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ワーケーションの意味をCLS道東で教わりました


北海道から戻って約二週間がたちました。
東京に一日いただけですぐ大阪へ。十日ほどシステム切り替えやその他の作業でこもっていました。

北海道での交流の日々。そして大阪での仕事の日々。どちらも私にさまざまな気づきを与えてくれました。それらの気づきのうち、最も大きく感じたのはワーケーションの意味でしょうか。

9月26日 何かを変えたい熱意は通じる
9月27日 伸び代は伸び代のある場で
9月28日 ワーケーションは人が必要

ワーケーションは、リアルとオンラインの使い分けを人々に問いかけます。
コロナの流行が始まってから二年半。今更、オンラインとリアルの使い分けを考えることに意味はあるのでしょうか。
確かにオンラインでの働き方は市民権を得ました。ですが、残念ながら人は今もリアルの働き方を最善とし、場合によってはそれを人に強いています。また、オンラインの会議に渋々参加しているものの、本心ではリアルが一番と思っている人も多いはずです。

私が感じたのは、どちらにも優劣はないと言う単純なことです。臨機応変に場面に応じてリアルとオンラインを切り変えればよいだけの話。
むしろ、どちらかに決めてしまうことがおかしいのです。コロナが人々に突きつけたのはこの問いです。TPOに合わせて考えることを放棄してはならないのです。

日々の定型業務のすべてをリアルで行わせたい。
イーロン・マスク氏に限らず、そのような上司や経営者はまだ多いことでしょう。
が、日々の定型業務をこなすため、リアルで出社させる必要は本当に必要なのでしょうか。私はオンラインとリアルのどちらかに決める必然はないと考えます。
今まではアウトプットの質や量の低下を理由に、リアルが圧倒的に有利でした。ですが、時間の自由度がないことや通勤の疲れなど、リアルにこだわる事はインプットの低下をもたらしていました。

一方、すべてをオンラインで済まそうとすることも弊害の元です。
今のオンラインツールは、まだリアルほどには信頼感の醸成ができません。メタバースにしても、人間の五感の代わりにはなりえていません。
また、オンラインでは多くの人と新たに出会えますが、リアルで会う時のような深い関係は築けません。築く以前に、発展的なつながりの構築が難しいことは皆さんが知ってのとおりです。
オンラインは、リアルな距離感を構築できず、人間関係にも見えない壁が残ります。一方、メタバースでアフリカの大地を旅しても、リアルでその場の空気に触れる感動とは比較になりません。今もなお、オンラインツールから得られるインプットは少ないのが現状です。
違う場所へ移動し、そこで新たな人と交流することは心を活性化しインプットを多く増やします。インプットの質に関しては、オンラインはリアルに叶わないことは認めるべきです。

インプットが枯渇すればアウトプットも決まりきった内容になってしまいます。枯渇したまま、オンライン上で業務を続けても、アウトプットの質の低下は否めません。オンラインツールにはまだまだ改善の余地があると割り切った方がよいのです。

人と会い、人と語り、人とつながることはリアルの方が強い。特に新しい人との出会いにおいては。
これを認め、リアルでの場には積極的に参加すべきです。たとえCLS道東のように遠方であろうと。
ただしリアルといっても、毎日、仕事する場には原則として同じメンバーが集います。そこからは新たな発想や新たな行動はなかなか生まれにくいことも認めなければなりません。つまり定型業務こそオンラインで行うべきなのです。
逆に、新たな場所を訪れ、新たな人とご縁を結ぶ機会はリアルの場に積極的に参加することを推奨すべきだと思います。

CLS道東では、そうした観点からのお話が多かったように思います。参加されている皆さんの多くは、仕事しながら旅をするワークスタイルを確立した方ばかりです。とても参考になりました。

私は今までに何度かワーケーションを経験してきました。その中で、どうしても拭えずにいた葛藤がありました。
それはワーケーションにおけるアウトプットの問題です。ワーケーションにおいては、アウトプットの量と質がどうしても低下してしまいます。

ある程度、普段の業務に余裕がある人ならワーケーションは問題ないのでしょう。が、私の場合それが許されません。私のように常にさまざまなタスクを抱えている現状では、アウトプットの減少は由々しき問題です。
ワーケーションには移動が必須です。移動中には通信や電源が確保できず、宿泊先でも会話や飲み会が集中を絶ちます。どう繕っても、ワーケーションの実質は「ケーション」が多めになっていることは認めなければ。

特にシステム構築は、オンラインでできるはずの業務でありながら、集中を求められる作業です。
いつもの作業場で仕事をするよりも、生産性に顕著な低下が生じてしまいます。

今回、CLS道東のセッションの中で話されていたことの多くは私の目を啓かせてくれました。
中でも、ワーケーションのアウトプットは落ちると明確に話されていた八子さんの言葉と、ワーケーションは地元でも出来るとの古地さんの言葉は、ワーケーションについての私のモヤモヤを払拭してくれました。
私の中で今後、ワーケーションはインプットの場として明確にします。もちろんアウトプットも忘れません。連絡や、簡単な設定作業などは積極的に行います。

私は普段から、コーディングや設定の作業が一段落すると散歩に出かけていました。そして、散歩しながら必要な連絡をこなしていました。それは、古地さんがおっしゃっていた「地元でもワーケーション」の実践だったことに気付きました。
私はそのことを普段から無意識でやっていましたが、これからは意識して近所のカフェを使おうと思います。これならば移動時間のロスも減り、ワーケションのアウトプットロスも減らせます。

日々のワーケーションでインプットとアウトプットの両方を満たしつつ、数カ月に一度は遠方へワーケーションに赴こうと思います。
遠方を訪れた際は、ワーケーションでアウトプットの質量が落ちることを自覚します。そして、失われたアウトプットを上回るインプットを得れば良いと割り切ります。それは、仕事上の気づきのインプットであり、日々の仕事に疲れた心を休めるインプットでもあります。
6月の高知と9月の道東で感じたメリットを自覚しながら。

