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地方消滅 東京一極集中が招く人口急減


わが国をめぐる問題を挙げろ、と問われて答えをいくつ思い浮かべられるだろうか。私はすぐに十以上は用意できると思う。
では、その問題の中ですぐに解決策が見いだしやすく、しかも今のわが国に悪い影響を及ぼしている問題を一つ挙げろと言われればどうだろう。
その場合、私は東京への一極集中を挙げる。

本書にも書かれている通り、都心への一極集中は地方から人を一掃し、消滅の危機に追いやっている。
そして、都心の機能は3.11の時に如実に現れたとおり、飽和の極みにある。このまま問題を放置しておけば悪い事態に陥るのは確実。
だが、一極集中への解決策は他の問題(国防、少子化、移民、地震、感染症、温暖化、宇宙からの災厄、人工知能、遺伝子)に比べるとまだ対策のしようがあると思う。少子化をのぞいた他の問題は日本だけでは難しいが、一極集中は国内でどうにかできる問題だからだ。

本書は、このまま手をこまねいていると896の都市が亡くなると危機感をはっきり表明している。そして、それに対してさまざまな打つ手を提示している。
元岩手県知事で総務大臣も務めた著者が提示する現状認識と処方箋は明確だ。白い表紙がおなじみの中公新書で、赤一色の本書の装丁は目立つ。内容もあいまって本書はベストセラーになったという。

だが、こうした危機が迫っているにもかかわらず、国が一極集中へ本腰を入れて対応しているとはとても思えない。それどころかマスコミもこの問題については口を閉ざしているように思える。
おそらく出版・マスコミ業界がもっとも一極集中の恩恵を受け、また、促進してきた当人だからだろう。

だが、新聞離れ、テレビ離れが叫ばれている今、もう既存のビジネスモデルに未来はないと思う。
インターネットは情報の価値を拡散し、都市でも都会でも情報が等しく受け取れるようにしてしまった。
今や、情報に関しては都会の優位性はなくなっている。あえて言うなら、ネットワーク越しよりも対面で会った時のほうが受け取れる情報は多いぐらいだろうか。

なぜ人は都会に出てきてしまうのか。
その理由は、従来から言われていた仕事があるかどうか、に尽きるのではないか。
戦前や戦後、農村から出稼ぎと称して多勢の人々が都会へと出てきた。それが戦後の高度経済成長につながった。そうした成功の体験を今も引きずっているのが日本ではないだろうか。
ネットワークがない時代、情報は都会が独占していた。都会にはチャンスがあり、金が流れていた。だから人々は集まってきた。都会だと仕事につける。地方にはないやりがいが都会にはある。そうした幻想がわが国をいまだに縛っている。

かつての私もそうだった。
兵庫の西宮に住んでいた私は、私が求めていた編集者には大阪ではなれないと思い、東京に出てきた。
もちろん、理由はそれだけではない。
当時、付き合っていた今の妻が東京に住んでいて、しかも歯科大学の病院に勤務していたため、動けなかったという理由もある。

私の場合、東京に出た理由はそれだけだ。東京に対する憧れはなかった。
家から自転車を漕いで1時間で大阪の梅田に行けた。そもそもファッションやビジネスに興味がなかった。
もし妻が仙台に住んでいて、私が望む仕事があれば仙台にだって向かっていたかもしれない。

そういう過去をもっている私だから、今の若者が地方から都会へと向かう理由も分かる。
当時の私と同じような動機だろうと察する。漠然とした都会に対する憧れで東京に出てきて、そして消耗してゆくのだろう。
その理由や幻滅はよくわかる。なので、私は今の若者たちを非難しようとは思わない。
それどころか、そうした若者に対して地方に仕事先が就職先が用意されていれば、都会に来なくてもよいのではないか、と提案したい。

今や、私が上京した頃と違い、ネットワークが日本の全土を覆っている。
仮に地方から都会に出てきたとしても、仕事が終わればスマホとにらめっこしているのであれば、都会に住む意味はないはずだ。稼げる仕事の有り無しの違いにすぎないので。

そして今、職種にもよるが、地方で仕事は可能だ。
私の仕事は情報系だが、ネット会議で大抵のことはケリがつく。仕事の発注から受注、納品までを一度も顧客と会わずに済ませたことも何度もある。

本稿をアップする二週間前には奈良の下北山村に行き、二泊三日でワーケーション体験をした。
コワーキングスペース「Shimokitayama Biyori」のWi-Fi環境が良かったのか、AWSのオンラインカンファレンスに参加し、東京で行われた顧客との会議にもオンラインで参加できた。

また、この体験で、田舎の暮らしはお金がかからないことも知った。そもそもお金を使う場所がないのだ。
都会には刺激的なものが多すぎる。そして、その刺激が仮にネット上のコンテンツで満たせるのであれば、地方でもそれは享受できる。

個人の性格にもよるが、私の場合、二週間に一度、東京や大阪に出られればそれで十分。それであれば地方でも働けるし暮らしていけるめどはついた。

だが、その体験をもってしても、本書の内容を読むにつけ危機感が募る。
本書には今後の人口予測と消滅可能性のある896の市町村のリストも付されている。
そこには当然、下北山村も含まれている。しかもこのリストによれば2010年の下北山村の人口は1000人を超えているが、先日訪れた時点ではWikipediaの情報では800人を割っていた。
日中でもほとんど車が通らない下北山村のメインストリートを思い出すにつけ、「消滅」の二文字が切実に迫ってくる。

