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カミソリシュート―V9巨人に立ち向かったホエールズのエース


当ページのブログでは何度も書いているが、私の実家は甲子園球場のすぐ近くだ。私が小、中学生だった9年間はすっぽり80年代におさまっている。つまり、80年代の甲子園とともに育った。タイガースが怒涛の打撃を披露する強さや、脆く投壊する弱さ。高校球児が春夏に躍動する姿。歓声や場内アナウンスが家にまで届き、高校野球は外野席が無料だったので小学生の暇つぶしにはうってつけ。そんな環境に身を置いた私が野球の歴史に興味を持ったのは自然の流れだ。難しい大人向けのプロ・アマ野球に関する野球史や自伝を読み、自分の知らない30年代から70年代の野球に憧れを抱く少年。野球史に強い興味を抱いた私の志は、大人になった今もまだ健在だ。

著者は、甲子園の優勝投手でありながら、投手として名球会に入った唯一の人物だ。ところが、私にとってはそれほどなじみがなかった。私が野球に興味を持ち始めた頃もまだ現役で活躍していたにもかかわらず。それは、著者が所属していたのが横浜の大洋ホエールズで、甲子園ではあまり見かけなかったからかもしれない。そもそも、著者の全盛期は私が物心つく前。なじみがなかったのも無理はない。

しかし、それから長い年月をへて、著者に親しむ機会が増えてきた。というのも、私はこのところ仕事で横浜スタジアムの近くによく行く。その度にベイスターズのロゴをよく見かける。そして、最近のベイスターズは親会社がDeNAになってから、マーケティングや観客の誘致に力を入れている。昨年の秋にはレジェンドマッチ開催のポスターを駅で見かけ、とても行きたかった。当然著者もその中のメンバーに入っている。

実は本稿を書くにあたり、レジェンドマッチの動画を見てみた。70歳になった著者の投球はさすがに全盛期の豪球とは程遠い。が、先発を任されるあたりはさすがだ。ベイスターズ、いや、ホエールズの歴史の中でも著者が投手として別格だったことがよく分かる。そんな著者は、2017年度の野球殿堂入りまで果たしている。

なお、同時に殿堂に選ばれたのは星野仙一氏。くしくも本書を読んでから本稿を書くまでの一週間に、星野氏が急死するニュースが飛び込んできたばかり。そして著者と星野氏は同じ岡山の高校球界でしのぎを削った仲。著者より一学年上の星野氏のことは本書でもたくさん触れられている。

本書は著者のプロ一年目の日々から始まる。プロの洗礼を浴び、これではいかんと危機感を持つ著者の日々。プロで一皮むけた著者の姿を描いた後、著者の生い立ちから語り直す構成になっている。

よく、ピッチャーとはアクが強い性格でなければ務まらないという。最近のプロ野球の投手にはあまり感じられないが、かつての野球界にはそういう自我の強いピッチャーが多いように思う。別所投手、金田投手、村山投手、江夏投手、鈴木投手、堀内投手、星野投手など。それを証明するかのように、本書は冒頭から著者の誇り高き性格が感じられる筆致が目立つ。特に1970年の最優秀防御率のタイトルを、当時、監督と投手を兼任していた村山投手にかっさらわれた記述など、著者の負けず嫌いの正確がよく表れていると思った。投球回数の少ない村山投手に負けたのがよほど悔しかったらしい。でも、それでいいのだと思う。著者は巨人からドラフト指名の約束をほごにされ、打倒巨人の決意を胸に球界を代表する巨人キラーとなった。対巨人戦の勝ち星は歴代二位というから大したものだ。一位は四百勝投手である金田投手であり、なおさら著者のすごさが際立つ。著者は通算成績で長嶋選手を抑え込んだことにも強い誇りを持っているようだ。

