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kintone Café 神奈川 Vol.11を開催しました


三月二十五日にkintone Café 神奈川 Vol.11を開催しました。

qloba上の公式サイトでの開催報告。
https://kintonecafe-kanagawa.qloba.com/activities/12153

昨年の春先より、これからはkintone Café 神奈川は3カ月おきに開催すると宣言し、達成することができました。
今年もそれを継続したいと思います。まず、ご参加者の皆様やスタッフの皆様に感謝いたします。

今回のVol.11は、コロナが始まってから味わう機会が激減していたリアルイベントの醍醐味を感じさせる内容でした。
オンライン参加者数と会場の参加者数が拮抗するkintone Caféも久々。そうしたリアルの会場からは、参加した皆さんからの反応が直接感じられ、運営側としてもとてもやりがいを感じました。それはまさにコミュニケーションの相乗効果。

今回のkintone Caféは、リアル開催の復活を宣言するように「kintoneで何ができるの?」をテーマとしました。
まさに原点回帰です。

今回の司会はけいんさんに担っていただきました。
そして、お約束のkintone Caféの理念を述べる前口上は代表の長井が担当しました。

さて、最初のセッション「kintoneで何ができるの?入門編」は藤村さん。
今回のkintone Caféは、藤村さんを抜きにして考えられません。場所の選定からリアル参加者の集客、そして会場にkintoneベースのデジタルサイネージを設置し、ウェルカムボードの代わりとしてくださったのも藤村さん。さらに「イベントチャット」というツイートを集約するツールを作っていただいたのも藤村さん。

セッションの内容も、今回のkintone Caféへの藤村さんの熱い思い、チガラボの皆さんにkintoneの魅力を伝えたいという思いがあふれていました。冒頭のアイスブレイクで皆さんのkintoneへの理解度や知識などを把握し、その上で会場の雰囲気をつかみます。

kintoneを知らない方にkintoneに興味を持ってもらえるように組み立てられた内容は、冒頭のセッションとして素晴らしいものでした。「ゆるい」というキーワードは、まさにkintoneの敷居の低さを表した言葉。
ありがとうございました。

さて、続いてのセッションはけいんさんによる「Excelから顧客リストを作ってみよう」。
藤村さんによってkintoneへの興味を掻き立てられた皆さん。kintoneの実際の画面が見たい。そんな皆さんの思いをくみ取るために実際のデモをお見せする。藤村さんからけいんさんへの見事なバトンリレーです。

けいんさんはExcelで用意した顧客データをもとに、kintoneの標準機能であるアプリをExcelから作成する機能を使い、一瞬でアプリにしてしまいました。この素早い動きには会場の皆さんも心が動かされていました。目の前でこのような反応が返ってくると嬉しくてしょうがありません。これこそがリアルイベントのうれしさです。やってよかったと思える瞬間です。

さらにけいんさんは、そのように作ったアプリを参加者の皆さんにスマホでログインしてもらえるようQRコードとログイン情報を用意してくださいました。それにより、会場の皆さんが一斉にスマホを取り出し、ログインを試す姿はこれぞリアルイベントのダイレクトな反応。けいんさんのたくらみが見事にチガラボさんで炸裂しました。素晴らしい。ありがとうございました。

続いては、代表の長井によるアプリのライブ作成です。
正直、業務が忙しいため、今回のkintone Caféでは当初登壇する予定はありませんでした。十日前にLTやりましょうか、といったものの、20分のセッションは考えておらず。一週間前になって私の枠が20分とられていることにきづき、おや?と。

その後も準備する時間が取れず、当日も13時にチガラボさんにはいったものの、打ち合わせが四つ続き、ようやく17時になって冒頭の「kintone Caféとは」を作った次第。結局、事前にkintone環境に入ってRepotone Uをインストールするのが精いっぱいでした。しかも藤村さんとけいんさんのセッションでは、私の端末をディスプレイにつなぎ、Zoomの画面共有で皆さんにお見せする形態をとったため、お二方のセッションの裏で準備する時間もなく。

その分、正真正銘のガチライブ感は出せたかもしれません。Webから適当に持ってきた問診票をアプリにf実装しようとしたところで、その問診票のチェックボックスの項目が多く、とても時間内に実現できませんでした。ですが、repotone uを使ってその場で入力した内容を帳票にアップできたことは、皆さんにkintoneのリアルなゆるさとスピード感が伝えられたのではないかと思っています。

今回の開催にあたっては、私と藤村さんがそれぞれkintone関連のパンフレットを多数持ち込み、それを皆さんの机に置いておきました。けいんさんと私のセッションの間の休憩では、皆さんがそれらを興味深そうにめくり、それぞれが意見交換を交わしていました。そこに藤村さんが適宜からんで補足を加えていました。
まさにこれはコワーキングの実例。こうした場の雰囲気はkintone Caféやコミュニティでもファシリテーターさんの手腕によっては見られることもよく見られます。が、チガラボさんの場合、その協働のあり方がファシリテーターの手を借りずとも皆さんの中で自然と出来上がっていました。これぞコワーキングスペースの正しいあり方でしょうね。そしてリアルイベントのあるべき姿。

そうした雰囲気にとても感銘を受けた私たちは、夜の懇親会へ。蕎麦厨房水火さんで美味しい料理を頂きつつ、そうした茅ケ崎の街やチガラボの雰囲気について意見を交換しました。
私にとって今まで茅ケ崎といえば、サザン・オールスターズや開高健、そして懇意にしているTouch is Loveジーンズストアさん、そして浜降祭ぐらいでした。
ですがチガラボさんで感じた自然と協働やたくらみが成り立つ様子は、新たな茅ケ崎の魅力を教えてくれました。
皆さんありがとうございました。


紀伊半島はたらく・くらすプロジェクト三日目 2019/11/27


この日は私にとって下北山村滞在の最終日。三木さんもこの日を最後に次のイベント会場の田辺に移動されるらしく。
それならば、と二人で朝から下北山温泉きなりの湯に赴き、三度目となる裸ン坊トークを。

