Articles tagged with: ダーク

現代短篇の名手たち1 コーパスへの道


映画化された長編で知られる著者だが、短編集である本書でもその才能は光っている。

本書は比較的長めの二幕物の戯曲一編と、短編が六編で成っている。

著者の作風はどちらかというとダーク調の語り口、世界観に基づいている。本書もまた、その作風に通ずるものがある。

巻頭を飾る「犬を撃つ」は、一番印象を受けた一編。アメリカのサウス・カロライナ州のイードンという町が舞台になっている。観光による町の活性化のため、町が徘徊する野良犬の始末をブルーという男に依頼する。ブルーはベトナム帰りの元兵士で、戦場で極限状況の中に居続けていた。

ブルーは居場所を得たかのように、野良犬を撃つ。そして、ブルーの人生の中で無縁だった女との関わりができる。小さなイードンの町で男達と女達がくっついては別れる。ブルーもその中で人並みの恋愛を求めるが、幸福はブルーには訪れることがない。そして犬撃ちという仕事の非倫理性が問題となり、行ブルーから犬撃ちの仕事が取り上げられてしまう。そのとき、ブルーの鬱屈が臨界点を越え、という話。

孤独な上に、さらに戦場で心を痛め付けられた男の内面を、外からの客観視点だけで描いている。状況の変化はブルーの内面にどう影響を与えるのか。無口なブルーのわずかな台詞と状況からブルーの内面を炙り出す様は鮮やか。設定や描写、結末ともにダークな苦味が残る一編だ。

続いて「ICU」。人生に破れ、何かに追われて病院に忍びこんだダニエルの物語。読者には最後まで何にダニエルが追われているのか明かされない。ダニエルを探す男達の存在が伝聞で聞こえてくるだけである。

病院のICUという、医療の真髄の場所でダニエルは一ヶ月を過ごし、追っ手をやり過ごそうとする。しかし、マイケルという名の患者との会話を通し、ダニエルが何から追われているのかがマイケルの言葉を借りて読者に仄めかされる。しかし、そのような分かりやすいスパイ小説的な展開は本編の表の顔でしかない。おそらくは、ダニエルや我々読者は得体のしれないモノ、つまり自分以外の世界に常に追われているのだ、という寓意を読み取った。

三つ目は「コーパスへの道」。本書のタイトルチューンである。

高校生活最後のアメフトでヘマをし、チームを敗北に導いたライル。ライルに仕返しを食らわそうと空き巣に入るチームメイトたちの乱暴狼藉を描いている。若さゆえの無謀さでライルの家のを破壊するも、偶然帰ってきたライルの妹ラーリーンにその場を目撃される。しかしラーリーンはその破壊に手を貸すばかりか、その勢いで別のもっと豪勢な家への空き巣を提案する。果たしてそこに行った破壊者達は・・・というのが筋。若さゆえの破壊衝動と、権威には弱い人の心の裡を上手く描いている。

4編目の「マッシュルーム」も、危うさにあこがれる若者の心と、行き過ぎる危険の手前で恐れをなす揺れ。その様子が短い掌編の行間に描き表されている。銃の威力が、無音で、ひそやかな動きによって表されているのが印象的な一編。

5,6番目に収められた二編は、お互いに関連している。5番目に収められた「グウェンに会うまで」と6番目の「コロナド」。前者は短編で、後者は戯曲。しかし時間の前後関係では逆である、つまり戯曲が短編の前に来る。短編は、ムショから出所した男を迎えにきた父と思しき男。しかし、父と思しき男は、主人公が収監前に起こした事件で得た成果物を狙っている。事件の過程で、その男は主人公の恋人をも死に至らしめる。戯曲は犯罪に手を染める前の主人公と恋人が事件に深入りしていく様を描いている。短編と戯曲の取り合わせは珍しく、興味深く読めた。ちなみに短編の男二人の交わすやりとりはスリリングで、会話の妙に満ちており、著者がその前段階を戯曲化したくなる気持ちもわかる。ただ、戯曲コロナドは、本書でも紙数を占めており、戯曲慣れしていないと少々辛い。私も辛かった。しかし短編との取り合わせはやはり魅力である。

最期をかざるのは「失われしものの名」。正直いってこのダウナーな世界観には今イチはまり込めなかった。妄想癖を持つ男の一瞬を切り取った一篇だが、本書の他の編にない異色の雰囲気をまとっている。

‘2015/1/29-2015/2/3


1922


著者の真骨頂は長編にあり。そう思う向きも多いだろう。しかし、実は中短編にも優れた作品が多数ある。むしろ饒舌なまでに読者の恐怖を煽りたてる長編よりも、シンプルで勘所を得た中編こそ、著者のストーリーテリングの素晴らしさが味わえるといってよい。本書は著者が世に問うた中編の中でも出色の出来と言える。本書は、4つの中編を編んだ「Full Dark, No Stars」のうち、「1922」と「公正な取引」の2編を文庫化したものである。

原題からも分かるとおり、本書の元となった中編集はダークな内容に満ちている。巨匠がダークサイドに徹した時、どこまで暗くなれるか、本書を読めばその結果は自ずと導かれる。

前者、「1922」は、アメリカ中西部のネブラスカを舞台にした一品である。都会はローリング・トウェンティーズの好景気に沸く一方、まだその波が及ばぬ地方都市は、都会の価値観とフロンティアのそれがせめぎ合っていた時代である。本編では、ここで繰り広げられるある一家の転落を通じ、その時代のアメリカが孕んでいた矛盾を炙り出している。とはいえ、ホラーの妙手である著者がより暗きを目指して描いたのが本編である。そのような純文学的なトーンとは無縁といってもよい。本編では実に徹底的に一家の転落と破滅が紡がれる。超常現象は最小限に抑え、時代に即した小道具と舞台設定が散りばめられた本編は、読者を1920年代のアメリカの片田舎の情景を思い出させる。それでいて饒舌に陥らず、簡潔に中編に収めた上、ダークな色合いで塗りつぶした著者の技には文句のつけようがない。

後者、「公正な取引」は、悪魔との取引譚である。その悪魔が、著者の作品によく出てくるステレオタイプな描写になっているのは残念だが、悪魔はその取引のシーンにしか登場しない。本編の登場人物は主人公一家と、その親友一家。癌に犯され、人生も落ち目な主人公は、偶然出会った悪魔と取引を行う。その取引によって、境遇が暗転したのが、順風満帆な人生を歩んでいた主人公の親友とその一家である。その落魄振りと主人公の上向き度合いの落差は、もはやギャグといっても過言ではなく、著者もブラックユーモリストとしての本領を存分に楽しみながら書いたのではなかろうか、と思えるほどである。つまり、本編は暗いといってもブラックユーモアの暗さである。これまた楽しみながら読める一編である。

冒頭に「Full Dark, No Stars」のうち、2編を本書に収めたと書いた。「1922」の絶望的な闇と、「公正な取引」の戯画的なダークネスの双方を収めた本書は、つり合いもとれており、編者の選出の妙が光っているといえる。

’14/08/11-‘14/08/12