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ヒトラーのための虐殺会議


恐ろしいホラー映画を観終わった後の気分だ。

本作からは悲鳴や金切り声が一切聞こえない。もちろん、流血や死体すらまったく登場しない。
それなのに、なぜこれほどまでに恐ろしさを感じるのだろうか。

その理由は、この映画で描かれる情景があまりにも普通だからだ。日常で経験する仕事の光景で見慣れた営み。
それは、自分がこの映画の登場人物であるかもしれない可能性を思わせる。またはこの映画が私の日常をモデルにしているのかもしれない可能性に。

私も普段、お客様と会議を行う。弊社内でも会議を行う。
ある議題に対して、参加者から次々と意見が出され、それに対する対案や意見が取り交わされる。
決めるべきことを決める。そのために資料が提示される。会議の内容は議事録にまとめられ、会議で決まった内容が記録される。

私が出席するお客様との会議も本作で描かれた会議の進行とそう違わない。
かつて、とある案件で私はPMOを務めていた。約四年半、休まずに毎週の定例会議で議事録を記していた。私がこうした会議に出席した経験は数百回に達するはずだ。
だから、本作で描かれる会議の雰囲気は私にとってまったく違和感を覚えなかった。

もちろん、本作で描かれる会議と私が日常でこなしている会議との違いは何点も挙げられる。
湖畔の瀟洒な建物。洗練された内装に、ゆったりとした調度品が室内に整然と並ぶ様子。
休憩の時間にはコニャックが振る舞われ、コーヒーなども自由に飲める。ビュッフェ形式の料理が用意され、給仕が配膳を取り仕切ってくれる。

最近の私が出席する会議はオンラインが主になっている。が、オフラインが主だったときも本作で描かれる上の情景とは違う。殺風景な会議室が主な舞台だ。ビュッフェもコーヒーもコニャックもない。
が、そういう違いはどうでもいい。
根本から異質なのは、本作で再現される会議の題材そのものだ。一見すると、ビジネスの議題と変わらないようなその議題。それこそが、私たちの感覚と根本的に違う。

ヴァンゼー会議。悪名高いホロコースト政策において、ユダヤ人問題の最終解決を推進した会議としてあまりにも有名だ。

その会議の議事録が今に残されており、その議事録をもとに再構成したものが本作である。

私たちが行う会議は、会議ごとに議題は違う。だが、ある共通の認識に基づいて開かれている。
「文明社会において合法的なビジネスの営みにのっとった手続きを遂行する」
これは、あまりにも当たり前の前提だ。そのため、会議の始まりにあたり、いちいち確認することはない。

本作で行われる会議も同じだ。参加者の全員が同じ認識を持っている。
が、共有する認識が私たちの持つ常識とはあまりにかけ離れている。
「文明社会において優れた民族が劣った民族を効率的に抹殺する必要に迫られている」
これが、参加者全員が持つ共通認識である。出席者によって違うのは、ユダヤ民族を労働力として使うのか。その最終解決の方法を人員と予算を確保し、いかに効率的に行うのか。または抹殺する方法が良心の呵責を感じないかどうか。

私たちの感覚からすれば、そもそもその前提が狂っている。
だが、そもそもユダヤ民族を排除することが前提である出席者にとっては、その前提は揺るがない。
議論されるのは遂行するための手段や予算配分であり、お互いの組織の権限をどのように侵さないかについてだ。

淡々と議事は進行していく。誰も声を荒らげず、怒号も飛び交わない。やり取りによっては不穏な空気が場を覆うが、皆があくまでも理性的に振る舞っている。
その理性的な振る舞いと良識が抜け落ちた扱っている共通認識の落差に声を喪う。

前提がおかしいと、ここまで恐ろしいことが事務的に処理されてしまう。

では、本作で描かれたような世界を私たちは違う時代の違う国で起きた事ととして片付けられるのだろうか。
否、だ。
今もロシアはウクライナに侵攻し続けている。謎の飛行物体は北米大陸に流れ、情報収集に努めている。
今も国際社会ではうそとプロパガンダがまん延している。

わが国の内側に限定してもそう。
組織のトップが決めた方針を、簡単に覆せる中間管理職がどれだけいるのだろうか。ましてや実務担当者が。
企業犯罪が報道される度、その実態が捜査される。そして何人かが逮捕される。
だが、悪に手を染めるその過程において、実務者がどれだけ組織の悪に抗えたというのだろう。集団が同じ認識に染まった中、一人だけ違う意見を出すことがどれだけ勇気がいるか。その困難に思いをいたすことは難しい。会議の場の雰囲気は、その場限りのもの。どれだけ捜査や裁判で再現されたかは疑問だ。

組織の中において、敢然と声を上げ、誤った前提に異を唱えることができる勇気。
仮に私がヴァンゼー会議の場にいたとして、前提から狂っていると反旗を翻す勇気があるとは自分は思わない。

私も小さいながら会社を経営する身として、本作で描かれる共通認識の束縛力の強さに恐ろしさを感じた。
ほんの少し、立場が違えば、弊社も非人道的なたくらみに加担してしまうのではないか。
経営者として最も戒めるべきは、示唆だけ部下にして、手を汚さない態度だ。
経営者であれば、そうした力の行使ができてしまう。
その結果、部下は上司の思いを忖度し、または曲解する。そして事態は独り歩きしていく。さらに、それに対して、経営者は責任をかぶる必要がない。部下が勝手にやった事なので、と。