本書では国による国家戦略の必要も記されている。
だが、今の国会ではモリ・カケ問題や桜を見る会やその他の大臣の失言の糾弾にばかり時間が空費されている。
そのような足をすくわれるようなことをしでかす与党にも失望させられるし、そうした問題をあげつらうばかりの野党にも期待が持てない。
党利党略や利益誘導より、国家の大計に取り組み、足元をしっかり固めて喫緊の課題に注力してほしいと思う。
マスコミももっともっとこの問題には発言してほしい。旅情を誘う番組もいいが、一極集中の問題の危機感を報道しないと何が報道機関か、と思う。

少子化の問題も本書は一章を割いて取り上げている。そして、都会の生きにくさが子作りの妨げになっていることは確実だ。
保育園落ちた日本死ね!!! のブログが反響を巻き起こしたことは記憶に新しい。これもまた、都会の生きづらさの顕著な例だと思う。
子育てをしながら働ける環境を。企業においてもそうした対策が求められていることは自明のことだ。
もし自社の利益を追求するモチベーションを自社の百年後の存続にあると考えているならば、少子化を甘く見るとそもそも会社のサービスの売り先が消え去っていますよ、と忠告したい。

本書にはさまざまな処方箋が載っている。それらの一つ一つはもっとも。
だが、実際に効果を上げうるかどうかはやってみてはじめて分かる点が多い。
だから二の足を踏むのではなく、今のうちに取り組まなねば間に合わないのだ。
本書には各地に人口流出のダムとなる地を作る対策を挙げている。
たとえば下北山村を例に挙げると、村の若者が外に出るのを防ぐのは難しいかもしれない。だが、その流出先が東京ではなく、熊野市や尾鷲市であれば下北山村にはすぐ戻れる。
そうしたダムになりうる都市を各地に育てていくべき、という提言には賛成だ。
ある程度の経済規模さえ確保してもらえれば、都会の人が地方で転職する際にもハードルは少ない。

本書では、そうしたモデルケースとして北海道を取り上げている。
今、日本で最も過疎化が進んだ地域と言えば北海道だろう。
私もあの原野の雰囲気は好きだが、それが将来の日本全土の景色と言われれば、言葉を失ってしまう。
北海道の中でも札幌だけがダムになりうるのではなく、函館、帯広、旭川、釧路といった都市をダムとして、それ以上の流出を食い止める。本書にはその事例が詳しく載っている。

それでは地域がどのようにして雇用を創出していけばよいか。
この課題は当然、考えられなければならない。今までにも議論は出し尽くされてきている。
本書には地域が活きる6モデルとして、産業誘致型、ベッドタウン型、学園都市型、コンパクトシティ型、公共財主導型、産業開発型が挙げられている。
どれもが可能性があるモデルだと思うが、地域によってどれを選ぶかは、地域の特性にもよるだろう。

本書は最後に増田氏と識者による三つの対談が載っている。
最初は藻谷浩介氏との対談。藻谷氏はかつて私もブログで取り上げた『里山資本主義 日本経済は「安心の原理」で動く』の編者でもある。(a href=”https://www.akvabit.jp/%E9%87%8C%E5%B1%B1%E8%B3%87%E6%9C%AC%E4%B8%BB%E7%BE%A9-%E6%97%A5%E6%9C%AC%E7%B5%8C%E6%B8%88%E3%81%AF%E3%80%8C%E5%AE%89%E5%BF%83%E3%81%AE%E5%8E%9F%E7%90%86%E3%80%8D%E3%81%A7%E5%8B%95%E3%81%8F/” target=”_blank”>レビュー)
二人の結論もやはり今のままでは地方ばかりか日本も破綻するというもの。
さらにお二人は提言として東京に本社を置く必要の意味を問うている。アメリカではニューヨークに本社を置く企業は四分の一だが、日本の場合、七割が東京にあるという。

二つ目の対談は、小泉進次郎氏、須田善明氏と行っている。
小泉氏は政治家として著名だが、須田氏は宮城県女川町の町長であり、東日本大震災で被害にあった町の復興を担当している。
本稿をアップする今、小泉氏の株はかなり下がってしまった。だが、小泉氏が一極集中を問題として認識していることはこの対談でも述べられている。そして今も持ってくれているはずだと期待している。
結局、一極集中の解消を国家戦略として策定し、それを確実に遂行していかなければこの問題は解決しないと思う。
その戦略とは東京オリンピックや大阪万博ではない。地方を主役にしたイベントを誘致するといったことでもない。
たとえば、本社の機能を六大都市以外の都市に移した企業に対しては税務上の優遇措置を与えるとかの策でもあるし、いつの間にか誰も言及しなくなった遷都の問題を真剣に議論することでもある。

三つ目の対談は、慶応義塾大教授の樋口美雄氏と行っている。
6モデルに即した地方の生き残り策を提言しているが、それらを推進するためのリーダーの存在が指摘されている。
まったくその通りだと思う。本当であれば、地方から選出されたはずの国会議員が担うべきことだが、国政や党政を優先させることに汲々としている。

本書を読んで思うのは、考えるよりも実行の必要性だ。
もちろんそれは私や弊社にも当てはまる。
東京に登記し、東京に住んでいる私。働き方を変えることで朝夕の通勤ラッシュを一人分だけ解消させることができた。
ここ数年、地方でも講演する機会も増えてきた。ワーケーション体験に参加し、地方で働き、暮らす可能性も確信できた。
働き方改革を掲げるサイボウズ社のkintoneを担ぐことで、地方の方とのご縁は増えてきた。
そうした実践ができる立場にある弊社と私。だが、それが実体ある生活として地方に還元できているとはとてもいえない。
下北山村へ伺う契機となった紀伊半島はたらくくらすプロジェクトはカヤックLivingさんをはじめとした複数の企業が共同している。そうした取り組みがすでになされている今、私も弊社に協力できることはあるはず。

