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帝の毒薬


戦後まだ間もない日本を戦慄させた数々の事件。下山事件、松川事件、三鷹事件。これらの事件は、少年の頃から私を惹き付けて離さなかった。本を読むだけではない。下山事件は慰霊碑にも二度訪れた。それら事件は、価値観の転換に揺れる当時の世相を象徴していた。当時の混乱ぶりを示す事件は他にも起きている。その一つが帝銀事件だ。

帝銀事件とは、帝国銀行椎名町支店が惨劇の舞台だったため、そう呼ばれている。厚生省技官を騙り、毒を飲ませて行員たちを死に至らしめた事件。窓口業務を終えた直後の時間とはいえ、白昼に12人が毒殺された事は人々に衝撃を与えた。戦後史を扱った書籍の多くで帝銀事件は取り沙汰されている。犯人は?動機は?生存者によって手口が証言されているにも関わらず、依然として謎の多い事件だ。

先に挙げた三つの事件に比べると、帝銀事件は少し性格を異にしている。それらに共通する定説とは、共産党の勢力伸長を阻むGHQの謀略。大体はこの線で定まりつつあるようだ。だが異説も乱立しており、手口から動機、実行犯や黒幕に至るまで自称識者によって諸説が打ち立てられている。帝銀事件はそれらと違う。まず、犯行の手口がかなり明らかになっている。また、諸説の乱立を許さないだけの定説があることも帝銀事件の特徴だ。旧関東軍の防疫給水部、いわゆる731部隊の関係者による犯罪、という説が。

だが定説とはいえ、証拠はない。なぜなら731部隊を束ねた石井中将による箝口令やその研究成果を独占せんとしたGHQの介入により、その実行犯は歴史の闇に消えたままだからだ。

戦後の混乱期に暗躍したとされる陰謀史観は今までに数多く発表された。私は読み物としてそれらを読むのは好きだ。でも、それら陰謀があたかも隠された真実であり、通史として知られる事実は嘘っぱち、という主張には安易に与しないことにしている。もはや、それら事件が陰謀であったことの立証が不可能だからだ。帝銀事件も、表向きは最高裁の判決によって法的にも史的にも平沢貞道氏による実行犯と決着している。それは平沢氏が亡き今となっては覆りそうにない。

だが、判決が覆らないことを前提としてもなお、帝銀事件に陰謀説が通じる余地はあると思う。帝銀事件の周囲に漂うオーラは、限りなく陰謀色に染まっている。それは、平沢氏に対する判決が最高裁で確定したにも関わらず、歴代法務大臣35人の誰一人として死刑執行の署名をしなかったことにも表れていると思う。

本書はフィクションの形式で、限りなく帝銀事件の謎に肉薄せんとした小説である

本書は敗戦の気配が濃厚なハルピンで幕を開ける。主人公羽生誠一は、ハルピン郊外の関東軍防疫給水部に勤務している。いわゆる731部隊だ。731部隊は、いわゆる人体実験を繰り返した部隊として悪名高い。森村誠一氏の著した「悪魔の飽食」はよく知られている。731部隊の帯びる任務の性質から、医療関係者を除いた部隊のメンバーには石井部隊長の郷里の人間が抜擢されたという。このエピソードは部隊を描いた文章では必ずといってよいほど出てくる。主人公の羽生もまた、千葉の部隊長の郷里の出という設定になっている。

史実によると731部隊の存続期間の大半で、石井四郎中将が部隊長の任にあった。が、本書では部隊長の名は倉田中将となっている。石井中将であることが明らかな部隊長の名を変えたことに意味はあるのだろうか。私は大いにあると思う。

なぜなら、本書では帝銀事件の実行犯を名指しで指定しているからだ。室伏孝男。しかも731部隊内の部署や役職まで指定して。当然、室伏孝男という人物は731部隊に実在しないだろう。しかし、それに対応する実在の人物はいたのではないだろうか。つまり、石井中将でない別の倉田という人物を部隊長に擬したことは、室伏という人物に対応する別の実在人物がいることを示唆しているのではないのか。それはすなわち、本書で室伏が行った帝銀事件の犯行が、731部隊に属していた実在の人物によって行われた事を意味してはいないか。さらにいうと、そのことは死刑囚として95歳まで獄中にあった平沢氏が無実の罪であったことを意味しないか。

本書は一貫して平沢氏を無辜の死刑囚として書いている。戦後の国際政治の都合に翻弄されたスケープゴートとして。だが、本書の視点は平沢氏からのものではない。平沢氏が持ち続けていたはずの怯え、絶望、無常感は、本書にはほとんど出てこない。それよりも、誰がそれをやったのか、を小説の形で仮名にして糾弾するのが本旨なのだろう。

本書は三部で構成されている。第一部は満州を舞台とし、1944年から敗戦直後の慌てふためく撤退までを。第二部は、帝銀事件発生からその謎に迫ろうとする二人の刑事の努力と挫折が描かれている。第三部は血のメーデー事件が題材となっている。

第二部で主人公羽生は刑事になっている。戦後復員してから警視庁に奉職したという設定だ。そして731部隊出身者として帝銀事件の捜査に投入される。コンビを組んだ先輩の刑事は731部隊出身者が帝銀事件の実行犯であると確信し、羽生とともに捜査にあたる。が、妻子を盾にGHQから脅され、骨抜きにされる。

主人公もまた、真相究明に奔走する。しかし、後一歩で室伏を殺され、事件は闇に消える。

本書の筆致は一貫して軍国主義に反発している。憎悪しているといってもよいほどだ。人体実験という蛮行を通し、戦争の非人間性を弾劾する。さらには、国際政治のためなら人体実験を行った医師たちを戦犯とせず、かばい通すことも辞さない悪と裏返しの正義を糾弾する。返す刀で著者はそういった悪の反動が戦後の共産主義の伸長を呼びこんだと書く。