本作で描かれた会議には、ヒトラーもヒムラーもゲーリングも登場しない。すべては実務に有能な部下たちが「よきにはからって」しまった結果なのかもしれない。
会議の冒頭にゲーリング国家元帥の言葉として述べられた
「組織面、実務面、物資面で必要な準備をすべて行い、欧州のユダヤ人問題を総合的に解決せよ。関係中央機関を参加させ、協力して立案し検討するように」「ユダヤ人問題の最終解決を実施せよ」のもとに。

私が最も恐ろしさを感じたのは、私がそのような巨大な過ちを起こす可能性の渦中にあることだ。

‘2023/2/12 新宿武蔵野館


アウシュヴィッツ・レポート


衝撃の一作だ。
私がアウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所の恐るべき実態を描いた映画を観るのは『シンドラーのリスト』以来だ。
人を能率的に殺すためだけに作られた収容所。労働に耐えうるものと殺されるものがいとも簡単に選別され、殺されるものは即座に処分される。
にわかには信じられないその所業をなしたのはナチス・ドイツ。

私は23歳の頃に『心に刻むアウシュヴィッツ展』の京都会場のボランティアに参加したことがある。昨年の年末には『心に刻むアウシュヴィッツ展』の展示物が常設の博物館となっている白河市のアウシュヴィッツ平和博物館にも訪れた。あと、福山市のホロコースト記念館にも23歳の頃に訪れた。

私はそうした展示物を目撃してきたし、書籍もいろいろと読んできた。無残な写真が多数載せられた写真集も持っている。
だが、そうした記録だけではわからなかったことがある。
それは、残酷な写真がナチスの親衛隊(SS)の目をかすめてどのように撮られたのかということだ。私が持っている写真集の中にはドイツの敗色が濃厚になる前のものもある。また、収容者によっては連合軍に解放されるまでの長期間を生き延びた人物もいたという。
私にはそうした収容所の様子が文章や写真だけではどうしてもリアルに想像しにくかった。
念のために断っておくと、私は決して懐疑論者でも歴史修正主義者でもない。アウシュヴィッツは確実にあった人類の闇歴史だと思っている。

本作は私の想像力の不足を補ってくれた。本作で再現された収容所内の様子や、囚人やSSの感情。それらは、この不条理な現実がかつて確実にあったことだという確信をもたらしてくれた。

不条理な現実を表現するため、本作のカメラは上下が逆になり、左に右とカメラが傾く。不条理な現実を表すかのように。
だが、その不条理はSSの将校たちにとっては任務の一つにすぎなかった。SSの将校が家族を思い、嘆く様子も描かれる。
戦死した息子の写真を囚人たち見せ、八つ当たりする将校。地面に埋められ、頭だけを地面に出した囚人たちに息子の死を嘆いた後、馬に乗って囚人たちの頭を踏み潰す。
一方で家族を思う将校が、その直後に頭を潰して回ることに矛盾を感じない。その姿はまさに不条理そのもの。だが、SSの将校たちにとっては日常は完璧に制御された任務の一つにすぎず、何ら矛盾を感じなかったのだろうか。
本作はそうした矛盾を観客に突き付ける。

戦後の裁判で命令に従っただけと宣言し、世界に組織や官僚主義の行き着く先を衝撃とともに教えたアドルフ・アイヒマン。
無表情に仮面をかぶり、任務のためという口実に自らを機械として振る舞う将校。本作ではそのような逃げすら許さない。将校もいらだちを表す人間。組織の歯車にならざるを得ない将校はあれど、彼らも血の通った人であることを伝えようとする。

本作は、想像を絶する収容所の実態を外部に伝えようと二人の囚人(ヴァルター・ローゼンベルクとアルフレート・ヴェツラー)がアウシュヴィッツから脱出する物語だ。
二人がまとめたレポートはヴルバ=ヴェツラー・レポートとして実在しているらしい。私は今まで、無学にしてこのレポートの存在を知らずにいた。

脱出から十日以上の逃走をへて保護された二人は、そこで赤十字のウォレンに引き合わされる。だが、ウォレンはナチスの宣伝相ゲッベルスの宣伝戦略に完全に惑わされており、当初は二人の言い分を信じない。それどころか、赤十字がアウシュヴィッツ=ビルケナウ収容所のために差し入れている食料や石鹸といった日用品を見せる。さらには収容所から届いた収容所の平穏な日常を伝えた収容された人物からの手紙も。
もちろん二人にとっては、そうしたものは世界からナチスの邪悪な所業を覆い隠すための装った姿にすぎない。

二人が必死で持ち出したアウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所の実情を記したレポートはあまりにも信じがたい内容のため、当初は誰にも信じられず、レポートの出版まで七カ月もかかったという。それほどまでに実態が覆い隠されていたからこそ、解放時に発信されたアウシュヴィッツの凄惨な実態が世界中に衝撃を与えたのだ。

人類が同胞に対して与えた最大級の悪業であるホロコースト。
ところが、この出来事も私が思うほどには常識ではないらしい。古くからホロコースト陰謀論がある。かつて読んだことがあるホロコースト陰謀論の最後には、ヒロシマ・ナガサキすら陰謀論として片付けられているらしい。
人類に民族抹殺など大それたことが出来るわけがない。そんな反論の陰で、私たちを脅かす巨大な悪意が世界を覆う日に備えて牙を研いでいるのかもしれない。

本作の冒頭には、このような箴言が掲げられる。
「過去を忘れる者は必ず同じ過ちを繰り返す」
ジョージ・サンタヤナによるこの言葉を、私たちのすべては肝に銘じておくべきだろう。