じつは私は、ワーケーションによるインプットの効果は、一介のプログラマーやシステムエンジニアの役割にとどまっている間は、あまり感じられないと見ています。
そもそも、今はオンラインで仕事ができる環境が整いつつあります。かつてのように出勤を強いられ、開発ルームに詰め込まれ、ひたすらタスクをこなすだけの仕事は既に減りつつあります。これからもさらに減っていくでしょう。さらにいうと、今後のシステム業界は単なるコーダーや設計だけしていては生き残っていけない事は明白です。そうした仕事は人工知能がどんどん担っていくことでしょう。
ですが、人とのつながりや、ビジネスのプロセスから新たな価値を見いだす仕事は、まだまだ人が担うべき領域です。今後のエンジニアにはそうしたタスクが求められるはずです。それには想像力が要ります。アウトプットに終始した同じ場所での業務からは、新たな発想を生みだす事は難しい。ワーケーションとは、インプットをどんよくに取りこみ、アウトプットを充実させるだと考えるようにします。
結局、ワーケーションによるインプットのありがたみとは、人との交流が必要になった技術者になるか、メンバーを統括し、導き、プロジェクトを推進する立場、さらに経営する立場になって初めて得られるのではないか。それが私の率直な意見です。

今回、釧路や知床でのリアルのご縁をいただくとともに、知床や大阪ではオンラインやメタバース上で全国各地の人と会話を行いました。
皆さんに感謝するとともに、その触れ合いや交流が、私に上のような思いを強く抱かせました。
ワーケーションには可能性があると。そして、都会の心中からは、もはやイノベーションが生まれにくいと。
地方創生とは無理に都市から人を引きはがすことにあるのではなく、都市ではもはや得られないインプットを得る目的の延長にあるのではないかと。


宇都宮でのおためしサテライトオフィス体験


3/3-3/10まで宇都宮に通いと宿泊で仕事をしてきました。本稿はその体験記です。

【2021年6月17日~】気軽におためし!サテライトオフィス体験支援補助金@とちぎ(栃木県お試しサテライトオフィス設置推進事業)
の募集を見かけたのは、確かメールマガジンだったように記憶しています。
応募したところ、無事に審査に移っていただけました。

当初は茂木や真岡、足利や栃木や鹿沼など栃木のあちこちで仕事をしようと思っていました。今回の応募も栃木のどこでも可能となっていたので。ところが申請書類には仕事場所や宿泊場所の記載欄が一カ所しかありません。それを増やすにはいろいろと審査の手続きが大変そうでした。そのため、宇都宮一カ所にしぼりました。

私がこうした企画に参加するのは二年ぶり。福島県お試しテレワークツアーで郡山と猪苗代を訪れたのは、2020年の1月。その直後にコロナが世の中を乱し、こうしたツアーには参加できずにいました。
福島県お試しテレワークツアー

私が応募した理由は二つです。
一つは、旅ができていなかったことです。今年に入ってからも仕事が忙しく、しかも案件が次々と来ている状態で休みが取れておらず、しばらくは休める見込みもなかったからです。どうせ休めないのならせめて違う場所で仕事をしたい。それが理由の一つめです。
もう一つは、自然災害が起こった時の事業継続計画(BCP=Business Continuity Plan)の一環です。首都圏はいくつかのリスクを抱えています。東海地震・首都直下型地震・富士山噴火。そのうち最後の富士山噴火が起こった場合、町田まで火山灰が飛んでくる可能性が高く、そうなったら電子機器は全滅の可能性があります。
私には関西の実家に行く選択肢もありますが、関西への道が閉ざされた場合や首都圏に拠点を置き続ける事を考えた時、栃木は避難場所として適しているように思いました。そのため、仕事と暮らしの両立が可能かを調べたかったのです。

私は今まで日光は5,6回訪れたことがあります。那須や鬼怒川温泉も1,2回は訪問しました。ところが、宇都宮を訪れるのは初めて。街どころか駅に降り立ったこともありませんでした。

3/3と3/4は、小田急と中央線と東北新幹線を乗り継ぎ、往復で通ってみました。
小田急と中央線はいわゆる通勤電車なので、車内での仕事はできません。せいぜいメールやチャットのやり取りやブログを書くぐらい。ところが東北新幹線は3往復とも電源が使える席が確保でき、快適に仕事ができました。今回初めて知ったのですが、東北新幹線にはウェブ会議ができる車両もあるそうです。ですが、そこを利用するまでもなく、自席で作業がはかどったことはよかったです。
のぞみに乗ると感じるストレスがなかったのは、今後の通勤も含めた手応えでした。

一方、現地で働く場所については、事前に調べておいたほうが良さそうです。
私は失敗を犯しかけました。

今回の八日間のうち、三日間をコワーキングスペースのHOTTANさんで仕事しました。
また、栃木県への申請書類にも、三日間はHOTTANさんを利用すると記していました。
それなのに私は、HOTTANさんのホームページに書かれた注意事項をすっかり見落としていました。
「※ドロップイン利用は、必ず利用日の前日18:00までに予約フォームからご予約下さい。
(受付スタッフは常駐しておりません。不在でご利用頂けない場合もあるため事前予約をお願い致します。)」

3/3も、宇都宮駅を降りた私はHOTTANさんまで訪れ、CLOSEDの看板の前で途方にくれました。
「あれ?10時開店やなかったっけ?」
諦めて近くのコワーキングスペースを探すと「MUSASHI BASE futaara BASE」さんがあり、そこまで訪れ、予約の電話を入れてみました。ところが、futaara BASEではドロップインはやっておらず、ドロップインは駅の反対側にあるimaizumi BASEまで来てほしいといわれました。地図を見ると今やってきたばかりの道を駅まで戻り、さらに反対側も2キロほど歩く必要がありそうです。しかも営業時間は18時までだそう。この日は18時からの打ち合わせが予定されていたため、断念しました。
そこでHOTTANさんに電話すると、つながり、12時からなら開いているとのこと。

餃子通りで初餃子を食べてから、HOTTANさんへ。倉庫を利用した中は、結構広くてたくさんの本が置かれており、良い感じです。この日は私以外にもう一人の方がいらっしゃいました。
私も19時まで打ち合わせや作業を並行して行い、辞去にあたっては、翌日の朝10時にまた来ますとお伝えしました。

