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信虎


友人に誘われて観劇した本作。
正直に言うと武田信虎の生涯のどこを描くのか、上映が始まる前は全く見当が付かなかった。そのため、私の中で期待度は薄かった。
ところが本作はなかなか見どころがあり面白かった。

本作が描いた信虎の生涯。私はてっきり、嫡子の晴信(信玄)によって甲斐から追放される場面を中心に描くのかと思っていた。
ところが、本作の中に追放シーンは皆無。一切描かれないし、回想で取り上げられる機会すら数度しかない。

そもそも、本作の舞台となるのは1573年(元亀3年)から1574年(天正2年)の二年間を中心にしている。信虎がなくなったのは1574年(天正2年)。つまり、本書が主に描くのは信虎の晩年の二年間のみだ。信虎が甲斐を追放されてから約三十年後の話だ。
1573年といえば武田軍が三方ヶ原の戦いで徳川軍を蹴散らし年だ。その直後、武田軍は京への進軍を止め、甲斐に引き返す途中で信玄は死去した。
その時、足利十五代将軍の義昭の元にいた信虎。将軍家の権威を軽視する織田信長の専横に業を煮やした義昭の元で、信長包囲網の構築に動いていた。

武田軍が引き返した理由が信玄の危篤にあると知った信虎は、娘のお直を伴って甲斐に向かう。
信玄が兵を引いたことで信長包囲網の一角が破れるだけではなく、武田家の衰亡にも関わると案じた信虎。だが、信玄は死去し、その後の情勢は次々と武田家にとって不利になってゆく。
しかも、当主を継いだ勝頼は好戦的であり、信玄の遺言が忠実に守られている気配もない。
信虎の危機感は増す一方。30年以上も甲斐を離れていた信虎は、勝頼の周りを固める重臣たちの顔も知らず、進言が聞き入れられる余地はない。
失望のあまり、勝頼や重臣の前で自らが再び甲斐の当主になると宣言したものの、誰の賛成も得られない。
そこで信虎は次の手を打つ。

本作が面白いのは、信虎が武田家滅亡を念頭に置いて動いていることだ。
京や堺を抑えた信長の勢力はますます強大になり、武田家では防ぎきれない。血気にはやる勝頼とは違い、諸国をめぐり、経験を積んできた信虎には世の中の流れが見える。
武田家は遠からず織田や徳川に蹂躙されるだろう。ただ、武田家の名跡だけはなんとしても残さねば。その思いが信虎を動かす。

本作の後半は、武田家を存続させるための信虎の手管が描かれる。武田家が織田・徳川軍に負けた後、武田家を残すにはどうすればよいのか。

本作は時代考証も優れていたと思う。
本作において武田家考証を担当した平山優氏の著作は何冊か読んでいる。本作は、私があまり知らなかった信虎の人物や空白の年月を描きながら、平山氏の史観に沿っていた。そのため、みていて私は違和感を覚えなかった。
服装や道具なども、作り物であることを感じさせなかった。本物を使っている質感。それが本作にある種の品格をもたらしていたように思う。時代考証全体を担当した宮下玄覇氏と平山氏の力は大きいと思う。
本作は冒頭にもクレジットが表示される通り、「武田信玄公生誕500年記念映画」であり、信玄公ゆかりの地からさまざまな資料や道具が借りられたようだ。それもあって、本作の時代考証はなるべく事実に沿っていたようだ。

いくら時代考証がよくても、俳優たちの演技が時代を演じていなければ、作品にならない。本作は俳優陣の演技も素晴らしかった。
本作に登場する人物の数は多い。だが、たとえわずかな場面でしか登場しない端役であっても、俳優さんはその瞬間に存在感を発していた。
例えば武田信玄/武田信簾の二役をこなした永島敏行さん、織田信長役の渡辺裕之さん、上杉謙信にふんした榎木孝明さん。それぞれが主役を張れる俳優であり、わずかなシーンで存在感を出せるところはさすがだった。

また本作のテーマは、信虎の経験の深みと対比して武にはやる勝頼の若さを打ち出している。その勝頼を演じていたのが荒井敦史さん。初めてお見かけした俳優さんだが、私が抱いていた勝頼公のイメージに合っていたと思う。
その勝頼の側近であり、武田家滅亡の戦犯として悪評の高い二人、跡部勝資と長坂釣閑斎の描かれ方も絶妙だったと思う。安藤一夫さんと堀内正美さんの演技は、老獪で陰険な感じが真に迫っていた。

あと忘れてはならないのが、美濃の岩村城で信虎一行を逃すために一人で槍を受けて絶命した土屋伝助すなわち隆大介さんだ。見終わって知ったが本作が遺作だったそうだ。見事な死にざまだった。
また、本作は切腹の所作も見事だった。見事な殉死を見せてくれたのは清水式部丞役の伊藤洋三郎さん。
最後に、本作にコミカルな味を加えていた、愛猿の勿来も忘れてはならない。

もっとも忘れてはならないのは、やはり主役を張った寺田農さんの熱演だ。熱演だが暑苦しくはなかった。むしろ老境にはいった信虎の経験や円熟を醸しだしながらも、甲斐の国主として君臨したかつてのすごみを発していた。さすがだ。
俳優の皆さんはとても素晴らしかったが、本作は寺田農さんの信虎が中心にあっての作品だ。見事というほかはない。

本作は、私個人にとっても目ヂカラの効用を思い出させてくれた。武田家を後世に残そうとする信虎は、信仰している妙見菩薩の真言を唱えながら、自分の術を掛けたい相手の顔をじっと見る。
その設定は、本作に伝奇的な色合いを混じらせてしまったかもしれない。だが、相手の目を見つめることは、何かを頼む際に効果を発揮する。相手の目を見ることは当然のことだが、その際に目に力を籠める。すると不思議なことに相手に思いが伝わる。
私は、経営者としてその効用を行使することを怠っていたように思う。これは早速実践したいと思った。