これから私や弊社に何ができるのか。これからも動いていかねばなるまい。

‘2018/11/13-2018/11/16


脱限界集落株式会社


前作を読んでから一カ月もしないうちに続編を読む。私にとって珍しいことだ。本書はちょうど1カ月前に読んだ『限界集落株式会社』の続編にあたる。

もともと、私はシリーズ物は一気に読まずにはいられないたちだ。だが、シリーズ物を一気に読むことはそうはできない。そのため諦める。そして読む間隔を空けてしまう。だが、本書をたまたま見かけたことで、一カ月もしないうちに続編が読めた。とても喜ばしい。

本書に関心を持った理由は、前作が面白かったこともある。だが、それだけではない。前作も本書も地域活性化が取り上げられていて、私は仕事で多少それらのテーマに関わっている。それが本書を手に取らせた。前作も本書も取り上げられていたのが私自身に興味のあるテーマだったので、本書もすぐに読み始めた。

前作は限界集落の再生がテーマとなっていた。本作は商店街の活性化がテーマとなる。前作で止村に活気を呼び戻した多岐川優。その成功に乗っかるようにTODOMEモールが誕生した数年後が本書の舞台だ。前作でも登場した幕悦町の上元商店街は、TODOMEモールにとどめを打たれシャッター商店街と化していた。そんなのところに降って湧いたのがTODOMEモールの成功に味を占めたコンサルタントによる地域再開発の話。

前作で多岐川優と結婚した美穂は、止村株式会社の経営方針をめぐって夫と対立し、家出している。そして止村株式会社からの出向扱いでコトカフェの主任として腕を奮っている。コトカフェはコミュニティカフェだ。地域のたまり場として何でも受け入れる事を運営方針に掲げている。巨大なTODOMEモールに対抗するコトカフェに何かを感じた美穂がコトカフェに肩入れする。それが優とのけんかの原因だ。

TODOMEモールに加えて降ってわいた再開発計画に上元商店街は二つに割れる。そして長谷川健太、遠藤つぐみ、新沼琴江といったコトカフェの従業員の面々は、美穂とともに上元商店街を再開発の波から守ろうと、TODOMEモールにも負けない店を目指して奮闘を始める。

そもそもTODOMEモールの開発も地域再開発も、裏で暗躍しているのは多岐川優の商売仲間である佐藤だ。だが佐藤の計画の裏にきな臭さをかぎ取った多岐川優は、アドバイザーとして商店街活性化に一役買い、結果的に美穂の側に立つ。

ニートやコミュニティ障害からの脱却、そして勧善懲悪の視点。それは前作から変わらない。その上で商店街活性化というテーマを持ち出した本書は、地に足が着いているといえる。実際、シャッター商店街は地方に行くと頻繁に目にする光景だ。駅前が閑散としているとその地に活気は生まれにくい。シャッター商店街の再生は地域の切実な願いではないか。

ただし、前作もそうだが、本書には地域活性化の視点に人工知能の観点が抜けている。なので、前作と本書で披露されたノウハウがこれからの活性案や限界集落の処方箋として有効かどうかの判断がつかない。いくら優れた案であっても人工知能の示す案のほうが優れている可能性は大いに考えられる。人間の案がより優れた人工知能の案に置き換えられる可能性は高い。だが、人工知能は地域活性化にとっての本質ではないと思う。それよりも、中央集権、大量消費の均一化に抗するための視点を持つことが大切ではないか。その視点は、人間が持てる視点として絶対に必要なはずだ。そこに知恵を使うことが人間と人工知能の共存の未来が占えるといっても過言ではない。

全ては対人のコミュニケーションに掛かっていると私は考える。それが人間社会をよくも悪くもするはず。ロボットや人工知能がいくら世を席捲しようと、コミュニケーションの大切さこそが人間社会にとって生命線であり続けるはずだから。

本書の底に流れている考えもコミュニケーションの大切さにのっとっている。例えばコトカフェがそう。コトカフェを起点に盛り上がる上元商店街の活気は、結局のところ人対人のコミュニケーションに依存している。そして、コミュニケーションのをおざなりに放置したTODOMEモールからは客足が遠のいていく。

ただ、コミュニケーションの力だけでは地域活性化の起爆剤にはなり得ないことも事実だ。本書の結末がそれを示している。なぜなら佐藤側の自滅に頼るしかなかったのだから。本書の結末は、コミュニケーションだけでは地域活性化は難しい事を意図せずして示してしまった。それはもちろん、本書のせいでも著者のせいでもない。人は利便さを優先する。交通の便や品ぞろえや新奇さは、いつの世もコミュニケーションの力を凌駕する。

多分、抜本的な地域振興策は誰にも簡単に思いつくものではないのだろう。私は地域に人を呼び戻すには、逆説的なようだが、人工知能の力を借りねばならない気がする。田舎に住む不便が、人工知能により補われた時か、情報技術が田舎のコミュニケーションの良さとその反面の閉鎖性を良い具合に中和した時。その時になってようやく、人々は都会に人間が集中することのデメリットを感じ、田舎に住むメリットに目を向け移住を始めるのではないか。

となると、結局は人の力など要らないのでは、と思われるかもしれない。いや、そうではない。コミュニケーションの力はやはり必要だ。取りつく島がないように思える田舎のコミュニケーションは、コミュニケーションの一つの在り方であって、そこには違うコミュニケーションが必要なのだ。

、人間には思いもつかない案が人工知能によって提案され、それを運用するにあたってコミュニケーションという基盤があることが重要なのだ。本書から私が得た気づきとはそこに収束される。