本作のエンドクレジットでは今のポピュリストの指導者が発するメッセージの数々が音声で流れる。
それらは多様性を真っ向から否定している。
LGBTQの運動を指して、かつて共産主義がまとった赤色の代わりに虹色の脅威がきていると扇動する。
自国の民族のみを認め、移民を排斥する、など。おなじみのドナルド・トランプ前アメリカ大統領とおぼしき声も聞こえる。

本作のエンドクレジットこそは、まさにアウシュヴィッツ=ビルケナウが再び起こりかねないことを警告している。
このラストの恐ろしさもあわせ、本作から受けた衝撃の余韻は、今もなお消えていない。

なお、唯一私が本作で違和感を感じた箇所がある。それは、赤十字からやってきた人物が英語で話し、アルフレートがそれに英語で返すシーンだ。
当時の赤十字の本部はスイスのジュネーヴにあったはず。二人が脱出してレポートを書いたのはスロバキアなので、スイスから来た人物が英語を話すという設定が腑に落ちなかった。スロバキアの映画のはずなのに。

‘2021/8/7 kino cinema 横浜みなとみらい


坂の上の雲(三)


ロシアの南下の圧力は、日本の政府や軍に改革を促す。
そんな海軍の中で異彩を放ちつつあったのが秋山真之だ。彼は一心不乱に戦術の研究に励んだ。米西戦争の観戦でアメリカに行っていた間もたゆまずに。つちかった見識の一端は米西戦争のレポートという形で上層部の目にとまり、彼は海軍大学校の戦術教官に抜擢される。

そんな真之が子規に会ったのは子規の死の一カ月前のこと。
子規は死を受け入れ、苦痛に呻きながらもなお俳句と短歌革新の意志を捨てずにいた。
その激烈な意志は、たとえ寝たままであっても戦う男のそれだ。

本書はこの後、日露戦争に入ってゆく。そこで秋山兄弟は、文字通り日本を救う活躍を示して行く。
日露戦争は本書の中で大きな割合を占めており、秋山兄弟もそこで存在感を発揮する。では、三巻で退場してしまう子規とは、本書にとって何だったのか。

まず言えるのは、秋山兄弟と同じ時代の同郷であったことだろう。
賊軍の汚名を着た松山藩から、明治を代表する人物として飛躍したのがこの三人だったこと。
それは、薩長土肥だけが幅を利かせたと思われがちな明治の日本にも骨のある人物がいた表れだ。
著者はこの三人に焦点を当てることで、不利な立場を努力で有利に変えた明治の意志を体現させたのだろう。

次に言えるのは、秋山真之という日本史上でも屈指の戦術家の若き日の友人が子規だったことだ。
秋山真之が神がかった作戦を示し、日本海軍を世界でも例を見ない大勝へと導く。
そのような人物がどうやって育ったかを描くにあたり、正岡子規の存在を抜きにしては語れない。
正岡子規に感化され、文学を志した秋山真之が、軍人としての道を選ぶ。その生き方の変化は正岡子規との交流を描いてこそ、より幅が出てくるはずだ。

最後に言えるのは、本書が書き出したいのが明治という時代の精神ということだ。
果たして明治とは何だったのか。それを表すのに子規の革新を志し続けた精神が欠かせない。そうとらえても間違いではないと思う。
今の世の私たちは、結果でしか明治をみない。だから封建の風潮に固まっていた江戸幕府が、どうやって近代化できたかという努力を軽く見てしまう。実はそこには旧弊を排する勇気と、逆境を顧みず、新しい風を吹かせようとする覚悟があったはずだ。
正岡子規の起こした俳諧と短歌の変革にはそれだけのインパクトがあり、明治が革新の自体であったことを示すのにふさわしい人物だった。

著者は子規が死んだ後、稿をあらためるにあたってこのような一文から書き出している。
「この小説をどう書こうかということを、まだ悩んでいる。」(39P)
つまり、三人を軸に書き始めた小説の鼎が欠けた。だから主人公以外の人物をも取り上げねばならない、という著者から読者への宣言だ。
ここで登場するのが山本権兵衛である。日本の海軍史を語る際、絶対に欠かせない人物だ。

山本権兵衛が西郷従道海軍大臣のもとで行った改革こそ、日本の海軍力を飛躍的に高めた。それに異論を唱える人はそういないだろう。
その結果、日清戦争では清の北洋艦隊をやすやすと破り、日露戦争にもその伝統が生かされ、世界を驚かせる大勝に結びついた。
本書は太平洋戦争で日本が破滅したことにも幾度も触れる。そして陸海両軍の精神の風土がどれほど違うかにも触れる。その差が生じた理由にはさまざまに挙げられるだろう。そして、山本権兵衛が戊辰戦争から軍にいた能力の足りない海軍軍人を大量に放逐した改革が、海軍の組織の質に大きく影響を与えたことは間違いない。

その結果、海軍からは旧い知識しか持たない軍人が一掃された。
それは操艦の練度につながり、最新の艦船の導入を可能にした。
日露戦争の直前には、舞鶴鎮守府長官の閑職に追いやられていた東郷平八郎を連合艦隊司令長官に抜擢したのも山本権兵衛だ。

山本権兵衛こそは海軍の建設者。それも世界でも類をみないほどの、と著者は賛美を惜しまない。
そして、それをなし得たのは西郷従道という大人物の後ろ盾があったからこそだ。
陸軍の大山巌も本書では何度も登場するが、維新当時を知る人物が重しになっていたことも日本にとって幸いだったことを著者は指摘する。