‘2021/11/23 TOHOシネマズ日本橋


悪忍 加藤段蔵無頼伝


著者は戦闘シーンの書き方が抜群にうまいと思う。川中島合戦を描いた『天祐、我にあり』は戦闘シーンのダイナミズムを間近に感じられる力作だった。

本書は戦闘をより個人的な行いとして描いた作品だ。忍。忍とは人目を忍んで仕事をし遂げるのが極意。本書でも忍びの非道な生きざまはしっかりと描かれている。飛び加藤、鳶の加藤といえば、私も名を知っている有名な忍びだ。確か『花の慶次』にも出てきたはず。加藤段蔵が活躍したのは戦国群雄が割拠し、まだ覇者が誰かすらも定まらぬ時期。つまり、織田信長が頭角を現す前の時期だ。

そのような時期だからこそ、伊賀も自由に自治権を行使し、自由で放埓でありながら、生き延びるには厳しい国であることができた。そして、加藤段蔵のように伊賀ですら窮屈なはみ出し者が存分に活躍できたのかもしれない。伊賀に育ちながら伊賀に歯向かい、自由な一匹狼として忍びの世界で悪名をとどろかせる。痛快ではないか。その生きざまには迷いがない。ただ悪を貫くことに徹している。全ては己の人生のため、己が生き抜くため。武でも忍びでも一流ならば、人を惑わす達者な弁舌もだてではない。

加賀一向宗の実顕を相手にし、越後の長尾景虎を相手に堂々と引かず、朝倉の武将、富田景政を通じて朝倉宗滴に取り入り、甲賀の座無左を欺いて己が手下に使い、伊賀の弁天姉妹と怪しく絡みながら、児雷也を手下に術を掛ける。その一方で千賀地服部や雑賀衆、軒轅などの忍びの軍団とも戦う。本書には伝説の忍びともいわれる加藤段蔵の姿が生き生きと描かれている。まさにエンターテインメントとして楽しんで読める一冊だ。

上にも書いた通り、加藤段蔵が活躍したのは、戦国がもっとも戦国だったころだ。その頃を描いた小説を読むことが最近は多い。それは、人物が諸国を自由に往来し、自由に戦えたからだろうか。登場する人物が生き生きと振る舞っているのだ。それに反し、信長が天下布武を宣してからは、クローズアップされるのはトップの大名である武将たち。忍びや武芸者が活動する余地がどんどん狭まってしまう。要は窮屈なのだ。せいぜい、宮本武蔵のような風来坊の武芸者にしか許されない生き方なのだろうか。私は、組織に属することを潔しとしない人間だ。なので、なおさら、加藤段蔵のような一匹狼に心ひかれてしまうのかもしれない。加藤段蔵のような人間がのびのびと活躍できた頃、戦国が割拠していた頃の物語が面白い。

私にそう思わせるほど、加藤段蔵も、周囲の人物も魅力的だ。登場人物のそれぞれがきっちりと書き分けられているし、魅力的に描かれている。著者の筆の冴えだ。忍びの術を駆使しての戦闘シーンは、声や闘気などの擬音を漢字一文字に凝縮する工夫がとても効果を上げている。それが躍動感を与え、展開にスピーディーなリズムを加えている。忍びとはなんと魅惑に満ちた存在か。最近、和田竜氏による『忍びの国』が映画化された。私はその原作を読んだ(レビュー)。多彩な忍びの技が繰り出され、伊賀を縦横に駆け抜ける内容に、忍術の魅力をあらためて知った。忍びを題材にとった小説など講談もので使い古されたと思いきや、まだまだ書きようによっては魅力的な題材ではないか、ということを『忍びの国』から教えられた。だが、忍びの非情さが描けているか、という観点から読むと、本書のほうが『忍びの国』より上回っていたように思う。それは、本書のテンポや文体が、迅速こそ命の忍びに合っているからだと思う。

私は歴史小説を何冊も読んできたし、名作と思えるものにも数多く触れてきた。だが、細部の描写のうまさは著者が一番ではないかと思うぐらい、著者の細部の描写が気に入っている。こればかりは作家が持って生まれたセンスとしか言いようがない。

ただ、後半にいたり、弁天姉妹が登場し、彼女たちが段蔵にちょっかいをかけ始めるあたりから、少々筆が急ぎすぎてしまったような気がしてならない。前半の濃密な展開が素晴らしかっただけに、少しバランスが欠けたのが残念だ。そのあたりから、段蔵の描写からもすごみが消えたような気がするのは私だけだろうか。弁舌の巧みさは、眼光の鋭さと無類の武芸の強さとのバランスがあってこそ。後半はそのバランスが弁舌に傾きすぎていたような気がする。

さらにいうと、本書の終わり方にも少し不満がある。続編の存在を存分に匂わせつつ、物語が唐突とも言えるほどに終わるからだ。果たして最初から続編を見越して書かれていたのかどうか。それは私にはわからない。本書から6年後に『修羅 = El diablo de la lucha 加藤段蔵無頼伝』が発行されており、本書の続編が書かれたのは確か。ただ、それならばもう少し本書の終わらせ方にも工夫があってもよかったはず。細部の描写が優れているだけに、全体の構成がチグハグだったのが惜しい。著者の他の作品もそう。構成がアンバランスなのだ。

そうした不満はあれど、本書の細部には神が宿っている。この描写の妙を楽しむためにも、続編はぜひ手に取ってみるつもりだ。たとえ構成のバランスが崩れていたとしても、細部の描写で私を魅了させてくれるに違いない。そして私を忍びの世界へといざなってくれるはずだ。