翌朝、町田から同じルートでやってきた私は、またしてもHOTTANさんの前で”CLOSED”の看板を見て立ち尽くしていました。
この時はすぐにスタッフの方からSMSにご連絡をいただいたので、中に入れました。また、10時半からのオンライン打ち合わせにも間に合いました。スタッフの方が来た12時過ぎまでは施設内に私一人だけ。午後からもスタッフさん以外に利用しているのは私だけでした。おかげで複数の打ち合わせを遠慮なくこなすことができ、とても仕事がはかどりました。
HOTTANさんは、スタッフの皆さんもいろいろとご用事をお持ちらしく、午前中は難しいのかもしれません。必ず注意事項を遵守し、事前に連絡を入れなければ。

ちなみに最終日の3/10の10時にも私は予約をせずにHOTTANさんを訪れてしまいました。この時も看板は”CLOSED”だったのですが、11時から打ち合わせの予定がありました。この時は近くのファミリーマートのイートインコーナーで打ち合わせをこなし、その後、連絡を入れたところ、12時からは開いているとご返信をいただきHOTTANさんに入ることができました。この日も利用者は私だけで、打ち合わせがとても捗りました。

三日間、使わせてもらったのですが、通信環境に問題はなく、とても使いやすかったと思います。月額料もリーズナブルですし、移住したらオフィスにして使わせてもらえそうだと感じました。
必ず事前にご連絡をするようにして。ありがとうございました。

今回は移住の可能性も調べなければなりません。そこで私は5日から10日まで五連泊して、街の住み心地を見てみようと思いました。

五日の朝、トランクを持って再び宇都宮に降り立った私は、unizo inn express 宇都宮に向かいました。ところがチェックインの時間は15時だったため、14時からの打ち合わせは、ホテルのロビーを使わせてもらって行いました。ロビーでWi-Fiが使えたのはよかったです。
その打ち合わせと、いくつかの作業を終わらせ、チェックインを済ませた私は、街に繰り出しました。宇都宮は自転車の街を謳っています。近くの宇都宮駅東口の駐輪場ではレンタサイクルを受け付けており、ここで自転車を借りました。100円を払えば1日中自転車を乗り回せます。これはとても素晴らしい取り組みだと思いました。

初回の手続きでは、昔ながらのスタンプカードを作ってもらい、係員の方に記載してもらう手間があります。が、それでも100円でいろんなとこに行けるのはありがたい。これはさまざまな市町村でもやるべき取り組みだと思います。
前日までの二日間は、宇都宮の限られた範囲を歩いただけだったので、自転車でより広い範囲をめぐってみようと思いました。まず、宇都宮城跡公園へ。そこで街の歴史に触れることが出来たのは参考になりました。

宇都宮の街は戊辰戦争と太平洋戦争の空襲で二回、大きな被害を受けました。
昔からの街並みは、その時に消えました。ただ、復興した街の中心は宇都宮駅の周辺に譲らず、宇都宮城跡と二荒山神社の周りから発展しました。
そのためか、JR宇都宮駅の周辺は商業ビルが目立っていますが、そのすぐ外は寂れた雰囲気が目立ちます。そこからかつての街の中心部に歩くにつれ、再び活気を見せます。これが伝統の強みなのでしょう。街の構造としてとても興味が湧きます。そういえば、すぐ北の新白河駅の付近も宇都宮と同じような雰囲気を発散しています。

宇都宮城跡の次に訪れた南宇都宮駅。私の駅を巡る趣味の一環で訪れたこの駅には近隣の雰囲気も含めて良い印象を受けました。南宇都宮駅は東武の駅です。大谷石で設えられた駅舎はとても品が良く、各地の駅を訪れてきた私の心をくすぐってくれました。駅前から歩いてすぐの場所には、大谷石で建てられた倉庫群をリノベーションした一角があり、その一角はとても風合いのある雰囲気を醸し出していました。その印象もあいまって、南宇都宮駅近隣の住み心地の印象を私に強く植え付けました。
家賃の相場は調べていませんが、この辺に住むのも悪くないなぁと思えたほどに。

翌日は、また同じ場所で自転車を借りました。より郊外の宇都宮を知ってみようと思ったからです。
目指したのは大谷地区ですが、途中、寄り道をしました。宇都宮で有名な関東・栃木レモンが、今や世に広く知られています。ですが、宇都宮にはもう一つのレモン牛乳があることを知り、そこにぜひ訪れようと思いました。鉢谷乳業さんです。鉢谷乳業さんのある戸祭地区もとても住みよい場所に思えました。前日に訪れた南宇都宮駅近辺とも甲乙をつけがたいほどに。

宇都宮の街の構成として、宮環と呼ばれる環状道路があります。この環状道路が宇都宮の街と郊外を分けているようです。宮環を超えた途端にあたりの景色に豊かな自然が目立ちます。土地にも余裕が出てきます。
大谷観音や大谷資料館、そして多気城跡を訪れましたが、気軽なハイキングができるため、休日のレクリエーションには事欠かないでしょう。多気山からまた宇都宮の街は、とても平らかで、自転車であちこちに行けそうです。

帰りは宮環に沿って鶴田駅まで行きました。宮環は宇都宮の郊外と街を分けているだけに、ロードサイドのさまざまなお店を見かけました。首都圏で見られるチェーン店のほとんどがここにそろっていると思えるぐらい。車さえあれば買い物にも困ることはなさそうです。

このような環状線がきっちりと設けられているのは、宇都宮の各地区の性格を把握するためにも便利だと思いました。一方で街の中心部にはかつての街並みを思わせるような感じも残っていて、しかも、風致地区のような区域が二荒山神社やいくつかの寺院を除けばほぼ残っていません。ところが、宇都宮には大谷石があります。この大谷石が宇都宮の街を彩っています。

翌日からの三泊は、全てホテルにこもっていました。もちろん夜や昼は少し食事を取りに外に出ましたが、それ以外はずっと打ち合わせが続き、ホテルの部屋から出られませんでした。ホテルのWi-Fiも特に問題なく使えたので、仕事ははかどったと思います。
今回は経営上でいくつか判断をくださねばならないこともあり、集中できたことで目的は達成できました。

