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スマレジアプリコンテストで佳作をいただきました


弊社の応募した「チェアサイドレジ」が第二回スマレジアプリコンテストで佳作をいただきました。
まずはこのような機会を作っていただいた上に、受賞の栄誉までくださったスマレジ社の皆様と審査員の先生方に御礼を申し上げます。

今回、応募したきっかけ。それは、昨年11/26に行われた「スマレジDevelopers Day」への参加でした。コロナでオンラインイベントが続く中、Cybozu Daysを除けば久しぶりのリアルイベントがこの「スマレジDevelopers Day」でした。(サイト)
会場では、第一回のスマレジアプリコンテストのグランプリ受賞者である大幸パートナーズさんが登壇されました。アプリ受賞にあたっての苦労など、スマレジアプリの作成にあたってのノウハウが聞けました。また、主催のスマレジ社からは、スマレジアプリストアの目的や意義についてのお話がありました。その中には、技術者にとってオープンな場を作りたいとの思いがこもっていました。


この中で、第二回スマレジアプリコンテストの募集要項も発表されました。
大幸パートナーズさんの受賞アプリであるcleeeanで実現した機能に感心し、スマレジアプリの仕組みにうなずく私。
その時、私の中にひらめきが降りてきました。
「これ、うちのココデンでも入れられるんちゃう?」と。
矯正歯科にスマレジを導入し、それをkintoneとつなぐ。その場でアプリの連携や構成が頭の中であらかた組み上げられてしまいました。

この頃、私の精神状態は結構参っていました。
それはCybozu Days 2021の出展によって弊社のメンバーと私の価値にずれが発覚したためでした。
人を雇うことの難しさ、経営の奥深さ。
Cybozu Daysではあえて私は経営者として裏方に徹しました。出展するコンテンツの開発も弊社メンバーか協力会社の技術者に委ねました。皆さんの頑張りもあって、Cybozu Daysでは並み居るブースの中で一定の存在感は出せました。成果はあったと思います。

その一方で、Cybozu Daysでは自分の技術者としての証しを封印してまで経営者に徹しようとしたのに、経営者としての能力に自信をなくしてしまった自分がいました。
このまま技術者として衰えていってもよいのか。自己研鑽はしなくても良いのか。技術者としてコンテンツを作る気概は残っていないのか。そんな葛藤と向き合う日々でした。

悩む日々の中で、自分の技術者・経営者としての長所や短所を見直しました。
見直す中で長所に挙がったこと。それは、私の妻が10年前から矯正歯科医院、ココデンこと、ココデンタルクリニックを経営していることです。
世の中には多くの技術者がいます。ですが、妻が歯科医で診療所を経営している技術者はあまりいないはず。その点、私は他の技術者に比べて恵まれているのかもしれません。

ココデンの開業や経営にあたっては、かなりの苦しみと苦労と試練がありました。私は妻の苦労をすぐそばで見ていました。また、歯科経営が家計に与える苦しみを共有しました。
ところが私がココデンの開院にあたって担った作業は、LINE/Facebookページの開設や初代のホームページ作成のみです。診療所のシステムに関する領域には一切関わりませんでした。
なぜ関わらなかったのか。それは、当初の開院時から電子カルテのシステムが業者によって導入されていたからです。それはスタンドアローンのサーバーで動いていました。ですが、アナログな妻はシステムを患者さんの口内写真の保存のみにしか使っていませんでした。
受付も雇っていないため、全ての業務は、妻がワンオペかつアナログ作業で回していました。
患者さんの診断カルテは手書き。支払い授受も現金による手渡し、またはCAFIS端末を利用したクレジットカード決済。
つまり、ココデンにはシステムを導入する余地がなく、私が関わる余地もなかったのです。

開院以来10年、経営で十分に苦しみ、試行錯誤を重ねてきたおかげか、ここに来て患者さんがコンスタントに来るようになりました。少しずつ経営も好転する兆しが見えてきました。
それとともに、妻も年齢を重ねてきました。ワンオペをいつまでも続けるのはしんどい。今回の機会に思い切ってシステムを取り入れるよう、妻を説き伏せられるかもしれない。
また、経営者として反省する中で、自社サービスの開発が必要ではないか、と課題を感じていました。

「スマレジDevelopers Day」の会場で私の脳裏に湧いた着想とは、こんな感じでした。
自分一人で開発し、その成果をスマレジアプリコンテストに応募してみよう!

今年の正月の三日間は、休みを取らずにシカレジ(仮称)の企画や構想に充てました。
正月が明けても、わたしの中からスマレジアプリコンテストへの思いは去りません。
政府の統計情報が蓄積されているサイトを何度も訪問して統計情報を分析しました。図書館では分厚い統計情報の本のページを繰りました。本屋に行くたびに歯科経営の専門書コーナーで長い間立ち読みして知識を蓄えました。
そうした作業の甲斐があって、少しずつシカレジに必要な項目や連携すべき点、オペレーションで改善すべき点について学ぶことができました。
もちろん妻にはどういう項目が必要かを聞きました。受付の運用なども見聞しました。また、妻の弟が埼玉県で歯科医院を経営しているので、訪問して電子カルテシステムの内容を見せてもらいました。

こうした作業から感じたのは、今まで私が有利な立場を活かしていなかったことです。目の前に歯科経営の教材があり、それを技術者・経営者としての糧にできたはずなのに、何の成果も得ていなかったこと。私はとてももったいない日々を過ごしていました。

1月はそんな風に過ぎていきました。開発にも取り掛かっていて、kintone内部やスマレジとの連携はうまく行きそう。
そんな中、1月の半ばにスマレジ社のご担当者様からいただいたのは、患者さん向けの情報ページをLINE ミニアプリで実装してみないかというお話です。
さらに、妻からはシカレジはダサいから、名前をチェアサイドレジに変えたほうがいいんじゃない?という提案まで。