‘2017/07/17-2017/07/18


限界集落株式会社


とてもわかりやすいタイトルだと思う。カバー絵も農池の周りに立って談笑する人たちのイラストだ。一目で話の内容と展開がわかるような構成になっている。

実際、本書の内容もその通りの話なのだ。だが、とても筆運びが滑らかで引き込まれる。なにせ、冒頭の一文からすでに、
「マクドもない、スタバもない、セブン-イレブンさえない。」
なのだから。関西人の私は”マクド”のキーワードに即座に心をつかまれた。そして、あっという間に読み終えた。とはいっても、本書は単純に読んで楽しんで終わりの本ではない。それではもったいない。本書には地方創生の課題とそれを解決するヒントがあちこちに埋めこまれているのだから。ニートやサブカルチャー、少子化や就農支援など、枚挙にいとまがないほどだ。

題名からもわかる通り、本書は消滅寸前の過疎地域、いわゆる限界集落の再生がテーマだ。東京でバリバリの銀行マンだった主人公多岐川優が、充電のため父祖の地を訪れるところから本書は始まる。田舎道に似合わないBMWを駆って来た彼は、田舎者の人懐っこさと、分けへだてなく触れ合ってくる環境に溶け込んで行く。そして土地の人々の無垢なこころに何かを感じ、過疎の村を再び蘇らせようと決心する。対立する勢力の懐疑の眼に戦いつつ奮闘する。本書はこれらの流れがとても滑らかに書かれており、無理なく物語に引き込まれてゆく。

著者の作品は初めて読んだが、相当慣れた書き手だと思った。小説のコツを会得しているといえばよいか。農業組合法人の設立や農法、銀行の審査シミュレーションなどの描写も、専門的な枝葉を描いてしまうことなく、人々の語らいや筋の進め方といった読者の読み心地を優先して筆を選んでいる。それらの会話の端々で、限界集落の置かれた状況、課題、諦めとそれに立ち向かう思い、などが周到に描かれる。

本書で描かれた内容は千葉の某所がモデルとなっているらしい。巻末の謝辞にも千葉の農事組合法人「和郷園」の木内氏へ取材協力への御礼が載っているくらいだ。そして本書には舞台となる地が都心部から中央高速で2時間と記述がある。ということは、山梨と長野と群馬の境目あたりか、房総半島の内陸部が舞台ではないだろうか。何となくの予想だけど。

本書が導く過疎化対策の要諦とは、大消費地である首都圏との結びつきに活路を見いだすものだ。おそらくそれが現実に即した現実解なのだろう。本書にも朝に採れた野菜を早朝の首都圏に向けて配送するシーンが出てくる。となると、大消費地が近くにない過疎地はどうなるのか、という疑問が湧く。今、過疎化に悩む地方とは、本書に登場するような場所ではなく、首都圏に遠い、朝一配送などとても不可能な場所のことではないか。

ベジタ坊というキャラクターをブランド野菜に貼り付け、「やさいのくず」と命名してアウトレット野菜を売る。それらのアイデアやブランディングについてはとても面白い。やりようによっては働き甲斐のある仕事だと思う。

だが、本書で提示される過疎化対策が、現実的であればあるだけ、過疎化対策のあるべき姿が見えなくなってくる。そんな気がした。もちろん、本書にその責を担わせるのはお門違い。本書はあくまでも面白く読ませる小説であり、読者は本書から過疎化対策の一端を感じればよいのだ。

本書の内容に関わらず、現実は厳しい。地方の過疎化がとどまる見込みはない。東京にはますます資源も人も金も集中している。田舎暮らしを指向する若者は地方に居場所を求めるが、本書に登場する彼らのような成功をおさめられるのはほんの一部だ。私自身、都会の暮らしに魅力を感じず、暇ができれば地方に目を向けてしまう。だが、それでいながら生活の場を東京に置かねばやっていけないというのも事実だ。地方で何不自由なく暮らそうと思えば、ネットからの収入手段を得なければ厳しい。例えばアフィリエイトのような。

地方では住人も働き手もいない。それなのに都会には生活に張り合いを感じられず、働き口さえ見つからずにあえぐ若者がいる。その不均衡はどう考えても現実の歪みそのものだ。それを是正するためには、本書に登場する多岐川のような一人の人間の能力に頼るしかないのだろうか。どこかに妙手が埋もれているような気がしてならないのだ。

私の知る人にも里山再生をしている方がいる。セカンドライフを農業にまい進する人もいる。田舎の閉鎖性と都会の閉塞性をつなぐだけの人材。そこをつなぐための仕事に長けた人はたくさんいるはずなのだ。

何か、私にできることはないだろうか。東京への依存度は異常だし、地震に対するリスクがあるというのに。本書の内容が読みやすければ読みやすいだけ、本書を容易に読んではならない、もっと深読みせねば、という焦りが生じる。引き続き、私自身も上に書いたようなつなぎ役として役立てることがないかを模索し続けたいと思う。

‘2017/06/18-2017/06/18


長崎の旅 ハウステンボスの魅力について


妻と二人で長崎を旅したのは2000年のゴールデン・ウィークの事です。前年秋に結婚してから半年が過ぎ、一緒の生活に慣れてきた頃。そんな時期に訪れた長崎は、妻がハウステンボスでつわりに気付いたこともあり、とても思い出に残っています。

それ以来16年がたちました。娘たちを連れて行きたいね、と言いながら仕事に雑事に追われる日々。なかなか訪れる機会がありませんでした。今回は妻が手配し、娘たちを連れて家族での再訪がようやく実現しました。うれしい。

2016/10/30早朝。駐車場に車を停め、踏み入れた羽田空港第一ターミナルは人影もまばら。諸手続きをこなし、搭乗口へと。私は搭乗口の手前の作業スペースでノートPCを開き、搭乗開始を待ちながら作業します。家族四人揃っての飛行機搭乗は11年ぶり。ハワイに旅行して以来のことです。実は私にとっても飛行機搭乗は10年ぶりとなりました。今回はスカイマークを利用したのですが、LCC(Low Cost Carrier)自体も初めての利用です。機内ではスカイマークデザインのキットカットが配布され、旅情を盛り上げてくれます。