私にとって、こんな短期間で妻以外の方と集中的に話をする機会はそうそうありません。
私は情報処理。三木さんはコンサルタント。業種は違えど、場所に縛られず仕事ができる立場には相通ずるものがあります。
そして三木さんは私よりも豊富にこうしたワーケーションの経験をお持ちです。

私も一つところに縛られるのが苦手です。そのため、三木さんのようにあちこちで柔軟に仕事がしたいと思っています。
三木さんと話していると、どうすれば仕事しながら自由に旅ができるかという知見と衝動がたまっていきます。こうした刺激こそ、会話の喜びなのでしょう。とても貴重な時間でした。

この旅を終えてしばらくして、世界をコロナが席巻しました。そして、自由な旅に制限をかけました。
その一方で、コロナはリモートワークへの必要を高めて、働き方の変化を促しました。それによって、弊社にも仕事の引き合いを増やしてくれましたが、それが皮肉にも私の時間を奪ってしまいました。
もっとも、コロナ下にあっても5,6回は出張に出かけられました。
ですが、出張先でも効率を落とさずに仕事ができているか、と問われればまだまだ、と答えるしかありません。まだ体制が不足しているからです。
コロナ下でも弊社としてさまざまな実績や認知度を上げることはできたと思っていますが、効率の面では課題を感じています。

今のところ私の結論は、プログラミング作業やテストはワーケーションには向かない、です。その理由は、プログラミングやテストを行うにはある程度の集中する時間が必要であり、二泊三日ではかえって移動のバタバタによって能率が落ちるからです。ワーケーション先でコーディングやテストを行うのなら、二週間ほど滞在するつもりで来ないと逆効果と思っています。
ただ、概要設計や外部設計はワーケーションが向いているようです。
つまり、顧客との要件定義や概要設計や外部設計はワーケーション先で自由な発想のもと行う。そして、並行して本拠にいる方にプログラミングやテストを行っていただくよう依頼する、といった体制です。その方向性については見えてきました。
あとはその体制の作り方と要件定義の伝達手段を煮詰めることが現時点の課題です。

そのあたりの課題を突き詰めていくにあたっては、三木さんとまたお話する機会があれば、自分の中で固めていけると思っています。
三木さんとは下北山村で別れた後、12月に都内で行われた紀伊半島はたらく・くらすプロジェクトの打ち上げ会でお会いしただけです。
そのあとにも京都の町家でのワーケーションのイベントにお誘いいただいていました。ですが、私が登壇する予定だった京都での別イベントもコロナで中止となり、辞退しました。それからは三木さんとは会えていません。

お風呂トークを終え、初日の夜には閉まっていた食事処で下北山村の特産である「春まなうどん」に舌鼓を打ちました。
「下北春まな」。そして「おくとろ温泉」にも売っていたじゃばら。ともにこの地方の特産物として一定のブランド力を持っています。春まなうどんに至っては家族が気にいり、後日、SHIMOKOITAYAMA BIYORIの方にお願いして取り寄せたほどです。

最後にSHIMOKOITAYAMA BIYORIに立ち寄って皆さんと歓談をしました。その時にいただいた柿がとてもおいしかったです。
お世話になったナオコさんやナツミさん、ノブコさんともお別れです。
そういえば、ノブコさんとは私が住んでいる町田の家を通して思わぬご縁がつながっていました。驚かされました。ナオコさんやナツミさんとは都内で行われた打ち上げや、勝どきの太陽のマルシェで出店に来られていた際にお会いできましたが、紀伊半島ではお会いできていません。上に書いたとおり、私が伺える状況になかったので。

せっかくつながったご縁を大切にするためにも、またSHIMOKOITAYAMA BIYORIには訪れたいと思っています。というか、おそらく伺えるはずだと思っています。
なぜなら、下北山村で行けなかった場所がたくさんありますから。例えば三重滝。例えば釈迦ヶ岳。例えば深仙の宿など。他にも明神池の周囲の散策コースはじっくり歩いてみたいし、下北山村の周囲には私が未訪の名瀑が無数に点在しているはずです。

下北山村には必ず再訪することを誓い、SHIMOKOITAYAMA BIYORIの前の橋を渡りました。そこの見事な紅葉に目をやりながら。
最後に、まだ訪れていなかった町役場や学校の前でしばしたたずみました。そして最後に下北山郵便局で風景印をいただきました。
いよいよ下北山村ともお別れです。

帰り道、425号線を通って十津川村経由で帰りました。それは帰り道に十津川村の笹の滝を訪れたかったからです。
425号線の峠のトンネル近くでは、あたりを一面の霧が覆いました。その幻想的な光景に、私は運転を中断して見入っていました。
私が別れを告げた下北山村が霧の中に遠ざかっていくような感覚。その霧が私を感傷から吹っ切らせてくれました。

十津川村に入ってしばらくすると、立て続けに三つの滝に出会いました。大泰の滝、清納の滝、そして不動滝です。私の中では清納の滝が気にいりました。清納の滝は、舞台型と私が勝手に名付けている滝の形です。刹那ごとに変わる形を演じている滝の舞台。美しかったです。

168号線に合流し、北上した私とストリーム。しばらくすると、笹の滝へといざなってくれる道が見えてきました。すでに日は傾きかけており、滝に間に合うかが微妙でしたが、少し山道を飛ばして走ることしばらく。大胆かつ細心の運転で16時40分には笹の滝の前に立つことができました。日本の滝百選に選ばれた笹の滝。すでに光量は乏しくなってきていましたが、なんとか笹の滝の美しい姿を記憶に収めることができました。