ここでシカレジ、あらためチェアサイドレジについて概要を説明します。

チェアサイドレジの中で、患者さんが診療情報を確認する手段として私が考えていたのは、ウェブサーバーに認証付のページをおくことでした。
CMSでページを構築し、それをkintoneやスマレジと連動する。それらを連携する開発は経験済みなので可能。それが私の当初の目論見でした。
ところが、ここでLINEミニアプリという提案が登場します。私は、この時にご提案をいただくまでLINEミニアプリのことを全く知りませんでした。そもそもLINEと連動させるシステムすら全くご縁がなく、未経験でした。
でも、LINEのユーザー認証を取り入れられれば、セキュリティはさらに強化できそうです。セキュリティだけが弱いと感じていたので。残り時間は少ないけれど、チャレンジしてみよう、と決断しました。

ところが間の悪いことに、1月の末頃から本業の方で案件の引き合いを連日のようにいただくようになりました。
案件が来ると私が対応しなければなりません。要件定義やヒアリング、さらには上流工程などの調整。一方では既存の案件のコーディングの指導や指示を弊社メンバーに行います。案件の難易度によっては私が手を動かす必要が生じます。その合間には機密保持契約や基本契約の締結を行い、見積書や請求書の提示などの作業もこなします。もちろん経理業務や雑務も頻繁に発生します。それらが怒涛のように一気に押し寄せてきました。
私からチェアサイドレジに携わる時間が顕著に奪われていきます。

そのような案件の活況は、第二回スマレジアプリコンテストの締め切りの3月末どころか4月半ばまで続きました。
そのような状況に追われる中、私は正直、3月初旬の時点ではもう応募すらできまい、と半ばあきらめかけていました。
でも、気力を出し、わずかな合間に資料やアプリをまとめて応募にこぎつけられました。妻がロゴの原案を考え、イラストレーターの長女がそれをロゴデータにしてくれました。

受賞した時の思いは、この記事の中にも書いています。

率直に打ち明けると、「スマレジDevelopers Day」の時点で、私はヤマっ気を持っていました。
雇用やコロナ感染によって悪化してしまった財務状況を、スマレジアプリコンテストでグランプリをとることによって解消しようという欲。
ところが、案件の引き合いが増える中で、なんとか財務を持ち直すことに成功しつつありました。
そのため、4月の末にスマレジアプリコンテストで佳作を受賞したご連絡をもらった時、グランプリの1000万円を逃した悔しさはありませんでした。純粋にアプリが評価されたことへの感謝だけがありました。

5/26には第二回スマレジアプリコンテストの授賞式がありました。
最初のユーザーはココデンタルクリニック、つまり妻を予定しています。そのため、妻にはきちんとスマレジの仕組みを知ってもらう必要があります。そこで一緒に授賞式に来てもらいました。



授賞式は動画配信の予定があったのですが、機材のトラブルによって、私が登場するのは講評の部分からです。
ただし、妻が動画を撮影してくれていました。

なお、この時のスピーチで私は大したことを話していません。
むしろ、この後の座談会で話したことのほうが重要です。ただし、残念なことに動画は残っていません。
座談会では、各社さんの応募したアプリの工夫や思いも伺えました。また、店舗に訴求するスマレジの可能性を感じました。店舗オペレーションに特化したスマレジをkintoneが補完できる可能性も含めて。
弊社の価値は、kintoneの中だけに閉じていては発揮できません。kintoneをベースにした、他のPaaS/SaaSと連携するところにあると確信しています。

まだまだチェアサイドレジには直すべきところが残っています。それはこの記事でも書いた通りです。
これは私が引き続き開発していきます。自分でやるべきタスクだと思っています。
上に書いた通り、私自身に技術者としての可能性が尽きていないことの証し。それがこのチェアサイドレジだと信じているからです。

そして、弊社の将来のことを考えると、自社サービスの展開にチャレンジし経験を積んでおくことは、将来への布石としてやらなければいけないことももちろんです。

それらも含めて弊社にとってはとても重要な受賞だったと思います。
あらためて授賞式に来てくださった方、皆様、スマレジ社、審査員の皆様、ありがとうございました。


七日間ブックカバーチャレンジ-かんたんプログラミング Excel VBA 基礎編


【7日間ブックカバーチャレンジ】

Day5 「かんたんプログラミング Excel VBA 基礎編」

Day5として取り上げるのはこちらの本です。

私は、もう20年ほど技術者としてお仕事をしています。
開発センターでシステムの開発やテストに従事していた時期も長いです。銀行の本店でも数年間、常駐していました。
ここ数年は、5年近くkintoneのエバンジェリストとして任命をいただいております。
個人事業の主として9年、法人を設立してからは6期目に入りました。
その間、システム・エンジニアを名乗って仕事を得、妻子を養ってきました。

そんな私ですが、システムは誰からも教わっていません。
全て独学です。
高校は普通科でしたから、パソコンはありません。大学は商学部で、パソコンルームはあった気がしますが、私は無関心でした。一度だけ5インチのフロッピーディスクに一太郎で作った文章を保存する課外授業をうけたぐらい。
大学の一回生の頃に、ダブルスクールに通っていましたが、そこで学んだ事で今に活かせているのはブラインドタッチ。Basicの初歩も学んだ記憶はありますがほとんど覚えていません。
大学を出た後、一年近く芦屋市役所でアルバイトをしていた頃、出入りしていた大手IT企業のSEの方から盗み取ったマクロからここまでやってきました。

そして私は新卒で採用された経験も、真っ当な転職活動の経験もありません。ですから、企業で研修を受けた経験もほとんどないのです。

システム・エンジニアとして働く常住現場で、悠長にプログラミングを教えてくれる人などいません。誰もが忙しくコーディングや設計に追われている中、そんな間抜けな質問をしたら退場させられてしまいます。

そんな私がどうやってプログラムを学んだのか。
本書のような入門書からです。

私の場合、キャリアの初期に開発現場ではなく、オペレーションセンターで働き、某企業でシステムの全権を任してもらえるという幸運もありました。

試行錯誤しながらExcelの複雑なワークブックやシートやセルを操り、毎朝のタイトなスケジュールを縫って資料を作る。
Excelのマクロを駆使しなければ、とてもやり遂げられなかったでしょう。