やはり飛行機は速い。2時間ほどで福岡空港に着陸です。私にとって九州に上陸するのも前回のハウステンボス以来です。心踊ります。ただでさえ旅が好きな私。海を渡ると気分も高揚します。空港のコンコースを歩く歩幅も二割り増し。目にはいるすべてが新鮮で、私の心を明るく照らします。

福岡市営地下鉄に乗るのは20年ぶり。全てが懐かしい。ちょくちょく福岡に来ている妻に交通の差配は任せ、JR博多へ。みどりの窓口でハウステンボス号のチケットを購入し、いざホームへ。お店を冷やかし、パンフレットを覗き、街ゆく人の博多弁に耳を澄ませます。よかたいばってん。旅情ですね。

ホームに降り立つと、フォルムも独特なJR九州の車両群がホームにずらりと並んでいます。その光景に浮き立つ気分を抑えられません。鉄ちゃんじゃなくともワクワクさせられる光景です。もともと妻がJR九州には良い印象を持っていて、ユニークなデザインの車両については妻から話を聞いていました。私自身、ハウステンボス号に乗るのも、ユニークな車両群に会えるのをとても楽しみにしていました。そんな期待を裏切らぬかのように、やがて入線して来たハウステンボス号は、二種類の異なる車両が連結されていました。ハウステンボス号にみどり号が連結されているのです。

家族揃っての鉄旅は良いです。かつてスペーシアに乗って日光に行った事が思い出されます。本当はもっと何度もこういう旅がしたかったのですが。ま、過ぎた事を言っても仕方ありません。

鳥栖から長崎方向に転じたハウステンボス号は、佐賀の主要駅に停車していきます。私にとってなじみのない佐賀の駅はそれぞれの地の色あいで私を迎えてくれます。吉野ヶ里遺跡らしきものが見え、世界気球選手権大会が線路側で開催されています。有田では街に林立する窯の数に目をみはります。旅情です。旅です。

私は家族と会話したり、車窓をみたり、国とりゲームをしたり。そして、飛行機に乗っている時から読み耽っていた「ナガサキ 消えたもう一つの「原爆ドーム」」を読み切ったり。この本のレビューは、いずれ読読ブログでもアップする予定です。本を読み終えた翌日、家族で長崎の街を歩いたのですが、この本を読んでおいたことは、長崎の街を歩くにあたって得るものがたくさんありました。

早岐の駅で佐世保に向かうみどり号から切り離され、ハウステンボス号は運河沿いを走ります。そして間も無くハウステンボス駅に到着。駅から、運河を挟んでそびえ立っているホテルオークラJRハウステンボスが見えます。ここからのハウステンボスはとても映えます。写真を撮りまくりました。期待が高まります。

私は今回でハウステンボスに来るのは3回目です。そして、ハウステンボス駅を利用するのはたぶん初めて。小ぶりな駅ですが、駅舎の面構えからしてハウステンボス感を爆発させています。これは駅鉄として、駅の全てをくまなく撮らねば。

入り口に向かったわれわれですが、実はまだこの時点で入園券を買っていませんでした。宿泊するウォーターマークホテル長崎・ハウステンボスのみ予約済の状態。16年ぶりの訪問は、正面から見て一番奥にあるホテルへの行き方もすっかり忘れてしまっています。正門から宿泊者用通行券のようなパスを使って入場すると思ったら、そんなものはないとのこと。外をぐるりと回るか、送迎バスに頼るしかないとか。結局、着いて早々、ハウステンボスの外周を送迎バスで回ってから中に入ることになりました。

前回来手から16年。ハウステンボスは波乱の年月を潜り抜けたといいます。一度は会社更生法が適用されたとも。そんな状態からHIS社のテコ入れで復活し、今や日本屈指のテーマパークになった経緯は、まさにカムバック賞もの。何がそれほどハウステンボスを復活させたのか。どれほどすごくなったのか期待していました。ですが不思議です。正門や外周からみたハウステンボスにオーラが感じられないのです。ディズニー・リゾートのように、エリアごと夢と魔法の世界でラッピングしたような演出には出会えずじまい。統一感がなくバラバラな世界観が散らばっているように思えます。

ホテルでチェックインすると、内装はさすがに洗練されています。今回チェックインしたウォーターマークホテルには、前回も泊まりました。その時はたしかホテルデンハーグという名前だったと覚えています。多分ハウステンボス自体の経営権が移った時に名称を変えたのでしょう。なので、ホテルの中では特段違和感を感じることはありませんでした。でも、ホテルを出て、ハウステンボス方向に向かうと何かが違うのです。このエリアはフリーエリアになっていて、ゲートを通らずに楽しめます。石畳に旅情あふれる欧風の建物が並んでいます。それは、異国情緒を感じさせます。ですが、よくよく見ると建物に入居しているのはココカラファインだったりします。観光土産屋さんが長崎の名産品や地域限定商品を陳列しています。建物の飾り付けも自由気まま。好きなように各店がポップを掲出し、幟を立てています。ディズニー・リゾートのような統一された世界とは対極です。おしゃれな道の駅? のような感じさえ抱きます。

それでも我が家は、見かけた佐世保バーガーのお店に入ります。うわさに聞く佐世保バーガーとはどんなんや?うまいっ!旅の疲れが佐世保バーガーで満たされ、気分も上向きます。