刻一刻と薄暗さが増す中、ぎりぎりまで笹の滝にいた私。
そのため、来た道を戻って168号線に合流した時、すでに空は闇に覆われていました。
168号線を走るのは8年前に妻と熊野三社から吉野へ向かって以来です。けれども、その時の思い出を反芻するには暗くなりすぎていました。
やがて168号線は五条インターチェンジへ。後は高速道路の旅です。
この日の夜、何を食べたのか覚えていませんが、おそらく実家で食べたのでしょう。
そしてその日は東京に帰らず、実家でもう一泊し、翌朝の新幹線で東京に帰りました。
そんな風にして四泊五日の紀伊半島はたらく・くらすプロジェクトの旅は終わりました。

その後、紀伊半島はたらく・くらすプロジェクトは紀伊田辺での期間を最後に終了しました。
そして12/19には都内で打ち上げと報告を兼ねた会が行われ、そちらには私も参加できました。
会場となった尾鷲や田辺、そして下北山村のイベントの報告を伺いました。また、その場で披露されたイベントのまとめ動画も見事でした。

各場所とも面白そうなイベントが実施されていたのですね。あらためてうらやましさを感じました。
また、打ち上げには私がお会いできなかった下北山村に参加された皆さんも来られており、下北山村のイベントに参加できなかった私にとって、いろいろなことを教えてもらえました。特に、ジビエの解体の動画を見せてもらえたのは思い出に残りました。
打ち上げに参加できたことで、また紀伊半島に行きたい思いに駆られました。

ところが、年が明けた二月から、世界はコロナに塗りつぶされてしまいます。
私も1月の中旬を最後に、ワーケーションをする機会がなくなってしまいました。
先に書いた通り、私の場合はコロナによって旅の自由が奪われたのではなく、コロナによって仕事が忙しくなってしまったためなのですが。

それに対する処方としては、体制の構築しかないと思っています。
今、こうやって一年少し前の思い出をつづっていますが、数日前に弊社もついに求人募集を出すことになりました。
三木さんと会話した三日間の結論として、ついに求人に踏み切ったということもあります。

体制の構築がうまく実現し、私がワーケーション先で要件定義や基本・概要設計ができるようになれば、きっとまた下北山村にも訪れられると信じています。

今回の旅や打ち上げ会で私とご縁を結んでくださった皆様、本当にありがとうございました!


紀伊半島はたらく・くらすプロジェクト二日目 2019/11/26


この日の午前は、私は三木さんとは別行動でした。

私がいそいそと向かったのは不動七重の滝です。
日本の滝百選にも選ばれている名瀑です。

不動七重の滝に至る細い山道はあまり手入れがされているとはいいがたく、細かい落石が路面に散らばっていました。
今回の旅でなにかビジネスのネタを考えようと思っていましたが、こうした路面の石をドローンで検出するサービスがあると便利だと思いましたね。

ですが、色づいた紅葉を愛でながら車を駆る私には、目ざす滝しか見えていません。
そして訪れた不動七重の滝。これがまた素晴らしかった。

この滝は近くにも行けるようですが、時間がないため、展望台から遠望で眺めるだけにとどめました。
ですがその距離はほどよく、鑑賞するには十分です。
また、水量がとても豊かなこともこの滝の特徴です。
その豊かな水流に見とれたまま、ふとそばの岩壁に目をやると、まるで岩壁が動いているような錯覚を起こすのです。
動いているものを見つめると、それに引かれて止まっているものが動く。この錯覚は日常生活では時折経験があります。ですが、滝でこうした静と動の対称の錯覚が経験できるのは、私の知る限りここだけです。この錯覚が下に載せた動画では再現できないのが惜しまれます。
不動七重の滝は、日本の滝百選に選ばれたのも納得できるほどの素晴らしい滝です。私の数多い滝見経験の中でも、この滝は五指に含められそうです。

しばらく滝見にふけっていましたが、やがて次の場所へ。この道の先には、修験道の宿坊があるらしく、しかもその途中には三重滝と名付けられた滝があると聞きます。
どうせなら三重滝も見ていこうと思った私は、行き止まりに車を停めました。そしてしばらく、山の中をうろついて滝を探していました。
ところが、名もなき二つの滝は見つけましたが、ともに三重滝ではないらしいのです。なおもあたりをさまよいたかったのですが、三木さんに午前中にはSHIMOKOITAYAMA BIYORIに戻るとお伝えしていました。このままでは間に合わなくなってしまう。というわけで、三重滝は断念。

帰りにもう一度だけ不動七重の滝を目に焼き付けました。そして帰り道の池神社の近くで見事に色づいた木々を記憶に残しました。

SHIMOKOITAYAMA BIYORIではお昼の準備をしていました。
各地のコワーキングスペースでも、場所によっては利用者が自炊できるところがあります。自炊によってさらにコミュニケーションを深めようという意図です。
ですが、SHIMOKOITAYAMA BIYORIではそれがさらに利用者による互助の域にまで進化しています。

皆さんが協力して作った焼きそばはとてもおいしかったです。
そして料理が不得手な私は、美味しくできた焼きそばやその他の料理をもりもりといただきました。
でも、皆さんの働きに対し、ただ指をくわえてみているだけ、という選択は恥ずかしい。皆さんの働きぶりに感化された私は「食器を洗いますよ」と手を挙げました。
多分、私が食器を洗っている姿を家族が見れば驚天動地。「明日は地震やな」と宣言したことでしょう。

この一連の出来事の中で印象に残ったことがもう一つだけあります。それは焼きそばの準備中に、SHIMOKOITAYAMA BIYORIの勝手口を開けて入ってきた地元の方が「良いのが採れたから」と野菜を置いて行ってくれたことです。
今日、都会ではこうやって勝手口からいきなり人が入ってくることはまずありません。
野菜のおすそ分けはご近所さん同士でままあるにせよ、玄関からインターフォン越しで訪問するのがお作法。
ところが、勝手口から地元の人がひょいっと入ってお野菜を置いていく。こうした光景から感じるのは、下北山村の自然の豊かさと、住民同士の気の置けない付き合いの距離感です。それは都会にいては窮屈や監視といったネガティブな要素に置き換わるのですが、ここ下北山村ではそれがかえって自然に感じました。