ホテルがJR宇都宮駅の東側にあったため、ホテルにこもっている間は、駅の東側をそぞろに歩きまわりました。今、駅の東側は宮みらいという地区名が与えられ、来年に予定されているLRTの開通を控え、工事がたけなわでした。

ただし、私が泊まったホテルのあたりは飲み屋が乱立しているのですが、あまり品の良い感じではありません。しかも、コロナで街が停滞していることも影響し、良い印象を受けませんでした。呼び込みに声をかけられるのも、旧市街よりもこちらの方が頻繁でした。

東口は街の歴史に影響を受けていないため、開発が無秩序に行われてしまったのかもしれません。そこは逆に街にとってのチャンスなのかもしれません。

結論として、住むには良い場所だと思います。
まず、街自体に起伏がないことは移動を楽にしてくれます。あと、町中に関東バスが頻繁に走っており自転車だけでなくても移動は楽そうです。
また、餃子を八日連続で食べましたが思ったより安く、食費も抑えられそうな手応えを得られました。いくつかスーパーも巡りましたが、料理の材料も安く手に入りそう。「パワーマート」や「たいらや」「かましん」といったスーパーが鎬を削っていました。

ただし、働くためにはいくつかの問題がありそうです。
それはコミュニティの不足です。
コワーキングスペースはHOTTANさん以外にも数カ所あります。きちんと予約や連絡を取れば大丈夫でしょう。
ただ、私が調べたところ、宇都宮でIT系のイベントが行われている形跡はありませんでした。コロナゆえ、今更リアルなイベントにこだわる必要はないのでしょう。ですが、コロナの前から、宇都宮ではそうしたIT系のイベントが行われていなかったように思えるのです。
私が関わっているkintone Caféは首都圏の各地でも開かれているのですが、栃木と茨城だけは未開催です。
それもITコミュニティが育っていない証だと思います。すぐ北の郡山や会津でITコミュニティが盛んなことに比べると、宇都宮のITコミュニティの温度が低いことはとても心配になりました。

例えば私が宇都宮に移住し、拠点を移したとします。現状でも全国からお話をいただけているので、特に営業のネタに困ることはないでしょう。ですが、宇都宮に家族と住むのか、単身で住むのか早くわかりません。
もし一人だった時、私のメンタルはコミュニティに頼らず保てるのでしょうか。
私のことですから、おそらく飲み屋などに出没して仲間を作っていくのでしょう。ただ、手っ取り早く仲間を作るにはコミュニティが適しています。ただし、そもそもそのコミュニティが見つからないのであれば、それも難しいかもしれません。

宇都宮は住むには良さそうですが、働くにはもう少し検討が必要だと感じました。


リモートチームでうまくいく


著者の名前は今までも、さまざまなインタビューやネットニュースなどで拝見してきた。著者が経営するソニックガーデン社の取り組み事例として。
著者の登場する記事の多くはCybozu社に絡んでいることが多い。
そういえば、一時期、私と同じくkintoneのエバンジェリストだった方もソニックガーデン社の社員だった。
それもあって著者やソニックガーデン社のことは前から気になっていた。

著者やソニックガーデン社が唱える理念には、共感する部分が多い。
本書の前に著者が出版した『「納品」をなくせばうまくいく』は、私の心を動かした。
情報処理業界で生計を立てるものにとって、納品という営みはついて回る。それをあっさりとやめようと宣言する著者の言葉は、私を驚かせてくれたし、共感もできた。
システム業界にとって納品という商慣習は常識だった。だが、それはもはや非合理な商慣習ではないのか。そう考えていた人はいたかもしれないが、実際に行動に移す会社がどれだけあるだろう。

本書はそんな著者がリモートワークの要諦を語ってくれるというのだ。書店で手に取り、購入した。

弊社はもともと、リモートワークを実施している。
私自身はほぼリモートワークの体制で仕事を行っている。
だから、本書を買わなくてもリモートワークの本質はつかんでいるつもりだ。ではなぜ、本書を購入したのか。
それは、私の役目がプレーヤーから経営者に変わったからだ。

私はリモートワークの全てを自分の中に言葉として血肉にできていない。
それは私がプレーヤーであり続けてきたからだ。だから、私がいくらリモートワークの効能を人に勧めても説得力に欠ける。
だが、そろそろ外部の協力技術者も含めたリモートワークの体制を作ることを考えなければ。

弊社として、今後もリモートワークでいくことは間違いない。
そのため、経営者としてリモートワークを技術者にお願いする必要に駆られるだろう。その時の裏付けを本書に求めた。本書を読み、より一層の論理武装をしたいと思った。

私がやっているリモートワークとはしょせんプレーヤーのリモートワークだ。私自身が築き上げてきた仕事スタイルでしかない。そう自覚していた。
こんごはリモートワークを管理する側としての経験や知見が求められる。
私がやっているリモートワークの管理とは、しょせんはリモートワーカー同士の連絡に過ぎない。リモートチームになりきれていない。
その構築のヒントを本書から得たかった。

本書を読んだ後、弊社は雇用に踏み切った。そこで私は監督者として立ち振る舞うことを求められた。
ところが、私はどうもリモートワークの監督者として未熟だったようだ。期待する生産性には遠く及ばなかった。

それはもちろん本書や著者の責任ではない。私が未熟だったことに尽きる。それを以下でいくつか本文と私の失敗を並列してみたいと思う。

「セルフマネジメントができる人たちで構成されたチームを作り上げることでリモートチームは成立するのであって、その逆ではありません。多くの企業において、リモートワークの導入を妨げているものは、リモートワークそのものではなく、その背景にあるマネジメントの考え方ではないでしょうか。」(118ページ)

セルフマネジメントができるとはつまり、技術力が一定のレベルに達していることが条件だ。技術があることが前提で、それを案件の内容や進捗度合いと見比べながら、適切にマネジメントしなければならない。残念ながら、その技術力の見極めと案件への振り分けにおいて失敗した。これは経営者として致命的なミスだったと思う。

「私たちの会社もROWE(完全結果志向の職場環境)をベースに考えています。私たちがアレンジしているのは、その成果とは個人の成果ではなく、チームの成果であるとする点です。」(136ページ)