著者の負けん気の強さが前に出ているが、それ以上に、先輩・後輩のけじめをきちんとつけていることが印象に残る。著者からみた年上の方には例外なく「さん」付けがされているのだ。星野さんもそう。プロでは著者の方が少し先輩だが、学年は星野氏の方が一つ上。「さん」付けについては本書はとても徹底している。そのため、本書を読んでいると、誰が著者よりも年上なのかすぐに分かる。

もう一つ本書が爽やかなこと。それは著者が弱かったチームのことを全く悪く言わないことだ。著者は、プロ野球選手としての生涯をホエールズに捧げた。そのため、一度もペナントレースの優勝を味わっていない。甲子園で優勝し、社会人野球の日石でも優勝したのに。ところが、負けん気の強さにも関わらず、著者からは一度もホエールズに対する悪口も愚痴も吐かれない。そこはさすがだ。1998年にベイスターズが成し遂げた日本一について、自分がまったく関われなかったことが寂しいと書かれているが、そこをぐっと抑えて多くは語らないところに著者の矜持を感じた。

もっとも、生え抜き選手をもっと大切にしてほしいと、球団に対して注文は忘れていない。著者はベイスターズ・スポーツコミュニティの理事長を務め、横浜から球団が出て行ってほしくないと書いている。だからこそ、冒頭に書いたようなレジェンドマッチのような形で投球を披露できたことは良かったのではないだろうか。

それにしても、著者が大リーグのアスレチックスにスカウトされていたとは知らなかった。さらには、冒頭で触れたように甲子園優勝投手で、投手として名球会に入ったのは著者だけである事実も。ともに本書を読むことで知った事実だ。

野球史が好きな私として何がしびれるって、著者のように弱いチームにいながら、巨人に立ち向かった選手たちだ。こういう選手たちが戦後のプロ野球を盛り上げていったことに異を唱える人はいないだろう。正直、今も巨人を球界の盟主とか、かつての栄光に酔ったかのように巨人こそが一強であると書き立てるスポーツ紙(特に報知)にはうんざりしているし、もっというと阪神の事しか書かない在阪スポーツ紙にも興味を失っている。今や時代は一極集中ではなく地方創生なのだから。それは日本という国が成熟フェーズに入ったことの証だともいえる。だが、著者が現役の頃は、日本が登り調子だった。その成長を先頭に立って引っ張っていたのが東京であり、その象徴こそが「巨人、大鵬、卵焼き」の巨人だったことは誰にも否定できない。V9とは、右肩上がりの日本を如実に現した出来事だったのだ。そして、それだけ強い巨人であったからこそ、地方の人にとってはまぶしさと憧れの対象でもあり、目標にもなりえたのだ。そのシンボルともいえる球団には敵役がいる。著者や江夏投手、星野投手、松岡投手や外木場投手のような。そうした他球団のエースが巨人に立ち向かう姿は高度成長を遂げる日本の縮図でもあり、だからこそ共感が集まったのだと思う。

私は、かつて日本シリーズで三年連けて巨人を破ったことで知られる西鉄ライオンズのファンでもある。だからこそ、数年前に催されたライオンズ・クラシックにはとても行きたかった。同じくらい、ベイスターズのレジェンドマッチがまた開かれた暁にはぜひ行きたいと思っている。巨人に立ち向かい、ともにプロ野球を、そして戦後の日本を盛り上げた立役者たちに敬意を示す意味でも。

まずは、横浜スタジアムでの公式戦の観戦かな。できれば阪神戦が良いと思う。そして、実家に帰った際には甲子園歴史館で、著者が甲子園で優勝した記録を探してみたいと思う。

‘2017/12/27-2017/12/27


帝国ホテルの不思議


2016年。帝国ホテルとのささやかな御縁があった一年だ。

それまで、私と帝国ホテルとの関わりは極めて薄かった。せいぜいが宝塚スターを出待ちする妻を待つ間、エントランスで寒気をよけさせてもらう程度。目の前はしょっちゅう通るが入る用事もきっかけもない。帝国ホテルとの距離は近くて遠いままだった。