この時期、軍に対して発言力を持つ政治家は多くいた。元老である。
彼らは軍の視点だけでなく国際政治の視野も持ち、日本を導いていった。

その彼らが制御できなかったのが、ロシアの極東への野心だ。
野心はたぎらせているが、戦争の意志はないとうそぶくロシアと繰り広げる外交戦。年々きな臭くなってゆくシベリアと満州のロシア軍基地を視察の名目で堂々と巡回する秋山好古。本書では明石元二郎も登場し、諜報戦をロシアに仕掛けて行く。
ロシアが高をくくるのはもっともで、日本は日清戦争で戦費も底ををつき、軍隊も軍備もロシアのそれには到底届いていない。

戦時予算を国庫から出させるため、西郷従道と山本権兵衛は財界の大物澁澤栄一に訴える。どれだけロシアの脅威が迫っているか。日本の存亡がどれだけ危ういかを。その熱意は澁澤栄一や高橋是清を動かす。さらにユダヤ人を迫害する帝政ロシアへの脅威を感じたユダヤ人財閥からの寄付を受けることにも成功する。その後ろ盾を得て、法外な戦時予算を確保する。

明治三十七年二月十日。日本がロシアに宣戦布告した日だ。
ここから著者は日露戦争の描写に専念する。 旅順港を封鎖し、ロシアが誇る旅順艦隊を港に釘付けにする。その間、陸軍は遼東半島や朝鮮半島経由で悠々と大陸に首尾よく渡る。
そして封鎖されたことに業を煮やした旅順艦隊に対し、さらに機雷を敷設し、輸送艦を沈めることで牽制を怠らない。
そそうした必死の工作の中、秋山真之の友人である広瀬中佐は海に消え、ロシア軍の司令官は機雷の爆発で命をおとす。連合艦隊もロシアに設置しか返された機雷によって二隻が沈没の憂き目にあう。

そうした駆け引きの間、決して喜怒哀楽を表さず平静かつ沈着であり続けたのが東郷司令長官だ。
最初は無名の軍人として軍の中でもその就任を危ぶむ者が多かった。だが、その将としての才を徐々に発揮して行く。

撃沈された二隻の戦艦が、軍費の乏しい日本にとってどれほど致命的だったか。
そうした苦境にもかかわらず、平静であり続けることのすごみ。
日本海海戦は東郷平八郎を生ける軍神に祭り上げたが、すでに戦いの前から東郷平八郎がカリスマを発揮していたことを著者は描写する。

‘2018/12/11-2018/12/12


声の狩人 開高健ルポルタージュ選集


著者を称して「行動する作家」と呼ぶ。

二、三年前、茅ヶ崎にある開高健記念館に訪れた際、行動する作家の片鱗に触れ、著者に興味を持った。

著者は釣りやグルメの印象が強い。それはおそらく、作家として円熟期に入ったのちの著者がメディアに出る際、そうした側面が前面に出されたからだろう。
だが、行動する作家、とは旅する作家と同義ではない。

作家として活動し始めた頃、著者はより硬派な行動を実践していた。
戦場で敵に囲まれあわや全滅の憂き目をみたり、東西陣営の前線で世界の矛盾を体感したり。あるいはアイヒマン裁判を傍聴してで戦争の本質に懊悩したり。

著者は、身の危険をいとわずに、世界の現実に向き合う。
書物から得た観念をこねくり回すことはしない。
自らは安全な場所にいながら、悠々と批判する事をよしとしない。
著者の行動する作家の称号は、行動するがゆえに付けられたものなのだ。

そうした著者の姿勢に、今さらながら新鮮なものを感じた。
そして惹かれた。
安全な場所から身を守られつつ、ブログをかける身分である自分を自覚しつつ。
いくら惹かれようとも、著者と同じように戦場の前線に赴くことになり得ない事を予感しつつ。

没後30年を迎え、著者の文学的な業績は過去に遠ざかりつつある。
ましてや、著者の行動する作家としての側面はさらに忘れられつつある。
だが、冷戦後の世界が再び動き出そうとする今だからこそ、冷戦の終結を見届けるかのように逝った行動する作家としての姿勢は見直されるべきと思うのだ。

冷戦が終わったといっても、世界の矛盾はそのままに残されている。
ソ連が崩壊し、ベルリンの壁が崩され、東西ドイツや南北ベトナムが統一された以外は何も変わっていない。
朝鮮は南北に分断されたままであり、強大な国にのし上がった中国を統治するのは今もなお共産党だ。
ロシア連邦も再び強大な国家に復帰する機会を虎視眈々と狙っている。
そもそも、イスラム世界とキリスト世界の間が相互で理解し合うのがいつの日だろう。パレスチナ国家をアラブの国々が心から承認する日はくるのだろう。ドイツで息を吹き返しつつあるネオナチはナチス・ドイツの振る舞いを拒絶するのだろうか。
誰にも分からない。

それどころか、アメリカは世界の警察であることに及び腰となっている。日韓の間では関係が悪化している。EUですらイギリスの離脱騒ぎや、各国の財政悪化などで手一杯だ。
世界がまた混迷に向かっている。

冷戦後、いっときは平穏に見えたかのような世界は実は休みの時期に過ぎなかったのではないか。実は何も解決しておらず、世界の矛盾は内で力を蓄えていたのではないか。
その暗い予感は、わが国の活力が失われ、硬直している今だからこそ、切実に迫ってくる。
次に世界が混乱した時、日本は果たして立ち向かえるのだろうか、という恐れが脳裏から去らない。