‘2017/10/2-2017/10/4


吹けよ風呼べよ嵐


川中島にいまだ訪れたことがない私。それなのに、川中島の戦いを描いた小説を読む経験だけは徐々に積んでいる。そして合戦シーンに血をたぎらせては、早く訪問したいと気をはやらせている。そんな最近だ。友人が貸してくれた本書もまた、私の心を川中島に向かわせようとする。

だが本書の中において、川中島の戦いが描かれるシーンはほんのわずかしかない。386ページある本書の終盤、多めに数えてもせいぜい60ぺージほど。では、あとのページは何の描写に費やしているのか。それは、村上義清軍の戦いを追うことで費やしている。本書は上田原の戦いから始まる。上田原の戦いといえば、村上義清と武田晴信によってなされた信濃の覇権をめぐる一連の戦いでも初期に行われた合戦だ。上田原の戦いで武田軍の侵攻を退けた村上軍は、続けて武田軍に後世、砥石崩れと称される程の痛手を負わせる。北信濃に村上義清あり、と高らかに謳うかのような戦い。本書の主人公である須田満親は、従兄でかつ刎頸の友である信正とそれらの戦いを間近にみていた。

だが、村上義清がいくら北信濃で武名を高めようとも、勢力としては信濃の一地域を治めるだけの存在にすぎない。そもそも、信濃とは諸豪族が割拠する地。戦後史においては、信濃における二大勢力として小笠原長時と村上義清の両雄が並び称されていた。だがそれぞれは勢力として小粒。それゆえ、甲斐から侵略を進める武田軍に徐々に突き崩されてゆく。しかも武田軍は武で成果がなければ調略を試すなど、柔軟かつ老練な攻め手を繰り出してくる。硬軟取り混ぜた武田軍の攻撃に徐々に勢力を削られてゆく村上軍。その調略の先は、信正の親である須田信頼にも伸びる。その結果、須田信頼と信正親子は武田軍にくみする。つまり、須田満親と信正は敵味方となってしまうのだ。満親を襲った凶報は、満親と信正を互いにとっての仇敵に仕立て上げることになる。上田原の合戦見物の際は、弥一郎、甚八郎と呼び合っていた二人。それが憎み合い戦場で剣を交えるまでに堕ちてしまう。戦国の世の習いの無残さを思わせる展開だ。

仲の良かった従兄が敵味方に分かれる。そんなことは下克上のまかり通る戦国時代にあって特に珍しくもなかったはず。そして豪族が相打ち乱れ、合従連衡を繰り返す信濃にあってはより顕著だったに違いない。つまり戦国期最大の合戦として後の世に伝わる川中島の戦いとは、ついにまとまる事を知らぬまま、乱れに乱れた信濃が堕ちるべき必然だったのだ。信濃の地で戦われた合戦でありながら、甲斐の武田と越後の上杉の戦場となった川中島とは、つまるところ信濃の豪族たちのふがいなさが凝縮した地だったともいえる。

だが、その事実をもとに須田満親を責めるのは酷な話。彼は村上家にあって生き延びるため、そして須田家を存続させるため、懸命に働く。満親の働きは、村上家がいよいよ武田軍の攻勢を防ぎきれず上杉家を頼る際に彼自身の運命を切り開く。村上義清によって上杉家への使者に命じられることで。それまでに使者として上杉景虎の知己を得ていたことが上杉家への使者として適任だったのだ。それは、須田満親を次なる運命へと導く。つまり、川中島の戦いへと。満親の嫁初乃はもともと信正の妹として満親に嫁いできた。だが、武田軍の調略が須田家を引き裂いたため、兄信正と初乃は敵対することになる。そんな運命に翻弄されながら、彼女は世をはかなむことなく満親へ付き従い越後へと落ち延びる。本書で描かれる彼女の運命は戦国の時代の過酷さ、そして確固たる権力に恵まれなかった信濃に生まれた女子の運命を如実に書き出している。

親しさの余りに、憎さが百倍したような満親と信正の関係。それは、幾度もの運命の交錯をへてより複雑さを増してゆく。そしてついには川中島の戦いでは上杉軍と武田軍として相まみえ、剣を交えさせることになるのだ。

残された記録による史実によれば須田満親は1598年まで存命だったようだ。つまり満親は川中島を生き残ったのだ。では信正はどうだったか。史実によれば武田家滅亡後に上杉家に属したと伝わっている。だが、本書では川中島以降の両者には触れていない。あるいは、上杉家で旧交を温め直したのか、それともかつての反目を引きずりながら余生を過ごしたのか。本書には、上杉家での二人の邂逅がどうだったかについては触れておらず、読者の想像に委ねている。

そのかわりに著者は、川中島の戦いで満親と信正に剣を打ち合わせることで、二人のその後に著者なりの解釈を示している。満親に勝たせることで。そして満親にとどめを刺させないことで。その瞬間、二人の間には弥一郎と甚八郎の昔が戻ったのだ。「禍根を断っては、武士は鈍ります。禍根あってこそ、武士はよき働きができます」とは川中島の戦いの後、謙信と語らった際の満親のセリフだ。それを受けて謙信もこう返す。「もう一太刀か二太刀見舞えば、わしは信玄を殺せた」「だがな、馬を返して四太刀目を浴びせようとしたところで気づいたのだ。欲が勝つか義が勝つかは、力で決めるものではなく、天が決めるものだとな」「そうだ。欲に囚われた者は欲に滅ぼされる。最後に勝つのは義を貫く者だ。つまり禍根を断たずとも悪しき者は自ずと立ち枯れる」