が、せっかく上向いた気分も、北に向かって歩いて行くにつれ、違和感に覆われていきます。レトロゲームの展示コーナーがあります。ここでは私も懐かしいゲームを何プレイかしました。でも、ゲームをやりにハウステンボスに来たわけやない、と違和感だけが募っていきます。海辺のウッドデッキをあしらったような場所には、ONE PIECEをあしらった海賊船が停泊しています。そしてウッドデッキにはフードを深々とかぶった謎の人物、フォースを使いこなしそうな人がのろのろと歩いています。この何でもありな感じは、かつて私がきた時の印象とはあまりにも違っています。ディズニー・リゾートの統一された世界観に慣れた我が家の全員が同じ感想を抱いたはず。ハウステンボスって、ショボくねぇ?という。

モヤモヤした感じを抱きながら、入場券をかざしてゲートを潜ります。ハウステンボスのランドマークともいうべきドムトールンを見上げつつ、跳ね橋を渡るとそこはハウステンボスの中心部。先ほど見た謎の人物にも似た妙な通行人がどっと増えます。そう、今日はハロウィーン前日。街中が仮装であふれています。ハロウィーンがアメリカではなく欧風の街並みに合うのかどうか。それはこの際大した問題ではありません。でも、欧風な街並みに洋風の仮装をした通行人が増えたことで、フリーエリアで感じたショボさがだいぶ払拭されました。でも、何でもありな感じは変わりません。お化け屋敷やARのホラー体験のアトラクションがあり、屋外のトイレは惨劇を思わせる血糊で汚されています。

一体どこに向かえばいいのか、行くあてを見失いそうです。それでも事前に下調べしておいたチョコレートの館や、チーズの館、ワインセラー、長崎の名産物などのアトラクションを巡ります。フリーチケットで入場したとはいえ、追加料金が必要となるアトラクションには結局入りませんでした。ただ、広大な敷地を移動し、道中の景色や種々のバラエティに富んだのぼりや掲示をみていると瞬く間に時間は過ぎて行きます。ハロウィーン期間ということもあって、巨大なイルミネーションが園内で展開されています。長崎ちゃんぽんを食べ、SF映画に顔合成された私たちを登場させてくれるアトラクションや、AAAのホログラムコンサートなど、技術の粋を惜しみなく注いだアトラクションには驚かされます。そんな風に過ごしていると、閉園時間が近づいてきます。結局、園内のかなりの場所を訪れることはできませんでした。北側の風車付近や、マリーナ、庭園や美術館の地区など。

広い園内と、雑多過ぎるほど統一感のない世界観。それでいながら、オランダを模した建物が林立する中、建物を縫うように石畳の街路が縦横に広がります。パトレイバーの等身大像や、運河を挟んだ建物の側面に映し出されたプロジェクションマッピングで太鼓の達人が遊べるアトラクション。徹底的に世界観の統一を拒むかのような園内。飽きるどころか、ほぼ並ばずにアトラクションを訪れていても、遊びきれていない満腹感とは反対の感覚。園内で感じた統一感のなさは、マンネリ感や既視感とは逆の感じです。それはかえってハウステンボスの巨大さを知らしめます。

ところが夜になると印象は一変。イルミネーションが園内に点灯し、統一感のある光で満ち溢れるのです。その素晴らしさは、ドムトールンに登って園内を見下ろすとより鮮やかになります。園内がマクロなレベルで統一されています。日中に見えていたオランダ風の街路や建物は、イルミネーションの影のアクセントとして存在感を増します。光の氾濫は眼をくらませるようでいて、その裏にある街路や建物の存在をかえって主張しています。

ここに至って私のハウステンボスへの認識は改まりました。フリーエリアで抱いたショボいかも、という認識。これはハウステンボスの目指す方向を見誤っていたことによるものだと気づいたのです。

ハウステンボスの目指す方向。それは、統一感のある世界観とは逆を向いています。つまり、東京ディズニー・リゾートの作り上げる夢と魔法の国からの決別です。ディズニーキャラの住むカートゥーンの世界観。それは東京のディズニー・リゾートがガッチリと抑えています。大阪のUSJもそう。ハリウッド映画の世界観が大都市からすぐの場所で楽しめる。

たぶん、かつてのハウステンボスは、オランダの異国情緒を体験できるとの触れ込みで統一感のある世界として創りあげられたはずです。しかし、長崎という日本のはしでは無理があった。ではどうすればいいか。HISはハウステンボスが日本の周辺に位置しているという条件を逆手に取ったのです。そして、それにふさわしい方針転換をしたのだと思います。すなわち、なんでもありの世界。統一感のない世界の実現へと。

何度も東京ディズニー・リゾートに行っていると、統一された世界観に、次第にマンネリズムを感じていきます。いくら趣向を凝らしたディスプレイで飾られていても、しょせんはディズニーキャラの世界。世界観が強固であれば、そのぶん閉塞感も増します。春夏秋冬、季節ごとにイベントで色合いを変えても、ディズニーキャラの世界観の延長でしかありません。それは、観客の達成感や飽和感につながります。ハウステンボスは、世界観に左右されないがため、逆に自由な発想が展開できます。オランダ風の建物や路地はただのベースに過ぎないのです。

逆説的ですが、そのことに気づいた時、私は最近のハウステンボスが盛り返している理由をおぼろげに理解したように思いました。ディズニー・リゾートと同じ土俵にあがらず、統一感をあえて出さずに勝負する。そして訪問客に満足感を感じさせない。それが、次なるリピートにつながる。実際、ハウステンボスをくまなく訪れられなかったことで、かえって園内の広さに満足感を持ったくらいなので。聞くところによれば、USJも雑多ななんでもありの路線を打ち出し始めているようです。上に書いたように従来のUSJはハリウッド映画の世界観で統一していました。でも、今は何でもありの世界観を出すことで、ディズニー・リゾートと一線を画しています。そしてディズニー・リゾートを凌駕しつつあります。成功の理由とは、世界観の統一を放棄したことにあるといってもよいのではないでしょうか。いまや、世界観の統一という満足だけだと、訪問客に見切られてしまうのでしょう。