ところが2016年は、年間を通して三回も利用させてもらった。

一回は妻とサクラカフェで食事をし、地下のショッピングモールを歩き回り、ゴディバでチョコを買い、その他地下に軒を連ねる店々をひやかした。あと二回は私個人がランデブー・ラウンジ・バーで商談に臨んだ時。

それは、背筋がピンと伸びる経験。何かしら、帝国ホテルの空間には人の襟を正させる雰囲気がある。それは、私のような不馴れな人間が心を緊張させて勝手にそう思うだけなのか、それとも帝国ホテルの内装や調度品が醸し出す存在感によるものなのか、またはホテルスタッフの立ち居振舞いが張りつめているからなのか。私にはわからなかった。

しかし、帝国ホテルのエントランスに人が多く集まっていることも事実。それは、帝国ホテルが人を引き付ける磁場を持っている証拠だろう。私が利用したように商談の場として活用する方も多いはずだ。今まで商談でホテルを利用することがあまりなかった私にとってみれば、ホテルを商談で利用すること自体が新たな発見だった。私は今まで、さまざまなホテルを訪れた経験がある。バックヤードも含めて。だが、その経験に照らしても、帝国ホテルの空間はどこか私をたじろがせる気圧をもっている。それが何から生じているのか、私は常々興味を持っていた。

先ほど、ホテルはバックヤードも含めて経験していると書いた。それは、かつての私が某ホテルの配膳人として働いていたことによる。今から20年ほど前の話だ。その時に担当していたのは宴会やレストランだった。表向きの優雅さとはうらはらに、準備が重なったり、午前と午後に同じ宴会場で別々の宴会があるときなど、怒鳴り声の飛び交う鉄火場に一変する。それが宴会場だ。

それは披露宴の参列者や宿泊客として訪れているだけでは決して目にすることのない光景だ。宴会中もそう。ホールスタッフは、表向きは優雅で緩やかなテンポで漂うようにお客様にサービスしつつ、バックルームでは一転、忙しないリズムでテキパキと動く。サービス中も優雅に振る舞いながら、脳内では16ビートのリズムを刻みつつ、次のタスクに備える。いうならば、両足でドライブ感にみちたリズムを繰り出しつつ、上半身ではバイオリンの弦をゆったり響かせる。ホテルマンにはそんな芸当が求められる。なお、私が配膳人としては落第だったことは自分でよくわかっている。そして、ホテルマンですらない。そもそも私が知るホテルの裏側とはしょせん宴会場やレストランぐらいに過ぎないのだから。私の知らないホテルの機能はまだまだ多い。宴会やレストランだけを指してホテルの仕事と呼べないのは当たり前だ。

本書では、あらゆる帝国ホテルの職が紹介される。宴会やレストラン以外に。それらの職すべてが協力して、帝国ホテルの日々の業務は動いていく。格式のある帝国ホテルが一般のホテルとどうちがうのか。その興味から本書を手に取った。

総支配人から、クローク、客室キーパー、応接、レストラン、宴会、バーテンダー、コールセンター、設備。著者はそれらの人々にインタビューし、仕事の動きを表と裏の両側について読者に紹介する。表側の作業はプロのホテルマンがお客様へのサービスで魅せるきらめく姿だ。プロとしての誇りと喜びの源にもなる。だが、普段はお客様に見せない、裏側の仕事の微妙な難しさも紹介しているのが本書の良い点だ。著者がインタビューしたどの方も、二つのテンポを脳内で折り合わせながら日々のホテル業務を務めている。そのことがよく理解できる。

私にとっては自分が経験した宴会マネジャーの方の話が最も実感できたし、理解もできた。けれども本書で紹介される他の仕事もとても興味深かった。自分が知らないホテルの仕事の奥深さ、そして帝国ホテルの凛とした雰囲気の秘密が少しわかったような気がした。ホテルとしての品格は、本書に登場するホテルマンたちの日々の努力が作り出しているのだ。その姿は人と関わる職業として必須のプロの意識の表れにほかならない。