弊社も私を中心としたハブ型ではなく、各メンバーが相互に連携する組織を考え、メンバーにもその意向を伝えていたつもりだった。だが、どうしてもハブ型の状況を抜け出せなかった。
残念ながらメンバーが一定程度の技術に達していないとこのやり方は難しいかもしれない。お互いが教え合えないからだ。いくつかの案件では成功もしかけたのだが。
もう一度チャレンジしたいと思う。

「監視されなければサボる人たち、監視されないと安心しない人たち、そんな人たちでチームを組んだところで、リモートチームは実現することはできませんし、そもそもそんな人たちがオフィスに集まったとしても、大した成果を上げることなどできないのではないでしょうか。」(173ページ)

これも完全に書かれている通りだ。ただ、私としては実際は働き具合がどうだったのか、今となっては確かめる術もないし、そのつもりもない。結果が全てだからだ。

「オンラインでは物理的な近さも遠さもないので、フラットに誰とでも絡むことができるからです。」(206ページ)

私が間違えたことの一つが、本書の中でも紹介されているRemottyのようなお互いの顔が見られるツールを導入しなかったことだ。それによって例えば雑談がオンライン上で産まれることもなかったし、日記や日報を書いて見せ合う環境も作りきれなかった。

「新人のリモートワークは“NG”」(177ページ)

外部の人に弊社の失敗事例を告げた時、真っ先に指摘されるのはこのことだろう。私がしでかした間違いの中でもわかりやすい失敗がこれだ。いきなりリモートワークで走り出してしまった。

私がしでかした失敗によって、本稿をアップする一週間前に一人のメンバーを手離してしまった。お互いが持つ大切にしたい考えやスキルのずれなど、もう少しケアできることがあったのに。とても反省している。

弊社の救いはまだメンバーが残っていることだ。もう一度このメンバーでリモートワークの関係を作っていきたいと思う。
私を含めた弊社のメンバーにリモートワークが時期尚早だったのは確かだ。ただ、まがりなりにも一年近くはリモートワークの体制を続けてこられた。なんといってもCybozu Days 2021は、弊社と弊社に近しいメンバーだけで無事に出展できたのだから。
今後も週二回程度はリアルの場を作りながら、もう一度リモートワークの環境を作っていきたいと思う。

なお、本書に書かれている社長ラジオは、毎朝のスラックでのブログアップとして続けている。これは私の考えを浸透させる意味では貢献してくれているはずだ。そう信じている。
本書に書かれていることで役に立つことは多い。

‘2020/05/29-2020/05/31


紀伊半島はたらく・くらすプロジェクト三日目 2019/11/27


この日は私にとって下北山村滞在の最終日。三木さんもこの日を最後に次のイベント会場の田辺に移動されるらしく。
それならば、と二人で朝から下北山温泉きなりの湯に赴き、三度目となる裸ン坊トークを。

私にとって、こんな短期間で妻以外の方と集中的に話をする機会はそうそうありません。
私は情報処理。三木さんはコンサルタント。業種は違えど、場所に縛られず仕事ができる立場には相通ずるものがあります。
そして三木さんは私よりも豊富にこうしたワーケーションの経験をお持ちです。

私も一つところに縛られるのが苦手です。そのため、三木さんのようにあちこちで柔軟に仕事がしたいと思っています。
三木さんと話していると、どうすれば仕事しながら自由に旅ができるかという知見と衝動がたまっていきます。こうした刺激こそ、会話の喜びなのでしょう。とても貴重な時間でした。

この旅を終えてしばらくして、世界をコロナが席巻しました。そして、自由な旅に制限をかけました。
その一方で、コロナはリモートワークへの必要を高めて、働き方の変化を促しました。それによって、弊社にも仕事の引き合いを増やしてくれましたが、それが皮肉にも私の時間を奪ってしまいました。
もっとも、コロナ下にあっても5,6回は出張に出かけられました。
ですが、出張先でも効率を落とさずに仕事ができているか、と問われればまだまだ、と答えるしかありません。まだ体制が不足しているからです。
コロナ下でも弊社としてさまざまな実績や認知度を上げることはできたと思っていますが、効率の面では課題を感じています。

今のところ私の結論は、プログラミング作業やテストはワーケーションには向かない、です。その理由は、プログラミングやテストを行うにはある程度の集中する時間が必要であり、二泊三日ではかえって移動のバタバタによって能率が落ちるからです。ワーケーション先でコーディングやテストを行うのなら、二週間ほど滞在するつもりで来ないと逆効果と思っています。
ただ、概要設計や外部設計はワーケーションが向いているようです。
つまり、顧客との要件定義や概要設計や外部設計はワーケーション先で自由な発想のもと行う。そして、並行して本拠にいる方にプログラミングやテストを行っていただくよう依頼する、といった体制です。その方向性については見えてきました。
あとはその体制の作り方と要件定義の伝達手段を煮詰めることが現時点の課題です。

そのあたりの課題を突き詰めていくにあたっては、三木さんとまたお話する機会があれば、自分の中で固めていけると思っています。
三木さんとは下北山村で別れた後、12月に都内で行われた紀伊半島はたらく・くらすプロジェクトの打ち上げ会でお会いしただけです。
そのあとにも京都の町家でのワーケーションのイベントにお誘いいただいていました。ですが、私が登壇する予定だった京都での別イベントもコロナで中止となり、辞退しました。それからは三木さんとは会えていません。

お風呂トークを終え、初日の夜には閉まっていた食事処で下北山村の特産である「春まなうどん」に舌鼓を打ちました。
「下北春まな」。そして「おくとろ温泉」にも売っていたじゃばら。ともにこの地方の特産物として一定のブランド力を持っています。春まなうどんに至っては家族が気にいり、後日、SHIMOKOITAYAMA BIYORIの方にお願いして取り寄せたほどです。

最後にSHIMOKOITAYAMA BIYORIに立ち寄って皆さんと歓談をしました。その時にいただいた柿がとてもおいしかったです。
お世話になったナオコさんやナツミさん、ノブコさんともお別れです。
そういえば、ノブコさんとは私が住んでいる町田の家を通して思わぬご縁がつながっていました。驚かされました。ナオコさんやナツミさんとは都内で行われた打ち上げや、勝どきの太陽のマルシェで出店に来られていた際にお会いできましたが、紀伊半島ではお会いできていません。上に書いたとおり、私が伺える状況になかったので。