本書は著者が旅先でたひりつくような東西の矛盾がぶつかり合う現場や、アイヒマン裁判を傍聴して感じたこと、などを密に描いたルポルタージュ集だ。

「一族再会」では、死海の過酷な自然から、この土地の絶望的な矛盾に思いをはせる。
古来、流浪の運命を余儀なくされたユダヤ民族は、苛烈な迫害も乗り越え、二千数百年の時をへて建国する。
生き残ることが至上命令と結束した民族は強い。
自殺者がすくないのも、そもそも自殺よりも差し迫った悩みが国民を覆っているから。
著者の筆はそうした本質に迫ってゆく。

「裁きは終わりぬ」では、アイヒマン裁判を傍聴した著者が、600万人の殺人について、官僚主義の仮面をかぶって逃避し続けるアイヒマンに、著者は深刻に悩み抜く。政治や道徳の敗北。哲学や倫理の不在。
アイヒマンを皮切りに、ナチスの戦犯のうち何人かはニュルンベルクで判決を受けた。だが、ヒトラーをはじめとした首脳は裁きの場にすら現れなかった。
一体、何が裁かれ、何が見過ごされたのか。
著者はアイヒマンを絞首刑にせず生かしておくべきだったと訴える。
顔に鉤十字の焼き印を押した生かしておけば、裁きの本質にせまれた、とでもいうかのように。

「誇りと偏見」は、ソ連へ旅の中で著者が感じ取ろうとした、核による終末の予感だ。
東西がいつでも相手を滅ぼしうる核兵器を蓄えてる現実。
その現実の火蓋を切るのは閉鎖されたソ連なのか。そんな兆しを著者は街の空気から嗅ぎ取ろうとする。
ステレオタイプな社会主義の印象に目をくらまされないためにも、著者は街を歩き、自分の目で体感する。
今になって思うと、ソ連からは核兵器の代わりの放射能が降ってきたわけだが、そうした滅びの終末観が著者のルポからは感じられる。

「ソヴェトその日その日」は、終末のソ連ではなく、より文化的な側面を見極めようとした著者の作家としての好奇心がのぞく。
共産主義の教条のくびきが解けようとしているのではないか。暗く陰惨なスターリンの時代はフルシチョフの時代をへて過去となり、新たなスラヴの文化の華が開くのではないか。
著者の願いは、アメリカが主導する文化にNOを突きつけたいこと、というのはわかる。
だが、数十年後の今、スラヴ文化が世界を席巻する兆しはまだ見えていない。

「ベルリン、東から西へ」でも、著者の文化を比較する視点は鋭さを増す。
東から西へと通過する旅路は、まさに東西文化に比較にうってつけ。今にも東側を侵そうとする西の文化。
その衝突点があからさまに国の境目の証となってあらわれる。
それでいながらドイツの文化と民族は同じであること。著者はここで国境とはなんだろうか、と問いかける。
文化を愛する著者ゆえに、不幸な断絶が目につくのだろうか。

「声の狩人」は、ソ連を横断してパリに着いた著者が、花の都とは程遠いパリに寒々しさを覚える。
アルジェリア問題は激しさを増し、米州機構反対デモが殺伐とした雰囲気をパリに与えていた。
実は自由を謳歌するはずのパリこそが、最も矛盾の渦巻く場所だったという、著者の醒めた観察が余韻を与える。
結局著者は、あらゆる幻想を拒んでいた人だったのだろう。

「核兵器 人間 文学」は、大江健三郎氏、そして著者とともに東欧を訪問した田中 良氏による文だ。
三人でフランスのジャン・ポール・サルトルに質問を投げかける様が描かれる。
ジャン・ポール・サルトルは、のちにノーベル文学賞を受賞するも、辞退した硬骨の人物として知られる。
ただ、当代一の碩学であり、時代の矛盾を人一番察していたサルトルに二人に作家が投げかける質問とその答えは、どこか食い違っている感が拭えない。
この点にこそ、東西の矛盾が最も表れているのかもしれない。

「サルトルとの四十分」は、そのサルトルとの会談を振り返った著者にる感想だ。
パリに来るまでソ連を訪れ、その中で左翼陣営の夢見た世界とは程遠い現実を見た著者と、西洋文化を体現するフランスの文化のシンボルでもあるサルトルとの会談は、著者に埋めようもない断絶を感じさせたらしい。
日本から見た共産主義と、フランスから見た共産主義の何が違うのか。
それが西洋人の文化から生まれたかどうかの差なのだろうか。
著者の戸惑いは今の私たちにもわずかに理解できる。

「あとがき」でも著者の戸惑いは続く。
本書に記された著者の見た現実が、時代の流れの速さに着いていけず、過去の出来事になってしまったこと。
その事実に著者は卒直に戸惑いを隠さない。

そうした著者の人物を、解説の重里徹也氏は描く。
「開高がしきりにのめりこんでいくのは、こういう、現実と理想の狭間に生まれる襞のようなものに対してである」(239ページ)

ルポルタージュとは、そうした営みに違いない。

‘2018/11/1-2018/11/2


真相・杉原ビザ


本書を読む少し前、2015年の大晦日に『杉原千畝』を観劇した。唐沢寿明さんが杉原千畝氏に扮した一作だ。作中では現地語ではなく英語が主に使われていたのが惜しかった。でも、誠実に杉原千畝氏を描こうとの配慮が見えたことに好感を持った。(レビュー)