人口が900人を切っている下北山村。私が滞在している間、村役場に面したメインストリートを車が通る姿はほぼ見かけませんでした。それほど閑散とした村。
そんな村の中では、お互いが顔見知りになるのも当然です。そして、顔見知りであるがゆえ、同じ村で暮らす仲間としての信頼関係が醸成されていくのでしょう。
それは都会に生活する人々が忘れた感覚です。

実は今回、下北山村で三日を暮らすうちに、もっと大きな驚きも経験しました。
ただ、それはネットにアップするには差しさわりもありそうなので割愛します。都会では考えられない、とだけ書いておきます。

さて、この日の私は快適なSHIMOKOITAYAMA BIYORIのWi-Fi環境に助けられ、東京で行われていたオフラインの会議に一人だけオンラインで参加していました。3時間近くは会議を行っていたでしょうか。
この時の会議で、私は進行中のお客様のkintone開発にgusuku Customineを提案しました。カスタマイズがノンコーディングでできるCustomineを導入しないと、納期が1月末の納期に間に合わないという論旨で。そしてその提案が無事に通りました。
後日談ですが、このお客様の案件はかなりの規模の実装が求められていたにもかかわらず、1月末にはだいたいの実装が実現できました。
この時のSHIMOKOITAYAMA BIYORIから参加した会議がまさに転換点でした。奈良からでも大きな影響は与えられる。テレワークの効能を感じさせてくれた経験でしたね。

午後六時になり、カヤックLivingの皆さんも含めた五名で打ち上げに行くことになりました。
カヤックLivingの皆さん三名は、この日を最後に下北山村を引き上げ、次の会場である田辺に移動されるとのことです。
そこで、村に一軒だけある「花川」という居酒屋でビールや美味しい食事を楽しみました。
酒はうまく、料理も心がこもっている。しかも空気がきれい。星空もきれい。すべてに満足です。
私ももう少し早めにしきて皆さんと語っていたかったし、下北山村の皆さんともイベントでご一緒したかった。後日、都内の報告会でお会いした皆さんとも現地で知己になっていたかった。カヤックLivingさんのめざす思いについてより理解を深めたかった。
ですが、これらはまた次の機会にとっておきたいと思います。

「花川」を出た後、少し足を延ばして和歌山県へ。私たちが向かったのは「おくとろ温泉」です。少し足を延ばしといっても20㎞はある道のりです。この辺りでは車がなければ生活できません。
「おくとろ温泉」の湯も肌に潤いを与えてくれました。この辺りは温泉に恵まれており、体と心を癒やしてくれます。
館内にはじゃばらの名産地であることを示すものも置かれ、昼にまた来たくなりました。

この道中もお風呂の中でも、私と三木さんはいろいろと語っていたように思います。
こうした過疎の地で住まわれている方がどんな職に就き、この地区の中ではどういう職が求められているのか、といった内容だったように記憶しています。

地方創生、という話は最近よく聞きます。ですが、じゃあ具体的にどうするのかと問われた時、容易には答えが出せません。
例えば村のガソリンスタンド、食料品店、薬局やインフラ系の仕事だとどうでしょう。それらの日々の仕事が直接、その地域に恩恵を与えるはずです。
ですが、私が属する情報業界では、地方で仕事していても、やっている作業は都会のクライアントからの依頼が主です。
間接的にはそうやって暮らすことで、生活のための支出が地方の経済を少しは回すはずです。でも、情報処理の仕事をその地方のお客様に対して提供する機会はなかなかなさそうです。つまり、直接的に地方に影響を与えながらの仕事は難しいのです。
情報業界の人間としてできること。それは、都会に疲れた技術者を地方に誘い、そこでリフレッシュしながら仕事をしてもらうこと。さらに彼らを通じて間接的に地方の経済に貢献することぐらいしか思いつく案がありません。
そして、そうした施策はすでにいくつもの自治体やカヤックLivingさんのような会社が実施しています。紀伊半島はたらく・くらすプロジェクトのようなイベントとして。

紀伊半島はたらく・くらすプロジェクトから一年以上が過ぎた今、世界はコロナによって大きく様変わりしました。その結果、テレワークやリモートワークの考えが市民権を得ました。
それにもかかわらず、地方の経済に抜本的な転換が起こったという事例は寡聞にして知りません。

おそらく、地方を元気にするための即効性のある処方箋はないのだと思います。地道に着実にやるしかないのでしょう。
私が訪れたSHIMOKOITAYAMA BIYORIには村外や東京から移住した三名の女性がいらっしゃいました。いずれも志の高い方です。下北山村以外の地方でも、そうした有志の方が移住し、少しずつ根付いていることと思います。

そんな皆さんに対し、私ができることは、地方に住まわれた方に仕事の発注ができるような体制を提供することでしょうか。もしくは本稿のようなブログによって地方移住の気運を盛り上げることでしょうか。
それが、移住を実践したSHIMOKOITAYAMA BIYORIの皆さんやカヤックLivingの皆さんに対するサポートになればよいな、と思います。たとえ微力であろうとも。

さて、ゲストハウス天籟さんまでお送りいただき、私たちと三木さんはゲストハウス天籟のオーナーも交えて三人で語らっていました。
また、三木さんが休まれた後、私は仕事をしていたのですが、それからもオーナーさんが練習するピアノの音がずっと見守っていてくれました。
こちらのオーナーさんの経歴もまた面白く、ゲストである私たちを信頼してくれる運営の姿勢もまた新鮮でした。

とにかく今回の紀伊半島はたらく・くらすプロジェクトは、私にとって語らいのイベントでした。こうした経験は、すぐに効果は生じません。後々の仕事に必ず生きてくると思っています。
今、一年以上たってからこうしてブログに表してみて、実際に生きていることを感じます。