せっかくつながったご縁を大切にするためにも、またSHIMOKOITAYAMA BIYORIには訪れたいと思っています。というか、おそらく伺えるはずだと思っています。
なぜなら、下北山村で行けなかった場所がたくさんありますから。例えば三重滝。例えば釈迦ヶ岳。例えば深仙の宿など。他にも明神池の周囲の散策コースはじっくり歩いてみたいし、下北山村の周囲には私が未訪の名瀑が無数に点在しているはずです。

下北山村には必ず再訪することを誓い、SHIMOKOITAYAMA BIYORIの前の橋を渡りました。そこの見事な紅葉に目をやりながら。
最後に、まだ訪れていなかった町役場や学校の前でしばしたたずみました。そして最後に下北山郵便局で風景印をいただきました。
いよいよ下北山村ともお別れです。

帰り道、425号線を通って十津川村経由で帰りました。それは帰り道に十津川村の笹の滝を訪れたかったからです。
425号線の峠のトンネル近くでは、あたりを一面の霧が覆いました。その幻想的な光景に、私は運転を中断して見入っていました。
私が別れを告げた下北山村が霧の中に遠ざかっていくような感覚。その霧が私を感傷から吹っ切らせてくれました。

十津川村に入ってしばらくすると、立て続けに三つの滝に出会いました。大泰の滝、清納の滝、そして不動滝です。私の中では清納の滝が気にいりました。清納の滝は、舞台型と私が勝手に名付けている滝の形です。刹那ごとに変わる形を演じている滝の舞台。美しかったです。

168号線に合流し、北上した私とストリーム。しばらくすると、笹の滝へといざなってくれる道が見えてきました。すでに日は傾きかけており、滝に間に合うかが微妙でしたが、少し山道を飛ばして走ることしばらく。大胆かつ細心の運転で16時40分には笹の滝の前に立つことができました。日本の滝百選に選ばれた笹の滝。すでに光量は乏しくなってきていましたが、なんとか笹の滝の美しい姿を記憶に収めることができました。

刻一刻と薄暗さが増す中、ぎりぎりまで笹の滝にいた私。
そのため、来た道を戻って168号線に合流した時、すでに空は闇に覆われていました。
168号線を走るのは8年前に妻と熊野三社から吉野へ向かって以来です。けれども、その時の思い出を反芻するには暗くなりすぎていました。
やがて168号線は五条インターチェンジへ。後は高速道路の旅です。
この日の夜、何を食べたのか覚えていませんが、おそらく実家で食べたのでしょう。
そしてその日は東京に帰らず、実家でもう一泊し、翌朝の新幹線で東京に帰りました。
そんな風にして四泊五日の紀伊半島はたらく・くらすプロジェクトの旅は終わりました。

その後、紀伊半島はたらく・くらすプロジェクトは紀伊田辺での期間を最後に終了しました。
そして12/19には都内で打ち上げと報告を兼ねた会が行われ、そちらには私も参加できました。
会場となった尾鷲や田辺、そして下北山村のイベントの報告を伺いました。また、その場で披露されたイベントのまとめ動画も見事でした。

各場所とも面白そうなイベントが実施されていたのですね。あらためてうらやましさを感じました。
また、打ち上げには私がお会いできなかった下北山村に参加された皆さんも来られており、下北山村のイベントに参加できなかった私にとって、いろいろなことを教えてもらえました。特に、ジビエの解体の動画を見せてもらえたのは思い出に残りました。
打ち上げに参加できたことで、また紀伊半島に行きたい思いに駆られました。

ところが、年が明けた二月から、世界はコロナに塗りつぶされてしまいます。
私も1月の中旬を最後に、ワーケーションをする機会がなくなってしまいました。
先に書いた通り、私の場合はコロナによって旅の自由が奪われたのではなく、コロナによって仕事が忙しくなってしまったためなのですが。

それに対する処方としては、体制の構築しかないと思っています。
今、こうやって一年少し前の思い出をつづっていますが、数日前に弊社もついに求人募集を出すことになりました。
三木さんと会話した三日間の結論として、ついに求人に踏み切ったということもあります。

体制の構築がうまく実現し、私がワーケーション先で要件定義や基本・概要設計ができるようになれば、きっとまた下北山村にも訪れられると信じています。

今回の旅や打ち上げ会で私とご縁を結んでくださった皆様、本当にありがとうございました!


紀伊半島はたらく・くらすプロジェクト前日迄 ~2019/11/24


たしか、10月の初旬だったと思います。紀伊半島で二泊三日のワーケーションをしてみないか、というお誘いのメールをLancersさんからいただいたのは。
普段、私はこうしたメールに目を通す事はありません。ですが、この時はたまたまメールに目を通しました。それもご縁ですね。
もちろん、その瞬間に参加を決意しました。

調べてみると大掛かりなイベントのようです。
カヤックLivingさん・Business Insider Japanさん・Lancersさんを軸に、ワーケーションの舞台となる三重県・和歌山県・奈良県の各県庁も関わっています。

https://work-pj.net/archives/4360

三重県は尾鷲、和歌山県は田辺、そして奈良県は下北山村。この三カ所が会場です。
参加にあたっては、そのどれか一カ所を選び、その地で二泊以上すること。そして、仕事をしながら地方の良さに触れること。それだけがミッションのようです。エビデンスとして記事やSNSのアップを求められましたが、私にとってモノを書くことは苦ではありません。私にとって参加する上での障害はなさそうでした。

事前に説明会なども開催されましたが、私は仕事で参加できず。
そのため、説明会の動画を見、メールなどでやりとりしながら準備を進め、期待に胸を膨らませていました。

三カ所のどこに参加するか。
三カ所のいずれも魅力的です。どこに参加しようか少し迷いました。
ですが、私は下北山村を希望しました。
理由は単純で、尾鷲や田辺は訪問したことがあったのに比べ、下北山村には今まで行ったことがなかったからです。
あと、不動七重の滝や熊野古道や修験道の地、という点でも惹かれました。