ここでいう欲とは武田信玄の領土拡張欲であり、義とは毘沙門天を戴く上杉謙信の信念を表わしている。この二つの概念は、両者を比較する際によく見かける。だが、有名な一騎打ちをこういう解釈で描いた事に、本書の真骨頂がある。川中島の合戦で敵味方に相まみえる事になった須田満親と信正の従兄同士。二人の運命に小豪族の置かれた運命の悲哀を表しただけでなく、義と欲の争いを禍根を断つ形で決着させず、人の生き方として歴史の判断にゆだねた著者の解釈。これもまた、一つの見識といえる。

おそらく、川中島の戦場には、幾多の入り組んだ、長年に渡って織りなされた運命の交錯があったはずだ。満親と信正。信玄と謙信。信繁と景家。川中島には彼らの生きた証が息づいている。人の一生とは何を成し遂げ、何に争わねばならないのか。そんな宿命の数々がしみ込んでいるのだ。そのことを新たに感じ、人の一生について感慨を抱くためにも、私は川中島には行かねばならないのだ。

‘2016/12/24-2016/12/28


我、六道を懼れず―真田昌幸連戦記


2016年の大河ドラマは真田丸。私にとって20年ぶりに観た大河ドラマとなった。普段テレビを観ない私にしてはかなり頑張ったと思う。本書を読み始めたのは第4回「挑戦」を観た後。そして本稿は第8回「謀略」の放映翌朝に書きはじめた。

真田丸の主役は堺雅人さんが演ずる真田信繁(幸村)だ。これは間違いないだろう。ところが、本稿に手をつけた時点で私が印象を受けたのは草刈正雄さん演ずる真田昌幸だ。その存在感は真田丸の登場人物の中でも群を抜いている。あまりテレビを観ない私にとって、草刈正雄さんの演技を初めてまともに観たのが真田丸だ。その演技はもはや名演と呼べるのではないか。かの太閤秀吉に表裏比興の者と呼ばれ、家康を恐れさせた謀将昌幸。草薙さんは老獪な武将と語り継がれる昌幸を見事に演じている。

第4回と第8回は、両方とも謀略家昌幸の本領が前面に押し出された回だった。その時期、真田家は武田家滅亡後の空白を乗り切るため、あらゆる策を講じねばならなかった。弱小領主である真田家を守り抜くため、時には卑劣と言われようと、表裏の者と言われようと一族を守らんとしたのが、昌幸ではなかったか。昌幸が知恵を絞った甲斐あって真田家は戦国から幕末までお家を存続できた。泉下の昌幸にとって満足な結果だったのではないだろうか。

昌幸は謀略の分野で才能を発揮した。しかし、それと本人の人格とは別の話。後世から策士と評される昌幸とて、生まれながらの謀略家だった訳ではない。

本書には、謀略を知らぬ前の純粋で無垢な昌幸が息づいている。

本書は昌幸が源五郎という幼名で呼ばれていた7歳の頃から始まる。

7歳といえばまだ母の温もりが必要な時期。そんな時期に源五郎は父から武田晴信、すなわち後の信玄の小姓となることを命ぜられる。要は人質である。源五郎は到着して早々、新たな主君とのお目見えの場で近習に取り立てられる。7歳にしてそのような重荷を背負わされた源五郎も気の毒だが、7歳の童子に大成の器を見極めた晴信の人物眼もまた見事。

幼くして鍛錬の場に置かれた源五郎は、信玄の弟典厩信繁に目をかけられ成長を遂げていく。そして信玄の近習として側に仕えながら、薫陶を受けることになる。生活を共にし、戦略を練る姿に親しく接する。その経験は源五郎の素養を確かに育んで行く。そして将来の昌幸を間違いなく救うことになる。機転や頭脳の働かせ方、策の練り方活かし方。活きた見本が信玄だったことは昌幸にとっての僥倖だったに違いない。

元服し、源五郎から昌幸となってすぐ迎えたのが、かの川中島合戦。しかも初陣となったのは、本邦の合戦史でも五指に入るであろう第四次合戦だ。信玄と謙信の両雄一騎討ちがあったとされ、世に知られている。

著者には、第四次川中島合戦を描いた「天佑、我にあり」という作品がある。合戦に至るまでの息詰まる駆け引きから合戦シーンまで、傑作と呼ぶ以外ない一冊だ。「天佑、我にあり」は近くの山から合戦の一部始終を見届ける設定の天海僧正の視点で語られる。だが、本書で語られる第四次合戦は昌幸の視点によって語られる。同じ合戦を同じ著者が描いているのだが、視点を変えているため読んでいて既読感を感じなかった。著者の筆力が一際抜きんでいることの証拠だろう。

第四次合戦において有名な一騎打ちとは大将同士によるそれだ。だが、同じ合戦では武田典厩信繁と柿崎景家との一騎討ちも見逃せない。「天佑、我にあり」で詳細に語られるその一騎打ちの場面は、何度読み返しても魂が震える。本書は昌幸の視点で描かれているため、二人の一騎打ちは描かれない。だが、信繁に目を掛けられ、育てられた昌幸が信繁の亡骸に昌幸が取りすがって号泣する姿は、本書において白眉のシーンだといえる。

また、「天佑、我にあり」では信玄と謙信の一騎打ちも読み応えのある場面だ。そして信玄近習である昌幸は、両雄の間を刹那飛び交った火花の目撃者でもある。昌幸が目撃した両雄の一騎打ちは、「天佑、我にあり」とは違った形で描かれており本書の山場の一つとなっている。

初陣にして己の価値を見出してくれた人物の死に直面した昌幸は、武将の成長をして大人となる。そして、信玄になくてはならぬ側近となってゆくのである。本書は戦国屈指の謀将真田昌幸の成長譚であり、ずっしりとした読み応えが読者に返ってくる。