千畝氏の業績はとかく誤解されがちだ。ユダヤ問題の視点。日独伊三国同盟の視点。外交官の職業意識の視点。組織統制からの視点。様々な問題がからむ。

スクリーンで唐沢さんが演じた杉原千畝が、どこまで本人を再現していたのか。それを確認するには本を読むことしかない。偶然本書を選んでみたのだが、著者は杉原家のご遺族から資料の管理を任されるなど全幅の信頼を置かれている方だとか。期せずしてふさわしい本を選べた。そして、著者が本書のタイトルに真相と名付けたのも、これをもって杉原評伝の決定版とし、杉原ビザを巡る論争に終止符を打ちたい、という決意の表れかと思う。

本書の内容は千畝氏の生い立ちから、満州時代、そしてカウナスの副領事を務めた日々を描いている。一方で戦後外務省を追われてからの日々はあまり取り上げていない。だがそれを脇に置いても本書は杉原千畝の評伝として決定版と言えるのではないだろうか。

私は組織に服し、命令に盲従するのが好きではない。なので、千畝氏が外務省の訓令を無視し、個人の信念でユダヤ難民にビザを発行した行動に反感はない。むしろ喝采を惜しまない気持ちだ。

だが、千畝氏の行動を無邪気に賛美するだけでは意味がない。領事館に押し寄せるユダヤ難民の群れを前に、組織人につきもののしがらみを断ち切ってまで、個人の信念を優先させたのはなぜか。それには当時のカウナスのユダヤ難民がおかれた状況を理解することももちろんだが、そのような行動を起こさせた千畝氏の生い立ちからも理解する必要がありそうだ。

著者のアプローチはその考えに沿っている。けれども、著者はその前に千畝氏のビザ無断発給についてまわる誤解を冒頭で解く。その誤解とはビザを無断発給したのは、ユダヤ人社会から金が出ていたからというものだ。著者はその噂を根拠なしと片付けている。それは、戦後イスラエルの宗教大臣を務めたバルファフティク氏からの証言による。バルファフティク氏はカウナスでビザ発給陳情に訪れた五人の代表者のうちの一人だ。バルファフティク氏は戦後イスラエル政府の要職に就き、千畝氏の名誉回復に並々ならぬ役割を果たした。バルファフティク氏の尽力もあって千畝氏のビザ発給の事実が世に知られることになった。著者はイスラエルにバルファフティク氏を訪れ、本人からの証言をテープに収めている。本書冒頭で著者はユダヤマネーが背後にあったとの誤解を解き、杉原ビザが外務省の訓令に背いてまで千畝氏個人の信念に基づいた無私の行為であったことを明らかにする。

第一部は「イスラエル・エジプト紀行」と題され、イスラエルと日本の関係に紙数が割かれている。イスラエルの建国にあたってはパレスチナ問題、つまり元々その地に住んでいたアラブ人との関係が複雑だ。今に至るまで火種の絶えない地となっている。だからこそイスラエルの人々は自国やユダヤ民族のために尽くしてくれた人々への感謝は忘れない。日本とイスラエルの関係の中で千畝氏が少なくない役割を果たしたことなど、本書から得られる情報は多い。

続いての第二部「杉原ビザの真相を探る」では、生い立ちから千畝氏のビザ発給とそれが日独伊三国同盟に与えた影響までを語る。

実は本章では千畝氏の少年時代はそれほど触れない。そういう意味では、本書からは千畝氏の生い立ちはよく分からず、本書を読んだ目的の一部は果たせなかった。でも、税務署の父好水氏の任地に従って転々とした少年時代だったことが書かれている。私の個人的な意見だが、往々にして転校が多かった人物は、人生や世間や社会に多様性が必要なことを学んでいるような気がする。と言いつつ、私は転校知らずの少年時代を送ったのだが。

本書はむしろ早稲田大学入学後の千畝氏について紙数を費やす。医者を望む父に反抗し、早稲田大学に進学。そのことで千畝氏は学費がもらえず苦学生の道を歩む。学費を稼ぐためあらゆる職に就き、遂には退学してノンキャリア外交官の道を進むことになる。色んな職を経験した事は、千畝氏の視野を広げたことだろう。外交官には欠かせないスキルの糧となったはずだし、多分ビザを発給する上で氏の行動を妨げなかったはずだ。それどころか、ビザ発給が元で外務省をクビになっても、自分には家族を養う自信がある、と組織を恃まぬ自信を千畝氏に植えつけたのではないか。実際、戦後は外務省退官を余儀なくされ、職を転々とすることになる。

では、千畝氏は優秀な外交官だったのか、との疑問が湧く。そして読者は、千畝氏が優秀な外交官であったことを満州時代の氏の実績を通して知ることになる。それは北満鉄道譲渡交渉である。外務省から満州国外交部に出向の形で配属された千畝氏の交渉相手はソビエト。ソビエトから北満鉄道を譲渡するにあたって、価格面を含めたあらゆる交渉が必要となった。千畝氏は交渉担当者として得意のロシア語を駆使し辣腕ぶりを発揮する。当初ソ連側の希望価格は六億五千万円で日本側は五千万円。それを最終的には一億八千万円で譲渡交渉を成立させた。その能力は、後年杉原氏がモスクワ日本大使館の二等通訳官に任じられるにあたり、ソ連から拒否されたことでも明らかだ。この経緯は本書では詳細に触れられている。