下北山村の場合、地元の方との交流イベントが11/22、23に予定されていました。
ところがその日はあいにく、妻と結婚20周年の旅の予定を入れていました。
初日ブログ
二日目ブログ

そのため、11/25日からの参加を希望しました。

紀伊半島は、八年ほど前に妻と二人で伊勢から熊野、吉野を旅し、熊野の三社や吉野を訪れて以来です。二見浦と吉野駅前で車中泊を重ねた思い出の旅です。
それ以来、紀伊半島には訪れられていなかったのでとても楽しみでした。

前日、新幹線で帰った私は、実家近くの甲子園口の駅に降り立ちました。

実家の最寄り駅のホームから見る六甲山を覆う夕焼け。まさに、旅の前途を祝ってくれているようです。
両親とともに食事を楽しみました。


アクアビット航海記-リモートワークの効用


「アクアビット航海記」の冒頭では十回分の連載を使い、起業の長所と短所を述べました。
本稿ではその長所となる自由な働き方を実現する上で欠かせない基盤となるリモートワークについて語りたいと思います。

そもそも、私自身の「起業」に最大のモチベーションとなったのは、ラッシュアワーが嫌だったためです。
ラッシュアワーに巻き込まれたくない。巻き込まれないためにはどうするか。嫌なことから逃れる方法だけを考え続けて今のスタイルに落ち着いた、というのが実際です。

では、ラッシュアワーはなぜ起きるのでしょう。
それは周辺都市に住んでいる労働者が、首都に集まった職場に通うためです。
リモートワークやテレワークなどという言葉がなかった時期、人々は一つ所に通い、そこで顔を突き合わせながら働くしかありませんでした。
そうしなければ仕事の資料もありません。指示すら受けられません。そして雇う側も管理するすべがないのです。
そのため、一カ所に集まって仕事をするのが通念となっていました。

今、情報技術の進化によって、リモートワークが当たり前になりつつあります。リモートワークによって、ラッシュアワーからはおさらばできるのです!

ただし、それには条件があります。その条件とは、置かれた立場の違いによって変わります。
大きく分けて、雇われているか、そうでないか、の違いです。

まず、あなたが雇われているか、契約によってどこかに通う条件に縛られているとします。
雇用契約を結んでいる場合は、雇い主の人事発令に応じた部署で働くことが前提です。
その企業の人事制度が自由な働き方を認めている場合は、喜び勇んでその制度の恩恵にあずかればよいでしょう。
そうでない場合は、まずリモートワークを認めてもらうための運動を始めなければなりません。

おそらく、その企業にはそれまでの慣習があるでしょうから、リモートワークを見越した業務の設計がなされていません。
リモートワークを申請しようにも、体制が整っていないから無理、と却下されるの関の山でしょう。
その体制を上司や別の部署を巻き込んで変えてもらう必要が生じます。おそらくは大変で面倒な作業となることでしょう。
それをやりぬくには、あなたの日ごろの業務への姿勢と、あなたが扱う情報の性質にかかっています。
上司の理解と信頼、という二つの味方が支えてくれていれば、決して不可能ではないはずです。

もう一つの立場とは、個人事業主か経営者の場合です。この場合、上司はいません。あなたの意思が組織の意思です。リモートワークまでの障壁は低いはずです。
ただし、顧客先との契約によってはリモートワークが無理なこともあります。契約に特定の場所で作業することが定められている場合、リモートワークはできません。
そうしたケースは情報処理業界の場合によく見られます。
常駐でなければならない理由は、情報漏洩のリスクです。ハッキングのリスクもさることながら、監視がゆるいため、モラルがない故意に情報をさせてしまうのです。
また、情報処理業界といってもまだまだ対面による打ち合わせが主流です。そして、進捗管理や仕様の伝達に手間がかかります。そうした手間がリモートワークの普及を妨げています。

しかし、それらもリモートワークのためのツールは多く存在しています。実際は、組織や企業の考え方次第で、リモートワークの導入は進むはずです。
また、労働者の側でも意識を変える必要があることは、言うまでもありません。

ここでは、労働者として、私自身がどういうことに心がけてきたかを述べたいと思います。

・連絡をこまめに。
リモートワークは、相手の顔が見えません。だから発注側はお願いした仕事がきちんと納品されるのか不安です。だからこそ、こまめな連絡は必須です。
初めて出会った方は、こちらの人物をまだよく知りません。私の場合、さまざまなイベントで出会った方にはメールで丁寧なメールを返すことを心がけています。
最初はメールで、そのうちに徐々にチャットツールでの連絡に導きます。その方がメールよりも簡略に連絡ができるからです。電話もよいのですが、やりとりが後に残りません。また、電話は相手に準備の時間を与えないため、チャットツールをお薦めします。
ただし、連絡をもらったら返信は即座に。原則として受け取ったボールは相手に預けるようにしましょう。

・コンプライアンス意識
リモートワークは信頼がなければ成り立ちません。
情報を意図して漏洩させることは論外ですし、ミスも起こさないように気をつけたいものです。
その意味でもメールではなくチャットツールは有用です。添付ファイルは後でも取り消せますし、暗号化通信が基本です。堅牢な防御体制をクラウド事業者に任せてしまうのです。もし、印刷して紙の情報に頼ってしまう癖があるのなら、あらためた方が良いです。

・リモート端末の操作に通じる
リモートワークである以上、ノートパソコンは欠かせません。タブレットやスマートフォンは連絡程度であれば可能ですが、業務や作業にはまだまだ不向きです。
また、最近は有線LANが張りめぐらされている光景もあまり見なくなりました。ほとんどがWi-Fi接続による無線LANです。だから、お使いの端末にWi-Fiアダプタがあるか、また、出先でもWi-Fiのアクセスポイントをうまく拾う方法をチェックしておきましょう。
キャリアや鉄道会社、コワーキングスペースが提供しているWi-Fiが安全です。コンビニのものも連絡程度ならよいでしょう。
また、電源の確保も重要なので、どう言った場所に電源があるのか、チェーン別に把握しておくことは大事です。モバイルバッテリーの準備も検討してよいですね。
また、ブラインドタッチに慣れてしまうと、タブレットやスマホで文字入力がやりにくく能率が落ちます。フリック入力などもマスターしておくべきでしょうね。