本書は基礎編ですが、応用編とコントロール編も含めて何度も当時読み返したものです。私にとってプログラミングを学ぶ上でこのシリーズには大変お世話になりました。

特に、行列の二次元だけでしかExcelを理解していなかった私を、本書は三次元、四次元といった高次のレベルに引き上げてくれました。スカパーのカスタマーセンターで当時の部下だった元SEの女性にもヒントもらったのが懐かしい。
あれこそまさにブレークスルーの瞬間でした。

かつて、システムを扱うにはプログラミングやデータベース、ネットワークの知識が必須でした。
ですが、昨今のシステムにはそうした知識が不要になりつつあります。クラウドシステムやノンコードプログラミングの普及によって。
そして、ビジネスの現場で働く人にこそ、プログラミングの初歩的な理解が必要になる。そんな時代はすでに始まっています。

Excelマクロは、処理を自動的にマクロとして記述する仕組みがあります。それと本書を組み合わせると、システムの初歩の概念を学んでいただけるのではないでしょうか。
本書はプログラミングに不得手なビジネス現場のオペレーターの皆様にこそ読んでほしいと思います。

それでは皆さんまた明日!
※毎日バトンを渡すこともあるようですが、私は適当に渡すつもりです。事前に了解を取ったうえで。
なお、私は今までこうしたチャレンジには距離を置いていました。ですが、このチャレンジは参加する意義があると感じたので、参加させていただいております。
もしご興味がある方はDMをもらえればバトンをお渡しします。

「かんたんプログラミング Excel VBA 基礎編」
単行本 ソフトカバー:351ページ
大村あつし(著)、技術評論社(2004/3出版)
ISBN978-4-7741-1966-3

Day1 「FACTFULLNESS」
Day2 「成吉思汗の秘密」
Day3 「占星術殺人事件」
Day4 「ワーク・シフト」
Day5 「かんたんプログラミング Excel VBA 基礎編」
Day6 「?」
Day7 「?」

★ ★ ★ ★ ★ ★ ★
7日間ブックカバーチャレンジ
【目的とルール】
●読書文化の普及に貢献するためのチャレンジで、参加方法は好きな本を1日1冊、7日間投稿する
●本についての説明はナシで表紙画像だけアップ
●都度1人のFB友達を招待し、このチャレンジへの参加をお願いする
#7日間ブックカバーチャレンジ ##かんたんプログラミング


直感に刺さるプレゼンテーション


私が読んできたかぞえきれないほど多くの本。それぞれの本にはきっかけがあり、思い出がある。それが印象的であればあるほど、その本は記憶に残る。本書もそうした本の一冊だ。なにしろ、著者の目の前で入手したのだから。今までにもサイン本を手に入れたことはあるし、私の知り合いには本を書く方も何人かいる。だが、著者自身から本を贈呈されたことはない。ところが本書を手に入れたのはまさに著者の目の前。それは私にとって初めての経験だ。

本書を入手したのは、Prezi Night Tokyo Ⅶにおいてだ。このイベントに、私は登壇者ではなく、一人の観覧者として参加した。Prezi Night Tokyo Ⅶでは三名のプロの方がPreziを使ったプレゼンテーションを披露してくださる他に、参加者有志によるLightning Talkの場が設けられていた。たびたび仕事でプレゼン(テーション)を行う私にとって、そのどれもが参考になった。そうした実例の数々を見られただけでも、Prezi Night Tokyo Ⅶには参加したかいがあったと思う。

Prezi Night Tokyo Ⅶに登壇した三名のプロのうち、著者は二番目に登壇した。「prezendouのプレゼン百鬼夜行」と題されたそのプレゼン。どこかで聞いたことがあると思ったら、トイロハで連載されていた。私も以前、トイロハでは連載していた。私も著者の連載は何度か拝見した覚えがある。今回、著者ご自身によるプレゼンを拝見できたことはとても良い学びとなった。登壇の内容は、プレゼン初心者が陥りやすい罠を百鬼夜行の各妖怪になぞらえたもの。preziの使い方、プレゼンの経験則など、さすがというべきツボを押さえていた。

Prezi Night Tokyo Ⅶの最後を盛り上げたのはじゃんけん大会だ。景品にはTシャツやパーカー、ステッカーの他に、登壇者によって書籍が提供されており、どれもが欲しくなる魅力を持っていた。ところが、こうしたイベントで私は勝ったためしがない。今回も早々に敗退するものと思っていたら、あれよあれよと勝ち残り、景品を選べる立場を得た。景品として出された中の一冊に本書はあり、著者のプレゼンに感銘を受けた私は、Tシャツやパーカーには目もくれず本書を選んだ。

本書は手に入れてすぐ読んだ。大抵の本は積ん読の山に埋もれるが、本書は別。鉄は熱いうちに打て、だ。Prezi Night Tokyo Ⅶの翌日、学んだ知識が熱いうちに本書を手に取った。そして期待に違わず、本書はとても私のためになった。

プレゼンの極意を文章で表すのは容易ではない。なぜならプレゼンとはスキルではなくセンスだからだ。私は本書を読むまでそう信じていた。Prezi Night Tokyo Ⅶに私を誘ってくれた情報親方は、プレゼンとはロジックだと教えてくれた。だが、そう教わってもなお、私は自分がプレゼンに不得手なのを、センスのせいにしていたように思う。ところが、本書はよく読んでみると、いたるところにロジックのかけらが垣間見える。ロジックで何とかなるプレゼンであれば、それはセンスではなくスキルだ。

本書は冒頭で、受け手に理解させるだけでは行動を引き起こせないことを説く。そのため、プレゼンで何をさせたいのかという目的意識をもたねばならない。そして感情を揺り動かすためには、ロジックだけでなく、もう一段上のアプローチがいる。そのためにもプレゼンにはイメージが必要というのが著者のメッセージだ。本書には図版がふんだんに使われている。