紀伊半島はたらく・くらすプロジェクト一日目 2019/11/25


実家の車を借りた私は、阪神高速と近畿道、そして南阪奈道を乗り継ぎ、葛城インターまでやってきました。
そこからは下道を走り、御所市街を駆け抜けて南へ。めざすは下北山村。

とはいえ、私の旅に寄り道は欠かせません。下北山村への道中、いくつもの道草をくいました。最初に立ち寄ったのはJR掖上駅です。
二十五年前、一人で和歌山から奈良へと和歌山線に乗っての旅をしたことがあります。掖上駅はその時に車窓から見たはず。
この辺りのローカル駅は、私にとってどこか懐かしさを感じさせます。かつての思い出がそう思わせるのかもしれません。

さて、再び下北山村への道をたどります。国道309号線に沿って下市町から黒滝へ。途中、道の駅吉野道黒滝で休憩し、この地が生み出す豊かな木文化暗闘の一端に触れました。
さらに進むと、あたりは見渡す限り木と森の豊饒な世界。川に沿って縫う道のほかには木々だけしかない世界。私の視野に映るのはジグザグに山を覆う木々。いよいよ紀伊半島の中心部に入っていきます。

しばらく緑の中を進むと分岐する道が現れました。その分岐の山側には路側帯が広がっていました。私はそこで路側帯に車を停めました。

ところが、その道は通行止めの柵でふさがっていました。
柵の横には、見張りの作業員の方がおられました。私はその作業員の方に断りをいれ、柵の向こうへと一歩を記しました。どうやらこの先は前日までの雨天が原因で状況が悪く、通行止めにしているようでした。
この道は双門の滝へのアプローチ。そう、日本の滝百選に選ばれた双門の滝にアタックしよう。それが今回の最も大きな寄り道でした。

結論からいうと、これはかなりの無謀な挑戦でした。双門の滝は日本の滝百選の中でも屈指の難コース。この時の私の装備は、後から考えても不十分もいいところでした。かろうじて山登りの軽装だけは持ってきたとはいえ。自分の挑戦がむちゃだったことを知るのは後の話です。

道を三十分ほど歩いたところで、一つの滝が見えてきました。その滝の脇から坂道を降りると、広大な河原があらわれました。
目ざす双門の滝の下流には、水の流れがなければおかしい。ですが、この広大な河原には水の気配が皆無です。しばらく河原を歩きましたが、この先にも滝はないと判断し、元きた道を戻りました。
ところが、その判断は間違っていました。この河原は、白川八丁と呼ばれる場所であることを後から知りました。双門の滝はこの白川八丁を30分ほど歩き、そこからさらにいくつもの難所を越えねばならないことも。
いつもの事ですが、私はそうした事前調査すらせずにやってきてしまいました。

そこで途中に見かけた滝に戻り、滝を眼前に見ようとアタックを試みました。ところがこの滝すら、足元が悪く容易に近づけません。
しかも、私は足を滑らせ、左手薬指の第一関節近くに傷を負ってしまいました。
これでは、双門の滝どころではありません。私はすごすごと元来た道を戻りました。
車を停めた場所まで戻り、作業員の方には会釈した上で出発します。
長居はできません。今日の私の目的地は双門の滝ではないのですから。

さて、309号線をさらに進みます。すると、どうも不穏な雰囲気が私を襲います。なんと、道路工事の最中でした。
私の眼前に広がる光景は、路面をはがし、ローラーが道を整地しているザ・工事です。とても車では通れそうにありません。
でも、もし来た道を戻るとすれば、40キロほど走って下市町まで戻り、そこからさらに50キロほど回り道をしなければなりません。
実はこの日、14時半までには下北山村に着く、と事前に連絡を入れていました。90キロも遠回りしていたらとても間に合いそうにありません。

どうも私は途中に道路工事の案内標識があったのを見逃していたみたいです。
そんな私は途方に暮れ、車を停めて作業員の方に話に行きました。すると、しばらく待ってくれれば作業をいったん止めてくださるとのこと。
待つこと15分ほど。その間、私はそばの崖の法面に設置されたはしごを上り下りし、パンフレットを読むなどしていました。
工事は一段落し、ローラーで少し車が通れるぐらいまで整地してもらいました。
こうして私は無事にその難所(?)を突破できました。感謝です!

ここを越え、しばらくつづら折りの山道を進むと、無事に上北山村の標識が見えました。そして169号線に合流しました。ここから下北山村まであと少しのはず。
ですが、私の寄り道癖はウズウズとうずくのです。
視野に「黒瀬滝」と書かれた看板をみとめた私は、間髪を入れずにブレーキを踏みました。
先ほど、双門の滝を訪れられなかった無念を晴らす時が存外に早く訪れたようです。
この黒瀬滝は、岩盤を40メートルの落差でまっすぐに落ちています。11月も下旬なので水量が少ないのか、静かな印象を受けました。
これから下北山村に向かうにあたり、よい禊となりました。

なおも169号線を進むと、道の駅吉野路上北山が見えてきました。
ここでは笹の葉寿司を買い求めました。奈良にきた実感が増してゆきます。気持ちも上がります。
さらに、道の脇の崖にしがみつく野生の猿まで発見してしまい、私の旅情はもはやハイマックス!

