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忍びの国


本書を読み終えて一年たったが、全くレビューが書けていなかった。そうこうしているうちに、本書が映画化され封切りされた。本書のレビューもアップしなければならない。そんなわけであわててレビューに取り掛かった。

私が本書のレビューを書かなかったのは、面白くなかったからではない。むしろ逆だ。面白いからこそ、いつでもレビューが書けるとの油断があった。

なんといっても忍者だ。そして本書で扱われているのは天正伊賀の乱だ。つまり織田信長と伊賀者の国をかけた戦いが描かれるのだ。面白くないわけがない。痛快無比な忍術小説というのは、本書のような小説を指すのだろう。実際、さまざまな時代小説を読んできた中で、本書ほど忍術が魅力的に書かれた本は読んだことがない。

火遁や土遁、水遁の術は有名だ。ほかにも本書には多彩な忍びの術が描かれる。たとえば水面に土器を浮かせ、それを足場に水をわたる術。密かな会話を行うための葉擦れの術。人の通らぬ道を選んで這い進むため土の塩味を察する鶉隠れの術。縄抜けのため、全身の骨を変形させる術。ほかにも身代わりの術や手裏剣など、忍術の魅力的な部分がこれでもかと登場する。とても面白い。本書の忍術に関する記載の前後には「正忍記」「万川集海」から参照された旨が載っている。これらは江戸時代に書かれた忍術をまとめた本だ。本書はこれらの忍術本を縦横に活用して描かれている。忍術だけではない。本書が引用する書籍はそれ以外にも多数ある。天正伊賀の乱を描いた「伊乱記」「信長公記」「甲子夜話」など多数の書籍が引用されている。本書巻末には参考文献のリストが載っているのだが、感心するのはそれらがすべて一次資料であることだ。孫引きではなく、一次資料をあたって書かれた本書は、当時の伊賀者が生き抜いた非情な世界と、そこで生き抜くために鍛錬を重ねた伊賀者を生き生きと描く。

伊賀とは古来から土壌が農業に向かず、山あいという地勢もあって複数の小領主に治められていた地。それでいて周辺諸国からは自衛する必要に迫られていた。そんな土地柄は、伊賀者の独特の文化や死生観を育んできた。伊賀者が宿命として背負った戦の世に生きる背景を、本書はきっちりと書いている。それでいて、本書はステレオタイプな伊賀忍者を描くのではなく、魅力的に忍びの者を描いているのがいい。

主人公の無門は伊賀一を自負する忍びの達人だ。だが、安芸からさらってきたお国には全く頭が上がらない。稼ぎが少ないと詰られては、家を乗っ取られる始末。夫婦の契りすら結ばせてもらえない状態だ。めっぽう強い忍びの達人が、家では妻に尻に敷かれているという設定がとてもいい。組織に頼らない一匹狼で、自分の技には自信を持っていて、金稼ぎには興味がない、それでいて妻を思う気持ちが強いところ。人物が深く彫りこまれ、魅力的に描かれているのだ。

門の尻をひっぱたくお国もまたいい。武家の娘でありながら金にがめつい性格として描かれている。が、本書の肝心なところでは、肝の据わったところを見せ、金よりも男の誇りを選ぶよう無門を導く。金と美貌だけで結びついていたように見えるこの夫婦が、戦乱の中で互いの魅力に気づきあうのも本書の魅力といえよう。

本書には猿飛佐助のモデルともいわれる下柘植の木猿、後年石川五右衛門として名を世に知らしめる文吾、武の大義を信じそれに従う日置大膳、伊賀に生まれながら、人を人と思わぬ伊賀の酷薄さに嫌気が差す下山平兵衛、伊賀棟梁として信雄軍に対峙する百地三太夫、本書の敵役であり、伊賀者の反撃に敗戦の責を受ける織田信雄などが登場する。それぞれの人物がとても魅力的に描かれている。

史実では天正伊賀の乱は一次と二次があったという。一次では伊賀が勝ち、二次は織田信長自らの軍勢に伊賀は殲滅される。一次の戦いはなぜ起こり、いかにして伊賀軍は信雄軍を退けたのか。二次ではなぜあっさりと負けてしまったのか。一次の戦いで無双の戦いぶりを魅せた無門は、二次の戦いでは何をしていたのか。

そういった込み入った事情が、著者の鮮やかな筆さばきによって明らかにされる。もちろんそれは史実そのものではなく、著者の脚色や解釈が加えられたものだ。だが、歴史とは、史実に表れていない人々が織りあげる微妙な綾が作り上げていくものではないか。多分、無門は史実には残っていない著者の創造した人物だろう。だからこそ、説得力があるのだ。なぜなら忍びとは世を忍んでこそなんぼ。棟梁でもない限り、後世に名を遺す忍びとは、真の忍びではないからだ。

今のところ、映画版を見に行く予定はない。嵐の大野君が主演するというから、多分無門役を演ずるのは大野君なのだろう。このような無門が映画版ではどう演じられるのか。それはそれで興味はある。

‘2016/07/04-2016/07/06