川中島合戦が収束しても昌幸の身辺は慌ただしい。松という伴侶を得て身を固めたかと思えば、武田家中を襲う謀反劇の直中に巻き込まれる。

桶狭間で主が織田信長に討ち取られてから衰退著しい今川家。信玄嫡男の義信は、その今川義元の娘を正室に迎えている。そして信玄の冷徹な脳裏には今川家を見限り、その替わりに昇り調子の織田家との外交関係を結ぶ戦略が編まれていた。それに反発して実力行使で主君を諫めようとする義信一派。その中には昌幸が幼き頃から共に近習として武田家に仕えた仲間もいた。幼き日からともに学んだ仲間と刀を交える苦味。その中にあって信玄への忠義を揺るがせにしなかった昌幸は、ますます信玄の信頼を得ることとなる。無垢な昌幸は、仲間の死を通して戦国の世の習いを一つ身につける。

武田家に内紛の余韻漂う中、武田家は北条家と戦端を開く。北条家の本拠地小田原を攻め、帰路に三増峠で北条軍と戦う。ここで昌幸は、北条軍にあって武名を馳せる北条綱成と何合か打ち合わせる機会を持つ。本書には昌幸の武士の矜持を持った一面がきっちりと描かれている。謀略家のイメージばかりが取り沙汰される昌幸は歴とした武士だった。著者の視点はそのことにしっかり行き届いており好感が持てる。

関東遠征を経たことで昌幸への信玄からの信頼は一層篤くなる。そして昌幸は信玄の身辺を任されるようになる。寝室や厠近くに侍るようになった昌幸が目撃したのは、咳き込んだ信玄と口からの喀血。その病は後に天下獲り間近の信玄を道半ばで倒すことになる。己に残された時間がもはや少ない事を悟った信玄は、ついに上洛へと乗り出す。

敵の本拠地駿河に進軍してからも徳川軍をやすやすとひねる武田軍。家康にとって終生胆を冷やさせることになる三方ヶ原の敗戦も、信玄にとっては余技のごとく書かれている。事実、当時の戦国最強との呼び声高い武田軍にとっては徳川軍など鎧袖一触。敵役にもならなかったほど弱かったのだろう。しかし徳川家にも武辺者はいた。それは本多忠勝である。昌幸はこの戦場で本多忠勝と相まみえることになる。ここでも若き昌幸は謀将ではなくもののふの姿で描かれている。本書において、昌幸はまぎれもない武将である。それも戦国最強の武田軍の中にあって首尾一貫して。

しかし、武運は信玄に味方しなかった。朝倉軍が織田包囲網から離脱し、信玄の描いた戦略に綻びが生じる。それと時を同じくして信玄に巣食う病が重くなる。信玄は昌幸を含めたわずかな家臣を呼んで別れを告げ世を去る。

昌幸の元に遺されたのは碁盤と碁石のみ。病が急変する前、昌幸は信玄と一局打つ機会を得る。六連銭の形におかれた置石から始まった一局で、それまで一度も勝てなかったのに、持碁、つまり引き分けに持ち込む。その遺品は、図らずも己の軍略を伝えようとした信玄の意志そのもののよう。いうなれば、信玄流軍略の一番弟子の形見に碁盤を託された形となる。これまた、本書の中でも印象の深い場面である。

いよいよ本書は最終章にはいる。長篠の戦いである。昌幸には二人の兄がおり、ともに侍大将の立場で武田軍の重鎮となっていた。が、信長軍の鉄砲戦術に二人の兄を始め、主だった武将が餌食となり、戦場に命を散らす。

昌幸が眼にしたのは惨々たる戦場の様子。死体があたりを埋め、血の匂いが立ち込める。その景色は川中島の戦いのそれを思い起こさせる。信繁の死んだ川中島の戦場の様子が兄二人を亡くしたそれと重なり、昌幸の脳裏を憤怒で染める。無垢で純粋だった昌幸が絶望と悲憤の中で殻を脱ぎ捨てる瞬間である。

戦い済んで甲斐に帰った昌幸は、名乗っていた武藤の姓を返上する。そして真田昌幸を名乗る。父も兄たちも居なくなった今、真田家を継ぐのは昌幸しかいなくなったからだ。そして、昌幸の胸にはただ怒りだけが満ちている。それは、長篠の戦いを敗戦へと導いた者たちへの怒りだ。長坂、跡部といった武田家の重臣たち。彼らは武田家を長篠の戦いに導いた。そして自らは後衛に回って戦況をただ見ているだけだった。昌幸の怒りはそのような者を重用し続ける新たな主君勝頼にも向かう。武田家を見限り、真田家のことを考え始める内なる声が昌幸の中でこだまする。

昌幸の叫びは、もはや無垢な青年のそれではない。哀しみや世の無情、真田家を背負う重責を担った漢の叫びである。それが以下の本書を締める三つの文に集約されている。

人には大切なものを失わなければわからない本物の痛みというものがある。そして、失う痛みを乗り越えることでしか見えない地平というものがある。
それに気づいた時が、まさに、その人の立志の時だった。
痛恨の敗戦を経て、昌幸は真田の惣領を襲名する決意を固め、深まりゆく乱世に翻弄される己の運命と真正面から向き合おうとしていた。

(第一部完)