さらに南下すると、川幅がどんどん広がってきました。これが事前に調べていた池原貯水池か。と私の心はさらに跳ねます。
ダムの堰堤にも立ち寄ってみましたが、広大で凪いだ湖面が美しい。これもまた旅でしか出会えない景色といえます。
近畿で最も大きな人造ダム湖である池原貯水池の雄大さは、自然を改変して作った人工物であるにもかかわらず、自然の一部として受け入れてもよいぐらい、壮大な美を体現していました。

14時半までには時間がありそうなので、ダムの事務所にも立ち寄ってみました。雄大な発電所の様子も本来ならば自然とは相反する景色のはずです。それなのに、なぜか旅情を感じさせてくれます。ここではダムカードをもらえました。

この辺りはすでに下北山村の中心部の一つです。谷あいに咲いた町のようなコンパクトにまとまった景色が美しく、ホッとさせてくれます。
この時点で、私の中で下北山村に対する愛着が生まれました。

さらに進むと、美しい池と、その湖畔にたたずむ神社が姿を現しました。明神池と池神社です。
事前にウェブで調べていた時から、ここは必ず訪れようと思っていました。そして、ウェブで見るよりも想像以上に美しい姿に感動しました。
山の中にふと現れる池とあたりの木々。その両者が作り上げる自然の造形に一切の無駄はありません。
見ほれている私の前を鳥が飛んでいきました。湖面をこするように飛ぶ鳥すらも、この景色のアクセントとして映えます。絵になる光景とはまさに明神池と池神社のことをいうのでしょう。
池神社と明神池だけでも下北山村には訪れる価値があります。この時点で私にとっての下北山村の好感度は盤石のものになりました。

さて、この時点で14時。そろそろ行かねば。SHIMOKITAYAMA BIYORIへ。SHIMOKITAYAMA BIYORIが現地集合の場所。そして、私が仕事をさせてもらえる場所です。
到着し、さっそく皆さんにご挨拶を。まだ新しい木の香りが漂っていそうな館内は、早くもたきぎストーブが焚かれ、真ん中のキッチンスペースと周りのベンチなども含め、広々としています。
私にとってこの旅で会う方は全員が初対面です。ですが、にこやかな笑顔に迎えられると、そうした些細なしきいはどこかに飛び去っていきます。

この日、私は到着するなりAWSome Day Online Conferenceに参加する予定でした。AWSですからカンファレンスの内容はアメリカから発信されています。
そして、SHIMOKITAYAMA BIYORIのWi-Fiは見事なまでにアメリカからのイベントを私に中継してくれました。私の家のWi-Fiよりもつながるんじゃね?てなぐらい。SHIMOKITAYAMA BIYORIに張られたWi-Fiの帯域の強さと太さには感心しました。
この時、私が持って行ったノートパソコンは、ちょうど機能低下が著しくなり始めたときでした。SHIMOKITAYAMA BIYORIについてすぐ、キーボードの文字キーが外れるなど、アクシデントにも悩まされました。そんなノートパソコンでありながら、通信環境だけはむしろ普段よりも向上していました。

ワーケーションの場として提供される以上、Wi-Fiはあって当然なのかもしれません。ですが、SHIMOKITAYAMA BIYORIのWi-Fiは私が今まで訪れた多くのコワーキングスペースよりも快調だったように思います。
どなたかがおっしゃっていたように記憶していますが、近隣で通信を利用する方の絶対数が少ないため、通信も快調なのかもしれません。ですが、それを差し引いてもSHIMOKITAYAMA BIYORIに張られたWi-Fi回線の安定度は私の中に強烈な印象として残りました。

さて、AWSのカンファレンスも無事に終わり、来られていたカヤックLivingの皆様ともご挨拶を済ませました。
続いて、今回お世話になる宿へ連れて行っていただきました。
この日は国交省の方が紀伊半島はたらく・くらすプロジェクトの視察に来られていて、カヤックLivingの方はそのヒアリングの対応があるそうです。そのため、食事もご一緒できませんでした。
そこで今回の宿である、ゲストハウス天籟さんまでカヤックLivingの木曽さんが先導してくださいました。

さて、下北山村の各種イベントが実施される日程とは違う日程で参加した私。カヤックLivingさんやSHIMOKITAYAMA BIYORIと別れた後は独りぼっちになってしまうのか。
いえ、そんなことはありません。私以外にも参加者が一人だけいらっしゃいました。
私が来る数日前から参加されていた三木さんです。

三木さんは同じゲストハウス天籟で泊まっておられました。そのため、晩飯とお風呂をご一緒しつつ、初対面の交流を温めようということで、三木さんの車に同乗させてもらいました。向かったのは下北山温泉きなりの湯。
ここには食堂もあるのですが、この日はあいにくやっていませんでした。
まずはお湯につかりながら、三木さんと会話しました。

こういうイベントに参加する時、どういう人とあいさつし、ご縁を結ぶか。それは運に左右されると思います。
私にとって幸運だったのは、三木さんが残っていてくださったことです。

この日から三日間、三木さんとは風呂場で裸の付き合いをさせていただきました。
まずは初日。2時間は湯船で語り合っていたのではないでしょうか。
お互いの自己紹介から仕事の内容や仕事に対する姿勢など。
湯冷めとのぼせを繰り返しながら、暑く、そして熱いお話ができたように思います。これも旅が取り持つご縁のありがたみですね。

きなりの湯を出た後は、夕食を求めてカーブの店へ。
下北山村にはコンビニエンスストアがありません。ましてやスーパーマーケットをや。
唯一のチェーン店がヤマザキYショップの看板を掲げるのカーブの店です。このお店がなかったら、初日にして私は飢えていたことでしょう。まさに助かりました。

さて、ゲストハウス天籟に戻ってからも語り合っていた私と三木さん。
ゲストハウス天籟さんも、ユニークな造りをしていて、まさに旅ならでは。

私は三木さんが休まれた後も少し仕事をしていました。初日にして充実の夜はこうして更けていきました。
都会では絶対に出会えない星空に見守られながら。


淡路島に地方創生の未来を見た


先日、4/23に淡路島に行って来ました。

淡路島といえば兵庫県。私の故郷です。海峡を挟んだ明石は父の出身地であり、つい数年前まで祖父母が住んでいた地です。淡路島は国産み神話の息づく、花咲く島としても知られています。しかし、そんな身近にありながら、私は淡路島をそれほど訪れていません。今回の訪問が生涯で10回目というところでしょうか。今回の旅は、淡路島の魅力を再認識すると共に、そこを舞台にビジネスと暮らしを両立させる試みに触れさせて頂く貴重な機会となりました。