それが、第三部の背景だ。第二部で警察に絶望した羽生は、第三部では共産党のシンパないしは善意の協力者として登場する。731部隊で世話になった部隊仲間が共産党のシンパとして活動しており、警察を辞めた羽生がそこでお世話になったのがきっかけだ。

確かに、731部隊の残虐な所業に幻滅し、反動で共産主義に走った人は戦後多数いただろう。

だが、本書の締め括りとして、警察から狙われ、血のメーデー事件の混乱のなか、幕を閉じさせる構成は果たしてどうだろう。私は余分だと思った。731部隊の非道を撃ち、帝銀事件の真相に迫らんとする本書にあって、血のメーデー事件を取り上げた第三部は、本書の主張を散らし、弱めたように思う。

私としては血のメーデー事件の概要が分かり、それはよかったのだが。本書のために惜しまれる。

‘2016/09/09-2016/09/10


伊藤博文暗殺事件―闇に葬られた真犯人


この本を読み始める少し前、韓国と中国によって安重根記念館が建てられた。私の教科書的な知識では、安重根は伊藤博文の暗殺犯としてのみ記憶されている。ハルピン駅頭で拳銃を発射し、韓国にとって英雄となった人物という認識である。

今回の記念館建設は、最近とみに盛んな韓国と中国による対日プロパガンダの一つであろう。かつて日本が犯した過ちから、今に至るまで歴史問題でこじれていることは間違いない。が、それを外交カードとしていつまでも振りかざす隣国の対応はどうかと思う。日本を卑下したところで精々アジアの覇権を握るだけであり、かつての中華思想の復活などは望むべくもないのに。欧米の勢力による日中韓分断策にうかうかと載せられているだけのようにすら思える。実にもったいないことである。

とはいえ、そもそも私が日中韓の歴史観を語るには、知識も知恵も経験も不足しているのが事実である。ならば安重根とはどのような人物か、について知識を深めたいと思ったのが今回の読書である。彼は何を思い、何を願って暗殺犯の汚名を被ったのであろうか。

本書は安重根の遺した供述文や獄中で書き遺した遺書などを基に構成されている。当時のハルピンは、日露戦争の記憶も生々しい、日本、韓国、清国、ロシアの思惑が入り乱れた地。韓国併合を間近にした陰謀と暗躍が渦巻く闇の都市でもあった。しかし、本書はそのような状況にあっても、憶測や主観に頼らず、今に残る文献を基に実に克明に当時の状況を追っていく。それこそ分単位で。また、安重根の視点で書かれた文献に頼るだけではない。日本側の外交文書や現地新聞記事、さらにはロシア側の文献にも当るなど、本書の執筆に当たってはかなりの努力の跡が見える。

そして本書の最大の美点として、中立を貫いていることが挙げられる。得てしてこのような内容の本は著者の主観が入りがちである。どのように気を付けても言葉の端々に、著者の主張が見え隠れする。しかし、本書では見事にそれが拭い去られている。当時の日本、韓国、清国、そしてロシアの思惑。または伊藤博文から安重根、そしてハルピン駅頭で伊藤博文と会談する予定だったロシア蔵相ウラジーミル・ココツェフ。これらの人物に対する視点は実に透明である。安重根については、亜細亜の友好を願い、伊藤博文が日韓の未来にとって有害と信じ暗殺に及んだ人物として公正に書いている。日本側の官憲をして立派な漢であると感嘆させたエピソードも含め、安重根を操り人形やテロリストといった見方ではなく一人の人物として紹介している。伊藤博文についても、圧制者ではなく、むしろ韓国の理解者として日韓友好に努めた人物として取り上げている。他の人物についても徹底的に客観的な視点と描写を貫いている。本書のこれらの姿勢には賛嘆を惜しまない。

だが、事件発生から刊行辞典でも90年以上の年月を経、著者の努力も一歩及ばなかった点は否めない。残念ながら本書では暗殺の首謀者特定まで至っていない。著者の調査は入念を極め、視点も着眼点も優れているだけに、歴史を取り上げることの難しさを痛感する。

だがそれは著者及び本書の価値を損なうものではなく、むしろ本書の特徴は先に挙げたような中立の視点で書かれた経緯にあるといってよい。

首謀者が特定できなかったといっても、本書の記述には興味の持てる点、新たな発見点が多数あることも記しておきたい。これは教科書レベルの知識しか持っていなかった私だけでなく、他の類書を既読の方にも有益な情報となることであろう。

事件当日に既に銃創の位置から別の犯人の存在が示唆されていること。これは既に有名な情報らしいが、私は知らなかった。また、近年、伊藤博文の死亡診断を行った医師による死亡診断書が発見され、その内容が本書で公開されている。さらに本書では、満州や極東ロシアに散らばる清人社会のネットワークや、伊藤博文の融和策に反対する日本の支配層の動きについても色々な情報が得られる。

だが、本書を読んで一番得た収穫としては、主犯とされる安重根、被害者である伊藤博文の両者の人物像ではないだろうか。本書では、両者を圧制者と非圧制者といった単純な構図に落とし込んでいない。安重根と伊藤博文については、プロパガンダの道具としての書き方をしていないのは上に書いた通り。いずれも今の日中韓の醜い争いとは一線を画したものである。安重根記念館は聞くところでは義挙の士としての安重根を強調したがっているようだが、実際はそんな単純なものではなさそうである。展示館を作るのであれば、そのような偏向した見方で両者の志を汚さぬようにして頂きたいと願うばかりである。

’14/04/09-’14/04/13