・移動中はスマホやタブレットの操作に十分注意する。
これは最近、鉄道会社のマナー啓発キャンペーンでも良く登場します。実際に操作しながら移動するあなたは動く凶器です。
なので操作と移動はきっちりメリハリをつけた方が良いです。
そもそも、せっかくリモートワークを行なっているのですから、もっと外の景色を楽しみましょうよ。外の景色から刺激を受けることは、あなたの生産性の向上にもきっと寄与してくれるはずです。


テレワーク―「未来型労働」の現実


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毎朝毎夕の通勤。世の通勤者にとっての悩みの種の一つである。電車の中は立錐の余地もなく、その煩わしさは通勤の意欲を削ぐに十分である。前向きに考えたくとも、そのスペースはあまりにも狭く、集中力を発揮して生産的な時間とするにはあまりにも雑音が多い。

日々の務めの一つとして、諦めて耐え忍ぶのか。人間を練るための修行として無に入るか。他人を内心でこき下ろして鬱憤を晴らすか。あるいは日々の通勤をしなくてもよい仕事に就くか。車内に充満する人々の想いは多様であるに違いない。

かつて、テレワークという概念が脚光を浴びつつあった。勤め先は変えずに、自宅で作業の一部、又は全体を行うという仕事のスタイルのことである。IT化の進展により、技術的にそれが可能となる態勢が整い、通勤ラッシュは過去の言葉に。私も当初はそれに飛びついた。総務省のパブリックコメントにラッシュ緩和策をテレワークに絡めて寄稿したこともある。

だが、テレワークという概念が提唱され、大分年月が経ったが、状況に変化はないように思える。テレワークの切り札として、一時シン・クライアント端末も持て囃されたが、クラウド全盛の世にあって、最近は影が薄い。

おそらくは第一次ベビーブーム世代の大量退職と、徐々に整備された交通網によって、混雑の重症化に歯止めが掛かったためもある。それと、今のビジネス慣用が、テレワークを受け付けにくいやり方になっていることも大きいのではないか。

本書では、その後者のビジネス慣用の面から、テレワーク幻想に疑問を投げかける。まず、総務省がいうほどテレワークが浸透していない現実を、統計数値から分析する。分析といっても難しい数式が並ぶわけではなく、分析の条件の立て方に誤解を与えるようなことを指摘する。次に、テレワークの形態を在宅勤務型、モバイルワーク型、在宅ワーク型、SOHO型の4つに分ける。その中から本書の分析の対象として、SOHO型を除外する。

在宅勤務型については、実際の勤務形態を幾多の例と統計数値から個別に論証し、実際は労務管理の及ばない、より残業を強いている現状を指摘する。

モバイルワーク型については、製薬メーカーのMR職の例を挙げ、自己裁量労働の長所に比べ、過酷な長期間労働の現実を示す。

在宅ワーク型については、電脳内職という言葉をあげ、労働に見合わない賃金と、作業スキル以外にも統括、営業スキルなどを持たねば高収入は見込めない欠点を提示する。

いずれの例も、成功例と失敗例を挙げてはいるものの、全体的なトーンとしては、テレワーク幻想に冷水を浴びせるものである。

私としては、誠に残念なことに、筆者の論旨に賛成である。なぜか。私は、平日は常駐勤務、夜中と土日祝日にはSOHO型+在宅勤務型として生計をたてている。また、2年前までは在宅ワーク型の仕事も請け、私から協力頂く作業者の方々に作業を割り振る統括作業も行っていた。つまり当事者である。当事者の立場としては、本書の例証に頷けるところが多かった。むしろ、在宅ワーク型では他の作業例を読み、大変参考になったほどである。

また、IT企業での常駐勤務を経験している立場からも、テレワークの普及阻害要因はいくつも挙げることができる。それはセキュリティの問題(コンプライアンス)ももちろんある。が、それだけではない。そもそも、業務要件を作業者間で共有するためには、ディスプレイ越し、ネットワーク越しの作業では、共通の理解を醸成することは困難である。少なくとも現在の音声やテキストのやり取りだけでは難しい。リモート操作による画面共有も、ネットワーク帯域が不十分なため、面と向かっての打ち合わせには及ばない。思考イメージの共有が現在の技術では実現できていない以上、例えIT企業であっても、Face to Faceの、実際の場を共有しての会議は衰える様子はない。これが残念ながら現実である

本書でも、テレワークのために既存制度を変えることのナンセンスを指摘している。社会の仕組みの変革があって、はじめてテレワークという手段が活きるという認識である。今の少子化が進行する日本においては、労働者が減っていく今後を考えると、社会の仕組みの変革が、労働時間の作業時間を減らす方向に進むとは考えにくい。

もちろん、ペイ・エクイティやワークシェアリングの考えも紹介されてはいる。しかし、テレワークによる労働の実体の客観的な把握が、企業にとっても労働者にとっても困難である実情から、まずその点の改善を提唱する。さらに、女性の社会参加に対する認識がまだまだ旧態依然としたものであることにも本書の目は届いている。また、私見では、集うこと、群れることを無意識に求めている人々については、IT化の進展や労務体制の変化がどうあれ、テレワークを逆に拒否することも考えられる。

私個人としては、今の通勤生活は大嫌いである。今の朝夕の通勤から得られる利点は、どう数えても片手で足りるほどしか挙げられない。私自身の三方良しとは、仕事と家庭と個人の3つであるが、三方良しの目標と、今の現状は私自身にとって明らかに矛盾している。だからといって、私が通勤生活から抜け、雇用者の立場となったとしても、この問題は避けては通れないだろう。

ただ、私の知る会社では、社長自らが率先して既存の労務・人事制度に風穴を開けるべく奮闘している。まだまだテレワークを活かすことのできる工夫の余地、考えるべき点は沢山残っていると思われる。どうすればテレワークが浸透するのかについて考えるためにも、本書が打ち破ろうとする、テレワーク幻想の現実をしっかりと見据え、今後に活かさねばと考えている。

’14/2/5-’14/2/7