわずかしか持っていなかったという秋山真之も「怪弾」と呼んでいる。この一弾が戦局に決定的な役割を果たす。黄海海戦のみならず日露戦争にも影響を与えた一撃だった
といえよう。

沈没はしなかったものの、コントロールが効かず漂い始めたツェザレウィッチは、かえって他の旅順艦隊の動きを乱す。旅順艦隊のそれぞれの戦艦は、下瀬火薬によって甲板上をさんざんに痛めつけられながら、あちこちの港に逃げ込む。逃げこんだ先が中立国の港であった場合は武装解除され、別の港に逃げ込めたとしても戦艦として二度と使えなくなる。ウラジオストクから出撃してきたウラジオ艦隊も日本の連合艦隊から戦艦として使えなくなるほどの打撃を受ける。
そうして黄海海戦は日本の勝利が確定した。旅順艦隊の一部は旅順に逃げ帰り、再び旅順港に籠ってしまう。

続いては陸軍の戦いだ。遼陽の会戦。それは、近代日本が戦った初の大会戦。
ロシア軍はシベリア鉄道を活用して物資も要員も潤沢に供給できる。対する日本は弾薬の使用量の見込みが信じられないほど甘く、常に戦闘員と砲弾と物資の残りを心配しながらの戦う羽目に陥る。

この戦いで運命を分けたのは、秋山好古の率いる騎兵だ。敵の後方で躍動し、それがクロパトキンの判断を散乱させたことが、戦局の流れを変えた。そして第一軍の黒木大将が敵将のクロパトキンの目をかすめ、太子河の渡河に成功したことも結果に大きな影響を与えた。

本書の全体に通じるのは、情報が不便だった時代だからこそ、情報を得られなかった側が負ける教訓だ。
通常であればどの戦いもロシアが圧倒的に有利であるはず。なのに、一瞬の判断が勝敗を分けている。ロシアは情報が不足することで疑心暗鬼となる。対する日本は遮二無二の攻めダルマを貫いてロシアを押し切ってしまう。

それは沙河会戦でも同じ。もはや砲弾の不足は異常な状態。本書の記述を読んでいると、日本は砲弾がないのにどうやって勝ったのか疑問に思えるほどだ。
実は日本の勝利とは、薄氷を踏むような奇跡が繰り返し起こり、その積み重ねで勝ったことを著者は繰り消し語る。

遼陽会戦と沙河会戦は、まだ児玉源太郎の立てた入念な計画があったからまだ勝てる見込みが少しはあった。
だが、旅順攻略戦を担当する第三軍の場合、作戦も何もなく、ただ人海戦術で押すしかない稚拙なものであった。
乃木大将は後世、神に祀られた人だ。人物の魅力を高く備え、その魅力によって人々を惹きつけ、将たる威厳を持っていたという。そのカリスマ性は兵を死ぬための突撃に向かわせる力となった。
ところが、乃木大将は戦が上手ではない。そして乃木将軍を補佐すべき参謀がこれまた頑固な人海戦術しか知らない伊知地孝介だったことが第三軍の不幸だった。一度決めた方針に固執し、客観的になれず、人に意見を聞く謙虚さもない日本人の悪い点を体現したような人物。著者はとにかくこの伊知地参謀をけなしにけなす。その描写は全ての日本の悪徳を一身に背負ったかのようだ。

いく度も要塞に突撃を敢行しては、掘に日本兵の死体を埋めてゆく。そして何の工夫もなく、大本営に人員と弾薬の補給をひたすら要請する。

旅順要塞を攻略しないことには港内に閉じこもった旅順艦隊は動かせない。そして旅順艦隊を生き延びさせていると、やがてやって来るバルチック艦隊と合流し、日本の連合艦隊が勝てないほどの戦力となる。旅順要塞を落とし、そこに守られている旅順艦隊を一掃しなければ日本の勝利はない。第三軍に日本の運命が託されているのだ。

焦る児玉源太郎。
彼が朝日を毎朝拝むようになったのもゆえなきことではない。
江ノ島には児玉源太郎を祀る神社がある。後世、神になった彼にして、祈るしかなかったのが日露戦争の現実だった。

戦争の結末を知っているのに、スリルに満ちた物語に引き込まれてゆく。

‘2018/12/13-2018/12/14