ただ、イメージも使い方によっては逆効果にもなる。そして、イメージだけでプレゼンターの意図をそのまま受け手に効果的に伝えることは難しい。ここはまさにセンスの世界だ。そこで、イメージにテキストを加える。そうすることで、プレゼンにロジックが武装される。プレゼンである以上、曖昧なメッセージは逆効果。つまりテキストはロジックに沿ったストレートなメッセージであることが求められる。テキストはロジックの方向性を決める。さらに、テキストのメッセージに沿ったイメージやデザインを組み合わせることは十分にロジックの範疇だといえる。ただ、テキストの色合いやフォントの取り扱いを間違えると、受け手に誤った混乱を招く。これもまた、センスに関係ないロジックで取り扱える範囲だ。本書はそうしたことを豊富なテキストとイメージのサンプルでそのことを解き明かしてゆく。

本書を読んで、自分がまだまだと思ったこと。それはテイストを揃えることの重要性だ。イメージを揃える作業。これは簡単なようでいて、やってみるとなかなか難しい。ついつい多様なイラストレーターが描いたイラストでプレゼンを飾り立ててしまう。その結果、プレゼンからはまとまりが失われ、失注へとつながる。

まとまりのないプレゼンを駆逐するため、本書にはストーリー構造についての章が設けられている。プレゼンである以上、プレゼンを通してどういうアクションが行われるべきかについての一貫したストーリーが求められる。その分析はビジネスフローの分析に通ずるものがある。それはフローチャートであり、まさにロジカルな部分だ。別の章では聴き手との共通点をプレゼンに組み込む方法も解説されており、私はそこからも同じ知見を得た。私がより一層意識していかねば、と思わされた部分だ。

あと、私があっと思ったことがある。それは、スライドの冒頭とラストをおろそかにしていないか、という著者の指摘だ。特にプレゼンの最後によく見かける「ご清聴ありがとうございました」が無駄との指摘は耳が痛い。直近の私がやっていたことだからだ。次から改めなければなるまい。冒頭のスライドにもう一工夫を加える事もあわせ、実践しなければと痛感した。

本書を読んでいくと、センスの問題とあきらめていたことの多くがスキルで置き換えられることに気づく。ところが、スキルとはいえ、習得するのは容易ではない。本書を一度だけ読んだところでなかなか習得できない。センスとは、スキルを習得するためのコツや適正を指すのではないかとさえ思う。著者も本書の末尾では、繰り返す練習することが重要であると述べている。私もそうだと思う。なぜなら本書の極意をまだつかめたとはいえないから。私そして、私がプレゼンを行うようになってから、少しは上達してきているプレゼン技術も、まだ著者には到底及んでいないと思うから。

本書の最後にはMicrosoft Powerpointの使用法についてもテクニック付きで紹介されている。そこも参考になる。だが、私がPreziがきちんと扱えるようになるには、まだ時間が必要だ。ついついslide.comの簡易さに頼ってしまう。Preziはもう少し触ってみたいのに。プレゼンとは、センスだけでなく、スキルでまかなえる部分があると勇気づけられたのだから。

‘2018/07/14-2018/07/17


経営センスの論理


Cybozu社のイベントで何度か著者をお見かけした。そのイベントとは、Cybozu Days。その中にkintoneを活用したユーザーが事例発表を行うkintone hiveというコーナーがあり、著者はその審査委員長だ。

そんなわけで著者の名前は以前から知っていた。だが、著作を読むのは本書がはじめて。本書のタイトルが私を引きつける。経営センス。経営者の端くれにいる私に全く足りていない。

私は、自分に経営センスがあるとは思っていない。あればとっくに大勢の人を雇っている。私に経営センスがないのは、経営についての勉強を全くしていないからだ。全てが独学。ようやく法人化して四年目を迎え、さまざまな話をさまざまな方から伺い、自分なりに経営に試行錯誤してきた。

だからこそ、経営には「センス」と「スキル」があり、経営には両方とも必要なのだ、という著者の説には勇気づけられる。私の場合、圧倒的に足りないのは経営スキルであり、経営センスは多少なりとも身についているのでは、という勘違い。私に足りないのはむしろ経営センスではないだろうか。

財務諸表の読み方など、しょせんスキルの話だ。それらをいくら身につけてもそれだけでは優れた経営者とはいえない。せいぜいがスーパー担当者に過ぎない。そんな著者の言葉には頷けるところもあり、耳も痛い。私の場合は多分経営者ではなく、スーパー担当者に過ぎないのだろう。経営者でありながら、自分でプログラミングや設計やテストをこなしているうちは経営者とは言えない。

とはいえ、経営センスを身につけねばならないことは差し迫った課題だ。そもそも経営センスとは何なのか。で、どうやって身につけるのか。分かるはずがない。著者は「善し悪し」よりも「好き嫌い」で経営することが経営センスではないかという。そう聞くと、「好き嫌い」による経営は感情を論理より重んずる経営と同じ意味になり、あまりよろしくない気がする。ところが、センスある経営者をみていると好き嫌いで経営判断を下しているとしか思えないと著者はいう。確かに有名な経営者の言動、例えばスティーブ・ジョブズや松下幸之助の事績を見ると、論理よりも感情が見え隠れする。

経営者といえども人間だ。時間も有限にしか持たない。つまり、どこまでを自らの手で行い、どこまでを任せるのかについての線引きをきっちり行わねばならない。それがすなわち、本書でいうハンズオンとハンズオフの境界なのだろう。とくに、オフの線引きが重要なことは本書から読み取れる。私の場合もそう。コーディングはまだしも、テストまで手を染めることはやりたくないし、やってはならないと思っている。ところが、先日、某案件で私自身がテスターとなってしまった。忸怩たる思いに苛まれている。

著者は経営で重要なこととして「自由意志の原則」を挙げている。本来経営とは自由意志に基づくはず。ところが「⚪⚪せざるを得ない」という理由で経営の舵取りをする経営者がいかに多いか、と嘆く。これも耳が痛い。弊社の場合、さしずめ「人を増やさざるを得ない」「案件を請けざるを得ない」から経営しているといえよう。