地方を活性化するヒントも、ここにあります。田舎の何でもあり感は、洗練されたスタイリッシュな都心に住んでいるとかえって新鮮です。都心は、人が多すぎる。それゆえに、固定客をつかめば経営が成り立つのです。固定客とはつまり世界観が確立している店へのリピートです。つまり、都心では世界観を固定させることが繁盛へのキーワードだったといえます。しかし、ハウステンボスは田舎にあります。田舎で都会並みの統一感を出したところで、都会の人間にははまらないのです。オランダの街並みがはまった人にはリピーターになってもらったでしょうが、そうでない方には世界観の限界を見切られてしまいます。それこそが、当初のハウステンボスの凋落の原因だったと思います。すでに都会の世界観に疲れている私には、ハウステンボスが展開するこのとりとめのなさが、とても魅力的に映りました。そして、東京ディズニー・リゾートのような感覚で、テーマパークを当てはめてしまっていた自分の感性の衰えも感じました。

すでに寝静まろうとしている店を訪れ、少しでも長く多くハウステンボスを経験しようとする我が家。ホテルに一度戻り、娘たちを寝かせた後、夫婦で再びハウステンボスに戻ります。フリーエリアと有料エリアを分ける跳ね橋のそば。ここに、深夜までやっているbarがあります。「カフェ ド ハーフェン」。16年前もここに来ました。そして妻はジン・トニックの味が違うことにいぶかしさを感じました。それはもちろんつわりの一症状でした。このbarにはそんな思い出があります。今回、大きくなった娘たちを連れて来たことに万感の思いを抱きつつ、結婚生活を振り返りました。そして、16年ぶりのハウステンボスが、世界観を変えてよみがえったことに満足しつつ、お酒を楽しみました。

また、訪れようと思います。


駅を街のランドマークとする発想に物申す


のっけから、私の故郷の話で恐縮です。今年になって相次いで甲子園近隣の駅のリニューアル工事が話題に上がっています。

JR甲子園口駅は7/7から新駅ビルが供用開始となったそうです。
西宮経済新聞より
阪神甲子園駅は工事完了が来年末予定ですが、5月の連休に訪れた時は、すでに屋根が出来上がっていました。
西宮経済新聞より
これは2014/12月に実家に帰った際に撮影した建設途中の駅です。
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今年は夏の甲子園がはじまって百年目の記念すべき年。甲子園球場を擁するわが故郷として、これを機に一新したい気持ちも分かります。分かりますが、私にとってこのニュースから感じるのは寂しさのみです。

その寂しさとは、駅を街のランドマークとする発想に対してです。その発想は、今の日本を覆う安直で軽薄なそれと同じです。日本のランドマークとして君臨するのはイケイケな東京です。そして、ランドマークの地位におさまったまま、私のような地方人を集めてますます肥え太り、その安直な発想の下、麻痺しつつあります。東京は麻痺する日本の象徴とも言える場所になっています。今回の駅の建て替えニュースからは、それと同じ匂いが漂ってきました。東京に住む私は、甲子園がよりによって東京の悪しき発想をまねたことに寂しさを感じます。故郷が遠くなっていく無力感すら覚えます。

私の故郷西宮は、大阪神戸の中間に位置しています。ベッドタウンとして日本有数の規模を持ちながら、静かな住環境が保たれていました。ここ100年の時間軸で眺めると、球場は二つ、競輪場は二つ、競馬場も二つ。日本酒の醸造所は多数、アサヒビールやニッカウヰスキーの工場も立ち並んでいました。いわば、「飲む」「打つ」の男のロマンを備えた街が西宮です。そんな環境にありながら、西宮七園を代表として閑静な住環境が整っていることは、凄いことです。しかも、山あり川あり海あり池ありと自然さえも豊かに揃っています。こんな街、日本を見渡してもそうそうありません。たぶんどこに住もうとも死ぬまで西宮が一番だと云い続けるでしょう。l

かつて、落語家の露乃五郎さんは西宮を称してこう言いました。「ヘソのない街」と。ヘソとは街のランドマーク、自他共に認める中心地を指します。西宮の場合、それがありませんでした。もっとも、そう書くと誤解を受けそうです。甲子園球場、阪神パークを中心とした甲子園駅付近、阪急西宮球場を擁する西宮北口駅付近、西宮戎神社の門前町である阪神西宮駅付近。ランドマークぎょうさんあるやないかい、と。しかし、これらは西宮にとって唯一無二のランドマークとはいえません。これらは三ヶ所に分散しています。しかも通年営業の商業施設ではないため、特定の時期しか人を集めません。ランドマークとは、年中人が集まる場であり、その地域のオンリーワンの場所を指します。これら三ヶ所をヘソと呼ぶことはできないのです。

このバランスが崩れたのが阪神・淡路大震災です。震災復興の名の下に、西宮北口駅付近が一新されました。西宮球場は解体されて阪急西宮ガーデンズとなり、買い物客で賑わいを見せています。また、甲子園球場こそ健在ですが、阪神パークはららぽーと甲子園となり、キッザニア甲子園という目玉施設を中心に、多彩な店舗が集うショッピングモールとして賑わっています。阪神西宮駅は、高架化に伴いエビスタ西宮という駅ビルに生まれ変わりました。