真田丸でみせる老獪な真田昌幸は、本書に続く第二部でこそ花開くのだろう。しかし、謀略を駆使する昌幸の背景には、本書で描かれたような信玄の薫陶や、度重なる戦いで身につけざるを得なかった憤怒があることを忘れてはならない。草刈正雄さんが本書を読んだかどうかは知らない。脚本を書いた三谷幸喜さんが本書を参考にしたかどうかも知らない。でも、視聴者は昌幸の過去に通り一遍でない人生の起伏があったことを知っておくべきだと思う。草刈昌幸を単に腹黒く人の食えぬ親父と見るだけでは彼の真の凄みは味わえない。そこには振幅の激しい人生に鍛えられた一人の男がいる。そう見直してみるとまた違う姿が見えてくるはずだ。真田丸を見ていると、息子信繁(幸村)の名が川中島で討ち死にした武田典厩信繁の名にあやかっていることや、本多忠勝の娘小松姫が長男信之の正室になるなど、若かりしころの昌幸の出会いが真田家のその後に重要な布石となっていることに気づく。

と、こんな偉そうなことを書いている割に、私は結局真田丸を全て観ることは出来なかった。第16回「表裏」あたりまでは、車内で観たりオンデマンドで観たりと観るための努力を続けていたが、それ以降は仕事が忙しく断念した。無念だ。でも、本書の続編第二部は是非読みたいと思っている。そして真田丸全編も必ず観るつもりである。

‘2016/02/16-2016/02/18


天佑、我にあり


真田幸村を書いた「華、散りゆけど 真田幸村 連戦紀」を読んだのは一年前。その時に著者を知ってからまだ一年経っていない。九度山蟄居の日々から大阪夏の陣での真田幸村の見事な散り様が描かれた傑作であった。だが、構成のバランスに少々ムラがあったように見えたのが残念だった。

上記の本を読んだ際、家族でしなの鉄道の「ろくもん」に乗車したタイミングだったことはレビューに書いた。長野から軽井沢までを走るろくもん。その沿線には数々の風趣に溢れた観光地が点在している。中でも川中島の合戦場は屈指のスポットと言えるだろう。だが、私はまだ川中島古戦場を訪れたことがない。

そこにきて本書を見かけ、図書館で借りてみた。するとどうだろう。上記の本で見られたバランスの欠如が、本書では見事に拭い去られているではないか。拭い去られているどころか、一部の隙もないといってよい。本書は私が読んだ時代小説の中で十指に数えられる一冊だといえる。

私の知識によると、川中島の戦いは五度にわたって戦われた。中でも第四次のそれは、山本勘助によるきつつきの献策や、信玄公と謙信公が刀と軍配で相見えた挿話でも知られている。

本書はその第四次の戦いにのみ焦点を当てている。

本書の語り手は天海和尚。江戸幕府初期の頃、大僧正として数々の施策に関わったことで名高い。長命な天海和尚はまた、十代の頃、第四次の川中島の戦いを山の上から見届けたという伝説を持っている。本書は、天海和尚の晩年、江戸城において徳川二代将軍秀忠、三代家光の両者より江戸幕府が採るべき軍学が甲州流、越後流のどちらであるかを下問される場面で始まる。それに応じ、両方の軍学を引き合いに出す上で、天海和尚が見聞した川中島の戦いを昔語りに語るという構成となっている。

若き天海和尚が、謎の白面の青年とともに戦を山の上から見届けるという設定。その白面の青年は偵察で相模から直々にやってきた風魔小太郎。という設定は突飛なものに見えるが、さもありなんと思わされるだけの説得力を持っている。

また、信玄公と謙信公の書き込みも入念だ。信玄公については、幼少期から父信虎に遠ざけられた忍従の日々、そして父信虎追放に至る背景がきっちりと精緻に描かれている。その結果、信虎の暴政に危機感を募らせた武田家宿将達によって持ち上げられ、国境に戻ってきた父信虎を駿河へと追い返すことになる。武田家について書かれた小説は何冊か読んできたが、本書ほどこの父子相克の場面を描き切った小説はないのではないか。それは謙信公も同じ。長尾家にあって天室光育を師とした修行の日々が描かれている。後年、謙信女説が生まれたほどの女犯を遠ざけたストイックさ、毘沙門天を背負っての軍神とまで言われるその背景に、天室光育の薫陶があったことがきっちりと描かれている。そして著者は、民を養うために国を富ませ、他国を奪うことに正義を見出す信玄公と、己の信義に従い、道理を友とし、攻められれば受けて立つ謙信公の戦に対する違いをも鮮やかに描き出す。

著者はそれゆえに両者の対立が、単に信濃の領有をめぐってではなく、天佑の争いであると定義する。これは序章で天海和尚が語る言葉にすでに表れている。

「では、信玄公と謙信公は、いったい何を競うために鎬を削ったのでござりましょうや」三代家光の下問に対し、天海和尚はこう答える。「天佑の貫目、ではないかと」。またこうもいう。「天運は生まれながらにして人の生に宿る決まり事で、寿命などをはじめとするものにござりまするが、天佑はその人の才や努力の上に積み上げられていくものにござりまする」と。

第四次の戦いは、香坂昌信の籠る海津城の目の前を横切るように、上杉軍が妻女山へと布陣することで幕を開ける。戦の定石を外した意表を突く布陣に、狐に摘まれた様な武田軍。おっとり刀で甲斐から進軍した信玄は茶臼山に登り、盆地を挟んで上杉軍と対峙する。碁の用語である真似碁のように睨み合う両者。その膠着状態に耐えかね、武田家謀将山本勘助が軍議である策を提案する。それは、背後から妻女山を衝く、キツツキ戦法。軍議の末、その案は容れられ、武田軍は動き出す。そしてそれは謙信公にとって思う壺であった。