第1章が、「経営者」の論理であるなら、第2章は、「戦略」の論理を取りあげている。ここで重要なのは、「連続性」と「非連続性」の観点だ。ここでいう連続性とはルーチン業務を指す。この連続性のラインに載っているかぎり、イノベーションは生まれない。同業他社から一歩抜け出すためには非連続性の中に踏み込まねばならない。著者がここで持ち出すのは、米国のサウスウエスト航空の事例だ。航空業界の中にありながら、あえてLLCという機軸を生み出す。そして業績を好転させる。一方で著者は、IT業界を技術革新の連続からなる非連続性の業界と解釈する。アマゾンは非連続性の中でユーザーの購買行動という連続性に着目し、業界のみならず、全産業の中でも巨人となった。新規の事業ではなく、従来からある事業の連続の中に商機を見いだしたからこそ、アマゾンはその地位を得た。

ちなみに著者は非連続性の業界の例としてIT業界をあげたが、連続性の部分もある。いわゆるSESだ。多重請負のもと、大手開発案件に技術者を派遣する業務だ。私も以前はこの業態の末端にいた。この業態には残念なことにイノベーションはない。私自身も未来を感じられずにいた。それなのに十年近くも在籍してしまった。それは私の後悔であると同時に、本書の記載に唯一疑問を抱いた点だ。

あと、この章では攻撃は最大の防御という戦略も描かれる。著者はご自身の頭髪を例に挙げ、ユーモアをたっぷり振りかけつつ戦略を語る。本書は全体的にこのような脱線が随所に挟まれ、心を和ませてくれる。「善し悪し」よりも「好き嫌い」で経営は語られるべき、を実践するかのように。

第3章は、「グローバル化」の論理だ。

この章にも重要な指摘がちりばめられている。そもそも著者は、グローバル化に当たっては、三つの壁があるという。それは英語の壁、多様性の壁、経営人材の希少の壁だ。それらはある意味では分かりやすい構造だ。しかし、著者の視点によると、この壁はかなりの誤解を生んでいるという。まず、英語の壁は英語の能力ではない。コミュニケーション能力の壁であること。多様性についても同じく誤解が生じている。それは、経営とはどこかで統合しなければならないことだ。各部門が好き勝手やっていたら会社は成り立たない。当然の指摘だと思う。「経営の優劣は多様性の多寡によってではなく、一義的には統合の質によって左右される」(119p)

三つ目に挙げられた経営人材の希少。経営人材とは、一章で挙げられた経営センスを持った人材を指す。スーパー担当者だけでは会社は回らない。センスを持った人材を育てなければならない。「非連続性を乗り越えていける経営人材の見極めは多くの日本企業にとって最重要課題である」(131p)

もちろん弊社にとっては、私自身が経営人材として舵取りをしていかねばならないわけで、肝に銘じねばならない。

第4章は「日本」の論理。ここも、日本にしがみつかざるを得ない(という自由意志を放棄したような)、弊社にとっては心強い内容に満ちている。いわゆる日本の終わりを予言する論調。それらの論調に反し、著者は日本の優位を説く。例えば日本が抱える問題で筆頭に挙がるのは少子高齢化だろう。だが、著者に言わせれば、それは逆を返せば問題が分かっていることと同じ。そして問題が事前に分かっていれば対策も採りやすい。一方、諸外国にも問題はある。日本と違い、諸外国の抱える問題は不確定の要因からなっている。たとえば宗教の対立、民族の対立などの問題はいつ何時どのように起こるか分からない。日本の場合はその問題が相対的に低いため優位な地位にあるというのが著者の分析だ。また、日本の企業は専業志向であるため、その分野では底力を発揮するというのも著者の見立てだ。諸外国の企業はポートフォリオ経営に特化し、採算が悪ければあっさりとその事業を売却する。日本でも大手の家電メーカーは、事業の切り売りをはじめているが、中堅どころの体力のあるメーカーは専業志向で頑張っていると著者はいう。

第5章は「よい会社」の論理。

この章で著者は、若者のブランド志向を指摘する。かつての私を思い返すと耳が痛い。顔から汗が噴き出る思いだ。就職活動の時、ろくに会社分析をせず、イメージだけで選んでいた私自身への痛烈な指摘が続く。私はこの時の経験から大企業への信仰がすっかりうせてしまった。今、零細企業の経営者として恥じるところはまったくない。ところが今の若者たちの多くはまだ企業をブランドイメージで捉えていると思う。消費者として眺めたときのイメージと、働く側で見据えたイメージの落差。先日もとある方としゃべっていたが、その方からはいわゆる大手企業にある官僚的な体質、社風について懇々と教えていただいた。

良い会社とは、いわゆる企業ランキングではわからない。そこで著者はGPTWインスティテュートによる働きがいのある会社ランキングを推奨する。このランキングは従来の指標とは一線を画し、働き甲斐に着目したランキングなのだそうだ。

第6章は「思考」の論理。

ここではもう少し経営センスのコアな部分に着目する。「抽象」と「具体」の往復。それこそが、地頭の良さを決めると著者はいう。その振れ幅の大きさこそが、行動や選択の幅や人間の器を大きくする。頭でっかちなだけでは駄目で、猪突猛進なだけでもだめ。両方が出来る人こそが器の大きい人物なのだろう。また、情報と注意をトレードオフするコツとして、巷に溢れる情報の渦の中で、どこまでを取捨選択すべきに帰ったについて、著者は語る。私の場合はSNSからの情報を絞ることにした。結局のところ、SNSから得られる情報量と時間の生産性を考えると、どうしても生産性は落ちる結論に達する。私はそう割りきってSNS投稿を行うように変えた。私の考えでは、自分のビジネスの広告効果より、生涯の収穫量に重点をおいている。