昨年の秋、10/29に東京の上野でセミナーに参加しました。
「東京×兵庫 移住・起業促進セミナー〜暮らし方と働き方を選んで自分らしく生きる〜」
Facebookページ

今回の淡路訪問は、このセミナーへの出席がきっかけです。当時、私は兵庫で週半分とはいえuターン起業を企図していました。お仕事で懇意にしている方からのご招待を頂いたのを機縁に起業の人脈作りも兼ねて参加しました。実際、こちらで拝聴したセミナー内容や試食させて頂いた産物はとても魅力がありました。が、それだけではありません。ここで得たご縁は、今回の淡路だけでなく、それ以外にも様々なビジネスの展開を私にもたらしてくれました。このセミナーへの出席は私にとって一つの転機となりました。

このセミナーで知り合った方には、実際に東京での地位を擲ち、淡路で新たな勉強をし直す方がいました。東京から淡路に移住し、腰を据えてビジネスを展開されている方もいました。また、関西を舞台に様々な町づくり、コミュニティ再生をされている方もいました。実際にビジネス展開の上でITを使ったお手伝いのご相談も頂きました。ここで得た貴重な御縁を一期のものとしないためにも、今回の淡路訪問は何を置いても優先すべきものでした。

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まず最初に訪れたのは、トキワ庵様。サブタイトルに「~淡路島サテライト&コワーキングオフィス~」と名付けられています。古民家を丸ごとリノベーションし、合宿も出来るコワーキングスペースとして再生利用しているのがトキワ庵様です。広々とした窓や縁側から見える景色は飾り気なしの素朴な農村風景。生の素材をそのままに提供したロケーションは文句なしです。雑念に惑わされず集中するのには打ってつけの環境といえるでしょう。ましてやディスプレイを凝視することの多い技術者にとっては、目の健康に欠かせない緑が存分に味わえます。目に良いだけでなく、耳にも心地良いウグイスの鳴き声がそこら中で春の訪れをしきりに告げています。心身の疲れを癒すにはとてもよい環境です。

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淡路訪問の前後、私はとある案件を請け負っていました。一人きりの開発を選択したゆえ、相談相手といえば、Google先生かstackoverflow教授のみ。でも、トキワ庵さんで合宿していれば、誘惑に流されることなくチーム単位でのさくさく開発ができたことでしょう。孤独な闘いを挑んでいた私には、トキワ庵さんはとても魅力的な場所に映りました。

関西で開発をされている会社様はもちろんの事、関東に拠点ある会社にとっても、社員旅行先としても候補に挙げて良いかもしれません。お値段分以上の価値はあると言ってよいと思います。
トキワ庵さんFacebookページ

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さて、我々が続いて案内して頂いたのが、challenge Farmです。こちらの農場、実は株式会社パソナ様が近隣の農場を借り上げて運営しています。近隣のこういった農場を何か所か借り上げ、パソナさんの事業として使用されているのだとか。我々が訪れた時、パソナグループの新入社員達が新入社員研修の一環として農作業を行っていました。パソナさんと言えば、日本橋の自社ビル内に農園を設けている事で知られます。私も見させて頂きました。こういった農を重視するパソナさんの姿勢は、全グループの新入社員研修という形にも現れています。

数年前に楽天グループが、社内公用語を英語に指定して話題を集めました。私は実はこの事をあまり評価していません。何故なら言語の違いはITの進化によって、ここ10年以内に意識されなくなると踏んでいるからです。もちろん、英語を公用語化する事で、論理的な考えやビジネスマインドが身につくという効果はあるでしょう。しかし、論理力やビジネスマインドを身に付けたところで、ITの進化の前には霞んでしまうに違いありません。

一方、農という人間のプリミティブな可能性に着目したパソナさんの選択には大いに賛成します。地に足のついた農の重要性を学んだ人材が、あるいは将来の日本を背負って立つのかもしれません。こちらのchallenge Farmでは、新入社員一人一人が農作業に従事し、同時に、自らの労働時間、原材料、肥料、シートや柵に至るまで、全てをコスト計算する事が求められているとか。単なる土に還れ的な精神論、泥まみれの根性論だけではありません。農作業を通じて社員として必要なビジネス感覚の養成の場として位置付けているのです。私はその事にとても感銘を受けました。かつて私はパソナグループの社員として働いていました。もし当時の自分がこういった研修を受けていたら、今の私は果たしてどうだったろうか、という空想にまで思いを馳せました。

challenge Farmでは、企業研修の受け入れや、団体観光客の農業体験の受け入れで収入を得ているようです。ゆくゆくは私自身も利用させて頂く機会があれば嬉しく思います。

IMG_6434さて、農業は生産だけではありません。小売りまでカバーしての農業です。その発想から出た実践の場こそが、我々が続いてご案内頂いた「のじまスコーラ」です。ここは旧淡路市立野島小学校の建物をパソナグループが無償で譲り受け、全面的に改装して使用しています。その結果、街の商業施設として賑わいの中心を担っています。
のじまスコーラWebサイト

「のじまスコーラ」の随所に元小学校の名残が残されていました。地元の卒業生にとってみれば懐かしき母校が再利用されている姿は嬉しいものです。地元の農家から見れば農作物の販売拠点として恰好の存在になってくれれば作物の育て甲斐もあります。観光客にとっては道の駅とは違う、ユニークな観光スポットとして分かりやすい存在です。私自身、「のじまスコーラ」の存在は東京にいた時から知っていました。実際に訪れた「のじまスコーラ」は、とても繁盛しており、順調な様子が見受けられました。教室がお洒落なレストランと化し、フィギュアの博物館と化し、美味なパン屋さんと化し、BBQの場と化して有効利用されている姿は、地方創生の活きた実例として申し分ないと云えます。