戦は動き、軍勢を二手に分けた武田軍は、険しい山を背後を衝くために移動する。そして、それを予期した上杉軍は、半分となった敵勢力を渦を描きつつトグロを巻く龍蜷の陣で待ち受ける。上杉軍の半分に満たない武田軍が、上杉軍の本隊に襲い掛かられる。その危機を察した信玄公の弟信繁は、圧倒的不利な状況に戦慄しながらも武田軍を身を挺して守るため、上杉軍の名将柿崎景家との一騎打ちにまで持ち込む。

この柿崎景家と武田信繁の一騎打ちの場面は、本書のクライマックスといってもよい。そのぐらい素晴らしい。闘いの気の流れ、体術の冴え、戦地の駆け引き、そして真に相手を強敵と認めた男たちにだけに通い合う闘気。これらが凛として文に満ちわたる様は、私を恍惚とさせた。私にとってこの場面は、今まで読んだすべての小説の一騎打ち場面で筆頭と推したい。それほど魅了された。闘いも見事ならば、破れた信繁と勝った景家が互いに名乗りを挙げる様、景家が止めを刺す場面もまた見事。

戦局は、もぬけの殻となった妻女山へ向かった武田軍の半隊が戦場に遅れて合流し、武田家がぎりぎりのところで巻き返す。ここまでの戦いで十中八九負けを覚悟した信玄公が、ぎりぎり胆を据わらせ、腰を構えたことで運気を武田家に引き寄せる。その場面の心の動きも、戦国時代きっての戦上手と言われた信玄公の凄味を良く著している。

謙信公は、武田家の別働隊が合流するまでの間に武田軍を殲滅できなかったことで、勝機が自らの手から逃れ去りつつあることを悟る。そして、その期に及んで、乾坤一擲の策を打つ。そのためにも、謙信公は戦いの序盤から、自らの特徴的な装束を着せた武者多数を戦の中に放つ布石を打っていた。すなわち攪乱策。そして最後の一手は武田軍本陣への謙信公自らの単騎討ち入り。信玄公に肉薄した謙信公の刃は、紙一重で信玄公の喉をかすめる。

「-されど、余は生き残っている。天が、・・・天が余命を与えてくれたのか!?」

余りに一瞬の交錯。両雄の日本史に残る一騎打ちは、本書では2ページでまとめられている。が、上に描いた信玄公の独白が全て。優れた描写の多い本書において、この場面も繰り返し読むに耐える場面である。それでも尚、私としては、柿崎景家と武田信繁の一騎打ちの場面に軍配を上げたい。

終章、天海和尚は三代家光に問われる。本当に一騎打ちはあったのか、と。信玄公と旧知の天海和尚は、戦の後、養生中の信玄公を訪ねて一騎打ちの真相を問うた、と伝承にある。そして信玄公の答えはなかった、と。しかし天海和尚は云う。あの戦い全体が両雄の一騎打ちのようなものではなかったか、と。そしてその戦いののち、両雄の間には義縁が生まれたのではないかと。川中島の戦い後、戦場で勝鬨を挙げたのは武田軍で、両軍問わずに死者を弔っている。それを意気に感じた謙信公は、有名な敵に塩を送るの故事を実行し、塩の欠乏に困る武田軍に塩を送っている。また、信玄公は死の直前、後継ぎの勝頼公に、何かあったら越後を頼れとの遺言を残している。

結果、天海和尚は徳川将軍に、軍学として甲州流を採用することを進言する。越後流は、天才の孤高の戦術であり、多数の民を収める江戸幕府にはふさわしくない、と。ここで、我々読者は悟るのである。江戸時代と戦国時代の本質的な違いに。そして、この裁定をもって両雄の優劣を問うこともまた、無意味なことに。

初めからしまいまで、一部の隙もない刃に追い立てられるように、一気に読み終えられるのが本書である。

‘2015/10/12-2015/10/17


翔る合戦屋


第一作の「哄う合戦屋」で鮮烈なデビューを果たした石堂一徹。巻末で、落ち延びる遠藤軍を追う仁科盛明の軍勢を山間の狭間で止めようとする一徹と六蔵。若菜の為なら命をも顧みない男気溢れる結末は、強烈な印象を残した。

第二作と第三作の「奔る合戦屋」上下巻では、時代を遡る。そこでは遠藤家に仕官する前の一徹が描かれる。村上義清の配下にあって、若き一徹は村上軍の中でも戦上手の伝説を作り上げていく。しかし、理に勝ち過ぎ周りが見え過ぎる一徹の戦略は、主村上義清の戦術を凌駕するに至り、主従間の溝は大きくなる一方。ついに、一徹の戦略を苦々しく思っていた村上義清は独断で武田軍に小競り合いを仕掛ける。そこには折悪しく一徹の愛する朝日と子供たちと一徹子飼いの郎党として手塩にかけて育て上げてきた三郎太がいた。

主村上義清の器を見限り、放浪した挙句、一徹が辿りついたのは遠藤家の領地。そこから、第一作の「哄う合戦屋」に繋がる。

そして、本書は第四作「翔る合戦屋」である。第一作の終わりで一徹と六蔵は仁科勢を食い止めようと死地に身を投げる。しかし仁科盛明は遠藤家を追ったのではなかった。それよりも、遠藤家の武名を一手に負っていた一徹を武田家に招きたいという。しかし、一徹は「故あって武田家に帰参することはできない」と云う。著者が第一作「哄う合戦屋」の後に第二作、第三作で一徹の過去を語った理由はここにある。妻子を武田家配下の者どもに殺された一徹が武田家の旗下に参ずることはありえない。そのことは「奔る合戦屋」上下巻の読者にはたやすくわかることだ。つまり第一作の後に一徹の過去を語った後でなければ、続きは書いてはならないとしたのだろう。なお、本書では他にも「奔る合戦屋」上下巻を踏まえた記述が出てくる。なので、本シリーズは書かれた時代順ではなく、刊行順に読むのが正しい。