このように、本書はさまざまな視点から考えさせてくれる。

’2018-06/22-2018/06/30


相手に「伝わる」話し方


私が年末と年初に行うことがある。それは一年の反省と抱負だ。数年前から実施を心がけている。2017年の年末は一年を振り返り、2018年の年初には抱負を立てた。

2017年、私が反省すべき最も大きな点は、人前で話す機会がほとんどなかったことだ。2016年はあちこちで話す機会があったのに、2017年はしゃべる機会が作れなかった。これは私にとって大いに反省すべき点だ。なので2018年の抱負には、人前で話す回数を2016年並みに増やす、という目標を加えた。本書はその抱負を踏まえ、話すスキルの参考とするために読んだ。

私は自分の話すスキルに劣等感を持っている。その劣等感の大部分は、活舌の悪さとしゃべっている時にたまに唾が飛ぶことからなっている。その原因も分かっている。矯正歯科医の妻から「オペ症例」と言われる私の受け口だ。それが私にとっての劣等感となり、人前で積極的にしゃべろうとする気持ちにブレーキをかけていた。

しかし、それではだめだ。独立した以上、露出を増やさねばならない。そして誰もが自分の意見をテキストで簡単に世に問える今、文章だけに頼るのでは露出効果が見込めない。本音をいうと、私はあまり自らを露出するのは好きではない。だが露出は独立と自由を得るための代償だと肚を決めている。書きつつしゃべり、人前に己をさらけ出す。そのスキルを磨かないことには私の今後はない。

だが、私には滑舌の悪さという欠点がある。その欠点をカバーできるだけのしゃべる技術。それは何だろう。そう考えた時、思い浮かんだのはアナウンサーの姿だ。彼らはしゃべることで糧を得ている。芸能人もそう。彼らもしゃべることで飯を食っている。だが、テレビで活躍する芸能人のような頭の回転の速さは私にはない。なので、アナウンサーのように話す技術で私の欠点を挽回したい。そう思ったのが本書を手に取った理由だ。

著者はアナウンサー出身でありながら、バラエティ番組でも立ち位置を確立した方だ。バラエティの手法も取り入れ、視聴者の興味を惹きつつ、報道の芯を保った番組作りをしている。その姿にはかねがね良い印象を持っていた。選挙特番のみならず、核実験や仮想通貨など、テレビが今、本当に放送すべき番組を企画し、自ら視聴者の前に立つ。そのような著者のことを今後も応援したいと思っている。

著者は1973年にNHKに入局した。そして、さまざまの部署や職務で仕事に取り組んできた。その経験は話し手として、報道者としての著者を鍛えてきたことだろう。著者は自らの職歴をさかのぼり、仕事の中で著者が学んできた話す技術を惜しみなく披露する。本書は私にとって参考となる気づきがたくさんあった。

参考になったのは、話し方の技術だけではない。職歴の語り方も同じく参考となった。私は2017年の夏から翌春にかけ、ウェブ上の連載で自らの職歴について語った。本音採用で連載しているアクアビット航海記「ある起業物語」がそれだ。本書を読み始めた時、連載はちょうど私が東京に出て仕事を始めたあたりに差し掛かっていた。連載はすでに進んでいたが、その後も私が職に就き、社会で経験を積んでいく様子を書いてゆかねばならない。転職を繰り返していく中で、それぞれの職から何を学んだのか。それを読者にどうやってうまく伝えるか。そのやり方は本書が参考となった。もちろん、それまでの連載でも職歴を伝える事は意識していた。だが、本書を読んだことで、まだ私のやり方に改善の余地はある、と思わされた。

著者がそれぞれの職場で学んだことは私にも参考となった。たとえば著者が研修を終えて最初に配属されたのは松江放送局。そこで著者は警察を担当する記者に任ぜられる。先輩から簡単な引継ぎを受けた後は、一人で取材して回らねばならない。先輩に「後任です」と紹介されたときは型どおりのあいさつを返されるが、先輩がいなくなった後、新米の記者に投げられる視線は冷たい。値踏みされ、信頼できる人間と見定められるまでは話しかけてもらえない。著者はその壁を乗り越えるのに苦労する。著者はその試練を乗り越えるにあたり、セールスマンのような動きをしなければ、と開眼する。商品を売り込む前に自分を売り込め、というわけだ。それは私が普段から励行する、FacebookなどのSNSに投稿する行いに通じている。Facebookへの投稿は、私という人間を知ってもらうためだと思っている。

とはいえ、私のワークスタイルは、著者が例えたようなセールスマンの営業手法に比べると若干の違いがある。私の場合、どちらかというと案件ありきで話をすることが多い。何かを無から売り込むのではなく、まずお客様にニーズがあり、それを受けて私が提案することが多い。だから本書で描かれるような、何度も繰り返し自分を売り込むことで仕事を円滑に回せるようになった、というケースは当てはまらないことも多い。案件ありきで私が呼ばれ、その後、一度か二度の訪問をへて受注が決まることがほとんどだ。ただ、私は一度案件を受注すると、その後も継続して案件をいただくことが多い。それは、仕事そのものもそうだが、私という人間を見てもらえたからではないかと思っている。そのためにはお客様との雑談が重要になる。そのためのネタを事前にSNSに発信しておき、自分がこういう事に関心があるとさりげなく発信する。それが雑談につながり、雑談が信頼を生み、それが仕事につながる。そうした意味で、雑談を大切にするという著者の学び取った極意にはとても共感できるのだ。

あと、共通体験の重要さに著者は触れている。これはわかる。お互いの共通体験を増やすことで、話のタネが増える。これも私がFacebookにいろいろと書き込む理由の一つだ。いわば私から共通体験のネタを提供する。それが商談の場で会話を生み、共通の場を作る。もちろん、それがどこまで効果を上げているのかは分からない。だが、何かしらの効果はあると信じている。

あと、話し上手は聞き上手という言葉も出てくる。これもよくわかる。本書を読む4年前に私が読んだ『最高の仕事と人生を引き出す 「聞き方」の極意』(レビュ-)でも学んだことだ。