私は理念や理想を求める姿勢は重んじたい。だが、それは実力があってこそと思っている。だからこそ千畝氏のビザ発給の美談は、それだけで片付けると本質を見失う。本書でもこのように書かれている。「外交官杉原千畝を語るに当って、ナチスからの人命救助というリトアニアでの人道問題だけでは、杉原の真価を理解したことにはならない」(154ページ)

それほどまでに評価された千畝氏だが、交渉妥結から間も無く満州国を去ることになる。それは何故か。映画『杉原千畝』の冒頭でも印象的にそのシーンが描かれていた。満州国を牛耳る関東軍の存在だ。本書には晩年の千畝氏がチラシの裏に認めた通称「千畝手記」が写真付きで紹介され、引用も頻繁にされる。「千畝手記」には関東軍のやり方に我慢ならなかったことが書かれている。その経緯も本書で紹介されている。

多分、千畝氏がビザ発給に踏み切ったのも背景に軍人への反発があったためだろう。多分、後ろに組織を控えた圧力にはとことん反発する性質だったように思う。

本書は続いてカウナスでの日々を描く。著者はユダヤ難民が生じた背景をきっちりと説明する。ナチスの台頭とユダヤ人迫害の事情を理解することなしにビザ発給が美談であったことは理解できない。特にこの章で見逃せないのは、千畝氏のビザ発給がナチスドイツの対日政策に影響を与えたのではないか、との著者の分析だ。

つまり、千畝氏のビザ発給によってアメリカの対日政策に変化が生じることをナチスドイツが恐れたのが、日独同盟の急展開を招いた。それが著者の読みだ。日独同盟はすんなり決まったわけではない。二転三転の末に決まったことはよく知られている。その過程では、最終的にドイツ側が歩み寄ったことが日本の姿勢を和らげ、なし崩しに日独伊三国同盟は成った。交渉の中でドイツ側の最後の歩み寄りがあった背景に、千畝氏のビザ発給があったのではないか。その説は私には新鮮に聞こえた。あの当時の日米英ソ独の微妙で複雑な関係は、カウナスの副領事の行いによっても揺らいでしまったのかもしれない。

それにしても本書は真相と名乗るだけあってかなりの事実が書かれている。大正9年の雑誌『受験と學生』で千畝氏が寄稿した「雪のハルピンより」の全文を載せている。さらに第三部の「杉原テーマへの責任」では、既存の杉原千畝を取り上げた記事や書籍で間違っている記述に徹底的に反駁を加える。それはまるで千畝氏の代弁者のようだ。

生前の千畝氏は、自らの外交官生活に終止符を打ったカウナスでのビザ発給について何も語らずを通した。結局は自らが助けた人によってその行為は広く知られることになり、それとともにその行為を曲解しようとする人々によって誤った風説がまかれることにもなった。晩年の千畝氏がチラシの裏に「千畝手記」を書かざるを得なかった気持ちもわかる。

千畝氏の一生はどうだったのか。それを評価するのは我々でなければ当時の人々でもない。ましてや千畝氏に救われたユダヤ難民でもない。千畝氏当人が評価することだ。私のような他人が千畝氏の一生を語るなどおこがましい。だが、私は千畝氏が組織に媚びず一生を自分の信念に生きた事を後悔することなく逝ったと信じたい。

あとは、氏の業績が正しく後世に伝えられる事だろうか。当初本書は図書館の書架に並んでいた。ところが一年後、本稿を書くために借りようと図書館に訪れたところ、なんと書庫に入ってしまっていた。それが残念だ。

‘2016/02/18-2016/03/02


杉原千畝


2015年。戦後70年を締める一作として観たのは杉原千畝。言うまでもなく日本のシンドラーとして知られる人物だ。とかく日本人が悪者扱いされやすい第二次世界大戦において、日本人の美点を世に知らしめた人物である。私も何年か前に伝記を読んで以来、久しぶりに杉原千畝の事績に触れることができた。

本作は唐沢寿明さんが杉原千畝を演じ切っている。実は私は本作を観るまで唐沢さんが英語を話せるとは知らなかった。日英露独仏各国語を操ったとされる杉原千畝を演ずるには、それらの言葉をしゃべることができる人物でないと演ずる資格がないのはもちろんである。少なくとも日本語以外の言葉で本作を演じていただかないとリアリティは半減だ。しかし、本作で唐沢さんがしゃべる台詞はほとんどが英語。台詞の8割は英語だったのではないだろうか。その点、素晴らしいと感じた。ただ、唐沢さんはおそらくはロシア語は不得手なのだろう。リトアニアを舞台にした本作において、本来ならば台詞のほとんどはロシア語でなければならない。しかも杉原千畝はロシア語の達人として知られている。スタッフやキャストの多くがポーランド人である本作では、日英以外の言葉でしゃべって欲しかった。迫害を受けていた多くの人々がポーランド人であったがゆえに英語でしゃべるポーランド人たちは違和感しか感じなかった。そこが残念である。しかし、唐沢さんにロシア語をしゃべることを求めるのは酷だろう。最低限の妥協として英語を使った。そのことは理解できる。それにしてもラストサムライでの渡辺謙さんの英語も見事だったが、本作の唐沢さんの英語力と演技力には、ハリウッド進出を予感させるものを感じた。

また、他の俳優陣も実に素晴らしい。特にポーランドの俳優陣は、自在に英語を操っており、さらに演技力も良かった。私は失礼なことに、観劇中はそれら俳優の方々の英語に、無名のハリウッド俳優を起用しているのかと思っていた。だが、実はポーランドの一流俳優だったことを知った。私の無知も極まれりだが、そう思うほどに彼らの英語は素晴らしかった。ポーランド映画はほとんど見たことがないが、彼らが出演している作品は見てみたいものだ。かなりの作品が日本未公開らしいし。