上に書いたように、私にはホテルマンのような仕事は苦手のようだ。動的に、そして柔軟に機転を効かすような仕事が。私は自分の素質がホテルマンに向いていないことを、先にも書いた二年間の配膳人としての経験で学んだ。なので、本書に登場する人々の仕事ぶりを尊重もし尊敬もするが、バーテンダーの方を除いては、私はなりたいとは思わなかった。そもそも私には無理だから。

だが、本書に登場した人物の中でうらやましいと思い、成り代わりたいと思った人物がバーテンダーの方以外に一人いた。それは一番最後に登場する設備担当の役員である椎名氏だ。椎名氏はもともと天才肌のメカニック少年だったそうだが、ひょんなことで帝国ホテルに入社し、社内のあらゆる設備やシステムを構築する役目をもっぱらにしているという。その仕事は、趣味の延長のよう。趣味を仕事にできて幸せな好例にも思える。読んでいてとてもうらやましいと思った。組織を好まず一匹狼的なわたしだが、椎名氏のような仕事がやらせてもらえるなら、組織の下で仕事することも悪くない、と思った。もちろんそれは、能力があっての話だが。

、バーテンダーについては、本書を読んで5カ月ほど後、妻とオールド・インペリアルバーにデビューし、カウンターにこそ座れなかったが、訪れることができた。次回はカウンターでじっくりとその妙技を拝見したいと思う。

‘2016/11/25-2016/11/26


土門拳の写真入門―入魂のシャッター二十二条


「もっと早く本書を読んでおけば」
本書を一読しての私の感想だ。新刊本で購入した本書。あろうことか、一年以上も積ん読状態にしていた。怪しからぬ扱いを本書にしていたと反省している。そもそもなぜ本書を購入したか。それは自分の撮った写真の質に飽きたらなかったから。

三、四年前からFacebookに毎日写真付き投稿を行っている。投稿にあたって自分に課した縛りとは、毎日、自分自身が撮影した、違う被写体の写真を投稿すること。そのココロは日々が単調に陥るのを防ぐことにある。さらにFacebookは実名なので自然と文章に責任が伴う。だらだらと匿名で文章を書き散らすのではなく、締まりのある投稿を習慣付けたかった。その二点については日々のFacebookへの投稿を通して成果が出たと思っている。が、肝心の写真の品質はといえばまだまだ。被写体の見栄えが良ければたまに良い写真は撮れた。しかしそれは素材自体の出来がよいから。私ではなくて他の人による同じようなアングルの写真など、Instagramやflickrを覗けば無数に落ちている。

もっと私の個性を写真に出したい、写真に魂を込めたい。そのことをずっと思っていた。もっともっと日々の生きざまをくっきりと刻むような写真が撮りたい。そういった写真を毎日撮り収めたい。

が、私の写真で満足できる出来はごくわずか。やはり独学ではなく、きちんと学ばねば。そう思っていた私が書店で見かけたのが本書。他にも写真撮影入門が並ぶ中、本書は他と比較した上で購入した。

なのに本書を一年以上も平積みのままにしていた。それではせっかく本書を新刊で買った甲斐もない。

本書は土門拳氏の生涯を取り上げている。土門氏についての私の知識はないに等しかった。もちろん写真家として一時代を築き上げた人という認識は持っていた。でも土門氏の代表作はと問われても黙るほかなかった。そんな私の浅い知識は、本書に描かれる土門拳氏の写真への執念にガツンとやられた。本書は読者に写真を撮る事への覚悟を突き付ける。

そもそも本書は、私が漠然と期待したような写真ノウハウ本ではない。写真の技法に触れた記述ももちろんあるがそれはごく一部。それよりも土門拳氏の写真への執念と被写体の本質を原版に焼き付けるための不屈の魂を伝えるためにのみ書かれたといってよい。本書から私は他の書籍ではおそらく得られなかったであろう写真の心を受け取ったように思う。