著者はその後、広島放送局でも経験を積む。警視庁の担当として夜回りで事件のネタを探す過酷な日々だったようだ。その次に著者が苦労したこと。それは記者レポートを担当したことだ。テレビのニュース画面に登場し、現場の状況をレポートする。この経験は著者を表現者として次のステージに進めた。著者が記者レポートの仕事を通して学んだことの大切さ。まず始めに朗読なのかリポートなのかを意識すること。つまり、書かれた文章を読むだけなら誰にでもできるが、それは単なる朗読に過ぎない。そこでリポートを極めるため、著者はいくつかのメモだけを手元におき、即興で文章を組み立ててしゃべる訓練をしたという。もう一つ著者が説くことがある。それは書き言葉と違い、しゃべり言葉は後から読み返すことができないという真理だ。つまり、話す順序をきちんと考えなければ聞き手には話す内容が伝わらないという気づき。これはとても重要なことだ。この章で著者が訴えることは、私も普段あまり意識できていなかったことだ。ここで学んだことは、私は多分、音読の訓練から行うべき、という反省だ。私には黙読の習慣が身につきすぎてしまっている。黙読ではなく朗読。この習慣が身につけば、書き言葉の文体にも良い影響を与えるに違いない。

ここでは著者の失敗したエピソードが一つ披露される。それは、活舌の悪い著者が、タクシーの運転手に警視庁までと言ったつもりが錦糸町に連れていかれた、というもの。活舌に劣等感を持つ私には勇気づけられるエピソードだ。

あと、つかみの言葉をしっかり考えることの重要性も述べられている。そのために著者は、普段から目の前に広がる光景を即時に描写し、頭の中でしゃべる練習に励んだそうだ。その中で著者が掴んだ極意の中には、「手あかのついた言葉は何も語っていないのと同じ」や、「専門用語を安易に使うな」というのもある。両方ともに私にとっては耳の痛い警句だ。

続いて著者はテレビスタジオでキャスターとして働くようになった経験を語る。ここで得た経験はどちらかといえばテレビ業界で使われるテクニックに偏っている。しかし、フリップ(NHKではパターンと呼ぶらしい)の効用について触れるなど、著者の経験をテレビ寄りだからといって見逃してはならない。例えば私たちがプレゼンテーションを行う際、画面にアニメーションを付けたり、ホワイトボードを併用したりすることがある。まさにその手段にも通じるのがテレビの手法だ。テレビに代表されるようなビジュアルと音声の併用は、プレゼンテーションの上でも役に立つはずだ。動画の利用がは今後のテーマとして重要なので、テレビのみに通じる手法だと捨てておくのはもったいない。

続いて著者が触れるのは、週刊こどもニュースを担当した時の苦労だ。子どもに対しては、大人に対する手法は通用しない。まず、わかってもらうための言葉を吟味しなければならない。著者が本書で一番語りたいと力を入れたのはこの点だ。著者を単なる記者出身のキャスターから、一皮むけさせたのは、週刊こどもニュースでの体験が大きいと著者は言う。子どもに向けた分かりやすい表現を心掛けたことで、著者は表現者として他の人とは違う存在感を身に着けたのだろう。

分かりやすく。難しい内容だからこそ、余計に分かりやすく。このことは私が以前から改めなければ、と自分を戒めつつ、いまだにうまくできていない課題だ。簡単な言葉を使いながら、内容に深みをだす。これこそ私が以前から試行錯誤している部分なのだから。

本書は以下のような構成からなっている。
第1章 はじめはカメラの前で気が遠くなった
第2章 サツ回りで途方に暮れた
第3章 現場に出て考えた
第4章 テレビスタジオでも考えた
第5章 「わかりやすい説明」を考えた
第6章 「自分の言葉」を探した
第7章 「言葉にする」ことから始めよう

1章から5章までは著者の職歴と経験が語られ、6章と7章はまとめに相当する。どこを読んでも本書からは得るものが多い。私も本書を読んだことで、少しずつしゃべる技術に向上がみられた。だが、まだ著者のレベルには程遠い。引き続き精進したいと思う。

‘2018/01/10-2018/01/17


社畜のススメ


社畜のススメ。実に目を惹くタイトルである。著者と編集者の狙いが透けて見えるような。が、敢えてその挑発に乗り、本書を手に取った。

社畜。このように言われて鼻白む方は多いことだろう。私もその一人である。それどころか、社畜とは正反対の人生を歩まんと日々あがく者である。社畜的な生き方を嫌った挙句、30歳頭で個人事業主として独立し、以来8年半ほど生計を立てている。だからこそあえて、本書を手に取ったと言ってもよい。自分にとって対極にある思想ほど、自分の欠点を補ってくれるものはない。本書を読むことで、私の中で何が変わり、何が強化されるのか。そのような期待も込めて、本書を読み進めた。

会社の為に私を滅し、組織のために奉公する者。社畜という言葉には、そのような蔑みと憐みの意味が込められがちである。最近では自嘲的な意味でも、自己憐憫の揶揄言葉としても使われることが多い。いづれにせよ、社畜という語感から前向きな言葉を汲みとることは難しい。

だが、本書は敢えて「社畜のススメ」なる言葉をタイトルに選んだ。

新潮社からは、出版に当り、このような紹介文が附されている。

・・・多くの企業や職場を見てきた著者は、「社畜」でないサラリーマンこそ苦しんでいることに気づきます。若手のうちから個性や自由を求めたり、キャリアアップを夢見て転職難民になったり、安易な自己啓発書にすがったり……。

「ひとりよがりの狭い価値観を捨て、まっさらな頭で仕事と向き合う。自分を過剰評価せず、組織の一員としての自覚を持つ」
本書で提唱するのは、こうした姿勢をもつ「クレバーな社畜」です。
サラリーマンには「社畜経験」が不可欠である、本当に成長するための最も賢い”戦略”である――その理由を解説します。・・・

敢えてタイトルを逆説的にし、社畜ではない生き方をススメる。そのように穿った読み方をしたくなるほど、挑発的で無謀なタイトルである。

しかし本書で提唱される生き方は、社畜ではない生き方どころか、社畜そのものである。看板に偽りはない。ただし、社畜といっても、従順な羊のような、自我を失くした社畜をススメている訳ではない。本書でススメているのは、上の紹介文によると「クレバーな社畜」である。クレバーな社畜とは、一見すると組織に飼いならされているように見せかけ、その実、組織を利用する者、とでも言おうか。