第一作では、遠藤家の主君吉弘は戦で一徹と張り合おうとする。挙句、豪族連合軍があっけなく仁科軍の裏切りにあって瓦解すると、己の愚を悟る。そして一徹に許しを請うとともに、若菜を一徹にやると云い捨てて逃げ去る。

晴れて夫婦となることを許された一徹と若菜は、仮祝言を挙げて閨を共にする。若菜は朝日がかつてそうだったように、一徹の賢夫人として輝きを増す。一徹が調略で得た仁科盛明の家族の懐にも入り込み、そのカリスマ的な魅力の本領を発揮する。一方、中信濃(安曇郡全域と筑摩郡北部)に領地を得た遠藤家は、来たる武田家の侵入に備えて領地経営に精を出す。一徹もまた、門田治三郎に銘じて攻城車を作らせるなど、戦の準備に余念がない。

内政と軍事の準備を進める中、一徹は外交にも気を配る。そして、かつての主君村上義清の許へ向かう。武田軍との戦いに備え、遠藤家と同盟するよう意を尽くして語る為だ。9年ぶりに訪れた石堂村、父や兄との邂逅の様子などが描かれる。このシーンもまた「奔る合戦屋」上下巻を読んでいないと分かりにくい。

物語はやがて風雲慌ただしくなる。武田家の侵攻が迫るのだ。そこでは一徹の戦略が功を奏し、武田晴信は砥石城攻略に拘った挙句に、多大な時間と将兵を喪うことになる。世に言う「砥石崩れ」である。しかし、その機に乗じて村上義清は晴信本人の首を獲ることに失敗し、晴信は何とか本拠に逃げ帰る。

晴信が叩かれたその隙に深志城を奪取することを画策する一徹。深志城とは今の松本城のこと。大きな濠が特徴的な名城である。おそらくは当時も濠があったのあろう。その濠を攻略するための攻城車が図に当たる。武田軍の拠点としての深志城をあと一歩のところまで追いつめる遠藤軍。しかし、晴信が放った苦し紛れの流言策があたり、晴信が攻めてくるとの恐怖心に慄いた村上義清の離陣によって、深志城奪取はならなかった。

それによって、信濃制覇目前にして大魚を逃した一徹は、深く自信を喪失する。そして煩悶し、己の生き方について深く考える。

一徹が至った結論は、軍師廃業である。では何を生業とするのか。それが、第一作から一徹の特技として再三出てきた木彫の技である。おそらく著者は第一作で一徹を登場させた時から、この結末を見据えて書き継いできたのではなかろうか。

一徹は己の後半生を軍師ではなく木彫師として生きようと決意する。その落ち着き先は越後。この当時の越後と云えば上杉謙信がすぐに想い出される。この時はまだ長尾景虎と名乗っており、越後国内の統一もままならない状態。だが、一徹は景虎の中に己に似た軍才を見出し、景虎もまた一徹を伽衆として己の領内に取り込もうとする。なお、本書の舞台は天文十九年。天文十九年は川中島の第一次合戦が戦われる3年前である。つまり本シリーズは川中島合戦のプロローグでもあるのだ。本書を読んだ方には、川中島合戦で軍神と呼ばれた上杉謙信の背後に一徹の影を見るはずだ。

以降、一徹は己の果たしえなかった夢を越後の虎に託し、若菜と共に物語から去る。そして遠藤家の面々や仁科家にもきちんと落とし前をつけて本シリーズの幕を引く。実にあざやかとしか言いようがない。かつて一徹は朝日や若葉、桔梗丸や三郎太を亡くした。同じ轍を踏まない結末は、なるべく簡潔に戦を収める一徹の面目躍如と云えよう。

後書きで著者自身が明かしているが、史実に残る武田晴信、村上吉清、仁科盛明の動きと、本書で書かれた彼らの動きには些かの矛盾もないという。史実を歪めず、その上で史実の間隙を縫うかのようにして、一徹や遠藤吉弘、若菜といった架空の人物を自在に動かす。このことがどれほど賛嘆されるべき仕事かは、一言で語りつくせない。とにかく賞賛の念しか浮かばない。実に素晴らしい。

また、第三作「奔る合戦屋」下巻のレビューで、本シリーズの魅力について書いた。それは、組織の中で才を持ち、かつ、上を持ち上げる生き方のできない男の悩みを掘り下げていることだ。つまり、組織でうまく立ち回ってゆけない男の不器用さへの共感が本シリーズには満ちているのである。その男とはもちろん一徹を置いて他にない。

本書の結末の一徹の軍師引退、木彫師としての転身からは、脱サラという言葉が連想される。組織を抜けて自分の得意な仕事をして生きていくことは、サラリーマン諸氏にとって憧れだろう。脱サラを単なる現状からの逃避として考えるのであれば、決して良い結果は産まない。しかし、一徹のように真摯に悩み、その結果自らを縛り付けていた価値観の殻を破った結果であれば、きっと成功するはずだ。深志城攻略に失敗した後の一徹は、まさに軍師という固定観念の殻を破り、木彫師という立場へと翔けようとする。まさに翔る合戦屋である。

精々が出家といった選択肢しか持たなかった当時の戦国武将の転身として、本書で書かれた結末は或いは突飛なものかもしれない。しかし、そのような余生を選ぶ主人公が描けたのは、最初から一徹を創造した著者に与えられた特権ではないだろうか。ただし、その特権を活かして続編といったことは控えて頂きたいものだ。本書のラストは物語の続きを仄めかしているが、素直に戦塵から身を洗い、木彫師として一徹に生きて欲しい。私はそう思う。

‘2015/01/25-2015/01/28