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ドラキュラ Zero


冒頭から白状すると、今まで記憶にある限り、ドラキュラに関する映画は一本も見たことがない。映画のみならず、舞台や小説ですら記憶にあまりない。精々、トマトジュースを好み、「~ざます」「坊ちゃま」が口癖のドラキュラが記憶に残る程度である。つまり、本作が私にとってドラキュラ開眼第一作となる。

もっとも、見たことがないとはいえ、ドラキュラに関する最低限の知識は持ち合わせていた。トランシルバニアの領主としてヴラド・ドラキュラという人物がいて、後世伝えられる怪物的なイメージとは違い、英明な人物だったとか。その一方で戦争時には敵兵を串刺しにするといった行為を行ったとか。いわゆる悪魔的なドラキュラは、史実をもとに誇張し脚色された架空の人物であり、史実のヴラド公は別の存在であると分けて考えていた。

本作では、ヴラド公がどのようにしてドラキュラとして後世に恐怖される存在になったのか。キャラクター誕生のプロローグを一本の長編として描いている。マレフィセントもそうだが、最近こういった設定の作品が目立つ気がする。が、私は実はこのような趣向は好みである。

人が悪に身を染める時、何を理由とするのか。今までの伝説や童話の類では、それは単純な理由で片づけられていた。その人物に、持って生まれた悪としての本分が備わっていたとでもいうように。このあたりを突っ込んでいくと、まだまだ面白い泉が隠れており、本作は見事は源泉を掘り当てたともいえる。

本作では、悪に身を染める理由を家族愛として取り上げている。強大なオスマン帝国からの侵略から家族と国民を守るため、悪の力を借りる、というのが主なテーマとなっている。テーマを全編で貫くため、悪の力を借りるに至っての設定に様々な工夫を凝らしており、全編として脚本的に矛盾なく見事なドラマ作品として完成している。その設定の工夫において、俗に知られるドラキュラ像の弱点やイメージも崩さずに、矛盾なく仕上げているのが素晴らしい。もちろん、脚本を一貫するためには、史実にも手を加えており、本作でも敵役となるメフメト2世の最期は、史実ともっとも食い違っている描写だろう。しかし、家族愛というテーマを貫くには、その選択で良かったのではないかと思う。

本作を彩る俳優陣の演技も良かったのだが、存在感で一頭群を抜いていたのは、やはり主役であるヴラド・ドラキュラ公を演じたルーク・エヴァンス。たぶん初めてスクリーンでお目にかかったのだが、私の思うドラキュラ公に近いイメージである。

話は少しそれるが、故栗本薫さんの代表作として、グイン。・サーガという大河小説がある。その中にアルゴスの黒太子スカールという人物が登場する。文庫本の中で加藤直之画伯によるスカールの肖像画の挿絵が何度か登場するが、その容貌が、本作のルーク・エヴァンスの顔とよく似ているのである。そういえば、グイン・サーガには、ヴラド・モンゴールという大公も登場するし、史実のヴラド公が収めていたワラキアに似たヴァラキアという地名も登場する。本作を観ている間、グイン・サーガの世界観が脳内にちらつくのを止められなかった。

閑話休題。

ルーク・エヴァンスの家族を想う演技とアクションシーンのコントラストも良かったが、愛する妻のミレナの美しさ、そして夫と息子を愛する彼女の演技は見事なものがある。また、息子を演ずるアート・パーキンソンの父を想う演技も見事であった。この二人の演技がなければ、ヴラド公の家族を想う心が空回りしてしまうところであった。そして、出演者ではないが、特殊効果も見事なものであった。もはや映画には当たり前のものとなった特殊効果で、本作も目を惹いた新機軸が披露されていた訳ではない。それでも、全体的に暗めのトーンが続く本作で、特殊効果の貢献は多大なものがあると思う。

一つだけ、苦言を描くとすれば、エピローグである。人によっては意見が分かれるところだと思うが、まさか続編のドラキュラ Oneでも作るのでなければ、あれは無くても良いかも。出したい気持ちもよくわかるのだが。しかし、ドラキュラ初心者の私にしてみれば、エピローグはなくとも、本編は入門として、他のドラキュラ作品を観てみたいと思わせるに十分なものであった。映画史の中で、どれが一番よくできたドラキュラ Oneなのか、非常に興味あるところである。

’14/11/2 イオンシネマ新百合ヶ丘