ここに至り、早合点する方もいるかもしれない。ほら、やはりタイトルとは違い、本書は社畜ではない生き方を薦めているのではないかと。しかし残念なことにそうではない。本書で薦める生き方はあくまで社畜的なそれである。

だが、本書が俎上に上げる人種は、実は社畜ではない。料理されるのは、社畜と正反対の人種である。社畜的な生き方を拒み、自分探しに明け暮れ、組織に埋没しない自己を誇る者。つまり私のような者である。社畜という言葉に嫌悪を抱き、組織に背を向けて独立独歩の道を歩もうとする者。このような者たちを本書は糾弾し、蔑み、そして憐れむ。自分探しに拘った結果、結果としてキャリアを損ない、才能を空費させ、人生を虚しくする。社畜的でない者たちに対する本書の記述は実に手厳しい。逆に社畜的な生き方を選ぶものこそが自己を成長させ、人生を実りあるものにする、というのが、本書の主張といっても過言ではない。

上に挙げた新潮社による紹介文の冒頭にもそのような事が書かれている。社畜化する自分を恐れるあまり、会社という強大な力を持つ組織から学ぶ機会をみすみす逃し、じり貧の人生を歩む。そのような人々に対する批判とこれからの若者にそうならないため、クレバーな社畜の道をススメる。本書はそのような生き方を提唱し、分かりやすいタイトルとして社畜のススメをタイトルに掲げる。

冒頭にも挙げたように、私は8年半、個人事業主として生計を立てている。果たして私は、本書で批判される者たちなのだろうか。それとも隠れ社畜なのだろうか。または、批難圏外の人種なのだろうか。本書を読みながら、私は幾度も自問自答した。

そして結論を出した。社畜でこそないかもしれないが、社畜と同じ道を、同じだけの苦労を辿ってきたからこそ、今の自分があるのだと。

本書は、圧倒的なビジネスセンスの持ち主に対し、社畜的な生き方をススメない。むしろそういう人にはどんどんわが道を進めと背を押す。しかし大多数の人々はそのような類まれな才能を持っているわけではない。ではどうするべきなのか。それは、地道に下積みを重ねる他はない、と著者はいう。ビジネススキル、生き様、そして人生。組織と組織に生きる社畜仲間から歯を食いしばって学ぶ物は多い。理不尽さに耐え、組織の論理に揉まれる。それによってしか、あなたにとって成功の目はない。たとえそれが社畜と揶揄されようとも。それが著者の訴えたいことだと思う。

わが身を顧みるに、20代、30代、社畜的な生き方から身を背けてきたつもりだった。が、その分、随分と失敗を重ねている。そしてそのような失敗の中から、自分で学んだ事、その時々でご縁のあった同僚や先輩、後輩から教えられた事のいかに多かったか。本書ではサービス残業を推奨する箇所がある。世論と逆行した主張である。しかし我が身を振り返ると、個人事業主にとってはそもそも残業という観念がない。何があろうと納期に間に合わせるのが当然であり、場合によっては徹夜も辞さない。個人事業主だからといってなんのことはない。やはり下積みなのである。そして社畜的なのである。ただそれが組織に対する滅私奉公という形を取らず、お客様に対する想いと自分の矜持に掛かるかの違いである。俺流と独学を気取ってあがいた分、遠回りしてしまったのが私のキャリアだったのだということに、本書を読んで思い至らされた。

このことを認めるのは、実につらい。つらいし、情けない。でも、これが現実。生まれながらのビジネスセンスを持たざる者の、現状である。しかし、それが無駄だったかというと、そうではない。遠回りしたが、社畜として組織の中で頑張ってきた人に比べ、何ら引けを取ることはないと考えている。それは、組織の中で身を擦り減らす人々と同じくサービス残業をし、お客様の要望に応え、満員電車に揺られて常駐先に通いつめ、という努力をし続けてきたからと考えている。

私は本書を読みながら考えた。そして考えが上に挙げた結論に至るにつれ、自らの来し方を振り返った。その結果、本書で著者が言いたかったことが会得できたのではないかと思っている。

本書は、社畜のススメと書いてあるが、40、50代のビジネスマンに対し、社畜的なキャリアを歩めとは言わない。むしろ社畜として培ってきた経験を活かしてステップアップしろと述べている。それが管理職なのか、閑職なのか、それとも独立なのか。それは個人個人の選択の問題であろう。

ただ、最後に言っておかねばならないことがある。それは、本書はあくまで著者から読者へのメッセージであり、その受け取り方もまた、個人個人の選択の問題であるということ。本書が主張する論点の適用範囲は会社組織や地域社会、家庭にはない。本書が伝えたいメッセージは、読者の内面の充実を図るためのものであり、社会や組織に適用するものではない。著者の発するメッセージを咀嚼せず、外部に働きかけるとどうなるか。新聞の社会面に目を通すと、その悪例に事欠かない。経営者が社畜を是とし、社員を疎かにした経営を行うとどうなるか。社畜を肯んじて、家庭を顧みず仕事に溺れるとどうなるか。ブラック企業、過労死、熟年離婚、児童虐待、パワハラ。禍々しい言葉が次々湧き出す。要は本書を読んで会得したことは、自己内で完結させ、成長の糧とすればよいのである。それを怠り、鵜呑みにして吐き出すと、出てくるのは害毒だけである。

私は幸か不幸か、自分のワークライフスタイルに合わせ、個人事業主として曲がりなりにも生計をたて続けられている。本書で得たのは、これまでの自分の苦労が無駄ではなかったという肯定の思い。そして次代の人々の為に伝えるための材料である。今後は、本書の内容を踏み台にし、自分に期待しつつ独立への道を推し進めていきたい。また、機会があれば若い人々に生きるという事の妙味と重みを伝えられたらと願っている。

’14/06/16-‘14/06/17