だが、それよりも素晴らしいと感じた事がある。本作はほとんどのシーンをポーランドで撮影しているという。ポーランドといえばアウシュヴィッツを初めとしたユダヤ人の強制収容所が存在した国でもある。本作にもアウシュヴィッツが登場する。ユダヤ人の受難を描く本作において、ポーランドの景色こそふさわしいと思う。そして合間には日本の当時の映像を挟む。それもCGではなく当時の映像を使ったことに意義がある。刻々と迫る日本の敗戦の様子と、それに対して異国の地で日本を想い日本のための情報を集めながらも、本国の親独の流れに抗しえなかった千畝の無念がにじみ出るよい編集と思えた。

また、本作においては駐独大使の大島氏を演じた小日向さんの演技も光っていた。白鳥大使こそは日本をドイツに接近させ、国策を大いに誤らせた人物である。A級戦犯として裁かれもしている。しかし本作ではあえてエキセントリックな大使像ではなく、信念をもってドイツに近づいた人物として描いている。この視線はなかなか新鮮だった。単に千畝のことを妨害する悪役として書かなかったことに。千畝の伝記は以前に読んだことがあるが、白鳥氏の伝記も読んでみたいと思った。

だが、本作を語るにはやはり千畝の姿勢に尽きる。なぜ千畝がユダヤ人に大量のビザを発給したのか。そこには現地の空気を知らねばならない。たとえ日本の訓示に反してもユダヤ人を救わずにはいられなかった千畝の苦悩と決断。それには、リトアニア着任前の千畝を知らねばならない。満州において北満鉄道の譲渡交渉に活躍し、ソビエトから好ましからざる人物と烙印を押されたほどの千畝の手腕。そういった背景を描くことで、千畝がユダヤ人を救った行為の背後を描いている。実は北満の件については私もすっかり忘れていた。だが、関東軍に相当痛い目にあわされたことは本作でも書かれている。そしてそういった軍や戦力に対する嫌悪感を事前に描いているからこそ、リトアニアでの千畝の行為は裏付けられるのである。

戦後70年において、原爆や空襲、沖縄戦や硫黄島にスポットライトが当たりがちである。しかし、杉原千畝という人物の行動もまた、当時の日本の側面なのである。千畝以外にも本作では在ウラジオストク総領事や日本交通公社の社員といったユダヤ人たちを逃すにあたって信念に従った人々がいた。それらもまた当時の日本の美徳を表しているのである。日本が甚大な被害を受けたことも事実。日本人が中国で犯した行為もまたほんの一部であれ事実。狭い視野をもとに国策を誤らせた軍人たちがいたのも事実。しかし、加害者や被害者としての日本の姿以外に、千畝のような行為で人間としての良心に殉じた人がいたのもまた事実なのである。軽薄なナショナリズムはいらない。自虐史観も不要。今の日本には集団としての日本人の行動よりも、個人単位での行動を見つめる必要があるのではないか。そう思った。

‘2015/12/31 TOHOシネマズ西宮OS


逆立ち日本論


物事をあるがままに見ようとしても、様々な錯視の実例を見る度に、自分の見ている物についての確信が揺らいでくる。それと同じく、自分の考えというものを確立しようと思う度に、考えの立脚点を強固な地に置いたつもりが、実はいびつだったと思い知らされることがいかに多いか。

養老氏の著作を読むたびにそういう思いに駆られる。今回、2011年の締めくくりとして自らの未熟さを思い知った上で、新年を迎えるにあたっての戒めとしようという思いから本書を手に取った。今回対談相手を務めている内田氏、実は著作はおろか、雑誌などでも論考を目にしたことがなく、期待感とともに読み進めた。

帯や背表紙などで、色んな論点に飛び回っての自由な対談であることは予想していたけれど、期待通りの内容。逆に期待と違ったのは、自らの論考の錯覚に気付かされた箇所が少なく、予てより考えていた自分の論点について、わが意を得たり、という意見が数か所あったのも、収穫であろうか。

たとえばユダヤ人については、私も教科書的な知識しかもっていなかったけれど、そもそもユダヤ人の定義自体が学術的にあいまいなことを通じて、二人でユダヤ人の定義に迫ろうと試みる部分、実はこの部分は日本人とは何かという考えに通ずる部分があり、意識がそもそも根源的な遅れを経て言葉として発せられる、つまりそこからあらゆるアイデアの元を追求することに英知への入り口があるというくだり、感銘を受けた。

個人情報保護法に関する部分もわが意を得たりと頷けた。情報産業に関わる私、直接的に情報保護については関与することも多いけれど、昔から情報保護というお題目にある種のもやもや感を抱いたままだった。本書を通じてそのもやもや感が大分整理された気がする。2012年に入ってmixi上にてSNSとの関わりを変えていく、という宣言をしたのだけれど、匿名か実名か、というSNSを使い分ける際の大きな問題について吹っ切れたこともあり、2012年からは実名アカウントであるFacebookへのかかわりを強めるきっかけとなったのが本書とも言える。

あまりにも対談のテーマが広く、それぞれの論点で私の意見を開陳すると冗長になるためこれ以上は書かないけれど、色々な論点について、その根源となるさらなる論点が潜んでいることに思いを致すことなく考えを述べている自分を戒めつつ、精進をしたいと思った。いい本で一年の読書体験を締めくくることが出来、満足である。

’11/12/27-’11/12/31