例えば人の肖像写真を撮る前にはその人についてのありとあらゆる文献に目を通す。被写体が仏像であれば、創られた時代背景、彫仏師の生きざま、思想などなど。土門氏は単にファインダーに写るモノを切り取るだけの写真屋ではない。土門氏は対象の質感はもちろんのこと、写真に写るはずのない対象の情念すらもファインダーに捉えた上でシャッターを切る。

私がアップした写真も含め、巷のSNSには写真が溢れている。けれどもその中に土門氏が被写体に対して燃やした情熱と同じ熱量の写真はあるのだろうか。多分ないだろう。高価なレンズを用意し、貴重なネガに感光させ、慎重を期して現像液に浸し、ようやく現像できる土門氏の時代。その頃に比べると今は恵まれている。撮り損じてもすぐに削除できるデジタルカメラ。即座に自分の写真を世界に発信できるインターネット。われわれには、もはや氏の求道心を真似ることは不可能なのだろうか。私はこれを書いている今もなおデジタルカメラの便利さに頼っている。時間のない事を言い訳にして。

本書を読み終えて数日後、知り合いの方からFacebook経由で御招待を頂き写真展を訪問した。

そこで見たものは、土門氏の好む被写体ではなかったかもしれないが、私の好む被写体だった。すなわち山。そこで展示されている写真は、SNSに氾濫する写真とは対極にある。自然と対峙した写真家が、刻一刻と変わる被写体の一瞬を切り取る。寒い中、シャッターチャンスを待ち続ける写真家の志は、土門氏のそれを継承するといってもよいだろう。

この展示会で思ったことはもうひとつある。それは、写真を選ぶということだ。ここで出展した写真家のほとんどは、一人あたり多くて二点の出展にとどめている。展示された一枚の写真の背後にはその何十倍、何百倍の写真があるはずだ。土門氏も写真集の発刊に当たっては掲載点数の数百倍の写真を撮ったという。

写真家とは、撮る労力を惜しまず、選ぶ労力も引き受けるから写真家なのだ。ことに被写体を徹底的に調べ抜く土門氏の労力は抜きん出ていると思う。そのことは本書に明らかだ。

撮り忘れた一枚を思い出したとの理由で広島への夜行に飛び乗っていった話。それも本人の結婚記念日当日と言うのだから奮っている。二度の脳卒中を経て体の動かぬ中、投げ入れ堂を撮るために全身をぐるぐるに縛らせ持ち上げさせた話も壮絶だ。土門氏の写真への鬼気迫る姿勢を物語るエピソードは本書に豊富に紹介されている。本書から伝わってくる土門氏の写真家としてのプロとしての意識は凄まじいと言うしかない。

さて、写真に対する姿勢のいい加減な私である。毎日違う被写体で、という目標を立てたのだから毎日違う被写体をアップするのはいい。私の場合、投稿は一日一回と決めている。けれどアップしたい写真には限りがない。そんな中選んだのが複数写真を一つにまとめる策だ。でも、複数の写真を並べて一つの写真としてアップするのは本書を読んだあとでは恥じ入るしかなかった。上に挙げた展示会に出展するような方々や土門氏から言わせると、複数写真を組み合わせる私のやり方は素人写真の典型なのだろう。自分でもそう思う。私はその状態を改善するため、不定期ではあるがInstagramにも写真をアップし始めた。これかなと思う写真を一点選び、写真をフィーチャーするためキャプションは最低限の言葉に留めている。タグをいっぱい付け、多くの人に配信されるようにしている。写真の顕示に特化しているため、思ったよりも反応がある。

でも、まだ足りない。油断するとすぐに写真がダレてしまう。まずは機会を見て土門氏の「ヒロシマ」「古寺巡礼」を観てみようと思う。気合の入った写真から学ぶものはまだまだたくさんある。一眼レフカメラはそれからだ。

‘2016/05/08-2016/05/08