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写真 2016-04-23 12 35 18われわれは、次いでMieleという播磨灘に面したレストランに案内頂きました。ここもパソナグループの手による運営だそうです。スタッフの中の何人かは新入社員で、社員研修の一環として働いているのだとか。名物である玉ねぎや淡路牛を使ったハンバーガーは正に絶品。我々四人はノンアルコールビールで乾杯しましたが、お店の雰囲気だけで十分に酔えました。
Miele

トキワ庵からMieleに至るまで、パソナさんの地方創生に掛ける意気込みはしかと受け止めました。運営している方々はパソナグループの中で募ったところ手を挙げた有志だそうです。それぞれがかなりの裁量を持って運営していることが伺えます。我々を案内して下さったIさんもまさにその一人。充実した感じが眩しいぐらいでした。

パソナ創業者の南部氏といえば、私にとっては大学の先輩にあたる方。とはいえ今回の訪問まで南部氏の御出身が淡路島の対岸の舞子とは知りませんでした。しかし、淡路島への資本投下も、単に故郷に錦を飾るだけとは思えぬほどの本気度です。そしてその本気こそが、一流企業の社会的責任-CSRの在るべき姿ではないかと思えます。

今の日本社会が抱える問題は多々あります。保育園不足や過疎化、医師不足など。そして、その問題のいくつかを解決する為の有効な処方箋とは、一極集中の解消にあるのではないでしょうか。さらに言えば、一極集中に対して有効な策を打てるのは、国や自治体、中小企業よりも潤沢な資本を持つ大企業です。本社こそ東京にあれ、地方にくまなく拠点網を廻らす大企業は、経営者の意思一つで地方に重心を移すことも出来ます。ましてやネットがこれだけ発達した現代ならなおさらです。

パソナさんの淡路島における地方創生事業は先進的な取り組みとして、あるいはCSRの在るべき姿として評価したいと思います。

さて、我々が続いて向かったのは、兵庫県立淡路景観園芸学校です。こちらは、園芸や景観といった緑を活用したノウハウを教える社会人大学としての性格が強い学校です。淡路といえば玉ねぎやハンバーガーといった名物以外にも花や園芸が盛んであることでも知られています。かつて、淡路島ではジャパンフローラ2000、いわゆる淡路花博も開催されました。新婚当時、私も見に行きました。

IMG_6447学校の中をご案内して下さったのは、Tさん。東京での華麗なキャリアから一転、新たなビジネス創出のため淡路で一から園芸を学ぼうとする向上心の持ち主です。その行動力にはただ頭を垂れるのみです。Tさんには寮の自室から教室、教授室、温室、さらには畑や飾り壇、学食のカフェテリアなどを案内頂きました。瀟洒な校舎を囲むように園芸や景観を学ぶための諸施設が点在し、じつに贅沢な環境が設えられています。
学校ホームページ

IMG_6449その贅沢さは人口密度の少なさにも表れています。我々が訪れた土曜日というタイミングを考えても、ほとんど人に会うことなく闊歩できたキャンパス。それはほぼ独り占めと言ってもよいほどです。近所の馬場から遠乗りでやって来た二頭のお馬さんに遭遇しました。サボテンと乗馬の取り合わせはまるでメキシコ。そのような偶然の演出さえも、観客は我々のみという贅沢さ。素敵な出会いもこの学校ならではです。地元の主婦の方々がフリマらしくお店を出されていましたが、売り上げが上がったのかどうか心配になります。誰も客のいないカフェテリアは営業中でしたが、パートさんお二人がシフトに就かれていました。客は我々三人以外には老夫婦のみ。収支状況が気になります。

とにかく浮世離れしたような環境ですが、学び舎としての魅力は抜群です。ただし、あまりにも贅沢な空間の広がりに、逆に採算性が心配になって来るほど。Tさんもその辺りを心配されていました。私も淡路の片隅に花咲いたこの別天地が立ちいかなくなる事態は望みません。機会があれば東京でもこちらの学校のPRのお手伝いをしたいものです。

園芸や緑化は公の仕事。そんな暗黙の了解があります。でも、本当に私企業が園芸や緑化の事業に参入する余地は無いのでしょうか。アイデア次第では、ビジネスとして成り立ちつつ、働く当人が癒されるような仕事のタネは転がっているはず。その気付きが、こちらの学校で得られなければ、一体どこで得られるというのでしょう。特にITと園芸とのコラボレーションには、新たなビジネスの鉱脈が埋もれて居る気がしてなりません。畑を耕して得られるものは何も作物だけではありません。ビジネスの種もきっと掘り起こされるのを待っているはずです。実際、IT技術者には心なしか土いじりが好きな人が多いように思います。案外、ITと園芸とは、相性の良いもの同士かもしれませんよ。こちらの学校への入学にあたっては、兵庫県からも手厚い補助金が出るようですし、興味ある方はセカンドライフの有望な選択肢として含めてみてはいかがでしょうか。もちろん私自身も含めて。

終わりに。

今回、淡路島に来て思った事があります。それは、今や淡路島は行き来に不便な島ではない、という事です。帰路は一緒に同行して頂いたHさんに淡路サービスエリアまで送って頂き、そこから独り、バスでJR舞子まで出ました。片道運賃はわずかに410円。安価な出費で海峡バス渡りの贅沢が楽しめました。かつてのように西宮から甲子園フェリーに乗ったり、明石からたこフェリーに乗ったりといった船旅のイメージはもはや過去のもの。未だに淡路島を遠隔の地として見ているのであれば、その認識は改めなければなりません。少なくとも私はそう思いました。淡路島の魅力は、関西のみならず中京や首都圏の方々にこそ伝えられるべきです。それも単なるレクリエーションの場としてだけではなく、ビジネス創出の場として。

淡路島から、新たな日本の国産み神話が生まれる。そんな感想さえ抱いた今回の旅でした。最後になりましたが、今回の旅でお世話になった皆様、特にIさんTさんHさん、本当にありがとうございました!