これら三施設に共通するのは、通年集客の考えです。つまりはそれぞれの地が、わてこそ西宮のヘソにふさわしいねん、と名乗りを挙げたわけです。しかし、三施設とも一言で云えばショッピングモールに過ぎません。ショッピングモール三つできた所で、三すくみとなりかねません。いや、事実そうなっているように思えるのは私だけでしょうか。結果、西宮のヘソを作るどころか、ヘソのない街西宮の良さが却ってボヤけたように思えてなりません。しかもJR西宮駅前にも、臨港線沿いにも商業施設があちこちその図体を晒しています。東京から故郷に帰る度、西宮が平凡な街に変わりつつある、そんな寂しさに駆られていました。そこに来てこのニュースです。JR甲子園口駅は、私の幼少期より変わらぬ佇まいの駅でした。それが数年前から徐々に変わり、ついにはこの度の駅ビル完成と相成りました。阪神甲子園駅も、球場の大鉄傘をモチーフとした屋根付き駅に変わりつつあります。私が帰省する度、故郷に帰ってきたと実感させてくれる駅はもうありません。我が故郷の駅よいずこ。

これが故郷を出ていった者の身勝手な郷愁であることは理解しています。私が文句を言う筋合いもなければ資格もないことは承知の上です。

でも寂しいんです。悔しいんです。誇るべき故郷がよりによって東京の悪しき構図を真似たことが。

確かに阪神甲子園駅は通路も狭く、老朽化が進み、施設キャパオーバーになっていたことは認めます。春夏の高校野球ファンや、六甲おろしをガナる愛すべきトラキチ達をこれからも運び続けるためには必要な改修なのでしょう。でもこの改修によって、甲子園駅の下を潜る甲子園線のガード下に残っていた、私が二歳の時まで走っていた阪神電車の路面電車の遺構も消え去ることでしょう。JR甲子園口駅の北側駅舎は1934年の開業当時の風格を残していました。でも、先年のバリアフリー対応の通路付け替え工事は駅ビル建て替えまで進み、あえなく解体されてしまいました。これら駅の記憶も今や、時代の中に消え去ろうとしています。新しい駅ビルは阪神間モダニズムを体現したデザインになっているとか。とはいえ、私が故郷の駅と認識するにはまだまだ時間がかかりそうです。

両駅の建て替えは夏の甲子園百年記念という理由だけで建て替えられたように思えてしまいます。日本にあまねく知られた、西宮が誇る甲子園球場。類まれなランドマークを持ちながら、さらに駅を建て替えてランドマーク化することに寂しさが募る一方です。そう思うのは、故郷を離れた私だけなのでしょうか。

駅をランドマークに見立て、集客を期待する。この構図は、日本にとっての東京と同じです。日本の代表的な都会東京に投資、人口を集中させ、東京を日本のランドマークとする。最近では、ランドマークの中に駄目押すかのように新国立競技場というランドマークを建てようとしています。

ただでさえ一極集中が進み、地震リスクの高まる一方の東京。かつてはさみしい寒村だったこの地は、日本の繁栄を誇示するかのように飾られ、デコられ、ハコモノ展示場のランドマークと化しています。それらを縫って、定時運行すら危うくなってきた寿司詰め電車がひっきりなしに行き来します。

もう、これ以上日本のランドマークとして東京に重荷を背負わせるのはやめようよ、と言いたい。江戸開府以来400年。その歴史は尊重します。でも、今の東京には、私のような地方出身者が集まりすぎています。江戸っ子はどこに消えた?と思う事しきりです。東京はすでに疲れているのです。そんな疲れた東京に、首都直下型地震が来たらどうなるか? 枯れつつある地脈は息絶え、日本自体にも取り返しのつかない傷跡を残すことは間違いないでしょう。安政や大正の昔と比べても、今の東京が地震の直撃に耐えうるとはとても思えません。そして日本が東京に依存する割合も桁違いとなっています。東京の重荷を少し降ろして身軽にしてあげようよ、と云いたい。出来うるならば、オリンピックも名古屋や大阪、福岡に譲ってあげたいぐらいです。

そして同じように、西宮に言いたい。せっかく甲子園やえべっさんちゅう、日本一の球場や神社があるんやさかい、もおええがな、と。住み良い西宮のままで居てえな。駅は閑静なままに、乗降客が不便でないようにすればええだけやないの、と。

各地方にも云いたい。東京を真似るな、と。その地の文化や風土を大事に。限定キャラメルやラー油、プリッツやポッキー、B級グルメもいいけど、昔からの地元の産物を育て、誇れる地元でいて頂きたい。東京は遠からず地震でかなりの被害をうけるか、飽和しきって崩壊します。その受け皿として健在な地方でいて頂きたい、と。

そして政府や各自治体にもいいたい。これ以上東京にお金を使うより、その地域の歴史や文化を尊重した振興策にお金を使うべき、と。具体的には地域を思う議員への助成、真っ当な地域コンサルの招聘。地域芸能への甘えに堕さない補助。自治会へのアイデア公募。シャッター通りへの格安入居の援助。思い付くだけでも出てきますが、国や自治体が本気で振興に取り組めば、民間からまだまだ珠玉のアイデアが出てくると思います。集中の利点という名の下、東京への投資を行ってよい状態ではもはやありません。

今までも私自身、東京一極集中については色々言ったり書いたりしてきました。また、私自身が東京に住み、都心に通う現状に埋もれている中で、一極集中の弊害を書いたところで説得力がないことも痛く感じていました。近々、仕事上でとある提案を頂きます。その提案を私が受けるかどうかもまだ分かりません。が、家族が宝塚好きということもあり、あるいは家族からの理解ももらえるかもしれません。私自身、いつまでも痛勤電車で通うことに意味があるとは思っていません。ましてやITがこれだけ普及している今は。

そのぐらい、今の東京の混み具合には鬱屈が溜まっていますし、それに対して迎合的な姿勢を見せる地方の現状にも苛立ってもいます。日本を住みやすくするためにやるべき処方箋は多々あります。その中の一つとして、東京への一極集中を食い止めるための手は打たないと、と真剣に思います。